はやし浩司

家族主義
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家族主義について

この原稿は、K大学学生新聞に連載されたものです。

家族主義(1)【ああ立派な社会人】

家族主義
 「立派な社会人になれ」「社会で役立つ人になれ」。これが日本の教育の柱になってい
る。卒業式でも、そう言われた人は多いと思う。しかし欧米では、そうは言わない。「よき
家庭人になれ」とか、「よい家庭を築け」とか言う。英語では、「ビ・ア・グッド・ファミリィ・マ
ン」という。フランスでもそう言う。ドイツでもそう言う。日本の出世主義に対して、欧米の
それを私は勝手に、家族主義と呼んでいるが、もちろん彼らにそういう主義があるわけ
ではない。それが彼らの常識なのだ。
単身赴任
 今からもう三〇年も前のこと。私がオーストラリアのメルボルン大学で学んでいたとき
のこと。当時すでに日本の単身赴任は、有名だった。当時は「短期出張」と言っていたと
思う。その短期出張、単身赴任が前提だった。それについてオーストラリア人の友人が、
こう言った。「家族をバラバラにされて、何が仕事か」と。「日本人は何のために、仕事を
するのか」と言った友人もいた。オーストラリアでは、もし夫が単身赴任を命じられたら、
それだけで裁判沙汰になる。あるいは夫は、さっさと会社をやめる。実際には、単身赴
任など、ありえない。こんなことがあった。
 ある日、研究室でお茶を飲んでいると、一人の友人がこう言った。「今度、ABC放送に
就職が決まった」と。ABC放送というのは、日本のNHKに相当する。そこで私が「おめ
でとう」と言うと、反対に質問されてしまった。「なぜ、君はおめでとうと言うのか」と。そこ
で私が「だって、ABC放送だろ」と言うと、「ABC放送だからといって、それがどうした」
と。彼らには、日本人がもっているような大企業崇拝意識はない。まったく、ない。ないも
のはないのであって、どうしようもない。
夫婦同伴
 欧米では、家族が生活の基盤であり、生活の中心になっている。が、この日本では、
仕事のために、家族が犠牲になる。またなって当然というような考え方をする。よい例
が、あの「釣りバカ日誌」である。あの映画の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに
行く。それはそれだが、ああいうことは欧米では考えられない。夫婦同伴が原則だ。アメ
リカで、もし夫が、夫だけで休日を過ごしたり、休暇にでかけたら、即、離婚事由になる。
夫同士が魚釣りに行けば、ホモセクシュアリストと誤解される。最近の事情について、イ
ンターネットで問い合わせてみたら、オーストラリアの友人(モナーシュ大学の司書)は、
こう教えてくれた。
 「夫が同僚を飲み食い(パーティ)をするときは、妻を同伴する。ただし年配の夫婦の場
合は、妻側がめんどうがって、パーティに来ないことが多い。若い夫婦の場合は、ほぼ
一〇〇%、妻が同伴する。妻が仕事をもっていて、妻がその同僚とパーティをするとき
は、年齢に関係なく、一〇〇%、夫が同伴する」と。



