はやし浩司01-5-7
エッセイ
はやし浩司の子育て論
最近書いた原稿より……
毎日、いろいろな原稿を書いています。
悲しき人間の心
母親に虐待されている子どもがいる。で、そういう子どもを母親から切り離し、
施設に保護する。しかしほとんどの子どもは、そういう状態でありながらも、「家
に帰りたい」とか、「ママのところに戻りたい」と言う。それを話してくれた、K市
の小学校の校長は、「子どもの心は悲しいですね」と言った。
こうした「悲しみ」というのは、子どもだけのものではない。私たちおとなだっ
て、いつもこの悲しみと隣りあわせにして生きている。そういう悲しみと無縁で
生きることはできない。家庭でも、職場でも、社会でも。
私は若いころ、つらいことがあると、いつもひとりで、この歌(藤田俊雄作詞
「若者たち」)を歌っていた。
♪君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで
もしそのとき空の上から、神様が私を見ていたら、きっとこう言ったにちがいな
い。「もう、生きているのをやめなさい。無理することはないよ。死んで早く、私の
施設に来なさい」と。しかし私は、神の施設には入らなかった。あるいは入った
ら入ったで、私はきっとこう言ったにちがいない。「はやく、もとの世界に戻りた
い」「みんなのところに戻りたい」と。それはとりもなおさず、この世界を生きる私
たち人間の悲しみでもある。
今、私は懸命に生きている。あなたも懸命に生きている。が、みながみな、満
ち足りた生活の中で、幸福に暮らしているわけではない。中には、生きるのが
精一杯という人もいる。あるいは生きているのが、つらいと思っている人もいる。
まさに人間社会というワクの中で、虐待を受けている人はいくらでもいる。が、
それでも私たちはこう言う。「家に帰りたい」「ママのところに戻りたい」と。
今、苦しい人たちへ、
いっしょに歌いましょう。
いっしょに歌って、助けあいましょう!
若者たち
君の行く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか そんなにしてまで
君のあの人は 今はもういない
だのになぜ なにを探して
君は行くのか あてもないのに
君の行く道は 希望へと続く
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる
空にまた 陽がのぼるとき
若者はまた 歩きはじめる
作詞:藤田 敏雄
そうそう、学生時代、NWという友人がいた。一〇年ほど前、くも膜下出血で死
んだが、円空(えんくう・一七世紀、江戸初期の仏師)の研究では、第一人者だ
った。その彼と、金沢の野田山墓地を歩いているとき、私がふと、「人間は希望
をなくしたら、死ぬんだね」と言うと、彼はこう言った。「林君、それは違うよ。死
ぬことだって、希望だよ。死ねば楽になれると思うのは、立派な希望だよ」と。
それから三五年。私はNW君の言葉を、何度も何度も頭の中で反復させてみ
た。しかし今、ここで言えることは、「死ぬことは希望ではない」ということ。今は
もうこの世にいないNW君に、こう言うのは失敬なことかもしれないが、彼は正し
くない、と。何がどうあるかわからないし、どうなるかわからないが、しかし最後
の最後まで、懸命に生きてみる。そこに人間の尊さがある。生きる美しさがあ
る。だから、死ぬことは、決して希望ではない、と。
……いや、本当のところ、そう自分に言い聞かせながら、私とて懸命にふん
ばっているだけかもしれない……。ときどき「NW君の言ったことのほうが正しか
ったのかなあ」と思うことがこのところ、多くなった。今も、「若者たち」を歌ってみ
たが、三番を歌うとき、ふと、心のどこかで、抵抗を覚えた。「♪君の行く道は
希望へと続く……」と歌ったとき、「本当にそうかなあ?」と思ってしまった。
(02−11−20)
子育てのリズムとパターン
子育てには、一定のリズムがある。このリズムは、たいてい母親が子どもを妊
娠したときから始まる。そしてそのリズムは、子育てが終わるまで、あるいは終
わってからも、そのままつづく。
たとえばこんな母親がいた。胎教とか何とか言って、妊娠中は、おなかにカセ
ットレコーダーを置き、胎児に英会話やクラシック音楽のCDを聞かせた。生ま
れてからは、子どもが泣き出す前に、つまりほしがる前に、いつも時間をはかっ
てミルクを与えてた。子どもがヨチヨチ歩くようになると、スイミング教室へ入れた
り、音感教室に入れたりした。さらに子どもが大きくなると、算数教室へ入れた
り、英会話教室に入れたりした。
この母親のばあい、何かにつけて、子どものテンポより、一テンポ早い。これ
がこの母親のリズムということになる。そしてこのリズムが、全体として、大きな
うねりとなる。それがここでいうパターンということになる。このパターンは、母親
によって違う。いろいろなケースがある。
ある母親は、子どもによい思いをさせるのが、よい親のあるべき姿と信じてい
た。だから毎日の食事の献立も、休日の過ごし方も、すべて子ども中心に考え
た。家を新築したが、一番日当たりのよい部屋は、子ども部屋にした。それぞ
れの部分は、リズムで決まるが、全体としてそれがその母親のパターンになっ
ているのがわかる。この母親は、子どものためと思いながら、結局は子どもを甘
やかしている。そしてこのパターンは、一度、できると、あとは大きなうねりとな
って、繰り返し、繰り返し現れては消える。
その子どもが中学生になったときのこと。その子どもが大型量販店で万引きを
して、補導されてしまった。その夜のこと。その母親は、まず私の家に飛び込ん
できた。そしてこう泣き叫んだ。「今、内申書に悪く書かれると、あの子は高校
へ進学できなくなります。何とかしてほしい」と。しかし私には助ける術(すべ)
がない。断ると、その母親はその夜のうちに、あちこちを駆け回り、事件そのも
のを、もみ消してしまった。多分、お金で解決したのだろうと思う。
この母親のばあい、「子どもを甘やかす」というパターンがあるのがわかる。そ
してそのパターンに気づかないまま、その母親はそのパターンに振り回されて
いるのがわかる。もしそれがよいパターンならよいが、悪いパターンなら、できる
だけ早くそれに気づき、そのパターンを修正するのがよい。まずいのは、そのパ
ターンに気づかないまま、それに振り回されること。子どもはそのパターンの中
で、底なしの泥沼に落ち込んでいく。それを防ぐ第一歩として、あなたの子育て
が、どのようなリズムをもっているかを知る。
一見人間の行動は複雑に見えるが、その実、一定のリズムとパターンで動い
ている。もちろん子育てに限らない。生活のあらゆる部分に、そのリズムとパタ
ーンがある。ここにも書いたように、それがよいリズムとパターンなら、問題はな
い。しかし悪いリズムとパターンなら、長い時間をかけて、あなたの生活全体
は、悪いほうに向かう。そのためにも、今、あなたの生活が、どんなリズムで、ど
んなパターンの中で動いているかを知る。
ついでに一言。こと子どもについて言うなら、このリズムとパターンを知ると、
その子どもが今後、どのようになって、どのような問題を引き起こすようになるか
まで、わかるようになる。少なくとも、私にはわかる。よく「林は、超能力者みた
いだ」と言う人がいるが、タネを明かせば何でもない。子どもというのは、どんな
人間になるかは、無数の方程式の組み合わせで決まる。その方程式を解くカギ
が、その親のリズムとパターンということになる。
そのリズムとパターンがわかれば、子どもの将来を予測することぐらい、何で
もない。ただ立場上、わかっていても、それをはっきり言わないだけ。万が一ま
ちがっていたらという思いもあるが、子育てにははっきりわからなくてもよいこと
は山のようにある。わからないまま手さぐりで進むのも、子育てのまた、おもしろ
いところではないのか。
(02−8−18)※
問題のある子ども
問題のある子どもをかかえると、親は、とことん苦しむ。学校の先生や、みな
に、迷惑をかけているのではという思いが、自分を小さくする。よく「問題のある
子どもをもつ親ほど、学校での講演会や行事に出てきてほしいと思うが、そうい
う親ほど、出てこない」という意見を聞く。教える側の意見としては、そのとおり
だが、しかし実際には、行きたくても行けない。恥ずかしいという思いもあるが、
それ以上に、白い視線にさらされるのは、つらい。それに「あなたの子ではない
か!」とよく言われるが、親とて、どうしようもないのだ。
たしかに自分の子どもは、自分の子どもだが、自分の力がおよばない部分の
ほうが大きい。そんなわけで、たまたまあなたの子育てがうまくいっているから
といって、うまくいっていない人の子育てをとやかく言ってはいけない。
日本人は弱者の立場でものを考えるのが、苦手。目が上ばかり向いている。
たとえばマスコミの世界。私は昔、K社という出版社で仕事をしていたことがあ
る。あのK社の社員は、地位や肩書きのある人にはペコペコし、そうでない(私
のような)人間は、ゴミのようにあつかった。電話のかけかたそのものにしても、
おもしろいほど違っていた。相手が大学の教授であったりすると、「ハイハイ、か
しこまりました。おおせのとおりにいたします」と言い、つづいてそうでない(私
のような)人間であったりすると、「あのね、あんた、そうは言ってもねエ……」
と。それこそただの社員ですら、ほとんど無意識のうちにそういうふうに態度を
切りかえていた。その無意識であるところが、まさに日本人独特の特性そのも
のといってもよい。
イギリスの格言に、『航海のし方は、難破したことがある人に聞け』というのが
ある。私の立場でいうなら、『教育論は、教育で失敗した人に聞け』ということに
なる。実際、私にとって役にたつ話は、子育てで失敗した人の話。スイスイと受
験戦争を勝ち抜いていった子どもの話など、ほとんど役にたたない。が、一般世
間の親たちは、成功者の話だけを一方的に聞き、その話をもとに自分の子育て
を組みたてる。
たとえば子どもの受験にしても、ほとんどの親はすべったときのことなど考え
ない。すべったとき、どのように子どもの心にキズがつき、またその後遺症が残
るなどということは考えない。この日本では、そのケアのし方すら論じられてい
ない。
問題のある子どもを責めるのは簡単なこと。ついでそういう子どもをもつ親を責
めるのは、もっと簡単なこと。しかしそういう視点をもてばもつほど、あなたは自
分の姿を見失う。あるいは自分が今度は、その立場に置かされたとき、苦し
む。聖書にもこんな言葉がある。「慈悲深い人は祝福される。なぜなら彼らは慈
悲を示されるだろう」(Matthew5-9)と。この言葉を裏から読むと、「人を笑った
人は、笑った分だけ、今度は自分が笑われる」ということになる。そういう意味
でも、子育てを考えるときは、いつも弱者の視点に自分を置く。そういう視点が、
いつかあなたの子育てを救うことになる。
すなおな子ども論
従順で、おとなしく、親や先生の言うことを、ハイハイと聞く子どものことを、「す
なおな子ども」とは、言わない。すなおな子どもというときには、二つの意味があ
る。一つは情意(心)と表情が一致しているということ。うれしいときには、うれし
そうな顔をする。いやなときはいやな顔をする。たとえば先生が、プリントを一枚
渡したとする。そのとき、「またプリント! いやだな」と言う子どもがいる。一見
教えにくい子どもに見えるかもしれないが、このタイプの子どものほうが「裏」が
なく、実際には教えやすい。いやなのに、ニッコリ笑って、黙って従う子どもは、
その分、どこかで心をゆがめやすく、またその分、心がつかみにくい。つまり教
えにくい。
もう一つの意味は、「ゆがみ」がないということ。ひがむ、いじける、ひねくれ
る、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。ゆがみという
のは、その子どもであって、その子どもでない部分をいう。たとえば分離不安の
子どもがいる。親の姿が見えるときには、静かに落ちついているが、親の姿が
見えなくなったとたん、ギャーとものすごい声をはりあげて、親のあとを追いかけ
たりする。その追いかけている様子を観察すると、その子どもは子ども自身の
意思というよりは、もっと別の作用によって動かされているのがわかる。それが
ここでいう「その子どもであって、その子どもでない部分」ということになる。
すなおな子どもに育てるには、心(こころ)豊かで、心穏やかで、かつ心静かな
環境で育てることだが、それ以上に大切なことは、子ども自身の心を大切にす
ること。過干渉、過関心、威圧、暴力や暴言が日常化すると、子どもの心は、抑
圧された分だけゆがむ。そしてここが重要だが、幼児期に一度心ゆがむと、そ
の心はまずなおらない。唯一なおす方法があるとするなら、子ども自身がいつ
かそれに気づいて、子ども自身が努力するしかない。
もっとも考えてみれば、ほとんどの人は、多かれ少なかれ、そのゆがみをもっ
ている。言いかえると、ほとんどの人が毎日、そのゆがみと戦いながら生きてい
る。ただ言えることは、ゆがみがあることが悪いのではなく、そのゆがみに気づ
かないまま、そのゆがみに振り回されることだ。そしていつも同じようなパターン
で、同じような失敗を繰り返す……。もしそうならあなたも一度、あなた自身のゆ
がみを、じっくりと観察してみるとよい。
親が子育てで行きづまるとき
ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。
「思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期か
ら生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モル
モット、カメ、ザリガニを飼育してきました。庭に果樹や野菜、花もたくさん
植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、読み書きする
姿も見せてきました。リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食
卓も部屋も飾ってきました。なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭
や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マイペースなのでしょう。旅行
好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。二人
とも『自然』になんて、まるで興味なし。しつけにはきびしい我が家の子育
てに反して、マナーは悪くなるばかり。私の子育ては一体、何だったの?
