はやし浩司

ファミリス・バックナンバー(3)
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はやし浩司


Touch your Heart byはやし浩司

子どもの巣立ち

●対等の人間として

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の
腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのこ
とだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教え
てくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がな
いため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、
それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

●時の流れは、風のようなもの

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや
ればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹
いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生
も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ
た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「S
よ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

●未来に視点を置く

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭
い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ
ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。

 そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうと
は! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「い
いなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくな
る。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子
たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、
何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が
人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが
てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 






Touch your Heart byはやし浩司

真の自由を子どもに教えられるとき 

●真の自由を手に入れる方法はあるのか? 

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由
だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐
怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか
……? その方法はあるのか……? 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、
ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育て
の中で、私はこんな経験をした。

●無条件の愛

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。息子「アメリカで就職したい」、私「いいだろ」、息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカの
その地方では、花嫁の居住地で式をあげる習わしになっている。結婚式には来てくれるか」、
私「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」、私「いいだろ」と。その一つずつの段
階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺さなければならなか
った。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声が震えた。息子「アメ
リカ国籍を取る」、私「……日本人をやめる、ということか……」、息子「そう……」、私「……い
いだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえ
に、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉がある。私
が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が
抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け
入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由など
ない。一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、
おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私
は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができ
るようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子が
それを、私に教えてくれた。






Touch your Heart byはやし浩司

子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちがなぜあの
高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。たか
がボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、そ
れほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この
世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュ
ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、な
ぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇年あまり。私もこ
の問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争
と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の
目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエー
ル。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進
むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に
意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。
映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの
箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、
それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。
命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが
宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、
そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ
て、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命
に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえると、そうでない人に、人生
の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、ただ流されるまま、その日
その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。

 さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、
私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。
あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていた
ら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら
繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれな
い。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。






Touch your Heart byはやし浩司

子育てのすばらしさを教えられるとき

●子をもって知る至上の愛    

 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を教えられ
ること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなっても
いい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命すら惜しくない」という至上
の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

●自分の中の命の流れ

 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自分
の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう感じたこ
とがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこ
かに父の面影があるのを知って驚くことがある。先日も息子が疲れてソファの上で横になって
いたとき、ふとその肩に手をかけた。そこに死んだ父がいるような気がしたからだ。

 いや、姿、形だけではない。ものの考え方や感じ方もそうだ。私は「私は私」「私の人生は私
のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。しかしその「私」の中に、父がいて、そ
して祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れのようなものがあり、それが、息子たちにも流
れているのを、私は知る。つまり子育てをしていると、自分も大きな流れの中にいるのを知る。
自分を超えた、いわば生命の流れのようなものだ。

●神の愛と仏の慈悲

 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもない。死
はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死は不条理な
り」とも言う。そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこに
いて、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれ
ができない。しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。

 自分の子どものできの悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返している
と、「人を愛することの深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人
に施すことができるかもしれない。が、私のような凡人にはできない。できないが、子どもに対
してならできる。いわば神の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で
実践できる。それが孤独な心をいやしてくれる。

●神や仏の使者

 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子どもを大
きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きることにまつわ
る、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その人の問題意識の
深さにもよる。が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわか
る。子どもというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そし
て生きる喜びを教えてくれる。

 いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫にわたって、伝えてくれる。つま
りあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそういう意味で、まさに神や仏から
の使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた自身も神や仏からの使者だ
と知る。そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐらい、子育てですばらしいこ
とはない。






Touch your Heart byはやし浩司

家族のきずな

●ルービン報道官の退任 

 二〇〇〇年の春、J・ルービン報道官が、国務省を退任した。約三年間、アメリカ国務省のス
ポークスマンを務めた人である。理由は妻の出産。「長男が生まれたのをきっかけに、退任を
決意。当分はロンドンで同居し、主夫業に専念する」(報道)と。

 一方、日本にはこんな話がある。以前、「単身赴任により、子どもを養育する権利を奪われ
た」と訴えた男性がいた。東京に本社を置くT臓器のK氏(五三歳)だ。いわく「東京から名古屋
への異動を命じられた。そのため子どもの一人が不登校になるなど、さまざまな苦痛を受け
た」と。単身赴任は、六年間も続いた。

●家族がバラバラにされて、何が仕事か!

