はやし浩司

そのほかの問題
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はやし浩司

ここではワクにとらわれない、
そのほかの問題を考えます。

赤ちゃんがえり

北海道在住のESさんからの相談

 北海道在住のESさんから、こんな相談が届いた。

「二年ほど前にはやし先生にご著書をお贈りいただいた北海道K郡のESと申します。
その節は有難うございました。あれ以来、先生のホームページとEマガジンを楽しく読ませていただき、子育ての参考にさせていただいております。    

日々、子育ての奥の深さを実感すると同時に、子供を冷静に見る、距離をおいて見ることの大切さも知ったように思います。とはいえ、ご相談があり、メールをさせていただきました。

現在、七歳の女の子(長女)、四歳の男の子(長男)、一歳の男の子(二男)がおります。
七歳の子は年少、年長と幼稚園に馴染みにくく、表情も硬く、じっと人をみすえるようなところもあり、子供というよりは大人を相手にしているような気持ちになったものですが
年長になった頃から友達も増え、表情が生き生きと見違えるようになりました。弟に対しても以前とは違いとてもやさしくお姉さんらしくなりました。

これも先生の子育て論がとても参考になっていたことも大きいと、嬉しく思っています。

四歳の男の子ですが、最近、しつこいほどに@「お兄ちゃんになりたくない」、「大人になりたくない」、まだ学校は先のことにもかかわらず「学校に行きたくない」、「勉強したくない」と言い困っています。A弟が生まれ赤ちゃんがえりしたのかなあとは思うものの、あまりにしつこさに閉口してしまいます。

三人いると、確かにその子に充分手をかけてやれないのは事実ですが、Bわたしとしては不安にさせるような言動はないつもりです。

「〜したくない」といえば、「いいよ」と理解は示しているつもりなのですが……
性格は幼稚園では、明るく、友達ともよく遊び、活発なようです。Cが、ここ二〜三か月あまり元気がないようで、先生にも甘えているようです。今日も園に用事でいった時も恥ずかしそうなさびしそうな表情で笑いかけてきて、少し胸が痛みました。

D家では、明るく元気なものの神経質なところがあります。例えば、手足などの少しの汚れを気にしたり、傷ともいえないような傷を気にしたりです。そして冗談が通じにくいのか笑わそうとしていったことにいじけたり、腹をたてたりです。同じことを姉にいった場合、笑ってくれます。

長男の否定的なところを、もっと明るいほうへ向くようにしてやりたいと思うのですが、親として、どう接してやればよいでしょうか?

やまに登ったり、木の実を拾ったり、と外へ出ることがもともと好きですので、E主人とは、そのようなところへ連れ出してやるのが長男の気持ちを解消させるのかなあとは話しています。

どうぞアドバイスをよろしくお願いいたします。」

【はやし浩司よりESさんへ】

 ご無沙汰しています。メール、ありがとうございました。少し、考えてみます。

@「お兄ちゃんになりたくない」、「大人になりたくない」、まだ学校は先のことにもかかわらず「学校に行きたくない」、「勉強したくない」と言い困っています。

 ここで一番需要なポイントは、四歳の子どもが、「お兄ちゃんになりたくない」と言っている点です。この言葉は「お兄ちゃんでいるのは、いやだ」とも解釈できます。どこかで「兄」としてのプレッシャーを感じているのかもしれません。赤ちゃんがえりを起こした子どもに、ときどき観察される発言です。

 赤ちゃんがえりというのは、一種の恐怖反応と理解されています。「捨てられた」「捨てられるのでは」という妄想性が、子どもの心をゆがめます。小児うつ病(依存型うつ病)のひとつと考える学者もいます。どちらにせよ、下の子が生まれたことが原因による嫉妬がからむため、叱ったり、説教したりしても、意味はありません。少し極端な考え方ですが、もしあなたの夫がある日突然、愛人を家に連れてきて、「今日からいっしょに住む」と言ったら、あなたはどうするでしょうか。子どもの置かれた立場は、それに似た立場と考えてよいでしょう。赤ちゃんがえりを、決して、安易に考えてはいけません。

