はやし浩司

子育て、どこへ?
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オーイ、子育て、どこへ行く!

はやし浩司

以下の原稿は、「金沢大学学生新聞」に、
1999〜、連載されたコラムです。
一部、内容的に、ほかの記事と重複するところがあります。

休息を求めて疲れる(ロマンを求めて)

 いまだに悪夢と言えば、修学旅行のときのものだ。集合時刻が近づく。私は大部屋で寝てい
る。皆はすでにカバンを整理して外へ出ようとしている。私は自分の靴がどこにあるかもわから
ない。トイレはどこだ。まだ朝食も食べていない……。記憶にはないが、多分私は子どものこ
ろ、旅行でそういう思いをしたのだろう。いや、それ以上に私たち団塊の世代は、どんなことで
も、乗り遅れるのを何よりも恐れていた。
 前年までのクラスは五クラス。しかし私たちの学年からは、一一クラス。しかも一クラス、五五
人平均。粗製濫造とはまさにこのことで、私はサッカーにしても、一チーム、二五人で戦うもの
だとばかり思っていた。
 確かに私たちの世代は、いつもうしろから何かに押されていた。立ち止まっただけで、言いよ
うのない不安感に襲われた。はげしい競争。そしてまた競争。こうしてあの会社人間、仕事人
間は生まれたが、そうであってはいけないと思っていても、休暇で一週間も休みが続いたりす
ると、それだけで申し訳ない気持ちになる。私が見る悪夢は、その延長線上にあるにすぎな
い。「日本は資源のない国だ」「貿易で国を支えるしかない」「欧米に追いつけ、追い越せ」「立
派な社会人となれ」などなど。私たちはこういう言葉を、毎日のように、それこそ耳が痛くなるほ
ど聞かされた。結果、今のような日本がなったが、そこでまたふと立ち止まってみると、やはり
言いようのない不安感に襲われてしまう。
 そうそうイギリスの格言に、「休息を求めて疲れる」というのがある。「いつか楽になろう、なろ
うと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だが、イギリス
では、愚かな生きかたの代名詞にもなっている。オーストラリアの友人も、何かのことで私があ
せっていると、「ヒロシ、気楽にせよ。休息を求めて疲れるな」と、よく言ってくれた。しかし今に
なっても、その「休息」はどこにもない。なぜだろうか。
 貯金といっても、底が知れている。退職金などもちろんないが、年金にしても、本当にもらえ
るかどうかわからなくなってきた。息子たちにしても、私が世話をすることはあっても、その反対
は、まず期待できない。期待もしていない。私はこうして死ぬまで働くしかない。
 話は変わるが私の友人の弟は、四二歳の若さで会社勤めをやめ、退職金をもってマレーシ
アへ渡った。そしてそこで中古のヨットを買って、航海に出たという。「今ごろね、あいつね、マレ
ーシアで知り合ったフランス人女性と二人で、インド洋を航海しているはずです」と。その友人
は笑って話してくれたが、私には夢のような話だ。いや、夢ではない。私にだってできる。いつ
かはできる。それをしなければ、いつまでたっても、あの悪夢から解放されることはない。
 今回は私たち団塊の世代の、挫折とロマンを聞いてもらいたくて筆をとった。この中に一つの
教育論を感じとっていただければ幸いである。



二人の成功者(会社人間からの脱却)

 就職といえば、会社勤めしか考えていない、君たちへ。こんな話もあることを聞いてほしい。
 私はM物産という会社をやめたあと、すぐ幼稚園教師になったわけではない。一度、東京へ
出て、そこで二人の仲間と一緒に、企画会社を手伝った。一人は秋元氏。もう一人はピータ
ー。秋元氏は、私の一年先輩で、やはりオーストラリアの大学に留学していた。そして私は大
学二年のときに、UNESCOの交換学生で韓国へ渡っているが、その交換学生計画でも、秋
元氏は一年先輩だった。ピーターは、メルボルン大学の東洋学部の学生で、私の親友でもあ
った。
 その二人と別れたのは、その企画会社が、折からのオイルショック(七二年秋)で倒産したか
らだ。秋元氏は日本精工社の今里氏に拾われニューヨークへ。ピーターは、オーストラリアへ
帰り、そこで喫茶店を開いた。私は流れて、浜松へやってきた。私たちは今里氏の意向で、札
幌オリンピック(七二年)の次の企画を依頼されていた。で、考えたのが、
「家畜オリンピック」。アメリカでは二年に一度、それぞれの品種の家畜を集めた「家畜大会」
があった。私たちはそれを日本へもってくる計画をたてていた。
 私が浜松へ流れてきたのは、その会場として中田島の砂丘を考えていたこと。東京と浜松の
間を行ったりきたりするうちに、地縁ができてしまっていた。
 この話はともかくも、秋元氏はそののち、焼き鳥のチエーン店を全国展開し、そのノウハウを
活かして、ケンタッキーフライドチキン社の部長になった。ピーターは、日本の女性と結婚し、日
本とオーストラリアの間を行き来しているうちに宝石の貿易を始めるようになった。ともにビジネ
スマンとしては、特別の才能を持ち合せていた。四〇歳そこそこの若さで、やがて秋元氏は日
本ペプシコーラの副社長に。またピーターは、「ベンティーン」という宝石会社をおこし、貿易高
ナンバーワンで、オーストラリア政府から表彰されている。
 会社勤めがつまらないと言っているのではない。私の仲間でも、会社に勤めながら、幸福で
豊かな生活をしているのは、いくらでもいる。一方、ベンチャービジネスを心がけながらも、失
敗して挫折した仲間も多い。要はそれぞれの特性と能力だが、しかし今のように、猫も杓子も、
皆、「就職、就職」と言っているような国は、日本をおいてほかにない。日本でトコロテン方式の
教育を受けていると、日本人は皆、そうなってしまうが、それが「あるべき未来像」のすべてで
はないということだ。「お金を稼いで生きる」という原点に立ち返るなら、生き方はいくらでもある
し、またそういう生き方をしたところで恥じることは何もない。むしろ恥じるべきは、一生、ロクな
仕事もしないで、天下りを繰り返し、日本を食い物にしながら、ノラリクラリと生きている連中
だ。そういう生き方だけは、絶対にするな。たった一度しかない人生、そのものを無駄にする。
 少しはげしいことを書いてしまったが、一つの意見として参考にしてほしい。



不気味な思考回路(ポケモン現象)

