質問の答え(地球の神々について)  (第85話)

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 今回は、地球の神々のことについてご質問を頂いたので、それについての私の考えを書きます。

 頂いたメールの一部を転載します。

そして望月さんの「地球の神」という存在を目にした時に、身体が寒くなりました。
胸の奥底から吹き出るような思いがあふれ出てきました。
心配は無用だったんだ!と安堵もあふれました。
私が当時、ひっかかっていた疑問が一気に解けたのです。

(一部省略)

でも、そこでもうひとつ新たな疑問も生じました。
地球の神は人間の作り出した産物に過ぎないのに、
どうしてそんなものに実際に祟られてしまうのでしょうか?
神だと思い込んでいる人ならばあるかもしれません。
でも、信じてもいなかったはずの人まで被害を被る事件がテレビや雑誌などで
面白おかしく取り上げられている昨今、陰陽師や霊能者の流行が複雑な気分です。
 関わらないのが一番なのでしょうか・・・?

それから、肝心な質問なのですが
望月さんは、有名な神社などでは、空気をどう感じますか?
私は 勝手に解釈して「私が異常なわけじゃなかったんだー。」と喜んだのですが
やはり、神聖さを感じられないのは、私がおかしいのでしょうか?
大多数の霊能者やセラピストが褒めちぎるような場所は
やはり地球の波動も良いはずですよね・・。
どうなのでしょう?
 あらためて、補足のきっかけを頂いたことに感謝します。質問の答えと同時に説明の足りなかったことなどを書くことにします。

 まず、地球の神々についての話なのですが、これは今、地球上に住む全ての人に関係のある話ではありません。もちろん私だけの物語ではないのですが、人によっては全然神々のことなど関係のない人もいるのです。真実は人によって異なるということは、いつも念頭においておかないといけない大事なことなのです。この場合もやはり当てはまって、地球の神々の影響を受けていた人たちの物語(ドラマ)なのです。これは私も含めて、それまでの過去生などで宗教的な神々に何らかの関与があった人たちにとっては真実なのですが、宗教などあまり気にしていなかったり、地球以外から転生してきた人たちにとっては、真実としては存在していないのです。

 私は過去生で地球以外から地球に転生してきたと言っている人や、漠然とその様に感じている人たちを何人か知っています。この様な人たちにとって、地球の宗教の神々と言う存在はあまり意味をなさないのです。その様な人が地球の神々のことを読んでも、「そんなことを考えている人もいるんだなあ。」ということで終わってしまうのです。それで良いんです。それが世の中の自然なことなのです。

 私たちは、それぞれ別々の真実を持っています。これは全く別々の過去を持っているということで、それも人によっては地球上での過去ばかりではないのです。それは今の自分があるためのベースとなる物語(過去)ということが出来ます。そして物語りもたったひとつということではなく、いくつもの物語をそれぞれの人がかかえて生まれてきているのです。

 すごく大勢と言うわけではないですけど、宗教の神々のことについて、同感であるというメールを頂いています。この質問した人もこみ上げるものがあったということは、私と同じように、地球の神々の物語に何らかの形で関与していたのだと思われます。(実際、信心深い人で地球に長くいた人はほとんど関与してはいるのですが)

 「心配は無用だったんだ。」と書いてありますが、これなど私はその気持ちがわかります。でも別な真実を(過去に)持っている人たちにとって、いったい何が心配だったのかすぐには理解できないのではないかと思います。何を言いたいのかというと、これは私たちにとっては真実の物語ではあるけれど、全然関係のない人たちもいる、だから、私たちも意識を変えて過去のこだわりを開放してあげれば、その時には地球の神々のことなど、過去の出来事になってしまうのです。言ってみれば選択しなおすと言うことです。もっと別な言い方をすると、地球の神々の物語が気に入らなかったのなら、無視すればいいのです。

 さて、ご質問の上の方の部分ですが、地球の神々も命(いのち)です。(本当は全てのものが命だともいえるのですが、) 誤解の無いように書いておきますが、これはたとえばイエスキリストなどのマスターのことではありません。イエスキリストや仏陀などのマスターの教えを正しく理解できないで、その教えを宗教として捻じ曲げてしまった、その後の時代の宗教家であったり、その前からいた宗教の教祖のような存在であると考えてほぼ間違いないと思います。もちろんその正体などは確認できるものではないので、そんな風に考えてください。新興宗教でも教祖が神となって奉られているケースもあるのですから。またそれ以外に地球の人たちの信仰心による想いのパワーが中心となる霊魂達と複雑に絡み合って、霊界というものを作り出してしまったのだといえます。

 これはあくまでも私の印象(感じ)なのですが、霊界というのはみんなで足の引っ張り合いをして外に逃げ出せなくしていたという側面もあるように思えます。これは現世側でも時として起こっている現象です。

 次の信じてもいない人が被害や祟りにあうのはどうしてかという部分ですが、これは魂のことをちょっと説明する必要があります。私は単純に魂と言っていますが、その構造はシンプルなわけではありません。私の場合、むしろシンプルというレベルで考えたときは、私たちの3次元の肉体が最もシンプルな構造をしているのではないかと思ったりもしているのです。これは私たちの3次元側からの視点でははっきりとはわからないことなのであまり深く追求する気も無いのです。ただ概念的にある程度説明することが出来ます。

