はやし浩司

子育て論文
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はやし浩司

子育て論文

少しむずかしいかもしれませんが、ありきたりの「育て論」に
満足できない方のために、少しほりさげて考えてみました。

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親子の間がぎくしゃくするとき

●権威主義の象徴、「水戸黄門」

 「控えおろう!」と一喝して、三つ葉葵の紋章の入った印籠(いんろう)を見せる。するとまわり
の者たちが、一斉に頭をさげる……。
 ドラマ「水戸黄門」の中のよく知られた一シーンだが、日本人にはたまらないほど、痛快なシ
ーンでもある。今でもあのテレビ番組の視聴率が、二〇〜二五%もあるというから、驚きであ
る。が、それはさておき、オーストラリア人には、それが理解できない。ある日一人の友人が私
にこう聞いた。「ヒロシ、水戸黄門が悪いことをしたら、日本人はどうするのか」と。そこで私が、
「いいや、水戸黄門は悪いことはしないよ」と言うと、彼は再度、「それでも悪いことをしたらどう
するのか」と聞いた。

●権威主義的な民族

 日本人ほど権威主義的な民族は、世界をさがしても、そうはいない。上下意識が強い。長く
続いた封建時代が、こういう民族を作った。たとえば男が上で女が下。夫が上で妻が下。先生
が上で生徒が下。そして親が上で子が下、と。たとえば日本には「先輩・後輩」という言葉があ
る。たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩という考え方をする。そして後輩は先輩に対し
て、絶対的な服従を誓う。いや、今でこそ、この関係は弱くなったが、私が高校生のときはそう
だった。テニス部にしても、一年生は球集めだけ。二年生になってやっとラケットをもたせてもら
い、三年生になってはじめて試合に出られた。が、オーストラリアにはそれがなかった。なかっ
たというより、そういう意識そのものがなかった。私は日本の大学を卒業したあと、研究生とし
て、オーストラリアのメルボルン大学に学んだ。そこでのこと。教官と学生がファーストネームで
呼びあっているのを見て、私は心底驚いた。私が住んでいたカレッジには、世界中から皇族や
王族の子息たちが集まっていた。そのためもあって、毎週金曜日や土曜日には、オーストラリ
アでも著名な学者や政治家が毎週のようにやってきては夕食をともにしていった。しかしそうい
う人たちに対してでさえ、オーストラリアの学生たちはきわめて自然に、しかも気楽に話しかけ
ていた!

●そこで自己診断

 外の世界でならまだしも、この権威主義が家庭に入ると、親子関係そのものまで破壊する。
夫婦関係だってあぶない。権威主義を支えるのは、上下意識だが、その上下意識から上下関
係が生まれる。そしてこの上下関係は、保護と依存。命令と服従の関係で成り立っている。
「上」の立場にいる者にとっては、たいへん居心地のよい世界かもしれないが、「下」のものにと
ってはそうではない。その居心地の悪い世界で、いつしか下の者は、上の者の心から離れる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲の家庭をいくつか観察してみるとよい。父親にせよ、母親にせ
よ、親が権威主義的な家庭ほど、親子関係はぎくしゃくしている。
 そこであなたはどうか? こう書くと、たいていの親は、「私はリベラルだ」と思ったりする。そ
こであなた自身を診断してみよう。この診断は、あなたの夫あるいは妻にしてもらうとよい。権
威主義的な人ほど、目上の人(身分や地位のある人)に対して、必要以上にペコペコし、目下
の人に対しては、尊大かつ横柄な態度で接する。そのことは電話での応対ぶりを観察してみる
とわかる。そこでテスト。

@あなたの夫(妻)は、相手にかかわらず、いつも電話の調子が一定しているか。もしそうな
ら、それでよし。しかしA目上の人に対する態度と、目下の人に対する態度が、まるで別人の
ように違うというのであれば、あなたの夫(妻)は、かなり権威主義的な人だと思ってよい。心の
中に潜む上下意識が、無意識のうちにも、相手そのもののを差別し、そしてここでいうような
「違い」となって現われる。冒頭にあげた水戸黄門が大好きという人ほど、あぶない。一度静か
に自分自身を観察してみてほしい。

子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満になる。この欲求不満に対する反応は、ふ
つう、次の三つに分けて考える。

@攻撃・暴力タイプ
 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態あ
り、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と
話しかけただけで、包丁を投げつけた女の子(年長児)がいた。私が「今日は元気?」と声をか
けて、肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こう
した攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイ
プ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考えることができる。

A退行・依存タイプ
 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったりする(退行性)。あるいは誰かに依存しようとする(依存
性)。このタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱
るほど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

B固着・執着タイプ
 ある特定の「物」にこだわったりする(固着性)。あるいはささいなことを気にして、悶々と悩ん
だりする(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。
最近多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえ
りを起こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、ま
だ大切そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子ど
もはこう言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」
と。
 ものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすための代償行為と考えるとわかり
やすい。よく知られているのに、指しゃぶりや、爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで指の
快感を覚えることで、自分の欲求不満を解消しようとする。

