はやし浩司

エッセイ選集
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はやし浩司



 エッセイ選集
By はやし浩司

2001年
 
誠司(Sage) ・4歳2か月




子どもに生きざまを教える法(懸命に生きてみせろ!)

子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。

 たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの
懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがして
いる「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲーム
とは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュ
ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、な
ぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。

 それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわ
けではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の
目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエー
ル。そのピエールはこう言う。

 『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛するこ
と。信ずること』(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言え
ば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の
中でも、フォレストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみる
まで、(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、
それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。
命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが
宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、
そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ
て、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命
に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。

 言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もな
い。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわ
からない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われ
たとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでし
かない。

 あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていた
ら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら
繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれな
い。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。



子育てのすばらしさを学ぶ法(許して忘れろ!)

子育てのすばらしさを教えられるとき

●子をもって知る至上の愛    

 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を教えられ
ること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなっても
いい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命すら惜しくない」という至上
の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

●自分の中の命の流れ

 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自分
の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう感じたこ
とがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこ
かに父の面影があるのを知って驚くことがある。

 先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこに死ん
だ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や感じ方もそう
だ。私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。し
かしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れのようなも
のがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育てをしていると、自分
も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流れのようなものだ。

●神の愛と仏の慈悲

 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもない。死
はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死は不条理な
り」とも言う。そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこに
いて、私をあざ笑う。

 すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれができない。しかし
子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子どものできの悪さを見
せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛することの深さ」を教
えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に施すことができるかもしれな
い。が、私のような凡人にはできない。できないが、子どもに対してならできる。いわば神の
愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。それが孤独な
心をいやしてくれる。

●神や仏の使者

 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子どもを大
きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きることにまつわ
る、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その人の問題意識の
深さにもよる。が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわか
る。

 子どもというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そして
生きる喜びを教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫にわ
たって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそういう
意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた
自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐ
らい、子育てですばらしいことはない。



アイドリングから抜け出る法(アクセルを踏め!)

母親がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに幸せの
ハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではないが、その充
実感がない……。今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。

 結婚したのは二四歳のとき。どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ電
撃に打たれるような恋をしたが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、今の夫
と何となく交際を始め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋

 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある田舎道の
土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)と。主人公
のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れていた生命の叫
びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。

 つまりフランチェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の
殻に閉じこもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。彼女もまた、「(戦後の)
あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」という状況の中で、アメリカ人のリチャ
ードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のような状態
をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。Hさんはそうした不
満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何が不満だ」「お前は幸
せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるストレスは相当なものだ。

 昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、こん
な話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わってしまっ
た。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買いに行く」と。

 「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということだった。
晩年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だった。私は今
氏の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そういうものか。その人の人生
の中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がいたが、
下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手伝ううち、
医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさんは、ヘルパー
の資格を取るために勉強を始めた、などなど。

 「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、あな
たがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のようなものだが、
止まることもある。しかしそのままということは、ない。

 子育ても一段落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それが終着
点と思うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。勇気を出して、アクセルを踏
む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間として。それでまた風は吹き始める。人生
は動き始める。



子どもへの愛を深める法(子どもは下から見ろ!)

親が子どもを許して忘れるとき

●苦労のない子育てはない

 子育てには苦労はつきもの。苦労を恐れてはいけない。その苦労が親を育てる。親が子ども
を育てるのではない。子どもが親を育てる。

 よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは自分を育てること」と言う人がいる。まちがっては
いないが、しかし子育てはそんな甘いものではない。親は子育てをしながら、それこそ幾多の
山や谷を越え、「子どもを産んだ親」から、「真の親」へと、いやおうなしに育てられる。

 たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてくるような親は、確かに若くてきれいだが、どこか
ツンツンとしている。どこか軽い(失礼!)。バスの運転手さんや炊事室のおばさんにだと、あ
いさつすらしない。しかしそんな親でも、子どもが幼稚園を卒園するころには、ちょうど稲穂が
実って頭をさげるように、姿勢が低くなる。人間味ができてくる。