 一時期よりは下火になったが、いまだにポケモンは根強い人気を保っている。年齢的には幼
稚園の年長児から小学二、三年生児が、そのピーク。私の調査でも、約八〇%の子どもたち
がハマっていたことがわかっている(九八年はじめ)。
 一度こういう世界ができると、「ポケモンを知らない」とか、「ポケモンなんて、つまらない」など
と言おうものなら、それだけで仲間はずれにされてしまう。当時あの「♪ポケモン言えるかな」と
いう歌を、どこまで歌えるかが、その子どものステイタスを決めていた。たとえばその歌を途中
までしか歌えなかったりすると、その子どもは「バカ」というレッテルをはられてしまった。
 問題は、そのハマリ度だ。好きとかファンというレベルならまだしも、中には熱狂してしまう子
どもがいる。現実とゲームの世界が区別できなくなってしまう子どももいる。こうなるとゲームと
は、もう言えない。信仰だ。しかもカルトだ。ある子ども(小三男児)は、親に叱られると、いつも
「♪ポケモン言えるかな」を心の中で歌っていたという。また別の中学生は、毎夜、空に向かっ
て、超能力を授けてもらうよう、祈っていたという。そうでなくても、大半の子どもは、あの黄色い
ピカチューの絵を見ただけで、興奮状態になってしまった。
 今はまだよい。今は、まだゲームの世界に収まっているから、よい。しかしもしポケモンが思
想をもったらどうなる。たとえばサトシが、「子どもたちよ二一世紀は暗い。一緒に海へ入って
死のう」などと訴えたら、どうなる。それに従ってしまう子どもが続出するかもしれない。ポケモ
ン、いや一連のポケモン現象には、そういう危険性が潜んでいる。
 それにもう一つ、心配なことがある。幼児期に一度、こうした思考回路ができると、以後、何
かにつけてその思考回路に沿って、ものを考えるようになるということだ。迷信を信じやすくなっ
たり、カルトにハマりやすくなったりする。低劣な運命論やバチ論を振りかざすようになるかもし
れない。ある妻は、狂信的なカルト教団に身を染め、夫に向かってこう言い出した。「あんたと
私は、前世の縁で結ばれていなかったのよ。それを正すためには、信仰の力が必要なのよ」
と。もしあなたの妻がある日突然、そんなことを言い出したら、あなたはそれに耐えることがで
きるだろうか。こんな例もある。
 ある教団では手術そのものを禁止している。私がそのことをその教団に確かめたら、「禁止
はしていないが、熱心な信者なら手術を拒否します」ということだったが、ともかくもそういうこと
だ。そしてその結果として、一人の子どもが交通事故で死んだ。子どもの母親が熱心な信者
で、手術をがんとして拒否したからだ。が、悲劇はそこで終わらなかった。この事件で孫を失っ
た老人はこう話してくれた。「今は、息子夫婦とも断絶しています。それまでは愛だとか、平和
だとか、信仰もそれほど悪いものだと思っていなかったのですが……」と。私にはこれ以上のこ
とは何も言えないが、もしあなただったらそうするか。それを一度考えてみてほしい。ポケモン
現象にはそんな一面も隠されている。



肩書き人間(悪しき学歴人間)

 私のいとこの義父に、小学校の校長をしたのがいる。死ぬまで、校長の名札をぶらさげて生
きていたような人で、本人が「自分は偉いのだ」と思うほど、世間は相手にしなかった。葬式か
ら帰ってきた母は、こう言った。「あんなさみしい葬式はなかった」と。
 老人が老人社会へ入るためには、過去の肩書きを捨てなければならない……らしい。過去
の肩書きにこだわっていると、周囲の者が近づかない。恐れ多いからではなく、そういう人とつ
きあっていると、疲れるからだ。それがこういう人たちにはわからない。どこへ行っても、「私は
尊敬されるべきだ」というような態度をとる。
 戦争をはさんで教育を受けた人たちというのは、特にこの傾向が強い。「立派な社会人にな
る」ことイコール、善と、徹底的に叩きこまれている。ここで言う立派な社会人というのは、言う
までもなく「肩書きのある人間」をさす。あるいは「肩書きを見せただけで、相手がひれ伏す人
間」をさす。
 実際、この日本は肩書きのある人は、それだけで得をする。一方、肩書きのない人は、せっ
かくその力があっても、社会に埋もれてしまう。肩書きのある人は、それはそれでいいと思うか
もしれないが、一方でそうでない人を、いかに虐げているか、それを忘れてはならない。仮にあ
なたはいいとしても、あなたの子どもはどうだろうか。あるいはあなたの孫はどうだろうか。あな
たがもっているような肩書きを手にすることができるだろうか。
 人間の価値は、肩書きではなく、何をしたかによって決まる。こんなわかりきったことが、この
日本で住んで、生活しているとわからなくなる。先のいとこの義父も、同年齢の人と会うたび
に、「あなたは何をしていましたか」と聞いていた。よほどそのことが気になるらしく、自分より立
場が上だった人にはペコペコし、そうでない人に向かっては、胸を張った。年下の人に向かっ
ても、少しでもできが悪そうに見えたりすると、「君は、算数が何点ぐらいだったかね」と聞いて
いた。あるいは「こんなのは、簡単な計算で解けるよ。こんなのもわからないのかね」と言った
りした。唯一の趣味といえば、新聞や雑誌への投書。毎日のようにせっこらせっこらと書いて
は、新聞社や雑誌社へ送っていた。たいてい自画自賛で、読むに堪えない文章だったが、私
の母は「偉いもんだ」と言っては、その記事を人に見せていた。
 その人はその人で、懸命に生きてきたのだろう。彼とてその時代の価値観に染まっただけ
だ。かく言う私だって、私の生きた時代の流れに染まっている。彼がまちがっているということ
にもならないし、私が正しいということにもならない。あるいは次の世代の流れが正しいというこ
とにもならない。ただ私の立場で言えることは、こうした悪しき肩書き人間は、世界では通用し
ないということ。それだけではないが、それも含めて、こういう過去の流れをここで止めなけれ
ばならない。私のいとこの義父には悪いが、肩書きで自分の人生を見失ってはいけない。……
と私は思う。
 


学歴信仰(壮大な無駄)

