はやし浩司

思索(7)
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はやし浩司

不登校をテーマにして考える

●悲しい親、うれしい親

 娘(高一)が軽い拒食症から不登校児になったとき、母親は娘にこう言った。「お母さんは、悲
しい」と。それに対して、娘はこう言った。「どうして? どうして悲しいの?」と。

 また別の日。半年近く不登校を繰り返していた中学二年の娘がいた。その娘がある夜、母親
にこう言った。「お母さん、明日は学校へ行ってみようか」と。これに対して、母親は「うれし
い!」と。そこで娘はこう言った。「どうして? どうしてうれしいの?」と。

 この二つの話は、その底流でつながっている。不登校を悲しむ親も、そして学校へ行くのを
喜ぶ親も、ある特殊な価値観をもっている。「学校とは行かねばならないところ」「学校へ行か
ない子どもは落ちこぼれ」という価値観である。しかしそれは子どもの価値観ではない。言うな
れば親が、自分たちの世界でつくりあげた身勝手な価値観でしかない。もし、そうでないという
のなら、あなたは子どもたちの「どうして?」という疑問に答えることができるだろうか。

●ふつう論

 「ふつうの子ども」という言葉がある。しかしこの言葉ほど、あいまいな言葉はない。「ふつうの
生活」「ふつうの人」というときも、そうだ。私もいつかどこかでこの言葉を定義づけてみようと思
ったが、結局はできなかった。この世界には「ふつう」などというものは、そもそも存在しない。
もちろん「ふつうの子ども」というのも、存在しない。

 あえて言うなら、この「ふつう」という言葉は、日本人独特の「世間体」という言葉と、密接に結
びついている。ちょうど表と裏の関係にある。世間体に準じていればふつうであり、そうでなけ
ればふつうでない、と。しかし私はこの世間体という言葉が大嫌いだ。とくに私の母は、日常的
にこの言葉をよく使った。何ごとにつけ、「世間が笑う」「世間が許さない」「世間体が悪い」と。
こうした生き方は、いつも他人の目の中で自分の人生を生きるようなものだ。

 つまり世間体を気にすればするほど、その人から「私」が消える。しかしそれは同時に、たっ
た一度しかない人生をムダにすることにもなる。だからある日、多分私が中学生ぐらいのとき
のことだと思うが、それに猛反発したのを覚えている。「世間、世間って、世間が何だ! 世間
が何をしてくれるのだ!」と。

 話がそれたが、親が「ふつうの子ども」を意識するときというのは、それは無意識のうちにも、
世間通俗の一般的な尺度で子どもをながめていることになる。

●ふつうの尺度

 ときどき戦前の学校の授業風景が、テレビで紹介される。当時ことだから、カメラを向けられ
ただけで、先生も生徒も、最高度に緊張したにちがいない。しかしそれにしても、そこに出てく
る子どもたちは、もう人間というよりは、ロボット、ロボットというよりは機械に近い。

 もっと言えば脳みそカラッポの、部品のようだ。全員が直立不動のまま、しかも無表情で同じ
行動をしている! そういう世界では、もし他人と少しでもちがった行動をすれば、即そのま
ま、排斥される。とくに戦前のような全体主義国家では、ふつうでないことは、それ自体が「悪」
だった。恐らく世間体という言葉は、そういう時代的背景から生まれたものだろう。世間と同じこ
とをしていれば安全、しかしそれからはずれれば、命の保障すらない、と。

 そう言えば母は、私が政治の批判をするのを、何よりも恐れていた。母の時代には、政治批
判など、夢のまた夢。私が何か批判めいたことを口にしただけで、「そんなこと言うもんじゃな
い!」とたしなめられた。

●戦前の亡霊たち

 戦前なんて遠い昔の話と、だれしもそう考えている。それがどっこい。戦前の亡霊たちはいま
だに、しっかりと私たちの中で生きている。とくに子育てにおいてはそうだ。私たちは無意識の
うちにも、自分が受けた子育てを自分の子どもに繰り返す。よいにつけ悪いにつけ、子育てと
いうのはもともとそういうものだが、言い換えると、自分自身の心の中をのぞけば、そのまま私
たちは戦前の日本人を知ることができる。そんp一つが冒頭にあげた「どうして?」である。

 どうしてあなたは自分の子どもが不登校児になると悲しいのか。あるいは不登校の子どもが
学校へ行くようになると、どうしてうれしいのか。さらには「ふつう」とは何か、「世間体」とは何
か、それを一度冷静に考えてみてほしい。これはあなたの子どものためというよりは、あなた
自身のためでもある。過去のゆがんだ亡霊たちにとりつかれている間は、あなたは自分という
ものをしっかりと見ることはできない。ということは、亡霊にじゃまされている限り、あなたは自
分の人生を自分でつかむことはできない。(02・1・21)



子どもの未来を考える法(「部屋から出るな」と言え!)

