はやし浩司

01-5-7
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子どもの世界
How to cope with kids
これらの原稿は、1999年1月
〜2000年4月に、
中日新聞で発表したものの中から
選んだものです。

はやし浩司
Hiroshi Hayashi



誠司・満3歳8か月

目次

子育て、って何、
 どう考えたら いいの?


(2001年夏)の作品5作
人間は考えるアシ
平和教育を語るとき
尾崎豊の「卒業」論
子どもの「自慰」
真の自由「無条件の愛」
 「先生、私、異常でょうか?」・溺愛ママの溺愛児
        
「何だ、こいつ……。親の顔が見てみたい」・内政不干渉の大原則

「たとえ我が子でも、許さない!」・因果応報

「よくも、恥をかかせてくれたわね!」・気になる新築の家のキズ

「母親は錯乱状態になって、暴れました」・己こそ、己のよるべ

「……どうしたらいいでしょうか」・帰宅拒否をする子ども

「そう言えば……」・子育ては条件反射  
     
「それまでは、愛だとか平和だとか……」・家庭内子育て戦争

「あんたなんか、おうちに帰りなさい!」・根性のある子ども 
    
「よけいなお節介だ」・壮絶な家庭内暴力         

「バカとは何よ! あやまりなさい!」・父母との交際は慎重に

「勉強しろ!」「ウルサイ!」・見え、メンツ、世間体

「あんたは、教師ヅラをして……」・一〇%のニヒリズム  

「頭はボコボコ、顔中、あざだらけ」・虐待される子ども

「一度でいいから、会わせてください」・キズつく子どもたち

「二人のダ作を作るより、子どもは一人」・すさまじい学歴信仰

「所詮、性なんて無だよ、無」・変わった性意識

「親のために、大学へ行ってやる」・本末転倒の世界    
   
「あのはやしは頭がおかしい」・個性とはバイタリティ

「皆さん、気をつけてくださいよ」・悪徳化する学習産業

「二一世紀は暗い。一緒に死のう」・はびこるカルト信仰

「アユが縄張り争いをしない」・養殖される子どもたち      

「親に向かって、何だ、その態度は!」・権威主義の象徴

「お宅の子どもを、落第させましょう」・学校は人間選別機関?

「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」・出世主義VS家族主義 
 
「成績がさがったから、ゲームは禁止!」・子育ては自然体で 

「オレをこんなオレにしたのは、テメエだ!」・親離れ、子離れ

「日本の教育はバカげている」・日本の常識、世界の標準?

「どうせそういうヤツは……」・善悪のバランス感覚

「いろいろやってはみましたが……」・子育てプロセス論

「ぼく、たくろう、ってんだ」・子どもは人の父  
       
「ヒロシ、許して忘れろ。OK?」・許して忘れる

「やっと楽になったと思ったら……」・今を生きる子育て論

「パパ、ありがとう」・父のうしろ姿

「もう何がなんだか、わけが……」・あきらめは悟りの境地

「ぼくは楽しかった」・脳腫瘍で死んだ一磨君

「もっと息子たちのそばにいてやれば……」・子どもが巣立つとき

「生きていてくれるだけでいい」・生きる源流に視点を  
     
「それ以上、何を望むのですか」・家族の真の喜び        
 


子育て、って、何?
 どう考えたら いいの?

 不安と心配……。
お子さんの行く手をふさぐ霧を前に、
あなたはふと立ち止まって、
ため息をつくかもしれません。
「この子は、どうなるんだろう」って。
あるいは霧の中で迷いながら、
「どう、育てたらいいのだろう」って。
そんなあなたのための、育児法。
 この項を読み終えたとき、
 あなたはその向こうに、
 出口の明かりを、見るはずです。

(♪+動画・紹介コーナーへ)



***************************************

人間は考えるアシ

 パスカルは、「人間は考えるアシである」と言った。「思考が人間の偉大さをなす」とも。
 よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、別
のことである。たとえば、こんな会話。

 A「昼に何を食べる?」B「スパゲティはどう?」A「いいね。どこの店にする?」B「今度できた、
角の店はどう?」A「いいね」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何も
考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて取り出しているにすぎな
い。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラペラ
と言ったとする。しかしだからといって、その園児は頭がよいということにはならない。算数がで
きるということにもならない。

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識のうちに
も、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。中には考えることを他
人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話をしたことがある。私
が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。その人はこう
言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に、意味がある。正しいとか、間違っ
ているとかいう判断は、それをすること自体、間違っている。こんなことがあった。ある朝幼稚
園へ行くと、一人の園児が一生懸命穴を掘っていた。「何をしているの?」と声をかけると、「石
の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中から生まれるものだと思っていた。
おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考えて、そ
うしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけさせる
ことが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。それがムダだとは思わない
が、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にしてしまう。かえって子どもから
考えるという習慣を奪ってしまう。私はそれを心配する。


平和教育を語るとき

 平和教育について一言。私の伯父は関東軍第七三一部隊の教授だった。残虐非道な生体
実験をした、あの細菌兵器研究部隊である。そのことがある本で暴露されたとき、伯母はその
本を私に見せながら、人目もはばからず、大声で泣いた。「父ちゃん(伯父)が死んでいて、よ
かったァー」と。伯父はその少し前、脳内出血で死んでいた。

 ドイツのナチスは、千百万人のユダヤ人絶滅計画をたて、あのアウシュビッツだけで、四百
万人のユダヤ人を殺した。そういう事実を見て、多くの日本人は、「私たち日本人はそういうこ
とをしない」と言う。しかし本当にそうか? ゲーテやシラー、さらにはベートーベンまで生んだド
イツですら狂った。この日本も狂った。狂って、同じようなことをした。それがあの七三一部隊で
ある。が、伯父は私が知る限り、どこまでも穏やかでやさしい人だった。囲碁のし方を教えてく
れた。漁業組合の長もしていたので、よく鵜飼いの舟にも乗せてくれた。いや、一度だけ、こん
なことがあった。ある夜、伯父と一緒に夕ご飯を食べていたときのこと。伯父が新聞の切り抜き
を見せてくれた。見ると、伯父がたった一人で中国軍と戦い、三十名を殺したという記事だっ
た。当時としてもたいへんな武勲で、そのため伯父は国から勲章を受けた。記事はそのときの
ものだった。が、私が「おじさん、人を殺した話など自慢してはだめだ」と言うと、伯父は突然激
怒して、「貴様ァ! 何抜かすかァ!」と叫んで、私を殴った。その夜私は、泣きながら家に帰っ
た。

 もしどこかの国と戦争をすることになっても、敵はその国ではない。その国の人たちでもな
い。敵は、戦争そのものである。あの伯父にしても、私にとっては父のような存在だった。家も
近かった。いつだったか私は私の血の中に伯父の血が流れているのを知り、自分の胸をかき
むしったことがある。時代が少し違えば、私がその教授になっていたかもしれない。いや、戦争
が伯父のような人間を作った。伯父を変えた。繰り返すが伯父は、どこまでも穏やかでやさし
い人だった。倒れたときも、中学校で剣道の指導をしていた。伯父だって、戦争の犠牲者なの
だ。戦争という魔物に狂わされた犠牲者なのだ。つまり戦争には、そういう魔性がある。その魔
性を知ること。その魔性を教えること。その魔性と戦うこと。敵は私たち自身の中にいる。それ
を忘れて平和教育は語れない。


尾崎豊の「卒業」論

 学校以外に学校はなく、学校以外に道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は「卒業」の中でこ
う歌った。「♪…チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従うべきかを考えてい
た」と。「人間は自由だ」と叫んでも、それは幻想に過ぎない。

 現実にはコースがあり、そのコースに逆らえば逆らったで、ルーザー(負け犬)のレッテルを
張られてしまう。尾崎はそれを「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。

 宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢を持て」と。しかし夢を
持てば持ったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことすら許されない。

 ほんの一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけがそこそこの夢をかなえる
ことができる。大半の子どもはその課程で、もがき、苦しみ、挫折する。

 尾崎はこう続ける。「♪放課後ふらつき、おれたちは風の中。孤独、瞳(ひとみ)に浮かべ、寂
しく歩いた」と。
 日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パツ、
腰パン姿の学生を「落ちこぼれ」と決めてかかる。しかし彼らとて精いっぱい、自己主張してい
るだけだ。それがダメだというなら、彼らにはほかに、どんな方法があるというのか。

 そういう弱者に向かって、服装を正せと言っても、無理。尾崎もこう歌う。「♪行儀よくまじめな
んてできやしなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じられぬおとなとの争い」でもあった。
 実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が二億円もあるようなニュースキャスター
が「不況で生活が大変です」と顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につけているテ
レビタレントが、別のところで、涙ながらに難民への寄付を訴える。こういうのを見せつけられ
ると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。

 そこで尾崎はそのホコ先を、学校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回る…」と。もちろ
ん窓ガラスを壊すという行為は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方法が思いつか
なかったのだろう。いや、その前にこういう若者の行為を、だれが「石もて、打てる」のか。

 この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、二百万枚を超えた。この
数字こそが、現代の教育に対する、若者たちの、まさに声なき抗議とみるべきではないのか。


子どもの自慰

 (Q)「私が居間で昼寝していたときのこと。六歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよ
せてきました。小さいながらもペニスが勃起しているのがわかりました。注意したかったのです
が、そうすれば息子のプライドをキズつけるように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしてい
ました。こういうとき、どう対処したらいいのでしょうか」(三十二歳母親)

 (A)フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に分けている。(1)口唇期…口の中にいろ
いろなものを入れて快感を覚える。(2)肛門期…排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に
興味を示したり、そこをいじったりする。(3)男根期…満四歳くらいから、性器に特別の関心を
持つようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレ
ス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為
をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自
慰もその一つと考える。

 つまりこういう行為が日常的に見られたら子どもの周辺にそのストレスの原因(ストレッサー)
となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふさぎこみ、ぐずぐ
ず、イライラ、気分のムラ、気むずかしい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)をともなうことが多
い。
 そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないばかりか、かえって症状を悪化させることもある
ので注意する。

 さらに幼児の場合、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自分
の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情緒
障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないこと
を言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗するそ
ぶりをみせるかもしれないが、やがて静かに落ち着く。
 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サ
ラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。
 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうし
ても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることが
ある。


真の自由「無条件の愛」

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由
だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐
怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。
 しかし
それは可能なのか…?  
その方法はあるのか…? 

 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自
分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。
 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカでは、花嫁の居住地で式をあげる習わしになってい
る。式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。
 その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺
さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声
が震えた。
 息子「アメリカ国籍を取る」
 私「日本人をやめる、ということか…」
 息子「そう」
 私「…いいだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえ
に、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には「無条件の愛」という言葉がある。私
が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が
抜けるほど軽くなったのを知った。

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身の回りの、ありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け
入れるということ。「私」があるから、死が怖い。が、「私」がなければ、死を怖がる理由などな
い。一文無しの人は、泥棒を恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、おい
でになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私は
死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができるよ
うになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子がそれ
を、私に教えてくれた。

++++++++++++++以下、本編++++++++++++++++++++
「先生、私、異常でしょうか?」・溺愛ママの溺愛児

 「先生、私、異常でしょうか」と、その母親は言った。「娘(年中児)が、病気で休んでくれると、
私、うれしいのです。私のそばにいてくれると思うだけで、うれしいのです。主人なんか、いても
いなくても、どちらでもいいような気がします」と。私はそれに答えて、こう言った。「異常です」
と。

 今、子どもを溺愛する親は、珍しくない。親と子どもの間に、距離感がない。ある母親は自分
の子ども(年長男児)が、泊り保育に行った夜、さみしさに耐え切れず、一晩中、泣き明かした
という。また別の母親はこう言った。「息子(中学生)の汚した服や下着を見ると、いとおしくて、
ほおずりしたくなります」と。

 親が子どもを溺愛する背景には、親自身の精神的な未熟さや、情緒的な欠陥があるとみる。
そういう問題が基本にあって、夫婦仲が悪い、生活苦に追われる、やっとのことで子どもに恵
まれたなどという事実が引き金となって、親は、溺愛に走るようになる。肉親の死や事故がきっ
かけで、子どもを溺愛するようになるケースも少なくない。そして本来、夫や家庭、他人や社会
に向けるべき愛まで、すべて子どもに注いでしまう。その溺愛ママの典型的な会話。先生、子
どもに向かって、「A君は、おとなになったら、何になるのかな?」母親、会話に割り込みなが
ら、「Aは、どこへも行かないわよね。ずっと、ママのそばにいるわよねエ。そうよねエ〜」と。

 親が子どもを溺愛すると、子どもは、いわゆる溺愛児になる。柔和でおとなしく、覇気がない。
幼児性の持続(いつまでも赤ちゃんぽい)や退行性(約束やルールが守れない、生活習慣がだ
らしなくなる)が見られることが多い。満足げにおっとりしているが、人格の核形成が遅れる。こ
こでいう「核」というのは、つかみどころをいう。輪郭といってもよい。子どもは年長児の中ごろ
から、少年少女期へと移行するが、溺愛児には、そのときになっても、「この子はこういう子だ」
という輪郭が見えてこない。乳幼児のまま、大きくなる。ちょうどひざに抱かれたペットのようだ
から、私は「ペット児」と呼んでいる。

 このタイプの子どもは、やがて次のような経路をたどる。一つはそのままおとなになるケー
ス。以前『冬彦さん』というドラマがあったが、そうなる。結婚してからも、「ママ、ママ」と言って、
母親のふとんの中へ入って寝たりする。これが全体の約三〇%。もう一つは、その反動から
か、やがて親に猛烈に反発するようになるケース。ふつうの反発ではない。はげしい家庭内暴
力をともなうことが多い。乳幼児期から少年少女期への移行期に、しっかりとそのカラを脱いで
おかなかったために、そうなる。だからたいていの親はこう言って、うろたえる。「小さいころは、
いい子だったんです。どうして、こんな子どもになってしまったのでしょうか」と。これが残りの約
七〇%。

