はやし浩司

思索(10)
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                                          はやし浩司

子どもの過保護

  親が子どもに手をかけすぎるとき   

●「どうして泣かすのですか!」 

 年中児でも、あと片づけのできない子どもは、一〇人のうち、二、三人はいる。皆が道具をバ
ッグの中にしまうときでも、ただ立っているだけ。あるいはプリントでも力まかせに、バッグの中
に押し込むだけ。しかも恐ろしく時間がかかる。「しまう」という言葉の意味すら理解できない。
そういうとき私がすべきことはただ一つ。片づけが終わるまで、ただひたすら、じっと待つ。

S君もそうだった。私が身振り手振りでそれを促していると、そのうちメソメソと泣き出してしまっ
た。こういうとき、子どもの涙にだまされてはいけない。このタイプの子どもは泣くことによって、
その場から逃げようとする。誰かに助けてもらおうとする。しかしその日は運の悪いことに、た
またまS君の母親が教室の外で待っていた。母親は泣き声を聞きつけると部屋の中へ飛び込
んできて、こう言った。「どうしてうちの子を泣かすのですか!」と。ていねいな言い方だったが、
すご味のある声だった。

●親が先生に指導のポイント

 原因は手のかけすぎ。S君のケースでは、祖父母と、それに母親の三人が、S君の世話をし
ていた。裕福な家庭で、しかも一人っ子。ミルクをこぼしても、誰かが横からサッとふいてくれる
ような環境だった。しかしこのタイプの母親に、手のかけすぎを指摘しても、意味がない。第一
に、その意識がない。「私は子どもにとって、必要なことをしているだけ」と考えている。あるい
は子どもに楽をさせるのが、親の愛だと誤解している。手をかけることが、親の生きがいになっ
ているケースもある。中には子どもが小学校に入学したとき、先生に「指導のポイント」を書い
て渡した母親すらいた。(親が先生に、だ!)「うちの子は、こうこうこういう子ですから、こういう
ときには、こう指導してください」と。

●泣き明かした母親

 あるいは息子(小六)が修学旅行に行った夜、泣き明かした母親もいた。私が「どうしてです
か」と聞くと、「うちの子はああいう子どもだから、皆にいじめられているのではないかと、心配
で心配で……」と。それだけではない。私のような指導をする教師を、「乱暴だ」「不親切だ」と、
反対に遠ざけてしまう。S君のケースでは、片づけを手伝ってやらなかった私に、かえって不満
をもったらしい。そのあと母親は私には目もくれず、子どもの手を引いて教室から出ていってし
まった。こういうケースは今、本当に多い。そうそう先日も埼玉県のある私立幼稚園で講演をし
たときのこと。そこの園長が、こんなことを話してくれた。「今では、給食もレストラン感覚で用意
してあげないと、親は満足しないのですよ」と。こんなこともあった。

●「先生、こわい!」

 中学生たちをキャンプに連れていったときのこと。たき火の火が大きくなったとき、あわてて
逃げてきた男子中学生がいた。「先生、こわい!」と。私は子どものときから、ワンパク少年だ
った。喧嘩をしても負けたことがない。他人に手伝ってもらうのが、何よりもいやだった。今で
も、そうだ。そういう私にとっては、このタイプの子どもは、どうにもこうにも私のリズムに合わな
い。このタイプの子どもに接すると、「どう指導するか」ということよりも、「何も指導しないほう
が、かえってこの子どものためにはいいのではないか」と、そんなことまで考えてしまう。

●自分勝手でわがまま

 手をかけすぎると、自分勝手でわがままな子どもになる。幼児性が持続し、人格の「核」形成
そのものが遅れる。子どもはその年齢になると、その年齢にふさわしい「核」ができる。教える
側から見ると、「この子はこういう子だという、つかみどころ」ができる。が、その「核」の形成が
遅れる。

 子育ての第一目標は、子どもをたくましく自立させること。この一語に尽きる。しかしこのタイ
プの子どもは、(親が手をかける)→(ひ弱になる)→(ますます手をかける)の悪循環の中で、
ますますひ弱になっていく。昔から過保護児のことを「温室育ち」というが、まさに温室の中だけ
で育ったような感じになる。人間が本来もっているはずの野性臭そのものがない。そのため温
室の外へ出ると、「すぐ風邪をひく」。キズつきやすく、くじけやすい。ほかに依存性が強い(自
立した行動ができない。ひとりでは何もできない)、金銭感覚にうとい(損得の判断ができない。
高価なものでも、平気で友だちにあげてしまう)、善悪の判断が鈍い(悪に対する抵抗力が弱
く、誘惑に弱い)、自制心に欠ける(好きな食べ物を際限なく食べる。薬のトローチを食べてしま
う)、目標やルールが守れないなど、溺愛児に似た特徴もある。

●「心配」が過保護の原因

 親が子どもを過保護にする背景には、何らかの「心配」が原因になっていることが多い。そし
てその心配の内容に応じて、過保護の形も変わってくる。食事面で過保護にするケース、運動
面で過保護にするケースなどがある。

 しかし何といっても、子どもに悪い影響を与えるのは、精神面での過保護である。「近所のA
君は悪い子だから、一緒に遊んではダメ」「公園の砂場には、いじめっ子がいるから、公園へ
行ってはダメ」などと、子どもの世界を、外の世界から隔離してしまう。そしておとなの世界だけ
で、子育てをしてしまう。本来子どもというのは、外の世界でもまれながら、成長し、たくましくな
る。が、精神面で過保護にすると、その成長そのものが、阻害される。

 そんなわけで子どもへの過保護を感じたら、まずその原因、つまり何が心配で過保護にして
いるかをさぐる。それをしないと、結局はいつまでたっても、その「心配の種」に振り回されるこ
とになる。

●じょうずに手を抜く

 要するに子育てで手を抜くことを恐れてはいけない。手を抜けば抜くほど、もちろんじょうずに
だが、子どもに自立心が育つ。私が作った格言だが、こんなのがある。

『何でも半分』……これは子どもにしてあげることは、何でも半分でやめ、残りの半分は自分で
させるという意味。靴下でも片方だけをはかせて、もう片方は自分ではかせるなど。

『あと一歩、その手前でやめる』……これも同じような意味だが、子どもに何かをしてあげるに
しても、やりすぎてはいけないという意味。「あと少し」というところでやめる。同じく靴下でたとえ
て言うなら、とちゅうまではかせて、あとは自分ではかせるなど。

●子どもはカラを脱ぎながら成長する

 子どもというのは、成長の段階で、そのつどカラを脱ぐようにして大きくなる。とくに満四・五歳
から五・五歳にかけての時期は、幼児期から少年少女期への移行期にあたる。この時期、子
どもは何かにつけて生意気になり、言葉も乱暴になる。友だちとの交際範囲も急速に広がり、
社会性も身につく。またそれが子どものあるべき姿ということになる。が、その時期に溺愛と過
保護が続くと、子どもはそのカラを脱げないまま、体だけが大きくなる。たいていは、ものわか
りのよい「いい子」のまま通り過ぎてしまう。これがいけない。それはちょうど借金のようなもの
で、あとになればなるほど利息がふくらみ、返済がたいへんになる。同じようにカラを脱ぐべき
ときに脱がなかった子どもほど、何かにつけ、あとあと育てるのがたいへんになる。

 いろいろまとまりのない話になってしまったが、手のかけすぎは、かえって子どものためにな
らない。これは子どもを育てるときの常識である。


子どもの燃え尽き

  子どもの心が燃え尽きるとき   

●「助けてほしい」   

 ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、
助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、
してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラ
ス中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。
一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多
いとみるか、少ないとみるか?

