はやし浩司

思想日記
トップへ戻る メニューへ

はやし浩司

思想日記
随筆とまでは言えない、つまり思いついたままの思想です。
まあ、何というか、随筆になる前の日記のようなものです。

12・18
 子どもの心理は一様では推察できない。過保護、溺愛といっても、それぞれが複雑にからんでいて、症状にしても、どこからどこまでが過保護の症状で、どこからどこまでが溺愛の症状かはわからない。過干渉と過関心にしてもそうだ。区別するほうがおかしいのかもしれない。しかしそういう分類をしておかないと、子どもの診断ができなくなる。そこで典型的なサンプルさがしということになるが、それは現場を数多く、あたったものでしかわからない。その点、私は有利だ。多くもなく、少なくもない子どもに、毎日接することができる。ほかに私のような立場にいる人を、私は知らない。この点は強い。



2002・2・12
「健康論」

 何か体の不調が表れると、私はまず第一に、「この症状は以前にもあったか?」と自問する。そして以前にもあった症状なら、それで安心し、そうでなければ不安になる。いや、ときどき以前にもあったはずなのに、それを思い出せないときがある。先日も昼になって鏡を見たら、目の眼白がまっかだった。理由はわからないが、結膜内出血である。とたん、言いようのない不安感が私を包む。遠い昔、同じような症状があったはずだが、どうも思い出せない。女房に聞くと、「ほら、前にもあったでしょ」と笑ったが、私は笑えない。

 賢明な人は、健康の価値を、それをなくす前に気づく。愚かな人はその価値を、なくしてから気づく。「健康は第一の富である」と言ったのは、あのエマーソンだが、たしかに健康はすべての財産にまさる。いや、中には金銭的な財産をなくして、自ら命を断つ人もいる。が、しかしこういうことは言える。「死を前にしたら、すべての財産が無価値になる」と。健康あっての財産である。健康あっての生活であり、健康あっての仕事である。……というようなことは頭の中でもわかっている。問題はこのことではなく、その先である。では、健康であればよいのかというと、そうでもない。

 健康というのは、何かの目的のために有意義に使ってはじめて価値がでる。極端な言い方だが、ただ無益に生きても、意味はない。むしろ生きるということを考えるなら、死の恐怖を目前に感じていたほうが、生きる意味が鮮明にわかる。もっとはっきり言えば、健康と「生きる」ことは別物である。健康だから生きていることにはならないし、死が近いから生きていないことにはならない。実はここが重要な点だ。

 私の家の近くに、小さな空き地がある。そこは老人たちのかっこうの溜まり場になっている。うららかな春の日ともなると、いつも七〜八人の老人たちが、何かをするでもなし、しないでもなし、一日中何やら話し込んでいる。のどかな光景だが、しかしそれがあるべき老人の姿なのか。竹の子の季節になると、交替で見張り番をしている。昨年も私が不用意にその竹やぶに入ったら、いきなり一人の老人が飛び出してきて、「お前は、どこのばかだ!」と叫んだ。そうした老人たちが健康なのかどうかは、外からはわからないが、生きているかどうかという視点でみると、それは疑わしい。

 生きるということは、日々の生活の中で前進することだ。もし今日が昨日と同じ。明日は今日と同じということになったら、その人はもう「生きていない」ということになる。健康であるとかないとかいうことは、関係ない。若いとか老人であるとかいうことも関係ない。言い方を換えるなら、若い人でも「生きていない」人はいくらでもいる。老人でも、あるいは重病人でも「生きている」人はいくらでもいる。もちろん健康であることにこしたことはないが、しかし健康は「生きること」の前提ではない。いわば健康は、その人が当然大切にすべきものであるのに対して、「生きること」は、その人の心の問題である。わかりやすく言えば、健康はハード、生きることはソフトということになる。いくらすばらしいハードをもっていても、ソフトがなければ、パソコンにたとえて言うなら、ただの「箱」。少なくとも私はそういう人生には耐えられない。