●子どもは下からみる

 賢明な人は、ふつうの価値を、それをなくす前に気づく。そうでない人は、それをなくしてから
気づく。健康しかり、生活しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 私には三人の息子がいるが、そのうちの二人を、あやうく海でなくすところだった。とくに二男
は、助かったのはまさに奇跡中の奇跡。あの浜名湖という広い海のまん中で、しかもほとんど
人のいない海のまん中で、一人だけ魚を釣っている人がいた。あとで話を聞くと、国体の元水
泳選手だったという。

 私たちはそのとき、湖上に舟を浮かべて、昼寝をしていた。子どもたちは近くの浅瀬で遊んで
いるものとばかり思っていた。が、三歳になったばかりの三男が、「お兄ちゃんがいない!」と
叫んだとき、見ると上の二人の息子たちが流れにのまれるところだった。私は海に飛び込み、
何とか長男は助けたが、二男はもう海の中に沈むところだった。

 私は舟にもどり、懸命にいかりをたぐろうとしたが、ロープが長くのびてしまっていて、それも
できなかった。そのときだった。「もうダメだア」と思って振り返ると、その元水泳選手という人
が、海から二男を助け出すところだった。

●「こいつは生きているだけでいい」

 以後、二男については、問題が起きるたびに、「こいつは生きているだけでいい」と思いなお
すことで、私はその問題を乗り越えることができた。花粉症がひどくて、不登校を繰り返したと
きも、受験勉強そっちのけで作曲ばかりしていたときも、それぞれ、「生きているだけでいい」と
思いなおすことで、乗り越えることができた。

 昔の人は、いつも、こう言っていた。『上見てキリなし。下見てキリなし』と。人というのは、上
ばかりみていると、いつまでたっても安穏とした生活はやってこないということだが、子育てで行
きづまったら、「下」から見る。「下」を見ろというのではない。下から見る。「生きている」という
原点から子どもを見る。そうするとあらゆる問題が解決するから不思議である。

●子育ては許して忘れる 

 子育てはまさに「許して忘れる」の連続。昔、学生時代、私が人間関係のことで悩んでいる
と、オーストラリアの友人がいつもこう言った。「ヒロシ、許して忘れろ」(※)と。

 英語では「Forgive and Forget」という。この「フォ・ギブ(許す)」という単語は、「与えるため」と
も訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れる)」は、「得るため」とも訳せる。しかし何を与えるため
に許し、何を得るために忘れるのか。私は心のどこかで、この言葉の意味をずっと考えていた
ように思う。が、ある日。その意味がわかった。

 私が自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。そのときだ。この言葉が頭を横切った。
「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子どもはお前の子どもではないか。
許して忘れてしまえ」と。

 つまり「許して忘れる」ということは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るた
めに忘れろ」ということになる。そしてその深さ、つまりどこまで子どもを許し、忘れるかで、親の
愛の深さが決まる。

 もちろん許して忘れるということは、子どもに好き勝手なことをさせろということではない。子ど
もの言いなりになるということでもない。許して忘れるということは、子どもを受け入れ、子ども
をあるがままに認めるということ。子どもの苦しみや悲しみを自分のものとして受け入れ、仮に
問題があったとしても、その問題を自分のものとして認めるということをいう。

 難しい話はさておき、もし子育てをしていて、行きづまりを感じたら、子どもは「生きている」と
いう原点から見る。が、それでも袋小路に入ってしまったら、この言葉を思い出してみてほし
い。許して忘れる。それだけであなたの心は、ずっと軽くなるはずである。

※……聖書の中の言葉だというが、私は確認していない。



真の自由を手に入れる法(「私」を捨てろ!)

真の自由を子どもに教えられるとき 

●真の自由を手に入れる方法はあるのか? 

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由
だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐
怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか
……? その方法はあるのか……? 

 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自
分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。

●無条件の愛

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。

息子「アメリカで就職したい」、私「いいだろ」、
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる習わし
になっている。結婚式には来てくれるか」、私「いいだろ」、
息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」、私「いいだろ」と。その一つずつの段階で、私は「私
の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺さなければならなかった。苦しかっ
た。つらかった。

 しかし次の会話のときは、さすがに私も声が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」、私「……日本人をやめる、ということか……」、
息子「そう……」、私「……いいだろ」と。
 
 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえ
に、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉がある。私
が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が
抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け
入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由など
ない。

 一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、おい
でになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私は
死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができるよ
うになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子がそれ
を、私に教えてくれた。



行きづまりを打開する法(エゴを押しつけるな!)