親が子どもを叱るとき 

●「出て行け」は、ほうび

 日本では親は、子どもにバツを与えるとき、「(家から)出て行け」と言う。しかしアメリカでは、
「部屋から出るな」と言う。もしアメリカの子どもが、「出て行け」と言われたら、彼らは喜んで家
から出て行く。「出て行け」は、彼らにしてみれば、バツではなく、ほうびなのだ。
 一方、こんな話もある。私がブラジルのサンパウロで聞いた話だ。日本からの移民は、仲間
どうしが集まり、集団で行動する。その傾向がたいへん強い。リトル東京(日本人街)が、その
よい例だ。この日本人とは対照的に、ドイツからの移民は、単独で行動する。人里離れたへき
地でも、平気で暮らす、と。

●皆で渡ればこわくない

 この二つの話、つまり子どもに与えるバツと日本人の集団性は、その水面下で互いにつなが
っている。日本人は、集団からはずれることを嫌う。だから「出て行け」は、バツとなる。一方、
欧米人は、束縛からの解放を自由ととらえる。自由を奪われることが、彼らにしてみればバツ
なのだ。集団性についても、あのマーク・トウェーン(「トム・ソーヤの冒険」の著者)はこう書い
ている。『皆と同じことをしていると感じたら、そのときは自分が変わるべきとき』と。つまり「皆と
違ったことをするのが、自由」と。

●変わる日本人

 一方、日本では昔から、『長いものには巻かれろ』と言う。『皆で渡ればこわくない』とも言う。
そのためか子どもが不登校を起こしただけで、親は半狂乱になる。集団からはずれるというの
は、日本人にとっては、恐怖以外の何ものでもない。この違いは、日本の歴史に深く根ざして
いる。日本人はその身分制度の中で、画一性を強要された。農民は農民らしく、町民は町民ら
しく、と。それだけではない。
 
 日本独特の家制度が、個人の自由な活動を制限した。戸籍から追い出された者は、無宿者
となり、社会からも排斥された。要するにこの日本では、個人が一人で生きるのを許さないし、
そういう仕組みもない。しかし今、それが大きく変わろうとしている。若者たちが、「組織」にそれ
ほど魅力を感じなくなってきている。イタリア人の友人が、こんなメールを送ってくれた。「ローマ
へ来る日本人は、今、二つに分けることができる。一つは、旗を立てて集団で来る日本人。年
配者が多い。もう一つは、単独で行動する若者たち。茶パツが多い」と。

●ふえるフリーターたち

 たとえばそういう変化は、フリーター志望の若者がふえているというところにも表れている。日
本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によれば、高校三年生のうちフリーター志望が、一二%
もいるという(ほかに就職が三四%、大学、専門学校が四〇%)。職業意識も変わってきた。
「いろいろな仕事をしたい」「自分に合わない仕事はしない」「有名になりたい」など。三〇年前
のように、「都会で大企業に就職したい」と答えた子どもは、ほとんどいない(※)。これはまさに
「サイレント革命」と言うにふさわしい。フランス革命のような派手な革命ではないが、日本人そ
のものが、今、着実に変わろうとしている。

 さて今、あなたの子どもに「出て行け」と言ったら、あなたの子どもはそれを喜ぶだろうか。そ
れとも一昔前の子どものように、「入れてくれ!」と、玄関の前で泣きじゃくるだろうか。ほんの
少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。

※……首都圏の高校生を対象にした日本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によると、

 卒業後の進路をフリーターとした高校生……一二%
 就職                ……三四%
 専門学校              ……二八%
 大学・短大             ……二二%

 また将来の進路については、「将来、フリーターになるかもしれない」と思っている生徒は、全
体の二三%。約四人に一人がフリーター志向をもっているのがわかった。その理由としては、

 就職、進学断念型          ……三三%
 目的追求型             ……二三%
 自由志向型             ……一五%、だそうだ。

●フリーター撲滅論まで……

 こうしたフリーター志望の若者がふえたことについて、「フリーターは社会的に不利である」こ
とを理由に、フリーター反対論者も多い。「フリーター撲滅論」を展開している高校の校長すら
いる。しかし不利か不利でないかは、社会体制の不備によるものであって、個人の責任ではな
い。実情に合わせて、社会のあり方そのものを変えていく必要があるのではないだろうか。い
つまでも「まともな仕事論」にこだわっている限り、日本の社会は変わらない。

思索する、故に我ありへのリンク

日本の未来を考える法(子どもを甘やかすな!)

日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強で苦
労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさがすヒマも
ない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答えていた。

 また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは言われるま
ま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘やかすと、ここまで
言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことがある。
息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょうど四〇年前
の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。あの国では誰もがギラギラとした脂汗
を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。若者とて例外ではない。タクシーの運
転手がこんな話をしてくれた。

 若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金はその
場で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三輪を買っ
て、それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、それでまたお金を
稼ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれてい
た。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近くの小川へ行
った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。それが結構、小
づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。が、今の日本にはそれは
ない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私のところへやってきて、私と
こんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」、私「君は何ができる?」
学「翻訳くらいなら、何とか」
私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか書いてくれ
ば、仕事が回ってくるかもしれない」
学「カッコ悪いからいやだ」、私「なぜカッコ悪い?」
学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。結局その
学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることになった。もちろ
んその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若者
たちを見れば、日本の未来がわかる。で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。結論
から先に言えば、お先まっ暗。このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国
になってしまう。いや、おおかたの経済学者は、二〇一五年前後には、日本は中国の経済圏
にのみ込まれてしまうだろうと予想している。

