約束(第175話)

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 まだメールを見ていません。なぜメールを見なくなってしまったのかと言うことを説明しながら話を進めているのですが、それにこだわりすぎるとかえって書きにくいので、あまり気にしないほうが良いかも知れません。

 前話で、約束について書きました。今回はその続きと補足です。私たちは、自分自身の人生を時間系列にそって少しずつ時間を移動しながら味わっているのです。それは今までも何度か書いているわけなのですが、それが何を意味するのかと言うことはなかなか理解も、その説明も難しいものがあります。早い話、過去も現在も未来も同時に存在しているのです。

 私たちが生まれてくる前に誰かと約束したとします。(実際それぞれの人が非常に多くの約束をしてきているのです) その約束は人生の時間軸の外での話しなので、私たちの世界でするような約束とはかなり状況が異なってくるのです。このように考えてください。約束が成立したとき、そのときに存在している未来はその約束に従って変更されるのです。その変更された未来とは、人生を体験する為の時の流れの上では、まだ起こっていないのです。それは私たちの視点からみると、未来の予定のなかにその約束が組み込まれたというようにみえるわけです。

 約束によって、そのときに存在している未来の予定は書き換えられました。でもまだ私たちはその時刻を体験していません。その約束はまもられるのでしょうか?

 すべてのものは刻々と変化しています。当然のことながら、未来の予定も変化しています。ということは、一度は書き換えられた約束(未来の予定)もまた、変化していると言うことになります。だから未来を書き換えてまでした約束であっても、それが体験として実現するとは限らないと言うことになるのです。

 何をいいたいのかというと、私たちの人生の予定は非常に多くの約束によって成り立っているのです。もっというと人生のなかでのほとんどすべての出来事が約束によって作られているともいえるのです。

 「約束」という言葉を使っていますが、私たちの通常の意味とはちょっと違うのはわかりますよね。適切な言葉が無いんです。まあ「約束」という言葉で続けますがその点は頭の中で調整してください。

 「約束」についてもう少し考えて見ましょう。「過去、現在、未来が同時に存在していて、なおかつ、すべての物が変化し続けている。」という状況でどのような約束が起こりえるのでしょうか?そこでは私たちの概念のような約束は成り立たないのです。何故かというと、例えばの例ですが、過去に何か約束したとして、その過去自体が変化を続けているとしたら、どのような約束であってもその約束が無かったように過去が変化すると言うこともありえるのです。別の例えでは、未来が一度は約束に沿って変化したとします。でもその後でまた変化をするとなると、約束はまもられたということになるのでしょうか?

 「約束」と簡単に言ってしまっていますが、色々なバリエーションがありそうです。特に大事な約束の場合、その約束が現実の体験として現れるまで、いろいろな変化に応じてたえず軌道修正を行ってそれを保持しようとするのです。(それが実際に可能かどうかはわかりません) 「約束」がこのような形で行われようとする場合は、私たちの通常使う言葉の意味での約束と似た意味になります。このような場合の約束は「変化」に抵抗する要素として、それが存在することになります。(便宜上Aタイプと呼びます。)

 それとは別に何かを拘束しようとしない約束のほうがより多く存在しています。その方が自然なのでしょう。このタイプの約束は、過去の原因として「約束と言う同意」がされたとき、同時に将来の出来事も作り上げるのです。この大事なことは、ひとつの約束が原因と結果というかたちで同時につくられ、その瞬間に「出来事作成イベントとしての約束」は完了してしまうのです。まあ言ってみれば、一度は将来の予定の中に組み込まれれば、その約束は終了なわけなのです。そこで大事なことは、われわれの将来の選択肢を制限しないということなのです。(便宜上Bタイプと呼びます。)

 もともと直感的な理解のものを敢えて文章にすると言うのは、本当に難しいですね。単に表現が難しいと言うのではなく、説明をしているうちにその内容が少しずつ変質して行ってしまいます。文章をわかりやすくするより、出来るだけ変質しないように気をつけたほうが良いのでしょうね。そうすることにしましょう。すこしスタンスを変えて要点を書き出すことにします。

 私たちの世界(それぞれの人生)は、様々な約束に従って成り立っています。私たちを拘束しない予定された出来事というものも、それらの約束の結果として出来てくるのです。それ以外に、私たちが自らその約束を果たそうとするタイプの約束も存在します。(私たちの世界ではこちらのほうが一般的なのです) こちらの約束は、自らの選択を制限する、相手の選択を制限する、本来なら流動的な将来も、その約束を実現する為に固定化させようとする力が働くわけです。

