精神監獄 (第74話)

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 なぜ地球が今のような異常な状態になっているのかやっとつながりました。今までも漠然とその部分部分は解ってはいたのですが、ある程度説明できるところまで頭の中で整理できたのです。これは私にとっては非常に重要な気づきなのですが、そのわりに魂からの反応はほんの少しだけです。まあ、そんなこと時間の問題でわかって当然だという感じでしょうか、それともどのように文章にまとめるかということに私の意識が行っているせいなのかも知れませんが、いま穏やかな気持ちでいます。

 さて本題に入る前に少しだけ寄り道をします。前話で嘘についてかきました。ある人に、その内容は考えたのですか?と聞かれたのですが、そのことを少し説明します。私はかなりいろいろと考えています。普通の人が一生懸命、現世的な仕事に追われている時間を私は思索に当てています。まあ生活パターンでいうとまるで哲学者のような精神活動には恵まれた生活をしています。(実際は心の中の幸せを探しているという意味あいもあるのですが) いろいろと考えて、ボーっとしているのです、この二つの考えることとボーっとしていることの境目はもちろんはっきりしたものではないのです。そんな風にしながら、このコーナーに書く内容などを考えるているのです。

 で、前話の嘘について書いたこともそれなりにいろいろと考えてはいるのです。しかしある程度まとまって来たとき、ふと、この内容は真実についての霊的な夢の中に含まれていたということを思い出したのです。自分ではいろいろと考えているつもりでいたのだけれど、実際は考えることによって思い出していたと言う事なのです。おそらくここを読んでいる方々も内容についてはすでに知っているのです、ただ時間をかけて考えないと思い出せないということなのです。

 ここであらためて書きます。前話の内容はその多くは霊的な夢「真実について(第28話)」に入っていたことなのです。

 さて、本題に入るのですが、これもその流れのことなのです。今回の私の気づきのきっかけから話をします。前話の嘘でこのように書きました。
 二つの霊魂がコミュニケーションしたとします。二つの霊魂はそれぞれ別々の真実を持っています。その場合お互いに真実を話したとしても、それぞれ相手にとっては真実ではないことになります。その様な場合霊魂は、「貴方の言っていることは嘘だ。」とは言いません。「それは貴方にとって真実であっても、私にとっては真実ではない。」 あえて言葉で書くならこんなことでしょうか。霊魂にとって意見の違いは、嘘ではないのです。むしろそれぞれに真実を持っている為に、意見が違っても嘘には成らないのです。
 霊魂の意見の食い違いの後どうなるのかな?と漠然と考えていたのです。そんなとき、こちらの世界だと、もしかしたら殴りあいで白黒をはっきりさせるとかなどの野蛮な手も使えたりするのですが(戦争も同じようなもの)、霊魂の世界ではそんなことにはなりません。議論を尽くしてもなかなか決着が付かないのです。まあ、それぞれに真実を語っているのですから当たり前ですよね。

 実はその後で起こることが問題なのです。結果的に拒絶という現象がおこります。まあこれも当たり前の成り行きです。もともと霊魂の意見が合わないということは、霊性のレベル(周波数)が異なっているのですからコミュニケート自体大変なのですが、そこで拒絶が起こるともう同じ場所にいることは出来なくなります。いわば一方が隔離された状態に逃げ込んでしまうのです。(もちろん現世的な隔離とはちょっと違います)

 さてさて、その自ら隔離した状態に逃げ出した霊魂は、やはり当然の成り行きで、自らが信じる真実によって現実を作り出すのです。その逃げ込んだ霊魂が少数の場合は外側からの説得により、いずれ本人たちの気づきがおこり、いずれそこから抜け出すことが出来ます。しかし多数の霊魂が同じ真実を共有して逃げ込んだ場合はちょっと厄介なことが起こります。現実の創造する力は人数が多ければ多いほど強力になります。そうするとその霊たちにとっての真実もより現実味のおびたものになり、なかなかそこから抜け出せなくなってしまうのです。

