自分を知ること (第55話)

魂の部屋に戻る

 前回書いた、人間関係の問題で、若干の修正ともう少し突っ込んだ説明がありました。それについて書く必要を感じています。この説明は誰がしたのかというとちょっと説明が難しいのですが、私自身の生活の流れの中で、あの手この手で情報が入ってきます。今回はかなり重要な部分だったようで、今までよりもかなり明確な方法がとられましたが、そのことは本題ではないのでこれ以上書くことはしません。ただ重要なことであることは間違いないようです。

 前回は人間関係の中で自分を決めると書いたのですが、むしろ大事なのは自分を知ることだと言うことなのです。出来るだけわかりやすく書くように挑戦してみますが、色々と複雑な要素も混じっているので概略だけしか書けないかも知れません。

 人と人との関係がとても大事だということは、前と変わりません。そしてそれぞれの人間関係においてその人の特定の側面が出てくるのですが、その場合相手の人は鏡の役割をしているのだということです。。また問題なのは、自分のある側面が気に入らなかったときの対処法です。結論から言うと、たとえその側面の自分が気に入らなかったとしても、ただそれを知っていれば良いと言うことなのです。大事なのは、自分を知ることであって、その今の自分を基準値にして世の中を見る必要があるのです。

 まえおきが必要です。この場合の人間関係とは、正しい人間関係のことで、変な固定観念にとらわれたり、お互いが自分自身を見失っている場合などには、自分を成長させる人間関係にはならないようです。そこで人間関係を鏡として捉えると言うことなのですが、それはなかなか理解が難しい気がします。とりあえず、相手が思っている自分が本当の自分の姿であるということです。いってみれば、自分は自分で思っているような自分ではなくて、相手が考えている自分の姿が本当の姿だと言うことです。

 ということは、正しい人間関係とは、お互いに自分には相手のことがどのように見えているのかを、素直にあらわせる関係だと言うことに成ります。これは、自分が周りからどのように見られているのかを気にするのが大事だということではありません。たとえばどのように見られたいとか、こんな風に見られるのは嫌だとか考えるのは、自分が考える自分自身が先にあって、無理やり人間関係をそれに合わせようということになってしまうのです。これでは正しい人間関係にはならないのです。あくまでも正しい人間関係の中で、相手の姿を返してあげることが大事なのです。

 鏡は曇っていてはまずいのです。その曇りは自分自身の見栄とか、世間体などを意識する気持ちなども含まれるのです。相手も曇っていたらまずいですから、正しい人間関係を維持するのはなかなか大変かもしれません。

 さて、運良く相手に自分の本当の姿が映ったとします。難しいのはこれからです。多くの場合、その姿は自分にとって望ましいものでは無いかもしれません。でもそれで良いのです。大事なことは、その自分の姿を「ありのまま」に知ること、そして、それを良いとか悪いとか判断する必要は無いのです。ここで変に自分の評価をしてしまうと、またそこで自分の考える自分を作ってしまうことになるのです。同じ理由で自分を変えようとする必要はありません。自己嫌悪などする必要は全く無いのです。知っていれば自然に変わっていくのです。

 相手によって映し出された自分の姿を知った後、またポイントは人間関係にもどります。人を見るときの基準を自分を基準、0(ゼロ)にするのです。それによって人間関係に変化がおこり、同時に自分自身の考え方にも影響が出るのです。細かく説明すると、今までの人間は比較対照するときに高いところに基準を置きすぎているのです。これは特に宗教などに顕著に現れています。人間は自分自身を考えるとき、無意識のうちに理想的な人間(聖人)を思い浮かべて、その架空の人物と自分を比較する癖があるのです。これは劣等感や自己嫌悪を呼びます。これは罪の意識を作ります。そして無力感や不安感にまでつながってしまうのです。

 たとえば小学生が高校生の勉強が出来なくても、劣等感や自己嫌悪を感じる必要はまったくありません。それを大人(神の視点)から見たら、その小学生に「そんなことを気にすることは無いよ、いま体験しなければならないことは別にあるよ。」と思うでしょう。それでもまだその小学生が自分を高校生と比較して嘆いているのなら、逆に「何を生意気なことを言ってるんだ、そんなことはまだまだ早い、もっと自分の力を知るべきだ。」くらいのことを考えるかもしれません。私たちは、この生意気な小学生のような考え方で自分の社会を見ているのです。

 こんなだから、自分を許せないし(自己嫌悪)、人も許せないのです。ありのままの自分を知ることが全ての始まりなのです。そうすれば、あとは自然に変化していくのです。極端に聞こえるかもしれませんが、自己嫌悪に陥るなんて事は、ある意味では生意気で傲慢なことなんです。子供は子供らしく楽しく生活すればいいのです。とりあえず今大切なのは、私たちがまだまだ発展途上、成長の途中であるということをしっかりと自覚することなのです。

 最後に書いて起きますが、このことはアセンションに必要な自分の周波数を上げることには大切なことなのです。(いずれこれに関しては私の見解を書くつもりでいます。)ありのままの自分をを知ることが、ありのままの社会を知ることにもなるのです。

(2002/11/21)


魂の部屋に戻る