 日本では、「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも、「勉強する」「宿題があ
る」と言えば、すべてが免除される。仕事第一主義が悪いわけではないが、そのためにゆがめ
られた部分も多い。今でも妻に向かって、「お前を食わせてやる」「養ってやる」と暴言を吐く夫
は、いくらでもいる。その単身赴任について、昔、メルボルン大学の教授が、私にこう聞いた。
「日本では単身赴任に対して、法的規制は、何もないのか」と。私が「ない」と答えると、周囲に
いた学生までもが、「家族がバラバラにされて、何が仕事か!」と騒いだ。

 さてそのK氏の訴えを棄却して、最高裁第二小法廷は、一九九九年の九月、次のような判決
を言いわたした。いわく「単身赴任は社会通念上、甘受すべき程度を著しく超えていない」と。
つまり「単身赴任はがまんできる範囲のことだから、がまんせよ」と。もう何をか言わんや、であ
る。

 ルービン報道官の最後の記者会見の席に、妻のアマンポールさんが飛び入りしてこう言っ
た。「あなたはミスターママになるが、おむつを取り替えることができるか」と。それに答えてル
ービン報道官は、「必要なことは、すべていたします。適切に、ハイ」と答えた。

●落第を喜ぶ親たち

 日本の常識は決して、世界の標準ではない。たとえばこの本のどこかにも書いたが、アメリカ
では学校の先生が、親に子どもの落第をすすめると、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。親
はそのほうが子どものためになると判断する。が、日本ではそうではない。軽い不登校を起こ
しただけで、たいていの親は半狂乱になる。こうした「違い」が積もりに積もって、それがルービ
ン報道官になり、日本の単身赴任になった。言いかえると、日本が世界の標準にたどりつくま
でには、まだまだ道は遠い。






Touch your Heart byはやし浩司

トゲが心に刺さるとき

●三男からのハガキ   

 富士山頂からハガキが届いた。見ると三男からのものだった。登頂した日付と時刻に続い
て、こう書いてあった。「一三年ぶりに雪辱を果たしました。今、どうしてあのとき泣き続けた
か、その理由がわかりました」と。  一三年前、私たち家族は富士登山を試みた。私と女房、
一三歳の長男、一〇歳の二男、それに七歳の三男だった。が、九合目を過ぎ、九・五号目まで
来たところで、そこから見あげると、山頂が絶壁の向こうに見えた。そこで私は、多分そのとき
三男にこう言ったと思う。「お前には無理だから、ここに残っていろ」と。女房と三男を山小屋に
残して、私たちは頂上をめざした。つまりその間中、三男はよほど悔しかったのだろう、山小屋
で泣き続けていたという。

●三男はずっと泣いていた!  

 三男はそのあと、高校時代には山岳部に入り、部長を務め、全国大会にまで出場している。
今の彼にしてみれば富士山など、そこらの山を登るくらい簡単なことらしい。その日も、大学の
教授たちとグループを作って登山しているということだった。女房が朝、新聞を見ながら、「きっ
とE君はご来光をおがめたわ」と喜んでいた。

 が、私はその三男のハガキを見て、胸がしめつけられた。あのとき私は、三男の気持ちを確
かめなかった。私たちが登山していく姿を見ながら、三男はどんな思いでいたのか。そう、振り
返ったとき、三男が女房のズボンに顔をうずめて泣いていたのは覚えている。しかしそのまま
泣き続けていたとは!

●後悔は心のトゲ  

 「後悔」という言葉がある。それは心に刺さったトゲのようなものだ。しかしそのトゲにも、刺さ
っていることに気づかないトゲもある。私はこの一三年間、三男がそんな気持ちでいたことを知
る由もなかった。何という不覚! 私はどうして三男にもっと耳を傾けてやらなかったのか。何
でもないようなトゲだが、子育ても終わってみると、そんなトゲが心を突き刺す。

 私はやはりあのとき、時間はかかっても、そして背負ってでも、三男を連れて登頂すべきだっ
た。重苦しい気持ちで女房にそれを伝えると、女房はこう言って笑った。「だって、あれは、E君
が足が痛いと言ったからでしょ」と。「Eが、痛いと言ったのか?」「そう、E君が痛いから歩けな
いと泣いたのよ。それで私も残ったのよ」「じゃあ、ぼくが登頂をやめろと言ったわけではない
のか?」「そうよ」と。とたん、心の中をスーッと風が通り抜けるのを感じた。軽い風だった。さっ
そくそのあと、三男にメールを出した。「登頂、おめでとう。よかったね」と。