 実は私のことだが、私はもう二〇代の後半から自転車通勤を欠かしたことがない。真冬の寒い夜でも、あるいは多少小雨がパラつくときも、自転車通勤を欠かしたことがない。健康のためという意識はあまりなかったが、それを欠かすと、とたんに体の調子が悪くなったのを覚えている。一方、同年齢と思われる男たちが、乗用車で私を追い越したりすると、「いいのかなあ」と思ったのを覚えている。健康というのは、それがしっかりとある間から守ってはじめて守れる。病気になってから健康を考えても遅い。老人に近づいてから健康を考えても遅い。そういう意味で、「もっと運動をしなくてもいいのかなあ」と思った。

 で、今、おかげでというか、多少の持病はあるにはあるが、しかし成人病とは無縁だし、生涯において、病院のベッドで眠ったことは一度もない。しかしそれでも不安はある。冒頭に書いたように、今までに経験したことがない症状が出たりすると、「ハッ」と思う。とくに私は不安神経症のところがある。いちどそれが気になると、ずっとそれが気になる。「このまま失明したらどうしょう」とか、「もっと悪い病気で、眼球摘出ということにでもなったらどうしよう」とか。が、内心のどこかで、「そんなはずはない。お前は健康には気を配ってきたではないか」と思いなおして、それを打ち消す。……打ち消すことができる。そのために二六年間も自転車通勤を続けてきたのだ!

 ……と、書いて、しかしそこにそれでは満足できない自分を知る。健康でない人には、たいへんぜいたくな話かもしれないが、「だからどうなのか?」という問題に、そこでぶつかってしまう。たとえば今私は、最新型のパソコンをもっている。ペンチアム四の一・五ギガヘルツのすごいパソコンだ。しかしワープロで使う程度なら、実のところこんなすごいパソコンはいらない。一昔前の中古パソコンでも、じゅうぶんだ。もちろん最新型であることはすばらしいことだが、健康もそれに似ている。「だからどうなのか?」という部分を煮詰めないと、健康論もただの健康論で終わってしまう。

 話が繰り返しになってきたので、ここで私の健康論はやめる。ただ私にもわかっている。今ある健康にしても、それは薄い氷の上に建つ城のようなものだということ、を。また健康をなくせば、当然心も影響を受けて、まともに考えられなくなるということ、をも。そういう意味で、私にとっては「健康である」ことと、「生きる」ことは競争のようなものだ。時間との勝負といってもよい。この「健康な」状態はいつまで続くかわからない。五年か、一〇年か。それとも一年か。私はその間に生きなければならない。一歩でも二歩でも、前に進まねばならない。まだまだ知りたいことは山のようにある。少なくとも空き地にたむろして、竹の子の見張り番をするようなことだけはしたくない。そしてとてもぜいたくな言い方に聞こえるかもしれないが、そのための健康であるとするなら、私は健康なんかいらない。



2002・2・14
こだわる人たち

 家柄や学歴にこだわる人は多い。地位や肩書きにこだわる人も多い。人はそれぞれだが、この「こだわり」が強ければ強いほど、現実の自分を見失う。言うならばこれらはバーチャル(仮想現実)の世界。そういうものにこだわっている人は、テレビゲームに夢中になっている子どもと、どこも違いはしない。あるいはどこがどう違うというのか。

 人は生きるために食べる。食べるために働き、仕事をする。それが人間の原点だ。生きる本分だ。しかしバーチャルな世界に生きている人にはそれがわからない。仕事をするために生きている。中には仕事のために生きることそのものを犠牲にする人さえいる。いや、仕事がムダと言っているのではない。要は「今」をどう生きるかであり、その本分を忘れてはいけないということ。こんな人がいる。

 マクドナルドといえば、世界最大のハンバーガーチェーンだが、その創始者は、R・マクドナルド氏。九八年の七月に八九歳でなくなっているが、その少し前、彼はテレビのインタビューに答えてこう言っている。氏は、一九四〇年にハンバーガーショップを始めたが、それからまもなく、一九五〇年にはレストランの権利を、R・クロウ氏に売り渡している。それについて、レポーターが、「損をしたと思いませんか」と聞いたときのこと。「もしあのままあの会社にいたら、今ごろはニューヨークのオフィスで、弁護士と会計士に囲まれて、つまらない生活をしていることでしょう。(農場でのんびりと暮らしている)今の生活のほうが、ずっと幸せです」と。