私はどうしたらいいの? 最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。
子どもたちとどう接したらいいの?」(内容を改変・K県・五〇歳の女性)と。
多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだ
け。こんな相談があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小
三男児)は毎日、通信講座のプリントを三枚学習することにしていますが、二枚
までなら何とかやります。が、三枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進も
うとしません。どうしたらいいでしょうか」と。もう少し深刻な例だと、こんなのが
ある。これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は
何とか、二時間だけ授業を受けました。が、そのまま保健室へ。何とか給食の
時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」
と。
こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業
を受けて、今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるよ
うにしている。仮にこれらの子どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるよう
になれば、親は、「四枚やらせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うように
なる。こういう相談も多い。「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中
学へ」と。そしてその子どもがC中学に合格しそうだとわかってくると、今度は、
「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限がないということ。そして
そのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。
投書に話をもどす。
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッとし
た。しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。も
っとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。そのつど子どもの
意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。親の独善と独断だけが目立つ。
「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモッ
ト、カメ、ザリガニを飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩
いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不精」と。この母親のしたこと
は、何とかプリントを三枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。ある
いはどこが違うというのか。
一般論として、子育てで失敗する親には、共通のパターンがある。その中でも
最大のパターンは、@「子どもの心に耳を傾けない」。「子どものことは私が一
番よく知っている」というのを大前提に、子どもの世界を親が勝手に決めてしま
う。そして「……のハズ」というハズ論で、子どもの心を決めてしまう。「こうすれ
ば子どもは喜ぶハズ」「ああすれば子どもは親に感謝するハズ」と。そのつど子
どもの心を確かめるということをしない。ときどき子どもの側から、サインを出して
も、そのサインを無視する。あるいは「あんたはまちがっている」と、それをはね
のけてしまう。
このタイプの親は、子どもの心のみならず、ふだんから他人の意見にはほと
んど耳を傾けないから、それがわかる。私「明日の休みはどう過ごします
か?」、母「夫の仕事が休みだから、近くの緑花木センターへ、息子と娘を連れ
て行こうと思います」、私「緑花木センター……ですか?」、母「息子はああいう
子だからあまり喜ばないかもしれませんが、娘は花が好きですから……」と。あ
とでその母親の夫に話を聞くと、「私は家で昼寝をしていたかった……」と言う。
息子は、「おもしろくなかった」と言う。娘でさえ、「疲れただけ」と言う。
親には三つの役目がある。@よきガイドとしての親、Aよき保護者としての
親、そしてBよき友としての親の三つの役目である。この母親はすばらしいガイ
ドであり、保護者だったかもしれないが、Bの「よき友」としての視点がどこにも
ない。とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。
この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間に
は、大きなギャップを感ずる。はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居
心地のよい「我が家」であったのかどうか。あるいは子どもたちはそういう「我が
家」を望んでいたのかどうか。結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。
が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自
分のエゴに気づいていないということ。いまだに「私は正しいことをした」という
幻想にしがみついている! 「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉
が、それを表している。
アルツハイマーの初期症状
アルツハイマー病の初期症状は、異常な「物忘れ」。しかしその初期症状のさ
らに初期症状というのがあるそうだ。@がんこになる、A自己中心的になる、B
繊細な感覚がなくなるなど。こうした症状は、早い人で四〇歳くらいから表わ
れ、しかも全体の五%くらいの人にその傾向がみられるという(※)。五%とい
えば、二〇人に一人。学校でいうなら、中学生をもつ親で、一クラスにつき、三人
はその傾向のある親がいるということになる(生徒数三〇人、父母の数六〇人
として計算)。
問題はこういう親にからまれると、かなり経験のある教師でも、かなりダメージ
を受けるということ。精神そのものが侵される教師もいる。このタイプの親は、さ
さいなことを一方的に問題にして、とことん教師を追及してくる。私にもこんな経
験がある。ある日一人の母親から電話がかかってきた。そしていきなり、「日本
の朝鮮併合をどう思うか」と質問してきた。私は学生時代韓国にユネスコの交
換学生として派遣されたことがある。そういう経験もふまえて、「あれはまちがっ
ていた」と言うと、「あんたはそれでも日本人か」と。「韓国は日本が鉄道や道路
を作ってあげたおかげで、発展したのではないか。あんたはあちこちで講演をし
ているということだが、教育者としてふさわしくない」と。繊細な感覚がなくなる
と、人はそういうことをズケズケと言うようになる。
もっとも三〇年も親たちを相手にしていると、本能的にこうした親をかぎ分ける
ことができる。「さわらぬ神にたたりなし」というわけではないが、このタイプの親
は相手にしないほうがよい。私のばあい、適当にあしらうようにしているが、そう
した態度がますます相手を怒らせる。それはわかるが、へたをすると、ドロドロ
の泥沼に引きずり込まれてしまう。先の母親のケースでも、それから一年近く、
ああでもないこうでもないという議論が続いた。
アルツハイマー病の患者をかかえる家族は、それだけもたいへんだ。(本人
は、結構ハッピーなのかもしれないが……。)しかしもっと深刻な問題は、まわ
りの人が、その患者の不用意な言葉でとことんキズつくということ。相手がアル
ツハイマー病とわかっていれば、それなりに対処もできるが、初期症状のその
また初期症状では、それもわからない。私の知人は、会社の社長に、立ち話
で、リストラされたという。「君、来月から、もう、この会社に来なくていい」と。そ
の知人は私に会うまで、毎晩一睡もできないほどくやしがっていたが、私が「そ
の社長はアルツハイマーかもしれないな」と話すと、「そういえば……」と自分で
納得した。知人にはほかにも、いろいろ思い当たる症状があったらしい。
さてもちろんこれだけではないが、今、精神を病む教師は少なくない。東京都
教育委員会の調べによると、教職員の全休職者のうち、約五二%が精神系疾
患によるものとし、九七年度には一六一九人がそのため休職している。もちろ
んこれは氷山の一角で、精神科へ通院している教員はその一〇倍。さらにそ
の前段階で苦しんでいる教員はそのまた一〇倍はいる。まさに現在は、教師
受難の時代とも言える。
ああ、先生もたいへんだ!
神や仏も教育者だと思うとき
●仏壇でサンタクロースに……?
小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドー
ザーのおもちゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロー
スに頼め」と。そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。仏壇の前で、サン
タクロースに祈るというのもおかしな話だが、私にはそれしか思いつかなかっ
た。
かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年
始の初詣は欠かしたことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それ
が一転するできごとがあった。ある英語塾で講師をしていたときのこと。高校生
の前で「サダコ(禎子)」(『原爆の子の像』のモデルとなった少女)という本を、
読んで訳していたときのことだ。私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその
本を読むこともできなかった。そのとき以来、私は神や仏に願い事をするのをや
めた。「私より何万倍も、神や仏の力を必要としている人がいる。私より何万倍
も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、何かの願い事をしようと思って
も、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。
●身勝手な祈り
「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや
私のような人間に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。「クジ
が当たりますように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。そのように祈る人
は多いが、しかしそんなことにいちいち手を貸す神や仏など、いるはずがない。
いたとしたらインチキだ。一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流
行している。携帯電話の運勢占いのコーナーには、一日一〇〇万件近いアク
セスがあるという(テレビ報道)。
どうせインチキな人が、でまかせで作っているコーナーなのだろう。が、それに
しても一日一〇〇万件とは! あの『ドラえもん』の中には、どこでも電話という
のが登場する。今からたった二五年前には、「ありえない電話」だったのが、今
では幼児だってもっている。奇跡といえば、よっぽどこちらのほうが奇跡だ。そ
の奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……? 人間の知性という
のは、文明が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれたが、こん
な子ども(小五男児)がいた。窓の外をじっと見つめていたので、「何をしている
のだ」と聞くと、こう言った。「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、
あのビルを吹っ飛ばすことができる」と。
●難解な仏教論も教育者の目で見ると
難解な仏教論も、教育にあてはめて考えると、突然わかりやすくなることがあ
る。たとえば親鸞の『回向(えこう)論』。「(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪
人をや」という、あの有名な言葉である。これを仏教的に解釈すれば、「念仏を
唱えるにしても、信心をするにしても、それは仏の命令によってしているに過ぎ
ない。だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚偽に包まれてはいて
も、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける…………」(石田瑞麿氏)
と続く。
こうした解釈を読んでいると、何が何だかさっぱりわからなくなる。言葉の煙に
包まれたかのような気分にすらなる。要するに親鸞が言わんとしていることは、
「善人が浄土へ行けるのは当たり前ではないか。悪人が念仏を唱えるから、そ
こに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ行ける」と。しかしそれで
もまだよくわからない。そこでこう考えたらどうだろうか。「頭のよい子どもがいい
有名大学へ入るのは当たり前のことだ。頭のよくない子どもが、有名大学へ入
るところに意味がある。またそこに人間が人間として生きるドラマ(価値)があ
る」と。もう少し別のたとえで言えば、こうなる。「問題のない子どもを教育するの
は、簡単なことだ。そういうのは教育とは言わない。しかし問題のある子どもを
教育するから、そこに教育の意味がある。またそれを教育という」と。私にはこ
んな経験がある。
●バカげた地獄論
ずいぶんと昔だが、私はある宗教団体を批判する原稿を、ある雑誌に書い
た。その教団の機関誌に、こんなことが書いてあったからだ。いわく、「この宗
教を否定する者は、無間地獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障害
者が多いのは、そのためだ」(N宗機関誌)と。こんな文章を、身体に障害のあ
る人が読んだら、どう思うだろうか。あるいは その団体には、身体に障害
がある人がいないとでもいうのだろうか。
が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口をいいふ
らし始めた。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考え方(?)
は、明らかにまちがっている。他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄
へ落ちないように祈ってやるのが、愛ではないのか。慈悲ではないのか。私だ
っていつも、批判されている。子どもたちにさえ、批判されている。中には「バカ
ヤロー」と悪態をついて、教室を出ていく子どももいる。しかしそういうときでも、
私は、「この子は苦労するだろうな」とは思っても、「苦労すればいい」とは思わ
ない。神や仏ではない私だって、それくらいのことは思う。いわんや神や仏を
や。
批判されたくらいで、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようななら、それ
はもう神や仏ではない。悪魔だ。だいたいにおいて、地獄とは何か? 悪いこと
をして、失敗し、問題のある子どもをもつことが地獄なのか。しかしそれは地獄
でも何でもない。教育者の目を通して見ると、そんなこともわかる。
●キリストも釈迦も教育者?
私はときどきこう思う。キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなかっ
たか、と。ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだり
すると、意外とよく理解できる。さらに自分が神や仏の気持ちが理解できること
がある。たとえば「先生、先生……」と、すり寄ってくる子どもがいる。しかしそう
いうとき私は、「自分でしなさい」と突き放す。「○○大学へ入学させてください」
と言ってきたときもそうだ。いちいち子どもの願いごとをかなえてやっていたら、
その子どもはドラ息子になるだけ。自分で努力することをやめてしまうだけ。そう
なればなったで、かえってその子どものためにならない。人間全体についても同
じ。スーパーパワーで、病気を治したり、国を治めたら、人間は自ら努力するこ
とを、やめてしまう。医学も政治学もそこでストップしてしまう。それはまずい。し
かしそう考えるのは、まさに神や仏の心境と言ってもよい。
そうそうあのクリスマス。朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザ
ーではなく、赤い自動車だった。子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思
ったのを、私は今でもはっきりと覚えている。
かわいた冬の風
●心を破壊する受験勉強●温もりの消えた日本
昔、バリバリの猛烈社員がいた。ある企画会社の男だったが、彼は次々とヒ
ット作を世に送り出していた。その彼と半年あまり一緒に仕事をしたが、おかし
なことに気づいた。彼の頭の中にあるのは、営業成績だけ。数字だけ。友人の
姿はおろか、家族の姿すらなかった。「仕事が生きがい」と言えば、聞こえはよ
いが、その実、仕事の奴隷。私はその男を見ながら、どうしてこういう人間が生
まれるのか、それに興味をもった。しかしその原因はすぐわかった。
受験期を迎えると、子どもの心は大きく変化する。選別されるという恐怖と将
来への不安の中で、子どもの心は大きく動揺する。本来なら家庭がそういう心を
いやす場所でなければならないが、その家庭でも、親は「勉強しろ」と、子どもを
追いたてる。行き場をなくした子どもはやがて、人とのつながりを自ら切る。切り
ながら、独特の価値観を身につける。
話はそれるが、こんな役人がいた。H市役所でもトップクラスの役人だった。あ
る日、私にこう言った。「林君、H市は工員の町なんだよ。その工員に金をもた
せると、働かなくなるんだよ。だから遊ぶ施設をたくさん作って、その金を吐き出
させなければならないんだよ」と。この話で思い出したが、こんなことを言った通
産省の役人もいた。「高齢者のもつ貯金を、財政再建に利用できないものか」
(テレビ)と。
受験勉強の弊害を説く人はほとんどいない。戦後、教師も親も、そして子ども
たちも、それが「善」であると信じて、受験勉強をとらえてきた。しかしそれによっ
て犠牲になったものも多い。その一つが、「心」ということになる。もちろん「勉
強」が悪いのではない。受験にまつわる「競争」が悪い。青春期の一番大切な
時期に、この競争で子どもを追いまくると、子どもから温かい人間的な心が消え
る。「他人を蹴落としてでも…」という人生観が支配的になり、ものの考え方が、
ドライになる。冷たくなる。親子という人間関係すらも、数字でみるようになる。
今、日本の若者のほとんど(六六%)は、「生活力に応じて、(老後の)親のめん
どうをみる」(総理府調査)と答えている。
子どもが有名大学へ入ったりすると、親は、「おかげさまで」と喜んでみせる。
しかしその背後で吹きすさぶのは、かわいた冬の風。その風が、今、日本中を
おおっている。そのかわいた風を、ひょっとしたら、あなたもどこかで感じている
はずだ。
日本人のエゴイズム
駅の片隅で、数人の高校生たちが隠そうとするふうでもなく、タバコを吸ってい
る。そういう光景を見ても、多くの日本人は見て見ぬフリ。進んで高校生を注意
する人はいない。が、それこそまさに日本の文化。日本の文化そのものであ
る。
日本人は庭をつくるとき、まずその周囲を塀で囲む。囲んで、その中に庭をつ
くる。家の中に「美」を引き込むためである。一方、欧米人は、塀そのものをつく
らない。そして庭をつくるとしても、通りから見た「美」を追求する。何でもないよ
うな違いだが、この違いは大きい。そのため日本人は、塀の外の世界にはほと
んど関心を払わない。「自分のまわりさえよければ」というエゴイズムが何かに
つけ優先する。一方、欧米では、自分の庭であっても、芝生の草を伸び放題に
しておいたりすると、近所から苦情が出る。アメリカでもオーストラリアでも、罰
金を課すところさえある。わかりやすく言えば、全体の「美」を大切にする。子ど
もについても同じで、日本に住んでいるガーナ人の男性は次のように書いてい
る。
「駅などの公共の目が光っているところで、中高校生が喫煙しているのを見か
けますが、(日本では)だれも注意しません。ガーナではこのようなとき、だれも
強く叱りますが、日本ではそういうことはありませんので、すべての責任は親が
負わされます」(「ファミリス・〇一年九月号」と。
話は大きくそれるが、千葉県に成田空港という、これまたヘンピな、しかも不
便なところに空港がある。国際空港をもう一度、羽田空港に戻そうという動きも
あるそうだが、千葉県は、それに猛烈に反発している。いわく「今まで土地買収
など、苦労してきた我々の努力はどうなるのか」(千葉県県職員幹部)と。しかし
この論法はおかしい。
だいたいにおいて、あんなところに空港を建設したこと自体、おかしい。また
国際空港などというものは、国家的利益の観点から考えるべきはないのか。二
〇年前のように日本に国力があり、その国力でアジア経済の総帥(そうすい)
の立場にあったときならまだしも、その経済に陰りが見えてきた今は、そんなこ
とを言っている場合ではない。あの不便さが、日本の経済にボデーブローのよう
にききはじめている。日本のスキをねらって、シンガポールや韓国は、巨大な空
港を建設した。「成田空港ではハブ(移動の拠点)空港にはなりえない」という弱
点を、彼らは見透かしている。つまり千葉県が地域エゴをむきだしにすればする
ほど、日本全体の地盤が沈下する。
話をもとにもどす。庭の話と、空港の話は、どこかでつながっている。そしてそ
の延長線上に、冒頭の話がある。よく「他人の子どもでも、悪いことをしていたら
注意すべきだ」と言う人がいる。しかしことはそう簡単ではない。他人の子どもを
注意するには、自分自身の中にある、「日本の文化」というカベを乗り越えなけ
ればならない。封建時代の昔から、えんえんと作りあげたカベだ。大半の人は、
ひょっとしたら、本音を言えば、「他人の子どもなど、どうでもいい。うちの子さえ
よければ」と考えている。それはちょうど、塀をつくってその中に庭をつくる発想
と似ている。同じと言ってもよい。「おらが県さえよければ、それでいい」という発
想そのもの。
しかしそう考えること自体、きわめてそれは島国的。日本的である。そうでな
いというなら、あなたは駅の片隅でタバコを吸っている高校生を、注意すること
ができるだろうか。いや、できないならできないでよい。しかしそのときでも、「ど
うしてできないか」を、ほんの少しだけ自問してみてほしい。
何でもない光景だが、駅の中でタバコを吸っている高校生を見かけたとき、私
はそう考えた。(2001・10・22記)
運命と生きる希望
●希望をなくしたら死ぬ?●平凡は美徳だが…
不幸は、やってくるときには、次々と、それこそ怒涛のようにやってくる。容赦
ない。まるで運命がその人をのろっているかのようにさえ見える。Y氏(四五歳)
がそうだ。会社をリストラされ、そのわすかの資金で開いた事業も、数か月で失
敗。半年間ほど自分の持ち家でがんばったが、やがて裁判所から差し押さえ。
そうこうしていたら、今度は妻が重い病気に。検査に行ったら、即入院を命じら
れた。家には二四歳になる自閉症の息子がいる。長女(二一歳)は高校を卒業
すると同時に、暴走族風の男と同棲生活。ときどき帰ってきては、遊興費を無
心する…。
二〇〇〇年、日本での自殺者が三万人を超えた。何を隠そう、この私だって、
その予備軍の一人。最後のがけっぷちでかろうじて、ふんばっている。いや、自
殺する人の気持ちが、痛いほどよくわかる。昔、学生時代、友人とこんな会話を
したことがある。金沢の野田山にある墓地を一緒に歩いていたときのこと。私
がふと、「希望をなくしたら人はどうする。死ぬのか?」と語りかけた。するとそ
の友人はこう言った。「林君、死ぬことだって希望だよ。死ねば楽になれると思
うことは、立派な希望だよ」と。
Y氏はこう言う。「どこがまちがっていたのでしょうね」と。しかしその実、Y氏は
何もまちがっていない。Y氏はY氏なりに、懸命に生きてきた。ただ人生というの
は、社会という大きな歯車の中で動く。その歯車が狂うことだってある。そして
そのしわ寄せが、Y氏のような人に集中することもある。運命というものがある
のかどうか、私にはわからない。わからないが、しかし最後のところでふんばる
かどうかということは、その人の意思による。決して運命ではない。
私は「自殺するのも希望だ」と言った友人の言葉を、それからずっと考えてき
た。が、今言えることは、「彼はまちがっていた」ということ。生きているという事
実そのものが、希望なのだ。私のことだが、不運が重なるたびに、その先に新
しい人生があることを知る。平凡は美徳であり、何ごともなく過ぎていくのは、そ
れなりにすばらしいことだ。しかしそういう人生から学ぶものは、何もない。
私はどうにもならない問題をかかえるたびに、こう叫ぶ。「さあ、運命よ、来たけ
れば来い。お前なんかにつぶされてたまるか!」と。生きている以上、カラ元気
でも何でも、前に進むしかない。
家族主義と幸福論
●幸福の原点は家庭にある●オズの魔法使い
ボームが書いた物語に「オズの魔法使い」がある。カンザスの田舎に住む、ドロ
シーという女の子と、犬のトトが虹のかなたにある幸せを求めて、冒険するとい
う物語である。こんなことがあった。
オーストラリアにいたころ、仲間に「君たちはこの国(カントリー)が、インドネシ
ア軍に襲われたらどうするか」と聞いたときのこと。皆はこう答えた。「逃げる」
と。「おやじの故郷のスコットランドへ帰る」と言ったのもいた。何という愛国心!
