私の魂 (第65話)

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 ここ数日のネガティブな気持ち(不快感や批判的な気分)の原因はある意味で私の魂からの意図的なものだったようです。まあ今日書くことに絶対の自信があるわけではないし、今までもそれほど確信を持っていたわけではないのですが、書く内容のことを考えると意外に穏やかな気持ちでいることを考えると、そんなには違った考えではないように思います。

 いくつか判ったことを書きます。もちろんこれは私個人として真実であって、他の人の真実ではないのですが、少なくともこんな風に私が魂と言うものを考えたということは、同じ道をたどっている人には参考になるかも知れません。(道は人それぞれに違いますから)

 真実は人それぞれにあると言う事は、かなり基本的なことで今までも何回か書いていたのですが、魂にもやはりそれぞれの真実があるようです。私たちの自意識は生活環境も違うし、それぞれの経験も違うわけで、別々な真実を持っていても当たり前だと思っていたのですが、むしろ心の奥の魂の部分の方がそれぞれの真実に違いがあるのかも知れません。

 ある人に見てもらったところ、魂は私の場合15個の人格(側面)をもっているらしいのですが、彼らを私だと認めるかどうかと言うことに私の関心があったのです。これは前の話に書いたようにどこまでを自分として認識するのかと言う疑問です。

 正直に今の気持ちを書くと、私は私であり、彼らは私ではありません。という考え方でしばらくは居ようと決めたのです。たぶん私がもっと成長したら彼らも私自身であると思うのかも知れませんが、今の私が無理してその様に考えることはあまり得策ではないようです。むしろ今の段階では、狭い意味の私の定義で居たほうが状況を理解し易いと思っているのです。

 この考え方はあまり一般的ではないかも知れません。しかし私のようにかなり強烈なエゴをもった人間の場合、そう考えないと前に進む気すらおきなくなってしまうのです。まあこの考え方が受け入れられない人は、私が未熟だからそんなことを考えているんだと思うでしょう。それで良いです。私は背伸びする能力もないですから。(ある程度のペースが無いと背伸びも出来ません)

 さて本題です。私が会えて私の魂たちを私ではないと位置づけたのかという背景を書かなければなりません。もちろん狭い意味の私では無いと言うことで、他人であるというようなことはないです。それにたぶん切り離すことは出来ないでしょうし、考え方や感性などかなりの部分が彼らの影響下にあるわけで、それを否定してしまったら私自身が成り立ちません。

 これから書くことは、昨年の暮れにある人から教えてもらったことです。しかしその時には私はその意味が理解できず、むしろ抵抗感の方が強かったのですが、今になってその説明の意味が理解できてきたと言うことなのです。

 その抵抗感のベースになったものは、輪廻転生が本来不必要なものであると言う部分なのです。まあ、あまりいろいろと書くとかえって判りにくくなるので思い切って概要を書いてみることにします。もちろん行きがかり上断定的な書き方をするかもしれませんが、これはあくまで今時点での私の考え方に過ぎません。

 本来の生命(いのち)は自由なもので、輪廻転生などは必要ないものなのです。それが地球の場合何か事情があって、輪廻転生をしなければ成らないようになってしまっています。それはおそらく魂がそうしなければ成らないと思っているからなのです。魂の意識体は何度も人生を経験しますが、おそらく最初はそれぞれ個別に体験をしていたのだと思います。そのうち意識体のクループとして、一つの意識体(エネルギー団)を構成するようになったのでしょう。いろいろな人生を経験した意識体が集まったのですからその中にはいろいろな思いが入っています。その思いで達成できなかったこと、何かしらのけじめをつけたいことなどをカルマのようなかたちで次の人生に託したと考えられます。この清算をする為に輪廻転生することが必要だったのです。

 さて狭い意味での私の意識はいつからあるのでしょう?これは判りません。もしかしたら輪廻転生に関係なく、赤ん坊に生まれた時に発生したのかも知れないし、魂のグループの中の一部(一個性体)が生まれたときにこの世にやってきたのかも知れません。ただどちらにせよ、ずっと私の魂の意識集団の影響を受け続けていたことは間違いないのです。と言うことは、私の魂の意識集団の個性は狭い意味での私の個性の一部でもあるわけです。

 荒っぽい言い方をしてしまうと、今まで地球上に生活した人の意識が魂となって私たちの中に居るのです。もともと意識などと言うものはエネルギーであり明確な境などないのでだんだんごっちゃになってしまうのは当たり前のことかもしれません。今の私の気持ちは私のものなのか、それとも魂の一部から送られてきているのかわからないのですから、あらためて明確な区分けは出来るわけないのです。

