はやし浩司
中日新聞東海版
子どもの世界、連載第100回目を記念して……
目次 無条件の愛 乱舞するイメージ 子どもの情緒不安 最近の女子高校生は…… 生来の性質 過敏児 キズつく子どもたち 権威主義の象徴・水戸黄門 許して忘れろ 学歴信仰の盲信者 誤解だらけの幼児教育 子供の金銭感覚 「夫婦は一枚岩」で 学習意欲を奪う4悪 急速に崩壊する「出世主義」 子どものワーク教材 子育ては自然体で 日本人の持つ依存性 育児ノイローゼ 4割の善と4割の悪 アルバムの不思議な力 アメリカの教科書 分離不安の子ども 高校野球に学ぶこと レット・イット・ビー ぬいぐるみで育つ母性 最高の教育とは… 恐怖症は"心の風邪" 疑わしきは、罰する 燃え尽きる子ども 子育てのすばらしさ 学歴を誇るは小才 多動性のある子ども 見たぞ、巨大なUFO! 大学生の親"貧乏盛り" 幼児の発語障害 教育のおもしろさ アイドリングする母親 スキンシップは魔法の力 31年ぶりの約束 宗教論はタブー 心をゆがめる子ども フリーハンドの人生 左脳教育と右脳教育 教育の自由化は世界の流れ 過去を再現する親たち フロイトの自我論 ルービン報道官の退任 子育て四次元論 人間は考えるアシ 無条件の愛 ●「子どもの世界」一〇〇回目を記念して 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由 だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐 怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか …? その方法はあるのか…? 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっ としたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中 で、私はこんな経験をした。 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし た。息子「アメリカで就職したい」私「いいだろ」息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカでは、 花嫁の居住地で式をあげる習わしになっている。式には来てくれるか」私「いいだろ」息子「洗 礼を受けてクリスチャンになる」私「いいだろ」と。その一つずつの段階で、私は「私の息子」と いうときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらか った。しかし次の会話のときは、さすがに私も声が震えた。息子「アメリカ国籍を取る」私「日本 人をやめる、ということか…」息子「そう」「…いいだろ」と。私は息子に妥協したのではない。息 子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえに、一人の人間として息子を許し、受け 入れた。英語には「無条件の愛」という言葉がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。し かしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。 「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け 入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由など ない。一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、 おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私 は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができ るようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子が それを、私に教えてくれた。 乱舞するイメージ 「先生は、サダコ! ウンチかな? ウンチは、おしりから出る。お化けだぞ…こわいヨー」と。 とっぴもないことを、次々と口にする。話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。 まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうき ん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そしてそのまま の姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回る なんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。 多動児と違うところは、強く制止すれば、一応の「抑え」はきくということ。小学二、三年になる と、症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。 三十年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ十年、急速にふえた。小一児 で、十人に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっている。実際このタイプの子どもが、一クラ スに数人もいると、それだけで学級運営はなりたたなくなる。 その原因について、私はテレビやゲームをあげる。このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ 例外なく、乳幼児期に、日常的にテレビづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。 「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もし ませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。 しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。動きの速いゲー ムもそうだ。もう少しわかりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かに ものを考えられなくなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居 などを、静かに聞くことができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲い ている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。 一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみに、イメージや創造力をつかさど るのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(スペリー)。テレビやゲームは、そ の右脳ばかりを刺激する。 子どもの情緒不安 子どもの情緒の安定度は、子どもが体力的に疲れていると思われるときをみると、わかる。 たとえば運動会や遠足のあとなど。そういうときでも、不安定症状(ぐずり、ふさぎ、イライラな どの精神的動揺)がなければ、情緒の安定した子どもとみる。あるいは子どもは寝起きをみ る。不機嫌なら不機嫌でも構わないが、毎朝様子が同じというのであれば、やはり情緒が安定 した子どもとみる。 子どもは二−四歳の第一反抗期、思春期の第二反抗期に、特に動揺しやすいことがわかっ ている。経験的には、乳幼児から少年少女期への移行期にあたる満四−五歳、および小学二 −四年生にかけて不安定になることがわかっている。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。 情緒が不安定な子どもは、心がいつも緊張状態にある。外見にだまされてはいけない。柔和 な表情を浮かべながら、心はまったく別の方向を向いているということは、よくある。このタイプ の子どもは、気を許さない。気を抜かない。他人の目を気にする。よい子ぶる。そういう状態の 中に、不安や心配が入り込むと、それを解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定 になる。 症状としては、(1)攻撃的、暴力的になるプラス型と、(2)周囲に溶け込めず、ひきこもった り、怠学、不登校を繰り返したりするマイナス型に分けて考える。プラス型は、ささいなことで激 怒したり、さらに症状が進むと集団的な非行行動をとったりする。マイナス型は慢性的な下痢、 腹痛、体の不調を訴えることが多い。 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。親の放任的態 度、無責任で無教養な子育て、神経質な子育て、親の拒否的な態度、家庭騒動、家庭不和、 恐怖体験など。 子どもが情緒不安症状を示すと、親はその原因を外の世界に求めようとする。しかし原因の 第一は、家庭にあると考えて反省する。過干渉、過関心、過負担、過剰期待など。心を束縛し ているものがあれば、解きほぐす。一番よいのは、子どもの側から見て、親の存在を感じさせ ないほどまでに、子どもが一人になれる時間と場所を用意すること。あれこれ気をつかうの は、かえって逆効果。あとはスキンシップを多くして、温かい家庭作りに努める。 なお一般的には、情緒不安は神経症の原因となることが多い。強迫傾向、潔癖症、嫌悪症、 緩慢行動、恐怖症、虚言癖、収集癖、夜尿症など。症状は千差万別で定型はない。 最近の女子高校生は…? 市立図書館で、女子高校生六人に聞いてみた。「君たちは将来、何をしたいか」と。私は当 然、キャリアウーマン的な人生観をもっているものとばかり思っていた。が、五人までがこう答 えた。「結婚して、はやく家庭に入りターイ」「家庭でダンナの帰りを待ちながら、料理しターイ」 と。私が「家庭の主婦になるということか」と聞くと、「そうだヨー」と。そこでさらに「仕事はしない のか?」と聞くと、「したくないヨー。ダンナの給料だけでやっていきたいヨー」と。 見た感じ、ごく普通の高校生である。ちょうどテスト週間で、図書館に来ていた。私は質問を 変えて、「では、どんな男と結婚したいか」と聞いた。すると一人が、「一にマスク、二に経済力 …。『これオヤジのマンション』と言うような金持ちの息子がいい」と言った。私が「心はどうす る。結婚するというのは、心の問題だよ」と言うと、「マスクのいい人は、心もいいに決まってル ー」と。 あれこれ話したが、政治の話を持ちだすと、「ダサーイ」とはねのけられてしまった。私「国の 借金が七百兆円もあるんだよ。一人六百万円だよ。君たちの借金なんだよ。それはどうする の?」。高校生「私ら、そんな話、関係ないもんネー」「そうよネー」と。 言いたいことは山ほどある。あるが、こういう現実を見せつけられると、自分をのろいたくな る。五十歳をすぎても、日本の将来を心配している自分が、なさけなくなる。少し飛躍した感想 かもしれないが、なぜあの三島由紀夫が腹を切ったか、その心情がよくわかる。私たちはこう いう高校生をつくるために、がんばってきたのか、と。 少し前だが、こんなこともあった。あるキャンプ場で国旗の掲揚をしたときのこと。何人かの 高校生が、「スター・スパングルド・バナー(星条旗)」を口ずさんでいるのを聞いた。アメリカの 国歌である。日本の国歌には言いたいこともいろいろあるが、しかし今、日本の若者たちがこ こまで脱線しているかと思うと、ゾッとする。そう、何かが狂っている。しかし相手は子どもだ。 日本の将来をになう子どもだ。そういう子どもをさして、「失敗作」と、どうして言えるだろうか。 子どもを笑うということは、即、自分を笑うということになる。そんなことは、私にはとてもできな い。 …何ともやりようのない空しさを感じながら、私は図書館を出た。 生来の性質 過敏児 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオドオドし、 その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。そして私に、 「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。そしてその程度がさらに超えた子どもを、過敏児 という。敏感児と過敏児を合わせると、全体の約三〇%が、そうであるとみる。一般的には、精 神的過敏児と身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。ア レルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児とい う。A子さんは、まさにその精神的過敏児だった。 このタイプの子どもは、(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示 に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。(2)耐久性にもろく、ちょっとしたこと で泣きだしたり、キズついたりしやすい。(3)過敏であるがために、環境になじまず、不適応を 起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん 息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。(4)症状は、一過性、反復性など、定型がない。 そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもあるという。A子さんの場合も、原因 不明の発熱に悩まされていた。 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児(心理反応が敏感児とは逆の子ども。い わゆる「寅さん」タイプ)であるにせよ、それは子どもがもって生まれた性質であり、なおそうと 思ってなおるものではないということ。無理をすればかえって逆効果。症状が重くなってしまう。 が、悪いことばかりではない。敏感児について言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特 殊な分野で、並外れた才能を見せることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなこと でも、しっかりと見ることができる。ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの十数分でも緊張さ せると、それだけで神経疲れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なの で、そういう前提で理解してあげる。…というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。 が、こんなタイプの子どももいる。 見た目には鈍感児だが、たいへん繊細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言 いあっていたりすると、思わぬところでその子どもの心にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけ ているから、「パンツにウンチがついているなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家に帰 ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの子どもは、繊細な 感覚をもちつつも、それをちゃかすことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言 えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わ ぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプだ。その子ども(小三男児)のときも、 夜になってから、父親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「パンツのウンチのことで、息子 に恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけ ではわからない。 キズつく子どもたち ある日、F君(年長児)の母親が、幼稚園へやってきた。そして私の授業をどうしても、参観さ せてほしいと言った。私がそれを断ると、母親は泣き崩れて、ドアのところで身をかがめてしま った。つき添ってきた女性(母親の姉)も、「一度でいいから」と、私に迫った。が、私にはどうす ることもできなかった。F君には、そのとき、新しい母親がいた。その母親は母親で、F君の心 をつかもうと必死だった。F君の祖母からも、「仮にそういうことがあっても、決して、前の母親に は会わせないでほしい」と、何度も念を押されていた。しかし私がキ母親に参観させることがで きなかった理由は、ほかにあった。 離婚するのは離婚する人の勝手だが、そこに至る騒動が、子どもの心をキズつける。こんな ことがあった。ある日J君(年中児)に、「絵を描いてごらん」と紙を渡したときのこと。J君はクレ ヨンで真っ黒に塗りつぶしてしまった。そこでもう一度、紙を渡すと、その紙も同じように塗りつ ぶしてしまった。軽く叱ると、今度は足で机をひっくり返してしまった。あとで母親にその理由を 聞くと、「実はその前夜、夫が蒸発しまして……」と。 一般論として、子どもというのは引っ越しなど、環境の変化には、たいへん強い適応力を見 せる。しかし愛情の変化には、もろい。夫婦喧嘩も、ある一定のワクの中でするなら問題はな いが、そのワクを超えると、子どもに大きな影響を与える。ものの考え方が粗雑化する。感情 のコントロールができなくなる。育児拒否児、家庭崩壊児に似た症状を示すこともある。ある子 ども(年長男児)は、いくら先生に叱られても、口をキッと結んだまま、涙一つこぼさなかった。 自然な感情表現そのものも、自ら押し殺してしまう。そしてそれが慢性化すると、俗にいう、「ひ ねくれ症状」が出てくる。私「誰だ、このクレヨンをバラバラにしたのは」子「体がひっかかって、 落ちた」私「だったら、拾っておきなさい」子「先生がそんなところに置くから悪い」私「置いても、 落としたのは君なんだから、拾うべきだ」子「先生だって、この前、落としたクセに……」私「… …」と。 それにもう一つ一般論。たった一度でも、その衝撃が大きければ大きいほど、子どもの心に は、取り返しがつかないほどの大きなキズがつく。以前だが、NHKの報道番組の中で、失語 症になってしまった女性(二〇歳ぐらい)が紹介されていた。彼女は一〇歳ぐらいのとき、両親 が目の前で惨殺されるのを目撃してしまった。以来、声が出なくなってしまったという。戦時下 のサラエボで起きた悲劇だが、これに似たケースはいくらでもある。実は冒頭にあげたF君も、 そうだった。会ったときから、強度の自閉傾向を示していた。勝手にあちこちを動き回り、自分 からは決して心を開こうとしなかった。意味のない独り言をボソボソと言い続けるなど、話しか けても、会話そのものが、かみあわない。私「今日はいい天気だね」F「冷蔵庫の上に、トン ボ!」と。突然、奇声をあげて教室の中を走り回ったり、私の手にかみつくこともあった。そんな 姿を母親が見たら、その母親はどう思うだろう。私にはそれを見せることができなかった。私は 別れぎわ、その母親にはこう言った。「心配しなくても、いいですよ。F君は、今、元気にやって いますから」と。 権威主義の象徴・水戸黄門 権威主義。その象徴が、あのドラマの『水戸黄門』。側近の者が、葵の紋章を見せ、「控えお ろう」と一喝すると、皆が、「ははあ」と言って頭をさげる。日本人はそういう場面を見ると、「痛 快」と思うかもしれない。が、欧米では通用しない。オーストラリアの友人はこう言った。「もし水 戸黄門が、悪玉だったらどうするのか」と。フランス革命以来、あるいはそれ以前から、欧米で は、歴史と言えば、権威や権力との闘いをいう。 この権威主義。家庭に入ると、親子関係そのものを狂わす。Mさん(男性)の家もそうだ。長 男夫婦と同居して一五年にもなろうというのに、互いの間に、ほとんど会話がない。別居も何度 か考えたが、世間体に縛られてそれもできなかった。Mさんは、こうこぼす。「今の若い者は、 先祖を粗末にする」と。Mさんがいう「先祖」というのは、自分自身のことか。一方長男は長男 で、「おやじといるだけで、不安になる」と言う。一度、私も間に入って二人の仲を調整しようとし たことがあるが、結局は無駄だった。長男のもっているわだかまりは、想像以上のものだっ た。問題は、ではなぜ、そうなってしまったかということ。 そう、Mさんは世間体をたいへん気にする人だった。特に冠婚葬祭については、まったくと言 ってよいほど妥協しなかった。しかも派手。長男の結婚式には、町の助役に仲人になってもら った。長女の結婚式には、トラック二台分の嫁入り道具を用意した。そしてことあるごとに、先 祖の血筋を自慢した。Mさんの先祖は、昔、その町内の大半を占めるほどの大地主であっ た。ふつうの会話をしていても、「M家は……」と、「家」をつけた。そしてその勢いを借りて、子 どもたちに向かっては、自分の、親としての権威を押しつけた。少しずつだが、しかしそれが積 もり積もって、親子の間にミゾを作った。 もともと権威には根拠がない。でないというのなら、なぜ水戸黄門が偉いのか、それを説明で きる人はいるだろうか。あるいはなぜ、皆が頭をさげるのか。またさげなければならないのか。 だいたいにおいて、「偉い」ということは、どういうことなのか。 