私があきれていると、一人の学生がこう言った。「ヒロシ、オーストラリア人が
手をつないで一列に並んでもすきまができるんだよ。どうしてこの国を守れる
か」と。
英語でカントリーというときは、「国」というよりは、「土地」を意味する。そこで
質問を変えて、「では、君たちの家族がインドネシア軍に襲われたらどうするか」
と聞くと、皆血相を変えてこう言った。「そのときは、命がけで戦う」と。これだけ
ではないが、私はいつしか欧米人の考え方の基本に、「家族」があることを知っ
た。愛国心もそこから生まれる。
たとえばメル・ギブソンの映画に『パトリオット』というのがあった。日本語に訳
する「愛国者」ということになるが、もともとパトリオットという語は、ラテン語のパ
トリス、つまり「父なる大地」という語に由来する。つまり欧米で、「ペイトリアチズ
ム(愛国心)」というときは、「父なる土地を愛する」あるいは、「同胞を愛する」を
意味する。その映画の中でも、国というよりは家族のために戦う一人の父親
が、テーマになっていた。
家族主義というと、よく小市民的な生き方を想像する人がいる。しかしそれは
誤解。冒頭にあげたオズの魔法使いの中でも、人間が求めている幸福は、そ
んな遠くにあるのではない。あなたのすぐそばで、あなたに見つけてもらうの
を、息を潜めて待っている…。ドロシーは長い冒険の末、それを教えられる。
明治の昔から、日本人は「出世」という言葉をもてはやした。結果として、仕事
第一主義が生まれ、その陰で家族が犠牲になるのは当然と考えられていた。
発展途上の国としてやむをえなかったのかもしれないが、しかし今、多くの人が
そうした生き方に疑問をもち始めている。九九年の終わりに中日新聞社がした
調査でも、四五%の日本人が「もっとも大切にすべきもの」として「家族」をあげ
た。日本人は今、確実に変わりつつある。
三男からのハガキ
●一四年ぶりの屈辱●後悔は心のトゲ
富士山頂からハガキが届いた。見ると三男からのものだった。登頂した日付
と時刻に続いて、こう書いてあった。「一四年ぶりに屈辱を晴らしました。今、ど
うしてあのとき泣き続けたか、その理由がわかりました」と。
一四年前、私たち家族は富士登山を試みた。私たち夫婦と、一二歳の長男、九
歳の二男、それに六歳の三男だった。が、八合目まで来て、そこから見あげる
と、山頂が絶壁の向こうに見えた。私は多分そのとき三男にこう言ったと思う。
「お前には無理だから、ここに残っていなさい」と。女房も同じ意見だった。で、
私は女房と三男を山小屋に残して、頂上をめざした。つまりその間中、三男は
山小屋で泣き続けていたという。
三男はそのあと、高校時代には山岳部に入り、部長を務め、全国大会にまで
出場している。今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単な
ことだろう。その日も、大学の教授たちとグループを作って登山しているというこ
とだった。女房が朝、新聞を見ながら、「きっとE君はご来光をおがめたわ」と喜
んでいた。が、私はその三男のハガキを見て、胸がしめつけられた。
あのとき私は、三男の気持ちを確かめなかったのかもしれない。私たちが登
山していく姿を見ながら、それが悔しかったのだろう。そう、振り返ったとき、三
男が女房のズボンに顔をうずめて泣いていたのは思えている。しかしそのまま
泣き続けていたとは!
「後悔」という言葉がある。それは心に刺さったトゲのようなものだ。しかしそ
のトゲにも、刺さっていることに気づかないままのトゲもある。私は三男がこの
一四年間、そんな気持ちでいたことを知る由もなかった。何という不覚! 私は
どうして三男に心にもっと耳を傾けてやらなかったのか。何でもないようなトゲだ
が、子育ても終わってみると、そんなトゲに心が痛む。私はやはりあのとき、時
間はかかっても、そして背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだった。重っ苦
しい気持ちで女房にそれを伝えると、女房はこう言って笑った。
「だって、あれは、E君が足が痛いと泣いたからでしょ」と。「Eが、痛いと言っ
たのか?」「そう、E君が痛いから歩けないと言ったのよ。それで私も残ったの
よ」と。とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じた。軽い風だった。さ
っそくそのあと三男にメールを出した。「登頂、おめでとう」と。
学校恐怖症の子ども
●前兆期を見逃すな●無理をしないのが鉄則
同じ不登校といっても、症状や様子はさまざま。私の息子はひどい花粉症で、
睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。が、その中でも恐怖
症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」(AMジョンソン)、行為障害に近い
不登校を「怠学」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、
次の三つの段階に分けて考えられている(長崎大・中根允文)。心気的時期、
登校時パニック時期、自閉的時期。それをもう少しわかりやすくしたのが、次で
ある。
@前兆期…登校時刻の前になると、腹痛、頭痛、脚痛、倦怠感、吐き気、気分
の悪さを訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学
校へ行く」などと、明るい声で答えたりする(症状の日内変動)。理由を聞くと、
「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君が
いじめる」と言い出したりする。理由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動す
るのが特徴。
Aパニック期…攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりす
ると、狂人のようになって暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日
は休みなさい」などと言ったりすると、一転、症状が消滅する。ある母親は、こう
言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。
B自閉期…自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりするが、心の中はい
つも緊張状態にあり、ささいなことで激怒したり、暴れたりする(感情障害)。こ
の段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感を
もつ)の症状を示すこともある。こうした状態が、数ヶ月から数年続く。
C回復期…断続的に外の世界と接触をもつようになり、登校できるようになる。
週一回が二回、あるいは月に一週が二週となり、序々に登校期間が長くなる。
要はいかに@の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。
たいていの親は一通り病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をす
る。この無理が症状を悪化させ、Aのパニック期を招く。この段階でも、もし親が
無理をせず、「そうね、だれだって学校へ行きたくないときもあるわよ」と言え
ば、その後の症状は軽くすむ。一般に子どもの心の問題は、今の状態をより悪
くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほど、逆効果となる。
(詳しくは、「子どもの指導法」→「子育て論文」で。)
日本の文化、恥の文化
●世間体を気にする人●私は私という人生観
夫が入院したとき、「恥ずかしいから」という理由(?)で、その夫(五七歳)を
病院から連れ出してしまった妻(五一歳)がいた。あるいは死ぬまで、「店をた
たむのは恥ずかしい」と言って、小さな雑貨店に居座り続けた女性(八五歳)も
いた。人は「恥」を気にすると、常識はずれの行動をする。S氏(八一歳)もそう
だ。隣の家に「助けてくれ」と電話をかけてきた。そこで隣人が行ってみると、S
氏は受話器をもったまま倒れていた。隣人が「救急車を呼びましょうか」と声を
かけると、S氏はこう言ったという。「近所に恥ずかしいから、救急車を呼ばない
でくれ」と。
恥にも二種類ある。世間体を気にする恥。それに自分に対する恥である。日
本人は、世間体を気にする反面、自分への恥には甘い。それはそれとして、そ
の世間体を気にする人には、独特の価値観がある。相対的価値観というべきも
ので、自分の幸不幸を、他人との比較の中で判断する。他人より幸福であれ
ば、幸福(?)、他人より不幸であれば、不幸(?)と。それだけではない。こうい
う尺度をもつ人は、自分より幸福な人をねたみ、自分より不幸な人をさげすむ。
が、そのさげすんだ分だけ、結局は自分で自分のクビをしめる。先の雑貨点を
営んでいた女性は、それまで近所で店をたたんだ仲間を、さんざん悪く言ってき
た。「バチがあたったからだ」「あわれなもんだ」とか。また救急車を拒否したS
氏も、自分より先に死んでいった人たちを、「人間は死んだらおしまいよ」と笑っ
ていた。
こうした価値観は、そのまま子育てに反映される。世の中には親をだます子ど
もがいるが、子どもをだます親もいる。Yさん(七五歳女性)は、言葉巧みに息子
(四五歳)から土地の権利書を取りあげると、それをそのまま転売してしまった。
が、Yさんには罪の意識はない。息子がそれを責めると、「先祖のために息子
がお金を出すのは当然」とそれをはねのけた。もちろんそれで親子の縁は切れ
た。息子はこう言う。「母にとっては、私よりも、家のメンツのほうが大切なので
す」と。ふつうに考えれば、Yさんのした行動は、おかしい。おかしいが、恥を重
んずる人には、それがわからない。が、これだけは言える。恥だの世間体だの
言っている人は、他人の目の中で自分の人生を生きるようなもの。せっかくの人
生をムダにする。が、それほど見苦しい人生もない。
親子の断絶診断テスト@
●最初は小さな亀裂●一〇点以上なら要注意
最初は小さな亀裂。それがやがて断絶となる…。今、親を尊敬できないという
中高校生は、五〇%もいる。親のようになりたくないという中高校生は八〇%弱
もいる。そこであなたの子育てを診断。子どもは無意識のうちにも、心の中の状
態を、行動で示す。それを手がかりに、子どもの心の中を知るのが、このテス
ト。
@あなたは子どものことについて…。
★子どもの仲のよい友だちの名前(氏名)を、四人以上知っている(0点)。
★三人くらいまでなら知っている(1点)。
★一、二人くらいなら何となく知っている(2点)。
★ほとんど知らない(3点)。
A学校から帰ってきたとき、あなたの子どもはどこで体を休めるか。
★親の姿の見えるところで、親を気にしないで体を休める(0)。
★あまり親を気にしないで休めているようだ(1)。
★親のいるところをいやがるようだ(2)。
★親のいないところを求める。親の姿が見えると、その場を逃げる(3)。
B「最近、学校で、何か変わったことがある?」と聞いてみる。そのときあなた
の子どもは……。
★学校で起きた事件や、その内容を詳しく話してくれる(0)。
★少しは話すが、めんどうくさそうな表情をしたり、うるさがる(1)。
★いやがらないが、ほとんど話してくれない(2)。
★即座に、回答を拒否し、無視したり、「うるさい!」と怒る(3)。
C何か荷物運びのような仕事を、あなたの子どもに頼んでみる。そのときあな
たの心は…。
★いつも気楽にやってくれるので、平気で頼むことができる(0)。
★心のどこかに、やってくれるかなという不安がある(1)。
★親のほうが遠慮し、恐る恐る…といった感じになる(2)。
★拒否されるのがわかっているから、とても言えない(3)。
D休みの旅行の計画を話してみる。「家族でどこかへ行こうか」というような話で
よい。そのときあなたの子どもは…。
★ふつうの会話の一つとして、楽しそうに話に乗ってくる(0)。
★しぶしぶ話にのってくるといった雰囲気(1)。
★「行きたくない」と、たいてい拒否される(2)。
★家族旅行など、問題外といった雰囲気だ(3)。
(結果)点数が15〜12点…目下、断絶状態。
11〜9点…危険な状態。
8〜6点…平均的。なお平均点はX点(ZZ中学)。
5〜0点…良好な関係。
親子の断絶診断テストA
●自立と断絶は別●子どものうしろを歩く
★ある程度の「断絶」は、この時期、問題はない。子どもは小学三〜四年生を
境として、少しずつ親離れを始める。そして「親から独立したい」という意欲は、
思春期にピークに達する。
★断絶が断絶になるのは、@互いの意思の疎通がなくなること。A互いの会話
が消える。そのためB家族が家族としての機能を果たさなくなるときをいう。ここ
でいう「機能」というのは、「家族は守りあい、助けあい、理解しあい、教えあう」
という機能のことをいう。
★原因は、@親側の権威主義的な子育て観。「私は親だ」「子どもは親に従う
べきだ」という親意識が強い人ほど要注意。子どもは親の前では仮面をかぶ
る。仮面をかぶった分だけ、子どもの心は親から離れる。
A相互不信。「うちの子はすばらしい」という思いが、子どもを伸ばす。親子の心
は、鏡のようなもの。親が「うちの子はダメな子」と思っていると、長い時間をか
けて、子どもの心は親から離れる。
そしてB子育てのリズムの乱れ。子育てのリズムは、子どもが乳幼児のときか
ら始まる。あなたが子どもと歩いていたときのことを思い出してみてほしい。そ
のときあなたは子どもの横かうしろを歩いていただろうか。もしそうならなら、そ
れでよし。しかしあなたが子どもの手をぐいぐいと引きながら、前を歩いていたと
したら、そのときから、親子のリズムは狂っていたことになる。「子どものことは
私が一番よく知っている」という過信があぶない。このタイプの親はおけいこ塾
でも何でも、親が一方的に決める。やめるときもそうだ。
★親子の断絶が始まったら、@修復しようとは考えないこと。今の現状をそれ
以上悪くしないことだけを考えて、一年単位で様子をみる。親があせって何かを
すればするほど、逆効果で、子どもの心はあなたから離れる。Aあなたが権威
主義的であるなら、そういうまちがった子育て観は捨てる。人間に上下はない。
親子の間にもない。アメリカでは、親子でも「お前は、パパに何をしてほしい?」
「パパは、ぼくに何をしてほしい?」と聞きあっている。こういう謙虚さが、子ども
の心に穴をあける。そして子どもに向かっては「あなたはいい子」を口グセにす
る。最初はウソでも構わない。そういう口グセが、子どもの心を開く。そして最後
に、今日からでも遅くないから、子どもと歩くときは、子どものうしろを歩く。子ど
ものリズムにあわせる。
親のうしろ姿2001-7-11
生活のために親が苦労している姿。子どもを育てるために親が苦労している
という姿。これを日本では、「親のうしろ姿」という。そしてそのうしろ姿を子ども
に見せることを美徳のように考えている人がいる。あるいは「子どもは親のうし
ろ姿を見て育つ」などと言う人もいる。しかし親のうしろ姿などというものは、子ど
もに見せるものではない。見せるつもりはなくても、子どもは見てしまうかもしれ
ないが、それでも見せるものではない。親は親で、子どもの前では、どこまでも
自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。そういう姿が、子どもに
生きる活力を与え、子どもを伸ばす。
昔『一杯のかけそば』という話があった。貧しい親子が、一杯のかけそばを分
けあって食べるという、あの話である。あの話に日本中が泣いたが、あの話は
基本的な部分でおかしい。私がその場にいた親なら、多分子どもにはこう言う
だろう。「パパは、おなかがすいていない。お前たちだけで食べなさい」と。が、
あの話の中では、親も分けあって食べている。こういのを、親の恩の押し売りと
いう。このタイプの親に限って、「生んでやった」だの「育ててやった」だのと言い
出す。子どもは子どもで、「生んでもらった」だの「育ててもらった」だのと言い出
す。こうして親は子どもに甘え、子どもは親に甘える。そこにいるのは、綿々と