親が子育てで行きづまるとき

●私の子育ては何だったの?

 ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。

 「思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。

 幼児期から生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カ
メ、ザリガニを飼育してきました。庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてき
ました。毎日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。リサイクルして、手作り品や
料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。

 なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、
マイペースなのでしょう。旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地
理が苦手。息子は出不精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。二人とも『自
然』になんて、まるで興味なし。しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなる
ばかり。

 私の子育ては一体、何だったの? 私はどうしたらいいの? 最近は互いのコミュニケーショ
ンもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?」(K県・五〇歳の女性)と。

●親のエゴに振り回される子どもたち

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こんな相談
があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプ
リントを三枚学習することにしていますが、二枚までなら何とかやります。が、三枚目になると、
時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょうか」と。

 もう少し深刻な例だと、こんなのがある。これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、
こう言った。「昨日は何とか、二時間だけ授業を受けました。が、そのまま保健室へ。何とか給
食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、今日
はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。仮にこれらの子
どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚やらせたい」「午後
の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。

 「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。そしてその子どもがC中学に
合格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限
がないということ。そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬
ドキッとした。しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。もっとは
っきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。そのつど子どもの意思や希望を確か
めた形跡がどこにもない。親の独善と独断だけが目立つ。

 「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガ
ニを飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地
理が苦手。息子は出不精」と。この母親のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの
母親と、どこも違いはしない。あるいはどこが違うというのか。

●親の役目

 親には三つの役目がある。@よきガイドとしての親、Aよき保護者としての親、そしてBよき
友としての親の三つの役目である。この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれ
ないが、Bの「よき友」としての視点がどこにもない。

 とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。この母親が見せた
「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャップを感ずる。はたし
てその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。あるい
は子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。結局はこの一点に、問題のすべて
が集約される。

 が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに
気づいていないということ。いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。



子どもを賢い子にする法(知識と思考を区別せよ!)

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである

 パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをなす』と
も。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、
別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」、B「スパゲティはどう?」、A「いいね。どこの店にする?」、B「今度でき
た、角の店はどう?」、A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしい
と話していたな」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何も
考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り出し
ているにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人の園児が掛け算の
九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからといって、その園児は頭がよいということにはな
らない。算数ができるということにはならない。

●考えることには苦痛がともなう
 
 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識のうちに
も、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。中には考えることを他
人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話をしたことがある。私
が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。その人はこう
言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、『われ思
う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいとか、まちがっていると
かいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんなことがあった。

 ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしている
の?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中から生ま
れるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子ども
なりに、懸命に考えて、そうしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なの
である。

●知識と思考は別のもの

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけさせる
ことが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。

 それがムダだとは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にし
てしまう。かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言えば、賢い子どもという
のは、自分で考える力のある子どもをいう。いくら知識があっても、自分で考える力のない子ど
もは、賢い子どもとは言わない。頭のよし悪しも関係ない。

 映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言っている。「バカなことをする人の
ことを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。ここをまちがえると、教育の柱そのものがゆが
んでくる。私はそれを心配する。

(付記)

●日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰め込み教
育」が基本になっている。さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育
である。つまり日本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画
一的な子どもをつくるのが基本になっている。

 もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基本になっている。戦後、日本の教育は大きく変
わったとされるが、その流れは今もそれほど変わっていない。日本人の多くは、そういうのが教
育であると思い込まされているが、それこそ世界の非常識。

 ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。自
分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない自己判断
のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本当にダメになる」(「コウとうけん」・九八
年)と警告している。

●低俗化する夜の番組

 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっている
のがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話と
して外に取り出しているにすぎない。一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考え
ていない。

 思考というのは、本文にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人によっては
本当に頭が痛くなることもある。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らない。その
ため考えるだけでイライラしたり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、考えること
自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるということもある。
私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。また文にして残す
という方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。私にとって生きるというこ
とは、考えること。考えるということは、書くこと。モンテーニュ(フランスの哲学者、一五三三〜
九二)も、「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときのほか、考えたことはない」
(随想録)と書いている。ものを書くということには、そういう意味も含まれる。



家族のつながりを守る法(家族を犠牲にするな!)

