はやし浩司
自己紹介01-5-7
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自分のこと
はやし浩司の中身(?)です。
この文字(↑)がよく見えない方は、
どうか最後までお読みください。
多分、よく見えるようになるのではないかと、
思っています……。
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理念……自由と、平等と、正義。
この三つが私の生き様の根幹にあり、
それがまた同時に、私の教育観の根幹にあります。
教育も政治も、理念が前にあってはじめて、
先に進むことができます。
主義……借金は、この40年間、ただの一度も
したことがありません。
ただ一度だけ、幼稚園の職場で、10円玉を
借りたことがあります。緊急の用で電話を
しなければならないとき、その電話代が
なかったからです。翌日その先生に、菓子箱をもって
お礼に行きました。私にとって借金というのは、そういうものです。
ほかに、この30年間、ゴミを道路とか、そういうところへ
捨てたこともありません。かんでいるガムですら、
当然のことですが、捨てたことがありません。
経歴……中学時代はコーラス部
高校時代はコーラス部と化学部
大学では宝生流クラブ、法律相談所、合唱団
浜松へ来てからは、いろんなクラブや団体に
とっかえひっかえ(失礼!)、顔を出しています。
心情……理想主義者、現実主義者です。
よく「お前は欧米かぶれしている」と言われますが、
めざすは、人間の地球人化です。決して欧米に追従しろと
考えているわけではありません。人間に上下はない。
人間は皆、平等だ。皆が自由で、正義をつらぬいたとき、
この地球人は一つになれると思います。
ジョン・レノンが「イマジン」の中で歌いあげたように、
国境のない、一つの世界をいつも頭の中で考えています。
そういう意味では、私は「夢見る人」かな……?
好きな音楽……音楽は好きです。しかし
周期的に変化します。いつ聴いてもあきないのは、
マジソン郡の橋の最後に流れる「DO LIVE」という曲。
尾崎豊の「卒業」、ビートルズの「ザロングアンドワインディングロード」、
「トライツリメンバー」「七つの水仙」「ロメオとジュリエット」
クラシックは好きですが、これといってない。
よく聞くのがベートーベンの「第九」、
ヘンデルの「メサイア」など。ほかにええと、
「ブレイブハート」の主題曲などなど。
日本の民謡ではもちろん「かわさき」。それに
「最上川音頭」も好きです。
オーストラリアのブッシュソングはどれも好き。
アイルランドの民謡など。
志向性……好きなものははっきりしていませんが、
嫌いなものは、はっきりしています。
たとえば、心霊、オカルト、ホラーなどは、
実にくだらないと思っています。よく批判するので、
そのスジの団体や頭のおかしい人たちから、ときどき攻撃されます。
カルト教団(いろいろありますね)からも、
よく抗議のメールをもらいます。女房は相手にしなければ
いいのよと言いますが、どうしても相手にしてしまいます。
これは私の性分のようなもので、どうしようもありません。
好きな言葉……いろいろあります。
「休息を求めて疲れる」(こんな愚かな生き方はしたくないという意味でです。)
「子どもは人の父」(教育評論をするとき、座右の銘としています。)
「我らの目的は、成功することではない。
失敗にめげず前に進むことだ」(スティーブンソン)
「どんなときでも、人がなさねばならないことは、
世界が明日、終えんするとわかっていても、
今日、リンゴの木を植えることだ」(ゲオルギウ)
「許して忘れる」など。
生き様……生涯のテーマは、「自由」です。
私は二〇歳のころから、いつも「自由」をテーマにして
生きてきました。今もそうです。たった一度しかない人生だから
自由を大切にしたいです。それがそのまま私の基本的な
生き様になっています。
また「今を懸命に生きる」という生き方を大切にしています。
結果はあまり考えない。やるだけのことをやって
それでだめなら、……というような考えかたをいつも
しています。で、私は「消しゴム」が嫌いです。
「消せばなおる」という、イヤな人生観を象徴しているみたい、
だからです。
私は、「消せばなおる」というものの考え方が
大嫌いです。生理的な嫌悪感を覚えます。
哲学……いろいろ考えています。ただ私のばあい、どうも
流動的でいけないと思っています。つまり一貫性がない……?
10年前と20年前の哲学が、微妙にというか、たいへん違う。
進歩しているのか、後退しているのかわかりませんが、
ともかくも、流動的です。ですからここで「私の哲学は……」と
書いてもあまり意味がないのではないかと思います。
まあ、それでもあえて言えば、やはり現実主義者で、
過去や未来などというものは、それはバーチャルな世界の
ことだと思っています。あくまでも未来は現在の
結果としてやってくると考えています。
教育論……大学教育の自由化を強く提唱しています。
具体的に……といわれると、長くなってしまいますので、
ここには書けませんが、たとえば学部の変更、転籍、転学は
もっと自由にできるように、というのが持論です。
学歴信仰や受験教育の弊害など、書き始めたら
止まらなくなるのが、私です。
ほしいもの……とくにこのところありません。
モノにはこのところこだわらなくなりました。
まあ、自分の人生はあと一〇年かな、二〇年かな……と
思うことが多くなったので、モノも一〇年とか二〇年、もてばいいと
考えるようになりました。そういうものにお金を使う余裕があれば、
できるだけ、今、役立つものを買いたいです。が、強いていえば、
いつも新しいパソコンや、新しい周辺機器がほしいです。
これは多分に、私のボケ防止のためのようなものです。
新しい電子製品を買って、分厚い説明書を見たりすると、
ぞくっとするほど、興奮します。
肩書き……私には肩書きはありません。
本や雑誌、それに新聞などでは、
教育評論家とか子育てアドバイザーとか
いろいろ書いていますが、ほとんどは、
相手が勝手に決めて書いたものです。
この日本では、肩書きがないまま生きるというのは、
むずかしいですね。私はいつも「裸」で
生きたいのですが……。ちなみに
私の名刺には、肩書きは一切、ありません。
信念……自分という存在を、どんどんと削っていく。
その削りつくしたあとに残っているのが「自分」ということになります。
そういう意味で、インチキな生き方はしたくありません。
またインチキは、時間のムダであるばかりでなく、
自分の人生を、真理から遠ざけてしまいます。
残りの人生は短いので、そんなことをしているヒマは、
私にはありません。それがあえて言えば、
私の信念ということになります。
人間性……私のいけないところは、忠誠心がないこと。
幼児期の不幸な環境が、私をこういう人間にしました。
仕事でも、お金をもらう範囲のことはしますが、
そのワクから超えるときには、心のどこかで
大きなブレーキが働いてしまいます。
昔、学生時代、「ヤクザ映画」を見て、
ヘンに感心したほどです。
「任侠」とか、「義理人情」とか……。
私の世界にはない感覚です。
ドライというのではなく、「忠誠」という、
ワクにしばられるのが、
いやというのが、本当のようです。
生きがい……「教育が生きがい」と言えば、かっこうが
つくのかも、しれませんが、実のところ、
やりつくしたという感じです。子育て相談も、
やはりやりつくした……。新しい子育て、新しい相談、
そういうものをしたいのですが……。
しかしこの世界は、繰り返しの連続です。
このところその繰り返しに、疲れを感ずるようになりました。
自分……ものを書くというのは、
自分をさらけだすことですね。
ですから、仮面をかぶって、ウソを書いていると
本当に疲れます。
