自己認識の拡大 (第71話)

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 私の魂(第65話)で書いたことの補足(人によっては訂正に読めるかもしれない)です。このまえは私が私の魂の幾つかの側面に対して彼らという言葉をつかいました。それは意識というものをどこで区切って認識するのかという問題なのですが、私はあえて最も狭いと思われる部分の意識を私として捉えたことでその様な言い方になったのです。

 実はというのも変な話なのですが、そのように言う一方で別な考え方も出来ることを承知していました。それなのにあえて彼らという言い方をしたのです。なぜその時にその様な考え方をしたかというと、何となくその方が理解し易いと思ったからなのです。そしてそう考えることで何か変化がおきると薄々わかっていたのです。

 結論から言いましょう、やはり思ったとおりに答えがありました。私が薄々と気が付いていたということがようするに魂の声であったことを再確認することが出来たのです。今までも私が子供のころからずっとなにか薄々と気が付いていたことはいろいろありました。それらは私の中の魂の影響だったのです。

 実は魂のことを彼らと言い、自分とはまったく別の人格として考えることにより、新たなコミュニケーションの方法を手に入れたのです。それにより彼らの性格がすこしわかってきたのです。そしてそれはとりもなおさず、私自身がうすうすと感じていた自分自身の性格でもあったわけです。これによりあらためて解ったことは、自分というものをあまり意識しないで居るときの私は、意識して狭い意味で捉えた私ではなく、魂の影響を大いにふくんだ私であり、その意味では私の魂も当然のことながら私であるということなのです。

 もともと自分というものを何で細かくわけて考える必要があるのか疑問に思う人もいるかもしれません。その様な人から見るとこのページで何でこんなことを書いているのか不思議に思うかもしれません。でもこれは私にとって重要な問題でもあるのです。たとえば何かの出来事があってその為に私が必然的に何かの行動(選択)をしたとします。その出来事を起こしたのが自分自身であるのなら、わたしの行動は私の意志で行ったことになります。しかしそのもとと成った出来事が自分以外の意志によって作られたものであるのならば、私の行動は誘導(コントロール)されたものだと言うことになります。

 身の回りにおこるいろいろなことの多くは自分自身の魂が起こした出来事です。そしてその意味を決めているのが狭い意味の私自身です。そのとき自分自身を狭いままにしていると何か他のものからの干渉がやたらと多くて不快なコントロールの多い世の中として感じられてしまいます。それでも自分というものをしっかり持っている為にその様な感じを持つことも確かなのです。何も感じない(そのレベルまで自分が確立していない)人の方が多くいるのですから。

 ついでに自己の認識についてもう少し考えて見ます。魂の存在に気が付いて今生での成長をはじめると徐々に自分というものに対する認識が膨らんでいきます。わかりやすくいうと、魂の存在に気づいていない一部の人達にとって、自分とは肉体でしかありません。それが魂の存在をしり、それを認め、そしてより大きな意識との一体感を持つまでになります。自己意識の拡大と言うのでしょうか。どれも知ることから始まり、実感し認めることによりだんだん自分になっていくのです。もちろん素直に拡大していくばかりではありません。その間にはなんども行ったり来たりを繰り返しているのです。途中で疑って、「本当にそうなのかな?」と思いつつまた「やっぱりそうだったんだなあ。」というのを繰り返し徐々に自分というものが大きくなっていくのです。

 先ほどのコントロールの問題に話をもどすと、自分を小さく捉えていた場合、どうしてもコントロールされているという立場になってしまいます。しかし意識を拡大させて自分というものを大きく捉えると自分の周りに起こっていることのほとんどのものは自分でコントロールしていることになります。意識の上で自分の世界をコントロールすることは、やがて実際に自分でコントロールするということになるのです。この理屈は3次元的には首を傾げる人もいるかと思います。しかし魂の世界では意識すると言うことは、行動(存在)するということなのです。自己の認識を大きく持つことは、結果的に意識を拡大して、自分を大きくすることになるのです。

 えーと、ずいぶん偉そうに断定的に書いてしまっているのですが、私はこの事を何となく知っているのです。言い換えれば、このことは私の魂が知っていることで、私(現世側)が実際に実践できるというわけではないのです。いまのところ、ただ言っているだけです。(笑)

 あらためて今回書きたかったことを書くと、魂はまぎれも無く自分であるということ。そして何となく思うとか、うすうす解っているとか、うすうす感じているというようなことが魂からのメッセージであるということです。そしてその何となくというものが、表側の狭い意味の自分のベースになっていて、もし別々な意識として捉えたときでも、かなり共通点(私の場合欠点)があるのです。(こんな風に感じたのです。)

 自分自身を大きく捉えるのも、小さく認識するのもそれぞれ人の勝手なのですが、大きい自分の方がより楽しいのではないかと思います。

(2003/03/27)


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