 東京私大教連(東京地区私立大学教職員組合連合)の調べによると、親から大学生への仕
送り額は、平均で年約三二二万円(九八年度)。月平均になおすと、約二七万円弱となる(学
費含む)。一か月の生活費についてみると、親からの毎月の仕送り額は平均約一二万円。そ
のうち家賃が五万七〇〇〇円。残りの六万四〇〇〇円が生活費ということになる。
 この数字を見て、「多い」と驚くか、「少ない」と驚くか。オーストラリアやアメリカでは、企業が
学生に奨学金をどんどん支給する。税法上の控除もあって、「どうせ税金で取られるなら、奨
学金に回したほうが得」という意識がある。そのため学生たちは、どこの大学へ入るかというこ
とよりも、どこでどの程度の奨学金を得るかが、関心の的となる。実際、親から仕送りを受けて
大学に通っている学生は、さがさなければ見つからないほど、少数派だ。そういう国際常識か
ら考えると、日本のこうした現状は、異常としか言いようがない。親が感ずる負担はたいへんな
もので、実際、二人の大学生をかかえたりすると、それだけで家計はパンクしてしまう。同じ調
査によれば、親の年収は平均約一〇三四万円ということだが、それだけ稼げる人は、日本の
社会の中でも恵まれた人たちだ。
 一方、こういう状況でありながら、大学の経営環境が急速に悪化している。A大にしてもO大
にしても、天下に名だたる女子大学だが、短大部門を廃止して、四年制大学への移行を急ピ
ッチで進めている。高校や予備校、さらには進学塾もうでが、大学の学生課の職員の重要な
仕事の一つになっている。が、学生たちは、遊びまくっている。「遊ぶことが血となり、肉となる」
と錯覚している学生も多い。「ぼくたちは受験勉強で苦労したのだから、遊ぶことで、自分を取
り戻す」(新聞投書より)と。……となると、一体、大学とは何ぞやということになる。国家規模で
ものを考えるなら、壮大な無駄としか、言いようがない。
 大学、大学と言いながら、高校程度の英語の教科書を使って授業をしている英文科はいくら
でもある。同じく高校程度の数学の教科書を使って授業をしている経済学部はいくらでもある。
そのくせやることはド派手で、夏休みには外国でホームスティをしたり、短期留学を繰り返す。
どれほどの利益が大学側にころがり込むしくみになっているのか、私は知らないが、大学は子
どもを通して、親からむしり取れるだけ取る。
 考えてみれば、こうした親の意識の背景にあるのが、学歴信仰。学歴さえあれば、中身など
どうでもよい。とにかく学歴をつけておかねば、損をする。学歴は人生のパスポートなどなど。
若い女性がブランド品で身を包むのと同じ意識レベルで、親は子どもの教育を考えている。そ
してそのための高価な代価を払っている。
 こういうバカげた風潮と闘う方法があるとすれば、それはもう、「大学卒」という肩書きなど、信
用しないことだ。そういうものを無視して、その人の中身を見る。そういう姿勢を国民一人一人
が、徹底する。そうすれば大学を見る目が変わり、学歴信仰も崩壊する。二一世紀はそういう
日本にしなければならない。
 


昔ハイヒール大臣(やっぱり日本は……)

 かつて日本にハイヒール大臣というのがいた。自分の背の低いのをごまかすために、ハイヒ
ールをはいていたが、世界の会議に出るたびに、笑い者になっていた。こういう恥さらしの政治
家はあとを断たない。最近でも日本の総理大臣が、フランスまで出かけて行って、相撲の話ば
かりしていたという。フランスの大統領が相撲をほめたのがきっかけだったとか(九九年二月、
A週刊誌)。
 念のため、日本の大本営発表しか聞いていない人に一言。日本の相撲は、外国ではそれほ
ど評判がよくない。「グロテスクだ」というのが、その理由だが、あのブヨブヨのお尻を見せつけ
られたとき、顔をそむける外人は多い。(私個人は、相撲が好きだが……。)フランスの大統領
は、外交辞令として相撲をほめたのだろうが、それではしゃぐ総理大臣も総理大臣だ。何とい
う国際性のなさ。何という低劣さ。同じ日本人として、自分が情けなくなる。
 日本人が同胞の日本人を攻撃して、何になるかと思う人がいるかもしれない。「一体、はやし
は何様のつもりか!」と。私とてこんなことを書きたくない。日本の代表たる人だから、それに
ふさわしいと人だと思っている。またそう思いたい。しかし世界には常識というものがある。先
日も総理大臣が、ダイオキシン問題にからんで、ほうれん草を食べるシーンがテレビで報道さ
れた。総理大臣は、あのあごを前へ突き出し、唇を長く前へ伸ばし、その口の中にほうれん草
を入れてみせた。しかも、だ。そのあと、クチャクチャと口をあけたまま、それを食べてみせた。
私はともかくも、世界の人は、こういう日本の総理大臣をどう思うだろうか。
 遠い昔だが、私が留学していた大学のカレッジに、日本のある著名なドクターがやってきた。
ゲストだったから、ハイ(上段)テーブルで一緒に食事をしたが、そのドクターは、あのスープ皿
を両手でもって、口をつけて、そしてスープをズルズルと飲んだ。これには同席していた寮長以
下、シニアの研究生たちは皆、驚いた。この話は三〇年前の話だから、まだ救われる。日本
はまだ貧しかった。しかしそれから三〇年。この三〇年の間に、日本は世界に名だたる経済
国家になった。いつまでも「貧しかった」では、すまされない。
 世界の人は、「日本のような国が、世界のリーダーになってもらっては困る」と思っている。日
本異質論もその一つだが、外国人の目を通して見ると、それがよくわかる。それはちょうど地
上げか何かで、巨億の富をたくわえた人に、総理大臣になってもらっては困るという意識に似
ている。むしろ世界の人は、日本が経済大国になったとき、それを苦々しく思っていたのではな
いか。誰も「すばらしいですね。よかったですね」と喜んではくれなかった。そういう冷たい視線
が、日本にいつも注がれていることを忘れてはいけない。つまりこういう日本の総理大臣を見
たとき、世界の人は「やっぱり……」と思ってしまう。それこそ私は、本当に残念なことだと思
う。



大きな流れ(宗教と国家体制)