●愛情を疑い、スキンシップを

 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもという
のは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑い
をいだかない」という意味。その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。あ
る子ども(小一男児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入っ
たということで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その
子どもの場合は、目つきがするどくなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。子どもなり
に、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで……」と言っ
たが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。

 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、
わけのわからないことをネチネチと言い出したら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵
抗するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ち着く。あとはカルシウム分、マグ
ネシウム分の多い食生活にこころがける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップその
ものの量が、たいへん少ない。欧米人の場合は、親子でも日常的にベタベタしている。よく「子
どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人の場合、その
心配はまずない。濃厚なスキンシップには、不思議な力ある。魔法の力といってもよい。子ども
の欲求不満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいてい問題は解決す
る。



子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、ああ、
水だ水。冷たいぞ。さっと、焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる」と。話がポンポンと飛ぶ。頭
の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫
性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をし
て、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情
も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほう
がヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三十年前に
はこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ十年、急速にふえた。小一児で、十人に二
人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人
もいると、それだけで学級運営はむずかしくなる。あちらを抑えれば、こちらが騒ぐ。こちらを抑
えれば、あちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難い直面した経験があるか」と質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた
先生が、六六%もいる(九八年、秋葉英則大阪教育大学調査)。「指導の疲れから、病欠、休
職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答している。
そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九〇%以上
の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」(六六%)
などの友だちへの攻撃。「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(五
二%)などの授業そのもに対する反発もみられるという(同、調査)。

 昔は「荒れ」というと、中学、高校生の不良生徒たちの攻撃行動をいったが、それが低年齢
化すると同時に、「新しい荒れ」になっている。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、
突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの先生はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子ども
がわからなくなった」とこぼす。日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解
しにくい。常識や価値観の差を感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社
会の変化により指導が難しい」(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制でき
ない」(一〇%)と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、
八%。「かなり感ずる」「やや感ずる」という先生が、六〇%(同調査)ということだそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、私はテレビやゲームをあげる。「キレる」というだ
けでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここ
にあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく騒いだりする。
そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子ど
もを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、日常的にテレビづけになっていたのがわかる。
ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているとき
は、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児
向けにせよ、動きが速い。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。動きの速いゲー
ムもそうだ。もう少しわかりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かに
ものを考えられなくなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居
などを、静かに聞くことができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲い
ている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。
一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみに、イメージや創造力をつかさど
るのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(スペリー)。テレビやゲームは、そ
の右脳ばかりを刺激する。

 これはあくまでも仮説だが、皆さんはこの仮説をどう考えるだろうか。(注・数値については、
小数第一位を四捨五入した。)



崩壊する学級

●崩壊する学級

 「学級指導の困難い直面した経験があるか」と質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた
先生が、六六%もいる(九八年、秋葉英則大阪教育大学調査)。「指導の疲れから、病欠、休
職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答している。
そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九〇%以上
の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」(六六%)
などの友だちへの攻撃。「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(五
二%)などの授業そのもに対する反発もみられるという(同、調査)。

 昔は「荒れ」というと、中学、高校生の不良生徒たちの攻撃行動をいったが、それが低年齢
化すると同時に、「新しい荒れ」になっている。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、
突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの先生はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子ども
がわからなくなった」とこぼす。日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解
しにくい。常識や価値観の差を感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社
会の変化により指導が難しい」(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制でき
ない」(一〇%)と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、
八%。「かなり感ずる」「やや感ずる」という先生が、六〇%(同調査)ということだそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、私はテレビやゲームをあげる。「キレる」というだ
けでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここ
にあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく騒いだりする。
そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子ど
もを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、日常的にテレビづけになっていたのがわかる。
ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているとき
は、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児
向けにせよ、動きが速い。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。動きの速いゲー
ムもそうだ。もう少しわかりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かに
ものを考えられなくなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居
などを、静かに聞くことができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲い
ている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。
一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみに、イメージや創造力をつかさど
るのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(スペリー)。テレビやゲームは、そ
の右脳ばかりを刺激する。

 これはあくまでも仮説だが、皆さんはこの仮説をどう考えるだろうか。(注・数値については、
小数第一位を四捨五入した。)




親が右脳教育を信奉するとき

●左脳と右脳

 左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(R・W・スペリー)。その右脳をきたえ
ると、たとえば次のようなことができるようになるという(七田眞)。@インスピレーション、ひらめ
き、直感がするどくなる(波動共振)、A受け取った情報を映像に変えたり、思いどおりの映像
を心に描くことができる(直観像化)、B見たものを映像的に、しかも瞬時に記憶することがで
きる(フォトコピー化)、C計算力が速くなり、高度な計算を瞬時にできる(高速自動処理)など。
こうした事例は、現場でもしばしば経験する。

 たとえば暗算が得意な子どもがいる。頭の中に仮想のそろばんを思い浮かべ、そのそろば
んを使って、瞬時に高度な計算をしてしまう。あるいは速読の得意な子どもがいる。読むという
よりは、文字の上をななめに目を走らせているだけ。それだけで本の内容を理解してしまう。し
かし現場では、それがたとえ神業に近いものであっても、「神童」というのは認めない。もう少し
わかりやすい例で言えば、百種類近いの自動車の、その一部を見ただけでメーカーや車種を
言い当てたとしても、それを能力とは認めない。「こだわり」とみる。たとえば自閉症の子どもが
いる。このタイプの子どもは、ある特殊な分野に、ふつうでないこだわりを見せることが知られ
ている。全国の電車の発車時刻を暗記したり、音楽の最初の一小節を聞いただけで、その音
楽の題名を言い当てたりするなど。つまりこうしたこだわりが強ければ強いほど、むしろ心のど
こかに、別の問題が潜んでいるとみる。

