偶然と言うものは無い (第63話)

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 さっき62話を書いたばかりなのですが、今日は偶然について書くつもりでいたのです。で、何となく前置きを書いているうちにそれが長くなって62話になってしまいました。で、今日はそれで終わりにしようかと思ったのですが、何となく暇なので、予定通りに偶然について書くことにします。

 「世の中に偶然起こることは何も無い」と大勢の人が言っています。私も何となくですが以前からその様に思っていたのです。では何故偶然というものが無いのか?という疑問もなぜか考えることも無かったわけで、なんとなく当たり前のことのようにそう考えていたのです。

 しかし世の中の一般的な常識では、偶然は偶然であってそのことは特に何も意味しないという考え方が主流であることは残念ではあるけれども否定できません。まあ、言い方を変えるとまだまだ本当のことに気づいていない人が大勢いるということなのですが、その気づき自体も人生での目的とし得ることなので、まあそれはそれで全然問題ではないのです。まだみんな途中なのですから、すべての過程を楽しむのが人生なのですから、気づく前の出来事もイベントとして大事なことは確かです。何のヒントも無く答えを見つけられるわけも無いのですから、いろいろとヒントになる体験を積み重ねている途中なのです。それにたまたま気づいたからと言って、これから気づく人にネタばらしを押し売り的にするものでもないのでしょう。が、別な観点で言えば、もううすうす気づいている人が折角の気づきを無駄にしないためにも文章にしておくのも悪いことではないでしょう。

 またまた余談になってしまいましたが、まあ言いたかったことは、これから書くことは当たり前のことを当たり前に書いているだけで、知っている人から見たら何も目新しいことはないです。という意味のことを書きたかったわけです。

 さて、どこの部分から書き始めれば良いのかちょっと迷いますが、創造システムの絡みのことから説明しましょう。同じことは言葉は違っても何回か書いているわけですが、偶然に起こる出来事は全てイベントの一種なのです。このイベントと言うのは、当事者が望んで作り出した出来事なのです。言い方を変えると当事者が創造した現実の一部であるということなのです。

 前話で書いた、ネガティブなエネルギーにより起こる、ネガティブな出来事も当然ながらこのイベントになります。その人の身の回りで起きるすべてのことが、その人の意識などのエネルギーの影響を受けているのです。もっと正確に言えば、その人のエネルギーと他の人のエネルギーが相互に関係しあってそのイベントを作り出したと言うことなのです。

 出来事全てが、その様に作られているのですから、何も意味が無く何かが起こることは無いのです。

 さてちょっと説明が要ります。いわゆる偶然と必然の違いです。必然とはことの成り行きにより当然なるべくしてなることを言います。たとえば、2回のベランダにおいてあった花瓶は突風がふいてきたら落ちてしまうとします。その場合強い風がふいたら落ちてしまうような場所にあったのですから、落ちたということ自体は必然であり、なにも偶然ではありません。もしも花瓶が落ちたとき、その下に人がいたとしましょう。それは偶然に落ちてきた花瓶に当たったということになります。この場合は俗に言う偶然と言うことに成ります。要するに2階から落ちてきた花瓶に当たるというイベントになるわけです。

 このように偶然は必然にタイミングという要素が重なって偶然になります。このタイミングはいわゆるシンクロニティ(共時性)の一種で意図的にタイミングがあわせられたものだと言うことになります。ここで大事なのは意図的という要素です。偶然落ちてくる花瓶の下にいるのではなく、落ちてくるときに意図的に花瓶の下にいるのです。もちろんこれはその被害者の表面意識がそれを意図したのではありません。被害者の無意識領域のエネルギーが現実に作用して、その下にいるという現実をおこすのです。

 うーん、書いていて説明になっているのか、説得力のある説明なのか疑問ですが、まあそんなものだと雰囲気で感じてもらうしか無いかも知れません。それにまだまだ他の説明のしかたもたくさんありそうです。

 ようするに大事なことは、いわゆる偶然といわれる様な、いきあたりばったりなことは絶対に起こらないということです。もしもそのままいったら落ちてくる花瓶の下にいてしまうように現実が流れていたとしても、被害者の深層の意識がそのイベントを望んでいなかったなら、その人がその様なことにならないように守ってもくれるのです。これは落ちてくる花瓶の被害者になることを本人が認めたからそのようなことが現実におこるということも意味するのです。

 これは、私たちが偶然の事故から守られているということでもあるのです。言い方を変えると、人間には不測の事態を回避する不思議な力をもともと持っているのに、あえて被害者になることを選んでいると言うことです。

 イベントとして大事なのはタイミングなのです。私はいろいろと出来事をで物事を知るのですが、その場合にタイミングが働いているのかどうかと言うことが重要な要素になります。タイミングが関係ない出来事は単なる必然であって、意味を持つ偶然ではないのです。

 ちょっと話がそれますが、私は本屋や図書館に言って本をいろいろとあさったりはしません。手当たり次第に本を読むようなことはしないのです。それは何もイベントが関係していないからです。今の私に必要な本なのかどうか、何かイベントが起こることで判断するのですから、闇雲にいろいろと読んでしまったら私にとって真実なのか誤りであるのか判断が難しくなってしまうのです。まあ、本の場合は読んでいて気が進まなくなったらすぐに読むのは止めてしまいます。気が進まない本を読むことは自分にとって良くないことだと思っているのです。

 話をもどします。いわゆる偶然と言うものが無いということは、全てのものが必然と言う意味ではありません。偶然では無いということは、何かしらの意志が働いていると言うことなのです。それが誰の意志であるのかはこれまた難しい問題なのです。多くの場合当事者の意思が大きく影響しているのは間違いないのですが、それ以外の存在の意志もまた否定できないのです。たぶんその意志のもとが何であるのかはどのようにしても特定できないのでしょう。かなり複雑なエネルギーの相互作用が働いていると思われるのですから。(作用は複雑であっても、原理は単純だと思いますが。)

 たとえば偶然を装ったイベントで何かのメッセージを受け取ったとします。それが私の魂からのメッセージなのか、もっと奥の方の「大いなる全てのもの」からのものなのか、かなり表面意識に近い部分の欲に影響されている部分なのか?それとも神々や天使のものかもしれないのです。それを知る手立ては今の私には無いというのが現状です。何となくどこからのメッセージであるのか自分で決めてしまうしかないようです。

 実は「神との対話」シリーズの続編では、全ての出来事の原因を全て自分にあると考えることが現実を具体的に変える唯一の方法である、と言うようなことが書いてあります。なんとなく意味は解るのですが、それを実際に行うのにはなかなか難しい気がします。それが出来ると言うことは、いわゆる奇跡を自由自在におこすことが出来ると言うことなのですから。

(2003/01/24)


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