仕事で家族が犠牲になるとき

●ルービン報道官の退任 

二〇〇〇年の春、J・ルービン報道官が、国務省を退任した。約三年間、アメリカ国務省のス
ポークスマンを務めた人である。理由は妻の出産。「長男が生まれたのをきっかけに、退任を
決意。当分はロンドンで同居し、主夫業に専念する」(報道)と。

 一方、日本にはこんな話がある。以前、「単身赴任により、子どもを養育する権利を奪われ
た」と訴えた男性がいた。東京に本社を置くT臓器のK氏(五三歳)だ。いわく「東京から名古屋
への異動を命じられた。そのため子どもの一人が不登校になるなど、さまざまな苦痛を受け
た」と。単身赴任は、六年間も続いた。

●家族がバラバラにされて、何が仕事か!

 日本では、「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも、「勉強する」「宿題があ
る」と言えば、すべてが免除される。仕事第一主義が悪いわけではないが、そのためにゆがめ
られた部分も多い。今でも妻に向かって、「お前を食わせてやる」「養ってやる」と暴言を吐く夫
は、いくらでもいる。

 その単身赴任について、昔、メルボルン大学の教授が、私にこう聞いた。「日本では単身赴
任に対して、法的規制は、何もないのか」と。私が「ない」と答えると、周囲にいた学生までも
が、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と騒いだ。

 さてそのK氏の訴えを棄却して、最高裁第二小法廷は、一九九九年の九月、次のような判決
を言いわたした。いわく「単身赴任は社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えていない」と。
つまり「単身赴任はがまんできる範囲のことだから、がまんせよ」と。もう何をか言わんや、であ
る。

 ルービン報道官の最後の記者会見の席に、妻のアマンポールさんが飛び入りしてこう言っ
た。「あなたはミスターママになるが、おむつを取り替えることができるか」と。それに答えてル
ービン報道官は、「必要なことは、すべていたします。適切に、ハイ」と答えた。

●落第を喜ぶ親たち

 日本の常識は決して、世界の標準ではない。たとえばこの本のどこかにも書いたが、アメリカ
では学校の先生が、親に子どもの落第をすすめると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。親
はそのほうが子どものためになると判断する。が、日本ではそうではない。

 軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。こうした「違い」が積もりに積も
って、それがルービン報道官になり、日本の単身赴任になった。言いかえると、日本が世界の
標準にたどりつくまでには、まだまだ道は遠い。



子どもの心を大切にする法(子どもの心を聞け!)

子育てのトゲが心に刺さるとき

●三男からのハガキ 

 富士山頂からハガキが届いた。見ると三男からのものだった。登頂した日付と時刻に続い
て、こう書いてあった。「一三年ぶりに雪辱を果たしました。今、どうしてあのとき泣き続けた
か、その理由がわかりました」と。

 一三年前、私たち家族は富士登山を試みた。私と女房、一三歳の長男、一〇歳の二男、そ
れに七歳の三男だった。が、九合目を過ぎ、九・五号目まで来たところで、そこから見あげる
と、山頂が絶壁の向こうに見えた。そこで私は、多分そのとき三男にこう言ったと思う。「お前に
は無理だから、ここに残っていろ」と。女房と三男を山小屋に残して、私たちは頂上をめざし
た。つまりその間中、三男はよほど悔しかったのだろう、山小屋で泣き続けていたという。

●三男はずっと泣いていた!

 三男はそのあと、高校時代には山岳部に入り、部長を務め、全国大会にまで出場している。
今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単なことらしい。その日も、大学の
教授たちとグループを作って登山しているということだった。女房が朝、新聞を見ながら、「きっ
とE君はご来光をおがめたわ」と喜んでいた。が、私はその三男のハガキを見て、胸がしめつ
けられた。

 あのとき私は、三男の気持ちを確かめなかった。私たちが登山していく姿を見ながら、三男
はどんな思いでいたのか。そう、振り返ったとき、三男が女房のズボンに顔をうずめて泣いて
いたのは覚えている。しかしそのまま泣き続けていたとは!