権威というのは、ほとんどのばあい、相手を問答無用式に黙らせるための道具として使われ る。もう少しわかりやすく言えば、人間の上下関係を位置づけるための道具。命令と服従、保 護と依存の関係と言ってもよい。そういう関係から、良好な人間関係など生まれるはずがな い。権威を振りかざせばかざすほど、人の心は離れる。親子とて例外ではない。権威、つまり 「私は親だ」という親意識が強ければ強いほど、どうしても指示は親から子どもへと、一方的な ものになる。そのため子どもは心を閉ざす。Mさん親子は、まさにその典型例と言える。「親に 向かって、何だ、その態度は!」と怒る、Mさん。しかしそれをそのまま黙って無視する長男。 こういうケースでは、親が権威主義を捨てるのが一番よいが、それはできない。権威主義的で あること自体が、その人の生きざまになっている。それを否定するということは、自分を否定す ることになる。が、これだけは言える。もしあなたが将来、あなたの子どもと良好な親子関係を 築きたいと思っているなら、権威主義は百害あって一利なし。『水戸黄門』をおもしろいと思って いる人ほど、あぶない。 許して忘れろ 友だちとトラブルで私が何かを悩んでいると、オーストラリアの友人は、いつも私にこう言っ た。「ヒロシ、許して忘れろ。OK?」と。英語では「Forgive and Forget」と言う。聖書の中の言葉 らしいが、それはともかく、私は長い間、この言葉のもつ意味を、心のどこかで考え続けていた ように思う。「フォ・ギブ(許す)」は、「与える・ため」とも訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れ る)」は、「得る・ため」とも訳せる。「では何を与えるために許し、何を得るために忘れるのか」 と。 ある日のこと。自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。ふとこの言葉が、私の頭の中 を横切った。「許して忘れる」と。「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子ど もはお前の子どもではないか。誰の責任でもない、お前自身の責任ではないか」と。とたん、私 はその「何」が、何であるかがわかった。 あなたのまわりには、あなたに許してもらいたい人が、たくさんいる。あなたが許してやれば、 喜ぶ人たちだ。一方、あなたには、許してもらいたい人が、たくさんいる。その人に許してもらえ れば、あなたの心が軽くなる人たちだ。つまり人間関係というのは、総じてみれば、(許す人)と (許される人)の関係で成り立っている。そこでもし、互いが互いを許し、そしてそれぞれのいや なことを忘れることができたら、この世の中は何とすばらしい世の中になることか。……と言っ ても、私のような凡人には、そこまでできない。できないが、自分の子どもに対してなら、でき る。私はいつしか、できの悪い息子たちのことで何か思い悩むたびに、この言葉を心の中で念 ずるようになった。「許して忘れる」と。つまりその「何」についてだが、私はこう解釈した。「人に 愛を与えるために許し、人から愛を得るために忘れる」と。子どもについて言えば、「子どもに 愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」と。これは私の勝手な解釈による ものだが、しかし子どもを愛するということは、そういうことではないだろうか。そしてその度量、 言いかえると、どこまで子どもを許し、そしてどこまで忘れることができるかによって、親の愛の 深さが決まる……。 もちろん「許して忘れる」といっても、子どもを甘やかせということではない。子どもに好き勝手 なことをさせろということでもない。ここでいう「許して忘れる」は、いかにあなたの子どもができ が悪く、またあなたの子どもに問題があるとしても、それをあなた自身のこととして、受け入れ てしまえということ。「たとえ我が子でも許せない」とか、「まだ何とかなるはずだ」と、あなたが考 えている間は、あなたに安穏たる日々はやってこない。一方、あなたの子どももまた、心を開 かない。しかしあなたが子どもを許し、そして忘れてしまえば、あなたの子どもも救われるが、 あなたも救われる。 何だかこみいった話をしてしまったようだが、子育てをしていて袋小路に入ってしまったら、こ の言葉を思い出してみてほしい。「許して忘れる」と。それだけで、あなたはその先に、出口の 光を見いだすはずだ。 学歴信仰の盲信者 すさまじいほどのエネルギーで、子どもの教育に没頭する人がいる。私の記憶の中でも、そ のナンバーワンは、母親のEさんだった。Eさんは、息子(小三)のテストで、先生の採点がまち がっていたりすると、学校へ行き、それを訂正させていた。成績がさがったときも、そうだ。「成 績のつけ方がおかしい」と、先生にどこまでも食いさがった。そのEさん、口グセはいつも同じ。 「学歴は人生のパスポート」「二人のダ作を作るより、子どもは一人」「幼児期からしっかりと教 育すれば、子どもはどんな大学でも入れる」など。具体的にはEさんは、「東大」という名前を口 にした。そのEさんと私は、昔、同じ町内に住んでいた。Eさんは、私の家に遊びに来ては、よく 息子の自慢話をした。 息子が小学五年生になると、Eさんは息子を市内の進学塾に入れた。それまでEさんは車の 免許証をもっていなかったが、塾の送り迎え用にと免許を取り、そして軽自動車を購入した。さ らに中古だったがコピー機まで購入し、塾の勉強に備えた。この程度のことならよくあることだ が、ここからがEさんらしいところ。息子が風邪などで塾を休んだりすると、Eさんは代わりに塾 へ行き、授業を受けた。そして教材やプリント類を家へもって帰った。ふつうならそういうことは 人には言わないものだが、Eさんにとっては、それも自慢話だった。私にはこう言った。「塾の 教材で、私が個人レッスンをしています」と。息子のできがよかったことが、Eさんの教育熱に 拍車をかけた。それほど裕福な家庭ではなかったが、毎年のように国外でのサマーキャンプや ホームステイに参加させていた。一式三十万円もする英会話教材を購入したこともある。 息子が高校一年になったときのこと。私はたまたま駅でEさん夫婦と会った。Eさんは、満面 に笑顔を浮かべてこう言った。「はやしさん、息子がA高校に入りました。猛勉強のおかげで す」と。開口一番、息子の進学先を口にする親というのは、そうはいない。私は「はあ」と答える のが精いっぱいだった。ふと見ると、Eさんの夫は、元気のない顔で、私から視線をはずした。 Eさんと夫が、あまりにも対照的だったのが印象的だった。 Eさんを見ていると、教育とは何か、そこまで考えてしまう。あるいはEさんの人生とは何か、 そこまで考えてしまう。信仰をしながらも、自分を保ちながら信仰する人もいれば、それにのめ り込んでしまう人もいる。Eさんは、まさに学歴信仰の盲信者。が、それだけではない。人は一 つのことを盲信すればするほど、その返す刀で、相手に向かって、「あなたはまちがっている」 と言う。あるいはそういう態度をとる。自分の尺度だけでものを考え、「あなたもそうであるべき だ」と言う。それが周囲の者を、不愉快にする。 学歴信仰が無駄だとは言わない。現にその学歴のおかげで、のんびりと優雅な生活をしてい る人はいくらでもいる。あやしげな宗教団体よりは、ご利益は大きい。しかも確実。そういう現 実がある以上、子どもの受験勉強にのめり込む親がいても不思議ではない。しかしこれだけ は覚えておくとよい。Eさんのようにうまくいくケースは、十に一つもない。残りの九は失敗する。 しかもたいてい悲惨な結果を招く。学歴信仰とはそういうもの。 誤解だらけの幼児教育 この世界には、無知と誤解が、充満している。たとえば緘黙(かんもく)児。家の中ではふつう に話したり、騒いだりする。しかし外の世界では貝殻を閉ざしたかのように、緘黙してしまう。重 度の緘黙児は、千人に四人(小学生)といわれているが、軽度の子どもも含めると、二十人に 一人ぐらいの割合で経験する。軽い場合は、気難しい子ども、人見知りする子ども、というよう な評価を受けることが多い。このタイプの子どもは、無言を守ることにより、自らを保身する。 つまりそのために緘黙する。心理学ではこれを、防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園した ときをきっかけとして、発症することが多い。過度の身体的緊張が、引き金になると考えるとわ かりやすい。症状としては、無表情になる。視線をそらす。口をキッと結ぶなど。抱こうとすると 体をこわばらせて、はげしくそれに抵抗する。柔和な表情を浮かべたまま、緘黙する子どもも いる。心と感情表現が遊離するために起こる現象である。 M君(年長児)もそうだった。ふとしたきっかけで、まったくしゃべらなくなってしまった。が、こう いうケースでは、教える側が親に、子どもの問題点を指摘するということは、実際にはしない。 親に与えるショックには、はかり知れないものがある。親が「おかしい」と察知し、親の側から質 問があったときをとらえて、それとなく話す。教育には、はっきりわからなくてもよいことは山ほ どある。あるいは知っていても、知らぬフリをして教えるということもある。私はM君を、そういう 目で見ながら指導していた。が、その日はたまたま父親が参観に来ていた。私はよい機会だと 思い、あるがままのM君を見てもらった。M君が緘黙したときも、そのままにしておいた。が、こ れが父親を激怒させた。数日後の朝のこと。その日は日曜日だったが、突然電話がかかって きた。そしていきなりM君の父親はこう怒鳴った。「お前は、うちの息子を委縮させてしまった。 ついては責任をとってもらう」と。この続きは長い。そのあといろいろあった。 こんなこともあった。自閉症という、よく似た情緒障害がある。初期症状としては、感情の鈍 化、自分勝手な行動、情意(心)の疎通ができないなどがある。症状が進むと、いわゆるカラに 閉じこもってしまい、衝動的な行動(外部の者からは理解できないような恐怖感やおののきか ら、突発的に暴れる)が目立つようになる。ある特定の物やことがらに、異常にこだわることも ある。数表、カレンダー、列車の時刻表、数式など。そういう特殊な分野にふつうでない興味と 関心を示す。その分野では、天才的な能力を発揮するため、親自身が「天才児」と誤解するケ ースが多い。K君(年中児)もそうだった。ある日父親と母親に連れられて私のところへやって きた。そして父親はこう言った。「うちの息子は、幼稚園から帰ってくると、高校生が見るような 科学ビデオを、毎日じっと見ている。私にはよくわからないが、うちの息子には無限の可能性 があるように思う。ついては先生のところで、一度、小学生の勉強を教えてみてくれないか」と。 父親はある研究所の研究員だった。こういうケースでも、私のほうから子どもの問題点を口に することはない。初対面であれば、なおさらだ。私は父親の申し出を、ていねいに断るしかなか った。 子供の金銭感覚 年長から小学二年ぐらいの間に、子どもの金銭感覚は完成する。その金銭感覚は、おとな のそれと、ほぼ同じになるとみてよい。が、それだけではない。子どもはこの時期を通して、お 金によって物欲を満たす、その満たし方まで覚えてしまう。そしてそれがそれから先、子どもの ものの考え方に、大きな影響を与える。 この時期の子どものお金は、百倍して考えるとよい。たとえば子どもの百円は、おとなの一万 円に相当する。千円は、十万円に相当する。親は安易に子どもにものを買い与えるが、それ から子どもが得る満足感は、おとなになってからの、一万円、十万円に相当する。「与えられる こと」に慣れた子どもや、「お金によって欲望を満足すること」に慣れた子どもたちが、将来どう なるか。もう、言わずもがな。さすがにバブル経済がはじけて、そういう傾向は小さくなったが、 それでも「高価なものを買ってあげること」イコール、親の愛と誤解している人は多い。より高価 なものを買い与えることで、親は「子どもの心をつかんだはず」と考える。あるいは「子どもは親 に感謝しているはず」と考える。が、これはまったくの誤解。実際には、逆効果。 それだけではない。ゆがんだ金銭感覚が、子どもの価値観そのものを狂わす。ある子ども (小二男児)は、こう言った。「明日、新しいゲームソフトが発売になるから、ママに買いに行っ てもらう」と。そこで私が、「どんなものか見てから買ってはどう?」と言うと、「それではおくれて しまう」と。その子どもは、「おくれる」と言うのだ。 最近の子どもたちは、他人よりも、より手に入りにくいものを、より早くもつことによって、自分 のステータス(地位)を守ろうとする。物欲の内容そのものが、昔とは違う。変質している。…と いうようなことを考えていたら、たまたまテレビにこんなシーンが出てきた。援助交際をしている 女子高校生たちが、「お金がほしいから」と答えていた。「どうしてそういうことをするのか」とい う質問に対して、である。しかも金銭感覚そのものが、マヒしている。もっているものが、十万 円、二十万円という、ブランド品ばかり! さて、誕生日。さて、クリスマス。あなたは子どもに、どんなものを買い与えるだろうか。千円 のものだろうか。それとも一万円のものだろうか。お年玉には、いくら与えるだろうか。与えると しても、それでほしいものを買わせるだろうか。それとも、貯金をさせるだろうか。いや、その前 に、それを与えるにふさわしいだけの苦労を、子どもにさせているだろうか。どちらにせよ、し かしこれだけは覚えておくとよい。五、六歳の子どもに一万、二万円のプレゼントをホイホイと 買い与えていると、子どもが高校生や大学生になったとき、あなたは百万円、二百万円のもの を買い与えなくてはならなくなる。つまりそれくらいのことをしないと、子どもは満足しなくなる。 あなたにそれだけの財力と度量があれば話は別だが、そうでないなら、子どものために、やめ たほうがよい。やがてあなたの子どもは、ドラ息子やドラ娘になり、手がつけられなくなる。そう なればなったで、苦労するのは、あなたではなく、結局は子ども自身なのだ。 「夫婦は一枚岩」で そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるのか。 その中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言ってい た。「お父さんの給料が少ないでしょう。だからお母さんは、苦労しているのよ」と。あるいは「お 父さんは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうならないでね」と。母親とし ては娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、母親から離れる。離れるだけな らまだしも、母親の指示に従わなくなる。 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもらう。賢 い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そして船頭役は 母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。たとえば何か重要な決断を迫られた ときには、「お父さんに聞いてからにしましょうね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよう」)と 言うなど。 仮に意見の対立があっても、子どもの前ではしない。父、子どもに向かって、「テレビを見な がら、ご飯を食べてはダメだ」、母「いいじゃないの、テレビぐらい」と。こういう会話はまずい。こ ういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう援護する。「お父さんがそう言ってい るから、そうしなさい」と。そして母親としての意見があるなら、子どものいないところで調整す る。子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」と、ま ず子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、子どものいな いところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教育の大原則。 ある著名な教授がいる。数十万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中で、こう 書いている。「子どもには夫婦げんかを見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会だ」と。し かし夫婦で哲学論争でもするならともかく、夫婦げんかのような見苦しいものは、子どもに見せ てはならない。夫婦げんかなどというのは、たいていは見るに堪えないものばかり。その教授 はほかに、「子どもとのきずなを深めるために、遊園地などでは、わざと迷子にしてみるとよ い」とか、「家庭のありがたさを分からせるために二、三日、子どもを家から追い出してみるとよ い」とか書いている。とんでもない暴論である。 わざと迷子にすれば、それで親子の信頼関係は消える。それにもしあなたの子どもが半日、 行方不明になったら、あなたはどうするだろうか。あなたは捜索願だって出すかもしれない。 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつくる。そ ういう意見で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話しあう様であり、 いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、慰めあう様である。 古いことを言うようだが、そういう「様」が、子どもの中に染み込んでいてはじめて、子どもは 自分で、よい夫婦関係を築きよい家庭をもつことができる。欧米では、子どもを「よき家庭人」 にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。その第一歩が、「夫婦は一枚岩」ということ になる。 学習意欲を奪う4悪 子どもから学習意欲を奪うものに、(1)無理(2)強制(3)条件(4)比較の四つがある。これ を「動機づけの四悪」という。 まず(1)無理。その子どもの能力を超えた無理をすれば、子どもでなくても、学習意欲をなく して当然。よくある例が、子どもに難解なワークブックを押しつけ、それで子どもの学習意欲を そいでしまうケース。子どもの勉強は、「量」ではなく「密度」。短時間でパッパッとすますようで あれば、それでよし。…そうであるほうが好ましい。また子どもに自分でさせる勉強は、能力よ り一ランク下げたレベルでさせるのが、コツ。ワークやドリルなど、半分がお絵描きになっても よい。答えが合っているかどうかということよりも、「ワークを一冊、やり終えた」という達成感を 大切にする。 (2)強制。ある程度の強制は勉強につきものだが、程度を超えると、子どもは勉強嫌いにな る。時間の強制、量の強制など。こんなことを相談してきた母親がいた。「うちの子は、プリント を二枚なら、何とかやるのですが、三枚目になると、どうしてもしません。どうしたらいいでしょう か」と。私は「二枚でやめることです」と答えたが、その通り。このタイプの母親は、仮に子ども が三枚するようになればなったで「今度は四枚しなさい」と言うに違いない。子どももそれを知っ ている。 (3)条件。「この勉強が終わったら、△△を買ってあげる」「百点を取ったら、お小づかいを百 円あげる」というのが条件。親は励ましのつもりでそうするが、こういう条件は、子どもから「勉 強は自分のためにするもの」という意識を奪う。そればかりではない。子どもが小さいうちは百 円、二百円ですむが、やがてエスカレートして、手に負えなくなる。「(学費の安い)公立高校へ 入ってやったから、バイクを買ってくれ」と、親に請求した子ども(高一男子)がいた。そうなる。 最後に(4)比較。「近所のA君は、もうカタカナが書けるのよ」「お兄ちゃんは、算数が得意な のに、あなたはダメね」など。こういう比較は、一度クセになると、日常的にするようになるか ら、注意する。子どもは、いつも他人の目を気にするようになり、それが子どもから、「私は私。 人は人」というものの考え方を奪う。 イギリスでは、「馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」と言う。 子どもを馬にたとえるのも失礼なことかもしれないが、親のできることにも限界があるというこ と。ではどうするか。もう一つイギリスには、「楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ」という格言もある。 つまり子どもに勉強をさせたかったら、勉強は楽しいということだけを教えて、あとは子どもに 任す。たとえば文字。いきなり文字を教えるのではなく、いつも子どもをひざに抱いて、本を読 んであげるなど。そういう経験が、子どもをして、「本は楽しい」「文字はおもしろい」というふうに 思わせるようになる。そしてそういう「思い」が、文字学習の原動力となっていく。子どもの勉強 をみるときは、「何をどの程度できるようになったか」ではなく、「何をどの程度楽しんだか」をみ るようにする。 急速に崩壊する「出世主義」 「立派な社会人になれ」「社会で役立つ人になれ」と。日本では出世主義が、教育の柱にな っている。しかし殴米では違う。アメリカでもフランスでも、先生は、「よき家庭人になれ」と子ど もに教える。「よき市民になれ」と言うときもある。先日、ニュージーランドの友人に確かめた が、ニュージーランドでも、そういう。オーストラリアでも、そういう。私は、日本の出世主義に対 して彼らのそれを勝手に、家族主義と呼んでいる。もちろん彼らにそういう主義があるわけで はない。彼らにしてみれば、それが常識なのだ。 日本人はこの出世主義のもと、仕事を第一と考える。子どもでも、「勉強している」と言えば、 家事の手伝いはすべてに免除される。五十代、六十代の夫で、家事や炊事を手伝っている男 性は、まずいない。