美化したり、飾るのもよくない。
そういう疲れはいやですね。
ですから、いつもありのままを書いています。
……ということは、同時に、結局は
ものを書くというのは、日ごろから
自分をきたえないといけないということです。
そういう意味では、結構、きびしい世界ですよ。
初恋……初恋は、幼稚園児のときだったそうです。
私は覚えていませんが……。
不思議なのは、また同じ女の子に、
中学三年生のときに、恋をしたことです。
電話をかけましたが、相手が出たとたん、
頭の中がまっ白になってしまって、
何も話せませんでした。
高校時代は、SAさんという、すてきなすてきな
女性に恋をしました。何ごともありませんでしたが……。
いえ、何度かデートはしましたが、
本当に美しい人でした。
今の女房とは、浜松へ来てから知り合い、
そして結婚しました。
それ以来は、平凡な生活です。
後悔……後悔はしない主義ですが、
若いころ、友だちを粗末にしたのが、
悔やまれます。多くの、すばらしい友人を
私の偏屈な性格が原因で、なくしてしまいました。
テレビ……これといって、好きな番組はありませんが、
UFO関連のものは、見るようにしています。
一度、UFOを女房と見て、それでそれ以来、
気になってしかたありません。
ニュースは、ほとんど毎日、しっかりと
見ています。ニュースが一番おもしろいです。
あとは洋画です。
書く……私がものを書く目的は、
一歩でも、二歩でも、社会を前向きに進めたいからです。
そういう意味で、毎日、新しい分野に挑戦しています。
この世界、知名度がないと本は売れないので、
(そうでなくても売れる、ラッキーな人もいるようですが)
ある程度、知名度をあげたいと考えた時期もありました。
しかし今は、もう、そんなこと、どうでもよくなりました。
2001年の春、アメリカの中南部のレストランで、
「日本なんかで、有名になってもしかたないよな」と
つくづく思い知らされました。あのあたりまで行くと、
日本の存在感は、まったくありません。
それよりも大切なことは、みんなで力を合わせて、
知恵のゴミをまき散らす連中と戦うことです。
戦うというより、無視して、私たちが先へ進むということです。
もちろん、子どもたちの未来を守るために、です。
そのために書いています。
今は、やるだけのことをやるだけです。
それは同時に、自分のためかな。
残り少ない人生と、まだ使える頭のため、です。
……とまあ、そんなふうに考えています。
今一番、恐れているのは、
たとえばアルツハイマー病のような病気になって、
頭が使いものにならなくなることです。
そろそろどこかボケてきた感じがしますので、
自分では「急がなくては……」と思っています。
あと5年かな……、10年かな……と
思って、いつもものを書いています。
体……身長166センチ。体重66キロ。
本当はもう少し大きくなれたと思うのですが、何しろ戦後の極貧期。
大きくなれなかった。3人の息子は、皆、180センチあります。
ひざの骨がもりあがっているのは、
幼児期のCa不足だったせいだそうです。
母が、ヘンな迷信ばかり信じて、いつも砂糖づけの
食事ばかりとらされたせいだと、思っています。
血液型はO型ですから、事故にでもあったら、
輸血はO型でお願いします。
髪の毛は白髪が多くなりましたが、自分の髪の毛です。
今のところハゲる心配は、なさそうです。
得意……「これは得意」というのは、あまりありません。
「負けない」と思うのは、たとえば議論かな……?
あれこれ考えてものを作るのは好きです。
「考える」ことは得意です。
いつも何かを考えています。
しかしこのところ、あれこれ限界を感ずることが多くなった
ように思います。年齢のせいにするのは、いやですが、
しかし年齢には勝てない……と思っています。
教育……教育のすばらしい点はいくつかあります。
その一つ。いつも子どもたちが私の心を洗ってくれること。
子どもたちに接していると、ゆがんだものの考え方が
できなくなります。そういう意味で、私はときどき女房に、
(教えること)を、(心の洗濯)と言うことがあります。
子ども観……自分がわんぱく少年だったから、
今、わんぱく少年を見ても、それが悪いとどうしても思えません。
むしろ、そういう少年を見ると、守ってやりたくなります。
私は子どもの教育では疲れませんが、間に親が入って
くると、たいへん疲れを感じます。まあ、それはそれとして、
子どもは子どもらしく、生き生きと前向きに生きている子どもが
大好きです。またそういう子どもをいつも育てたいと考えています。
チマチマとした、まじめな子どもはあまり好きではありません。
苦手……さがしもの。
こまかい作業
反復作業
予定をたてて行動すること
洗濯、掃除
「球」をつかう、スポーツ
魚釣り
集団で行く旅行
退屈
女房(内緒!)
ロマン……私の最大のロマンは、
黄河文明の基礎を築いた
黄帝(司馬遷の史記に登場)と、
メソポタミア文明の基礎を築いた、「神」が、
同一神ではなかったかという疑いです。
証拠がないわけではありません。
「帝」は、今の中国でも、「Di」と発音します。
メソポタミアの神は、「dinger」です。
甲骨文字の「帝」と、楔形文字の「神」は、
ほぼ同一で、もともと「星」を意味します。
それでそう思うようになりました。
壮大なロマンです。
眠られない夜は、そんなことを考えて、
壮大な地球の歴史に思いをはせています。
もしこの分野に興味がある人がいたら、
どうかご一報ください。
生い立ち……戦後の混乱期でもあって、今の子どもたちと
くらべると、本当に貧しい時代でした。家族旅行などというのは、
小学6年生までに、一度しかありませんでした。その一度も
夜中に父が酒を飲み、旅館から逃げて帰った……。
結構、不幸な家庭で育ったようです。そのため私は
いつも、毎日暗くなるまで、近くの山や、親戚や
友だちの家で遊んでいました。今でいう「帰宅拒否」かな。
当時は、どこの家も「家族」の形態をとっていなかった。
ああ、これもあれも、みんな、戦争が悪いのだ! 戦争のせいだ!
アホな戦争なんか、するからいけないのだ……と、
思っています。
旅行……ほとんど世界中を、若いころは飛び歩きました。
飛行機事故にあってからは、ぐんと少なくなりました。
国内も、できるだけ列車を利用しています。
息子たちが小さいときは、パック旅行(安いので)を
しましたが、今は、予定も決めないでブラリと行くのが
好きです。「今まで行ってよかったところ」という判断は
したことがありません。どこへ行っても、その土地の
よさを発見する名人です。ただし都会の雑踏は
体が受けつけません。いやです。
喜……うれしかったこと、山荘ライフが実現したこと。
新聞のコラムが好評なこと。
50歳を過ぎても、夢や希望が、まだ続いていること。
健康なこと。
精神的に、のんびりとした生活ができること。
怒……この日本の不公平。
不正義、不平等、この日本の管理社会。
くもの巣のようになった、電柱の電線。
排気ガス。日本の借金。いいかげんな政治家。
歩道のない道路。ムダな公共事業。
愚劣なバラエティ番組。
哀……このところ、昔の仲間が、ポツポツと死んでいく。
ふと振り返ると、昔の知人が、もういない……。
過去は見ないようにしていますが、
それでもふとさみしくなる。
楽……毎日が、そうぜいたくはできませんが、
起きたいときに起き、したいことができる。
犬の散歩。ビデオを見る。映画を見る。
おいしいものを食べる。毎日、みんなにメールを出す。
パソコンショップは、私にとっては遊園地みたい。
その中でぼんやりと、ぶらぶらしているのが楽しい。
遊び……職業がら、夜遊びは、ほとんどしません。
時間帯が合わないからです。
クラブとか、キャバレーとかいうのがあるそうですが、
大阪で三井物産にいたころ、何回か行ったことがあるだけです。
(あとは出版社のつきあいで、数回同行しただけ?)
