はやし浩司

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はやし浩司

 子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司

 101−200

子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(101)

教師言葉は裏から読む

 この世界には、「教師言葉」というのがある。先生というのは、奥歯にものがはさまったような
言い方をする。たとえば能力が遅れている子どもの親には、決して「能力が遅れています」とは
言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。こういうとき先生は、「お宅
の子どもは、運動面はすばらしいのですが……(勉強は、さっぱりできない)」「私のほうでも努
力してみますが……(家庭で何とかしてほしい)」と言う。あるいは問題のある子どもの親に向
かっては、「先生方の間でも、注目されています……(悪い意味で目立つ)」「元気で活発なの
はいいのですが……(困り果てている)」「私の力不足です……(もうギブアップしている)」「ほ
かの父母からの苦情は、私のほうでおさえておきます……(問題児だ)」などと言う。ほかに「静
かな指導になじまないようです……(指導が不可能だ)」「女の子に、もう少し人気があってもい
いのですが……(嫌われている)」「協調性に欠けるところがあります……(わがままで苦労して
いる)」「ほかの面では問題はないのですが……(学習面では問題あり)」というのもある。
 一方、先生というのは、子どもをほめるときには、本音でほめる。先生に、「いい子ですね」と
言われたときは、すなおに喜んでよい。先生は、おせじではほめない。おせじを使わなければ
ならない理由そのもがない。裏を返して言うと、もしあなたの子どもが、園や学校の先生にほめ
られたことがないというのであれば、子どものどこかに問題がないか、それを疑ってみたほうが
よい。幼児のばあい、一つの目安として、誕生パーティがある。あなたの子どもが、ほかの子ど
もの誕生パーティによく招待されるならよし。そうでないなら、かなりの問題のある子どもとみて
よい。実際、誰を招待するかを決めるのは親。その親は、自分の子どもや先生から耳にする、
日ごろの評判を基準にして、それを決める。
 生々しい話になってしまったが、もともと教育というのは、そういうもの。親と教師の価値観や
エゴが、互いに真正面からぶつかり合う。ふつうの世界と違うのは、そこに「子ども」が介在す
ること。だから本音と建前が、複雑に交錯する。こうした教師言葉は、そういう世界から必然的
に生まれた。ある意味でやむをえないものかもしれない。だいたいあなたという「親」だって、先
生の前では本音を言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。それをあ
なたは、よく知っている。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(102)

よい先生、悪い先生

 私のような、もともと性格のゆがんだ男が、かろうじて「まとも?」でいられるのは、「教える」と
いう立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに毎日のように心
を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っているときでも、子どもたちと接したとたん、
それが吹っ飛んでしまう。よく「職場のストレス」を問題にする人がいる。しかし私のばあい、職
場そのものが、ストレス解消の場となっている。
 その子どもたちと接していると、ものの考え方が、どうしても子ども的になる。しかし誤解しな
いでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに知識は乏しく未
経験だが、決して幼稚ではない。むしろ人間は、おとなになるにつれて、多くの雑音の中で、自
分を見失っていく。醜くなる人だっている。「子ども的である」ということは、何ら恥ずべきことで
はない。とくに私のばあい、若いときから、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や出版
界はもちろんのこと、翻訳や通訳の世界も経験した。いくつかの会社の貿易業務に携わったこ
ともあるし、医学の世界をかいま見たこともある。しかしこれだけは言える。園や学校の先生に
は、心のゆがんだ人は、まずいないということ。少なくとも、ほかの世界よりは、はるかに少な
い。
 そこで「よい先生」論である。いろいろな先生に会ってきたが、目線が子どもと同じ高さにいる
先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプの先生は妙に
権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」を考えてそうしてい
るのだろうが、しかしすばらしい世界を、ムダにしている。それはちょうど美しい花を見て、それ
を美しいと感動する前に、花の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあ
るごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子は問題児」とこぼす先生である。決して悪い先
生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、子どもから明るさが消える。
 そこで子どもと先生の相性があっているかどうかを見分ける、簡単な方法……。子どもに紙
とクレヨンを渡して、「園(学校)の先生と遊んでいるところをかいてね」と指示する。そのとき子
どもがあれこれ先生の話をしながら、楽しそうに絵をかけばよし。そうでなく、子どもが暗い表
情になったり、絵をかきたがらないようであれば、子どもと先生の相性は、よくないとみる。もし
そうであれば、この時期はできるだけ早い機会に、園長なら園長に相談して、子どもと先生の
関係を調整したほうがよい。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(103)

温室から出ると風邪をひく

 過保護といっても、いろいろある。ある母親は、子どもが交通事故にあって以来、運動面で子
どもを過保護にした。また別の母親は、子どもが重病を患ったことが原因で、食事面で子ども
を過保護にした。親が子どもを過保護にする背景には、親がわに何らかの「心配」があるとみ
てよい。そのわだかまりが形を変えて、親は子どもを過保護にする。
 が、何が悪いかといって、精神面で子どもを過保護にするケースほど悪いものはない。子ど
もを小さな世界に閉じ込め、親子だけのマンツーマンの状態で育てるなど。そして「近所のA君
は悪い子だから、いっしょに遊んではダメ」「あの公園には乱暴な子がいるから行ってはダメ」
と、子どもの世界を、外の世界から遮(しゃ)断してしまう。そのため子どもは俗にいう「温室育
ち」になり、いわゆる「外へ出るとすぐ風邪をひく」タイプの子どもになる。
 過保護児の特徴としては、つぎのようなものがある。@人格の「核」形成が遅れ、その年齢の
子どもに比べて、全体に幼い感じになる。幼児性がそのまま持続することもある。Aブランコを
横取りされても、それに抗議できないなど、社会性がなくなる。そのためストレスを内にためや
すく、内弁慶外幽霊になりやすい。B柔和でやさしいが、ハキがなく、ものごとに追従的になり
やすい。そのためいわゆる野性味がなくなり、全体にひ弱な感じになる。それが年齢とともに
はっきりしてくるため、親は親でますます過保護にする。この悪循環がますます子どもをひ弱に
する。どこかでその悪循環を断ち切らねばならないが、たいていの親はこう言う。「子どもがあ
あなのは、生まれつきです」と。しかし実際には、そういう子どもにしたのは、親自身にほかなら
ない。それともあなたは赤ちゃんをみて、その赤ちゃんが過保護児かどうか、それがわかると
でもいうのだろうか。
 子どもへの過保護を感じたら、何が「心配のタネ」になっているかを、さぐってみる。そのタネ
が何であるかがわかるだけでも、この問題の大半は解決したとみる。まずいのはそれに気づ
かないまま、いつまでもそのタネに振りまわされること。心のわだかまりというのはそういうもの
で、あなたをいつも裏から操(あやつ)る。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(104)

死は厳粛に

 「死」をどう定義するかによってもちがうが、三歳以前の子どもには、まだ死は理解できない。
飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池を入れかえれば動く」と言った子ども(三歳男児)
がいた。「どうして起きないの?」と聞いた子ども(三歳男児)や、「病院へ連れて行こう」と言っ
た子ども(三歳男児)もいた。子どもが死を理解できるようになるのは、三歳以後だが、しかし
その概念はおとなとはかなり違ったものである。三〜七歳の子どもにとって「死」は、生活の一
部(日常的な生活が死によって変化する)でしかない。ときにこの時期の子どもは、家族の死す
ら平気でやり過ごすことがある。
 このころ、子どもによっては、死に対して恐怖心をもつこともあるが、それは自分が「ひとりぼ
っちになる」という、孤立することへの恐怖心と考えてよい。たとえば母親が臨終を迎えたとき、
子どもが恐れるのは、「母親がいなくなること」であって、死そのものではない。ちなみに小学五
年生の子どもたちに、「死ぬことはこわいか?」と質問してみたが、八人全員が、「こわくない」
「私は死なない」と答えた。一人「六〇歳くらいになったら、考える」と言った子ども(女子)がい
た。質問を変えて、「では、お父さんやお母さんが死ぬとしたらどうか」と聞くと、「それはいや
だ」「それは困る」と答えた。
 子どもが死を学ぶのは、周囲の人の様子からである。たとえば肉親の死に対して、家人がそ
れを嘆き悲しんだとする。その様子から子どもは、「死ぬ」ということがただごとではないと知
る。そこで大切なことは、「死はいつも厳粛に」である。死を茶化してはいけない。もてあそんで
もいけない。どんな生き物の死であれ、いつも厳粛にあつかう。たとえば飼っていた小鳥が死
んだとする。そのときその小鳥を、ゴミか何かのように紙で包んでポイと捨てれば、子どもは
「死」というものはそういうものだと思うようになる。しかしそれではすまない。死があるから生が
ある。死への恐怖心があるから、人は生きることを大切にする。死をていねいにとむらうという
ことは、結局は生きることを大切にすることになる。が、死を粗末にすれば、子どもは生きるこ
と、さらには命そのものまで粗末にするようになる。
 どんな宗教でも死はていねいにとむらう。もちろん残された人たちの悲しみをなぐさめるという
目的もあるが、死をとむらうことで、生きることの大切さを教えるためと考えてよい。そんなこと
も頭に入れながら、子どもにとって「死」は何であるかを考えるとよい。
 


子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(105)

読解力と国語力

読解力……年中児ともなると、文字をスラスラと読む子どもが出てくる。しかしたいていは文字
を音に変えているだけ。私「ウサギさんは、だれに会いましたか?」、子「……わかんない」、私
「クマさんは、うれしかったのかな?」、子「……わかんない」と。読みの深い子どもは、一ペー
ジごとに、挿絵を見たり、前のページをのぞいたりするので、むしろ読む速度が落ちる。またそ
ういう読み方のほうが好ましいことは言うまでもない。
表現力……子どもに紙と鉛筆を渡し、こんなテストをしてみてほしい。「リスさんが歩いている
と、草の中に大きな穴がありました。リスさんは、その穴に落ちて、おおけがをするところでし
た。そこでリスさんは、あとから来た人が穴に落ちないように、立て札を立てることにしました。
その立て札には何と書けばよいでしょうか」と。
 文字の書き方がおかしいとか、字が抜けているとかいうことは問題にしてはいけない。子ども
が書けない文字があったら、そのつど教えてもかまわない。で、このテストで子どもが、「ここは
穴があるからあぶない」とか、「穴に気をつけて」というような文章が書ければよし。「これは立
て札です」とか、「あなたはここを歩いています」とか、どこかトンチンカンなことを書くようであれ
ば、あまり表現力はないとみる。ちなみに年長児で、まあまあそれらしき文章を書くことができ
るのは約五〇%。
抑揚……本を読ませてみたとき、言葉の抑揚が自然な子どもは、それだけ家で、おうちの人に
本などを読み聞かせてもらっている子どもとみる。どこか抑揚が不自然と感じたら、子どもには
たくさん本を読んであげるとよい。
国語力……中に「うちの子はたくさん本を読み聞かせているから、国語力がある」と誤解してい
る人がいる。決してムダではないが、国語力というのは、日常生活の中で身につく。たとえば
「ウサギさんの足はヒリヒリ痛みました」という文章があったとする。親はそれを読んであげるこ
とで、「ヒリヒリ」の意味を子どもが理解したと思う。しかしそれだけでは足りない。子どもがその
言葉の意味を理解するようになるためには、実際、子どもがけがをしたようなとき、「ヒリヒリ痛
いの?」と聞いてあげねばならない。そういう体験があってはじめて、子どもは「ヒリヒリ」の意味
がわかるようになる。
要するに子どもの国語力は、親の会話能力、あるいはその子どもを包む言葉環境で決まる。
もっと言えば、子どもが将来、国語が得意になるかどうかは、親の言葉能力で決まるというこ
と。学校で学ぶ国語は、その延長線上にあるにすぎない。いわんやワークやドリルで、国語力
がつくと考えるのは大きな誤解である。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(106)

自慢は要注意

 日本人はもともと上下意識の強い民族。上下関係がないと落ち着かない。そのため無意識
のうちにも、上下関係を身の回りでつくろうとする。そしてその結果、「上」の人には必要以上に
ペコペコし、「下」の人には尊大ぶったり、いばったりする。が、その上下関係がはっきりしない
ときがある。そういうとき日本人は、自慢話を始める。……と決めてかかるのも危険なことだ
が、日本人は自慢することによって、相手を「下」におこうとする。先祖や家柄を自慢する人、
学歴や経歴を自慢する人、親類や子どもを自慢する人などがいる。自慢しながら、自分を優位
な立場に置こうとする。で、その自慢のし方は、人さまざま。
@それとなく会話に中に自慢を折り込む人……「今度S高校(市内でも有名な進学校)の連中
と、同窓会をしましてね」とか、「いとこがA町で町長をしてましてね」とか。あるいは「今度の選
挙で、親類の選挙運動を頼まれました」とか言うなど。「私の先祖に、○○藩で家老をしていた
のがいます」と、ストレートに自分を自慢する人もいる。  
A大物ぶる人……「定年退職をしたら、郷里で市長でもしようかな」とか、「先週、○○市の市
長から電話がありましてね」とか。「あの大臣がね、この町に来たときにね、パーティに出てほし
いと言われて、しかたなく出てきました」と言った人もいた。
 「今」という現実の中で、「私は私」と生きている人は、自慢などしない。しても意味がない。し
かし仮想現実の世界※で、他人の目を気にして生きている人は、どうしても自慢が多くなる。だ
いたいにおいて人間の上下関係などというのも、フィクション(架空)に過ぎない。人間に上下な
どない。あるわけがない。同じように名誉や地位、肩書き、社会的地位もフィクション。それは
ちょうど子どものゲームのようなもので、その世界にハマッた人にはその愚かさがわからない。
言いかえると自慢話をして自分を飾る人は、それだけ自分のない人とみる。たとえば議員バッ
ジを胸につけ、ふんぞりかえって歩く国会議員を思い浮かべればよい。はたから見るとこっけ
いなのだが、本人にはそれがわからない。
 ……と言いながら、実のところ私も、ときどき自慢話をする。しかしそのたびに、「くだらないか
らやめろ」という声も聞こえてくる。あるいは自慢話をしたあとというのは、どこか不愉快にな
る。自分がなさけなくなるときもある。「自慢」というのはそういうもので、自慢話をするときの自
分は、自分であって、自分でない。だから自慢はできるだけしない。しそうになると、「やめた」と
言って、自ら遠ざかる。私は私だ。他人がどう思うとも、私の知ったことではない。さてあなたは
どうだろうか。きわどい話になってしまったが、この項は、あくまでも一つの参考意見としてとら
えてほしい。
※……生きる本分を忘れた生活を、筆者は、「仮想現実の世界」と呼んでいる。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(107)

子どもは自慢せよ

 前の項で、「自慢は要注意」を書いた。が、「自慢してはいけない」と言っているのではない。
問題は、自慢の「質」だ。たとえば英語国では、親は平気で子どもを自慢する。「私は息子を誇
りに思う」とか、「私の息子は、○○コンテストで一位になった」とか。日本人はそういうほめ方
はしない。謙遜して自分の息子を、「愚息」とか、「バカ息子」とか言うことが多い。
 一般論として、子どもの努力とやさしさはほめる。顔やスタイルはほめない。「頭」については
ほめてよいときと、そうでないときがあるので慎重にする。そこで子どもの自慢も同じように考
えてよい。子どもが努力したことについては、遠慮なくほめる。自慢する。そういう前向きな姿
勢が、子どもを伸ばす。……と言っても、はじめてアメリカへ行ったとき、向こうの親が自分の
子どもを自慢するのを聞いて、私は少なからず驚いた。日本でも自分の子どもを自慢する親
はいるにはいるが、アメリカ人のように多くはない。が、そのうち日本と英語国では、自慢の
「質」が違うことに気づいた。日本では、見栄やメンツのために子どもを自慢することが多い。
つまり何らかの下心をもって自慢する。しかし英語国では、そういうものをクリアした段階で、子
どもを自慢する。つまり親は、子どもという人間だけをみて、子どもを自慢する。だから子どもも
それをすなおに受け入れる。受け入れながら、子どもは、「父はぼくを信じていてくれるのだ」
「父はぼくのことを喜んでいてくれるのだ」というように思うようになる。が、この日本ではそうは
いかない。「うちの息子はA国立大学へ入いりましてね」と親が言ったりすると、どこかイヤ味に
聞こえる。あるいはそれを言うほうにしても、相手はイヤ味に感ずるだろうということがわかって
いるから、あえて話題にしない。
 ……と言っても今、日本の社会は大きく変わりつつある。欧米化というより、グローバル化が
進んでいる。外国の人に自分の息子を、「マイ・スチューピッド・サン(私の愚息)……」などと紹
介しようものなら、相手は目を白黒させて驚くだろう。つまりこうした言い方は日本以外の国で
は通用しない。(だからといって日本のやり方がまちがっているというのではない。念のため。)
しないならしないで、なぜ外国では通用しないかを考えてみることも、大切なことではないの
か。もっと言えば、日本は日本で、長くつづいた島国根性の中で、ゆがめられた部分も多いと
いうこと。この「自慢」もその一つと考えてよい。本来、親はもっと自分の子どもの成長を、人前
でもすなおに喜んでもよいのではないか。しかしそれがこの日本では、どうもできない。できな
いところが、その「ゆがみ」ということになる。この問題の「根」は、想像以上に深い。
 


子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(108)

今を懸命に生きる

 バーチャルな世界に生きる人ほど、過去や未来(結果)にこだわる。先日もある男性(六〇
歳)が私にこう言った。「そういうことをすれば、私の先祖が許さない」と。私は思わず、「どこに
先祖がいるのですか?」と聞きそうになった。このタイプの人は、何ごとにつけ、家柄や出身に
こだわる。それが生きがいになっていることもある。一方、「死に際の様子で、その人の一生が
決まる」と言った女性(四五歳)がいた。死に際の様子がよければそれでよし。そうでなけれ
ば、その人の一生はまちがっていたことになるのだ、と。ある宗教団体に属する人だった。私
はこの話を聞いて、「交通事故では死ねないな」と思った。しかし交通事故にあうかあわないか
は、偶然と確率の問題。仮に交通事故で死んだからといって、その人の人生がまちがっていた
ことにはならない。
 ロビン・ウィリアムズの映画に「今を生きる」というのがあった。「今を懸命に生きろ」と教える
教師。進学指導中心の学校側。そのはざまで一人の高校生が自殺するという映画である。こ
の「今を生きる」という生き方が、バーチャルな生き方の正反対の位置にある。「過去や未来な
どどこにもない。あるのは今という現実だけ。だったらこの現実の中で精一杯、人間らしく生き
よう。結果はあとからついてくる」と。
 概して日本人は仏教(チベット密教)の影響を大きく受けているから、結果を重視する。「終わ
りよければ、すべてよし」と。そしてこういう生きざまは子どもの教育にも大きな影響を与えてい
る。いつも結果を重要視するから、幼稚園教育は小学校の入試のため。小学校教育は中学
校の入試のため。さらに中学や高校は大学入試のため。大学は就職のため、と。また社会へ
出てからも、いつも「今」を未来のために犠牲にするようになる。こうした生き方は、休暇のすご
し方にもあらわれる。日本人はたまの休みが与えられても、その休みの間は休みが終わった
あとの仕事のことしか考えない。だからのんびりと休むこともできない。子どもについても同じ。
子どもが日曜日に家でゴロゴロしていようものなら、親はこう言う。「宿題はやったの?」「来週
のテストはだいじょうぶ?」と。
 が、何といっても日本人の最大の悲劇は、そのバーチャルな世界に住みながらも、それがバ
ーチャルな世界だと気づかないところにある。それはまさしく映画「マトリックス」の世界といって
もよい。「今を生きる」という本分が、どこかへ飛んでいってしまい、わからなくなってしまう。
 ……と書いたが、ここから先は、それぞれの人の生きざまの問題。私のようなものがとやかく
いう問題ではない。あとは皆さんの判断による。ただ誤解しないでほしいのは、だからといって
先祖を粗末にしてよいとか、そういうことを言っているのではない。「あくまでも生きる本分を忘
れてはならない」と、私は言っているのである。


 
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(109)

生きる誇り

 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。皇后陛下の父君。そしてその
正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本義行氏だった。坂本竜馬の直系のひ孫氏と
聞いていた。私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏
はその委員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに
行くたびに、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。そんなある日、私は正田氏に、
「どうして私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたことがある。正田氏はそばを食べる
手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩』が同じだろ」と。そしてしばらく間を
おいて、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」と。
 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。私が寝泊まりをすることになった
メルボルン大学のカレッジは、各国の王族や皇族の子弟ばかり。私の隣人は西ジャワの王
子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵大臣の息子などなど。毎週金曜
日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってきて、夕食を共にした。元首相たち
はもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。ときどき各国からノーベル賞
級の研究者がやってきて、数カ月単位で宿泊することもあった。しかし「慣れ」というのは、こわ
いものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生活をしていることすら忘れてしまう。ほかの
学生たちも、そして私も、自分たちが特別の生活をしていると思ったことはない。意識したこと
もない。もちろんそれが最高の教育だと思ったこともない。が、一度だけ、私は自分が最高の
教育を受けていると実感したことがある。
 カレッジの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあっ
た。ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五〇セント硬貨がのっていた。だれかが
落としたものを、別のだれかが拾ってそこへ置いたらしい。当時の五〇セントは、今の貨幣価
値で八百円くらいか。もって行こうと思えば、だれにでもできた。しかしそのコインは、次の日
も、また次の日も、そこにあった。四日後も、五日後もそこにあった。私はそのコインがそこに
あるのを見るたびに、誇らしさで胸がはりさけそうだった。そのときのことだ。私は「最高の教育
を受けている」と実感した。
 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数カ月東京にいたあと、この浜松
市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園で働いて
いるという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなときでも、私を支
え、救ってくれたのは、あの五〇セント硬貨だった。私は、情緒もそれほど安定していない。精
神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だったが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさな
いですんだのは、あの五〇セント硬貨のおかげだった。私はあの五十セント硬貨を思い出すこ
とで、いつでも、どこでも、気高く生きることができた。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(110)

恐怖症は心の発熱

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文
を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。
夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じ
たのだ。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、
「学校の怪談」というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児
が続出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがあ
る。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。
 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の
警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力
が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめて行ったような場所
でも、我が物顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出
ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわく
て行けなくなる(不登校)などの症状が現れる。
 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れな
い(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、暗いトイレが
こわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、今でもトンネルなどに
入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。
 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑惑
症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに死を極端
にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。
 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、しかっても
意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子ども
の視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。無理をすればする
ほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、で
きるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。症状だけをみると、神経症と区別がつ
きにくい。私の場合も、その事故から数日間は、車の速度が五十キロ前後を超えると、目が回
るような状態になってしまった。「気のせいだ」とは分かっていても、あとで見ると、手のひらが
びっしょりと汗をかいていた。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうに
もならない。そういう前提で、子どもの恐怖症に対処する。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(111)

疑わしきは罰する

 今、子どもたちの間で珍現象が起きている。四歳を過ぎても、オムツがはずせない。幼稚園
や保育園で、排尿、排便ができず、紙オムツをあててあげると、排尿、排便ができる。六歳に
なっても、大便のあとお尻がふけない。あるいは幼稚園や保育園では、大便をがまんしてしま
う。反対に、その意識がないまま、あたりかまわず排尿してしまう。原因は、紙オムツ。最近の
紙オムツは、性能がよすぎる(?)ため、使用しても不快感がない。子どもというのは、排尿後
の不快感を体で覚えて、排尿、排便の習慣を身につける。
 このことをある雑誌で発表しようとしたら、その部分だけ削除されてしまった(M誌九八年)。
「根拠があいまい」というのが表向きの理由だったが、実はスポンサーに遠慮したためだ。根
拠があるもないもない。こんなことは幼稚園や保育園では常識で、それを疑う人はいない。紙
オムツをあててあげると排尿できるというのが、その証拠である。
 ……というような問題は、現場にはゴロゴロしている。疑わしいが、はっきりとは言えないとい
うようなことである。その一つが住環境。高層住宅に住んでいる子どもは、情緒が不安定にな
りやすい…? 実際、高層住宅が人間の心理に与える影響は無視できない。こんな調査結果
がある。たとえば妊婦の流産率は、六階以上では二四%、十階以上では三九%(一−五階は
五−七%)。流・死産率でも六階以上では二一%(全体八%)(東海大学医学部逢坂氏)。マン
ションなど集合住宅に住む妊婦で、マタニティーブルー(うつ病)になる妊婦は、一戸建ての居
住者の四倍(国立精神神経センター北村俊則氏)など。母親ですら、これだけの影響を受け
る。いわんや子どもをや。さらに深刻な話もある。
 今どき野外活動か何かで、真っ黒に日焼けするなどということは、自殺的行為と言ってもよ
い。私の周辺でも、何らかの対策を講じている学校は、一校もない。無頓(とん)着といえば無
頓着。無頓着過ぎる。オゾン層のオゾンが一%減少すると、有害な紫外線が二%増加し、皮
膚がんの発生率は四−六%も増加するという(岐阜県保健環境研究所)。実際、オーストラリ
アでは、一九九二年までの七年間だけをみても、皮膚がんによる死亡件数が、毎年一〇%ず
つふえている。日光性角皮症や白内障も急増している。そこでオーストラリアでは、その季節に
なると、紫外線情報を流し、子どもたちに紫外線防止用の帽子とサングラスの着用を義務づけ
ている。が、この日本では野放し。オーストラリアの友人は、こう言った。「何も対策をとってい
ない? 信じられない」と。ちなみにこの北半球でも、オゾン層は、すでに一〇−四〇%(日本
上空で一〇%)も減少している(NHK「地球法廷」)。
 法律の世界では「疑わしきは罰せず」という。しかし教育の世界では「疑わしきは罰する」。子
どもの世界は、先手先手で守ってこそ、はじめて、守れる。害が具体的に出るようになってから
では、手遅れ。たとえば紫外線の問題にしても、過度な日焼けはさせない。紫外線防止用の帽
子を着用させる、など。あなたが親としてすべきことは多い。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(112)

