はやし浩司

読者からのメール
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はやし浩司

読者からのメール

掲載許可をいただけた方のメールを、ここに紹介します。(2002−2−12以後分)
●プライバシー保護のため、その方と特定できる部分は、こちらで改変しました。
 それ以外の部分については、原則として、原文のまま紹介します。


「こんにちは。たまたまネット上でコラムを見つけてHPにたどり着きまし た。僕は小さな研究所で実習生をやってます。

 いつも親のこと、人生のことについて考えてきました。今妹と2人でアパートで暮らしています。妹は進学を途中で挫折してしまい、今通信制の高校にいます。妹は自閉症になってます。いろいろ問題が多いです。僕と妹は他人の家と比べたことがないからわからないですがかなり親にはガンガンやられてます。タバコを押し付けられたとかそういう虐待はないですが。

 うちの父親は大学の教授、母親も元教師です。今はっきり言って昔の事は思い出せません。楽しいこともあったのかもしれないですけど、なんか記憶のもやのなかです。僕は妹と違って精神科に行ったりはしませんでした。ただ、妹の話を聞いて、ほとんどわかることばかりだったので、多分病院に行けば自閉症と診断されたと思います。人に自分の考えが見抜かれているとか、いろいろ妹の言うことに共感できました。とにかく苦しく、かなり1人でいるときは何もできないぐらい鬱状態だったのですが、意地でも克服してやると思い、余計なマイナスなことを考えたりしないように修行?しました。今では妄想に取り付かれることはありません。たまにふっと嫌ーな感じが襲ってきて萎えるときはたまにありますが。弟の方はほんとにやられていて痛ましいです。

 親にはかなりやられた(と思い込んでいるだけかもしれませんが)のですが、それが原因なのか、自分が悪かったのか、自信がなくなることもあります。

 まとまりのない文で申し訳ありません。

 幼いころの記憶、それは母親によく脅され、殴られたということです。ただよくある虐待のようになつかないから、とか泣くからとかが理由ではありません。勉強のとき、親戚といっしょにいるとき、ピアノをさせられているとき、大体はそのような時です。

 勉強のとき……落ち着きがない、集中力がないといわれ殴られました。また殴られるのが嫌なので無理やり落ち着いていると、今度は100点以外で殴られました。「悔しくないのか」と。まったく悔しくないというと、また殴られました。

 親戚と一緒にいるとき……他の従兄弟たちと行動をともにさせてくれないときが多く、理由を聞くと、「おまえたちは落ち着きがなくきっとけがをするから」といわれました。

 ピアノの練習のとき……母親がピアノの教師だったので他の生徒よりも厳しかったと思います。僕はピアノよりも野球などのスポーツがやりたかったのですが、「おまえなんかどうせ玉拾いで時間が無駄になる。それにああいう上下関係はきらいだ」と言われました。そしてピアノの練習をやらないでいると、「おまえは親に挑戦してるのか」といわれ、なぐられました。

 また、友達関係にも干渉してきました。なにを言われたかは書くのが面倒です。
 僕と妹、両方ともこんな感じの子ども時代でした。

もっと良いこともあったのかもしれないですけど、思い出されるのはこんなことばかり、嫌なんだけど親への憎悪がつのります。

 本当に、こんな事書いてもあまりプラスにならないとは思うんですけど、ここには書ききれないぐらい浮かんできます。

 今考えたら母親はかなり神経症だったと思います。
 妹は友達関係でもうまく行かず、親もなかなか遠くから見てくれないので、いつも神経をかき乱され、そのたび悪態をつき反抗しています。 

 普通に考えるとうちの妹は親に逆らう相当自分勝手な奴だということになりますが、僕には親も相当自分勝手だと今まで見て、考え抜いて、いろんな本を読んでわかってきました。妹もガキだけど、うちの親も相当大人気ない、というか子供を受け入れる度量がないです。こんなクソ生意気なことを自分で言うのも嫌です。永遠に理解しない親にも幻滅します。ただ、なんか哀れだな、かわいそうだなと両親には思います。あんなに気が狂ったように自分の思うようにしようと、自分が何とかしないと子供が落ちぶれる、という考えに取り付かれ、一生懸命子供を育てても、尊敬されず、疎まれ、哀れまれる。実際僕は自分の両親が死んでも絶対悲しくないと思います、ただ、哀れだな、かわいそうだなと思います。
 
広島県、NR男(二五歳)より」



島田市に住む三二歳の母親です。
 
先生のメルマガを楽しみにしています。
内容は私にとって楽しい事ばかりではありませんが……。
数ヶ月前にたまたま図書館で、家族問題に関しての本をみつけてから
様ざまな本を読みました。子供の将来は親しだいですね。
小さい時に親の愛情をたくさんもらえば、みんないい子になるんですね。

私には兄と妹がいるのですが、私に長男が生まれたとき思ったのは、
「私の兄のような男にはなってほしくない」でした。
兄とはけんかばかりしていました。兄妹なのに、言い合いはしょっちゅう、
殴り合いもしました。夫にも言えませんが、兄の成績表を見てしまったら ほとんど
オール1で、とてもショックだった事をおぼえています。兄は万引きをした事も
あるようです。そんな兄は私にとって「いなければいい人」、他人には
言えない事ばかりしてくれる人でした。

今K男(小1)のことで悩んでします。兄は頭も悪かったし、性格も最悪、
運動まで全然だめ。だからK男もそうではないかと、
それで、なにもかもが不安になってしまいます。
 
今になって思うのは、こうなったのは兄のせいではないという事です。
生まれつきの性質や、親の育て方に問題があったのでしょう。小さいうちの
万引きは愛情不足からだとか。
でも母の気持ちもわかります。特に兄と同じ年の隣の子が優秀だった事もあって、
できの悪い息子に つらくあたっってしまった……。夫婦仲もそれほど
よくなかったようです。
 
こんな家庭に育った私にも、いろいろ問題があるはずです。
子供の言葉や行動をみていて、悪い行いは すべて私がそう育ててしまったからだと
自己嫌悪におちいりますが、それでも改善できません。
今日こそは子供に優しくしてあげよう。と毎日思っているのですが。
 
だらだらと書いてしまいましたが、何かお気づきのことが
ありましたら、アドバイスをお願いします。
 
(島田市・HT、三二歳母親)

