予知夢(第172話)

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 出来事を構成する「原因と結果」は同じ瞬間に(時間の枠を越えたところで)出来上がり、それぞれが私たちの時間軸なかの適当な場所に落ち着きます。そしてそれは時として、その後の選択がそれ以前の出来事に影響を及ぼすこともありえることを意味しているのです。簡単に言ってしまえば、いったん私たちの使っている時間軸から外れれば、すべてのことは今という瞬間に起こっているということになります。

 何を言いたいのか、わかりにくいですね、このように考えてください。時間をさかのぼることができると、原因と結果の関係が、必ずしも時間軸の流れに沿って起こるわけでもないということなのです。未来が過去に影響を及ぼすということもあるということなのです。

 くどいですが、もう少し続けます。原因が過去で結果がそれに対して未来に起こるとは限らないということは、いったい何が原因で、何が結果なのかを判断するときに、時系列を基準に判断するわけにはいかないということなのです。ではいったいどのようなものを原因として考えることができるでしょうか。自分の周りに起こること全てが自分自身の選択の影響を受ける、あるいは世の中はその人の意識の状態によって変わっていく、思考が現実になるというようなことで考えると、原因というのは、思考や、それをもとにした選択や宣言であるということがいえるのです。実はそれ以外の原因というのは考えられないのです。

 そのことから私は何を言いたいのでしょうか。全ての原因は自分自身の内面にあるということを言いたかったのです。それは自分自身の身の回りに起こったこと全てに自分自身の責任があるということを意味するのです。しかし多くの場合、自分自身の中のどの部分が、それぞれのさまざまな出来事の原因になっているのかということが、判りにくいということがその理解を妨げる要因になっているのです。

 もっとも原因と結果は、多くの場合非常に複雑に絡み合っていて、私たちの頭脳の理解の範囲を超えることの方が多いというのが実際なのでしょう。夢の中で「あっ、そうなのか」と理解したと思っても次の瞬間にはそれを思い出せなくなっていることもよくあることです。それらは単なる気のせいというわけでもありません。なぜかというと、時間がたって部分的に思い出すことができることもあるのですから、それはその時点では理解していたのだと考えるのが自然なのです。

 再開早々、横道に行ってしまいました。原因について突っ込んで考えるのも面白そうなのですが、今日の本題に入ります。簡単に言うと、1年ほど前、私は自分自身のこれからの人生の予定を夢の中で見たのです。その予定が、私が今回の人生を始める前から決めてきたものなのか、あるいは予定を変更して立て直したものかは判らないのですが、少なくともその時点で私のたどりうる人生でもっとも可能性の高いものだということは言えるでしょう。

 その夢の内容なのですが、あくまでも夢の中での理解なので、そのままこちら側の表面意識の脳に情報を取り込むことができません。私がいままで霊的な夢を何度も見ていたため、その雰囲気でそれが自分自身の将来の予定であることを理解したのですが、もし普通の人だったら、単に意味のない夢を見ただけだと考えてしまうんでしょうね。デジャブ(既視感)というのがありますが、それも同じような夢を見てその記憶がわずかに残っていたというケースだと思います。そのことから思うに、案外と大勢の人が自分の将来の夢をみているという可能性もあると思います。それに催眠術でも同じようなことは可能だと思います。

 話を戻します。内容を覚えていられないのにどうして、その内容が分かるのかということを説明しないといけないですね。その内容自体は覚えていられなくても、それを感じたときの印象は覚えているのです。「はは〜ん」とか「う〜ん、なるほど」とかいう感想と同時にその記憶の断片がくっついてくるのです。

 その時の感想なんですが、「私はそんな風になるのか、それって現世的な頭脳ではとても予想出来ない結果だよなあ。う〜ん、それって、今までに経験したことないなあ、でもなかなか面白いかも。普通に人生設計を考えたとき、絶対にこんな計画は思いつかないよなあ。」とまあ、そんな風に私が思ったのです。その印象は、世間的な成功とはとても言えない状態で、多くの人が率先してそうなりたいと望む状況ではないのだけれど、なかなか悪くない将来像だということなのです。

 さて、この夢を見ている段階でとても重要なステップがあったのです。それはその計画を自分自身の将来の計画として受け入れるかどうかという「選択」をそこでする必要があったのです。何も考えていない状態で、自分の将来の青写真をみて、それで良いかどうかの判断をしたわけなのです。

 この「夢の中での選択」について、その印象をもう少し詳しく書きましょう。まず、自分自身の将来を瞬間的に感じたのです。そしてその将来が、絶対的に確定したものではないということも同時に感じるのです。だから厳密に言うと「選択」を迫られるというわけではないのです。自分の将来がそれでよかったら、黙って承認すれば良いのです。もしも気に入らなかったら、その未来を選択しないように行動を変えればいいのです。どの行動を変えれば良いのかなども、そのときに何となく分かると思うのです。

 さて私の場合はというと、世間常識からいうとかなり変わった特殊な状況でいる自分を見たわけなのですが、考えようによってはそれも良いかも知れないと「承認」したわけなのです。そのときのポイントとしては、今まで体験したことが無い状況というのが一番の魅力的要素に感じたのです。ただそれはかなり霊的な視点に立った判断で、現世的な視点からみると、結構つらい状況なのかも知れません。あらためて書きますが、私たちの表面意識での価値観と、深層的な意識(俗に言う魂)の価値観ではかなりの違いがあります。深層意識で良いと思ったことが、表面の意識から見るととんでもないことだと言うようなことも良くあることなのです。そのような夢を見るときは、私の意識もかなり深層意識よりになっていると思われるので、その時の評価も今の意識とは違うはずで、私の将来が実際にどのようになるのかと言うのは思い出せないのです。

 実のことをいうと、私が承認した私の将来の状況において、まだこちらの世界に生きているのかどうかも判らなかったりするのです。少なくとも、今とかなり異なった環境にいることはわかるのですが、、

 これは後から考え(感じ)たことで、自信はあまり無いのですが、もしかしたら死んだ後、「火の鳥」のような存在になるのかも知れません。この場合の「火の鳥」とは、地球の傍観者という意味合いが強いのですが。(ここの部分は、余談です)

 さて、夢で見た未来には補足のようなものがあったのです。それは私がその将来を選択すると決意した後で感じられてきました。そしてその補足があった為、より明確にそれが私の将来のことであると言うことを強く認識することになったのです。

 補足の夢を見た後の印象を書くと、「私がそんな失礼なことをするわけが無い。もらったメールを長い間返事も出さないでいるなんて考えられない。」というような内容だったのです。その時点では、そんなことするはずがないと考えていた訳で、それまで見ていた夢について、急に疑問を感じてしまうという結果になった訳です。

 自分の将来を垣間見て、その中で自分がそのときには考えられないようなこと(この場合、長い間メールの返事も出さないということ)をしていた場合、その将来像をうたぐるのは自然な反応だと思います。そのようなことが私に起こったわけです。だからそれについてもそれ以上深く考えることもなく、そんなことは起こるはずないと、一度は忘れてしまったわけなのです。

 ところが、実際にそのような状況になってしまっている訳で、自分でもそんなことするわけがないと言うようなことを、してしまっているのです。それに気づくと、一度は無視していた、自分の将来に対する特殊な夢を改めて意識せざるを得なくなるのです。

 なぜ私がメールを見なくなったかは、この次に書くことにします。ただこの夢が結果であると同時に、ある意味では原因の一部にもなっているのですが、それもこの次ですね。

 その後の出来事と、その背景と思われることについては回を改めて書くことにします。

(2005/08/05)


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