●後悔は心のトゲ

 「後悔」という言葉がある。それは心に刺さったトゲのようなものだ。しかしそのトゲにも、刺さ
っていることに気づかないトゲもある。私はこの一三年間、三男がそんな気持ちでいたことを知
る由もなかった。何という不覚! 私はどうして三男にもっと耳を傾けてやらなかったのか。

 何でもないようなトゲだが、子育ても終わってみると、そんなトゲが心を突き刺す。私はやはり
あのとき、時間はかかっても、そして背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだった。重苦しい
気持ちで女房にそれを伝えると、女房はこう言って笑った。

 「だって、あれは、E君が足が痛いと言ったからでしょ」と。「Eが、痛いと言ったのか?」「そう、
E君が痛いから歩けないと泣いたのよ。それで私も残ったのよ」「じゃあ、ぼくが登頂をやめろと
言ったわけではないのか?」「そうよ」と。とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じ
た。軽い風だった。さっそくそのあと、三男にメールを出した。「登頂、おめでとう。よかったね」
と。



脳の乱舞を防ぐ法(イメージ文化に気をつけろ!)

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ
う。

 動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然
神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。そ
の間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちら
の頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。三〇年前に
はこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。小一児で、一〇人
に二人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに
数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑
えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れから、病
欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」と回答し
ている。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九
〇%以上の先生が、経験している。

 ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」(六六%)などの友だちへの攻撃、
「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(五二%)などの授業そのも
のに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使う人もい
る。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの
教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

 日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差
を感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」
(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)と続く。そしてそ
の結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ずる」「やや感ず
る」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊
家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子ど
もが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。

 そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子ど
もを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていた
のがわかる。ある母親はこう言った。

「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もし
ませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。
速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。
速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その
証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ
ない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚
が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。

 一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさど
るのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲーム
は、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子ど
もの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳
が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

(付記)

●ふえる学級崩壊
 
学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。一九九九年一月になされた日
教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告さ
れている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海
道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにさ
れた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。

 北海道のある地方都市で、小学一年生七〇名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……一九人
 教師の指示を行動に移せない       ……一七人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……九人、など(同大会)。

●心を病む教師たち

 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する
約六万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、九三年度から四年間は毎年二一〇人
から二二〇人程度で推移していたが、九七年度は、二六一人。さらに九八年度は三五五人に
ふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・九九年)。

 この病気休職者のうち、精神系疾患者は。九三年度から増加傾向にあることがわかり、九六
年度に一時減ったものの、九七年度は急増し、一三五人になったという。この数字は全休職
者の約五二%にあたる。(全国データでは、九七年度は休職者が四一七一人で、精神系疾患
者は、一六一九人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約
半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係のストレス
によるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。

●その対策
 
 現在全国の二一自治体では、学級崩壊が問題化している小学一年クラスについて、クラスを
一クラス三〇人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとってい
る(共同通信社まとめ)。また小学六年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的に
は、小学一、二年について、新潟県と秋田県がいずれも一クラスを三〇人に、香川県では四
〇人いるクラスを、二人担任制にし、今後五年間でこの上限を三六人まで引きさげる予定だと
いう。

 福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小一でクラスが三〇〜三六人のばあいでも、もう
一人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学
校では、六年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。
大分県では、中学一年と三年の英語の授業を、一クラス二〇人程度で実施している(二〇〇
一年度調べ)。



家族の心を守る法(家族は大切だと言え!)

家族の心が犠牲になるとき 

●子どもの心を忘れる親

 アメリカでは、学校の先生が、親に「お宅の子どもを一年、落第させましょう」と言うと、親はそ
れに喜んで従う。「喜んで」だ。ウソでも誇張でもない。あるいは自分の子どもの学力が落ちて
いるとわかると、親のほうから学校へ落第を頼みに行くというケースも多い。アメリカの親たち
は、「そのほうが子どものためになる」と考える。

 が、この日本ではそうはいかない。子どもが軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は
半狂乱になる。先日もある母親から電話でこんな相談があった。何でも学校の先生から、その
母親の娘(小二)が、養護学級をすすめられているというのだ。その母親は電話口の向こうで、
オイオイと泣き崩れていたが、なぜか? なぜ日本ではそうなのか? 