今を生きる

 定年退職が近づくと、それぞれが退職後の夢を話し始める。「田舎へ入って農業をする」「妻
と船で世界を回る」「自動車で日本を一周する」など。「四国八十八か所を歩いて回る」と言った
人もいた。しかし人生観などというのは、退職と同時にそんなに簡単に変えられるものではな
い。「組織」というバーチャル(仮想現実)な世界に生きてきた人が、退職と同時に、「生きる本
分」に戻れるとは、私は思わない。このタイプの人は、自分がバーチャルな世界にいることすら
気づいていない。退職と同時に、その気力も消えうせ、仮に旅に出たとしても、帰ってきてから
の仕事ばかり考えるにちがいない。また退職後、しばらく仕事をしないでいると、体そのものが
動かなくなることだってある。いや、それまで健康がもつかどうかさえあやうい。
 地位、肩書き、名誉、さらに学歴、家柄がすべてバーチャルであるように、実のところ未来も
バーチャルとみる。そんなものはどこにもない。ないことは、飼っている犬を見ればわかる。庭
の土の上をうごめくアリを見ればわかる。そんなものはすべて、ここ一〇〇〇年、あるいは二
〇〇〇年のうちに人間が勝手に作り出したもの。数一〇万年もの人間の歴史からみれば、ほ
んの一瞬のうちにできたものにすぎない。
大切なことは「今」という現実の中で、精一杯、自分らしく、この「時」をしっかりとつかみながら
生きること。過去という存在しないものにこだわる必要はない。同じように、未来という存在しな
いもののために、「今」を犠牲にしてはいけない。結果はあくまでも、あとからついてくる。あるい
はその結果として、地位、肩書き、名誉があるとするなら、それはそれでかまわない。大切なこ
とは生きる本分を忘れないことだ。これを忘れると、バーチャルな世界にハマってしまう。
 夢があるなら、「今」すればよい。決してあと回しにしてはいけない。田舎へ入って農業をした
ければ、今からする。近くに畑を借りて、野菜を育てるのもよいだろう。妻と船で世界を回りた
ければ、手始めに、韓国や台湾あたりに行ってみればよい。自動車で日本一周をしたけれ
ば、今度の日曜日には、あなたの町を一周してみればよい。今、やるべきこと。今、やれること
は、いくらでもある。それが「今を生きる」ということになる。
 子どもにしてもしかり。大切なことは、子どもが子どもらしく、いかに「今」という時の中で、自
分を輝かせていきるか、だ。それともあなたは……、いや、こんな愚かな母親だいた。息子(中
三)が高校受験に失敗したとき、その母親は息子にこう言った。「幼稚園のときから英語教室
や算数教室に通ったけど、みんなムダだったわね」と。バーチャルな世界に生きる人は、そう
いうようなものの考え方をする。

 

子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(113)

子どもの集中力

 集中力と子どもの知的能力は、表裏の関係にある。集中力のある子どもは、すぐれた知的
能力をみせる。このタイプの子どもは一度何かに集中し始めると、他人を寄せつけない気迫に
包まれる。一方、集中力のない子どももいる。何ごとにつけあきっぽく、しばらくするとすぐ、「退
屈〜ウ」とか、「つまらな〜イ」とか言い出す。
 そんなわけで、つまり知的能力を高める方法があまりないのと同じように、集中力をつける方
法というのも、それほどない。あるとすれば、集中力をなくさせるようなことをしないという消極
的なものでしかない。たとえば無理、強制、条件、比較などを日常的にして、子どもからやる気
をうばう。慢性的な睡眠不足状態にするなど。言いかえると、子どもの集中力を最大限引き出
すためには、できるだけこうした方法を避けるということになる。が、それでも集中力が続かな
いとしたら……。答は簡単。あきらめる。それがその子どもの能力の限界と知ったうえで、あき
らめる。
 よく誤解されるが、サッカーならサッカーで、すぐれた集中力をみせるからといって、知的な面
でも集中力があるということにはならない。(もちろん両面ですぐれた集中力を示す子どももい
るが……。)脳の中でも運動面をつかさどるのが、大脳半球の中の運動野(中心前回)という
部分。知的能力をつかさどるのが、連合野という部分。連合野は人がサルから進化する過程
でとくに発達した部分であり、運動をつかさそる運動野とはまったく別物と考えるのが正しい。
 ただ教育的には方法がないわけではない。子どもの方向性を見きわめたうえで、うまく好奇
心を引き出しながらそれに集中させるなど。算数はきらいでも、虫が好きで、虫のこととなると
夢中で調べる子どもは、いくらでもいる。あるいは英語には、「楽しく学ぶ子どもはよく学ぶ」と
いうのもあるが、子どもを好きにさせるという方法もある。まずいのは、満腹状態の子どもに、
さらに食事を与えるような行為。集中力がなくなって当然である。
 この集中力がなくなると、子どもは、フリ勉(まじめに勉強しているフリだけをする)、ダラ勉
(ダラダラと身をもてあます)、時間ツブシ(つめをほじったり、やらなくてもよいような簡単な問
題ばかりをする)がうまくなる。こうした症状が出てきたら、できるだけ早い時期に、家庭教育の
あり方を猛省したほうがよい。小学低学年で一度そういう症状を身につけると、なおすのは容
易ではない。
 


子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(114)

受験競争の魔力

 受験競争に巻き込まれれば巻き込まれるほど、子どもはもちろんのこと、親もその住む世界
を小さくする。この世界では、勝った負けたは当たり前。取るか取られるか、蹴落とすか蹴落と
されるか……。教育とは名ばかり。その底流では、ドス黒い人間の欲望がはげしくウズを巻い
ている。ある母親は受験どころか、子ども(中学生)がテスト週間を迎えるたびに病院通いをし
ていた。いわく「テスト中は、お粥しかのどを通りません」と。子どもの受験競争が高じて、親どう
しがいがみあう例となると、まさに日常茶飯事。幼稚園という世界でも、いまどき珍しくも何とも
ない。現に今、言ったの言わないのがこじれて、裁判ザタになっているケースすらある(市内A
小学校)。さらに息子(中三)が高校受験に失敗したあと、自殺をはかった母親だっている!
 こうした狂騒は部外者が見ると、バカげているとわかるが、当の本人たちはそうでない。それ
はまさしく命がけ、血みどろの戦い。もっともこうした戦いが親の世界だけでとどまっているなら
まだしも、たいていは子どもの世界まで巻き込んでしまう。さらに学校という教育の世界まで巻
き込んでしまう。この受験競争だけが原因とは言えないが、そのため心を病む教師はあとを断
たない。東京都の調べによると、東京都に在籍する約六万人の教職員のうち、新規に病気休
職した人は、九三年度から四年間は毎年二一〇人から二二〇人程度で推移していたが、九
七年度は、二六一人。さらに九八年度は三五五人にふえている(東京都教育委員会調べ・九
九年)。この病気休職者のうち、精神系疾患者は。九三年度から増加傾向にあることがわか
り、九六年度に一時減ったものの、九七年度は急増し、一三五人になったという。この数字は
全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、九七年度は休職者が四一七一人で、精神
系疾患者は、一六一九人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状
態が約半数をしめていたという。
 何だかんだといっても、受験が教育の柱になっている。もしこの日本から、受験という柱を抜
いたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育ですら崩壊する。問題はなぜ受験が教育の柱にな
っているかだが、それについては別のところで考えるとして、結論から先に言えば、受験が子
どもや親を大きくする要素などどこにもない。仮にそれに打ち勝ったとしても、「何とかうまくやっ
た」というあと味の悪さが残るだけ……?
受験競争は決して教育ではない。そういう前提で、一歩退いてつきあう。そういう冷静さがあな
たの心を守り、あなたの子どもの心を守る。

 

子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(115)

一〇%のニヒリズム

 テレビドラマに「三年B組金八先生」※というのがある。まさに熱血漢教師のドラマだが、実際
にはああいう教師はいない。それはちょうどアクションドラマの中で、暴力団と刑事がピストルで
バンバンと撃ちあうようなものだ。ドラマとしてはおもしろいが、現実にはありえない。仮に金八
先生のような教師がいたとすると、その教師はあっという間に、身も心もボロボロにされる。第
一、この世界には内政不干渉の原則というのがある。いくら問題が家庭におよんでも、教師は
家庭問題までクビをつっこんではいけない。またその権利もなければ義務もない。つっこんだら
つこんだで、たいへんなことになる。私にもいろいろな経験がある。
 私はある時期、毎日のように母親教室を開いていた。が、それがよくなかった。ある朝まだ床
の中で眠っていると、一人の男がいきなり飛び込んできて、こう叫んだ。「うちの女房が妊娠し
た。どうしてくれる!」と。寝耳に水とはまさにこのこと。私が驚いていると、その様子から察した
のか、その男はこう言った。「すまんすまん。カマだ」と。話を聞くと、その男の妻がその前夜か
ら家出をしたという。そこでその男は、妻がよく口にしていた私のところへ逃げてきたと思ったら
しい。その妻というのは、私の母親教室の熱心な受講生だった。以来私は、毎日の母親教室
を、週一回に減らした。同時に、子どもの子育ての問題以外、「私は関係ない」という姿勢を貫
くようにした。
 こうしたトラブルは、本当に多い。毎年少しずつ賢くなったつもりだが、つい油断をすると、同
じような失敗を繰り返す。そこで一〇%のニヒリズム。昔、どこかの教師が懇談会の席でそう教
えてくれた。「どんなに教育に没頭しても、一〇〇%、全力投球してはいけない。最後の一〇%
は自分のためにとっておく。裏切られてもキズつかないようにするためだ」と。実際、この世界、
報われることよりも、裏切られることのほうが多い。一〇%のニヒリズムは、そのための処世
術である。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(116)

小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重一五キロの子どもが、缶ジュースを一本飲むということは、体重六〇キロのおとなが、四
本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中
がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔よりも大きなソフトクリ
ームを一個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困っています」は、ない。
 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの子ども
でまず疑ってみるべきは、低血糖。一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に
与えると、その血糖値をさげようとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さ
らに血中に残ったインスリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。つまりこれが甘い食品を大
量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状態になると、脳の抑制命令が変
調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状態になって大声をあげたり、暴れたり
する。このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切るよ
うに、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」として、二〇年ほ
ど前に話題になったことがある。日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大
澤氏ほか)。そこでもしあなたの子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみる
とよい。効果がなくて、ダメもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落
ち着く。
 話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげしい」「食
事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約五〇%が、この問題で悩んでいる。
で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、思いきって捨て
る。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。そして子どもが食事
の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親というのは、たいてい無意識
のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、間食はいっさい、やめる。
(小食児へのアドバイス)
@ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
A甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
Bカルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
C日中、汗をかかせるようにする。
 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつうの家庭
よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康なら、小食
(?)でも問題はないとみる。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(117)

常識は静かに引き出す

 ものごとを静かに考え、正しい判断をくだし、その判断に従って行動する力のことを、「バラン
ス感覚」という。このバランス感覚がないと、子どもはかたよった考え方や、極端なものの考え
方をするようになる。たとえば「この地球上の人間は、核兵器か何かで、半分くらいは死ねばい
い」と言った男子高校生がいた。あるいは「私は結婚して、早く未亡人になり、黒い喪服を着て
みたい」と言った女子高校生がいた。そういうようなものの考え方をするようになる。
 このバランス感覚を別の言葉で言いかえると、「豊かな常識」ということになる。この常識とい
うのは、だれにも平等に備わっているかのようにみえるが、そうではない。常識のない人はいく
らでもいる。しかも幼児期にすでにそれが決まる。そこで「教育!」ということになるが、実際に
は子どもに教えるのはたいへんむずかしい。いや、教えて教えられるものではない。親として
せいぜいできることがあるとすれば、常識を奪わないということ。威圧的な過干渉、権威主義
的な押しつけ、神経質な過関心が日常化すると、子どもはいわゆる常識ハズレの子どもにな
る。昔、一生懸命粘土をコンセントに詰めて遊んでいた子ども(年長男児)がいた。先生のコッ
プに殺虫剤を入れた子ども(中学男子)がいた。バケツに絵の具を溶かして、それを二階のベ
ランダから下を歩く子どもにかけていた子ども(年長男児)などがいた。ふつう子どものいたず
らというと、どこかほのぼのとした子どもらしさを感ずるが、それがない。常識というブレーキが
かからないためと考える。
 一般に子どもがドラ息子化すると、子どもからこのバランス感覚が消える。子どもというのは
きびしさとやさしさが、ほどよく調和した環境の中で、心をはぐくむ。が、たとえば父親が極端に
きびしく、母親が極端に甘いとか、あるいはガミガミときびしい反面、結局は子どもの言いなり
になってしまうような甘い環境が続くと、子どもはドラ息子化する。症状としては、自分勝手でわ
がまま、約束や目標が守れない、依存心が強い割に無責任になるなど。
 常識力を養うためには、子どもには自分で考える時間を、たっぷりとあげる。「あなたはどう
思うの?」「あなたはどうしたいの?」と聞きながら、子どもが何かを答えるまでじっと待つ。そう
いう姿勢が子どもを常識豊かな子どもにする。


 
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(118)

個性とは

 「私は私」という生きざまを貫くことを、個性という。しかしこの日本にはそれを支えるだけの土
壌がまだない。社会のしくみそのものもそうだ。昨年(二〇〇一年)、東京に「フリーター撲滅運
動」なるものを始めた高校の校長がいた。「撲滅」というのは、「たたきのめして滅ぼす」という
意味だ。高校の校長という、きわめて恵まれた環境、つまり酸素もエサも自動的に与えられる
水槽のような世界に住んでいる人が、そういうことを言うからおかしい。私はそのフリーターを、
もう三〇年近くもしてきた。たしかに社会的に不利だが、不利なのは、社会の制度がそれだけ
不公平だからにほかならない。
 教育もまた、個性を伸ばすしくみになっていない。たとえば全国の小学校で英語教育が実験
的になされているが、いまだに「すべきかどうか」で議論している。その議論はちょうど平成元
年のころ議論が始まったから、もう一三年になるのでは……? しかし北海道のハシから沖縄
県のハシまで同じ教育というのはおかしい。英語についていえば、英語教育が必要だと思う親
もいれば、そうでないと思う親がいる。英語を学びたいと思っている子どももいれば、そうでな
いと思っている子どももいる。英語教育をしたいと思っている教師もいれば、そうでない教師も
いる。だったら、そういうのは、個人の選択に任せればよい。その分学校を早く終わって、ドイ
ツのように子どもたちはクラブへ行けばよい。こうした実用的な教育は民間に任せたほうが、
はるかに効率よくいく。またこういうのを教育の自由化、あるいは規制緩和というのではないの
か。学校の先生にしても、教育はもちろんのこと、しつけから心のケア、さらには家庭問題ま
で、こうまで押しつけられたらたまらない。……と思っていると思う。ある小学校の教師はこう言
った。「忙しすぎて、授業中だけが休みの場所です」と。
 「子どもの個性を伸ばせ」と簡単に言うが、ではあなた自身が、そういう個性を認めているか
どうかというと疑わしい。あるいは個性というのがどういうものか、本当にわかっているだろう
か。さらにあなたは「私は私」という生き方をしているだろうか。私たちは尾崎豊の言葉を借りる
なら、「しくまれた自由」(「卒業」)の中で、あがきもがいているだけではないのか。
 個性とは生きざまの問題。「私は私」という生きざまをどう確立するかで、その人の個性が決
まる。くだらないことだが、子どもの髪の毛を茶パツに染めたりすることは、個性とはいわな
い。また個性というのは、そのレベルの問題ではない。またどこか常識ハズレのことをするの
を個性と思っている人は多い。しかし個性というのは、繰り返すが、どこまでも生きざまの問題
であって、行動の問題ではない。またそのレベルの問題ではない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(119)

赤ちゃんがえりを甘く見ない

 幼児の世界には、「赤ちゃんがえり」というよく知られた現象がある。これは下の子ども(弟、
妹)が生まれたことにより、上の子ども(兄、姉)が、赤ちゃんにもどる症状を示すことをいう。本
能的な嫉妬心から、もう一度赤ちゃんを演出することにより、親の愛を取り戻そうとするために
起きる現象と考えるとわかりやすい。本能的であるため、叱ったり説教しても意味はない。子ど
もの理性ではどうにもならない問題であるという前提で対処する。
 症状は、おもらししたり、ぐずったり、ネチネチとわけのわからないことを言うタイプと、下の子
どもに暴力を振るったりするタイプに分けて考える。前者をマイナス型、後者をプラス型と私は
呼んでいるが、このほか情緒がきわめて不安定になり、神経症や恐怖症、さらには原因不明
の体の不調を訴えたりすることもある。このタイプの子どもの症状はまさに千差万別で定型が
ない。月に数度、数日単位で発熱、腹痛、下痢症状を訴えた子ども(年中女児)がいた。ある
いは神経が異常に過敏になり、恐怖症、潔癖症、不潔嫌悪症などの症状を一度に発症した子
ども(年中男児)もいた。
 こうした赤ちゃんがえりを子どもが示したら、症状の軽重に応じて、対処する。症状がひどい
ばあいには、もう一度上の子どもに全面的な愛情をもどした上、一からやりなおす。やりなおす
というのは、一度そういう状態にもどしてから、一年単位で少しずつ愛情の割合を下の子ども
に移していく。コツは、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、根気よく子どもの症状に対
処すること。年齢的には満四〜五歳にもっとも不安定になり、小学校入学を迎えるころには急
速に症状が落ち着いてくる。(それ以後も母親のおっぱいを求めるなどの、残像が残ることは
あるが……。)
 多くの親は子どもが赤ちゃんがえりを起こすと、子どもを叱ったり、あるいは「平等だ」という
が、上の子どもにしてみれば、「平等」ということ自体、納得できないのだ。また嫉妬は原始的
な感情の一つであるため、扱い方をまちがえると、子どもの精神そのものにまで大きな影響を
与えるので注意する。先に書いたプラス型の子どものばあい、下の子どもを「殺す」ところまで
する。嫉妬がからむと、子どもでもそこまでする。
 要するに赤ちゃんがえりは甘くみてはいけない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(120)

子どもを叱れない親

叱れない……ということ自体、すでに断絶状態にあるとみる。原因は@リズムの乱れ(親側が
いつもワンテンポ早い)、A価値観の衝突(親側が旧態依然の価値観に固執している)、それ
にB相互不信(「うちの子はダメだ」という思いが強い)。この状態で子どもを叱れば、あとはド
ロ沼の悪循環!
親には三つの役目がある。@ガイドとして子どもの前を歩く。A保護者(プロテクター)として子
どものうしろを歩く。B友(フレンド)として子どもの横を歩く。日本人はこのうち三番目が苦手、
……というより、「私は親だ」という親意識だけがやたらと強く、子どもを友として見ることができ
ない。
もしあなたが子どもをこわくて叱れないというのであれば、まず子どものリズムで歩き、親の価
値観を一方的に押しつけるのをやめる。そしてここが重要だが、子どもを対等の友として受け
入れる。英語国では、親子でも「お前はパパに何をしてほしい?」「パパは、私に何をしてほし
い」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。また一度断絶状態になったら、
「修復しよう」などとは考えないで、今の状態をより悪くしないことだけを考えて対処する。
 「叱る」というのは、本当のところは、たいへんむずかしい。子どもを叱るというのは、叱る側
にそれだけの「人格」がなければならない。たとえば教える立場でいうと、よく宿題を忘れてくる
子どもがいる。宿題ならまだしも、テキストや鉛筆すら忘れてくる子どもがいる。しかし私は、ど
うしてもそういう子どもを叱ることができない。理由は簡単だ。私自身もよく忘れ物をするから
だ。自分でもできないのに、どうして子どもを叱ることができるのか。それともあなたは、あなた
の子どもに向かって、「正しいことをしなさい」「まちがったことをしてはだめだ」と子どもを叱るこ
とができるとでもいうのか。もしそうなら、きっとあなたはすばらしい人だ。
 私は幼児を教えるようになって、もう三〇年になるが、どういうわけだか「叱る」ということに対
して、おおきな抵抗を感ずる。ときどきは叱ることもあるが、そのたびに心のどこかで、「何を偉
そうなことを」と自分で思ってしまう。そして叱ることをやめてしまう。……そういう意味でも、子ど
もを叱るというのは、とてもむずかしい。この問題については、また別のところで考えてみる。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(121)

温室育ちは風邪をひきやすい

 過保護といっても、内容はさまざま。食事面で過保護にするケース、行動面で過保護にする
ケースなど。しかしふつう過保護というときは、精神面での過保護をいう。子どもにつらい思い
や苦しい思いをさせない。あるいは子どもがそういう状態になりそうになると、すぐ助けてしまう
など。「(近所の)A君は乱暴な子だから、あの子とは遊んではダメ」「あの公園にはいじめっ子
がいるから、あそこへは行ってはダメ」と、交友関係をせばめてしまうのも、それ。こういう環境
にどっぷりとつかると、子どもは俗にいう、『温室育ち』になる。
 過保護児の特徴は、@依存心が強く、自立した行動ができない。わがままな反面、目標や規
則が守れず、自分勝手になる。鉛筆を落としても、「鉛筆が落ちたア〜」と言うだけで、自分で
は拾おうとしない。A幼児性が持続し、人格の「核」形成が遅れる。年齢に比べて幼い感じが
し、教える側からみると、「この子はこういう子どもだ」というつかみどころがはっきりしない。B
何ごとにつけ優柔不断で、決断力がない。生活力も弱く、柔和でやさしい表情はしているもの
の、野性的なたくましさに欠ける。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑いながら、それをあけ
渡してしまうなど。そのためいじけやすく、くじけやすい。ちょっとしたことで、すぐ助けを求めた
りする。よく『温室育ちは外へ出ると、すぐ風邪をひく』というが、それは子どものこういう様子を
言ったもの。
親が子どもを過保護にする背景には、何らかの「心配」がある。この心配が種となって、親は
子どもを過保護にする。このテストで高得点だった人は、まずその種が何であるかを知る。もし
「うちの子は何をしても心配だ」ということであれば、不信感そのものと戦う。(過保護にする)→
(心配な子になる)→(ますます過保護にする)の悪循環の中で、あなたの子どもはますます、
その心配な子どもになる。
 ひとつの方法として、今日からでも遅くないから、「あなたはいい子」「あなたはどんどんいい
子になる」を子どもの前で繰り返す。最初はどこかぎこちない言い方になるかもしれないが、あ
なたがそれを自然な形で言えるようになったとき、あなたの子どもは、その「いい子」になる。そ
ういう意味では、子どもの心はカガミのようなもの。長い時間をかけて、あなたの子どもはあな
たの口グセどおりの子どもになる。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(122)

日本人と親意識

「私は親だ」という意識を「親意識」という。たとえば子どもに対して、「産んでやった」「育ててや
った」と考える人は多い。さらに子どもをモノのように考えている人さえいる。ある女性(六〇歳)
は私に会うとこう言った。「親なんてさみしいものですね。息子は横浜の嫁に取られてしまいま
したよ」と。息子が結婚して横浜に住んでいることを、その女性は「取られた」というのだ。日本
人はこの親意識が、欧米の人とくらべても、ダントツに強い。長く続いた封建制度が、こうした
日本人独特の親意識を育てたとも考えられる。
その親意識の背景にあるのが、上下意識。「親が上で、子が下」と。そしてその上下意識を支
えるのが権威主義。理由などない。「偉い人は偉い」と言うときの「偉い」が、それ。日本人はい
つしか、身分や肩書きで人の価値を判断するようになった。
ふつう権威主義的なものの考え方をする人は、自分のまわりでいつも、人間の上下関係を意
識する。「男が上、女が下」「夫が上、妻が下」と。たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩と
考える。そして自分より立場が上の人に向かっては、必要以上にペコペコし、そうでない人に
はいばってみせる。私のいとこ(男性)にもそういう人がいる。相手によって接し方が、別人のよ
うに変化するからおもしろい。
この親意識が強ければ強いほど、子どもにとっては居心地の悪い世界になる。が、それだけで
はすまない。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、心を隠す。
親は親で子どもの心をつかめなくなる。そしてそれが互いの間に大きなキレツを入れる……。
昔は「控えおろう!」と、三つ葉葵の紋章か何かを見せれば、人はひれ伏したが、今はそういう
時代ではない。親が親風を吹かせば吹かすほど、子どもの心は親から離れる。親意識の強い
人は、あなたというより、あなたが育った環境を思い浮かべてみてほしい。あなた自身もその
権威主義的な家庭環境で育ったはずである。そして今、あなた自身があなたと親の関係がどう
なっているか、それを冷静に見つめてみてほしい。たいていはぎくしゃくしているはずである。た
とえうまくいっている(?)としても、それはあなた自身も権威主義的なものの考え方にどっぷり
とつかっているか、あるいは親に対して服従的もしくは親離れできていないかのどちらかであ
る。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(123)

子どもへの過干渉

 口うるさいことを過干渉と誤解している人がいるが、口うるさい程度なら、それほど子どもに
影響はない。過干渉が過干渉として問題になるのは、@親側に、情緒的な未熟性があるとき。
親の気分で、子どもに甘くなったり、反対に極端にきびしくなったりするなど。とらえどころのな
い親の気分は、子どもの心を不安にする。ばあいによっては、子どもの心を内閉させ、さらに
ひどくなると萎縮させる。年中児(満五歳児)でも、大声で笑えない子どもは、一〇人のうち、一
〜二人はいる。
 親が子どもを過干渉にする背景には、子育て全体にわたる不安や不満がある。そしてさらに
その背景には、何らかの「わだかまり」があることが多い。望まない結婚であったとか、望まな
い子どもであったとか、など。妊娠や出産時の心配や不安、さらには生活苦や夫への不満が
わだかまりになることもある。このわだかまりが形を変えて、子どもへの過干渉となる。
言いかえると、子どもに過干渉を繰り返すようであれば、そのわだかまりが何であるかを知る。
問題はわだかまりがあることではなく、そのわだかまりに気がつかないまま、わだかまりに振り
まわされること。同じパターンで同じ失敗を繰り返すこと。わだかまりは、あなたの心を裏から
あやつる。これがこわい。
 過干渉児の特徴としては、@子どもらしいハツラツさが消え、ハキのない子どもになる。(反
対に粗放化するタイプの子どももいるが、このタイプの子どもは、親の過干渉をたくましくやり
返した子どもと考えるとわかりやすい。よくあるケースとしては、兄が萎縮し、弟が粗放化すると
いうケース。)A自分で考えることが苦手になり、ものの考え方が極端になったり、かたよったり
するようになる。常識ハズレになり、してよいことと悪いことの区別がつかなくなるなど。薬のト
ローチを飴がわりになめてしまうなど。B心が萎縮してくると、さまざまな神経症を発症し、行動
ものろくなる。また仮面をかぶるようになり、いわゆる「何を考えているかわからない子」といっ
た感じになる。
 過干渉タイプの人は、まず自分の情緒を安定させること。『親の情緒不安、百害あって一利
なし』と心得る。が、それより大切なことは、子どもをもっと信ずること。子どもというのは、なる
ようにしかならないものだが、同時に、何もしないでもちゃんと育っていくもの。昔の人は『親の
意見とナスビの花は、千にひとつもアダ(ムダ)がない』と言ったが、これをもじると、『親の不安
とナズビの茎は、千に一つも役立たない』となる。あなたが不安に思ったところで、子どもは悪く
なることはあっても、よくなることは何もない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(124)