子離れできない親、親離れできない子どもということになる。
親は確かに子どもを生むが、しかし子どもに頼まれたから生むのではない。そ
んなことはありえない。つまり親は自分の勝手で子どもを生む。そして生んだ以
上は、育てるのは親の義務ではないか。責任ではないか。
子どもは親から生まれるが、決して親の「モノ」ではない。一人の独立した人
間だ。親は子どもに向かって、「あなたの人生はあなたのもの。たった一度しか
ない人生だから、思う存分、自分の人生を生きなさい。親孝行? …そんなこと
考えなくてもいい。家の心配? …そんなこと考えなくてもいい」と、一度は肩を
たたいてあげる。それでこそ親は自分の義務を果したことになる。もちろんその
あと子どもが自分で考えて、親のめんどうをみるとか、家のめんどうをみるという
のであれば、それは子どもの問題。子どもの勝手。子どもに親孝行を期待した
り、要求するのは、親のすべきことではない。要するに親のうしろ姿は見せない
ことだ。
このところ心配なこと
●日々の積み重ねが人格に●ボロを出すのが怖い
子育てが終わると、どっとやってくるのが、老後。女房はこのところ、あちこち
のホームの案内書を取り寄せては、「この土地と家を売れば何とかなるわ」と、
そんなことばかり言っている。が、私が心配しているのは、そのことではない。
五〇歳を過ぎると、それまでごまかしてきた持病が、表に出てくる。同時に気
力も弱くなり、自分をごまかすことができなくなる。実際、六〇歳を過ぎて、急に
ボロを出すようになった人はいくらでもいる。私の伯母もそうだ。世間では「仏
様」と呼ばれているが、このところそれを疑うような事件を、ひんぱんに起こして
いる。近所から植木バチを盗んできたり、無断駐車の車に、ドロ水をかけたりし
ている。いや、私は子どものころから伯母を知っているが、もともと伯母はそうい
う人だった。ただ年齢とともに、自分をごまかすことができなくなった。自分の
「地」を、そのままさらけ出している。
日々の積み重ねが、月となり、その月が積み重なって、歳となり、そしてやが
てその人の人格を形成する。言いかえると、日々のささいな行為が、その人の
人格を作る。ウソをつかないとか、ゴミを捨てないとか、そういうことだ。人が見
ているとか、見ていないとかいうことは関係、ない。よく誤解されるが、人の言う
ことをきちんとやりこなす人のことを、まじめな人というのではない。まじめな人
というのは、自分の心の中で決めたことを、誠実に守ることができる人のことを
いう。そのまじめさが、結局は、その人の人格となる。
さて私のこと。私は生まれが生まれだから、結構小ズルイ人間だった。戦後
の混乱期ということもあった。その場で適当に自分をごまかし、相手を動かすと
いうことを、割と日常的にしていた。ダマすというほど大げさなものではないが、
ウソも平気でついていた。友を裏切ったことも、何度かある。そういう自分を私
は知っているから、そういう自分が外へ出てきたらどうしようかと、そんなことを
よく考える。今はまだ気力もあって、そういう自分を内の世界に閉じ込めておくこ
とができる。が、これからはそうではない。あの伯母のように、ボロを出すように
なる。シッポを出すようになる。私はそういう「恐ろしさ」に気づくことが遅すぎた。
もっと若いころに、それに気づくべきだった。そんな思いが、このところ日増しに
強くなっている。
家族は自然体で…
●家庭はいこいの場●信頼することが大切
家族は、気楽に行こうよ。鼻クソをほじりたかったら、ほじればいい。おならを
したかったら、すればいい。あいさつにしても、したければすればいい。したくな
かったら、しなくてもいい。家族はいこいの場。みんなが信頼しあい、守りあい、
助けあえば、それでいい。気をつかわないから、家族って、言うんだよね。
そりゃあ、食事だって、みんなが一緒にできれば、それにこしたことはない。し
かしね、みんな生活時間が違うだろ。公務員の人はともかくも、民間で働いてい
る人は、みんな働く時間帯が違うよ。ぼくなんか、毎晩午前二時、三時まで仕事
しているよ。だから朝ご飯だって、一緒に食べたことがない。女房は女房で、毎
晩のようにいろんな会合があるし…。無理なんだよ。一緒に食事をするというこ
とが…。
要するに家族は「形」ではない。「中身」なんだ。そして大切なことは、それぞ
れが相手の生活を認め、それを理解し、受け入れることなんだ。ただね、子ども
が幼いうちは、できるだけ家族はみんな、行動をともにしたほうがいいよ。子ど
もはそういう行動を通して、「家族」というものを学ぶからね。それにね、子どもと
いうのはね、絶対的な安心感のある家庭で、心をはぐくむよ。「絶対的」というの
は、疑いをいだかないという意味さ。たとえば夫婦げんかにしても、それがある
一定のワクの中でなされているなら、問題はないよ。しかしね、いくらうわべをと
りつくろっていても、夫婦の間が冷えきっていたりすると、その影響は子どもに
出てくるよ。よく「離婚は子どもに影響を与えますか?」と聞く人がいるけど、離
婚そのものよりも、その離婚に至る騒動が、子どもの心に深刻な影響を与える
よ。だから離婚するにしても、騒動は最小限に、ね。
そうそうあと片づけにしてもね、もううるさく言わないこと。ただね、あと片づけ
とあと始末は違うからね。あと始末はきちんと子どもにさせようね。たとえば食
後、食器は、シンクへ集めるとか。冷蔵庫から出したものは、元に戻させるとか
…。日本人はこのあと始末が、苦手な国民だよ。子どものときから、そういうこと
は教えられていないからね。
子どもはね、親が必死になって家族を守ろうとしている姿を見ながら、家族の
大切さを理解するよ。そういう姿は見せておこうね。…で、あなたも今日からこう
言ってみてはどうかな。「家族を大切にしようね」と。
子育ての「カラ」を破る
●子どもの中に、その子ども(孫)を見る
子どもに子ども(あなたから見れば孫)の育て方を教えるのが子育て。それは
前にも書いたが、これにはもう一つの意味が含まれる。あなたは子どもの中に
孫、さらにその孫の中にそのまた孫を見ることによって、あなたを包む、「カラ」
を破ることができる。こういうことだ。
今あなたは子育てをしながら、ひょっとしたら、「うちの子さえよければ」と考え
ているかもしれない。「世間はともかくも、とりあえずうちの子のことだけでも、う
まくいけばそれでいい」と。しかしもしあなたが子どもの中に孫、さらにその孫の
中にそのまた孫を見ることができるようになると、この考えはまちがっていること
を思い知らされる。単純な計算でも、夫婦(二人)が、それぞれ二人ずつの子ど
もを産んだとすると、二七代目には、その数は一億三〇〇〇万人を超える。ほ
ぼ今の日本の人口と同じになる。一世代を三〇年とすると、二七掛ける三〇
で、八一〇年。つまり八一〇年後には、日本人のすべてがあなたの子孫という
ことになる。
あなたは今、自分の子どものことを心配する。しかし孫が生まれれば、あなた
はその孫のことを心配するだろう。もしあなたに永遠の命があるなら、あなたは
そのまた孫のことを心配するだろう。…そういうふうに考え始めると、今、あなた
が「自分の子さえよければ」という考えなど、どこかへ吹っ飛んでしまうはずだ。
そしてその時点で、あなたは、自分の子どものことは当然としても、同時にこの
社会全体、日本全体、世界全体の問題を考えることも重要だと気づく。つまりそ
れがここで言う「カラ」を破るということになる。
実のところ、私もこの問題では悩んできた。教育論を論じながら、いつも心のど
こかで(自分の子ども)と、(他人の子ども)を区別していた。自分の子どもに言う
言葉と、他人の子どもに言う言葉が、違っていた。それは実に心苦しいジレンマ
だった。人間、表ズラと内ズラを使い分けて生きるのは、たいへんなことだ。だ
からある日から、それをやめた。やめて、自分の子どもにも、他人の子どもにも
本音を語るようにした。しかしそれが本当にできるようになったのは、自分の子
どもの中に孫、さらにはそのまた孫を見ることができるようになったときである。
子どもに子ども(あなたから見れば孫)の育て方を教えるということには、そうい
う意味も含まれる。
価値観の崩壊
●原因は、子どもの受験戦争?
こんな調査結果がある。日本青少年研究所が、九七年に調査した結果だが、
それによれば、日本の高校生の八五%が、「親に反抗するのは、本人の自由
でよい」と考えているという。(これに対して、アメリカ…一六%。中国…一
五%)。また日本の高校生の一五%のみが、「親に反抗してはならない」と答え
ているという。(アメリカ…八二%。中国八四%)。わかりやすく言うと、「親に反
抗してよい」と考えている高校生が日本ではダントツに多く、一方、「反抗しては
ならない」と考えている高校生が、これまた日本ではダントツに少ないということ
になる。
こういう調査結果をふまえて、「日本人の個人主義化、価値観の相対化(が進
んでいるとみることができる」(金沢学生新聞社説)と解説する人がいる。おお
かたの評論家たちも、ほぼ同じような線で、この調査結果をながめている。しか
しこの視点だと、「なぜ日本の高校生だけがそうなのか」という説明がつかない
ばかりか、合理主義が発達していると思われるアメリカで、「なぜ逆の結果が出
るのか」ということについても、説明がつかなくなってしまう。つまりこの視点は
正しくない。
私はある時期、幼稚園の年中児から高校三年生までを、たった一日で教えて
いたことがある。幼稚園で手にする給料だけでは生活ができなかったので、午
後は自由にしてもらい、学習塾や進学塾でルバイトをした。自宅で家庭教師もし
た。そういう経験から、子どもたちが受験期を迎えるころになると、質的に急速
に変化するのを知っている。それまでは良好な人間関係を続けていても、試験
だ、平均点だ、進学だとやりだすと、とたんに私と生徒の関係が破壊されるの
である。
言い換えると、結果として日本の高校生たちが、「個人主義化し、価値観の相
対化が進む」としても、それは「進んだ」結果にそうなったのではなく、「家族の
きずな」が破壊された結果としてそうなったと見るべきではないのか。それぞれ
の家庭を見ても、子どもが小学生くらいの間には、どの家庭も、実になごやかな
家庭を築いている。が、子どもが受験期を迎えるようになると、とたんにある種
の緊張感が家庭を襲い、その緊張感が、家族そのものを破壊する。わかりやす
く言えば、「勉強しろ!」と怒鳴る、その声が子どもの心を粉々に破壊していく。
その結果が、冒頭にあげた、「八五%」であり、「一五%」ということになる。
私の人生、そして老後
●あるべき私の老後●前向きに生きる人生
新しい人に出会うのは、この歳になっても、楽しいものだ。それはそれだが、
ただ、若いときと違って、この歳になると、「これから」という部分がない。「これ
から友情を育てよう」とか、「これから一緒に何かをしよう」という気持ちは弱い。
そのかわり、「この人は何をしてきた人?」という視点で、その人を見る。
昨年一年間だけでも、すばらしい人と、何人か出会った。八〇歳にもなろうと
いうのに、乳幼児の医療費問題に取り組んでいる人、教育評論に取り組んでい
る人、さらには私立小学校を建てようと、あちこちを飛び回っている人など。どの
人も、年齢に関係なく、目が輝いていた。その中の一人に、恐る恐る私はこう聞
いた。「あなたをそこまでかきたてているエネルギーは何ですか?」と。私など、
実にずるい人間だ。こういうふうに原稿を書かせてもらいながら、「どうしてこの
私が日本の教育の心配をしなければならないのか」というジレンマといつも、戦
っている。退職金も年金もない。天下り先もない。社会の恩恵などとは、まったく
無縁の世界に住んでいる。が、こうした人たちは、自分の人生を前向きに生き
ている。その人はこう答えてくれた。「やめる理由など、ないからです」と。
実際、そういう人に出会うと、「ご苦労様です」と言いたくなる。もちろん畏敬
(いけい)の念をこめて、である。そして我が身を振り返りながら、自分のつまら
なさに驚く。何かをしてきたようで、結局は私は何もできなかった。心のどこか
で、いつも「お金さえ手に入れば、明日にでも引退できるのに」と、そんなことば
かり考えてきた。土日も、好きな山遊びをするだけ。ヒマなときは、ビデオを見た
り音楽を聞いたりするだけ。つまらない人間になって、当然だ。
私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは老人たちのかっこうのたまり
場になっている。天気のよい日は、毎日七〜八人の老人たちが、何かをするで
もなし、しないでもなし、夕方暗くなるまで、イスに座って話し込んでいる。その
季節になると、横の竹やぶの竹の子を、一日中監視している。一見、のどかな
風景だが、本当にそれは、あるべき老後の姿なのか。そうであってよいのか。
やがて私も彼らの仲間に入るのだろうが、いつか誰かが、私を「何をしてきた
人?」という目で見たとき、私はそれに耐えられるだろうか。それを思うと、いて
もたっても、おられなくなる。
子どもと歩くときは、子どものうしろを歩く。そういうリズムが、子どもの自立心を養う。子どもの「やる気」「た
くましさ」を引き出すコツは、子どものリズムで親が生活するということ。無理にぐいぐいと引っ張れば引っ張
るほど、子どもには依存心が生まれ、それが他方で、子どものやる気をうばい、ひ弱な子どもにする。
子育てリズム論
●子どもの心を大切に●子どものうしろを歩こう
子育てはリズム。親子のリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍
子で、子どもが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同
時に演奏すれば、それはもう、騒音でしかない。
あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い出してみてほしい。そのとき@
あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、それでよし。
しかしA子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているよ
うであれば、要注意。今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶…というこ
とにもなりかねない。このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものこと
は、私が一番よく知っている」と豪語する。へたに子どもが口答えでもしようもの
なら、「親に向かって、何だその態度は!」と、それを叱る。そしておけいこ塾で
も何でも、親が勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。子どもは子ど
もで、親の前ではいい子ぶる。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、できの
よい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。
ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。父「お前は、パパに
何をしてほしいのか」とか、子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」とか。この
段階で、互いにあいまいなことを言うのを許されない。それだけに、実際そのよ
うに聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張する。それはあるが、しかし
日本人よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。
リズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときから、そして子どもがおとなに
なるまで続くということ。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性
(三二歳)は、こう言った。「今でも、実家へ帰るのが苦痛でなりません」と。別の
男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこ
かでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の生い立ちや人
生観と深くからんでいるため、変えるのも容易ではない。しかし、変えるなら、早
いほうがよい。早ければ早いほど、よい。もしあなたが子どもの手を引きなが
ら、子どもの前を歩いているようなら、今日から、子どものうしろを歩いてみると
よい。たったそれだけのことだが、あなたは子育てのリズムを変えることができ
る。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことができる。
私の自由論
●自由はそれ自体、たいへんなこと
アメリカの田舎町でタクシーに乗る。見るとふつうの乗用車。メーターはついて
いない。話を聞くと、運転手はこう言った。「(タクシー会社を経営している)女房
が、ほかのところへ行っているから、私が代理で来た」と。で、料金は、話し合っ
てその場で決めた。「一人で一〇ドル。二人で二〇ドル」と。…これが自由。
週日は市内に住み、週末は近くの山の中で暮らすという生活が、今年で七年目
になった。その山での生活、不便であることが当たり前。水道とて、山からの涌
き水をパイプで引いている。そのため、大雨が降れば、すぐパイプがつまる。そ
のたびに雨ガッパを着て、清掃にでかける。電気とて安心してはおられない。雷
が落ちるたびに停電。先日は電柱の分電器の中に、アリが巣を作り、それで停
電した。…これが自由。
私の友人の弟は、四二歳のとき、それまでの会社勤めをやめ、単身マレーシ
アへ渡った。そしてそこで中古のヨットを買い、私がその話を聞いたときは、クア
ラルンプールで知り合ったフランス人女性と、インド洋を航海しているということ
だった。…これが自由。
自由とは「自らに由る」こと。しかしこの日本。その自由がますます小さく、貧
弱になっている。社会は息苦しいほどまでに管理され、どんな小さな仕事をする
にも、許可だの認可だの、それに資格がいる。が、人は管理されればされるほ
ど、民衆は生きる力をなくす。たくましさをなくす。少し前だが、九州の北部で断
水騒ぎがあったときのこと。その年は、例年になく雨が少なかった。一人の住民
が、テレビに向かってこう叫んだ。「断水したのは、行政の怠慢が原因だ」と。別
に行政の肩をもつわけではないが、断水したのは行政の責任ではない。ちょう
どそのころ私は、自分の山荘に水を引くため、炎天下、数百メートルのパイプを
地下に埋める工事を、一人でしていた。私は思わず、「甘ったれるな!」と叫ん
でしまった。
自由に生きることは、それ自体、たいへんなことだ。友人の弟にしても、想像
するようなロマチックな航海ではないことは、私にもわかる。いや、「私は自由
だ」と思っているあなたでも、本当は自由でないかもしれない。
たいていの人は自由というのは、簡単に、しかもタダで手に入るものだと思っ
ている。しかしこれはとんでもない誤解。自由であることは、それ自体が、命が
けの戦いなのだ。
よい先生・悪い先生
●子どもたちが無意識のうちに判断している
私のような、もともと性格のゆがんだ男が、かろうじて「まとも?」でいられるの
は、「教える」という立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、
その純粋さに毎日のように心を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っ
ているときでも、子どもたちと接したとたん、それが吹っ飛んでしまう。よく「仕事
のストレス」を問題にする人がいる。しかし私の場合、仕事そのものが、ストレス
解消の場となっている。
その子どもたちと接していると、ものの考え方が、どうしても子ども的になる。
しかし誤解しないでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。
子どもは確かに知識は乏しく未経験だが、決して、幼稚ではない。むしろ人間
は、おとなになるにつれて、知識や経験という雑音の中で、自分を見失ってい
く。醜くなる人だっている。「子ども的である」ということは、すばらしいことなの
だ。私の場合、若いときから、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や
出版界はもちろんのこと、翻訳や通訳の世界も経験した。いくつかの会社の輸
出入を手伝ったり、医療の世界もかいま見た。しかしこれだけは言える。園や
学校の先生には、心のゆがんだ人は、まずいないということ。少なくとも、ほか
の世界よりは、はるかに少ない。
そこで「よい先生・悪い先生」論である。いろいろな先生に会ってきたが、視点
が子どもと同じ位置にいる先生もいる。が、中には高い位置から子どもを見おろ
している先生もいる。妙に権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そう
いう先生なりに、「教育」を考えてそうしているのだろうが、しかしすばらしい世界
を、ムダにしている。このタイプの先生は、美しい花を見て、それを美しいと感動
する前に、花の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあ
るごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子はダメな子」とこぼす先生であ
る。決して悪い先生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、子どもから明る
さが消える。
そこでよい先生かどうかを見分ける簡単な方法。休み時間などの様子を、そっ
と観察してみればよい。そのとき、子どもたちが先生の体にまとわりついて、楽
しそうにはしゃいでいれば、よい先生。そうでなければ、そうでない先生。よい先
生かどうかは、実は子どもたち自身が、無意識のうちに判断しているのである。
封建制度の清算を
「うちのダンナなんかサア、冷蔵庫から牛乳出しても、その牛乳を冷蔵庫に戻
すことしないんだからサア。だからあっという間に牛乳も腐ってしまう」と。ある
日女房の友人が、我が家へやってきて、そう言った。何でもそのダンナ様は、
結婚してからこのかた、もう三〇年近くになるが、トイレ掃除はおろか、トイレット
ペーパーの差し替えすらしたことがないという。そこで私が「ペーパーがないと
きはどうするのですか?」と聞くと、「何でも、『オーイ』で、すんでしまうわサア」
と。
日本女性会議の調査によると、部屋の掃除をまったくしない夫(五六%)、洗
濯をまったくしない夫(六一%)、炊事をまったくしない夫(五四%)ということだ
そうだ。育児をまったくしない夫も、三〇〜四〇%もいる(二〇〇〇年)。この日
本では、「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもについて言うな
ら、「勉強している」「宿題がある」と言えば、すべてが免除される。しかしこれは
世界の常識ではない。
ニュージランドの留学生たちがこう教えてくれた(一九九九年)。ニュージーラン
ドでは、午後三時に小学校は終る。そのあと子どもたちはすぐ家へ帰り、夕食
がすむまで、家事を手伝う。それが習慣になっている、と。料理、炊事だけでは
ない。掃除から始まって、家の修理までする。そこで私が(聞くのもヤボだと感じ
たので……)恐る恐る、「学校の宿題があるときはどうするのか」と聞くと、皆、こ
う言った。「食事がすんでからだ」と。
こうした日本人の背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」という、日本独特
の男尊女卑社会。「内助の功」という言葉すら残っている。内助の功というの
は、「夫が仕事以外のことを気にかけたりすることなく、存分の働けるよう、しっ
かりと家を守り、夫を陰で、また積極的に助ける妻の働き」(日本語大辞典)とい
うことだそうだ。そしてそのさらに背景にあるのが、これまた日本独特の出世主
義。封建時代には、いかにして武士社会の階段をのぼるかが、何にもまして優
先された。家制度や家督制度、さらには長子相続制度も、封建制度を背景にし
て生まれた。
話がそれたが、こういう風潮の中で、「男が家事などするものではない」とい
う、ゆがんだ男性観が生まれた。私も子どものころ、台所へ入ると母によく叱ら
れた。「男がこういうところへ来るもんじゃない」と。が、この風潮は、今、急速に
崩壊しつつある。私が一九九八年に浜松市内で調査したところ、二〇〜三〇代
の若い夫婦の場合、三五%の夫が日常的に家事を手伝っているのがわかっ
た。まったく手伝っていない夫も、同じく三五%。残りの三〇%は、ときどき手伝
うということだった。先の日本女性会議の数字(これは全体)と比べてみても、
若い夫婦が変化しているのがわかる。
さて子どもたち。子どもには家事を手伝わせる。男も女もない。あるはずもな
い。しかも本来、家事は、勉強や仕事より大切なものだ。家事をするということ
は、自立をするということ。人間は過去何一〇万年もの間、そうしてきた。ここ五
〇〇年や一〇〇〇年くらいの制度で変わるはずもない。むしろ日本の制度は、
長い封建制度の時代を経て、ゆがんでいる。それを清算するのも、これからの
大きな仕事ではないのか。
宗教と教育
難解な仏教論も、教育にあてはめて考えると、突然わかりやすくなる。たとえ
ば親鸞の「回向(えこう)論」。「(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや」※
という、あの有名な言葉である。これを仏教的に解釈すれば、「念仏を唱えるに
しても、信心をするにしても、それは仏の命令によってしているに過ぎない。だ
から信心しているものには、真実はなく、悪や虚偽に包まれてはいても、仏から
真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(石田瑞麿氏)と続く。
こうした解釈を繰り返していると、何が何だかさっぱりわからなくなる。要する
に親鸞が言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前ではな
いか。悪人が念仏を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほ
ど、浄土へ行ける」と。しかしそれでもまだよくわからない。そこでこう考えたらど
うだろうか。「頭のよい子どもが東大へ入るのは当たり前のことだ。頭のよくない
子どもが、東大へ入るところに意味がある。またそこに人間が人間として生きる
ドラマ(価値)がある」と。もう少し別のたとえで言えば、こうなる。「問題のない子
どもを教育するのは、簡単なことだ。そういうのは教育とは言わない。しかし問
題のある子どもを教育するから、そこに教育の意味がある。またそれを教育と
いう」と。私にはこんな経験がある。
ずいぶんと昔だが、私はある宗教団体を批判する原稿を、ある雑誌に書い
た。が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口をいい
ふらし始めた。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考え方
(?)は、明らかにまちがっている。他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が
地獄へ落ちないように祈ってやるのが、愛ではないのか。慈悲ではないのか。
私だっていつも、批判されている。子どもたちにさえ、批判されている。中には
「バカヤロー」と悪態をついて、教室を出ていく子どももいる。
しかしそういうときでも、私は、「この子は苦労するだろうな」とは思っても、「苦
労すればいい」とは思わない。神や仏ではない私だって、それくらいのことは思
う。いわんや神や仏をや。批判されたくらいで、いちいちその批判した人を地獄
へ落とすようななら、それはもう神や仏ではない。悪魔だ。だいたいにおいて、
地獄とは何か? 悪いことをして、失敗し、問題のある子どもをもつことか。もし
そうなら、それは地獄ではない。
私はときどき、こう思う。釈迦にせよ、キリストにせよ、彼らはもともと教育者で
はなかったか、と。そういう視点で考えると、それまでわからなかったことが、突
然、スーッとわかることがある。そしてそういう視点で見ると、おかしな宗教とそ
うでない宗教を区別することができる。たとえば日本でも一〇本の指に入るよう
な大きな宗教団体が使っているテキストには、こんな記述がある。
「この宗教を否定する者は、無間地獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、
身体障害者が多いのは、そのためだ」と。この一文だけをとっても、この宗教は
まちがっていると断言してもよい。こんな文章を、身体に障害のある人が読んだ
ら、どう思うだろうか。あるいはその団体には、身体に障害がある人がいないと
でもいうのだろうか。宗教も教育も、常識で成りたっている。その常識をはずれ
たら、宗教は宗教ではなしい、教育は教育でなくなる。
私の主義、あなたの主義
私は生涯において、ただの一度も、借金をしたことがない。「生涯」というのも
おおげさだが、そういうふうに意識したのは、学生時代だ。お金がなくなると、私
は下宿の朝夕の食事だけで生き延びた。いや、一度だけ、一〇円玉を借りたこ
とがある。幼稚園で親に緊急の電話をしなければならなくなったときのこと。同
僚の先生にそれを借りた。翌日、菓子箱をもって返しにいくと、その先生は目を
白黒させて驚いた。同じように支払いについても、必ず即日、もしくは遅くとも一
週間以内に支払うようにしている。私にとって、借金というのは、そういうもの
だ。
私には私の主義がある。「主義」というと、一見、完成された人格のように思う
人がいるかもしれない。が、実は、自分の弱さをごまかすための道具に過ぎな
い。私について言うなら、私という人間は、もともと小ずるい人間で、小心者。そ
んな私が借金に慣れたら、それこそズルズルと深みにはまってしまうに違いな
い。それを私は心のどこかで知っている。だから借金はしない。いや、借金をす
る重圧感に耐えられないのかもしれない。私はそういう重荷を背負うのがいや
だ。明日、借金を返さねばならないと負担に思うくらいなら、今日、腹をすかして
いたほうがよい。
が、その主義をもつことは、よいことだ。「人にものを借りない」「拾ったものに
は、手をつけない」「ウソをつかない」など。こうした主義をいくつかもち、そのと
きどきの行動規範にする。仏教にも八正道(はっしょうどう)という言葉がある。
正見(しょうけん)、正思惟、正語、正業(しょうごう)、正命(しょうみょう)、正精
進、正念、正定(しょうじょう)の八つをいう。悟りにいたるための、基本的な実践
徳目と考えるとわかりやすい。要するに人間は迷う。そのつど迷う。しかしそう
いうとき、「主義」として、自分の行動規範を決めておくと、その迷いを少なくする
ことができる。仏教で言えば、悟りへの近道ということになる。そういうことは生
活の場で、よく経験する。こんなことがあった。
一本一〇〇円のペンを、七本買った。七本買って、一〇〇〇円札を出した。
店員がレジを叩いているとき、私はどこかぼんやりとしていた。が、受け取った
おつりを見ると、三百数十円……。「おっ」と思って、一、二歩、歩いた。「おつり
が多い」と、心のどこかで感じた。と、同時に私の中に組み込まれたプログラム
が作動した。あとは自動的に振り向き、レジに戻ってこう言った。「おつりが多い
ですよ」と。気がつくとそこに店長も立っていて、その店長がこう言った。「今、一
割引です。最初に言っておけばよかったですね」と。とたん、私の顔がなごん
だ。店員の顔もなごんだ。そして皆が微笑んだ。
そこで私は考える。もしあのとき、あのまま私が店を出たら、私は「得をした」と
思ったかもしれない。しかしたった一〇〇円で、私は心を売ったことになる。一
方、正直に言ったときのそう快感は、とても一〇〇円で買えるものではない。ど
ちらが得か……? 日々の生活が月となり、それがやがて年となり、その「人」
をつくる。その道しるべとなるのが、主義だ。
常識は偏見のかたまり
●ふえるホームスクール●おけいこ塾は悪?
アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が十八
歳のときにもった偏見のかたまりである」と。
●学校は行かねばならぬという常識…アメリカにはホームスクールという制度
がある。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという
制度である。希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。日本では、不
登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけで
も九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎年一
五%前後の割合でふえ、〇一度末には二〇〇万人になるだろうと言われてい
る。それを指導しているのが、「LIF」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教
育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合
同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がり
をみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している。
●おけいこ塾は悪であるという常識…ドイツでは、子どもたちは学校が終わる
と、クラブへ通う。早い子どもは午後一時に、遅い子どもでも三時ごろには、学
校を出る。ドイツでは、週単位で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども
自身が決めることができる。そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算
数クラブや科学クラブもある。学習クラブは学校の中にあって、たいていは無
料。学外のクラブも、月謝が千円前後。こうした親の負担を軽減するために、ド
イツでは、子ども一人当たり、二三〇マルク(日本円で約一四〇〇〇円)の「子
どもマネー」が支払われている。この補助金は、子どもが就職するまで、最長二
七歳まで支払われる。
こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分
の趣向と特性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなど
があるが、学外教育に対する世間の評価は低い。ついでにカナダでは、「教師
は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をもたない」という
制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら
親には教えない。
日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っている
ことでも、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。
あのとき母だけでも…
●問題の根源は深い●封建時代の亡霊と戦う
あのとき、もし、母だけでも私を支えていてくれてていたら…。が、母は「浩ちゃ
ん、あんたは道を誤ったア」と言って、電話口の向こうで泣き崩れてしまった。私
が「幼稚園で働いている」と言ったときのことだ。
日本人はまだあの封建時代を清算しいていない。その一つが、職業による差
別意識。この日本には、よい仕事(?)と悪い仕事(?)がある。どんな仕事がそ
うで、どんな仕事がそうでないかはここに書くことはできない。が、日本人なら
皆、そういう意識をもっている。先日も大手の食品会社に勤める友人が、こんな
ことを言った。何でもスーパーでの売り子を募集するのだが、若い女性で応募し
てくる人がいなくて、困っている、と。彼は「嘆かわしいことだ」と言ったので、私
は彼にこう言った。「それならあなたのお嬢さんをそういうところで働かせること
ができるか」と。いや、友人を責めているのではない。こうした身勝手な考え方
すら、封建時代の亡霊といってもよい。目が上ばかり向いていて、下を見ない。
「自尊心」と言えば聞こえはいいが、その中身は、「自分や、自分の子どもだけ
は違う」という差別意識でしかない。が、それだけではすまない。
こうした差別意識が、回りまわって子どもの教育にも暗い影を落としている。こ
の日本にはよい学校とそうでない学校がある。よい学校というのは、つまりは進
学率の高い学校をいい、進学率が高い学校というのは、それだけ「上の世界」
に直結している学校をいう。
「すばらしい仕事」と、一度は思って飛び込んだ幼児教育の世界だったが、入
ってみると、事情は違っていた。その底流では、親たちのドロドロとした欲望が
渦巻いていた。それに職場はまさに「女」の世界。しっと縄張り。ねたみといじ
めが、これまた渦巻いていた。私とて何度、年配の教師にひっぱたかれたこと
か!
母に電話をしたのは、そんなときだった。私は母だけは私を支えてくれるもの
とばかり思っていた。が、母は、「あんたは道を誤ったア」と。その一言で私は、
どん底に叩き落とされてしまった。それからというもの、私は毎日、「死んではだ
めだ」と、自分に言って聞かせねばならなかった。いや、これとて母を責めてい
るのではない。母は母として、当時の常識の中でそう言っただけだ。
子どもの世界の問題は、決して子どもの世界だけの問題ではない。問題の根
源は、もっと深く、そして別のところにある。
学校神話という亡霊の陰で
(先生は忙しすぎる)(教師は教育の場で勝負して、教師)
「携帯電話のおかげで夜中でも、メールが入るようになった」と、ある小学校の
教師がこぼした。「少し前までは電話だったが、電話のほうは断ることができる
ようになったが……」とも。それもたいした内容ではない。「娘がセーターを学校
に忘れた」とか、「息子が学校の帰りに、寄り道をした」とか、など。「メールには
まとめて返事を出すことにしていますが、それでも毎晩一時間ほど、そのため
に時間をとられます」と。
少し前、ある総合病院の外科部長の息子(高一)と、こんな話をしたことがあ
る。「君のお父さんは、患者さんの生死を毎日のようにみている。担当の患者さ
んが急変したら、夜中でも病院へかけつけるのだろうね」と私。するとその息子
氏はこう言った。「行かないよ。居留守を使ったり、学会に行っているとウソを言
うよ」と。私が驚いていると、さらにこう言った。「そんなことをすれば、翌日の手
術にさしさわりが出るから」と。
私はこの話を聞いたとき、あの美空ひばりの話を思い出した。ひばりが皆と一
緒に、カラオケバーにでかけたときのこと。まわりにいた人たちが「一曲歌ってく
ださい」とせがんだ。が、そのときひばりはこう言ったという。「私はお金をもらっ
て歌うプロです。ここでタダで歌ったら、お金を出して私の歌を聞きにきてくれる
お客さんに、申し訳ありません」と。
また二〇〇〇年の終わり、カナダのバンクーバーから来た小学校の校長が、こ
んな話をしてくれた。「カナダでは、教師は授業には責任をもつが、授業を離れ
たら、父母や子どもとのかかわりを一切もたない。父母には自宅の住所も、電
話番号も教えない。親がその教師と連絡をとりたいときは、学校へ連絡してもら
う。そのあと教師のほうからその親に電話をするようにしている」と。
いくつか回り道をしたが、さて冒頭の話。今、学校の先生たちは、本当に忙し
い。忙しすぎる。活発ざかりの子どもを相手に、一時間本気で授業すれば、若
い先生でもかなり疲れる。二時間続けたら、それこそヘトヘト。つまりそれだけ
体力と気力を使う。教育というのは、そういうものだ。それをまず世間が知るべ
きだ。そして教師が教師であるのは、「教育の場」で教えるから教師なのだ。そ
れを雑用また雑用、進学指導に家庭教育相談、さらには、しつけに心理相談ま
で押しつけて、何が教育だ! 体がもつはずがない。つまり忙しくなればなるほ
ど、教師は肝心の教育の場で手を抜くしかない。
現に今、中学校の教師の大半は、教科書とチョークだけで授業に臨んでい
る。臨まざるをえない。ある教師はこう言った。「教材研究? そんな時間がどこ
にありますか? 先日も私の学校でスプレーによる落書き事件がありました。そ
の処理に、丸三日がつぶれました」と。
教師は教育のプロである。あの外科部長のように、まず教育に責任をもつ。ま
たもてるような環境を用意してあげなければならない。現にカナダではそうして
いる。いや、学校で何か事件があるたびに、憔悴しきった校長が涙まじりに頭を
さげる。マスコミや世間は鬼の首でも取ったかのように学校を責めるが、しかし
学校側にそこまでさせて、よいものか。そのおかしさがわからないほど、日本に
は学校万能主義、学校神話がはびこっている。その亡霊に苦しんでいるのは、
結局は最前線に立たされる、現場の教師たちなのだ。
性教育の原点
(男も胎内では女だった)(偏見や誤解、差別からの解放)
若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でも特に印象に
残っているのが、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協
会の会長をしていた。そのベッテルグレン女史はこう言った。「フリーセックスと
は、自由にセックスをすることではない。フリーセックスとは、性にまつわる偏見
や誤解、差別から、男女を解放することだ」「特に女性であるからという理由だ
けで、不利益を受けてはならない」と。それからほぼ三〇年。日本もやっとベッ
テルグレン女史が言ったことを理解できる国になった。
話は変わるが、先日、女房の友人(四八歳)が私の家に来て、こう言った。「う
ちのダンナなんか、冷蔵庫から牛乳を出して飲んでも、その牛乳をまた冷蔵庫
にしまうことすらしないんだわサ。だから牛乳なんて、すぐ腐ってしまうわサ」と。
話を聞くと、そのダンナ様は結婚してこのかた、トイレ掃除はおろか、トイレット
ペーパーすら取り替えたことがないという。私が、「紙がないときはどうするので
すか?」と聞くと、「何でも『オーイ』で、すんでしまうわサ」と。
日本女性会議の調査によると、「家事は全然しない」という夫が、まだ六〇%
前後いるという(二〇〇〇年)。年代別の調査ではないのでわからないが、五
〇歳以上の男性について言うなら、ほとんどの男性が家事をしていないのでは
……? この年代の男性は、いまだに「男は仕事、女は家事」という偏見を根強
くもっている。男ばかりの責任ではない。私も子どものころ台所に立っただけ
で、よく母から、「男はこんなところへ来るもんじゃない」と叱られた。女性自ら
が、こうした偏見に手を貸していた。が、その偏見も今、急速に音をたてて崩れ
始めている。私が九九年に浜松市内でした調査では、二〇代、三〇代の若い
夫婦についてみれば、「家事をよく手伝う」「ときどき手伝う」という夫が、六五%
にまでふえている。欧米並みになるのは、時間の問題と言ってもよい。
実は私は、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は
……、女は……」というものの考え方を日常的にしていた。洗濯や料理など、し
たことがない。たとえば私が小学生のころには、男が女と一緒に遊ぶことすら
考えられなかった。遊べば遊んだで、「女たらし」とバカにされた。そのせいか
私の記憶の中にも、女の子と遊んだ思い出がまったく、ない。
が、その後、いろいろな経験で、私がまちがっていたことを思い知らされた。
が、決定的に私を変えたのは、次のような事実を知ったときだ。つまり人間は、
男も女も、母親の胎内では一度、皆、女だという事実だ。つまりある時期までは
人間は皆、女で、発育の過程でその女から分離する形で、男は男になってい
く、と。このことは何人ものドクターに確かめたが、どのドクターも、「知らなかっ
たのですか?」と笑った。正確には、「妊娠3か月までは男女の区別はなく、そ
れ以後、胎児は男女にそれぞれ分化する」ということらしい。女房は「あなたは
単純ね」と笑うが、そうかもしれない。以後、女性を見る目が、一八〇度変わっ
た。と同時に、偏見も誤解も消えた。言いかえると、「男だから」「女だから」とい
う考え方そのものが、まちがっている。「男らしく」「女らしく」という考え方も、まち
がっている。ベッテルグレン女史は、それを言った。
教育の自由化は世界の流れ
(日本の教育は遅れている!)(自由から生まれる活力)
以前このコラムで、「日本の教育制度は三〇年は遅れた。意識は五〇年は遅
れた」と書いた。それについて「憶測でものを書いてもらっては、困る。根拠を示
してほしい」と言ってきた人がいた。それについて……。
ドイツでは、小中学校は午前中で終る。午後一時には、子どもたちは学校から
解放されて、それぞれのクラブに通う。スポーツクラブ、音楽クラブ、芸術クラ
ブ、語学クラブなど。カナダでは、午後三時半まで子どもたちは学校に拘束され
るが、それ以後は、やはり子どもたちはクラブに通う(バンクーバー)。オーストラ
リアやニュージーランドも、そうだ。さらにアメリカでは、ホームスクール、チャー
タースクール、さらにはバウチャ(学校券)スクールなど、学校の設立そのもの
が自由化されている。日本で誰かが塾を開くのと同じくらい気軽に、その意思
のある人が学校を設立している。つまり教育の自由化は世界の流れであり、そ
の「自由さ」が、教育をダイナミックなものにしている。
が、この程度で驚いてはいけない。アメリカでは大学の場合、入学後の学部
変更は自由。自由というより、日本でいう学部の概念そのものがない。目的と
する学位(これをメジャーという)に応じて、必要な講座を一講座ずつ「買う」。こ
うして二年間で、四回メジャーを変えた学生がいる。四年間で六回メジャーを変
えた学生がいる。教える教官も必死なら、学ぶ学生も必死だ。さらにアメリカで
は、大学の転籍すら自由。公立、私立の区別はない。日本で言えば、早稲田大
学で二年間過ごした学生が、三年目から静岡大学で学ぶようなことができる。
しかも入学金だの何だの、そういうめんどうな手続きなしに、即日に転籍でき
る。まだある。こうした単位の交換が、国際間でもなされている。外国の大学へ
留学した場合、そこで得た単位も有効に認められる。日本でも少しずつだが、
実験的にこうした制度を取り入れる大学がふえてきた。が、あくまでも「実験
的」。
……というようなことは、文部科学省の技官あたりもみんな知っている。しかし
教育を自由化するということは、即、自分たちの立場をあやうくすることになる。
権限を弱め、管轄を縮小することは、そのまま自分たちの不利益につながる。
旧文部省だけでも、いわゆる天下り先として機能する外郭団体が、一八〇〇団
体もある。その数は全省庁の中でもダントツに多い。こうした団体が日本の教
育をがんじがらめにしている。一方、日本人は日本人で、国への依存心がきわ
めて強い。子どもに何か問題があると、何でもかんでも、「学校で……」と考え
る。さらに隷属意識もある。いまだかって、親のほうから学校に向かって、たと
えば、「うちの学校では中国語を教えてみてほしい」というような要望を出した話
など、聞いたことがない。
上から言われるまま、何の疑問もなく受け入れてしまっている。そしてそういう
のが教育だと、思い込んでいる。思い込まされている。
ここに書いたアメリカの大学制度は、すでに三〇年前から常識だった。さらに
日本人の教育意識となると、戦前のままと言ってもよい。五〇年前に私がもっ
ていた「学校観」と、今の若い親たちがもっている「学校観」は、それほど違わな
い。「五〇年」という数字はそこから書いた。これで納得してもらえただろうか。
善なる心、悪なる心
●ここちよさが、正直のあかし
市内のY文具店で、一本一〇〇円のペンを七本、買った。買って、一〇〇〇
円札を出した。どこかぼんやりしていた。言われるまま、ペンとおつりを受け取
り、ふと見ると、おつりが、三百数十円! そのときだ。私は「おっ」と思い、一、
二歩歩いた。歩いてしまった。この迷いこそが、私の限界でもある。
日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが年となる。そしてその年が重
なって、その人の人格となる。五〇歳も過ぎると、それまでごまかしてきた持病
が、どっと前に出てくる。同じように六〇歳も過ぎると、それまでごまかしてきた
人格が、どっと前に出てくる。むずかしいことではない。健康にせよ、人格にせ
よ、日々のささいな心構えで決まる。
手に握ったおつりを見ながら、「あのう……」と言いかけると、そこに店長が立
っていた。そして私の気持ちを察知して、笑いながらこう言った。「今、一割引き
なんです。はじめに言っておかなくて悪かったね」と。とたん、女子店員の顔が
なごんだ。私の顔もなごんだ。
子どものころの私は、ずいぶんといいかげんな男だった。ジュースを飲んだと
きでも、その空きビンを、どこかの塀の上に置いていた。ガムをかんでも、その
カスを道路へ捨てていた。ツバやタンを道路へ吐き捨てるのも平気だった。どこ
かの店で、店員がおつりをまちがえたときも、少なければ文句を言ったが、多け
れば、黙っていた。戦後の混乱期というのは、そういう時代で、きれいごとを並
べていたら、生きていくことそのものが難しかった。が、ある日を境にして、私は
それをやめた。
一九六七年のことだった。私はユネスコの交換学生として韓国に渡った。ま
だ日韓の間に国交のない時代で、プサン港へ着いたときには、ブラスバンドに
迎えられた。が、歓迎されたのは、その日一日だけ。あとはどこへ行っても日本
攻撃の矢面に立たされた。そんなある日。どこかの工場団地に案内され、経営
者たちと懇談することになった。時間より早く部屋に入った私は、ひとり窓の外
を見ていた。そしてそのときだ。私はいつものようにツバをペッと外へ吐いた。
が、そのツバが風に飛び、開いた窓ガラスにぺタリとくっついてしまった。あわ
てたが、遅かった。そのときドヤドヤと人が入ってきた。私は会議の間中、生き
た心地がしなかった。以来、ツバを吐くのはやめた。ゴミを捨てるのもやめた。
……やめたというより、できなくなった。
もしあのY文房具店で、そのままおつりを握って外へ出たとしたら、私はどうな
っていたか。わずかばかりのつり銭で、得をした気分になっていたかもしれな
い。しかしそれは同時に、たった一〇〇円のことで私の善なる心をつぶしたこと
になる。が、私は振り向いた。たったそれだけの行為だが、皆の心がそこでな
ごんだ。その「なごみ」は、とても一〇〇円では買えないものだった。こういうケ
ースでは、損か得かという判断をくだすこと自体、バカげている。あやうく私は一
〇〇円のことで、自分の人格をつぶすところだった。
さて私はもう七年足らずで、六〇歳になる。正直言って、どんな人格が出てく
るか、心配でならない。ボロが出るというか、多分、見苦しい老人になるだろう。
私の場合、気がつくのが遅すぎた。もう少し早く気がついていればと、悔やまれ
てならない。
ゲームづけの子どもたち
●子どもをダシに金儲け●操られる子どもたち
小学校の低学年は、「遊戯王」。高学年から中学生は、「マジギャザ(マジッ
ク・ザ・ギャザリング)」。遊戯王について言えば、小学三年生で、約二五%、中
学一年生で、男子の約半数が、ハマっている。
ある日一人の男の子(小三)がこう言った。「ブルーアイズを三枚集めて、融合
カードで融合させる。そうすればアルティミットドラゴンをフィールドに出せる。そ
れに巨大化をつけると、攻撃力が九千になる」と。子どもの言ったことをそのま
ま書いたが、意味がよくわからない。基本的にはカードどうしを戦わせるゲーム
と思えばよい。カードの取り合いをする「かけ勝負」と、遊ぶだけの「かけなし勝
負」がある。カードは一パック五枚入りで、百五十円から三百三十円程度。アル
ティミッド入りのパックは、値段が高い。マジギャザは、十五枚で五百円。中学
生で、ふつう千枚近いカードをもっている。中には一万枚以上もっている子ども
もいる。マジギャザはもともとアメリカで生まれたゲームで、そのため、アメリカ
バージョン、フランスバージョン、さらに中国バージョンなどがある。
カード数が多いのはそのためだ。またフランスバージョンは質がよく、プレミア
のついたカードや、印刷ミスのあるカードは、四万円で売買されている。さらにこ
れらのカードを使って、カケをしたり、大会に出て賞品を集めたりする。「優勝す
るのは二十歳以上のおとなばかり」(小五男児)だそうだ。
子どもをダシにした金儲けは、この不況下でも大盛況。あのポケモン時代に
は、カードだけで年間百億から二百億円の売り上げがあった。大手の出版社の
G社の年間売り上げを超える。莫大な金額である。いや、子どもたちは自分の
意思とは別の力によって、カード遊びに夢中になっている。
たとえば今、融合カードは、発売中止になっている。そのカードを手に入れる
ためには、子どもは、交換するか、友だちから買うしかない。稀少価値がある分
だけ、値段も高い。たかがカード遊びと笑ってはいけない。公園のすみで一万
円とか二万円でカードを売買している、あなたの子どもの姿を想像してみてほし
い。中にはゲームにハマってしまい、現実と空想の区別がつかなくなってしまっ
た子どもすらいる。それはそれとして、しかしこんなことが許されてよいものか。
今日もあなたの子どもは、醜いおとなたちの商魂に操られるまま、その餌食(え
じき)になっている!