 子どもがかわいいのは、当たり前。本能がそう思わせる。だから親は子どもを育てる。しかし
それはあくまでも本能。性欲や食欲と同じ、本能。その本能に溺れてよいことは、何もない。


「何だ、こいつ……。親の顔が見てみたい」・内政不干渉の大原則
                
 他人の子育てには干渉しない。この世界には、内政不干渉の大原則というのがある。つまり
この世界ほど、『言うは易く、行うは難し』という世界は、ない。こんなことがあった。

 私の姉の長男が、小学校入学を前に、急性のネフローゼ(腎機能障害)になり、そのため市
内の総合病院に緊急入院することになった。姉は、隣町に住んでいたから、毎日電車でこの
町へやってきて、そこからバスで病院へ通った。週に数度しかこなかった義兄ですら、そのた
め体重が四〜五キロ減ったというから、それがいかにたいへんだったかがわかる。長男は絶
対安静のまま、数か月入院した。

 で、やっとのことで、本当にやっとのことで、姉は退院を入学式に間に合わせた。「何としても
入学式までに」という思いが、天に通じた。が、はじめての参観日でのこと。担任の先生が姉を
呼びとめて、こう言った。「お宅の子は左利きです。親がちゃんと指導しなかったから、こうなっ
てしまったのです」と。学校から帰る道すがら、姉は、「左利きぐらいが、何だ!」と、泣けて泣
けてしかたなかったという。

 他人の子育てに干渉して、「しつけがなっていない」とか言うのは、たいてい子育ての経験の
ない人だ。自分で子育てをしてみると、そのたいへんさがよくわかる。そしてそれがわかればわ
かるほど、口が重くなる。だいたいにおいて、思うようにならないのが子育て。あの『クレヨンし
んちゃん』の中にも、こんなシーンがある(V7巻冒頭)。

 母親のみさえが庭掃除をしていると、二人の男子高校生が通りかかる。それを見て、みさえ
が、「何よ、あのかっこう。だらしないわね。親の顔を見てみたい」と。すると今度はその高校生
たちが、こう叫ぶ。「な、何だ、こいつ……。親の顔が見てみたい」と。みさえがその方向を見る
と、しんのすけが、チンチン丸出しで歩いてくる……。

 少し話が脱線したが、人はそれぞれの思いの中で自分の子育てをする。それが正しくても正
しくなくても、その人はその人で、子どもを懸命に育てている。その懸命さを少しでも感じたら、
その人の子育てを批判してはならない。私たちがせいぜいできることと言えば、その親の身に
なって、その心を軽くするようなことを言ったり、アドバイスすることでしかない。この私とて、こ
の三〇年間貫いている主義が、一つ、ある。それはいかにその子どもに問題があったとして
も、親の方から聞いてくるまでは、それを指摘しないということ。仮に相手が、「最近、うちの
子、どうでしょう」と話しかけてきても、すかさず、「おうちではどうですか」と聞き返すことにして
いる。つまりそうすることで、親が何をどの程度まで知りたがっているか、さぐりを入れるように
している。一見、冷たい指導法に見えるかもしれないが、それは子育てをしている親に対する、
私の敬意の表れでもある。

 子育てには、その人の全人格が凝縮されている。ものの考え方、価値観、思想など、すべて
がそこに集中する。だから相手の子育てを批判するということは、その人自身を批判すること
に等しい。だから、内政不干渉。この言葉のもつ意味の重さを理解していただければ、幸いで
ある。


「たとえ我が子でも、許さない!」・因果応報
 
 仏教では、こう教える。『因果応報』と。ものごとには原因と結果があるという意味だが、これ
を教育の世界では、「世代伝播」という。たとえば暴力に慣れた子どもは、親になると、やはり
暴力的な親になりやすい。育児拒否や家庭崩壊を経験した子どもは、親になると、家庭作りに
失敗しやすい、など。反対に、頭のよい親の子どもは、概して頭がよい。いや、これは伝播とい
うより、遺伝によるものか。つまり子育てというのは、よきにつけ悪しきにつけ、世代から世代
へと、伝播しやすいということ。いろいろな例がある。

 ある父親は自分の娘を抱きながら、「これでいいのか」「どの程度、抱けばいいのか」「抱きグ
セがつくのではないか」と悩んでいた。自分自身が、いろいろと事情があって、親に抱かれた経
験がなかった。あるいは別の親は、子どものささいな失敗を大げさにとらえては、子どもを殴り
飛ばしていた。私が「何も、そこまでしなくても」と言うと、その父親は、「ワシは、まちがったこと
が大嫌いだ。たとえ我が子でも、許さない」と。その父親も、不幸にして不幸な家庭に育ってい
た。

 もしあなたが子育てをしていて、どこかにぎこちなさや、不自然さを感じたら、あなた自身の
「親像」を疑ってみる。多分、あなたの中に、しっかりとした親像が入っていない。もっと言えば、
あなたは「親」というものが、どういうものであるか知らないまま、今、子育てをしている。子育て
は、自分の中に、「育てられた」という経験があって、はじめてできる。もう少し端的に言えば、
子育ては本能ではなく、体験によってできるようになる。

 ところで愛知県の犬山市にあるモンキーセンターには、頭のよいチンパンジーがいるという。
人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだ
が、そのチンパンジーが、一九九八年の夏、妊娠した。が、飼育係の人が心配したのは、その
ことではない。「はたしてこのチンパンジーに、子育てができるかどうか」(中日新聞)だった。人
工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのような、頭のよい動
物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回る親もいるという。いわんや、人間をや。

 さて本論。それぞれの人には、それぞれの過去がある。それはそれだが、その前提として、
完ぺきな過去をもった人は少ない。言いかえれば、どんな人でも、何らかの重荷を背負って生
きている。子育てについて言えば、心やさしい両親の愛に包まれて、何の不自由もなく育った
人のほうが、稀だ。つまり、どんな人でも、それぞれの問題をかかえている。しっかりとした親
像がないからといって、自分の過去をのろってはいけない。

 そこであなた自身を振り返ってみてほしい。あなたはどんな子育てを受けただろうか。つまり
どんな親像が入っているだろうか。もしあなたの過去に「暗い部分」があったら、それはあなた
の代で断ち切る。子どもに伝えてはいけない。それを昔の人は、「因果を断つ」と言ったが、方
法は簡単。その暗い部分に気づくだけでよい。それだけで、この問題の大半は解決する。一
度、じっくりと、自分を観察してみてほしい。


「よくも、恥をかかせてくれたわね!」・気になる新築の家のキズ

 新築の家のキズは、気になる。私も少し前、ノートパソコンを通販で買ったが、そのパソコン
には、最初から一本のすりキズがついていた。それがそのとき、私は気になってしかたがなか
った。子育てもそうだ。子どもが年少であればあるほど、親は子育てに神経質になる。「英語教
室の先生はアメリカ人だが、日系二世だ。ヘンな発音が身についてしまうのでは」「こっそりと
参観に行ったら、ひとりで砂場で遊んでいた。いじめにあっているのでは」「授業中、隣の子と
話をしていた。集中力がないのでは」など。それはわかるが、度を超すと、先生と親の信頼関
係そのものを破壊する。いろいろなケースがある。

 ある幼稚園の若い先生は、電話のベルが鳴るたびに、心臓が止まる思いをしていた。また別
のある幼稚園の園長は、一人の親からの小型の封筒の手紙が届くたびに、手を震わせてい
た。こうした症状がこうじて、長期休暇をとっている先生や、精神科の医師の世話になっている
先生は多い。どこの幼稚園にも一人や二人は、必ずいる。

 親から見れば、子どもを介しての一対一の関係かもしれないが、先生から見ると、三〇名の
生徒がいれば、一対三〇。一人や二人の苦情には対処できても、それが四人、五人ともなる
と、そうはいかない。しかも親の欲望には際限がない。できない子どもが、ふつうになったとして
も、親は文句を言う。自分自身に完ぺきさを求めるならまだしも、先生や教育に、完ぺきさを求
める。そしてささいなことを大げさにしては、執拗に、先生を責めたてる。ふだんは常識豊かな
人でも、こと子どものこととなると、非常識になる人は多い。私もいろいろな経験をした。私が五
月の連休中、授業を休んだことについて、「よそのクラスは月四回の指導を受けている。私の
クラスは三回だ。補講せよ」と言ってきた父親(歯科医師)がいた。私がそれを断ると、その親
は、「お前を詐欺罪で訴えてやる。ワシは顔が広い。お前の仕事をつぶすことぐらい、朝飯前
だ」と。また別の日。たまたま参観にきていた父親に、授業を手伝ってもらったことがある。しか
しあとで母親(妻)から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「よくもうちの主人に恥をかかせて
くれたわね! どうしてくれるの!」と。ふつうの電話ではない。毎日、毎晩、しかもそれぞれの
電話が、ネチネチと一時間以上も続いた。この電話には、さすがに私の女房もネをあげた。電
話のベルの音がするたびに、女房はワナワナと体を震わせた。

 あなたが園や学校の先生に、あれこれ苦情を言いたい気持ちはよくわかる。不平や不満も
あるだろう。しかし新築の家のキズはキズとして、あきらめることはサッとあきらめる。忘れるこ
とはサッと忘れる。子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、神経質な過関心は、思
い出を見苦しくする。あなた自身や子どもの健康にも、よくない。よけいなことかもしれないが、
子どもはキズだらけになってはじめて、たくましくなる。キズつくことを恐れてはいけない。私の
パソコンも、今ではキズだらけ。最初のころは毎日、そのつどカバーをかけてしまっていたが、
今では机の上に出しっぱなし。しかし使い勝手はぐんとよくなった。子育ても、それと同じ。今、
つくづくとそう思う。


「母親は錯乱状態になって、暴れました」・己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。法句経
というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分こそが、
自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分のことは自分でせ
よ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと
「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で
責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基
本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイ
プの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。

 私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」母、横から、「おばあちゃんの家でし
ょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」私、再び、子どもに向かって、「楽
しかったかな」母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いな
さい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変え
て、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親は今の夫と
いやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃん
とできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自
分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面で
の過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで子育てをするな
ど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもにな
る。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自
分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩をし
ているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動に
かられます」と。また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたとき
のこと。警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た
またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を叩
いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。


「……どうしたらいいでしょうか」・帰宅拒否をする子ども

 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子どもがふ
えている。S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。「幼稚園で帰る時刻になると、うちの
子は、どこかへ行ってしまうのです。それで先生から電話がかかってきて、これからは迎えにき
てほしいと。どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、園舎の
裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。そこで皆でさがすのですが、お
かげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうのです」と。私はその話を聞いて、「帰宅
拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言えば、家庭が、家庭としての機能を
果たしていない……。まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。幼児の
ばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつれて、当
然、家庭の役割も変わってくる。また変わらねばならない。子どもは外の世界で疲れた心や、
キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。つまり家庭が、「やすらぎの場」でなければな
らない。が、母親にはそれがわからない。S君の母親も、いつもこう言っていた。「子どもが外
の世界で恥をかかないように、私は家庭でのしつけを大切にしています」と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』というのがある。つまり人というの
は、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの頭の上に座ったほうが、気が休まるとい
うことを言ったものだが、本来、家庭というのは、そのカボチャの頭のようでなくてはいけない。
あなたがピリピリしていて、どうして子どもは気を休めることができるだろうか。そこでこんな簡
単なテスト法がある。

 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみてほし
い。もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめてよい人間関
係にある。しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの姿を見ると、どこか
へ逃げていくようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態にあると判断してよい。もう少
しひどくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、ということになるかもしれない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不自然
に遅い。毎日のように寄り道や回り道をしてくる。あるいは外出や外泊が多いということであれ
ば、この帰宅拒否を疑ってみる。家が狭くていつも外に遊びに行くというケースもあるが、子ど
もは無意識のうちにも、いやなことを避けるための行動をする。帰宅拒否もその一つだが、「家
がいやだ」「おもしろくない」という思いが、回りまわって、帰宅拒否につながる。裏を返して言う
と、毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただいま!」と帰ってくるだけでも、あなたの
家庭はすばらしい家庭ということになる。


「そう言えば……」・子育ては条件反射

 子どもを育てるときは、子どもに子ども(あなたから見れば孫)の育て方を教えるつもりで育て
る。子どもを叱るときは、子どもに子ども(孫)の叱り方を教えるつもりで叱る。これは子育ての
大原則だが、しかしそうはうまくいかない。多くの親はこう言う。「頭の中ではわかっているので
すが、いざその場になると、ついカッとしてしまって」と。その通り。子育てをいちいち考えてする
人など、いない。わかりやすく言えば、子育ては条件反射のかたまり。条件反射が悪いという
のではない。この条件反射があるから、人間の行動のほとんどは、スムーズに流れる。たとえ
ば机の上のコップを手にするとき、「右手で取ろうか、左手で取ろうか」「コップの上のほうをつ
かもうか、下のほうをつかもうか」などと考えてする人は、いない。何も考えなくても、手はのび、
コップをつかむ。無意識のうちに、そうする。問題は、その条件反射の中身。よい条件反射で
あれば、問題はない。たとえば子どもが何かを失敗したとき、すぐ子どもの立場になって、「だ
いじょうぶだった?」と聞くなど。しかし悪い条件反射もある。同じように子どもが何かを失敗し
たとき、「いつになったら、あなたは!」と言って、子どもの頭をバシッと叩くなど。こういう条件
反射が日常化すると、あなたの子どもの心は、確実にゆがむ。性格もゆがむ。