Touch your Heart byはやし浩司

母親がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに幸せの
ハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではないが、その充
実感がない……。今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。結婚したのは二四
歳のとき。どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ電撃に打たれるような
恋をしたが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、今の夫と何となく交際を始
め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋

 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある田舎道の
土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)と。主人公
のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れていた生命の叫
びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。つまりフランチェスカは、「日に日に無
神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の殻に閉じこもって」生活をしていたが、キ
ンケイドに会って、一変する。彼女もまた、「(戦後の)あまり選り好みしてはいられないのを認
めざるをえない」という状況の中で、アメリカ人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のような状態
をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。Hさんはそうした不
満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何が不満だ」「お前は幸
せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるストレスは相当なものだ。

 昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、こん
な話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わってしまっ
た。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買いに行く」と。「女を買う」
と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということだった。晩年の今氏
は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だった。私は今氏の「生」へ
の執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そういうものか。その人の人生の中で、い
つまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がいたが、
下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手伝ううち、
医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさんは、ヘルパー
の資格を取るために勉強を始めた、などなど。「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、
道路を走り出した人は多い。だから今、あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になるこ
とはない。

 時の流れは風のようなものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。子育
ても一段落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それが終着点と思
うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。勇気を出して、アクセルを踏む。妻で
もなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間として。それでまた風は吹き始める。人生は動き始
める。






Touch your Heart byはやし浩司

自由が育てる常識 

●心の常識

 魚は陸の上にあがらない。鳥は水の中にもぐらない。そんなことをすれば、死んでしまうこと
を、魚も鳥も知っているからだ。そういうのを常識という。

 人間も同じ。数十万年という気が遠くなるほどの年月をかけて、人間はその常識を身につけ
た。その常識を知ることは、そんなに難しいことではない。自分の心に静かに耳を傾けてみれ
ばよい。それでわかる。たとえば人に対する思いやりや、やさしさは、ここちよい響きとなって心
にかえってくる。しかし人を裏切ったり、ウソをついたりすることは、不快な響きとなって心にか
えってくる。

●バカなことをする人がバカ
 
子どもの教育では、まずその常識を大切にする。知識や経験で、確かに子どもは利口にはな
るが、しかしそういう子どもを賢い子どもとは、決して言わない。賢い子どもというのは、常識を
よくわきまえている子どもということになる。映画『フォレスト・ガンプ』の中で、ガンプの母親はこ
う言っている。「バカなことをする人を、バカと言うのよ。(頭じゃないのよ)」と。その賢い子ども
にするには、子どもを「自由」にする。

 自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。無責任な放任を自由というのでは
ない。つまり子ども自らが、自分の人生を選択し、その人生に責任をもち、自分の力で生きて
いくということ。しかし自らに由りながら生きるということは、たいへん孤独なことでもある。頼れ
るのは自分だけという、きびしい世界でもある。言いかえるなら、自由に生きるということは、そ
の孤独やきびしさに耐えること、ということになる。子どもについて言うなら、その孤独やきびし
さに耐えることができる子どもにするということ。もっとわかりやすく言えば、生活の中で、子ど
も自身が一人で静かに自分を見つめることができるような、そんな時間を大切にする。

●静かに見つめる

 が、今の日本では、その時間がない。学校や幼稚園はまさに、「人間だらけ」。英語の表現を
借りるなら、「イワシの缶詰」。自宅へ帰っても、寝るまでガンガンとテレビがかかっている。あ
るいはテレビゲームの騒音が断えない。友だちの数にしても、それこそ掃いて捨てるほどい
る。自分の時間をもちたくても、もつことすらできない。だから自分を静かに見つめるなどという
ことは、夢のまた夢。親たちも、利口な子どもイコール、賢い子どもと誤解し、子どもに勉強を
強いる。こういう環境の中で、子どもはますます常識はずれの子どもになっていく。人間として、
してよいことと、悪いことの区別すらできなくなってしまう。あるいは悪いことをしながらも、悪い
ことをしているという意識そのものが薄い。だからどんどん深みにはまってしまう。