 あの忌まわしいオウム心理教による、地下鉄サリン事件が引き起こされたとき、日本の仏教
会の中で、彼らに教義論争をいどむ宗教家は一人もいなかった。つまりそれだけ「力」のある
宗教家はいなかったということにもなるが、実際には、むしろあのオウム真理教の教義は、日
本の仏教のルーツそのものであったからだ。日本の仏教は、釈迦仏教というよりは、チベット
仏教。北伝仏教、あるいは大乗仏教ともいうが、「大乗非仏説」というのまである。「日本に伝
わる大乗仏教は、釈迦の仏教にあらず」という説だが、この説は、宗教学者(宗教者ではなく、
学者)の間で、広く支持されている。事実、大乗仏教がその伝達過程でゆがめられている面は
否定できない。たとえばインドでは男性だった、カノン菩薩が、日本へ来るまでには観音菩薩と
いう女性になってしまったこと。また日本の仏像が、どれも、古代インド人の服装ではなく、ヘレ
ニズム文化の影響を受けた、古代ギリシャ人の服装をまとっていることなど。チベット仏教その
ものが、ヒンズー教の影響をきわめて強く受けている。つまりオウム真理教の教義を掘り返し、
議論することは、自分たちの教義そのものの矛盾を、世間にさらけ出してしまうことになる。
 ここで私は何も、宗教論争をするつもりはない。私が言いたいことは、次のことだ。これと同じ
ようなことが、今、この極東アジアで起こりつつあるということだ。隣の国に北朝鮮という国があ
る。この国を見ていると、戦前の日本そのものではないかとさえ思えてくる。軍事独裁国家。閉
鎖社会。国家的被害妄想。徹底した思想教育。人権無視。全体主義に情報操作。まともにこ
の北朝鮮を論じたら、では戦前の日本は何であったのかという問題にまで発展してしまう。金
王朝と日本の天皇とは違うとは言うが、そういうデリケートな問題にまで踏み込んでしまうかもし
れない。だから誰しも、政治学者(政治家ではなく、学者)は、面と向かって北朝鮮の体制を否
定することができない。へたに議論すれば、自分たちの政治的根幹そのものがもつ矛盾を、世
間にさらけ出してしまうことになる。
 もっともこう書くからといって、日本の仏教や、日本の政治的根幹を否定しているわけではな
い。宗教を例にとるなら、仮に日本の仏教を否定しても、その宗教とともに生きてきた、数百億
の人々を否定することはできない。そこには無数の人間のドラマがあり、そのドラマそのもの
が、人間の歴史でもあるからだ。私やあなただって、その一員に過ぎない。
 ただ言えることは、私たちはこうした「大きな流れ」に対しては、あまりにも無力でしかないとい
うことだ。「過去」という巨大なブルドーザーが、うしろからやってきて、私たちを踏み倒し、そし
てその先へ進んでいくような感じすらする。私もこうして言いたいことだけを言うが、しかしだか
らといって、何か展望があるわけではない。またこれで世の中が変わるなどとは思っていない。
日本の仏教は相変わらず、日本の仏教のままだと思うし、日本の政治も北朝鮮の国家体制
も、戦争でも起きない限り、今のままだと思う。「大きな流れ」というのは、そういうものだ。それ
だけのことだ。



UFO問題(私は巨大なUFOを見た)

 もう二五年ほど前のことだが、見たものは見た。それだけのことだが、この日本では、それを
口にすることもできない。時々、このことを人に話すと、「君は教育者を名乗っているのだから、
そういうことは言わないほうがよい」と、口止めされる。しかし見たものは見た。巨大なUFOだ。
 その夜私と女房は、アパートの近くを散歩していた。真夜中の零時半ごろだったと思う。何の
気なしに見あげると、小さな丸い点がポツポツと並んで飛んでいた。私は最初それをヨタカ(鳥
の一種)か何かだと思った。夜行性の鳥はいるし、羽根の中に住む微生物が蛍光を発するこ
とは知っていた。で、その丸い点を数え始めた。あとで聞くと、女房も同じように数え始めてい
たという。ぼんやりとした、橙色の点だった。いや点というよりは、丸い形だとはっきりわかるよ
うな大きさの点だった。それを私が「一つ、二つ……」とゆっくりと、七個ぐらいまで数えたときの
ことである。それ全体が、頭上までやってきた。と、そのとき、私は思わずゾーッとして声をあげ
た。「エーーッ」と。暗い空の上に、さらに黒い色の巨大なシルエットが現れたからだ。形はブー
メラン型。「く」の字の形をしていて、そのブーメラン型の飛行物体の胴体にそって、ちょうど窓
のように点々と、あの丸い点がついていた。とたん、その飛行物体は、急速に速度をあげて、
スーッと右のほうへ消えていった。音はまったくしなかった。大きさは、どう見ても、一キロ以
上、あるいはもっとあったかもしれない。はるか高いところで、夜空の三分の一ほどをを覆って
いた。
 翌朝起きるとすぐに、自衛隊の浜松基地に電話した。その物体は、基地のほうから来たから
である。「何か異常なことはありましたか」と。答は何度聞きなおしても同じだった。「何も報告さ
れていません」と。
 この話をウソだと思う人はウソだと思えばいい。しかし私とて、自分の原稿や自分の思想を、
ウソの話で汚したくない。またウソまで言って、UFO信仰者を擁護しなければならない理由は
ない。ウソをついても、利益はないし、かえって私の教育者としての資質を疑われてしまう。損
になることはあっても、得になることは何もない。しかし見たものは見た。
 だから私個人は、UFOというのは存在するし、もしあれが地球人のものではないとするなら、
宇宙人は確実に存在すると思っている。あれを飛行機だとか、何かほかのものの見まちがい
だというのなら、私はそう言う人と、徹底的に戦う。戦っても意味はないが、戦う。もちろん幻覚
でもない。女房と二人で見ていることが、その証拠だ。ただ残念なことは、いわゆるUFO問題
が、霊や超常現象と同じレベルで議論されていることだ。私は霊や他の超常現象は、まったく
信じていない。占いや姓名判断の類も、まったく信じていない。運命論も前世来世思想も信じて
いない。幽霊も信じていない。現に今、宗教も信じていないし、死んだら遺骨は灰にして、太平
洋に捨ててほしいと、女房や子どもたちにいつも話している。UFO問題は、これらの問題とは
切り離して考えるべきである。



地位利用(愚劣な日本の慣行)

 昔は、と言うより、ほんの少し前まで、大学や高校入学者の名前が、その季節になると、新聞
紙面を飾った。しかし今では、「学歴信仰を助長するから」という理由で、それは停止されてい
る。よいことだ。
 しかしまだ学歴信仰は残っている。つい先日も北海道にあったT銀行のトップが何人か逮捕
された。それはそれだが、そのトップの紹介欄に彼らの出身大学が記載されているのには、驚
いた。こういう事件で、またこういう人間の紹介に、出身大学は必要なのか。日本人は、出身
大学名を、あたかもその人のルーツのように扱う。考えてみれば、これはおかしなことだ。
 が、何が問題かと言って、地位利用ほど、問題なものはない。今でも、自分の著書や記事
を、肩書き(地位)で飾る人は、いくらでもいる。「○○大学教授、△△」と。欧米ではこうした行
為は、地位利用にあたるということで、きびしく禁止されている。が、日本では野放し。少し前だ
が、M大のA教授と、W大のB教授が、週刊誌の中でこんな対談をしていた。ともにタレント教
授で、一人は国会議員にまでなっている。いわく「君の大学はいいな。どんどんW大の名前を
使ってくれと言っているのか。うちはダメだよ。恥ずかしいから使ってくれるなと言っている」と。
欧米の常識に照らし合わせると、何と、ピントがズレていることか。
 民間の会社勤めの人が、肩書きを並べるのは構わない。実際には、使えないと思うが、会社
の許可があるなら、それはそれで構わない。実際には使えないというのは、ふつうは会社がそ
れを許さない。仮にあなたがM物産の社員だったとしよう。あなたはM物産の肩書きを並べ
て、本を書いたり、講演することはできない。肩書きを並べれば、それはM物産の公式見解と
して、世間ではとらえられてしまう。それを会社側はいやがる。いわんや個人の利益のために
肩書きを使うことを、会社が許すはずがない。あなただって許さない。「M物産の社員ですが、
今度アルバイトで、健康食品の販売も始めました。いかがですか」と勧められたら、あなたはそ
れをどう思うだろうか。
 民間の会社ですらそうなのに、公の大学の、その知識人たるべき人間が、堂々と地位利用し
ているというのは、どういうことなのだろうか。反対に、出版社や教材会社の中には、その地位
を権威づけのために利用するところがある。「監修」とか「指導」という名目で、大学の教授様を
利用する。こういうことが平気でまかり通る国というのは、先進国の中でも、日本をおいて、ほ
かにない。
 さて結論。その人物の紹介に、大学名を列挙するなどということは、もうやめよう。またそうい
う肩書きがあるから、エライと思ったり、安心したりすることもやめよう。要は中身だ。人間は中
身を見て判断する。そういうあたりまえのことが、皆、できるようになったとき、日本の学歴社会
は崩壊する。そして私たちにとっても、また子どもたちにとっても、もっと住みやすい社会が生
まれる。



