はやし浩司
アメリカの教科書(テキスト)論(中学数学)
アメリカの教科書(数学)@(役に立つ教育)
●アメリカの教科書 日本の教科書は、どこかのエラーイ学者先生が作った。だからおもしろくない。役に立たな い。いや、将来、学者になるにはよい教科書だが、しかし学者になる子どもは、一体何%いる というのか。一方、アメリカの教科書(日本でいう教科書というイメージはない。もちろん検定制 度もない)は、教科書そのものが、実用的。論より証拠。ここに紹介するのは、中学一年レベ ルの数学の教科書(Prentice Hall版)。全米でもっとも広く使われている教科書と言ってよい。
(教科書の写真)
「資料を整理して、グラフ化しよう。 (1)初代のころの大統領と、最近の大統領の平均年齢を調べよう。(写真@) (2)ファースト・フード店における、賃金(時間給)と平均値を調べよう。」(p.5) どの項目にも、「実生活に関連して……」というコーナーが用意されている。つまり生徒たち は、そのつど、なぜそれを学ぶのか。またどう役立つのかということを納得しつつ学ぶしくみが できている。が、日本にはそれがない。たとえば中学一年では、一次方程式を、三年では、二 次方程式を学ぶことになっている。が、なぜそれを学ぶのか。また学ばねばならないのかとい う説明は、一切、ない。ないまま、問答無用式に子どもに押しつけている。私など文科系の大 学を出たこともあるが、高校を卒業後、二次方程式はおろか、一次方程式すら、実生活で使っ たことは、ただの一度もない。一方、アメリカの教科書は、生徒たちにこう問いかけている。 ●平均値を調べても意味がない? 「初代のころも、最近も、大統領の平均年齢は、約58歳。初代のころの大統領の年齢は57 歳から61歳まで。大統領の年齢は、だいたいこの平均値の前後にある。が、最近の大統領の 年齢は、42歳から69歳までの範囲で、バラバラ。つまり平均年齢が同じ58歳になるといって も、中身はまるで違う。だからこうした平均値を比較しても、あまり意味がない」(教師用指導 書)と。 また時間給については、州ごとの平均所得を生徒に調べさせ、それをグラフ化させるところ までしている。そしてその結論として、「考えてみよう」というコーナーでは、「アメリカは、八〇年 代の終わりから九〇年代のはじめに、経済の後退期に入ったが、どの州がもっとも影響を受 けなかったか」(写真A)と。さらに芝刈り(15ドル)、べイビーシッター(10ドル)、配達(12ド ル)の時間給を具体的に示しながら、「こうした時間給の平均値を調べることに意味があるの か」と生徒に問いかけている。ほかにも数字がいろいろ並んでいるが、すべて、現実の数値で あるところがおもしろい。それだけではない。日本の教科書は、平均値の出し方までは教える が、「平均値は意味がない」というところまでは教えない。たとえばこのコーナーでも、芝刈り、 ベイビーシッター、配達の平均値は、約12ドルということになるが、「だからといって、それがど うだというのだ」「楽な仕事は、それだけ時間給が少ないのは当然ではないか」と、そこまで生 徒に問いかけている。 日本には教科書神話というのがある。「教科書は絶対」という神話である。しかしその神話と て、文部省によって作られた神話でしかない。そういう視点で、もう一度、あなたの子どもの教 科書を、じっくりとながめてみてほしい。 写真の白い部分(左、約4分の3)が、生徒用教科書。右のブルーの部分が、教師用指導欄。 教科書の赤字部分は、解答例。 アメリカの教科書A(実用的な話題) ●現実問題がテーマ スズメは、ヒヨドリが来ても逃げない。しかしモズが来ると、一斉に逃げる。モズは肉食だ。そ こで考える。スズメがモズから逃げるのは、本能によるものか。それとも学習によるものか。 アメリカの教科書(数学、Prentice Hall版)では、いつも現実の問題をテーマにしながら、学習 を進めるようになっている。 ☆小数点の計算→金利計算をさせる。 ☆グラフ→中古車の使用年数と値段の関係(写真@) ☆比例→かけた時間と電話料金の計算 ☆関数→キーボードと周波数の関係 ☆確率→献血者の血液型の関係など。 教科書に使われている数値は、ダミーではなく、すべて現実の数値である(写真A)。