***************************

HTさんへ、
 
 メール、ありがとうございました。これからはできるだけ
楽しい話も盛り込みたいと考えています。実のところ私は、
たいへん楽しい男で、いつもは子どもたちの間に入って、ワ
イワイと騒いでいます。「楽しいのが当たり前」の世界にい
るため、文を書くときになると、どこか暗くなってしまうよ
うです。反省しています。

HTさんは、今、ご自分を発見なさりつつあるのだと思います。HTさんにはつらいことかもしれませんが、これは同時に、とてもすばらしいことです。子育てというのはそういうものです。「自分であって自分である部分」と、「自分であって自分でない部分」があります。問題は、「自分であって自分でない部分」です。それがわからないと、自分で失敗しながら、その失敗に気づかないまま、その失敗を繰り返すことになります。子育てはそういう意味で、「頭で考えてする部分」と、「条件反射的に、何も考えないでする部分」があります。そのためにも、自分の過去を冷静に見ることが、とても重要になります。



はやし 浩司様
 
メール、どうもありがとうございました。
先生のお話は、とてもわかりやすく頭で噛み砕いて考えることなく、自然と心の中に入ってきます。
「子育て情報」を読んでいるだけでも、助けられたと感じることが多いのに、直接メールをいただけるなんて本当に感慨深いものがあります。
 
不本意な結婚・・・。
今まさに、この暗いわだかまりが本来の自分を狂わそうとしているのを感じます。
籍を入れて4年以上過ぎるのに、いっこうに収まりそうもありません。
 
できちゃった婚でした。でも、子どもを授かったとわかった時点ではとても幸せでした。やさしくて穏やかな雰囲気の旦那がとても大好きで、尊敬もしてました。

事が起きたのは籍を入れようとしていた直前です。何気なく戸棚の上のサイフを見ると、それは免許証。どうしても信じられなくて、何度も見返しました。が、間違いなく生年月日は昭和32年でした。自分は昭和49年生まれ。年の差17歳!? 結婚当時、私は22歳で彼は自称30歳。
 
騙されました。その後も学歴・職種も嘘。その上、バツ一だった・・・などなど、でるわでるわ。
・・・天国から地獄です。
旦那はこういうことを問い詰めると、
「たいしたことだと思ってなかった。」
と本気で言ってます。
さらには
「世の中子どもができなくて困っている人は沢山いる」
「もっとつらい状況の中で結婚している人もいる」
・・・と私には「!?」と思えるような発言も度々。
 
このとき子どもは胎動を感じるぐらい大きくなっていました。実家に帰ろうにもあんな感じだし(親どうしも喧嘩に暴力)、仕事もすでに退職した後(保育士でした)。一人で子どもを産んで育てるのも多分無理。
いろいろ考えた結果、籍を入れました。

旦那は変わらずに穏やかでした。でも、それ以外はまったく得体の知れない男との結婚生活のスタートです。
 
―相手をどれだけ許せるか
先生が以前このようなテーマで書かれていた時、私は旦那を許せるかどうか挑戦してみました。
その後も続いている嘘と妙な言い訳。いったい何が原因でこうなってしまったのだろう、と。
 
旦那の実家はとても熱心なT仏教会の信者です。母親はお手伝いさんが何人もいたような名家のお嬢様。父親は自民党の元和歌山県議会議員(今は心筋梗塞で倒れ、無理ができず、ブラブラしています)。
旦那は長男で、生まれてすぐに入信してます。
 
―結婚の条件にも私が入信することが第一に言われました。すぐには困ると私が返すと、「そんなことは周りの人が許さない」と言われて、入会してしまいました。
 
これだけ考えても特殊な環境だったことに気づきます。
籍を入れたのを境に旦那は仕事や自分の過去のことに、口をつぐんでしまっています。だから、詳しくはわからないのですが、甘やかされて育ったこととか、政治の汚い世界を垣間見てしまったこと、両親は育児よりも宗教活動に専念していたこと・・・がなんとなく伺えます。
 
多感な時期に、両親は政治と宗教活動・・・。
しかも父親は名の知れた人。
私には想像もつかない世界です。
そんな中で旦那もこころを壊していったのかもしれません。
 
旦那につらい過去があったからといって、許せるかと言えばできません。でも、ここまで考えてみて、不思議と気持ちが楽になりました。
諦めがついたような。
旦那を純粋に愛していたときの自分が戻ってきたような。
そんな感じがしています。
私の中の暗いわだかまりはやはり治まりそうにありませんが、
先生のメールを読んでいるとそれとの戦い方が見えてくる気がします。
 
大学受験に失敗した私は、幸か不幸かいつのまにか保育士になっていました。
あの女の怨念渦巻く世界(おおげさですか?)の中の保育に比べたら、自分の子どもを育てることのなんと楽しいこと。
「本当に大好きな人の子どもだったらいいのに……」
悪魔の声を振り払いつつ、いつかはこの思いが子どもにバレルかもしれないと恐れつつも、
毎日子どもと遊び転げています。
 
私も常々こう考えていました。
子どもをまっすぐ育てる=家庭を大事にする=旦那を大事にする
今できることはこれしかないでしょう。
それに、これだけで一杯一杯です。
本当に自分はこれでいいのか?と、家庭を捨てて天国でも地の果てでも行こうかと迷うこともあります。
でも今、先生のメールを見て、「まだやっていける!」そう思えます。
 
いま、この時期に先生のメールマガジンと出会えたことをとても意味深く感じています。
逃げるだけでは解決できないと思い知らされます。
 
長々と失礼致しました。
これからも末永く愛読させてもらえたらうれしいです。
本当にありがとうございました。

(和歌山県K市、ES、28歳)


SH様へ

拝復

お手紙ありがとうございました。

NU君についてですが、まずもって、私自身は直接、会っていないこともあり、どういう症状なのか、具体的にわかりません。二、三度お手紙を読みましたが、私がここで判断するには、きわめて不じゅうぶんです。ですから、どういう問題があって、どう対処したらよいのかということについては、残念ながらお答えすることはできません。どうかお許しください。

こういうケースでは、直接NU君をよく知っている、担任の先生から、詳しく話を聞くのが一番かと思います。そのとき大切なことは、よき聞き役に回るということです。コツは、カリカリしないで、NU君を、できるだけ客観的な立場で見ることです。小学二年生ということですから、もうそろそろ親離れが始まっているころですから、これはそれほどむずかしいことではないと思います。

