嘘 (第73話)

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 私は嘘はつきません。といっても全く嘘をつかないかというとそんなことも無いのですが、たとえばジョークであったり、方便であったりは別に拒否するわけでもありません。ただ自分自身の真実でないことを言うことは極力避けています。理由は簡単です。嘘をつくと自分が損するからです。今回は嘘についての私なりの考察を書いてみます。

 まずこの損得の部分から考えて見ましょう。人間にとって一番心地よい状態は心が平安であるということで、言ってみれば不安の無い状態でいることです。この不安というものはそれぞれが自分自身で作り上げてしまっているものなのですが、これを気持ちの持ちようで解消するにしても、そもそもその不安の原因になりうるものを作らないことが最も簡単な対処法なのです。

 嘘をつくということは、とりもなおさず不安の原因を作ることなのです。嘘をついたことの無い人間などいないと思うので細かく説明する必要は無いでしょう。嘘をついたあと、その嘘がばれることに対する不安は誰でも経験したことがあるはずです。一つ嘘をついた為に、その嘘の帳尻をあわすためにまた嘘をついてしまうようなことは、それこそ精神衛生上どんでもないことなのです。大事なことは、最初に嘘をつかない事です。そうすれば、それ以降嘘をカバーする為の嘘など必要ではなくなるのです。この些細な最初の嘘には「見栄(みえ)」も含まれます。見栄を張るということは、嘘をつくこととあまり違いは無いのです。

 余談ですが、誰でも嘘をついていない時は堂々としていられます。皮肉なのは自分を立派に見せようとして、見栄という嘘をつき、その結果、嘘をついた為におどおどした自分を人にも見せることになってしまうのです。

 このことは長い成長の過程で体験しなければ成らないことなので、その途中の人の場合は、さんざん嘘をついた挙句ようやく嘘をつくことが自分にとって損な事だということを骨身にしみて体験することになるのですが、すでにそのことを体験済みの人は、ちょっとしたきっかけでこのことを理解できるようになります。

 嘘をついたり見栄を張りたいと思っている人は、知らず知らず不安を抱えて生きていることになります。このような場合、いつも不安の中にいるので、嘘をつかないという些細なことでどれほど精神的に大きな平安があるのかということを体験できないでいるのです。背伸びをやめて、自分自身のありのままを受け入れることで得られる安心感は、一度体験したらもう嘘はつきたくなくなります。些細な嘘がきっかけで、大きな安心感を失うことはどう考えても得なことだとは思えなくなるのです。

 まあ、生きることの喜びをより多く感じたいと思うのであるのなら、とにかく嘘をつかないことです。これは幸せになる為の観点でもかなり基本的なことなのです。もし貴方がこのことに今まで気が付いていなかったのなら、これからは嘘をつかないようにしましょう。やってみればそんなに大変なことではありません。嘘をつかないようにしていると、嘘をつかなければならないようなことは自然とおこらなくなるのです。言ってみれば嘘が嘘を引き寄せているのですから、その悪循環をきれば良いのです。ちょっとした心掛けで何も大変なことではないのです。

 さて視点をかえて、もう少し霊的な部分での説明もしないとこのページに書いている意味がありません。まず嘘というものがどういうものであるのか説明が必要でしょう。前提として承知してもらいたいことなのですが、霊的な次元では嘘はつくことが出来ません。それはコミュニケーションの方法自体にも原因はあるのですが、基本的に相手の心情などは、エネルギーとして見ることが出来るのですから、言ってみれば全員が嘘発見器のようなものなのです。(このたとえは方便です。)

 実はちょっと紛らわしいのですが、この嘘について説明する上で、もう一つ重要な霊的な要素があります。それは「真実は人により異なる」ということです。これは「真実について (第28話)」で書いてあるので参考にしてください。さてさて嘘の定義をあえてすると、「嘘とは自分自身の真実ではないことを話したり表現したりすること」とでもなるのでしょう。ここで「真実」という言葉が出てくることがポイントなのです。

 真実が一つしかないと考えている人にはちょっと理解できないかも知れませんが、それなりに説明をしてみます。二つの霊魂がコミュニケーションしたとします。二つの霊魂はそれぞれ別々の真実を持っています。その場合お互いに真実を話したとしても、それぞれ相手にとっては真実ではないことになります。その様な場合霊魂は、「貴方の言っていることは嘘だ。」とは言いません。「それは貴方にとって真実であっても、私にとっては真実ではない。」 あえて言葉で書くならこんなことでしょうか。霊魂にとって意見の違いは、嘘ではないのです。むしろそれぞれに真実を持っている為に、意見が違っても嘘には成らないのです。

 もう少し別の観点から考えて見ます。もしも霊魂が嘘(自分の真実でないこと)をついたとします。そうするとその嘘は嘘として存在するのではなく、その現実を創造してしまうのです。べつな言い方だと、霊魂自体が変化してしまうのです。この場合の嘘の現実を創造すると言うことと、霊魂が変化するということはほとんど同じことなのです。ある側面から見ると、霊魂自体が現実でもあるのですから。(ここの部分は言葉では説明できません。)

 さてもう少しこのことを突っ込んで考えて見ましょう。人によっては、高級霊は嘘をつかないけれど、低級霊は嘘をつくと考えている人もいるようです。これは厳密に言うと低級霊が嘘をついているのではなく、低級霊は低級霊なりの真実を語っているのだと考えた方が良いのです。それが言うことを信じるかどうかは、聞いた人がそれを自分の真実として受け入れるかどうかが問題なのです。もちろん受け入れるかどうかは完全に私たちの自由意志にあります。もっと正確にいうと、その出来事(霊魂の意見を聞いたこと)の意味は、その当事者でしか決めようが無いのです。