●論理や分析をつかさどるのは左脳

 そこで右脳教育を信奉する人たちは、有名な科学者や芸術家の名前を出し、そうした成果の
陰には、発達した右脳があったと説く。しかしこうした科学者や芸術家ほど、一方で、変人とい
うイメージも強い。つまりふつうでないこだわりが、その人をして、並はずれた人物にしたと考え
られなくもない。

 言いかえると、右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あるべ
き人間の理想像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら(論理)、他人
の心を静かに思いやること(分析)ができる子どものほうが、望ましい子どもということになる。
その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である。

 右脳教育が脳のシステムの完成したおとなには、有効な方法であることは、私も認める。し
かしだからといって、それを脳のシステムが未発達な子どもに応用するのは、慎重でなければ
ならない。脳にはその年齢に応じた発達段階があり、その段階を経て、論理や分析を学ぶ。右
脳ばかりを刺激すればどうなるか? 一つの例として、神戸でおきた「淳君殺害事件」をあげる
研究家がいる(福岡T氏ほか)。

●少年Aは直観像素質者

 あの事件を引き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)画数
の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「百人一首を一晩で覚えたら、五千円
やると言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったこともあります」(「少年
A、この子を生んで」文藝春秋)と。

 少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の区別
がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。その少年Aについて、鑑定した専門家は、「(少年A
は)直観像素質者(一瞬見た映像をまるで目の前にあるかのように、鮮明に思い出すことがで
きる能力のある人)であって、(それがこの非行の)一因子を構成している」(同書)という結論
をくだしている。

 要はバランスの問題。左脳教育であるにせよ右脳教育であるにせよ、バランスが大切。子ど
もに与える教育は、いつもそのバランスを考えながらする。



親が子どもを虐待するとき

●親像をもてない親たち

 親だから、子どもを愛しているはずと考えるのは、正しくない。今、人知れず、子どもを愛する
ことができないと悩んでいる親は、多い。母親で一〇%はいる。「妊娠したので、今の夫としぶ
しぶながら結婚した」「大嫌いな義父そっくりなので、どうしても自分の息子が好きになれない」
など。何らかのわだかまりが原因となることが多い。しかし不幸にして不幸な家庭で育ったた
め、親像そのものをもてない人もいる。M氏(三〇歳男性)は、早くに父親をなくした。そのため
母の手だけで育てられた。そのためいつも、「子どもの抱き方がわからない」「どういうふうに抱
けばいいのかわからない」などと言っていた。
 親は、自分自身が育てられたという経験がはじめて、自分で子育てができる。が、それがな
いと、子育てそのものが、どこかぎこちなくなる。子どもを虐待する親というのは、基本的には
たいていこのタイプの親と思ってよい。

●頭はボコボコ……

 F市のある幼稚園に、一人の中学生の男の子が逃げ込んできた。見ると、頭はぼこぼこ。身
体中アザだらけ。そのときの様子を、園長のI氏はこう言った。「声をかけても、ワナワナ震えて
いるだけ。ほかに逃げるところを知らなかったから、昔通ったことのある私の幼稚園へ来たの
でしょう」と。「その男の子は別れた夫に、顔がそっくりだったのが理由のようです。母親は、バ
ットでその息子を殴っていました」と。
 ホルネイという学者は、親が子どもを虐待する理由として、次の四つをあげている。

@親自身が(心の)障害をもっている。
A子どもが親の重荷になっている。
B子どもが親にとって、失望の種になっている。
C親が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている。

 ここで「親自身が障害をもつ」というのは、親自身が虐待を受けた経験があるということ。これ
を教育の世界では、「世代伝播(でんぱ)」という。よきにつけ悪しきにつけ、子育てというのは、
親から子へと伝播しやすい。いや、それに気づいている親は、まだ救われる。たいていの親
は、伝播していることにすら気づかないまま、無意識のうちに自分の受けた子育てを繰り返
す。こんな例もある。
 ある母親は三歳になる息子がその母親のスカートをひっぱったとたん、「イヤッ!」とその息
子を払いのけてしまうという。そして「どうしても息子を愛することができません」と。が、原因は
なかなかわからなかった。生まれも育ちも、むしろ恵まれた環境だった。しかし数回会ってカウ
ンセリングを重ねるうち、その理由がわかってきた。その女性は、若いころ一人の男性とつき
あっていた。最初こそうまくいっていたが、やがて恋心が消えた。が、同時に相手の男性が、執
拗なストーカーとなって、その女性につきまとうようになった。その女性は苦しんだ。が、「私だ
けががまんすれば……」と、その男性と結婚してしまった。「結婚を断われば事件になったかも
しれません」とも。が、こういう結婚など最初からうまくいくはずがない。そこでその女性は、「子
どもが生まれれば、気持も変わるだろう」と、その子どもを産んだ。その子どもがそのとき三歳
になる息子だった。

