援助 (第81話)

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 いきなり、引用からはじめます。「神との対話1」第2章のはじめの方の部分です。

 「ひとつ説明しておこう。あなたは、神が姿を現す方法はひとつしかないと思っている。そういう考え方は、非常に危険だよ。そう考えていては、あらゆるところに神を見ることはできない。
神の現れ方はひとつしかないとか、語り方はひとつしかない、神の在り方はひとつしかないとおもっていると、毎日わたしを見ていても気づかないだろう。」

 これを単なるたとえ話だと思いますか?実際のところ神は頻繁に私たちの生活に現れているのです。もちろんこの世の中は摂理(創造システムもその一部です)により動いている訳ですから毎日、摂理としての神の側面は絶えず私たちに働きかけているのですが、それよりもう少し身近な例について説明しようと思います。

 「私たちの準備が整えば、教師(導師)はあらわれる。」という言い方があります。これはヨガだとか一部の宗教などで言われていることです。このことについてはあまり説明が要らないかもしれません。じっさいこのことを身をもって体験している人は多いと思います。それでもまあ、読者の中ではまだ未体験の人もいるかもしれないので、あらためて書いてみます。

 精神世界の旅を始めて比較的初期の段階で、世の中の巧妙さを思い知ることがあります。何かのきっかけで、今までずっと私たちに成長の為の援助が送られて続けていたことを実感し、同時にそれが非常に巧妙に組み立てられていて、今、そしてこれからの自分の為に必要な経験を知らず知らずのうちにしてきたことを理解するのです。そしてそれは今までもずっと何かに見守られて続けていたこと意味していて、そしてこれからもそうであり続けることがわかるのです。

 もちろんこういう経験は個人差があるでしょう。中にはさらっと感じてそのまま受け流してしまっている人もいるかもしれません。あるいは、もともとそのことを理解しているのでまるで当たり前のことのように特に気にしない人もいるかも知れません。ただ私の場合は、大きな感動と涙をもってその瞬間を迎えることが出来ました。おそらく多くの人が私と同じような感動を味わっていると思うのですが、それは心の内面のことなので比較しようもありません。

 「私たちの準備が整えば、教師(導師)はあらわれる。」というのは、そこで感じることの一部でもあります。実際に自分の人生を振り返ってみると、今まで気が付かないでいたのだけれど、必要なときに必要な援助あったのです。この援助の多くは教師として現れます。もちろんこれは人間であるとは限らないし、時として反面教師であったりするのですが、その時に抱えている問題に気づく為に必要な人物なり、出来事が現れてくるのです。

 なぜこのようなことがおこるのでしょうか。簡単に言ってしまえば、世の中はそうなるように出来ているのです。もうちょっと言い方を変えると、摂理として自然にその様になるシステムが出来上がっていると言うことなのです。これは「神との対話」の中に出てくる、プロセスの側面でもあります。もっと別な言い方をすることが出来ます。むしろこっちの方がより正確に理解し易い言葉なのですが、これは「神の導師としての側面が私たちを導いている。」と言うことなのです。この時の感動の涙は神の側面の一部を垣間見た為であると考えるのが自然なのです。

 まあこのような解釈はあくまでも私の個人的なものであるので、別な解釈があっても否定しません。それにもしこのような体験がまだであっても、それはそんなには気にする必要はありません。山の頂上に行く為の道は一つでは無いのですから。ただ言えることは、本人が気が付いていなくても、いつもいつもその人の成長や気づきに繋がる必要な援助は送られてきているのです。それは完全にオートマチックに誰彼の区別無くおこっているのです。またそれに気づくまで、ずっと同じテーマにそっていろいろな形で送ってきます。

 もちろん援助はメッセージの形でもあらわれます。私自身、メッセージを届けていることに気が付くこともあります。これはこのページを書いているということではなく、出会った人との間で何かしらの出来事なりがおこって、そこで私の意志とは関係なく相手に対してメッセージが発信されているのです。それは私がそのことを伝えたいと思うからではなく、何かしらの形で、(時としては私のうっかりミスを利用したりして)、相手にメッセージを送っているのです。もちろんそれは私が考えていることではないので、その意味も完全にはわからないし、大事なことは相手がどのように受け止めるかに掛かっているので、多くの場合それだけで終わってしまいます。

 ひとつここで大事なことを書いておきます。私たちにはあくまでも自由意志があります。援助やメッセージを無視することも出来ます。(というかほとんどの場合、その存在すら気が付かないことが多いのですが) しかし本当に大事なことは、その様な援助やメッセージの存在を無視するのではなく、その内容を理解した上で受け入れるかどうかに自由意志を発揮することが大事なのです。援助やメッセージを受け入れるかどうかは自由意志なのですが、それ以前にそれに気が付くまでいかないことは残念でなりません。

 いつも神の導師としての側面は私たちに援助を送り続けているのです。説明が難しいのですが、私たちの人間関係において正しいあり方は、私たちそれぞれが鏡として相手に必要な情報を送り返すことでもあります。それは、相手にとって必要なメッセージを届けることでもあるのです。私たちは全員がメッセンジャーなのです。

(2003/05/13)


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