 そこでもしそうなら、つまり悪い条件反射が日常化しているなら、あなた自身の中に潜んで、
あなたを裏から操る「わだかまり」をさぐってみる。何か、あるはずである。たとえばあなたの子
どもは、望む前に生まれてしまった子どもかもしれない。はじめての子どもで、何かにつけて不
安と心配の連続だったかもしれない。あるいはあなたの子どもはいつもあなたにとって、失望
の種であったかもしれない。子どもがあなたのいやな性格を引き継いでいて、それを見せつけ
られるたびに、不愉快になるということもある。ハキハキしない、生意気だ、返事のし方が気に
食わない、など。自分自身が学歴コンプレックスをもっていて、子どもの成績がほんの少しさが
っただけで、言いようのない不安にかられる人もいた。こんなケースもある。ある父親と息子
(小三)だが、ささいなことですぐ大喧嘩になってしまう。その直前まで仲がよくても、だ。父親は
こう言った。「人をバカにしたような目つきで私を見る。それが許せない。そこで『何だ、その目
つきは!』と叱ると、私を無視して顔をそむける。それで喧嘩になってしまう」と。息子は息子
で、「パパはすぐ怒る」と言う。そこでさらに父親に話を聞くと、「そう言えば……」と言って、こん
なことを話してくれた。その父親は高校生のとき、いじめに苦しんでいた。そのいじめる相手
が、同じような目つきをしていたというのだ。つまりそれがわだかまりになっていた。

 人間の心というのは、一見複雑なようで、その実、単純なものだ。わだかまりをさぐらなけれ
ば、条件反射はなくならない。が、そのわだかまりが何であるかわかれば、それだけでその条
件反射は消える。そんなわけでもし、あなたがいつも悪い条件反射を繰り返しているというので
あれば、一度、そのわだかまりをさぐってみたらよい。なぜ、同じことを繰り返すのか、と。その
あと多少の時間はかかるが、それで問題は解決する。


「それまでは、愛だとか平和だとか……」・家庭内子育て戦争

 明らかに過保護な子ども(年中男児)がいた。原因は、おばあさん。そこである日、たまたま
母親が迎えにきていたので、その母親にこう言った。「少し、おばあちゃんから離したほうがい
いですよ」と。おばあさんは、ベタベタに子どもをかわいがっていた。が、この一言が、その後、
大騒動の引き金になろうとは!

 それから一か月後。母親がすっかり疲れきった様子で、幼稚園へやってきた。あまりの変わ
りように驚いて、私が「どうしたのですか」と声をかけると、こう話してくれた。「いやあ、先生、あ
れからたいへんでしたの。祖父母と別居か、さもなくば離婚ということになりまして、結局、祖父
母とは別居することになりました」と。ほかのことならともかく、親も、こと子どものこととなると、
妥協しない。こんなこともあった。

 その老人は、たいへん温厚で、紳士的な人だった。あとで聞くと、中学校の教師をしていたと
いう。その老人が、どういうわけだか、D君(年長児)の入試に、異常にこだわっていた。「先
生、何としても孫には、A小学校に入ってもらわねば困るのです」と。私はその老人の気持ちが
理解できなかった。「元先生ともあろう人が、どうして?」と。が、ある日、その理由がわかった。
老人は、こう話してくれた。D君の父親は、隣町の浜北市で勤務医をしていた。もしD君がA小
学校に入学すれば、D君は、その老人の家から小学校へ通うことになる。が、入学できなけれ
ば、D君は浜北市の親のもとへ帰ることになる、と。しかし入試の直前になって、事態が急変し
た。親が入試を受けることに、猛烈に反対し始めたのだ。私のところにも父親から電話がかか
ってきた。「今後は、我が家の教育については干渉しないでほしい。息子は浜北市の地元の小
学校に通わせることにしたから」と。

 この事件はそれで終わったが、それから半年後。そのときその老人は、自転車に乗っていた
が、車ですれ違うと、別人のようにやつれて見えた。孫の手を引きながら、意気揚揚と幼稚園
へ連れてきた、あのハツラツとした姿は、もうどこにもなかった。あとで聞くと、それからさらに
半年後。その老人は何かの病気で亡くなってしまったという。その老人にとっては、孫育てが生
きがい以上のもの、つまり「命」そのものだった。

 孫を取りあって、父母との間で壮絶な、家庭内戦争を繰り広げている人はいくらでもいる。し
かし世の中には、こんな悲惨な例もある。例というより、一度、あなた自身のこととして考えてみ
てほしい。あなたなら、こういうケースでは、一体どうするだろうか。

 ある祖父母には、目に入れても痛くないほどの一人の孫がいた。が、その孫が交通事故に
あった。手術をすれば助かったのだが、その手術に、嫁が、がんとして反対した。嫁は、ある宗
教教団の熱心な信者だった。その教団では、手術を拒否するように指導している。一度私が
教団に確認すると、「そういう指導はしていません。しかし熱心な信者なら、自ら拒否することも
あるでしょう」とのこと。ともかくもそれで、その孫は死んでしまった。 

 その祖父はこう言って、言葉をつまらせた。「それまでは、愛だとか平和だとか、嫁の宗教
も、それほど悪いものではないと思っていたのですが……」と。


「あんたなんか、おうちに帰りなさい!」・根性のある子ども
 
 自分の意思を貫こうとする強い自我を、根性という。この根性さえあれば、この世の中、何と
かなる。反対にこの根性がないと、せっかくよい才能や頭脳をもっていても、ナヨナヨとした人
生観の中で、社会に埋もれてしまう。

 ある男の子(年長児)は、レストランで、「もう一枚、ピザを食べる」と言い出した。そこで母親
が、「お兄ちゃんと半分ずつにしなさい」と言うと、「どうしても一枚食べる」と。母親はあきらめ
て、もう一枚注文したが、その子どもは、ヒーヒー言いながら食べたという。あとで母親が、「お
となでも二枚はたいへんなのに」と笑っていた。

 またある幼稚園で先生が一人の男の子(年中児)に、「あんたなんか、もう、おうちに帰りなさ
い!」と言ったときのこと。先生は軽いおどしのつもりでそう言っただけなのだが、その子ども
は先生の目を盗んで教室を抜け出し、家まで歩いて帰ってしまった。先生も、まさか本当に帰
るとは思っていなかった。母親もまた、「おとなの足で歩いても、一時間はかかるのに」と笑って
いた。こういう子どもを、根性のある子どもという。

 その自我。育てる、育てないという視点ではなく、引き出す、つぶすという視点で考える。つま
りもともとどんな子どもにも、自我は平等に備わっているとみる。それは庭にたむろするスズメ
のようなものだ。あのスズメたちは、犬の目を盗んでは、ドッグフードをかすめ取っていく。そう
いうたくましさが人間にもあったからこそ、私たちは、何十万年もの長い年月を、生きのびるこ
とができた。

 が、多くの親たちは、その自我をつぶしてしまう。過干渉や過関心、威圧的な子育てや親の
完ぺき主義、さらには親の情緒不安が、子どもの自我をつぶす。親が設計図をつくり、その設
計図にあてはめるのも、まずい。子どもは小さくなり、その小さくなった分だけ、自我をそがれ
る。

 反対に自我を引き出すためには、まず子どもは、あるがままを認める。そしてあるがままを
受け入れる。できがよくても、悪くても、「これがうちの子だ」と納得する。もっとはっきり言えば、
あ・き・ら・め・る。一見いいかげんな子育てに見えるかもしれないが、子どもは、そのいいかげ
んな部分で、羽を伸ばす。自分の自我を引き出す。

 ただしここでいう自我と、がんこは区別する。自分のカラに閉じこもり、かたくなになるのをが
んこという。たとえばある男の子(年長児)は、幼稚園では同じ席でないと、絶対に座らなかっ
た。また別の男の子(年長児)は、二年間、ただの一度もお迎えの先生にあいさつをしなかっ
た。そういうのは、がんこという。

 また自我は、わがままとも区別する。「この前、お兄ちゃんは、○○を買ってもらったのに、ど
うしてぼくには買ってくれないのか」と、主張するのは自我。しかし理由もなく、「あれ買って!」
「これ買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。ふつう幼児のばあい、わがままは
無視するという方法で対処する。「わがままを言っても、誰も相手にしませんよ」という姿勢を貫
く。


「よけいなお節介だ」・壮絶な家庭内暴力

 T君は私の教え子だった。両親は共に中学校の教師をしていた。私は七、八年ぶりにそのT
君(中二)のうわさを耳にした。たまたまその隣家の人が、私の生徒の父母だったからだ。いわ
く、「家の中の戸や、ガラスはすべてはずしてあります」「お父さんもお母さんも、廊下を通るとき
は、はって通るのだそうです」「お母さんは、中学校の教師を退職しました」と。私は壮絶な家庭
内暴力を、頭の中に思い浮かべた。

 T君はものわかりのよい「よい子(?)」だった。砂場でスコップを横取りされても、そのまま渡
してしまうような子どもで、やさしく、いつも柔和な笑みを浮かべていた。しかし私は、T君の心
に、いつもモヤのような膜がかかっているのが気になっていた。

 よく誤解されるが、幼児教育の世界で「すなおな子ども」というときは、自分の思っていること
や考えていることを,ストレートに表現できる子どものことをいう。従順で、ものわかりのよい子
どもを、すなおな子どもとは、決して言わない。むしろこのタイプの子どもは、心に受けるストレ
スを内へ内へとためこんでしまうため、心をゆがめやすい。T君はまさに、そんなタイプの子ど
もだった。

 症状は正反対だが、しかしこの家庭内暴力と同列に置いて考えるのが、引きこもりである。
家の中に引きこもるという症状に合わせて、夜と昼の逆転現象、無感動、無表情などの症状
が現われてくる。しかし心はいつも緊張状態にあるため、ふとしたきっかけで爆発的に怒った
り、暴れたりする。少年期に発症すると、そのまま学校へ行かなくなってしまうことが多い。この
タイプの子どもも、やはり外の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずる。

 そのT君について、こんな思い出がある。私がT君の心のゆがみを、母親に告げようとしたと
きのことである。いや、その前に一度、こんなことがあった。私が幼稚園の別の教室で授業を
していると、T君はいつもこっそりと自分の教室を抜け出し、私の教室へきて、学習していた。T
君の担任が、よく連れ戻しにきた。そこである日、私はT君の母親に電話をした。「私の教室へ
よこしませんか」と。それに答えてT君の母親は猛烈に怒って、「勝手に誘わないでほしい。うち
にはうちの教育方針というものがあるから!」と。しかしT君はそれからしばらくして、私の教室
へ来るようになった。家でT君が、「行きたい」と、せがんだからだと思う。以後私は、半年の
間、T君を教えた。

 で、その「ゆがみ」を告げようとしたときのこと。母親はこう言った。「あんたは、私たちがお願
いしていることだけをしてくれればいい」と。つまり「よけいなお節介だ」と。
 子どもの心のゆがみは、できるだけ早い時期に知り、そして対処するのがよい。しかし現実
にはそれは不可能に近い。指摘する私たちにしても、「もしまちがっていたら……」という迷い
がある。「このまま何とかやり過ごそう」という、ことなかれ主義も働く。が、何と言っても、親自
身にその自覚がない。知識もない。どの人も、行きつくところまで行って、自分で気づくしかな
い。教育にはどうしても、そういう面がつきまとう。



「バカとは何よ! あやまりなさい!」・父母との交際は慎重に

 教育の世界では、たった一言が大問題になるということがよくある。こんな事件が、ある小学
校であった。その学校の先生が一人の母親に、「子どもを塾へ四つもやっているバカな親がい
る」と、ふと口をすべらせてしまった。その先生は、「バカ」という言葉を使ってしまったのだが、
今どき、四つぐらいの塾なら、珍しくない。英語教室に水泳教室、ソロバン塾に学習塾など。そ
こでそれぞれの親が、自分のことを言われたと思い、教育委員会を巻き込んだ大騒動へと発
展してしまった。結局その先生は、任期の途中で転校せざるをえなくなってしまった。が、実は
私にも、これに似たような経験がある。

 母親たちが五月の連休中に、子どもたちを連れてディズニーランドへ行ってきた。それはそ
れですんだのだが、そのあと一人の母親に会ったとき、私が、「あなたは行きましたか」と聞い
た。するとその母親は、「行きませんでした」と。そこで私は(連休中は混雑していて、たいへん
だっただろう)という思いを込めて、「それは賢明でしたね」と言ってしまった。が、この話は、一
晩のうちにすべての母親に伝わってしまった。しかもどこかで話がねじ曲げられ、「五月の連休
中にディズニーランドへ子どもを連れていったヤツはバカだと、あのはやしが笑っていた」という
ことになってしまった。数日後、ものすごい剣幕の母親たちの一団が、私のところへやってき
た。「バカとは何よ! あやまりなさい!」と。

 母親同士のトラブルとなると、日常茶飯事。「言ったの、言わないの」の大喧嘩になることも珍
しくない。そしてこの世界、一度こじれると、とことんこじれる。現に今、市内のある小学校で、
母親同士のトラブルが裁判ざたになっているケースがある。

 そこで教訓。父母との交際は、水のように淡々とすべし。できれば事務的に。できれば必要
最小限に。そしてここが大切だが、先生やほかの父母の悪口は言わない。聞かない。そして相
づちも打たない。相づちを打てば打ったで、今度はあなたが言った言葉として、ほかの人に伝
わってしまう。「あの林さんも、そう言っていましたよ」と。

 教育と言いながら、その水面下では、醜い人間のドラマが飛び交っている。しかも間に「子ど
も」がいるため、互いに容赦しない。それこそ血みどろかつ、命がけの闘いを繰り広げる。一〇
人のうち九人がまともでも、一人はまともでない人がいる。このまともでない人が、めんどうを大
きくする。が、それでもそういう人との交際を避けて通れないとしたら……。そのときはこうす
る。

