同意と約束(第174話)

魂の部屋に戻る

 私たちがこの世界に生まれてくるということは、この世界の常識の共通認識である基本的なルールを受け入れてこの世界に入ってくると言うことを意味します。この基本的なルールとは、こちらの世界の物理法則であったり、世界感というか常識と呼ばれるものです。

 わかり難いと思うので、もう少し詳しく書きます。私たちの思考が現実を作っているというのがまず一番基本的なものになります。そして、大勢の人が同じ思考をすることにより、その力は加速度的に強化されていくわけなのです。私たちが地球上で現実だと認識しているこの3次元の世界もまた、大勢の思考により現実化して表れているわけなのです。

 私たちがこちら側の世界に生まれてくるということは、すでにこちら側で多くの意思、思考により現実化されている世界に参加するという意味あいがあるのです。それはサイキックなレベルで、こちらの世界の現実を受け入れるという同意がなされているから出来ることなのです。この同意というのは、約束でもあるし契約のような意味合いで感じられることもあります。「こんなものだ」と考えるのも、同意という意味では強力なものだと思います。

 この世界の根本的な原則、そしてその時点で存在している「予定とも言える時の流れ」に対する同意は、ひどく根本的なものなのです。とりあえず根本的同意とでも言っておきます。しかし同意はそれだけではありません。それぞれの種族的な同意、個々の対個人的な約束にいたるまで様々なレベルで、同意が行われているのです。

 さて、この同意とは何なんでしょう。契約という言葉に置き換えることも多くの場合可能なのです。ものは言い様といいますが、この場合の同意について「ありとあらゆるものに対して、一旦は同意している。」と、言ってもそれほど間違いでは無いことなのです。

 「同意」という言葉の説明も上手く出来ませんね。言葉の定義が足りないのです。フィーリングで理解してください。(余談ですが、もともと理解のすべてがフィーリングでなされるのですが、、、)

 同意と契約について、少し考えて見ます。この二つの言葉のもっとも異なる部分は、同意という言葉には、「すでに在るものを受け入れる」ということに対して、契約の場合は、「何々をしなければならない」という「べき論」的なニュアンスがあります。この二つの関係は、「同意」に「べき論的」なものが加わると「契約」になるということも出来るのです。

 ちょっと余談ですが、契約の段階でのべき論は、まだ内面に向かっているのです。それがもっと行き過ぎて「べき論」が外に向かいはじめると、使命感になるのです。式にすると、「同意」+「べき論」+「外部志向」=「使命感」という感じになるのだと思います。

 余談のまま、話を進めることにします。生まれてくるときにはいくつもの目的をもって生まれてくるわけなのです。あくまでも個人的な目的の場合は問題にならないのですが、 相手があっての目的であったり、社会などに対しての目的であった場合、それらの目的は「契約」「使命」として認識し易いのです。それは私たちが、霊的なべき論(宗教などが良い例)や、「使命感」にとらわれ易いという結果につながるのです。

 何を言いたいのかというと、全ての「契約」や「使命」は、それを分解したとき、そのもっとも基本となる部分に「同意」というものがあると言う事なのです。それは、もし同意のレベルで変化を起こしたのなら、「契約」や「使命」として見えていたものは、とたんにその意味が無くなるのです。

 説明が分かりにくいかも知れませんが、わかる人には理解していただけると思います。それに言葉の壁が大きいので、わからなくても気にする必要は無いと思います。

 もし誰かが、「契約」や「使命」にこだわっていたら、何が起こるでしょうか?その人はその目的に照らして、充実した人生を送ることが出来るかも知れません。それはそれでも良いのです。それらに対するこだわりは、同時に「同意」に対するこだわりになるのです。使命を果たすためには、その前提となる「同意(社会)」が変わってしまっては都合が悪いのです。だからますます「べき論」が強くなってしまうのです。

 しかしそこに大きな問題があるのです。私たちが覚醒という、真の意味での成長に向かって進もうと思ったとき「同意」のレベルで私たちの思考を変える必要があるのです。簡単に言ってしまえば、古い「同意」にしがみついていたなら、いつまでたっても次のステップに行けないということなのです。この同意という意味は「集合意識」として考えた方が理解し易いかも知れません。実質的に同じ意味なのです。

 同意を変えるということを、例えで説明すると、「人間は超能力など使えない」という同意をしたままだと、いつまでたっても超能力は使えないままなのです。私たちが成長するということは、私たち個人個人の同意を成長させるということでもあるのです。

 別な説明だと、「私たちの成長のある時期(覚醒)において、契約や使命として感じているようなものが、無意味になるステップが何回かある。」と書いていいと思います。ここで感じていると書いているのは、必ずしもそれがあると言うわけではなく、それがあるように感じているという意味なのです。

 私たちは成長の段階において、約束を守ることの大事さを体験します。でもそれはある特定の同意の基での、体験なのです。「同意の質」を変えていくことで、いずれその約束は(個人としては)無意味になり、特定の約束はそれを意識して破ることで、その体験を終了するのです。

 ある存在が完全に覚醒したとしますよね、そのときその存在は約束を破るのでしょうか?たぶんそんな心配は無用です。そのような時、約束自体が無かったことになるのです。過去も未来も同時に変化し続けています。誰かが完全に覚醒したとき、そのように変化するのです。なぜなら覚醒した存在にとって過去も未来も無いのですから、、 説明として納得できるかわからないのですが、過去も現在も未来も、今という一瞬に存在しているのですから、約束などというものは厳密にはありえないことなのです。

 今回は「約束を破る」ことに関して書きました。これは何故ページの更新を一度止めてしまったか(メールを見ていないのか)という説明の一部なのです。といっても、まだなぜそこにつながるか読んでも理解できないかとも思います。とりあえず、私は約束を破ることに対して、普通とは異なった視点で考えていると言うことは書いておきます。

 人によっては、チンプンカンプンだったかもしれません。別な角度から簡単に言うと、「神との対話」の中で、高度に進んだ存在たちは、約束などしないと書いてある部分があります。約束により相手の自由を束縛するというのは、やはり原始的なのだと思います。

(2005/08/24)


魂の部屋に戻る