家族主義(2)【外交官はブタ】

つくられる職業観
 ある日、オーストラリア人の友人の部屋で雑誌を読んでいると、そこに一通の手紙があ
るのを知った。許可をもらって読むと、それにはこうあった。「君を外交官にしたいから、
ついては○月○日、外務省まで面接に来るように」と。私はすっとんきょうな声をあげて、
思わず、「すごいことだ!」と叫んでしまった。が、その友人は何を思ったか、その手紙を
くるくると丸めると、ごみ箱へ捨ててしまった。私が驚いていると、一言、「ブタの仕事だ」
と。外交官を「ブタの仕事だ」というのだ。そしてこう言った。「アメリカやイギリスなら行き
たいが、九九%の国はいやだ」と。考えてみれば、あの国は、移民国家。外国へ出ると
いう意識が、日本人のそれとまったく違う。しかも日本人のような官僚主義は、みじんも
ない。外交官といっても、外国に駐在する公務員といったようなとらえかたをする。同じこ
ろ、こんなこともあった。
 フィリッピンの学生が私のところにやってきて、「君は、日本へ帰ったら、ジャパニーズ
アーミィ(軍隊)に入るのか」と。当時フィリッピンは、マルコス政権下。軍人になることイ
コール、エリートを意味していた。そこで私が「今は、日本の軍隊はあまり人気がない」と
言うと、「イソロクの伝統ある軍隊になぜ入らないのか」と、やんやの非難。イソロクとい
うのは、山本五十六のこと。アジアの国々では、山本五十六だけは、「白人と対等に戦っ
た最初のアジア人」ということで、英雄になっていた。そして私の番。
 私はことあるごとに、「日本へ帰ったら、ミツイ・アンド・カンパニー(三井物産)に入社す
ることになっている」と、自慢していた。が、ある日、一番仲のよかったオーストラリア人
の友人が来て、私にこう言った。「ヒロシ、もうそんなこと言うのはよせ。ここオーストラリ
アでは、日本のビジネスマン(商社マン)は、軽蔑されている」と。彼ははっきりと、「軽
蔑」という言葉を使った。私はこの一言に、大きな衝撃を受けた。
七〇年代の日本
 七〇年代の日本は、まさに高度成長期の真っただ中。私たちも、大学四年生になり、
就職活動を始めると、それが正しい道だと信じて、銀行マンや商社マンの職を選んだ。し
かしそれとて、国策としてつくられた職業観だった。それはちょうど戦前の日本人が、従
順でもの言わぬ国民として育てられ、戦場へと駆り出されていったのに、似ている。似て
いるというより、同じといったほうがよいかもしれない。私も商社マンになることに、何も
疑いをもたなかった。三井物産と伊藤忠商事の二つの商社から内定をもらったときも、
大きいほうがベターと、三井物産を選んだ。
 教育には、「教えようとして教える部分」と、「教えずして教える部分」の二つがある。問
題は、後者だ。日本で教育を受けていると、知らず知らずのうちに、学生は大企業優
先、都会優先、金儲け優先の職業観を植えつけられる。いつの間にか、そうなる。私は
それを、日本を離れたオーストラリアでは、思い知らされた。