仕事がすべてに優先される。よい例が、単身赴任。かつて私のオーストラリ アの友人は、こう言った。「家族がバラバラにされて、何が仕事か」と。もう三十年も前のことで ある。こうした日本の特異性は、日本に住んでいると分からない。いや、お隣の中国を見れば 分かる。今、中国では、「立派な国民」教育のもと、徹底した出世主義を子どもたちに植えつけ ている。先日も北京からきた中学教師の講演を聞いたが、わずか一時間前後の話の中に、こ の「立派な国民」という言葉が、十回以上も出てきた。子どもたちの大多数が、「将来は科学者 になって出世したい」と考えているという。 が、この出世主義は、今、急速に音をたてて崩れ始めている。旧来型の権威や権力が、そ れだけの威力をもたなくなってきている。一つの例が成人式だ。自治体の長がいくら力んでも、 若者たちは見向きもしない。ワイワイと騒いでいる。ほんの三十年前には、考えられなかった 光景だ。私たちが二十歳のときには、市長が壇上にいるだけで、直立不動の姿勢になったも のだ。が、こうした現象と反比例するかのように、家族を大切にするという人が増えている。一 九九九年の春、文部省がした調査でも、四〇%の日本人が、もっとも大切にすべきものとし て、「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、四五%。一年足らずの間 に、五ポイントも増えたことになる。もっとも、こうした傾向を嘆く人も、多い。出世主義を信奉 し、人生の大半を、そのために費やしてきた人たちだ。あるいはそういう流れを理解できず、退 職したあとも、過去の肩書や地位にこだわっている人だ。こういう人たちにとっては、出世主義 を否定することは、自らの人生を否定することに等しい。だから抵抗する。狂ったように抵抗す る。ある元教授はメールで、こう言ってきた。「暇つぶしにもならないが」と前置きしたあと、「田 舎のおばちゃんなら、君の意見をありがたがるだろう。しかし私は君の家族主義を笑う」と。し かしこれは笑うとか笑わないとかいう問題ではない。それが日本の「流れ」、なのだ。 今でも日本異質論が叫ばれている。日本脅威論も残っている。その理由の第一が、日本人 がもつ価値観そのものが、欧米のそれとは異質であることによる。言い換えると、日本が旧来 の日本である限り、日本が欧米に迎え入れられることはない。少なくとも出世主義型の教育観 は、これからの世界では、通用しない。 子どものワーク教材 学研に「幼児の学習」「なかよし学習」という雑誌があった。私はこの雑誌に創刊時からかか わり、その後「知恵遊び」を十年間ほど、協力させてもらった。「協力」というのもおおげさだが、 巻末の紹介欄ではそうなっていた。この雑誌は両誌で、当時毎月四十七万部も発行された。こ の雑誌を中心に私は以後、無数の市販教材の制作、指導にかかわってきた。バーコードをこ するだけで音が出たり答えが出たりする、世界初の教材、「TOM」や、「まなぶくん・幼児教室」 なども手がけた。十一年ほど前には英語雑誌、「ハローワールド」の創刊企画も一から手がけ た。この雑誌も毎月二十七万部という発行部数を記録したが、そのときの編集長の大塚氏が 見つけてきたのが、西田ひかるさんだった。当時まだまったく無名の、高校一年生だった。 …実はこういう前置きをしなければならないところに、肩書のない人間の悲しみがある。私は どこの世界でも、またどんな人に会っても、まずそれから話さなければならない。私の意見を聞 いてもらうのは、そのあとだ。で、本論。私は以前、このコラムの中で、「ワークやドリルなど、 半分はお絵描(か)きになってもよい」と書いた。別のところでは、「ワークやドリルほどいいか げんなものはない」とも書いた。そのことについて、何人かの人から、「おかしい」「それはまち がっている」という意見をもらった。しかし私はやはり、そう思う。無数の市販教材に携わってき た「私」がそう言うのだから、まちがいない。 まず「売れるもの」。それを大前提にして、この種の教材の企画は始まる。主義主張は、次の 次。そして私のような教材屋に仕事が回ってくる。そのとき、おおむね次のようなレベルを想定 して、プロット(構成)を立てる。その年齢の子ども上位一〇%と下位一〇%は、対象からはず す。残りの八〇%の子どもが、ほぼ無理なくできる問題、と。点数で言えば、平均点が六十点 ぐらいになるような問題を考える。幼児用の教材であれば、文字、数、知恵の三本を柱に案を まとめる。小学生用であれば、教科書を参考にまとめる。しかしこの世界には、著作権というも のがない。まさに無法地帯。私の考えた案が、ほんの少しだけ変えられ、他社で別の教材にな るということは日常茶飯事。こう書いても信じてもらえないかもしれないが、二十五年前に私が 「主婦と生活」という雑誌で発表した知育ワークで、その後、東京の私立小学校の入試問題の 定番になったのが、いくつかある。 子どもがワークやドリルをていねいにやってくれれば、それはそれとして喜ばねばならないこ とかもしれない。しかしそういうワークやドリルが、子どもをしごく道具になっているのを見ると、 私としてはつらい。…つらかった。私の場合、子どもたちに楽しんでもらうということを何よりも 大切にした。同じ迷路の問題でも、それを立体的にしてみたり、物語を入れてみたり、あるい は意外性をそこにまぜた。たとえば無数の魚が泳いでいるのだが、よく見ると全体として迷路 になっているとか。あの「幼児の学習」や「なかよし学習」にしても、私は毎月三百枚以上の原 案を描いていた。だから繰り返す。 「ワークやドリルなど、半分がお絵描きになってもよい。それよりも大切なことは、子どもが学 ぶことを楽しむこと。自分はできるのだという自信をもつこと」と。 子育ては自然体で 「子育ては自然体で」とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわからない。 そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる「黄帝内経(こうていだいけい)・素問(そ もん)」には、こうある。これは健康法の奥義(おうぎ)だが、しかし子育てにもそのままあてはま る。いわく「八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、 恨み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みずから の崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもなく、精神的 にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする」(上古天真論篇)と。難解な文章だが、こ れを読みかえると、こうなる。 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、極端主義、スパルタ主 義、完ぺき主義がある。極端主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底的にさせ「やめる」 と決めたら、パッとやめさせるようなことをいう。よくあるのは「成績がさがったから、ゲームは 禁止」などと言って、子どもの趣味を奪ってしまうこと。親子の間に大きなミゾをつくることにな る。スパルタ主義というのは、暴力や威圧を日常的に繰り返すことをいう。このスパルタ主義 は、子どもの心を深くキズつける。また完ぺき主義というのは、何でもかんでも子どもに完ぺき さを求める育て方をいう。子どもの側からみて窮屈な家庭環境が、子どもの心をつぶす。 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私は私」 「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。あなたの子どものできがよ くても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親はそのつど見え、メンツ、世間体。これに 振り回される。そして混乱する。言いかえると、この三つから解放されれば、子育てにまつわる ほとんどの悩みは解消する。要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか喜 びも取り越し苦労もいけない。「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけない。 足りなくてもいけない。必要なことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とする」 と。実際どんな子どもにも、自ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを引き出す。 子育てを一言で言えば、そういうことになる。 さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の大原理に順応して生活すれば生存可能であり、それ に背馳(はいち)すれば死に、順応すれば大平である」(四気調神大論篇)と。おどろおどろしい 文章だが、簡単に言えば、「自然体で子育てをすれば、子育てはうまくいくが、そうでなけれ ば、そうでない」ということになる。子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人 間が太古の昔から、その目的として、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴 食をすれば、健康は害せられる。精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子ど もの心は害せられる。栄養過多もいけないが、栄養不足もいけない。子どもを愛することは大 切なことだが、溺愛(できあい)はいけない、など。少しこじつけの感じがしないでもないが、健 康論にからめて、教育論を考えてみた。 日本人の持つ依存性 森進一が歌う「おふくろさん」は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし …。日本人は子どもを、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。こ れは日本人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の 親たちは、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心過ぎる」と言った。 そして結果として、日本では親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、よい子と し、一方、独立心が旺(おう)盛な子どもを、昔から「鬼っ子」として嫌う。 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識である。「親が上で、子ども が下」と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して 保護意識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども (年中男児)がいた。皆が帰りのしたくをするときになっても、机の前に立っているだけ。そこで 私は、何度も机の上のものをカバンにしまうように指示するのだが、「しまう」という言葉の意味 すらわからない。身ぶり手ぶりでそれを促すと、そのうちメソメソと泣き出してしまった。多分、 家でそうすれば、家族のだれかが助けてくれるのだろう。が、その日は運の悪いことに、たまた ま母親が教室の外にいた。泣き声を聞きつけると、教室の中へ飛び込んできた。そして私をに らんで、こう言った。「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。ていねいな言い方だったが、す ごみのある声だった。 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、特にアングロサクソン系の家庭で は、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考え 方が徹底している。こんなことがあった。一度、あるイギリス人の家庭に招待されたときのこ と。そのとき母親は本を読んでいたのだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてき た。母親は一通り娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるの よ。じゃましないでね」と。子育ての目標をどこに置くかによって、育て方も違うが、「子どもをよ き家庭人として自立させること」を考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そ こであなたの子どもはどうだろうか。依存心の強い子どもは、独特の言い方をする。「何とかし てくれ言葉」というのが、それである。たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言 わない。「お腹がすいたァ〜(だから何とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたァ〜(だ から何とかしてくれ)」と言う。もう少し依存心が強くなると、こういう言い方をする。私「この問題 をやりなおしなさい」、子「ケシで消してからするのですか」、私「そうだ」、子「きれいに消すので すか」、私「そうだ」、子「全部消すのですか」、私「自分で考えなさい」、子「どこを消すのです か」と。実際私が、小学四年生の男児とした会話である。こういう問答が、いつまでも続く。 さて森進一の歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ …」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後には、日 本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。 育児ノイローゼ それはささいな事故で始まった。まず、バスを乗り過ごしてしまった。保育園へ上の子ども(四 歳児)を連れていく途中のできごとだった。次に風呂(ふろ)にお湯を入れていたときのことだっ た。気がついてみると、バスタブから湯がザーザーとあふれていた。しかも熱湯。すんでのとこ ろで、下の子ども(二歳児)が、大やけどを負うところだった。次に店にやってきた客へのつり 銭をまちがえた。何度レジをたたいても、指がうまく動かなかった。あせればあせるほど、頭の 中で数字が勝手に乱舞し、わけがわからなくなってしまった。 Aさん(三十六歳)は、育児ノイローゼになっていた。もし病院で診断を受けたら、うつ病と診 断されたかもしれない。しかしAさんは病院へは行かなかった。子どもを保育園へ預けたあと、 昼間は一番奥の部屋で、カーテンをしめたまま、引きこもるようになった。食事の用意は何とか したが、そういう状態では、満足な料理はできなかった。そういうAさんを、夫は「だらしない」と か、「お前は、なまけ病だ」とか言って責めた。昔からの米屋だったが、店の経営はAさんに任 せ、夫は、宅配便会社で夜勤の仕事をしていた。 そのAさん。私に会うと、いきなり快活な声で話しかけてきた。「先生、先日は道路で会ったの に、あいさつもしなくてごめんなさい」と。私には思い当たることがなかったので、「はあ…、別に 気にしませんでした」と言ったが、今度は態度を一変させて、さめざめと泣き始めた。そしてこう 言った。「先生、私、疲れました。子育てを続ける自信がありません。どうしたらいいでしょうか」 と。冒頭に書いた話は、そのときAさんが話してくれたことである。 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。生気感情(ハツラツとした生気)の沈 滞、思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低 下)、精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、 日常活動への興味の喪失)、早朝覚醒に不眠(睡眠障害)など。さらにその状態が進むと、Aさ んのように、風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、無駄買い や目的のない外出を繰り返す(行為障害)、ささいなことで極度の不安状態になる(不安障 害)、他人との接触を嫌う(回避性障害)、過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようにな る。また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうした兆候が見ら れたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件を招く例は多い。子どもが間にから んでいるため、子どもが犠牲者になることも多い。 ただこうした症状が母親に現れても、母親本人がそれに気づくということは、ほとんどない。 脳の中枢部分が変調をきたすため、本人はそういう状態になりながらも、「私はふつうだ」と思 い込む。そこで重要なのが、まわりにいる人、なかんずく夫の理解と協力ということになる。Aさ んのケースでも、子育ては、すべてAさんに任され、夫は育児にはまったくと言ってよいほど、 無関心であった。それではいけない。私は、Aさんの夫に手紙を書くことにした。この原稿は、 そのときの手紙をまとめたものである。 (「子どもの世界」が本になります。発売は七月上旬の予定です) 4割の善と4割の悪 社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四割の 悪がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさないで、子ども の世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であった り、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。つまり子どもの世界をよくしたいと思っ たら、社会そのものと闘う。時として教育をする者は、子どもにはきびしく、社会に甘くなりやす い。あるいはそういうワナにハマりやすい。 ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プー ルの中に放り投げていた。その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では 自分自身に対してはどうなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そ こまできびしいのか。親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強 している親は、少ない。 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動物た ちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界になってしまっ たら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおも しろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。 旧約聖書についても、こんな説話が残っている。ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生 き物をつくったのか」と、神に聞いたときのこと。神はこう答えている。「希望を与えるため」と。 もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくし てしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間 になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それが わかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世界だけ をどうこうしようとしても意味がない。たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問 題ではない。問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないと いうのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたは どれほどそれと闘っているだろうか。 私の知人の中には五十歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生の 娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていた ら、君は許せるか」と。するとその男は笑ってこう言った。「うちの娘は、そういうことはしない よ。うちの娘はまともだからね」と。こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子ど もの世界をゆがめる。それが問題なのだ。 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけでもない。 悪と闘ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、 大きく変わる。そして子どもの世界も変わる。 