●燃え尽きる子ども

 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっと
のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減
退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、
強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。
で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとん
どの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環とな
って、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくな
ってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。

●原因は家庭、そして親

 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経
症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ
つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し
て、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え
た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、
高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことは
したが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。
「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入
れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」
と。

●休養を大切に

 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者
が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま
すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと
だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう
状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合
っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなか
ったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。

 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅し
や、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えなが
ら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。


子どもを溺愛児にしない法(溺愛を誤解するな!)

親が愛に溺れるとき 

●溺愛は、愛ではない

 溺愛は愛ではない。代償的愛という。いわば自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手
な愛のことだと思えばよい。この溺愛がふつうの愛と違う点は、@親子の間にカベがないこと。
こんなことがあった。

参観授業でのこと。A君(年長児)がB君(年長児)に向かって、「バカ!」と言ったときのことで
ある。その直後、うしろに並んでいた母親たちの間から、「バカとは、何よ!」という声が聞こえ
てきた。またこんな例も。ある母親が私のところにやってきて、こう言った。「先生、私、娘(年中
児)が、風邪で幼稚園を休んでくれると、うれしいのです。一日中、娘の世話ができると思うと、
うれしいのです。それにね、先生、私、主人なんかいてもいなくても、どちらでもいいような気が
します。娘さえ、いてくれれば。それでね、先生、私、異常でしょうか?」と。私はしばらく考えて
こう答えた。「異常です」と。

ほかに中学三年の息子が初恋をしたことについて、激しく嫉妬した母親もいた。ふつうの嫉妬
ではない。その母親は、相手の女の子の写真を私の前に並べながら、人目もはばからず、大
声で泣き叫んだ。「こんな女のどこがいいのですか!」と。

 次にA溺愛する親は、その溺愛を、えてして「親の深い愛」と誤解する。ある高校の山岳部の
懇談会で、先生が親たちに向かって、「皆さんは、お子さんが汚した登山靴をどうしています
か」と聞いたときのこと。それに答えて一人の母親がまっ先に手をあげて、こう言った。「この靴
が息子を無事、私のところに返してくれたのだと思うと、ただただいとおしくて、頬ずりしていま
す!」と。

●精神的な弱さが原因

 親が溺愛に走る背景には、親自身の精神的な弱さと、情緒的な欠陥がある。それがたとえ
ば生活への不安や、夫への満たされない愛、あるいは子どもの事故や病気が引き金となっ
て、親は溺愛に走るようになる。が、溺愛に走るのは親の勝手だとしても、その影響は、子ども
に表れる。子どもはいわゆる溺愛児と呼ばれる子どもになる。特徴としては、@幼児性の持続
(年齢に比して幼い感じがする)、A退行的になる(目標や規則が守れず、自己中心的にな
る)、B服従的になりやすい(依存心が強く、わがままな反面、優柔不断)、C柔和でおとなし
く、満足げでハキがなくなる。ちょうど膝に抱かれたペットのように見えることから、私は勝手に
ペット児(失礼!)と呼んでいるが、そういった感じになる。が、それで悲劇が終わるわけではな
い。

●子どもはカラを脱ぎながら成長する

 子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。たとえば
子どもには、満四・五歳から五・五歳にかけて、たいへん生意気になる時期がある。この時期
を中間反抗期と呼ぶ人もいる。この時期を境に、子どもは幼児期から少年少女期へと移行す
る。しかし溺愛児にはそれがない。ないまま、大きくなる。そしてある時、そのカラを一挙に脱ご
うとする。が、簡単には脱げない。たいてい激しい家庭内騒動をともなう。子「こんなオレにした
のは、お前だろ!」、母「ごめんなさア〜イ。お母さんが悪かったア〜!」と。しかし子どもの成
長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラをうまく脱げない子どもは、超マ
ザコンタイプのまま、体だけはおとなになる。昔、「冬彦さん」(テレビドラマ「ずっとあなたが好き
だった」の主人公)という男性がいたが、そうなる。

●生きがいを別に

 この溺愛を防ぐためには、親自身が子どもから目を離さなければならない。しかし実際には
難しい。このタイプの親ほど、「子離れをしよう」とあせればあせるほど、子育てのアリ地獄へと
落ちていく……。では、どうするか。親自身が、子育てとは別に、別の場所で生きがいを求め
る。ボランティア活動でも、仕事でも。子育て以外に、没頭できるものを別に求める。ある母親
は手芸の店を開いた。また別の母親は、医療事務の講師を始めた。そういう形で、その結果と
して、子どもから離れる。子どもを忘れ、ついで子育てを忘れる。 


子どものウソをつぶす法(過干渉を避けろ!)

子どもがウソをつくとき

●ウソにもいろいろ

 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのようにして
つくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。

 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇
示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚
がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさ
い」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。
「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思
い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言とい
う。こんなことがあった。

●空想の世界に生きる子ども

 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児)
が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではあり
ませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」
と。ものすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、そ
の母親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなこと
を言ってもらっては困ります!」と。

 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバスの中
で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあ
とA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそ
らすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。

●「お前は自分の生徒を疑うのか!」

 ある日、一人の女の子(小四)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バスの中で
落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの
明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常
識では考えられなかった。そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情
のまま、やはりことこまかに話をつなげた。「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それで
そのときカバンがほとんど逆さまになり、お金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚え
ているというのもおかしい。落としたなら落としたで、そのとき拾えばよかった……?

 で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小二)からこんな話を聞い
た。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落とした
という金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことが
たびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、その
つど、どこかつじつまが合わなかった。そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親
にその女の子の問題を伝えることにした。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒し
て、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の
部屋に隠れて立っているのがわかった。「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その
女の子はニヤリと笑った。

ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩も引き
さがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」とい
くら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。

●空中の楼閣に住まわすな

 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせて
はならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世
界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間
に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りない
リアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実
であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自
覚しないのが、その特徴である。

●ウソは、静かに問いつめる

 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「も
うウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子
どもはますますウソがうまくなる。

 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのい
い子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側か
ら見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない
子ども」といった感じになる。

 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。
原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。
とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまう
ことになるから注意する。


子どものチックを考える法(クセと誤解するな!)