家族主義(3)【喜んで落第】

アメリカの大学生
 アメリカでは、大学へ入学後、学部の変更が自由にできる。自由というより、日本でい
うような学部の概念そのものがない。学生は、将来、どの学位をめざすかによって、自分
が受ける講座を決める。これをメジャーという。たとえば法学士をめざす学生は、法学士
になるために必要な講座を、一講座ごとに申し込む。こういうことが自由にできるから、
法学士をめざしながら、コンピュータの講座を受けたり、生物学の講座を受けたりするこ
とができる。あるいはメジャーそのものを変更することもできる。途中で物理学に興味が
移ったとする。そういうときは、物理学の学位を得るための講座に切り替える。こうして
四年間で、三回メジャーを買えた学生がいる。六年間で、八回もメジャーを変えた学生
がいる。法学部へ入学したから、法学部で卒業しなければならないということは、ない。
しかも、だ。入学後、ほかの大学への転籍が自由。公立、私立の区別はない。たとえば
日本でいえば、早稲田大学の学生が、二年間勉強したあと、静岡大学へ転籍するような
ことができる。さらに驚いてはいけないのは、そういう転籍が、即日に、かつめんどうな手
続きや、入学金などの諸費用なしにできる。転籍先の大学が、転籍前の大学の単位を
認めてくれれば、それでよい。まだある。外国へ留学した場合、留学先で得た単位を、母
校で生かすこともできる。
 もうおわかりかと思う。アメリカでは、そしてオーストラリアでも、そしてたいていの欧米
の国々では、大学名というブランドには、ほとんど意味がない。ただ最終的に、どこの大
学で学位(BA)を認められるか、あるいは修士号(MD)や博士号(PhD)を認められる
かは、重要である。そういうことはあるが、彼らは大学教育を、日本人とはまったく違った
とらえ方をしている。彼らはその道のプロになるために、大学で教育を受ける。
こうした違いは、生きざまにも大きな影響を与える。日本人は、「何をしているか」と聞か
れると、たいてい会社名を言う。「○○銀行です」と。しかし欧米人は、「銀行の融資係で
す」と、今していることを言う。会社名など、めったに言わない。 
能率主義と能力主義
 日本の教育は、明治以来、選別主義が基本にある。国家があらかじめ、「望ましい人
間像」を想定し、その人間像に合わせた教育をする。そういう意味で、能率主義というこ
とになる。一方、欧米では、あくまでも能力主義。たとえば小学校や中学校で、学校の教
師が親に、「あなたの子どもは、成績がよくありません。一年、落第させます」と言うと、
向こうの親は、喜んでそれに従う。「喜んで」だ。これはウソでも誇張でもない。事実だ。
自分の息子や娘の成績が悪かったりすると、親のほうから、落第を頼みにいくケースも
珍しくない。が、この日本ではそうではない。子どもが不登校を起こしただけで、親は半
狂乱になる。長い間の制度の違いが、国民の意識にまで大きな影響を与えている。が、
それだけではない。今、日本の制度そのものが疲弊し、世界に通用しなくなってきてい
る。


家族主義(4)【日本の身分制度】

日本の身分制度
 インドのカースト制度を笑う人も、日本の学歴制度は笑わない。隣の人のカルト信仰を
笑う人も、自分たちの学校神話は笑わない。その中にどっぷりとつかっていると、自分の
姿が見えなくなる。
 明治政府は、それまでの士農工商の身分制度にかえて、学歴制度をおいた。最初か
らそういう意図があったかどうかは、知らないが、結果としてそうなった。東京大学の学
生の七五%が、士族の出身であったことからも、それがわかる(明治一一年)。そしてそ
の上で、明治政府は、いわゆる「学校出」と、そうでない人を徹底的に差別した。当時、
代用教員の月給が、四円。学校出の教師の月給が、一五〜三〇円。県令(現在の県知
事)の月給が、二五〇円(明治一〇年)。一円五〇銭もあれば、ふつうの人がふつうの
生活ができたという時代に、である。こうして今に見る学歴制度ができたが、その中心に
すわっていたのが、官僚たちによる官僚制度である。県令にしても、ほとんどが自治省
から天下りした官僚が、その職についた。今でも、副知事レベルは、中央からの官僚が
その職につくことが多い。
もの言わぬ従順な民
 学校出と言われるエリートを作り出す一方、大半の庶民は、「もの言わぬ従順な民」へ
と育成されていった。実際には、これらの人たちは尋常小学校を出るだけが精一杯。教
科書すら満足に買うことができなかった。こうした一般庶民は、徹底的に「あきらめ」を植
えつけられていった。「少しぐらいがんばっても、ダメだ」「どうせ、私たちは頭が悪いか
ら」と。結果的にこういう人たちが、やがて戦場へと駆り出されていったわけだが、同時
にそれが出世主義をはぐくむ土壌となっていった。
日本人の権力志向
 権力に虐(しいた)げられた者は、一時的にはそれに反発する。しかしそれが長く続く
と、その権力そのものにあこがれを抱くようになる。よい例が、あの水戸黄門だ。水戸黄
門の側近が、「この三つ葉葵の紋章が目に入らぬか。控えおろう!」と一喝すると、周囲
の者が、皆、「ははあ」と言って、頭をさげる。今でもあの番組は、二〇〜二五%の視聴
率を稼いでいる。つまり日本人はそういう番組を「痛快だ」と思い、思いながら、権威や
権力の存在を無意識のうちに肯定する。わかりやすく言えば、上下意識だ。身分意識と
いってもよい。タクシー運転手を「雲助」と言った裁判官がいたが(九九年一〇月)、そう
いう差別意識は、いまだにある。そしてそれが、日本の学歴制度の基盤となっている。
 悲しいかな、日本の歴史の中には、この権力と闘った人がいない。いるにはいたが、
不発花火のように、歴史の中に埋もれてしまった。一方、欧米では、フランス革命以来、
あるいはそれ以前から、権力と闘うことが、そのまま歴史になっている。だからオースト
ラリア人の友人の一人は、水戸黄門についてこう言った。「もし水戸黄門が悪人だった
ら、どうするのか。君たちはそれでも、水戸黄門に頭をさげるのか」と。