このことは前回も書いた。たとえば「グラフの学習」のところでは、映画「フォレスト・ガンプ」を
取りあげ、封切り後、どのように入場者が変化したかを学習する。あるいは別のところでは、 「前日にテレビを見た時間数と、翌日のテストの結果」を、子どもたちに調べさせている。円グ ラフのところでは、具体的に「薬物(ドラグ)使用」をテーマにあげ、子どもたちの世界に、それ がどのように入り込んでいるかを示している。さらに随所で、「批判の目で考えよう」というコー ナーがある。たとえば「正負の数」のところでは、「マイナス20度Fでは、外は寒いが、プラス2 0度Fでは、暑いということになるか」などと、具体的に子どもたちに問いかけることも忘れてい ない。 ●実用的なことを教える 昨年(一九九九年)、オーストラリアのモナーシュ大学で司書をしている友人に、「教育の目的 は何か」とたずねたところ、こう教えてくれた。「子どもたちが社会に出たとき、多様な社会に適 応できる人間にすることだ」と。こうも言った。「オーストラリアは世界から孤立している。だから どんな変化が起きても、それに対応できるようにするのが、オーストラリア政府の方針だ」と。 わかりやすく言えば、「実用的なことを教えるのが、教育だ」と。しかし日本の教育にはそういう 視点が、ほとんど、ない。たとえば私は法科の学生だったが、学生時代、ただの一度も、刑務 所見学はもちろん、裁判所見学もしたことがない。(自分では行ったが……。)さらに大学を卒 業するまで、登記簿なる書類すら、現物を実際に見たことがない。明けても暮れても、分厚い 専門書を読んでいただけ。大学の教授にしても、そういうのが教育だと思い込んでいる。いわ んや、小中学校をや。 さて冒頭のスズメの話。スズメは子育ての一時期を除いて、集団行動をする。子スズメにして も、親スズメのそばを片時も離れない。そのときだ。モズが来ると、親スズメたちがけたたましく 鳴く。その声を聞いて、スズメたちは一斉に逃げる。こういう行動パターンを通して、スズメたち は親から子へと、「モズは危険だ」という知識を伝えていく。何でもないことのようだが、ここに教 育の原点がある。またその原点を踏みはずして、教育はない。教育は実用的であるべきだし、 実用的であることを恥ずる理由など、どこにもない。 アメリカの教科書B(教育の自由化) ●肩書き並列は地位利用 アメリカには教科書の検定制度はない。このことは前にも書いた。が、ほかにもいくつか、気 づく点がある。たとえば著者名はあるが、肩書きはない(写真@)。アメリカでは、それがどんな 本であるにせよ、肩書き(大学名と地位)を明記することは、法律によって禁じられている。「地 位利用」になるからである。が、この日本では、野放し。子ども向けの市販教材にも、「監修」と か「指導」とかいう名目で、大学の教授名が連ねてあることが多い。もちろん出版社のほしいの は、肩書き。その本を権威づけるために、そうする。しかし地位利用が、いかに不合理なもの であるかは、あなた自身のことで考えてみればわかる。仮にあなたが、Y楽器の社員だとしよ う。そのとき、あなたはY楽器の名前と肩書きを、自分の著書に書くことができるだろうか。書け ば書いたで、それはY楽器が承認した本ということになってしまう。Y楽器という会社がそれを許 すはずがない。 ●つまらない授業 次に教科書が自由化されていることもあるが、周辺教材がきわめて充実している。数学 (Prentice Hall版)にしても、補助教材はもとより、CDあり、コンピュータソフトあり、ビデオあり、 と(写真A)。もう一五年ほど前だが、私は「日本の中学の教師たちは、授業にどんなものをも ってくるか」を調査したことがある。その結果、こんなことがわかった。「大半の教師は教科書と チョーク箱だけ。たまに社会の教師が地図とか年表をもってくるとか、英語の先生がカセットプ レーヤーをもってくるとか、そういうことはある」「父母が参観する参観用の授業と、ふだんの授 業は、まったく違う」と。この話には余談がある。このことをNHKのテレビ座談会(NHK静岡)で 報告したら、その直後から猛烈な抗議の嵐が私を襲った。