●まず「わだかまり」に気づく

 新聞に載るような虐待は別として、もしあなたがいつも同じパターンで子どもにきびしく当たる
ということであれば、あなた自身の中に潜む「わだかまり」をさぐってみるとよい。何かあるはず
である。あなた自身が受けた子育てを静かに振り返ってみる。もしあなたが両親の愛に包ま
れ、心豊かな環境で穏かに育てられているなら、それでよし。が、そうでないなら(そうでない家
庭がほとんどだが……)、何かわだかまりがあるはずである。それに気づく。この問題だけは、
そのわだかまりに気づくだけでよい。少し時間はかかるが、問題はそれで解決する。


親が過保護になるとき

●過保護にもいろいろあるが……

 「過保護」といっても、内容はさまざま。運動面の過保護、食事面の過保護など。親はそれぞ
れの思いをもって子育てをする。それが悪いというのではない。ある母親は、長男を交通事故
でなくした。だからその弟を、外では遊ばせなかった。また別の母親は子どもの食事に細心の
注意を払っていた。その子どもが赤ん坊のとき、生死の間をさまようような大病を繰り返したか
らだ。が、ふつう「過保護」というときは、精神面での過保護をいう。たとえば「近所の子どもと遊
ばせると、いじめられるから」と、家の中だけで子育てをするなど。子どもの世界を、親の保護
の届く範囲に限定してしまう。こういう環境で育てられると、子どもは俗にいう「温室育ち」にな
る。

●過保護児の特徴

 過保護児の第一の特徴は、社会性のなさ。ブランコを横取りされても、それに抗議することも
できない。一見よい子(?)なのだが、どこかハキがない。力強さがない。そしてその分だけ心
はもろく、キズつきやすい。外の世界へ出ると、すぐ風邪をひく。こんなことがあった。帰りのし
たくになっても、机の上のものをしまえない子ども(年中男児)がいた。そこで私が「しまいなさ
い」と指示したのだが、「しまう」という意味すらわからないらしい。そこでさらに私が身振り手振
りで、しまうように指示したのだが、そのうちメソメソと泣き出してしまった。多分家では、そうい
うふうに泣けば、皆が助けてくれるのだろう。が、運の悪いことに(?)、その日はたまたま母親
がその子どもを迎えにきていた。子どもの泣き声を聞きつけると教室へ飛び込んできて、こう
言った。ていねいだが、すごみのある声だった。「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。
 ほかに過保護児は、@年齢に比して全体に幼い感じがする(幼児性の持続)、A目標や規則
が守れず、自分勝手な行動が目立つ(退行的態度)、Bいつまでも依存心が強く、わがままな
反面、優柔不断で自分で結論を出すことができない(服従傾向)などの特徴がある。

●過保護もどきの過保護

 本来過保護の背景には、親の「愛」がある。が、そうでない過保護もある。代償的過保護とい
う。過保護もどきの過保護と考えるとわかりやすい。代償的過保護というのは、子どもを自分
の支配下において、自分の思い通りにしたという、親のエゴに基づいた過保護のことをいう。そ
の結果子どもは、@愛情に飢えた状態になる(愛情飢餓)、Aいつも何かに強迫されているか
のようにビクビクとおびえる(強迫傾向)、B感情をコントロールできない(情緒的未成熟)など
のさまざまな問題行動を起こすことが知られている。このタイプの親は、「世話がかかる」とこぼ
しつつ、一方で、子どもの自立を妨げる。自分が死ぬまで、息子の結婚をことごとく反対し、そ
れをつぶしてしまった母親(八〇歳)すらいた。

●過保護から抜け出るために

 過保護の背景には、何らかの「心配」がある。この心配の「種」を知り、その種を取り除く。ふ
つうはその種に気づかないまま、(手をかける)→(子どもがひ弱になる)→(ますます手をかけ
る)の悪循環の中で、子どもは過保護児になっていく。が、問題は残る。過保護であることが、
生活のリズムになっている場合である。一度リズムができると、それを変えるのは容易ではな
い。さらに中には子どもの世話をするのが、生きがいになっているケースもある。そういう親に
向かって「過保護をやめなさい」と言うことは、その親から生きがいを奪うことにもなりかねな
い。また私がそれを指摘すると、「過保護であってはいけない」という思いと、「子どものことが
心配だ」という思いの中で、かえって親を追い込んでしまうときもある。ではどうするか。
 過保護を感じたら、子どもとは別の世界で、自分の生きがいを見出すようにする。仕事でもボ
ランティア活動でも何でもよい。そして結果として、子ども忘れ、子育てから離れられるような環
境を、自分の周囲につくる。


親が子育てで行きづまるとき

●私の子育ては何だったの?

