はやし浩司

国際結婚
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はやし浩司(ひろし)

国際結婚の問題点、解決法について、考えます。

国際結婚、私たちの場合
問題点
解決法
その他


息子の一人をアメリカへ送ったときから、ある程度は覚悟していましたが、本音を言えば、私も
女房も、日本人の女性と結婚してほしかった……。親には子どもを所有したいという本能があ
るのか、それとも、それは親のエゴなのか。それはわかりませんが、「手が届かないところに息
子を置く」というのは、それだけでも不安なことであり、心配なことです。私たちは夫婦は毎日の
ように話し合いました。そして結局は、一つずつの問題を、私たちなりの方法で、クリアしていく
しかありませんでした。たとえば……

(距離の問題)
アメリカと日本の間には、遠い距離があります。二男が住んでいるところまでは、

浜松→成田 3時間30分
成田→ヒューストン 13時間
ヒューストン→リトルロック、2時間
リトルロック→コンウェイ、1時間、正味合計、19時間30分+待合時間=実際には約24〜2
5時間かかります。
私たちにとって、この24時間という時間が問題でした。24時間だけというのならまだしも、向こ
うとこちらでは、時差もちょうど12時間あります。昼と夜が逆転するわけです。飛行機の長旅
は本当に疲れます。その上、この時差です。まだ五〇歳半ばですから、体力的に何とかなりま
すが、これからはそうはいきません。六〇歳を過ぎたら、短期間内の往復は無理ではないかと
思っています。

で、女房とはこう話し合いました。まず、この「距離」ですが、これはあくまでも相対的なもので
はないかと、です。昔は、岐阜の田舎から、浜松へ出てくるだけでも、岐阜の田舎の人には、
たいへんだっただろう、と。しかし今は交通の便も発達し、岐阜と浜松の距離なんてものは、何
でもないということ。しかもこうも自由に外国へ行き来する時代になってみると、岐阜と浜松な
ど、隣町のようなものです。つまり距離感なんてものは、相対的なものだ、と。もっと言えば、そ
の人の行動半径が広くなればなるほど、距離感も縮まるということです。

実際、アメリカ人などは、日常的にあの広いアメリカ大陸を行き来しています。テキサス州だけ
でも、日本の2倍。カルフォニア州だけでもほぼ日本の広さがあります。岐阜と浜松は遠いなど
とアメリカ人に言うと、それだけで笑われてしまいます。ただ何かあったときに、すぐに飛んでい
けないのが気がかりです。そういう不安感はいつもあります。

私たち夫婦は、距離感について、何度も、話し合い、話し合うことで、解決しました。結果、「ア
メリカなんて、近いものさ。どうせちっぽけな地球のことよ」と。そういうふうに考えることで、この
問題はクリアすることができました。

(言葉の問題)

私はともかくも、女房が不安に思ったようです。しかし女房はもともと楽天的な女性なものです
から、割とあっさりと受け入れることができたようです。「愛し合っているなら、何も言えないわ」
と。しかし実際には、夫婦のどちらか一方でも、英語が話せないと、息子や娘の国際結婚を進
めるのは用意ではないようです。簡単な英会話だけでは、じゅうぶんなコミュニケーションはと
れません。たとえば結婚式にしても、会話ができないと、双方にかなりのフラストレーションがた
まってしまいます。言葉でけではなく、マナーや常識も大切です。英語が話せないということは、
同時に、国際的なマナーや常識もないということになります。これが互いの間に大きなカベをつ
くります。アメリカ人の場合、世界中の人が英語を話すことができる、あるいは話すべきだと考
えていますから、こちらがアジア人だとか、日本人だとか言っても、容赦しません。そういう「甘
え」は通用しないということです。空港でもどこでも、容赦なくペラペラと話しかけてきます。私も
英語にはかなり自信がありますが、しかしヒューストン空港で、あのジョンウエィン調の英語で、
ガンガンと話しかけられたときには、かなりとまどいました。

英語は話せるようにしておきましょう。まあ、結局は二人の問題ですから、何とかなりますが…
…。親がどうこう言う問題ではないのかもしれません。

 
子育て随筆byはやし浩司

初孫

 「いやだわ」とワイフが言った。しかしうれしそうだった。また「いやだわ」と言って、ワイフはうれしそうに笑った。時計を見ると、もう夜中の一二時を回っていた。先ほどまで、私が話しかけると、「うるさくて眠られない」と怒っていたのに、今度は反対に、私に話しかけてくる。「お前も勝手だな」と言うと、「私は、あなたのような大声ではない」と言い返した。