ほかに、一度も行っていません。
浜松の市内では一度も行ったことがありません。
そんなわけで、仲間には
「つまらない男」ということになっているようです。私は酒を
飲めないから、そのせいもあるかな。ああいうところが
どうも性に合わない。なじめないのです。
スポーツ……野球は、中日、
サッカーは、ジュビロ、
高校野球は、浜商(浜松出身ならすべて)
柔道などの格闘技が好きです。
柔道は、中学時代まで
道場に通っていました。
高校野球と、
サッカーの国際試合は
ほとんど見ています。
それに女房につられて、テニスも。
夢……もう大きな野心はありません。
できれば、自分の書いた文章が、私が死んだあとも
残ればいいなと思っています。私にとって
文というのは、「墓石」のようなものです。
女房や息子たちには、「死んだら灰は海へ捨ててくれ」と
言ってあります。できれば、日本の、そして世界の
「心」を、数センチでも前進させること。
それが私の夢です。
(少しかっこうつけましたが、本心です。)
ただものを書いていると、いつもその先に、未踏の原野を感じます。
その原野を少しでも先へ歩いてみたい。歩きたい。
そして今まで知らなかったことを知りたい。
その先に何があるか……。ひょっとしたら、
その終着点を見ることもなく、時間切れになるのでしょうが、
それまで歩いてみたい。それが夢といえば、夢です。
心情……「愚かな人は相手にしない」が、心情です。
大きな敵ほど、敵としてはやりがいがあります。
これはものを書くときの、私の基本的な姿勢でもあります。
気が小さいくせに、です。
大きな敵と対峙したときの、
あのスリリングな気持ちがたまりません。
「バカなことをする人をバカというのよ。
頭じゃないのよ」(映画「フォレスト・ガンプ」)
という言葉が好きです。
正義……私が私であるのは、この正義感だけです。
ときどきふとこう思うことがあります。
「どうしてこの私が日本の教育の心配をしているのか」と。
明日、病気か事故で倒れれば、万事休す。
そんな身分です。実業家にもなれず、学者にもなれず、まあ、
何とも中途半端な人生になってしまいました。
尊敬する人……石川達三(評論家)
バートランド・ラッセル(昔の文学者)
田丸謙二先生(恩師)
松下哲子先生(恩師)
林晃子(女房)
デニス・キシア君(友人)
ロバート・ベア君(友人)
デニーズ(義理の娘)
音楽……山荘では、ほとんどずっと音楽を聞いています。
たいていはクラシックですが、どれが好きということはありません。
周期的に変化するのが、私の特徴です。
ある時期はイーニャ(日本語では、エンヤ)、
またある時期は、映画音楽、またある時期はモーツアルトと
いうように、そのつど、変化します。
ビートルズやオーストラリアのブッシュソングもよく聞きます。
クラシックのアルバムは全部もっています。
そうそうベートベンの「第九」の第三楽章が好きです。
とても静かで、聞いているといつの間にか眠ってしまいます。
ドボルザークの「新世界」は、眠るときには、絶対に
聞いてはいけませんね。あれは安眠妨害曲です。
先週、山荘で聞いて、それがわかりました。
木工……結構、これにはこりました。一時期、家具のほとんどを
自分で作りました。簡単な机くらいだったら、
半日もあれば、作ってしまします。
ラジコン……この趣味は学生時代から
いつも興味をもっていて、
そのつど飛行機を飛ばしますが、
どうしてもうまく飛ばせません。
雑誌だけは、年に数回買っては、
空想の中で飛行機を飛ばしています。
子どものころはパイロットになるのが夢でした。
パソコンのフライトシムレーターのゲームは
ほとんどもっています。
欠点……短気なこと。
感情のコントロールが、できないこと。
ことの大小が、ときどき区別できなくなること。
たとえば小さな問題と、大きな問題が同時に起きたりすると、
両方とも、平等に悩んでしまう。
それに自分をごまかしてしまうこと。
正直に自分をさらけ出せないこと。
いい人ぶること。
一つのことに夢中になると、
周囲が見えなくなること。
早トチリが多いこと。
ひとりよがりな点があること。
独断、偏見をもちやすいこと。
欠点だらけ。
だからそうならないように、いつも注意しています!
弱点……誘惑に弱いこと。
だから政治家にはなれない……?
ワイロを差し出されたら、
それを断わる勇気はない(?)、と思う。
お人よし。頼まれると、本気でやってしまう。
弱点だらけ。だからやはり政治家にはなれない。
意思も弱い。軟弱。
本当にどうしようもない。
ああ、それに私は、「さみしがり屋」です。
人との交際は、苦手なくせに、
ときどきひとりぼっちがこわくて
家へ逃げて帰ってきます。
山荘でひとりでいると、
ひしひしと孤独(おおげさかな)を
感ずることがあります。
山荘ライフ……浜松市の隣の町(村?)に
山荘をもっています。週末はいつも
そこで過ごしています。
土地作りに6年もかけました。
もちろんユンボもダンプカーも
自分たちで運転しました。
ダンプカーを女房が運転しているとき、崖底に落ちて
死にかけました。これは本当の話です。
このHPに「山荘ライフ」を書いておきましたので、
ご覧になってください。
パソコン……パソコン歴は長く、コモドールのペットという
マシンを27歳のときに購入しました。
あのビルゲーツが高校生のとき
使っていたマシンと同じマシンです。
今からもう25年以上も前のことですが、
当時のお金で34万円もしました。
今も倉庫に眠っています。そのうち骨董的
価値が出てくるのではないかと思っています。
今は、年に一台くらいの割合で、新しいパソコンを
買いつづけています。今、主に使っているのは
パナソニックのLIXA。もうそろそろ1年になるので、
次の機種をさがしています。(01年6月)
読書……学生時代は、SF小説をよく読みました。
学生時代、一番好きだったのは
石川達三でした。
フィーリングが合うというか、
文章が好きでした。
最近は、雑誌がほとんどです。「諸君」や「現代」は
ほとんど毎月買っています。単行本は、このところ
買うことが、めっきり少なくなりました。
寝るときは、いつも、何らかの本を読みながら寝ます。
難しい本ほど、眠気を誘います。
そういえば、最近は、いい本がないなあ、と
思っています。
宗教……「本物があれば……」と、女房と二人でずっとさがして
きたような気がします。しかし今のところ、信じられる
ような宗教がなくて、まあ、何となく心のどこかで
考えているという程度です。一応、私は実存主義者ですが、
深い思想があるわけではありません。
もともといいかげんな人間なので、
そのつど、カメレオンのように、相手に
あわせて生きています。……そういう自分が
いやになることも、よくありますが……。
「無神論者」というほどの無神論者ではないような気がしますが、
しかし有神論者でないことも事実。
もともと人にあれこれさしずされるのが
嫌いなタイプ。たとえ相手が神様でも仏様でも、
さしずされるのは、いやです。
あくまでも生きるのは私。
私の力で生きたいと思っています。
ただし今でも世間を騒がせているような、
ああいったカルト教団には、激しい嫌悪感を覚えます。
子どもたちの未来を守るために、真剣に戦っています。
ちなみに、私の実家は、浄土真宗大谷派です。
息子の一人はクリスチャンです。
私は死んでから、どこの宗派に入るか決めるつもりでいます。
最初に迎えにきてくれた宗派に入ります。(これは冗談!)
