はやし浩司
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成功させよう、愛知万博!
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Citizen’s Council


愛知万博  
 
  万博単独館へ懇談会名古屋市基本構想探る フミヤさんら14人 二〇〇五年日本国際博覧会(愛知万博)への名古屋市のパビリオン出展について、松原武久市長は一日の定例記者会見で、「単独館でつくらせていただけると思う」と話し、単独出展を前提に基本構想を検討する懇談会を十一日に設置することを明らかにした。 

懇談会のメンバーは、国際日本文化研究センター所長(哲学)の山折哲雄さん、国立民族学博物館長(文化人類学)の石毛直道さん、歌手の藤井フミヤさん、画家・タレントの城戸真亜子さんら各界の十四人。本年度中に計四回程度会合を開き、名古屋市館のテーマやコンセプト、おおまかな会場計画などを策定。〇二年度に実施計画や会場設計に入り、〇三−〇四年度で建設する予定。

 松原市長は「名古屋PRだけではなく、日本を代表するパビリオンとして世界にメッセージを発信したい」と語った。 

 他のメンバーは次の皆さん。 天野安喜子(宗家花火鍵屋十五代目)北原照久(トイズプランニング代表取締役、コレクター)草野満代(キャスター)国井美紀子(名古屋流行発信執行役員出版編集局長)千代久美子(平安閣常務取締役マリエール豊橋支配人)はやし浩司(教育評論家)松井孝典(東京大大学院教授=惑星物理学)安田喜憲(国際日本文化研究センター教授=環境考古学)柳田博明(名古屋工大学長=無機化学)養老孟司(北里大大学院教授=医学) 


                     (中日新聞の記事より)



名古屋市出展参加懇談会

 2001年10月12日 読売新聞・朝刊 

 05年の愛知万博へのパビリオン出展をめぐり、11日にあった名古屋市出展参加懇談会の初会合では、各界の第一線で活躍する人たちが顔をそろえ、幅広く意見を交換した。懇談会は今年度末までに4回開く予定で、市の基本構想を策定する。座長に選ばれた山折哲雄・国際日本文化研究センター所長は、第3回の会合の後に構想を公表し、市民の意見を聴くことを提案して了承された。

 冒頭で市の担当者が検討事項などを説明。「21世紀の万博のパビリオンに期待されるものは何か」「世界に発信するべきメッセージは何か」などの着目点を示した。
 
石毛直道・国立民族学博物館長は「循環型社会を訴えるなら、博覧会後にどう使うのか、目的をもってつくるべきだ」と、建物などを有効利用する必要性を説いた。キャスターの草野満代さんも「箱だけつくって中身が空っぽでは税金の無駄」と述べた。

 「構想には2つの矛盾がある」と指摘したのは安田喜憲・国際日本文化研究センター教授(環境考古学)。「近代文明が終わろうという時代に近代的な万博。さらに自然というイメージに乏しい名古屋で自然の叡智(えいち)がテーマ。徹底して近代文明を訴えるか、パビリオンをつくらずに自然にこだわるかだ」と述べた。
 
画家でタレントの城戸真亜子さんは「芸どころ」としての市の魅力を紹介。「厳しい目と楽しむ心をもつ名古屋では、形が残らなくても、心に残るものがふさわしい」と提案した。歌手でアーティストの藤井フミヤさんは「八百万(やおよろず)の神々といった日本らしさをエンターテインメントにできないか。五感を刺激するものがいい」。万華鏡を例えに「二度と同じものがなく、変化していくものも面白い」。
 
構想にとどまらない具体案も出て、がん具収集家の北原照久さんは「ふれあいを大切にして、著名人の手形を集めてはどうか」。教育評論家のはやし浩司さんは「時代をタイムスリップするような体験型のドーム形施設はどうか」と語った。



愛知万博ニュース

◆芸どころアピール/癒しの館/匠の技紹介 

 愛知万博に単独出展する名古屋市のパビリオン構想に意見を出してもらう市出展参加懇談会が十一日スタートした。多彩な分野の“専門家”十七人をメンバーに選んだだけに、十二人が出席した初会合から個性的な意見が続出。「パビリオンを作らないというのも一つの選択だ」などとの提案も飛び出し、「ある意味、ショックを受けた」と市側を驚かせた。 

 懇談会は、午前十一時から約二時間にわたった。前半、市側がこれまでの経過や現状について説明をし、意見交換に移った。初会合だけに当初は、コンセプト中心に懇談をする予定だったが、委員の間からは、具体的な提案が次々に。それぞれ得意の分野にスタンスをおいた意見が飛び交った。 

 座長を除く各委員のこの日の主な意見は次の通り。(敬称略、五十音順) 