 Mという雑誌に、こんな投書が載っていた。五〇歳の女性(神奈川県)からのものだった。
「思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大切
にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリカニを飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、読
み書きする姿も見せてきました。リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部
屋も飾ってきました。なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうく
さがり、努力もせず、マイペースなのでしょう。旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、
当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費
ばかり。二人とも「自然」になって、まるで興味なし。しつけにはきびしい我が家の子育てに反し
て、マナーは悪くなるばかり。私の子育ては一体、何だったの? 私はどうしたらいいの? 最
近は互いのコミュニケーションもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?」(〇一年十
月号)と。

●親のエゴに振り回される子どもたち

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こんな相談
があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小三男児)は毎日プリントを三枚
学習することにしていますが、二枚までなら何とかやります。が、三枚目になると、時間ばかり
かかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょうか」と。もう少し深刻な例だと、こんなの
がある。これもある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、二時間だけ授業を受け
ました。が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのです
が、どうしたらいいでしょうか」と。
 こうした例では、私は「プリントは二枚でやめたらいい」「二時間だけ授業を受けて、今日はが
んばったねと子どもをほめてあげなさい」と言うようにしている。仮にこれらの子どもが、プリント
を三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚やらせたい」「午後の授業も受けさ
せたい」と言うようになる。もう少し身近な例ではこういう相談も多い。「何とか、うちの子をC高
校へ。それが無理なら、D高校へ」と。そしてその子どもがC高校へ入れそうだとわかってくる
と、親は今度はこう言い出す。「何とかB高校へ……」と。要するに親のエゴには際限がないと
いうこと。そしてそのエゴに子どもたちは、限りなく振り回される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書の話。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッと
した。しかし考えてみれば、この母親のしたことは、すべて親のエゴ。もっとはっきり言えば、ひ
とりよがりな子育てを繰り返していたにすぎない。そのつど子どもの意思や希望を確かめた様
子がない。独善と独断で子どもを引き回していただけ。この母親のしたことは、何とかプリント
を三枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。

●親の役目

 親には三つの役目がある。昔、オーストラリアの友人がこ話してくれた。「親は子どもの前を
歩く。子どものガイドとして。親は子どものうしろを歩く。子どもの保護者として。親は子どもの横
を歩く。子どもの友として」と。この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれない
が、「友」としての視点がどこにもない。特に気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育
て」というところ。この母親が見せつけた「我が家」と、子どもたちが感じているであろう「我が
家」の間には、大きなギャップを感ずる。はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心
地のよい「我が家」であったか。結局はこの一点に問題のすべてが集約されているのではない
のか。


子どもの心が不安定になるとき

●情緒が不安定な子ども

 子どもの成長は、次の四つをみる。@精神の完成度、A情緒の安定度、B知育の発達度、
それにC運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われるとき
をみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎこみ、不機
嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなけ
れば、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わな
い。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的
な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五〜一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れ
てしまう。

●情緒不安とは……?

 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二〜四歳の
第一反抗期、思春期の第二反抗期に、特に子どもは動揺しやすくなる。
 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さ
ない。気を抜かない。周囲に気をつかう。他人の目を気にする。いい子ぶるなど。その緊張状
態の中に、不安が入りこむと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安
定になる。さらに症状が進むと、周囲に溶けこめず、引きこもったり、怠学、不登校を起こした
り、反対に攻撃的、暴力的になったり(マイナス型)、突発的に興奮して暴れたりすることもある
(プラス型)。表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらで
もいる。このタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッス
ンをしようね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。

●原因は、家庭に!

 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかし
まず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子ど
もの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家
庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。子どもが小学生になったら、家庭は、「心を休
める場。疲れた心をいやす、いこいの場」でなければならない。アメリカの随筆家のソローも、
「ビロードのクッションの上より、カボチャの頭」と書いている。人というのは、高価なビロードの
クッションの上にすわるよりも、カボチャの頭の上にすわったほうが気が休まるという意味だ
が、多くの母親にはそれがわからない。わからないまま、家庭を「しごきの場」と位置づける。
学校という「場」で、いいかげん疲れてきた子どもに対して、家の中でも「勉強しなさい」と、子ど
もを追いまくる。「宿題は終わったの」「テストは何点だったの」「こんなことでは、いい高校へ入
れない」と、追いまくる。

●子どもの情緒を安定させるために

 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にす
る。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子ども自
身が誰にも干渉されないような時間と場所をもつこと。親があれこれ気をつかうこと(過関心)
は、かえって逆効果になる。そしてカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。特
にカルシウムは天然の精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、「安定剤」の薬として使われ
ていた。錠剤で与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいこと
は言うまでもない。なお情緒というのは、一度不安定になると、数か月から数年単位で症状が
推移する。親があせって何とかしようと思えば思うほど、逆効果で、一度キズついた心は、そん
なに簡単にはなおらない。つまりそういう前提で、「それ以上症状を悪化させないことだけ」を考
えて、あとは子どものリズムに合わせる。