 子どもが一人で静かに考えて、自分で結論を出したら、たとえそれが親の意思に反するもの
であっても、子どもの人生は子どもに任せる。たとえ相手が幼児であっても、これは同じ。そう
いう姿勢が、子どもの心を守る。そしてそれが子どもを自由人に育て、その中から、心豊かな
常識をもった人間が生まれてくる。






Touch your Heart byはやし浩司

子どもは人の父

●俗化するおとなたち

 イギリスの詩人ワーズワース(一七七〇〜一八五〇)は、次のように歌っている。

  空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

 訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。原文では、「The 
Child is Father of the Man. 」となっている。この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。ここではほ
かの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。詩の流れからすると、「そ
の人の人格」ということか。つまり私は、「その人の人格は、子ども時代に形成される」と解釈し
たが、これには二つの意味が含まれる。

 一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるから注意せよという意味。もう一つは、人
はいくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時代に戻るという意味。誤解があるといけ
ないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未経験で未熟だが、決して、幼稚ではな
い。子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに広く、純粋で、豊かである。しかも美し
い。人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜くなっていく。知識や経験という雑音の
中で、俗化し、自分を見失っていく。私を幼児教育のとりこにした事件に、こんな事件がある。

●「ぼく、ごくろうって名前じゃ、ない」

 ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。一人の子ども(年中男児)が、とてもてい
ねいに絵をかいてくれた。そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ごくろうさん」
と書き添えた。が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。
私はてっきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。そこで「どうしたのか
な?」と聞きなおすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれた。「ぼく、ごくろうっていう
名前じゃ、ない。たくろう、ってんだ」と。

●子どもの心を大切に

 もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。もし人が
子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。ワーズワー
スは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。そしてその同じ虹を見て、子どものころの感
動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。そこでこう言った。「子どもは人の父」と。私はこの
一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているように思う。






Touch your Heart byはやし浩司

許して忘れる

●何を与え、何を得るのか

 人とのトラブルで私が何かを悩んでいると、オーストラリアの友人は、いつも私にこう言った。
「ヒロシ、許して忘れろ。OK?」と。英語では「Forgive and Forget」と言う。聖書の中の言葉らし
いが、それはともかく、私は長い間、この言葉のもつ意味を、心のどこかで考え続けていたよう
に思う。「フォ・ギブ(許す)」は、「与える・ため」とも訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れる)」
は、「得る・ため」とも訳せる。「では何を与えるために許し、何を得るために忘れるのか」と。

●「お前の子どもは、お前の子ども」

 ある日のこと。自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。ふとこの言葉が、私の頭の中
を横切った。「許して忘れる」と。「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子ど
もはお前の子どもではないか。誰の責任でもない、お前自身の責任ではないか」と。とたん、私
はその「何」が、何であるかがわかった。

●その度量の深さで、親の愛が決まる

 あなたのまわりには、あなたに許してもらいたい人が、たくさんいる。あなたが許してやれば、
喜ぶ人たちだ。一方、あなたには、許してもらいたい人が、たくさんいる。その人に許してもらえ
れば、あなたの心が軽くなる人たちだ。つまり人間関係というのは、総じてみれば、(許す人)と
(許される人)の関係で成り立っている。そこでもし、互いが互いを許し、そしてそれぞれのいや
なことを忘れることができたら、この世の中は何とすばらしい世の中になることか。……と言っ
ても、私のような凡人には、そこまでできない。できないが、自分の子どもに対してなら、でき
る。

 私はいつしか、できの悪い息子たちのことで何か思い悩むたびに、この言葉を心の中で念ず
るようになった。「許して忘れる」と。つまりその「何」についてだが、私はこう解釈した。「人に愛
を与えるために許し、人から愛を得るために忘れる」と。子どもについて言えば、「子どもに愛
を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」と。これは私の勝手な解釈によるも
のだが、しかし子どもを愛するということは、そういうことではないだろうか。そしてその度量、言
いかえると、どこまで子どもを許し、そしてどこまで忘れることができるかによって、親の愛の深
さが決まる……。

●受け入れることを恐れずに

 もちろん「許して忘れる」といっても、子どもを甘やかせということではない。子どもに好き勝手
なことをさせろということでもない。ここでいう「許して忘れる」は、いかにあなたの子どもができ
が悪く、またあなたの子どもに問題があるとしても、それをあなた自身のこととして、受け入れ
てしまえということ。「たとえ我が子でも許せない」とか、「まだ何とかなるはずだ」と、あなたが考
えている間は、あなたに安穏たる日々はやってこない。一方、あなたの子どももまた、心を開
かない。しかしあなたが子どもを許し、そして忘れてしまえば、あなたの子どもも救われるが、
あなたも救われる。