 子どもの教育も同じ。たしかにこの日本には学歴社会があり、それにまつわる受験競争もある。それはそれだが、ではなぜ私たちが子どもを教育するかといえば、心豊かで幸福な生活を送ってほしいからだ。その本分を忘れてはいけない。その本分を忘れると、学歴や受験のために子育てをすることになってしまう。言うなれば教育そのものをゲーム化してしまう。そして本来大切にすべきものを粗末にし、本来大切でないものを、大切だと思い込んでしまう。しかしそれは同時に、子ども自身が子どもの人生を見失うことになる。

 先日も姉(六〇歳)と話したら、こんなことを言った。このところ姉の友だちがポツリポツリとなくなっていくという。それについて、「どの人も仕事だけが人生のような人だった。何のために生きてきたのかねえ」と。生きる本分を忘れた人の生き様は、それ自体、さみしいものだ。その人が生きたはずの「人生」がどこからも浮かびあがってこない。それこそ「ただ生きた」というだけになってしまう。それともあなたは、あなたの子どもにそういう人生を送らせたいと思っているか。いやいやその前に、あなた自身は生きる本分を忘れないで生きているだろうか。一度、自問してみてほしい。



2002・2・14
 その人の進歩はいつどのようにして停止するのか。ものを書いていると、それがよくわかる。たとえば私は、毎日いろいろなことを考えているようで、実際には堂々巡りをしているときがある。教育もそうだ。ある日気がついてみると、一〇年前、あるいは二〇年前と同じことをしていることに気づくときがある。こういった部分については、私の進歩はその時点で停止していることになる。

 そういった視点で見ると、人がまた別の角度から見えてくる。この人はどこまで進歩しているだろうか。あるいはこの人はその人のどの時点で進歩を止めているだろうか、という視点でその人を見ることができるようになる。ただ「進歩」といっても、二種類ある。一つは、常に新しい分野に進歩していくという意味での「進歩」と、今の専門分野をどこまでほりさげていくかという意味での「進歩」である。この二つはよく似ているようだが、実のところまったく異質のものである。

 たとえば医療の分野に興味をもった人が、そのあと今度は法律の分野に興味をもつというのは、前者だ。一方、その分野の研究者が自分の研究を限りなく掘り下げていくというのは、後者だ。どちらにせよ、人は油断すると、その進歩を自ら停止してしまう。そしてある一定の限られた範囲だけで、それを繰り返すようになる。こうなるとその人はもう死んだも同然……といった状態になる。毎日、読む新聞はといえば、スポーツ新聞だけ、仕事から帰ってくると野球中継を見て、たまの休みは一日中、パチンコ屋でヒマをつぶす。これは極端な例だが、そういう人に「進歩」を求めても意味がない。(実際、野球にしても、毎年大きな変化があるようで、一〇年前、二〇年前の野球と、どこも違わない。パチンコにしてもそうだ。)

 これは職業には関係ない。たとえばここに銀行マンがいたとする。彼は毎日、銀行業務に追われていたとする。しかしある時期までくると、その業務はそれまでの繰り返しになる。マイナーな変化はあるだろうが、それは「進歩」と言えるほどの変化ではない。世間一般の「仕事」という業務からみると、ささいな変化だ。そこでその銀行マンは、さらに専門化していくが、それはまさに重箱の底をほじるような世界へと入っていくようなものだ。自分自身では「進歩」と思い込んでいるかもしれないが、それは本当に「進歩」と言えるようなものなのか。

 一方、農家のお百姓さんがいる。「百姓」というだけあって、オールマイティだ。そのオールマイティさは、プロのお百姓さんに会ってみるとわかる。私の親しい友人にKさんという人がいる。農業高校を出たあと、農業一筋の人だが、彼のオールマイティさには、驚くしかない。農業はもちろんのこと、大工仕事から、土木作業、農機具の修理まで何でもこなす。先日遊びに行ったら、庭先で、工具を研磨機で研いでいた。もちろん山村の生活で使うようなありとあらゆる道具に精通している。しかも自然相手の生活だから、そのつど作物は変わる。キーウィ生産もしているし、花木の生産もしている。そういうKさんともなると、いつもどこかで挑戦的に進歩しているのがわかる。(まあ、もっとも全体としてみれば、Kさんはお百姓さんというワクを超えてはいないが……。)