 イギリスの格言に、『相手は自分が相手を思うように、あなたのことを思う』というのがある。
つまりあなたが相手を「よい人だ」と思っていると、相手もあなたのことを「よい人だ」と思うよう
になる。反対に「いやな人だ」と思っていると、相手も「いやな人だ」と思うようになる。だから子
どもがからんだ教育の世界では、いつも先生や父母を「よい人だ」と思うようにする。相手のよ
い面だけを見て、そしてそれをほめるようにする。要するにこの世界では、敵を作らないこと。
何度も繰り返すが、ほかの世界のことならともかく、子どもが間にからんでいるだけに、そこは
慎重に考えて行動する。



「勉強しろ!」「ウルサイ!」・見え、メンツ、世間体

 見え、メンツ、それに世間体。どれも同じようなものだが、この三つが家庭教育をゆがめる。
裏を返せば、この三つから解放されたら、家庭教育にまつわるほとんどの悩みは解消する。ま
ず見え。「このH市では出身高校で人物は評価されます」と、断言した母親がいた。「だからどう
してもうちの子はA高校に入ってもらわねば、困ります」と。しかし見えにこだわると、親も苦し
むが、それ以上に、子どもも苦しむ。

 次にメンツ。ある母親は中学校での進学校別懇談会には、「恥ずかしいから」と、一度も顔を
出さなかった。また別の母親は、子どもが高校へ入学してからというもの、毎朝、自動車で送り
迎えしていた。「近所の人に、子どもの制服を見られたくないから」というのが、その理由だった
ようだ。また駅の近くで、毎朝、制服に着がえてから、通学していた子どももいた。が、こういう
姿勢は子どもの自尊心を傷つける。子どもを卑屈にする。

 最後に世間体。見えやメンツにこだわる親は、やがて世間体をとりつくろうようになる。「どうし
てもうちの子どもにはA高校を受験してもらいます」と言った親がいた。私が「無理だと思います
が」と言うと、「一応、そういうところを受験して、すべったという形を作っておきたいのです」と。
何とか「形」だけは整えようとするわけだが、ここから多くの悲喜劇が生まれる。私のような立
場の人間が、「世間は、あなたのことを、そんなに気にしていませんよ」と言っても、無駄。この
タイプの親は、世界は自分を中心にして回っているかのように錯覚している。あるいは世界中
が自分に注目しているようかのように錯覚している。

 考えてみればドングリの背くらべ。A高校だろうがC高校だろうが、日本というちっぽけな国
の、そのまたちっぽけな町の、序列にすぎない。この地球という惑星にしても、宇宙から見れば
ゴミのような存在ではないか。私の部屋には太陽と地球の模型がかざってある。太陽を直径一
五センチの球にしてみると、地球は、それから約一〇メートルも離れたところにある、直径〇・
五ミリ(一ミリの半分!)の玉にすぎない。にもかかわらずその時期になると、多くの親たちは
子どもの受験戦争に狂奔する。

 しかし一言。学歴にぶらさがって生きている人は、結局はその学歴で苦しむようになる。ある
父親は、ことあるごとに自分の出身高校を自慢していた。「そうそう今度ね、A高校の同窓仲間
と、ゴルフをしましてね」とか。それとなく会話の中に、自分の出身高校名を織り込むわけだ
が、やがて自分の息子(中三)がいよいよ高校受験ということになったときのこと。しかしその子
どもにはその力はなかった。なかったから、その分その親は、見えとメンツの中で、地獄の苦し
みを味わうハメになった。ほとんど毎晩、その父親と息子は、「勉強しろ!」「ウルサイ!」の大
乱闘を繰り返していた。

 この見えやメンツ。それに世間体と闘う方法があるとすれば、それは「私は私、人は人」とい
う、人生観をもつこと以外にない。が、これは容易なことではない。人生観というのはそういうも
ので、一朝一夕には確立できない。


「あんたは、教師ヅラをして……」・一〇%のニヒリズム

 次に入る音楽教室に入会届けを出したあと、それまでの先生にはこう言う。「先生、うちの子
どもの、これからのことで相談したいのですが……」と。しかし子どもというのは、隠しごとがで
きない。何らかの形で、先生に伝えてしまう。「今度、B教室へ入ることになったよ。ママが先生
には内緒だってエ」と。そういうとき先生の心は、とことんキズつく。

 この世界には、一〇%のニヒリズムという言葉がある。どんなに教育に没頭しても、最後の
一〇%は、自分のためにとっておくという意味である。そうでないと、この世界、身も心もズタズ
タにされてしまう。たとえば武田鉄也が演ずる『金八先生』というドラマがある。いつもすばらし
い先生を彼は演ずるが、現実にはああいう先生はありえない。それはちょうど刑事ドラマの中
で、刑事と悪党が、ピストルでバンバンと撃ちあうようなものだ。ドラマとしてはおもしろいが、そ
れはあくまでもドラマ。ああいうのを見て、「これが理想の先生だ」と錯覚してもらっては困る。
「教育、教育」と言いながら、その底流では、どす黒い人間の欲望が渦巻いている。今、教育そ
のものが、商品化している。自動販売機論というのさえある。「お金を出せば、教育が自動的
に出てくる」と。事実、おけいこ塾のばあい、教える側の都合で入会を断ったりすると、親はそ
れに猛烈に反発する。「どうして、うちの子は入れてもらえないのですか!」と。ある塾の先生
はこう話してくれた。「入会を断ったら、親は、デパートで販売拒否にでもあったかのように、怒
りました」と。

 昔から、『一寸の虫にも五分の魂』と言うではないか。いくらおけいこ塾の先生でも、お金のた
めだけに仕事をしているのではない。「金を出すから、教えろ」と言われると、教える熱意その
ものが消える。中には、先生の人格をまったく認めていない親もいる。私にもこんな経験があ
る。私はそのとき、何か別のことをしていて、それに気がつかなかった。三〇代のはじめで、ち
ょうどそのころ、過労が原因で左耳の聴力を完全になくしている。そのこともあって、その女の
子(年長児)が、私にあいさつをしたのに気がつかなかった。が、それをうしろ見ていた母親が
怒った。「あんたは、教師ヅラをして、子どもにあいさつもできないのですか!」と。それだけで
はない。その夜、父親からも電話がかかってきた。いわく、「うちの娘の心にキズがついた。何
とかしろ!」と。私が「では、どうすればいいのですか」と聞くと、「明日、娘を連れていくから、娘
の前で頭をさげて、あやまれ」と。

 こうした親は一部であるにせよ、現実にいる。いる以上、先生と呼ばれる人は、一〇%のニヒ
リズムを捨てることができない。これには園や学校の先生、おけいこ塾の先生もない。いや、
おけいこ塾のばあいは、最終的な手段として、生徒にやめてもらうことができる。しかし園や学
校の先生にはそれができない。できないから、そのしわ寄せは、現場の先生のところに集まっ
てしまう。「あなたのような、できそこないの親の子どもなんか、教えたくありません」と、堂々と
言えたら、先生も、どんなに気が楽なことか。今、教育の世界で仕事をしようと思ったら、……。
この先はここでは書けない。読者の皆さん自身で、この「……」の部分を考えてみてほしい。


「頭はボコボコ、顔中、あざだらけ」・虐待される子ども
                    
 ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。富士市で幼稚
園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。「見ると、頭はボコボコ、顔
中、あざだらけでした。泣くでもなし、体をワナワナと震わせていました」と。虐待である。逃げる
といっても、ほかに適当な場所を思いつかなかったのだろう。その子どもは、昔、通ったことの
ある、その幼稚園へ逃げてきた。

 カナーという学者は、虐待を次のように定義している。@過度の敵意と冷淡、A完ぺき主義、
B代償的過保護。ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来の過保護ではな
く、子どもを自分の支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴに基づいた過保護をい
う。その結果子どもは、@愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、A強迫傾向(いつも何かに強迫され
ているかのように、おびえる)、B情緒的未成熟(感情のコントロールができない)などの症状を
示し、さまざまな問題行動を起こすようになる。

 I氏はこう話してくれた。「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。もう一人は女の子でし
た。母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。私が「母と子の
間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分その男の子が、離婚した
夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。

 親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、@親自身が障害をもっている。A
子どもが親の重荷になっている。B子どもが親にとって、失望の種になっている。C親が情緒
的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、の四つをあげている。それ
はともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。I氏のケース
でも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。わかりやすく言えば、殺す寸前までのこと
をする。そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心にも深いキズを負う。学習中、
ひとりニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。夜な夜な、動物のようなうめき声をあげて、近
所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。

 問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほうがよい。
教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単ではない。
父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、殺してやる」と
脅されている学校の先生もいる。あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断で、暴力を振
るう父親と、別れたりよりを戻したりを繰り返しているケースもある。

 結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるという認識
を、社会がもつべきである。そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。いつか私はこのコ
ラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。子どもが虐待されている
のを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。「警察……」という方法もあるが、「どうして
も大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよいでしょう。そのほうが適切に対処してくれ
ます」(S小学校N校長)とのこと。


「一度でいいから、会わせてください」・キズつく子どもたち

 ある日、F君(年長児)の母親が、幼稚園へやってきた。そして私の授業をどうしても、参観さ
せてほしいと言った。私がそれを断ると、母親は泣き崩れて、ドアのところで身をかがめてしま
った。つき添ってきた女性(母親の姉)も、「一度でいいから」と、私に迫った。が、私にはどうす
ることもできなかった。F君には、そのとき、新しい母親がいた。その母親は母親で、F君の心
をつかもうと必死だった。F君の祖母からも、「仮にそういうことがあっても、決して、前の母親に
は会わせないでほしい」と、何度も念を押されていた。しかし私が母親に参観させることができ
なかった理由は、ほかにあった。

 離婚するのは離婚する人の勝手だが、そこに至る騒動が、子どもの心をキズつける。こんな
ことがあった。ある日J君(年中児)に、「絵を描いてごらん」と紙を渡したときのこと。J君はクレ
ヨンで真っ黒に塗りつぶしてしまった。そこでもう一度、紙を渡すと、その紙も同じように塗りつ
ぶしてしまった。軽く叱ると、今度は足で机をひっくり返してしまった。あとで母親にその理由を
聞くと、「実はその前夜、夫が蒸発しまして……」と。

 一般論として、子どもというのは引っ越しなど、環境の変化には、たいへん強い適応力を見
せる。しかし愛情の変化には、もろい。夫婦喧嘩も、ある一定のワクの中でするなら問題はな
いが、そのワクを超えると、子どもに大きな影響を与える。ものの考え方が粗雑化する。感情
のコントロールができなくなる。育児拒否児、家庭崩壊児に似た症状を示すこともある。ある子
ども(年長男児)は、いくら先生に叱られても、口をキッと結んだまま、涙一つこぼさなかった。
自然な感情表現そのものも、自ら押し殺してしまう。そしてそれが慢性化すると、俗にいう、「ひ
ねくれ症状」が出てくる。私「誰だ、このクレヨンをバラバラにしたのは」子「体がひっかかって、
落ちた」私「だったら、拾っておきなさい」子「先生がそんなところに置くから悪い」私「置いても、
落としたのは君なんだから、拾うべきだ」子「先生だって、この前、落としたクセに……」私「…
…」と。

 それにもう一つ一般論。たった一度でも、その衝撃が大きければ大きいほど、子どもの心に
は、取り返しがつかないほどの大きなキズがつく。以前だが、NHKの報道番組の中で、失語
症になってしまった女性(二〇歳ぐらい)が紹介されていた。彼女は一〇歳ぐらいのとき、両親
が目の前で惨殺されるのを目撃してしまった。以来、声が出なくなってしまったという。戦時下
のサラエボで起きた悲劇だが、これに似たケースはいくらでもある。実は冒頭にあげたF君も、
そうだった。会ったときから、強度の自閉傾向を示していた。勝手にあちこちを動き回り、自分
からは決して心を開こうとしなかった。意味のないひとり言をボソボソと言い続けるなど、話しか
けても、会話そのものが、かみあわない。私「今日はいい天気だね」F「冷蔵庫の上に、トン
ボ!」と。突然、奇声をあげて教室の中を走り回ったり、私の手にかみつくこともあった。そんな
姿を母親が見たら、その母親はどう思うだろう。私にはそれを見せることができなかった。私は
別れぎわ、その母親にはこう言った。「心配しなくても、いいですよ。F君は、今、元気にやって
いますから」と。


「二人のダ作を作るより、子どもは一人」・すさまじい学歴信仰

 すさまじいほどのエネルギーで、子どもの教育に没頭する人がいる。私の記憶の中でも、そ
のナンバーワンは、Eさん(母親)だった。Eさんは、息子(小三)のテストで、先生の採点がまち
がっていたりすると、学校へ行き、それを訂正させていた。成績がさがったときも、そうだ。「成
績のつけ方がおかしい」と、先生にどこまでも食いさがった。そのEさん、口グセはいつも同じ。
「学歴は人生のパスポート」「二人のダ作を作るより、子どもは一人」「幼児期からしっかりと教
育すれば、子どもはどんな大学でも入れる」など。具体的にはEさんは、「東大」という名前を口
にした。そのEさんと私は、昔、同じ町内に住んでいた。Eさんは、私の家に遊びにきては、よく
息子の自慢話をした。

 息子が小学五年生になると、Eさんは息子を市内の進学塾に入れた。それまでEさんは車の
免許証をもっていなかったが、塾の送り迎え用にと免許を取り、そして軽自動車を購入した。さ
らに中古だったがコピー機まで購入し、塾の勉強に備えた。この程度のことならよくあることだ
が、ここからがEさんらしいところ。息子が風邪などで塾を休んだりすると、Eさんは代わりに塾
へ行き、授業を受けた。そして教材やプリント類を家へもって帰った。ふつうならそういうことは
人には言わないものだが、Eさんにとっては、それも自慢話だった。私にはこう言った。「塾の
教材で、私が個人レッスンをしています」と。息子のできがよかったことが、Eさんの教育熱に
拍車をかけた。それほど裕福な家庭ではなかったが、毎年のように、国外でのサマーキャンプ
やホームステイに参加させていた。一式三〇万円もする英会話教材を購入したこともある。