気負いは子育てを疲れさせる

 「いい親子関係をつくらねばならない」「いい家庭をつくらねばならない」と、不幸にして不幸な
家庭に育った人ほど、その気負いが強い。しかしその気負いが強ければ強いほど、親も疲れ
るが子どもも疲れる。そのため結局は、子育てで失敗しやすい……。
 子育ては本能ではなく、学習によってできるようになる。たとえば一般論として、人工飼育され
た動物は、自分では子育てができない。「子育ての情報」、つまり「親像」が、脳にインプットさ
れていないからである。人間とて例外ではない。「親に育てられた」という経験があってはじめ
て、自分も親になったとき子育てができる。こんな例がある。
一人の父親がこんな相談をしてきた。娘を抱いても、どの程度、どのように抱けばよいのか、
それがわからない、と。その人は「抱きグセがつくのでは……」と心配していたが、彼は、彼の
父親を戦争でなくし、母親の手だけで育てられていた。つまりその人は父親というものがどうい
うものなのか、それがわかっていなかった。しかし問題はこのことではない。
 だれしも、と言うより、愛情豊かな家庭で、何不自由なく育った人のほうが少ない。そんなわ
けで多かれ少なかれ、だれしも、何らかのキズをもっている。問題は、そういうキズがあること
ではなく、そのキズに気づかないまま、それに振りまわされることである。よく知られた例として
は、子どもを虐待する親がいる。
このタイプの親というのは、その親自身も子どものころ、親に虐待されたという経験をもつこと
が多い。いや、かく言う私も団塊の世代で、貧困と混乱の中で幼児期を過ごしている。親たちも
食べていくだけで精一杯。いつもどこかで家庭的な温もりに飢えていた。そのためか今でも、
「家庭」への思いは人一倍強い。が、悲しいことに、頭の中で想像するだけで、温かい家庭とい
うのがどういうものか、本当のところはわかっていない。だから自分の息子たちを育てながら
も、いつもどこかでとまどっていた。たとえば子どもたちに何かをしてやるたびに、よく心のどこ
かで、「しすぎたのではないか」と後悔したり、「してやった」と恩着せがましく思ったりするなど、
どこかチグハグなところがあった。
 ただ人間のばあいは、たとえ不幸な家庭で育ったとしても、近くの人たちの子育てを見たり、
あるいは本や映画の中で擬似体験をすることで、自分の中に親像をつくることができる。だか
ら不幸な家庭に育ったからといって、必ずしも不幸になるというわけではない。そこで大切なこ
とは、たとえあなたの過去が不幸なものであったとしても、それはそれとしてあなたの代で切り
離し、つぎの世代にそれを伝えてはいけないということ。その努力だけは忘れてはならない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(125)

学歴信仰

 「学歴信仰はもうない」という人もいる。が、身分による差別意識はまだ根強く残っている。ど
こにどう残っているかは、実はあなた自身が一番よく知っている。日本人は肩書きや地位のあ
る人にはペコペコする反面、そうでない人は、ぞんざいにあつかう。またこの日本、公的な保護
を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は受けない。そういう不公平を親たちは毎日肌で感
じている。だから親はこう言う。「何だかんだといっても、結局は学歴ですよ」と。
 が、学歴で生きる人は、結局はその学歴で苦しむことになる。Y氏(四五歳)がそうだ。Y氏は
ことあるごとに、S高校の出身であることを自慢していた。会話の中に、それとなく出身校を織
り込むというのが、彼の言い方だった。「今度、S高校の同窓会がありまして」とか、「S高校の
仲間とゴルフをしましてね」とか。が、S氏の息子がいよいよ高校受験ということになった。が、
息子にはそれだけの「力」がなかった。だから毎晩のように、S氏と息子は、「勉強しろ!」「うる
さい!」の大乱闘を繰り返していた。
 一方アメリカでは、入学後の学部変更は自由。大学の転籍すら自由。勉強したい学生は、よ
り高度な勉強を求めて、大学間を自由に転籍している。しかもそれが今、国際間でもなされ始
めている。彼らにしてみれば、最終的にどこで学位を認められるかは重要なことだが、そんな
わけで「出身校」には、ほとんどこだわっていない。大学教育のグローバル化の中で、やがて
日本もそういう方向に向かうのだろうが(向かわざるをえないが)、少なくともこれからは学歴
や、地位、それに肩書きをぶらさげて生きるような時代ではない。それに親が受験競争に狂奔
すればするほど、子どもの心はあなたから離れる。
たとえば子どもが受験期を迎えるまでは、日本のばあい、親子関係がほかの国とくらべても、
とくに悪いということはない。しかし子どもが受験期を迎えると、親子関係は急速に悪化する。
なぜそうなのかというところに、日本の子育ての問題点が隠されている。一度あなたも、自分
の心にメスを入れてみてはどうだろうか。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(126)

溺愛ママ

 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。
本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえば母
親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本能的な愛
で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類はとっくの昔に滅
亡していたことになる。
つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛することをいう。
一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべればよ
い。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する親も、同じよ
うに考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに押しつけているだ
け。
三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間と意識し
たとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで決まる。英語
では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子どものできが悪くても、また
子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。その度量の広さこそが、まさに
真の愛ということになる。
それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいていは
親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭不和、
騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子どもを溺愛
するようになる。
 溺愛児は親の愛だけはたっぷりと受けているため、過保護児に似た症状を示す。@幼児性
の持続(年齢に比して幼い感じがする)、A人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」というつ
かみどころがはっきりしない)、B服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで自分
勝手)、C退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。全体に
ちょうどひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペット児」(失
礼!)と呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくましさに欠ける。
 溺愛ママは、それを親の深い愛と誤解しやすい。中には溺愛していることを誇る人もいる。
が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと自分で確認
すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを生きがいにしな
い。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの三原則を守り、子育てから離れる。 



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(127)

まじめ七割、いいかげんさ三割

 子育ては『まじめ七割、いいかげんさ三割』と覚えておく。これはハンドルの「遊び」のようなも
の。この遊びがあるから、車も運転できる。子育ても同じ。
たとえば参観授業のようなとき、親の鋭い視線を感じて、授業がやりにくく思うことがある。とき
にはその視線が、ビンビンとこちらの体をつらぬくときさえある。そういう親の子どもは、たいて
いハキがなく、暗く沈んでいる。ふつう神経質な子育てが日常的につづくと、子どもの心は内閉
する。萎縮することもある。(あるいは反対に静かな落ち着きが消え、粗放化する子どももい
る。このタイプの子どもは、神経質な子育てをやり返した子どもと考えるとわかりやすい。)
 子育ての三悪に、スパルタ主義、極端主義、それに完ぺき主義がある。スパルタ主義という
のは、きびしい鍛練を主とする教育法をいう。また極端主義というのは、やることなすことが極
端で、しかも徹底していることをいう。おけいこでも何でも、「させる」と決めたら、毎日、それば
かりをさせるなど。要するに子育ては自然に任すのが一番。人間は過去数一〇万年もの間、
こうして生きてきた。子育てのし方にしても、ここ一〇〇年や二〇〇年くらいの間に、「変わっ
た」と思うほうがおかしい。心のどこかで「不自然さ」を感じたら、その子育ては疑ってみる。
 完ぺき主義もそうだ。このタイプの親は、あらかじめ設計図を用意し、その設計図に無理やり
子どもをあてはめようとする。こまごまとした指示を、神経質なほどまでに子どもに守らせるな
ど。このタイプの親にかぎって、よく「私は子どもを愛している」と言うが、本当のところは、自分
のエゴを子どもに押しつけているだけ。自分の欲望を満足させるために、子どもを利用してい
るだけ。
 子どもが学校に入り、大きくなったら、家庭の役割も、「しつけの場」から、「いやしの場」へと
変化しなければならない。子どもは家庭という場で、疲れた心をいやす。そのためにも、あまり
こまごまとしたことは言わないこと。アメリカの劇作家のソローも、『ビロードのクッションの上に
座るよりも、気がねせず、カボチャの頭のほうがよい』と書いている。こまごまとしたことが気に
なるなら、このソローの言葉の意味を考えてみてほしい。
 また子どもに何か問題が起きたりすると、「先生が悪い」「友だちに原因がある」と騒ぐ人がい
る。しかしもし子どもが家庭で心をいやすことができたら、そのうちのほとんどは、そのまま解
決するはずである。そのためにも「いいかげんさ」を大切にする。「歯を磨かなければ、虫歯に
なるわよ」と言いながらも、虫歯になったら、歯医者へ行けばよい。痛い思いをしてはじめて、
子どもは歯をみがくようになる。「宿題をしなさい」と言いながらも、宿題をしないで学校へ行け
ば、先生に叱られる。叱られれば、そのつぎからは宿題をするようになる。そういういいかげん
さが、子どもを自立させる。たくましくする。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(128)

自己中心ママ

自己中心性の強い母親は、「私が正しい」と信ずるあまり、何でも子どものことを決めてしまう。
もともとはわがままな性格のもち主で、自分の思いどおりにならないと気がすまない。
 このタイプの母親は、思い込みであるにせよ何であるにせよ、自分の考えを一方的に子ども
に押しつけようとする。本屋へ行っても、子どもに「好きな本を買ってあげる」と言っておきなが
ら、子どもが何か本をもってくると、「それはダメ、こちらの本にしなさい」と、勝手にかえたりす
る。子どもの意見はもちろんのこと、他人の話にも耳を傾けない。 
 こうした自己中心的な子育てが日常化すると、子どもから「考える力」そのものが消える。依
存心が強くなり、善悪のバランス感覚が消える。「バランス感覚」というのは、善悪の判断を静
かにして、その判断に従って行動する感覚のことをいう。そのため言動がどこか常識ハズレに
なりやすい。たとえばコンセントに粘土を詰めて遊んでいた子ども(小一男児)や、友だちの誕
生日のプレゼントに、虫の死骸を箱に入れて送った子ども(小三男児)がいた。さらに「核兵器
か何かで世界の人口が半分になればいい」と言った男子高校生や、「私は結婚して、早く未亡
人になって黒いドレスを着てみたい」と言った女子高校生がいた。
 ところで母親にも、大きく分けて二種類ある。ひとつは、子育てをしながらも、外の世界に向
かってどんどんと積極的に伸びていく母親。もう一つは自分の世界の中だけで、さらにものの
考え方を先鋭化する母親である。外の世界に向かって伸びていくのはよいことだが、反対に自
分のカラを厚くするのは、たいへん危険なことでもある。こうした現象を「カプセル化」と呼ぶ人
もいる。一度こうなると、いろいろな弊害があらわれてくる。
たとえば同じ過保護でも、異常な過保護になったり、あるいは同じ過干渉でも、異常な過干渉
になったりする。当然、子どもにも大きな影響が出てくる。五〇歳をすぎた男性だが、八〇歳の
母親の指示がないと、自分の寝起きすらできない人がいる。その母親はことあるごとに、「生ま
れつきそうだ」と言っているが、そういう男性にしたのは、その母親自身にほかならない。
 子育てでこわいのが、悪循環。子どもに何か問題が起きると、親はその問題を解決しようと
何かをする。しかしそれが悪循環となって、子どもはますます悪い方向に進む。とくに子どもの
心がからむ問題はそうで、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返しながら、症状
はさらに悪くなる。
 自己中心的なママは、この悪循環におちいりやすいので注意する。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(129)

見栄、メンツ、世間体

 見栄、メンツ、世間体。どれも同じようなものだが、この三つから解放されたら、子育てにまつ
わるほとんどの問題は解決する。言いかえると、多かれ少なかれ、ほとんどの親はこの三つの
しがらみの中で、悩み、苦しむ。が、日本人ほど、世間体を気にする民族は少ない。長く続い
た封建時代の結果、そうなったと考えられる。「皆と同じことをしていれば安心だが、そうでなけ
ればそうでない」と。
 世間体を気にすればするほど、親もそして子どもも、他人の目の中で生きるようになる。子ど
もの見方も相対的なものになり、「うちの子は、A高校だから優秀だ」「隣の子はB高校だから、
うちの子より劣っている」と。が、それだけではすまない。ある母親は息子(中三)の進学高校
別の懇談会には、一度も出席しなかった。「(そんな高校では)恥ずかしい」というのが理由だっ
たが、こうしたものの考え方は、親子のきずなを決定的なほどまでに粉々にする。こんな例も
ある。
 「私は私」「うちの子はうちの子」「他人がどう思うとも、私は自分の子どもを信ずる」という割り
きりが、子育てをわかりやすくする。子どもの心を守る。そしてそういうものの考え方が、一方で
親子のきずなを深める。こんなことがあった。 
ある男性が彼の母親に、それまでの会社勤めをやめ、幼稚園の教師になると告げたとき、彼
の母親は電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れてしまった。「恥ずかしいから、それだけはや
めてくれ!」と。その男性はこう言う。「私は母だけは私を信じ、私を支えてくれると思いました。
が、母は『あんたは道を誤ったア!』と。それまでは母を疑ったことはないのですが、その事件
以来、母とは一線を引くようになりました」と。
ここでいう「ある男性」というのは、私自身のことだが、だからといって私は母を責めているので
はない。母は母として、当時の常識の中でそう言っただけだ。
 生きる美しさは、いかにその人らしく生きるかで決まる。また生きる実感もそこから生まれる。
言いかえると、他人の目の中で生きれば生きるほど、結局は自分の人生をムダにすることに
なる。
 何かにつけ世間体が気になる人は、一度自分の人生観を洗いなおしてみたらよい。世間体
というのはそういうもので、一度気にし始めると、それがその人の生き方の基本になってしま
う。私の母も八五歳をすぎたというのに、いまだに「世間」という言葉をよく使う。「世間が笑う」
「世間体が悪い」と。その年齢になったら、もう他人の目などは気にせず、「私は私」という人生
を貫けばよいと思うが、母にはそれができない。が、はた(世間)から見ても、それほど見苦し
い人生ほない。皮肉といえば、これほど皮肉なことはない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(130)

過関心は子どもをつぶす

 子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、しかしそれが度を超すと、過関心になる。
こんなことがあった。
 ある日一人の母親が私のところへやってきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、
『好きな子どうし、並んでいい』と言ったが、うちの子(小二男児)のように友だちがいない子ども
はどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮に欠ける行為だ。これから学校へ抗議に
行くので、あなたも一緒に来てほしい」と。さらに……。
 子どもが受験期になると、それまではそうでなくても、神経質になる親はいくらでもいる。「進
学塾のこうこうとした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼる」と言った母親もいたし、「子ども
のテスト週間になると、お粥しかのどを通らない」と言った母親もいた。しかし過関心は子ども
の心をつぶす。が、それだけではすまない。母親の心をも狂わす。
 子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑う。症状としては、ささ
いなことで極度の不安状態になったり、あるいは激怒しやすくなるのほか、つぎのようなものが
ある。@どこか気分がすぐれず、考えが堂々巡りする、Aものごとを悲観的に考え、日常生活
がつまらなく見えてくる。さらに症状が進むと、B不眠を訴えたり、注意力が散漫になったりす
る、C無駄買いや目的のない外出を繰り返す、D他人との接触を避けたりするようになる、な
ど。
 こうした症状が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。
 過関心にせよ、育児ノイローゼにせよ、本人自身がそれに気づくことは、まずない。気づけば
気づいたで、問題のほとんどは解決したとみる。そういう意味でも、自分のことを知るのは本当
にむずかしい。『汝自身を知れ』と言ったのはキロン(スパルタの七賢人の一人)だが、哲学の
世界でも、「自分を知ること」が究極の目的になっている。
で、このタイプの親は明けても暮れても、考えるのは子どものことばかり。子育てそのものにす
べての人生をかけてしまう。たまに子どものできがよかったりすると、さらにそれに拍車がかか
る。いや、その親はそれでよいのかもしれないが、そのためまわりの人たちまでその緊張感に
巻き込まれ、ピリピリしてしまう。学校の先生にしても、一番かかわりたくないのが、このタイプ
の親かもしれない。
 あなたがここでいう過関心ママなら、母親ではなく、妻でもなく、女性でもなく、一人の人間とし
て、生きがいを子育て以外に求める。ある母親は、娘が小学校へ入学すると同時に手芸の店
を開いた。また別の母親は、医療事務の講師をするようになった。そういう形で、つまり子育て
以外のところで、自分を燃焼させる場をつくり、その結果として子育てから遠ざかる。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(131)

進学は話題にしない

 病気の人に、「何の病気?」「どこが悪いの?」「どこの病院へ通っているの?」などと聞くもの
ではない。同じように受験生をもった親に、「どこを受験するの?」「受験日はいつ?」「何学部
に受験するの?」などと聞くものではない。私はいつか、『受験家族は病人家族』という格言を
つくったが、その通り。受験生をかかえる家族は、(もちろんそうでない家族も多いが)、「病人
家族」と考え、そっとしておいてあげることこそ、心づかいというもの。が、中には無神経な人が
いる。先日も会うと、いきなりこう話しかけてきた女性(五〇歳)がいた。
 「あら、林さん、お宅の子、今年受験なさったのでないかしら? で、どこを受験なさいました
の? 林さんのお子さんのことですから、さぞかしいいところに入ったのでしょうね」と。元、幼稚
園の教師で、数年間一緒に仕事をしたこともある女性だった。私はあまりのレベルの低い会話
にア然とした。いや、それ以上に、その女性が私を彼女と同レベルに思い込んでいる様子が不
愉快だった。
 こうした会話がいかに愚劣なものかは、世界を歩いてみるとわかる。たとえば台湾やシンガ
ポールでは、相手の出身大学を聞きあうのが初対面の会話のようにもなっている。「あなたは
どこの大学ですか?」「で、学位は?」とかなど。新しいタイプの身分意識といってもよい。どこ
か時代が逆戻りして、封建時代へ向かいつつあるかのような錯覚すら覚える。この日本ではそ
こまでひどくはないが、一〇年前には、あるいは二〇年前には、台湾やシンガポール以上に、
学歴を気にした。今でも気にしている人は多い。
 しかしやはりこうした会話は、相手が進んでするばあいは別として、するものではない。家族
によっては、極度の緊張状態にある家族もある。子どもが受験期を迎えると、大半の親たちは
食事もノドを通らないほど、それを気にする。それがおかしいとか、おかしくないとかいう前に、
事実はそうなのだ。だから「進学校は話題にしない」。これは会話のエチケットのようなものだ。
 


子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(132)

人格形成と勉強は別

 「人格形成と勉強は別」というタイトルにしたが、このタイトルの中の「勉強」を、「学力」もしくは
「知識」にしようかで、私はかなり迷った。で、その結果、「勉強」にした。わかりやすく言えば、
勉強ができるから人格的にすぐれた人間になるとか、もっと言えば、学歴があるから人格的に
すぐれた人間になるとか、そういうことはありえない。ありえないことは子どもを教えてみればす
ぐわかる。人格形成と勉強は、まったく別のものである。
 人格形成は日々の鍛錬の中からなされる。日々の鍛錬というのは、日々の思考と行動と、そ
れに困苦の三つをいう。こう決めてかかるのは危険なことかもしれないが、少なくとも人格とい
うのは、教育だけでできるものではないし、知識があるから人格者ということにはならない。た
とえば家事の手伝いをよくしている子どもと、そうでない子どもとは、見ただけで判別できるほ
ど、違いがよくわかる。家事をよく手伝っている子どもは、どっしりとした人間的な深みがあっ
て、おとなの私ですらも包んでくれるような包容力がある。が、家事をほとんどしない、いわゆる
ドラ息子、ドラ娘にはそれがない。こうしたことと、掛け算の九九をペラペラと言うとか言わない
とか、あるいは漢字をたくさん書けるとか書けないとかいうこととは、まったく関係ない。
 が、この日本では、勉強ができる人、つまり学歴が高い人ほど、人格もまた高邁(こうまい)で
あるということになっている。子どもの世界もそうで、勉強ができる子どもほど、人格的にもすぐ
れた子どもということになっている。あるいは日本の社会全体、それを受ける教育全体が、そう
いう錯覚の上に成りたっている。しかし錯覚は錯覚。これは一つの例だが、有名進学高校ほ
ど、その内部での生徒どうしのいじめが多い。しかもそのいじめは陰湿かつ執拗。具体的な数
字があるわけではないが、こんなことは教師の間では常識である。
もちろん学問することはムダではない。ないが、問題はその学問のし方である。もっと言えば、
学問しながら、そこで自分の「思考」をいかにはぐくむか、だ。どこかの寺の本山で学ぶ小僧の
ように、ただ覚えて、覚えて、覚えるだけの学問には、意味がない。学問が学問として意味をも
つのは、考えて、考えて、考え抜くところにある。が、考えるだけでは足りない。そうした思考
に、行動や困苦がともなってはじめて、思考は意味をもつ。つまりその人の人格の基礎とな
る。
 どこかバラバラなことを書いたが、要するに子どもにはよく考えさせ、よく行動させ、家事の手
伝いをよくさせる。これが子どもの人格を育てる基本ということになる。

 

子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(133)

日本人の依存性

 日本人が本来的にもつ依存心は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、日本人がそれ
に気づくには、自らを一度、日本の外に置かねばならない。それはちょうどキアヌ・リーブズが
主演した映画『マトリックス』の世界に似ている。その世界にどっぷりと住んでいるから、自分が
仮想現実の世界に住んでいることにすら気づかない……。
 子どもでもおなかがすいて、何か食べたいときでも、「食べたい」とは言わない。「おなかがす
いたア、(だから何とかしてくれ)」と言う。子どもだけではない。私の母などは、もう四〇歳のと
きから私に、「お母ちゃん(自分)は、歳をとったでナ。(だから何とかしてくれ)」と言っていた。
 こうした依存性は国民的なもので、この日本では、おとなも子どもも、男も女も、社会も国民
も、それぞれが相互に依存しあっている。こうした構造的な国民性を、「甘えの構造」と呼んだ
人もいる。たとえば海外へ移住した日本人は、すぐリトル東京をつくって、相互に依存しあう。
そしてそこで生まれた子ども(二世)や孫(三世)は、いつまでたっても、自らを「日系人」と呼ん
でいる。依存性が強い分だけ、その社会に同化できない。
 もちろん親子関係もそうだ。この日本では親にベタベタと甘える子どもイコール、かわいい子
とし、そのかわいい子イコール、よい子とする。反対に独立心が旺盛で、親を親とも思わない
子どもを、親不孝者とか、鬼っ子と言って嫌う。そしてそれと同時進行の形で、親は子どもに対
して、「産んでやった」「育ててやった」と依存し、子どもは子どもで「産んでもらった」「育ててもら
った」と依存する。こうした日本人独特の国民性が、いつどのようにしてできたかについては、
また別のところで話すとして、しかし今、その依存性が大きく音をたてて崩れ始めている。イタリ
アにいる友人が、こんなメールを送ってくれた。いわく、「ローマにやってくる日本人は、大きく二
つに分けることができる。旗を先頭にゾロゾロとやってくる日本人。年配の人が多い。もう一つ
は小さなグループで好き勝手に動き回る日本人。茶髪の若者が多い」と。
 今、この日本は、旧態の価値観から、よりグローバル化した新しい価値観への移行期にある
とみてよい。フランス革命のような派手な革命ではないが、しかし革命というにふさわしいほど
の転換期とみてよい。それがよいのか悪いのか、あるいはどういう社会がつぎにやってくるの
かは別にして、今という時代は、そういう視点でみないと理解できない時代であることも事実の
ようだ。あなたの親子関係を考える一つのヒントとして、この問題を考えてみてほしい。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(134)

祖父母との同居

 祖父母との同居について、アンケート調査をしたことがある。その結果わかったことは、「好
かれるおじいちゃん、おばあちゃん」の条件は、@健康であること、Aやさしいこと、B経験が
豊富であること、C控えめであることだった(一九九三年・浜松市内で約五〇人の同居世帯で
調査)。
 反対に同居する祖父母との間のトラブルで一番多いのが、子育て上のトラブル。母親の立場
でいうと、一番苦情の多かったトラブルは、「子どもの教育のことで口を出す」だった。「甘やか
しすぎて困る」というのが、それに続いた。さらに「同居をどう思うか」という質問については、子
どもが生まれる前から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよかった」と答えてい
るのに対して、途中から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよくない」と答えて
いた。祖父母との同居を考えるなら、子どもが生まれる前からがよいということになる。
 そこで祖父母との間にトラブルが起きたときだが、間に子どもがからむと、たいていは深刻な
嫁姑戦争に発展する。母親もこと自分の子どものことになると、妥協しない。祖父母にしても、
孫が生きがいになることが多い。こじれると、別居か、さもなくば離婚かというレベルまで話が
進んでしまう。そこでこう考える。これは無数の相談に応じてきた私の結論のようなもの。
(1)同居をつづけるつもりなら、祖父母とのトラブルを受け入れる。とくに子どもの教育のこと
は、思い切って祖父母に任す。甘やかしなど問題もあるが、しかし子育て全体からみると、マイ
ナーな問題。メリット、デメリットを考えるなら、デメリットよりもメリットのほうが多いので、割り切
ること。
(2)子どもの教育は任せる分だけ祖父母に任せて、母親は母親で、前向きに好きなことをす
ればよい。そうした前向きの姿勢が子どもを別の面で伸ばすことになる。
(3)祖父母の言いたそうなことを先取りして子どもにいい、祖父母には「助かります」と言いな
がら、うまく祖父母を誘導する。
(4)以上の割り切りができなければ、別居を考える。
 大切なことは、大前提として、同居を受け入れるか入れないかを、明確にすること。受け入れ
るなら、さっさとあきらめるべきことはあきらめること。この割り切りがまずいと、母親自身の精
神生活にも悪い影響を与える。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(135)

子どもの性教育

 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。六
歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなっ
ているのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつける
ように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいので
しょう。
 フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に分けている。@口唇期……口の中にいろいろ
なものを入れて快感を覚える。A肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に興
味を示したり、そこをいじったりする。B男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心をも
つようになる。
 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレ
ス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為
をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自
慰もその一つと考える。つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレ
スの原因(ストレッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症
状(ふさぎ込み、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)を
ともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を
悪化させることもあるので注意する。
 さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自
分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情
緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないこ
とを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗する
そぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。
 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サ
ラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。
 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうし
ても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることが
ある。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(136)