 事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。たとえばアメリカでは、今では日本
の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。どこの大学でも日本語を学ぶ学
生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。私たちは飽食とぜ
いたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを払うのは、結局は子どもた
ち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。私たちが子どものために、よかれ
と思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとしている。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「二一世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏四カ国の中高生を対象に
した調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになった。現在
の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで生きること」。
学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」としたのは四か国で
最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが二〇〇〇年七月、東京、ソウル、ニュー
ヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約三七〇〇人を対象に実施。「二一世紀は希望
に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で八五・七%、韓仏でも六割以上に達したが、日本
は三三・八%と際立って低かった。自分への満足度では、米国では九割近くが「満足」と答えた
が、日本は二三・一%。学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本が四カ国中最低
だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは
弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽し
む」が六一・五%と最も多く、米国は「地位と名誉」(四〇・六%)、フランスは「円満な家庭」(三
二・四%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が二〇・二%だった
のに対し、米国は七八・八%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本四〇・一%、米国七
六・四%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類全体の利
益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精神が希薄なこ
とも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の夢や希
望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。一九八〇年代からの傾向で、豊
かになったことに伴ったのだろう」と分析している。




自然教育について


ゆがんだ自然観

 もう二〇年以上も前のことだが、こんな詩を書いた女の子がいた(大阪市在住)。「夜空の星
は気持ち悪い。ジンマシンのよう。小石の見える川は気持ち悪い。ジンマシンのよう」と。この
詩はあちこちで話題になったが、基本的には、この「状態」は今も続いている。小さな虫を見た
だけで、ほとんどの子どもは逃げ回る。落ち葉をゴミと考えている子どもも多い。自然教育が声
高に叫ばれてはいるが、どうもそれが子どもたちの世界までそれが入ってこない。

 「自然征服論」を説いたのは、フランシスコ・ベーコンである。それまでのイギリスや世界は、
人間世界と自然を分離して考えることはなかった。人間もあくまでも自然の一部に過ぎなかっ
た。が、ベーコン以来、人間は自らを自然と分離した。分離して、「自然は征服されるもの」(ベ
ーコン)と考えるようになった。それがイギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さらには一七四
〇年に始まった産業革命の原動力となっていった。

 日本も戦前までは、人間と自然を分離して考える人は少なかった。あの長岡半太郎ですら、
「(自然に)抗するものは、容赦なく蹴飛ばされる」(随筆)と書いている。が、戦後、アメリカ型社
会の到来とともに、アメリカに伝わったベーコン流のものの考え方が、日本を支配した。その顕
著な例が、田中角栄氏の「列島改造論」である。日本の自然はどんどん破壊された。埼玉県で
は、この四〇年間だけでも、三〇%弱の森林や農地が失われている。

 自然教育を口にすることは簡単だが、その前に私たちがすべきことは、人間と自然を分けて
考えるベーコン流のものの考え方の放棄である。もっと言えば、人間も自然の一部でしかない
という事実の再認識である。さらにもっと言えば、山の中に道路を一本通すにしても、そこに住
む動物や植物の了解を求めてからする……というのは無理としても、そういう謙虚さをもつこと
である。少なくとも森の中の高速道路を走りながら、「ああ、緑は気持ちいいわね。自然を大切
にしましょうね」は、ない。そういう人間の身勝手さは、もう許されない。(はやし浩司のサイト:
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

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自然教育について

 「自然を大切にしましょう」「自然はすばらしい」という言うのは、その人の勝手だが、それを外
国の人に押しつけてはいけない。

 外国を歩いてみると、彼らの自然観は、日本人と一八〇度違うのがわかる。日本以外のほと
んどの国では、自然は人間に害を与える、戦うべき相手なのだ。ブラジルでもそうだ。彼らはあ
のジャングルを「愛すべき自然」とはとらえていない。彼らにすれば、自然は、「脅威」であり、
「敵」なのだ。このことはアラブの砂漠の国へ行くと、もっとはっきりする。そういう国で、「自然を
大切にしましょう」「自然はすばらしい」などと言おうものなら、「お前、アホか?」と笑われる。
 日本という国の中では、自然はいつも恵みを与えてくれる存在でしかない。そういう意味で、
たしかに恵まれた国だと言ってもよい。しかしそういう価値観を、世界の人に押しつけてはいけ
ない。そこで発想を変える。

 オーストラリアの学校には、「環境保護」という科目がある。もう少しグローバルな視点から、
地球の環境を考えようという科目である。そして一方、「キャンピング」という科目もある。私が
ある中学校(メルボルン市ウェズリー中学校)に、「その科目は必須(コンパルサリー)科目です
か」と電話で問いあわせると、「そうです」という返事がかえってきた。このキャンピングという科
目を通して、オーストラリアの子どもは、原野の中で生き抜く術(すべ)を学ぶ。ここでも、「自然
は戦うべき相手」という発想が、その原点にある。

 もちろんだからといって、私は「自然を大切にしなくてもいい」と言っているのではない。しかし
こういうことは言える。だいたい「自然保護」を声高に言う人というのは、都会の人だということ。
自分たちでさんざん自然を破壊しておいて、他人に向かっては、「大切にしましょう」と。破壊し
ないまでも、破壊した状態の中で、便利な生活(?)をさんざん楽しんでいる。こういう身勝手さ
は、田舎に住んで、田舎人の視点から見るとわかる。ときどき郊外で、家庭菜園をしたり、植
樹のまねごとをする程度で、「自然を守っています」などとは言ってほしくない。そういう言い方
は、本当に、田舎の人を怒らせる。そうそう本当に自然を大切にしたいのなら、多少の洪水が
あったくらいで、川の護岸工事などしないことだ。自然を守るということは、自然をあるがまま受
け入れること。それをしないで、「何が、自然を守る」だ!