 このように考えてください。魂にもレベルがあって、魂の親子みたいな関係があるのです。たとえば私たちの現世側の行動はあくまで私たちの現世側の意識の自由意志で、魂が完全にコントロールすることはできません。それと同じように、親に当たる魂は、その部分である個別の魂の自由意志を尊重しています。俗にハイアーセルフと言われているのは、おそらくこの親の部分です。ハイアーセルフはいろいろと知っています。神に近い存在なのですから、しかしその子供にあたる魂はそこまでの視野を持っているわけではありません。それに自由意志がありますから、宗教の神に従属するというあまり好ましくない選択もしてしまうのです。またこのレベルの魂がまだ未熟だと言うこともありえることです。

 結局このような状況が起こりえるのです。現世側の意識は神々のことなど頓着無く生活しています。しかしその人の魂は信心深く、誤った神々を信じてしまっているのです。その上のハイアーセルフたる親的な魂はその状況をあまり好ましくないことは認識しているけれど、あくまでも自由意識を尊重する為に直接の介入はしていない。とまあこんなことが考えられるのです。というかこのように考えないと話の筋が通らないのです。

 おそらく昔でも、ハイアーセルフのレベルの魂とつながった人は地球の霊界などには閉じ込められることもなく、自由にいろんな場所に行けたのだと思うのです。

 さて、「信じてもいないのに祟られる」という質問にもどって考えると、魂レベルで信じている、もしくはそういうものの存在を真実として受け入れている、というのが私の見解です。真実として受け入れているため、恐れることでそれを引き寄せてしまうということもあるのです。また別な要素も考えられます。魂にとって何が正しいのかと言うことではなく、どのような「想い」があるのか、どのような体験(感動)をしたいのかということが重要視されるでしょうから、根本的な部分でこちら側の意識とは違ったものがあるのも確かなのです。

 さかのぼって考えると、多くの魂が何故、地球の神々を受け入れているのかということの原因には、過去における現世側の意識が問題の元凶でもあります。現世側の意識が教えられたとおりに誤った神を信じてしまったため、その想いが魂に残ってしまっているという言い方も出来ます。それにおそらく誤った神を信じていても魂にとってはそれほど問題にもならないのです。それなりにいろいろな体験が出来るのですから。

 このように書いてくると、別に誤った神々を信じていても別に構わないのではないのかと思う人もいるかもしれません。基本的には自由意志が原則ですから、それはどうでも良いのです。ただ問題は、地球の神々と言うのは霊魂としてはレベルが高い方ではありませんから、それにしたがっていると結局は成長できないのです。もっと怖いのは、一個の命として自立する事が徐々に出来なくなってしまうのです。その原因は地球の神々が隷属を要求してくるからなのです。「神との対話」のなかで、「隷属は成長につながらない。」とはっきり書いてあるのはこのことなのです。本当は信者の方が隷属したがっているという方がもっと正確なのです。神に仕えることが絶対的な善であると考えているし、それに何より隷属することで、自分で考え、自分で判断するということをしなくてすむように成るからなのです。

 次の「陰陽師や霊能者の流行が複雑な気分です。関わらないのが一番なのでしょうか・・・?」の部分ですが、幽霊などの浮遊霊のことなどは極力関わらないほうがいいと思います。普通の人が関わっても何も得なことはありません。そういうことは、それをライフワークとしている人に任せた方がいいと思います。もちろんそれなりの能力があって、その機会があるのなら、浮遊霊を癒してあげることは大事な行いです。ただ普通の人が興味半分でいろいろと興味持つのは良いことではないと言うことです。

 霊能者については、その人しだいです。霊能力があるということと、その人の霊的な成長のレベルとは直接の関係はありません。むしろ霊能力者には普通の人以上にいろいろな落とし穴が待っていますから、霊能力者だからといっていろいろな事を素直に従うのも考え物です。たとえばですが、霊能力があるということを特別に視力が良い人と考えてみてください。相手が視力が良いからといって、貴方はその人を全面的に信用できますか?大事なことは霊能力などをどのような目的で使っているいるかなのです。その人が何かおかしいと感じたらあまり関わらない方が良いといえます。

 最後の空気が受ける印象のことですが、その説明の前にちょっと書いておかないとならないことがあります。何を持って神聖と考えるのか、あるいは感じるのかということは「真実」と同じように人それぞれなのです。たとえば地球の神々の影響を強く受けている人にとって、そのエネルギーの多い場所は神聖で心地よく感じられます。他のタイプの神聖に関心がある人は、むしろその場所を心地よく感じないかと思うのです。

 波動には単純に高いとか低いとかの要素だけでなく、いろいろな種類があるようです。おそらく無限大と言って良いほどの種類があるわけで、その良し悪しを決めるのは個人が正邪を決めることと似た要素があると思います。一般的に特別なスポットの場合でも、そのエネルギーの強さを言うのであって、有名な場所が必ずしも良い波動というわけではないようです。その波動の良し悪しは自分で感じて判断するしかないのでと思います。とか書くとまるで私は敏感に感じているかのように思われるでしょうが、実は私はこの方面はきわめて鈍感なのです。ここの部分は受け売りです。

 受け売りのあとなので、今度は勝手にちょっと別な観点から書きますが、大事なことは特別な場所に行くことではなく、自分自身の周りの空気をポジティブで他の人にとっても心地よいものにすることでないかと思います。誰でも自分の周りの空気(雰囲気)を作っているのですから、、ゆくゆくは地球全体が良いエネルギーに包まれることが望ましいのですから、

(2003/05/23)


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