自意識の戯言(ざれごと) (第64話)

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 今日は自分の自意識でこれを書こうと思っています。今まではどうだったかと言うと誰がこのページを書いていたのか良くわかりません。と言っても別に誰かに憑依されていたとか言うわけでもないんですよ。自分のどの部分が今までのページを書いていたのか良くわからないと言う意味です。

 エゴと言ったり自我といったりする言葉なのですが、私はとりあえず自意識という言葉を使っているわけです。この自意識は私の中でも最もこの世の中の表側に出ている部分で、生活においての通常の思考はこれが行っているわけです。それに対して、それよりも心の奥のほうにあるものは無意識と呼ばれる部分、そして私は魂と呼んでいるそれよりもっと奥の部分の意識、真我と呼ばれるものもほぼ同じものだと思うのですが、いろいろな段階、深さで存在している訳です。

 この前書いたようなネガティブなエネルギーが私の中にあるわけなのですが、そのエネルギーがいったいどれくらいの深さのところにあるのだろうという疑問を持ちました。今の私にはそれは良くわからないと言うのが実際のところです。ただ自分の自意識でその原因を理解できるものは自意識レベルかそれに近いところに存在しているものだとは思います。 それに対して神々やカルマというものに対する批判的な気持ちは、もっと奥のほうからのものでないかと思っています。(もちろん本当のところは自意識かも知れないのですが)

 さてさて、なんでこのようなことを書いているのかと言うと、私というものをいったいどこで区切って考えたら良いのかという疑問にぶつかっているのです。あらためて書くと、魂は自意識とは全然別な思考のベースとなる知識や環境などによって全く別な意識として活動しているわけで、私が自意識で何を考えようとそれは魂の考えとは別なものなのです。

 あらためてそのもととなる考え方を書いて見ます。あちらの世界では意識をはじめ全てのものはエネルギーとして存在しています。それはたたみ込まれているという言い方もされるのですが、その場合に自分の意識のエネルギーとそれ以外のエネルギーの区別はいったいどうなっているのでしょうか? 考えられるのはそれなりの違いはあるのでしょうが、その違いの境界線などと言うものはなく、全てのものが同じように(同じ場所に)存在しているのだろうと言うことです。現世的に理解し易い例を挙げると、空中を飛び交っている電波は周波数が違っていれば互いに影響しあうことなく存在しているようなものです。だからテレビのチャンネルも特定の周波数だけ取り出せば他の局が混じったりすることはありません。

 その様な形で存在している、私の表面的な意識も、無意識も、そして魂も、明確な境などなく交じり合って存在しているわけです。でも全然別なことを考えていたりするわけで、それってどのように考えるべきなのでしょうか?

 もう少し視点を変えて書くと、魂はその奥は「大いなる全てのもの」に繋がっているわけです。そこには非常に大勢の意識が存在しているわけで、ある意味では私の魂もその一部であるわけなのです。そこで気になるのは「大いなる全てのもの」の中の全ての意識が私の意識ではないと言うことなのです。残念ながらかもしれないのですけど、私は全ての意識ではないのですから、少なくとも私の自意識は神と呼ばれるような存在ではないわけで(たとえ神の一部であったとしても神そのものではない)、自意識からみたらそれは自分以外のものであるとの認識が自然に成ってしまうのです。

 実は、私の魂のレベルでも同じことが言えそうです。私の魂は、「大いなる全てのもの」の一部ではあっても、それなりのアイデンティティをもっているので、やはり神と同じだとはいえません。

 さらに別な考えです。私の現在の自意識も私の魂も全て私だと考えたとき、同じように過去生の私の自意識も私の一部だと言うことに成ります。同時に未来生の自意識も自分だと言うことに成ります。はて、過去の自分はその過去生での生活環境、経験を通して今の私の自意識とはかなり異なったものであったと考えるのが普通でしょう。過去生で女性であったときの私と、今の私が同じであるとは思えません。その様に考えると、何回もある人生においての自意識も、それの経験がごっちゃになった魂も、簡単に私自身であると受け入れられるとは考えにくいものがあります。

 おそらく私の魂の視点から見れば、私という自意識は、大きな私の魂の一部であるのでしょう。魂からみると私も(魂としての)自分の一部なのです。この関係は、「大いなる全てのもの」と私達との関係と同じような側面があります。自意識をベースにした私は、私の魂のグループの部分ではあるけれど、自意識としての私が私の魂であるということでは無いということです。

 なんか解りにくい文章になってしまっていますが、他に書き方が思いつきません。まあ簡単に言ってしまえば、私の意識は、私の魂をはじめ非常に多くの別々なアイデンティティを持った意識体と繋がっているので、そのどこまでを私だと考えれば良いのか?ということです。どうやらアイデンティティは一方通行のようです。

 さて、幸か不幸か私の人生をコントロールしているのは私の魂です。あくまでも私の自意識を主体にして考えると、私は私ではない私の魂によってコントロールされていると考えることも出来ちゃったりするのです。正直に言うと、私をコントロールしているのが純粋に私の魂だけであるのならば、まあしょうがないとも思うのですが、その私をコントロールしている魂さえその周辺の別の魂の影響を受けていると思われるので、もしかしたら全然自分は関係ないことの尻拭いをさせられてしまっているのかも知れないなどと考えたりすることがあるのです。おそらく魂同士でさえ、他の魂と明確な境界などなく繋がっているとかんがえられるのですから。

 残念ながら、自意識としての私は、生存本能や様々な欲に影響されている決して高尚な存在では在りません。まあそれでも、この高密度の3次元に生活していての私ですから、私は私で別に恥ずかしがる存在でも無いとも思うのです。とは言いながら、非常に未熟な存在で何をえらそうに言っているんだという側面も間違いなくあるでしょう。まあ、私はそんな人間なのです。今のところはね。

 悟りを開くことは、自意識を殺す(?)ことだと言われます。そうなったらいいなあと思う反面、自意識の私が私のまま居て何が悪いんだ、という気持ちもあるのです。まあ私の中のこの矛盾した部分が、私のネガティブなエネルギーにひと役かってしまっていると言うことは見当違いではないように思います。

 今日は、私の自意識の戯言(ざれごと)でした。

(2003/01/26)


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