 私たちの将来を固定化させようとする力とは、私たちの陥りがちな方向性のことを言っています。自分自身を制限してまで約束を実現させようとするのか、自分自身の自由を優先するために、約束に対する拘りを捨て去ってしまうのかは、どっちが良いというのではないのでしょう。それはそれでその人の生き方なのです。でも覚醒を前提にした場合は、ちょっと話がかわります。自分自身の自由が何よりも大事にされる訳ですから、過去の約束のために、自分の自由を制限するなどと言うことはありえないことなのです。

 Aタイプの約束は、限られた視点の中でのみ存在する約束なのだとも言うことが出来ます。もともと私たちは限られた視点からものを見なければならないのですから、私たちが普通だと思っている約束が、視点を変えてみると殆ど意味の無いもの(幻)であるということもあるのです。

 改めて書きます。Bタイプの方が自然なのです。Aタイプの約束は自分自身を制限するばかりでなく、相手も制限しようとします。それはそのような幻想の中の物語(私たちの人生の事)でのみ意味をもち、いずればその無意味性に気づくものなのです。だから、Aタイプの約束は自分自身の一部を犠牲にしてまでそれを果たす必要は無いのです。

 もっと簡単に言ってしまうと、Aタイプの約束は守る必要は無いのです。別な角度から説明すると、実はAタイプの約束も、その成立の時点ではBタイプの約束でもあるのです。なぜなら、その可能性ができていなければ、約束を守るも守らないも無いわけで、Aタイプの約束をした時点で、その瞬間に完結するタイプのBタイプの約束がすでに実行されているのです。

 言葉で言い表すと変ですが、Bタイプの約束においては、その成立の時点ですべてが完結しているので、その結果がまだ現実として現れていない時間帯のことであっても、(実質的には)過去のものになっているのです。だから約束にこだわり続けると言うことは、過去にこだわるのと同じ意味になるのです。

 覚醒を目指すとき私たちが最も気を配りたいことは、私たち自身が自由な存在でいることです。約束(Aタイプ)は、破ることがあっても良いのです。というかそんな約束の自体が存在しなかったと考えることが良いのです。覚醒した存在は、自らを制限するような約束などはしません。その瞬間に実行できるものだけ、約束してすぐに実行してその件は終わりになるのです。

 少し話がそれるような気もしますが、約束を守らないというのは、それはそれで気分の良いものではありません。自分自身がそれに囚われないという範囲内では、明確に認識している約束を守ることは悪いことだとは思いません。でもより一般的な問題としてそれを考えたとき、これ以上拘束的意味のある約束などしないというのが、現実的な対処法でないかと思うのです。

 話を進めます。私たちの現実のそれぞれの生活というものは、そのベースとして約束の結果として作られたものであると言うことは書きました。そのことを良く理解すると、そのこと自体が私たちの成長を阻害しているひとつの要因であるということもわかってくると思います。説明が難しいのですが、約束とはたえず固定化という要素を含んでいるからなのです。霊的に次のステップに行きたいと考えている場合、約束がもつ固定化という要素が邪魔になるのです。

 私たちの生活での家族環境、社会的地位、財産や収入などもろもろの現実は、その約束の結果として現実に現れてきています。それらの現実は、その元となった約束と合わさって、より固定化の要素を強めていきます。まあ簡単に言えば、居心地がよければ、ずっとそこに居たくなるようなものです。

 さて、そのような状況で成長するために何が必要でしょうか?言わば「出家」のように、すべての財産を捨てて新しい環境に自らを置く、あるいは、自ら率先して「変化」を求める、「世捨て人」になるなどの方法が考えられます。これらはすべて、自分がとらわれていた約束から自分自身を自由にするという意味になるのです。何もかも捨ててしまったときに感じる、大いなる喜びをともなった「自由さ」と言うのは大変すばらしいものではないかとおもいます。何となくその感じが想像出来るのもちょっと不思議なんですが、もしかしたら、この脱皮のようなものは何回か繰り返ししているのかも知れませんね。

 今回も、わかり難い内容だったと思います。とりあえず「約束は、成長を阻害するものである。」と言ってしまったほうがすっきりしてわかりやすいかもしれませんね。

(2005/09/04)


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