子どもの欲求不満

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。
@攻撃・暴力タイプ
 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、
かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四
男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ
野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩す
る、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)
に分けて考える。
A退行・依存タイプ
 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。こ
のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ
ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。
B固着・執着タイプ
 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだり
する(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近
多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起
こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切
そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう
言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子ども
の未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子ども
は幼児がえりを起こしやすくなる。
 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、
爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を
解消しようとする。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(137)

子どもの非行

 子どもが非行に走るようになると、独特の症状を見せるようになる。脳の機能そのものが、変
調すると考えるとわかりやすい。「心の病気」ととらえる人もいる。実際アメリカでは、非行少年
に対して薬物療法をしているところもある。それはともかくも前兆がないわけではない。その一
つ、生活習慣がだらしなくなる。たとえば目標や規則が守れない(貯金を使ってしまう。時間に
ルーズになる)、自己中心的(ゲームに負けると怒る。わがままで自分勝手)になり、無礼、無
作法な態度(おとなをなめるような言動、暴言)が目立つようになる。この段階で家庭騒動、家
庭崩壊など、子どもを取り巻く環境が不安定になると、症状は一挙に悪化する。
 その特徴としては、@拒否的態度(「ジュースを飲むか?」と声をかけても、即座に、「イラネ
エ〜」と拒否する。意識的に拒否するというよりは、条件反射的に拒否する)、A破滅的態度
(ものの考え方が、投げやりになり、他人に対するやさしさや思いやりが消える。無感動、無関
心になる。他人への迷惑に無頓着になる。バイクの騒音を注意しても、それが理解できない)、
B自閉的態度(自分のカラに閉じこもり、独自の価値観を先鋭化する。「死」「命」「殺」などとい
う、どこか悪魔的な言葉に鋭い反応を示すようになる。「家族が迷惑すれば、結局はあなたも
損なのだ」と話しても、このタイプの子どもにはそれが理解できない。親のサイフからお金を抜
き取って、それを使い込むなど)、C野獣的態度(行動が動物的になり、動作も、目つきが鋭く
なり、肩をいからせて歩くようになる。考え方も、直感的、直情的になり、「文句のあるヤツは、
ぶっ殺せ」式の、短絡したものの考え方をするようになる)など。心の中はいつも緊張状態にあ
って、ささいなことで激怒したり、キレやすくなる。また一度激怒したり、キレたりすると、感情を
コントロールできなくなることが多い。
 家族でも先生でも、誰かと一本の「糸」で結ばれている子どもは、非行に走る一歩手前で、自
分をコントロールすることができる。が、その糸が切れたとき、あるいは子どもが「切れた(捨て
られた)」と感じたとき、子どもの非行は一挙に加速する。だから子どもの心がゆがみ始めたら
(そう感じたら)、なおさら、その糸を大切にする。「どんなことがあっても、私はあなたを愛して
いますからね」「どんなことがあっても、私はあなたのそばにいますからね」という姿勢を、徹底
的に貫く。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(138)

スキンシップと甘えるという行為

 スキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。魔法の力といってもよい。もう二〇年ほ
ど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施設の先生の
講演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』とい
う方法で、すばらしい治療成績をあげています」と。その施設の名前も先生の名前も忘れた。
が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思ったことが、たびたびある。言いかえる
と、スキンシップを受けつけない子どもは、どこかに「心の問題」があるとみてよい。
 たとえばかん黙児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許さない。
許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、何かしら
丸太を抱いているような気分になる。これに対して心を許している子どもは、抱く側にしっくりと
身を寄せる。さらに肉体が融和してくると、呼吸のリズムまで同じになる。心臓の脈動まで同じ
になることがある。で、この話をある席で話したら、そのあと一人の男性がこう言った。「子ども
も女房も同じですな」と。つまり心が通いあっているときは、女房も抱きごこちがよいが、そうで
ないときは悪い、と。不謹慎な話だが、しかし妙に言い当てている。
 このスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、「甘える」という行為である。一般論として、
濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然である。「自
然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。甘えることがで
きる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染
み込んでいくのがわかる。
 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、育児
拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人
に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいる
のを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。
私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、
私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。
 抱こうとしても抱かれない子どもが、四分の一もいるという事実もある(二〇〇〇年・『臨床育
児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏))。それが自然にできる子どもにすれば何でもないことか
もしれないが、親に甘え、親の肌をそれとなく求めてくる子どもというのは、それだけでも、心が
まっすぐに育っているということになる。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(139)

スキンシップは量より質

 スキンシップについて、どの程度が適量なのかという具体的な調査はない。ないが、全体とし
てみると、日本人は欧米の人とくらべても、極端に少ない。親子のみならず、夫婦、友人の間
でも少ない。日本人は肌を合わせるということについて、独特の文化をもっていて、それがこう
した違いを生みだしたとも言える。
 ただこういうことは言える。スキンシップは量ではなく、質の問題である、と。こんなことがあっ
た。その子ども(年長男児)の家庭は、母親の言葉を借りるなら、「擬似母子家庭」。父親は仕
事が忙しく、子どもと接する時間がほとんどなかった。が、その子どもには、母子家庭の子ども
に見られるような心のゆがみがほとんどなかった。で、ある日、私は母親にその秘訣を聞いて
みた。すると母親はこう教えてくれた。「夫は日曜日になると、子どもをいつも抱いています。ま
たたまに朝や夜、顔をあわせるときがあると、夫は子どもを腕に寄せ、力いっぱい抱いていま
す」と。
 もちろんベタベタのスキンシップがよいわけではない。ときどき一日中ペットの犬を胸に抱い
ている人を見かける。あのタイプの人は犬をかわいがっているというより、自分自身の情緒的
欠陥を「抱く」という行為で補っているに過ぎない。こういうのを代償的行為というが、子どもの
爪かみ、指しゃぶりと同じに考えてよい。もっとも相手が犬というペットなら、それほど弊害はな
いが、子どもだと、その弊害は子どもに表れる。精神や情緒の発育そのものが遅れることもあ
る。
 子どもをどの程度抱けばよいかという質問はよくある。しかしここにも書いたように、スキンシ
ップは質の問題。抱く側が、「愛していますよ」「安心していいのよ」という明確な意思をもって抱
くようにすればよい。またそういう意思を表示するためのスキンシップであれば、回数は多くて
もかまわない。
 なおこのスキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。「人知を超えた」というのも、少
しおおげさに聞こえるかもしれないが、私はその不思議な力に驚かされることがしばしばある。
そんなことも考えながら、子どもへのスキンシップを考えるとよい。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(140)

すばらしいと言え、親の仕事

 こんなことがあった。その息子(高一)が、家業である歯科技工士の仕事を継ぐのをいやがっ
て困っているというのだ。そこで「どうしたらいいか」と。
 今、子どもたちの間で、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりという奇妙な現象が起きている。
自分の将来に不安や恐怖心をもつと、子どもはおとなになるのを無意識のうちにも拒否するよ
うになる。そして幼児期に使ったおもちゃや本を取り出し、それを大切そうにもちあるいたりす
る。一人の小学生(小六男児)が、ボロボロになったマンガの本をかばんの中に入れていたの
で、「それは何だ」と声をかけると、その子どもはこう言った。「どうちぇ、読んではダメだと言う
んでちょ、言うんでちょ」と。この子どものケースでは、父親に原因があった。父親はことあるご
とに、「中学校へ入ると、勉強がきびしいぞ」「毎日五、六時間は勉強しなければならないぞ」
と、その子どもをおどしていた。こうしたおどしが、子どもの心をゆがめていた。
 で、私は先にあげた高校生を家に呼んで、理由をたずねてみた。するとその高校生はこう言
った。「あんな歯医者にペコペコする仕事なんか、いやだ。それにオヤジは、いつも『疲れた、
疲れた』と言っている」と。
 そこで私は母親にこう話した。「これからは子どもの前では、家の仕事は楽しい、すばらしい
と言いましょう」と。結果的にその子どもは今、歯科技工士をしているので、私のアドバイスはそ
れなりに効果があったのかもしれない。
 子どもを伸ばす秘訣は、未来に希望をもたせること。あなたはすばらしい人になる、あなたの
未来はすばらしいものになると、前向きの暗示を与える。幼児でもそうだ。少し前、『学校の怪
談』というドラマがあった。そのため「小学校へ行きたくない」という子どもが続出した。理由を聞
くと、「花子さんがいるから」と。やはり幼児には、「学校は楽しいよ」「友だちがいっぱいできる
よ」「大きな運動会をするよ」と、言ってあげねばならない。そして……。
 子どもには、「お父さんの仕事はすばらしいよ」と言う。いや、言うだけでは足りないかもしれ
ない。生き生きと楽しそうに仕事をしている前向きの姿勢をどんどんと見せる。そういう姿勢が
子どもを伸ばす。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(141)

スラスラ読んでも意味がない

 思考と情報の加工は、まったく別のもの。たとえばこんな会話。A「今度の休みにはどこかへ
行くの?」、B「そうだな。伊豆へでも行こうか」、A「伊豆なら、下田まで足をのばしたら」、B「そ
れはいい……」と。
 このAとBは、一見考えているように見えるが、その実、何も考えていない。脳の表層部分に
蓄えられた情報を、そのつど加工して外に出しているにすぎない。しかしふつうの人は、こうい
うのを「思考」と誤解している。錯覚と言ってもよいかもしれない。
 思考にはある種の苦痛がともなう。それは複雑な数学の問題を解くような苦痛である。だか
らたいていの人は、無意識のうちにも、できるだけ思考するのを避けようとする。あるいは他人
の思考をそのまま受け入れてしまう人がいる。カルト教団の信者がそうである。徹底した上意
下達方式のもと、「上」からの思想をそのまま脳の中に注入され、彼らはそれを自分の思想と
錯覚している。それはちょうどわけもわからず、掛け算の九九を暗記している幼稚園児のよう
なものである。掛け算の九九をペラペラと口にすると、一見賢い子どもに見えるが、その実何
もわかっていない。何も考えていない。いわんや算数ができる子どもということにはならない。
 そういう視点で子どもの世界をのぞくと、また別の見方ができる。たとえば年中児にもなると、
本をスラスラと読む子どもが現れる。一見、国語力のある子どもに見えるが、その実、その本
の内容はほとんど理解していない。ただ文字を音に変えているだけ。
 あるいはたいへんもの知りの子どもがいたとする。口だけは達者で、まさにああ言えば、こう
言う式の反論もしてくる。しかしだからといって、その子どもは頭のよい子ということにはならな
い。賢い子どもということにもならない。もっと言えば、情報が多いからといって、思考力がある
ということにはならない。
 先にも書いたように、思考するということは、それ自体たいへんなことである。そして思考をし
たからといって、何かの「考え」にたどりつくことができるとはかぎらない。それはちょうど砂場の
中で、小さな宝石を見つける作業に似ている。まさに見つかればもうけものという世界。だから
これまたたいていの人は、「考えるだけムダ」と考える前に、考えることをやめてしまう。
 話は飛躍するが、日本の教育の最大の欠陥は、「思考」と「情報」を混同し、情報を与えるこ
とを教育と誤解している点である。このことは日本という島国を一歩離れてみるとすぐわかるこ
とだが、それについてはまた別のところで書く。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(142)

子どもの自我

 ほぼ三〇年ぶりにS氏と会った。会って食事をした。が、どこをどうつついても、A氏から、そ
の三〇年間に蓄積されたはずの年輪が伝わってこない。話そのものがかみあわない。どこか
ヘラヘラしているだけといった感じ。そこで話を聞くと、こうだ。
 毎日仕事から帰ってくると、見るのは野球中継だけ。読むのはスポーツ新聞だけ。休みは、
晴れていたらもっぱら釣り。雨が降っていれば、ただひたすらパチンコ、と。「パチンコでは半日
で五万円くらい稼ぐときもある」そうだ。しかしS氏のばあい、そういう日常が積み重なって、今
のS氏をつくった。(つくったと言えるものは何もないが……失礼!)
 こうした方向性は、実は幼児期にできる。幼児でも、何か新しい提案をするたびに、「やりた
い!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になって「やりたくない」とか「つまらない」と言う
子どもがいる。フロイトという学者は、それを「自我論」を使って説明した。自我の強弱が、人間
の方向性を決めるのだ、と。たとえば……。
 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にする)、も
のの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)で、創造的(将来に向かって展望
をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断に従って行動
できる。
 反対に自我の弱い子どもは、物事に対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という言葉をよく口
にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、占いや手相にこ
る)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な行動が多くなる。たとえ
ばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。
 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、つかみ
どころが、はっきりとしている。生活力も旺盛(おうせい)で何かにつけ、前向きに伸びていく。
反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えているか分
からない子どもといった感じになる。
 その道のプロなら、子どもを見ただけで、その子どもの方向性を見抜くことができる。私だっ
てできる。しかし二〇年、三〇年とたつと、その方向性はだれの目から見てもわかるようにな
る。それが「結果」として表れてくるからだ。先のS氏にしても、(S氏自身にはそれがわからな
いかもしれないが)、今のS氏は、この三〇年間の生きざまの結果でしかない。
 帰り際、S氏は笑顔だけは昔のままで、「また会いましょう。おもしろい話を聞かせてください」
と言ったが、私は「はあ」と言っただけで、何も答えることができなかった。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(143)

こわい極端主義

 人類は過去、数一〇万年もの長い間、生きてきた。その間、親は代々、子どもを育ててき
た。その人類がいくら変わったといっても、ここ一〇〇年や二〇〇年の間に変わったと考える
ほうがおかしい。子育てもそうだ。いくら変わったといっても、ここ一〇〇年や二〇〇年の間に
変わったと考えるほうがおかしい。つまりもしだれかの子育て法をみて、「どこか不自然」と感じ
たら、その子育て法は疑ってみたほうがよい。
 たとえば少し前、Tヨットスクールという、これまたおかしな教育法を実践する団体があった。
当時の塾長は目下、刑事罰を受けているが、あれなどもその一例である。最近でも不登校児
やその親に向かって、はげしい罵声を浴びせかけて不登校をなおす(?)という人まで現れた。
私もその人の本を二冊読んでみたが、理論らしい理論がどこにもないのに驚いた。自身も非
行少女だったとかで、父親の目を盗んで車を無免許で運転していたとか……。そういうところ
から彼女の教育法を編み出した(?)ということらしいが、それ以上のことは書いてなかった。も
っとも私がもっている情報は、この二冊の本だけなので、ここでコメントすることはできない。ひ
ょっとしたら彼女の教育法は本当にすばらしい教育法なのかもしれない。あるいはそうでない
のかもしれない。しかしどこか不自然である。だいたいにおいて、「不登校をなおす」という言い
方がおかしい。不登校を悪と決めてかかっている。本当に不登校は、悪なのか? 正さなけれ
ばならないことなのか?
 話がそれそうなので、もとに戻すが、子育てで警戒しなければならないのが、極端主義であ
る。子育てというのは、どこか灰色のまま、何となくまあまあの状態でなされていくもの。白黒は
っきりさせるのも、ギスギスするのも、子育てではあまりよい結果は生まれない。そもそも人間
という生き物は、いいかげんな生き物なのだ。またそのいいかげんさがあるから、進化した。こ
こまで生き延びてくることができた。子どももまさにそうで、そのいいかげんさがあるから、その
中で羽をのばし、自分をのばすことができる。
 またまた話がそれそうなので、もとに戻す。要するに子育ては、『まじめ七割、いいかげんさ
三割』である。しかしこのことは別のところで書いたので、ここまでにしておく。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(144)

寸劇指導法

 具体性をともなわない指示は、子どもには意味がない。よい例が「友だちと仲よくするのです
よ」とか、「先生の話をよく聞くのですよ」とかなど。こういうことを言っても、言う親の気休め程度
の意味しかない。こういうときは、たとえば「これを○○君にもっていってあげてね。○○君は喜
ぶわ」とか、「今日、学校から帰ってきたら、終わりの会で先生が何と言ったか、あとでママに話
してね」と言いかえる。「交通事故に気をつけるのですよ」というのもそうだ。
 交通事故について話す前に、こんな例がある。その子ども(年長男児)は何度言っても、下水
溝の中に入って遊ぶのをやめなかった。母親が「汚いからダメ」と言っても、効果がなかった。
そこでその母親は、家庭排水がどこをどう通って、その下水溝に流れるかを説明した。近所の
家からはトイレの汚水も流れこんでいることを、順に歩きながらも見せた。子どもは相当ショッ
クを受けたようだったが、その日からその子どもは下水溝では遊ばなくなった。
 交通事故については、一度、寸劇をしてみせるとよい。私も授業の中で、ときどきこの寸劇を
してみせる。ダンボールで車をつくり、交通事故のありさまを迫真の演技でしてみせるのであ
る。……車がやってくる。子どもが角から飛び出す。車が子どもをはね飛ばす。子どもが苦し
みながら、あたりをころげまわる……と。気の弱い子どもだと、「こわい」と泣き出すかもしれな
いが、子どもの命を守るためと考えて、決して手を抜いてはいけない。迫真の演技であればあ
るほど、よい。たいてい一回の演技で、子どもはこりてしまい、以後道路へは飛び出さなくな
る。
 もしあなたの子どもが、何度注意しても同じ失敗を繰り返すというのであれば、一度、この寸
劇法を試してみるとよい。具体的であるがために、説得力もあり、子どももそれで納得する。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(145)

性格は化学反応

 子どもの性格は、環境によって大きな影響を受ける。ここにあげるのは、あくまでも一般論だ
が、たとえばつぎのようなものがある。
@ケチの長男、ズボラな二男……一般的に長男や長女は防衛に回ることが多く、そのためケ
チになりやすい。それに反して二男や二女は、モノにこだわらなくなり、気前よくなったり、ズボ
らになったりしやすい。
A男一人と、女一人は、ともに一人っ子……男の一人と、女の子一人の家庭では、ともに一人
っ子の性格をもちやすいことを言ったもの。ともにわがままで、社会性がなくなるなど。反対に
双子というのは、互いによい影響を受けやすく、社交的で活発になる。
B女二人は憎しみ相手……年齢の近い姉妹は、互いにはげしいライバルになりやすく、ばあ
いによっては、互いに憎しみあうことがある。私の知人の娘たちだが、一人の男性をとりあっ
て、まさに殺し合い寸前までのことをしたという。
C年上の姉と甘えん坊……年上のめんどうみのよい姉がいると、下の弟は、二人の母親をも
ったような状態になり、甘えん坊になりやすいことを言ったもの。
D足して二で割ると、平均児……兄弟や姉妹では、互いにできふでき、性格などが正反対にな
りやすいことがある。兄には神経質に手をかけすぎたり、反対に弟は放任したりすることなどに
よるが、そういうとき親はよくこう言う。「足して二で割れば、お互いに平均児なんですけどねエ」
と。
E年の近い姉は、男まさり……男の間でもまれて成長すると、女の子も男まさりになったりす
る。そのときでも、すぐ下に弟がいたりすると、さらに男まさりになったりする。いわゆる姉御(あ
ねご)タイプになりやすい。
F末っ子は甘えん坊……末っ子が甘えん坊になるのは、親側に、「この子が最後だ」という思
いが強いからである。そのため、どうしてもあれこれ手をかけてしまう。また親側にも、子育て
の余裕ができ、子どもをより広い包容力で包むことができる。そのため末っ子は甘えん坊にな
りやすい。つまり依存心がつきやすい。
Gまん中の子は、人なつっこい……兄弟や姉妹が三人以上いると、まん中の子どもは、愛情
不足から、人なつっこくなりやすい。しかしその反面、心を許さないという面もある。
H総領の甚六……長男や長女は、それだけ期待もされ、手もかけられて育つため、おっとりと
した性格になることを言ったもの。つまりそれだけできが悪くなることを言ったもの。
 これらは冒頭に書いたように、あくまでも一般論である。子どもというのも、置かれた環境の
中で、長い時間をかけて性格がつくられていく。そういう面はたしかに否定できない。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(146)

子どもの性質

 子どもにも生まれつきの性質というものがある。その一つが、敏感児と鈍感児(決して頭が鈍
感という意味ではない)。たとえばA子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだ
った。人前に出るとオドオドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはが
ゆく思っていた。そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してき
た。
 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この敏感児を
いうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体
の約三〇%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分
けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便
秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的
過敏児だった。
 このタイプの子どもは、@感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示
に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。A耐久性にもろく、ちょっとしたこと
で泣き出したり、キズついたりしやすい。B過敏であるがために、環境になじまず、不適応を起
こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん
息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。C症状は、一過性、反復性など、定型がない。そ
のときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎氏)。A子さん
のケースでも、A子さんは原因不明の発熱に悩まされていた。
  ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももい
る。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもっ
た子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心
にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっぱいを飲んでいるなら、ふざ
けていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせ
たりする。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場を
ごまかそうとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも
緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプ
と言ってよい。その子ども(年長児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がか
かってきた。「母親のおっぱいを飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせ
るとは、どういうことですか!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわから
ない。



子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(147)

伸びる子ども、伸び悩む子ども

「あなたはどんどん伸びる」「あなたはすばらしい子になる」と。そんな前向きな暗示が子どもを
伸ばす。実際、前向きに伸びていく子どもは、やや自信過剰なところがあり、挫折しても、それ
を乗り越えてさらに前に進んでいく力をもっている。そういう意味でも、この時期、とくに幼児期
から少年少女期にかけては、子どもはやや自信過剰なほうが、あとあとすばらしい子どもにな
る。
 反対に子どもの「力」をつぶしてしまう親がいる。力というより、伸びる芽をつんでしまう。過関
心や過干渉など。親はよく、「生まれつき……」という言葉を使うが、生まれつきそうであるかど
うかは、神様でもわからない。(それとも、あなたは赤ちゃんを見て、それがわかるというのだろ
うか?)そういう子どもにしたのは、親自身にほかならない。
そこで伸びる子どもと、そうでない子どもを分けると、つぎのようになる。
伸びる子ども……ものごとに攻撃的かつ積極的。「やる」「やりたい」という言葉が、子どもの口
からよく出る。現実感が強く、ものの考え方が実利的になる。頼れるのは自分だけというような
考え方をする。ほしいものがある。目の前にはお金がある。こういうときセルフコントロールが
でき、自分の行為にブレーキをかけることができる。自制心が強く、そのお金には手を出さな
い。将来性のある創造的な趣味をもつ。たとえば「お金をためて楽器を買う。その楽器でコンク
ールに出る」「友だちの誕生日のプレゼント用に、船の模型を作る」など。前向きに伸びようと
する。
伸び悩む子ども……ものごとに防衛的かつ消極的。「いやだ」「つまらない」という言葉が多い。
ものの考え方が非現実的になり、空想や神秘的なものにあこがれや期待を抱いたりする。一
時的な快楽を求める傾向が強く、趣味も退行的かつ非生産的。たとえば意味もないカードやお
もちゃをたくさん集める、など。もらった小遣いも、すぐ使ってしまう。衝動性が強くなり、ほしい
ものに対して、ブレーキをかけられない。盗んだお金で、ほしいものを買っても、欲望を満足さ
せたという喜びのほうが強く、悪いことをしたという意識がない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(148)

設計図タイプの親

 親が自分の子どもに夢や希望を託すのは、悪いことではない。それがあるから親は子どもを
育てる。子育てもまた楽しい。しかしそれが過剰になったとき、過剰期待となる。が、さらにそれ
が進んで、中には、あらかじめ設計図を用意し、その設計図に子どもをあてはめようとする親
がいる。「やさしくて思いやりのある、スポーツマンタイプの子ども」「高校はS高校で、大学はA
大学。将来は医師か弁護士」と。しかし……。
 設計図をもっている親は、独特の話し方をする。たとえばこんな言い方。「私はどこの高校で
もいいと思っていますが、うちの子はS高校へ入りたいと言っています。そんなわけで、どうかう
ちの子の希望をかなえさせてあげてください」と。そこで子ども自身に聞くと、「ぼくはどこでもい
いけど、お母さんがS高校でなくてはダメと言っている」と。
 あるいはこんなことを頼んできた親もいた。いよいよ娘(高三)が大学受験というときになった
ときのこと。私に「娘は地元の大学でないと困ります。私から言っても言うことを聞きませんの
で、先生、あなたのほうから説得してください。なお、私がこうして先生に頼んだことは内密に」
と。
 このタイプの親は、自分の頭のどこかに描いた設計図に合わせて、自分の子どもの外堀を
埋めるような形で、子どもをしばりあげていく。そして結果的に、自分の思いどおりの子どもを
つくろうとする。親にしてみれば、自分だけがそういう言い方をしていると思っているが、教える
側は無数の親と接している。そしてそういう親たちを類型化することができる。その一つが、こ
のタイプの親ということになる。
 子どもはたしかにあなたから生まれ、あなたの子どもかもしれないが、同時に、別個の人間
である。古い世代の人の中には、まだ子どもを「モノ」のように思っている人も多い。が、しかし
こうした意識は、きわめて原始的ですらある。もしあなたがここでいう設計図タイプの親なら、自
分自身の中の原始的な親子観を疑ってみたらよい。子どもはあなたの思いどおりにはならな
いし、ならなくて当たり前。またならなかったからといって、嘆くこともない。現に今、あなただっ
て、あなたの親の設計図どおりにはなっていないはずだ。だったら、自分の設計図を子どもに
当てはめないこと。もともと親子というのは、そういうもの。そういう視点で、自分の子育て観を
改める。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(149)

