自己満足 (第76話)

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 いきなり余談なのですが、私は子供のころ3回の神秘体験をしています。そのうちの二つについてはもうこのコーナーで書いてあります。一つは人生の振り返りのこと、そしてもう一つは「宇宙の不調和 (第66話)」で書いた内容のものです。あと一つは。まだ思い出せないでいます。思い出すきっかけも見つからないので、催眠療法を使って思い出してみようかと思いました。それは明日やる予定になっているのです。いったいどんな体験だったのでしょうか? わかっているのはその体験が私の人生観に大きく影響して、その後半年以上の間、やる気をなくしてしまっていたということです。おそらく当時の私には理解の範囲を超えていたのでしょう。最近になって、今の私ならその意味がある程度理解できるかもしれない、たとえその一部でも思い出せば私個人の謎をとく手がかりになるかも知れないと楽しみにしています。それが言葉で説明できるようなものだったら、いずれこのコーナーに書こうと思っています。読者の中で神秘好きの方がいたら、楽しみにしていてください。

 さて今日の本題に入るのですが、自己満足について書こうと思っています。この言葉も重要な意味があるのですが、損得と同じように錯覚されているのです。(こういう言葉はたくさんあるのですが)

 想像してみてください。私と意見の対立している地球の神々に仕える人たちが私のページを見たとします。おそらくこんな風に考えるでしょう。「何だこいつは、私たちが足元にも及ばない高級霊(神々)の悪口を書いて、それで自己満足しているだけではないか。」 もし違っていても当たらずとも遠からずだと思います。大体こんな風に考えるものです。

 私がこのようなことを書いて彼らを挑発しているのではないのです。彼らのことを持ち出したのは、彼らが地球(日本)人の意識の標準的なものを代表している側面があるのです。(本当に挑発するのなら標準的の前に低レベルなという言葉をつけます。)、、、どうもいけませんね。彼らのことを考えると変に同調して私の周波数が下がってしまいます。

 言葉の遊びはこれくらいにして、本題にいきます。もうお分りでしょうが多くの場合「自己満足」という言葉にはあまり良い印象を持っていない人が多いのです。まあ言ってみれば「レベルの低いことで自分勝手に満足しているけれど、他の人はそんなものはたいしたこと無いと思っているよ。」というような意味あいでしょうか、人それぞれに若干の違いはあっても平均的にはこんなものでしょう。

 その為に私たちの意識の根底には、「自己満足では終わりたくない。」という思いがどうしても残ってしまうのです。さてこのことを視点を変えて見てみましょう。これは「自分が満足できるかどうか、周りの人に決めてもらう。」ということとそれほど意味が変わらないことなのです。これでは相手に好意の見返りを要求することと同じ様な現象に陥ってしまうのです。

 もったいぶらないで核心のことを書くことにします。実は全ての満足は「自己満足」なのです。満足というのは、満ち足りていることを感じることなのです。(もちろん満ち足りるのは物質的な物ではありませんよ) 自分自身の今の状況をありのままに受け入れて、必要なものは全てすでに有るということを感じることなのです。そして大事なことは、自分が満ち足りているのかどうかは、自分で決めることなのです。他の人がそれを決めることは出来ないのです。

 自己満足をあまり良くないものだと勘違いしている人間は、自分自身の心の状態である満足を自分以外のものにゆだねようとします。しかしそれは出来ないことなのです。くどいようですが、それはやってはいけないということではなく、出来ないのです。説明が難しいのですが、いろいろな創造の中でも最も重要なことは、自分自身の心の状態を創造することなのです。その創造というのはひとりひとりの現実の一部なのですから、それは他の意識によって作られることは出来ないのです。あくまでも本人が自分で自分の心の状態を満足という状態に創造しなければならないのです。

 こんな例を考えてください。ある人が仕事で立派な功績をあげました。その功績に対して大勢の人が褒め称えてくれます。本人も満足しています。さてさてこの場合はどうでしょう。これもやっぱり自己満足なのです。たしかに本人は大勢の褒め称えてくれる人をみて自分の仕事が評価されたのを見ています。しかしそれを見て満足を作り出したのは本人に違いありません。周りの人の賞賛はそのきっかけでしかないのです。

 もちろん逆の場合もあります。自分の仕事の結果に本人は満足しています。しかし周りからは評価されてはいません。俗に言う「自己満足」とはこの状態のことを言います。この場合の満足は前の例と比べてどうなんでしょう。本当はなんの違いも無いのです。むしろ後者の方がいつも満足でいられるという観点で行けば優れているのです。前者の場合、満足するとき他の人の評価が条件になってしまう場合もあるのですから。条件になってしまうと、満足する機会が減ってしまいます。魂はいつも満足の状態でいたいのですから。

 この自己満足に対する誤解は時として非常に残念な結果を生みます。本当は自分としては充分満足できるだけの結果になっているのですが、周りの人の評価を気にする為に満足するのを止めてしまうのです。

 ここまで読んでくると一部の人は気が付いていると思います。満足とは喜びと同じなのです。言い方を変えると、自己満足とは自分で喜ぶということで、幸せになる為の必要条件なのです。そして偉大な創造の一部なのです。多くの人に大いに自己満足してもらいたいものです。

 おまけで書いておきます。満足を感じる原因になる出来事に何の優劣も無いのです。これは喜びのきっかけに何の優劣も無いことと同じなのです。大事なのは、心が満足の状態でいられるかどうか、それだけなんです。

 珍しいものを拾ったとかのごく些細なことで満足している小さな子供の笑顔など、それを見ているだけでもすごく楽しいものです。
(2003/04/20)


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