「貴様だって、教育でメシ、食ってる だろ」「勝手なことをぬかしオッテ!」と。しかし残念ながら、この状況は今に至るまで改善され ていない。もしアメリカあたりで、そんなつまらない授業をしていたら、PTAの圧力で、そういう 教師は、すぐクビが吹っ飛んでしまう。教科書を自由化するということは、それだけ民間の活力 が注入されることを意味する。が、ここで「自由化」というのには、もっと別の意味がある。 ●自由化は活力を生む アメリカでは、この数学も含めて、カリキュラムの組み方、学年ごとの時間数など、すべてそ れぞれの学校が独自に組めるようになっている。数学についても、どこから学ばなければなら ないということがない。要するに、三年間をかけて、全部を学べばよいことになっている。だか らばあいによっては、七学年(日本の中学一年)で、数学をすべて学ぶこともできるし、反対 に、七学年、八学年では別の教科を学習し、九学年(中学三年生)で、数学のすべてを学ぶこ ともできる。しかしこの日本では、北海道のハシから、沖縄のハシまで、一律、平等教育がなさ れている。幼稚園の遊具ですら、北海道のそれも、沖縄のそれも同じ。全国規模の業者が牛 耳っている。こういう利権を通して、一体いくらの裏金が、業者と関係者の間で動いていること やら? 日本人は明治の昔から、そういうのが教育だと思い込んでいるが、それこそまさに世 界の非常識。 昔から「教科書に書いてある」と言うだけで、まわりの者は、皆、黙った。教科書は権威の象 徴であり、またそれを批判したりするだけでも、反逆行為とみなされた。どこかの独裁国家なら いざ知らず、こういう姿勢は、もう二一世紀の日本の姿ではない。 アメリカの教科書C(敗北する日本) ●ゆらぐ日本の優位性 私は三二年前、コモドール社のペットというパソコンを買った。当時の値段は三四万円。わざ わざ東京の出版社が見にくるほど珍しいものだった。あのマイクロソフト社のビル・ゲーツも、 学生のとき、同じパソコンを使っていたという。それはともかくも、私のような素人でも、そのとき パソコン時代の到来を強く感じた。が、それから二〇年あまり。日本のIT(情報技術)革命は遅 れに遅れ、インターネットの普及率にしても、日本は世界の中でもおくれをとってしまった。(イ ンターネット普及率……アメリカ40%、ヨーロッパ各国20〜45%、台湾22%、日本、韓国2 1%、香港13%、2000年度郵政省通信白書ほか)。技術面でかろうじて優位を保っているの は、それ以前の余力があるからにほかならない。言いかえると、あのときもし日本が、今の世 界をもう少し正確に予測していたら、IBM社にせよマイコロソフト社にせよ、今の日本の敵では なかったはずだ。 ●おくれる日本の教育改革 ロンドン大学の森嶋名誉教授は次のように述べている。 「(日本の教育は)子どもの自主性を養う教育ではない。大学入試のために使い果たす教育 は、人間を創る教育ではない。今の日本の教育に一番欠けているのは、議論から学ぶ教育で ある。日本の教育は世界で一番、教えすぎの教育である。自分で考え、自分で判断する訓練 がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない自己判断のできる人間を育てなければ、 二〇五〇年の日本は本当にダメになる」(「コウとうけん」No16)と。 日本の経済界も同じようなことを述べている。(経済界が教育に口を出すということに、必ず しも賛成しているわけではないが……。)いわく、 「教える教育から、学ぶ教育へ……日本の社会風土や教育制度が、親や子どもの間での横 並び意識を作り出し、多様な個性や自由な発送の芽を摘み取っている」(経済同友会、九九) と。 これを受けた形で、関西経済連合会は、大学改革について九つの提案をしている。その一つ に、「個々の大学が自己責任を基本として、自由な創意によって個性的で特徴ある教育ができ るように……」(同提言、(3))というのがある。ほかに、社会経済生産性本部も、「教育改革に 関する報告書」(九九年七月)を発表している。