子どもが伸びるとき

●伸びる子どもの四条件

 伸びる子どもには、次の四つの特徴がある。@好奇心が旺盛、A忍耐力がある、B生活力
がある、C思考が柔軟(頭がやわらかい)。
@好奇心……好奇心が旺盛かどうかは、一人で遊ばせてみるとわかる。旺盛な子どもは、身
のまわりから次々といろいろな遊びを発見したり、つくり出したりする。趣味も広く、多芸多才。
友だちの数も多く、相手を選ばない。数才年上の友だちもいれば、年下の友だちもいる。反対
に好奇心が弱い子どもは、一人で遊ばせても、「退屈〜ウ」とか、「もうおうちへ帰ろ〜ウ」と言
ったりする。
A忍耐力……よく誤解されるが、サッカーやゲームなど、好きなことを一日中しているからとい
って、忍耐力のある子どもということにはならない。子どもにとって忍耐力というのは、「いやな
ことをする力」のことをいう。たとえばあなたの子どもに、台所の生ゴミの始末をさせてみてほし
い。そういう仕事でもいやがらずにするようであれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもと
いうことになる。おばあさんが吐いた食べ物を、タオルでぬぐってあげていた女の子(年長児)
がいた。そういう子どもを忍耐力のある子どもという。この忍耐力がないと、子どもは学習面で
も、(しない)→(できない)→(いやがる)→(ますますできない)の悪循環の中で、伸び悩む。
B生活力……ある男の子(年長児)は、親が急用で家をあけなければならなくなったとき、妹の
世話から食事の用意、戸じまり、消灯など、家事をすべて一人でしたという。親は「やらせれば
できるもんですね」と笑っていたが、そういう子どもを生活力のある子どもという。エマーソン(ア
メリカの詩人、「自然論」の著者)も「教育に秘法があるとするなら、それは生活を尊重すること
である」と書いている。
C思考の柔軟性……思考が柔軟な子どもは、臨機応変にものごとに対処できる。同じいたず
らでも、このタイプの子どものいたずらは、どこかほのぼのとした温もりがある。食パンをくりぬ
いてトンネルごっこ。スリッパをつなげて電車ごっこなど。反対に頭のかたい子どもは、一度「カ
ラ」にこもると、そこから抜け出ることができない。ある子ども(小三男児)は、いつも自分のす
わる席が決まっていて、その席でないと、どうしてもすわろうとしなかった。
 一般論として、「がんこ」は、子どもの成長にとって好ましいものではない。かたくなになる、意
固地になる、融通がきかないなど。子どもからハツラツとした表情が消え、動作や感情表現
が、どこか不自然になることが多い。教える側から見ると、どこか心に膜がかかったような状態
になり、子どもの心がつかみにくくなる。

●子どもを伸ばすために

子どもを伸ばす最大の秘訣は、常に「あなたは、どんどん伸びている」という、プラスの暗示を
かけること。そのためにも、子どもはいつもほめる。子どもを自慢する。ウソでもよいから、「あ
なたは去年(この前)より、ずっとすばらしい子になった」と言う。まずいのは「あなたはダメにな
る」式のマイナスの暗示をかけること。特に「あなたはやっぱりダメな子ね」式の、「格」攻撃は
タブー中のタブー。その上で、@あなた自身が、自分の世界を広め、その世界に子どもを引き
込むようにする(好奇心をますため)。またA「子どもは使えば使うほどいい子になる」と考え、
家事の手伝いはさせる。「子どもに楽をさせることが親の愛」と誤解しているようなら、そういう
誤解は捨てる(忍耐力や生活力をつけるため)。そしてB子どもの頭をやわらかくするために
は、生活の場では、「アレッ!」と思うような意外性を大切にする。よく「転勤族の子どもは頭が
いい」と言われるのは、それだけ刺激が多いことによる。マンネリ化した、単調な生活は、子ど
もの知育の発達には、あまり好ましい環境とは言えない。


子どもの自我がつぶれるとき

●フロイトの自我論

 フロイト(オーストリアの精神医学者、「精神分析入門」の著者)の「自我論」は、よく知られて
いる。それを子どもに当てはめてみると、次のようになる。
【自我の強い子ども】
 ものごと攻撃的、積極的。「やる!」「やりたい!」という言葉がよく出てくる。現実的なものの
考え方をし、頼れるのは自分というような考え方をする。将来に向っての展望があり、趣味も創
造的。たとえば「お金をためて、楽器を買う。その楽器で作曲して、コンクールに出る」と言うな
ど。また自制心が強く、ほしいものがあっても、自分をコントロールできる。
【自我の弱い子ども】
 ものごとに防衛的になり、消極的。「いやだ……」「つまらない……」という不平不満、グチが
多くなる。ものの考え方も非現実的になりで、超能力や空想や神秘的なものにあこがれたり、
期待をいだいたりする。趣味も一時的な快楽を求める傾向が強くなり、こづかいを渡してもすぐ
使ってしまう。意味のないカードを集めたり、モデルガンを買い求めたりするなど。また衝動性
が強くなり、ひとたびその衝動にかられると、それをコントロールすることができない。盗んだお
金でほしいものを買っても、盗んだという罪悪感よりも、「ほしいものを手に入れた」という満足
感のほうが強くなる。
   
●自我とは……

 「全体として自分を意識する主体」(心理学)、あるいは「精神機能をつかさどる人格の中枢機
関」(精神分析)を、自我という。……と書いても、理解できる人は少ない。要するに、「この子
は、こういう子どもだ」というつかみどろころを自我と考えると、わかりやすい。自我の強い子ど
もは、それがはっきりしている。自我が弱い子どもは、それがどこかぼんやりとしている。たと
えば自我が強い子どもは、いやなことはいやだとはっきり言う。一方自我が弱い子どもは、何
を考えているかわかりにくい子どもということになる。その自我は、伸ばす・伸ばさないという視
点からではなく、引き出す・つぶすという視点から考える。
 