 自然を大切にするということは、人間自身も、自然の一部であることを認識することだ。この
ことについては、書くと長くなるので、ここまでにしておくが、自然を守るということは、もっと別の
視点から考えるべきことなのである。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

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自然教育について(2)

 世界の中でも、たまたま日本が、緑豊かな国なのは、日本人がそれだけ自然を愛しているか
らではない。日本人がそれを守ったからでもない。浜松市の駅前に、Aタワーと呼ばれる高層
ビルがある。ためしにあのビルに、のぼってみるとよい。四〇数階の展望台から見ると、眼下
に浜松市が一望できる。が、皮肉なことに、そこから見る浜松市は、まるでゴミの山。あそこか
ら浜松市を見て、浜松市が美しい町だと思う人は、まずいない。

 このことは、東京、大阪、名古屋についても言える。ほうっておいても緑だけは育つという国
であるために、かろうじて緑があるだけ。「緑の破壊力」ということだけを考えるなら、日本人が
もつ破壊力は、恐らく世界一ではないのか。今では山の中の山道ですら、コンクリートで舗装
し、ブロックで、カベを塗り固めている。そういう現実を一方で容認しておいて、「何が、自然教
育だ」ということになる。

 私たちの自然教育が自然教育であるためには、一方で、日本がかかえる構造的な問題、さ
らには日本人の思考回路そのものと戦わねばならない。構造的な問題というのは、市の土木
予算が、二〇〜三〇%(浜松市の土木建設費)もあるということ。日本人の思考回路というの
は、コンクリートで塗り固めることが、「発展」と思い込んでいる誤解をいう。

 たとえばアメリカのミズリー川は、何年かに一度は、大洪水を起こして周辺の家屋を押し流し
ている。二〇〇〇年※の夏にも大洪水を起こした。しかし当の住人たちは、護岸工事に反対し
ている。理由の第一は、「自然の景観を破壊する」である。そして行政当局も、護岸工事にお
金をかけるよりも、そのつど被害を受けた家に補償したほうが安いと計算して、工事をしないで
いる。今、日本人に求められているのは、そういう発想である。

 もし自然教育を望むなら、あなたも明日から、車に乗ることをやめ、自転車に乗ることだ。ク
ーラーをとめ、扇風機で体を冷やすことだ。そして土日は、山の中をゴミを拾って歩くことだ。少
なくとも「教育」で、子どもだけを作り変えようという発想は、あまりにもおとなたちの身勝手とい
うもの。そういう発想では、もう子どもたちを指導することはできない。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

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自然教育について(3)

 五月の一時期、野生のジャスミンが咲き誇る。甘い匂いだ。それが終わると野イチゴの季
節。そしてやがて空をホトトギスが飛ぶようになる……。

 浜松市内と引佐町T村での二重生活をするようになって、もう六年になる。週日は市内で仕
事をして、週末はT村ですごす。距離にして車で四〇分足らずのところだが、この二つの生活
はまるで違う。市内での生活は便利であることが、当たり前。T村での生活は不便であること
が、当たり前。大雨が降るたびに、水は止まる。冬の渇水期には、もちろん水はかれる。カミナ
リが落ちるたびに停電。先日は電柱の分電器の中にアリが巣を作って、それで停電した。道路
舗装も浄化槽の清掃も、自分でする。こう書くと「田舎生活はたいへんだ」と思う人がいるかも
しれない。しかし実際には、T村での生活の方が楽しい。T村での生活には、いつも「生きてい
る」という実感がともなう。庭に出したベンチにすわって、「テッペンカケタカ」と鳴きながら飛ぶ
ホトトギスを見ていると、生きている喜びさえ覚える。

 で、私の場合、どうしてこうまで田舎志向型の人間になってしまったかということ。いや、都会
生活はどうにもこうにも、肌に合わない。数時間、街の雑踏の中を歩いただけで、頭が痛くな
る。疲れる。排気ガスに、けばけばしい看板。それに食堂街の悪臭など。いろいろあるが、とも
かくも肌に合わない。田舎生活を始めて、その傾向はさらに強くなった。女房は「あなたも歳よ
…」というが、どうもそれだけではないようだ。私は今、自分の「原点」にもどりつつあるように思
う。私は子どものころ、岐阜の山奥で、いつも日が暮れるまで遊んだ。魚をとった。そういう自
分に、だ。

 で、今、自然教育という言葉がよく使われる。しかし数百人単位で、ゾロゾロと山間にある合
宿センターにきても、私は自然教育にはならないと思う。かえってそういう体験を嫌う子どもす
ら出てくる。自然教育が自然教育であるためには、子どもの中に「原点」を養わねばならない。
数日間、あるいはそれ以上の間、人の気配を感じない世界で、のんびりと暮らす。好き勝手な
ことをしながら、自活する。そういう体験が体の中に染み込んではじめて、原点となる。

 ……私はヒグラシの声が大好きだ。カナカナカナという鳴き声を聞いていると、眠るのも惜しく
なる。今夜もその声が、近くの森の中を、静かに流れている。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

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自然との融和論

 フランシス・ベーコン(1561−1626、イギリスの哲学者)は、「ノーヴェム・オルガヌム」の中
で、こう書いている。「まず、自然に従え。そして自然を征服せよ」と。このベーコンの自然論の
基本は、人間と自然を、相対した関係に置いているというところ、つまり人間がその意識の中
で、自然とは別の存在であると位置づけているところにある。それまでのイギリスは、ある意味
で自然に翻弄されつづけていたとも言える。つまりベーコンは、人間の意識を自然から乖離
(かいり)させることこそが、人間の意識の確立と考えた※。この考えは、その後多くの自然科
学者に支持され、そしてそれはその後さらに、イギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さらに
は1740年ごろから始まった産業革命の原動力となっていった。