アルバムの不思議な力 おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見ながら、成 長していく喜びを知る。それだけではない。子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を 学ぶ。ある子ども(年中男児)は、父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お 兄ちゃんだ」と言い張った。子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらにして父親 なのだ。一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども (年長男児)もいた。ちなみに年長児で、自分が哺(ほ)乳ビンを使っていたことを覚えている子 どもは、まずいない。哺乳ビンを見せて、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞 いても、たいてい「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。 記憶が記憶として残り始めるのは、満四・五歳前後からとみてよい。このころを境にして、子 どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それまでは、すべて「昨日」であり、「明 日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次の日が、あさって」という概念は、年長児に ならないとわからない。が、一度それがわかるようになると、あとは飛躍的に「時間の世界」を 広める。その概念を理解するのに役立つのが、アルバムということになる。話はそれたが、こ のアルバムには、不思議な力がある。 ある子ども(小五男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバムを見てい た。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本代わりにアルバムを見ていた。つま りアルバムは、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいときやいやなときを、写真 にとって残す人は、まずいない。アルバムは、楽しい思い出がつまった、まさに宝の本。が、そ れだけではない。冒頭に書いたように、子どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見 る。やがて父親や母親の子ども時代を知るようになると、そこに自分自身をのせて見るように なる。それは子どもにとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だ が、私はあのとき感じたショックを、いまだに忘れることができない。母が少女時代のときの写 真を見たときのことだ。「これがぼくの、母ちゃんか!」と。子どもはアルバムを通して、自分と いう「命」が過去から未来へとつながっていることを知る。 学生時代の恩師の家を訪問したときのこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあ った。小さな移動型の書庫のようになっていて、そこには百冊近いアルバムが並んでいた。そ れを見て、私も、子どもたちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。最初は、恩師の まねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、アルバムに見入って いるのを知った。ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッと笑っていることもあった。 そしてそのあと、つまりアルバムを見終わった息子たちが、実にすがすがしい表情をしている のに、私は気がついた。そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバムを置いて みるとよい。あなたもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。 アメリカの教科書 学校で勉強することは、実生活では役に立たない…? しかし欧米では、事情がだいぶ違う ようだ。「子どもたちが将来、社会に出たときに、役に立つ知識を与える」(オーストラリア、M大 学K教授)が、教育の基本になっている。百聞は一見にしかず。ここにアメリカの中学校で使わ れているテキスト(G社版、応用数学)を紹介する。アメリカで、もっとも広く使われている数学の テキストといってよい。 たとえば小数の計算。テーマは、「小切手で支払う」。ここでは小数の計算を目的にしながら、 小切手の使い方を具体的に教えている。下のほうの設問にはこうある。「1、なぜ金額の数字 を、ドルマークに接して書くのか。(答、だれかに数字を書き直されないようにするため)2、な ぜ金額の文字を、できるだけ左側に寄せて書くのか。(答、文字をだれかによって、書き直され ないようにするため)3、小数点は、文字では何と書くか。(答、and)」と。 日本では伝統的に、学究的なことを教えるのが、教育の基本となっている。たとえば中学一 年で子どもたちは、一次方程式を学ぶ。が、ページを追うごとに、問題が難しくなる。つまり、ま すます現実から遊離する。ちなみに最終的な計算問題は、こうなっている。(K社版、数学T)。 {(x+3)/6-(2x-3) / 4 =1を解け} 一方、アメリカのテキストでは、一番難しくても、{0.3x+1.4=4.2-0.1x}どまり(P社版、基礎数 学)。この段階から、アメリカでは、「ビジネスの分野では…、著述の分野では…、運送の分野 では…、余暇の分野では…」と、応用のし方へと入っていく。ちなみに「余暇の分野では…」に は、こうある。「君は、いとこから40ドルで中古のスケートを買うこともできる。公園で借りること もできるが、スケートと安全具の借り賃は一時間あたり3ドル50セント、安全具だけの借り賃 は一時間あたり1ドル50セント。いとこに払う40ドルで、君は、何時間、公園でスケートを借り ることができるか」(答、20時間)と。数字は、すべて現実の数字である。 だいたいにおいて、アメリカには「教科書」という概念そのものがない。もちろん検定制度なる ものも、ない。どこかの全体主義国家か独裁国家ならいざ知らず、この日本に検定制度があ ること自体、おかしい。…というようなことを書き始めると、止まらなくなるので、ここでやめる。 が、私たち日本人も、そろそろ、「文部省検定済教科書」というあの重圧感から、解放されても よい時期にきているのではないか。 分離不安の子ども ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム ニストのものだが、いわく、「うちの娘(三歳)を初めて幼稚園へ連れて行った時のこと。娘は激 しく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆(きずな)の深さに感動し た」と。そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、感動したと言うのだ。とんでも ない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分離不安の症状。「別れを つらがって泣く子どもの姿」ではない。 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を 上げて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ ナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立 恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四−六歳児についていうなら、 十五−二十人に一人ぐらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静 かに落ち着いているが、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声を張り上げ て、その後を追いかけたりする。 原因は…、というより、分離不安の子どもを見ていくと、必ずといってよいほど、そのきっかけ となった事件が、過去にあるのが分かる。激しい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病気で 入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育児拒 否、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子どもの側からみて、 「捨てられるのでは…」という被害妄想が、分離不安の原因と考えると分かりやすい。無意識 下で起こる現象であるため、叱(しか)ったりしても意味がない。表面的な症状だけを見て、「集 団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理をすればかえって 症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるものの、しばらくす るとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではない。「もぐる」の である。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつ ど繰り返し症状が表れる。 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場で優しく丁寧に説得を繰 り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子を観察す ると、たいてい親の方が短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしているのが分か る。「いい加減にしなさい!」「私はもう行きますからね」と。こういう親子のリズムの乱れが、症 状を悪化させる。子どもはますます被害妄想を持つようになる。分離不安を神経症の一つに分 類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。 分離不安は四−五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたよう に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が 予定より遅くなっただけで、言いようのない不安に襲われます」と。姿や形を変えて、大人にな ってからも症状が表れることがある。 高校野球に学ぶこと 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。 生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校 野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボ ールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それ ほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世 の中に一体、どれだけいるだろうか。 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの「ヘアー」を見た。幻想的なミュ ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪その人はどこにいる。私 たちがなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、それを教えてくれる人はどこにいる」と。それから三十年。 私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの 「戦争と平和」の中に、私はその答えのヒントを見いだした。生のむなしさを感ずるあまり、現実 から逃避し、結局は減びるアンドレイ公爵。一方、人生の目的は生きることそのものにあるとし て、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエール。そのピエールはこう言う。「(人間 の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること」(第五編四節)と。 つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、 生きてみなければわからない。映画「フォレスト・ガンプ」の中でも、フォレストの母は、こう言っ ている。「人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ」 と。 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、 それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。 命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが 宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、 そのあと喜びの歓声と悲しみの悲鳴が、同時に場内を埋めつくす…。 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ て人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命に 生きるからこそ、人生は意味をもつ。生きる価値がある。言いかえると、そうでない人に、生き る意味などわからない。情熱も熱意もない。夢も希望もない。毎日、ただ流されるまま、その日 その日を無難に過ごしている人には、生きる意味などわからない。さらに言いかえると、「私た ちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教える ことがあるとするなら、懸命に生きる、その生き様でしかない。あの高校野球で、もし、選手た ちが雑談をし、菓子をほうばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味はな い。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶ し。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は、何も生まれない。高校野球は、それを私 たちに教えてくれる。 レット・イット・ビー 夫がいて、妻がいる。その間に子どもがいる。家族というのはそういうものだが、その夫と妻 が愛し合い、信頼し合っているというケースは、さがさなければならないほど、少ない。どの夫 婦も日々の生活に追われて、自分の気持ちを確かめる余裕すらない。そう、『子はかすがい』 とはよく言ったものだ。「子どものため」と考えて、必死になって家族を守ろうとしている夫婦も 多い。仮面といえば仮面だが、夫婦というのはそういうものではないのか。もともと他人の人間 が、一つ屋根の下で、十年も二十年も、新婚当時の気持ちのままでいることのほうがおかし い。私の女房なども、「お前は、オレのこと好きか?」と聞くと、「考えたことないから、わからな い」と答える。 …こう書くと、暗くてゆううつな家族ばかりを想像しがちだが、そうではない。こんな夫婦もい る。先日もある女性(四十歳)が私の家に遊びに来て、女房の前でこう言った。「バンザーイ、 やったわ!」と。聞くと、夫が単身赴任で北海道へ行くことになったという。ふつうなら夫の単身 赴任を悲しむはずだが、その女性は「バンザーイ!」と。また別の女性(三十三歳)は、夫婦で も別々の寝室で寝ているという。性生活も年に一度あるかないかという程度らしい。しかし「とも に、人生を楽しんでいるわ。それでいいんじゃあ、ない?」と。明るく屈託がない。要は夫婦に 標準はないということ。同じように人生観にも家庭観にも標準はない。人は、人それぞれだし、 それぞれの人生を築く。私やあなたのような他人が、それについてとやかく言う必要はないし、 また言ってはならない。あなたの立場で言うなら、人がどう思おうが、そんなことは気にしては いけない。 問題は親子だ。私たちはともすれば、理想の親子関係を頭の中に描く。それ自体は悪いこと ではない。が、その「像」に縛られるのはよくない。それに縛られれば縛られるほど、「こうでな ければならない」とか、「こんなはずはない」とかいう気負いをもつ。この気負いが親を疲れさせ る。子どもにとっては重荷になる。不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、この気負いが強い から注意する。「よい親子関係を築こう」というあせりが、結局は親子関係をぎくしゃくさせてしま う。そして失敗する。 そこでどうだろう。こう考えては。つまり夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、それ自体が 「幻想」であるという前提で、考える。もしその中に一部でも、本物があるなら、もうけもの。一部 でよい。そう考えれば、気負いも取れる。「夫婦だから…」「親子だから…」と考えると、あなたも 疲れるが、家族も疲れる。要するに、今あるものを、あるがままに受け入れてしまうということ。 「愛を感じないから結婚もおしまい」とか「親子が断絶したから、家庭づくりに失敗した」とか、そ ういうふうに大げさに考える必要はない。つまるところ夫婦や家族、それに子どもに、あまり期 待しないこと。ほどほどのところで、あきらめる。そういうニヒリズムがあなたの心に風穴をあけ る。そしてそれが、夫婦や家族、親子関係を正常にする。ビートルズもかつて、こう歌ったでは ないか。「♪レット・イット・ビー(あるがままに…)」と。それはまさに「智恵の言葉」だ。 ぬいぐるみで育つ母性 子どもに父性や母性が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人形を抱かせてみればわかる。 しかもそれが、三−五歳のときにわかる。父性や母性が育っている子どもは、ぬいぐるみを見 せると、うれしそうな顔をする。さもいとおしいといった表情で、ぬいぐるみを見る。抱き方もうま い。そうでない子どもは、無関心、無感動。抱き方もぎこちない。中にはぬいぐるみを見せたと たん、足でキックしてくる子どももいる。ちなみに小三児の約八〇%の子どもが、ぬいぐるみを 持っている。そのうちの約半数が「大好き」と答えている。 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオーストラリ アに限らず、欧米では、子どもの誕生日にペットを与えることが多い。つまり子どものときから、 動物との関(かか)わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物を通して、心のやりとりを学 ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを育てることによって、父性や母性を学ぶ。そん なわけで、機会と余裕があれば、子どもにはペットを飼わせることを勧める。犬やネコが代表 的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐるみを与える。やわら かい素材でできた、ぬくもりのあるものがよい。日本では、「男の子はぬいぐるみでは遊ばない もの」と考えている人がいる。しかしこれは偏見。こと幼児についていうなら、男女の差別はな い。あってはならない。つまり男の子がぬいぐるみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思 うほうが、おかしい。男児も幼児のときから、たとえばペットや人形を通して、父性を育てたらよ い。ただしここでいう人形というのは、その目的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダ ムとかいうのはここでいう人形ではない。 なお日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、これも 偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。そのあらわれが、五月人形。弓矢を もった武士が、力強い男の象徴になっている。三百年後の子どもたちが、銃をもった軍人や兵 隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかおかしいが、そのおかしさがわからないほど、日本 人はこの出世主義に、こりかたまっている。「男は仕事(出世)、女は家庭」という、あの日本独 特の男女差別意識も、この出世主義から生まれた。 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、どこかほっとするようなぬくもりを感ずる。静 かな落ち着きがある。おだやかで、ものの考え方が常識的。それもぬいぐるみを抱かせてみ ればわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せただけで、ス ーッと頬(ほお)を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待ママにはならな い。