でも今だからこそ、この問題をはっきりさせないといけないとも、思うのです。あらためて整理して書いて見ます。
昔から人間の最も悪い性格は、自分が不安から逃れるために自分以外のものの指示に従って生きることで、自分自身の本当の責任を逃れようとすることです。そのせいで地球の霊界には神と呼ばれるものがうじゃうじゃいるのです。まあ何を持って「神」と呼ぶかの定義でもあるのですが、どうも自ら「神」と名乗れば何でも神になってしまうくらいの印象さえ受けます。
ここですごく大事な事なのですが、集合無意識たる「聖なる神」が創造したと言う相対性の領域に、様々な神々が居るということです。言ってみれば相対性の領域に居る私たち人間の魂と同じレベルの者なのです。もちろんかなり高いレベルで悟りを得た霊魂もあるとは思うのですが、必ずしもそればかりではないのです。
あらためて「神との対話」を読んでいない人の為に簡単に書いておきます。「全ての存在」としての「命」が概念として知っている自分自身を体験するために、自分の中に相対性の領域を作ったわけです。相対性の領域の中には私たちの世界はもちろんのこと、それを取り巻く霊界も含まれているのです。その中では、善と悪など比較することで自分を知ることが出来るようになっているのです。絶対の領域では在るということが全てですから、物事に優劣も無いのです。
地球の神や宗教の神がその存在を誇示したり、またそれを信ずるものに私たちの神のほうが上位であると言わせたりするのは、すなわちその「神」自体が相対性の世界にずっぽりとはまり込んで本質を見失っているから起ることなのです。その「神々」もその本質は私たちと同じ「命」であるのです。あえて言うと今居る場所が違うだけで私たちとそれほど変わらない存在なのです。
人間は権威的なものに弱い傾向があるので、一部で自分たちには無いと思っている力を見せ付けられたりすると、それだけでそのものを絶対的なもののように見てしまいます。本当は単に相対的な問題で、私たちより少しだけパワーがあったり、少しだけ気がついていることが多かったりとゆうことなのです。別な言いかたをすると、自分がいつも奇跡を起こしているのにそれに気がつかず、誰かに一つの奇跡を見せられるとその人を神のように奉り自分自身を見失ってしまうのです。昔から人間はその様なことをずっと繰り返してきたのです。
もっと簡単にいうと、ある人に霊魂が接触してきて、「私は神である。私の言うことに従いなさい。」といったとします。そうすると霊魂や神のことがよくわからない人間は、感激して「おお、神様が居たんだ。私のところに来てくれた。」となってその霊を信じてしまうのです。
まあ、地球の霊界に居る自称神様とは、だいたいこんなものだと言うことをとりあえず理解してください。ただ少し別な言いかたをすれば、相手も「命」ということでは私たちと同じで、私たちの仲間でもあるのです。それに「神」と名乗るくらいですから、その霊魂の価値観なりに正しいと思ったことを通そうとしているので、それが私たちの為になることもあるのです。基本的には良かれと思ってやっているのですから。
さて問題は少し別なところにあるのです。霊界は物事を体験することが出来ない世界でそのままだと成長していかないのです。現世からのフィードバックにより霊界と言うところは進歩しているのが本来の姿なのです。それは言いかたを代えると、私たちの現世が未熟な社会であると同じように、地球の霊界もまだまだ未熟な社会なのです。私たちの現世の社会があまりにも未熟であることは、少し冷静に物事を分析できる人であるならば心が痛くなるほど理解していると思います。地球の霊界もそれとたいして変わらないレベルであると考えざるを得ないのです。
悪いことに人間は宗教などの影響で、神に対して間違えた認識を持っています。その神は絶対的な存在で間違えることも無く、絶対であるがゆえに成長する必要も無いと思っているのです。死んで霊界に行く人間の魂のほとんどがその様な認識で居るのですから、結局のところ地球の霊界に居る「神々」も自分たちが絶対的な存在だと勘違いしてしまっているのです。だから、地球の霊界は進歩していないのです。進歩する必要を、成長する必要を感じていない霊が幅を利かせているために、地球の霊界は誤った宗教的な価値観で運営され続けているのです。
輪廻転生で現世に生まれてくるさいに、本人の魂の意志を無視して、カルマなどという宗教的な価値観で新しい人生を決め付けようとするのは、間違ったことなのです。そんなものは宇宙の絶対的な法則には無いのです。あらためて今度書きますが、因果律という法則はあるのですが、それは全く別のものなのです。結局、私たちは生まれ変わる際に、ある特定の霊魂の意志を押し付けられてしまっているのです。もちろんその霊魂は自称「神」ではあっても、正当なる「聖なる神」とはまったく別のもので、本来なら私たちと同列であるべき「命」の一人に過ぎないのです。
現世考えると、ある神父が幅を利かせてその信者に自分の考えを押し付けている。それと同じようなことが霊界で起っているのです。霊界の場合信者でないものまで影響を受けてしまうので困ったものです。
「神との対話3」の第14章から、引用します。これはかなり直接的に「地球の神」の一部が調子に乗って宇宙に対してよからぬ影響を与えようとしていることが書かれています。なにをしようとしたのかは判らないのですが、そのおかげで地球の霊界の問題点がはっきりしてきたことは確かです。
生命は神の意志が完璧に表現されたものだ。何かが神の意志に反しているとしたら、神の定義からして、それは起こりえない。
すると、当人の許しなしでは誰も殺せないとおっしゃるんですか? 最高のレベルでは、殺された者はみな、殺されることに同意していると、そうおっしゃるんですか?
あなたは地上の考え方で考えている。話しても、ちんぷんかんぷんだろう。
「地上の考え方」でかんがえるほかないじゃありませんか。わたしはいまここに、地上にいるんです。!
いいかな。あなたは「この世界にいるが、この世界のものではない」。
それじゃ、地上の現実はぜんぜん現実ではないんですか?
ほんとうに現実だとおもうか?
わかりません。
「何かもっと大きなことが起っている」と感じたことはないのかな? それを、説明しているのだよ。
ある魂がべつの魂について何かを決めることができると思うか? 個々の存在としてのあなたががたが、相手の意思に反する方法で影響を及ぼしあうことができると思うか? そんなことを考えるのは、お互いがべつべつだと思っているからだ。
神が好まないやり方で、生命に影響を及ぼせると思うか? そんなことを考えるのは、わたしから離れていると思っているからだ。
だが、どちらの考え方も間違っている。宇宙が同意しないやり方で宇宙に影響を及ぼせると考えるのは、はかり知れない傲慢だ。
あなたがここで相手にしようとしているのは強い力だ。ところが、最高に強い力よりも自分ののほうがさらに強いと思っている者がいる。しかし、それはありえない。しかし、最高に強い力よりも弱いわけでもない。あなたがたは最高に強い力だ。それ以上でも、それ以下でもない。だから、そのちからとともにありなさい!
数ページ後に、このように補足がされています。
最も重要な違いは、高度に進化した文化では、知覚ある存在のすべてが、自分たちと「神」はべつべつではないとはっきりしっている。また、自分と他者もべつべつではないと、はっきり知っている。
彼らは、全体として個々の経験をしていることをしっている。
(2002/09/11)