その中ではさらに具体的に、「学生定員を廃止 して、入試をなくそう……キックアウト制を採用して、大学自らの水準を定め、教育の目標をか かげ、カリキュラムの公開をして、受験生に大学を選ばせる……、たとえ入学しても、進級、卒 業できなければ、学生は損をするから、入学を希望しないだろう」と述べている。 ●違いは一目りょう然 その違いがわかるのが、アメリカの教科書である。今回はもう、何もコメントをつけない。つけ ないから、読者自身の目で、日本の教科書とどこがどう違うかを判断してみてほしい(写真 @)。注目してほしい点は、アメリカの教科書では、「今、学んでいることが、それぞれの分野 で、どのように役立つか」を明記している点である。たとえばある項目では、「建築現場では」 「料理では」「スポーツでは」「車の運転では」と、具体的にその応用のしかたを子どもたちに説 明している。あわせて現在、中学一年で使われている日本の教科書を並べておいた(写真 A)。 教育改革は、二〇年未来を見ながら進めなければならない。しかし日本の教育改革は、欧 米のそれより三〇年は遅れた。文部省は二〇〇二年から、「教育のビッグバンが始まる」とさ かんに宣伝しているが、その改革が成果を結ぶまでに、さらに二〇年はかかる。教育改革に は、改革をどう進めるべきかという問題に合わせて、いかにしてこの「遅れ」を取り戻すかという 問題も含まれる。 アメリカの教科書D(学力テスト) ●どれだけ考えるか? 学力テストで、子どもの何を試すか。その視点が、日本とアメリカでは、大きく違う。概して言 えば、日本では、「どれだけまじめに(?)勉強をしたか」を試す。アメリカでは、「どれだけ考え ることができるか」を試す。双方の学力テストを比較してみると、そんな姿勢の違いが浮かびあ がってくる。ここに紹介するのは、アーカンソー州(アメリカ中南部の州)で実施された学力テス トである。レベルは、中学二年の学年末テスト(二〇〇〇年四月実施)。 【3】この立体図(見取り図)を上から見ると、どんなふうに見えるか。下のA、B、C、Dの中から 選べ。 【6】ピザのレストランが、どんなトッピング(食材)が好まれるか、調べることにした。この調査に 一番ふさわしいグラフはどれか。下のA、B、C、Dの中から選べ。 【14】はかり(てんびん)の上に、三角すいと、立方体が図のようにのっている。立方体一個が 8キログラムだとするなら、三角すい一個は、何キログラムか。下のA、B、C、Dの中から選 べ。 【22】パターンが並んでいる。この次にくるパターンは、どれか。下のA、B、C、Dの中から選 べ。 【33】ある冬の日。夜明けに気温は、12度Fだった。午前中に17度F気温はさがり、午後の中 ごろには9度Fあがった。日没までにそれから5度Fさがった。日没のころの気温は何度か。下 のA、B、C、Dの中から選べ。 【40】(最終問題)音楽の先生は、今度のコンサートの入場者数は、昨年の325人より、8分 の1ほど、ふえると予測している。そのコンサートにくる人は、どれくらいになるか。下のA、B、 C、Dの中から選べ。 ●テストは人間選別の手段? 簡単といえば、簡単。すなおといえば、すなお。しかも全体に知能テスト風な問題が多い。問 題をひねって、子どもをひっかけようという意図が、どこにも感じられない。それもそのはず。日 本では、「皆が100点だと困る。差がつかないから。皆が0点だともっと困る。差がわからない から」が、テストの基本になっている。しかしアメリカのテストは、日本でいえば、運転免許を取 るための筆記試験のようなもの。「ある一定の学力レベルに達すれば、それでよし」とみる。で は、なぜこういう違いが生まれたかだが、それは言うまでもなく、日本では、教育が、明治の昔 から、人間選別の手段として使われているからにほかならない。つまり当時の政府は、教育を 通して、江戸時代の身分制度を温存しようと考えた。その結果が今に見る学歴制度であり、そ れを支える受験制度ということになる。時の政府は、いわゆる「学校出」を徹底的に優遇する 一方、そうでない人々を、「もの言わぬ従順な民」にして、下層階級に置いた。日本独特の立志 主義や出世主義はこういう背景から生まれた。 アメリカの教科書(数学)の表紙には、こう書いてある。