言い換えると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。 ついでに一言。子育ては本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があってはじめ て、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも心配だ」と思っ ているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと遊びながら、子どもは親に なるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。 最高の教育とは… 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。皇后陛下の父君。そしてその 正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本義行氏だった。坂本竜馬の直系のひ孫氏と 聞いていた。私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏 はその委員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに 行くたびに、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。そんなある日、私は正田氏に、 「どうして私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたことがある。正田氏はそばを食べる 手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩』が同じだろ」と。そしてしばらく間を おいて、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」と。 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。私が寝泊まりをすることになった メルボルン大学のインターナショナル・ハウスは、各国の王族や皇族の子弟ばかり。私の隣人 は西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵大臣の息子など など。毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってきて、夕食を共にし た。元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。ときどき各国 からノーベル賞級の研究者がやってきて、数カ月単位で宿泊することもあった。井口昌幸領事 が、よど号ハイジャク事件で北朝鮮へ行った山村政務次官を連れてきたこともある。山村氏は 事件のあと、休暇でメルボルンに来ていた。しかし「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう 生活をしても、自分がそういう生活をしていることすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして 私も、自分たちが特別の生活をしていると思ったことはない。意識したこともない。もちろんそ れが最高の教育だと思ったこともない。が、一度だけ、私は自分が最高の教育を受けていると 実感したことがある。 カレッジの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあっ た。ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五十セント硬貨がのっていた。だれかが 落としたものを、別のだれかが拾ってそこへ置いたらしい。当時の五十セントは、今の貨幣価 値で八百円くらいか。もって行こうと思えば、だれにでもできた。しかしそのコインは、次の日 も、また次の日も、そこにあった。四日後も、五日後もそこにあった。私はそのコインがそこに あるのを見るたびに、誇らしさで胸がはりさけそうだった。そのときのことだ。私は「最高の教育 を受けている」と実感した。 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数カ月東京にいたあと、この浜松 市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園で働いて いるという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなときでも、私を支 え、救ってくれたのは、あの五十セント硬貨だった。私は、情緒もそれほど安定していない。精 神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だったが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさな いですんだのは、あの五十セント硬貨のおかげだった。私はあの五十セント硬貨を思い出すこ とで、いつでも、どこでも、気高く生きることができた。 恐怖症は"心の風邪" 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文 を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。 夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じ たのだ。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった …。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、 「学校の怪談」というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児 が続出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがあ る。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふ つう、次の三つに分けて考える。 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の 警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力 が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめて行ったような場所 でも、我が物顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出 ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわく て行けなくなる(不登校)などの症状が現れる。 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れな い(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、暗いトイレが こわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、今でもトンネルなどに 入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑惑 症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに死を極端 にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、しかっても 意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子ども の視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。無理をすればする ほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。いわば心が風邪をひいたと思 い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。症状だけをみると、神経症と区別 がつきにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車の速度が五十キロ前後を超えると、目 が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とは分かっていても、あとで見ると、手のひ らがびっしょりと汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も何度も自分 に、「こわくない」と言いきかせることで、克服することができた。いや、今でも時々、あのときの 模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分 の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症に対処する。 「疑わしきは、罰する」 今、子どもたちの間で珍現象が起きている。四歳を過ぎても、オムツがはずせない。幼稚園 や保育園で、排尿、排便ができず、紙オムツをあててあげると、排尿、排便ができる。六歳に なっても、大便のあとお尻がふけない。あるいは幼稚園や保育園では、大便をがまんしてしま う。反対に、その意識がないまま、あたりかまわず排尿してしまう。原因は、紙オムツ。最近の 紙オムツは、性能がよすぎる(?)ため、使用しても不快感がない。子どもというのは、排尿後 の不快感を体で覚えて、排尿、排便の習慣を身につける。たとえば昔の布のオムツは、一度 排尿すると、お尻が漏れていやなものだった。この「いやだ」という感覚が、子どもの排尿、排 便感覚を育てる。 このことをある雑誌で発表しようとしたら、その部分だけ削除されてしまった(M誌九八年)。 「根拠があいまい」というのが表向きの理由だったが、実はスポンサーに遠慮したためだ。根 拠があるもないもない。こんなことは幼稚園や保育園では常識で、それを疑う人はいない。紙 オムツをあててあげると排尿できるというのが、その証拠である。 …というような問題は、現場にはゴロゴロしている。疑わしいが、はっきりとは言えないという ようなことである。その一つが住環境。高層住宅に住んでいる子どもは、情緒が不安定になり やすい…? 実際、高層住宅が人間の心理に与える影響は無視できない。こんな調査結果が ある。たとえば妊婦の流産率は、六階以上では二四%、十階以上では三九%(一−五階は五 −七%)。流・死産率でも六階以上では二一%(全体八%)(東海大学医学部逢坂文夫氏)。マ ンションなど集合住宅に住む妊婦で、マタニティーブルー(うつ病)になる妊婦は、一戸建ての 居住者の四倍(国立精神神経センター北村俊則氏)など。母親ですら、これだけの影響を受け る。いわんや子どもをや。さらに深刻な話もある。 今どき野外活動か何かで、真っ黒に日焼けするなどということは、自殺的行為と言ってもよ い。私の周辺でも、何らかの対策を講じている学校は、一校もない。無頓(とん)着といえば無 頓着。無頓着過ぎる。オゾン層のオゾンが一%減少すると、有害な紫外線が二%増加し、皮 膚がんの発生率は四−六%も増加するという(岐阜県保健環境研究所)。実際、オーストラリ アでは、一九九二年までの七年間だけをみても、皮膚がんによる死亡件数が、毎年一〇%ず つふえている。日光性角皮症や白内障も急増している。そこでオーストラリアでは、その季節に なると、紫外線情報を流し、子どもたちに紫外線防止用の帽子とサングラスの着用を義務づけ ている。が、この日本では野放し。オーストラリアの友人は、こう言った。「何も対策をとってい ない? 信じられない」と。ちなみにこの北半球でも、オゾン層は、すでに一〇−四〇%(日本 上空で一〇%)も減少している(NHK「地球法廷」)。 法律の世界では「疑わしきは、罰せず」という。しかし教育の世界では「疑わしきは罰する」。 子どもの世界は、先手先手で守ってこそ、はじめて、守れる。害が具体的に出るようになって からでは、手遅れ。たとえば紫外線の問題にしても、過度な日焼けはさせない。紫外線防止用 の帽子を着用させる、など。あなたが親としてすべきことは多い。 燃え尽きる子ども ある夜遅く、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、助け てほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、して ほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校の場合、一年生で、一クラス中、 二−三人。二年生で、五−六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。一クラ ス四十人だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多いとみ るか、少ないとみるか? 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっと のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減 退、朝起きられないなどの症状のほか、それが進むと、強い虚脱感と疲労感を訴えるようにな る。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。で、一度そうなると、その症状は数年 単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとんどの親は、ことの深刻さに気づかな い。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環となって、症状はさらに悪化する。その母 親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくなってしまう」と泣き崩れていたが、その 程度ですめば、まだよいほうだ。 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経 症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し て、し過ぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱(しか)り続けた。子どもは子ど もで、高校へ行けなくなるという恐怖感から、親に従った。が、それにも限界がある。言われた ことはしたが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐す る。「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだしと信じ、目的の高校 へ入れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていまし た」 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気付く。その前の段階で、私のような立場の者 が、あれこれとアドバイスをしても無駄。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう 状態になっても、たいていの親は、自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が 合っていない」とか言い出す。「分かっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれな かったのだ」と、私を責めた父親もいた。 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心掛ける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅し や、「頑張ればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えて、一 に我慢、二に我慢。あとは静かに「子どものやる気」を待つ。 子育てのすばらしさ 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を教えられ ること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなっても いい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命すら惜しくない」という至上 の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自分 の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓に映る自分の顔を見て、そう感じたこ とがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこ かに父の面影があるのを知って驚くことがある。先日も息子が疲れてソファの上で横になって いたとき、ふとその肩に手をかけた。そこに死んだ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、 形ばかりではない。ものの考え方や感じ方もそうだ。私は「私は私」「私の人生は私のものであ って、誰(だれ)のものでもない」と思って生きてきた。しかしその「私」の中に、父がいて、そして 祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れのようなものがあり、それが、息子たちにも流れて いるのを、私は知る。つまり子育てをしていると、自分も大きな流れの中にいるのを知る。自分 を超えた、いわば生命の流れのようなものだ。 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何物でもない。死は すべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死は不条理なり」 とも言う。そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこにい て、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれが できない。しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子どもの できの悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛するこ との深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に施すことができ るかもしれない。が、私のような凡人にはできない。できないが、子どもに対してならできる。い わば神の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。それ が孤独な心をいやしてくれる。 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子どもをよ い学校へ入れることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きることに まつわる、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その人の問題意 識の深さにもよる。が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それがわかる。子ど もというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そして生き る喜びを教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫(ごう)にわ たって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそういう 意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた 自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐ らい、子育てですばらしいことはない。 学歴を誇るは小才 あのバーナード・ショー(イギリスの劇作家・評論家、一八五六−一九五一年)は、かつてこう 言った。「中才は肩書によって現れ、大才は肩書を邪魔にし、小才は肩書を汚す」と。これをも じって、「中才は肩書を大切にし、大才は肩書を邪魔にし、小才は肩書をほしがる」と言った人 もいる。それはともかくもこの名言の、「肩書」を「学歴」に置きかえて読むと、まさに教育格言と なる。「中才は学歴によって現れ、大才は学歴を邪魔にし、小才は学歴を汚す」と。 事実、本当に学力のある子どもは「ぼくは設計士になる」とか「私は医者になる」とか言う。目 的をもって勉強する。学歴が話題になることは、まずない。親も、子どもにその将来を任せてし まっている。しかし学力がやや心配な子どもは、「C大学とD大学のどちらがよいでしょうか」と いうような言い方をする。親は「何とか、C大学へ入ってほしい」と言う。さらに学力のない子ど もは、「どこの大学なら入れるでしょうか」と言う。親は親で、「どこでもいいから、大学ぐらい出 てくれないと…」と言う。 しかし現実には、この日本では学歴がものを言う。