で、その先生の話として、
(1)話をよく聞くことができない。
(2)落ち着いていない。
(3)授業中も、上の空である。
(4)カウンセリングを受けると、(成績が)ぐんとのびる可能性がある、ということですね。

そしてあなたの判断としては、
(1)小さいときから、ひとり遊びが多かった。
(2)恥ずかしがり屋だった。
(3)「ごっこ」遊びができた。
(4)家でみるかぎり、情緒も不安定ではない。
(5)どうも自信喪失のようだ。
(6)やさしく、いい子だ。
(7)学校の成績はよくない、ということですね。

そして今回、頭が痛いということから、保健室へ行った。それで先生が、深刻にそれをとらえてお母さんに話した、ということですね。

ここで注意しなければならないのは、子どもに何か問題があると、親は、その責任を自分に求め、自分を責めることはよくあります。お母さんも、今、そういう状態かと思います。「もっと勉強をみてあげていればよかった」とです。しかしこれはムダであるばかりか、かえって問題の本質を見誤りますから、注意してください。あなたというお母さんは、すばらしい親子関係をつくった。精一杯、がんばってきた。現に今、「姉弟、仲よく、子どもたちのリズムづくりと、規則正しい生活にこころがけてきた」と書いておられます。まずもって大切なことは、あなた自身が、自信をもつことです。あなたというお母さんは、すばらしいお母さんです。じゅうぶん、やるべきことをしてきたではありませんか。では、順に問題を考えてみましょう。

こういうケースでは、ドクターの診断と同じように、最悪のケースから、消去法で考えていきます。

(1)いろいろな問題が考えられますが、総じてみれば、今はその過渡期です。仮に多動性があるとしても、小学三年生を境に、症状は急速に収まっていきます。ここでじたばたしても、たとえばカウンセリングを受けてもムダとは言いませんが、それでよくなるとかいうことはあまり期待できません。(放っておいても、よくなります。今はそういう時期です。)

(2)授業中、落ち着いていないことについては、まず試してみるべきことがあります。食生活の改善です。日常的に甘い食品が多いようであれば、それを思い切って断ってください。そしてその一方で、カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがけます。それだけでかなり落ち着くはずです。戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていました。冷蔵庫から、思い切って甘い食品を消し、捨てます。「もったいない」という思いがあったら、子どもを救うためと思い、そうしたます。そういう思いが、つぎからあなたの買い物習慣を変えます。これを二〜三週間つづけてみてください。効果がはっきりと出てくるはずです。あとで、それに関する原稿を、この手紙に張りつけておきます。

(3)学力の面ですが、どういうテストなのかはわかりませんが、五〇点前後というのは、たしかにあまりよくないですね。ご心配な気持ちはよくわかります。しかしこれについては、方法としては、お母さんが、ご家庭で指導なさるのが一番かと思います。また一朝一夕に解決できるという問題でもありませんね。ただ今は、時代も変わり、昔のように「勉強」に対する考え方も変わってきましたので、それほど気にすることもないのではと思っています。それよりも大切なことは、親子の関係を深くし、たがいにわかりあい、なぐさめあい、いたわりあい、教えあい、励ましあう関係をつくることです。そういう関係の大切さの前では、勉強ができる、できないなど、何でもない問題ですよ。

以上、あまりよい回答になっていないかもしれませんが、どうかお許しください。いつかインターネットを始められたら、どうか、「はやし浩司のサイト」へ遊びにおいでください。下にアドレスなどを張りつけておきます。やってみれば何でもない世界ですから、ぜひインターネットを始めてみてください。だれも、お母さんのことを「化石」などとは思っていませんよ。楽しみにしています。

敬具


先生のEマガジンのお陰で助けられています。

年少になる長男は、何事にも好奇心が旺盛。だめよ、いけないよ、と言うことは、やって
みたい。買い物に行っても、自分でどこかに行ってしまい、おちおち買い物ができる
ような状況じゃないような子ども。また、一月に二男を出産してからは、ますます大変
に。etc

大声を出して怒るのが当たり前になっていたのですね。恥ずかしいことですが、も
し、私が大人の人におなじように大声を出したとしたら、私は、沢山の友人を無くしてい
たと思います。
 
その日も、午前中幼稚園の参観会に参加しましたが、先生の言うこと
を聞かず、歌わず、踊らず。(もちろん子どもなりの理由はあったのですが)
午後に は、私の実家からおばあちゃん(私の母)が遊びに来てくれました。
 
ところが子どもは、ちゃん とおばあちゃんと言う存在が、親が一目置いている存在
であることを承知しているよ うで、ますます増長ムード。おもちゃを一つずつ片付けて、
遊びなさい。と言う言葉 にも耳を貸さず、部屋中(居間)散乱状態に。(子どもなり
に嬉しかっただけかもし れませんが、その時の私にはそういう風に思えた)
 
そのような時に、思わずビシッと 平手で子どもをたたいてしまいったような訳です。
遊びに来ていたおばあちゃん(私 にとっては、母)は、その間、孫が怒られる姿を
見て心が痛んだのでしょう。帰って から、手紙をくれました。私も、長男のようなと
ころのある子どもであったこと。自 分自身育児に悩んでいたこと。私に相当厳し
かったこと。などを…育児は遺伝する (?)と聞いたことがありますが、私自身がな
りたくなかったような育児の実践者に なっていたのです。
 
私の父は、軍隊経験者で、その影響か、とても厳しく、タバコの火を押し付けられたり
したこともたまにありました。母の手紙を読んだ後、「私が子ど もに言わずして、
誰が言ってくれるのか」、子どもだって、将来、「あんな変なことを した」と言われる
よりは、「いい子だった」と言われたほうが言いに決まってい る。と、自分を正当化
しようとしました。
 
しかし、母の手紙が私を動かしたんでしょ うね。幼稚園で以前教えてもらっていた
先生のHPにアクセスしようと言う気になった のですから。まだ、全部読破した訳で
はありませんが、育児は自分を律することだと 思いました。律し続けるために、
先生の頻回に届くEマガジンが、とても助けになっ ています。とても大変なことでし
ょうが、どうぞ、ずっとがんばってください。(で はなくて、気楽にね。って言わなくて
はいけないんでしたっけね。)よろしくお願い します。
 