迷信……占い、運命論、手相など、一切信じていません。
占星術や血液型判定もそうです。
信じていないというより、体が受けつけません。
考えたこともありません。そういう意味では
たいへん現実主義的なものの考え方をしています。
霊……前世、来世論を言う人もいますが、
私はそういうものは、「ない」という前提で生きています。
直接見たことも、聞いたこともない世界を信じろと言われても、
私にはできません。
それは宝くじのようなもの。
宝くじがあたることをアテにして、高価なものを買う人はいません。
同じように、来世をアテにして、「今」を犠牲にすることはできません。
今は今で、精一杯、自分らしく生きてみて、
死んでみて、あの世があれば、もうけものと、
まあ、そういうふうに考えています。
もちろんそんなわけで、霊の存在など、論外。
まったく信じていない……というより、
信じているか、いないかということも
考えたことがありません。
過去……一番いやな時代は、高校時代。
神様が「もう一度、高校時代に戻してやる」と言っても、
絶対に断わります。いやな友人(友人と呼ぶのもいやです)たち。
いやな担任教師。いやな受験勉強。いやな……?
いやな思い出ばかり……。でも、恋もしたし、デートもした。
そちらのほうは、楽しかった……かな?
楽しかったのは、留学時代。今でも私の人生の中で、
さん然と輝いています。
どうか「留学記」をお読みください。
山歩き……今は、休日はもっぱら女房と山歩きを楽しんでいます。
山草や木や花を見ていると、
「生きていてよかった」(少し大げさかな……?)
と感ずることが多くなりました。
ビデオ……最近見たのでよかったのは、
「ミュージック・オブ・ハート」でした。ときどき涙をこぼしながら
見ていました。自分の過去がそのままダブったからです。
若いころは、「ベンハー」をよく見ました。
ベンハーのようなダイナミックな生きザマにあこがれました。
ほかによかったのは……
「Deep end of the Ocean」★★
「遠い空の向こうに」★★
「フィールドオブドリームズ」★
「シクス・センス」
「マディソン郡の橋」★
「ブレイブ・ハート」
「パトリオット」
「恋に落ちたシェークスピア」
「マトリックス」★など。
SFはたいてい見ています。
「オズウェル」★
「未知との遭遇」
「2001年、宇宙の旅」
もよかった。
市販ビデオ(DVD)まで買ったのは、
「ライアンの娘」
「アラビアのロレンス」★★★
「未知との遭遇」★
「フラバー」
「マディソン郡の橋」★★などが
あります。
嗜好……酒は一滴も飲めません。奈良漬を食べただけで
二日酔いになってしまうほどです。
タバコは、ダメです。臭いをかぐと、
鼻の中がツンツンして、不愉快です。
悩み……ありすぎて、ここには書ききれません。
ただ悩みを背負って生きるのが人生。
たった一度しかない人生だから、
とことん生きてみようという気持ちです。
あきらめているのかな?
受け入れているのかな?
いつも自分をなぐさめながら
生きています。
生活……平凡を求めながら、平凡には決して満足できない……。
そんな矛盾した自分が、ときどきいやになります。
女房も、「一体、あなたは何を求めているの?」と、
よく聞きます。生活は質素で、他人の目は、ほとんど
気になりません。マイペースで生活できる自分がうれしいです。
女性……男がいて、女がいる。
私はその男です。
だから女性を意識しないと言えばウソですが、
私の場合、仕事も、対象も、ほとんどが女性。
講演に来てくれる人も、99%が女性。
女性に囲まれて仕事をしています。
だから女性を意識することは
ほとんどありません。
特に相手を、「母親」と思ったとたん、
その人は、私にとっては、女性でなくなります。
若いころ、その「母親」に、さんざん
いびられたのが、原因(?)かと思います。
いわゆる母親恐怖症(?)というのでしょうか。
センス……批評家としての、美的センスはバツグンと
自分では思っていますが、自分のことは、すべて
女房に任せています。服も、すべて……。
講演などに行くときも、女房が用意したものを
そのまま着てでかけます。私の服装が、
どこかババ臭いのはそのため。はははは。
交際……50歳を過ぎたころから、「ムダなつきあいは
もう、やめよう」と、思うようになりました。
「いろいろな人とつきあうのは、いいことだ」と
思っていましたが、何というか、時間のムダのように感じたわけです。
以後、いやな人、フィーリングの合わない人とは、どんどん
お別れすることにしています。人生もそろそろ短くなってきたし……。
今は「新しい人から学ぶ」というよりも、「今まで学んだものを
大切に掘り起こしてみよう」「人生も
まとめの時代に入った」という心境です。
健康もさることながら、頭が少しずつボケてきたような
感じもします。集中力が続かなくなってきた……。
だから「時間がない……」と思うのかもしれません。
この心境は、あくまでも今だけの一時的なものかもしれません。
新しい人との出会いは、それなりに結構楽しいです。
そうそう、この年齢になると、その道を達成した人と
出会うのは、本当に楽しいです。何というか、
「この人もがんばったなあ」という親近感というか、
尊敬の念をもちます。しかしつまらない人というのは、
平凡な人生を、ただ無難に過ごしてきたような人です。
ヒマなときは、パチンコばかりして、読むのはスポーツ新聞だけ
というような人です。何の魅力も感じません。(失礼!)
食べ物……寿司が大好物です。寿司か、さしみなら、
毎日でもOKです。女房に、「お前のさしみ料理はおいしいね」
などと言ったりして食べています。
にんにく料理が好きですが、しかし臭いがあるので、
土曜日の夜ぐらいしか、食べられません。
絵画……一時期、毎日のように絵を描いていました。
子どものころは、絵が得意でした。賞をのがしたことは
めったにありませんでした。が、この数年、
パタリと描かなくなりました。近くまた描いてみようと思っています。
一時期は、ミロ、シャガール、ローランサンなどの
絵画を、流行にのせられるまま、それぞれ何作か買いましたが、
今は、ほとんどが、倉庫で眠っています。
健康……毎日、片道約6キロの道のりを自転車で
通っています。これが唯一の健康法です。
おかげで今のところ足腰は強く、成人病とも
無縁です。ただ左の耳の聴力は完全になくしました。
突発性何とかという病気で、聴力をなくしました。
子どもの声でも、どちらの方から聞こえてくるのか
わからないので困ります
体重は66キロです。血圧は低くて
60−100の間を行ったりきたりしています。
性格……結構、神経質で、うつ型気質です。このところは、
あまりクヨクヨしませんが、若いころは、よく悩みました。
一見、明るく愛想はよいのですが、本当の自分は
そうでないと思います。山荘で一人でぼんやりと
しているときだけ、自分を取り戻せるような気がします。
そういう意味では、仮面人間……?