成長を喜ぶ

 あなたの子どもは、つぎの二つのうちのどちらだろうか。たとえば何か新しいことができるよう
になったとき、@うれしそうに、「見て、見て!」と、あなたのそばにやってくるだろうか。それとも
A新しいことができるようになっても、何も報告しないか、あるいはそれを隠すだろうか。
 @のようであれば、よし。しかしAのようであれば、あなたと子どもの関係は、かなり険悪な関
係にあるとみてよい。あるいはすでに断絶状態かもしれない。が、それだけではない。
 こんな家庭があった。その家は男ばかりの四人の子どもがいたが、どの子どもも、屈託がな
く、実に伸びやかであった。ふつうは下の子は「おさがり」をもらうのをいやがるものだが、その
家ではそうではなかった。母親が兄のズボンを下の子にはかせたりすると、下の子どもが、
「見て、見て」とあたりを走り回るのである。そこでその秘訣をさぐってみると、それは母親の言
葉にあった。母親はおさがりを下の子にはかせるとき、決まってこう言うのだ。「ほら、あんたも
お兄ちゃんのがはけるようになったわね。よかったわね」と。母親はそれを心底、喜んでみせて
いた。つまりこうした働きかけが、下の子をして、生き生きとさせていた。
 子どもを伸ばすということは、子ども自身が、自らの力で前向きに伸びていく力を支えるという
こと。よく「子どもを伸ばす」という言葉を使う人がいるが、子どもはゴムでも、あめ細工でもな
い。伸ばそうと思っても伸びるものではない。しかし子ども自身の力を使えば、それができる。
そして子どもをそういう方向にし向けることを、「伸ばす」という。
 その一つの方法が、「成長を喜ぶ」ということになる。子どもが何か新しいことができるように
なるたびに、あなたのところへやってきて、「見て、見て」と言う。そしてそれを見たあなたは、心
底喜んでみせる。こういうリズムが子どもを伸ばす。そうでなければそうでない。
 ではあなたという親子はどうだろうか。@のようだろうか、それともAのようだろうか。もう一
度、よく観察してみてほしい。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(150)

性は無

 私たちの世代では、男が遊び、女が遊ばれた。男はいつも加害者であり、女はいつも被害者
だった。しかし今は、違う。女が遊び、男が遊ばれる時代になった。とたえば小学低学年児に
ついて言えば、いじめられて泣かされるのが男、いじめて泣かすのが女と言う構図がすっかり
できあがっている。先日もある母親がそう相談してきた。「いつもうちの子(小一男児)が、Aさ
ん(小一女児)に叩かれています。どうかしてください」と。それがよいのか悪いのかという判断
は別にして、今はそういう時代なのだ。……私の時代では、男が女に泣かされるということ自
体、考えられなかったが……。
 性についても同じ。このポイント集を読んでいるのは、ほとんどが女性だから、私がこう書い
ても、多分反論はないと思う。「女性だから遊んではいけないというのは、偏見でしかない」と。
実際、非公式の調査だが、女性の約六〇%は、高校を卒業するまでに初体験をすませてい
る。もちろんそのため、トラブルは絶えない。妊娠、中絶の問題、さらには性病の問題ほか。し
かし私の結論はこうだ。「性に関しては、我、関せず」である。たとえば性体験をすると女生徒
でも、妙になまめかしくなる。Mさん(中二女子)もそうだ。筆箱の中に、電話番号を書いたメモ
を入れていたので、「これは何?」と声をかけると、肩をよじらせながら、「うふん……いいじゃ
〜ン」と。
 このMさんのケースでも、私は迷った。親に言うべきかどうかである。しかし結局は言わなか
った。確たる証拠があるわけではないし、言えば言ったで、それで私とMさんの信頼関係は消
える。いや、そのときも女房に相談すると、女房はこう言った。「あ〜あ、私も学生時代、もっと
遊んでおけばよかったア」と。だから私はますます、「我、関せず」を貫くようになった。
 所詮(しょせん)、性は無。考えようによっては、厳粛でもあるが、また考えようによっては、排
泄行為そのもの。問題にするのも、また問題にしないのも、どこかピントが合わない。もうこの
問題だけは、事務的に、性教育をしたり、避妊教育したりするしかない。止めようとしても止め
られるものではないし、もう私たちのコントロールできる範囲を超えている。いや、そのことはす
でにあなた自身が、一番よく知っていることかもしれない。この現象はすでに、もう二〇年近く
前から始まっていたからである。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(151)

世間体は子育てを見苦しくする

 今でも世間体を気にする人は多い。しかし世間体を気にすればするほど、それは他人の目
の中で生きることになる。そしてそれは同時に、自分の人生をムダにすることになる。
 生きる美しさというのは、いかにその人がその人らしい人生を送っているかで決まる。が、他
人の目の中で生きる人には、それがない。ないばかりか、皮肉なことに、はた(=世間)から見
ても、それほど見苦しい人生はない。私の知人に、こんな女性(七〇歳)がいる。ことあるごと
に「世間」という言葉を使う。「世間が笑う」「世間体が悪い」「世間が許さない」など。長くつづい
た封建時代の悪弊とも言える。あの江戸時代には、人々は、他人と変わったことをすることす
ら許されなかった。
 もっともこうした生きざまが、その人個人のものであれば、問題はない。が、こうしたものの考
え方が子育ての領域に入ってくると、話がかなりおかしくなる。ある母親は、毎朝、自分の娘
(高一)を車で駅まで送っていた。近所に娘の学校の制服を見られるのが恥ずかしいというの
が、その理由だった。あるいはこのH市では、市内のS進学高校に入れなかった子どもは、隣
町のB高校に入学するのが習わしになっているようなところがある。B高校は全寮制。S進学
高校に入れなかった子どもは、親のメンツのために(?)B高校へ進学する……ということらし
い。(もちろんそうでないケースも多いが……。)
 しかしそれですめばよいが、こうした親の生きざまは、やがて親子の間に深刻なキレツを入
れることになる。子どもというのは、「どんなことがあっても、親は私を守ってくれる」という安心
感があってはじめて、豊かな心をはぐくむことができる。親にしても、「どんなことがあっても、私
は子どもを支えます」というのが、真の愛情ということになる。もっと言えば、「世間が何と言おう
と、また世間が何と思おうと、私はあなたを守りますからね」という確たる信念が、親子のきず
なを深める。が、こうした生きざまは、子どもの側に疑念や不信感をもたせ、ついで、心に大き
なキズを入れることになる。たいていはそのまま親子の断絶へとつながっていく。
 「世間」という言葉が頭をかすめたら、すかさずこう思いなおしてみたらよい。「あなたはあな
たよ」と。たったこれだけのことだが、それであなたはあなたの子どもの心を守ることになる。親
子のきずなもそれで太くなる。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(152)

子どもは先手を取る

 子どもはウソとつかない……と書いても、今ではそう思う人は少ない。たとえば子どもというの
は、塾などをやめたくなっても、「やめたい」とは言わない。たいていはその塾の悪口を言い始
める。「先生がまじめに教えてくれない」「ふざけている」「眠っている」など。つまり親をして、「そ
んな塾ならやめなさい」と言うようにしむける。こんなことがあった。
 ある学校の先生が、その子ども(小四男児)に、こう言った。「君はほとんど宿題をやってこな
いが、今度宿題をやってこなかったら、親に言いつけるからな」と。先生は軽いおどしのつもり
でそう言っただけなのだが、その日からその子どもは家へ帰ると、さかんにその先生の悪口を
言うようになった。「えこひいきする」「ぼくだけ叱る」「授業中にものを投げつけた」など。やがて
親はその先生のことを、ひどい教師と思うようになったが、それこそその子どもの思うツボ。つ
まり子どもが先手を打ったことになる。
 こうした例は、たいへん多い。先生とて生身の人間だから、ときにはハメをはずして騒ぐこと
もある。失敗することもある。そういうことがすべていけないとなったら、先生とてこわくて授業そ
のものができなくなる。たとえば二〇〇二年の三月、北海道でこんな事件があった。何でもそ
の先生が、スキーの指導中に、「自殺するつもりですべれ!」と号令をかけたというのだ。しか
しこの言葉が大問題になった。なって、日本を代表するM新聞に載った。たしかにこの発言に
は問題はあるが、しかし全国のニュースになるほどの問題かというと、そうではない。逆に言う
と、こんな発言程度で全国のニュースになるとすると、学校の先生も、こわくて何も言えなくな
る。ますます萎縮する。先生が「自殺するつもりで」と言ったのは、「思いきって」という意味だっ
たのだろう。だれも本気にしないだろうし、本気にするほうがおかしい。私はこのニュースを読
んだとき、その前提として、教師と生徒の間の信頼関係が崩壊していたのではないかと思っ
た。信頼関係がしっかりしていれば、冗談は冗談ですんだはずである。あるいは冗談として処
理できたはずである。
 子どもを疑えということではないが、しかし信じ過ぎるのもよくない。よくないことは、現場の教
師なら、だれしも知っている。そのことを私は言いたかった。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(153)

先生と話すときは、わが子は他人 

 親と話していて、「うちではふつうです」「K塾では問題がありません」と言われることぐらい、会
話がしにくいことはない。たとえば、私「このところ元気がありませんが……」、母「家ではふつう
です」、私「どこかで無理をしていませんか」、母「K塾では問題なく、やっています」と。
 先生と話すときは、わが子でも他人と思うこと。そう思うことで、親は聞き上手になり、あなた
の知らない子どもの別の面を知ることができる。たとえば子どもが問題を起こしたりすると、ほ
とんどの親は、「うちの子にかぎって!」とか、「友だちに誘われただけ」とか言う。しかし大半
は、その子ども自身が主犯格(失礼!)とみてよい。子どもを疑えということではない。子どもと
いうのはそういうもので、問題を起こす子どもほど、親の前では自分を隠す。ごまかす。
 溺愛ママと呼ばれる母親ほど、親子の間にカベがない。一体化している。だから子どもに何
か問題が起きたりすると、母親は自分のこととして考えてしまう。先生に何か問題がありますな
どと言われたりすると、自分に問題があると言われたように思う。思うから、「子ども(私)には
問題はありません」となる。しかしこういう盲目性が強ければ強いほど、親は子どもの姿を見失
う。そして結果として、子どもの問題点を見逃してしまうことになる。
 先生というのは、学校の先生も塾の先生も限らず、子どもをほめるときには、本音でほめる。
しかし問題を指摘するときは、かなり遠慮がちに指摘する。つまり何か先生のほうから問題を
指摘されたときには、かなり大きな問題と思ってまちがいない。そういう謙虚さが、子どもの問
題を知るてがかりとなる。言いかえると、子育てじょうずな人というのは、一方で聞きじょうず。
自分のみならず、自分の子どもをいつも客観的にみようとする。会話をしていても、「先生の意
見ではどうですか?」「どうしたらいいでしょうか?」「先生はどう思いますか?」という言葉がよく
出てくる。そうでない人はそうでない。中には、「あんたはいらんこと、言わないでくれ」と言った
母親すらいた。しかしそう言われると、教師としてできることは、何もない。



子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(154)

先生とは距離を保つ

 先生という立場が特殊なのは、その間に「子ども」がいることによる。だからそのため当然、
ふつうの人間関係とは異なってくる。異なって当然。先生とて人間とはいえ、その特殊性を忘れ
ると、先生と子どもの関係そのものまで破壊することになりかねない。そこでいくつかの教訓。
(1)先生とは、淡く水のようにつきあう……子どものことは子どものこと、事務的なことは事務
的なこととして、淡々とすます。これは教師の側についても同じことで、互いに深入りは禁物。
個人的な相談ごとはタブー。家族の問題を相談するのもタブーということになる。受ける教師に
ついていうなら、親からの相談は、子どもの問題に関してのみとなる。
(2)先生の批判、批評はしない……子どものいる前ではもちろんのこと、ほかの父母とも、先
生の批判、批評はしない。中には「あなたどう思う?」と聞いてくる親がいるかもしれないが、相
槌を打つのも避ける。相槌を打てば打ったで、今度はあなたの言った言葉として広まってしま
う。もし先生に問題があるなら、そのときはそのときで、慎重にことをすすめる。教育は信頼関
係で成りたっている。その信頼関係を破壊すれば、教育そのものが崩壊する。
(3)一部の父母の動きに同調しない……父母といっても、いろいろな人がいる。八人まではま
ともでも、まともでない人(失礼!)も、一、二人は必ず、いる。そういう人の動きのウズに巻き
込まれると、それこそたいへんなことになる。現に今、私の近辺でも、「言った、言わない」がこ
じれて、親どうしが裁判所で争っているケースがある。子どもへの過関心が高じて、育児ノイロ
ーゼやうつ病になっている親はいくらでもいる。
(4)ひんぱんな相談は避ける……あなたから見れば一対一かもしれないが、先生からみると、
一対一ではすまない。「先生は私だけに関心がある」と思うのも、また「私だけに特別の関心を
もってほしい」と思うのも、この世界ではまちがい。先生というのは、本当に忙しい。たった一人
の子どもですらもてあましているあなたが、三〇人も押しつけて、しっかりめんどうをみろという
のも、身勝手ではないか。そういう視点からも、先生との間には距離を置く。
 教育、教育といいながら、その底流では親たちの醜い欲得がウズを巻いている。とくに受験
期の親たちはそうで、ひょっとしたらあなた自身もその中に巻き込まれてしるかもしれない。し
かしもしそうなら、今すぐ、そのウズの外に出たほうがよい。あなたの思い出を醜くするのみな
らず、親子の間に大きなキレツを入れることにもなりかねない。 



子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(155)

先生泣かせの二人衆

 先生にも得意な子ども、苦手な子どもというのがいる。ただその前提として、問題のない子ど
もというのは、教えやすいが、しかし教えやすい子どもを教えるのは、教育とは言わない。指導
という。教育が教育なのは、教えにくい子どもがいるからであり、またそういう子どもを教えるか
ら教育という。で、その苦手な子どもだが、多くの先生たちの意見を総合すると、つぎの二つに
集約される。
(1)抑えのきかない子ども……近年問題になっている、集中力欠如型多動性児(ADHD児)に
みられるように、抑えのきかない子ども。ほかに新しい現象として、イメージが乱舞する子ども
もいる。言うことなすこと、突飛もなく、言動がクルクルと目まぐるしく変わるなど。テレビやゲー
ムなどの映像文化の悪影響ではないかと私は思っているが、まだ「思っている」という段階の
話である。テレビやゲームは、右脳ばかり過度に刺激し、論理的な思考をするのをさまたげ
る。
(2)無気力な子ども……まさに笛吹けど踊らずといったタイプの子ども。先生が説明していると
きは、ただぼんやりとしているだけ。そして何かの作業に移ると、とたん、「わかんな〜イ」「でき
な〜イ」と。そして家へ帰ると、親には、「先生は何も説明してくれない」「わからないと言っても、
ぼくを無視した」などと訴える。もう一五年ほど前だが、ある幼稚園の先生に協力してもらい調
査したことがあるが、学習なら学習面だけで、とくに無気力になる子どもは、一〜二人はいるこ
とがわかった。さらに高校生についていうなら、進学高校のばあい、一年生で、約一〇%が燃
え尽き症候群に襲われていることがわかっている。
 原因はさまざまであり、またその対処のし方もさまざまである。しかしこうした問題で注意しな
ければならないことは、(親がそれをなおそうとして無理をする)→(子どもの状態がますます悪
くなる)の悪循環である。こうした悪循環を感じたら、一歩、二歩と、親のほうが引きさがる。も
っと言えば、あきらめる。まずいのは、「まだ何とかなる」という淡い希望をいだき、無理に無理
を重ねること。子どもは行き着くところまで行き着く。



子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(156)

先生は年上の子ども

 私はときどき、年少の子どもを年長の子どもの間に置いて、学習させることがある。たとえば
小学五年生の子どもを、中学生の間に座らせて勉強させるなど。しばらくの間はそれにとまど
うが、やがてそれになれてくると、子どもに変化が現れてくる。こんなことがあった。
 N君はどこかつっぱり始めたようなところがあった。目つきが鋭くなり、使う言葉が乱暴になる
など。そこで親と相談して、中学生の間に座らせてみることにした。で、それから数か月後、気
がついてみると、N君のつっぱり症状はウソのように消えていた。あとで母親に話を聞くと、こう
教えてくれた。N君の趣味はサッカー。その一緒にすわった中学生の中に、サッカー選手がい
たのだ。N君は毎回家へ帰ると、親たちにその中学生の話ばかりしていたという。それがよか
った。N君はいつしかその中学生をまねるようになり、勉強グセまでもらってしまった。母親はこ
う言った。「サッカーの試合があったりすると、こっそりと隠れて応援に行っていたようです」と。
 何が子どもに影響を与えるかといって、同年齢あるいはそれよりもやや上の子どもほど影響
をあたえるものはない。そこでもしあなたの周辺に、@一〜二歳年上で、Aめんどうみのよい
子どもがいたら、無理をしてでもよいから、その子どもと遊ばせるとよい。「無理をして」というの
は、親どうしが友だちになったり、仲よくしながらという意味である。あなたの子どもはその子ど
もの影響を受けて、すばらしい子どもになる。
 もちろん悪い友だちもいる。親はよく一方的に交際を制限したり、相手の子どもを責めたりす
るが、そうすればしたで、それは子どもに向っては、友を取るか、親を取るかの二者択一を迫
るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよいが、友を取ればその時点で親子の間に大
きなキレツを入れることになる。そういうときは、どこがどう悪いかだけを話し、あとは子どもの
判断に任せるようにする。
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子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(157)

友を責めるな、行為を責めよ

あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはどうするだ
ろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。こういうときの鉄
則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリスの格言だが、こういう
ことだ。
 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、子どもに、
「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればよ
し。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになる。友だちという
のは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろというのは、子どもの人格を
否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子どもは窮地に立た
される。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい。ではどうするか。
こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜ふかし
すれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」とか、など。コ
ツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判断させるようにしむける。
そしてあとは時を待つ。……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。そこ
で私はもう一歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友をほ
めろ』と。
 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そういう子ども
の性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子はユーモア
があっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっ
ていってあげてね」とか。そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わ
る。そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自
分を演ずるようになる。つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作する
わけだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。ただし一言。
 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいる。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。祭
で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調
べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケースは、よくある。自分の子どもを
疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。だからよ
けいに、友を責めても意味がない。何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、
と思わせるような、名格言である。



子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(158)

子どもの抵抗力

 怪しげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れがとれ
る、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰ってもらった。
 西洋医学では、「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」という
治療原則を打ち立てる。これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核菌に敗れ
たからだ」と考える。だから「体質を強化する」という治療原則を打ち立てる。人体に足りないも
のを補ったり、体質改善を試みたりする。これは病気の話だが、「悪」についても、同じように考
えることができる。私がたまたまその男の話に乗らなかったのは、私にはそれをはねのけるだ
けの抵抗力があったからにほかならない。
 子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に抵抗力
を養うという方法もある。たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚
えてくる。最初はささいな好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親はしかったり
する。で、さらにそのあと、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑を
はねのける子どももいる。東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らない
かは、抵抗力の問題」ということになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋
医学の本質はここにある。東洋医学はもともとは「病気になってから頼る医学」というよりは、
「病気になる前に頼る医学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と考えて
もよい。ではどうするか。
 子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味。つまり子どもには、
自分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもその時期は早ければ
早いほどよい。乳幼児期からでも、早すぎるということはない。自分で考えさせる時間を大切に
し、頭からガミガミと押しつける過干渉、子どもの側からみて、息が抜けない過関心、「私は親
だ」式の権威主義は避ける。暴力や威圧がよくないことは言うまでもない。「あなたはどう思
う?」「どうしたらいいの?」と。いつも問いかけながら、要は子どものリズムに合わせて「待
つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗力のある子どもにする。
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子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(159)

船頭は一人

 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができるのか。そ
の中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。
「お父さんの給料が少ないでしょう。だからお母さんは、苦労しているのよ」と。あるいは「お父さ
んは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうならないでね」と。母親としては
娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、母親から離れる。離れるだけならま
だしも、母親の指示に従わなくなる。
 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもらう。賢
い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そして船頭役は
母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。たとえば何か重要な決断を迫られた
ようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょうね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよ
う」)と言うなど。仮に意見の対立があっても、子どもの前ではしない。父、子どもに向かって、
「テレビを見ながら、ご飯を食べてはダメだ」母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。こういう会
話はまずい。こういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう援護する。「お父さん
がそう言っているから、そうしなさい」と。そして母親としての意見があるなら、子どものいないと
ころで調整する。子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いから
でしょう」と、まず子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、
子どものいないところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教育の大
原則。
 ある著名な教授がいる。数十万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中で、こう
書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会だ」と。しか
し夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子どもに見せて
はならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものばかり。
 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつくる。そ
ういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話しあう様であり、
いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。古いことを言うようだが、
そういう「様」が、子どもの中に染み込んでいてはじめて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築
き、よい家庭をもつことができる。欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の
最大の目標にしている。その第一歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。
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子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(160)

子どもの一芸論

 Sさん(中一)もT君(小三)も、勉強はまったくダメだったが、Sさんは、手芸で、T君は、スケ
ートで、それぞれ、自分を光らせていた。中に「勉強、一本!」という子どももいるが、このタイ
プの子どもは、一度勉強でつまずくと、あとは坂をころげ落ちるように、成績がさがる。そういう
ときのため、……というだけではないが、子どもには一芸をもたせる。この一芸が、子どもを側
面から支える。あるいはその一芸が、その子どもの身を立てることもある。
 M君は高校へ入るころから、不登校を繰り返し、やがて学校へはほとんど行かなくなってしま
った。そしてその間、時間をつぶすため、近くの公園でゴルフばかりしていた。が、一〇年後。
ひょっこり私の家にやってきて、こう言って私を驚かせた。「先生、ぼくのほうが先生より、お金
を稼いでいるよね」と。彼はゴルフのプロコーチになっていた。
 この一芸は作るものではなく、見つけるもの。親が無理に作ろうとしても、たいてい失敗する。
Eさん(二歳児)は、風呂に入っても、平気でお湯の中にもぐって遊んでいた。そこで母親が、
「水泳の才能があるのでは」と思い、水泳教室へ入れてみた。案の定、Eさんは水泳ですぐれ
た才能を見せ、中学二年のときには、全国大会に出場するまでに成長した。S君(年長児)も
そうだ。父親が新車を買ったときのこと。S君は車のスイッチに興味をもち、「これは何だ、これ
は何だ」と。そこで母親から私に相談があったので、私はS君にパソコンを買ってあげることを
勧めた。パソコンはスイッチのかたまりのようなものだ。その後S君は、小学三年生のころに
は、ベーシック言語を、中学一年生のころには、C言語をマスターするまでになった。
 この一芸。親は聖域と考えること。よく「成績がさがったから、(好きな)サッカーをやめさせ
る」と言う親がいる。しかし実際には、サッカーをやめさせればやめさせたで、成績は、もっとさ
がる。一芸というのは、そういうもの。ただし、テレビゲームがうまいとか、カードをたくさん集め
ているというのは、一芸ではない。ここでいう一芸というのは、集団の中で光り、かつ未来に向
かって創造的なものをいう。「創造的なもの」というのは、努力によって、技や内容が磨かれる
ものという意味である。そしてここが大切だが、子どもの中に一芸を見つけたら、時間とお金を
たっぷりとかける。そういう思いっきりのよさが、子どもの一芸を伸ばす。「誰が見ても、この分
野に関しては、あいつしかいない」という状態にする。子どもの立場で言うなら、「これだけは絶
対に人に負けない」という状態にする。
 一芸、つまり才能と言いかえてもいいが、その一芸を見つけるのは、乳幼児期から四、五歳
ごろまでが勝負。この時期、子どもがどんなことに興味をもち、どんなことをするかを静かに観
察する。それを判断するのも、家庭教育の大切な役目の一つである。  



子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(161)

残像症状

 「残像症状」という言葉は、私が考えた。たとえば子どもが何かの心の問題をもったとする。
赤ちゃんがえりなら赤ちゃんがえりでもよい。赤ちゃんがえりは、五〜六歳をピークに、この時
期を過ぎると急速に症状が消えていく。しかしそのあと「残像」のようなものが残る。後遺症とい
うような症状ではないが、しかし関係がないとは言えないような症状をいう。はっきりとした形で
残るときもあるが、別の形となって残るときもある。私はそれを勝手に「残像症状」と呼んでい
る。いろいろな残像症状がある。
 赤ちゃんがえり……幼児期に赤ちゃんがえりを経験した子どもは、気むずかしい、いじけや
すい、くじけやすい、意地っ張りになりやすいなど。形としてはわかりにくが、ほかにケチになり
やすい、意地悪、仮面をかぶる、よい子ぶる、さみしがり屋など。愛情への屈折した欲求不満
が、どこかすなおでない子ども像をつくる。
 分離不安……孤独に弱い、恐怖心をもちやすい、人なつっこい、心をいつわりやすい、相手
にあわせて行動する、人の心にとりいるなど。一度幼児期に分離不安になると、分離不安はい
ろいろな形であらわれてくる。ある妻は、夫の帰りが少し遅いだけで、極度の不安状態になっ
てしまう。あるいは夫が出張で家をあけたりすると、不安で不眠症にねっつぃまうなど。
 指しゃぶり……髪いじり、爪かみなどを総称して、代償的行為という。心を償うために代わり
にする行為と考えるとわかりやすい。つまり代償的行為をすることによって、子どもは不安定な
自分の情緒を安定させようとする。だからこうした行為を叱ったり、禁止しても意味がない。無
理にやめさせると、かえって子どもの情緒を不安定にする。で、こうした代償的行為は、おとな
にも見られる。これはベトナム戦争に行ったオーストラリアの友人から聞いた話だが、サイゴン
に帰ったオーストラリア兵は、皆、「女を買った」そうだ。しかしセックスが目的ではない。皆、女
性を買って、一番中、女性の乳首を吸っていたそうだ。戦争という極度の緊張状態に置かれた
兵隊たちは、そういう形で、自分の心をなぐさめた。
 こうした指しゃぶりは、おとなにもよく見られる。指の腹を吸う、なめるなど。ヘビースモーカー
の人は、よく「くちびるがさみしいからタバコを吸う」というが、それも代償的行為と考えてよい。
もともと情緒が不安定の人とみてよい。
 以上、おとなでも残像症状をもっている人はいくらでもいる。で、あなた自身はどうか。一度自
分を静かに観察してみるとおもしろい。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(162)