「数学、世界を変える道具」と。日本な らさしずめ、こう書くに違いない。「数学、あなたが出世するための手段」と。こういう勉強を、人 間の成長のために必要不可欠な知識と思いこまされ、日夜苦しんでいる日本の子どもたち が、あわれでならない。 アメリカの教科書E(学力のレベル) ●セサミ・ストリート方式 アメリカの教科書は、全体としてみると、いわゆる「セサミ・ストリート方式」になっているのが わかる。どの項目からも学習できるようになっていて、前後の相関関係はほとんど、ない。だか らどこか一か所でつまずいたとしても、以後、数学なら数学がわからなくなるということはない。 しかし日本の教科書は、「積み重ね方式」になっている。たとえば中学三年生の教科書(教育 出版版)は、次のようになっている。(式の展開)→(因数分解)→(平方根)→(二次方程式)→ (二次方程式の応用)→(二次関数)……と。 この方式は、子どもたちに一定の知識を植えつけるには、合理的かつ効率的である。し かしその過程で、一か所でもつまずくと、それ以後、数学がまったくわからなくなるという欠陥も ある。事実、どこかでつまずいてしまい、数学がわからなくなるという子どもはいくらでもいる。 ひょっとしたら、あなた自身がそうであったかもしれない。もっともこの方式は、人間を選別する 方法としては、すぐれている。子どもたちはその過程で、どんどんふるい落とされていく! 最 後まで生き残った(?)子どもが、成功者(?)というわけである。 ●学力のレベル 問題は、そのレベルだが、日本のそれと比較しても、低い。このことは、アメリカの教育省が こんな興味ある学力比較をしている(図表@―95年から96年にかけて、全世界41カ国、30 言語でなされた共通の学力テスト(第三次国際数学と科学の学力調査……TIMSS)。これに よれば、「世界のトップ、10%以内に入る子どもたちの率」は次のようになっている(第8学年、 中学二年生)。 数学 アメリカ……5%(小学四年では、9%) シンガポール……45%(小学4年では、39%) 日本……32%(小学4年では、23%) 科学 アメリカ……13%(小学4年では、16%) シンガポール……31%(小学4年では、11%) 日本……18%(小学4年では、11%) わかりやすく言えば、世界の上位10%に入る子どもは、アメリカでは、20人に1人。日本で は3人に1人(数学)ということになる。ただしここには、大きな落とし穴がある。アメリカでは、日 本と比較しても、科目数そのものが多い。日本でいう美術にしても、絵画、演劇(ドラマ)、音楽 とそれぞれぞれ独立した科目になっているし、宗教やコンピュータも独立した科目になってい る。数学にかける時間数そのものが、少ない。実際には、単位制を導入しているため、単純に は比較できない(このシリーズBで紹介。中学3年間をかけて、所定の学習をすませばよいこ とになっている)。そんなわけで、レベルを単純には比較できないが、あえて比較してみると、お おむね次のようになる(図表A)。 ●アメリカ合衆国教育省の結論 このTIMSSの結果をふまえて、アメリカ合衆国教育省は、次のように結論づけている。「アメ リカの子どもは、地球科学、生命科学、環境科学、幾何学、方程式、数のセンス、資料の整理 と分析、確率の分野ですぐれている。他方、化学、物理、地理学、測定の分野で、おくれてい る」(前述「アメリカ合衆国教育省報告」)と。 図表@ 図表A 比較 アメリカの中学1年レベルの教科書に出てくる内容を、順に、日本のそれと比較してみた。 アメリカの教科書(中学1年) 日本の教科書では(2000年度) 321x 54の掛け算 小学3年レベル 1234+5678の足し算 小学2年レベル (17−10)−7の計算 小学4年レベル 小数 小学4年レベル 小数の足し算、引き算 小学4年レベル 7.6 ÷1.5の計算 小学5年レベル 3.5x5.6の計算 小学5年レベル 正負の数の計算 中学1年レベル 棒グラフ 小学3年レベル 平均値 小学5年レベル 三角形の角度 小学4年レベル 座標 中学1年レベル 最大公約数、最小公倍数 小学5年レベル 分数の計算(積と商) 小学6年レベル 単位(cm→mm) 小学3年レベルほか。 