よく「子どもが好きか?」と聞かれますが、
子どもと接していると、ストレスを解消できるのは事実です。
しかし好きか、嫌いかと聞かれても困ります。そういう視点で
子どもを見たことがありません。
友人……友人は少ないです。親友というのは、つまり
何でも話せるのは、女房と、ほかに二、三人の
人と、姉だけです。考えてみれば、さみしい人生ですね。
……幼児期の貧しい生活が、人を信じられない私を
作ったのだと思っています。青年時代は、そういう
自分との戦いだったと思います。
何とかまとも(?)になれたのは、女房のおかげだと思っています。
恐怖……飛行機事故にあってから、飛行機に乗れなくなりました。
いえ、乗ることはできますが、行き先の先方で、完全な不眠症に
なってしまいます。帰りの飛行機がこわいからです。
ほかに高所恐怖症などもあります。一度屋根にテレビのアンテナを
つけにあがったのですが、おりられなくなってしまいました。で、
結局、電気屋さんに来てもらいました。ははは。
肩書き……私のことを見るに見かねて、いろいろな肩書きを
用意してくれた人は多いです。「教授」とか、「顧問」とかなど。
幼稚園の園長になってくれとか、理事になってくれ
という話も、ときどきあります。おもしろいのは、
ある宗教教団の指導者になってくれというのも、
あったことです。大阪にある教団です。
「あなたこそ、私たちの求めていた教祖だ」と
おだてられました。(もちろん断わりましたが……。ははは)
しかしまあ、何というか、どうも自分の生き様には合わない……。
それで結局は一度も使わずに今に来ています。
本の奥付の紹介欄では使ったことがありますが……。
自由の方がいいですね。うるさいものはないほうがいいです。
政治……私は自分を、「浮動票の王様」と呼んでいます。
選挙のたびに、支持政党が変化します。が、私が支持した
政党が、いつも大量の票を獲得します。それで「浮動票の王様」と
自分では呼んでいます。誰も認めてくれませんが……。
昔、学生時代、「自由新報」という自民党系の
機関紙に、アルバイトでコラムを書いていました。
(お金がもらえるから、ということで、書きました。)
政治活動は、あとにも先にも、それだけです。
特定の政党や政治家を支持したとか、そのための
政治活動をしたということは、生涯でただの一度も
ありません。また頼まれても(そういうことはないでしょうが……)、
応援するつもりはまったくありません。
政治は常に流動的であるべき……それが自由の
基本だと私は確信しています。
生きザマ……もともと「性」があまりよくないので、
若いころは、平気でウソを言ったり、
自分をごまかしたりしていました。
しかし気がついてみると、そういう自分が、
今、大嫌いです。「嫌い」というより、
そういうことをしたあと、ものすごい自己嫌悪に
陥ります。ですから最近は、自分に正直に
生きるようにしています。
なかなかむずかしいことですが……。
犬とネコ……完全な犬派です。ネコとはどうも相性が合わない……?
裏と表があるからです。鳥が好きなせいもあります。
一度、10羽ほど、ハトを飼っていましたが、近所のネコに
全部殺されてしまいました。そういう恨みもあります。
死後……家族には、自分が死んだら、遺骨は、
すべて粉々の灰にして、つまりよく焼いて、
海へ捨てるように頼んであります。
墓はいらない。〜回忌という供養もいらない。
もしそれで成仏(?)できないというのであれば、
あの世で、まっさきに抗議集会を開きます。
そういうことで差別する、あの世のしきたりには、がまんできません。
(もし、そうなら……)
戒名はいらない。私は死んでからも、「はやし浩司」で
通します。もしまたあの世で会うことがありましたら、
「はやし浩司」をたずねてきてください。
私は懸命に、人間らしく生きてきた。それがまちがっている
というのなら、それは神や仏のほうが、まちがっているのです。
……と、少し過激なことを考えています。
死後のことは、家族に任せます。
家族がしたいようにすればいいです。
実家は、浄土真宗。息子の一人は
クリスチャン。どうしたらいいのでしょうか……?
そうそう、私がどうして海へ灰を捨ててほしいかって……?
理由があるのです。
昔、母の実家では、死ぬとその人を、棺おけに入れて、
土の中に埋めるということをしていました。
ところが、です。私は閉所恐怖症なのです。
暗いトンネルの中へ入ると、今でもぞっとします。
若いころ、伊豆の金山に入ったことがありますが、
実際には、入り口で足がすくんでしまい、
中へは入れませんでした。
だから土の中には埋めてほしくないのです。
母の実家で、土の中に埋められる人を見て、
心底ぞっとしたのを、今でもよく覚えています。
暗い、土の中は、ごめんです。
女房は、「どうせ死んだら、何もわからないわよ」と
笑っていますが……。
将来……残りの人生を、ひしひしと感じます。
女房と二人で、老後は、どこかのホームへ入ろうと
いつも話し合っています。家と土地を売れば
何とかなるだろう、と。そのホームで死ぬまで、
あれこれ考えて、ものを書く人生をしたいです。
で、したいことはたくさんありますが、
それができるかどうかは、自信がありません。
……この話は、もうやめましょう。
書いているだけで、さみしくなります。
人……この年齢になると、「何かをしてきた人」に
会うのは、本当に楽しいです。またそういう視点で
相手を見ます。「何かを懸命にしてきた人」は、
それだけで輝いて見えます。私はいつも人を
判断する基準として、そういう目で見ています。
つまらないのは、読むのはスポーツ新聞だけ。
見るテレビはは野球中継だけ。休みの日は
パチンコか釣ばかり、……という人です(失礼!)。
そういう人には興味はありません。
また肩書きや地位ばかりをぶらさげて
歩いている人も、好きではありません。
うまく時流に乗って、思想家ぶっている人を見ると、
不愉快でなりません。これは私のひがみのようなものかもしれませんね。
私……私という人間は、子どものころ、かなりゆがんでいたと思う。
教育を通して自分を見ると、それがよくわかります。
それについては、このサイトのあちこちに書いておきますが、
少なくとも、私はまともな家庭環境で育った人間ではありません。
そういう自分を発見し、そういう自分と戦うのが、
結局はこうしてものを書く原動力にもなっています。
財産……若いころは、がむしゃらに働きました。月に一日しか
休みがなかったこともあります。
が、それでなくしたものもあります。
過労で左耳の聴力。それに何度か女房と離婚話も
もちあがりました。
かろうじて私を支えてくれたのは、多分、私の持ち前の
まじめさではなかったかと思います。
私はただひたすらまじめに生きてきた。
そのまじめさがあったから、女房も
家から出ていかなかった……とまあ、
勝手にそう思っています。
で、財産とは何か。アメリカ人の友人は、
「ヒロシ、友人の数が財産だよ」と言います。
しかし私には友人は少ない。
では私にとって財産とは何か?
多分、私の正義感ではないかと思います。
これを私から取ったら、私には何も残らないと思います。
ライフワーク……三〇歳になったばかりのとき、
恩師の田丸先生に、「ライフワークを始めなさい」と
言われました。私が「まだ三〇歳です!」と言うと、
「三〇歳からでも遅すぎます」と。
以来、ずっと私のライフワークは何かと考えてきましたが、
いまだにつかめないでいます。
多分、私のライフワークは、ひたすら前に進むこと。
その先に何があるかわかりませんが、
ただひたすら前に進むことだと思っています。
結果はあとからついてくる。……つまり
そのとき私のライフワークが「形」を現すのでは
ないかと思っています。……あるいは
このまま野たれ死ぬ……?
以上、事実と相違ないことを、確認します。
2001年6月記
*******************
はやし浩司の中身がよくわかっていただけましたか?
