●ご購読、ありがとうございました。
毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、ときどき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。
今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなものだ。読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。
よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことが多い。女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこまでも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。
私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうございました。
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