学歴信仰というカルト(熱心な信者なら……)

 こんな悲惨な事件がある。ある老人には目に入れても痛くないほどの、かわいい孫(五歳)が
いた。しかしその孫が交通事故になったとき、問題が起きた。息子の妻、つまりその老人が見
れば嫁が、ある宗教団体の熱心な信者で、孫の手術を拒否したからだ。手術したら助かったと
いうことでもなかったが、結果として、その孫は死んでしまった。その老人はこう言ったまま、言
葉をつまらせてしまった。「それまでは愛だとか平和だとか、宗教も悪いものだとは思っていま
せんでしたが……」と。
 こうした盲信性は誰にでもある。ごくふつうの人が、ふとしたきっかけで、それを盲信するよう
になる。宗教だけとは限らない。ある母親はダイエット食品を。また別の母親は健康器具を、そ
れぞれ盲信した。学歴信仰とて、その一つだ。一人の母親がこんな手紙をくれた。
 「東京に住んでいる同級生の家へ行って、驚きました。東京では小学四、五年生から受験勉
強を始めるのですが、毎晩のように母親が怒鳴り、毎晩のように子どもが泣いているのです。
同級生が言うには、子どもの心も心配だが、今はそんなことに構ってはおられない」と。
 実際、大都会に埋もれて生活していると、息苦しいほどの重圧感を感ずる。いつも何かが動
いていて、その動きの中で背中を押される。立ち止まることなどできないし、立ち止まれば止ま
ったで、言いようのない不安に襲われる。自分だけが取り残されてしまうかのような不安だ。こ
ういう世界に住んでいると、何が正しくて、何がそうでないか。あるいは何が大切で、何がそうで
ないかが、わからなくなってしまう。この東京に住んでいる母親も、「心も心配だが、今はそんな
ことに構ってはおられない」と。
 考えてみれば、人は何かを信じなければ生きていかれない生物なのかもしれない。本能的に
そういう部分があるとも考えられるし、あるいはもともと脳の中には、そういう欠陥があるとも考
えられる。傍から見ればとんでもないことを言ったりしたりするのだが、本人には、それがわか
らない。反対に世間一般のほうが、まちがっているように思ったりする。カルト教団にハマる人
を見ていると、そう感ずる。
 ところで私は先のあの教団に、電話をして、こんなことを確かめたことがある。私が「あなたた
ちは信者が手術をするのを、禁止しているのですか」と。それに答えて、指導部長らしき男はこ
う言った。「禁止していません。指導もしていません。しかし熱心な信者なら自分の判断で、手
術を拒否するでしょうね」と。私はこの「熱心な信者なら……」という言い方の中に、その教団の
「いやらしさ」が凝縮されているように感じた。実は文部省も同じようなことを言っている。「国旗
と国歌を法制化する。しかし強制はしない」(九九年三月)と。「国旗を掲揚しなかったり、国歌
を斉唱しなかったら、処分する」と一方で言っておきながら、「強制はしない」は、ない。あくまで
も余談だが……。



休息を求めて疲れる(「今を生きる」)*

 英語に「休息を求めて疲れる」という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようのもなってい
る格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結
局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけま
せん」と教えている。
 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がい
る。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入
るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未
来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。い
つまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会
へ出てからも、そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしま
う。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。
 ロビン・ウィリアムズが主演する、「今を生きる」という映画があった。「今という時を、偽らずに
生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高校
生が自殺するという映画である。この「今を生きる」という生き方が、「休息を求めて疲れる」と
いう生き方の、正反対の位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もい
るかもしれない。しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」
という現実であって、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だ
け。だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。
子どもたちとて同じ。健康で、純粋で、その上すばらしい感受性がある。そういう子ども時代は
子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに大切に生きるべきではないのか。
 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」とい
うことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じ努力するといっても、そのつどなすべ
きことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。たとえば私は子どもたちには、
いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。それでいい。結果はあとからつ
いてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、まっさきにそれを追い求めたら、君たち
の人生は、見苦しくなる」と。
 ところで英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは
子どもに、こう言う。「ティクイッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では「がんばれ!」と拍車
をかけるのがふつうだが、反対に、「そう、がんばらなくてもいいのよ」と。何でもないような会話
だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その違い
まで理解しないと、「休息を求めて疲れる」の本当の意味がわからないのではないか。……と
思う。



許して忘れる(子どもを愛するために)

