幸せ(喜び) (第40話)

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 またまた連続のアップになります。このページを書くのも結構精神的に疲れるので、週一のペースに自分から絞っていたのですが、メッセンジャーの宣言をしたとたんいろいろなことが起こって、自分でもびっくりです。今日の出来事なのでまだ感動が熱いうちに書いてしまいます。

 いつものように会社の裏の公園でベンチに座っていました。(木が多くて良い所なんです。)ちなみに私の場合、会社にいる時間の半分以上は裏の公園で考え事をしています。まあ社長だから出来るのですが、世の中の一般的な常識から言うとかなり変わった生活をしています。女房に言わせると「仙人ではないのだから、おかしいんじゃない?」となるのですが、私の場合、既に世の中の常識などあまり意味の無いものになっていますから良いんです。最近思うには、知らず知らずのうちに私の望んだ生活が実現しているのです。

 さて本題です。今日の午前ベンチで昨日の感激を思い出して、また味わっていました。幸せだなあ、と考えているうちに、ふと、「あれ、この幸せな気持ちは今まで何回も味わっているな」と思いつきました。一度や二度ではなく、何回も何回も、生きていたほとんどの時間に幸せだったと言うことに気がついたのです。なぜか魂も反応して、「私の人生はものすごく幸せだったんだ」というように思えてきました。意識では別にそんなに幸せなのかなあ、と考えたのですが、それでいて私の感情は「ずっと幸せだったんだ」と感激しているのです。

 感情と魂が感激している間、私の意識はその分析をしていました。これって「探求者」のさがなんです。(実は「私は探求者である。」とも宣言してしまっているのです。) その時の分析のことは後で書くことにして、感動の続きを書くことにしましょう。なぜか過去生でAlijuk(アリーユ)と言う女性を愛していた時の事を思い出しました、その時の恋は実らずつらい人生を送ったようなのですが、そのときもずーっと幸せだったんだと思えてきたのです。過去生を思い出す少し前から魂は感激し続けています。結局のところ今回の人生だけでなく、過去生の全てのときに幸せを感じ続けていたのです。

 ちょっと説明が必要だと思います。私がどの人生でも一般的に言う幸せだったわけではないのです。そして今回の人生でも幸せなときばかりではなかったのです。ただほんのわずかな例外のときを除いて、ほとんどのとき、すなわち、仕事で悩んでいたときとか、劣等感に落ち込んでいたとき、深い悲しみに沈んでいたとき、失恋の痛手に打ちひしがれていた時等、全ての時に幸せを感じていたことに気がついたのです。ただその幸せを意識していなかったから気がつかなかったと言うことなのです。

 この幸せと言うのは、言いかたを変えて「生きる喜び」といったほうが正しいのかもしれません。単に「喜び」でも良いような気がします。

 分析でいくつかのことがわかりました。まず「幸せ(喜び)」は喜怒哀楽のほかの感情とは別のものだったんです。喜怒哀楽の喜は「嬉しい」と言う方が正解のようです。うれしいという気持ちと「喜び」は別のものなのです。喜怒哀楽は感情が担当しています。感情の言葉なのです。しかし「幸せ(喜び)」はもっと心の奥の方、魂の中かそれにごく近いところにある物のようです。大事なのは感情のように湧いてきたりするものではなく、ずっとそこにあるものなのです。魂の一部なのかもしれませんし、魂そのもののある側面であるのかもしれません。

 ですから、人間はつらさや、悲しみの中でも「幸せ(喜び)」を感じることが出来るのです。ほとんどどんなときにでも心の中の「幸せ(喜び)」を見つけ出してくれば幸せでいられると言うことなのです。言いかたを変えると私たちの本質の一部は「幸せ(喜び)」であると言うことが出来るのです。多分「愛」も同じようにそこに在る物なのでしょう。(「神との対話」の中で理解できなかったことがまた一つ減りました。)

 暫くして落ち着いてきてからいろいろと考えてみました。変な話なのですがSMのことに考えが行きました。私はそういう経験は無いのですが(関心が無いわけでもないけど)ああいう過激な行為は精神を激しく揺さぶり結果として「喜び」まで引き出してくるのに充分な刺激になるのではないかと思ったりもしたのです。おそらくそういう人たちはその「喜び」を感じる為にやっているのでしょう。(そんなことしなくても、喜びは感じられるともいえますが。)

 わずかな例外で「喜び」を感じられない時があるようです。それはその後共時性で教えてもらいました。会社からの帰りに蛇に遭遇したのです。2mくらいはありました。バッタリと鉢合わせ状態です。住宅地にこんな大きな蛇がいるのはすごく不思議です。私は恐怖を感じました。私は蛇は大の苦手なのです。何が怖いって蛇ほど怖いものはありません。とうぜん「喜び」どころではありません。これは人間は恐怖心や不安を持っているときには「幸せ」ではいられないよと言うメッセージであったと理解しました。(最初は地球の神の脅しかと思ったりして)

 愛の対極である恐怖を蛇のことを思い浮かべるだけで体験できるのだから、本当はすごくラッキーなのかもしれないのですが。 (2002/09/04)


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