私のやりたいこと (第58話)

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 最近このコーナーの書き込みのペースが落ちています。結局先月は一回だけの更新になってしまいました。その間何度かこのページを書き始めたりもしたのですが、どうも言い訳じみた文章になってしまい途中で書くのを止めてしまったりしていました。けっして書きたいことがおこらなかった訳でもないし、それなりにいくつかの気づきもあったのですが、まあなんというかこのページを書き続けるプレッシャーとでもいうのか、気持ちのだれというのか、なんか自分の書いた文章が好きに成れなくなって来たというのか、いろいろと原因はかんがえられるのですが。(最近の私はこんな風な文章ばかり書いているような気がする。)

 そんなわけで仕切り直しをします。前回のメールで自分について判ったことをあらためて整理して書いて見ます。私は以前会社を作ったわけなのですが、その仕事の内容がカルマを前提として、その存在をより広く人々に認知させてしまう結果になることが、大きな間違いであることに気が付いてその仕事を止めたのです。しかし私の心の中には依然として世の中の役に立つ仕事に対する欲求があって、なにかやりたいと考えていたわけです。いったい何をやりたいと私は思っているのか、それが少し見えてきたのです。

 あらためて昔のことを整理して分析してみます。仕事の内容は、来世に対してメッセージを残しておく過程で、一種の懺悔のようなことをして、カルマの軽減と魂の癒しを行うというものです。べつにこの癒しの部分については問題は無いのですが、カルマを大前提としたところにいかにも地球の神々の好みというのか考え方が大きく反映していたのです。この計画は地球の霊界(地球のごくそばにある霊的な領域)にいる神々のうちの誰かが、私にやらせようとしたことなのです。カルマの部分を除けばそんなに悪いことでは無いと思うのですが、ただそれは神々の意図した仕事であり、「聖なる神」(大いなる全てのもの)の意図では無いのです。

 あらためて書くと、私の根源的な存在意味として「神々に反するもの」というものが有ります。これは私が神々、特に宗教の神々に対して批判的な立場でいるということなのです。私は私の意志ではなく神々の意志で仕事をさせられるのを嫌ったのです。それは私なりの考えでは、宗教への依存から自分を取り戻すことなのです。まあ偉そうにいえば、神々に依存するのではなく同じ生命(いのち)として、対等な立場にいようと言うことです。

 さてその一方で、私のなかであの仕事をやりたがっていた部分もあることは確かなのです。たとえそれが押し付けられたものであっても(実際は志願した可能性も高いけど)、その仕事をやりたがっている自分の中の一部分もあることも感じていました。もちろん一方で反発もしているわけです。変な言い方に聞こえるかと思うので、すこし補足しますが、全ての人の意識が究極的には一つの意識であると言えるのと同時に、自分の中にもいくつもの自分が居るとも言えるのです。それは自分自身をどこで区切って自分と認識するかの違いで、矛盾しているようでいて矛盾していないのです。基本的なことは全てのものに境(さかい)が無いと言うことなのです。

 私の神々に対する批判的な部分は、私の無意識層の中でもかなり奥の方からの物です。それに対して、与えられた仕事をしたいと思っていたのは、それよりもかなり表面的な意識に近い部分にあるもののようです。そして大事なのはどっちも私なのです。もちろんもっと別な部分にきわめて現実的な願いを持っている部分もあるのですが、それもやっぱり私なのです。

 そんな私があらためてやりたいと思っていることっていったい何なのでしょう。その問いかけに対していろいろな出来事が私に道を示しました。それが前回の文章を書いていてわかったことなのです。親しい人を亡くしたりすると、それはとってもつらい事なのですが、同時に霊的なことに対する気づきの大きなきっかけになります。親に当たる人の霊的な目覚めを目的として、生前から親しい魂がわざと子供になり、短い人生を選んでいるということもあるようです。このようなことは当事者で無ければはっきりしたことは判らないので迂闊なことは言えないのですが、少なくとも霊的な目覚めの大事な機会であることは間違いありません。その目覚めは残された人にとって、本当の自分に気が付くとても大事な出来事なのです。それこそ文字通りなのですが、個人の魂が命をかけて気づかせようとしたことなのです。

 ところが多くの場合それはなかなか上手く行きません。それはいろいろな形で宗教が邪魔をしてしまいます。多くの宗教では霊的なことに対して正しい認識を持っていなかったり、ほとんど迷信のようなことと、本当に大事なことをごっちゃにしてしまっていたりするのです。それ以外にも宗教のマイナス面はいろいろとあるのですが、それは「神との対話」のなかでもかなりのページを使って書かれていたりもします。

 もう少し詳しく書く必要があります。親しい人をなくなった場合、その人は慰めを必要とします。そして亡くなってしまった人の死後の幸せを願って神様にお願いしようともします。それで宗教に入ってしまったりするのです。そこでは寂しさを紛らわせるように話し相手に成ってくれたりして、とりあえずの癒しにはなるのです。ところが残念というか皮肉なことに、本当の神は宗教の中にはいないのです。自分自身の中に神を探さなければならないのに、宗教では自分の外の神(もちろんそれは「聖なる神」ではなくただの神々)に従うように言います。

 本当の神は、誰でも自分で見つけなければならないのです。探すのは神でなくても良いんです。本当の自分に気づくことは、自分自身がある意味で神であることを理解することなのですから。それに気が付くことが人生でとても大事なことなのですから。とにかく自分で考えて、自分で気づくことが必要なのです。人の言葉に黙って従っていても本当の気づきにはいたらないのです。

 そんな人のお手伝いをしたいと私の心は言っているようです。変な言い方なのでもっと具体的に書くと、そんな風に私が考えるように私の周りでいろいろな事が起こっているのです。まだ具体的に何をしようと決めたわけでもないのですが、当面はホームページによる広報活動しか思い浮かびません。いずれそれなりの活動をしたいと思っているのですが、それはまあ、いろいろな他の事との兼ね合いで、とりあえずは成り行きに任せるのが一番かなと思ったりもしているのです。

 このページを読みに来る人は既に自分の(潜在的な)力で、このページを読んでいるわけなので、自然と道は開けていくでしょう。そのためこのページでは通常では理解しにくいことも割と平気で書いているわけなのです。しかし私が本当に広報の対象にしたいのは、もっと普通の、まだ自分の本当の力に目覚めていない人を対象にしたいと思っています。ですからこのページに書くようなことは、ちょっと専門的過ぎることに成ってしまいます。それをどのように噛み砕いて、分かり易くするのかが問題です。まあアリキューカのホームページで似たようなことをやっているので、とりあえずそちらの方をこことは別に話を進めることにします。

 なにをやりたいのかを整理すると、死と言うものに対する理解を深め、その人のより前向きな人生のお手伝いをすること。そして宗教から出来るだけ抜け出すように、また宗教を止めたいと思っているのだけれど、不安を感じたりしてその勇気が無い人などに必要な情報などを提供することなどを目的にしたいと思っております。

 インターネットでの活動になると思うので、このページを読んだ人で何かしら共感していただける人がいたのならご協力をお願いしたいのです。何かしらの体験談など人に読んでもらって役立つと思うようなものなど、あったらうれしいなあと思っています。

(2003/01/03)


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