はやし浩司

秘密の部屋(1)
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はやし浩司の子ども時代

生まれ

生まれは岐阜県の美濃市という小さな町。
昔から和紙の産地として知られた町だよ。
ぼくたちは「みの町」と呼んでいたけどね。古い町で、
今でも、町の中には、江戸時代からの建物が
たくさん残っているよ。
ぼくはこの町で、高校を卒業するまでいた。
でもね、本当のことを言うとね、これからそういう話をするけど、
ぼくはこの町が好きではない。この町を出たくて出たくて、
勉強したよ。その理由の一つに、周囲を山に囲まれて、
何だか息苦しかったこともある。しかし本当の理由は、ね、
ぼくはこう見えても、結構、不幸な家庭に育っているのさ。

父親

ぼくの父親は、ね。ふだんは本当におとなしい、無口の人だったよ。
しかし、ね。酒を飲むと、人が変わってしまって、ね。
二、三日おきに、近くの酒屋で酒を飲んでは、家の中で暴れたよ。
ちょうどぼくが幼稚園へ入るころでね。ぼくはそれがいやだった。
いやというより、こわかった。父はね、酒を飲むと
大声を出して、暴れたよ。家族に暴力をふるったことも、
しょっちゅうあったよ。ぼくはこわかった……。

山で遊ぶ

そんなわけで、ぼくは毎日、外で遊んでいたよ。
毎日、真っ暗になるまで、ね。家の中は
落ち着かなかったと思う。
その遊び場が、近くの山だった。ぼくはその山では
親分だった。いつも子分を連れて、山の中を
歩いていたよ。だから今でも、山を見ると、
本当に楽しくなる。うれしくなる。緑がすきなのは、
そのためだよ。そうそう、そのころから、
年下の小さい子どもが好きだったよ。
今でも好きで、それで幼児教育が肌に合ったのかもしれない。

川で遊ぶ

ぼくたちが子どものころは、川で泳いだよ。
まだプールがない時代、でね。でも、ぼくはその川で泳ぐのが何よりも
好きだった。楽しかった。ぼくは泳ぐのは速くないけど、もぐるのは得意で、
高校生になったときでも、25〜30メートルくらいは、もぐったまま泳ぐことができたよ。
でも、あるとき、みんなと、深くもぐる競争をしてね、
ぼくもひどい中耳炎になってしまっけど、もう一人の友だちは
鼓膜をやぶって耳が聞こえなくなってしまったよ。
鼓膜って、知っている? 「コマク」だよ。
そうそう、一度だけ、三年生のときだったと思うけど、川で溺れて
死にかけたことがあるよ。中学生のお兄さんに助けてもらったけどね。
あのときはこわかった。だからしばらく川で泳げなくなってしまったよ。

得意なこと

子どものころ、これといって得意なのはなかったけど、
絵や工作が好きだった。毎日絵を描いたり、何かを作ったりして遊んでいた。
その中でも、一番楽しかったのは、模型飛行機づくりだったかな。
飛行機はたくさん、作ったよ。ぼくはそのころ、パイロットになるのが
夢だった。飛行機に乗って、外国へ行くのが、ね。
飛行機を見るたびに、心がワクワクしたのを今でもよく覚えているよ。
そう、おとなになった今でも、飛行機を見ると、ワクワクするよ。
君たちも、何か、ワクワクするものをもっているだろ。
それを大切にするといいよ。