 息子が高校一年になったときのこと。私はたまたま駅でEさん夫婦と会った。Eさんは、満面
に笑顔を浮かべてこう言った。「はやしさん、息子がA高校に入りました。猛勉強のおかげで
す」と。開口一番、息子の進学先を口にする親というのは、そうはいない。私は「はあ」と答える
のが精一杯だった。ふと見ると、Eさんの夫は、元気のない顔で、私から視線をはずした。Eさ
んと夫が、あまりにも対照的だったのが心に残った。

 Eさんを見ていると、教育とは何か、そこまで考えてしまう。あるいはEさんの人生とは何か、
そこまで考えてしまう。信仰しながらも、自分を保ちながら信仰する人もいれば、それにのめり
込んでしまう人もいる。Eさんは、まさに学歴信仰の盲信者。が、それだけではない。人は一つ
のことを盲信すればするほど、その返す刀で、相手に向かって、「あなたはまちがっている」と
言う。あるいはそういう態度をとる。自分の尺度だけでものを考え、「あなたもそうであるべき
だ」と言う。それが周囲の者を、不愉快にする。

 学歴信仰が無駄だとは言わない。現にその学歴のおかげで、のんびりと優雅な生活をしてい
る人はいくらでもいる。あやしげな宗教よりは、ご利益は大きい。その上、確実。そういう現実
がある以上、子どもの受験勉強にのめり込む親がいても不思議ではない。しかしこれだけは
覚えておくとよい。Eさんのようにうまくいくケースは、一〇に一つもない。残りの九は失敗する。
しかもたいてい悲惨な結果を招く。学歴信仰とはそういうもの。


「所詮、性なんて無だよ、無」・変わった性意識

 うちへ遊びにきた女子高校生たち四人が、春休みにドライブに行くと言う。みんな私の教え子
だ。そこで話を聞くと、うち三人は高校の教師と、もう一人は中学時代の部活の顧問と行くとい
う。しかも四人の教師のうち、独身なのは一人だけ。あとは妻帯者。私はその話を聞いて、こう
言った。「大のおとなが一日つぶしてドライブに行くということが、どういうことだか、君たちにわ
かるか。無事では帰れないぞ」と。それに答えてその高校生たちは明るく笑いながら、こう言っ
た。「先生、古〜イ。ヘンなこと想像しないでエ!」と。

 しかし私は悩んだ。親に言うべきか否か、と。言えば、行くのをやめる。しかしそうすればした
で、それで私と彼女たちの信頼関係は消える。私は悩みに悩んだあげく、女房に相談した。す
ると女房はこう言った。「ふ〜ン。私も(高校時代に)もっと遊んでおけばよかった」と。私はその
一言にドキッとしたが、それは女房の冗談だと思った。思って、いよいよ春休みという間ぎわに
なって、その中の一人に電話をした。そしてこう言った。「これは君たちを教えたことのある、一
人の教師の意見として聞いてほしい。ドライブに行ってはダメだ」と。するとその女子高校生は
しばらく沈黙したあと、こう言った。「じゃあ、先生、あんたが連れてってヨ。あんたは車の運転
ができないのでしょ!」と。

 以来一〇年近くになるが、私は一切、この類の話には、「我、関せず」を貫いている。はっき
り言えば、今の若い人たちの考え方が、どうにもこうにも理解できない。私たち団塊の世代にと
っては、男はいつも加害者であり、女はいつも被害者。遊ぶのは男、遊ばれるのは女と考え
る。しかし今ではこの図式は通用しない。女が遊び、男が遊ばれる時代になった。だから時
折、援助交際についても意見を求められるが、私には答えようがない。私が理解できる常識の
範囲を超えている。ただ言えることは、世代ごとに性に対する考え方は大きく変わったし、変わ
ったという前提で議論するしかないということ。避妊教育や性病教育を徹底する一方、未婚の
母問題にも一定の結論を出す。

 やがては学校内に託児所を設置したり、授業でセックスのし方についての指導をすることも
考えなくてはならない。厚生省の調査によると、女子高校生の三九%が性交渉を経験し、一〇
代の中絶者は、三万五〇〇〇人に達したという(九九年)。しかしこの数字とて、控え目なもの
だ。つまりこの問題だけは、「おさえる」という視点では解決しないし、おさえても意味がない。た
だ許せないのは、分別もあるはずのおとなたちが、若い人たちを食いものにして、金を儲けた
り遊んだりすることだ。先に生まれた者が、あとに生まれた者を食いものにするとは、何ごと
ぞ!、と。私はもともと法科出身なので、すぐこういう発想になってしまうが、こういうおとなたち
は厳罰に処すればよい。アメリカ並に、未成年者と性交渉をもったら、即、逮捕する、とか。し
かしこういう考え方そのものも、もう古いのかもしれない。

 かつて今東光氏は、私が東京のがんセンターに彼を見舞ったとき、こう教えてくれた。「所
詮、性なんて、無だよ、無」と。……実は私もそう思い始めている。


「親のために、大学へ行ってやる」・本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。そこで私
が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。それにそれまでに
うんと、お金を稼いでおくからいい」と。そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」
と聞くと、こう言った。「それだけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。親の恩も遺産
次第というわけだが、今、こういう若者がふえている。

 一九九七年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。「親の老後の
めんどうを、あなたはみるか」と。それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者
は、たったの一九%! この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、六〇
数%。さらに東南アジアの若者たちの、八〇〜九〇%という数字と比較してみるとわかる。しか
もこの数字は、その三年前(九四年)の数字より、四ポイントもさがっている。このことからもわ
かるように、若者たちのドラ息子化は、ますます進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均二
七万円。この額は、平均的サラリーマンの年収(一〇〇五万円)の、三割強。だからどこの家
でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。それこそ爪に灯をともすよう
な生活を強いられる。が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。大学という巨大な遊園地
で、遊びまくっている! 先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母親がいた。春
先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。毎月の電話代だけでも、数万円も使
っていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。何を
いまさら」ということになる。「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。今、
行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、一〇%もいないのではないか。大半の高校
生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。あるいはブランドだけで、大
学を選ぶ。だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学生もいる
(新聞の投書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。「先生、私た
ち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。どうしたらよいでしょうか」と。私の話は、すでに一世
代前の話、というわけである。私があきれていると、その母親は、さらにこう言った。「今でも、
毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけでも、月に四
万円もかかります」と。しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろうか。(親から
大学生への支出額は、平均で年、三一九万円。月平均になおすと、約二六・六万円。毎月の
仕送り額が、平均約一二万円。そのうち生活費が六万五〇〇〇円。大学生をかかえる親の平
均年収は一〇〇五万円。自宅外通学のばあい、親の二七%が借金をし、平均借金額は、一
八二万円。一九九九年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)


「あのはやしは頭がおかしい」・個性とはバイタリティ

 頭からちょうちんをぶらさげて、キンキラ金の化粧をすることを、個性とは言わない。個性とは
バイタリティ。「私は私」という生きざまを貫くバイタリティをいう。結果としてその人は自分流の
生きざまを作るが、それはあくまでも結果。私の友人のことを書く。

 私はある時期、二人の仲間と、ある財界人のブレーンとして働いたことがある。一人は秋元
氏。日韓ユネスコ交換学生の一年、先輩。もう一人はピーター氏。メルボルン大学時代の一
年、後輩。私たちは札幌オリンピック(七二年)のあとの、国家プロジェクトの企画を任された。
が、ニクソンショックで計画はとん挫。私たちは散り散りになったが、それから二〇年後。秋元
氏は四〇歳そこそこの若さで、日本ペプシコの副社長に就任。またピーター氏は、オーストラリ
アで「ベンティーン」という宝石加工販売会社を起こし、やはり四〇歳そこそこの若さで、巨億の
財を築いた。オーストラリア政府から、取り扱い高ナンバーワンで、表彰されている。

 三〇年前の当時を思い出して、彼らが特別の人間であったかどうかと言われても、私はそう
は思わない。見た感じでも、ごくふつうの青年だった。しいて言えば、彼らはいつも何かの目標
をもっていたし、その目標に向かってつき進む、強烈なバイタリティをもっていた。秋元氏は副
社長になったあと、あのマイケル・ジャクソンを販売促進のために日本へ連れてきた。ピーター
氏は稼ぐだけ稼いだあと、会社を売り払い、今はシドニー郊外で、悠々自適の隠居生活をして
いる。生きざまを見たばあい、私は彼らほど個性的な生き方をしている人を、ほかに知らな
い。が、問題がないわけではない。

 実は私のことだが、この私とて、当時は彼らに勝るとも劣らないほどの、バイタリティをもって
いた。が、結果としてみると、彼ら二人は個性の花を開かせることができたが、私はできなかっ
た。理由は簡単だ。秋元氏は、その後、外資系の会社を渡り歩いた。ピーター氏は、オースト
ラリアへ帰った。つまり彼らの周囲には、彼らのバイタリティを受け入れる環境があった。しか
し私にはなかった。私が「幼稚園の教師になる」と告げたとき、母は電話口の向こうで、泣き崩
れてしまった。学生時代の友人(?)たちは、「あのはやしは頭がおかしい」と笑った。高校時代
の担任まで、同窓会で会うと、「お前だけはわけのわからない人生を送っているな」と、冷やや
かに言ってのけた。

 世間は、「個性を伸ばせ」という。しかし個性とは何か、まず第一に、それがわかっていない。
次に個性をもった人間を、受け入れる度量も、ない。この三〇年間で日本もかなり変わった
が、しかし欧米とくらべると、貧弱だ。いまだに肩書き社会に出世主義。それに権威主義がハ
バをきかせている。組織に属さず、肩書きもない人間は、この日本では相手にされない。い
や、その前に排斥されてしまう。

 そんなわけで、個性を伸ばすということは、教育だけの問題ではない。せいぜい教育でできる
ことといえば、バイタリティを大切にすること。繰り返すが、その後、その子どもがどんな「人」ど
もになるかは、子ども自身の問題であって、教育の問題ではない。


「皆さん、気をつけてくださいよ」・悪徳化する学習産業

 ある教材会社の主催する説明会。予定では九時三〇分から始まるはずだったが、黒板に
は、「一〇時から」と書いてある。しばらく待っていると、席についた母親(?)の間からヒソヒソ
と会話が聞こえてくる。「お宅のお子さんは、どこを受験なさいますの」「ご主人の出身大学はど
こですか」と。サクラである。主催者がもぐりこませたサクラである。こういう女性が、さかんに受
験の話を始める。母親は受験や学歴の話になると、とたんにヒステリックになる。しかしそれこ
そが、その教材会社のねらいなのだ。

 また別の進学塾の説明会。豪華なホテルの集会ルーム。深々としたジュータン。漂うコーヒー
の香り。そこでは説明会に先だって、三〇分間以上もビデオを見せる。内容は、(勉強している
子ども)→(受験シーン)→(合否発表の日)→(合格して喜ぶ子どもと、不合格で泣き崩れる母
子の姿)。しかも(不合格で泣き崩れる母子の姿)が、延々と一〇分間近くも続く! ビデオを
見ている母親の雰囲気が、異様なものになる。しかしそれこそが、その進学塾のねらいなの
だ。

 話は変わるがカルト教団と呼ばれる宗教団体がある。どこのどの団体だとは書けないが、あ
やしげな「教え」や「力」を売りものにして、結局は信者から金品を巻きあげる。このカルト教団
が、同じような手法を使う。まず「地球が滅ぶ」「人類が滅亡する」「悪魔がおりてくる」などと言
って信者を不安にする。「あなたはやがて大病になる」と脅すこともある。そしてそのあと、「ここ
で信仰をすれば救われます」などと教えたりする。人間は不安になると、正常な判断力をなく
す。そしてあとは教団の言いなりになってしまう。

 その教材会社では、中学生で、年間一二〇万円の教材を親に売りつけていたし、その進学
塾では、「入試直前特訓コース」と称して、二〇日間の講習会料として五〇万円をとっていた。
特にこの進学塾には、不愉快な思い出がある。知人から「教育研修会に来ないか」という誘い
を受けたので行ってみたら、研修会ではなく、父母を対象にした説明会だった。しかも私たちの
ために来賓席まで用意してあった。私は会の途中で、「用事があるから」と言って席を立った
が、あのとき感じた胸クソの悪さは、いまだに消えない。

 教育には表の顔と、裏の顔がある。それはそれとして、裏の顔の元凶は何かと言えば、それ
は「不安」ではないか。「子どもの将来が心配だ」「子どもはこの社会でちゃんとやっていけるか
しら」「人並みの生活ができるかしら」「何だかんだといって日本では、人は学歴によって判断さ
れる」など。こうした不安がある以上、裏の顔はハバをきかすし、一方親は、年間一二〇万円
の教材費を払ったり、五〇円の講習料を払ったりする。しかしこういう親にしても日本の教育そ
のものがもつ矛盾の、その犠牲者にすぎない。一体、だれがそういう親を笑うことができるだろ
うか。

 ただ私がここで言えることは、「皆さん、気をつけてくださいよ」という程度のことでしかない。こ
うした教材会社や進学塾は、決して例外ではないし、あなたの周囲にもいくらでもある。それだ
けのことだ。


「二一世紀は暗い。一緒に死のう」・はびこるカルト信仰

  ある有名なロックバンドのHという男が自殺したとき、わかっているだけでも女性を中心に、
三〜四名の若者があと追い自殺をした。家族によって闇から闇へと隠された自殺者は、もっと
多い。自殺をする人にはそれなりの人生観があり、また理由があってそうするのだろうから、
私のような部外者がとやかく言っても始まらない。しかしそれがもし、あなたの子どもだとしたら
……。

