文章にはおもしろい側面がある。そのときは「名文だ」と思って書いた文でも、何年後かに読みなおしてみると、「どうしてこんな文を書いたのか?」と思うときがある。内容もさることながら、文そのものがおかしいときもある。
それはちょうど山登りに似ている。遠くから見ると低い山でも、登ってみると、意外と高い。高いので、結構遠くまで見渡せる。たとえば浜名湖の奥に、舘山寺という温泉街がある。あの温泉街の反対側に大草山という山がある。下から見ると、低い山だ。舘山寺側の遊園地からロープウェィで登ることができるが、あの山にせよ、登ってみると、浜名湖はもちろんのこと、遠くは浜松市まで一望できる。つまり人間というのは、一つの山を登るごとに、その視野を広くする。そして一度自分が広い視野に立つと、それまでの自分が、小さく見える。それが予想以上に小さく見える。よく、「賢い人からは愚かな人がよくわかるが、愚かな人には賢い人がわからない」と言う。それと同じようなことが、文についても言える。へたくそな文を書いているときは、名文というのがどういうものだかわからない。しかし名文(あくまでも自分でそう思っているだけだが……)を書けるようになってくると、へたくそな文がへたくそとわかるようになる。
これは自分の文についての話だが、他人の文についても同じことが言える。自分の技量があがればあがるほど、へたくそな文がよりへたくそに見えてくる。が、ここで私はハタと考えてしまう。「私の文はどうなのか?」と。私は今、全力とは言わないが、ある程度は真剣にこの文を書いている。私はいつもうぬぼれだけは強いので、この文はこの文なりに、それほどへたくそとは思っていない。しかしそう思うのは、今の実力がその程度だからではないのか。もし私がさらに大きな山に登り、今の文を振り返ってみるようなことがあると、きっと私は今のこの文をへたくそだと思うだろう。さらに私よりはるかに技量のある人から見ると、私の文は、どうしようもないほどへたくそに見えるに違いない。そんなことを考えていると、文そのものが書けなくなってしまう。外に向って発表できなくなってしまう。実際文を発表すると、たいていそのあと後悔する。「ああ書けばよかった」「どうしてこんな文を書いたのだろう」と。自分で満足できる文を書けることなど、めったにない。しかしそこで戸惑っていたら、文は書けないし、発表もできない。たいていは「ええい、ままよ」と、まあ、何というか、大げさな言い方に聞こえるかもしれないが、清水の舞台から飛び降りるような心境で、文を発表する。またそういう心境にならないと、文は発表できない。
が、このことは、そのまま文の世界の奥深さを意味する。文そのものというより、その文を支える「思想的な深さ」と言ってもよい。文を書いていると、ときどきキラキラと光る宝石のようなものを発見することがある。それまで知らなかった新しい「真理」と言ってもよい。たいていは偶然に、それが見つかる。しかも私の目を引くほど大きくはない。そこで私はそれまでの文を書くのをやめ、その宝石に集中する。そしてその宝石のまわりを掘り始める。大きな宝石のときもあるし、小さな宝石のときもある。もちろん大きな宝石のときは、喜ぶ。「ヤッター」という思いにかられる。そのときほどうれしいことはない。そして次に私がすることは、その宝石をみがくことだ。具体的には一つの文にしてまとめる。決して楽な作業ではない。頭の中で煙がモヤモヤしているような状態だ。それを文にして吐き出す。いや、なかなか吐き出せないこともある。悶々とした気分が続く。しかしここであきらめてはいけない。何度も書き、そして何度も書きなおす。そしてそれを吐き出す。少し不謹慎な話だが、それは便秘の人が、何日ぶりかにあれを出したときの気分に似ているのではないか。いつか女房がそう言った。事実、頭の中のモヤモヤを吐き出した気分は、実に爽快なものだ。吐き出したとたん、スッキリする。カラリとする。が、それだけではない。気がつくと、自分がまた一つ山に登ったことがわかる。それまでの自分がいかに小さかったかを知る。
文を書くということは、まさにその繰り返しだが、それがあるから文を書くのをやめられない。私にとって文を書くということは、そういうことだ。
(追記)
私は文を書くとき、次のことに気をつけている。
@わかりやすい文章を書く。(できるだけ平易な言い方をする。)
A誤解のない文章を書く。(別の意味にとらえられるような表現を避ける。)
B短い文章をリズミカルにつなげる。(読む人が心地よく読めるようにする。)
Cオリジナリティを追求する。(誰かのマエはしない。同じようなことは書かない。)
Dムダなことは書かない。(飾りは入れない。端的にものごとを言いきるようにしている。)
Eありのままを書く。(ウソを書かない。ただしプライバシーに触れることには、注意を払う。)
Fどんな文章も、手を抜かない。(外で発表するときは、いつも真剣勝負で書く。)
どこかの文豪様が言うようなことを書いたが、あくまでも参考に!
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