家族主義(5)【日本の教育】

勉強だけ
 浜松市内でも一番と言われているA進学高校。その高校では、上位一〇%の子ども
は、本当に頭がよい(?)。先生が、「たまには悪い点を取ってみろよ」というぐらい、頭
がよい。しかしそういう学生でも、何か目的をもって勉強しているかといえば、そういうこ
とはない。ただ勉強ができるだけ。勉強しかしない。勉強しかできない。こういう子ども
が、スイスイと一流大学(?)へ進学していく。しかし問題がある。東大で副総長(総長特
別補佐)をしたこともあるT教授が、こっそりとこう教えてくれた。「東大へ入ってくる学生
のうち、三分の一は、頭がおかしい」と。中には化学の実験中に、フラスコを突然割って
しまうのもいるそうだ。
 こうした学生の問題は、それで終わらない。そのT教授は、こんなことも話してくれた。T
教授が何かの研究テーマを与えたときのこと。その学生はこう言ったという。「正解があ
るのですか。正解のないような問題を与えないでください」と。つまりこのタイプの学生
は、いつも正解だけを求めて勉強してきた。そういうクセが、大学へ入ってからも消えな
かったというのだ。そのT教授は、ある雑誌の中で、こう書いている。「日本の教育は、一
部のエリート(?)を生み出す一方、もっと多くの若い人の伸びる目を摘んでいる」と。
日本の教育
 日本の教育が世界でも、最高水準にあると思うのは勝手だが、実態は、お粗末。TOE
FL(国際英語検定試験)でも、日本人の成績は、一六五カ国中、一五〇位。アジアで日
本より成績が悪い国は、モンゴルぐらい。「北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)
だそうだ。ノーベル賞の受賞者にしても、今、現役で活躍している受賞者は、数えるほど
しかいない。しかしアメリカには、二五〇人もいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い。T教
授はこう言った。「化学の分野には、一〇〇〇近い分析方法が確立されているが、基本
的に日本人が考えたものは、一つもない」と。日本の銀行は、政府の手厚い保護政策で
守られた護送船団方式で、国際競争力をなくした。しかし日本の教育は、その比ではな
い。「丸がかえ」方式。教師たちは、まさに権利の王国の中で、あぐらをかいている。かき
過ぎてしまった。たとえばオーストラリアでは、中学一年レベルで、外国語にしても、中国
語、フランス語、ドイツ語、インドネシア語、それに日本語の五教科の中から、一つ選択
できる(グラマースクール)。コンピュータにしても、もう一〇年以上も前から、小学三年
から教えている(南オーストラリア州)。
 オーストラリア人の友人と、こんな会話をしたことがある。私が「日本では大学への進
学率の高い学校が、よい学校ということになっている」と言うと、その友人は、バカげてい
ると言って笑った。オーストラリアでは、子どもの特性に合わせて、きめこまかくカリキュ
ラムを組んでくれる学校が、よい学校ということになっている。「木工の得意な子どもは、
毎日木工ができるように」と。それが今、世界の常識なのだが・・・・。