子どもがチックになるとき

●チックの子ども 

 チックと呼ばれる、よく知られた症状がある。幼児の一〇人に一人ぐらいの割合で経験す
る。「筋肉の習慣性れん縮」とも呼ばれ、筋肉の無目的な運動のことをいう。子どもの意思とは
無関係に起こる。時と場所を選ばないのが特徴で、これをチックの不随意性という。たいてい
は首から上に症状が出る。首をギクギクと動かす、目をまばたきさせる、眼球をクルクル動か
す、咳払いをする、のどをウッウッとうならせるなど。つばを吐く、つばをそでにこすりつけると
いうのもある。上体をグイグイと動かしたり、さらにひどくなると全身がけいれん状態になり、呼
吸困難におちいることもある。稀に数種類のチックを、同時に発症することもある。七〜八歳を
ピークとして発症するが、おかしな行為をするなと感じたら、このチックを疑ってみる。症状は千
差万別で、そのためたいていの親は、それを「変なクセ」と誤解する。しかしチックはクセではな
い。だから注意をしたり、叱っても意味がない。ないだけではなく、親が神経質になればなるほ
ど、症状はひどくなる。

●回り道をして賢くなる?

 ……というようなことは、私たちの世界では常識中の常識なのだが、どんな親も、親になった
ときから、すべてを一から始める。チックを知らないからといって、恥じることはない。ただ子育
てには謙虚であってほしい。あなたは何でも知っているつもりかもしれないが、知らないことの
ほうが多い。こんな子ども(年長女児)がいた。その子どもは、母親が何度注意をしても、つば
を服のそでにこすりつけていた。そのため、服のそでは、唾液でベタベタ。そこで私はその母親
に、「チックです」と告げたが、母親は私の言うことなど信じなかった。病院へ連れていき、脳波
検査をした上、脳のCTスキャンまでとって調べた。異常など見つかるはずはない。そのあとも
う一度、私に相談があった。親というのはそういうもので、それぞれが回り道をしながら、一つ
ずつ賢くなっていく。

●原因は神経質な子育て

 原因は神経質な子育て。親の拘束的(子どもをしばりつける)かつ権威主義的な過干渉(「親
の言うことを聞きなさい」式に、親の価値観を一方的に押しつける)、あるいは親の完ぺき主義
(こまかいことまできちんとさせる)などがある。子どもの側からみて息が抜けない環境が、子ど
もの心をふさぐ。一般的には一人っ子に多いとされるのは、それだけ親の関心が子どもに集
中するため。しかもその原因のほとんどは、親自身にある。が、それも親にはわからない。完
ぺきであることを、理想的な親の姿であると誤解している。あるいは「自分はふつうだ」と思い
込んでいる。その誤解や思い込みが強ければ強いほど、人の話に耳を傾けない。それがます
ます子育てを独善的なものにする。が、それで悲劇は終わらない。

チックはいわば、黄信号。その症状が進むと、神経症、さらには情緒障害、さらにひどくなる
と、精神障害にすらなりかねない。が、子どもの心の問題は、より悪くなってから、前の症状が
軽かったことに気づく。親はそのときの症状だけをみて、子どもをなおそうとするが、そういう近
視眼的なものの見方が、かえって症状を悪化させる。そしてあとは底無しの悪循環。

●症状はすぐには消えない

 チックについて言うなら、仮に親が猛省したとしても、症状だけはそれ以後もしばらく残る。子
どもによっては数年、あるいはもっと長く続く。クセとして定着してしまうこともある。おとなでもチ
ック症状をみせる人は、いくらでもいる。日本を代表するような有名人でも、ときどき眼球をク
ルクルさせたり、首を不自然に回したりする人はいくらでもいる。心というのはそういうもので、
一度キズがつくと、なかなかなおらない。


悪循環から抜け出る法(身勝手を捨てろ!)

教師が子育ての宿命を感ずるとき

●かん黙児の子ども

 かん黙児の子ども(年長女児)がいた。症状は一進一退。少しよくなると親は無理をする。そ
の無理がまた、症状を悪化させる。私はその子どもを一年間にわたって、指導した。指導とい
っても、母親と一緒に、教室の中に座ってもらっていただけだが、それでも、結構、神経をつか
う。疲れる。このタイプの子どもは、神経が繊細で、乱暴な指導がなじまない。が、その年の年
末になり、就学前の健康診断を受けることになった。が、その母親が考えたことは、「いかにし
て、その健康診断をくぐり抜けるか」ということ。そしてそのあと、私にこう相談してきた。「心理
療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます。ですから心理療
法士にかかることにしました。ついては先生(私)のところにもいると、パニックになってしまいま
すので、今日限りでやめます」と。「何がパニックになるのですか」と私が聞くと、「指導者が二
人では、私の頭が混乱します」と。

●経過は一年単位でみる

 かん黙児に限らず、子どもの情緒障害は、より症状が重くなってはじめて、前の症状が軽か
ったことに気づく。あとはその繰り返し。私が「三か月は何も言ってはいけません。何も手伝っ
てはいけません。子どもと視線を合わせてもいけません」と言った。が、親には一か月でも長
い。一週間でも長い。そういう気持ちはわかるが、私の目を盗んでは、子どもにちょっかいを出
す。一度親子の間にパイプ(依存心)ができてしまうと、それを切るのは、たいへん難しい。情
緒障害は、半年、あるいは一年単位でみる。「半年前とくらべて、どうだったか」「一年前は、ど
うだったか」と。一か月や二か月で、症状が改善するということは、ありえない。が、親にはそれ
もわからない。最初の段階で、無理をする。時に強く叱ったり、怒ったりする。あるいは太いパ
イプを作ってしまう。初期の段階で、つまり症状が軽い段階で、それに気づき、適切な処置をす
れば、「障害」という言葉を使うこともないまま終わる。が、私はその母親の話を聞いたとき、別
のことを考えていた。

●「そんな冷たいこと言わないでください!」

 はじめて母親がその子どもを連れてきたとき、私はその瞬間にその子どもがかん黙児とわか
った。母親も、それを気づいていたはずだ。しかし母親は、それを懸命に隠しながら、「音楽教
室ではふつうです」「幼稚園ではふつうです」と言っていた。それが今度は、「心理療法士にか
かっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます」と。母親自身が、子どもを受
け入れていない。そういう状態になってもまだ、メンツにこだわっている。もうこうなると、私に指
導できることは何もない。私が「わかりました。ご自分で判断なさってください」と言うと、母親は
突然取り乱して、こう叫んだ。「そんな冷たいこと言わないでください! 私を突き放すようなこ
とを言わないでください!」と。

●親は自分で失敗して気づく

 子どもの情緒障害の原因のほとんどは、家庭にある。親を責めているのではない。たいてい
の親は、その知識がないまま、それを「よかれ」と思って無理をする。この無理が、症状を悪化
させる。それはまさに泥沼の悪循環。そして気がついたときには、にっちもさっちもいかない状
態になっている。つまり親自身が自分で失敗して、その失敗に気づくしかない。確かに冷たい
言い方だが、子育てというのはそういうもの。子育てには、そういう宿命が、いつもついて回る。