 天野安喜子(宗家花火鍵屋15代目)
 「人間が感動するのは三分あれば十分。それ以上だとあきる。『もう少し見たかった』と思わせるくらいの展示が必要だ」 

 石毛直道(国立民族学博物館館長)
 「パビリオンの展示施設を、万博後、どこにもっていくかという考えをあらかじめ持つべき。循環型社会にふさわしいと思う」 

 北原照久(横浜ブリキおもちゃ博物館館長)
 「著名人の手形を展示してはどうか。それも、百や二百の中途半端なものではなくて、何万人分も必要だ」 

 城戸真亜子(画家、タレント)
 「『芸どころ名古屋』をアピールしてはどうか。人が来なければ意味がない」 

 草野満代(キャスター)
 「来場者数より、記憶に残る万博を目指すべきだ。『自然の叡智(えいち)』というテーマだが、そんな大上段に構えなくてもいいのでは」 

 国井美紀子(名古屋流行発信出版編集局長)
 「コンピューターは発達したが、今の時代は、逆にコミュニケーションが不足している。参加型の展示にしてはどうか」 

 千代久美子(結婚式場支配人)
 「一刀彫や西陣織、有松絞りなど日本各地の匠(たくみ)の技を紹介したらどうか」 

 はやし浩司(教育評論家)
 「『宇宙基地の中における癒(いや)しの館』というイメージを考えている。ドーム型でタイムマシンのように体験できる施設だ」

 藤井フミヤ(歌手)
 「美しい色彩や風景などを使った、ホッとするようなパビリオンが一つくらいあってもいい。それはそれで、刺激として残る」 

 安田喜憲(国際日本文化研究センター教授)
 「パビリオンは作らず、人を集めて美しい農村の中で花火を上げたり、既存の神社などを持ってきてもいい」 

 ラリット・バクシー(インド・ジャパン・トレードセンター理事長)
 「娯楽性、環境、教育、経済を考えながら、この地域の情報を世界に発信すべきだ」 

 写真=多彩なメンバーが出席して開かれた出展参加懇談会 



第2回名古屋市出展参加懇談会出席者 

天野  安喜子 (あまのあきこ) 宗家花火鍵屋15代目 
大石  芳野 (おおいしよしの) フォトジャーナリスト 
北原  照久 (きたはらてるひさ) (株)トーイズ代表取締役(コレクター) 
城戸  真亜子 (きどまあこ) 画家・タレント 
國井  美紀子 (くにいみきこ) (株)名古屋流行発信執行役員出版編集局長 
千代  久美子 (せんだいくみこ) (株)平安閣常務取締役マリエール豊橋支配人 
中北  馨介 (なかきたけいすけ) (社)名古屋青年会議所理事長 
はやし  浩司 (はやしひろし) 教育評論家 
藤井  フミヤ (ふじいふみや) 歌手・アーティスト 
松井  孝典 (まついたかふみ)  東京大学大学院教授(惑星物理学) 
安田  喜憲 (やすだよしのり) 国際日本文化研究センター教授(環境考古学) 
柳田  博明 (やなぎだひろあき) 名古屋工業大学学長(無機化学) 
山折  哲雄 (やまおりてつお) 国際日本文化研究センター所長(哲学) 
養老  孟司 (ようろうたけし)  北里大学教授(医学) 
 
合計14名                     (敬称略、50音順) 

 




はやし浩司が考える、「万博パビリオン」

ここは、ある星の、宇宙基地。無数の施設が並ぶ中、
「いやしのドーム」と呼ばれているドームがある……。

万博構想
(基本構想)  ここはとある、宇宙基地。日本が管轄する宇宙基地だ。周囲は、荒涼たる砂漠。夜も昼もない。空は漆黒の暗闇。その暗黒の空を飾る無数の星々。まばたきもしない星々。
 その宇宙基地の一角。「いやしのドーム」と呼ばれているドームがある。こうした宇宙基地で働く研究者や職員のために用意された、特別のドームである。

 ドームの形状は、半球型。半透明の強化ガラスにおおわれている。入り口へは、下方から、動く歩道によって、つながっている。ビジター(以下、ビジターというのは、この会場へやってきた観客をさす)は、その歩道に乗って、ドームの中に入る。
(いやしのドーム) いやしのドームでは、地球環境がそのまま再現されている。自然の森、田舎の田畑など。研究者が子どものころの農家、蔵、お宮、その宮の祭りをいろどる露天商の店など。近くの丘の上には、小学校がある。

 このドームへ入るときは、研究者や職員は、子どもにかえった気分になる。それもそのはず。このドームの中のものは、すべて2倍サイズになっている。つまり研究者や職員は、相対的に自分が二分の一のサイズになる。子どもになった気分を味わうことができる。またこのドーム全体の気候、気温は自動調整されていて、雨は定期的に降るようになっている。