どうかこんな、はやし浩司を、
これからも、よろしくお願いします。
2001−6月現在の「はやし浩司」です。私はいつも流動的です。
(♪+動画・紹介コーナーへ)
****************************
2002−2−28、追伸(自己紹介)
私の過去(心の実験)2002−7
私はときどき心の実験をする。たとえば東京の山手線に乗ったとき、東京から新橋へ行くのに、わざと反対回りに乗るなど。あるいは渋谷へいくとき、山手線を三周くらい回ってから行ったこともある。一周回るごとに、自分の心がどう変化するかを知りたかった。しかし私の考え方を大きく変えたのは、つぎのような実験をしたときのことだ。
私はそのとき大阪の商社に勤めていた。帰るときは、いつも阪急電車を利用していた。そのときのこと。あの阪急電車の梅田駅は、長い通路になっていた。その通路を歩いていると、たいていいつも、電車の発車ベルが鳴った。するとみな、一斉に走り出した。私も最初のころはみなと一緒に走り、長い階段をかけのぼって、電車に飛び乗った。しかしある夜のこと、ふと「急いで帰って、それがどうなのか」と思った。寮は伊丹(いたみ)にあったが、私を待つ人はだれもいなかった。そこで私は心の実験をした。
ベルが鳴っても、わざとゆっくりと歩いた。それだけではない。プラットホームについてからも、横のほうに並べてあるイスに座って、一電車、二電車と、乗り過ごしてみた。それはおもしろい実験だった。しばらくその実験をつづけていると、走って電車に飛び乗る人が、どの人もバカ(失礼!)に見えてきた。当時はまだコンピュータはなかったが、乗車率が、一三〇〜一五〇%くらいになると電車を発車させるようにダイヤが組んであった。そのため急いで飛び乗ったようなときには、イスにすわれないしくみになっていた。
英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。「早く楽になろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だが、愚かな生き方の代名詞にもなっている格言である。その電車に飛び乗る人がそうだった。みなは、早く楽になりたいと思って電車に飛び乗る。が、しかし、そのためにかえって、よけいに疲れてしまう?
……それから三〇年あまり。私たちの世代は企業戦士とか何とかおだてられて、あの高度成長期をがむしゃらに生きてきた。人生そのものが、毎日、発車ベルに追いたてられるような人生だった。どの人も、いつか楽になろうと思ってがんばってきた。しかし今、多くの仲間や知人は、リストラの嵐の中で、つぎつぎと会社を追われている。やっとヒマになったと思ったら、人生そのものが終わっていた……。そんな状態になっている。私とて、そういう部分がないわけではない。こう書きながらも、休息を求めて疲れるようなことは、しばしばしてきた。しかしあのとき、あの心の実験をしなかったら、今ごろはもっと後悔しているかもしれない。そのあと間もなく、私は商社をやめた。
今から思うと、あのときの心の実験が、商社をやめるきっかけのひとつになったことは、まちがいない。
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●私の人間性2002−7
子育てが終わると、どんとやってくるのが、老後。それまで何とかごまかしてきた持病が、どんと吹き出す。持病だけではない。その人の人間性まで、どんと吹き出す。気力が弱くなり、ごまかしがきかなくなるためと考えてよい。
で、私のこと。まず健康だが、こうなってみると、長い間、運動をつづけてきたことが、喜びとなって返ってくる。私はもう三〇年近く、自転車通勤をしている。数日も自転車に乗らないでいると、体のほうがそれを求める。おかげで成人病とは無縁。まったく健康というわけではないが、しかし同年齢の友人や知人とくらべても、健康なほうだ。
問題は、人間性。私は若いころ、ずいぶんといいかげんな人間だった。目先の利益のためなら、平気で正義をねじまげた。人をだましたり、キズつけたりしたこともある。言うなれば小ズルイ男で、そういうことが平気でできた。私は自分の中にそういう邪悪な部分があることを知っている。今は、かろうじてそういう自分を抑え込んでいるが、いつまたそういう自分が出てこないともかぎらない。いや、ときどき、顔を出す。
先日も、コンビニの前で、サイフを拾った。善良な人なら、そういうサイフを、すぐその店に届けたりするのだろう。しかし私は、一瞬、迷った。迷って、サイフの中を見てしまった。が、幸いなことに(?)、中味は免許証とカード、それに小銭だけだった。だから店にそのまま渡すことができた。が、しかし、もしあのサイフの中に、一〇万円とか二〇万円が入っていたとしたら、どうだったか……。私はもっと迷ったかもしれない。つまりこれが私の中の邪悪な部分である。
そこで私は気がついた。健康と同じように、人間性もまた、日々の鍛錬(たんれん)によってつくられるものだ、と。安易なだらしない生活を繰り返していれば、人間性も影響を受ける。はっきり言えば、悪くなる。そして結果として、その人は、見苦しい人間になる。いや、鍛錬といっても、むずかしいことではない。ごく日常的な、ほんのささいなことでよい。たとえばウソをつかない。ゴマかさない。人に意地悪をしない。ゴミを捨てない。人に迷惑をかけない。社会のルールを守る、など。常識的なことを、ふつうに守ればよい。そういう積み重ねが、積もりにつもって、その人の人間性をつくる。
さて私はどうか? このところときどき自分がこわくなる。今はこうして自分の気力で、自分を抑え込んでいる。しかしその気力が弱くなったとき、自分の人間性が、そのまま外に出てくる。そのときどんな自分が、外に出てくることやら? プロ野球の元監督の妻に、Sという女性がいる。人間がもつあらゆる醜悪さを顔中に塗りたくったような女性と言ってもよい。先ごろ脱税で逮捕されたが、あの女性を見ていると、ああはなりたくないものだと思う。しかしその自信は、ない。ひとつまちがえば、私だってああいう人間になる? それが今、こわい。
●自転車通勤
二九歳のときまで住んでいたアパートからも、それ以後移り住んだ今の自宅からも、町中の職場まで、七キロある。私はその七キロを、自転車通勤をするようになって、もう三〇年になる。時間にすれば、片道、約二〇分。のんびり走れば三〇分。若いころは一五分で走ったこともある。
そういう自転車通勤を、たいへんだと思う人も多い。私が「○○町から自転車で通っています」などと言うと、「それはたいへんですね」と言う人もいる。しかし実際には、楽しい。仕事が終わって、自転車にまたがると、そのとたん、言いようのない解放感が私の身を包む。が、それだけではない。最近では、数日も自転車に乗らないでいると、体のほうがそれを求めるようになる。「ジョギング中毒」という言葉があるそうだ。走ることそのものが中毒のようになり、走らないと、かえってイライラすることをいう。同じ中毒でも、これは好ましい中毒ということになるが、自転車にもそれがある。乗って走ることが、快感なのだ。とくに長い坂をノンブレーキでくだりおりる爽快(そうかい)感は、何ものにもかえがたい。真冬の厳寒期には、ときどきつらいと思うことはあるが、その時期をのぞけば、楽しい。
体を動かすことを習慣にすると、その習慣が、脳内にある種の変化をもたらすようだ。麻薬に似た脳内物質をつくり、それがその人を気持ちよくする、とか。たとえば山荘の近くにKさんという、働き者の人がいる。毎日、朝から晩まで、あれこれと体を動かしている。「百姓(百の仕事をする人)」とはよく言ったもので、農業はもちろんのこと、土木、建築、まさに何でもござれというような人である。先日Kさんの家を訪れたら、研磨(けんま)機で、農具を磨いていた。
Kさんを観察してみると、あのKさんも、働くというよりは、体を動かすことによる快感を楽しんでいるのがわかる。ウソだと思うなら、夏の暑い日に、Kさんが汗をタオルでぬぐっている姿を見てみればよい。実に晴れ晴れとした、すがすがしい表情をしている。
そこで重要なことは、いかにして、そういう習慣を自分の中につくるかということ。つけ刃(やいば)ではいけない。その前の段階として、それこそ数年単位の忍耐と努力が必要である。その段階を通りぬけると、やがてそれがその人の習慣となり、ここでいう「中毒性」をおびてくる。そうなればあとは、自発的に体のほうが動いてくれる。そしてその結果として、健康を維持することができる。