 一九九七年の三月、ヘールボップすい星が地球に近づいたとき、世にも不可解な事件がアメ
リカで起きた。「ハイアーソース」と名乗るカルト教団による、集団自殺事件である。当時の新聞
記事によると、この教団では、「ヘールボップすい星とともに現われる宇宙船とランデブーして、
あの世に旅立つ」と、教えていたという。結果、三九人の若者が犠牲になった。この種の事件
でよく知られている事件に、一九七八年にガイアナで起きた人民寺院信徒による集団自殺事
件がある。この事件では、何と九一四名もの信者が犠牲になっている。なぜこんな忌まわしい
事件が起きたのか。また起きるのか。「日本ではこんな事件は起きない」と考えるのは早計で
ある。子どもたちの世界にも大きな異変が起きつつある。現実と空想の混濁が、それである。
あの「たまごっち」にしても、あれはただのゲームではない。あの不可解な生きもの(?)が死ん
だだけで、大泣きする子どもはいくらでもいた。そして驚くなかれ、当時は、あのたまごっちを供
養するための専門の寺まであった。ウソや冗談で供養しているのではない。本気だ。本気で供
養していた。中には手を合わせて、涙を流しているおとなもいた(NHK『電脳の果て』)。

 さらに最近のアニメやゲームの中には、カルト性をもったものも多い。今はまだ娯楽の範囲
だからよいようなものの、もしこれらのアニメやゲームが、思想性をもったらどうなるか。仮にポ
ケモンのサトシが、「子どもたちよ、二一世紀は暗い。一緒に死のう」と言えば、それに従ってし
まう子どもが続出するかもしれない。そうなれば、言論の自由だ、表現の自由だなどと、のんき
なことを言ってはおれない。あと追い自殺した若者たちは、その延長線上にいるにすぎない。

 さて世紀末。旧ソ連崩壊のときロシアで。旧東ドイツ崩壊のときドイツで、それぞれカルト教団
が急速に勢力を伸ばした。社会情勢が不安定になり、人々が心のよりどころをなくしたとき、こ
うしたカルト教団が急速に勢力を伸ばす。終戦直後の日本がそうだったが、最近でも、経済危
機や環境問題、食糧問題にかこつけて、急速に勢力を拡大しているカルト教団がある。あやし
げなパワーや念力、超能力を売りものにしている。「金持ちになれる」とか「地球が滅亡すると
きには、天国へ入れる」とか教えるカルト教団もある。フランスやベルギーでは、国をあげてこ
うしたカルト教団への監視を強めているが、この日本ではまったくの野放し。果たしてこのまま
でよいのか。子どもたちの未来は、本当に安全なのか。あるいはあなた自身はだいじょうぶな
のか。あなたの子どもが犠牲者になってからでは遅い。このあたりで一度、腰を落ちつけて、
子どもの世界をじっくりとながめてみてほしい。


「アユが縄張り争いをしない」・養殖される子どもたち

 岐阜県の長良川。その長良川のアユに異変が起きて、久しい。そのアユを見続けてきた一
人の老人は、こう言った。「アユが縄張り争いをしない」と。武儀郡板取村に住むN氏である。
「最近のアユは水のたまり場で、ウロウロと集団で住んでいる」と。原因というより理由は、養
殖。この二〇年間、長良川を泳ぐアユの大半は、稚魚の時代に、琵琶湖周辺の養魚場で育て
られたアユだ。体長が数センチになったところで、毎年三〜四月に、長良川に放流される。人
工飼育という不自然な飼育環境が、こういうアユを生んだ。しかしこれはアユという魚の話。実
はこれと同じ現象が、子どもの世界にも起きている!

 スコップを横取りされても、抗議できない。ブランコの上から砂をかけられても、文句も言えな
い。ドッジボールをしても、ただ逃げ回るだけ。先生がプリントや給食を配り忘れても、「私の分
がない」と言えない。これらは幼稚園児の話だが、中学生とて例外ではない。キャンプ場で、た
き火がメラメラと急に燃えあがったとき、「こわい!」と、その場から逃げてきた子どもがいた。
小さな虫が机の上をはっただけで、「キャーッ」と声をあげる子どもとなると、今では大半がそう
だ。

 子どもというのは、幼いときから、取っ組みあいの喧嘩をしながら、たくましくなる。そういう形
で、人間はここまで進化してきた。もしそういうたくましさがなかったら、とっくの昔に人間は絶滅
していたはずである。が、そんな基本的なことすら、今、できなくなってきている。核家族化に不
自然な非暴力主義。それに家族のカプセル化。カプセル化というのは、自分の家族を厚いカラ
でおおい、思想的に社会から孤立することをいう。このタイプの家族は、他人の価値観を認め
ない。あるいは他人に心を許さない。カルト教団の信者のように、その内部だけで、独自の価
値観を先鋭化させてしまう。そのためものの考え方が、かたよったり、極端になる。……なりや
すい。

 また「いじめ」が問題視される反面、本来人間がもっている闘争心まで否定してしまう。子ども
同士の悪ふざけすら、「そら、いじめ!」と、頭からおさえつけてしまう。

 こういう環境の中で、子どもは養殖化される。ウソだと思うなら、一度、子どもたちの遊ぶ風
景を観察してみればよい。最近の子どもはみんな、仲がよい。仲がよ過ぎる。砂場でも、それ
ぞれが勝手なことをして遊んでいる。私たちが子どものころには、どんな砂場にもボスがいて、
そのボスの許可なしでは、砂場に入れなかった。私自身がボスになることもあった。そしてほか
の子どもたちは、そのボスの命令に従って山を作ったり、水を運んでダムを作ったりした。仮に
そういう縄張りを荒らすような者が現われたりすれば、私たちは力を合わせて、その者を追い
出した。

 平和で、のどかに泳ぎ回るアユ。見方によっては、縄張りを争うアユより、ずっとよい。理想的
な社会だ。すばらしい。すべてのアユがそうなれば、「友釣り」という釣り方もなくなる。人間たち
の残虐な楽しみの一つを減らすことができる。しかし本当にそれでよいのか。それがアユの本
来の姿なのか。その答は、みなさんで考えてみてほしい。


「親に向かって、何だ、その態度は!」・権威主義の象徴

 権威主義。その象徴が、あのドラマの『水戸黄門』。側近の者が、葵の紋章を見せ、「控えお
ろう」と一喝すると、皆が、「ははあ」と言って頭をさげる。日本人はそういう場面を見ると、「痛
快」と思うかもしれない。が、欧米では通用しない。オーストラリアの友人はこう言った。「もし水
戸黄門が、悪玉だったらどうするのか」と。フランス革命以来、あるいはそれ以前から、欧米で
は、歴史と言えば、権威や権力との闘いをいう。

 この権威主義。家庭に入ると、親子関係そのものを狂わす。Mさん(男性)の家もそうだ。長
男夫婦と同居して一五年にもなろうというのに、互いの間に、ほとんど会話がない。別居も何度
か考えたが、世間体に縛られてそれもできなかった。Mさんは、こうこぼす。「今の若い者は、
先祖を粗末にする」と。Mさんがいう「先祖」というのは、自分自身のことか。一方長男は長男
で、「おやじといるだけで、不安になる」と言う。一度、私も間に入って二人の仲を調整しようとし
たことがあるが、結局は無駄だった。長男のもっているわだかまりは、想像以上のものだっ
た。問題は、ではなぜ、そうなってしまったかということ。

 そう、Mさんは世間体をたいへん気にする人だった。特に冠婚葬祭については、まったくと言
ってよいほど妥協しなかった。しかも派手。長男の結婚式には、町の助役に仲人になってもら
った。長女の結婚式には、トラック二台分の嫁入り道具を用意した。そしてことあるごとに、先
祖の血筋を自慢した。Mさんの先祖は、昔、その町内の大半を占めるほどの大地主であっ
た。ふつうの会話をしていても、「M家は……」と、「家」をつけた。そしてその勢いを借りて、子
どもたちに向かっては、自分の、親としての権威を押しつけた。少しずつだが、しかしそれが積
もり積もって、親子の間にミゾを作った。

 もともと権威には根拠がない。でないというのなら、なぜ水戸黄門が偉いのか、それを説明で
きる人はいるだろうか。あるいはなぜ、皆が頭をさげるのか。またさげなければならないのか。
だいたいにおいて、「偉い」ということは、どういうことなのか。

 権威というのは、ほとんどのばあい、相手を問答無用式に黙らせるための道具として使われ
る。もう少しわかりやすく言えば、人間の上下関係を位置づけるための道具。命令と服従、保
護と依存の関係と言ってもよい。そういう関係から、良好な人間関係など生まれるはずがな
い。権威を振りかざせばかざすほど、人の心は離れる。親子とて例外ではない。権威、つまり
「私は親だ」という親意識が強ければ強いほど、どうしても指示は親から子どもへと、一方的な
ものになる。そのため子どもは心を閉ざす。Mさん親子は、まさにその典型例と言える。「親に
向かって、何だ、その態度は!」と怒る、Mさん。しかしそれをそのまま黙って無視する長男。
こういうケースでは、親が権威主義を捨てるのが一番よいが、それはできない。権威主義的で
あること自体が、その人の生きざまになっている。それを否定するということは、自分を否定す
ることになる。が、これだけは言える。もしあなたが将来、あなたの子どもと良好な親子関係を
築きたいと思っているなら、権威主義は百害あって一利なし。『水戸黄門』をおもしろいと思って
いる人ほど、あぶない。


「お宅の子どもを、落第させましょう」・学校は人間選別機関?

 アメリカでは、先生が、「お宅の子どもを一年、落第させましょう」と言うと、親はそれに喜んで
従う。「喜んで」だ。あるいは子どもの勉強がおくれがちになると、親のほうから、「落第させてく
れ」と頼みに行くケースも多い。これはウソでも誇張でもない。事実だ。そういうとき親は、「その
ほうが、子どものためになる」と判断する。が、この日本では、そうはいかない。先日もある親
から、こんな相談があった。何でもその子ども(小二女児)が、担任の先生から、なかよし学級
(養護学級)を勧められているというのだ。それで「どうしたらいいか」と。

 日本の教育は、伝統的に人間選別が柱になっている。それを学歴制度や学校神話が、側面
から支えてきた。今も、支えている。だから親は「子どもがコースからはずれること」イコール、
「落ちこぼれ」ととらえる。しかしこれは親にとっては、恐怖以外、何ものでもない。その相談し
てきた人も、電話口の向こうでオイオイと泣いていた。

 少し話はそれるが、たまたまテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた(九九年
春)。ある人がニュージーランドの小学校を訪問したときのことである。その小学校では、その
年から、手話を教えるようになった。壁にズラリと張られた手話の絵を見ながら、その人が「ど
うして手話の勉強をするのですか」と聞くと、女性の校長はこう言った。「もうすぐ聴力に障害の
ある子どもが、(一年生となって)入学してくるからです」と。

 こういう「やさしさ」を、欧米の人は知っている。知っているからこそ、「落第させましょう」と言
われても、気にしない。そこで私はここに書いていることを確認するため、浜松市に住んでいる
アメリカ人の友人に電話をしてみた。彼は日本へくる前、高校の教師を三〇年間、勤めてい
た。

 私「日本では、身体に障害のある子どもは、別の施設で教えることになっている。アメリカで
はどうか?」友「どうして、別の施設に入れなければならないのか」私「アメリカでは、そういう子
どもが、入学を希望してきたらどうするか」友「歓迎される」私「歓迎される?」友「もちろん歓迎
される」私「知的な障害のある子どもはどうか」友「別のクラスが用意される」私「親や子ども
は、そこへ入ることをいやがらないか」友「どうして、いやがらなければならないのか?」と。そう
言えば、アメリカでもオーストラリアでも、学校の校舎そのものがすべて、完全なバリアフリー
(段差なし)になっている。

 同じ教育といいながら、アメリカと日本では、とらえ方に天と地ほどの開きがある。こういう事
実をふまえながら、そのアメリカ人はこう結んだ。「日本の教育はなぜ、そんなにおくれている
のか?」と。

 私はその相談してきた人に、「あくまでもお子さんを主体に考えましょう」とだけ言った。それ
以上のことも、またそれ以下のことも、私には言えなかった。しかしこれだけはここに書ける。
日本の教育が世界の最高水準にあると考えるのは、幻想でしかない。日本の教育は、基本的
な部分で、どこか狂っている。それだけのことだ。


「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」・出世主義VS家族主義
   
 「立派な社会人になれ」「社会で役立つ人になれ」と。日本では出世主義が、教育の柱になっ
ている。しかし欧米では違う。アメリカでもフランスでも、先生は、「よき家庭人になれ」と子ども
に教える。「よき市民になれ」と言うときもある。先日、ニュージーランドの友人に確かめたが、
ニュージーランドでも、そう言う。オーストラリアでも、そう言う。私は、日本の出世主義に対し
て、彼らのそれを勝手に、家族主義と呼んでいる。もちろん彼らにそういう主義があるわけでは
ない。彼らにしてみれば、それが常識なのだ。

 日本人はこの出世主義のもと、仕事を第一と考える。子どもでも、「勉強をしている」と言え
ば、家事の手伝いはすべて免除される。五〇代、六〇代の夫で、家事や炊事を手伝っている
男性は、まずいない。仕事がすべてに優先される。よい例が、単身赴任。かつて私のオースト
ラリアの友人は、こう言った。「家族がバラバラにされて、何が仕事か」と。もう三〇年も前のこ
とである。こうした日本の特異性は、日本に住んでいるとわからない。いや、お隣りの中国を見
ればわかる。今、中国では、「立派な国民」教育のもと、徹底した出世主義を子どもたちに植え
つけている。先日も北京からきた中学教師の講演を聞いたが、わずか一時間前後の話の中
に、この「立派な国民」という言葉が、一〇回以上も出てきた。子どもたちの大多数が、「将来
は科学者になって出世したい」と考えているという。