不思議な糸巻き
●ドラマにこそ意味がある●ヨーロッパの民話
ヨハンは仕事をするのがいやで、森へ逃げてきた。うしろのほうから父親が、
「ヨハン、まき割りの仕事を手伝ってくれ」と叫んでいるのが聞こえた。ヨハンが
木の陰に隠れていると、魔女が現れてこう言った。「あなたに不思議な糸巻きを
あげよう。いやなことがあったら、この糸巻きの糸を引くといい。引いた分だけ、
時間がすぎる」と。
それからというもの、ヨハンはいやなことがあるたびに、糸を引いた。父親から
仕事を言いつけられたとき。学校でいやなことがあったとき。が、ある日ヨハン
はこう思った。「早くおとなになって、ハンナと結婚したい」と。そこでヨハンは、
糸をどんどんと引いた。…気がつくと、ヨハンはおとなになり、ハンナと結婚して
いた。しばらくは平穏な生活が続いたが、やがて二人の間に息子が生まれた。
が、ヨハンは子育てが苦手だった。そこでヨハンは、「息子を早くおとなにして、
自分の仕事を手伝わせよう」と考えた。ヨハンはまた糸をどんどんと引いた。
…再び気がつくと、息子は立派なおとなになっていた。しかしヨハン自身も、
老人になってしまっていた。が、思い出が何もない。ヨハンは自分を振り返って
みたが、そこに何もないことを知った。そこでヨハンは、再びあの森にもどった。
するとそこにあの魔女がいた。ヨハンは魔女にこう言った。「私の人生はあっと
いう間に終ってしまった。私の人生は何だったのか」と。すると魔女は笑ってこう
言った。「では、もう一度だけ、あなたを子ども時代にもどしてあげよう」と。…ふ
と見ると、ヨハンは子どもにもどっていた。と、そのとき、うしろの方から父親が、
「ヨハン、まき割りの仕事を手伝ってくれ」と叫んでいるのが聞こえた。ヨハンは
明るい声でこう答えた。「お父さん、今行くからね」と。
この物語は外国へ行ったとき、飛行機の中の雑誌で読んだものだ。ヨーロッ
パの民話だと思うが確かではない。が、それはそれとして、この物語には、妙
に考えさせられる。民話とはいえ、人生に対する考え方が織り込まれている。た
とえば…。
日々が何ごともなく平穏にすぎていくことは、それ自体はすばらしいことだ。
が、すごし方をまちがえると、人生そのものを無駄にしてしまう。子育てもまた同
じ。子育ては苦労の連続。苦労のない子育てはない。しかしその苦労があるか
らこそ、そこからドラマが生まれる。生きる意味もそこから生まれる、と。
形式主義からの脱却
●「型」を重んずる日本の教育●子どもの左利き
五、六年前、この浜松市で児童英語の研究会があり、その席でこんなことが
決まった。「U」は、左半分を先に書き、続いて右半分を書く。つまり二画、と。同
じように「M」「W」は四画、と。
人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三〜四%)。原因は、どち
らか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝とい
う遺伝説。生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。一般的には
乳幼児には左利きが多く、三〜四歳までに決まる。また女子のほうが左利きが
少ないのは、男子のそれはよいが、女子のそれはよくないという偏見による。
小学生でも作文が好きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う子
どもは、五人のうち三人はいる。多くの子どもは、作文の楽しさを覚える前に、
その文字で苦しめられる。このワープロの時代に、なぜ書き順があり、画数が
あるのか。さらになぜトメ、ハネ、ハライがあるのか。ある教師はこう言った。「低
学年でしっかりと書き順を教えておかないと、なおすのがたいへん」と。
以上の三つの話は、底流でつながっている。つまり「日本人ほど型にはまった
教育が好きな民族はいない」ということ。茶道や華道、相撲に見られるように、
それはもう日本人の性癖のようなものだ。少し前オーストラリアの小学校を訪れ
たときのこと。私は壁に張られた子どもたちの作文を見て、びっくりした。スペル
がめちゃめちゃ。文法すらおかしい。そこで私が「なおさないのですか」と聞く
と、その先生(小三担当)は、こう話してくれた。「言葉はルール(文法)ではな
く、中味です。それにシェークスピアの時代から、正しいスペルなんてものはな
いのです」と。
英語国にもない画数や書き順を決めるところが、実に日本人らしい。左利きに
しても、結局はどうでもよい部類の問題。ある教師は「冷蔵庫でもドアでも、右利
き用にできているから、なおしたほうがよい」と言った。しかしそんなことは、慣
れ。慣れれば何でもない。無理に右づかいを強要すれば、子どもがかえって混
乱するだけ。少なくとも四、五歳をすぎたら、子どもに任す。
作文についても、日本のアニメは世界一と言われている。が、その背景に日
本人の文字離れがあるとしたら、喜んでばかりはおれない。言い換えると「形
式」からの脱却、それが日本の教育の大きなテーマの一つと言える。
私の自転車通勤
●「下」の立場の教育論●傲慢になったら…
自転車通勤をして、もう二十五年になる。が、私が通うY街道。歩道と言えるよ
うなものはない。道路に描かれた白線の外、つまり側溝のフタの上が歩道
(?)。それも電柱や標識など、いたるところで、寸断されている。あぶないなん
てものではない。まさに命がけ。年に一、二度は、そのために死にかけている。
一方、ときどきだが、各地へ講演で招かれることが多くなった。県外の場合
は、たいていグリーン車を用意してくれる。駅へ着けば、車が待っていてくれる。
そういうとき何だか自分が、別人になったような気分になる。私が私でなくなって
しまう。で、その自転車通勤。最初は健康のために始めたが、このところ別の
意味を感ずるようになった。こうした講演のあった翌日、また自転車に乗ったり
すると、ハッと我に返る。「ああ、これが私の本当の姿なのだ」と。
ものを書く人間で一番こわいのは、ごう慢になることだ。どうしても思想が、行
動より先行してしまう。わかりやすく言えば、「頭でっかちの人間」になりやす
い。そういう人間が世間でちやほやされると、自分が偉い人間にでもなったか
のように錯覚する。自分を見失う。実際、そういう人は多い。ある作家は、「上京
するたびにホテルに泊まるが、そのホテル代だけで家が建つ」と豪語してい
た。ふつうの作家ではない。仏門に入って頭を丸めた作家である。が、自転車
通勤はそれをいましめてくれる。いや、何もグリーン車が上で、自転車通勤が下
と言っているのではない。しかし自転車通勤をしていると、その「下」がよく見え
る。
先日もコンビニの前の駐車場を横切ろうとしたら、一台の乗用車が目の前で
急停止した。私はあやうくはね飛ばされるところだった。見ると若い男女だっ
た。声は聞こえなかったが、口の動きから「バ〜カ」と言っているのがわかった。
女はニヤニヤ笑いながら、私から視線をはずした。かわいそうな若者たちだ。私
がなぜ、今こうして教育論を書いているかといえば、それは彼らのような人たち
がいるからではないのか。彼らのもっとも味方であるはずの私を、バカにして喜
んでいる!
問題のない子どもや親に、教育論は必要ない。そういう子どもは受験参考書
でも読んでいればよい。私が私であるのは、「下」の世界に住んでいるからだ。
もし私が「上」の世界に住んでいたら、水面の下は絶対に見えない。自転車通
勤は、それを私に教えてくれる。
息子が恋をするとき
●人がもっとも人間らしくなるとき●私の失恋
栗の木が黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。メールで、「人生
の中で一番楽しい」と書いてきた。それを見せると女房が、「へえ、あの子がね
え」と笑った。私も笑った。
私も同じころ恋をした。しかし長くは続かなかった。しばらく交際していると、相
手の女性の母親から、私の母に電話があった。「うちの娘はお宅のような家の
息子とつきあうような娘ではない。交際をやめさせてほしい」と。女性の家は、
製紙工場を経営していた。一方私の家は自転車屋。私はその電話を気にしな
かったが、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。ちょっとし
たつまづきが、そのまま別れになってしまった。
「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女って何? 氷と欲望がその上でゆり動く
…」と。オリビア・ハッセーが演ずる『ロメオとジュリエット』の中で、若い男がそう
歌う。たわいもない恋の物語といえばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの
心をとらえるかといえば、そこに「純粋さ」を感ずるからではないのか。私たちの
世界には、あまりにも偽善が多すぎる。何が本物で、何がウソなのか、それす
らわからない。
が、もし人がもっとも人間らしくなれるときがあるとするなら、それは電撃に打
たれるような衝撃を受け、身も心も焼きつくすような恋をするときだ。それは人が
唯一、つかむことができる「真実」と言ってもよい。ロメオとジュリエットを見る人
は、その真実に打ちのめされる。そして涙をこぼす。しかしその涙は、決して若
者の悲恋をいとおしむ涙ではない。すぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。無
限に見えたあの青春時代も、終ってみるとうたかたの瞬間。歌はこう続く。「♪
バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女もまた同じ…」と。
相手の女性が結婚する日、私は一日中、自分の部屋で天井を見あげて寝て
いた。ほんの少しでも動こうものなら、そのまま体が爆発してしまいそうだった。
ジリジリと時間がすぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、私は何度も歯
を食いしばった。しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で美しかったこ
とはない。それが今、たまらなくなつかしい。
私は女房にこう言った。「相手の女性がどんな子でも、温かく迎えてあげよう」
と。それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。私もまた、
笑った。
悪に対する抵抗力をつける
非行は東洋医学的な発想で……
知人の紹介もあって、家の中に入れた。が、あやしげな男だった。最初は印
鑑を売りたいと言っていたが、そのうちおかしなことを言い出した。「林さんは、
疲れませんか? いい薬がありますよ」と。私はピンときた。きたから、そのまま
その男には帰ってもらった。
西洋医学では、「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻
撃する」という治療原則をうちたてる。これに対して東洋医学では、「結核になっ
たのは、体が結核菌に敗れたからだ」と考える。だから「体質を強化する」という
治療原則をうちたてる。人体に足りないものを補いながら、抵抗力をつけたり、
体質改善を試みたりする。これは東洋医学の話だが、「悪」についても、同じよ
うに考えることができる。悪そのものと戦うというのも一つの方法だが、悪に対
する抵抗力を養う。そういう方法もある。私がたまたまその男の話に乗らならな
かったのは、その抵抗力があったからにほかならない。
子どもの非行についても、同じように考えることができる。私たちは子どもの非
行を考えるとき、ともすれば非行そのものを攻撃しようとする。たとえばナイフに
よる傷害事件が起きたとする。そのとき持ち物検査をするとか、ナイフを取りあ
げるというのが、それ。暴走族による集団非行について、暴走行為そのものを
取り締まるとか、検挙するとかいうのも、それだ。
しかし子ども自身の抵抗力については、ほとんど考えない。たとえば子どもの
喫煙について。その年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚えて
くる。最初はささいな好奇心で始まるが、問題はこのあとだ。誘惑に負けてその
まま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑をはねのける子どももいる。東洋医
学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないかは、抵抗力の問
題」ということになる。そういう意味では、予防的ということになるが、実は東洋
医学の本質はここにある。東洋医学はもともとは、「病気になってから頼る医
学」というより、「病気になる前に頼る医学」という色彩が強い。あるいは「病気を
より悪くしない医学」と考えてもよい。では、どうするか。
何度もこのコラムにも書いたように、子育ての基本は、「自由」。自由とは、も
ともと「自らに由(よ)る」という意味である。つまり子どもには、自分で考えさせ
る。自分で結論を出させる。自分で行動をとらせる。自分で責任をとらせる。こう
した日常的な習慣が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗力のある子ども
にする。しかもその時期は、早ければ早いほどよい。乳幼児の段階から……と
言っても、よい。特に、静かに考える時間を大切にする。
@頭からガミガミと押しつける過干渉、
A子どもの側からみて、いつも親の視線を感ずるような過関心、
B「私は親だから」「あなたは私の子だから」式の権威主義は避ける。威圧や暴
力がよくないことは、言うまでもない。
強く叱れば叱るほど、子どもは自分で考えることができなくなる。あとはドロ沼
の悪循環。(叱る)→(ますます非常識なことをする)→(叱る)……と。その結
果、子どもはますます抵抗力の弱い子どもになる。相手が幼児のときは、特に
そうだ。「あなたはどう思う?」「どうしたらいいの?」「何をしたいの?」と問いか
けながら、要は子どものリズムにあわせて、「待つ」。こういう姿勢が、子どもの
常識力を育てる。「悪」に対する、子どもの抵抗力を強くする。
「子どもの世界」100回目
土曜日は朝、四時ごろ目がさめる
(中日新聞のコラムが、2001年6月に、100回目を迎えます。「混迷の時代の子育て論」から通算すると、125回目になります。)
毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうして、つまり暗い天井を見あげな
がら、新聞が届くのを待つ。「今日は載っているだろうか……」と、そんなことを
何度も考える。そう、私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならな
いとわからない。大きな事件やニュースがあると、私のコラムははずされる。そ
れにこう書いても信じてもらえないかもしれないが、最初の六回分を除いて、私
は一度だって執筆依頼をもらったわけではない。新聞というのは、そういうもの
らしい。あくまでも読者次第。そんなわけでいつも私が勝手に原稿を書き、それ
を新聞社に届けている。「よかったら載せてください」と。
私にとってものを書くというのは、墓石を刻むようなもの。息子たちにもときどき
こう言っている。「墓はいらない。ぼくが死んで、いつかぼくを思い出すようなこと
があれば、そのときはぼくの本を読んでほしい」と。若いころには、野心もあっ
た。この世界、本を売るためには、ある程度知名度がなければならない。が、書
いても書いても、私の本は売れなかった。「今度こそ」「今度こそ」と思ったが、
それでもだめだった。
そんな中、新聞社から原稿依頼があった。が、飛びあがって喜んだというわけ
でもない。すでにそのころ私は、かなり自信をなくし始めていた。折りからの不
況もあった。もう書くのをやめようかとさえ考えていた。で、話を聞くと、「何でもよ
い」ということだった。そこで私は「世にも不思議な留学記」を書いた。しかしこ
れはすぐにボツになった。理由はわからなかったが、「あまりにも突飛もない話」
ということだったらしい。そこで私は「混迷の時代の子育て論」を書いた。これが
好評(?)で、一九九七年の七月から、計一七回も続いた。が、新聞にものを書
くというのは、丘の上から天に向かって、ものをしゃべるようなもの。読者の顔が
見えない。反応もない。本の場合は、売れた部数イコール、好意的に読んでく
れた人の数ということになる。が、新聞にはそれもない。ないばかりか、中に
は、「こんなこと書いて!」と怒っている人だっているに違いない。
私は私だ。女房はよく、「どこかの懸賞募集に原稿を出してみたら」と言う。し
かしどこの誰が、私の生き様を判断できるというのか。私以外に、私を判断でき
る人間など、どこにいるというのか。私にとってはものを書くというのは、私の生
き様を残すことをいう。文がうまいとかヘタとか、そういうことはどうでもよい。私
がこうして文を書いて読者に訴えたいのは、文ではなく私自身なのだ。そういう
「私」を、誰が評価できるというのか。
……しばらく待っていると、新聞配達の人が新聞を届けてくれる。聞きなれた
バイクの音。そして足音。が、すぐには取りにいかない。いやときどき配達の人
がポストに新聞を入れたとたん、それを中から引っぱったらどうなるかと考える。
きっと配達の人は驚くに違いない。私はバイクの音が遠ざかったのを確かめて
から、おもむろに新聞を取りにいく。そして最初に県内版を開く。たいていそのと
きになると、横に寝ている女房も目をさまし、「載っている?」と聞く。コラムが載
っている朝は、そのまま起きて新聞を読む。載っていない朝は、そのまままた、
ふとんにもぐりこむ。こうして二年半が過ぎ、「子どもの世界」が、今日でちょうど
一〇〇回目を迎えた。読者のみなさん、ありがとうございました。
美しいあなたへ、to a beautiful lady
●だれがあなたを責めることができますか
あなは声を震わせて泣いた。それを見て私は、口をかたく結んだ。私にはあな