A弟が生まれ赤ちゃんがえりしたのかなあとは思うものの、あまりにしつこさに閉口してしまいます。

 嫉妬がからむと、おとなでも、本態的に狂うということは、よくあります。「本態的」というのは、人間性そのものまで影響を受けるということです。乳幼児のばあい、嫉妬心をいじるのは、タブー中のタブーです。で、ESさんの子どものように、赤ちゃんげりの症状が、「親が閉口するほど、症状がしつこくなる」ことは、珍しくありません。子どもによっては、下の子を殺す寸前のことまでします。この点においても、赤ちゃんがえりを、安易に考えてはいけません。

B私としては不安にさせるような言動はないつもりです。「〜したくない」といえば、「いいよ」と理解は示しているつもりなのですが……

 これは赤ちゃんがえりとは、別の問題です。子どもは、いろいろわがままを言いながら、親の愛情を確認したり、確かめたりします。赤ちゃんがえりの症状は子どもの欲求不満に準じて、攻撃型(下の子いじめ)、内閉型(言動が赤ちゃんぽくなる)、固着型(ものにこだわる)に分けて考えます。子どもによっては、そのつど、いろいろな症状を示すこともあります。ときに下の子をいじめたり、あるいは親に甘えたりするなど。心の緊張感がとれないため、ささいなことで、キレたり、激怒したり、かんしゃく発作を起こしたりすることもあります。

 赤ちゃんがえりと、わがままは区別して考えます。つまりそれがわがままによるものであれば、親は親として、き然とした態度でのぞみます。一般的には、わがままは無視します。わがままを言ってもムダという雰囲気をつくります。

 ただし子どものほうから愛情を求めてきたようなときには、それには、こまめに、かつていねいに応じてあげてください。

Cが、ここ二〜三か月あまり元気がないようで、先生にも甘えているようです。今日も園に用事でいった時も恥ずかしそうなさびしそうな表情で笑いかけてきて、少し胸が痛みました。

 基本的には愛情不足と考えてよいでしょう。親は「みな平等にかわいがっているから問題はないはず」と考えがちですが、子どもの側からすれば、「平等」ということが納得できないのです。先の例で、あなたの夫が、「おまえも愛人も平等にかわいがっている」と言っても、あなたはそれに納得するでしょうか。

D家では、明るく元気なものの神経質なところがあります。例えば、手足などの少しの汚れを気にしたり、傷ともいえないような傷を気にしたりです。そして冗談が通じにくいのか笑わそうとしていったことにいじけたり、腹をたてたりです。同じことを姉にいった場合、笑ってくれます。

 いくつか神経症による症状も出ていると思われます。神経症の原稿は、ここに張りつけておきますので参考にしてください。

E主人とは、そのようなところへ連れ出してやるのが長男の気持ちを解消させるのかなあとは話しています。

 最後に、この問題は、結局は、子どもに、いかにすれば安心感を与えることができるかという点に行きつきます。おとな的な発想で、「外へ連れ出せばよいのでは」と考えることはムダではありませんが、方向性が少し違うように思います。あくまでもお子さんの気持ちを大切に、お子さんの気持ちを確かめながら行動するのがよいかと思います。強引にあちこちへ連れまわすのは、かえって逆効果になるのではと心配しています。

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参考@(子どもの欲求不満)

子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ
 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、ふつう、次の三つに分けて考える。

@攻撃・暴力タイプ
 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態にあり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考える。

A退行・依存タイプ
 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。このタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

B固着・執着タイプ
 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだりする(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子どもの未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子どもは幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を解消しようとする。

●欲求不満は愛情不足
 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもというのは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。ある子ども(小一男児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入ったということで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。子どもなりに、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで……」と言ったが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。

