どっちにいくの? (第61話)

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 この世の中の本当の仕組みは私たちの思考によってでは完全に理解することは出来ません。ただ断片的にいろいろな見え方が出来るのですが、その中のひとつに「神との対話」のなかで、人生をCDロムに収められたゲームのようなものだと説明されています。ゲームのような物である事は私も感じては居たのですが、私の場合どちらかというとRPG(ロールプレイングゲーム)の方がより人生に近いように考えていました。ただ最近CDロムのゲームにたとえた意味がすこしだけ判ってきたのでそれを書くことにします。

 CDロムのゲームという例えの意味を書き直すと、人それぞれの人生においていろいろな選択肢があり、どの選択肢を選んだ結果も時間の無いあの世では今時点でも存在していると言うことです。

 さて、既に存在している無数の将来の青写真(私たちの時空からみるとまだ予定として見えます)はいったいどこに在るのでしょうか?そのことをしばらく前にいろいろと考えていました。この考えたというのは実際のこの世の姿を見つけるという意味ではなく、私たちの世界の概念(視点)から見るとどのように見えるのかを、考えたと言うことです。(この意味が解らなかったら無視してください。)

 私の結論として、私たちの一般的な時間の概念を流用するとそれが理解し易いと思うので、まずそれを試みてみます。

 私たちの次元軸は3本あると通常考えられています。「たて、よこ、たかさ」の3次元で空間を認識しているわけなのですが、それに加えて時間軸を追加して、この世を4次元の時空として捉えることも出来ます。この目には見えない時間という軸を考えることで、過去も現在も未来も全て同時に存在していると考えることが出来るのです。しかし、ただそれだけだと過去も未来も一個しか存在しないことになってしまいます。CDのゲームに例えたように、未来の予定がその選択によっていくつもあるというのならそのことの説明はこれだけでは出来ません。

 話を進める前に断っておいたほうが良いと思うので、少々文章が判りにくくなるけれども書いておきます。いま上に書いたことはあくまでこちら側の世界から外の世界を理解しようとしたときの一つの方法でしかありません。実際は次元も時間も私たちの想像するようなかたちでは存在していないのです。両方とも実際には存在しないといった方が正しいと思うのですが、このように考えると理解し易いという意味でこれからの説明を書きます。

 さて本題に戻ります。私たちの頭でも目に見えない時間軸という概念は比較的簡単に理解できるということがこの説明でのポイントなのです。いくつも未来の予定が存在するのですから、これは時間軸以外に目に見えないパラメータで軸を考えることで説明が出来ます。その軸がいったいいくつあるのか?という疑問も当然わいて出てくるのですが、それは判りません。というか次元軸を増やして考えるのですから、それ自体に私たちの理解を難しくしてしまう要素もあるのですから。

 一般の人でもわかり易いように例を上げて説明してみます。今までの説明が理解できなくてもあまり気にしなくていいです。これからの説明でその雰囲気をつかんでもらうだけで意味があると思います。(本当は頭で理解するより雰囲気を理解する方が大事なのですが)

 私たちの4次元の時空を座標で表すと(x,y,z,Time)という表記になるとします。このx,y,zは、たて、よこ、たかさで3次元の空間座標です。それにAとBの軸を追加して考えて見ます。このAとBは時間と同じように見えない座標軸だと考えてください。その場合の時空は(x,y,z,Time,A,B)というようになります。次元で言うと6次元ということに成りますが、それに深い意味は無いです。

 さて、このAとBの軸のパラメータなのですが、わかり易いように仮に入れてみると、Aは「やさしさ」をあらわし、Bは「協調性」を表すとしてみます。それぞれ今の世界の数値を勝手に基準として決めて100ということにして見ます。すると私たちの世界は(x,y,z,Time,A=100,B=100)の世界というように書ける事になります。その様に考えると将来の世界も同じように当てはめると、たとえば世の中に「やさしさ」が多くて、「協調性」の高い世界だとすると(x,y,z,Time+α,A=150,B=150)と言うことに成ります。その逆に、「やさしさ」の「協調性」も少ない将来の場合(x,y,z,Time+α,A=50,B=50)となります。もし今のままだったら(x,y,z,Time+α,A=100,B=100)となります。Timeの後の+αは時間の経過を表しています。

