人生の目的 (第60話)

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 いろいろと書きたいことがあるのですが、なかなか文章にまとまりません。その理由の一つに昨日気が付きました。最近の私の気づきはとてもシンプルなことが多くなってきているのです。で、そのことをページにまとめようかと思ってもまとめるほどの量は無いのです。それに言葉で言ってしまえばずいぶん簡単な言葉にしかならないし、それでいて真意はなかなか伝えることは出来ないのです。たとえば「地球はすばらしいところである。」といっても、人それぞれにその文章の解釈も違うので私の言う意味は伝わらないし、かといってもっと別な言い方であらわすのには難しすぎたりするのです。

 とまあ、今回もまた愚痴のようなことから始まったりするのです。まだまだ私の迷い道も続きそうです。最近また以前の場所に戻ってきてたりするのですが、何回も行ったり来たりしながらだんだんと目的地に近づいていくのでしょう。

 目に見えない世界のことを知って、だんだんと意識がそこに向いていくといろいろな価値観の変化が起こります。その変化は最終的には生き方を楽にしてくれるのですが、その過程においてはなかなか大変なものがあります。最近はあっちの世界のことよりも、この価値観の変化について私の感心が移っているような気もします。

 これから「何の為に生まれて来たのか?」と考えることが良いことなのかどうかをかんがえてみます。この疑問はもともと何かしらの目的があって私たちの人生があるのだろうという前提に立って成り立ちます。私たちの人生は時間の無い世界の視点で見るともう既に存在しているわけで、それについてはただ在るとしか言い様が無いような気がします。その場合、はたして目的というものがありえるのかという疑問が最初におこるような気がします。

 本当はそんなに簡単には区分け出来ないのですが、目的があると考えた場合と、特に明確な目的は無いと考えた場合の違いを検討してみます。(書きながら考えると言うことです。)

 まず目的があるとした場合、それは人によっては「使命」ととるかもしれませんし、「義務」ととらえるかもしれません。あるいは漠然とした「成長」を目的として考えるかもしれません。「使命」や「義務」というと抵抗感を感じる人も多くいると思いますが、「成長」と言った場合、それで何となく納得してしまう人も多いと思います。これは今までの意識でもなじみのあるものだからです。

 それに比較して考えると、人生に目的などは無いと考えた場合は、ただ生きていることがその事実としてあるということになります。思い浮かぶのは「しなければならないことは何も無い。」という「神との対話」の中の文章です。「愛は自由である。」という言葉も気になります。「成長しなければ成らない」というような考え方はこの中には入ってこないのです。

 あなたなら、どっちを好むのでしょうか?貴方の人生の中であらかじめ決められた目的があると考えた方が楽なことは確かです。それは迷うことがなくなるのですから。しかしそんな押し付けられた人生を仕方ないと割り切ることが出来ますか?ある意味では貴方が本当の貴方では無くなるってことなのですから。とは言っても何も目的も持たず、ただ何となく生きていくのも面白いものではありません。

 「神との対話」の中では「全ての魂は体験し成長することを望んでいる」というような意味のことも書かれています。確かに人間の根源的な欲求の一部には、自分が何かに上達することや何かを成し遂げることにあることも確かです。変な話ですが、TVゲームやコンピュータのゲームでさえ、上達することに楽しみを見出したり、クリヤーやコンプリート(達成)すること楽しみとする要素もかなりあるのです。

 何となく話が見えてきました。先にあげたふたつのケース、人生に目的がある場合と無い場合のことですが、その中間を作るのが良いということのようです。ちょっとわかり易く書き直してみます。

 そもそも人生において、人から与えられた「使命」などは無いのです。もし誰かから指示されたとしてもそれに従わなければ成らないことは無いのです。それは相手が「神々」であってもです。(本当の神「大いなる全てのもの」はその様なことは絶対にしないですから) もしかしたら「使命」を与えたのは過去の自分かもしれません。(自分で決めたことという意味です。)それであってもそれは気にする必要はありません。だってそんなこと覚えてないんですから。
 基本的には、やらなければ成らないことなど何も無いのです。ただ自分が望む成長の為にやりたいことを決めることは必要になります。そうでないとあまり人生の価値を著しく下げてしまうことになるでしょう。ようするに目標や目的は自分で決めれば良いということになるのです。自分が決めた目標がたまたま「使命」と感じるものと一緒であるのならばそれをやれば良いし、そうでなかったら今の自分がやりたい目標を選べば良いのです。

 自分で決めた目標は他の誰もそれに反対することは出来ません。自分で何を目標にしているのかということが、その人がどんな存在であるのかをあらわすのです。もちろん魂が喜びを感じられるような高尚な目標であるのなら抵抗感は無いでしょう。しかし、たとえその目標がゲームのクリヤーであったとしても良いのです。他の人からみてほんの些細な事でもその人の目標はその時点のその人の存在の一部なのです。(変な言い方ですが何となくわかってほしいです。) その目標の価値は、物事の善悪の基準を決めることと同じように、その人以外が決めることは出来ないのです。それはその人がその人でいる為のことなのですから。
 私が思うことは、とにかく自分の意志でそして自分の責任において目標を決めることが大事ではないかと思えるのです。

 もちろん目標は時間とともに変えてもかまわないし、変えなくてもかまいません。とにかくその時点での目標を持つことそれが自分自身の人生を楽しむ為に重要なことなのです。

 今回、私の思考がたどってきた結果を書きます。「人生の目的は、自分で作った目標を利用して自分自身が成長したり、成功することを楽しむ為にある」とまあこんな具合になりました。

(2003/01/16)


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