 が、この出世主義は、今、急速に音をたてて崩れ始めている。旧来型の権威や権力が、そ
れだけの威力をもたなくなってきている。一つの例が成人式だ。自治体の長がいくら力んでも、
若者たちは見向きもしない。ワイワイと騒いでいる。ほんの三〇年前には、考えられなかった
光景だ。私たちが二〇歳のときには、市長が壇上にいるだけで、直立不動の姿勢になったも
のだ。が、こうした現象と反比例するかのように、家族を大切にするという人がふえている。九
九年の春、文部省がした調査でも、四〇%の日本人が、もっとも大切にすべきものとして、「家
族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、四五%。一年足らずの間に、五
ポイントもふえたことになる。もっとも、こうした傾向を嘆く人も、多い。出世主義を信奉し、人生
の大半を、そのために費やしてきた人たちだ。あるいはそういう流れを理解できず、退職した
あとも、過去の肩書きや地位にこだわっている人だ。こういう人たちにとっては、出世主義を否
定することは、自らの人生を否定することに等しい。だから抵抗する。ふつうの抵抗ではない。
狂ったように抵抗する。ある元教授はメールで、こう言ってきた。「暇つぶしにもならないが」と
前置きしたあと、「田舎のおばちゃんなら、君の意見をありがたがるだろう。しかし私は君の家
族主義を笑う」と。しかしこれは笑うとか笑わないとかいう問題ではない。それが日本の「流
れ」、なのだ。

 今でも日本異質論が叫ばれている。日本脅威論も残っている。その理由の第一が、日本人
がもつ価値観そのものが、欧米のそれとは異質であることによる。言いかえると、日本が旧来
の日本である限り、日本が欧米に迎え入れられることはない。少なくとも出世主義型の教育観
は、これからの世界では、通用しない。


「成績がさがったから、ゲームは禁止!」・子育ては自然体で

 『子育ては自然体で』とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわからない。
そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる『黄帝内経・素問』には、こうある。これは
健康法の奥義だが、しかし子育てにもそのままあてはまる。いわく、「八風(自然)の理によく順
応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、恨み怒りの気持ちはさらにない。行
動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みずからの崇高性を表面にあらわすこともな
い。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもなく、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨と
し、自足を事とする」(上古天真論篇)と。難解な文章だが、これを読みかえると、こうなる。

 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、極端主義、スパルタ主
義、完ぺき主義がある。極端主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底的にさせ、「やめ
る」と決めたら、パッとやめさせるようなことをいう。よくあるのは、「成績がさがったから、ゲー
ムは禁止」などと言って、子どもの趣味を奪ってしまうこと。親子の間に大きなミゾをつくること
になる。スパルタ主義というのは、暴力や威圧を日常的に繰り返すことをいう。このスパルタ主
義は、子どもの心を深くキズつける。また完ぺき主義というのは、何でもかんでも子どもに完ぺ
きさを求める育て方をいう。子どもの側からみて窮屈な家庭環境が、子どもの心をつぶす。

 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私は私」
「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。あなたの子どものできがよ
くても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親はそのつど、見え、メンツ、世間体。これ
に振り回される。そして混乱する。言いかえると、この三つから解放されれば、子育てにまつわ
るほとんどの悩みは解消する。要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか
喜びも取り越し苦労もいけない。「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけな
い。足りなくてもいけない。必要なことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とす
る」と。実際どんな子どもにも、自ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを引き出
す。子育てを一言で言えば、そういうことになる。

 さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の大原理に順応して生活すれば生存可能であり、それ
に背馳すれば死に、順応すれば太平である」(四気調神大論篇)と。おどろおどろしい文章だ
が、簡単に言えば、「自然体で子育てをすれば、子育てはうまくいくが、そうでなければ、そうで
ない」ということになる。子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人間が太古の
昔から、その目的として、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴食をすれば、
健康は害せられる。精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子どもの心は害せ
られる。栄養過多もいけないが、栄養不足もいけない。子どもを愛することは大切なことだが、
溺愛はいけない、など。少しこじつけの感じがしないでもないが、健康論にからめて、教育論を
考えてみた。


「オレをこんなオレにしたのは、テメエだ!」・親離れ、子離れ

 子どもは小学三、四年を境に、急速に親離れを始める。しかし親はそれに気づかない。気づ
かないまま、親意識だけをもち続ける。またそれをもって、親の深い愛情だと誤解する。つまり
子離れできない。親子の悲劇はここから始まる。あの芥川龍之介も、「人生の悲劇の第一幕
は親子となつたことにはじまつてゐる」(侏儒の言葉)と書いている。

 息子が中学一年生になっても、「うちの子は、早生まれ(三月生まれ)ですから」と言っていた
母親がいた。娘(高校生)に、「うす汚い」「不潔」と嫌われながらも、娘の進学を心配していた
父親もいた。自らはほしいものも買わず、質素な生活をしながら、「あんなヤツ、大学なんか、
やるんじゃなかった」とこぼしていた父親もいた。あるいは息子(中二)に、「クソババア! オレ
をこんなオレにしたのは、テメエだ」と怒鳴られながら、「ごめんなさい。お母さんが悪かった」
と、泣いてあやまっていた母親もいた。しかし親子の間に、細くとも一本の糸があれば、まだ救
われる。親はその一本の糸に、親子の希望を託す。しかしその糸が切れると、親には、また別
の悲劇が始まる。親は「親らしくしたい」という気持ちと、「親らしくできない」という気持ちのはざ
間で、葛藤する。これは親にとっては、身をひきちぎられるようなものだ。ある父親はこう言っ
た。「息子(一九歳)が暴走族の一人になったとき、『あいつのことは、もう構いたくない』という
思いと、『何とかしなければ』という思いの中で、心がバラバラになっていくのを感じた」と。もう
少しズルイ親だと、「縁を切る」という言い方をして、子育てから逃げてしまう。が、きまじめな親
ほど、それができない。追いつめられ、袋小路で悩む。苦しむ。

 子どもというのは、親の期待を一枚ずつはぎ取りながら、成長する。中には、最後の一枚ま
ではぎとってしまう子どももいる。年ごとに立派になっていく子どもを見る親は、幸せな人だ。し
かしそういう幸運に恵まれる親は、一体、何割いるというのだろうか。大半の親は、年ごとにま
すます落ちていく(?)子どもを見せつけられながら、重い心を引きずって歩く。「そんな子ども
にしたのは、私なんだ」と、自分を責めることもある。しかしそれとてもとをただせば、子離れで
きない親に、問題がある。あの藤子F不二雄の『ドラえもん』にこんなシーンがある(一八巻)。タ
ンポポの種が、タンポポの母親に、「(空を飛ぶのは)やだあ。やだあ」とごねる。それを母親は
懸命に説得する。しかし一度子どもが飛び立てば、それは永遠の別れを意味する。タンポポの
種が、どこでどのような花を咲かせるか、それはもう母親の知るところではない。しかし母親は
こう言って、子どもを送り出す。「勇気をださなきゃ、だめ! みんなにできることがどうしてでき
ないの」と。

 子どもの人生は子どもの人生。あなたの人生があなたの人生であるように、それはもうあな
た自身の力が及ばない世界のこと。言いかえると、親は、それにじっと耐えるしかない。たとえ
あなたの息子が、あなたの夢や希望、名誉や財産、それを食いつぶしたとしても、それに耐え
るしかない。外から見ると、どこの親子もうまくいっているように見えるかもしれないが、それこ
そまさに仮面。子育てに失敗しているのは、あなただけではない。


「日本の教育はバカげている」・日本の常識、世界の標準? 

 『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。見慣れたシーンだが、欧
米ではああいうことは、ありえない。たいてい妻を同伴する。向こうでは家族ぐるみの交際がふ
つうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇を過ごすということは、まず、ない。そんなこ
とをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。ボスが犯罪を犯して、死刑になった。そこまでは彼らにも理解できる。し
かし問題はそのあとだ。彼らはこう質問する。「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐をするの
か」と。欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任があ
る」ということになる。しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家族に危
害を加えられたわけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。あのNHKの大河ドラマだ。日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、あた
かも英雄のように扱われている。すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、一般の
庶民たちは、極貧の生活を強いられた。もしオーストラリアあたりで、英国総督府時代の暴君
を美化したドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。教育についてみても、日本では、伝統
的に学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。欧米では、実用的なことを教え
るのが、教育ということになっている。しかもなぜ勉強するかといえば、日本では学歴を身につ
けるため。欧米では、その道のプロになるため。日本の教育は能率主義。欧米の教育は能力
主義。日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、アメリ
カ(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。日本では、静かで従順な生徒
がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発言し、質問する生徒がよい生徒というこ
とになっている。日本では「教え育てる」が教育の基本になっているが、欧米では、educe(エ
デュケーションの語源)、つまり「引き出す」が基本になっている、などなど。同じ「教育」といって
も、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と地ほどの開きがある。私が「日
本では、進学率の高い学校が、よい学校ということになっている」と説明したら、友人のオース
トラリア人は、「バカげている」と言って笑った。そこで「では、オーストラリアではどういう学校が
よい学校か」と質問すると、こう教えてくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。チャールズ皇太子も学ん
だことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒ひとりひとりに合わせて、カリキュラムを学校
が組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、と。そういう学校
をよい学校という」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。教育とて例外ではない。それを知ってもらいた
かったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 


「どうせそういうヤツは……」・善悪のバランス感覚

 「核兵器か何かで、人間の半分は死ねばいい。そうすれば地球は、もっと住みやすくなる」と
言った男子高校生がいた。「私は未亡人になって、黒いドレスを着てみたい」と言った女子高校
生もいた。善悪のバランス感覚がなくなると、そういうことを平気で口にするようになる。バラン
ス感覚というのは、よいことと悪いことを、冷静に判断する能力のことをいう。これがないと、も
のの考え方が極端になったり、かたよったりするようになる。

 原因は、極端な甘やかしときびしさ。この二つが同居すると、子どもはバランス感覚をなくす。
たとえば祖父母に溺愛される一方、きびしい母親に育てられるなど。あるいは親自身の情緒が
不安定で、そのつど親が甘くなったり、きびしくなったりする。子どもの側からみて、とらえどころ
のない環境は、子どもの精神を不安定にする。荒れた海を小さな船で航海するようなものだ。
体を支えるだけで、精一杯。冷静に考えろというほうが無理。I君(小一)の環境も、そんな環境
だった。

I君の父親は、ある宗教団体の熱心な信者で、いつも、「ワシは、毎日読経しないようなヤツの
話は聞かない。ワシの師は、J先生だ」と言っていた。そして母親には、「学校の教師の言うこと
などに、価値はない」と。短気で、いつも大声で怒鳴り散らしていた。一時は暴力団に属してい
たこともあるという。一方母親は静かで、やさしい人だったが、満たされない心をまぎらわすた
めに、I君を溺愛した。I君は、バランス感覚をなくした。私がI君に、「ブランコで遊んでいたら、
そこへA君がきて、そのブランコを横取りしました。あなたはどうしますか」と聞いたときのことで
ある。I君は、「ぶっ飛ばしてやればいい」と。ゾッとするほど、すごみのある声だった。そこで私
が、「もう少し別の考え方はないのかな?」と言うと、「どうせそういうヤツは、口で言ってもわか
らねエ」と。

子どもの中にバランス感覚を養うためには、濃密な親子関係を基本に、心静かな環境で育て
る。心というのは、濃密な親子関係があってはじめて育つ。やさしさや思いやりというのは、そ
こから生まれる。そればかりではない。人間が人間としてもっている、常識もそこから生まれ
る。たとえばほかの人へのやさしさや思いやりは、ここちよい響きがする。ほかの人をいじめた
り、裏切ったりすることは、いやな響きがする。そういうのを常識というが、人間はこの常識の
おかげで、過去何十万年もの間、生きてきた。またそういう常識さえ大切にすれば、これからも
皆、仲よく生きられる。

「家庭教育」という言葉が、最近よく使われる。しかし家庭教育といっても、何も特別なこととし
て身構える必要はない。「しつけ」にしても、そうだ。もしすべきことがあるとするなら、子どもに
はたっぷりと、自分で考える時間を与えること。そしてこの本の中で何度も書いたように、あと
は子どもを「自由」にする。自由というのは、「自らに由る」という意味。自分で考えさせ、自分で
結論を出させ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。そういう習慣を乳幼児期から
心がける。そうすれば子どもは、常識豊かな子どもになる。善悪のバランス感覚のある子ども
になる。


「いろいろやってはみましたが……」・子育てプロセス論

 クルーザーに乗って、海に出る。ないだ海だ。しばらく遊んだあと、デッキの椅子に座って、ビ
ールを飲む。そういうときオーストラリア人は、ふとこう言う。「ヒロシ、ジスイズ・ザ・ライフ(これ
が人生だ)」と。日本人ならこういうとき、「私は幸せだ」と言いそうだが、彼らはこういうときは、
「ハッピー」という言葉は使わない。

 私はここで「ライフ」を「人生」と訳したが、ライフにはもう一つの意味がある。「生命」という意
味である。つまり欧米人は人生イコール、生命と考え、その生命感がもっとも充実したときを、
人生という。何でもないような言葉だが、こうした見方、つまり人生と生命を一体化したものの
考え方は、彼らの生きざまに、大きな影響を与えている。

