素盞鳴尊(スサノオノミコト)
奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト

細江神社の創建は、明應7年(1498年)の大地震で大津波が発生し、淡水湖であった浜名湖が、今切口ができ汽水湖となり、浜名郡新居町にあった角避比古(つのさくひこ)神社が流失し、御神体は浜松の村櫛を経て、細江町気賀の伊目の十三本松に漂着し、伊目の里人は仮宮を建ててお祀りしましたが、永正7年(1510年)の地震による大津波で細江町気賀の旧上村の赤池に漂着しました。上村の里人はそこに仮宮を建ててお祀りし、その後、に現在の地に奉遷しました。気賀7ヶ村 (伊目村・油田(あぶらでん)村・上村・呉石(くれいし)村・吉本村・小森村・下村)の総産土(そううぶずな)神として牛頭天王社としてお祀りされ、気賀の地を治めるととなった近藤家の御祈願所となり、手厚い保護を受けました。明治に神仏分離により、細江神社となり、明治22年氣賀村(明治8年旧7ヶ村を合併)・廣岡村・小野村が合併して氣賀(けが)町になると廣岡村・小野村の村民も氏子となり現在に至ります。新居では湖口を守る神として特に疱瘡の神として里人から崇拝されていましたが、当地では神様がこの地ならば、地震の際にも安全だろうとお選びになった土地なので地震の神様として崇拝されています。

祭  神
御神紋
 定 紋
(木瓜紋)
 副 紋
(車 紋)
本 殿
神社正面入口
御神体が
漂着した赤池様