今回は、そんな誤った考え方の内のひとつ、「損得」について書きます。
結論から書きましょう。わりと多くの人が意外に思うかもしれないですが、物事は損得で考え、判断することが正しいのです。但し、その損得を考えるとき、広い視野に立って考えることが必要なのです。このことは結構重要な要素なのです。これから説明をするのですが、ちょっと大変そうです。とりあえず頑張ってみますね。
私たちの価値観では「物事を損得で考えてはいけません。」という考え方が根付いています。これはたとえ表面の意識がそう思っていなくても、少し深いところの意識はその事に囚われています。これは前話で書いた地球の精神監獄の特徴の一つなのです。この価値観にはそれなりの理由がないことはないのですが、現在においてはむしろその弊害の方がはるかに大きくなってしまっているのです。
さて例を上げてその様な価値観が生まれたいきさつを考えて見ましょう。子供が友達と遊んでいると考えてください。その子供は玩具を独り占めにしようとしています。そのためほかの子供と喧嘩をしたり、対立したりして、結局はひとりでその玩具で遊ぶことになりました。それを見ていた親は、玩具の取り合いなどしないでみんなで仲良く遊んだ方がずっと楽しいことを知っています。しかし当の子供は自分が玩具を独占したいという欲に駈られていますからなかなか言うことを聞きません。すると親は「自分(だけ)が得するようなことはしてはいけません。」ということになってしまうのです。これだけだと少しすっきりしない人は、子供の部分をおとな、玩具の部分をお金に変えて考えてみてください。その方がすっきりすると思います。
ここで大事な事は、子供が玩具を独り占めしたために、結局はひとりで遊ぶことになってしまった。それは子供にとって損なことなのです。しかしそのことを説明してもその子供には理解できません。まだその子供は視野が狭いために、みんなで楽しく遊ぶということが最も自分にとって得なことだということがわからないのです。結局のところ親は説明を諦めて、「そんなことをしてはいけません。」と成ってしまうのです。
ここでまた玩具をお金に変えて考えてみてください。「そんなことをしてはいけません。」という言葉は「自分の得することだけ考えていてはいけません。」となり、それが「損得で物事を考えてはいけません。」になるのです。
整理してみましょう。高い視点、広い視野に立った場合、ある行為が良いことかどうかは損得で考えているのです。先ほどの子供の親のケースもそうなのです。それが相手に理解力が無い場合、「何々をしてはいけません。」にならざるを得ないのです。まあこれも一種の方便なのですが、同時に教える方にもそれを理解させるだけの能力が無いと言うことでもあるのです。
損得で考える場合に大事なのは、その視点です。自分たちの利益のために地球の環境を破壊するのは本当に自分にとって得な事だろうか?、社員をこき使って金儲けをした会社の社長は得をしているのでしょうか?その行為を得していると考えるのはあまりに視点が低く、視野が狭いからなのです。実はその社長は何も得をしていないのです。むしろ人にしたことが自分に返ってくるということを考えれば、お金という幻のパワーを得る為に、自分自身の本当の喜びをはじめいろいろなものを捨て去っているのです。少なくとも魂的にはひどく愚かな行為をしているのです。損得で考えるとき、視点は高く、視野は広く、自分の本当の幸せは、同時に周りの人たちの幸せが無ければでき得ないということを理解していなければならないのです。
言い直すと、物事を損得で考えることはそれ自体は何もいけないことではないのです。むしろ本当は積極的に損得で考えなければ、自分にとって最高の選択は出来ないのです。損得で考えて問題に成るのは、その人の視点の低さ、視野の狭さがいけない原因なのです。
おまけに書くと、「損得を考えてはいけない」が行きすぎて、「自分が損をする行いが尊い行為だ」とまで錯覚している人までいる始末なのです。
さてさて、ここからが大事なことなのです。何故損得を考えないといけないのか、その弊害について説明します。「損得で考えてはいけない」という言葉には隠された意味があります。浅い部分では、「貴方たちは視野が狭いから損得で考えてはいけない」という意味なのですが、これをもう少し突っ込んで考えると次のような意味になるのです。
「何が得なことかどうかは、考えてはいけない。貴方たちには高い視点は必要ないから、損得などについては考えなくてもよろしい。何が正しいかどうかは私たち(言って見れば地球の神々、あるいは地球の集合意識)に任せておけば良い。とにかく余分なことは考えるな」
こうやって書くと、そんな極端な解釈をしなくても良いじゃない?と言われそうなのですが、それが意図的であったかどうかは別にしても、結局このようなことが現実に起こっているのです。もう少し説明すると、自分で損得の判断をしないということは、善悪判断も自分ではしないということなのです。いってみれば「全てを投げ出してでも、私たちの言うとおりにしなさい。そうすれば天国に連れて行ってあげるよ。」ということです。よく考えてみてください。何も誇張した話ではないのです。これが今までの宗教の神々のスタンスなのです。
あらためて言うまでも無く、あまりレベルの高くない宗教の神々を最高のものだと崇め立てて、自分で考えることもしない。それで真の成長があるでしょうか?今までの人類はこのようなことを何千年も繰り返してきたのです。一応確認しておきますが、私はイエスを始め今まで人類の為に貢献している偉大なマスターたちのことを批判しているのではないのです。彼らの示してくれた偉大なる英知を、地球の歪んだ集合意識の為に、歪んだ教義や教えなどにすり替えてしまったあまりレベルの高くない宗教の神々のことを言っているのです。
私の神々批判もちょっと過激になってきたかな?
(2003/04/19)