アメリカの教科書F(応用数学) ●中古車を買う? 中古車の選び方。中古車の値段のつけかた。売買契約の仕方。販売税の計算。車の登録。 ローンの組み方。金利計算。保険の入り方。維持費の計算。ガソリン代の計算。……中古車 を買って乗るまでに、そこには無数の「数学」が介在する。 日本の中学校では、数学を、代数と幾何学の二つに大きく分類している。わかりやすく言え ば、「数」と「図形」の学習ということになる。一方、アメリカでは、こういう分類そのものが希薄、 ……というより、そういう視点では、分類できない。分けるとしたら、基礎数学と応用数学という ことになる。第八学年(日本の中学二年)で使う「応用数学」(Mathematics Connections)の冒 頭は、その中古車の買い方で始まる。さらにそれぞれの項目が、すべて現実の生活に視点を 置いているのが興味深い。たとえば52ページでは、「小切手の使い方」を具体的に示しなが ら、それに数学(小数の計算)の学習をからめている(写真@)。目的は小数の足し算、引き算 だが、それにとどまらない。次のように子どもたちに問いかけている。 「理解力をチェックしよう。 1.金額の数字はどうしてドルの記号に近接して書くのか。(答……数字が誰かによって書き改 められないようにするため。) 2.どうして小切手の金額を示す文字は、できるだけ左側に寄せられて書くのか。(答……誰か によって、文字が書き改められないようにするため。) 3.文字で金額を書き込むとき、小数点の代わりに、どんな言葉を書くことになっているか。(答 ……and)」 さらに74ページでは、クレジット計算について学習する。左上の、「学習の目的」には、こうあ る。「ローンで買うばあいの、支払いを電卓で計算しよう」と(写真A)。そして本文はこうつなげ る。 「D氏は、ビデオカメラをクレジットで買うことにした。初回に200ドル払ったあっと、24か月、毎 月50ドル50セントずつ払うことにした」と。写真Aの中段以下は、具体的にその計算方法を 示している。 ●何のための教育か? ……何のために子どもたちは学校へ行くのか。そして子どもたちは何を学ぶのか。いや、そ の前に子どもたちは、何を学びたがっているのか。もし学校が、子どもたちの学びたいものを 提示したら、子どもたちの学習態度も大きく変わるに違いない。東京都の公立高校で教壇に立 っている、K教師はこう話してくれた。「生徒たちは授業中、勉強などしていない。皆、自動車の 運転教習本を読んでいる」と。中には、運動場でバイクに乗っている学生もいるそうだ。だった ら、なぜ、高校で、運転免許を得るための勉強をしない。教えない。もし運転免許の勉強が学 校でできれば、皆、喜んで勉強するはずだ。親の負担も軽くてすむ。今、自動車学校へ通うだ けで、学生コースで、約30万円(浜松市H自動車学校調べ)もかかる。ちなみにアメリカの都市 部の高校では、自動車免許を取得するための指導もしている。自動車学校やその利権にむら がる関係者にとっては、賛成しがたいことかもしれないが、もともと教育というのはそういうもの ではないのか。三角関数の微分よりは、ずっと役に立つ。 アメリカの教科書G(方程式) ●あの方程式! 「サリーは、いつもの値段から一枚につき3ドルを引いてもらい、ポスターを2枚買って、8ドル 払った。ポスター一枚のいつもの値段は、いくらか」と。 (写真@)を見てほしい。赤、緑、黄色の見慣れないタイルが並んでいるのがわかる。これがア メリカ流、方程式の解き方である。赤は、(マイナスの数)。黄色は、(プラスの数)。緑は、(未 知数)と思えばよい。これらのタイルを使って、「 」の問題の解き方を説明しているが、興味の ある人は、じっくりと見てほしい。 実際には、黄色いタイルの裏側は赤色になっている。子どもは、タイルを左から右へ動かす とき(あるいは反対のときも)、タイルをひっくり返す。たとえば左にある黄色い四角(+)は、右 へ移動するときには、それをひっくり返して赤い四角(−)になる。そして左右のバランスを合わ せながら、方程式の解き方を学ぶ。日本でもこの方式で教えている先生がふえている。 