愛知県豊橋市 GTより

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

GT様へ
 
メール、ありがとうございました。
 
マガジン発行は一見、たいへんそうに見えますが、
今までに書き溜めておいたものを、編集して載せて
いること。
もうひとつは、私の場合、話すよりも書くことの
ほうが楽ということがあります。

まあ、いつまで続くかわかりませんが、気力のつづく
かぎり、がんばって発行してみようと思います。
頭の刺激と、ボケ防止にはいいと思います。
 
毎朝、1〜2時間は、マガジン制作のために
パソコンに向かっています。マガジン発行そのものは
驚くほど、楽です。
ワードで作った原稿を、そのまま配信できますから……。
 
少しずつですが、読者の方がふえているのが
励みになります。ほとんど宣伝媒体をもっていませんの
で、たぶん、みなさんの口コミ紹介のおかげと思います。
感謝しています。ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。


はやし 浩司様
 
メール、どうもありがとうございました。
先生のお話は、とてもわかりやすく頭で噛み砕いて考えることなく、自然と心の中に入ってきます。
「子育て情報」を読んでいるだけでも、助けられたと感じることが多いのに、直接メールをいただけるなんて本当に感慨深いものがあります。
 
不本意な結婚・・・。
今まさに、この暗いわだかまりが本来の自分を狂わそうとしているのを感じます。
籍を入れて4年以上過ぎるのに、いっこうに収まりそうもありません。
 
できちゃった婚でした。でも、子どもを授かったとわかった時点ではとても幸せでした。やさしくて穏やかな雰囲気の旦那がとても大好きで、尊敬もしてました。
事が起きたのは籍を入れようとしていた直前です。何気なく戸棚の上のサイフを見ると、それは免許証。どうしても信じられなくて、何度も見返しました。が、間違いなく生年月日は昭和32年でした。自分は昭和49年生まれ。年の差17歳!? 当時私は22歳で彼は自称30歳。
 
騙されました。その後も学歴・職種も嘘。その上、バツ一だった・・・などなど、でるわでるわ。
・・・天国から地獄です。
旦那はこういうことを問い詰めると、
「たいしたことだと思ってなかった。」
と本気で言ってます。
さらには
「世の中子どもができなくて困っている人は沢山いる」
「もっとつらい状況の中で結婚している人もいる」
・・・と私には「!?」と思えるような発言も度々。
 
このとき子どもは胎動を感じるぐらい大きくなっていました。実家に帰ろうにもあんな感じだし(親どうしの喧嘩に暴力)、仕事もすでに退職した後(保育士でした)。一人で子どもを産んで育てるのも多分無理。
いろいろ考えた結果、籍を入れました。
旦那は変わらずに穏やかでした。でも、それ以外はまったく得体の知れない男との結婚生活のスタートです。
 
 
―相手をどれだけ許せるか
先生が以前このようなテーマで書かれていた時、私は旦那を許せるかどうか挑戦してみました。
その後も続いている嘘と妙な言い訳。いったい何が原因でこうなってしまったのだろう、と。
 
旦那の実家はとても熱心なT仏教会の信者です。母親はお手伝いさんが何人もいたような名家のお嬢様。父親は自民党の元和歌山県議会議員(今は心筋梗塞で倒れ、無理ができず、ブラブラしています)。
旦那は長男で、生まれてすぐに入信してます。
 
―結婚の条件にも私が入信することが第一に言われました。すぐには困ると私が返すと、「そんなことは周りの人が許さない」と言われて、入会してしまいました。
 
これだけ考えても特殊な環境だったことに気づきます。
籍を入れたのを境に旦那は仕事や自分の過去のことに、口をつぐんでしまっています。だから、詳しくはわからないのですが、甘やかされて育ったこととか政治の汚い世界を垣間見てしまったこと、両親は育児よりも宗教活動に専念していたこと・・・がなんとなく伺えます。
 
多感な時期に、両親は政治と宗教活動・・・。
しかも父親は名の知れた人。
私には想像もつかない世界です。
そんな中で旦那もこころを壊していったのかもしれません。
 
旦那につらい過去があったからといって、許せるかと言えばできません。でも、ここまで考えてみて、不思議と気持ちが楽になりました。
諦めがついたような。
旦那を純粋に愛していたときの自分が戻ってきたような。
そんな感じがしています。
私の中の暗いわだかまりはやはり治まりそうにありませんが、
先生のメールを読んでいるとそれとの戦い方が見えてくる気がします。
 
大学受験に失敗した私は、幸か不幸かいつのまにか保育士になっていました。
あの女の怨念渦巻く世界(おおげさですか?)の中の保育に比べたら、自分の子どもを育てることのなんと楽しいこと。
「本当に大好きな人の子どもだったら・・・」
悪魔の声を振り払いつつ、いつかはこの思いが子どもにバレルかもしれないと恐れつつも、
毎日子どもと遊び転げています。
 
私も常々こう考えていました。
子どもをまっすぐ育てる=家庭を大事にする=旦那を大事にする
今できることはこれしかないでしょう。
それに、これだけで一杯一杯です。
本当に自分はこれでいいのか?と、家庭を捨てて天国でも地の果てでも行こうかと迷うこともあります。
でも今、先生のメールを見て、「まだやっていける!」そう思えます。
 
いま、この時期に先生のメールマガジンと出会えたことをとても意味深く感じています。
逃げるだけでは解決できないと思い知らされます。
 
長々と失礼致しました。
これからも末永く愛読させてもらえたらうれしいです。
本当にありがとうございました。

(和歌山県K市、ES、28歳)




母親としての生きがい

奈良県にお住まいの、Nさん(37歳)からこんなメールを
いただきました。どの人も、共通に悩んでおられる問題かも
しれないと思い、今回は、この問題(母親の自立)について
考えてみます。Nさんから了解をいただき、転載します。