 最初に電話があったのは、午後九時ごろだった。向こうの時刻では、午前七時。デニーズが破水したとかで、緊急に入院することになったという。「こちら(アメリカ)では、無痛分娩がふつうだから、これから麻酔をかけるところだ」と、二男は言っていた。意外と落ち着いた静かな声だった。ワイフは時計を見ながら、「じゃあ、ええと、こちらの一二時ね」と答えていた。
 私はうれしいはずなのに、どこかピンとこなかった。だいたいデニーズの妊娠すら、そのとき話を聞いても、ピンとこなかった。近くにいて、おなかが大きくなるのを見ていればそういうこともないのだが、どこか別の世界のできごとのように思った。別の心で、「これは現実だ」と自分に言って聞かせながら、「おめでとう」を繰り返した。

 二男とデニーズは、はたから見ていても、恥ずかしくなるほど、愛しあっていた。食事中も手をつないで一緒に、食べていた。そういう姿を見せつけられると、結婚に反対などできるものではない。異議を唱えることさえできない。それは暴走した二頭の雄牛と雌牛を、素手で止めるようなものだ。「若さ」という、圧倒的なエネルギーの前では、私たち夫婦がもつ常識や、知恵や、知識など、そのまわりでまきあがる、ホコリほどの意味もない。結婚に同意するとかしないとか、もうそのレベルの話ではなかった。

 で、結婚式からちょうど、一〇か月と一〇日。孫が生まれた。ハネムーンベイビーと言ってよいのだろう。ワイフはさかんに、「早すぎる」とこぼしていたが、確かに早すぎる。二男は二三歳になったばかり。デニーズも二三歳になったばかり。今は二四歳だが、ワイフの言葉を借りるなら、「私たちより四年、早い」ということになる。私が長男をもうけたのは、私が二八歳のときだった。

 名前は「セイジ」だという。私が「薬草の名前だね」と言うと、二男は、「そう」と言った。「スペリングは?」と聞くと、「まだ決まっていない」と。「セイジ」は、そのまま、日本の「正治」「清二」「誠二」に通ずる。英語でもいろいろな書き方がある。しかし名前など、大きな問題ではない。大切なのは、「セイジ」という名前のベイビーがこの世に誕生したという事実だ。私たちが今、すべきことは、その一人の人間を、全幅の愛情をこめて、この世界に歓迎することだ。……しかし、そうは思っても、どこかピンとこない。アメリカといっても、まさに地球の反対側。この日本に対して、地球の反対側で、みな、さかさまに立っている? そこで生まれたベイビーだ。

 「お前も、おばあちゃんだな」と、ワイフをからかうと、またワイフは言った。「私は、おばあちゃんなんて、呼ばせないから」と。そこで私がからかって、「おい、おばあちゃん、そろそろ眠るか」と言うと、また「いやだわ」とうれしそうに笑った。そしてあれこれ自分のことばかり話し始めた。「朝、六時ごろ、陣痛があって、病院へ行ったわ」「一一時ごろ分娩室に入ったわ」「一二時半ごろだったわね、長男が生まれたのは……」と。そのつど「あんたは覚えてる?」と聞いたが、私はそのつど、「忘れた」としか答えようがなかった。女性にとっては、出産は一瞬一秒が脳に刻まれる大事業らしい。しかし男性にとっては、ただの思い出? 記憶している中身が違う。私の記憶にあるのは、「赤ん坊って、本当に赤いな」とか、「チンチンが真っ黒だな」とか、「ワイフは、ほかの女性のように、大声を出さなかったな」とか、そんなことを思ったことでしかない。
 私がまた「忘れた」と答えると、「あんたは本当にいいかげんな人だから」と言った。そして何かを頭の中で思い巡らせるかのように黙ってしまった。私は電気を消した。「もう、眠ろう」と。ワイフは寝返りをうつまえに、最後にこう言った。「あんたも、おじいちゃんなのよ。わかっているの?」と。
(02−8−21)※



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