ある大手の出版社が、小学生向けに出し た月間教材のパンフを見て、私は驚いた。何とそのパンフの裏には、大学教授の肩書と名前 が、十−十二人も連ねてあった。私は「よくもまあ、ここまで飾ったものだ!」と、思わず絶句し てしまった。名前を連ねる教授も、教授だ。そこでもう一つの格言。「中程度の教材は肩書によ って現れ、すばらしい教材は肩書を邪魔にし、つまらない教材は肩書を汚す」と。だいたいにお いて、「〇×大学教授監修」とか、「〇×大学教授指導」とかいう飾りのある教材は、ここでいう つまらない教材と見る。つまらないから、そういうタレント教授をつかまえてきては、肩書を借り る。本当にその教授が監修や指導をしたのならまだしも、ほとんどは教材という商品が完成し たあと、出版社がその教授にお伺いをたて、名前だけを載せる。それが日本では慣例になっ ている。良心的な教授ほど、そういうふうに肩書や名前が使われることを、よしとしない。が、中 には学生に外国の文献を翻訳させ、少し改変しただけで本を出している教授がいる。他人に 本を書かせている教授すらいる。日本でも有名な教授だ。つい最近も、私が書いた原稿につ いて「〇×大学のH名誉教授の名前でなら、君の本を出版してもよい」と言ってきた出版社が あった。その出版社では、こうした出版形式が当たり前になっている。 話が脱線したが、さらにこの名言を読みかえてみると、次のようになる。「中才の人はその人 を学歴で判断し、大才の人はその人の学歴を無視し、小才の人はその人の学歴に恐れる」 と。まだできる。「中才の親は子どもの学歴に満足し、大才の親は子どもの学歴を無視し、小 才の親は子どもの学歴をいばる」とも。 何とも辛らつなことばかり書いたが、どうか気分を悪くしないでほしい。こういうことを得意にな って書く私は、まさに小才。大才ではない。バーナード・ショーは口の悪い人だったと聞いてい る。そのショーの言い方を少しだけまねてみた。 多動性のある子ども 集中力欠如型多動性児(ADHD)と言われるタイプの子どもがいる。無遠慮(隣の家へあが りこんで、勝手に冷蔵庫の中の物を食べる)、無警戒(塀の中にいる飼い犬に手を出して、か まれる)、無頓着(一階の屋根の上から下へ飛び降りる)などの特徴がある。ふつう意味のない ことをペラペラとしゃべり続ける、多弁性をともなう。が、何といっても最大の特徴は、抑(おさ) えがきかないということ。強く制止しても、その場だけの効果しかない。たいていは乳幼児期か らきびしいしつけを受けているため、叱(しか)られるということに対して免疫性ができている。こ のタイプの子どもの指導が難しいのは、「秩序」そのものを破壊してしまうこと。その子どもだけ を集中的に指導していると、ほかの子どもたちが神経質になってしまう。出現率は、二十人に 一人ぐらいだが、症状にも軽重があり、その傾向のある子どもまで含めると、十人に一人ぐら いの割合で経験する。 能力的には、遅れが目立つ子どもが、約七割、ある特定の分野に、ふつう程度以上の能力 を見せる子どもが、約三割、と私はみている。が、問題はそのことではなく、親自身にその自覚 が、ほとんどないということ。このタイプの子どもは、乳幼児期には、何ごとにつけ天衣無縫。 言うことなすこと活発で、そのためほとんどの親は、自分の子どもをむしろ優秀な子どもと誤解 する。これがまた指導を難しくする。Mさん(年中児)もそうだった。赤ちゃんのときから、柱にヒ モでつながれて育った。そのMさん。参観日のとき、突然、「今日のママのパンティーね、花柄 パンティーよ!」と叫んだ。言ってよいことと悪いこととの区別がつかない。が、Mさんの母親 は、遊戯会の日まで、天才児と信じていた。その遊戯会でのこと。Mさんは、一人だけ皆から 離れて、舞台の前で、ほかの子どもたちに向かって、アッカンベーを繰り返した。そこで私に相 談があったので、私はMさんが、活発型遅進児の疑いがあると告げた。もう二十年近くも前の ことで、当時は多動児という言葉すら、まだ一般的ではなかった。その説明をすると、母親はそ の場で泣き崩れてしまった。 脳の機能変調説が有力で、アメリカでは別の施設に移した上で、薬物治療までしている。こ の静岡県では、学校ボランティアの付き添いを制度化しているところもあるが、大半は現場の 先生に指導が任されている。しかしこの方法には、おのずと限界がある。仮にこのタイプの子 どもが、一クラス(三十五人)に二−三人もいると、先にも書いたように、クラスそのものがメチ ャメチャになってしまう。これには教師の経験や技量など、関係ない。 …こう書くと、このタイプの子どもには未来はない、ということになるが、そうではない。小学 三、四年生を過ぎると、それ以後は、自分で自分をコントロールするようになる。騒々しさは残 ることは多いが、見た目にはわかりにくくなる。持ち前のバイタリティーが、よい方向に作用す ることもある。集団教育になじまないというだけで、それをのぞけば子どもとしては、まったく問 題はない。つまりそういう視点に立って、仮にここでいうような症状があっても、乳幼児期は、そ れ以上に、症状をこじらせないことに心がける。こじらせればこじらせるほど、その分、立ちな おりが遅れる。 見たぞ、巨大なUFO! 見たものは見た。巨大なUFO、だ。ハバが一、二キロはあった。しかも私と女房の二人で、 それを見た。見たことにはまちがいないのだが、何しろ二十五年近くも前のことで「ひょっとした ら…」という迷いはある。が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。 「まちがいなく、あれはUFOだった」。 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の十二時を 過ぎていた。そのときだ。何の気なしに空を見上げると、淡いだいだい色の丸いものが、並ん で飛んでいるのがわかった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思 った。そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。あとで聞くと女房も同じことをしていたとい う。が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。その丸いものを囲む ように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現れたからだ。私がヨタカだと思ったの は、その物体の窓らしきものだった。「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対 の方向に、音もなく飛び去っていった。 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。その物体が基地のほうから飛んできたから だ。が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。もちろん私もそれがUFOと は思っていなかった。私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、ま さかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。が、このことを矢追純一氏(U FO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてくれた。当時私はアルバイ トで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。矢追氏はその番組のディレク ターをしていた。あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。私と女房はその中の一枚の 写真に釘づけになった。私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったからだ。 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。人間だけが宇宙の生物と考 えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。そしてその宇宙人(多 分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしくはない。もしあの夜見 たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はその人と闘う。 闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、第一ウソ ということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。 …とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。この話をすると、「君は教 育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。君の資質が疑われる」と言 う人もいる。しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。文を書くといって も、教育評論だけではない。小説もエッセイも実用書も書く。ノンフィクションも得意な分野だ。 東洋医学に関する本も三冊書いたし、宗教論に関する本も五冊書いた。うち四冊は中国語に も翻訳されている。 そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。たとえばこの世界 では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、私はそれについて書い てみた。 大学生の親"貧乏盛り" 少子化? 当然だ! 都会へ今、大学生を一人出すと、毎月の仕送りだけで、月平均十一 万七千円(九九年東京地区私大教職員組合調べ)。もちろん学費は別。が、それだけではす まない。アパートを借りるだけでも、敷金だの礼金だの、あるいは保証金だので、初回に四十 −五十万円はかかる。それに冷蔵庫、洗濯機などなど。パソコンは必需品だし、インターネット も常識。…となると、携帯電話のほかに電話も必要。入学式のスーツ一式は、これまた常識。 世間は子どもをもつ親から、一体、いくらふんだくったら気がすむのだ! そんなわけで昔は、「子ども育ち盛り、親、貧乏盛り」と言ったが、今は、「子ども大学生、親、 貧乏盛り」と言う。大学生を二人かかえたら、たいていの家計はパンクする。 一方、アメリカでもオーストラリアでも、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなけ ればならないほど、少ない。たいていは奨学金を得て、大学へ通う。企業も税法上の控除制度 があり、「どうせ税金に取られるなら」と、奨学金をどんどん提供する。しかも、だ。日本の対G NP比における、国の教育費は、世界と比較してもダントツに少ない。欧米各国が、七−九% (スウェーデン九・〇、カナダ八・二、アメリカ六・八%)。日本はこの十年間、毎年四・五%前後 で推移している。大学進学率が高いにもかかわらず、対GNP比で少ないということは、それだ け親の負担が大きいということ。日本政府は、あのN銀行という一銀行の救済のためだけに、 四兆円近い大金を使った。それだけのお金があれば、全国二百万人の大学生に、一人当たり 二百万円ずつの奨学金を渡せる! が、日本人はこういう現実を見せつけられても、誰(だれ)も文句を言わない。教育というのは そういうものだと、思い込まされている。いや、その前に日本人の「お上」への隷属意識は、世 界に名だたるもの。戦国時代の昔から、そういう意識を徹底的に叩(たた)き込まれている。い まだに封建時代の圧制暴君たちが、美化され、大河ドラマとして放映されている!日本人のこ の後進性は、一体どこからくるのか。親は親で、教育といいながら、その教育を、あくまでも個 人的利益の追求の場と位置づけている。 世間は世間で、「あなたの子どもが得をするのだから、その負担はあなたがすべきだ」と考え ている。だから隣人が子どもの学費で四苦八苦していても、誰も同情しない。こういう冷淡さが 積もりに積もって、その負担は結局は、子どもをもつ親のところに集中する。 日本の教育制度は、欧米に比べて、三十年はおくれている。その意識となると、五十年はお くれている。かつてジョン・レノンが来日したとき、彼はこう言った。「こんなところで、子どもを育 てたくない!」と。「こんなところ」というのは、この日本のことをいう。彼には彼なりの思いがい ろいろあって、そう言ったのだろう。が、それからほぼ三十年。この状態はいまだに変わってい ない。もしジョン・レノンが生きていたら、きっとこう叫ぶに違いない。「こんなところで、孫を育て たくない」と。 私も三人の子どもをもっているが、そのまた子ども、つまりこれから生まれてくるであろう孫の ことを思うと、気が重くなる。日本の少子化は、あくまでもその結果でしかない。 「出て行け」米では ほうび 日本では親は、子どもにバツを与えるとき、「(家から)出て行け」と言う。しかしアメリカでは、 「部屋から出るな」と言う。もしアメリカの子どもが、「出て行け」と言われたら、彼らは喜んで家 から出て行く。「出て行け」は、彼らにしてみれば、バツではなく、ほうびなのだ。 一方、こんな話もある。私がブラジルのサンパウロで聞いた話だ。日本からの移民は、仲間 同士が集まり、集団で行動する。その傾向がたいへん強い。リトル東京(日本人街)が、そのよ い例だ。一方、ドイツからの移民は、単独で行動する。人里離れたへき地でも平気で暮らす。 この二つの話、つまり子どもに与えるバツと日本人の集団性は、その水面下で互いにつなが っている。日本人は、集団からはずれることを嫌う。だから「出ていけ」は、バツになる。一方、 欧米人は、束縛からの解放を自由ととらえる。自由を奪われることが、彼らにしてみればバツ なのだ。集団性についても、あのマーク・トウェーン(「トムソーヤの冒険」の著者)はこう書いて いる。「皆と同じことをしていると感じたら、そのときは自分が変わるべきとき」と。つまり「皆と違 ったことをするのが、自由」と。一方、日本では昔から、「長いものには巻かれろ」と言う。「皆で 渡ればこわくない」とも言う。そのためか子どもが不登校を起こしただけで、親は半狂乱にな る。集団からはずれるというのは、日本人にとっては、恐怖以外の何物でもない。 この違いは、日本の歴史に深く根ざしている。日本人はその身分制度の中で、画一性を強要 された。農民は農民らしく、町民は町民らしく、と。それだけではない。日本独特の家制度が、 個人の自由な活動を制限した。戸籍から追い出された者は、無宿者となり、社会から排斥され た。要するにこの日本では、個人が一人で生きるのを許さないし、そういう仕組みもない。しか し今、それが大きく変わろうとしている。若者たちが「組織」にそれほど魅力を感じなくなってき ている。イタリア人の友人が、こんなメールを送ってくれた。「イタリアへ来る日本人は、今、二 つに分けることができる。一つは、旗を立てて集団で来る日本人。年配者が多い。もう一つは、 単独で行動する若者たち。茶パツが多い」と。たとえばそういう変化は、フリーター志望の若者 がふえているというところにもあらわれている。日本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によ れば、高校三年生のうちフリーター志望が、一二%もいるという(ほかに就職が三四%、大学、 専門学校が四〇%)。職業意識も変わってきた。「いろいろな仕事をしたい」「自分にあわない 仕事はしない」「有名になりたい」など。三十年前のように「都会で大企業に就職したい」と答え た子どもは、ほとんどいない。これはまさに「サイレント革命」と言うにふさわしい。フランス革命 のような派手な革命ではないが、日本人そのものが、今、着実に変わろうとしている。 さて今、あなたの子どもに「出て行け」と言ったら、あなたの子どもはそれを喜ぶだろうか。そ れとも一昔前の子どものように「入れてくれ!」と、玄関の前で泣きじゃくるだろうか。ほんの少 しだけ、頭の中で想像してみてほしい。 幼児の発語障害 世界広しといえども、幼児期に発音教育をしないのは、日本ぐらいなものではないか。私が 生まれ育った岐阜県の美濃地方では、「鮎(あゆ)」を、「エエ」と発音する。「よい味」を、「エエ 味」と発音する。だから、「この鮎は、よい味だ」と言うときは、「このエエうァ、エエ味やナモ」と 言う。方言が悪いというのではないが、こういう発音を日常的にしていて、それを正しい文に書 けと言われても、できるものではない。そんなわけで私は小学生のころ、作文が大の苦手だっ た。子どもながらに苦労したのを、記憶のどこかで覚えている。まだある。この日本では幼児の 発音に甘く、子どもが「デンチャ(電車)」と発音しても、それをかえって、「かわいい言い方」と、 許してしまう。 「発語障害」というときは、構音障害(発音、発語障害)、吃音障害(どもる)、音声障害(ダミ 声、鼻声、かすれ声)、それに発音器官に器質的な障害がある場合(口蓋裂)などを総称して いう。しかし現場で「発語障害」というときは、この中の構音障害をいう。たとえば「机」を「チュク エ」、「学校」を「ガッコ」、「バッタ」を「バタ」と言うなど。言葉の一部の音を変えたり、ぬかしたり する。口唇、歯列、舌などの器官を総称して、構音器官という。この構音器官に機能的な障害 があると、子どもはここにあげたように独特の発音をするようになる。幼児は、サ行(猿→シャ ル)、ザ行(ぞうり→ジョーリ)、ラ行(ロケット→ドケット)が苦手だが、これらが正しく発音できれ ば、よしとする。さらに発音するとき、舌の位置がずれると、サ行がシャ音化(魚→シャカナ)し たり、同じくサ行がチャ音化(魚→チャカナ)したりする。ほかにラ行がダ音化することもある。 「ラジオ」を「ダジオ」と言うのがそれである。満五歳を一つの目安として、それまでに正しい発 音ができるようにする。 以上は比較的なおしやすい構音障害だが、なおしにくいのもある。カ行をタ音化するカ行障 害(五個→ドト)などは、指導がむずかしく、なおすのに数年かかることもある。五、六歳児につ いていえば、全体の五%前後にその傾向がみられる。しかしあまり神経質に指導すると、子ど もが自信をなくしたり、さらに失語症になったりするから注意する。少し古い資料だが、アメリカ 言語聴覚学会の報告によれば、指導が必要な構音障害児の出現率は、三%とされる(一九五 一年)。症状にも軽重があり、ふつう児との区別がむずかしいケースもあるが、その傾向のあ る子どもまで含めると、「つ」を「チュ」と発音するケースが、約二〇%。何らかの指導が必要と 思われる幼児は、全体の約五−一〇%というのが、私の実感である。 こういう発語障害をふせぐためには、子どもが言葉を話すようになったら、息を子どもの顔に 吹きかけながら、口の動きを正確にしてみせるとよい。幼児語(自動車→ブーブー、電車→ゴ ーゴー)などは、かえって発語の発達を遅らせることになるので、注意する。言葉の発達そのも のを遅らせることもある。ある男の子(年長児)は、「三輪車」を「シャーシャー」、「押す」を「ドウ ドウ」と言っていた。だから、「三輪車を押す」は、「シャーシャー、ドウドウ」と。が、それでも発語 障害が残ってしまったら…。各市町村の保健センター、もしくは教育委員会に相談窓口がある ので、そちらへ問い合わせてみるとよい。 教育のおもしろさ 教育の本当のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、 私の家には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらってき た。これをA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二カ月くらいし てからもらってきた。これをB犬とする。 A犬は育児拒否を経験した犬。誰(だれ)にでも愛想がよく、シッポを振る。番犬にはならな い。忠誠心も弱く、裏の戸が少しでもあいていようものなら、すぐ遊びに行ってしまう。一方、B 犬は親の愛も人間の愛も、たっぷりと受けている。態度は大きく、ふてぶてしい。見知らぬ人が 近づくと、ワンワンとほえる。忠誠心も強い…。 と書いて、実は人間の子どもも同じ。たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなく から施設などに預けられた子どもをいう。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症 状を示すことが知られている。 感情の動きが平たんになり感動が乏しくなりがち、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい、な ど。が、何といっても最大の特徴は、愛想がよくなるということ。相手に合わせて心を偽ってしま う、相手の顔色をうかがって行動する、など。一見、表情は明るく快活だ。が、相手に心を許さ ない。許さない分だけ、心はさみしい。あるいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。そ のため精神的に疲れやすい。 実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「商人の子どもだから」とよく言われるが、どうもそれ だけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶように、自分をごまかす。ち ゃかす。つまり私は、かなり不幸な乳幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そう だったといえばそうだ。親は親で、食べていくだけで精いっぱい…と書いて、ここに教育のおも しろさがある。子どもを分析していくと、自分の姿が見えてくる。「私」という人間が、いつどうして 今のような私になったかが、わかってくる。