●明治以来の出世主義

 日本では「立派な社会人」「社会で役立つ人」が、教育の柱になっている。一方、アメリカで
は、「よき家庭人」あるいは「よき市民」が、教育の柱になっている。オーストラリアでもそうだ。
カナダやフランスでもそうだ。が、日本では明治以来、出世主義がもてはやされ、その一方で、
家族がないがしろにされてきた。今でも男たちは「仕事がある」と言えば、すべてが免除され
る。子どもでも「勉強する」「宿題がある」と言えば、すべてが免除される。

●家事をしない夫たち

 二〇〇〇年に内閣府が調査したところによると、炊事、洗濯、掃除などの家事は、九割近く
を妻が担当していることがわかった。家族全体で担当しているのは一〇%程度。夫が担当して
いるケースは、わずか一%でしかなかったという。

 子どものしつけや親の世話でも、六割が妻の仕事で、夫が担当しているケースは、三%(た
ったの三%!)前後にとどまった。

 その一方で七割以上の人が、「男性の家庭、地域参加をもっと求める必要がある」と考えて
いることもわかったという。内閣総理府の担当官は、次のようにコメントを述べている。

 「今の二〇代の男性は比較的家事に参加しているようだが、四〇代、五〇代には、リンゴの
皮すらむいたことがない人がいる。男性の意識改革をしないと、社会は変わらない。男性が老
後に困らないためにも、積極的に(意識改革の)運動を進めていきたい」(毎日新聞)と(※1)。

 仕事第一主義が悪いわけではないが、その背景には、日本独特の出世主義社会があり、そ
れを支える身分意識がある。そのため日本人はコースからはずれることを、何よりも恐れる。
それが冒頭にあげた、アメリカと日本の違いというわけである。言いかえると、この日本では、
家族を中心にものを考えるという姿勢が、ほとんど育っていない。たいていの日本人は家族を
平気で犠牲にしながら、それにすら気づかないでいる……。

●家族主義

 かたい話になってしまったが、ボームという人が書いた童話に、『オズの魔法使い』というの
がある。カンザスの田舎に住むドロシーという女の子が、犬のトトとともに、虹の向こうにあると
いう「幸福」を求めて冒険するという物話である。

 あの物語を通して、ドロシーは、幸福というのは、結局は自分の家庭の中にあることを知る。
アメリカを代表する物語だが、しかしそれがそのまま欧米人の幸福観の基本になっている。

 たとえば少し前、メル・ギブソンが主演する『パトリオット』という映画があった。あの映画では
家族のために戦う一人の父親がテーマになっていた。(日本では「パトリオット」を「愛国者」と訳
すが、もともと「パトリオット」というのは、ラテン語の「パトリオータ」つまり、「父なる大地を愛す
る」という意味の単語に由来する。)「家族のためなら、命がけで戦う」というのが、欧米人の共
通の理念にもなっている。家族を大切にするということには、そういう意味も含まれる。そしてそ
れが回りまわって、彼らのいう愛国心(※2)になっている。

●変わる日本人の価値観

 それはさておき、そろそろ私たち日本人も、旧態の価値観を変えるべき時期にきているので
はないのか。今のままだと、いつまでたっても「日本異質論」は消えない。が、悲観すべきこと
ばかりではない。九九年の春、文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、四
〇%の日本人が、「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、それが四
五%になった。たった一年足らずの間に、五ポイントもふえたことになる。これはまさに、日本
人にとっては革命とも言えるべき大変化である。

 そこであなたもどうだろう、今日から子どもにはこう言ってみたら。「家族を大切にしよう」「家
族は助けあい、理解しあい、励ましあい、教えあい、守りあおう」と。この一言が、あなたの子育
てを変え、日本を変え、日本の教育を変える。

※1……これを受けて、文部科学省が中心になって、全国六か所程度で、都道府県県教育委
員会を通して、男性の意識改革のモデル事業を委託。成果を全国的に普及させる予定だとい
う(二〇〇一年一一月)。
※2……英語で愛国心は、「patriotism」という。しかしこの単語は、もともと「愛郷心」という意味
である。しかし日本では、「国(体制)」を愛することを愛国心という。つまり日本人が考える愛国
心と、欧米人が考える愛国心は、その基本において、まったく異質なものであることに注意して
ほしい。

(つづきは、「随筆集」をお読みください。)