家族主義(6)【人間選別機関】

選別主義
 かくも日本の教育をゆがめてしまったのが、世界に名だたる選別主義である。日本の
教育の柱は、「皆が一〇〇点だと困る。差がわからないから。しかし皆が〇点だともっと
困る。差がつかないから」だ。もし仮に、オーストラリアのように、外国語だけでも五教科
もあったりすると、日本の入試制度は大混乱するに違いない。つまり日本の教育は、人
間の選別を目的として、組み立てられている。もし、そうでないというのなら、なぜ中学一
年で一次方程式を学び、三年で二次方程式を学ぶのか。また学ばねばならないのか。
それを説明できる人はいるだろうか。オーストラリアでは、中学一年レベルで、二ケタか
ける二ケタの計算をしている。日本では小学三年でそれをする。仮に二次方程式が基礎
学力(?)としてどうしても必要だというのならば、高校三年で学んでもおかしくない。私な
ど、文科系の学部を出たこともあるが、社会人になってこの方、三〇年間で、ただの一
度も、二次方程式はおろか、一次方程すら日常生活で使ったことがない。いわんや積分
をや。いわんや三角関数の微分をや。
教育のご都合主義
 私は二〇代の後半から、四〇代の半ばまで、教材づくりを職業としてきた。学研の「ま
なぶくん・幼児教室」、世界初のバーコード学習ブック「TOM」などを手がけてきた。著書
も三〇冊以上になり、うち四冊は中国でも翻訳出版されている。それはそれとして、この
教材の世界では、「平均点が六〇点になる問題はよい問題」とされる。上位一〇%と下
位一〇%は、切り捨てる。中の八〇%の子どもの平均点が、六〇点になればよい、と。
しかしこれは、日本の教育の原点でもある。仮に子どもたちが勉強をして、平均点があ
がれば、その分だけ、問題が難しくなるだけ。現に今、学力が低下したことが理由(?)
で、学校で学ぶ学習量が約三〇%減らされようとしている。つまり教育というのも、文部
省のご都合によって、自由に増減されている。そしてその理由はと言えば、結局は、教
育が人間を選別するための道具になっているからである。
教育行政の規制緩和
 文部省の外郭団体だけでも、全国に一七〇〇団体以上ある。この数は、全省庁の中
でも、ダントツに多い。これらは文部官僚のいわゆる天下り先として機能している。文部
省だけではない。全国津々浦々、市町村の「町」レベルまで、この鉄のピラミッドが完成
されている。ウソだと思うなら、あなたの近所にある、教育関係機関をのぞいてみればよ
い。「学用品納入組合」「○○教育センター」「青少年○○研修所」など。どこの機関も、
その地域の教員、もしくはそのOBの受け皿機関になっている。
 こういう機関が、日本の教育をがんじがらめにしている。硬直化させている。そしてそ
のため、教育そのものが、身動きがとれないでいる。今、規制緩和がいろいろ話題にな
っているが、その規制緩和が一番必要なのは、実は教育行政なのである。