「はじめまして。
小学校2年生と、4歳の子供の母親です。37歳です。
先生のメールマガジンをとても興味深く拝見しています。
 
毎日、子供たちの様子を見ていて一度ご意見を伺いたくてメールしました。
7歳になる息子の同級生の母親は、大体仕事を持っています。
子供たちが帰宅するころ(2年生なので3時前後ですが)、
家には誰もいない子供もいます。
晴れている日はいいのですが、先日の雨の日には家に入れないといって
私のうちで夕方まで遊んでました。
祖父母がいる家の子供は、そういう心配はないのですが、
私が知っていることを、まったく知らないでいる母親もいます。
親に黙って貯金箱からお金をだし使っている子(1000〜2000円)、
その子について回っておごってもらっている子もいます。
 
確かに子供たちは大きくなり、手がかからなくなりました。
私が家に居たって、友達と遊ぶのに息子は夢中です。
主人の両親と同居しているので、私が働く事は難しい事ではないとも思っています。
まだ4歳の弟がいるので、この子を3年保育でどこかに預かってもらい、
お店を経営をしている両親を手伝える程度に働く道もあるかなと考えたりもします。
そして時々考えます。
母親が家にいる意味は何なんだろう、私が家にいるという事は大切な事なのだろうか、
自分に言い訳をしているだけではないのか……
「三つ子の魂百まで」という言葉も今は死語だと聞きました。
私の周りにいる子供たちの様子を見ていると、
母親不在というのが何か影響しているのかな思ったりもしますが、
資格やキャリアのある女性が仕事を続ける事は当たり前だと思うし、
続けたいと思う気持ちもわかるつもりです。
 
先生は、母親が仕事を持つという事、母親の家庭での役割・意味をどのように考えますか。
なにか、ご意見・アドバイス・ご指摘をいただければ幸いです。
長々とすいません。
ご活躍、応援させて頂きます。失礼します。」
 
++++++++++++++++++++++++++++++++

はやし浩司より、Nさんへ

少し前、K町という、農村地帯の中にある町で、講演をしました。
そのあと主催者の教育委員会の担当者(40歳前)が私に
こう言いました。
 
「このあたりは、三世代同居家族がほとんどだ。そうでなくても
嫁と舅(しゅうと)、姑(しゅうとめ)の関係がむずかしい、
ヘンな知恵を女性につけてくれるな」と。「みんな(うるさい家庭から逃れて)
息抜きに講演に来ているだけだから、はやし先生の話術でハハハと笑える
ような話をしてくれればいい」とも。ていねいな言い方でしたが、ああいうのを
インギン無礼というのですね。
 
不愉快だったというより、これには私は驚きました。しかしね、Nさん、
これが現実の世界なのですね。まだまだ日本は後進国(?)ですね。
 
昔から日本では、「女、子ども」と言い、男の世界という一般世界から
切り離して考えてきました。女性は戦後、ある程度の地位を確立しましたが
しかしまだまだ……というところではないでしょうか。
 
子どもと言うのは皮肉なもので、母親が外に向かって(必ずしも
外で働かなくても)、生き生きと活動していると、子どもも伸びます。
その心だけは忘れないでくださいね。応援します。
 
この問題は、いろいろ考えさせられました。
次回のマガジンで、とりあげてみたいと考えています。
よろしいでしょうか?


  
 「インタ−ネットで「子育て」と検索したら
  赤ちゃん関連の情報が多い中「子供の心を育てる」
  と言うタイトルを見つけて先生を知りました。

  ホ−ムペ−ジを何度も読み「親子断絶」という内容に
  動揺しながら子どものこころについての質問をしました。
  でも本当に気になっていたのは攻撃的な態度のことで
  それを私自身が受け止められず先生には言わずにメ−ル
  をしたのですが、先生から「かなりの緊張状態」と返事が来て
  そこで初めて、私自身の長男への子育てのあり方を
  受け止め、今の状況を判断する事が出来ました。

  今頃またメ−ルしたのは、本当に今頃になって先生の
  言われる事がよ--くわかったからです。
  確かに質問してから私も反省して長男の接し方を変えたことで
  乱暴な態度はひと月くらいでなくなったのですが
  それでも心はまだつかめずにいました。

  毎週届く子育て情報マガジンを読んでいるうちに
  (以前も子育てに悩むと図書館でよくその関連本を読んでは
  わかった気になり反省して、頭では理解しているつもりなのに
  行動が伴わない)
  いい意味で洗脳されていくんですね、行動も身についてきたようです。
  多分とても自然に。(今までは無理矢理いいお母さんをしようとしていた)
  だから今、子供が沢山話しをしてくれます。
  きっと今までも話してくれていたのでしょうが、私が聞こうとしなかった
  と反省しています。
  
  今日配信された「子育てを失敗する人」もほんとうに私の事を
  言われているようで思わず笑ってしまいました。

  でも今は子供の心に耳を傾けています。
  でも「静かに」というのがまだ怪しくて・・・・つい一言・・・
  
  長くなってしまいましたが言いたかったのは
  先生のホ−ムペ−ジに出会えてよかった事と
  子育てマガジンがまめに送られて、本当によかった事です。
  感謝しています。ありがとうございました。
  
  (富山県 KYより)

(追伸)

  私の親子断絶の危機を救ったのは
  先生の言われるとおり「スキンシップ」でした。
  一番私への拒否が激しい時は、子供のする事、言う事を
  「許し、忘れる」を心がけ接していました。
  すると子供が反抗的な態度をとりながらも、私が座ると
  引っ付いて座るようになりました。
  そして「今だ!」というタイミングで抱っこして壁にかけてある
  小さい時の写真の前で赤ちゃんの頃の話をしたり、愛していると
  言いました。
  すると、その次の日からです。
  言葉使いはもちろん、本当に表情まで優しくなりました。

  先生は「今より悪くならないように何もしてはいけない」と言いますが
  ナンとかナンとか・・・・と焦るばかりでした。
  とにかく子供を認め、穏やかに接するよう心がけました。
  そして私は私の趣味や友人たちとの時間もありました。
  そしてなによりEマガジンがマメに送られててきたことが
  救いになったと思います。

  今はとにかく誉めて、認めて、自立させるがモット−です。
  ちなみに私は「威圧的な過保護」だったと思います。

  ありがとうございました。  



TO はやし浩司様

ご無沙汰しております。
”様”とお呼びするよりも先生と呼ぶのが私にとっては普通です。
SSと申します。覚えていらっしゃいますでしょうか。
先生とは私が幼稚園児の時からのおつきあいでした。そんな私も
今は27歳になり、東京で働いております。