 このような現象は霊性の高くない真実を大勢の人が共有することで起こります。もちろんどのような真実を持つのかはあくまで個人のかってなのですが、その真実が霊性が高いか低いか、広い視野に立った真実であるのかという観点で見ればその優劣は明確なものなのです。その優劣もより高い視点から、もしくはより広い視点から見る人にとっては一目瞭然のことなのですが、いったんその中に入ってしまった人には、その世界しか見ることが出来なくなってしまいますから、レベルの低い真実を信じていることになかなか気づかなくなってしまうのです。

 このような隔離された世界に逃げ込んだ霊魂は、外から見るとまるで監獄に閉じ込められているようにも見えるのです。たしかシルバーバーチも精神監獄という言葉を使っていたような気がしますが、まあどのような言葉を使うかということは大きな問題ではありません。

 ではこのような集団での精神監獄という現象はどのような場合に起こるのでしょうか。察しは付いていると思います。宗教の信者が同じことを信じているとそうなるのです。悪いことに宗教の神の多くはそれほど霊性は高くないですからこのようなことになりやすいのです。新興宗教でそれなりに勢いのあるところはほとんどこのような精神監獄を作り出してしまっているのです。おまけに信者もその様な場所の存在を薄々と知っているのですが、そこを天国だと教えられているので、一生懸命そこに行きたがったりもするのです。私から見ると、霊的に純粋な信者を騙して、自分たちの精神牢獄の仲間にしようとしているのですから、宗教も罪作りなものです。(これを布教活動といいます)

 実はここまでは話の前置きなのです。これから説明することは上に書いたことを理解していないとわからないのです。さてさて今までの話は主に新興宗教で起こっていることなのです。ところが問題は古くからある宗教の場合です。もちろん同じ現象がおこっています。それは歴史があるだけにもっとずっと大きなスケールで精神監獄が出来上がってしまっているのです。それは地球全体を覆う規模で出来てしまっていたのです。(過去形です) 俗に言う地球の霊界全体がある種の精神監獄になってしまっているのです。

 たとえば、宗教でいう「解脱」という言葉はこの精神監獄から逃げ出すことを言うのです。もちろん今までに非常に多くの霊魂がこの脱出に成功しているのですが、あまりに強大な為に非常に多くの魂がこの地球から抜け出すことが出来なくなっていたのです。

 関連して幾つかの補足をしましょう。輪廻転生も地球独自のやり方によってゆがめられてしまっています。転生というのは単に肉体的な身体を持つことを意味していて、するもしないのも本来全くの自由意志で個人で決めれば良いことなのですが、地球の霊界では細かな規則のようなものが決められていて、「しなければならない」というようになっているのです。ですから、地上での様々な経験もやりたければやれば良いし、別にやらなくても良い、というのがより広い視点に立ったときの考え方なのです。でも肉体を持って生きるということはすばらしい体験なのですから、ほとんどの霊は嫌がらないとおもいますが、微妙に違うのはそこに自由があるかということです。

 もちろん私が今まで何度も書いている、カルマという制度もこの地球の精神監獄独特の制度なのです。このカルマの制度のせいで、今まで多くの人間が否定的な償いの人生を送らなければならなかったのです。「神との対話」をよく読んでいけば、高度に発達した社会にはカルマなどというものが全く存在しない世界もあることがわかります。

 ついでに書くと、地球人の多くはこの精神監獄に入っていたわけで、知らず知らずのうちにその外との接触を嫌います。宇宙人をエイリアンのように怖がってみたり、否定してみたり。「神との対話」を宇宙の浮遊霊の仕業だといったりするのも全てこの監獄の中にいるからなのです。もちろん宇宙人もそれぞれで異なった現実を創造しているのですが、大事なことはそれぞれの違った現実を否定するようなことはしません。言い方を変えると彼らは精神監獄には入っていないということです。

 今、自分たちではスピリチュアルだと言いながら、根本てきな考え方が宗教と全く宗教と変わらないという人たちがいます。本人たちは宗教では無いと言っているのですが、私から見ると宗教以外の何物でもありません。一部の高級霊を祭り上げて、自分たちはその存在には遠く及ばない存在だから、自らを道具として世の中の役に立とうといったりしています。「神の兵士」などという言葉など平気で使うのです。これは自分の外に神を見ていて、自分たちの中にこそ本当の神が見出せるということを判っていないのです。その人たちは、「宗教の神」に操られてしまっているのですが、そういう真実の中にどっぷりと使ってしまっている為、抜け出すことが出来ないのです。それどころか他の人たちが操られていると思ったりしているのです。可愛そうな人たちです。