●濃厚なスキンシップが有効
 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネシウム分の多い食生活に心がける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップそのものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあい、その心配はまずない。そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよい。子どもの欲求不満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの問題は解決する。

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参考A(幼児がえり)

おとななんかに、なりたくない

 赤ちゃんがえりという、よく知られた現象が、幼児の世界にある。下の子どもが生まれたことにより、上の子どもが赤ちゃんぽくなる現象をいう。急におもらしを始めたり、ネチネチとしたものの言い方になる、哺乳ビンでミルクをほしがるなど。定期的に発熱症状を訴えることもある。原因は、本能的な嫉妬心による。つまり下の子どもに向けられた愛情や関心をもう一度とり戻そうと、子どもは、赤ちゃんらしいかわいさを演出するわけだが、「本能的」であるため、叱っても意味がない。

 これとよく似た現象が、小学生の高学年にもよく見られる。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえり、である。先日も一人の男児(小五)が、ボロボロになったマンガを、大切そうにカバンの中から取り出して読んでいたので、「何だ?」と声をかけると、こう言った。「どうせダメだと言うんでチョ。ダメだと言うんでチョ」と。

 原因は成長することに恐怖心をもっているためと考えるとわかりやすい。この男児のばあいも、日常的に父親にこう脅されていた。「中学校の受験勉強はきびしいぞ。毎日、五、六時間、勉強をしなければならないぞ」「中学校の先生は、こわいぞ。言うことを聞かないと、殴られるぞ」と。こうした脅しが、その子どもの心をゆがめた。
 ふつう上の子どものはげしい受験勉強を見ていると、下の子どもは、その恐怖心からか、おとなになることを拒絶するようになる。実際、小学校の五、六年生児でみると、ほとんどの子どもは、「(勉強がきびしいから)中学生になりたくない」と答える。そしてそれがひどくなると、ここでいうような幼児がえりを起こすようになる。

 話は少しそれるが、こんなこともあった。ある母親が私のところへやってきて、こう言った。「うちの息子(高二)が家業である歯科技工士の道を、どうしても継ぎたがらなくて、困っています」と。それで「どうしたらよいか」と。そこでその高校生に会って話を聞くと、その子どもはこう言った。「あんな歯医者にペコペコする仕事はいやだ。それにうちのおやじは、仕事が終わると、『疲れた、疲れた』と言う」と。そこで私はその母親に、こうアドバイスした。「子どもの前では、家業はすばらしい、楽しいと言いましょう」と。結果的に今、その子どもは歯科技工士をしているので、私のアドバイスは、それなりに効果があったということになる。さて本論。

 子どもの未来を脅してはいけない。「小学校では宿題をしないと、廊下に立たされる」「小学校では一〇、数えるうちに服を着ないと、先生に叱られる」などと、子どもを脅すのはタブー。子どもが一度、未来に不安を感ずるようになると、それがその先、ずっと、子どものものの考え方の基本になる。そして最悪のばあいには、おとなになっても、社会人になることそのものを拒絶するようになる。事実、今、おとなになりきれない成人(?)が急増している。二〇歳をすぎても、幼児マンガをよみふけり、社会に同化できず、家の中に引きこもるなど。要は子どもが幼児のときから、未来を脅さない。この一語に尽きる。

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参考B(子どもの神経症)(中日新聞発表済み)

子どもの神経症

 心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。脳の機能が変調したために起こる症状と考えると、わかりやすい。ふつう子どもの神経症は、@精神面、A身体面、B行動面の三つの分野に分けて考える。そこであなたの子どもをチェック。次の症状の中で思い当たる症状(太字)があれば、丸(○)をつけてみてほしい。