たの苦しみを、どうすることもできない。悲しみを、やわらげることもできない。
あなたは最初、「息子を愛せない」と言っていて、私のところに相談にきた。そ
ばにいく人かの人がいた。皆も、そして私も、そういうあなたを責めた。「気軽に
考えたら」「無理をしてはいけない」と。しかしその言葉は、あなたを苦しめた。
あなたは心のやさしい人だ。若いときから一人の男のストーカー行為に悩ん
でいた。が、あなたは「私だけががまんすれば…」と、その男に妥協した。そし
て結婚した。そして今の子どもが生まれた。そうしてできた子どもを愛せないか
らといって、だれがあなたを責めることができるだろうか。あなたはこう言った。
「結婚を断れば、事件になったかもしれない。夫が恐ろしかった」と。
あなたは美しい人だ。相談を受けながら、「あなたはこんなところにいる人で
はない」と、私は何度も心の中でつぶやいた。さんさんと降りそそぐ明るい陽光
を浴びて、あなたは金色に輝くべき人だ。あなたが笑ったら、どんなにすてきな
ことか。
「あなたにも夢があるでしょ?」と聞くと、あなたは、小さな声で、「看護婦さん
になりたい…」と。私はそのときふと、自分が病院で死ぬときは、あなたのよう
な看護婦さんにみてもらいたいと思った。が、私は精一杯、自分の顔をとりつく
ろって、こう言った。「子育ても一段落するときがきますよ。そのときがチャンスで
すよ」と。
私は冷酷な人間だ。そういうあなたに向かって、「まとわりつく子どもをいやが
るのは、ストーカーだった夫を、あなたの子どもの中に見るからだ」と言ってしま
った。何という冷酷な言葉! あなたは自分の心の中をのぞいてしまった。あな
たがそれに気づいたとき、あなたは子どもだけではなく、あなたの夫も愛せなく
なってしまった!
最後の日。涙で赤くなったあなたの目を見ながら、私はこう思った。「勇気を出
して、心を解き放ちなさい。体はあとからついてくる」と。「今のままでは、あなた
も、夫も、そして子どもも不幸になる」と。が、私には何も言えなかった。何という
無力感。何というはがゆさ。振り返ると、もうあなたはそこにいなかった。
さようなら、Yさん。お元気で。いつか看護婦さんになったら、連絡してください
ね。夢を捨ててはだめですよ。
日本の教科書検定
●まっちがってはいない。しかしすべてでもない。
オーストラリアにも、教科書の検定らしきものはある。しかしそれは民間団体
によるもので、強制力はない。しかもその範囲は、暴力描写と性描写の二つの
方面だけ。特に「歴史的事実」については、検定してはならないことになってい
る(南豪州)。
私は一九六七年、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。プサン港へ着
いたときには、ブラスバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日一日だ
け。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。私たちを直接指導し
てくれたのが、金素雲氏であったこともある。韓国を代表する歴史学者である。
私はやがて、「日本の教科書はまちがってはいない。しかしすべてを教えていな
い」と実感した。たとえば金氏は、こんなことを話してくれた。「奈良は、韓国か
ら見て、奈落の果てにある都市という意味で、奈良となった。昔は奈落と書い
て、『ナラ』と発音した」と。今でも韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。も
し氏の言うことが正しいとするなら、日本の古都は、韓国人によって創建された
都市ということになる。
もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし一
歩、日本を出ると、この種の話はゴロゴロしている。事実、欧米では、「東洋学」
と言えば、中国を意味し、その一部に韓国学があり、そのまた一部に日本学が
ある。そして全体として、東洋史として教えられている。
話は変わるが、小学生たちにこんな調査をしてみた。「日本人は、アジア人
か、それとも欧米人か」と聞いたときのこと。大半の子どもが、「中間」「アジア
人に近い、欧米人」と答えた。中には「欧米人」と答えたのもいた。しかし「アジ
ア人」と答えた子どもは一人もいなかった(約五〇名について調査)。先日もテ
レビの討論番組を見ていたら、こんなシーンがあった。アフリカの留学生が、「君
たちはアジア人だ」と言ったときのこと。一人の小学生が、「ぼくたちはアジア人
ではない。日本人だ!」と。そこでそのアフリカ人が、「君たちの肌は黄色では
ないか」とたたきかけると、その小学生はこう言った。「ぼくの肌は黄色ではな
い。肌色だ!」と。
二〇〇一年の春も、日本の教科書について、アジア各国から非難の声があ
がった。韓国からは特使まで来た。いろいろいきさつはあるが、日本が日本史
にこだわっている限り、日本が島国意識から抜け出ることはない。
人間は考えるアシである
●知識と思考は別●思考するから人間
パスカルは、「人間は考えるアシである」と言った。「思考が人間の偉大さをな
す」とも。
よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出す
というのは、別のことである。たとえばこんな会話。
A「昼に何を食べる?」B「スパゲティはどう?」A「いいね。どこの店にする?」B
「今度できた、角の店はどう?」A「いいね」と
この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、
この二人は何も考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わ
せて取り出しているに過ぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たと
えば一人の園児が掛け算の九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからとい
って、その園児は頭がよいということにはならない。算数ができるということにも
ならない。
考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、
無意識のうちにも、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそう
とする。中には考えることを他人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属
する信者と、こんな会話をしたことがある。私が「あなたは指導者の話を、少し
は疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。その人はこう言った。「C先生
は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。
人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に、意味がある。正し
いとか、まちがっているとかいう判断は、それをすること自体、まちがっている。
こんなことがあった。ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が一生懸命穴を掘っ
ていた。「何をしているの?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。
その子どもは、石は土の中から生まれるものだと思っていた。おとなから見れ
ば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考えて、そ
うしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。
多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を
身につけさせることが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」
と。それがムダだとは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切
なものを犠牲にしてしまう。かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。
私はそれを心配する。
まき散らされたゴミ
●野放しになる暴力映画●周囲文化の充実を
ある朝、清掃した海辺に一台のトラックがやってきた。そしてそのトラックが、
あたり一面にゴミをまき散らした…。
『バトル・ロワイヤル』という映画が封切られたとき、私はそんな印象をもった。
どこかの島で、生徒どうしが殺しあうという映画である。これに対して映倫は、
「R15指定」、つまり、十五歳未満の子どもの入場を規制した。が、主演のB氏
は、「入り口でチン毛検査でもするのか」(テレビ)とかみついた。監督のF氏も、
「戦前の軍部以下だ」「表現の自由への干渉」(週刊誌)と抗議した。しかし本
当にそうか?
アメリカでは暴力性の強い映画や番組、性的描写の露骨な映画や番組につい
ては、民間団体による自主規制を行っている。
【G】一般映画
【PG】両親の指導で見る映画
【PG13】十三歳以下には不適切な映画で、両親の指導で見る映画
【R】十七歳以下は、おとなか保護者が同伴で見る映画
【NC17】十七歳以下は、見るのが禁止されている映画、と。
アメリカでは、こうした規制が一九六八年から始まっている。が、この日本では
野放し。先日もビデオショップに行ったら、こんな会話をしている親子がいた。
子(小三くらいの男児)「お母さん、これ見てもいい?」母「お母さんは見ないか
らね」子「ううん、ぼく一人でみるからいい…」母「…」と。
見ると、殺人をテーマにしたホラー映画だった。
映画だけではない。あるパソコンゲームのカタログにはこうあった。「アメリカで
発売禁止のソフトが、いよいよ日本に上陸!」(SF社)と。銃器を使って、逃げま
どう住人を、見境なく撃ち殺すというゲームである。
もちろんこうした審査を、国がすることは許されない。民間団体がしなければ
ならない。が、そのため強制力はない。つまりそれに従うかどうかは、そのまた
先にある、一般の人の理性と良識ということになる。が、この日本では、これが
どうもあやしい。映倫の自主規制はことごとく空洞化している。言いかえると、日
本にはそれを支えるだけの周囲文化が、まだ育っていない…。先のB氏のよう
な人が、日本や東京都を代表する文化人として、表彰されている。
海辺に散乱するゴミ。しかしそれも遠くから見ると、砂浜に咲いた花のように
見える。そういうものを見て、今の子どもたちは、「美しい」と言う。しかし…果た
して…?
人生の秋、そして老後
●この世界、経験はもう必要ない●私の夢
今日もまた、一人の生徒がやめた。帰るときになって、私にメモを渡した。見
ると、「今度、進学塾に入ることになったから…」とあった。「元気でね」とは言っ
てみたものの、さみしかった。夜、ぼんやりとお茶を飲んでいると、女房がこう言
った。「がんばれるだけがんばって、それでだめなら、もうこの仕事はやめよう」
と。
子育てが終わるとどっとやってくるのが、老後。貯金の大半は息子たちの学
費で使い果たしてしまった。「またがんばるぞ」と思ったとたん、老後がやってく
る。持病はないが、このところ聴力がまた落ちた。自分に「がんばれ」とハッパを
かけるが、もうがんばる余地など、ほとんどない。昔、だれかがこう言った。「人
生には春もあれば、夏もあり、秋もある」と。そのときは、「そんなものあるか」と
思った。が、こうなってみると、人生の秋をしみじみと感ずる。冬はもうすぐだ。
冬じたくをしなければならない。女房はこのところ、あちこちから老人ホームの
案内書を取り寄せている。「この家と土地を売れば、何とかなるわ」と。
教育の世界には、もう経験も技量も必要、ない。それは料理のようなもの。手
のかかった料理よりも、ファーストフードの料理のほうが、おいしいと人は言う。
コストも安い。親は親で、「余計なことは教えてくれるな」と言う。私は無数の市
販教材を手がけてきたが、そういうものを生徒に売りつけたことは、一度もな
い。看板もチラシも出したことはない。教材はすべて手作り。が、そういう誠意な
ど、この世界では、どれほどの意味があるというのか。
人は私を見ると、「活躍していますね」と言う。こうしてコラムを書いたり、本を
出したりしていることをいうらしい。しかし私にはその実感はない。原稿を書くと
いっても、こうして一人でパソコンに向かっているだけ。スポーツ選手のように、
観客の声援を肌で感ずるということはない。この不況下、出版界は、空前の
(?)大不況。あわせてインターネット時代。「本が売れる」という時代は、もう終
わった。いや、貧乏がこわいのではない。こわいのはそういう貧乏と戦う気力が
なくなることだ。頭が鈍って、ものが考えられなくなることだ。
「いつかオーストラリアで、幼稚園の先生をしたい」と私。「南オーストラリアの
田舎の幼稚園がいい。お前も一緒に行くか?」と声をかけると、女房はうれしそ
うに笑った。
無条件の愛unconditional love
●「私」をなくせば、死もこわくない…?
私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもな
い。「私は自由だ」といくら叫んだところで、そこには限界がある。死は、私から
あらゆる自由を奪う。が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自
由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか…? その方法はあるのか
…?
一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら、死の恐
怖から、私は自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、
私はこんな経験をした。
息子が、アメリカ人の女性と結婚することになった。そのときのこと。息子とこ
んな会話をした。
息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカでは、花嫁の居住地で式をあげる習
わしなっている。式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けて、クリスチャンになる」
私「いいだろ」と。
その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、
グイグイと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の
会話のときは、さすがに私も声が震えた。息子「アメリカ国籍を取る」私「日本人
でなくなる、ということか…」息子「そう」「…いいだろ」と。私は息子に妥協した
のではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえに、一人
の人間として息子を許し、受け入れた。英語には「無条件の愛」という言葉があ
る。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時
に私は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。
「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめる
ことでもない。「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる
ものを、愛し、許し、受け入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、
「私」がなければ、死をこわがる理由などない。一文なしの人が、どろぼうを恐れ
ないのと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、おいでになりましたか。では
一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私は死を克服
したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することがで
きるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標
にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。
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いかなる場合も、無断で、記事の転載、転用をお断わりします。個人でコピーしてお読みいただくなどのことは、構いませんが、それを印刷するなどの方法で、多くの方に配布なさるときには、必ずご連絡ください。よろしくお願いします。
はやし浩司 |
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これらの原稿は、未発表のものが多く、また思いついたまま書いたというものばかりです。従って思想的な「ゆらぎ」や、矛盾もあるかもしれません。そういう意味で、これらのエッセイについて、皆さんの立場で、はやし浩司についてあれこれ論じていただくのは、私の望むところではありません。あくまでも皆さんの子育てに役立てていただくための参考意見としてとらえてくださることを希望します。またその範囲でのご利用については感謝しますが、それを離れて、勝手にコピーなさったり、転載、転用なさることは、かたくお断わりします。転載、転用なさるときは、必ずはやし浩司のほうまで、連絡してください。以上、重ねてお願い申し上げます。
はやし浩司 |
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