 ドームの外周は、地球の景色になっていて、そのときどきの季節(人工的に変化)によって、照明効果によって、変化する。
(二分の一の世界) 農家の縁側には、一人の老婦人がすわって、うたた寝をしている。庭にはニワトリが数羽いる。農家の右側は馬屋になっていて、馬がときおりいななく……。すべて二倍サイズで、この世界へ入ったおとなたちは、縁側の廊下に手をかけるだけで精一杯。農家の中にある、飾り物、玄関に無造作に並べられた野菜など、すべて二倍。農家のあちこちを回るうちに、研究者や職員は、自分が子どもになったかのように錯覚する……。(「子どもは人の父」のコンセプトにより、このドームに入った人は、自分の少年、少女時代にもどることができ、そこで自分の「原点」を再確認する。)

 老婦人(老婆)、馬などは、最新のロボットテクノロジーを使って、本物とそっくりの動きをする。

 ほかに、この家の主人なのだろうか、その男を中心に、数人の男たちと、数人の子どもたちが、いろりの周りに座って何やら楽しそうに話し込んでいる。壁にかかったカレンダーは、1955年。昔はこのタイプのカレンダーを、「日めくり」と呼んでいた。その1955年といえば、今からちょうど50年前だ。奥の台所には、一人の婦人が立って、何やら料理をしている。

 農家を出ると、右側に古い蔵がある。そしてその蔵の横には、なだらかな坂があって、お宮へと続く細い坂道がある。その坂道にそって、露天商の男が大声で何やら売っている。これらの人間や動物は、すべてコンピュータしかけで、本物と同じように動く。
(蔵の中)
 蔵の中は、一転、ハイテク機器が並び、1955年の日本の映像が、360度、全景に渡って映し出されている。流れる音楽も、そのころのものだ。
(出しもの)  小学校の中へ入ると、一方が、小学1年生のクラスになっている。教室には先生以外、だれもいない。先生は、机に座って何やら資料の整理をしている。机の上には、教科書などが積んである。黒板には、「昭和29年10月28日、晴れ」と書いてある。

 もう一つの部屋は、小学6年生の教室。何人かの子どもたちが、何やら座ってゲームのようなものをしている。(おとなが演ずる子どもたちが、いろいろなゲームをしてみせている。服装は、当時のツギハギだらけのスカートやズボンなど。)

 学校の庭には、二倍サイズのブランコやすべり台が置いてある。砂場には、ついさきほどまで誰かが遊んでいたのだろう。スコップやバケツが無造作に置いてある。庭の横には大きなベンチ(二倍サイズ)が置いてあり、このベンチに座って、身体を休めることもできる。
(露天と露天商の男)
 お宮の前にはいくつかの露天が並んでいる。値段は当時の値段。小銭もお札も、二倍サイズ。寅さん風の男(ロボット)が、大声で、客寄せをしている。陳列台の上には、ブリキのおもちゃなどが、ところ狭しと並んでいる。露天商についてきたと思われる女の子(コンパニオン)が、露天商の父親を手伝って、露天でものを売っている。
(お宮)  どこの村にもある、鎮守の神様。お宮。大きな垂れ幕があり、それには「祭」と書いてある。笛や太鼓の音が聞こえている。「♪ドンヒャララ、ドンヒャララ……」と。(注、無宗教的であること。お宮も、神社を連想させるものではなく、ただのお宮風にする。)
(花畑と野菜畑)
 小道を中へ入っていくと、花畑と野菜畑になっている。宇宙基地の研究者や職員は、この花畑や野菜畑で、自分の好きな花や野菜を栽培したりすることができる。ところどころに休憩用のテーブルとイスが置いてある。(このテーブルとイスは、一倍サイズ。)花畑のスミでは、二人の研究員(ロボット人形)が、花を楽しんでいる。(季節感は、照明によって演出。気温(ドーム内の温度)も、プラスマイナス10度くらいの範囲で変化。ドームの中央入り口には、そのときどきの季節、時刻が電光掲示板で表示される。)
(人工季節と人工天候、
人工昼夜、人工風)
ここでは、一日の間に、(春)→(夏)→(秋)の三つの季節が再現される。そのつど周囲の照明がかわり、それぞれの季節の雰囲気をかもしだす。また天候は自動的に調整され、ほぼ一時間サイクルで、昼(50分)→夜(夜は10分くらい)が、再現される。また一時間ごとに警報とともに、にわか雨が降る。雨の時間は5分くらい。ドーム内を回転しながら吹く風も、(風力ゼロ)から(風力10)まで、そのつど変化する。
(電光掲示板)  電光掲示板には、そのときの(1)季節、(2)時刻、(3)気温、(4)湿度、(5)酸素濃度、(6)窒素濃度、(7)二酸化炭素濃度、(8)風力が、表示されている。人工雨が降る5分前には、「○分後に、雨が降ります」(日本語と英語など)とアナウンスが始まる。そして5分間、雨が降る。
(人工雨)  人工雨のほとんどは、リサイクルされる。(雨)→(回収)→(小川)→(浄化)→(雨)→……と。こうした宇宙基地では、水は貴重なのだ。一滴もムダにできない……!