何から書いていいのかわかりませんが、今、定時後の会社からメールを
書いてます。
仕事柄、よくHPは読みあさる方なのですが、偶然先生のHPをみつけ、
びっくりしました。読んでいくうちに、当時、BW教室にて叱られたことなど、
たくさんの事を思い出しました。

現在、私はネットワークテキュリティの仕事をしているのですが、今でも
僕の強みは数学力と独創性だと思っております。それを授けてくれたのは
先生だと今でも感謝しております。大学を出るまで私が頼れたのは自分の
確かな数学力のみでした。大学時代、塾の講師、家庭教師を経験し、教師を
目指したのですが、結局、サラリーマンをしております。うまく説明はできない
のですが、塾講師をすることで、いくら授業後に個人的に指導しても、やはり
授業についてこられない子がでてくる。学校の先生になったら、それこそ、
授業中は見捨てて先に進まないといけないという現象がおこり、それを考えたら
自分には先生になれないという結論に達した為です。ただ、少人数に指導する
のであれば、誰よりも指導力はあると当時自負しておりました。僕が持った生徒
はどんなに数学が嫌いでも好きになってくれました。そして、成績もうなぎのぼり
にあがったものです。教えてるときも勉強を教えているなんて思った事は一度も
ありません。生徒の持ってる能力を引き出そうときっかけを与えただけと思っています。
そんな独創的な教え方、考えができるようになったのもやはり
先生のえいきょうなのだなぁと当時よく思ったものです。本当にありがとうございまし
た。
今となっても不思議に思うのですが、数学を嫌いな生徒が非常に多いですね。
教える側にも問題があるのかなぁと思います。ただ、学業として数学を教えれば
嫌いになる子供が多くなるのもわかるような気もします。
生意気なことをいってすみません。


現在はNMという会社で働いております。
浜松に帰った折には、先生の都合が会えば、1度、ご挨拶にでもうかがいたい
と思っています。
くれぐれもご自分の体にはご自愛ください。



はやし先生のこのサイトのおかげで
私は今、ようやく子どもを怒鳴り声でしかることがなくなりました。
笑ってさとしてやることができるようになりました。
「夜驚症」で検索していて、このサイトにたどりつきました。
娘(4歳)の症状は、単に夜起きて大きな声で泣き、起こそうとしても
おきているようでおきていない、寝ぼけているにしては
泣き方が激しいような気がしたので、気になって調べてみたのです。
二男(1歳)が生まれてから、始まったように思います。
はやし先生のサイトのすみからすみまで
ほとんど読みました。
特に、子育てQ&Aのところが、一番心にしみこみました。
どんな質問に対しても、先生のお答えが一貫していて、
一回読んだだけでは心に残らないものですが、
全ての質問の答えを読み進めていくうちに
「何か」が私の心のなかに確実に植わっていました。
言葉ではうまく言い表せないのですが・・・。
お姉ちゃんを怒鳴り散らしてしまったり、
邪険にあつかったりして傷つけてしまうことを悩んでいました。
そのくせ過干渉ぎみでもありました。幼稚園も始まり、
何をしてもささいなことでうるさく言っていたように思います。
先生の言葉に出会うまでの私は、本などを読んで反省しても
すぐ元に戻ってしまい、同じ後悔を繰り返していたのですが、
今回はそれがありません。
自分の中の何かが変わりました。どうしてか自分でもよくわかりません。
お姉ちゃんの笑顔、いたずら、しぐさ、心からかわいらしく思います。
弟の妊娠前と同じように・・・。
今、子どもたちと過ごす毎日がとても楽しいのです。
以前は「疲れた、疲れた」が口癖でした。
イライラして、怒ってばかりで、さぞお姉ちゃんはつらかったことと思います。
過ぎてしまった日々は取り返せませんが、
これからの毎日を大切に、みんなで楽しく過ごしていきたいと
思っております。
本当にありがとうございました。
すみません、長くなりました。今の気持ちのお礼を伝えたいと
思っていたのですが、私事でメールを送るのもためらわれ、
良い機会だと思ったのでこちらに書かせていただきました。
これからも先生のメールマガジン、このホームページを
楽しみにしております。

                        新潟 S・K(二九歳)より



はじめてメールを出します。

はやし先生の本を図書館でお借りしている読者です。
先生の本と出会ったのは、今から6年前で最初に読んだのは、「子ども格言・・・」
という本でした。とても読みやすく、なるほどなぁと感じることが多々あり、子育て
をしている時にふとつまづくと図書館に行って借りて読み直しています。
今日、「子育て最前線のあなたへ」という本を借りてきまして読んでいたところ、
メールアドレスが載っていたので思わずメールを書いております。

私は、32歳の専業主婦をしており金沢市在住です。小学二年生の長男、年中の長女が
おります。先生が、金沢大学を卒業されているの知り、ますます身近に感じました。
(私は高卒ですが先生が金沢にしばらくいらしたという意味で)

まだ、今日借りてきて本は読破しておりませんが、少し読んだだけで子供との接し方
がやわらぎました。いつも「早く〜しなさい」とか「なんでそんな事するの!」とか
自分で自分が嫌いになるくらい子供たちを怒鳴り散らしているからです・・・。

長男は、ほんのしばらく前まで反抗的で私が毎晩思わず手が出てしまうほど、憎たら
しい言葉を言っていて頭を痛めてました。が、ほんのいっときの事で、今はそのよう
なことはなくなりました。

長女は小さいときから、ビービーよく泣く子で、何かしたいことがあって私にうった
え、「それは今はだめなんだよ」と私が言うとでっかい声で泣きながら自分の意志を
通そうとします。メソメソしないで、もっと普通の声で言ってごらん、落ち着いて、
と、言っても毎日何かというとビービー泣いてます・・・その声を聞いているだけけ
でイライラしてきます。
この春から年長なのに、一体いつまでこうやって泣くのかなと心配です。幼稚園で友
達と遊んでいて、思わず手が出て相手の子を泣かすこともあるのですが、周りの子は
叩いたことをしっかり見ているのに、泣きながら自分はやっていないと言う時があり
ます・・・しばらく落ち着くと、自分が叩いていたと気づくのか、それともその場し
のぎでウソをついているのか、最終的には叩いたということを認めます。
これってどういう事なのでしょうか?