(参考)

●かん黙児

 かん黙児……家の中などではふつうに話したり騒いだりすることはできても、場面が変わると
貝殻を閉ざしたかのように、かん黙してしまう子どもを、かん黙児という。通常の学習環境での
指導が困難なかん黙児は、小学生で一〇〇〇人中、四人(〇・三八%)、中学生で一〇〇〇
人中、三人(〇・二九%)と言われているが、実際にはその傾向のある子どもまで含めると、二
〇人に一人以上は経験する。

 ある特定の場面になるとかん黙するタイプ(場面かん黙)と、場面に関係なくかん黙する、全
かん黙に分けて考えるが、ほかにある特定の条件が重なるとかん黙してしまうタイプの子ども
や、気分的な要素に左右されてかん黙してしまう子どももいる。順に子どもを当てて意見を述
べさせるようなとき、ふとしたきっかけでかん黙してしまうなど。

 一般的には無言を守り対人関係を避けることにより、自分の保身をはかるために、子どもは
かん黙すると考えられている。これを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したときをきっ
かけとして発症することが多く、過度の身体的緊張がその背景にあると言われている。

 かん黙状態になると、体をこわばらせる、視線をそらす(あるいはじっと相手をみつめる)、口
をキッと結ぶ。あるいは反対に柔和な笑みを浮かべたまま、かん黙する子どももいる。心と感
情表現が遊離したために起こる現象と考えるとわかりやすい。

かん黙児の指導で難しいのは、親にその理解がないこと。幼稚園などでその症状が出たりす
ると、たいていの親は、「先生の指導が悪い」「集団に慣れていないため」「友だちづきあいが
ヘタ」とか言う。「内弁慶なだけ」と言う人もいる。そして子どもに向かっては、「話しなさい」「どう
してハキハキしないの!」と叱る。しかし子どものかん黙は、脳の機能障害によるもので、子ど
もの力ではどうにもならない。またそういう前提で対処しなければならない。


神経質な子どもに対処する法(性質を見ぬけ!)

子どもが神経質になるとき

●敏感(神経質)な子ども 

 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオドオドし、
その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。そして私に、
「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。

 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この敏感児を
いうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体
の約三〇%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分
けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便
秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的
過敏児だった。

●過敏児

 このタイプの子どもは、@感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示
に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。A耐久性にもろく、ちょっとしたこと
で泣き出したり、キズついたりしやすい。B過敏であるがために、環境になじまず、不適応を起
こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん
息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。C症状は、一過性、反復性など、定型がない。そ
のときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎氏)。A子さん
のケースでも、A子さんは原因不明の発熱に悩まされていた。

●子どもを認め、受け入れる

 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児であるにせよ、それは子どもがもって生
まれた性質であり、なおそうと思っても、なおるものではないということ。無理をすればかえって
逆効果。症状が重くなってしまう。が、悪いことばかりではない。敏感児について言えば、その
繊細な感覚のため、芸術やある特殊な分野で、並はずれた才能を見せることがある。ほかの
子どもなら見落としてしまうようなことでも、しっかりと見ることができる。ただ精神的な疲労に弱
く、日中、ほんの一〇数分でも緊張させると、それだけで神経疲れを起こしてしまう。一般的に
は集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前提で理解してあげる。

●一見鈍感児なのだが……

 ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももい
る。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもっ
た子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心
にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっぱいを飲んでいるなら、ふざ
けていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせ
たりする。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場を
ごまかそうとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも
緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプ
と言ってよい。その子ども(年長児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がか
かってきた。「母親のおっぱいを飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせ
るとは、どういうことですか!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわから
ない。


こわがる子どもを考える法(恐怖症を軽く考えるな!)

子どもが恐怖症になるとき

●九死に一生

 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして
文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れ
た。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように
感じた。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。

 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたく
ない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがあ
る。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続
出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。
それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。

@対人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程
度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注
意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所
でも、わがもの顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に
出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこ
わくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できな
い、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。

A場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れ
ない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これはある子ども(小一男児)
のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。親から相談があ
ったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということが
わかった。その子どもは閉所恐怖症だった。実は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足す
ことができなかった。それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入
ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

Bそのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわがる、
先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。何かのお面をかぶって見せただけで、
ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。ただ子どものば
あい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわからない
ことが多い。また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。これも私のこ
とだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そのためそれ以来、
ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現地で
はひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因になる。ま
た一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。高
所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう回路(パターン)ができる
ためと考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症にな
り、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。

●忘れるのが一番

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱っても意
味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの
視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほ
ど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、
できるだけそのことを忘れさせるようにする。症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。
私のときも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状
態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと
汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言い
きかせることで、克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、
夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではど
うにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。


(付記)
●不登校と怠学

不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別
する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考える学者も
いる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりや
すい。


子どもの分離不安を考える法(症状に注意せよ!)

子どもが分離不安になるとき

●親子のきずなに感動した!?     

 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム
ニストの書いたものだが、いわく、「うちの娘(三歳)をはじめて幼稚園へ連れていったときのこ
と。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さに感
動した」と。そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、「親子の絆の深さ」に感動
したと言うのだ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分
離不安の症状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」では、ない。

●分離不安は不安発作

 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を
あげて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ
ナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立
恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四〜六歳児についていうなら、
一五〜二〇人に一人くらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静
かに落ちついている。が、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声をはりあげ
て、そのあとを追いかけたりする。

●過去に何らかの事件

 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病
気で入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育
児拒否、冷淡、無視、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子ど
もの側からみて、「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離不安の原因と考えるとわか
りやすい。無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけ
を見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理をすれ
ばかえって症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるもの
の、しばらくするとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではな
い。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安につ
いても、そのつど繰り返し症状が表れる。

●鉄則は無理をしない

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに
説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子
を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしている
のがわかる。「いいかげんにしなさい」「私はもう行きますからね!」と。こういう親子のリズムの
乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます強く被害妄想をもつようになる。分離不安を神
経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたよう
に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が
予定より遅くなっただけで、言いようのない不安発作に襲われます」と。姿や形を変えて、おと
なになってからも症状が表れることがある。

(付記)
●分離不安は小児うつ病?
子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理的つなが
りを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識などがこの時期に始まる。
そしてさらに三歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時期に、母子の
間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こすと考えられてい
る(クラウスほか)。小児うつ病の一形態と考える学者も多い。症状がこじれると、慢性的な発
熱、情緒不安症状、さらには神経症による諸症状を示すこともある。


子どもの自慰に対処する法(罪悪感をもたせるな!)

