これから先に話すことは、いつか君が、すばらしい人になったときに、役に立つ話だよ。
いや、その前に、役立つかもしれないよ。ぼくが君たちに、真剣に話したいことさ。だからそのつもりで、ぼくの話を聞いてよ。
こんな話があるよ。
あるところに、ね。一人の修行僧(しゅぎょうそう)がいたんだって。修行僧というのは、修行しているお坊さんのことだよ。そのお坊さんは、毎日、毎日修行をした。修行する目的が、ちゃんと、あったんだよ。それはね、修行をして、ね、歩いて川を渡りたかったんだって、さ。
その修行僧は、5年も修行したよ。10年も修行したよ。20年も修行したよ。たいへんな修行だったそうだ。朝、日の出とともに起きて、夜は暗くなるまで、修行したよ。どんなことをしたかって? 毎日食べるものは、粗末な食事だけ。あとはお経を読んだり、滝に打たれたり。寒い雪の降る日も、裸で川の中でお経を読んだそうだ。
でも、歩いて川を渡ることはできなかったそうだ。が、その修行僧はあきらめなかった。さらに20年も修行をしたよ。30年も修行をしたよ。気がついてみると、その修行僧は80歳のおじいさんになっていたそうだ。
そんなある日のこと。その修行僧が川の中に足を入れてみると、ね。体がフワフワと軽いのに気がついた。驚いて自分の足を見ると、足が水の上に浮いていた。その修行僧は驚くと同時に、涙をポロポロこぼしながら喜んだ。「やっと水の上を歩くことができるようになった!」と。その修行僧は、ゆっくりと川の中のほうに向かって歩き始めた。でも、その修行僧は沈まなかった。川の上を歩くことができるようになった。
君は、この話を読んでどう思う? その修行僧はすばらしい人だと思うかい? だってね、長い間苦労して、やっと水の上をあるくことができるようになったわけだから、ね。一応、目標を達成したというわけ。だけどね、この話には、続きがあるんだよ。
でもね、そのとき、小さな舟がその修行僧のそばを通りすぎた。その舟には、一人の男が乗っていたよ。でもね、その男はその修行僧を見ると、こう叫んだそうだ。
「バカヤロ〜。そんなことができるようになるために、お前は、80年もムダにしたのかよ〜。水の上を歩きたかったら、舟に乗ればいいじゃんかよ〜」と。
君はこの話を読んでどう思う? その修行僧のした修行はやはりムダだと思うかな。それとも舟の上の男が言ったことがまちがっていると思うかな。
多くの人はね、よくよく考えてみると、ムダなことをするために、自分の時間をムダにしてしまうよ。ひょっとしたら、ぼくもムダにしているかもしれない。君もムダにしているかもしれない。そこで大切なことは、まず自分のしていることがムダか、ムダでないかを判断することだよ。これはとても大切なことだよ。だってね、人生はね、長いようで短かい。特に、若い時代はあっという間に過ぎてしまうよ。そういう人生だから、ムダなことに時間を使うことはできないはずだよ、ね。
こんな話もあるよ。
あるとき、一人の男が、お釈迦様(おしゃかさま)のところに来て、こう言ったそうだ。「お前が本当にすばらしい力があるなら、その力を使って、あの火の中の栗を取り出してみろ」と。
するとお釈迦様は火のほうに近づいていって、手を火の中につっこんでその栗を取り出したそうだ。男はそれを見て、「そんなインチキな方法なら、誰にだってできる」と。するとお釈迦様は、こう答えたそうだ。「ほしいものがあったら、自分の手で取ればいい」と。
きっとその男は、お釈迦様が超能力か何かを使って、栗を取り出すと思ったのだろうね。しかしお釈迦様は、手でその栗を取ったんだよ。ここが重要なところだよ。君にだって、いろいろな夢や希望があるだろ。もしそうなら、それは自分の力で、自分ができる方法で、自分で実現するんだよ。
そこで大切なことは、そのとき、一生懸命(けんめい)にそれをすることだよ。一所懸命にすればいい。その一生懸命すること自体が大切なんだよ。結果はあとから、ついてくるって。もっと言えば、結果はそれほど大切なことではないよ。仮にうまくいかなくても、ね。
……、ぼくがここに書いた二つの話は、よく似た話だね。そう、言おうとしていることは、同じだよ。こういうものの考えかたを、現実主義と言うのだよ。わかるかな? 何でも自分の力を信じて、自分で努力して、自分で実現するというものの考え方だよ。
この現実主義に対して、神秘主義とか、非現実主義というものの考え方があるよ。たとえば超能力か何かを手に入れて、自分の願いをかなえるという考え方さ。魔法とか、魔術というのも、その仲間かな。さらに、占(うらな)いとか、運勢(うんせい)とか、さらには、おまじないというのも、それに含まれるかもしれない。君は、こういうものの考え方をどう思う? 本当に超能力なんて、あると思う?