 ちなみに、そういう人たちは、高級霊とか低級霊とかの話を持ち出すのが好きで、本来の生命(いのち)に優劣などなく、違いは今の状態だけであるということが本当にはわかっていないのです。言って見れば、自分たちは高級霊につながっているから良いんだ、という差別的な思考も宗教と全く同じなのです。そして間違いなく「神との対話」を批判します。(ちなみに私は彼らを批判しているのではないのですよ。観察した事実をありのままに書いているだけです。)

 正直に書きましょう、私には彼らの感覚がわかるのです。「インチキ占い師 (第25話)」を書いたころ、私も宗教の神の影響を受けていましたから、それはよく言うと使命感に燃えてはいるのですが、その一方で傲慢(ごうまん)で、べき論的な感覚がひどく強く出ていました。このような感覚は知らず知らずのうちに心の奥の方から沸いてきていたのです。今ではその様な人の書いたページなどを見ると非常に不快な思いをするのです。(彼らはかっては私の仲間であったかも知れないのです。だから気になってここで文章を付け加えているのです。)

 さてさて、多くの読者の方にはあまり関係のない横道に入ってしまいました、話を進めます。これから書くことが一番大事な事なのです。地球の精神監獄を外からみている、地球外の生命は見るに見かねて救済計画を立てました。精神監獄の内側からだけだと自分ではなかなか気づけないことなのですから、お節介にならないぎりぎりの線で私たちに自力救済の為の援助を送ってくれています。もちろん「神との対話」もその一環なのです。その中で地球以外の生物についてかなりページを割いて地球人の宇宙人アレルギーを和らげようとしているのです。これは自分たちで精神監獄から抜け出す為の下準備としてはとても大切なことなのです。神様、ありがとうございます。

 さてその救済計画について、簡単にふれて見ます。これにもこちら側の解釈の違いで幾つかの流れに別れてしまって入るようですが、おおもとの意味は変わりません。一般的にガイアアセンションという言い方をしているのですが、これは地球の外側の意識からみると、地球意識の精神監獄からの救済という意味あいを持っているのです。この計画は非常に複雑なもののようで、私たちがその全貌をつかむのはなかなか難しいものがあります。というか、ある程度理解が進まないとその意味が判らないということで、それが理解できるようなら救済される必要がもともと無いのですから、解らなくても仕方ありません。もちろん私が今ここでこのページを書いているということも、計画の一部だということも考えられます。私はメッセンジャーなのですから。

 ここで非常に重要な問題があります。いくら救済してくれるといっても、生命(いのち)の自主性を重んじるという立場から最終的な決定権は私たちにあるのです。もっと正確に言えば私たちひとりひとりにその選択のチャンスがあるのです。神様が宇宙の霊たちと協力して監獄の扉を開けてくれました。でもそこから出るかどうかは、本人の意思しだいなのです。実際のところもうすでに扉は開いているのです。あとはそこから出るかどうかが問題に成ります。古い地球的な考えにとらわれていなければ、言い方を変えると「私達は自由である。」という信念を持っているか、そして新しい世界に恐怖感をもたないで済むだけの理解があるかどうかが問題に成ります。

 計画は確実に進行していきますが、まだ最終的にどのようになるのかは決まっていません。それは私達が創造することなのですから。私達の現実は私達が作るのです。新しい地球がどのような地球になるかは私達に掛かっているのです。

 なにも、心配することはありません。今の人生を精神的な自由を味わって、喜びですごせは良いのです。

PS.全くの余談なのですが、今書きあがって読み直していました。何気なく足を伸ばしたら、そこにプリンタのスイッチがあってONの状態になりました。偶然というものが無いとすると、どういう意味なんでしょう。印字して誰かに読ませろということかもしれません。(誰に?)

(2003/04/18)


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