 精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる。高所恐怖症、赤面恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症など)、強迫症状(ささいなことを気にして、こわがる)、不安症状(理由もなく思い悩む)、抑うつ症状(ふさぎ込んだり、落ち込んだりする)、不安発作(心配なことがあると過剰に反応する)など。混乱してわけのわからないことを言ったり、グズグズするタイプと、大声をあげて暴れるタイプに分けて考える。ほかに感情面での神経症として、赤ちゃんがえり、幼児退行(しぐさが幼稚っぽくなる)、かんしゃく、拒否症、嫌悪症(動物嫌悪、人物嫌悪など)、嫉妬、激怒などがある。

 身体面の神経症……夜驚症(夜中に突然暴れ、混乱状態になる)、夢中遊行(ねぼけてフラフラとさまよい歩く)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、遺尿(その意識がないまま尿もらす)、睡眠障害(寝つかない、早朝起床、寝言、悪夢)、嘔吐、下痢、原因不明の慢性的な疾患(発熱、ぜん息、頭痛、腹痛、便秘、ものもらい、眼病など)、貧乏ゆすり、口臭、脱毛症、じんましん、アレルギー、自家中毒(数日おきに嘔吐を繰り返す)、口乾、チックなど。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものいじり、ものをなめる、手洗いグセ(潔癖症)、臭いかぎ(疑惑症)、緘黙、吃音(どもる)、あがり症、失語症、無表情、無感動、涙もろい、ため息なども、これに含まれる。一般的には精神面での神経症に先だって、身体面での神経症が現われることが多い。

 行動面の神経症……神経症が行動面におよぶと、さまざまな不適応症状となって現われる。不登校もその一つだが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、過食、拒食、異食、小食、偏食、好き嫌い、引きこもり、拒食などが断続的に起こることが多い。生活習慣が極端にだらしなくなることもある。忘れ物をしたり、乱れた服装で出歩いたりするなど。ほかに反抗、盗み、破壊的行為、残虐性、帰宅拒否、虚言、収集クセ、かみつき、緩慢行動(のろい)、行動拒否、自慰、早熟、肛門刺激、異物挿入、火遊び、散らかし、いじわる、いじめなど。

こうして書き出したら、キリがない。要するに心と身体は、密接に関連しあっているということ。「うちの子どもは、どこかふつうでない」と感じたら、この神経症を疑ってみる。ただし一言。こうした症状が現われたからといって、子どもを叱ってはいけない。叱っても意味がないばかりか、叱れば叱るほど、逆効果。神経症は、ますますひどくなる。原因は、過関心、過干渉、過剰期待など、いろいろある。

 さて診断。丸の数が、一〇個以上……あなたの子どもの心はボロボロ。家庭環境を猛省する必要がある。九〜五個……赤信号。子どもの心はかなりキズついている。四〜一個……注意信号。見た目の症状が軽いからといって、油断してはならない。

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参考C(子どもへの愛情)

愛情は落差の問題

 下の子どもが生まれたりすると、よく下の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたりする。(赤ちゃんがえりをマイナス型とするなら、下の子をいじめたり、下の子に乱暴するのをプラス型ということができる。)本能的な嫉妬心が原因だが、本能の部分で行動するため、叱ったり説教しても意味がない。叱れば叱るほど、子どもをますます悪い方向においやるので、注意する。

 こういうケースで、よく親は「上の子どもも、下の子どもも同じようにかわいがっています。どうして上の子は不満なのでしょうか」と言う。親にしてみれば、フィフティフィフティ(50%50%)だから文句はないということになるが、上の子どもにしてみれば、その「五〇%」というのが不満なのだ。つまり下の子どもが生まれるまでは、一〇〇%だった親の愛情が、五〇%に減ったことが問題なのだ。もっとわかりやすく言えば、子どもにとって愛情の問題というのは、「量」ではなく「落差」。それがわからなければ、あなたの夫(妻)が愛人をつくったことを考えてみればよい。あなたの夫が愛人をつくり、あなたに「おまえも愛人も平等に愛している」とあなたに言ったとしたら、あなたはそれに納得するだろうか。