先生の本を読んで、参考にしたいことが山盛りにあります。特に、実際にそういう子
がいたということを載せて、先生の経験した思い・行動が記されているからです。

今後も先生の本を読んでいきたいと思います。

先生は、大学時代金沢のどこに住んでいらしたのでしょうか?
私は、浅野川のそばに住んでいます。

これからもお体を大事になさって、私たちに子育てのお話を伝えてください。

それではまたメールさせていただきます。

金沢市 KYより



南アフリカで日本語学校の教師をしているN氏より、メールが届いています。南アフリカの
現状を知り、何と言うか私たちのもっている文化論なるものが、どこか「ぬるま湯文化論」
に思えてきました。N氏の許可を得ましたので、ここに転載します。2002−3−4
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(1)

はやし浩司 様
 
 早速の御返事ありがとうございました。応対の迅速さに,人間関係をとても大切にされる
方だな,と敬服いたしました。

 物産の方だったとは驚きです。日本人学校にも,お父様が物産の方は多いです。
南アフリカのことも,私以上に情報は持っていらっしゃるのではないかとも思います。

 ただ,最近の治安も含め,10年前とは比べられないくらい南アも変わったと思います。
まずはじめに,アパルトヘイト後の南アは,中心部(通称:タウン)での犯罪があまりにもひ
どくて,ゴーストタウン化しています。日本人会では,タウンには行かないように通達が出て
います。特に土日は,タウンに行けば身ぐるみはがされると言うのが定説です。(実際に
は,日本人も住んでいますし,私も数回行っていますが・・・。)臭覚のない人は行かない方
がいいと思います(日本人は,中国人同様,ターゲットです。)が,このような事態の背景に
は,日本人会の閉鎖性があると思います。

 企業の駐在の人々にとっては,安全に過ごすことが第一義にされているため,生活する
地域も限られ,家も檻の中状態です。一軒家に住む駐在の日本人はほとんどいなくなり,
皆,クラスターハウスに住んでします。ただ,クラスターといえども,ロンドンのような長屋で
はなく,大きいところでは一軒ごとにプールもある,それは素晴らしいお屋敷です。企業関
係の駐在の方々は,南アフリカでヨーロッパ以上の生活レベルで暮らし,ゴルフ,テニス,
様々なスポーツで南アライフを満喫していらっしゃいます。もちろん,それを否定するつもり
はありません。時間の使い方は,人それぞれでいいと思います。ただ,そういう方々に,
「南アを語る」ことだけは遠慮していただきたいというのも本心です。

 私も,いろいろな安全上の制約があり,素敵なクラスターハウスに住まわせてもらってい
ます。庭だけで,西気賀の自宅の敷地面積を遙かに超えるほどの規模です。ただ,できる
限り南アの現実を見ておきたいと思い,Sowetoの小学校や,教会(コーラスの練習を聴き
に)に通いました。そんなことをしていると日本人会に知られると,物好きだとか言われた
り安全上の注意を受けたりするので,内緒で行っていたのですが,ほんの少しだけ,南ア
の現実を見ることができたと思っています。

 アパルトヘイトが終わり,日本も南アとの貿易に制限を設けなくて済みました。でも,日本
もアメリカも,南アの「鉱物資源」に目がくらんで,アパルトヘイトを陰で応援した(私はそう
思います。)罪は重いですね。殴られたのを謝られても,傷ついた心を癒すのには時間も
かかります。否,一生癒すことができないかもしれません。制度は撤廃されても,黒人(こう
いう風に,ひとくくりにする表現はいやなのですが・・・。)が自分の力を発揮できるシステム
にはなっていません。勉強したくても学校に行けない,働きたくても仕事がないという現実
は,変わっていないどころか,ますますひどくなっているのです。よく,黒人の雇用者はこう
言います。「なんで,こんなこともできないのかなあ。」「本当に,黒人は馬鹿だ。」等々。確
かに,サービス業での黒人の仕事ぶりはひどいものです。「この商品の在庫はあります
か。」と聞けば,「知らないよ。」との返事。「いつ入りますか。」と聞けば,「分からない。」と
しか答えない。

 もっとひどいのは,「明日必ず入るよ。」とか,「明日,行きます。」なんていう返事には,1
0パーセントの補償もありません。約束など,できないのです。そんな現実ですから,日本
人や西洋人が怒るのは当たり前ですね。しかし,私が最近感じるのは,(もちろん,黒人
の人々にもともとそういう気質があることは確かなのですが)そういう黒人の姿を作りだし
たのが,アパルトヘイトだという事実。黒人から自給自足の手段を奪い,高賃金の労働の
機会も奪い,勉強の機会も奪い,長い時間をかけて,このような黒人の姿を作り上げてき
たのがアパルトヘイトだと(私は)思わずにいられません。

 先日,ラグビーの試合を見に行きましたら,熱狂的なファンが大きなプラカードを掲げて
いました。アフリカーンスだったので,意味が分からず,友人に聞きましたら,「ラグビーに
政治を持ち込むな。」と書いてあるとのことでした。どういうことかというと,ラグビー(大学も
そうですが)一軍選手の登録の際,黒人を何割か入れなければいけないという決まりがあ
るのだそうです。「なんで,スポーツにそんなものが必要なのか。うまければだれも文句は
言わないはずだ。どうして,黒人だからといって優遇されるのか。」・・・自然な考えだと思い
ます。私もそう思います。しかし,これだけ長い間のアパルトヘイト。爪痕も深いのです。ラ
グビーファンには聞こえないように言いますが,私は政府の政策に現実的な対応として賛
成し,一日も早くこんな制度がなくなることを祈りたい気持ちです。(この制度がある限り,
白人は,黒人の優秀な選手を育てなければ試合に勝てません。だから必死になって底辺
も広げると思うのです。機会均等という意味では,必要悪?といえるのではないかと思い
ます。)

 ただ,最近,「黒人の人はかわいそう。」という無知な?(これは,偏った学校教育のせい
だと私は思います。)日本人が増えています。しかし,実際には道ばたで乞食をする白人
の姿も多く見かけますし,長男の通う幼稚園の保護者のお宅を見れば,白人の人がすき
ま風でビュービューしているおんぼろ屋に住んで,その日食べるものにも事欠くような生活
をしている人がおり,黒人が外車を2台乗り回し,私の家よりも数倍大きな,プール,テニ
スコート付きの大邸宅で贅沢三昧している事実を知ることができます。(ここでも,白人,黒
人というひとくくりにする言葉は,誤解を招くので気を付けたいのですが・・・。)逆転?して
いる現実も多いのです。

