はやし浩司
冗談は、慎重に 夏の暑い日だった。私が自転車からおりて麦茶を飲んでいると、園児たちが寄ってき て、「先生、何を飲んでいるの?」と。私は自転車通勤。汗をかいたあとの麦茶は、うま い。そこで私はウイウイと酔っ払ったふりをして、「これはね、ウイスキーと言って、命の 水だよ」と。しかしこの一言が、そのあと大問題になってしまった。父兄の間で、「あのは やしは、授業中に酒を飲んでいる」という噂がたってしまった。その噂が私の耳に入るこ ろには、園長の耳にも入り、私はそれこそこっぴどく叱られてしまった。こんなこともあっ た。 私はときどき「虫」を食べるまねをして、子どもたちをからかうことがある。たとえば「笑 い虫」を食べて、笑ったふりをしたり、「泣き虫」を食べて、泣いたふりをする。その日もそ うだった。「怒り虫」を食べて、怒ったふりをして、最前列にいた女の子(年中児)を、丸め た紙でたたいてみせた。もちろん冗談だから、子どもたちはそれを見て、ワイワイと喜ん だ。しかし、である。その夜、その女の子の母親から、長々と、抗議の電話がかかってき た。いわく、「先生は、体罰が反対ではなかったのですか。今、うちの子が、何も悪いこと していないのに、先生が怒って、頭を叩いたと言っています。どういうことですか!」と。 子どもに冗談を言うときは、くれぐれも注意したほうがよい。まあ、これは一般論だが、 冗談の通ずる子どもは、それだけ頭がやわらかいとみる。つまりあとあと伸びる。あのワ ールドカップ(日本とアルゼンチン戦・九八年)のときも、教室でふとこんな冗談を言って しまった。「あのね、アルゼンチンのサポーターの中には、女の人はいないんだって。知 っているか? だってね、アル・ゼー・チンだもの」と。 その冗談を言ったあと、「ちょっと無理だったかな」と思って、子どもたちを見回すと、一 人だけニンマリと笑っている子ども(年長児)がいた。そういう子どもは伸びる。 ぼく、たくろうってんだ! 「すわっていなさい」と注意しても、すわらない子どもには、こう言う。「パンツにウンチ がついている人は、立っていてよい」と。こう言えば、たいていの子どもはあわてて、席に つく。子どもは、オッパイ、おばけ、それにウンチの話が大好きだ。これを幼児教育の三 種の神器という。それはそれとして、なかなか手をあげようとしない子どもには、「先生の こと好きな人は、手をあげなくてもよい。ほっぺたにチューしてあげる」などと言う。そう言 えば、皆、あわてて手をあげる。が、以前、そう言っても、手をあげない子ども(年中女 児)がいた。腕組をしたまま、私のほうをじっとにらんでいる。「またセクハラをしてしまっ たかな……」と思いながら、「ごめん、ごめん。でも、どうして君は手をあげないのかな」と 私が聞くと、その子は、こう言った。「だって、私、先生のこと、好きだもん」と。 私が幼児教育のとりこになった事件に、こんなのがあった。幼稚園で教え始めたころ のことである。一人、とてもていねいな絵を描いてくれた男の子(年中児)がいた。そこで 私はその子どもの絵に、大きな花丸を描き、その横に「ごくろうさん」と書き添えた。が、 何を思ったか、その子どもがクックッとのどを詰まらせて、泣き始めたのである。私はて っきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても、おおげさである。そこで「どうしたのか な?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「ぼく、たくろうってんだ。ごくろうっていう 名前じゃ、ない!」と。 子どもだから、心は未熟だと考えるのは正しくない。子どもは確かに未経験で、知識は とぼしいが、心はおとなのそれと変わらない。自尊心もあるし、しっともする。相手は幼児 ではないかと、安易に考えて接すると、たいてい失敗する。 玉木さんの母親 少しこみいった話だ。が、こういうことだ。 一人とても乱暴な女の子(年長児)がいた。その日も、その女の子が、私をポンポンと 足で蹴ってきた。そこで私はその女の子を制しながら、「君のような乱暴な子は嫌いだ。 ぼくの好きなのは、玉木さんだ。ぼくは玉木さんのような人と結婚したい」と。たまたま玉 木さんという女の子が近くにいて、視線があったので、私はそう言った。が、この一言 が、やがて大きな問題となってしまった。 私は知らなかったが、玉木さんがその話を真に受けてしまった。そしてそれからいうも の、「私はおとなになったら、はやし先生と結婚する」と、心底悩むようになってしまった。 ……という話を、私は、別の父兄から聞いた。「玉木さんが、悩んでいましたよ」と。 そこで次の日、玉木さんに会うと、その日は玉木さんの父親が、玉木さんを迎えに来て いた。そこでその父親に向かって、私はこう言った。 「あのう、この前、玉木さんに結婚すると言いましたが、あれは冗談です。玉木さんが 本気にして、悩まれたとか。申し訳ありませんでした。よろしくお伝えください」と。 私はこの世界に入ってからというもの、子どもの名前は、「名字」で呼ぶようにしてい る。そのときも、「玉木さん」と呼んだのが悪かった。玉木さんの父親は、家へ帰るやいな や、妻(つまり玉木さんの母親)に向かって、「どういうことだ! 説明しろ! お前とあの はやしは、どういう関係なのだ!」と。 そこであわてて玉木さんの母親が、私のところへ飛んできたというわけだ。「一体、何 の話でしょうか」と。いろいろこの仕事は誤解されることが多いが、この事件は私の生涯 においても、忘れ得ぬ事件の一つとなった。 |