 一方、ドイツはまったく別の道を歩んだ。ベーコンの死後から約100年後に生まれたゲーテ
(1749−1832)ですら、こう書き残している。「自然は絶えずわれわれと語るが、その秘密を
打ち明けはしない。われわれは常に自然に働きかけ、しかもそれを支配する、何の力ももって
いない」(「自然に関する断片」)と。さらにこうも言っている。「神と自然から離れて行動すること
は困難であり、危険でもある。なぜなら、われわれは自然をとおしてのみ、神を意識するからで
ある」(「シュトラースヴェルグ時代の感想」)と。

 ここでゲーテがいう「神」とは、まさに「自己の魂との対面」そのものと考えてよい。つまり自己
の魂と対面するにしても、自然から離れてはありえないと。こうしたイギリスとドイツの違いは、
海洋民族と農耕民族の違いに求めることもできる。海洋民族にとって自然は、常に脅威であ
り、農耕民族にとっては自然は、常に感嘆でしかない。海洋民族にとっては自然は、常に戦う
べき相手であり、農耕民族にとっては自然は、常に受け入れるべき相手でしかない。が、問題
は、イギリスでも、ドイツでもない。私たち日本人はどうだったかということ。

 日本人は元来農耕民族である。ドイツと違う点があるとするなら、日本は徳川時代という、世
界の歴史の中でも類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治を体験したということ。そのためその
民族は、限りなく従順化された。日本人独特の隷属的な相互依存性はこうして説明されるが、
それに反してイギリス人は、人間と自然を分離し、人間が自然にアクティブに挑戦していくこと
を善とした。

 ドイツ人はしかし自然を受け入れ、やがてやってくる産業革命の息吹をどこかで感じながら
も、自然との同居をめざした。ドイツ人が「自然主義」を口にするとき、それは、自然への畏敬
の念を意味する。「自然にあるすべてのものは法とともに行動する」「大自然の秩序は宇宙の
建築家の存在を立証する」(「断片」)と書いたカント(1724−1804)に、その一例を見ること
ができる。一方、日本人は、自然を従うべき相手として、自らを自然の中に組み入れてしまっ
た。

 その考えを象徴するのが、長岡半太郎(1865−1950)である。物理学者の彼ですら、こん
な随筆を残している。「自然に人情は露ほども無い。之に抗するものは、容赦なく蹴飛ばされ
る。之に順ふものは、恩恵に浴する」と。日本人は自然の僕(しもべ)になることによって、自然
をその中に受け入れるというきわめてパッシブな方法を選んだ。が、この自然観は、戦後、アメ
リカ式の民主主義が導入されると同時に、大きく変貌することになる。その象徴的なできごと
が、田中角栄元首相(1972年・自民党総裁に就任)の「日本列島改造論」(都市政策大綱、
新全総、国土庁の設置、さらには新全総総点検作業を含む)である。

 田中角栄氏の無鉄砲とも思える、短絡的な国家主義が、当時の日本に受け入れられたの
は、「展望」をなくした日本人の拝金思想があったことは、だれも疑いようがない。しかしこれは
同時に、イギリスからアメリカを経て日本に導入されたベーコンイズムの始まりでもあった。日
本人は自らを自然と分離することによって、その改造論を正当化した。それはまさに欧米では
すでに禁句となりつつあった、ハーヴェィズム(「文明とは、要するに自然に対する一連の勝利
のことである」とハーヴェィ※2は説いた)の再来といってもよい。

 日本人の自然破壊は、これまた世界の歴史でも類をみないほど、容赦ないものであった。そ
れはちょうどそれまでに鬱積していた不満が、一挙に爆発したかのようにみえる。だれもが競
って、野や山を削ってそれをコンクリートのかたまりに変えた。たとえば埼玉県のばあい、昭和
三五年からの四〇年間だけでも、約二九万ヘクタールから、約二一万ヘクタールへと、森林や
農地の約三〇%が消失している※3。田中角栄氏が首相に就任した1972年以来、さらにそ
れが加速された。(イギリスにおいても、ベーコンの時代に深刻な森林の減少を経験してい
る。)

 そこで台頭したのが、自然調和論であるが、この調和論とて、ベーコンイズムの変形でしかな
い。基本的には、人間と自然を対照的な存在としてとらえている点では、何ら変わりない。そこ
で私たちがめざすべきは、調和論ではなく、ベーコンイズムの放棄である。そして人間を自然
の一部として再認識することである。

 私が好きな一節にこんなのがある。ファーブルの「昆虫記」の中の文章である。「人間というも
のは、進歩に進歩を重ねたあげくの果てに、文明と名づけられるものの行き過ぎによって自滅
して、つぶれてしまう日がくるように思われる」と。

 ファーブルはまさにベーコンイズムの限界、もっと言えばベーコン流の文明論の限界を指摘
したともいえる。言い換えると、ベーコンイズムの放棄は、結局は自然救済につながり、かつ人
間救済につながる。人間は自然と調和するのではない。人間は自然と融和する。そして融和す
ることによってのみ、自らの存在を確立できる。自然であることの不完全、自然であることの不
便さ、自然であることの不都合を受け入れる。そして人間自身もまた、自然の一部であること
を認識する。たとえば野原に道を一本通すにしても、そこに住む生きとし生きるすべての動植
物の許可をもってする。そういう姿勢があってこそ、人間は、この地球という大自然の中で生き
延びることができる。
 