何だかこみいった話をしてしまったようだが、子育てをしていて袋小路に入ってしまったら、この
言葉を思い出してみてほしい。「許して忘れる」と。それだけで、あなたはその先に、出口の光
を見いだすはずだ。






Touch your Heart byはやし浩司

今を生きる子育て論

●休息を求めて疲れる

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結
局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけま
せん」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がい
る。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入
るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未
来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。い
つまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会
へ出てからも、そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしま
う。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

●『今を生きる』生き方

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽らずに
生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高校
生が自殺に追いこまれるという映画である。この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて
疲れる』という生き方の、正反対の位置にある。

 これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。しかし今、あなたの
周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現実であって、過去や未来な
どというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だったら精一杯、この「今」の中
で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。子どもたちとて同じ。子どもたちには
すばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そういう子ども時代は子ども時代として、精一杯
その時代を、心豊かに生きることこそ、大切ではないのか。

●やるべきことをやる

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」とい
うことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、そのつどな
すべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。たとえば私は生徒たちに
は、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。それでいい。結果はあとか
らついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に追い求めたら、君たちの人
生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子
どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では「がんばれ!」と拍車
をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。ごくふつうの日常
会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その
違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわからないのではないか……
と、私は心配する。






Touch your Heart byはやし浩司

父のうしろ姿

●ズタズタになったプライド

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私の
父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒屋で
酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。そんなわけで私には、つらい毎
日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から帰ってくるときも、家が近づくと、
あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を飲んでフラフラと通りを歩いてい
た。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

●「どうやって隠せばいいのだ」

 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。のんき
な子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パーティを開くとい
う。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけた。
片づけながら、ふと三男にこう聞いた。

 「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくないか」と。すると三男は、「どうして?」と
聞いた。理由など言っても、三男には理解できないだろう。私には私なりのわだかまりがある。
私は高校生のとき、そういうことをしたくても、できなかった。友だちの家に行っても、いつも肩
身の狭い思いをしていた。「今度、はやしの家で集まろう」と言われたら、私は何と答えればよ
いのだ。父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どうやって隠せばよいのだ。

●私は父をうらんだ

 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母ですら、
どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが奇異な感じ
がした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。四〇歳を過ぎるころになると、その
当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。商売べたの父。いや、父だって必死
だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「Jストアよりも安いものもあります」と、どこ
かしら的はずれな広告を、店先のガラス戸に張りつけていた。「よそで買った自転車でも、パン
クの修理をさせていただきます」という広告を張りつけたこともある。しかもそのJストアに自転
車を並べていたのが、父の実弟、つまり私の叔父だった。叔父は父とは違って、商売がうまか
った。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやしかったのだろう。戦争の後遺症もあった。父
はますます酒に溺れていった。

●孤独の耐え方を教えてくれた父

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だからう
しろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついてみたら、うし
ろには誰もいない。そんなことも多い。ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそ
れを教えてくれた。客がいない日は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。
あるいは油で汚れた作業台に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを
思いやると、今、私が感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だろう。
いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。「パパ、ありがとう」と。
そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。






Touch your Heart byはやし浩司

あきらめは悟りの境地

●子育ての山など、何でもない

 子育てをしていると、「もうダメだ」と、絶望するときがしばしばある。あって当たり前。子育てと
いうのは、そういうもの。親はそういう絶望感をそのつど味わいながら、つまり一つずつ山を乗
り越えながら、次の親になっていく。そういう意味で、日常的なトラブルなど、何でもない。進学
問題や不登校、引きこもりにしても、その山を乗り越えてみると、何でもない。重い神経症や情
緒障害にしても、やはり何でもない。山というのはそういうもの。要は、どのようにして、その山
を乗り越えるかということ。

 少し話はそれるが、子どもが山をころげ落ちるとき(?)というのは、次々と悪いことが重なっ
て落ちる。自閉傾向のある子ども(年中女児)がいた。その症状がやっとよくなりかけたときの
こと。その子どもはヘルニアの手術を受けることになった。医師が無理に親から引き離したた
め、それが大きなショックとなってしまった。その子どもは目的もなく、徘徊するようになってしま
った。が、その直後、今度は同居していた祖母が急死。葬儀のドタバタで、症状がまた悪化。
その母親はこう言った。「もう何がなんだか、わけがわからなくなってしまいました」と。

●悟りの境地?