子どもが自慰をするとき


●ある母親からの質問
 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。六
歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなっ
ているのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつける
ように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいので
しょうか」(三二歳母親)と。

●罪悪感をもたせないように

 フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に分けている。@口唇期……口の中にいろいろ
なものを入れて快感を覚える。A肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に興
味を示したり、そこをいじったりする。B男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心をも
つようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレ
ス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為
をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自
慰もその一つと考える。つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレ
スの原因(ストレッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症
状(ふさぎ込み、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)を
ともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を
悪化させることもあるので注意する。

●スキンシップは大切に

 さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自
分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情
緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないこ
とを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗する
そぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。

 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サ
ラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。

 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうし
ても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることが
ある。


子どもの発語障害を考える法(発音教育をせよ!)

子どもの発語障害を考えるとき 

●発音教育をしないのは日本だけ 

 世界広しといえども、幼児期に発音教育をしないのは、日本ぐらいなものではないか。私が
生まれ育った岐阜県の美濃地方では、「鮎(あゆ)」を、「エエ」と発音する。「よい味」を、「エエ・
エジ」と発音する。だから、「この鮎は、よい味だ」と言うときは、「このエエうァ、エエ・エジやナ
モ」と言う。方言が悪いというのではないが、こういう発音を日常的にしていて、それを正しい文
に書けと言われても、できるものではない。そんなわけで私は小学生のころ、作文が大の苦手
だった。子どもながらに苦労したのを、記憶のどこかで覚えている。まだある。この日本では幼
児の発音に甘く、子どもが「デンチャ(電車)」「シュジュメ(すずめ)」と発音しても、それをかえっ
て、「かわいい言い方」と、許してしまう。

●幼児の発語障害

 「発語障害」というときは、構音障害(発音、発語障害)、吃音障害(どもる)、音声障害(ダミ
声、鼻声、かすれ声)、それに発音器官に器質的な障害があるばあい(口蓋裂)などを総称し
ていう。しかし現場で「発語障害」というときは、この中の構音障害をいう。たとえば「机」を「チュ
クエ」、「学校」を「ガッコ」、「バッタ」を「バタ」と言うなど。言葉の一部の音を変えたり、ぬかした
りする。口唇、歯列、舌などの器官を総称して、構音器官という。この構音器官に機能的な障
害があると、子どもはここにあげたように独特の発音をするようになる。幼児は、サ行(猿→シ
ャル)、ザ行(ぞうり→ジョーリ)、ラ行(ロケット→ドケット)が苦手だが、これらが正しく発音でき
れば、よしとする。さらに発音するとき、舌の位置がずれると、サ行がシャ音化(魚→シャカナ)
したり、同じくサ行がチャ音化(魚→チャカナ)したりする。ほかにラ行がダ音化することもある。
「ラジオ」を「ダジオ」と言うのがそれである。満五歳を一つの目安として、それまでに正しい発
音ができるようにする。

●なおしにくい「カ」行障害児

 以上は比較的なおしやすい構音障害だが、なおしにくいのもある。カ行をタ音化するカ行障
害(五個→ドト)などは、指導が難しく、なおすのに数年かかることもある。五、六歳児について
いえば、全体の五%前後にその傾向がみられる。しかしあまり神経質に指導すると、子どもが
自信をなくしたり、さらに失語症になったりするから注意する。少し古い資料だが、アメリカ言語
聴覚学会の報告によれば、指導が必要な構音障害児の出現率は、三%とされる(一九五一
年)。症状にも軽重があり、ふつう児との線引きも難しいが、その傾向のある子どもまで含める
と、「つ」を「チュ」と発音するケースが、約二〇%。何らかの指導が必要と思われる幼児は、約
五〜一〇%というのが、私の実感である。

●幼児期から発音教育を!

 こういう発語障害をふせぐためには、子どもが言葉を話すようになったら、息を子どもの顔に
吹きかけながら、口の動きを正確にしてみせるとよい。幼児語(自動車→ブーブー、電車→ゴ
ーゴー)などは、かえって発語の発達を遅らせることになるので、注意する。言葉の発達そのも
のを遅らせることもある。ある男の子(年長児)は、「三輪車」を「シャーシャー」、「押す」を「ドウ
ドウ」と言っていた。だから、「三輪車を押す」は、「シャーシャー、ドウドウ」と。が、それでも発語
障害が残ってしまったら……。各市町村の保険センター、もしくは教育委員会に相談窓口があ
るので、そちらへ問い合わせてみるとよい。


子どもの能力を伸ばす法(プラスの暗示をかけろ!)

子どもが伸びるとき

●伸びる子どもの四条件

 伸びる子どもには、次の四つの特徴がある。@好奇心が旺盛、A忍耐力がある、B生活力
がある、C思考が柔軟(頭がやわらかい)。

@好奇心……好奇心が旺盛かどうかは、一人で遊ばせてみるとわかる。旺盛な子どもは、身
のまわりから次々といろいろな遊びを発見したり、作り出したりする。趣味も広く、多芸多才。
友だちの数も多く、相手を選ばない。数才年上の友だちもいれば、年下の友だちもいる。何か
新しい遊びを提案したりすると、「やる!」とか「やりたい!」とか言って、食いついてくる。反対
に好奇心が弱い子どもは、一人で遊ばせても、「退屈〜ウ」とか、「もうおうちへ帰ろ〜ウ」とか
言ったりする。

A忍耐力……よく誤解されるが、釣りやゲームなど、好きなことを一日中しているからといっ
て、忍耐力のある子どもということにはならない。子どもにとって忍耐力というのは、「いやなこ
とをする力」のことをいう。たとえばあなたの子どもに、掃除や洗濯を手伝わせてみてほしい。
そういう仕事でもいやがらずにするようであれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもという
ことになる。あるいは欲望をコントロールする力といってもよい。目の前にほしいものがあって
も、手を出さないなど。こんな子ども(小三女児)がいた。たまたまバス停で会ったので、「缶ジ
ュースを買ってあげようか?」と声をかけると、こう言った。「これから家で食事をするからいい
です」と。こういう子どもを忍耐力のある子どもという。この忍耐力がないと、子どもは学習面で
も、(しない)→(できない)→(いやがる)→(ますますできない)の悪循環の中で、伸び悩む。

B生活力……ある男の子(年長児)は、親が急用で家をあけなければならなくなったとき、妹の
世話から食事の用意、戸じまり、消灯など、家事をすべて一人でしたという。親は「やらせれば
できるもんですね」と笑っていたが、そういう子どもを生活力のある子どもという。エマーソン(ア
メリカの詩人、「自然論」の著者、一八〇三〜八二)も、『教育に秘法があるとするなら、それは
生活を尊重することである』と書いている。

C思考が柔軟……思考が柔軟な子どもは、臨機応変にものごとに対処できる。同じいたずら
でも、このタイプの子どものいたずらは、どこかほのぼのとした温もりがある。食パンをくりぬい
てトンネルごっこ。スリッパをつなげて電車ごっこなど。反対に頭のかたい子どもは、一度「カ
ラ」にこもると、そこから抜け出ることができない。ある子ども(小三男児)は、いつも自分の座
る席が決まっていて、その席でないと、どうしても座ろうとしなかった。