 ちょっと余談ですが、全てのことは、どのように受け取ったかでその意味が変わるのです。これは創造の最終のステップで私たちにとって最も重要で最も身近な選択のチャンスなのです。

 話をもどして、またまたちょっと違った視点から、嘘について説明します。私たちの地球上での現実は霊的な世界の一部として存在しています。これは多かれ少なかれ霊的な世界の原則は私たちの現実に於いても影響を与えているのです。もともと私たちの現実世界は私たちの集合意識や個人個人の意識によって作られたもので、幻想の世界なのです。いろいろな幻想がこの世界を作り出しているという言い方も出来るのですが、その中のひとつに「嘘をつける」というのがあるのです。

 嘘をつくことが出来ると言う事が何故、幻想なのでしょうか。それを切り口を変えて書いて見ます。

 まず大事なことは、自分には嘘をつけないということです。これは表面の意識に対してではなく、魂に対して嘘をつけないということです。世の中を観察していると、自分自身にまで嘘をついているケースが多く見られます。もちろんこれは自分の精神を保護する為に自分自身をだまして、自分を守っているというケースも多いのです。この現象だけを見ると、世の中は嘘だらけで、嘘は立派な処世術だと思ったら、それは浅はかな考え以外の何物でもありません。「私の事例その2 (第5話)」で書いたように、魂は一生での出来事を全て記憶しています。そしてそれは驚くことにその時その時に触れ合いのあった相手の気持ちまでも覚えているのです。そして死んだ直後、それらを全部見直すことになるのです。

 そのことから幾つかのことが言えます。まず相手の魂までは騙せないということです。なぜって魂は相手の気持ちまでちゃんと覚えているのですから、嘘をついて相手の表面の意識は騙せても相手の魂までは騙せないのです。相手が死んで人生を振り返ったとき、嘘は全部ばれるのです。言い方を変えると、嘘で固めた付き合いをしていたのなら、その人の醜い内面まで相手に筒抜けになってしまうのです。まあそれでもこれはそんなに重要な問題ではありません。その時はその人にとって一番重要なのは自分がどうしたかであるのですから、終わってしまった事の嘘はただばれるだけですから。

 それよりも問題なのは、自分自身に対してです。同じように自分自身に対しても嘘はつけないし、いつどこで誰に対してどのような嘘をついたかと言うことまで、しっかりと覚えているのです。これは魂というより深層意識と言ったほうが理解し易いとは思うのですが、少なくとも嘘をつきどおしの人生を送ったりした場合、生きている間の嘘を全部思い出して、同時に醜い自分の(表面意識の)内面まで感覚として追体験しなければならないのです。これはもう大変な苦痛になるでしょう。私の子供のときの体験では我侭(わがまま)な自分を振り返ることで、それはもうひどいものがありました。(そのわりに我侭は直ってなかったりして^^;)

 別な観点から言っても、嘘はつけないのです。霊感がある人で相手の心を感じれる人もいます。これは魂同士で嘘をつけないのですから、その人が自分の魂からその情報を引っ張ってくれば出来ないことではありません。また特に霊的な能力が無くても、心理学をやっていた人や観察力のある人なら、面と向かって話をしていれば嘘をついているかどうか、心にやましいものがあるかどうかなどは比較的簡単にわかります。多くの場合、嘘がばれないと思っているのは嘘をついている本人だけなのです。

 そんな嘘をつく人は、自分の心を覗かれるのは嫌がります。まあ自分の醜い部分を隠したいと思うのは当たり前なのですが、それが行き過ぎて人の心を覗くことがいけないことだとまで考えていたりするのです。また嘘をつく人は自分の心も開くことはしません。開きたくても開けないのです。心を開けないということは本人にとっては非常に残念なことなのです。心を開くことで得られるものは非常にたくさんあるのですから。

 霊魂の世界で嘘をつくと、それは嘘ではなく現実を創造することになるとうえで書きました。それと同じことが、私たちの3次元の現実社会に於いても起こります。「嘘から出たまこと」という言葉がありますが、嘘というものは現実を変える力も有ったりするのです。同じ嘘を何千回もついていたら、それは本当に成ります。これは私たちの世界も霊的な世界の一部であるのですから、まあ当然といったら当然なのです。ただ少しばかり時間が掛かるので、現実になるまでかなりの回数の嘘が必要になるでしょう。(嘘が現実になった段階で嘘ではなくなるけど)

 「嘘はいけないことだ。」と一概に決め付けることは出来ないことは、もうわかりますよね。前回書いたように、今、幸せだと思えなくても、「私は幸せだ。」を繰り返していれば、現実がそうなっていくのです。もちろん厳密に言えば、「私は幸せだ。」と思うことは嘘ではないのですが、何事も境目というものはないのです。この場合の境目とは、嘘と願望のことです。(日本中の人が「私は宝くじに当たる」を毎日連呼していたらどうなるのだろうか?)

 実は、と言っていいのか自信は無いのですが、私たちはこの世界にいるからこそ嘘をつくことが出来るのです。嘘をつくことを体験して、それが自分にとって得なことではないと理解することは、この世で体験しなければならないことの一つなのです。だからある人にとっては、今、嘘をつくことは必要なことなのです。嘘を良い悪いで括ることにはちょっと問題があります。ただ出来るならその段階をはやく終わらせたほうが本人の為にも良いことなのだと思うのは確かです。(ほかにも多くのことに同じことが言えます)

 「汝(なんじ)、嘘をつくなかれ。」という十戒の言葉は、戒め(やってはいけないこと)であってはならないのです。「神との対話」にあるように、嘘をつかなくなるというのは、その人の成長のしるしに過ぎないのです。

(2003/04/16)


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