で、方程式と聞いただけで、頭が痛くなる人は多い。それもそのはず。この日本では、ひとた び方程式を学ぶと、それは限りなく難しくなっていく。ちなみに日本の教科書では、方程式の最 後の計算問題はこうなっている(教育出版版「中学数学」一年、174ページ)。 ( になるようにするには、 の値をいくつにすればよいか。) ●難しい問題より応用 一方、アメリカの教科書では、最初から最後まで、 レベルの問題しか、ない。またこの程度 の問題が解ければよしとする。そしてそのレベルを基本に、すぐ応用へと入っていく。続く127 ページにはこうある(写真A)。 「地理の分野では……コロラド州は、ほぼ長方形の形をしている。縦は横より、約100マイル 長い。周りの長さが1320マイルのとき、縦と横の長さを求めよ。 地学の分野では……右のような台形がある。面積が98 のとき、 の長さを求めてみよう。 スポーツの分野では……野球チームが、405ドルで、15本のバットを買った。アルミ製は一 本、25ドル。木製は30ドルだった。それぞれ何本ずつ買ったか。 ビジネスの分野では……ある会社が1万ドルで、コピー機を買った。n年後のコピー機の価 値は、 で計算される。コピー機の価値が、6500ドルになるのは、何年後か、など」 わかりやすく言えば、問題をどんどん複雑かつ難しくしていく日本。問題は簡単なまま、どん どん応用範囲を広げていくアメリカ。そして結果として、実生活からどんどんと離れていく日本。 実生活にどんどん近づいていくアメリカ。日本では、より複雑かつ難しい問題が解ける子ども を、優秀な子どもと評価する。アメリカでは、応用力のある子どもを優秀な子どもと評価する。 この項の最後には、こうある。「実際の生活で、この方程式はどのように応用できるか、それを 調べてみよう」と。そう言えば、私など、学生時代、この方程式に限らず、そういうことを数学の 先生から問われたことは、ただの一度もない。多分、みなさんもそうだと思う。だから方程式と 聞いただけで、いまだにぞっとする。これを日本の教育の欠陥と言わずして、何と言う。 アメリカの教科書H(テスト) ●テスト問題 もちろんアメリカの中学校でも、テストはある。教師用の指導書の中には、こんなテスト問題 が紹介されている(写真@)。テーマは、小数の掛け算と割り算。写真の赤字部分は、教科書 会社が書き込んだ解答例。 協同作業で答えよう サンチェス家の子どもたちが、30回目の結婚記念日のプレゼントとして、両親に旅行をプレ ゼントすることになった。下のような二つの旅行パッケージプランを手に入れ、どちらにしようか と考えている。 ブリス海岸海の前の宿で、2名で1組1名あたり525ドル往復旅費含む4泊5日車のレンタル ……1日18・95ドルセール遊び、スノーケル、魚釣りヘブン山荘山の景色の宿屋で、2名で1 組1名あたり395ドル往復旅費含む3泊4日車のレンタル……1日23・95ドル水泳、ゴルフ、 テニス あなたのグループで相談して答えよ。 (1)パッケージ旅行の利点と不利益点を討論せよ。 (2)これら二つのプランの似ている点と、異なっている点はどこか。 (3)車を借りた場合と、そうでない場合、一日一人当たり、これらのパッケージ旅行はいくらに なるか。 (4)サンチェス家には4人の子どもがいて、皆で平等に旅行費用を負担することにした。車の レンタル費用も含めて、それぞれのプランでは、いくらずつ払えばよいか。 (5)車のレンタル費用も含めて、安くあげようと思うなら、どちらのプランを選ぶべきか。 (6)休暇を過ごすことについて、サンチェス家の子どもたちは、ほかにどんな要素を念頭に置く べきか。 (7)あなたの家族の誰かのための旅行を計画してみよう。新聞の広告記事を使ったり、近くの 旅行者で資料を集めてみよう。パッケージ旅行を選ぶに当たって、どんな要素を考えなければ ならないか、それを調べてみよう。旅行を一つ選び、どうしてそれを選んだか、説明してみよう。 ●教育改革は、私たち父母の手で 一見小数の掛け算、割り算の問題とは関係がないように見える。しかしこれは立派な小数の 掛け算と割り算の問題である。