互いに別世界

 子育てには尺度がない。標準もなければ、平均もない。あるのは「自分」という尺度だけ。そう
いう意味では、親は独断と偏見の世界にハりやすい。こんなことがあった。S君(年中児)とい
う、これまたどうしようもないドラ息子がいた。自分勝手でわがまま。ゲームに負けただけで、机
を蹴っておおあばれしたりした。そこである日、私は母親にこう言った。「もっと家事を分担さ
せ、子どもをつかいなさい」と。が、母親はこう言った。「ちゃんとさせています!」と。そこで驚
いて、どんなことをさせていますかと聞くと、こう言った。「ちゃんと箸並べと靴並べをしてくれま
す」と。
 一方、こんな子どももいた。ある日道で通りかかると、Y君(年長男児)は、メモを片手に、町
の中を走り回っていた。父親は会社勤め、母親は洋品店を経営していた。だからこまかい仕事
は、すべてY君の仕事だった。が、ある日、私がそのことでY君をほめると、母親はこう言った。
「いいえ、先生。うちの子は何もしてくれないんですよ」と。
 箸並べや靴並べ程度でほめる親もいれば、家事のほとんどをさせながら、「何もしてくれな
い」とこぼす親もいる。たまたま同じ時期に私はS君とY君に接したので、その違いがよけいに
強烈に記憶に残った。つまり、互いに別世界。
 こうした例は幼児教育の世界では、実に多い。たとえばかなり能力的に遅れがある子どもで
も、「優秀な子ども」と親が誤解しているケースがある一方で、すばらしい能力をもっているにも
かかわらず、「うちの子はだめだ」と親が誤解しているケースなど。先日も、学校の勉強につい
ていくだけでもたいへんだろうな思われる子ども(小六女児)をもった親が、こう言った。「今度
学習内容が三割削減されるというが、うちの子はだいじょうぶか。学力がさがるのではないか
と心配だ」と。その母親は、「私立中学では今までどおり教えるというが、それは不公平だ。あ
なたのところその三割を補充してほしい」と言ったが、こうしたおめでたさ(失礼!)は、多かれ
少なかれ、どの親ももっている。それはというもの、結局は、互いに別世界に住んでいるからに
ほかならない。互いにもう少し風通しがよければ、こうした誤解は防げるのだが……。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(163)

たくましさは緊急時にわかる

 やさしさ……ブランコを横取りされたとき、ニコニコ笑いながら、黙って明け渡すような子ども
を、「やさしい子ども」と誤解している人がいる。しかしそういう子どもを、やさしい子どもとは言
わない。やさしい子どもというのは、相手を喜ばすことを知っている子どもをいう。ある男の子
(年長男児)は幼稚園でみかけると、いつもだれかを三輪車に乗せ、それを押していた。で、あ
る日、私が「たまには君が押してもらってはどう?」と聞くと、その子どもはこう言った。「ぼくはこ
のほうが楽しいもん」と。そういう子どもをやさしい子どもという。
 まじめ……言われたことをきちんとする子どもを、「まじめな子」と誤解している人がいる。従
順で、すなおな子どもを、だ。しかしこれも誤解。まじめな子どもというのは、自らを律する力を
もっている子どもをいう。こんな子ども(小三女児)がいた。バス停でたまたま出あったので、
「ジュースを買ってあげようか」と声をかけたときのこと。その子どもはこう言った。「これから家
でごはんを食べますからいいです」と。こういう子どもをまじめな子どもという。
 がまん……サッカーならサッカーを一日しているから、がまん強いということにはならない。そ
の子どもは好きなことをしているだけ。子どもにとって、がまんとは、いやなことをする力のこと
をいう。たとえば台所の生ゴミを手で始末するなど。おばあさんの吐いたものを、タオルでぬぐ
ってあげていた子ども(年長女児)がいたが、そういう子どもをがまん強い子どもという。
 すなお……心の状態と顔の表情が一致している子どもをすなおな子どもという。あるいは、い
じけ、ひがみ、つっぱり、がんこなど、心のゆがみのない子どもをすなおな子どもという。子ども
は、おとなもそうだが、心がゆがんでくると、心の状態と表情が一致しなくなる。これを心理学
の世界では、「遊離」と呼んでいる。こうした遊離は、たいへん危険なものである。親からすれ
ば、「何を考えているか、わけのわからない子ども」ということになる。子どもはその表情の裏
で、心をゆがめる。
 最後に、たくましさ……子どものたくましさは、緊急時をみて判断する。けんかが強いとか、そ
ういうことではない。ある子ども(年長男児)は、急用で家をあけなければならなくなったとき、食
事の世話、戸締り、消灯など、さらには妹の世話まで、すべてをひとりでやりこなした。こういう
子どもをたくましい子どもという。母親は「やらせればできるものですねえ」と笑っていた。
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子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(164)

ただより高いものはない

 昔から『ただより高いものはない』という。教育の世界ほどそうで、とくに受験勉強のような「き
わもの」は、割り切ってプロに任せたほうがよい。実のところ、私も若いころ、受験塾の講師も
したことがあるが、身内や親戚、あるいは親しい知人の子どもについては、引き受けなかっ
た。理由はいくつかある。
 まず受験勉強ほど、その子どものプライバシーに切り込むものはない。学校での成績を知る
ということは、そういうことをいう。つぎに成績があがればよいが、そうでなければ、たいていは
人間関係そのものまでおかしくなる。ばあいによっては、うらまれる。さらに身内や親類となる
と、そこに「甘え」が生じ、この甘えが、金銭関係をルーズにする。私もある時期、遠い親戚の
子ども(小二のときから中二まで)預かったことがあるが、最後は月謝といっても、ほとんどただ
に近いものだった。しかし最初こそ感謝されても、半年、一年とたつと、それが当たり前になっ
てしまう。が、本当の問題は、これだけではない。
 受験指導というが、子どもの側からみると、「しごき」以外の何ものでもない。子どもの側で考
えてみれば、それがわかる。勉強がしたくて勉強する子どもなど、いない。偏差値はどうだ、順
位はどうだ、希望校はどこだとやっているうちに、子どもの心はどんどんと離れていく。私もある
時期、ほんの数年前までだが、受験期の子どもについては、無料で(本当に無料で!)、七月
から一一月ごろまで、ほとんど毎晩部屋を開放して受験指導をしたことがある。夜七時から一
一時ごろまで、である。教えたといっても、ときどき顔を出し、勉強の進みぐあいをみたり、わか
らないところを教えた程度だが、しかし率直に言えば、親に感謝されたことはあっても、子ども
に感謝されたことは一度もなかった。受験勉強というのは、もともとそういうもの。「教育」という
名前を使う人もいるが、受験指導は指導であって、教育ではない。もともと豊かな人間関係が
育つ土壌など、どこにもない。
 そこで本論。中に子どもの受験勉強を、親類や知人に頼む人がいる。そのほうが安いだろう
とか、ていねいにみてもらえるだろうとか考えてそうするが、実際には、冒頭に書いたように、
ただより高いものはない。相手がプロなら、成績がさがれば、「クビ!」と言うこともできるが、
親類や知人ではそういうわけにもいかない。ズルズルしている間に、あっという間に受験期は
過ぎてしまう。そんなわけで教訓。受験勉強は、多少お金を出しても、その道のプロに任せた
ほうがよい。結局はそのほうが安全だし、長い目で見て、安あがりになる。
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子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(165)

未来を楽しみにさせる

 『未来をおどさない』は大鉄則だが、これを裏がえしていうと、『未来を楽しみにさせる』という
ことになる。たとえば幼稚園への入園を迎えるころには、「幼稚園は楽しい」「先生はいい人」
「あなたは先生にほめられる」など、そのつど前向きに暗示をかける。まちがっても、「幼稚園
はこわい」式の暗示をかけてはいけない。一人、こんなことを言う母親がいた。「幼稚園では、
一〇数えるうちに服を着られないと、先生に怒られる。先生はママと違ってこわいわよ」と。あ
るいは「幼稚園では先生の言うことを聞かないと、叱られる」と。その母親は子どもに緊張感を
もたせるためにそう言ったのかもしれないが、子どもによっては、まさに逆効果。しかもこの時
期、一度未来に対して不安をいだくようになると、それがそのまま一つの思考回路となって残
り、子どもはいつも未来に対して不安をいだくようになる。そうなればなったで、家庭教育の大
失敗というもの。
 ところで集団生活が苦手になるかどうかは、子どもがはじめて集団に触れたときの印象で決
まる。これは私が入園式のときの子どもの様子を観察していて発見したことであるが、その瞬
間、心を解放してワーッと集団に溶け込めた子どもは、そのまま集団に溶け込むことができ
る。が、そのとき、ある種の緊張感に包まれた子どもは、その緊張感を克服するのにかなりの
時間がかかる。中にはその緊張感がいつまでも続いたり、あるいはそれが原因で情緒が不安
定になる子どもがいる。そういう意味でも、その「はじめの一歩」を大切にする。無理をしない。
無理強いをしない。無理を押しつけない。そっと子どもを包むようなおおらかさで、少しずつ集
団に溶け込ませるようにする。中に「わがまま」とか、「気のせい」とか言う親がいるが、これは
誤解である。とくに乳児期から親とのマンツーマンで育てられたような子どもほど、注意する。こ
のタイプの子どもは、外の世界に対して、免疫性がないので、最初の段階で失敗しやすい。
 方法としては、徐々に子どもの心をもりあげていくようにする。「あなたは服を早く着られるか
ら、先生にほめられるわよ」「友だちがたくさん待っているよ」と。そしていよいよ当日に近づい
たら、あたかもピクニックか何かでも行くような雰囲気にする。こうして子どもの緊張感をすっか
り取っておく。
 ともかくも、子どもの未来はおどさない。その一語に尽きる。



子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(166)

旅は歩く

 私はときどき旅先で絵を描く。すると当然のことだが、その描いた絵のシーンは、強烈に印象
に残る。
 同じように、私はできるだけ旅先では歩くようにしている。いや、それが私たちの世代にとって
は、ごくふつうのことだった。が、車の発達とともに、それが変わってきた。今ではほんの近くに
行くのにさえ、車を利用する。行動半径はそれだけ広くなったが、その分だけ記憶の密度が薄
くなった……? もっともこれは個人の趣味の問題だから、私がとやかく言うものではないかも
しれない。『旅は歩け』というのは、オーストラリアの友人が口グセのように言っていた言葉だ
が、しかしもしあなたが子どもと旅をするなら、歩いたほうがよい。健康にもよい。記憶にも残
る。親子の旅なら、親子のきずなを太くする。こんなことがあった。
 私は息子たちとよく、行き当たりばったりの「冒険旅行」をした。目的地を決めないで、そのつ
どそこからつぎの目的地をさがして行くという旅行だった。その旅行でのこと。ある田舎町の夜
遅く着いたのだが、どこをさがしてもホテルがなかった。「パパ、だいじょうぶ?」「だいじょうぶ
だ」と、互いに励ましあいながら、寒くて暗い夜道を一緒に歩いた。数時間あちこちを息子たち
とさまよい歩いたと思うが、それが今、思い出すと、たまらなくなつかしい。息子たちにはどんな
印象で残っているかは知らないが、二男はその数年後、北海道をひとり旅をしているし、三男
は、無類の旅行好きになった。さらに高校に入ると、二男も三男も、ワンゲル部や山岳部に入
部している。心のどこかで、子どものときにしたあの冒険旅行が、生きているのかもしれない。
 が、この哲学(哲学と言えるほどのものかどうかはわからないが……)は、そのまま人生に
も、そして子育てにも通用する。もっと言えば、生きることそのものが、「歩く」ことに象徴され
る。特急のグリーン車に乗っていくような人生もあるだろうが、人生の意味は、そこにどれだけ
の濃密なドラマがあるかによって決まる。オーストラリアの友人は、『旅は歩け』と言ったが、そ
れは『人生は歩け』、『子育ては歩け』という意味にもとれる。そんなことも考えながら、あなたも
どこかで旅をするようなときがあったら、歩いてみてほしい。まわりの景色がかなり違って見え
るはずである。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(167)

恩を着せない

 依存心というのは、相互的なもの。「産んでやった」「育ててやった」と親は子どもに恩を着せ
る。子どもに依存する。一方子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と恩を着せ
られる。親に依存する。
 こうした依存型の人間は、万事に「甘い」。ある子ども(小五女児)はこう言った。「明日の遠
足は休むと、学校の先生に連絡したの?」と私が聞くと、「今日、足が痛いと言ったから、先生
はわかってくれているはずだ」と。そこでまた私が、「休むなら休むで、しっかりと連絡したほう
がいいんじゃないの?」と言うと、「先生はわかってくれているからいい」と。
 このタイプの子どもは、「だから何とかしてくれ」言葉をよく使う。たとえば何か食べたいとき
も、「食べたい」とは言わない。「おなかがすいたア、(だから何とかしてくれ!)」というような言
い方をする。「先生、おしっこオ、(だから何とかしてくれ!)」というのもそうだ。日本語の特徴と
いうことにもなるが、言いかえると、日本人はそれくらい依存心の強い国民ということになる。長
くつづいた封建時代の中で、骨のズイまで、自由(自らに由る力)を奪われたためと考えてよ
い。
 子どもばかりではない。おとなでも依存心の強い人は多い。たとえばこのタイプの人は、相手
の中にスキを見るのがうまい。そしてスキがあると、「なっ、いいじゃないか……」というような言
い方をしながら、とことんそのスキにつけ入ってくる。あるいは「貸しがある」と感ずる相手に
は、とことん甘える。
 一方、自立心の旺盛な子どもは、攻撃的にものごとに取り組む。生きざまそのものが攻撃的
で、前向き。このことについては前にも書いたので、問題はそのつぎ、つまりどうすれば自立心
の旺盛な子どもにすることができるか、である。が、この問題は、冒頭にも書いたように相互的
なもの。子どもに自立心をもってほしかったら、親自身が自立しなければならない。が、たいて
いは親自身に、その自覚がない。親自身が「甘え」の中にどっぷりつかっているため、自分が
依存型の人間であることに気づかないことが多い。あるいは反対に、依存的であることを、む
しろ美化してしまう。よい例が、森進一が歌う『おふくろさん』である。大のおとなが、夜空を見あ
げながら、「ママ〜」と涙をこぼす民族は、世界広しといえども、それほどない。そういう歌が、
国民的な支持を受けているということ自体、日本人が依存性の強い国民であることを示してい
る。
 子育ての目標は、子どもを自立させること。そのためにもまずあなた自身が自立する。その
第一歩として、子どもには恩を着せない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(168)

反面教師

 反面教師という言葉がある。できの悪い教師をもった生徒が、そのできの悪さを見ながらか
えって成長するということをいったものだが、これはそのまま「親」にも当てはまる。いろいろな
親がいたが、その中でもとくに印象に残っているのが、K君(高一)だった。彼は現役で医学部
に推薦入学で入ったほどの能力をもっていたが、あとでK君の家を見て驚いた。家といっても、
駐車場の奥の一室だけ。ベニヤ板で二つに分けただけの部屋だった。しかも母親はいない。
父親はアル中で、毎晩のように酒を飲み、ときにはK君に暴力を振るっていたという。
 こういう極端な例は少ないとしても、あなたの身のまわりにも、似たような話はあるはずだ。た
とえばH君。彼は中学を卒業するころ、父親とおおげんか。そのまま家出。一二年ほど音信が
なかったが、その一二年目のこと。一級建築士の免許をとって実家へ帰ってきたという。大検
で高卒の資格をとり、鉄工場に勤めながら免許を取得した。その彼の父親も、とても「親」と言
えるような親ではなかった。もう一人の娘がいたが、娘の貯金通帳を盗み、勝手にお金を引き
出してしまったこともある。
 K君もH君も、こうした親をもったがゆえに、それをバネとして前に伸びたわけだが、だからと
いってそういう環境が好ましいということにはならない。第一、皆が皆、伸びるわけではない。失
敗する可能性のほうが、はるかに高い。それに「教師」と言いながら、反面教師をもったがため
に、心に大きなキズをのこすこともある。ふつう不安定な家庭環境に育つと、子どもの情緒は
不安定になり、それが転じて、いろいろな神経症を引き起こすことが知られている。ひどくなる
と、それが情緒障害や精神障害になることもある。私も「温かい家庭」へのあこがれは強いも
のの、実際のところそれがどういうものか、よく知らなかった。戦後の混乱期のことで、私の親
にしても食べていくだけで精一杯。家族旅行など、小学六年生になるまで、一度しかなかった。
その上私の父はアル中で、数日おきに酒を飲んで暴れた。そのためか今でも、何か心配ごと
が重なったりすると、極度の不安状態になったりする。しかしこういうことは、本来あってはいけ
ない。また子どもにそういうキズをつけてはいけない。たとえそれでその子どもが、俗にいう「立
派な子ども」になったとしても、だ。
 もう一つこんな例もある。高校生のとき、古文の教師の声が小さく、聞き取ることができなか
った。それで古文の勉強は、自分ですることにした。結果、私はほとんどの古文を全集で読み
きるほどまで古文が好きになった。そういう反面教師もいる。これはあくまでも余談だが……。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(169)
 
母親が一番保守的?

 本来、地位や名誉、肩書きとは無縁のはずの、いわゆるステイ・アト・ホーム・ワイフ(専業主
婦)、略してSAHWが、一番保守的というのは、実に皮肉なことだ。この母親たちが、もっとも肩
書きや地位にこだわる。子供向けの同じワークブックでも、四色刷りの豪華なカバーで、「○○
大学××教授監修」と書かれたものほど、よく売れる。中身はほとんど関係ない。中身はほと
んど見ない。見ても、ぱっと見た目の編集部分だけ。子どものレベルで、子どもの立場で見る
母親は、まずいない。たいていの親は、つぎのような基準でワークブックを選ぶ。
(1)信用のおける出版社かどうか……大手の出版社なら安心する。
(2)権威はどうか……大学の教授名などがあれば安心する。
(3)見た目の印象はどうか……デザイン、体裁がよいワークブックは子どもにやりやすいと思
う。
(4)レベルはどうか……パラパラとめくってみて、レベルが高ければ高いほど、密度がこけれ
ばこいほど、よいと考える。中にはぎっしりと文字がつまったワークブックほど、割安と考える親
もいる。
 しかしこういうことは大手の出版社では、すでにすべて計算ずみ。親たちの心理を知り尽くし
た上で、ワークブックを制作する。が、ここに書いた(1)〜(4)がすべて、ウソであるから恐ろし
い。大手の出版社ほど、制作は下請け会社のプロダクションに任す。そしてほとんど内容がで
きあがったところで、適当な教授さがしをし、その教授の名前を載せる。この世界、肩書きや地
位を切り売りしても、みじんも恥じないようなインチキ教授はいくらでもいる。出版社にしても、
ほしいのは、その教授の「力」ではなく、「肩書き」なのだ。
 今でもときどき、テカテカの紙で、鉛筆では文字も書けないようなワークブックをときどき見か
ける。また問題がぎっしりとつまっていて、計算はおろか、式すら書けないワークブックも多い。
さらにおとなが考えてもわからないような難解な問題ばかりのワークブックもある。見た目には
よいかもしれないが、こういうワークブックを子どもに押しつけて、「うちの子はどうして勉強しな
いのかしら」は、ない。
 私も長い間、ワークブックの制作にかかわってきたが、結論はひとつ。かなり進歩的と思わ
れる親でも、こと子どもの教育となると、保守的。むしろ進歩的であることを、「そうは言っても
ですねエ……」とはねのけてしまう。しかしこの母親たちが変わらないかぎり、日本の教育は変
わらない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(170)

父親は母親がつくる

 こう書くと、すぐ「男尊女卑思想だ」と言う人がいる。しかしもしあなたという読者が、男性な
ら、私は反対のことを書く。
 あなたが母親なら、父親をたてる。そして子どもに向かっては、「あなたのお父さんはすばらし
い人よ」「お父さんは私たちのために、仕事を一生懸命にしてくれているのよ」と言う。そういう
語りかけがあってはじめて、子どもは自分の中に父親像をつくることができる。もちろんあなた
が父親なら、反対に母親をたてる。「平等」というのは、互いに高次元な立場で認めあうことを
いう。まちがっても、互いをけなしてはいけない。中に、こんなことを言う母親がいる。
 「あなたのお父さんの稼ぎが悪いから、お母さん(私)は苦労するのよ」とか、「お父さんは会
社で、ただの倉庫番よ」とか。母親としては子どもを自分の味方にしたいがためにそう言うのか
もしれないが、言えば言ったで、子どもはやがて親の指示に従わなくなる。そうでなくてもむず
かしいのが、子育て。父親と母親の心がバラバラで、どうして子育てができるというのか。こん
な子どもがいた。男を男とも思わないというか、頭から男をバカにしている女の子(小四)だっ
た。M子という名前だった。相手が男とみると、とたんに、「あんたはダメね」式の言葉をはくの
だ。男まさりというより、男そのものを軽蔑していた。もちろんおとなの男もである。そこでそれ
となく聞いてみると、母親はある宗教団体の幹部、学校でもPTAの副会長をしていた。一方父
親は、地元のタクシー会社に勤めていたが、同じ宗教団体の中では、「末端」と呼ばれるただ
の信徒だった。どこかぼーっとした、風采のあがらない人だった。そういった関係がそのまま家
族の中でも反映されていたらしい。
 で、それから二〇年あまり。その女の子のうわさを聞いたが、何度見合いをしても、結婚には
至らないという。まわりの人の意見では、「Mさんは、きつい人だから」とのこと。私はそれを聞
いて、「なるほど」と思った。「あのMさんに合う夫をさがすのは、むずかしいだろうな」とも。
 子どもはあなたという親を見ながら、自分の親像をつくる。だから今、夫婦というのがどういう
ものなのか。父親や母親というのがどういうものなのか、それをはっきりと子どもに示しておか
ねばならない。示すだけでは足りない。子どもの心に染み込ませておかねばならない。そういう
意味で、父親は母親をたて、母親は父親をたてる。



子育て ONE POINT アドバイス! By はやし浩司(171)

知識はメッキ

 私も法律の勉強を、五年間もした。私にとっては、おもしろくない勉強だった。いくつかの資格
はとったが、卒業後、その資格を生かしたことはただの一度もない。で、それから三〇年。同
窓会に出て、法曹の道に進んだ仲間と話しても、会話がうまくかみあわない。つまりそれだけ
「法律」とは遠ざかってしまったということ。専門用語を忘れてしまったということもある。では、
私の法律の勉強がムダだったのかというと、そうでもない。ものの考え方というか、論理的に思
考を積み重ねていくクセだけは残った。反対によく雑誌などで他人の教育論を読んだりする
が、ときどきあまりの論理性のなさに、驚くことがある。中には感情論だけで教育論を組み立て
ている人がいる。つまりそういうことがわかるということは、やはり私が法律の勉強をしたため
とみてよい。
 あのアインシュタイン(一八七九〜一九五五、ドイツの物理学者)は、こう言っている。「教育と
は、学校で習ったことをすべて忘れ去ったあとに残っているものをいう」(「教育について」)と。
学校で習ったことを忘れたからといって、教育がムダだったということにはならない。むしろ「忘
れる」ことを理由に、教育を否定する人のほうが、問題だ。……と言っても、知識教育をそのま
ま肯定することもできない。知識そのものは、生きるための武器であり、ないよりはあったほう
がよい。しかし知識が多いからといって、アインシュタインが言うところの、「あとに残っているも
の」になるとは限らない。大切なのは、その中身であり、思考プロセスということになる。
 こうした前提で、子どもの教育を考えると、教育がどうあるべきかがわかってくる。たとえばこ
んなことがある。中学生に教えているとき、その子どもがもっている能力のほんの少し先の問
題を出してみると、ただ「できない」「わからない」「まだ習ってない」とこぼし、自分では考えよう
ともしない子どもがいる。が、反対にあちこちテキストを見ながら、調べ始める子どもいる。この
時点で重要なことは、「その問題が解ける、解けない」ということではない。「解くためにどのよう
な思考プロセスを働かすか」ということである。もちろん「できない」とこぼす子どもより、調べだ
す子どものほうがすばらしい。またそういう方向に子どもを導くのが、教育ということになる。
 教えられてできるようになるのが、知識教育。しかしそれで得た知識は、メッキのようなもの。
時間がたてば、必ずはげる。しかし思考プロセスは残る。残ってあらゆる場面で、それが働くよ
うになる。たとえば私のことだが、先に書いたように、いつもものごとを論理的に考えるクセだ
けは残った。こういった文章を書くについても、あいまいな言い方だけはしていないつもりであ
る。あいまいなことは書かないというよりも、書く前に筆を止めてしまう。自分なりに結論が出た
部分のみを書くようにしている。それが私が学生時代に受けた「教育」ということになる。
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(172)



知能は胸に問え

 教育の世界には、はっきりとわからなくてもよいことは山のようにある。その一つが、「子ども
の知能」。この問題は親の、つまりあなた自身の遺伝子にも深くかかわっている。そのため問
題にしてもほとんど意味がない。あなたが「うちの子は頭がいい」と思うなら、それはそれでよい
し、「悪い」と思うなら、それもそれでよい。要するに、遺伝子の問題は、あなたの胸に聞けばよ
い。が、反対の問題もある。胸に聞こうとしない親もいるということ。
 四月の新学期になって、一組の夫婦が私のところにやってきた。そしてこう言った。「どうして
もうちの子を、S高校へ入れたいが、ついてはその指導をしてくれるか」と。そこで私はとりあえ
ず一時間だけその子どもを教えてみることにした。が、能力的にかなり問題があった。まじめ
はまじめだが、ひらめきや鋭さがまるでなかった。言われたことを従順にやりこなすだけで、そ
れをはずれた問題になると、思考そのものが停止してしまう。小学校の勉強では、このタイプ
の子どもはそこそこの成績を取るかもしれないが、中学校ではそういうわけにはいかない。い
わんやS高校とは!
 数日後私は、FAXで、「引き受けられない」という内容の断りの手紙を出した。ていねいに書
いたつもりだったが、その直後、父親から猛烈な怒りの電話がかかってきた。いわく、「君は、
うちの子ではS高校は無理だと言うのか! 失敬ではないか!」と。私は「ご期待にそえる指導
はできません」と書いたのだが、それは「親の期待に」という意味で書いた。もっとも父親にそう
怒鳴られたとき、「そのとおりです」と言いそうになったが、それは言わなかった。
 こうしたケースは、本当に多い。もう少し自分の子どものことがわかっていれば……というケ
ースである。いやほとんどの親は、「私の子どものことは、私が一番よく知っている」と思いつ
つ、実のところ、ほとんど知らない。そんなわけで、あなたも一度、自分の胸に静かに問うてみ
てほしい。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(173)

