幸せになる方法 (第72話)

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 ようやくここまできました。このコーナーを始めたときにはこんなにもこのページが続くとは思っていませんでした。72話になってようやく最も基本的でまた最後まで重要なことについて書けるようになったのです。幸せになることがこんなにも簡単にことだったとは、ちょっと拍子抜けのような気もしたりしてしまいます。

 まず結論から書いてその後で何故そうなるのかを説明しようとおもいます。「幸せになる唯一の方法は、自分のことを幸せだと思うことである。」 このことは昔から一部の人は言っていたことだと思います。そして「神との対話」にもしっかりと書いてあります。

 ただその言葉を聞いてもこの現世に生きる立場としてはすぐにはピンと来ないものがあることも確かです。この言葉は詭弁だ、言葉遊びだと考えてあまり深く考えることをしないものです。でもその理由を理解すればそのテクニックを使うことはごく自然なことになるのです。すでに感覚的にこのことを理解していて、それ以上の説明はいらないと言う人もいると思いますが、私と同じように左脳優位の人間にとって頭で理屈を理解することは重要なことなのです。

 さてこの言葉が成り立つ理由を説明します。めんどくさいと思う人は別に読む必要は無いです。(少々理解しにくい部分があるかも知れないのでその予防線です。)

 私たちの精神の在るあの世(霊魂の世界)はエネルギーで成り立っています。エネルギーというものは「光」を考えるとわかるように、物であったり状態であったりします。光は素粒子として「物体(もの)」として存在していると同時に、波という「状態」で存在しているのです。言ってみれば霊魂の世界では、全てのものはエネルギーですから、そこでは「状態」も「もの」も実質的には同じものなのです。このことは3次元的にはちょっと理解しにくいかもしれませんが、そういうものなのです。

 それでは私たちの「幸せ」についてちょっと考えて見ましょう。私たちが幸せかどうかは私たちの心の状態を言います。たとえばものすごいお金持ちが居たとして、その人が幸せであるかどうかはそれだけでは決まらないのです。お金があっても幸せを感じない人もいるのです。その時そのお金持ちは幸せではないのです。いっぽうごく普通に生活をしている人の中にも幸せな人は大勢います。何が言いたいのかというと、その人が幸せかどうかは、その人の精神的な状態で決まる、と言うことを確認しておきたかったのです。

 それで問題は私たちの精神が幸せな状態でいる為にはどうしたらいいかということになります。私たちの精神は物質的な世界にあるのではなく、エネルギーの世界にあることを考えてみてください。そこでは先ほど書いたように「状態」は「もの」としても存在しているのです。言い換えると幸せな人は、幸せのエネルギーを持っているということがわかると思います。くどいですが、心の中に幸せのエネルギーを持っていると言うことは、心が幸せな状態でいるということと同じ意味なのです。

 さてさてそれでは、どうしたら幸せのエネルギーを持つことが出来るでしょうか?これが出来れば、幸せになれるということです。最初に結論を書いてあるのでもうお分かりだと思いますが、私たちは考えたり、思ったりすることで、精神的なエネルギーを作り出すことが出来ます。というか、考えや思いはもともと精神的なエネルギーなのですから当たり前ですよね。

 簡単ですよね。幸せだと思うことによって、幸せの思考エネルギーが作り出され、同時に心が幸せな状態になれるのですから。別な言い方をすると、「思う」ことで幸せな自分自身を創造することが出来ると言うことなのです。(書いているうちに、当たり前のことをくどくど書いているだけのような気もしているのですが、この基本的なことが忘れられちゃうことが多いのです。)

 たわいの無い話なんですよね。じっさいのところ、しかしそんな極簡単なことが見落とされていることが多いんです。話のポイントはこれだけなのですが、もう少し突っ込んで検討したほうが実際にその方法を使うときの役に立つと思うので話を続けます。