 で、結局のところ、魂は私の意識の中に私の知らない様々な記憶(人生経験)をもってくっついているのです。(荒っぽい言い方です) たとえて言えば、私たちが幼稚園児だとするとその子のしょっているランドセルが魂なのです。そのランドセルの中にはノートがびっしりと入っていて、そこにはそれまでの様々な経験が書き込まれているのです。私の場合はそのランドセルの中に15の個性(人格)がその記憶とともに入っていると言うことです。もしかしたら、私もうまれる前には誰かのランドラルに入っていたのかも知れないけど。

 輪廻転生しているのは、実は私たちの命ではなく、魂が輪廻転生を繰り返しているのです。命は魂とはまたちょっと別なもので、あえて言うと魂と言う乗り物に乗って輪廻転生しているものらしいのです。

 本来は生命(いのち)は、自由な存在でどこにでもいけるのですが、一度魂と言う乗り物に乗ってしまうとそこから簡単には抜け出すことが出来なくなってしまうようです。これは魂の中に閉じ込められた意識という見方をすることも出来ます。悪い言い方をすると、私たちは魂と言う他の人の意識を閉じ込めた牢獄を背負って、この世に生活をしていると考えるのもとんでもない見当違いではないようにも思えたりします。

 ちょっと魂が見たら、かなり気分が悪くなるようなことを書いてしまってします。さっきから少し頭痛がしてきているのも関係あったりするのかも知れません。ただこういうのはちょっと極端なくらいに書かないと意味が伝わらないと思うので、勘弁して欲しいところです。^^

 さてさて話をもどします。私が私の魂を何故、彼らと言うのか少しわかっていただけたでしょうか?でもまだ続きがあるのです。というかこっちの方が大事なのですが。

 魂はこの3次元の世界に住む私を通していろいろな体験をしています。これはどのような事を意味しているかと言うと、私がこの世の中で接触した人の魂とは情報交換が出来ると言うことです。まえに書いたように誰かに意識を向けていたり、近くに居たりすれば自然と魂レベルでの情報交換はおこなわれています。それが魂にとっては重要なことなのです。逆に言うと、私達の3次元を通さないと情報交換は出来ないと言うことになります。魂は知っている意識とは交信できるはずです。知らない意識とは交信できないのです。まあどこにでも行けるのだけど、それなりの目印が無いと動けないというように考えた方がわかり易いでしょう。私たちは魂にとっては、この目印の役割をしているのです。

 言い方を変えましょう。彼ら(私の魂)は私を窓口としてしかまだ未知な意識とは接触ができません。とくに自分たちと異質な意識体との接触は不可能なのです。えーと、合いたい人には意識を合わせればいつでも合えるけれど、知らない人とは意識をあわせられない。という感じでしょうか。

 まあそのことを平たく言ってしまえば、私も彼らも同じ船に乗っていて、どちらも簡単には船から降りることは出来ない、ということなのです。(私は船か^^)

 話を最初の方にもどします。魂ごとに真実が違うと言うことは、魂ごとに体験も違うし、学びの程度も違うわけです。それぞれの魂がそれぞれの人生の経験を通して様々な真実を知っているわけです。実は地球に存在する魂もそれぞれがかなり密度の濃い体験をしているのですから、それぞれがいろいろな英知を持っているわけです。それはこの地球人のすばらしさであると思うのです。(この意味は一部の人にしか通じないです。)

 それでわたしの魂はと言うと、どうやら現在よりもっと上の知識を求めているようです。私よりもずっと上昇志向が強そうなのです。それに私がいい加減なのでたぶんかなりイライラしているのだとは思います。ではどうしたらいいのかと言うことなのですが、それが思ったより簡単かも知れません。早い話、私が優れた魂の持ち主の側に行けば良いようです。私が難しいことを理解できなくても、魂レベルでいろいろと学習してくれるのですから、大変ではないですよね。(笑)

 とまあ、そんな具合に考えているので、私と同じ船に乗っている彼らの為にもいろいろとやってみようかという気にもなっているのです。今のところ私の魂の中の15人は私の友達なのです。^^

 ついでに書いておきますが、多分彼らも私を通して必要な学習を終えたなら、私の知らない間にどっかに言っちゃうかも知れません。上手くいけば輪廻転生のサイクルから抜け出すことが出来るでしょうから。 (2003/01/28)


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