家族主義(7)【出世主義】

山荘ライフ
 浜松市とそこから、車で四〇分ほどのところにある引佐町とでの二重生活を始めて、
丸四年になる。月曜から金曜までは、浜松市内で仕事をして、土日は、山の中で過ご
す。こういう生活をしていると、「私」まで二つに分かれる。浜松市内の私は、家事、炊
事、洗濯を、ほとんどしない。料理はするが、ときどき、だ。しかし山荘のほうでは、当然
のことながら私がすべてをする。道路の舗装工事も、村の人たちと力を合わせてする。
大雨が降って水道のパイプがつまったら、やはり自分たちでなおす。そういう生活の中
で、こんなことに気づいた。それは、四〇代以上の男たちは、ほとんど家事を手伝わな
いということ。「仕事だけしていれば一人前」とう考え方がある。友人たちは「客」で来るの
だから、それは当然といえば当然だが、しかし迎えるほうはそうではない。これが結構、
重労働。
 私たちの世代は、そういう世代だ。「勉強だけしていれば一人前」と。そういう姿勢が転
じて、「仕事だけ」という人間になった。が、こういう常識は、世界では通用しない。先日も
ニュージーランドの留学生と話したが、こんなことを教えてくれた。「ニュージーランドの小
中学校は、午後三時に終わる。それから家に帰って、夕食まで、家事を手伝うのが日課
になっている」と。もちろん夫も、妻と同程度に家事を分担する。先日も、アメリカ人の友
人がこう言っていた。彼は日本へ来る前、三〇年間、高校の教師をしていた。「日本の
子どもは、一〇〇%、スポイルされている」と。日本語になおせば、「ドラ息子だ」と。そこ
で気になって、「君はどういうところを見てそう言うのか」と聞くと、こう教えてくれた。「とき
どきホームスティさせてやるが、料理や炊事を手伝わない。シャワーを浴びても、泡を流
さない。朝起きてもベッドをなおさない。つまり何もしない」と。
出世主義
 こうした日本人の背後に見え隠れするのが、出世主義である。たとえば私はNHKの大
河ドラマがどうしても好きになれない。ああいうのを見ると、「あんな時代に生まれなくて
よかった」とさえ思う。二一世紀にもなろうというのに、信長だとか、家康だとか言ってい
る人の心情が理解できない。あれはどう考えても、大暴力団による抗争ドラマではない
か。しかも国をあげての抗争ドラマ。善や道徳、倫理観などあるはずもない。あればあっ
たで、ドラマそのものが成り立たなくなってしまう。が、勝てば官軍。天下を取ったもの
が、勝者であり、善なのだ。が、それはまさに出世主義そのものと言ってよい。前に述べ
た、「仕事だけしていれば・・・・」という発想は、こういうところから生まれる。多少暴論の
感がないわけではないが、今でもその亡霊のようなものが残っている。親が子どもに何
か仕事を言いつけたとする。そのとき、子どもが、「勉強している」と言えば、子どもはす
べて放免される。何ごとも勉強優先、仕事優先というわけだ。
 ついでに一言。封建時代を美化するということは、ここでいう出世主義を容認するのみ
ならず、民主主義を否定することになる。それも忘れてはならない。 