●自我の強い子どもにするために

 どんな動物にも、もちろん人間にも、自我は平等に備わっているとみる。だからこそこの数十
万年という長い年月を、人間は生き延びてくることができた。庭へ来るスズメにしても、実にたく
ましい。犬のドッグフードをかすめ取っては、自分たちで食べている。
 しかしこの自我は、意外ともろく、キズつきやすい。威圧的な過干渉(ガミガミと子ども叱る。
暴力や暴言で子どもを押さえつける)、神経質な過干関心(子どもの側から見て、息が抜けな
い家庭環境)、さらには極度の緊張や恐怖が日常化すると、子どもの自我はつぶれる。全体に
ハキのない、ナヨナヨした子どもになる。外見的には、おとなしく従順な子どもになり、そのため
「いい子」という印象を与えることもある。が、そうした「見かけ」に、だまされてはいけない。この
タイプの子どもは、善悪の判断にもうといため、とんでもない事件を引き起こしたりする。そして
ここが重要だが、幼児期に一度、自我がつぶれると、その修復は容易ではない。よく「三つ子
の魂、百まで」と言うが、ことこの自我に関していえば、確かにそういう面は否定できない。
 要するに自我の強い子どもにするためには、あるべき環境の中で、あるがままに子どもを育
てる。親が設計図をもち、その設計図にあてはめようとすればするほど、子どもの自我はつぶ
れる。もしあなたの子どもが、自我の弱い子どもと感ずるなら、今日からでも遅くないから、「う
ちの子はうちの子」と、あるがままに子どもを受け入れる。過干渉や過関心があれば、それは
改める。時間をかけて、ゆっくりと子どもの自我を引き出すようにする。


子どもがウソをつくとき

●ウソにもいろいろ

 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ(虚言)と、あたかも空想の世界にいるかのようにして
つくウソ(空想的虚言)は、区別して考える。
 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇
示、吹聴、自慢など)のためにつくウソをいう。子ども自身がウソをついているという自覚があ
る。母「だれ、ここにあったお菓子を食べたのは?」子「ぼくじゃないよ」母「手を見せないさい」
子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。
 同じようなウソだが、思いこみの強い子どもは、思い込んだままウソをつくことがある。「昨
日、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というウソがそれである。その思いこみが激
しく、現実と空想の世界がわからなくなってしまった状態を、空想的虚言という。こんなことがあ
った。

●空想の世界に生きる子ども

 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児)
が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、先生につねられたと言うではありま
せんか。どうしてそういうことをするのですか。先生は体罰反対ではなかったのですか!」と。も
のすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、その母
親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言
ってもらっては困ります!」と。
 その翌日その子どもと会ったので、それとなく子どもに話を聞くと、「帰りのバスの中で、A君
につねられた」と。その状況を聞くと。聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、その
あとA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、強圧的な母親の注意をそらす
ために、自分でわざとアザをつくったらしい……? ほかに私の印象に残っているケースで、
「私はイタリアの女王様」と言い張って、一歩も引きさがらなかったいた女の子(年長女児・オー
ストラリア)がいた。

●空中の楼閣に住まわすな

 イギリスの格言に、「子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせて
はならない」というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世
界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間
に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りない
リアリティをもちこんだりする。そして一度虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実で
あるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自
覚しないのが、その特徴である。

●ウソは、静かに問いつめる

 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「も
うウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子
どもはウソがうまくなる。
 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのい
い子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側か
ら見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない
子ども」となる。
 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。
原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。
特にこのタイプの子どもの場合、親が強圧的であればあるほど、空想的虚言の世界に、子ど
もを追い込んでしまうことになるから注意する。


子どもがドラ息子になるとき

●ドラ息子は日本の国民病

ドラ息子、ドラ娘は、今では日本人の国民病のようなものだ。三〇年間アメリカで高校の教師
をしていた、友人はこう言った。「ヒロシ、日本の子どもは一〇〇%、スポイルされているよ」と。
そこで私が、「君はどういうところを見てそう言うのか?」と聞くと、こう教えてくれた。「ときどき、
英会話教室の生徒をホームステイさせてやるのだが、食事の用意を手伝わない。食べたあと
食器を洗わない。シャワーのアワを流さない。朝起きても、ベッドをなおさない。日本の子ども
は何もしない」と。
 皮肉なものだ。子どもは使えば使うほど、よい子どもになる。生活力も忍耐力も、そこから生
まれる。ためしに今日、あなたの子どもに、台所の生ゴミを手で始末させてみてほしい。「ハー
イ」と言って、それをいやがらずにすれば、あなたの子どもは、ここでいう忍耐力のある子ども
ということになる。そういう子どもは伸びる。学習面でも伸びる。もともと「勉強」というのは、い
やなもの。そのいやなものを乗り越える力が、忍耐力だからである。が、生ゴミの始末をいや
がったり、不愉快な顔をするようであれば、かなりのドラ息子と考えてよい。さらにドラ息子化が
進むと、「どうしてぼくがしなければいかんのか!」と言ったり、「自分のことは自分でしな!」と
か言ったりする。