 山を乗り越えるときは、誰しも、一度は極度の緊張状態になる。それも恐ろしいほどの重圧
感である。混乱状態といってもよい。冒頭にあげた絶望感というのがそれだが、そういう状態
が一巡すると、……と言うより、限界状況を越えると、親はあきらめの境地に達する。それは
不思議なほど、おおらかで、広い世界。すべてを受け入れ、すべてを許す世界。その世界へ入
ると、それまでの問題が、「何だ、こんなことだったのか」と思えてくる。ほとんどの人が経験す
る、子どもの進学問題でそれを考えてみよう。

●おおらかな世界

 多かれ少なかれ日本人は皆、学歴信仰の信者。だからどの人も、子どもの進学問題にはか
なり神経質になる。江戸時代以来の職業による身分意識も、残っている。人間や仕事に上下
などあるはずもないのに、その呪縛から逃れることができない。だから自分の子どもが下位層
(?)へ入っていくというのは、あるいは入っていくかもしれないというのは、親にとっては恐怖以
外の何ものでもない。だからたいていの親は、子どもの進学問題に狂奔する。

 「進学塾のこうこうとした明かりを見ただけで、足元からすくわれるような不安感を覚えます」
と言った母親がいた。「息子(中三)のテスト週間になると、お粥しかのどを通りません」と言っ
た母親もいた。私の知っている人の中には、息子が高校受験に失敗したあと、自殺を図った
母親だっている!

●真の親へ

 が、それもやがて終わる。具体的には、入試も終わり、子どもの「形」が決まったところで終
わる。終わったところで、親はしばらくすると、ものすごく静かな世界を迎える。それはまさに
「悟りの境地」。つまり親は、山を越え、さらに高い境地に達したことを意味する。そしてその境
地から過去を振り返ると、それまでの自分がいかに小さく、狭い世界で右往左往していたかが
わかる。あとはこの繰り返し。苦しんでは山を登り、また苦しんでは山を登る。それを繰り返し
ながら、親は、真の親になる。






Touch your Heart byはやし浩司

脳腫瘍で死んだ一磨君

●彼の顔を見ることができなかった

 一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生
活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使えるか」
と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここから出してほし
い」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。

 いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代
的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせた
ときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイワ
イやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一年たち、手術、再発を
繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつようになった。彼の苦痛でゆ
がんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際には申しわけなくて、彼の顔を見
ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまったかのように感じた。

●「ぼくは楽しかった」

 葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になり
たいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもできる
し、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いました」
と。そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞いて、
私だけではなく、皆が目頭を押さえた。

●誰ために鐘は鳴るなりや

 ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人の
死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。私は一磨君の
遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じた。この年齢に
なると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多くなる。人生の
折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に終わったとして
も、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。
汝がために鳴るなり」と。

●生きることを確かめあう

 私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んで
いる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両
親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文
を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったと
き、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることがで
きる。それが重要なのだ。
 
 一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕
事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、その
瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生きて
いることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。






Touch your Heart byはやし浩司

●今、暗いトンネルの中にいる、あなたへ、

 子育てをしていて、どこか、ギクシャクしたら、肩の力を抜こう。よい親であろうとか、よい家庭
をつくろうとか、そんなふうに考えない。またそういうふうに考えて、自分を追い込まない。あな
たは、あなた。だからあなたは、ありのままのあなたでよい。

 おならをしたかったら、すればよい。鼻くそをほじりたかったら、ほじればよい。泣きたかった
ら、泣けばよい。いやだったら、いやだと言えばよい。気負うことはない。また気負ってはいけ
ない。あなたが気負えば気負うほど、あなたも疲れるが、子どもも疲れる。あなたはすでにすば
らしすぎるほど、すばらしい親。不完全で、ボロボロの親かもしれないが、それでも、すばらしい
親。不完全であることを、恥じることはない。ボロボロであることを、恥じることはない。