 人とのことで、何かトラブルがあるたびに、私のオーストラリアの友人は私にこう言った。「ヒロ
シ、許して忘れろ」と。英語では「Forgive and Forget」と言う。聖書の中の言葉らしいが、確
認はとれていない。で、私は長い間、この言葉のもつ意味を考え続けていたように思う。「フォ・
ギブ(許す)」は、「与えるため」とも訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れる)」は、「得るため」と
も訳せる。問題は、「何を与えるために許し、何を得るために忘れるか」ということだ。
 ある日のこと。自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。ふとこの言葉が、私の頭の中
を横切った。「許して、忘れろ」と。「どうしようもないではないか。どう転んだところで、私の子ど
もは、私の子ども」と。とたん、私はその「何」が、何であるかがわかった。
 あなたのまわりには、あなたに許してもらいたい人が、たくさんいる。あなたが許してあげれ
ば、喜んでくれる人たちだ。一方、あなたには、許してもらいたい人がいる。あなたはその人に
許してもらえば、どれほどうれしいことか。つまり人間関係というのは、(許す人)と、(許される
人)の関係で成り立っている。そこでもし、互いの人々が互いを許し、そしてそれぞれの罪を忘
れることができたら、この世の中はすばらしいもになる。……と言っても、私のような凡人に
は、そこまでできない。できないが、自分の子どもに対してなら、できる。私はいつしか、できの
悪い息子たちのことで、何か問題が起きるたびに、この言葉を心の中で念ずるようになった。
「許して忘れる」と。
 私はこう解釈した。「愛を与えるために人を許し、人から愛を得るために忘れろ」と。子どもに
ついて言えば、子どもを愛するために子どもを許し、子どもから愛を得るために忘れる」という
ことになる。これは私の勝手な解釈によるものだが、しかし子どもを愛するということは、そうい
うことではないだろうか。そしてその度量、つまり、どこまで子どもを許し、そしてその罪を忘れ
ることができるかによって、親の愛の深さが決まるのではないだろうか。
 もちろん「許して忘れる」といっても、子どもを甘やかせということではない。ここでいう「許して
忘れる」は、いかにあなたの子どもができが悪く、またあなたの子どもに問題があったとして
も、それをあなた自身のこととして、受け入れてしまえということだ。「まだ何とかなる」「何とかし
よう」と、あなたが考えている間は、あなたに安穏たる日々はやってこないし、あなたの子どもも
また、心を開かない。しかしあなたが子どもを許して忘れれば、あなたも救われるが、あなたの
子どもも救われる。
 何だかこみいった話をしてしまったようだが、難しいことはさておき、子育てで行き詰まった
ら、この言葉を思い出してみてほしい。「許して忘れる」。それだけで、あなたの心はずいぶんと
軽くなるはずである。



国家論(よき家庭人)

 欧米の子育ての柱は、「自立したよき家庭人を作る」こと。このことについては、もう何度も書
いたが、「家庭人」と言うと、日本人は、すぐ「小市民的な生き方」を連想する。しかし家庭人イ
コール、小市民ではない。
 たとえば戦争が起きたとする。そして他国が日本を侵略してきたとする。そのとき日本人は、
「国のために戦う」と言うかもしれない。しかし欧米人は、「家族を守るために戦う」と言う。あの
ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」でも、最後のシーンの中で、主人公のロベルト(アメリ
カ人)は、「(国のためではなく)、マリアのためになら死ねる」と叫んで、機関銃を撃ち続ける。
 「国」という言葉が出たので、もう少しつけ加えるなら、日本人は「国があっての国民」と考え
る。一方、欧米人は、「家族を守るために、その集合体としての国がある」と考える。もう少し具
体的には、戦前の日本では、「国」というのは、「天皇」をさしていた。(今も、そう考えている人
は多い。)つまり私たち国民は、あくまでも天皇の臣下に過ぎない、と。しかし欧米人にとって
は、国というのは、あくまでも一つの単位に過ぎない。オーストラリアの友人とこんな会話をした
ことがある。「君たちは北からインドネシア軍が攻めてきたら、どうするか」と聞いたときのことで
ある。彼はこう言った。「故郷のスコットランドへ家族を連れて逃げる」と。そこで「国を守らない
のか」と聞くと、「オーストラリア人が横一列になって手をつないでも、オーストラリアの端から端
まで、カバーできない。どうやって守ることができるのか」と。彼らが国を意識するとすれば、そ
れは思い出のしみこんだ国土をさす。日本人のように、抽象的な概念としての「国」を想定しな
い。
 こうした国民意識の違いは、そのまま教育の場にも反映される。日本は明治以来、「国(天
皇)のための国民づくり」が、教育の柱になっている。今もそうだ。国が栄えれば、国民も自動
的に豊かになれる。あるいは企業が栄えれば、社員も自動的に豊かになれる。宗教団体の中
にも、そう考える教団は多い。教団が栄えれば、信者も自動的に幸福になれる、と。さらに県レ
ベル、市町村レベルでも、そう考える人も多い。つまり教育は、常にそういう視点、言いかえる
なら全体主義的な視点で、子どもをとらえてきたし、今もとらえている。しかし、こんな考え方
が、二一世紀に通用するはずがない。
 「よき家庭人」というのは、まさに個人主義的な生き方そのものを象徴する。また子どもにそう
教えたからといって、それは決して、子どもに「小さくまとまれ」と教えるのでもない。「よき家庭
人」というのは、「まず自分を大切にせよ」と教えることをいう。そしてその視点で、社会を考え、
国を考え、また社会や国がどうあるべきか考えよと教えることをいう。繰り返すが、国や社会が
あるから、あなたがいるのではない。あなたがいるから、国や社会がある。そういう視点の基
本となるのが、ここでいう「自立したよき家庭人」という考え方なのである。



これが人生だ(結果よりも、生きるプロセス)

 ヨットに乗って海に出る。ないだ海だ。しばらく遊んだあと、デッキの上で椅子を並べて、お茶
を飲む。そういうとき、オーストラリア人は、ふとこう言う。「ヒロシ、ジスイズ・ザ・ライフ(これが
人生だよ)」と。日本人ならこういうとき、「私は幸福だ」と言いそうだが、彼らはこういうときは、
「ハッピー」とは言わない。
 私はここで「ライフ」を、「人生」と訳したが、ライフには、もう一つの意味がある。「生命」という
意味だ。つまり欧米人は、人生イコール、生命であり、その生命感がもっとも充実したときを、
人生という。何でもないような言葉だが、こうした見方、つまり人生と生命を一体化したものの
考え方は、彼らの生きざまそのものに、大きな影響を与えている。
 少し前だが、こんなことをさかんに言う人がいた。「キリストは、最期は、はりつけになった。そ
の死にざまが、彼の人生を象徴している。つまりキリスト教がまちがっているという証拠だ」と。
ある仏教系のカルト教団に属していた信者だ。しかし本当にそうか。この私とて、明日、交通事
故か何かで、無惨な死に方をするかもしれない。しかし交通事故などというものは、確率の問
題だ。無数の偶然が重なって、一つの事故になる。私がそういう死に方をしたところで、私の生
きざまがまちがっていたということにはならない。
 ここで私は一人の信者の意見を書いたが、多くの日本人は、仏教(?)的なものの考え方の
影響を受けているから、そういうふうに考える人は多い。少し飛躍するが、人生と、生命を分け
て考える。もう少しわかりやすく言うと、人生の評価と、その人の生命の評価を、別々にする。
教育の場で、それを考えてみよう。
 ある母親は、結果として自分の息子が、C大学にしか入れなかったことについて、「私は教育
に失敗しました」と言った。「いろいろやってみましたが、みんな無駄でした」と。あるいは他人
の子どもを、そういうような見方をする人もいる。「あの親は、子どもが小さいときから、熱心に
教育していたけれど、たいしたことなかったね」と。
 そうではない。結果はあくまでも結果。大切なのは、そのプロセスだ。つまりその人が、いか
に「今」という人生の中で、自分を光り輝かせて生きているかということが大切なのだ。子どもに
ついて言えば、その子どもが「今」というときを、いかに生き生きと生きているかということだ。結
果はあとからついてやってくるもの。たとえ結果が不満足なものであっても、その子どもがそれ
までしてきたことまで、否定されるものではない。このケースでも、A大学であろうがC大学であ
ろうが、そんなことでその子どもの評価は決まらない。仮にC大学であっても、彼がそれまでの
人生を無駄にしたことにはならない。むしろ、仲間をいじめ、友をキズつけ、ズルイことばかりし
ている子どものほうが、人生を無駄にしている。たとえそれで有名大学へ進学したとしても、
だ。
 人生の評価というのは、「今」という時のなかで、いかに光り輝いて、自分の生命を充実させ
るかによって決まる。繰り返すが、結果(東洋的な思想でいう、人生)は、あくまでも、その結果
でしかない。