※……ベーコンは「知識は力である」という有名な言葉を残している。「ベーコンは、ルネッサン
ス以来、革新的な試行に哲学的根拠を与えた人物としても知られ、『自然科学の主目的は、人
生を豊かにすることにある』とし、その目標を『自然を制御し、操作すること』においた。この哲
学が、自然科学のイメージを高め、将来における科学の応用、さらには技術や工学の可能性
を探求するための哲学的根拠となった」(金沢工業大学蔵書目録解説より)。

※2……ウィリアム・ハーヴェイ(1578−1657)、医学会のコペルニクスとも言われる人物。
彼は「自然の支配者であり、所有者としての役割は、人類に捧げられたものである」と説いた。

※3……埼玉県の「森林および農地」は、昭和35年に296・224ヘクタールであったが、平成
11年現在は、211・568ヘクタールになっている(「彩の国豊かな自然環境づくり計画基礎調
査解説書」平成九年度版)。

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宗教について

●霊の存在

 霊は存在するか、それともしないか。

 この議論は、議論すること自体、無意味。「存在する」と主張する人は、「見た」とか、「感じ
た」とか言う。これに対して、「存在しない」と主張する人は、「存在しないこと自体」を証明しなけ
ればならない。数学の問題でも、「解く」のは簡単だ。しかしその問題が「解けないことを証明す
る」のは、至難のワザである。

 ただ若い人たちの中には、霊の存在を信じている人は多い。非公式の調査でも、約七〇〜
八〇%の人が、霊の存在を信じているという(テレビ報道など)。「信ずる」といっても、度合い
があるから、一概には論ずることはできない。で、それはそれとして、子どもの世界でも、占い
やまじないにこっている子ども(小中学生)はいくらでもいる。またこの出版不況の中でも、そう
いった類(たぐい)の本だけは不況知らず。たとえば携帯電話の運勢占いには、毎日一〇〇万
件ものアクセスがあるという(二〇〇一年秋)。

 私は「霊は存在しない」と思っているが、冒頭に書いたように、それを証明することはできな
い。だから「存在しない」とは断言できない。しかしこういうことは言える。

 私は生きている間は、「存在しない」という前提で生きる。「存在する」ということになると、もの
の考え方を一八〇度変えなければならない。これは少しおかしなたとえかもしれないが、宝くじ
のようなものだ。宝くじを買っても、「当たる」という前提で、買い物をする人はいない。「当たる
かもしれない」と思っても、「当たらない」という前提で生活をする。もちろん当たれば、もうけも
の。そのときはそのときで考えればよい。

 同じように、私は一応霊は存在しないという前提で、生きる。見たことも、感じたこともないの
だから、これはしかたない。で、死んでみて、そこに霊の世界があったとしたら、それこそもうけ
もの。それから霊の存在を信じても遅くはない。何と言っても、霊の世界は無限(?) 時間的
にも、空間的にも、無限(?) そういう霊の世界からみれば、現世(今の世界)は、とるに足り
ない小さなもの(?) 

 私たちは今、とりあえずこの世界で生きている。だからこの世界を、まず大切にしたい。神様
や仏様にしても、本当にいるかいないかはわからないが、「いない」という前提で生きる。ただ
言えることは、野に咲く花や、木々の間を飛ぶ鳥たちのように、懸命に生きるということ。人間
として懸命に生きる。そういう生き方をまちがっていると言うのなら、それを言う神様や仏様の
ほうこそ、まちがっている。

 ……というのは少し言いすぎだが、仮に私に霊力があっても、そういう力には頼らない。頼り
たくない。私は私。どこまでいっても、私は私。
 今、世界的に「心霊ブーム」だという。それでこの文を書いてみた。

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宗教について(1)
 
 小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーのおもち
ゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。そこで私は、仏
壇の前で手をあわせて祈った。仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもおかしな話だが、
私にはそれしか思いつかなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年始の初詣は欠か
したことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それが一転するできごとがあった。あ
る英語塾で講師をしていたときのこと。高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公園の中にあ
る、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳していたときのことだ。私は
一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。

 そのとき以来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神や仏の力を必
要としている人がいる。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、何かの願
い事をしようと思っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。

 「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のような人間
に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。「クジが当たりますように」とか、「商売
が繁盛しますように」とか。そんなふうに祈る人は多いが、しかしそんなことにいちいち手を貸
す神や仏など、いるはずがない。いたとしたらインチキだ。

 一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。携帯電話の運勢占いコー
ナーには、一日一〇〇万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。どうせその程度の人が、
でまかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても一日一〇〇万件とは! あの『ドラ
えもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。今からたった二五年前には、「ありえ
ない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。奇跡といえば、よっぽどこちらのほうが
奇跡だ。その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……?