いや、ひとつだけわからないことがある。その自転車通勤だが、夏休みなど、一週間も自転車に乗らないでいると、多分、ふつうの人以上に、体の調子が悪くなってしまう? 体がだるくなり、起きているのもつらいと思うこともある。頭が重くなることもある。これはどういう作用によるものなのか。今度そういうことがあったら、もう少し自分をよく観察してみたい。
●自己分析
わかっているようで、わからないのが、自分。自分を知ることはむずかしい。「私は私」と思っている人でも、本当のところは、わかっていない。私のばあい、仕事がらいつも子どもを見ているので、子どもを通して、自分を知ることができる。その私のこと。
(帰宅拒否)私は子どものころ、いつも真っ暗になるまで、寺の境内や道路で遊んでいた。あるいは学校から帰ってくるときも、まっすぐ家に帰ったことは、一度もなかった。そういう思い出から、私は帰宅拒否児だったと判断できる。
(かんしゃく発作)私は泣いたあと、よくしゃっくりをしていた。かなりはげしく泣かないと、そのあとしゃっくりが出るということはない。私は興奮性の強い子どもだったようだ。そういうことから、私は家庭教育の失敗による、かんしゃく発作の持ち主だったことがわかる。
(ひねくれ症状)私は中学生のころ、気がある女の子の前へくると、わざと無視したり、意地悪をした記憶がある。小学五年生のときには、一人の女の子のノートに落書きをして、泣かせてしまったことがある。そういう思い出から、私はものの考え方が、かなりひねくれていたことがわかる。
(分離不安)今でも、ときどき夜になると、言いようのない不安感に襲われることがある。ひとり取り残されたかのような不安感だ。人づきあいは、あまりよくない割には、ひとりでいるのが苦手。子どものころ、母親のあとをいつもついて回っていたのを覚えている。そういうことから、私は分離不安だったようだ。
(情緒不安定)私は寝るとき、貝殻でつくったボタンを指でいじるクセがあった。小学三、四年生までそれがつづいた。そのボタンをいじっていると、気持ちよかった。これは固執型の情緒不安定児によく見られる症状である。そういう症状から、私は情緒が不安定な子どもだったようだ。
(愛情飢餓)小学三年生ぐらいのときだった。人形がほしくてほしくてたまらなかったときがある。しかし「男は人形なんかで遊ぶものではない」と言われるような時代で、なかなかそれを言えなかった。で、伯母に内緒で作ってもらい、その人形を毎晩、抱いて寝た。一方、よく「浩司は愛想がいい」と言われた。相手に合わせて、シッポを振る(相手に取り入る)のがうまかった。そういう思い出から、私はかなり愛情に飢えていたと判断できる。
いろいろ問題がある私だが、考えてみれば、それも当然。父は数晩おきに酒を飲んで暴れた。私にはそれが恐怖だった。母は母で、虚栄心のかたまりのような女性で、見栄やメンツばかりを気にしていた。私は父や母を責めているのではない。こうした「ゆがみ」は、どこの家庭にもあったことで、当時は、それがふつうだった。戦後の混乱期のことで、親たちも生きていくだけで精一杯。戦争の後遺症を多かれ少なかれ、どの人も引きずっていた。私はそういう時代に生まれ、そしてここに書いたような子どもになった。
あなたも私がここに書いたことを参考にして、自分の過去をさぐってみてはどうだろうか。
●自己分析(2)
自分を知るためには、まず(1)過去の思い出を静かにさぐってみる。子どものとき、あなたは自分がどういう行動をしたかなど。あるいは相手の人が、どのように反応したかでもよい。先生があなたのことで何かを言ったことでもよい。あるいはあなたの父親や母親の口グセでもよい。つぎに(2)そういったことを手がかりに、自分の分析を始める。そのときある程度の知識が必要となる。恐怖症、神経症、情緒不安など。そしてある程度、自分の症状が類型化できたら、(3)なぜそうなったかを、考えてみる。そのときとくに大切なのか、あなたが生まれ育った、家庭環境である。父母はどういう状態だったか。家庭はどういう状態だったか。あなたと父母の関係はどうだったか。父母に対して、どのような感情をもっていたか、など。
こうした自己分析をする理由は、二つある。ひとつは、「今の自分」を、よりよく知るため。今、あなたは「私は私」と思っているかもしれないが、実のところ、「過去につくられた部分」のほうが大きい。しかし問題は、そういう過去があることではなく、そういう過去があることに気づかないまま、その過去に振りまわされること。そして同じ失敗を繰り返すこと。いじけやすい、ものの考え方がひねくれている、つっぱっている、ひがみやすい、など。しかしもしあなたが自分の過去に気づけば、こうした問題は、そのあと多少の時間はかかるかもしれないが、それで解決する。
もうひとつの理由は、子育ては、親から子どもへと、伝播(でんぱ)しやすい。「世代連鎖」と呼ぶ人もいる。その連鎖が、よいものでればよいが、そうでないものもある。たとえば子どもを愛せない、子どもに暴力を振るなど。もしそうであれば、そういう連鎖は、できるだけあなたの代で、断ち切る。そのためにも、なぜ今、あなたが子どもを愛せないか、なぜ今、あなたが子どもに暴力を振るうかを知る。この問題も、あなたが自分の過去に気づけば、そのあと多少の時間はかかるかもしれないが、それで解決する。
自分を知ることは、おもしろいことでもあるが、同時にこわいことでもある。しかしさらに自分を知ると、人間自身がもつおもしろさに、あなたも気がつくはず。ついで子育ての深遠さに気づき、子育てがどうあるべきかに気づくはず。ぜひあなたも、自分さがしをしてみてほしい。
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上の自己紹介を書いて、もう半年になります。で、今、読み返してみて、もう少し書いたほうが
よいかなという部分をここに書きます。
教育評論をしていると、最初に、読者の方が聞かれるのは(あるいは心配されるのが)、私が
どういう思想の持ち主かということです。こうした質問や心配は当然のことです。実際、カルト教
団が自分の身分を隠して、教育論を展開しているサイトも少なからずあります。また思想的に
偏向している人が、教育論を書くと、これまたたいへんなことになります。(かと言って、私がだ
いじょうぶということにもなりませんが……。)
で、今、守っていること……@ウソはつかない。聞かれるまで黙っていることはあって
も、ウソはつかない。(ただつごうの悪い質問には、黙っていることはあります。)
Aゴミを捨てない……どんな小さなゴミでも、道路とかそういうところへ、捨てたことは
ありません。もうこのことは、30年以上守っています。
Bお金やモノを借りない……お金は借りたことがありません。一度だけ例外はあります
が。(10円玉だけ借りたことがあります。今、本当に後悔しています。あの10円玉さえ
借りなければ、私は生涯、借金をしたことがないと、今、ここに書けるのですが……。)
C道路へツバをはかない……当然ですね。これも1968年以来、守っています。一
度、ビルの窓からツバをはいて、大失態してから、守っています。その失態をしたのが、
1968年の夏でした。今思い出しても、ぞっとするくらい恥ずかしいです。いつかそのとき
になったら、告白しますが、今は、話したくありません。
D自転車通勤……これももう30年近くになるのでは。毎日1時間以上は、乗っていま
す。
************************************
私の政治信条 2002−6−23
こういう仕事をしていると、よく政治信条を聞かれる。左翼系であっても、右翼系であってもいけないということだが、それについて、ここでウソ隠しなく、明白にしておく。
私は自分では「浮動票の王様」と呼んでいる。選挙のたびに支持政党が変わる。しかも私が支持した政党が、そのつど、躍進する。それでいつしか自分をそう呼ぶようになった。
選挙で自民党に入れたことも、公明党に入れたこともある。共産党に入れたこともあるし、自由党や民主党に入れたこともある。政治はいつも流動的であるべきだし、またそれが「自由の象徴」と、私は思っている。よく浮動票層を、「いいかげんな人」と評する人がいるが、浮動票層であることは、何ら恥ずべきことではない。……と、私は勝手に考えている。もっともこうして浮動票層でいられるのは、そのスジの団体とは、一切かかわりをもたないことによる。あちこちの教育委員会から招かれて講演をすることはあるが、だからといって、私はいわゆる「保守層」でもない。