長男は外に出す

 子育てでむずかしいのが、長男、長女。親側に、とまどいや不安があり、それが原因でどうし
ても子育てが神経質になりやすい。昔は経験豊かな祖父母がそばにいて、子育てを指導してく
れたが、今では核家族が当たり前。仮にそばにいたとしても、こうまで急速に価値観が変化す
ると、互いに理解しあうことすらままならない。そこで親の孤立化が一挙に進む。この孤立化
が、ますます子育てを神経質なものにする。
 ……というだけではないが、長男、長女を育てるには、特別のコツが必要ということになる。
そのひとつが、長男、長女は、できるだけ外へ出すこと。(もっともこの文章を読むころには、た
いていは手遅れかもしれないが……。)はやく保育園や幼稚園へやれということではない。機
会があれば、近所や親類づきあいを多くし、そのつきあいの中に子どもを巻き込んでいく。ま
ずいのは、隔離された世界だけで、マンツーマンの育て方をすること。その親子を包むカベだ
けがどんどんと厚くなり、やがて風通しが悪くなる。一度こういう状態になると、子育てが極端化
する。同じ過保護でも、極端な過保護になったり、過干渉でも、極端な過干渉になったりする。
 要するに風通しをよくするということ。そのために長男、長女はできるだけ外に出す。ほかに
もいろいろあるが、こんなことにも注意するとよい。
 よく知られた現象に、「赤ちゃんがえり」というのがある。下の子どもが生まれたことにより、上
の子どもが本能的な嫉妬心から、赤ちゃんぽくなったり、反対に下の子どもを親に隠れて虐待
するようになったりする。この赤ちゃんがえりは一度、こじれると、そのあと、子どもの情緒をた
いへん不安定にする。
 この赤ちゃんがえりを防ぐためには、下の子を妊娠したときから、上の子どもに下の子ども
の出産を楽しみにさせるようにし向ける。まずいのは、ある日突然下の子が生まれたというよう
な状態にすること。嫉妬心というのは、原始的であるがゆえに、扱い方をまちがえると、子ども
でも心まで狂う。ほかにもいろいろあるが、それについては別のところで書く。
 


子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(174)

直接話法より、間接話法

 英語の文法の話ではない。これは子どもとの会話のコツ。たとえば子どもが指をしゃぶって
いたとする。そのとき、「指しゃぶりをやめなさい!」と言うのが、直接話法。しかし「あなたの
指、おいしそうね。先生にもなめさせて」と言うのが、間接話法。
 間接話法にすると、言葉のトゲトゲしさが消え、その分会話がまるくなる。ほかにたとえば、
「座っていないさ!」というのは、直接話法、「パンツにウンチがついているなら、立っていてい
い」というのが、間接話法。「字をきれいに書きなさい!」というのは、直接話法、「前よりきれい
に書けるようになったね。これからもっときれいに書けるよ」というのは間接話法。これはほめ
るときにも応用できる。
 たとえば子どもをほめるとき、子どもに「あなたはいい子だね」とほめるのが直接話法、子ど
もの聞こえるところで、だれかほかの人に、「うちの子はすばらしい子よ」というのが、間接話
法。ただしこの方法は、いやみのためには使ってはいけない。子どもの聞こえるところで、「○
○さんは、もうカタカナが書けるそうよ」とか、「あの△△さんは、いい子だから、そんなことはし
ないわね」とか、など。こうした言い方は、子どもには卑怯に聞こえる。(子どもでなくても、そう
だが……。)
 叱るときも、「どうしてそんなことをするの!」というのが直接話法、「あなたともあろう子がどう
してこんなことするの?」というのが間接話法。「もっといい点を取りなさい」というのが直接話
法、「今回は調子が悪かったのね。つぎはだいじょうぶよ」というのが間接話法。そういえばつ
ぎの会話も、直接話法と間接話法ということになる。
 英語では、日本人なら「がんばれ!」と言いそうなとき、「テイク・イット・イージィ」という。「気楽
にしなよ」「気楽にやりなよ」という意味。たとえばテストの点が悪くて落ち込んでいるようなと
き、そう言う。で、不思議なもので、そう言われると、かえってやる気が出てくる。あなたも一度、
この間接話法を子どもにためしてみたらどうだろうか。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(175)

使えば使うほどよい子

「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。
 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や
根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。
 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、スポ
イルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこで私が、「君
は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教えてくれた。「とき
どきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけない。シャワーを
浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。つまり、「日本の
子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう
言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だ
けはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。
@ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜ば
せるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思いど
おりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が皆
の中心にいないと、気がすまない。Aものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目
標を定めることができず、目標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつ
けては、目標を放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣その
ものがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費
的な行動が多くなる。Bものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が
強い割には、自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。C
バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動するこ
とができない、など。
あなたの子どもをドラ息子、ドラ娘にしたくなかったら、とにかく使うこと。それ以外にあなたの
子どもをよい子にする方法はない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(176)

ドラ息子症候群

 ドラ息子かどうかは、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後でわかるようになる。し
かし一度この時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ド
ラ息子、ドラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原
因があるからである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する
前に、叱って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか
言って、それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくって
しまう。
 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛
だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」
と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん
が捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お
父さんがいるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だち
の家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小六女児)がいた。話を聞くと、「トイレが汚れ
ていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしないためにも、子ども
にはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、この
しつけはできなくなる。
 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け
てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き
なことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。こ
んな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお
ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、
こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ
るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。
 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして
も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える
力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき
ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(177)

家庭の緊張感に巻き込む

 子どもをドラ息子にしないためには、子どもを使う。もう少し具体的には、子どもを家庭の緊
張感に巻き込む。が、親が寝そべってテレビを見ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。
子どもを使うということは、親がキビキビと動き回り、子どももそれに合わせて、すべきことをす
ることをいう。たとえば……。
 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども
が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし
見て見ぬフリをしたり、そのままゲームに夢中になっていたりすれば、あなたの子どもはかなり
のドラ息子、ドラ娘とみてよい。今は体も小さく、あなたの保護のもとでおとなしくしているかもし
れないが、やはてあなたの手に負えなくなる。
 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ
ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の
草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと
をいう。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わったら、
食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さらに
食器を食器棚へしまわせる、など。また何をどれだけさせればよいという問題でもない。
 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。@生活感の
ある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなうこ
とをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困るの
だ」という意識をもたせる。A質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。B忍耐力をつ
けさせるため、家事の分担をさせる。C生活のルールを守らせる。D不自由であることが、生
活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、Eバランスのある生活に心がけ
る。
 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある
いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって
いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ
ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。
子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを
忘れてはならない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(178)

子どもの疲れは、神経疲れ

 子どもが「疲れた」と言うときは、神経疲れ(精神疲労)を疑う。この段階で、吐く息が臭くなっ
たり、顔色が悪くなったりする、腹痛や頭痛を訴えることもある。一方、子どもというのは、体力
や知力を使って疲れるということは、まずない。そういうときは、「眠い」という。あるいは本当に
眠ってしまう。
その神経疲れだが、子どもは、この神経疲れにたいへんもろい。それこそ五〜一〇分だけで
も神経をつかっただけで、子どもによっては、ヘトヘトに疲れてしまう。とくに敏感児タイプの子
ども、つまり俗にいう神経質な子どもは、神経疲れを起こしやすい。このタイプの子どもは、い
つも心が緊張状態にあることが知られている。その緊張した状態のところに不安が入ると、そ
の不安を解消しようと一挙に緊張感が高まる。このとき、その緊張感を外へ吐き出すタイプ(暴
れる、大声を出す、泣く)と、内へこめるタイプ(ぐずる、引きこもる、がまんする、よい子ぶる)
に分かれる。前者をプラス型というのなら、後者はマイナス型ということになる。教える側からす
れば、一見プラス型のほうがあつかいにくくみえるが、実際にはマイナス型のほうが、はるかに
むずかしい。
どちらのタイプであるにせよ、子どもが神経疲れを起こしたら、子どもの側からみて、だれの視
線も感じないような環境を用意する。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子ども
がひとりで、ぼんやりできるようにする。生活習慣が乱れても、目をつぶり、子どもがしたいよう
にさせる。子どもが求めるようであれば、温かいスキンシップをじゅうぶん与え、あとはカルシウ
ム分やマグネシウム分の多い食生活にこころがける。
こうした神経疲れが慢性化すると、子どもは神経症(チック、どもり、夜尿、夜驚、夢中遊行な
ど)、さらには恐怖症(対人恐怖症、集団恐怖症など)や、情緒不安定症状を示すようになり、
それが高じて精神障害(摂食障害、回避性障害、行動障害など)になることがある。もちろん不
登校の原因になることもあるので注意する。
 
 

子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(179)

机は休む場所

学習机は、勉強するためにあるのではない。休むためにある。どんな勉強でも、しばらくすると
疲れてくる。問題はその疲れたとき。そのとき子どもがその机の前に座ったまま休むことがで
きれば、よし。そうでなければ子どもは、学習机から離れる。勉強というのは一度中断すると、
なかなかもとに戻らない。
 そこであなたの子どもと学習机の相性テスト。子どもの好きそうな食べ物を、そっと学習机の
上に置いてみてほしい。そのとき子どもがそのまま机の前に座ってそれを食べれば、よし。もし
その食べ物を別のところに移して食べるようであれば、相性はかなり悪いとみる。反対に自分
の好きなことを、何でも自分の机に持っていってするようであれば、相性は合っているというこ
とになる。相性の悪い机を長く使っていると、勉強嫌いの原因ともなりかねない。
 学習机というと、前に棚のある棚式の机が主流になっている。しかし棚式の机は長く使ってい
ると圧迫感が生まれる。日本人は机を暗い壁に向けて置く習性があるが、このばあいも、長く
使っていると圧迫感が生まれる。数か月程度なら問題ないかもしれないが、一年二年となる
と、弊害が現れてくる。
で、その棚式の机だが、もう一五年ほども前になるが、小学一年生について調査したことがあ
る。結果、棚式の机のばあい、購入後三か月で約八〇%の子どもが物置にしていることがわ
かった。最近の机にはいろいろな機能がついているが、子どもを一時的にひきつける効果は
あるかもしれないが、あくまでも一時的。そんなわけで机は買うとしても、棚のない平机をすす
める。あるいは低学年児のばあい、机はまだいらない。たいていの子どもは台所のテーブルな
どを利用して勉強している。この時期は勉強を意識するのではなく、「勉強は楽しい」という思い
を育てる。親子のふれあいを大切にする。子どもに向かっては、「勉強しなさい」と命令するの
ではなく、「一緒にやろうか?」と話しかけるなど。これを動機づけというが、こうした動機づけを
この時期は大切にする。
 


子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(180)

机を置くポイント

学習机にはいくつかのポイントがある。
@机の前には、できるだけ広い空間を用意する。 
A棚や本棚など、圧迫感のあるものは背中側に配置する。
B座った位置からドアが見えるようにする。C光は左側からくるようにする(右利き児のばあ
い)。
Dイスは広く、たいらなもの。かためのイスで、机と同じ高さのひじかけがあるとよい。
E窓に向けて机を置くというのが一般的だが、あまり見晴らしがよすぎると、気が散って勉強で
きないということもあるので注意する。
 机の前に広い空間があると、開放感が生まれる。またドアが背中側にあると、心理的に落ち
つかないことがわかっている。意外と盲点なのが、イス。深々としたイスはかえって疲れる。ひ
じかけがあると、作業が格段と楽になる。ひじかけがないと、腕を机の上に置こうとするため、
どうしても体が前かがみになり、姿勢が悪くなる。中に全体が前に倒れるようになっているイス
がある。確かに勉強するときは能率があがるかもしれないが、このタイプのイスでは体を休め
ることができない。
 さらに学習机をどこに置くかだが、子どもが学校から帰ってきたら、どこでどのようにして体を
休めるかを観察してみるとよい。好きなマンガなどを、どこで読んでいるかをみるのもよい。た
いていは台所のイスとか、居間のソファの上だが、もしそうであれば、思い切って、そういうとこ
ろを勉強場所にしてみるという手もある。子どもは進んで勉強するようになるかもしれない。
 ものごとには相性というものがある。子どもの勉強をみるときは、何かにつけ、その相性を大
切にする。相性が合えば、子どもは進んで勉強するようになる。相性が合わなければ、子ども
は何かにつけ、逃げ腰になる。無理をすれば、子どもの学習意欲そのものをつぶしてしまうこ
ともあるので注意する。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(181)

依存性

 だれしも、多かれ少なかれ何かに依存しながら生きている。生きていることは、その依存する
ものがなくなったときにわかる。たとえば夫や妻をなくしてガタガタになる人。仕事や地位をなく
してガタガタになる人。お金や財産をなくしてガタガタになる人。宗教から離れたためにガタガタ
になる人もいる。 
 人は何かに依存することによって、自らを裏から支える。支えながら、強がって生きる。それ
自体は悪いことではないが、問題はその依存する相手と、そしてその程度だ。たとえば子ども
に依存する親というのは珍しくない。私はこのことを、依存心の強い子どもを調べていくうちに
気がついた。子どもが依存心が強いのではない。その親が依存心が強いから、子どももまた
依存心が強くなる……。言いかえると、子どもの依存心ばかりを問題にしても意味がない。
 子育ての目標は子どもを自立させること。この原則にたちかえるなら、親の依存心は、それ
が強ければ強いほど、この自立を妨げることになる。どうせ依存するなら、……というような乱
暴なことは言いたくないが、しかしどうせ依存するなら、子どもではなく、もっと別のものにしたら
よい。仕事とか、名誉とか、ボランティア活動とか、はたまた政治活動とか、など。しかしこれら
でも、本当にその人を裏から支えることができるかどうかということになると疑わしい。依存する
なら自分自身。子どもも含めて、自分以外のものには依存しない。名誉や肩書き、地位など、
バーチャルなものや、物や財産など、「形」あるものにも依存しない。……と言っても、ここから
先は、あくまでも理想論だが、できれば自分自身の深い人間性や、知性、理性に依存するとい
う方法もある。(私自身も本来ガタガタな人間であり、自分でもできないようなことを、こうしてこ
こに書くのは本当におこがましいことだが……。)そういうものに依存すれば、「なくす」というこ
とがないから、それこそ死ぬまで強がって生きることができる。いや、いろいろな人を見てきた
が、本当に強い人というのは、そういう人をいう。
 ……と書いて、ときどき私はどうなるのだろうと考える。もし私から健康がなくなり、女房が先
に死に、おまけに私が書いた本がつぎつぎと古紙回収業の人に回されたら……。そのときでも
私は自分の人間性に自信をもち、それに依存して生きていくことができるだろうか。いや、残念
ながら、その自信はまったくない。実のところ、こうして「依存心」について書きながら、もう一人
の自分が別のところで、「何を偉そうに!」と、先ほどからずっと叫んでいる。だからこの話はこ
こで止める。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(182)

つらいときが子育て

 時の流れというのは、不思議なものだ。風のようなもので、どこからともなくやってきて、また
どこかへと去っていく。手でつかんだと思っても、指の間からそのまま漏れていく……。
 日々、平穏かつ無事に生きていくことは、それ自体すばらしいことだ。が、皮肉なことに、そう
いう人生からは何も生まれない。何も残らない。たとえば私の近所に小さな空き地があり、そこ
は老人たちのかっこうの集まり場所になっている。天気のよい日になると、何かをするでもな
し、しないでもなし、老人たちは一日中何やらイスに座って話し込んでいる。のどかな光景だ
が、そういう人生にどれほどの意味があるというのだろうか。多分話している話の内容も、エン
ドレスにつづくムダな話ばかり。それをただひたすら繰り返しているだけ……?
 子育てもまたそうで、子どもに問題もなく、何ごともなく過ぎていくことはすばらしいことだ。だ
れしも自分の子育てがそうであることを願う。しかしこんなこともある。
 はじめて園児を保育園や幼稚園へ連れてくるような母親というのは、確かに若くてきれいだ。
しかしどこか薄っぺらく(失礼!)、中身がない(失礼!)。しかしそんな親でもやがて子育てで
苦労をするうちに、やがて腰が低くなり、人間的なまるみができてくる。親が子どもを育てるの
ではない。子どもが親を育てる。もっとも親自身がそれに気づくのは、子どもがほとんど巣立つ
ころになってからだが、しかしそれがそのまま子育ての結論であり、人生の結論ではないの
か。
 今も私の脳裏には、多くの親たちの姿が浮かんでは消える。交通事故で長男をなくしたEさ
ん、脳腫瘍でやはり長男をなくしたPさん、ドクターに息子の生涯の精神障害を宣告されたGさ
ん、など。こういうことは人生の中ではあってはいけないことだが、しかしどの人も今、神々しい
ほど美しく輝いていて。街ですれ違っても声をかけることができないほどの崇高さを感ずる。そ
んなことも心のどこかに置いておくと、あなたはひょっとしたら、ほんの少しだけだが、時の流れ
を手の中でつかむことができるかもしれない。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(183)

できの悪い子どもほど、かわいい

 昔から、『できの悪い子どもほど、かわいい』という。それはその通りで、できのよい子どもほ
ど、自分で勝手に成長していく。……成長してしまう。そのためどうしても親子の情が薄くなる。
しかしできの悪い子は、そうではない。
 I君(小二)は、そのできの悪い子どもだった。言葉の発達もおくれ、その年齢になっても、文
字や数にほとんど興味を示さなかった。I君の父親は心やさしい人だったが、学習面でI君に無
理を強いた。しかしそれがかえって逆効果。(無理をする)→(逃げる)→(もっと無理をする)の
悪循環の中 で、I君はますます勉強から遠ざかっていった。
 時に父親はI君をはげしく叱った。あるいは脅した。「こんなことでは、勉強におくれてしまうぞ」
と。そのたびにI君は、涙をポロポロとこぼしながら、父親にあやまった。一方、父親は父親で、
そういうI君を見ながら、はがゆさと切なさで身を焦がした。「泣きながら私の胸に飛び込んでき
てくれれば、どれほど私も気が楽になることか。叱れば叱るほど、Iの気持ちが遠ざかっていく
のがわかった。それがまた、私にはつらかった」と。
 このI君のケースでは、母親がおだやかでやさしい人だったのが幸いした。父親が暴走しそう
になると、間に入って父親とI君の間を調整した。母親はこう言った。「主人は主人なりに息子の
ことを心配して、そういう行動に出るのですね。息子もそれがわかっているから、つらがるので
しょう」と。形こそ多少いびつだが、それも親の愛。子どものできが悪いがゆえに燃えあがる、
親の愛。その父親が私を食事に誘ってくれた。私はその席で意を決して、父親にこう告げた。
「お父さん、もうあきらめましょう。お父さんががんばればがんばるほど、I君は、ますます勉強
から遠ざかっていきます。心がゆがむかもしれません。しかし今ならまだ間にあいます。あきら
めて、I君の好きなようにさせましょう」と。
 そのとき父親の箸をもつ手が、小刻みに震えるのを、私は見た。「先生、そうはおっしゃる
が、このままでは息子は、ダメになってしまいます」「しかしI君の顔から、笑顔が消えたら、どう
しますか」「私は嫌われてもいい。嫌われるぐらいですむなら、がまんできます。しかしこのまま
息子が、落ちこぼれていくのには耐えられません」「落ちこぼれる? 何から落ちこぼれるので
すか」「先生は、他人の子どもだから、そういうふうに言うことができる」「他人の子ども? 実は
私はその問題で、一〇年以上も悩んだのです。自分の子ども、他人の子ども、ということでね。
しかし今は、もうありません。今は、そういう区別をしていません」
 いかに子どものできが悪くても、子ども自身がもつ生命力さえ残っていれば、必ずその子ども
は自立する。そして何一〇年後かには、心豊かな家庭を築くことができる。しかし親があせっ
て、その生命力までつぶしてしまうと、ことは簡単ではない。一生ナヨナヨとした人間になってし
まう。立ちなおるということは、たいへん難しい。I君はそのとき、その瀬戸ぎわにいた。(はやし
浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(184)

今を生きる

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結
局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけま
せん」と教えている。
 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がい
る。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入
るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未
来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。い
つまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会
へ出てからも、そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしま
う。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。
 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽らずに
生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高校
生が自殺に追いこまれるという映画である。この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて
疲れる』という生き方の、正反対の位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論の
ある人もいるかもしれない。しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映る
のは、「今」という現実であって、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、
心の中だけ。だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではな
いのか。子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そ
ういう子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切では
ないのか。
 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」とい
うことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、そのつどな
すべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。たとえば私は生徒たちに
は、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。それでいい。結果はあとか
らついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に追い求めたら、君たちの人
生は、見苦しくなる」と。
 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子
どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では「がんばれ!」と拍車
をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。ごくふつうの日常
会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その
違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわからないのではないか……
と、私は心配する。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(185)

てこずったら、抱く

 子どもの心の問題で、何か行きづまりを感じたら、子どもは抱いてみる。ぐずったり、泣いた
り、だだをこねたりするようなときである。「何かおかしい」とか、「わけがわからない」と感じたと
きも、やさしく抱いてみる。しばらくは抵抗する様子を見せるかもしれないが、やがて収まる。
と、同時に、子どもの情緒(心)も安定する。
ところが、だ。こんなショッキングな報告もある(二〇〇〇年)。抱こうとしても抱かれない子ども
が、四分の一もいるというのだ。
「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒
否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・保育研
究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。
報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が三
三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が二割前後
見られ、調査した六項目の平均で二五%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固
い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で二〇%の赤ちゃんから報告されたという。
さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放
されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。
また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を
使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。
 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)二
〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不
足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。
 赤ちゃんは抱かれるものという常識は、どうも常識ではないようだ。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(186)

手乗り文鳥は子育てをしない

 つい先日、一三年をともにした手乗り文鳥が死んだ。私は高校一年生のときからずっと、文
長を飼っているが、もうその文鳥を最後にすることにした。私も五四歳になったから、これから
は生き物を飼うのは慎重にしたい。
 で、その手乗り文鳥だが、私の飼い方が悪いためなのかもしれないが、卵を抱いてヒナをか
えすところまでは、何とかする。……できる。しかしそのあと、手乗り文鳥は子育てをしない。自
分のヒナを見て逃げまわるのもいた。
 子育ては本能でできるようになるのではなく、学習によってできるようになる。つまり親に育て
られたという経験があって、自分が親になったとき、自分でも子育てができるようになる。この
ことを裏づける事実として、一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができな
い。知能の高い動物ほどそうで、いわんや人間をや。言いかえると、もしあなたがあなたの子
どもにいつか、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っているなら、幸せな家庭とはどういう
ものか。心豊かな家庭というのはどういうものか。それを今、しっかりと子どもに見せておかね
ばならない。いや、見せるだけでは足りない。子どもの体にしっかりと染みこませておかねばな
らない。そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは自分が親になったとき、自然な形で
子育てができるようになる。
 ……ただ、だからといって、不幸にして不幸な家庭に育った人は、よい家庭を築けないと言っ
ているのではない。人間のばあい、近隣の人や親戚の人の子育てを見たり聞いたりすることに
よって、いろいろな子育てを模擬体験できる。本や映画を通して学習することもできる。しかし
ふつうの人よりは苦労することは否定できない。このタイプの人は、「いい家庭をつくろう」「いい
親子関係をつくろう」という気負いがどうしても強くなり、その気負いが強いため、どこかギクシ
ャクした家庭や親子関係をつくりやすい。そういう心配はあるが、しかし問題は、そういう過去
があることではなく、そういう過去に気がつかないまま、振り回されることである。そしていつも
同じ失敗を繰り返すことである。これがこわい。
 子育てをするときは、いつも自分の過去をみる。「自分はどうだったか」「自分の生まれ育っ
た環境はどうだったか」と。それが結局は自分を知ることになるし、子育ての失敗を防ぐことに
なる。一度あなたも自分の過去を冷静に見つめてみたらどうだろうか。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(187)

行き着くところまで行く

 子どもの心に何か問題が起きたとする。するとたいていの親は、それをなおそうとする。「ま
だ何とかなる」「そんなはずはない」と考える。が、原因が自分にあると考える親は、まずいな
い。しかも心の問題は外からは見えないため、これまたほんとどの親は、「気のせいだ」「心は
気のもちようだ」と軽く考える。しかしこうした誤解が、やがて悪循環を招き、少しずつだが時間
をかけて、にっちもさっちもいかなくなる。
 S君(年長児)の症状は、軽いチックではじまった。そこで母親はそれを何度となくうるさく注意
した。が、チックはやがて階段をのぼるようにトントンと悪化した。症状も大きくなり、複数のチ
ックを同時に併発するようになった。母親はますます子どもを叱った。しかしこれがまずかっ
た。S君は真夜中に、はげしいけいれん状のチックを繰り返すようになった。一度は救急車ま
で呼んだ。しかし親は、自分に原因があるとは決して思わなかった。R君の母親は、見るから
に神経質そうな母親だった。話し方もせっかちで、人の話をまったく聞こうとしなかった。
 やがてS君と母親はお決まりの病院めぐり。あちこちで検査を受けては落胆したり、一抹の
希望をもったりした。S君が幼稚園へ行きたくないと言い出すと、それはますますエスカレートし
た。が、病院めぐりをすればするほど、S君の症状は悪化した。母親はあとになってこう言っ
た。「あのまま不登校児になったらどうしようと、そればかりが心配でした」と。が、結局S君は
そのまま不登校児になった。一年生のときも、二年生のときも、ほとんど学校へは行かなかっ
た。私にも相談があったので、「三か月は何も言ってはいけません。S君の好きなようにさせな
さい」と言ったが、母親にしてみれば、一か月だって長い。そのつど学校へS君をひっぱってい
った。さらに病院めぐりをするようになると、もう私のアドバイスなど聞かなかった。こうなると、
私としては指導の方法はない。さらに病院で処方される「わけのわからない薬」を飲むようにな
ると、S君の症状は一時的には快方に向かったが、しかしそれはあくまでも一時的。そのあと
薬の反作用で、症状はますますわけのわからないものになっていった。
 ……というような話はいくらでもある。親というのは、結局は行き着くところまで自分で行くしか
ない。冷たい言い方だが、これは子育てにまつわる宿命のようなもの。その途中で私のような
ものがいくらアドバイスしても、意味がない。指導する側にしてみれば、そういうむなしさがいつ
もついて回る。これもやはり宿命のようなもの。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(188)