 そこで私はこう考えた。専門的にその世界へどんどんと入っていってつかむのが、「知識」。一方、外の世界へ自分の世界を広げていくのを、「教養」と。そういう意味で知識と教養は別物である。そして知識のある人が必ずしも、教養があるということにはならない。反対に教養のある人が知識があるということにもならない。こんなことを言った人がいる。「知識と教養は別物です。……教養を身につけた人間は、知識階級よりも職人や百姓のうちに多く見出される」と。福田恒存が「伝統に対する心構」の中で書いている一節である。このことは子どもを見ればすぐわかる。勉強ができるから人格的にすぐれた人物ということにはならない。むしろ勉強のできない子どものほうにこそ、人格的にすぐれた子どもを見ることが多い。(そもそもこの日本では、人格的にすぐれた子どもほど、あの受験勉強になじまないという教育そのものの中に致命的な欠陥がある。)

 ところが進歩をしようとしても、今度は脳の物理的な限界を感ずることがある。記憶という分野にしても、自分でもはっきりとそれがわかるほど、年々退化している。そして構造そのものも退化するというか、がんこになることがわかる。自分では進歩しつづけたいと思いつつ、それがどこか限界に達しつつあるように感ずる。進歩をこころがけていない人はなおさらで、その人はその時点で完全に停止してしまう。これも一つの例だが、私の近所には定年退職したあと、のんびりと(?)年金生活をしている人が何人かいる。しかし彼らの生活を見ていると、五年前、さらには一〇年前の生活とどこも違わない。それわちょうど、子どもがブロックで遊びながら、小さな家を作っては、また壊すという作業に似ている。壊したあとから、また同じものを作っているから、何となく生きているようには見えるが、また小さな家を作ってはこわしてしまう。そんな感じだ。

 この問題についてはさらに考えて、いつか一つの原稿にまとめてみたい。



2002・2・14
 肩書きや地位やあれば、こうまでバカにされなくてすむだろうなと思うことは、しばしばある。事実、この日本では、肩書きや地位やものを言う。そしてそれにぶらさがって生きている人は、いくらでもいる。一度、どこかでそういう肩書きや地位を身につけると、あとは、次から次へと、死ぬまで要職が回ってくる……。しかし肩書きや地位にどれほどの意味があるというのか。たとえばだれかが箱いっぱいのサツマイモを届けてくれたとする。地位や肩書きのある人は、そういう好意を、果たして好意と受け取れるだろうか。どこかで「下心」を感ずるに違いない。一方、私のような、何の地位も肩書きもない人間は、そういう好意を好意として、すなおに受け入れることができる。

 ものを書くときもそうだ。肩書きや地位やあれば、かえって窮屈になり、書きたいことも書けなくなる。少し前だが、ある雑誌に子どもの問題を書いたことがある。しかし「紙おむつ」に関しての記事だけが編集部の都合で削除されてしまった。紙おむつ会社のコマーシャルに遠慮したのが理由だった。私のようなものでも、こうした例は多い。ものを書くときはこうした気遣いが常について回る。肩書きや地位があると、肩書きや地位にもよるが、こうした気遣いが何百倍にもなる。……と思う。

 裸で生きるということは、自分という人間をさらけ出して生きることをいう。が、もちろん楽しいことばかりではない。冒頭に書いたように、しばしばバカにされる。最近でも私が、「愛知万博の懇談会のメンバーをしています」と言ったら、「どうしてあなたが……」と、思わず口をすべらせた新聞社の記者がいた。「どうしてあんたなんかが……」と、私には聞こえた。もっともこういうことにいちいち腹をたてていたら、命がもたない。バカにされた時点で、そのことを忘れる。忘れて、つぎの仕事にとりかかる。が、ひとつだけ私には鉄則がある。こういう人は、二度と相手にしない。無視する。それは肩書きや地位のない人間の誇りのようなものだ。言い換えると、肩書きや地位のない私のような人間でも、ていねいに扱ってくれる人は、私を一人の人間としてみてそうしてくれる。私は私で、生涯そういう人を大切にする。が、それだけではない。

 私のような人間の目を通して見ると、「人間」がよくわかる。その人の肩書きや地位にまどわされることは、ほとんどない。いつもその人の人間性をストレートに見ることができる。これは私のようなものの、最大の特権でもある。






トップへ
トップへ
戻る
戻る