家族主義(8)【脱出世主義】

日本の政治家
 国の政治ほど、個人的な利益とは、無縁でなければならない。が、その政治が、個人
の名誉と利益のために利用されている。いわゆる出世主義の道具になっている。彼らが
口にする、「国のため」というのは、方便に過ぎない。彼らの心の奥底までのぞくことはで
きないが、しかしそれを思わせる政治家はいくらでもいる。が、問題は、そういう政治家
がいるということではなく、それを支える「民」がいるということだ。そういう意味で、日本
の社会は、きわめて未熟。後進国的。私が金沢で学生だったころ、地元の政治家が、防
衛庁長官に就任した。そのときその長官が、金沢駅へやってきた。私はたまたまその場
に居合わせたが、それはもう、私の度肝を抜く凱旋(?)パレードだった。先導するジー
プだけでも、一〇台以上。黒塗りの乗用車が、やはり一〇台以上。長官の乗る車とそれ
を護衛する車が、四、五台。そのあとに地元の政治家や役人の乗る車が、二〇台以上。
そのあとを、またジープが、一〇台以上。こういうバカげたことをやっているから、日本の
政治はよくならない。同じころすでにスウェーデンの首相は、自宅から自転車通勤をして
いた。
肩書きのない世界
 一方、浜松市の郊外には、しゃれたビルが立ち並ぶようになった。ベンチャー企業のビ
ルだ。知人に案内されて中へ入ると、その知人はこう言った。「社長だけは四〇代の人
もいるが、社員の平均年齢は、どこも二〇歳代だ」と。こういう会社では、それぞれの社
員の仕事が高度に専門化されていて、肩書きとか地位は、ほとんど意味がない。名詞を
もらっても、横文字ばかりが並んでいる。一人、髪の毛の薄い男性がパソコンをいじって
いたので、私が声をかけたら、それが社長だった。しかもヨレヨレのTシャツを着ていた。
経歴を聞くと、数年前まで進学塾の講師をしていたという。こうい世界を見ていると、私た
ちの世代は、一体何をしてきたのかということになる。二〇年ほど前だが、大学の同窓
会に出ると、二人の友人がこんな会話を始めた。二人とも、銀行に勤めていた。
A「君の銀行は、三〇歳で課長か。いいなあ。うちは三五歳だ」B「いや、うちは支店長が
遅いから。四〇歳にならないと、支店長にはなれない」A「それは少しきびしいなあ。うち
では三五歳から支店長になれる」と。
実際には彼らは専門用語を使って話していたが、内容はそういうことだ。こういう会話が
ごく自然になされていたし、またそれを横で聞いていた私にも違和感はまったくなかっ
た。しかしベンチャー企業のオフィスで、そんな会話をしたら、それだけで笑い飛ばされ
る。社長はこう言った。「この会社では肩書きは自由につけてもらっています」と。
 結論から先に言えば、出世主義は、自分の人生をまどわす麻薬のようなものだ。一度
その魔力にとりつかれると、愚劣なことをしながらも、自分ではその愚劣さに気づかなく
なってしまう。が、それではすまない。結局は無駄なものを追いかけ、人生そのものまで
無駄にしてしまう。政治家にそれが利用されると、国の進路そのものまでゆがめてしま
う。


家族主義(9)【新しい国意識】

出世主義の光と影
 「もっとも大切にすべきもの」として、四〇%の日本人が「家族」をあげた(九九年春、
文部省調査)。この数字を多いとみるか、それとも少ないとみるか。しかしこんなこともあ
る。数年前だが、一人のいとこが私の家に来て、こう言った。彼は六〇人近くいるいとこ
の中でも、一番の出世頭(?)で、H一流大学を出たあと、N一流銀行に入社した。現役
時代には、アメリカのロス支店長まで経験している。いわく、「浩司君、ぼくの女房がね、
『私の人生は何だったのよ。私の人生を返して』と言って、ぼくを困らすのだよ」と。その
ときそのいとこは、リストラで、子会社のNリースに左遷されていた。
 この一例だけをみて、すべてを判断することはできない。しかし、程度の差こそあれ、
この心情は、たいていの日本人に共通する。私たちは皆、がむしゃらに働いてきた。心
のどこかには、「日本を支えているのは私たちだ」という意識もあった。が、結果として、
自分の人生を振り返ると、「何だったのか」と。イギリスの格言に、「休息を求めて疲れ
る」というのがある。「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、疲れてしまって何も
できなくなる」という意味だ。愚かな生き方の代名詞にもなっているような格言である。要
はいつ、どのような形で自分なりの休息を求めるかということになるが、そのいとこに
は、その余裕すらなかった。毎年のように転勤。そのたびに単身赴任を繰り返していた。
家族中心の世界
 その文部省の調査結果が発表されたとき、さっそくその夜、テレビの解説者がこうコメ
ントした。「日本人は、小市民的になりつつある」と。しかしこれはとんでもない誤解であ
る。家族を大切にするというのは、生きる基本であって、「小さくなる」ことではない。たと
えばオーストラリア人に、「君は、この国がインドネシア軍に侵略されたらどうするか」と
聞くと、彼らはこう言う。「逃げる」と。「オーストラリア軍は数では、インドネシア軍にかな
わない」とも。英語で国(カントリー)というときは、「国土」をいう。日本や北朝鮮のよう
に、「体制」を意味しない。しかしその彼らも、「家族が、インドネシア軍に襲われたらどう
するか」と聞くと、とたんに血相を変える。変えてこう言う。「そのときは命がけで戦う」と。
家族というのは、新しい国意識、さらには愛国心にもつながる。さらに・・・・。九九年から
EUは、通貨統合を果たした。もともとヨーロッパでは、国境という概念が希薄だった。そ
ういうことはあるが、そのEUが、通貨統合ができた背景には、家族主義があったからで
はないか。個人がやすらぐ場所として家族がある。国というのは、その家族の集合体で
しかない、と。もしそうでないというのなら、日本、韓国、北朝鮮と中国の間で、EUのよう
な通貨統合ができるかどうか、少しだけ自問してみてほしい。恐らく体制の違いが、大き
な壁になる。もともと「国」についての考え方、そのものが、違う。
 繰り返すが、家族主義は決して小さな主義ではない。その主義は、教育のあり方のみ
ならず、国のあり方そのものを変える。そんな大きな力を秘めている。