 少し前だが、こんなことをさかんに言う人がいた。「キリストは、最期は、はりつけになった。そ
の死にざまが、彼の人生を象徴している。つまりキリスト教がまちがっているという証拠だ」と。
ある仏教系の宗教団体に属している信者だった。しかし本当にそうか。この私とて、明日、交
通事故か何かで、無惨な死に方をするかもしれない。しかし交通事故などというものは、偶然と
確率の問題だ。私がそういう死に方をしたところで、私の生き方がまちがっていたということに
はならない。

 ここで私は一人の信者の意見を書いたが、多くの日本人は、密教的なものの考え方の影響
を受けているから、結果を重視する。先の信者も、「死にぎわの様子で、その人の人生がわか
る」と言っていた。つまり少し飛躍するが、人生と生命を分けて考える。あるいは人生の評価と
生命の評価を、別々にする。教育の場で、それを考えてみよう。

 ある母親は、結果として自分の息子が、C大学へしか入れなかったことについて、「私は教育
に失敗しました」と言った。「いろいろやってはみましたが、みんな無駄でした」とも。あるいは他
人の子どもについて、こう言った人もいた。「あの親は子どもが小さいときから教育熱心だった
が、たいしたことなかったね」と。

 そうではない。結果はあくまでも結果。大切なのは、そのプロセスだ。つまりその人が、いか
に「今」という人生の中で、自分を光り輝かせて生きているかということ、それが大切なのだ。子
どもについて言えば、その子どもが「今」という時を、いかに生き生きと生きているかというこ
と。結果はあとからついてくるもの。たとえ結果が不満足なものであったとしても、それまでして
きたことが、否定されるものではない。このケースで考えるなら、A大学であろうがC大学であろ
うが、そんなことで子どもの評価は決まらない。仮にC大学であっても、彼がそれまでの人生を
無駄にしたことにはならない。むしろ勉強しかしない、勉強しかできない、勉強だけの生活をし
てきた子どものほうが、よっぽど人生を無駄にしている。たとえそれでA大学に進学できた、と
してもだ。

 人生の評価は、「今」という時の中で、いかに光り輝いて、自分の人生を充実させるかによっ
て決まる。繰り返すが、結果(東洋的な思想でいう、人生の結論)は、あくまでも結果。あとから
ついてくるもの。そんなものは、気にしてはいけない。


「ぼく、たくろう、ってんだ」・子どもは人の父

 イギリスの詩人ワーズワース(一七七〇〜一八五〇)は、次のように歌っている。

  空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

 訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。原文では、「The
Child is Father of the Man. 」となっている。この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。ここではほ
かの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。詩の流れからすると、「そ
の人の人格」ということか。つまり私は、「その人の人格は、子ども時代に形成される」と解釈し
たが、これには二つの意味が含まれる。一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるか
ら注意せよという意味。もう一つは、人はいくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時
代に戻るという意味。誤解があるといけないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未
経験で未熟だが、決して、幼稚ではない。子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに
広く、純粋で、豊かである。しかも美しい。人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜く
なっていく。知識や経験という雑音の中で、俗化し、自分を見失っていく。私を幼児教育のとり
こにした事件に、こんな事件がある。

 ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。一人の子ども(年中男児)が、とてもてい
ねいに絵をかいてくれた。そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ごくろうさん」
と書き添えた。が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。
私はてっきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。そこで「どうしたのか
な?」と聞きなおすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれた。「ぼく、ごくろうっていう
名前じゃ、ない。たくろう、ってんだ」と。

 もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。もし人が
子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。ワーズワー
スは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。そしてその同じ虹を見て、子どものころの感
動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。そこでこう言った。「子どもは人の父」と。私はこの
一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているように思う。


「ヒロシ、許して忘れろ。OK?」・許して忘れる

 友だちとトラブルで私が何かを悩んでいると、オーストラリアの友人は、いつも私にこう言っ
た。「ヒロシ、許して忘れろ。OK?」と。英語では「Forgive and Forget」と言う。聖書の中の言葉
らしいが、それはともかく、私は長い間、この言葉のもつ意味を、心のどこかで考え続けていた
ように思う。「フォ・ギブ(許す)」は、「与える・ため」とも訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れ
る)」は、「得る・ため」とも訳せる。「では何を与えるために許し、何を得るために忘れるのか」
と。

 ある日のこと。自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。ふとこの言葉が、私の頭の中
を横切った。「許して忘れる」と。「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子ど
もはお前の子どもではないか。誰の責任でもない、お前自身の責任ではないか」と。とたん、私
はその「何」が、何であるかがわかった。

 あなたのまわりには、あなたに許してもらいたい人が、たくさんいる。あなたが許してやれば、
喜ぶ人たちだ。一方、あなたには、許してもらいたい人が、たくさんいる。その人に許してもらえ
れば、あなたの心が軽くなる人たちだ。つまり人間関係というのは、総じてみれば、(許す人)と
(許される人)の関係で成り立っている。そこでもし、互いが互いを許し、そしてそれぞれのいや
なことを忘れることができたら、この世の中は何とすばらしい世の中になることか。……と言っ
ても、私のような凡人には、そこまでできない。できないが、自分の子どもに対してなら、でき
る。私はいつしか、できの悪い息子たちのことで何か思い悩むたびに、この言葉を心の中で念
ずるようになった。「許して忘れる」と。つまりその「何」についてだが、私はこう解釈した。「人に
愛を与えるために許し、人から愛を得るために忘れる」と。子どもについて言えば、「子どもに
愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」と。これは私の勝手な解釈による
ものだが、しかし子どもを愛するということは、そういうことではないだろうか。そしてその度量、
言いかえると、どこまで子どもを許し、そしてどこまで忘れることができるかによって、親の愛の
深さが決まる……。

 もちろん「許して忘れる」といっても、子どもを甘やかせということではない。子どもに好き勝手
なことをさせろということでもない。ここでいう「許して忘れる」は、いかにあなたの子どもができ
が悪く、またあなたの子どもに問題があるとしても、それをあなた自身のこととして、受け入れ
てしまえということ。「たとえ我が子でも許せない」とか、「まだ何とかなるはずだ」と、あなたが考
えている間は、あなたに安穏たる日々はやってこない。一方、あなたの子どももまた、心を開
かない。しかしあなたが子どもを許し、そして忘れてしまえば、あなたの子どもも救われるが、
あなたも救われる。

 何だかこみいった話をしてしまったようだが、子育てをしていて袋小路に入ってしまったら、こ
の言葉を思い出してみてほしい。「許して忘れる」と。それだけで、あなたはその先に、出口の
光を見いだすはずだ。


「やっと楽になったと思ったら……」・今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結
局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけま
せん」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がい
る。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入
るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未
来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。い
つまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会
へ出てからも、そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしま
う。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽らずに
生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高校
生が自殺に追いこまれるという映画である。この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて
疲れる』という生き方の、正反対の位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論の
ある人もいるかもしれない。しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映る
のは、「今」という現実であって、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、
心の中だけ。だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではな
いのか。子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そ
ういう子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切では
ないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」とい
うことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、そのつどな
すべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。たとえば私は生徒たちに
は、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。それでいい。結果はあとか
らついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に追い求めたら、君たちの人
生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子
どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では「がんばれ!」と拍車
をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。ごくふつうの日常
会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その
違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわからないのではないか……
と、私は心配する。


「パパ、ありがとう」・父のうしろ姿

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私の
父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒屋で
酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。そんなわけで私には、つらい毎
日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から帰ってくるときも、家が近づくと、
あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を飲んでフラフラと通りを歩いてい
た。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。のんき
な子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パーティを開くとい
う。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけた。
片づけながら、ふと三男にこう聞いた。「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくない
か」と。すると三男は、「どうして?」と聞いた。理由など言っても、三男には理解できないだろ
う。私には私なりのわだかまりがある。私は高校生のとき、そういうことをしたくても、できなか
った。友だちの家に行っても、いつも肩身の狭い思いをしていた。「今度、はやしの家で集まろ
う」と言われたら、私は何と答えればよいのだ。父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どう
やって隠せばよいのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母ですら、
どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが奇異な感じ
がした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。四〇歳を過ぎるころになると、その
当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。商売べたの父。いや、父だって必死
だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「Jストアよりも安いものもあります」と、どこ
かしら的はずれな広告を、店先のガラス戸に張りつけていた。「よそで買った自転車でも、パン
クの修理をさせていただきます」という広告を張りつけたこともある。しかもそのJストアに自転
車を並べていたのが、父の実弟、つまり私の叔父だった。叔父は父とは違って、商売がうまか
った。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやしかったのだろう。戦争の後遺症もあった。父
はますます酒に溺れていった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だからう
しろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついてみたら、うし
ろには誰もいない。そんなことも多い。ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそ
れを教えてくれた。客がいない日は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。
あるいは油で汚れた作業台に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを
思いやると、今、私が感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だろう。
いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。「パパ、ありがとう」と。
そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。


「もう何がなんだか、わけが……」・あきらめは悟りの境地

 子育てをしていると、「もうダメだ」と、絶望するときがしばしばある。あって当たり前。子育てと
いうのは、そういうもの。親はそうい絶望感をそのつど味わいながら、つまり一つずつ山を乗り
越えながら、次の親になっていく。そういう意味で、日常的なトラブルなど、何でもない。進学問
題や不登校、引きこもりにしても、その山を乗り越えてみると、何でもない。重い神経症や情緒
障害にしても、やはり何でもない。山というのはそういうもの。要は、どのようにして、その山を
乗り越えるかということ。

 少し話はそれるが、子どもが山をころげ落ちるとき(?)というのは、次々と悪いことが重なっ
て落ちる。自閉傾向のある子ども(年中女児)がいた。その症状がやっとよくなりかけたときの
こと。その子どもはヘルニアの手術を受けることになった。医師が無理に親から引き離したた
め、それが大きなショックとなってしまった。その子どもは目的もなく、徘徊するようになってしま
った。が、その直後、今度は同居していた祖母が急死。葬儀のドタバタで、症状がまた悪化。
その母親はこう言った。「もう何がなんだか、わけがわからなくなってしまいました」と。

 山を乗り越えるときは、誰しも、一度は極度の緊張状態になる。それも恐ろしいほどの重圧
感である。混乱状態といってもよい。冒頭にあげた絶望感というのがそれだが、そういう状態
が一巡すると、……と言うより、限界状況を越えると、親はあきらめの境地に達する。それは
不思議なほど、おおらかで、広い世界。すべてを受け入れ、すべてを許す世界。その世界へ入
ると、それまでの問題が、「何だ、こんなことだったのか」と思えてくる。ほとんどの人が経験す
る、子どもの進学問題でそれを考えてみよう。

 多かれ少なかれ日本人は皆、学歴信仰の信者。だからどの人も、子どもの進学問題にはか
なり神経質になる。江戸時代以来の職業による身分意識も、残っている。人間や仕事に上下
などあるはずもないのに、その呪縛から逃れることができない。だから自分の子どもが下位層
(?)へ入っていくというのは、あるいは入っていくかもしれないというのは、親にとっては恐怖以
外の何ものでもない。だからたいていの親は、子どもの進学問題に狂奔する。「進学塾のこう
こうとした明かりを見ただけで、足元からすくわれるような不安感を覚えます」と言った母親が
いた。「息子(中三)のテスト週間になると、お粥しかのどを通りません」と言った母親もいた。私
の知っている人の中には、息子が高校受験に失敗したあと、自殺を図った母親だっている!

 が、それもやがて終わる。具体的には、入試も終わり、子どもの「形」が決まったところで終
わる。終わったところで、親はしばらくすると、ものすごく静かな世界を迎える。それはまさに
「悟りの境地」。つまり親は、山を越え、さらに高い境地に達したことを意味する。そしてその境
地から過去を振り返ると、それまでの自分がいかに小さく、狭い世界で右往左往していたかが
わかる。あとはこの繰り返し。苦しんでは山を登り、また苦しんでは山を登る。それを繰り返し
ながら、親は、真の親になる。


「ぼくは楽しかった」・脳腫瘍で死んだ一磨君

 一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生
活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使えるか」
と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここから出してほし
い」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。

 いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代
的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせた
ときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイワ
イやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一年たち、手術、再発を
繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつようになった。彼の苦痛でゆ
がんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際には申しわけなくて、彼の顔を見
ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまったかのように感じた。

 葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になり
たいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもできる
し、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いました」
と。そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞いて、
私だけではなく、皆が目頭を押さえた。

 ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人の
死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。私は一磨君の
遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じた。この年齢に
なると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多くなる。人生の
折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に終わったとして
も、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。
汝がために鳴るなり」と。

 私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んで
いる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両
親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文
を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったと
き、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることがで
きる。それが重要なのだ。

 一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕
事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、その
瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生きて
いることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。


「もっと息子たちのそばにいてやれば……」・子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の
腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのこ
とだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教え
てくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がな
いため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、
それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや
ればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹
いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生
も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ
た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「S
よ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわ
からなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てとい
うのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってし
まう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新
幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだった
なあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、
何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が
人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが
てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 


「生きていてくれるだけでいい」・生きる源流に視点を
      
 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ
き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、
またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が
助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りを
していて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、
「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解
決するから不思議である。特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校
を繰り返した。あるいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女
房も少なからずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切
ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れ
ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子
育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど
もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。朝起きると、子どもがそこ
にいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをして
いる……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中に、すばらしい価
値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決す
る。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フ
ォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・た
め」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもか
ら愛を得るために忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、
「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばら
しい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ
らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ
の真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を
越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。
が、若い親にはそれがわからない。ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談を
してきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授
業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受
けるたびに、私は頭をかかえてしまう。


「それ以上、何を望むのですか」・家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は
ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。が、近所の人
には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえている。いや、
そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだ
けでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが
大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったま
ま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることが
できるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたこ
とを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私
は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そう
いうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じ
ゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも
巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。親がせい
ぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドアをあけ、部
屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう書いてい
る。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。
が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。「子どもた
ちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度
をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。こうい
う家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。(*幼稚
園元園長)


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