たとえばね、ある人がこう言ったとするよ。「ぼくは、100キロ離れた人と、テレパシーを使って、会話をすることができる」と。しかしね、そんなこと、誰にだってできるよね。そんな力を使わなくてもね。そう、電話を使えばいいだろ。
また別の人はこう言ったよ。「ぼくは超能力を使って、あのビルを破壊してみたい」と。しかし、ね。破壊してみたいと思うのは、その人の勝手だけど、破壊されるほうは、たまらないよね。ある日突然、自分の住んでいるビルが、ドカーンと破壊されてしまうんだから、さ。死ぬ人だってでてくるかもしれないね。つまりね、そういうふうに、超能力でビルを破壊してみたいなどと言う人は、実は、たいへん自分勝手な人なんだよ。
いや、ね。実のところ、ぼくにはわからない。本当に超能力があるか、どうか。ぼくは知らないけど、ぼくは信じていない。そういう力を信じたり、またほしいと思う前に、ぼくは、自分のできる範囲で努力をするよ。そういう力はアテにしない、でね。川を渡りたかったら、舟に乗ればいい。ほしいものがあったら、自分の手で取ればいい。そしてその分の時間を、もっと別のことに使う……、ぼくなら、ね。
そこで大切なことは、まず「自分」という人間がどういう人間であるかを、しっかりと見つめることだよ。「自分がどんな人間かな」と、ね。これは一見簡単なことに思うかもしれないけど、実はむずかしいことだよ。しかし方法がないわけではない。
まず、自分の指を数えてみてごらん。顔や姿を鏡にうつして見てごらん。まずそういうところから始めればいい。いいかな、そのとき、こういうふうに考えるんだよ。人間の体で、ムダなものは何一つ、ない。もしムダなものなら、とっくの昔になくなっているはずだ、と。そこで指を見ながら、体を見ながら、「どうしてそうなのだろう」と考えてみると、いいよ。すると、ね。その理由がわかってくる。
同じように、ね。君が思ったり、考えたり、そしてしていることにも、何か理由があるはずだよ。何か、ね。そういうふうに、自分を見つめていく……。自分を知るということは、そういうことだよ。
そうして自分のことがわかってくればくるほど、ここで二つのことに君は気がつくはずだよ。一つは、新しい自分を発見すること。もう一つは、自分のできないことを知ること。もう少し短い言葉で言うと、可能性と、限界ということかな。
今までのおさらい、だよ。まず(現実を見る)。そのためには(自分を知る)。そうすると、新しい(可能性)と、自分の(限界)を知ることができる、ということ。
しばらくこの考え方を続けてみてごらん。ひょっとしたら、一年とか、二年とか、あるいは、もっと……。ぼくは、そうしたよ。
少しまとまりのない話でごめんね。
またゆっくり考えて、この続きを書くよ。楽しみにしておいてね。
いいかな。運命は自分で決めるもんだよ。そこが大切だよ。またね……!
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