家族主義(10)【その問題点】

家族のカプセル化
 核家族という言葉がある。夫婦と子どもだけの家族をいう。この核家族が、厚いカラを
かぶり、その中だけで価値観を熟成させる。すると家族は、カプセル化する。風通しが悪
くなり、独善の世界に陥りやすくなる。一つの家族だけが、カルト化することもある。オー
ストラリアやアメリカでは、よく見られる現象である。近隣とのつき合いは、ほとんど、な
い。あいさつを交わしたり、会話をすることもない。「絶対私は正しいのだ」という狂信の
もと、返す刀で、相手を否定する。「あなたはまちがっている」と。家族主義には、そんな
問題点もある。そこで、つまりこうしたカプセル化を防ぐために、彼らは、家族ぐるみの交
際を大切にする。制度としてあるわけではないが、それがまた家族主義を守る砦となっ
ている。宗教も無視できないが、彼らの家族主義は、それが常識であるというレベルま
で、完成されている。もちろん日本の家族主義は、今、始まったばかり。こうした問題を、
今ここで論じても、あまり意味はない。
家族の権利
 最後になったが、九九年九月一七日、日本の最高裁判所は、こんな判決をくだしてい
る。東京在住のK氏(五三歳)が、「本人の意思に反して、六年間にわたり、単身赴任を
強いられ、子どもを養育する権利を侵害された」と訴えた事案に対して、「上告を棄却す
る」と。「転勤命令は、不当な動機や目的に基づくものではなく、原告がこうむる経済的、
社会的、精神的不利益が、社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えているとはいえな
い」と。判決によると、K氏は、二男が生まれた半年後の八五年に、会社から名古屋営
業所への転勤の内示を受けた。夫婦共働きで、当時、長男が九歳、長女が五歳だった
ため、子どもの養育を理由に転勤を拒否。そこで会社は異動を発令。K氏の単身赴任
は、そののち、六年間も続いた。K氏は、「単身赴任中に、子どもの一人が不登校になる
など、転勤によりさまざまな苦痛を受けた」と訴えた。K氏は、一審、二審とも敗訴。そこ
で最高裁判所に上告していた。
 この事件のあらましを、オーストラリア人の友人に伝えると、彼はこう言った。彼は大学
で研究員をしている。「どうして会社をやめなかったのか」と。そこで私が「日本には終身
雇用制度がある」と説明すると、その制度そのものが理解できないと笑った。彼の場合
も、メルボルン大学を卒業すると、数年間、小学校の教師をしたあと、国防省に入ってい
る。そして今は、研究員だ。労働組合の制度そのものが違うということもあるが、転職し
たからといって、不都合なことは何もない。が、この日本ではそうではない。「家族」に対
する認識そのものが、甘い。家族の権利そのものを認めていない。
最後に私は、家族の四つの権利を提唱したい。その四つの権利とは、家族と同居する
権利。家族を庇護する権利。子どもを育てる権利。子どもを教育する権利。これを私の
家族主義の結論としたい。(完)