私が私であって、私でない部分だ。私は施設児の問 題を考えているとき、それはそのまま私自身の問題であることに気がついた。 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、育児 拒否、親の暴力に虐待、親との死別など。しかしそれが問題ではない。問題はそういう不幸な 家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかないことだ。たいていの人はそれに気づか ないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしまう。そして同じ失敗を繰り返す。それ だけではない。同じキズを今度はあなたから、あなたの子どもへと伝えてしまう。心のキズとい うのはそういうもので、世代から世代へと伝播(でんぱ)しやすい。が、しかしこの問題だけは、 それに気づくだけでも、大半は解決する。私の場合も、ゆがんだ自分自身を、別の目で客観的 に見ることによって、自分をコントロールすることができるようになった。「ああ、これは本当の 自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶっているぞ」「もっと相手に心を許そ う」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導しながら、結局は自分を指導する。そこに 教育の本当のおもしろさがある。 アイドリングする母親 何か物足りない。どこかむなしくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに幸せの ハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではないが、その充 実感がない…。今、そんな女性が多い。Hさん(三十二歳)もそうだ。 結婚したのは二十四歳のとき。どこか不本意な結婚だった。いや、二十歳のころ、一度だけ 電撃に打たれるような恋をしたが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、今の 夫と何となく交際を始め、数年後、これまた何となく結婚した。 ウォラーの「マディソン郡の橋」の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある田舎道の土 ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」と。主人公のフランチェスカ は、ロバート・キンケイドと会い、そこで彼女は激しい恋に落ちる。忘れていた生命の叫びにそ の身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛し合う。つまりフランチェスカは、「日に日に無神経 になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の殻(から)に閉じこもって」生活していたが、キ ンケイドに会って、一変する。彼女もまた、「(戦後の)あまりえり好みしてはいられないのを認 めざるをえない」という状況の中で、アメリカ人のリチャードと結婚していた。 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のような状態 をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。空回りばかりする。Hさんはそうした不満を 実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱(しか)られた。夫は夫で、「何が不満だ」「お前は 幸せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるストレスは相当なものだ。 昔、今東光氏という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、こ んな話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わってしま った。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドから跳び起き、女を買いに行く」と。「女を買 う」と言っても、今氏の場合は、絵のモデルになる女性を求めるということだった。晩年の今氏 は、裸の女性の絵を描いていた。細い線のしなやかなタッチの絵だった。私は今氏の「生」へ の執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そういうものか。その人の人生の中で、い つまでも重く、心をふさぐ。 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がいたが、 下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手伝ううち、 医療事務の知識を身に付け、やがて医療事務を教える講師になった。またNさんは、ヘルパー の資格を取るために勉強を始めた、などなど。「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、 道路を走り出した人は多い。 だから今、あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風の ようなものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。子育ても一段落するとき がくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それが終着点と思うのではなく、そこを 原点として前に進む。方法は簡単。勇気を出して、アクセルを踏む。女でもなく、妻でもなく、母 でもなく、一人の人間として。それでまた風は吹き始める。人生は動き始める。 スキンシップは魔法の力 スキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。魔法の力といってもよい。もう二十年ほ ど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施設の先生の 講演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』とい う方法で、素晴らしい治療成績をあげています」と。その施設の名前も先生の名前も忘れた。 が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思ったことが、たびたびある。言い換える と、スキンシップを受け付けない子どもは、どこかに「心の問題」があるとみてよい。 たとえば緘黙(かんもく)児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許 さない。許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、何 かしら丸太を抱いているような気分になる。これに対して心を許している子どもは、抱く側にしっ くりと身を寄せる。さらに肉体が融和してくると、心臓の鼓動のリズムまで同じになる。 で、この話をある席でしたら、そのあと一人の男性がこう言った。「子どもも女房も同じです な」と。つまり心が通いあっているときは、女房も抱きごこちがよいが、そうでないときは悪い、 と。不謹慎な話だが、しかし妙に言い当てている。 このスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、「甘える」という行為である。一般論として、 濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然である。「自 然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。甘えることがで きる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染 み込んでいくのがわかる。 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、育児 拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人 に甘えない。一見、自立心が旺(おう)盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんでいたり、苦 しんでいるのを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひ ねくれる。 私「これはよい本だね」子「値段が高い」私「読んでみたら」子「表紙がダサイ」と。このタイプ の子どもは、「信じられるのは自分だけ」というような考え方をする。そのため異常な自尊心や しっと心、虚栄心をもちやすい。あるいは何らかのきっかけで、ふつうでないケチになることも ある。こだわりが強くなり、お金や物に執着したりする。完ぺき主義から、拒食症になった女の 子(中三)もいた。 もしあなたの子どもが、あなたという親に甘えることを知らないなら、あなたの子育てのし方の どこかに、大きな問題があるとみてよい。今は目立たないが、やがて深刻な問題になる。その 危険性が高い。 …と、今回は、皆さんを不安にさせるようなことを書いてしまったが、子どもの心の問題で、何 か行きづまりを覚えたら、子どもは抱いてみる。ぐずったり、泣いたり、だだをこねたりするよう なときである。「何かおかしい」とか、「わけがわからない」と感じたら、やさしく抱いてみる。しば らくは抵抗する様子を見せるかもしれないが、やがて収まる。と、同時に、子どもの情緒(心)も 安定する。 31年ぶりの約束 ちょうど三十一年前の卒業アルバムに、私はこう書いた。「二〇〇一年一月二日、午後一時 二分に、(金沢の)石川門の前で君を待つ」と。それを書いたとき、私は半ば冗談のつもりだっ た。当時の私は二十二歳。ちょうどアーサー・クラーク原作の「二〇〇一年宇宙の旅」という映 画が話題になっていたころでもある。私にとっては、三十一年後の自分というのは、宇宙の旅 と同じくらい、「ありえない未来」だった。 しかし、その三十一年が過ぎた。一月一日に金沢駅におりたつと、体を突き刺すような冷た い雨が降っていた。「冬の金沢はいつもこうだ」と言うと、女房が体を震わせた。とたん、無数の 思い出がどっと頭の中を襲った。話したいことはいっぱいあるはずなのに、言葉にならない。細 い路地をいくつか抜けて、やがて近江町市場のアーケード通りに出た。いつもなら海産物を売 るおやじの声で、にぎやかなところだ。が、その日は休み。「初売りは五日から」という張り紙 が、うらめしい。カニの臭いだけが、強く鼻をついた。 自分の書いたメモが、気になり始めたのは数年前からだった。それまで、アルバムを見るこ とも、ほとんどなかった。研究室の本棚の前で、精一杯の虚勢をはって、学者然として写真に おさまっている自分が、どこかいやだった。しかし二〇〇一年が近づくにつれて、その日が私 の心に重くのしかかるようになった。アルバムにメモを書いた日が「入り口」とするなら、その日 は「出口」ということか。しかし振り返ってみると、その入り口と出口が、一つのドアでしかない。 その間に無数の思い出があるはずなのに、それがない。人生という部屋に入ってみたら、そこ がそのまま出口だった。そんな感じで三十一年が過ぎてしまった。 「どうしてあなたは金沢へ来たの?」と女房が聞いた。「…自分に対する責任のようなものだ」 と私。あのメモを書いたとき、心のどこかで、「二〇〇一年まで私は生きているだろうか」と思っ たのを覚えている。が、その私が生きている。生きてきた。時の流れは、時に美しく、そして時 に物悲しい。フランスの詩人、ジャン・ダルジーは、かつてこう歌った。「♪人来たりて、また去 る…」と。部分的にしか覚えていないが、続く一節はこうだった。「♪かくして私の、あなたの、彼 の、彼女の、そして彼らの人生が流れる。あたかも何ごともなかったかのように…」と。何かを したようで、結局は、私は何もできなかった。時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹 いてきて、またどこかへと去っていく。つかむこともできない。握ったと思っても、そのまま指の 間から漏れていく。 翌一月二日も、朝からみぞれまじりの激しい雨が降っていた。私たちは兼六園の通りにある 茶屋で昼食をとり、そして一時少し前にそこを出た。が、茶屋を出ると、雨がやんでいた。そこ から石川門までは、歩いて数分もない。歩いて、私たちは石川門の下に立った。「今、何時だ」 と聞くと、女房が時計を見ながら「一時よ…」と。私はもう一度石川門の下で足をふんばってみ た。「ここに立っている」という実感がほしかった。学生時代、四年間通り抜けた石川門だ。と、 そのとき、橋の中ほどから二人の男が笑いながらやってくるのに気がついた。同時にうしろか ら声をかける男がいた。それにもう一人…! そのとたん、私の目から、とめどもなく涙があふ れ出した。 宗教論はタブー 教育の場で、宗教の話は、タブー中のタブー。こんな失敗をしたことがある。一人の子ども (小三男児)がやってきて、こう言った。「先週、遠足の日に雨が降ったのは、バチが当たった からだ」と。そこで私はこう言った。「バチなんてものは、ないのだよ。それにこのところの水不 足で、農家の人は雨が降って喜んだはずだ」と。翌日、その子どもの祖父が、私のところへ怒 鳴り込んできた。「貴様はうちの孫に、何てことを教えるのだ! 余計なこと、言うな!」と。その 一家は、ある仏教系の宗教教団の熱心な信者だった。 また別の日。一人の母親が深刻な顔つきでやってきて、こう言った。「先生、うちの主人に は、シンリが理解できないのです」と。私は「真理」のことだと思ってしまった。そこで「真理という のは、そういうものかもしれませんね。実のところ、この私も教えてほしいと思っているところで す」と。その母親は喜んで、あれこれ得意気に説明してくれた。が、どうも会話がかみ合わな い。そこで確かめてみると、「シンリ」というのは「神理」のことだとわかった。 さらに別の日。一人の女の子(小五)が、首にひもをぶらさげていた。夏の暑い日で、それが 汗にまみれて、半分首の外に飛び出していた。そこで私が「これは何?」とそのひもに手をか けると、その女の子は、びっくりするような大声で、「ギャアーッ!」と叫んだ。叫んで、「汚(け が)れるから、さわらないで!」と、私を押し倒した。その女の子の一家も、ある宗教教団の熱 心な信者だった。 人はそれぞれの思いをもって、宗教に身を寄せる。そういう人たちを、とやかく言うことは許さ れない。よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がい るから、宗教がある。だから宗教を否定しても意味がない。それに仮に、一つの宗教が否定さ れたとしても、その団体とともに生きてきた人間、なかんずく人間のドラマまで否定されるもの ではない。 今、この時点においても、日本だけで二十三万団体もの宗教団体がある。その数は、全国 の美容院の数(二十万)より多い。それだけの宗教団体があるということは、それだけの信者 がいるということ。そしてそれぞれの人たちは、何かを求めて懸命に信仰している。その懸命さ こそが、まさに人間のドラマなのだ。 子どもたちはよく、こう言って話しかけてくる。「先生、神様って、いるの?」と。私はそういうと き「さあね、ぼくにはわからない。おうちの人に聞いてごらん」と逃げる。あるいは「あの世はあ るの?」と聞いてくる。そういうときも、「ぼくにはわからない」と逃げる。霊魂、幽霊についても、 そうだ。ただ念のため申し添えるなら、私自身は、まったくの無神論者。「無神論」という言い方 には、少し抵抗があるが、要するに、手相、家相、占い、予言、運命、運勢、姓名判断、さらに 心霊、前世来世論、カルト、迷信のたぐいは、一切、信じていない。信じていないというより、も とから考えの中に入っていない。 私と女房が籍を入れたのは、仏滅の日。「私の誕生日に合わせたほうが忘れないだろう」と いうことで、その日にした。いや、それとて、つまり籍を入れたその日が仏滅の日だったという ことも、あとから母に聞いて、初めて知った。 心をゆがめる子ども よい子(?)も、そうでない子(?)も、大きな違いがあるようで、それほど違いはない。日々の 生活の積み重ねで、よい子はよい子になり、そうでない子はそうでなくなる。 たとえば非行。盗み、いじめ、暴力、喫煙、性犯罪、集団非行など。親が「うちの子に限って …」「まさか…」と思っているうちに、子どもは非行に走るようになる。しかもある日、突然に、 だ。それはちょうど、ものが臨界点を超えて、突然、爆発するのに似ている。 子どもというのは、少しずつなだらかに成長するのではない。階段をのぼるように、トントンと 段階的に成長する。同じように子どもが悪くなるときも、トントンと悪くなる。が、前兆がないわけ ではない。 その一つ。生活習慣がだらしなくなる。たとえば目標や規則が守れない(親のサイフからお金 を盗む。貯金を使ってしまう。時間にルーズになる)、自己中心的(ゲームに負けると怒る。わ がままで自分勝手)になり、無礼、不作法な態度(おとなをなめるような言動、暴言)が目立つ ようになる。 この段階で家庭騒動、家庭崩壊など、子どもを取り巻く環境が不安定になると、症状は一挙 に悪化する。(1)拒否的態度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に「うッセーエ」と拒 否する。反対に無視したり、むくれたりする)(2)破滅的態度(ものの考え方が短絡的、直感的 になる。ものごとがなげやりになる。他人に対する思いやりが消える。あるいは他人への迷惑 に無関心になる)(3)自閉的態度(外部からの働きかけに鈍感になる。無感動、無表情にな る)(4)野獣的動作(言動が野獣的になり、肩をいからせて歩く、目つきが鋭くなる)などの症状 を示すようになる。脳の機能そのものが変調すると考えるとわかりやすい。 もっともこうした症状が「表」に出る子どもは、まだよいほうだ。中には「内」にこもる子どもが いる。前者をプラス型というなら、後者はマイナス型ということになる。威圧的な家庭環境、親 の過干渉、過関心が日常的に続くと、子どもの心は閉塞(へいそく)的になり、マイナス型にな る。家の中に引きこもったり、陰湿ないじめ、動物への虐待などを日常的に繰り返したりする。 被害妄想をもちやすく、ものの考え方が先鋭化し、凶悪事件を引き起こすこともある。 要はどの段階で、どの程度、親がその前兆に気づき、子育てのあり方を反省するかというこ と。が、実際には、これが難しい。このタイプの親に限って、エリート意識が強く、他人の話に耳 を傾けない。あるいは反対に、無責任で無教養。子育てそのものから逃げてしまう。盲目的な 溺愛(できあい)が、子どもの変化を見落としてしまうこともある。 結局は子どもの言いなりになってしまう。そしてあとはおきまりの独善と独断。私のような立場 の者がアドバイスしても、無駄。「子どものことは私が一番よく知っている」という確信のもと、そ の返す刀で、「あなたには本当のことがわかっていない」と、はねのけてしまう。そして子どもに 対しては、必要以上にはげしく叱ったりする。あとはこの悪循環。 本来、そうならないためにも、ほかの父母との交流を多くして、風通しをよくしなければならな い。が、その交流もしない。あるいはしても形式的。見栄、メンツ、世間体を優先させてしまう。 あとは日々の積み重ね。子どもの非行は、あくまでもその結果でしかない。 フリーハンドの人生 「あなたの人生は、あなたのものだから、思う存分、自分の人生を生きなさい。家の心配はし なくていい。親の心配はしなくていい。親孝行なんて考えなくていい」と。フリーハンドの形で、子 どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。子どもを「家」 や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担をかけるのも、期待するのも、いけない。もちろ ん子どもが自分で考え、その後、家のことを心配したり、親に孝行するというのであれば、それ は子どもの勝手。あくまでも子どもの問題。 NHKテレビを見ていたら、日本を代表する演歌歌手のI氏が、切々と、しかも涙をこぼしなが ら、自分の母親について語っていた(二〇〇〇年夏)。I氏はこう言った。「私の母は、貧しい生 活の中、懸命に私を育ててくれた。私はその母に恩返しをしたい一心で歌手になった」と。私は I氏の話を聞くうちに、I氏の母親が本当にすばらしい母親なのかどうか、わからなくなってしまっ た。 五十歳も過ぎたI氏に、親として、そこまで思わせてしまってよいものか。そこまで追い込んで しまってよいものか。もちろんI氏は、「私の母は、すばらしい母だ」と言っていたが…。 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく 言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そして無意識のうちに も、子どもにそれを負担に思わせてしまう。あるいは「産んでやった」「育ててやった」と、親の恩 を押し売りしてしまう。その一例が、『かあさんの歌』だ。「♪かあさんは夜なべをして、手袋編ん でくれた…」という、あの歌である。こうした恩着せがましい歌、お涙ちょうだい式の歌が、すば らしい歌になっているところに、日本式の子育ての問題点がある。 親は子育てをするが、その子育ては、あくまでも自分のためにしているにすぎない。しかも子 育ての目標は、子どもを自立させること。子どもを勝手に産んでおいて「♪おとうは土間でわら 打ち仕事、お前もがんばれよ」は、ない。言うとしたら、たとえそうであっても「♪おとうは居間で 俳句づくり、お前は心配するな」だ。