 要は幸せのエネルギーを作り出すことが目的なのですから、幸せの理由は何でもいいのです。だから普通に考えてあまりレベルの高そうなものでなくても良いのです。たとえば、おなかいっぱい食事をした後、「満腹、満腹、食った食った、幸せだなあ。」でも良いのです。もちろん、自分や家族が健康で幸せだと考えても良いし、お小遣いがあるから幸せでも良いのです。ただちょっと気をつけたほうが良いことがあります。幸せの条件を作らないようにしないといけません。たとえば、「私はおいしいものを食べたから幸せだ。」というように考えると幸せのためにはおいしいものを食べないとならないということになってしまいます。それではまずいので、「私はおいしいものを食べて、幸せだ。」というふうに考えましょう。このような些細な考え方の違いがだんだん大きな現実の差につながってしまうのです。

 幸せに思う理由が見つからないこともありえます。それに何かで幸せを感じてもその幸せはそんなに長続きはしません。しばらくするとまた元に戻ってしまいます。そんなときは無理をしてでも、こじつけでも良いから、「小さな幸せ」を見つけ出しましょう。極端な話、「借金の支払期限まで、まだ1週間もある。幸せだなあ」でも良いのです。それを「借金の支払期限まで、もう1週間しかない。私は不幸だなあ」などとは間違っても考えてはいけません。

 ようするに、どんなに恵まれた環境に居る人でも、その人が幸せだと考えなかったら、その人は幸せではないのです。この恵まれた環境というのは、欲と同じで追い求めてもきりがありません。むしろ現状の中に幸せを見つけることが大事なのです。またどんなに(現世的な感覚で)恵まれない状態にあっても、けっして幸せになれないということは無いのです。

 別な角度で説明します。幸せのエネルギーを持っている人(幸せな人)は、本人が意識しなくても回りに幸せのエネルギーを放出しています。そのエネルギーは因果律によってそのまま本人に戻ってきます。もちろんその時周りの人もそのエネルギーの影響を知らず知らずのうちに受けていてその場が明るい場になったりするのです。しかし放出するのが不幸のエネルギーだったらどうなるのでしょうか。もちろんその場は暗くなるし、本人にもまたその不幸のエネルギーが返ってくることになるのです。

 たとえ今の状況がどんなにつらくても、「私は不幸だ」などとは考えてはいけないのです。それは不幸な自分を作り出すだけだし、自分の現実もまた不幸の方に転がりだしてしまうからなのです。

 こんなことも言えます。いくら周りから幸せのエネルギーを送ってもらってもそれを受け止めれるかどうかは本人しだいなのです。最終的にその人が幸せであるかどうかは、その人しだいなのです。幸せかどうかは最終の段階で自分で決めるのですから、自分で自分を幸せにするしか方法は無いのです。言い方を変えると他人を幸せにすることは本当は出来ないと言うことでもあるのです。(幸せのエネルギーを送ることは援助にはなります。)

 人生の中では、いろいろな困難や苦難が試練としてやってきます。これは成長の喜びを体験する為にどうしても避けられないことなのです。しかしその苦難の真っ最中でも幸せでいることは可能なのです。むしろそんな苦難の中だからこそ、その後の喜びが楽しみなのですから、そんな時は「この難関を突破したとき、私には喜びが待っている、今の苦労はその喜びの原料を作っているのだ。苦労が大きければ大きいほど喜びも大きくなる。私は幸せだなあ」と考えるのが良いし、その様に自然に考えられるようにもなるのです。

 最後に補足します。「幸せ(喜び)(第40話)」のなかで、喜びは魂の中にもともとある物でそれを見つけ出してくれば良いと書きました。今日の説明と微妙に違うのは、感じると思うの違いです。感じるというものはもともとあるものを見つけ出してくることで、思うというのは作り出すということなのです。もちろんどちらも幸せとしてはほとんど違いがないので、どちらの方法をとっても同じことです。もちろん積極的に感じるということは、思うということにかなり近いことなのです。

(2003/03/28)


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