人生の苦難 (第67話)

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 学びは幾つか同時に進行しているようです。前回のスランプに関係した学びはまだ終わったわけではなく、まだまだ気持ちの中に混沌としたものがあるのですが、その一方で別なことも同時に進行しているのです。そのうちの一つの気づきに付いてここに書いてしまおうと思います。というのは、私がこのページに書くことによりそれに関係することは一区切りにして、また次のテーマに移行する為です。

 今回は人生での苦難について書くのですが、もちろんこのテーマの答えは一つではありません。これは理解の程度によるものだけではなく、視点の違いによりいくつかの解があると思われます。今回は「人間は何故人生において苦難の道を歩かなければならないのか?」と言うことです。(あらためてずいぶんだいそれたことをテーマにしていると自分でも思っています。)

 まず最初に書いておかなければならないことは、人間はたいへんな思いをしないと成長できないと言うことです。もちろんこれは一生懸命勉強しなければ成長しないよという意味ではありません。もちろん努力は大切なことだと思いますが、努力が成長の条件ではないと言うことです。言いたいことは、自分では苦難だと感じるような人生の出来事、苦労、精神的な苦悩のようなものがないと成長できないということです。簡単に言ってしまえば、人間は楽な思いをしているときにはなかなか真の気づきには到達できないと言うことです。

 このことは別に例を挙げなくても当たり前のこととして理解できると思います。ですから例を出すことはやめて、別の視点で考えると、成長の為には苦難が必要であるということになるのです。だから多くの苦難を抱えているとき、それはとりもなおさず、大きな気づき(魂の成長)の為に着々と準備をしているのだと言うことになるのです。

 とまあ、ここまでは当たり前のことですよね。(人によっては最後まで当たり前のことなのだろうと思うけど) さて問題は人間の表面の意識では困難を望んでいるわけではないのですが、実際にはいろいろな困難がやってきます。もちろんこれは魂が成長を望んでいるからなのです。このような困難は自分で作り出している場合もあるし、他の人が作り出した困難の原因を受け入れることで現実(3次元世界)のものとなります。もしも他の人が困難の原因を作り出したとしても、魂がそれを拒否したらそれはその人にとって現実のものにはならないのです。このことを別な言い方でいうと、全ての困難は、自分の成長の為に魂が用意したものであると言うことになります。

 ついでに書いておくと、なぜわざわざ困難を作り出してまで成長しなければ成らないのでしょうか?この答えは簡単です。成長することが最も楽しいことだからなのです。たとえば現世側の人間がとりあえず幸せでたいした不満もなく普通に生活をしていたとします。そういう生活はその人間にとって幸福(現世的な意味)ではあっても魂にとっては退屈極まりないものであるのです。(ちょっと極端な言い方です) その人間が現世的な幸福の中でもそれなりの成長を続けているのなら魂も待っているでしょうが、そうでない場合、魂は成長の為に必要な困難を用意するのです。

 ついでのついでですが、魂が用意した困難は自分のことを一番良く知っている自分が作り出した困難なのですから、当然その問題を乗り越えることが出来る難易度になっています。ここで乗り越えると書いたのには意味があります。問題(困難)を解決するというのではありません。問題の解決と乗り越えることは違います。困難を受け入れ、必要な気づきを得ることによって、成長することが乗り越えることになります。現実的に何か困難を解決したとしてもそこから得るものがなければ、そのテーマを乗り越えたことにはなりません。その場合また同じような困難が続くことになるでしょう。

 さてある意味こちらの方が本題なのですが、視点を変えて魂(霊)の成長の必要性について考えて見ます。

 こちらの世界ではいろいろと危険なものがあります。たとえば子供が崖の上で遊んでいたとすると、「そこで遊ぶのは危ないからだめだよ」と注意されることになります。その子供は危険なものに近づいてはいけないということを学習しなければなりません。言い方をかえると何が危険であるのかを学ぶと言うことです。そしてそのようなことを教える場合、何々をしてはいけませんよ。と言う様な言い方になります。その前提としては危険なものがすでにそこに存在していて、その為にどうしなければいけないという答えを教わるという形になるのです。

 一方で霊魂の世界ではどのようになるでしょうか?まず危険なものがあるのか無いのかということで考えると、危険なものはそこには無いということになります。しかしだからといって、危険というものが無いというわけではありません。それは危険な行為(意識)というかたちで存在します。この世の大原則では自分が送り出したエネルギーはそのまま自分のもとに返ってくるというのがあります。ですからもしも霊魂が攻撃的で危険なエネルギーを発散していたらどうなるでしょうか? 当然の結果として、苦しむのは自分自身なのです。また同じことなのですが、自分の創造力で自分自身を苦しめる危険なものを作ってしまうことも考えられます。言い方を変えると、危険なのは自分自身しかないということになるのです。

 それは霊魂の世界の真の住民(変な言い方)になるためには、いろいろと知らなければならないことがあるという事です。そしてまだそれらを把握していない霊魂はその成長具合によって、活動する範囲を制限されてしまいます。霊魂はその成長の程度によって活動範囲が決まってくるようなのです。実際にはその世界の摂理によってその様になっているのですが、見かたによってはそれはその霊魂の為でもあるのです。そしてその未熟な霊魂が成長する為に必要な制限された場所のひとつとして、この地球があるのです。

 ですから、地球にいる霊魂(私たちのこと)は、そこから抜け出す為にも成長しなければ成らないのです。自分を苦しめるのは自分であるということなどを体験を通して理解する必要があるのです。もちろんそれ以外にも理解することが必要なことはたくさんあるのでしょう。ここで大事なことは、こちらの世界のように危険なものがあるわけではなく、自分で作ってしまうのですから、表面的に何々は危険だ、何々をやってはいけない、などとその答えだけを教える訳にはいかないのです。自分が自らを傷つけないレベルに達していないと成らないのです。そのレベルが上がることにより、今までいけなかったところにも行けるようになるし、今まで以上の能力も手に入れられるのです。そうなる為にも人生において様々な課題を乗り越えていかなければ成らないのです。もちろんいつまでもそのままでいても良いんですけど、それではあまりに退屈すぎてしまうでしょう、成長する喜びを放棄することなど、どの魂も考えもしないでしょうから。

 あらためて書きます。いろいろな苦難は成長の為にあります。それは貴方の魂でさえまだ行ったことのないすばらしい世界への切符なのです。苦難を祝福するというのは、こういうところから出てくるのです。

 とは言いながらも、私個人の自意識としては出来るなら苦難はさけて通りたいものです。出来るだけ早いタイミングで苦難の意味を見つけて次に進みたいものです。同じ種類の苦難を何度も味わうのはどう考えてもやりきれないですから。

(2003/02/26)


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