 人間の理性というのは、文明が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれたが、
こんな子ども(小五男児)がいた。窓の外をじっと見つめていたので、「何をしているのだ」と聞く
と、こう言った。「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、あのビルを吹っ飛ばすこと
ができる!」と。

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宗教について(2)

 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなることがあ
る。

 たとえば親鸞の『回向論』。『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』という、あの回向
論である。これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、それは
仏の命令によってしているにすぎない。だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚偽に
包まれてはいても、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(大日本百科事典・
石田瑞麿氏)となる。

 しかしこれでは意味がわからない。こうした解釈を読んでいると、何がなんだかさっぱりわか
らなくなる。宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでしまう。要するに親鸞が
言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことではないか。悪人が念仏
を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ行ける」と。しかしそれ
でもまだよくわからない。
 
 そこでこう考えたらどうだろうか。「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当たり前のこ
とではないか。頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。つまりそういう子ども
こそ、ほめられるべきだ」と。もう少し別のたとえで言えば、こうなる。「問題のない子どもを教育
するのは、簡単なことだ。そういうのは教育とは言わない。問題のある子どもを教育するから、
そこに教育の意味がある。またそれを教育という」と。私にはこんな経験がある。

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宗教について(3)

 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。その教
団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。いわく、「この宗教を否定する者は、無間地
獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障害者が多いのは、そのためだ」(N宗機関誌)
と。こんな文章を、身体に障害のある人が読んだら、どう思うだろうか。あるいはその教団に
は、身体に障害のある人はいないとでもいうのだろうか。

が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすようになっ
た。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考え方は、明らかにまちがってい
る。他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈ってやることこそ、彼ら
が言うところの慈悲ではないのか。

 私だっていつも、批判されている。子どもたちにさえ、批判されている。中には「バカヤロー」と
悪態をついて教室を出ていく子どももいる。しかしそういうときでも、私は「この子は苦労するだ
ろうな」とは思っても、「苦労すればいい」とは思わない。神や仏ではない私だって、それくらい
のことは考える。いわんや神や仏をや。批判されたくらいで、いちいちその批判した人を地獄
へ落とすようなら、それはもう神や仏ではない。悪魔だ。だいたいにおいて、地獄とは何か? 
子育てで失敗したり、問題のある子どもをもつということが地獄なのか。しかしそれは地獄でも
何でもない。教育者の目を通して見ると、そんなことまでわかる。

 そこで私は、ときどきこう思う。キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなかったか、
と。ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりすると、意外とよく理
解できる。さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。たとえば「先生、先生
……」と、すり寄ってくる子どもがいる。しかしそういうとき私は、「自分でしなさい」と突き放す。
「何とかいい成績をとらせてください」と言ってきたときもそうだ。いちいち子どもの願いごとをか
なえてやっていたら、その子どもはドラ息子になるだけ。自分で努力することをやめてしまう。そ
うなればなったで、かえってその子どものためにならない。

 人間全体についても同じ。スーパーパワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人間は自
ら努力することをやめてしまう。医学も政治学もそこでストップしてしまう。それはまずい。しかし
そう考えるのは、まさに神や仏の心境と言ってもよい。

 そうそうあのクリスマス。朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーではなく、赤
い自動車だった。私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、今でもはっきり
と覚えている。

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宗教について(4)
 
 教育の場で、宗教の話は、タブー中のタブー。こんな失敗をしたことがある。一人の子ども
(小三男児)がやってきて、こう言った。「先週、遠足の日に雨が降ったのは、バチが当たった
からだ」と。そこで私はこう言った。

 「バチなんてものは、ないのだよ。それにこのところの水不足で、農家の人は雨が降って喜ん
だはずだ」と。

 翌日、その子どもの祖父が、私のところへ怒鳴り込んできた。「貴様はうちの孫に、何てこと
を教えるのだ! 余計なこと、言うな!」と。その一家は、ある仏教系の宗教教団の熱心な信
者だった。

 また別の日。一人の母親が深刻な顔つきでやってきて、こう言った。「先生、うちの主人に
は、シンリが理解できないのです」と。私は「真理」のことだと思ってしまった。そこで「真理という
のは、そういうものかもしれませんね。実のところ、この私も教えてほしいと思っているところで
す」と。その母親は喜んで、あれこれ得意気に説明してくれた。が、どうも会話がかみ合わな
い。そこで確かめてみると、「シンリ」というのは「神理」のことだとわかった。

 さらに別の日。一人の女の子(小五)が、首にひもをぶらさげていた。夏の暑い日で、それが
汗にまみれて、半分肩の上に飛び出していた。そこで私が「これは何?」とそのひもに手をか
けると、その女の子は、びっくりするような大声で、「ギャアーッ!」と叫んだ。叫んで、「汚れる
から、さわらないで!」と、私を押し倒した。その女の子の一家も、ある宗教教団の熱心な信者
だった。

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宗教について(5)

 人はそれぞれの思いをもって、宗教に身を寄せる。そういう人たちを、とやかく言うことは許さ
れない。よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がい
るから、宗教がある。だから宗教を否定しても意味がない。それに仮に、一つの宗教が否定さ
れたとしても、その団体とともに生きてきた人間、なかんずく人間のドラマまで否定されるもの
ではない。

 今、この時点においても、日本だけで二三万団体もの宗教団体がある。その数は、全国の
美容院の数(二〇万)より多い(二〇〇〇年)。それだけの宗教団体があるということは、それ
だけの信者がいるということ。そしてそれぞれの人たちは、何かを求めて懸命に信仰してい
る。その懸命さこそが、まさに人間のドラマなのだ。