 黒人のある方に,こう聞きました。「あなたは私よりもお金持ちだ。だけど,黒人でとても
貧しい暮らしをしている人々がいる。この人たちをどう思うか。」答えはこうでした。「彼等は
彼等。私は,今,この生活に満足している。」つまり,「人のことなんか,知ったこっちゃな
い。」という考え。一人や二人ではありません。これも,悲しい現実なのです。

 しかし,このような考えの黒人を作りだしたのも,私はアパルトヘイトだと思うのです。
 
 なんだか,話の筋が分からなくなってしまったので,今日はここまでにさせていただきま
す。なにか,興味のあることがありましたら,お知らせください。
 
 南アフリカ、Nより
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 (2)

はやし浩司 様
 
 朝一番で飛び込んできたメールに,なんだかとてもうれしくなって,一日を元気に過ごす
ことができました。ありがとうございます。
 
 私のような変わった人間は,(68年生まれです。)周囲で心を開いて話せる友が少なく,
なかなか,実際に一番(自分自身の)頭の中を占有していることを話す機会に恵まれませ
んでした。
 
 数少ない(そういった話のできる)友人のTNさん(JVC南ア事務所代表)も,「Nさん,学校
でそういう話(先述のような話題です。)できる?」と,真剣に聞かれます。彼女自身,大学
(慶応)の同期の方々の生活レベルの高すぎに,息苦しさと,話がかみ合わない寂しさを
感じていたと語ってくれました。
 
 はやしさんのエッセーなど,読ませていただくたびに,「そのとおりなんだよなあ。」とか,
「私なら,こう思うけどなあ。」といった,元気(?)が出てきます。いろいろと,ご質問させて
いただくかもしれませんが,お時間のあるときだけでかまいませんので,お付き合いくださ
いませ。
 
 「文化論」。面白そうですね。私,薄学なので,文化という意味さえ使うことが怪しいので
すが,(「人間の創出したもの」という考えで初めて良いのであれば)はやしさんのおっしゃ
る「文化」を,以下のようにイメージしました。
 
 @表面的に見えてくる,いわゆる文化としての「行動文化」【芸術・生活のスタイル】。A
人間自身に,潜在的に備わる文化としての「抑制文化」【???表現できない】。Bそれら
を支える「周囲文化」【個としての人間が,それぞれ有機的に関わりをもとうとする,これま
た潜在的な意識???】。
 
 人間の行動の結果として表出される,あるいは形として出現する@「行動文化」のベース
に,Aの「抑制文化」が存在することになるでしょうか。それならば,@「行動文化」のベー
スには,(Apositive な潜在意識としての「抑制文化」に対して)C「反・抑制文化(negative
な意味あいで,促成というのはおかしいので)」が存在するのではないでしょうか。もちろ
ん,AとCは相対するものであり,@のベースに同列配置されるものと思います。
 
 つまり,「行動文化」そのものが多様であるゆえに,その基盤には相反する「要因」があ
ってしかるべきではないかと思うのです。私は,このAとCをひとくくりにして,「行動文化」
そのものを見つめる必要があるのではないかと思います。はやしさんご指摘の「宗教」とい
うものも,団体ごとに配置するのではなく,事象ごとに配置してみれば,AかCのどちらか
に納まるでしょうし,「家族の文化」(私は,こんなものもあるのではないかと思います。)と
いうのも,この位置に配置することで,「行動文化」への一要因とすることができるような気
がします。
 
 さて,私には,ひとつ気になる点があります。それは「文化」そのものが,一体何のため
に存在するのか,という点です。ルーブルが大好きで,子供たちを連れて2度パリを訪れ
ました。(パリに住む人間はあまり好きではありませんが・・・。)ヴェルサイユの宮殿も,感
動しました。でも,「人間のために」という視点から見ると,「一部の」という冠詞?が付いて
まわります。その多くが,「一部の人間の世界の中だけで」発展した経緯を否めない「文
化」を,果たして誇る必要があるのだろうか・・・と。
 
 そういった意味で,もう一度 renaissance の必要性を感じます。色もない,宗教色もな
い,臭い?もない,無色透明な「文化」という概念を,持つ必要があるのではないかと,思
うのです。私は,どうしても「来るものを拒まない」「すべての人間に受け入れられる」という
視点での「公」という立場の重要性を感じます。(私は,この部分への思い込みがなくなっ
たとき,公立学校の教員をやめようと思っています。)
暴論をお許しいただければ,この部分,はやしさんがおっしゃるB「周囲文化」にあてはめ
ても良いのではないでしょうか。
 
 私の曲解に,お腹立ちでしたらご勘弁くださいませ。また,ご意見をお聞かせ願えたらと
思います。
南アの話は,また次回より。
 
ヨハネスブルグは,そろそろ秋です。
 
Nより 
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
(3)
 
はやし様
 
いろいろご配慮ありがとうございます。
 
 私,本当に考えることは大好きです。ただ,根拠があまりにもなくて・・・。
知識も全然なく,文献の引用もできず,人を説得させることができません。ただ,今更そん
なことをいっても仕方がないので,私の人生のコンセプトは,自分から飛び込んでいって,
(金を出してでも・・・)自分の経験から文献の引用に代わる(説得力のある)視点を見いだ
すことができたらなと思います。
 
 どうぞ,私の所感は,どのような形であってもご利用ください。(できれば,プロの目で推
敲して頂ければありがたいですが・・・。)

 今後,私の考えをお伝えするようなものが出てきましたら,できるだけはやしさんの方に
もお流ししますね。ご意見ください。
 
 なお,私とTさん(JVC南ア代表)の対談の形で書いた原稿は,ホームページでご覧頂け
ます。(リンクしていただいても構いません。)
http://members.tripod.co.jp/nijinosuke2/nijinokuniwomezasite/nijinokuniwomezasite-top.
htm(虹の国をめざして)
 
http://members.tripod.co.jp/nijinosuke2/magicstone/magicstone.htm
(魔法の石・・・クロムの話)
  
Nより