 一般論として、「がんこ」は、子どもの成長にとって好ましいものではない。かたくなになる、意
固地になる、融通がきかないなど。子どもからハツラツとした表情が消え、動作や感情表現
が、どこか不自然になることが多い。教える側から見ると、どこか心に膜がかかったような状態
になり、子どもの心がつかみにくくなる。

●子どもを伸ばすために

子どもを伸ばす最大の秘訣は、常に「あなたは、どんどん伸びている」という、プラスの暗示を
かけること。そのためにも、子どもはいつもほめる。子どもを自慢する。ウソでもよいから、「あ
なたは去年(この前)より、ずっとすばらしい子になった」を繰り返す。もしあなたが、「うちの子
は悪くなっている」と感じているなら、なおさら、そうする。まずいのは「あなたはダメになる」式
のマイナスの暗示をかけてしまうこと。とくに「あなたはやっぱりダメな子ね」式の、その子ども
の人格の核に触れるような「格」攻撃は、タブー中のタブー。

その上で、@あなた自身が、自分の世界を広め、その世界に子どもを引き込むようにする(好
奇心をますため)。またA「子どもは使えば使うほどいい子になる」と考え、家事の手伝いはさ
せる。「子どもに楽をさせることが親の愛」と誤解しているようなら、そういう誤解は捨てる(忍耐
力や生活力をつけるため)。そしてB子どもの頭をやわらかくするためには、生活の場では、
「アレッ!」と思うような意外性を大切にする。よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言われるの
は、それだけ刺激が多いことによる。マンネリ化した単調な生活は、子どもの知恵の発達のた
めには、好ましい環境とは言えない。


子どもの心を安定させる法(原因を家庭の中に求めろ!)

子どもの心が不安定になるとき 

●情緒が不安定な子ども

 子どもの成長は、次の四つをみる。@精神の完成度、A情緒の安定度、B知育の発達度、
それにC運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われるとき
をみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎ込み、不機
嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなけ
れば、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わな
い。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的
な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五〜一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れ
てしまう。

●情緒不安とは……?

 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二〜四歳の
第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。

 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さ
ない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張状
態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安
定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり(マ
イナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。表情に
だまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。このタイプの
子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と言っ
ただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的な非行行
動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。

●原因の多くは異常な体験

 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。たとえば親自身
の情緒不安のほか、親の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒
動、家庭不和、何らかの恐怖体験など。ある子ども(五歳男児)は、たった一度だが、祖父に
はげしく叱られたのが原因で、自閉傾向(人と心が通い合わない状態)を示すようになった。ま
た別の子ども(三歳男児)は、母親が入院している間、祖母に預けられたことが原因で、分離
不安(親の姿が見えないと混乱状態になる)になってしまった。

 ふつう子どもの情緒不安は、神経症による症状をともなうことが多い。ここにあげた体の不調
のほか、たとえば夜驚、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チッ
ク、爪かみ、物かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖
症、嫌悪症、対人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。

●原因は、家庭に!

 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかし
まず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子ど
もの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家
庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。夫婦喧嘩もある一定のワク内でなされている
なら、子どもにはそれほど大きな影響を与えない。が、そのワクを越えると、大きな影響を与え
る。子どもは愛情の変化には、とくに敏感に反応する。

 子どもが小学生になったら、家庭は、「体を休め、疲れた心をいやす、いこいの場」でなけれ
ばならない。アメリカの随筆家のソロー(一八一七〜六二)も、『ビロードのクッションの上より、
カボチャの頭』と書いている。人というのは、高価なビロードのクッションの上に座るよりも、カボ
チャの頭の上に座ったほうが気が休まるという意味だが、多くの母親にはそれがわからない。
わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。学校という「しごきの場」で、いいかげん疲
れてきた子どもに対して、家の中でも「勉強しなさい」と子どもを追いまくる。「宿題は終わった
の」「テストは何点だったの」「こんなことでは、いい高校へ入れない」と。これでは子どもの心は
休まらない。

●子どもの情緒を安定させるために

 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にす
る。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子どもが
ひとりで誰にも干渉されず、のんびりとくつろげるような時間と場所をもてるようにすること。親
があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。

 ほかにカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。とくにカルシウムは天然の
精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、日本では精神安定剤として使われていた。錠剤で
与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいことは言うまでもな
い。なお情緒というのは一度不安定になると、その症状は数か月から数年単位で推移する。
親があせって何とかしようと思えば思うほど、ふつう子どもの情緒は不安定になる。また一度
不安定になった心は、そんなに簡単にはなおらない。今の状態をより悪くしないことだけを考え
ながら、子どものリズムに合わせた生活に心がける。

 (参考)

●子どもの神経症について

心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。子どもの
神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。

@精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状
(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩
む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反
対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。

A身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発
熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で
の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと
らえて警戒する。

B行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無
関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出
歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。


子どもの欲求不満を防ぐ法(スキンシップでなおせ!)

子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。

@攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、
かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四
男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ
野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩す
る、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)
に分けて考える。

A退行・依存タイプ

 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。こ
のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ
ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

B固着・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだり
する(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近
多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起
こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切
そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう
言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子ども
の未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子ども
は幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、
爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を
解消しようとする。

●欲求不満は愛情不足

 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもという
のは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑い
をいだかない」という意味。その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。あ
る子ども(小一男児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入っ
たということで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その
子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。子どもなり
に、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで……」と言っ
たが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。

●濃厚なスキンシップが有効

 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、
わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗
するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネ
シウム分の多い食生活に心がける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップその
ものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく
「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあ
い、その心配はまずない。そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよ
い。子どもの欲求不満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの
問題は解決する。


子どもの非行を防ぐ法(無理、強制は避けろ!)

子どもが非行に走るとき  

●日々の生活の積み重ねで決まる

 よい子(?)も、そうでない子(?)も、大きな違いがあるようで、それほど違いはない。日々の
生活の積み重ねで、よい子はよい子になり、そうでない子はそうでなくなる。たとえば非行。盗
み、いじめ、暴力、喫煙、性犯罪、集団非行など。親が「うちの子に限って……」「まさか……」
と思っているうちに、子どもは非行に走るようになる。しかもある日、突然に、だ。それはちょう
ど、ものが臨界点を超えて、突然、爆発するのに似ている。

●こぼれた水は戻らない

 子どもは、なだらかな坂をのぼるように成長するのではない。ちょうど階段をトントンとのぼる
ように成長する。子どもが悪くなるときも、そうだ。(悪くなる)→(何とかしようと親があせる)→
(さらに悪くなる)の悪循環の中で、子どもは、トントンと悪くなる。その一つが、非行。暴力、暴
行、窃盗、万引き、性行為、飲酒、喫煙、集団非行、夜遊び、外泊、家出など。最初は、遠慮
がちに、しかも隠れて悪いことをしていた子どもでも、(叱られる)→(居なおる)→(さらに叱ら
れる)の悪循環を繰り返すうちに、ますます非行に走るようになる。この段階で親がすべきこと
は、「それ以上、症状を悪化させないこと」だが、親にはそれがわからない。「なおそう」とか、
「元に戻そう」とする。しかし一度、盆からこぼれた水は、簡単には戻らない。が、親は、無理に
無理を重ねる……。

