輪廻転生と因縁

魂の部屋に戻る

 実は、最近強く自分自身の関係した因縁を感じざるをえないことがあります。ここで詳しく書くことはちょっと差し障りがあるので書きませんが、まさか私がこのような因縁に影響を受けていたとは自分自身でも解りませんでした。

 「因縁」という言葉もいくつかの解釈があります。ここで私が問題にする因縁とは、輪廻転生を前提として考えなければとても理解できるものではありません。

 改めて言うまでもなく人間は輪廻転生によって、何度も生まれ変わります。(かなり断定的な発言です。)で、その際不思議なことに「縁」のある人と家族になったり、親しい関係になったりします。「因縁」と呼ばれる不思議な関係もそこで発生します。もちろんその「因縁」にもいろいろなタイプがあり、全て悪いことばかり興るというものでもありません。

 さて、話を整理するために一度「因縁」以外の話を書きます。時々、輪廻転生を信じる場合と信じない場合でどんな違いがあるのか?ということを言われます。私は巧く説明できないので、とりあえずは「たいした違いはありません。」と答えてしまいます。でも、本当のところは、その人の人生観に於いて重要な意味があります。別な言い方をすると「輪廻転生」の考え方は、その人の人生観を築くうえで、ベースになる部分なのです。根本から異なったベースのうえに築かれた人生観は違って当たり前です。

 輪廻転生を信じられないと言う人も世の中には大勢います。そのような人もそれぞれ自分自身の人生観を築いてきていますから、いくら証拠を挙げて説明しても、今になってその人の人生観を揺るがすようなことは受け入れられるわけがありません。言ってみれば精神の自己防衛本能とでもいうのでしょうか。このようなこと信じられない人の場合、実際にはその人自身が持つ防衛本能的なものによって信じられないのです。(多くの場合、本能レベルのものに影響を受けているとは考えていない)

 輪廻転生を信じることによってどのようなことが言えるか、ほんの少し触れたいと思います。ここで問題とするのは身内や配偶者などとの関係のことです。

 一番分かり易いことは、親子の関係です。人間は何度も生まれ変わっているのですから、たとえ親が子供を産んだとしても、子供の本質はもともとあったと言うことです。親と子という関係は現世に於いて明確にあることは確かです。それを否定するわけではありませんが、子供(の本質、魂)は別に親が作ったわけではありません。子供が親に恩を感じなければならないのは当然なのですが、だからといって子供は親の所有物でもありませんし、親に絶対的な権利があるわけではありません。当然、親の方が子供より優れているとは限りません。また別の言い方をすれば、親だからと言って子供より優れていなければならないということもないわけです。

 別な言い方をすると、たとえ親子であっても「魂」のレベルではそれぞれ独立した存在であり、対等な存在であるということです。(子供は親に感謝すべきであるということを否定するものではない。)

 ですから、私は自分の子供達にもそのような見方をしています。成人するまで、あるいは一本立ちできるまでは、親としてできるだけのことはして上げたい。しかし、その根源的な生き方まで干渉しようとは思わないし、自分の子供だからといって思いのままに操れるなどとも思っていません。(親の操り人形にされてしまう子供は不幸です。)

 親が子供のことを、ひとりの人間として(魂としてはもともと独立したものとして)ある意味では対等に付き合っていくことが大事であると考えているのです。実はこの事は教育の問題でも重要な意味を持っています。子供達を人間として対等なものであると考えていないので、うっかりすると子供達をいろいろなものでがんじがらめにしてしまいます。本来の教育とは「子供達がひとりの大人として成長することを、別な人が手伝って上げる。」というのが正しいと思っています。それこそ学校教育で子供達の人権無視のようなことがおこってしまうのは、はっきり言って誤った人生観が問題なのです。

 さて話を少し進めます。「縁」というものです。先ほど少し書きましたが「縁」のある魂は何度も家族として、あるいは友人などとして、お互いに関係しあっているようです。ですから、今の私の子供である「魂」は、かっての私の親であったかもしれないのです。同じように「縁」があって結婚した配偶者とは、兄弟や親子の関係であったのかも知れません。生まれ変わるにしても、はたしてそんな偶然があるのか?と、思う人もあるかもしれませんが、むしろこのような関係のことを「縁がある」というのです。

 もちろん、逆のケースもあります。たとえ親子であっても「縁」がうすいということも充分ありえます。その場合、以前は全くの他人であったであろうと想像できます。そして生まれ変わったら、全然「縁」のない関係になってしまうのかも知れません。

 さて「因縁」のことなのですが、「因縁」というのは「縁」のちょっと強力なものと考えて良いと思います。例えば「相性」などもこの「因縁」の部類に考えて良いと思うます。多くの場合、相性が良いとか悪いとかには明確な理由はありません。何となく好感が持てるとか、何となく面白くないとか、そして悪い「因縁」があれば毎回(何度もの人生に於いて)相手と争うということもあるようです。

 貴方がもし「何でこうなっちゃうの?」というようなことが続く関係が誰かとあるのなら、それは何かの「因縁」でしょう。その問題は理屈では解消できません。因縁の原因は、ずっと昔にあるのですから。理性的に何んらかの対策をとったとしても、いずれ問題が再発してしまいます。これはもう「しょうがないもの」として考えた方が良いでしょう。その上で、具体的な対策を練るしかありません。(それでも「因縁」からは逃れられないかも知れませんが)。

 結局のところ、私が何を言いたいのかというと、世の中には「どうしようもないもの」があるということです。これは変えることのできない「運命」なのです。(ちなみに変えることのできる「運命」もある)

 私の考えですが「宿命の対決」といわれるような、闘うことを避けることのできない「因縁」を持っていても、どちらが勝つかは決まっていないのです。
(闘うことは運命で決まっていても、その勝敗までは決まってはいないと私は思っています。)

(1997/08/15)


魂の部屋に戻る