国歌論(自由に議論することが、自由) 

 自分たちで国旗、国歌を作ろうという動きがある。さっそくその団体へ電話して、取材したみ
た。代表者というYという女性が、いろいろ教えてくれた。「賛同、七割。反発、三割です」と。こ
の数字が、国民全体の意思と考えることはできないが、賛同者が七割もいるのに驚いた。「残
りの三割は、そういう団体からのものです」と。
 戦後まもなくのころ、同じような運動が始まって、そのときは、「緑の賛歌」という歌が、国歌と
して決まったことがある。しかしこの歌は国歌としては定着しなかった。戦後の混乱期ということ
もあったのだろう。この問題だけは性急に考えても、意味がない。あのオーストラリアにしても、
大英帝国の亡霊を引きずったまま戦後になり、やっと一〇年ほど前に、国歌を変えることがで
きた。今回もその団体は、二〇〇〇年の春までに国歌の歌詞を決めるという。が、私は、それ
は無理だと思う。
 私は「君が代」は「君が代」でいいと思う。その歌はその歌として残しておいて、これを第一国
歌とする。そしてそれとは別に第二国歌を定める。この第二国歌は、一つの歌に決める必要
はない。たとえば一〇年ごとに、国民投票のような形で決めればいい。そういう形にすれば、
「君が代」存続派も、反対派も、その両方を満足させることができる。ともかくも、今のままで
は、そのどちらにとっても不幸だ。「君が代」を歌う人は愛国者だが、歌わないからといって、愛
国者ではないと思われるのも、不愉快なものだ。
 ここまで書いたところで、私の女房が横から、こう言った。「二つの国歌を、どちらにするか、
そうやって決めるの?」と。
 なるほど! そういう問題がある。私はその時々において、それを歌う人の投票か、多数決
で決めればいいと思う。あくまでも、その場でそれを歌う人が、だ。学校の卒業式であれば、先
生と生徒。運動競技会であれば、運動参加者などが決めればいい。あのオーストラリアでは、
公式の場では、「ゴッド・セイブ・ザ・クィーン」を歌い、それよりは非公式のところでは、「ウォル
チング・マチルダ」を歌っていた。オリンピックなどでも、「ウォルチング・マチルダ」を歌ってい
た。
 国歌といっても、「歌」。みんながわきあいあいと歌ってこそ、意味がある。「国歌だ」と決めて
かかるから、気が重くなる。もう少し気楽に考えたらいいのではないか。あるいはもう少し自由
に議論したらいいのではないか。この日本は、金正日が率いるあの北朝鮮のような国ではな
い。こういうことが自由に議論できる、日本なのだ。そしてそれこそ、日本が世界に誇ることで
はないか。日本は自由の国だ。自由に議論できる国だ。私たちが守るべきは、この「自由」で
はないか。愛国心というのは、そういう誇りの中から生まれる。国家や国旗から生まれるので
はない。
 私はもし他国が攻めてくれば、まず家族を守るために戦う。そしてこの「自由」を守るために
戦う。そしてそれを人が愛国心だというのなら、私もそれが愛国心だと思う。




愛国心(民主主義の成熟)

 国旗、国歌についての議論がにぎやかになってきた。私は立場上、この問題についてとやか
く言うことはできないが、こういう議論がにぎやかになってきたこと自体を、歓迎する。言うまで
もなく、国旗、国歌について論ずるというのは、体制の根幹にかかわる問題であり、それを論
ずること自体が、「日本は自由の国である」という、あかしになる。
 話はそれるが、先日、北朝鮮の軍事パレードを見ていたら、軍人たちが「(金正日を)死守す
るぞ! 死守するぞ!」と、声を合わせて叫んでいた。あの国にも国旗や国歌があるのだろう
が、あの国では、国旗や国歌について論ずることなどできまい。そういう国と比較すると、日本
は本当にすばらしい国だ。……本当にすばらしい国になった。
 で、仮にだ。仮に、そういう北朝鮮が日本を攻めてきたら、この私とて、武器をもって戦う。第
一義的には、家族を守るため。次に、この「自由」を守るため。ああいう国に支配されて、言論
の自由を封殺されたら、たまらない。私はしがないもの書きだが、それでもこうして自由にもの
が書けることを喜んでいる。そういう意識、つまり「家族や自由を守るために戦う」という意識
を、愛国心だというのなら、私にも愛国心がある。
 さてもう一度、話をもとに戻す。私は「日本は本当にすばらしい国だ」と書いた。事実その通り
で、もし今の日本が世界に誇ることがあるとすれば、この自由そのものではないか。つまり「こ
の日本は、国旗や国歌など、体制の根幹にかかわるような問題についてまで、議論できるよう
になりました。つまり民主主義国家として、成熟してきました」と。裏を返していうと、日本は戦
後、民主主義国家にはなったといえ、あまりにも未熟だった。終戦とともに、日本の体制は変
わったはずなのに、それは上辺だけ。今でも日本が民主主義国家だと思っているのは、日本
人だけ。世界の人は、日本を、官僚国家、あるいは君主(天皇)官僚国家と位置づけている。し
かしこういう議論が起こることで、世界の人の、日本を見る目が変わる。私は、それを喜ぶ。
 さらに最近、東京で「新しい国旗や国家を考える会」が発足した(九九年三月)。さっそく電話
による取材を試みたが、その代表であるY女史がこう教えてくれた。「賛同者が七割。反対者
が三割」と。問題は、その三割だが、中にははっきりと右翼団体を名乗り、脅迫してくるのもあ
ったという。一方的に怒鳴り散らした人もいるという。それぞれの団体や人には、それぞれの
思いというものがあるのだろうが、しかしそういう人こそ、この民主主義の敵ではないのか。世
界の人が日本の後進性を感ずるとしたら、そういう人たちを通してである。
 私にもこの議論の行く末はわからない。またどういう結論になるかもわからない。はげしい議
論の末、日の丸、君が代が、支持されるようになるかもしれない。あるいは支持されないように
なるかもしれない。どちらであるにせよ、こういう議論をすること自体に意味がある。私は、おお
いにしてほしいと思う。



失業(生きる原点は?)