●症状は一挙に悪化する

 子どもが非行に走るようになると、独特の症状を見せるようになる。脳の機能そのものが、変
調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリカでは、非行少年
に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも前兆がないわけではない。その一
つ、生活習慣がだらしなくなる。たとえば目標や規則が守れない(貯金を使ってしまう。時間に
ルーズになる)、自己中心的(ゲームに負けると怒る。わがままで自分勝手)になり、無礼、無
作法な態度(おとなをなめるような言動、暴言)が目立つようになる。この段階で家庭騒動、家
庭崩壊など、子どもを取り巻く環境が不安定になると、症状は一挙に悪化する。

●特徴

 その特徴としては、@拒否的態度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「イラネ
エ〜」と拒否する。意識的に拒否するというよりは、条件反射的に拒否する)、A破滅的態度
(ものの考え方が、投げやりになり、他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、無関
心になる。他人への迷惑に無頓着になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できない)、
B自閉的態度(自分のカラに閉じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「殺」などとい
う、どこか悪魔的な言葉に鋭い反応を示すようになる。「家族が迷惑すれば、結局はあなたも
損なのだ」と話しても、このタイプの子どもにはそれが理解できない。親のサイフからお金を抜
き取って、それを使い込むなど)、C野獣的態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭く
なり、肩をいからせて歩くようになる。考え方も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、
ぶっ殺せ」式の、短絡したものの考え方をするようになる)など。心の中はいつも緊張状態にあ
って、ささいなことで激怒したり、キレやすくなる。また一度激怒したり、キレたりすると、感情を
コントロールできなくなることが多い。

●プラス型とマイナス型

 もっともこうした症状が「表」に出る子どもは、まだよいほうだ。中には「内」にこもる子どもが
いる。前者をプラス型というなら、後者はマイナス型ということになる。威圧的な家庭環境、親
の過干渉、過関心が日常的に続くと、子どもの心は閉塞的になり、マイナス型になる。家の中
に引きこもったり、陰湿ないじめや、動物への虐待などを日常的に繰り返したりする。妄想をも
ちやすく、ものの考え方が極端になりやすい。私がA君(小一)に、「ブランコを横取りされまし
た。そういうときあなたはどうしますか」と聞いたときのこと。A君はこうつぶやいた。「そういうヤ
ツは、ぶん殴ってやればいい。どうせ口で言ってもわかんねえ」と。

●家庭生活の猛省を!

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、親は家庭のあり方を猛省しなければ
ならない。しかしこれが難しい。たいていの親は原因を外へ求めようとする。「友だちが悪い」
「うちの子は、そそのかされているだけ」と。しかし反省すべきは、まず家庭のあり方である。
で、このタイプの親は、大きく次の二つのタイプに分けることができる。

@エリートタイプ……一つは、エリート意識が強く、他人の話に耳を傾けないタイプ。独断意識
が強い(※)。このタイプの親は、私のような立場の者がアドバイスしても、ムダ。「子どものこと
は私が一番よく知っている」という確信のもと、その返す刀で、相手に向かっては、「あなたには
本当のことがわかっていない」と、はねのけてしまう。本来そうならないためにも、ほかの父母と
の交流を多くして、風通しをよくしなければならない。が、その交流もしない。あるいはしても形
式的。見栄、メンツ、世間体を優先させてしまう。

A無責任タイプ……もう一つは、無責任で無教養なタイプ。その自覚がないだけではなく、さら
に強制的に子どもをなおそうとする。暴力を加えることも多い。家庭の秩序そのものが、崩壊し
ている。ある中学校の校長は私にこう言った。「本当はこのタイプの親ほど、懇談会などにも出
席してほしいのですが、このタイプの親ほど来てくれません」と。子育てそのものから逃げてし
まう。あるいは子どもの言いなりになってしまう。あとはこの悪循環。盲目的な溺愛が、子ども
の変化を見落としてしまうこともある。私が「どうもよくない遊びをしているようですよ」と話したと
き、「私では何も言えません。先生のほうから言ってください」と頼んできた母親もいた。

●最後の「糸」を切らない

 家族でも先生でも、誰かと一本の「糸」で結ばれている子どもは、非行に走る一歩手前で、自
分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨て
られた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら
(そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛して
いますからね」「どんなことがあっても、私はあなたのそばにいますからね」という姿勢を、徹底
的に貫く。

子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。そういう性
質をうまく使って、子どもを非行から立ちなおらせる。そのためにも最後の「糸」は切ってはいけ
ない。切れば切ったで、ちょうど糸の切れた凧のように、子どもは心のより所をなくしてしまう。
そしてここが重要だが、このタイプの子どもは、「なおそう」とは思わないこと。現在の症状を今
より悪化させないことだけを考えて、時間をかけて様子をみる。

 一般に、この非行も含めて、「心の問題」は、一年単位(一年でも短いほうだが……)で、その
推移を見守る。無理をすれば、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返しながら、
症状はさらにドロ沼化する。そしてその分、子どもの立ちなおりは遅れる。


※……特に最近の傾向として、「@外からとくに指摘される外形的問題は見られない、A親は
高学歴で経済的に安定している、B教育熱心で学校にも協力的である、C親の過保護、過度
の期待が潜在している」(日本教育新聞社・教育ファイル)ということも指摘されている。

(参考)
●ふえる「いきなり型」の非行

 二〇〇一年度版『青少年白書』によれば、「最近の少年非行の特徴として、凶悪犯で検挙さ
れた少年のうち、過去に非行歴のない少年が全体の約半数を占めている」という。白書はそれ
について、「一見おとなしくて目立たない『ふつうの子』が、内面に不満やストレスを抱え、それ
が爆発して起きる『いきなり型』の非行が新たに生じてきている」と分析している。

 そして最近の非行少年の共通点として、@自己中心的な価値観をもち、規範意識や被害者
に対する贖罪感(罪をあがなう意識)が低い、Aコミュニケーション能力が低いことをあげてい
る。その要因としては、「少年の内面的な特徴について、対人関係がうまく結べないことをあ
げ、パソコンや携帯電話の普及で、性や暴力に関する有害情報に接しやすい環境になってい
る」と、パソコンや携帯電話の弊害を指摘している。ちなみに浜松市の西隣に湖西市という人
口が四万人の町がある。その町の高校三年生に聞いてみたところ、二クラス計七二人のうち、
携帯電話を持っていないのは、五人のみだそうだ(二〇〇一年一一月)。普及率は、九四%と
いうことになる。「携帯電話を持っていない人はどういう人か」と質問すると、「友だちがいない
ヤツ」「変わり者」「つきあいの悪いヤツ」という答が返ってきた。



子どもの多動性を考える法(バイタリティを信じろ!)