 ただ、これには、一つだけ条件がある。それは「許して忘れる」。あなたはどこまでも、子ども
を許して忘れる。その度量の広さこそが、あなたの愛情の深さになる。その愛情だけは、忘れ
てはいけない。捨ててはいけない。どんなことがあっても、あなたはそれを守る。最後の最後ま
で、守る。どんなに子どもと言い争っても、またどんなに子育てがわずらわしく感じても、その愛
情だけは、守る。それはまさに、最後の砦(とりで)。それを捨てたら、あなたはおしまい。あな
たの家族は、おしまい。

 もちろんだからといって、子どもに好き勝手なことをさせろということではない。子どものわが
ままを通せということではない。あなたはあなた。言うべきことは言えばよい。すべきことはすれ
ばよい。おかしいことは、おかしいと言えばよい。まちがっていることは、まちがっていると言え
ばよい。子どもの機嫌をとる必要はない。歓心を買うこともない。へつらったり、遠慮することも
ない。あなたは、あなた。

 子どもというのは、不思議なもの。あなたが何かをしたからといって、どうにもならないとき
は、どうにもならない。しかしあなたが何もしなくとも、子どもというのは、自分で育っていくもの。
ちょうど、今のあなたにその「力」があるように、子どももまた、自分の力をもっている。その力
を信じて、そして、大切なことは、子どもに任すところは任せて、そして一方、あなたはあなたの
「力」を信じて、前向きに生きていく。

 さあ、あなたも、自分のしたいことをしよう。勇気を出して、自分の道を歩こう。一人の母親で
もなく、一人の妻でもなく、一人の女でもなく、一人の人間として、したいことをしよう。すべきこ
とをしよう。そういう姿勢が、あなたの子どもに伝わったとき、それは子どもにとっても、夢や希
望になる。
 
 あなたが今、ここにいるように、一〇年後、二〇年後、あなたの子どもは、そこにいる。だか
ら何も恐れることはない。何も心配することはない。必ず、このトンネルには出口がある。朝の
ない夜はないように、必ず、いつかあなたはそのトンネルから出る。そしていつか必ず、今の状
態を、笑い話にすることができる。

 あなたはすでにすばらしい親だ。じゅうぶん、がんばってきた。今も、がんばっている。だから
もっと、自信をもって前に進む。自分に、もっと自信をもって足を踏み出す。愛情だけは、しっ
かりと保ちながら……。
(02−12−10)

●Kさんへ……完ぺきママのこわいところは、子どもに完ぺき性を求める一方、自分でも完ぺ
きなママを演ずることです。もしあなたが子どもへ完ぺき性を感じたら、同時に、あなた自身
が、完ぺきママを演じていないかを、反省してみてください。今のままだと、あなたも疲れます
が、子どもも疲れます。そしてその「疲れ」が、子育てそのものを、ギクシャクしたものにします。
だから……。肩の力を抜いて、居直るのです。勇気を出して、居直るのです。不完全であること
を恥じることはないというのは、そういう意味です。






Touch your Heart byはやし浩司

子どもの心が離れるとき 

●フリーハンドの人生 
 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに
生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。
親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの
人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。子どもを「家」や、安易な孝行
論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、いけない。もちろん子どもがそ
のあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするというのであれば、それは子どもの
勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」
と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられ
てしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏
が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(二〇〇〇年夏)。「私は母の女手一つで、育て
られました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。はじめ私は、I
氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。しかしそのうちI氏の母親が、
本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまった。五〇歳も過ぎたI氏に、そ
こまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親
はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく
言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととし
て、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさん
は、夜なべをして……」という、あの歌である。戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しか
しこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさ
んの歌』は、三番まであるが、それぞれ三、四行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分
は、母からの手紙の引用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」
 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたは
どう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまう
に違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、
手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」
「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきであ
る。つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と
織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中二男子)がいた。自分のことを言う
のに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言
うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞い
た。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。

●うしろ姿の押し売りはしない

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならな
い。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子ども
に安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを育てるために苦
労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」と
いうが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの
心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳
の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査
結果がある。平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日
本の若者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低下)しかいない。自由
意識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメリカでは、何と六三%である

(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期に
きているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる

 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のもので
もない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。
私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。
親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの
親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え
方ではない。あくまでもフリーハンド、である。ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命
に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成六
年)は、次のようになっている。
 フィリッピン ……八一%(一一か国中、最高)
 韓国     ……六七%
 タイ     ……五九%
 ドイツ    ……三八%
 スウェーデン ……三七%
 日本の若者のうち、六六%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読
むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。