 子どもたちはよく、こう言って話しかけてくる。「先生、神様って、いるの?」と。私はそういうと
き「さあね、ぼくにはわからない。おうちの人に聞いてごらん」と逃げる。あるいは「あの世はあ
るの?」と聞いてくる。そういうときも、「さあ、ぼくにはわからない」と逃げる。霊魂や幽霊につ
いても、そうだ。ただ念のため申し添えるなら、私自身は、まったくの無神論者。「無神論」とい
う言い方には、少し抵抗があるが、要するに、手相、家相、占い、予言、運命、運勢、姓名判
断、さらに心霊、前世来世論、カルト、迷信のたぐいは、一切、信じていない。信じていないとい
うより、もとから考えの中に入っていない。

 私と女房が籍を入れたのは、仏滅の日。「私の誕生日に合わせたほうが忘れないだろう」と
いうことで、その日にした。いや、それとて、つまり籍を入れたその日が仏滅の日だったという
ことも、あとから母に言われて、はじめて知った。

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●孤独

 孤独であることは、まさに地獄。無間地獄。だれにも心を許さない。だれからも心を許されな
い。だれにも心を開かない。だれからも心を開かれない。だれも愛さない。だれからも愛されな
い。……あなたは、そんな孤独を知っているか? もし今、あなたが孤独なら、ほんの少しだ
け、自分の心に、耳を傾けてみよう。あなたは何をしたいか。どうしてもらいたいか。それがわ
かれば、あなたはその無間地獄から、抜け出ることができる。

 人を許そうとか、人に心を開こうとか、人を愛しようとか、そんなふうに気負うことはない。あな
たの中のあなた自身を信ずればよい。あなたはあなただし、すでにあなたの中には、数一〇
万年を生きてきた、常識が備わっている。その常識を知り、その常識に従えばよい。

 ほかの人にやさしくすれば、心地よい響きがする。ほかの人に親切にすれば、心地よい響き
がする。すでにあなたはそれを知っている。もしそれがわからなければ、自分の心に誠実に、
どこまでも誠実に生きる。ウソをつかない。飾らない。虚勢をはらない。あるがままを外に出し
てみる。あなたはきっと、そのとき、心の中をすがすがしい風が通り過ぎるのを感ずるはずだ。

 ほかの人に意地悪をすれば、いやな響きがする。ほかの人を裏切ったりすれば、いやな響き
がする。すでにあなたはそれを知っている。もしそれがわからなければ、自分に誠実に、どこま
でも誠実に生きてみる。人を助けてみる。人にものを与えてみる。聞かれたら正直に言ってみ
る。あなたはきっと、そのとき、心の中をすがすがしい風が通りすぎるのを感ずるはずだ。

 生きている以上、私たちは、この孤独から逃れることはできない。が、もし、あなたが進んで
心を開き、ほかの人を許せば、あなたのやさしい心が、あなたの周囲の人を温かく、心豊かに
する。一方、あなたが心を閉ざし、かたくなになればなるほど、あなたの「孤独」が、周囲の人を
冷たくし、邪悪にする。だから思い切って、心を解き放ってみよう。むずかしいことではない。静
かに自分の心に耳を傾け、あなたがしたいと思うことをすればよい。言いたいと思うことを言え
ばよい。ただただひたすら、あなたの中にある常識に従って……。それであなたは今の孤独か
ら、逃れることができる。

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●常識をみがく

 おかしいものは、おかしいと思う。おかしいものは、おかしいと言う。たったこれだけのことで、
あなたはあなたの常識をみがくことができる。大切なことは、「おかしい」と思うことを、自分の
心の中で決してねじ曲げないこと。押しつぶさないこと。

 手始めに、空を見てみよう。あたりの木々を見てみよう。行きかう人々を見てみよう。そして
今何をしたいかを、静かに、あなたの心に問いかけてみよう。つっぱることはない。いじけるこ
とはない。すねたり、ひがんだりすることはない。すなおに自分の心に耳を傾け、あとはその心
に従えばよい。

 私も少し前、ワイフと口論して、家を飛び出したことがある。そのときは、「今夜は家には戻ら
ない」と、そう思った。しかし電車に飛び乗り、遠くまできたとき、ふと、自分の心に問いかけて
みた。「お前は、ひとりで寝たいのか? ホテルの一室で、ひとりで寝たいのか?」と。すると本
当の私がこう答えた。「ノー。ぼくは、家に帰って、いつものふとんで、いつものようにワイフと寝
たい」と。

 そこで家に帰った。帰って、ワイフに、「いっしょに寝たい」と言った。それは勇気のいることだ
った。自分のプライド(?)をねじまげることでもあった。しかし私がそうして心を開いたとき、ワ
イフも心を開いた。と、同時にワイフとのわだかまりは、氷解した。

 仲よくしたかったら、「仲よくしたい」と言えばよい。さみしかったら、「さみしい」と言えばよい。
一緒にいたかったら、「一緒にいたい」と言えばよい。あなたの心に、がまんすることはない。ご
まかすことはない。勇気を出して、自分の心を開く。あなたが心を開かないで、どうして相手が
あなたに心を開くことができるのか。

 本当に勇気のある人というのは、自分の心に正直に生きる人をいう。みなは、それができな
いから、苦しんだり、悩んだりする。本当に勇気のある人というのは、負けを認め、欠点を認
め、自分が弱いことを認める人をいう。みなは、それができないから、無理をしたり、虚勢をは
ったりする。

おかしいものは、おかしいと思う。おかしいものは、おかしいと言う。一見、何でもないことのよ
うに見えるかもしれないが、そういうすなおな気持ちが、孤独という無間地獄から抜け出る、最
初の一歩となる。