初恋

かたい話ばかりになったから、楽しい話もしようね。
ぼくは、ね。中学三年生のときに、初恋をしたよ。本当はその女の子のことは、
中学一年生のときから、ずっと好きだったけどね。でも、その子に
はじめて電話をしたのは、中学三年生になってからだよ。
佳子さんっていう名前の、とてもかわいい、すてきな子だったよ。
ぼくが好きになるくらいだからね。まちがいないよ。
で、ある日、電話をしたというわけ。心臓が爆発しそうなほど、
ドキドキしたのを今でもよく覚えている。
最初、佳子さんのお母さんが電話に出たよ。
「よしこ〜、電話!」ってね。
で、その佳子さんが電話に出たわけ。だけどね、ぼくはそこで気がついた。
何も話すことを用意してなかった……。
ドジだね。電話することだけを考えて、何を話すか決めてなかったというわけ。
で、佳子さんは、「何か用?」とか言ったけど、ぼくは、
「何もありません」と言って、電話を切った……。
それでおしまい。ぼくの初恋はね。
あっけなくこわれてしまったというわけ。

勉強

ぼくはね、それほどがり勉でもなかったけど、
勉強ではあまり負けたことがなかったよ。
これは本当の話だけど、ぼくは中学三年生のとき、
全科目でいつも一番だったよ。
当時はね、550点満点で、いつもぼくは510〜530点くらいを
取っていたよ。二番との差がいつも40〜50点以上もあった。
しかも、だよ。一学年、500人以上もいたよ。
理科は、一年間、すべてオール100点だった。
先生が、「林に100点取らせたくない」と言って、
ときどき難しい問題を作ったけど、やっぱりぼくだけできて、
それで100点になってしまった。

いやなこと

やはりぼくの家のことを書かなくてはいけないね。
ぼくの家は自転車屋だった。小さな、ね。
でもね、父は商売がへたで、一方母は、気位が高い人で、
その父を手伝わなかった。おじいさんとおばあさんもいたけどね、
おばあさんも何も仕事をしなかった。
母とおばあさんは、いつも家の奥にひっこんいたよ。
そういうこともあって、父はおもしろくなかったのかもしれないね。
ますます酒を飲むようになった。そして暴れた……。
ぼくにはつらい毎日だったよ。学校から帰ってくるのが、イヤだった。
ときどき父が酒を飲んで通りをフラフラと歩いているだろ。
それを友だちに見せるのがイヤだった。
つらかったよ。とても悲しかったよ。

性格

だからぼくの性格はゆがんだよ。
人前では、自分の心を見抜かれるのがイヤで、明るく振舞ったよ。
今でも、当時のぼくを知る人は、「浩司は、明るい子だった」と言うよ。
しかしそれは仮面。ぼくは「いい子」を演じていただけ。本当のぼくは、
もっと別の子どもだった。
そうそう勉強をするようになったのも、きっと、そういうことがあったからだろうね。
中学二年のときから、ぼくは猛烈に勉強したよ。
頭が少しおかしかったのかもしれないね。
それほど、頭はよくないけど、勉強だけはよくできたから……。

兄弟

ここではじめて書くけど、ぼくには姉と兄がいるよ。
姉はふつうだけど、兄は自閉症みたいだ。
ぼくは三男で、父の暴力から逃れることができたけど、
兄はできなかった。で、兄は父の犠牲になったのかな。
本当は母が、間に入らなければならなかったのだけど、
母は、世間体ばかり気にする人で、ね。ぼくら子どもの心には、
ほとんど関心がなかったみたいだ。
ぼくの時代はみんなそうだったといえば、そうだったけど、
家族旅行なんて、ぼくが小学六年生になるまで、
一度しかしてないよ。たったの一度だよ。
その旅行で伊勢まで行ったけど、そこでまた父が酒を飲んでしまい、
その旅行も途中で終わり。夜中に帰ってきたよ。

祖父母

そんなぼくの家だけど、おじいさんとおばあさんがいてね。
おばあさんはともかくも、おじいさんがぼくのめんどうをよくみてくれたよ。
祭りでも、おじいさんが、連れていってくれた。手をつないで、ね。
だからぼくは、それ以上、性格がゆがむということはなかった。
かろうじて、ね。もしおじいさんがいなければ、今ごろぼくは、
おかしな人間になっていたと思うよ。

続きは、またね……

制作中