私が抵抗しているのは、旧型の日本人社会である。封建時代の遺物の清算、全体主義的思考の清算、権威主義社会の清算などなど。私たち日本人の、ものの考え方そのものの変革といってもよい。しかしこれらは政治とは本来、関係がない。そして私は同時に、男女の平等社会と、家族主義を訴える。その先には、「世界から相手にされる日本」があり、さらにその先には、「日本人のグローバル化」がある。今でも、この日本は、世界から見ると、どこかおかしい。どこか異質。つい先日も、ワールドカップで日本チームを監督したフランス人のフィリップ・トルシエ監督は、日本を去るにあたって、地元のフランスの新聞社にこう語っている。「さらば、不可解な国(日本)」(読売新聞、〇二年六月)と。この「不可解さ」があるかぎり、日本はいつまでたっても、世界から受け入れられることはない。
もちろんそういう私に対して、反論も多い。ときどき、そういった内容の抗議も届く。「あなたはそれでも日本人か!」と、手紙で怒ってきた女性(四〇歳)もいた。「先祖を否定するような者は、教育講演をする資格はない」とも。(私は一度だって、先祖を否定したことはないのだが……。)
これからも私は、政治活動をするつもりはない。どこかの団体に属するつもりもない。私はいつも自分の身の回りをフリーにすることで、「自由」を守ってきた。だれかに遠慮したり、だれかの利益を守るようなことはしたくない。(「したくない」と言いながら、結構しているが……。それが私の弱点でもある。そういう意味では、ずいぶんといいかげんなところがある。)
まだまだ書きたいことはあるが、これ以上書いても、堂々巡りになるだけ。教育は宗教、哲学、科学など、あらゆる面に関係するが、同時にあらゆる政党とも関係する。ひとつの政党にこだわらねばならない理由そのものがない。
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私はドンキホーテ
セルバンテス(ミゲル・デーサーアベドラ・セルバンテス・一五四七〜一六一六・スペインの小説家)の書いた本に、『ドンキホーテ』がある。『ラマンチャの男』とも呼ばれている。夢想家というか、妄想家というか、ドンキホーテという男が、自らを騎士と思いこみ、数々の冒険をするという物語である。
この物語のおもしろいところは、ひとえにドンキホーテのおめでたさにある。自らを騎士と思いこみ、自分ひとりだけが正義の使者であり、それこそ世界をしょって立っていると思いこんでしまう。そして少し頭のにぶい、農夫のサンチョを従者にし、老いぼれたロバのロシナンテに乗って、旅に出る……。
こうした「おめでたさ」は、ひょっとしたら、だれにでもある。実のところ、この私にもある。よくワイフは私にこう言う。「あんたは、日本の教育を、すべてひとりで背負っているみたいなことを言うね」と。最近では、「あなたは日本の外務大臣みたい」とも。私があれこれ国際情勢を心配するからだ。
が、考えてみれば、私一人くらいが、教育論を説いたところで、また国際問題を心配したところで、日本や世界は、ビクともしない。もともと、だれも私など、相手にしていない。それはいやというほどわかっているが、しかし、私はそうではない。「そうではない」というのは、相手にされていると誤解しているというのではない。私は、だれにも相手にされなくても、自分の心にブレーキをかけることができないということ。そういう意味で、ドンキホーテと私は、どこも違わない。あるいはどこが違うのか。
よく、私塾を経営している人たちと、教育論を戦わすことがある。私塾の経営者といっても、経営だけを考えている経営者もいるが、中には、高邁(こうまい)な思想をもっている経営者も、少ないが、いる。私が議論を交わすのは、後者のタイプの経営者だが、ときどき、そういう経営者と議論しながら、ふと、こう思う。「こんな議論をしたところで、何になるのか?」と。
私たちはよく、「日本の教育は……」と話し始める。しかし、いくら議論しても、まったく無意味。それはちょうど、街中の店のオヤジが、「日本の経済は……」と論じるのに、よく似ている。あるいはそれ以下かもしれない。論じたところで、マスターベーションにもならない。しかしそれでも、私たちは議論をつづける。まあ、そうなると、趣味のようなものかもしれない。あるいは頭の体操? 自己満足? いや、やはりマスターベーションだ。だれにも相手にされず、ただひたすら、自分で自分をなぐさめる……。
その姿が、いつか、私は、ドンキホーテに似ていることを知った。ジプシーたちの芝居を、現実の世界と思い込んで大暴れするドンキホーテ。風車を怪物と思い込み、ヤリで突っ込んでいくドンキホーテ。それはまさに、「小さな教室」を、「教育」と思い込んでいる私たちの姿、そのものと言ってもよい。
さて私は、今、こうしてパソコンに向かい、教育論や子育て論を書いている。「役にたっている」と言ってくれる人もいるが、しかし本当のところは、わからない。読んでもらっているかどうかさえ、わからない。しかしそれでも、私は書いている。考えてみれば小さな世界だが、しかし私の頭の中にある相手は、日本であり、世界だ。心意気だけは、日本の総理大臣より高い? 国連の事務総長より高い? ……勝手にそう思い込んでいるだけだが、それゆえに、私はこう思う。「私は、まさに、おめでたいドンキホーテ」と。
これからも私というドンキホーテは、ものを書きつづける。だれにも相手にされなくても、書きつづける。おめでたい男は、いつまでもおめでたい。しかしこのおめでたさこそが、まさに私なのだ。だから書きつづける。
(02−12−21)
●毎日ものを書いていると、こんなことに気づく。それは頭の回転というのは、そのときのコンディションによって違うということ。毎日、微妙に変化する。で、調子のよいときは、それでよいのだが、悪いときは、「ああ、私はこのままダメになってしまうのでは……」という恐怖心にかられる。そういう意味では、毎日、こうして書いていないと、回転を維持できない。こわいのは、アルツハイマーなどの脳の病気だが、こうして毎日、ものを書いていれば、それを予防できるのでは……という期待もある。
●ただ脳の老化は、脳のCPU(中央演算装置)そのものの老化を意味するから、仮に老化したとしても、自分でそれに気づくことはないと思う。「自分ではふつうだ」と思い込んでいる間に、どんどんとボケていく……。そういう変化がわかるのは、私の文を連続して読んでくれる読者しかいないのでは。あるいはすでに、それに気づいている読者もいるかもしれない。「林の書いている文は、このところ駄作ばかり」と。……実は、私自身もこのところそう思うようになってきた。ああ、どうしよう!!
●太陽が照っている間に、干草をつくれ。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)
●命のあるかぎり、希望はある。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)
●自由のためなら、名誉のためと同じように、生命を賭けることもできるし、また賭けねばならない。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)
●パンさえあれば、たいていの悲しみは堪えられる。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)
●裸で私はこの世にきた。だから私は裸でこの世から出て行かねばならない。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)
●真の勇気とは、極端な臆病と、向こう見ずの中間にいる。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)
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International House
Melbourne Univ.,
Australia
1970
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