 小川には魚が泳いでいる。ビジターは、簡単な水遊びができる。(深くないこと。安全には注意すること。)
(出口)  出口は、学校の中の階段が、下へつながっていて、そこから地下のホールにつながっている。
(地下ホール)  地下ホールは、宇宙基地の内部をイメージしたもので、夢のある未来の宇宙生活を表現したものにする。

ここでは地上の様子とは一変して、未来の学校、未来の教育をイメージしたものを陳列する。
(宇宙基地の内部)  宇宙基地は、大きく分けて、(1)居住区、(2)研究室になっている。居住区は、(3)寝室、食堂、居間、通信室、教育室に分かれている。教育室では、宇宙基地で生まれた子どもが三人、教育を受けている。
 また研究室では、数名の科学者が、天文観測をしたり、コンピュータをにらんで、何やら相談している。窓がいくつかあり、その窓の向こう(映像)には、無数のドームや宇宙基地が並んでいる。
(未来型の教育システム)
 ここでのメインテーマは、未来型教育のシステムを紹介すること。ハイテク機器を駆使し、ロボット教官が、子どもの授業を担当する。「教える教育」から「考える教育」をテーマにする。

 電子機器……電子黒板、無数に並ぶ、コンピュータ画面など。ここを訪れた子ども(ビジター)は、未来の教育を体験できる。
(教育体験)  ロボット教官が、子どもたちにむかって、こう発言する。
 「正三角形形を、四つの同じ大きさ、同じ形のものに分けてください」
 「9個の点が図のように並んでいる。四本の連続した直線で、これら9つの点をつないでください」
 (この種の問題を10問用意して、子どもたちに知恵比べをさせる。) 
 そのときロボットが、子どもたちと問答しながら授業を進める。


参考資料 1995年という時代について
1955年(昭和29年)という時代
      1月 原潜ノーチラス、試運転
         トヨペット・クラウン登場

      2月 東南アジア条約機構(SEATO)が発効
         ソ連のマレンコフ首相が失脚

      3月 フランス、BB9004機関車が、時速331キロを達成

      4月 南ベトナム内戦が始まる
         国産事務用リコピー機「リコピー101」が発売
         アインシュタイン、死亡

      5月 天皇、戦後初の相撲観戦
         西ドイツ、主権国家となる

      6月 日本、ジュネーブで、ガットに加盟

      7月 ユーゴとソ連が和解。ベオグラード宣言をする
         ロンドンで日ソ交渉始まる

      8月 東京通信工業が、トランジスタラジオを発売
         米英仏ソの四巨頭が、ジュネーブで会談

      9月 トーマス・マン死去
         被爆10周年を迎え、広島で第一回原水禁大会開かれる




忘れた心、子どもの心、それを取り戻そう!

思い出そう、あのころの、苦しかった時代!


基本理念
忘れていませんか? 子どもの心……

子どもは人の父

 イギリスの詩人ワーズワース(一七七〇〜一八五〇)は、次のように歌っている。

  空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

 訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。原文では、「The Child is Father of the Man. 」となっている。この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。ここではほかの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。詩の流れからすると、「その人の人格」ということか。つまり私は、「その人の人格は、子ども時代に形成される」と解釈したが、これには二つの意味が含まれる。一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるから注意せよという意味。もう一つは、人はいくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時代に戻るという意味。誤解があるといけないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未経験で未熟だが、決して、幼稚ではない。子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに広く、純粋で、豊かである。しかも美しい。人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜くなっていく。知識や経験という雑音の中で、俗化し、自分を見失っていく。私を幼児教育のとりこにした事件に、こんな事件がある。

 ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。一人の子ども(年中男児)が、とてもていねいに絵をかいてくれた。そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ごくろうさん」と書き添えた。が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。私はてっきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。そこで「どうしたのかな?」と聞きなおすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれた。「ぼく、ごくろうっていう名前じゃ、ない。たくろう、ってんだ」と。

 もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。もし人が子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。ワーズワースは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。そしてその同じ虹を見て、子どものころの感動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。そこでこう言った。「子どもは人の父」と。私はこの一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているように思う。