真実について(第28話)

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 前の第28話から続けて読んでもらわないとちょっとわかんないと思うのですが、どこかから送られてきたテレパシーからの話です。もともと言葉として私に送られてきたわけでもないし、ほとんどの部分が言葉に出来ないもので、私が言葉を通して覚えていられたのはごく一部でしかありません。それでも、できるだけわかりやすい言葉になるようにがんばってみます。

 すこし話がそれますが、人間の理解力の特性について先に少し触れておきたいと思います。たぶん多くの人が経験あると思うのですが、たとえば二人の人が同じ本を読んだとして、全く反対の理解をしたりすることがあります。簡単に言ってしまうと、本を読んだそれぞれの人が、本の内容の中で自分の考えにあった部分だけを理解して、自分の考えと合わない部分や理解出来る範囲を超えている場合は、無意識のうちに読み飛ばしてしまっていて、全く頭に入っていないという現象がおこるのです。この現象は注意して見ているとわりと頻繁に見ることが出来ます。

 この現象をひとりで実感できるのは、同じ本を何回か読みなおして見ると、だんだんと理解が深まってきて、最初に読んだときにどの部分を無視したのかなどを自分自身で見つけることが出来たりします。私は単に人間の理解力が悪い為で、人間は馬鹿ばっかだからしかたないと思っていました。

 さて、この「人間の理解力の特性」が何で真実と関係あるのでしょうか。実は非常に大きな関係があるのです。私がテレパシーで受けた「真実」についての一連のメッセージはかなり大きなものでした。その中には普通の説明だけではなく、いろいろな事例や、問題とその答え、それに関連しているものごとに関するほとんど全ての情報が入っていたようです。ようです、と書かなければならない理由は第28話で書きました。私が覚えていられたのはほんの氷山の一角だけなのです。

 そのテレパシーの中で「人間の理解力の特性」は、全ての人間にそれぞれ異なった「真実」を持たせるために、わざとそうなっているのだということが入っていたのです。言い方をかえて、もうひとつの格になっているメッセージを書きましょう。「真実は人間の数だけある。全ての人は自分だけの真実を持っている。」というものです。それを実現するために、わざわざ人間の能力を落として「人間の理解力の特性」を持たせているというのです。(このために能力を落としているのではないと思うけれど、霊体で存在しているときよりかなり理解力が落ちていることは確かです。)

 あらためて、今ここで使っている「真実」という言葉について、補足が必要です。テレパシーで送られてきた中の「真実」というものは、普通に使っている真実とちょっとニュアンス的に異なったものがあります。意味的な補足をすると、通常の真実にさらに「誰もが求めつづけている物」という意味が付加されていて、その本人の視点から見た場合には「真理」と言う言葉にかなり意味が似てきます。

 ここらへんの意味合いは、全く別の「この世に絶対的な物などは存在しない」という考えと微妙な整合性が取られながら成り立っているのです。うまく説明できないので、ここの部分は後日改めて書くかも知れません。今回はパスです。

 話を戻します。「真実はひとつしかない。」というのが割りと一般的な考え方だと思います。いきなり「真実は人間の数だけある。全ての人は自分だけの真実を持っている。」といっても納得できない人もいるかとも思います。まず今までの考え方を少し変えて見て下さい。「その人にとって、真実はひとつしかない。」というように文章を追加してみてください。それくらいだと、まだ納得できないかも知れませんね。それの説明になるかどうかわからないのですが、この「真実」という物の意味について説明することで答えになるかも知れません。

 「野蛮人には野蛮人の真実がある。賢者には賢者の真実がある。」どこかのだれかが言っていそうな言葉です。それぞれの人がいろいろなレベルの「真実」を持っていて、その「自分の真実」を前提として行動をしています。これは輪廻転生ともおおきな関係があるのです。転生を繰り返しながら人間はいろいろなことを体験することは承知の通りですよね。そのいっかいごとの人生で何度も自分の生き方を選択し続けるのですが、そのときに「自分の真実」が選択の基準になるのです。もしも全ての人が同じ「真実」を信じていたらどうなるでしょうか、人生の中での選択肢が、YESかNOの言うように極めて簡単なかたちに画一化してきてしまいます。

 いろいろな人が、その人のレベルに応じて様々な行動をする。そしてその行動の選択は外部から強制された物ではなく、それぞれの「真実」に基づき自らの意志で選択している。このようになっていなければ、輪廻転生を通して様々な体験をしながら魂が成長していくことは出来ないですよね。この全ての人の人生に関わる根源的なところで「自分だけの真実」のシステムが生きているのです。

 ついでに強調しておきます。人生の選択において、自分の意志でというのが大事なポイントになります。誰かに強制的にやらさせられたり、コントロールされていた場合には、責任の所在が明確になりません。それに仕方なかったんだという言い訳もできます。本当の意味で自分の体験とするためには自分の意志で行動することがだいじになります。

 「真実」という物をもう少し深く考えていくと、「真実」は一種のパラメータであるということが出来ます。その人がどのような大きさの「真実」を持っているかで、その人のレベルの測定が出来るし、行動の予測においても重要になってきます。(行動の予測に関してはいずれ書きます。暫定的な未来の予測に使われている?)

 別な言い方をするほうがわかり易いかも知れません。「真実とはその人の成長にしたがってだんだん大きくなっていく物である」。もっと別な言い方だと、いろいろと体験することによって、「真実」が形作られていき、それがその人の成長である。この成長は霊魂のレベルの成長でもあります。その場合、体験で得た「真実」は知識となって魂のレベルアップに貢献するのです。

 すこし現実的な話に戻りましょう。テレパシーの中に出てきたわけではないのですが、この「自分だけの真実」は、現在の心理学でも研究の対象に成ってきております。いわゆる「ビリーフシステム」というのですが、簡単に言うとそれぞれの人が何を信じて(ビリーフ)いるのかで、行動が変わってくるし、人間関係にも影響があるという説です。こう言うのは例をあげたほうがわかりやすいですね。だんなは「家事は女房がやる物で男がやるべきではない。」というように信じていて、奥さんは「共稼ぎの家庭は、家事は夫婦で平等で負担すべきだ。」というように考えていた場合、いったいこの夫婦はどうなってしまうのでしようか?この場合、どちらも「べき論」で考えているから人間関係に障害が出るんだよ。というような感じて「ビリーフシステム」は展開していき、人間関係のあり方を研究しています。

 「自分だけの真実」と「ビリーフシステム」は、まったく同じという訳ではないのですが、かなり共通した部分があり、ともにあるべき人間関係に示唆を与えてくれる物です。たとえば、誰かを理解したいと思った場合、その人が何を信じているのか、なにを「真実」として捉えているのかということを見ることが有力な方法であるということです。また、当然の結論として、自分の真実は相手のそれとは違っているのが当たり前なのですから、何かを当然のこととして押し付けるのは間違った考え方であるということになるのです。そして相手の「真実」もその人の学びの為にそうである必然性があるのかも知れません。自分の真実とは違っていてもそれはそれで違いを認識するだけで終わっていたほうが良いのかもしれません。

 最後に私的には重大なことに思えているのですが、「自分だけの真実」を作らせるシステムの一部に、「正しいことは簡単には信じられない。」という設定がされているようです。そのくせ「間違ったことは簡単に信じられる。」というようにも成っていたりするようです。ちょっとへんな感じがするかも知れませんが、バラエティーさを出す為にはある程度必要なことなのです。と思うのですが、実際のところこの部分はどうなんでしょうね。

(2002/06/30)


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