●ドラ息子症候群

 自己中心性が強く、わがままで自分勝手な子どもをドラ息子という。ものの考え方が消費的
(今を楽しめばよいという考え方。小づかいでも、渡すとすぐ使ってしまう)になり、退行的(目標
や規則が守れない。生活習慣がだらしなくなる。無礼、無作法な態度が目立つ)になる。依存
心は強い割に、無責任にもなる。たとえば自分の権利はワーワーと主張する反面、他人を犠
牲にすることは何とも思わないなど。ドラ息子は独特のものの考え方をする。S君(高校生)は
こう言った。「老人なんか、役立たずは、みんな早く死ねばいい」と。そこで私が「君だっていつ
かは、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくはいい。ぼくはその前に死ぬ。それにぼくは死ぬまで
にうんとお金をためておくからいい」と。

 原因は複合的なもので、たとえば極端な甘やかしと、きびしさが家庭の中に同居すると、子ど
もからバランス感覚が消え、ここでいうドラ息子になる。たとえばきびしいしつけをしながら、一
方で子どものいいなりになってしまうような環境など。親自身が約束を破るのもよくない。なおこ
こでいうバランス感覚というのは、(していいこと)(して悪いこと)(しなければいけないこと)(し
てはならないこと)を、静かに冷静に判断する感覚のことをいう。このバランス感覚が崩れる
と、子どもはかたよったものの考え方をするようになる。たとえば、「人類の半分は、核兵器か
何かで死ねばいい。この地球は人口が多過ぎる」と言った子ども(中三男児)がいた。「私、未
亡人になって、黒いドレスを着てみたい」と言った女子高校生もいた。

 子どもをドラ息子にしないためには、子どもは使う。このことはもう書いた。中に子どもに楽を
させるのが親の愛だと誤解している人がいる。しかしそれは誤解。子どもは自分で苦労しては
じめて他人の苦労がわかる子どもになる。そしてそのなった分だけ、よい子になる。たとえば子
どもの前で重い荷物をもって歩いてみてほしい。そのとき、「もってあげる!」と、あなたのとこ
ろに走ってくればよし。しかし重い荷物をもったことがない子どもには、その苦労がわからな
い。ほかに@飽食とせいたくを避け、A生活のルールを守る。
 ドラ息子になればなったで、結局は苦労するのは子ども自身ということになる。それだけのこ
とだ。


子どもが不登校児になるとき

●学校恐怖症の子ども

 子どもが不登校を起こす背景や原因は、決して一様ではない。いじめや暴力が原因で不登
校を起こすケース、あるいは集団教育になじめず不登校を起こすケースなど。私の息子の一
人はひどい花粉症で、毎年春先になると、決まって不登校を繰り返した。花粉症による睡眠不
足が、その引き金になった。が、こうした不登校の中でも比較的多く、また期間が長期化する
のタイプの不登校に、不安障害による不登校がある(長崎大・中根充文ほか)。一九四一年に
アメリカのジョンソンという学者が、「学校恐怖症」と名づけたのが、それである。このタイプの
不登校には、段階的な特徴があるのが知られている。

第一期・不調期 登校時刻になると、身体的不調を訴える。頭痛や腹痛、吐き気、気分の悪さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると静かに収まってくる。床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と答えたりする。この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」とか言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。ターゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。このように症状が、一日単位で、周期的に変化することを、「症状の日内変動」という。うつ病の人に共通してみられる症状であり、このため学校恐怖症をうつ病の一つに考えている学者も多い。なお行為障害に近い不登校を、「怠学」(truancy)と呼んで、この学校恐怖症(school refusal)とは区別する。
第二期・パニック期 登校時刻になるとパニック状態になり、はげしく抵抗したり、泣き叫んだりする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。しかしいったん、学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せる。あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。
第三期・自閉期 親が学校へ行かせるのをあきらめ、子どももそれに慣れてくると、子どもは自分の世界に閉じこもるようになる。暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ち着く。ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある(感情障害……感情のコントロールができない状態)。過剰な不安障害をともなうことが多く、ささいなことでパニック状態になることが多い。そういう状態になったら、子どもの立場で、子どもの視点で心をなぐさめるようにすること。「気のせい」「わがまま」と決めつければ決めつけるほど、症状は悪化する。この状態で症状は、数か月から数年という単位で、一進一退を繰り返す。ほかに他人との接触を嫌う回避性障害、過食、拒食になる節食障害などが現われることもある。
第四期・回復期
少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校するようになる。

                                          (参考文献……「うつ病」(中根允文)医歯薬出版)

●対処のまずさが、問題を深刻にする

 第一期で注意しなければならないのは、たいていの親はこの段階で、「わがまま」とか、「気
のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。あるいは子どもの言う理
由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの(心の問題)を見逃してしまう。しかしこ
のタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。ある母親
はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。そし
て泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。その母親
は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り続けた。
が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しが
つかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくない
ときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくて
すむかもしれない。

 要は子どものリズムで考えるということ。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えるこ
と。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を、未然に防ぐことができる。


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