子どもたちは、両親のプレゼントをテーマにしながら、その中で 小数の掛け算と割り算をする。心憎いばかりの問題である。私には子どもたちがワイワイと楽 しそうに話し合っている様が、目に浮かんでくる。……まあ、それはさておき、こういう問題を見 ると、数学とは何か、そこまで考えさせられる。またどうあるべきかも考えさせられる。私の場 合、「日本の数学教育は一体、何をしているのか」と、そこまで考えさせられる。言うまでもなく、 私という地方の研究者がこういう情報を握っているくらいだから、文部省の技官あたりは、皆、 知っているはずである。にもかかわらず、改革が遅々として進まないのは、なぜか。いや、文 部省がやらないなら、私たち父母が、皆で力を合わせて日本の教育改革をするしかない。 アメリカの教科書I(日米比較) ●TIMSSの報告書 「第三次国際数学と科学研究(TIMSS)」(全世界41か国、50万人の児童を対象にした学力 比較調査、アメリカ合衆国教育省)は、次のように報告している(同、報告書33P以下)(写真 @)。(詳しくは、E-mail:timess@ed.gov) 【カリキュラムについて】 ☆合衆国では、ほとんどの国が7学年(中1)で教えていることを、8学年(中2)で教えている。 合衆国の8学年における数学の内容は、ドイツや日本と比較すると、より低いレベルの思考を 必要としているにすぎない。8学年における合衆国のゴール(目標)は、生徒たちに、「いかに 何かをする」を教えることにある。一方日本の教師たちのゴールは、数学的な概念を生徒たち が理解できるようにすることにある。 ☆日本とドイツの8学年の数学カリキュラムは、代数と幾何学に重点を置いている。一方合衆 国のカリキュラムは、まだかなりの部分で、「算数」を含んでいる。 ☆合衆国のカリキュラムは、ローカル(地方単位=学校単位)で決められているが、ほかのほ とんどの国では、国単位の規模で決められている。 【教師の生活について】 ☆合衆国の教師と違い、日本やドイツの教師たちは、専門分野において、計画性のある長期 の見習い期間をもっている。 ☆日本の教師たちは、合衆国の教師よりも、教育関連の問題について討論する機会を得てい る。 ☆合衆国の教師たちは、他の二、三の国を除いて、どの国よりも、より多くの大学教育を受け ている。 【生徒の生活について】 ☆生徒の能力に応じて、生徒たちは、合衆国、およびドイツの学校では、異なったクラスに分 けられている。一方、日本では、能力差によるグループ分けはされていない。 ☆合衆国では能力が高い子どもは、違った教材で授業を受けている。日本では、皆、同じ教材 を使って授業を受けている。ドイツでは、能力が劣った子どもについては、より浅い学習ですま している。 ☆日本の8学年生は、高校へ入学するために、高度な試験の準備をしなければならない。 ●結論 アメリカ合衆国教育省の報告を見る限り、これはどこの国の官僚もそうなのだが、自分たち の権限の拡充をもくろんでいるのがわかる。報告書の前書きは、こうなっている。「一九八九年 にブッシュ大統領は、我々は二〇〇〇年までに、数学と科学の分野で、世界一をめざすと宣 言した。八学年児をみる限り、この目標は達成できなかったが、カナダ、英国、ドイツなど、他 の工業国にはひけをとらないレベルにまでなった。結果、世界のトップテン(上位10%)に、数 学の分野では五%の子どもが、科学の分野では、一三%の子どもが含まれるようになった」 と。「教育は教育省がしているのだ」という自負心が見られる。 もちろん日本の文部省とアメリカの教育省とを、単純に比較することはできない。制度そのも のも違う。「学校」にしても、アメリカでは、そこらの人が塾を作るような気軽さで作られている。 またアメリカでは、PTAの権限は絶大で、教師の選択権や拒否権すらもっている。多少手続き は複雑だが、解雇することもできる。PTAが独自に教師を採用することもある。この日本ではP TAは、いわば学校のちょうちん持ちのような活動しかできない。……していない。「教育」といっ ても、そこにはその国の歴史、文化、制度の違いなどがすべて集約されている。TIMSSの報 告書を読むときは、そういう視点も忘れてはならない。 |