…と考えていたら、こんな子ども(中二男子)がいた。自分 のことを言うのに、「D家(け)は…」と「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方は よせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四十年ぶ りに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。 子どもの人生は子どものものであって、誰(だれ)のものでもない。もちろん親のものでもな い。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。私た ちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。 親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなた の親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考 え方ではない。あくまでもフリーハンド、である。 ある母親は息子にこう言った。「たった一度しかない人生だから、思う存分、羽をのばしなさ い。私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、こ こにある。 左脳教育と右脳教育 左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(R・W・スペリー)。たとえば右脳を訓 練すれば、記憶力が鋭くなる(直観像化)。漢字や英単語を、見ただけで暗記できるようになる (フォトコピー化)。あるいは二十−三十個のものを、瞬時に数えることができるようになる(高 速処理化)という。こうした事例は、現場でもしばしば経験する。 たとえば暗算が得意な子どもがいる。頭の中に仮想のそろばんを思い浮かべ、そのそろば んを使って、瞬時に高度な計算をしてしまう。あるいは速読の得意な子どもがいる。読むという よりは、文字の上をななめに目を走らせているだけ。それだけで本の内容を理解してしまう。し かし現場では、それがたとえ神業に近いものであっても、「神童」というのは認めない。もう少し わかりやすい例で言えば、数百種類の動物の、その一部を見ただけで名前を言い当てたとし ても、それを能力とは認めない。「こだわり」とみる。たとえば自閉症の子どもがいる。このタイ プの子どもは、ある特殊な分野に、ふつうでないこだわりを見せることが知られている。全国の 電車の発車時刻を暗記したり、音楽の最初の一小節を聞いただけで、その音楽の題名を言い 当てたりする。つまりこうしたこだわりが強ければ強いほど、むしろ心のどこかに、別の問題が 潜んでいるとみる。 たとえば右脳教育を信奉する人たちは、有名な科学者や芸術家の名前を出し、そうした成果 の陰には、発達した右脳があったと説く。しかしこうした科学者や芸術家ほど、一方で、変人と いうイメージも強い。つまりふつうでないこだわりが、その人をして、並はずれた人物にしたと考 えられなくもない。 言いかえると、右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あるべ き人間の理想像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら(論理)、他人 の心を静かに思いやること(分析)ができる子どものほうが、望ましい子どもということになる。 その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である。 右脳教育が脳のシステムの完成したおとなには、有効な方法であることは、私も認める。し かしだからといって、それを脳のシステムが未発達な幼児に応用するのは、慎重でなければな らない。脳にはその年齢に応じた発達段階があり、その段階を経て、論理や分析を学ぶ。右 脳ばかりを刺激すればどうなるか? 一つの例として、神戸でおきた「淳君殺害事件」をあげる 研究家がいる(福岡T氏ほか)。 あの事件を引き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)画数 の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「百人一首を一晩で覚えたら、5000円 やると言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったこともあります」=「少 年A、この子を生んで」(文藝春秋)=と。 少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の区別 がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。その少年Aについて、「直観像素質者(一瞬見た映像 をまるで目の前にあるかのように、鮮明に思い出すことができる能力のある人)であって、(そ れがこの非行の)一因子を構成している」という鑑定結果が出されている。 要はバランスの問題。左脳教育であるにせよ右脳教育であるにせよ、バランスが大切。子ど もに与える教育は、いつもそのバランスを考えながらする。 教育の自由化は世界の流れ アメリカでもオーストラリアでも、そしてカナダでも、学校を訪れてまず驚くのが、その「楽し さ」。まるでおもちゃ箱の中にでも入ったかのような錯覚を覚える。写真は、アメリカ中南部にあ る公立の小学校(アーカンソー州アーカデルフィア、ルイザ・E・ペリット小学校。生徒数三百七 十名)。教室の中に、動物の飼育小屋があったり、遊具があったりする。 アメリカでは、教育の自由化が、予想以上に進んでいる。まずカリキュラムだが、州政府のガ イダンスに従って、学校独自が、親と相談して決めることができる。オクイン校長に「ガイダンス はきびしいものですか」と聞くと「たいへんゆるやかなものです」と笑った。もちろん日本でいう 教科書はない。検定制度もない。たとえばこの小学校は、年長児と小学一年生だけを教える。 そのほか、プレ・キンダガーテンというクラスがある。四歳児(年中児)を教えるクラスである。 費用は朝食代と昼食代などで、週六十ドルかかるが、その分、学校券(バウチャ)などによっ て、親は補助されている。驚いたのは四歳児から、コンピューターの授業をしていること。また 欧米では、図書館での教育を重要視している。この学校でも、図書館には専門の司書を置い て、子供の読書指導にあたっていた。 授業は一クラス十六名前後。教師のほか、当番制で学校へやってくる母親、それに大学から 派遣されたインターンの学生の三人で当たっている。アメリカというと、とかく荒れた学校だけ が日本で報道されがちだが、そういうのは、大都会の一部の学校とみてよい。周辺の学校もい くつか回ってみたが、どの学校も、実にきめのこまかい、ていねいな指導をしていた。 教育の自由化は、世界の流れとみてよい。たとえば欧米の先進国の中で、いまだに教科書 の検定制度をもうけているのは、日本だけ。オーストラリアにも検定制度はあるが、それは民 間組織によるもの。しかも検定するのは、過激な暴力的表現と性描写のみ。「歴史的事実につ いては検定してはならない」(南豪州)ということになっている。アメリカには、家庭で教えるホー ムスクール、親たちが教師を雇って開くチャータースクール、さらには学校券で運営するバウチ ャースクールなどがある。行き過ぎた自由化が、問題になっている部分もあるが、こうした「自 由さ」が、アメリカの教育をダイナミックなものにしている。 過去を再現する親たち 親は子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が受験時代。それまではそう でなくても、子どもが受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安感に襲われ る。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は「勉強」そのものではない。受験にまつわる 「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえば子どもが受 験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。 ところで「自由」には二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも かくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に長い間、悩まされた。たいてい はこんな夢だ。…どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室が分からない。やっと教室に入 ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見てもできないものばかり。鉛筆が動かな い。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎる…。 親が不安になるのは親の勝手だが、親はその不安を子どもにぶつけてしまう。そういう親に 向かって「今はそういう時代ではない」といってもムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが ズレている。親は親で「すべては子どものため」と確信している。が、それだけではない。こうし た不安が親子関係そのものを破壊してしまう。「青少年白書」でも「父親を尊敬していない」と答 えた中高生は五五%もいる。「父親のようになりたくない」と答えた中高生は八〇%弱もいる (平成十年)。この時期、「勉強せよ」と子どもを追い立てるほど、子どもの心は親から離れる。 私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試験会 場で「こんなのできなくてもいいや」と居直るようになった。あるいは皆と、違った方向に歩くよう になった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたちは。あせっ てみたとて、同じこと」と、夢の中でも歌えるようになった。…とたん、少し大げさな言い方に聞こ えるかもしれないが、私の魂は解放された! たいていの親は自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかないまま、 その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。そこで…まず自分の過去に気づく。それで 問題は解決する。受験時代にいやな思いをした人ほど、一度自分を冷静に見つめてみてほし い。 フロイトの自我論 フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると…。 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)で、創造的(将来に向かって展望 をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動 できる。 反対に自我の弱い子どもは、物事に対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口 にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、占いや手相にこ る)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえ ばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛(おうせい)で何かにつけ、前向きに伸びていく。 反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているか分 からない子どもといった感じになる。 その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視点から 考える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもというのは、ある べき環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。反対に、威圧的な過干渉(親 の価値感を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に子どもを当てはめようとする)、過関 心(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さらには恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子 どもの自我はつぶれる。そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがた いへんむずかしい。たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳 幼児から満四−五歳にかけての時期が重要である。 人間は、ほかの動物と同様、数十万年というながい年月を、こうして生き延びてきた。その課 程の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。こうした本 質は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わったと思う方がおかし い。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出していくかということ。子育 ての原点はここにある。 ルービン報道官の退任 二〇〇〇年の春、ルービン報道官が、国務省を退任した。約三年間、アメリカ国務省のスポ ークスマンを務めた人である。理由は妻の出産。「長男が生まれたのをきっかけに、退任を決 意。当分はロンドンで同居し、主夫業に専念する」(報道)と。 一方、日本にはこんな話がある。以前、「単身赴任により、子どもを養育する権利を奪われ た」と訴えた男性がいた。東京に本社を置くT臓器のT氏(五十三歳)だ。いわく「東京から名古 屋への異動を命じられた。そのため子どもの一人が不登校になるなど、さまざまな苦痛を受け た」と。単身赴任は、六年間も続いた。 日本では、「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも、「勉強する」「宿題があ る」と言えば、すべてが免除される。仕事第一主義が悪いわけではないが、そのために犠牲に なっているものも多い。今でも妻に向かって、「お前を食わせてやる」「養ってやる」と暴言を吐く 夫は、いくらでもいる。 その単身赴任について、昔、メルボルン大学の教授が、私にこう聞いた。「日本では単身赴 任に対して、法的規制は、何もないのか」と。私が「ない」と答えると、周囲にいた学生までも が、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と騒いだ。 さてそのK氏の訴えに対して、最高裁第二小法廷は、一九九九年の九月、次のような判決を 言いわたした。いわく「単身赴任は社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えていない」と。つ まり「単身赴任はがまんできる範囲のことだから、文句を言うな」と。もう何をか言わんや、であ る。 ルービン報道官の最後の記者会見の席に、妻のアマンポールさんが飛び入りしてこう言っ た。「あなたはミスターママになるが、おむつを取り換えることができるか」と。それに答えてル ービン報道官は、「必要なことは、すべていたします。適切に、ハイ」と答えた。 日本の常識は決して、世界の標準ではない。たとえば前にも書いたが、アメリカでは学校の 先生が、親に子どもの落第をすすめると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。親はそのほう が子どものためになると判断する。が、日本ではそうではない。軽い不登校を起こしただけで、 たいていの親は半狂乱になる。こうした「違い」が積もりに積もって、それがルービン報道官に なり、日本の単身赴任になった。言い換えると、日本が世界の標準にたどりつくまでには、まだ まだ道は遠い。 子育て四次元論 子育てには四つの方向性がある。 その(1)。子どもに子ども(あなたからみれば孫)の育て方を教えるのが、子育て。「あなたが 親になったら、こういうふうに子どもを育てるのですよ」「こういうふうに子どもを叱(しか)るので すよ」と。もっと言えば、子育ての見本を見せるのが子育て。「親子というのはこういうものです よ」「幸せな家庭というのはこういうものですよ」と。あなたの子どもは親になったとき、あなたが した子育てを繰り返す。それを想像しながら、子育てをする。 その(2)。あなたは今、自分が受けた子育てを繰り返しているにすぎない。そこであなたの過 去をさぐってみる。あなたは心豊かで、愛情深い家庭環境で育っただろうか。もしそうならそれ でよし。が、そうでなければ、あなたの子育ては、どこかがゆがんでいるとみる。その「ゆがみ」 に気づくこと。あなたはひょっとしたら、そのゆがみに気づかないまま、今の子育てをしている かもしれない。そしてさらに、そのゆがみを、あなたから、今度はあなたの子どもへ伝えている かもしれない。…と、言ってもむずかしいことではない。この問題だけは、気づくだけでよい。そ れでなおる。 その(3)。子育ては「上」から見る。自分の子育てを、他人のと比較する。兄弟や友人、さら には近所の人たちのと比較する。もしできれば、世界の子育てと比較してみるのもよい。子育 てでこわいのは、独善と独断。「子どものことは私が一番よく知っている」「私が正しい」と豪語 する親ほど、子育てで失敗しやすい。要は風通しをよくするということ。そのために視野を高くも つ。 最後に(4)。子育てはただの子育てではない。よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは 自分を育てることだ」と言う人がいる。まちがってはいないが、しかし子育ては、そんな甘いもの ではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、谷を越え、いやおうなしに育てられる。 はじめて幼稚園へ子どもを連れてくるような親は、たしかに若くてきれいだが、底が浅い。しか しそんな親でも、子育てで苦労するうちに、やがて姿勢が低くなり、人間的な深みができてくる。 親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。子どもが親に、人間がどういうものかを 教える。 以上、子育てに、未来、過去、外、内の四つの方向性があることを、私は「子育て四次元論」 と呼んでいる。 人間は考えるアシ パスカルは、「人間は考えるアシである」と言った。「思考が人間の偉大さをなす」とも。 よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、別 のことである。たとえば、こんな会話。 A「昼に何を食べる?」B「スパゲティはどう?」A「いいね。どこの店にする?」B「今度できた、 角の店はどう?」A「いいね」と。 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何も 考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて取り出しているにすぎな い。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人の園児が掛け算の九九を、ペラペラ と言ったとする。しかしだからといって、その園児は頭がよいということにはならない。算数がで きるということにもならない。 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識のうちに も、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。中には考えることを他 人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話をしたことがある。私 が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。その人はこう 言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に、意味がある。正しいとか、間違っ ているとかいう判断は、それをすること自体、間違っている。こんなことがあった。ある朝幼稚 園へ行くと、一人の園児が一生懸命穴を掘っていた。「何をしているの?」と声をかけると、「石 の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中から生まれるものだと思っていた。 おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考えて、そ うしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけさせる ことが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。それがムダだとは思わない が、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にしてしまう。かえって子どもから 考えるという習慣を奪ってしまう。私はそれを心配する。 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