子どもの多動性を考えるとき

●抑えがきかない子ども 

 集中力欠如型多動性児(ADHD児)と言われるタイプの子どもがいる。無遠慮(隣の家へあ
がりこんで、勝手に冷蔵庫の中の物を食べる)、無警戒(塀の中にいる飼い犬に手を出して、
かまれる)、無頓着(一階の屋根の上から下へ飛びおりる)などの特徴がある。ふつう意味のな
いことをペラペラとしゃべり続ける、多弁性をともなう。が、何といっても最大の特徴は、抑えが
きかないということ。強く制止しても、その場だけの効果しかない。一分もしないうちに、また騒
ぎだす。たいていは乳幼児期からきびしいしつけを受けているため、叱られるということに対し
て免疫性ができている。それがますます指導を難しくする。

 このタイプの子どもの指導でたいへんなのは、「秩序」そのものを破壊してしまうこと。勝手に
騒いで、授業をメチャメチャにしてしまう。それだけではない。その子どもだけを集中的に指導
していると、ほかの子どもたちが神経質になってしまう。私もこんな失敗をしたことがある。その
子ども(年長男児)を何とか抑えようと四苦八苦していたのだが、ふと横を見ると、隣の女の子
が涙ぐんでいた。「どうしたの?」と聞くと、小さい声で、「先生がこわい……」と。

●DSM・Wのマニュアルより

 出現率は、小学校の低学年児では、二〇人に一人ぐらいだが、症状にも軽重があり、その
傾向のある子どもまで含めると、一〇人に一人ぐらいの割合で経験する。学習面での特徴とし
ては、@ここにあげた多動性(めまぐるしく動き回る)のほか、A注意力持続困難(注意力が散
漫で、先生の話が聞けない。集中できない。根気が続かない)、B衝動性(衝動的行為が多く、
突発的に叫んだり暴れたりする)があげられている(アメリカ、障害児診断マニュアル、DSM・
Wより)。

●「ママのパンティね、花柄パンティよ!」

 能力的には、遅れが目立つ子どもが約七割、ある特定の分野に、ふつう程度以上の能力を
見せる子どもが約三割と私はみている。が、問題はそのことではなく、親自身にその自覚がほ
とんどないということ。このタイプの子どもは、乳幼児期には、何ごとにつけ天衣無縫。言うこと
なすこと活発で、そのためほとんどの親は、自分の子どもをむしろ優秀な子どもと誤解する。こ
れがまた指導を難しくする。Mさん(年中児)もそうだった。赤ちゃんのときから、柱にヒモでつな
がれて育った。そのMさん、参観日のとき、突然、「今日のママのパンティね、花柄パンティ
よ!」と叫んだ。言ってよいことと悪いことの区別がつかない。が、Mさんの母親は、遊戯会の
日まで、天才児と信じていた。その遊戯会でのこと。Mさんは、一人だけ皆から離れて、舞台の
前で、ほかの子どもたちに向かって、アッカンベーを繰り返した。そこで私に相談があったの
で、私は、Mさんが、活発型遅進児の疑いがあると告げた。もう二五年近くも前のことで、当時
は多動児という言葉すら、まだ一般的ではなかった。その説明をすると、母親はその場で泣き
崩れてしまった。

●教師の経験や技量は関係ない

 脳の機能変調説が有力で、アメリカでは別の施設に移した上で、薬物治療までしている。し
かし効果は一時的。たとえば「リタリン」という薬を与えて治療しているそうだが、その薬にして
も、三〜四時間しか効果がないといわれている。この日本でも薬物療法をするところがふえて
はいるが、現場指導が中心。たとえばこの静岡県では、現場の教師に指導が任されている。
補助教員や学校ボランティアの付き添いを制度化している市町村もあるが、しかしこの方法で
は、おのずと限界がある。仮にこのタイプの子どもが、一クラス(三五名)に二〜三名もいると、
先にも書いたように、クラスそのものがメチャメチャになってしまう。これには教師の経験や技
量は、あまり関係ない。

●もちまえのバイタリティが、よい作用に!

 ……こう書くと、このタイプの子どもには未来はない、ということになるが、そうではない。小学
三、四年生を過ぎると、それ以後は、自分で自分をコントロールするようになる。騒々しさは残
ることは多いが、見た目にはわかりにくくなる。持ち前のバイタリティが、よい方向に作用するこ
ともある。集団教育になじまないというだけで、それを除けば子どもとしては、まったく問題はな
い。つまりそういう視点に立って、仮にここでいうような症状があっても、乳幼児期は、それ以上
に、症状をこじらせないことに心がける。こじらせればこじらせるほど、その分、立ちなおりが遅
れる。

(付記)
●読者からの抗議

 この原稿を新聞で発表した直後、一人の母親から、猛烈な抗議の電話をもらった。長い電話
だった。内容は次のようなものだった。「私の子ども(小四男児)は多動児だ」、「多動児を一方
的に悪いと決めつけないでほしい」、「先生がたの熱心な指導で、改善している」、「そういう先
生の熱意と努力を、あなたは無視している」、「だから文中の『教師の技量や経験は、あまり関
係ない』という個所を訂正してほしい」と。

 誤解があるといけないので、申し添えるが、私は三〇歳のときから四〇歳になるまで、毎年
二〜四人のこのタイプの子どもを預かって指導したことがある。私のほうから頼んで教室に来
てもらったこともあり、費用は一円も受け取っていない。そういう経験の上で、この文を書いた。
確かに新聞紙上では、あちこちを切りつめて発表したので、こまかい点では配慮が足りなかっ
た。それについては、その母親に謝った。

●誰がそう診断したか?

 しかしここで一つの大きな疑問にぶつかる。その母親は、「私の子どもは多動児だ」と言った
が、誰がそのような診断をしたかという疑問である。学校の教師でないことは確かだ。どこかの
医療機関が診断したとしても、まだADHD児の診断基準すら確立されていないこの日本で、ど
うやって診断したというのだろうか。多動性があるからといって、多動児ということにはならな
い。風邪をひけば熱が出るが、熱があるからといって風邪とは限らない。それと同じ理屈だ。
私も親や子どもの前で、多動児という言葉を使ったことは一度もない。

●知らぬフリをして教えるのが教育

 教育にははっきりわからなくてもよいことは山ほどある。またわかっていても、知らぬフリをし
て教えるということもある。病気の世界では、まず診断名をくだし、つづいてその診断名にもと
づいて治療を開始する。しかし教育の世界では、診断名をくだすこと自体、ありえない。治療法
もないのに、診断名だけをくだすことは許されないのだ。それにそもそも教育は治療ではない。
また治療であってはならない。仮に一つのクラスが多動性児によって混乱したとしても、教育者
が考えるべきことは、クラスの立てなおしであって、その子どもの治療ではない。ただ親が、こ
うした資料をもとに、それとなく自分の子どもがそうではないかと知ることは必要である。そして
そういう知識をもとに、それぞれの専門機関に相談してみることは必要である。ここに書いたこ
とは、そういう目的で使ってほしい。