 将来の予定として存在しているのは、Aの値とBの値のそれぞれ将来の世界があるわけです。要するにいろいろな値のAとBの将来が既に在るのです。もちろんこれは今と現在にも適用できます。いろいろなAとBの値の過去が在るし、いろいろな現在も在るのです。

 いろいろと在る将来の世界の中で、AもB低かった場合、言い方を返ると人間が「攻撃的」で「利己主義」であった場合の世界では、地球の人類は環境破壊などで絶滅の危機に瀕しているかもしれません。逆の場合には平和で幸せな世界があるのでしょう。

 そこで本題です。私たちはいくつもある世界のうちの一つに今いるわけです。それは(x,y,z,Time,A=100,B=100)で表したのですが、それで私たちが将来どうなるのかというと、将来時間の経過とともに将来予定された世界のうちの一つに移動していくわけです。それは視点を変えてみると、時間とともに世界が変わっていくのではなくて、時間とともに貴方が世界を移動していると言うことなのです。ですから人によっては(x,y,z,Time+α,A=50,B=50)の滅亡する世界にいく人もいれば、(x,y,z,Time+α,A=150,B=150)の幸せな世界に行く人もいるのです。もちろんA=100,B=100のままの人もいれば、A=130,B=100の人とかその間はいくつもあるのです。

 ここが大事なことなのですが、私たちが今の社会の未熟さを嘆いたとして、それは自分ではどうしようもないと考えるかもしれません。でもそれは違うのです。私たちは世界を変えることは出来ないというよりもその必要は無いのです。大事なことはいくつもある将来のうち貴方がどこの将来を選ぶかなのです。A=150,B=150の世界を無事に選ぶことが出来たのなら、その人の世界はA=150,B=150の世界だし、A=50,B=50を選んでしまったらそれなりの世界に行くことに成るのです。

 別な言い方をすると、貴方の選択しだいで、貴方の周りの世界全てが変わってくるのです。世界を変えるためには、自分を変えれば良いということなのです。

 さてそこまで理解してくると、自分は何もしなくても、精神的に成長していけば何もしなくて良いと考えるかもしれません。実はこれも正しいとは言えないのです。この文章を書いていて解ったのですが、それぞれの人のテーマが問題に成るのです。それは人それぞれで異なっているので例をだしてみます。

 Aさんという人がいたと考えてください。Aさんは既に在るA=150,B=150の将来において「環境保護活動」を一生懸命やっているとします。同じAさんはA=50,B=50の将来では、私利私欲に走った商売をしていたとします。どちらもすでに在る用意された将来なのですが、もちろん全然別な将来もあるわけです。この場合、Aさんがこれから何をやるのかでAさんの行く世界が変わってくるのです。ただ何もしないでいるというのではなく、Aさんにとって望ましい未来にやっていることをこれからやることが、Aさんがより良い世界に行くことを意味しているのです。

 これはある種の運命論ということが出来るでしょう。ひとりひとりの将来は確定的なものでは無いのですが、その人なりの正解と言えるような生き方があって、それを選ぶことが出来たなら、人生ゲームのクリヤーと言って良いのかもしれません。

 さてそのひとりひとりの正解な生き方はどのようにして選んだらいいのでしょうか?簡単に言ってしまえば、その人の魂がやりたがっていることをやれば良いということに成るのですが、それもなかなか判り難いことも在るでしょう。ひとつ参考になる考え方は、既に成功している自分がいるということを考えると、それぞれの能力で達成可能なテーマであると考えられます。逆な言い方をすると、正解な生き方をする為に必要充分な能力を持って生まれてきていると考えることも出来ます。自分の長所や短所、あるいは能力などを考えるとだんだんそれが見えてくるのだと思います。

 ついでに書いておくと、正解の生き方でやることは何も現世的なものばかりではありません。精神世界での活動もそのうちの一つとして考えてよいように思います。

 もう一つ、前回書いたように、やらなければ成らないことは一つもありません。貴方がどんな未来に行くのも自由なので自分の意思で生きれば良いのです。ただ人生のゲームで良い点を取りたかったら、あるいは真の意味で人生を楽しみたかったら、自分の意思で正解の生き方を見つけ目標として定めれば良いのです。

Good Luck!

(2003/01/22)


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