三つの依存心

 日本ではよく、「人はひとりでは生きていかれない」と言う。それはそのとおりで、人はいつも
何かに依存しながら生きている。「私は自由人だ」「私は天涯孤独だ」「私はだれにも頼らず生
きている」と言う人ですら、何かに依存して生きている。
 で、その依存するものだが、人によって、大きくつぎの三つに分けられる。@ものやお金な
ど、「形」に依存する人、A地位や肩書き、学歴や家柄など、バーチャルなものに依存する人、
そしてB自分自身に依存する人、である。
 よく財産や仕事をなくしてガタガタになる人や、宗教から離れてガタガタになる人がいる。これ
らの人は、つまるところ「自分を離れたもの」に依存するから、そうなる。……、いや、だからと
いって、ガタガタになるのが悪いというのではない。だれしも、それぞれの分野で、ある程度は
依存している。宝くじですらそうだ。買ったときには、「当たれば……」とだれしも思い、ハズれた
ときには、だれしもがっかりする。しかし自分を本当に強くするには、自分自身に依存するしか
ない。「私」という「自分」なら、私を裏切らない。私を去ることもない。
 そこで「自分」とは何かということになる。もっと言えば、「自分が依存し、その一方で自分を支
える自分」は、何かということになる。その一つのヒントとして、私にはこんな経験がある。もう一
五年近くも前のことだが、私はある雑誌で、あるカルト教団を批判したことがある。が、その直
後からものすごい抗議の嵐。私たち夫婦は、「地獄へ落ちる」とか、「夜道を歩くときは気をつ
けろ」と毎日のようにおどされた。そして事実、私たちは何か得体のしれないものにおびえた。
が、それがきっかけで、そのカルト教団についての本を五冊も書くことになってしまった。(もち
ろんペンネームで、だが。)しかしその結果、そのカルト教団が、ご多分にもれず、まったくのイ
ンチキ教団だとわかった。とたん、恐怖感がウソのように消えた。自分に依存するというのはそ
ういうことをいうのではないか。
自分自身の深い人間性や、知性、理性に依存する。どうせ依存するなら、そうする。そのため
に自分自身をみがく。それはまさに自分との戦いといってもよい。かく言う私だって、そんな偉
そうなことは言えない。今ですらガタガタだ。この先、たとえば女房に先だたれるとか、家計が
崩壊するとか、あるいは事故や病気になったりして、いつガタガタになるか知れない。そういう
不安はいつもついて回る。だから「戦い」ということになる。そういう意味では、「自分に依存して
生きる」ということは、それ自体たいへんなことだ。ああ、私だって、頼れる神や仏がいれば、
今すぐ頼りたい。しかしそれをしればしたで、私にとっては、まさに人生の敗北でしかない。だ
からやはり戦うしかない。
 以上、子育てをする上で、一つのヒントになれば幸いである。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(189)

子どものゲーム

小学生の低学年は、「遊戯王」。高学年から中学生は、「マジック・ザ・ギャザリング(通称、マジ
ギャザ)」。遊戯王について言えば、小学三年生で、約二五%以上の男児がハマっている(二
〇〇〇年一一月、小三児五三名中一三名、浜松市内)。ある日、一人の子ども(小三男児)
が、こう教えてくれた。「ブルーアイズを三枚集めて、融合させる。融合させるためには、融合カ
ードを使う。そうすればアルティメットドラゴンをフィールドに出せる。それに巨大化をつけると、
攻撃力が九〇〇〇になる」と。子どもの言ったことをそのままここに書いたが、さっぱり意味が
わからない。基本的にはカードどうしを戦わせるゲームだと思えばよい。戦いは、勝ったほうが
相手のカードを取る「カケ勝負」と、取らない「カケなし勝負」とがある。カードは、一パック五枚
入りで、一五〇円から三三〇円程度で販売されている。「アルティメット入りのパックは、値段
が高い」そうだ。
 あのポケモン世代が、小学校の高学年から中学一、二年になった。そこで当時ハマった子ど
もたち何人かに、「その後」を聞くと、いろいろ話してくれた。M君(中二)いわく、「今はマジギャ
ザだ。少し前までは、遊戯王だったけどね」と。カード(一五枚で五〇〇円。デパートやおもちゃ
屋で販売。遊戯王は、五枚で二〇〇円)は、一〇〇〇枚近く集めたそうだ。マジギャザというの
は、基本的にはポケモンカードと同じような遊び方をするゲームのことだと思えばよい。ただ内
容は高度になっている。私も一時間ほど教えてもらったが、正直言ってよくわからない。要する
に、ポケモンカードから遊戯王、さらにその遊戯王からマジギャザへと、子どもたちの遊びが移
っているということ。カードを戦わせながら遊ぶという点では、共通している。
 わかりやすく言えばポケモン世代が、思考回路だけはそのままで、体だけが大きくなったとい
うこと。いや、「思考回路」と言えばまだ聞こえはよいが、その中身は中毒。カード中毒。この中
毒性がこわい。だから一万枚もカードを集めたりする。一枚のカードに四万円も払ったりする!
 親たちは子どもの世界に、もう少し慎重であってもよいのではないのか。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(190)

子どもをダシに金儲け

 以前、「たまごっち」というゲームが全盛期のころのこと。あのわけのわからない生き物が死
んだだけで大泣きする子どもはいくらでもいた。東京には、死んだたまごっちを供養する寺まで
現れた。ウソや冗談でしているのではない。本気だ。中には北海道からやってきて、涙をこぼし
ながら供養している二〇歳代の女性までいた(NHK「電脳の果て」九七年一二月二八日放
送)。そういうゲームにハマっている子どもに向かって、「これは生き物ではない。ただの電気
の信号だ」と話しても、彼らには理解できない。が、たかがゲームと笑ってはいけない。その少
しあと、ミイラ化した死体を、「生きている」とがんばったカルト教団が現れた。この教団の教祖
はその後逮捕され、今も裁判は継続中だが、もともと生きていない「電子の生物」を死んだと思
い込む子どもと、「ミイラ化した死体」を生きていると思い込むその教団の信者は、方向性こそ
逆だが、その思考回路は同じとみる。あるいはどこがどう違うというのか。ゲームには、そうい
う危険な面も隠されている。
 で、浜松市内の中学一年生について調べたところ、男子の約半数がマジギャザと遊戯王に、
多かれ少なかれハマっているのがわかった。一人が平均約一〇〇〇枚のカードを持ってい
る。中には一万枚も持っている子どももいる。マジギャザはもともとアメリカで生まれたゲーム
で、そのためアメリカバージョン、フランスバージョン、さらに中国バージョンもある。カード数が
多いのは、そのため。「フランス語版は質がよくて、プレミヤのついたカードは、四万円。印刷ミ
スのも、四万円の価値がある」と。さらにこのカードをつかって、別のカケをしたり、大会で賞品
集めをすることもあるという。「大会で勝つと、新しいカードをたくさんもらえる」とのこと。「優勝
するのは、たいてい二〇歳以上のおとなばかりだよ」とも。
 子どもをダシにした金儲けは、この不況下でも、大盛況。カードの販売だけで、年間一〇〇
億円から二〇〇億円の市場になっているという(経済誌)。しかしこれはあくまでも表の数字。
闇から闇へと動いているお金はその数倍はあるとみてよい。たとえば今、「融合カード」は、発
売中止になっている(注)。子どもたちがそのカードを手に入れるためには、交換するか、友だ
ちから買うしかない。希少価値がある分だけ、値段も高い。しかも、だ。子どもたちは自分の意
思というよりは、おとなたちの醜い商魂に操られるまま、そうしている。しかしこんなことが子ど
もの世界で、許されてよいのか。野放しになってよいのか。
(注)この原稿を書いた二〇〇一年はじめには発売中止になっていたが、二〇〇一年の終わ
りには再び発売されているとのこと。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(191)

ボンヤリは心の掃除

 日中、ときどきもの思いにふけってぼんやりすることがある。これを英語では「デー・ドリーム」
という。日本語に訳すと、「白昼夢」となるが、その言葉から受ける印象ほどおおげさに考える
必要はない。むしろ最近の研究によると、このデー・ドリームは心のバランスをとるためには大
切なものとわかってきた。それだけではない。すばらしい創造性や独創的なアイディアは、その
デー・ドリームをしている間に生まれるとされる。たとえばエジソンやニュートンは、「デー・ドリマ
ー(夢見る人)」というニックネームがつけられていた。
 幼児のばあい、ふとしたきっかけで、このデー・ドリームの状態になる。時間的には数分程度
から、長くても五分程度だが、ぽかっと魂が抜けてしまったかのようになる。時と場所に関係な
く、運動場で体操をしているようなときにでも、そうなることがある。車の中やソファの上だった
りすると、そのまま眠ってしまうこともある。そういうとき親は、「気がゆるんでいるからだ」とか、
「学習に集中できないからだ」と考えるが、そのデー・ドリームを無理に妨げると、子どもの情緒
はかえって不安定になる。私の印象では、子どもは(おとなもそうだが)、デー・ドリームを見る
ことにより、心の緊張感をほぐすのではないかと思う。その証拠に、デー・ドリームからさめた
子どもは、実におだやかな表情を見せる。
 もちろんデー・ドリームと集中力、あるいはデー・ドリームと昼寝グセや睡眠不足は区別しな
ければならない。同じぼんやりといっても、それが日常的につづくようであれば、今度は別の問
題を疑ってみなければならない。それはともかくも、そういった問題もなく、子どもがふとしたき
っかけで、どこかぼんやりとするような様子を見せたら、できるだけそっとしておくのがよい。

(付記)私もときどき仕事の合間にぼんやりとすることがある。半眠半覚の状態になるのだが、
そういうとき電話がかかってきたりすると、それだけで心臓の鼓動が変化するのがわかる。あ
るいは授業と授業の間の休み時間に、別の仕事が入ったりすると、そのあとの授業で強い疲
れを感ずることがある。私のばあいも、ぼんやりとすることで、心を調整しているのだと思う。
 
デイ・ドリーム・デー・ドリーム・デイ・ドリーマー・デー・ドリーマー



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(192)

友を責めるな行為を責めよ

 『友を責めるな、行為を責めよ』……これはイギリスの格言。もしあなたの子どもが、あなた
からみて好ましくない友だちとつきあい始めたら、決してその友を責めてはいけない。行為を責
める。たとえばあなたの子どもが公園で隠れてタバコを吸ったとする。そういうときは、「タバコ
を吸うことは悪いことだ」「タバコは体に害がある」「タバコをやめなさい」とは言っても、相手の
子どもの名前を出して、その子どもを責めてはいけない。この段階で、「あの○○君は悪い子
だからつきあってはダメ」と子どもに言うのは、親を取るか友だちを取るか、その二者択一を子
どもに迫るようなもの。あなたの子どもがあなたを取ればそれでよし。が、もしあなたの子ども
が相手の子どもを取ったら、あなたとあなたの子どもの間に、大きなキレツを入れることにな
る。
 もう一つイギリスにはこんな格言がある。『相手はあなたが相手を思うように、あなたのことを
思う』と。これはどういう意味かというと、もしあなたがAさんならAさんをよい人だと思っている
と、Aさんもあなたのことをよい人だと思っているもの。もしあなたがAさんを悪い人だと思って
いると、Aさんもあなたのことを悪い人だと思っているもの。つまり人の心というのは、カガミの
ようなものだということ。そこでもし、あなたの子どもがあなたからみてよくない友だちとつきあ
い始めたら、こうする。つまり相手の子どもをほめる。「あの子はユーモアがあって、おもしろい
子ね」「あの子はいい子だから、今度、○○をもっていってあげてね」と。そういう言葉はあなた
の子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。そしてそれを知った相手の子どもは、あなた
の期待に答えようと、あなたの子どもをよい方向に導いてくれる。これは子育ての技術の中で
も、高等技術に属する。一度試してみてほしい。
 とにかくこういうケースでは、親はどうしても頭ごなしの禁止命令を出しやすい。しかし一度歯
車が狂い始めたら鉄則はただ一つ。今の状態をより悪くしないことだけを考えて、慎重に推移
を見守る。あせってもとに戻そうとすればするほど、逆効果になるので注意する。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(193)

心はぬいぐるみで知る

 子どもの心の中に母性(父性でもよいが)が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人形を抱
かせてみればわかる。母性が育っている子どもは、ぬいぐるみの人形を見せると、さもいとお
しいといった表情を示す。頬を寄せたり、やさしく抱きあげようとしたりする。そうでない子ども
は、ぬいぐるみを見ても反応しなかったり、中にはぬいぐるみを足でキックする子どももいる。
ぬいぐるみにやさしい反応を示す年長児は約八〇%、反応を示さない子どもは約二〇%(筆
者調査)。同じような調査だが、小学三年生で、男女を問わず、「ぬいぐるみが好き!」と答え
た子どももやはり八〇%。そのうち約半数は「大好き!」と答え、日常的にぬいぐるみをそばに
置いて生活しているということだった(同、筆者調査)。このタイプの子どもは、親になっても、虐
待パパや虐待ママにはならない。言いかえると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。
 同じようなことだが、ふつう愛情豊かな家庭で育った子どもは、静かな落ちつきがある。おだ
やかで、ものの考え方が常識的。どこかほっとするような温もりを感ずる。それもぬいぐるみを
抱かせてみればわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せた
だけで、うれしそうな顔をする。
 「子育て」は本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があってはじめて、自分が親
になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも心配だ」と思っているなら、
ペットの世話をさせるのが一番よい。しかしそれもままならないようなら、ぬいぐるみが効果的
である。男の子だからといって、ぬいぐるみで遊んではいけないという理由はない。私も小学
二、三年生のころだが、人形がほしくてたまらなかったときがある。ただ当時は男女の性差に
対する偏見がまだ根強く残っていて、おおっぴらにはそれを口に出して言うことはできなかっ
た。しかし伯母の一人に頼むと、伯母はこっそりと私に人形を作ってくれた。私はいつもその人
形を抱いて寝ていた。
 ただ子どもにぬいぐるみを与えるには、一つのコツがある。おもちゃ屋から買ってきて、袋に
入れたまま、ポイと子どもに渡すようなことはしてはいけない。まず親がぬいぐるみをかわいが
っている様子を見せる。そういう雰囲気の中に子どもを巻き込んでいくようにする。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(194)

子どもとペット

 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオーストラリ
アに限らず、欧米では、子どもの誕生日に、ペットを与えることが多い。つまり子どものときか
ら、動物との関わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物を通して、心のやりとりを学
ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを育てることによって、父性や母性を学ぶ。そん
なわけで、機会と余裕があれば、子どもにはペットを飼わせることを勧める。犬やネコが代表
的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐるみを与える。やわら
かい素材でできた、温もりのあるものがよい。
 日本では、「男の子はぬいぐるみでは遊ばないもの」と考えている人が多い。しかしこれは偏
見。こと幼児についていうなら、男女の差別はない。あってはならない。つまり男の子がぬいぐ
るみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思うほうが、おかしい。男児も幼児のときから、
たとえばペットや人形を通して、父性を育てたらよい。ただしここでいう人形というのは、その目
的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダムとかいうのは、ここでいう人形ではない。
 また日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、これも
偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。その一つの例が、五月人形。弓矢を
もった武士が、力強い男の象徴になっている。三〇〇年後の子どもたちが、銃をもった軍人や
兵隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかおかしいが、そのおかしさがわからないほど、日
本人はこの出世主義に、こりかたまっている。「男は仕事(出世)、女は家事」という、あの日本
独特の男女差別思想も、この出世主義から生まれた。
 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、静かな落ちつきがある。おだやかで、ものの
考え方が常識的。どこかほっとするような温もりを感ずる。それもぬいぐるみを抱かせてみれ
ばわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せただけで、スー
ッと頬を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待ママにはならない。言い
かえると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。
 ついでに一言。「子育て」は本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があってはじ
めて、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも心配だ」と思
っているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと遊びながら、子どもは親
になるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(195)

トラブルは親に聞く

 子どものことでトラブルが起きたら、一に静観、ニに静観、三、四がなくて、五に親に相談。少
子化の流れの中で、親たちは子育てにますます神経質になる傾向をみせている。そうである
からこそなおさら、「静観」。子どもにキズがつくことを恐れてはいけない。子どもというのはキズ
だらけになって成長する。で、ここでいう「親」というのは、一、二歳年上の子どもをもつ親をい
う。そういう親に相談すると、「うちもこんなことがありましたよ」「あら、そうですか」というような
会話で、ほとんどの問題は解決する。
 話が少しそれるが、私は少し前、ノートパソコンを通信販売で買った。が、そのパソコンには
一本のスリキズがついていた。最初私はそのキズが気になってしかたなかった。子どももそう
だ。子どもが小さいうちというのは、ささいなキズでも気になってしかたないもの。こんなことを
相談してきた母親がいた。何でもその幼稚園に外人の講師がやってきて、英会話を教えること
になったという。それについて、「先生はアイルランド人です。ヘンなアクセントが身につくので
はないかと心配です」と。子育てに関心をもつことは大切なことだが、それが度を超すと、親は
そんなことまで心配するようになる。
 さらに話がそれるが、子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑
う。症状としては、つぎのようなものがある。@生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、A思考
障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低下)、B精
神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日常活
動への興味の喪失)、C睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんの
ように、D風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、Eムダ買い
や目的のない外出を繰り返す(行為障害)、Fささいなことで極度の不安状態になる(不安障
害)、G同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができ
なくなる(感情障害)、H他人との接触を嫌う(回避性障害)、I過食や拒食(摂食障害)を起こ
したりするようになる。Jまた必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。
こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。
 要するに風とおしをよくするということ。そのためにも、同年齢もしくはやや年齢が上の子ども
をもつ親と情報交換をするとよい。とくに長男、長女は親も神経質になりやすいので、そうす
る。……そうそう、そう言えば、今では私のパソコンもキズだらけ。しかし使い勝手はずっとよく
なった。そういうパソコンを使いながら、「子どもも同じ」と、今、つくづくとそう思っている。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(196)

ドラ息子の五大症状

ドラ息子、ドラ娘には、つぎのような特徴がある。もしこれらの項目のいくつかに当てはまるよう
なら、あなたの子どもはかなりのドラ息子、ドラ娘とみてよい。今はまだ体も小さく、あなたの保
護のもとでおとなしくしているかもしれないが、やがてあなたの手に負えなくなる。
@ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜ば
せるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思いど
おりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が皆
の中心にいないと、気がすまない。Aものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目
標を定めることができず、目標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつ
けては、目標を放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣その
ものがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費
的な行動が多くなる。Bものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が
強い割には、自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。C
バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動するこ
とができない、など。
 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しかし一度こ
の時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ド
ラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因がある
からである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱
って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、
それをはねのけてしまう。そういう姿勢が、子どもをますますドラ息子、ドラ娘にする。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(197)

泥棒の家は戸締りが厳重

 昔から『泥棒の家は戸締りが厳重』という。人は何か負い目をもっていると、それをことさら気
にすることを言ったもの。たとえば女遊びを繰り返している父親ほど、自分の娘にきびしいな
ど。あるいは娘の交際相手をいつも疑ってかかる……?
 同じようなことだが、いつも学歴を笠に着て生きている人ほど、自分の子どもの学歴にうるさ
いなど。ある父親はいつもS高校の出身であることを、いばっていた。会話の中にそれとなく出
身校をにおわすというのが彼のやり方だった。「今度S高校の同窓会の幹事をやることになり
ましてね」と。で、その彼の息子がいよいよ受験ということになった。が、その息子にはそれだ
けの力がなかった。だからその父親と息子は、毎晩のように、「勉強しろ!」「うるさ!」の大乱
闘を繰り返していた。
 一般論として、子どもの進学に神経質な親ほど、どこかで学歴を強く意識した人とみてよい。
自分自身も高学歴であったり、あるいは反対に学歴にコンプレックスをもっていたりするなど。
人というのは、だれしも何かの負い目をもっているものであり、その負い目を気にしたり、ある
いは無意識のうちにも、その負い目に裏から操られたりする。問題はそうした負い目があるこ
とではなく、その負い目に振り回され、本来大切にすべきものを粗末にしたり、本来大切でない
ものを大切と思い込み、それに振り回されることである。たとえば子どもの教育にしても、この
日本では受験勉強は避けてはとおれないものかもしれないが、しかしその受験勉強には、親
子関係を犠牲にするほどまでの価値はない。日本人は「いい学校」は口にするが、「いい家庭」
を口にしない。中には、「親子関係が犠牲になってもいい。息子さえ、いい大学へ入ってくれれ
ば。息子もいつかそれで私に感謝するはず」と言う親さえいる。こうした教育観が、子育てその
ものまでゆがめる。
 そこでどうだろう。もしあなたが今、子どもの勉強のことでカリカリしているようなら、あなた自
身の負い目を疑ってみたら。何かあるはずである。この問題も、その負い目に気づくだけでよ
い、あとは少し時間がかかるが、それでその負い目から解放される。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(198)

どんな雲にも銀のふちどり

 イギリスの格言に、『どんな雲にも銀のふちどり』という格言がある。つまりどんな雲にも、そ
のまわりには銀色に輝くふちどりがあることを言ったもの。「どんなに苦しいときでも、必ず希望
があるから、その希望を捨ててはいけない」と。
 ひとつの固定した視点からみると、どうしても絶望的にならざるをえない子どもというのは、た
しかにいる。K君(中一男子)がそうだった。何を教えても、ザルで水をすくうように、その教えた
ことがどこかへ消えていく。教室といっても、私の教室は一クラス五、六人の小さな教室だが、
しかしK君のような生徒がいると、ほかの生徒がどんどんとやめていく。それくらいK君というの
は学校でも有名な(?)子どもだった。で、彼が中学三年生になるころには、生徒は二人だけに
なってしまった。いや、少しでもK君がふざけた態度をしたら、それを理由に私はK君を教室か
ら追い出していたかもしれない。が、K君はただひたすらに私のところで勉強をした。そんなあ
る日のこと、私はK君にこう言った。「どんな大工でも建てたところからどんどん壊されたら、怒
るぞ」と。教えても教えてもそれがムダになっていく自分のはがゆさをK君にぶつけた。が、そ
れでも、K君は涙をこぼしながら私に従った。
 希望というのは、視点を変えると、それが希望でなくなるときがある。しかし視点を変えると、
今まで以上に明るく輝き始めるときがある。あるいは希望など何もないと思っていたところに、
実はすばらしい希望が隠されていたりすることがある。大切なことは、そのつど視点を変えた
り、あるいはもう一度、自分を振り返ってみることだ。もっと言えば希望は向こうからやってくる
ものではない。見つけるもの。
 その後K君は高校進学をあきらめ、調理師の専修学校に入学。今は家業であるラーメン屋
を手伝っている。で、ある日、そのラーメン屋へ行ってみると、K君がちょうど配達のラーメンを
どこかへ届けるところだった。私が母親に「元気そうですね」と声をかけると母親はこう言って
笑った。「まじめだけがとりえでねえ」と。K君にとっては、その「まじめ」こそが、銀のふちどりだ
ったということになる。
 


子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(199)

内容のない本は身を飾る

 雑誌社などをのぞいてみると、実際教えたことがない人が、教材を作っていたりする。(だか
らといって教えている人が、すばらしい教材を作れるということにはならないが……。)そういう
ところでは、教材にせよ本にせよ、はたまた雑誌にせよ、それは「商品」でしかない。高邁な教
育観をもって教材開発に取り組んでいる編集者など、さがしてもいない。またそういうものを期
待するほうがおかしい。実際のところ、どこの編集部でも「いい教材」よりも、「売れる教材」を
念頭において、教材開発をする。あるいは制作と同時に、販売先の確保を優先する。編集部
よりも販売部のほうが力がある。
 長い前置きになったが、その商品を売るにはコツがある。そのひとつが、「飾る」。実際あっ
たことを書く。数年前だが、私は教育書の大手であるR社に原稿をもちこんだことがある。その
ときは「検討しておきます」ということだったが、数日後、編集部の部長から電話があり、長い世
間話のあと、おもむろにこう言った。「K教授をご存知ですよね。あのK教授です。あのK教授
の名前でなら、あなたの本を出してもいいのですが……」と。もちろん私は断ったが、こうした
出版方法は、この世界では珍しいことではない。ベストセラーを何冊も出したような出版社とも
なると、その教授専門のライターを置いているところもある。私が九九%書いた本だが、ほか
の人の名前になっている本だって、一〇冊はある。よく盗作が話題になるが、盗作どころでは
ない。盗作以上の盗作が、この世界では平気でなされている。しかもその道の権威者と言われ
る「すばらしい教育者」(?)たちがそうしている。
 要するに「飾り」。飾りがあれば本は売れる。(これは本が売れない私のひがみのようなもの
かもしれないが……。)そのために出版社はあれこれ飾りを入れる。今でこそ少なくなったが、
ほんの少し前まで、ささいな教材や参考書にまで、○○大学××教授監修、あるいは指導と、
ぎょうぎょうしい肩書きを載せるのが慣習になっていた。そういうのを載せれば、よく売れるから
である。
 で、数年後のこと。近くの書店でR出版社のブックコーナーがあった。見るとあのK教授の新
刊書がずらりと並んでいた。いくつかをパラパラとめくって読んでみたが、どれもとても八〇歳
をこえた老人が書いたと思われないような若々しい文体の本ばかりだった。私は「ああ、あのと
きの本だな……」と思って、その場を離れた。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(200)

自分を知る

 哲学の究極の目標は、「自分を知る」ことだそうだ。スパルタの七賢人の一人であるキロン
も、「汝自身を知れ」という有名な言葉を残している。つまり一見なんでもないようなことだが、
自分を知るのはそれくらいむずかしいということ。
 話は直接関係ないが、こんなことがあった。オーストラリアの友人夫婦が、一か月ほど我が
家にホームステイをして帰るときのこと、私がその友人に、「ぼくの家で気がついたことがあっ
たら言ってくれ」と頼んだときのこと。彼はこう言った。「君の家では、奥さんは召使いのようだ
な」と。
 この言葉には驚いた。私は平均的な日本人よりははるかに民主的な(?)夫だと思ってい
た。そこで私は彼に「君は私の家庭のどんなところを見てそう言うのか」と聞くと、こう話してくれ
た。「君の奥さんは、ぼくたちが食事をしているとき、ずっとあれこれ給仕している。キッチンに
立ったままではないか」と。日本では見慣れた、というより、当たり前の光景ではないか。私は
彼のこの意見には少なからずショックを受けた。
 子育ての話にもどるが、親と話していて、これとちょうど反対の思いをすることは多い。たとえ
ば子どもに問題が起きたりすると、ほとんどの親は、「子どもをなおす」という言葉を使う。しか
し「自分をなおす」という言葉を使う親は、まずいない。過保護児にしても過干渉児にしても、そ
の症状だけをみて、親は子どもをなおそう(?)とする。しかし問題の原因は、親自身にある。
親が日常的に子どもを過保護にし、過干渉しておきながら、「どうしてうちの子は……?」は、な
い。
 そこで教訓。もしあなたの子どもに何か、問題が起きたら、まずあなた自身を疑う。幼稚園や
学校や先生ではない。子どもでもない、あなた自身を、だ。この視点を忘れると、問題が解決し
ないばかりか、さらに問題はこじれる。悪循環のドロ沼に入り、やがてにっちもさっちもいかなく
なる。言いかえると、子育てにおいても、「汝自身を知れ」というのが、究極の目標ということに
なる。


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