 失業者が、五%に迫りつつある(九九年春)。たいへんな数字である。私は一九六九年ごろ
韓国にいたが、そのときの失業率が一〇%前後。失業率が一〇%を超えると、街角に浮浪者
が目立つようになる。
 で、その「失業」という言葉を耳にするたびに、私は心のどこかで違和感を覚える。「失業者っ
て何か」と。私にとって、この三〇年間、仕事というのは、自分で作るものだった。今もそうだ。
そういう私にとっては、失業という言葉そのものが、ピンとこない。失業している人にはたいへ
ん申し訳ないが、失業したら、自分で仕事を作ればいいではないか……と、私は考えてしまう。
少なくとも、私はそうしてきた。
 が、実際には、この日本。規制、規制で、自分で新しい仕事を作ることは不可能に近い。屋
台を引いて飲食業を開きたいと思っても、簡単にはできない。タクシーの運転手だって、そう
だ。翻訳や通訳にしても、私の時代には無資格でできたが、今はそうでない。商売となると、あ
る程度の資本金がないと、できない。いや、小さいときから日本人は、組織の中で生きる技術
しか教えられていない。教育制度そのものが、そうなっている。だから「稼ぐ」ということになる
と、就職しかない、ということになる。しかしこれは日本人にとっては、とても不幸なことだ。
 もともと、というより、太古の昔から、人間は「個人」が生きる原点だった。群れをつくって、集
団で行動することはあっただろうが、しかし生きるのは、個人。どこまでも個人。そういうたくま
しさがあったからこそ、ここまで生きてきた。一つの例だが、私の友人にKさんという人がいる。
農業を営んでいるが、この人は、何から何まで、すべて自分一人でしている。水道工事、土木
工事、電気工事など。温室を作るときは大工に、農機具を修理するときは、修理工に。昔は
「百姓」とも言ったが、これは「一〇〇のカバネ(職種)ができる人」という意味だった。もちろん
食料のほとんどは自給している。ミカン栽培が生業だが、お茶や野菜は言うにおよばず、四季
のくだものや、こんにゃく、仏壇にあげる草花まで。肉にしても、そのつど鶏をさばいている。そ
ういうKさんを見ていると、人間の生きる原点を見せつけられるような思いがする。
 一方、都会生活者は、ますますぜい弱になってきている。特にマンション生活者が、そうだ。
便利な反面、生活のありとあらゆる部分が、他人任せになっている。自分一人では何もできな
いし、またしなくてもいい。しかし一度どこかで問題が生ずると、それはいつも致命的な問題とし
て、のしかかってくる。それこそ給料が止まったら、万事休す。路頭に迷うしかない。
 きびしいと言えば、私やKさんの仕事は、きびしい。私の仕事を見て、「君は万年失業者だな」
と言った人がいたが、その通りだと思う。しかしもともと生きるということは、きびしいことだと思
う。そういう視点から見ると、就職するというのは、意外と一番楽な生き方かもしれない。失業し
ている人には気の毒だと思うが、私はそう思う。



カプセル家族(自分のカラにこもる親子たち)

 社会との間に壁をつくり、その中に閉じこもってしまう家族を、カプセル家族という。今、その
カプセル家族がふえている。
 ある母親は、家庭を顧みない夫を横目で見ながら、自分の果たせなかった夢を子どもに託し
た。また別の母親は、子どもを溺愛し、過干渉を続けた。あるいは自分の欲求不満のはけ口と
して、子どもを利用する親もいる。みんな、自分だけの「カラ」に閉じこもり、その中で生活をし
ようとする。
 以前、核家族という言葉が流行したが、核家族は核家族なりに、外の世界との接触があっ
た。価値観の交流があった。しかしこのカプセル家族には、それがない。私は自閉家族とも呼
んでいる。当然、子どもの心に大きな影響を与える。
 Eさんは、学歴に対して強いコンプレックスをもっていた。どうしてEさんがそうなったかというこ
とは、あまり重要ではない。EさんはEさんなりに、自分の人生の中で、そうなった。が、結婚した
夫は、自分の理想とはあまりにもかけ離れていた。そういうこともあって、Eさんは、自分の生涯
のすべてを子どもにかけた。やがてEさんは、典型的な教育ママになった。
 Rさんは、一人娘のI子さん(年長児)を、「私の命」と、いつも言っていた。そして娘のためな
ら、どんな苦労もいとわなかった。I子さんの髪の毛が、複雑に編みこんであったので、私が「誰
がしてくれるの?」と聞くと、I子さんは、「ママ」と、うれしそうに言っていた。が、そのRさんは、I
子さんの友だちを徹底的に選別していた。自分の気に入らない友だちとI子さんが遊んだりする
と、I子さんを、はげしく叱っていた。
 またTさんは、いつも息子のK君(小三)に、ぐちばかりを並べていた。世間やパートの仕事先
の不平、不満のみならず、夫の悪口まで。「お父さんの給料が少ないから、お母さんは苦労し
ているのよ」「お父さんは仕事、仕事って、家のことは何もしてくれないのよ」と。
 カプセル家族の特徴は、外の世界から客観的に見れば、明らかに異常なのだが、本人たち
にはそれがわからないということ。むしろ自分たちのほうこそ正常で、外の世界のほうが狂って
いると思うところにある。Eさんも、Rさんも、そしてTさんも、自分たちがそうであることを、むしろ
誇っているようなところがあった。「私はすばらしい母親だ」(Eさん)「私は深い愛情の持ち主
だ」(Rさん)「私と息子は、互いによき理解相手だ」(Tさん)と。Eさんにいたっては、中学の会合
の席で、「親たるべきものは、すべて私のようであるべきだ。私は親の鏡です」というようなこと
まで、堂々と言いきった。
 こうしたカプセル親子になることから自分を防ぐ方法があるとすれば、親自身が、社交の場を
広くもって、他人の価値観を受け容れるしかない。が、このタイプの親に限って、社交の場が狭
く、仮に社交したとしても、ものの考え方が独善的で、相手に心を許さない。だからますます自
分のカラに閉じこもるようになる。