 本来こういうことにならないために、下の子を妊娠したら、上の子どもを孤立させないように、上の子教育を始める。わかりやすく言えば、上の子どもに、下の子どもが生まれてくるのを楽しみにさせるような雰囲気づくりをする。「もうすぐあなたの弟(妹)が生まれてくるわね」「あなたの新しい友だちよ」「いっしょに遊べるからいいね」と。まずいのはいきなり下の子どもが生まれたというような印象を、上の子どもに与えること。そういう状態になると、子どもの心はゆがむ。ふつう、子ども(幼児)のばあい、嫉妬心と闘争心はいじらないほうがよい。

 で、こうした赤ちゃんがえりや下の子いじめを始めたら、@様子があまりひどいようであれば、以前と同じように、もう一度一〇〇%近い愛情を与えつつ、少しずつ、愛情を減らしていく。A症状がそれほどひどくないよなら、フィフティフィフティ(五〇%五〇%)を貫き、そのつど、上の子どもに納得させるのどちらかの方法をとる。あとはカルシウム、マグネシウムの多い食生活にこころがける。

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参考D(赤ちゃんがえり)

赤ちゃんがえりを甘く見ない

 幼児の世界には、「赤ちゃんがえり」というよく知られた現象がある。これは下の子ども(弟、妹)が生まれたことにより、上の子ども(兄、姉)が、赤ちゃんにもどる症状を示すことをいう。本能的な嫉妬心から、もう一度赤ちゃんを演出することにより、親の愛を取り戻そうとするために起きる現象と考えるとわかりやすい。本能的であるため、叱ったり説教しても意味はない。子どもの理性ではどうにもならない問題であるという前提で対処する。

 症状は、おもらししたり、ぐずったり、ネチネチとわけのわからないことを言うタイプと、下の子どもに暴力を振るったりするタイプに分けて考える。前者をマイナス型、後者をプラス型と私は呼んでいるが、このほか情緒がきわめて不安定になり、神経症や恐怖症、さらには原因不明の体の不調を訴えたりすることもある。このタイプの子どもの症状はまさに千差万別で定型がない。月に数度、数日単位で発熱、腹痛、下痢症状を訴えた子ども(年中女児)がいた。あるいは神経が異常に過敏になり、恐怖症、潔癖症、不潔嫌悪症などの症状を一度に発症した子ども(年中男児)もいた。

 こうした赤ちゃんがえりを子どもが示したら、症状の軽重に応じて、対処する。症状がひどいばあいには、もう一度上の子どもに全面的な愛情をもどした上、一からやりなおす。やりなおすというのは、一度そういう状態にもどしてから、一年単位で少しずつ愛情の割合を下の子どもに移していく。コツは、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、根気よく子どもの症状に対処すること。年齢的には満四〜五歳にもっとも不安定になり、小学校入学を迎えるころには急速に症状が落ち着いてくる。(それ以後も母親のおっぱいを求めるなどの、残像が残ることはあるが……。)

 多くの親は子どもが赤ちゃんがえりを起こすと、子どもを叱ったり、あるいは「平等だ」というが、上の子どもにしてみれば、「平等」ということ自体、納得できないのだ。また嫉妬は原始的な感情の一つであるため、扱い方をまちがえると、子どもの精神そのものにまで大きな影響を与えるので注意する。先に書いたプラス型の子どものばあい、下の子どもを「殺す」ところまでする。嫉妬がからむと、子どもでもそこまでする。
 要するに赤ちゃんがえりは甘くみてはいけない。
(030213)


家庭内暴力

●千葉県市原市のESより、はやし浩司へ

 はじめてメールいたします。
ここ一年、加速するようにドラ化する現中一の息子への対応に
悪戦苦闘している四五歳の母親です。
「不登校」「家庭内暴力」「奇声」というキーワードで検索して
いくつかたぐっていましたが、どれも琴線に響くものもなく、
溜息混じりに見つけたのが貴方の直言でした。
長い文筆にかかわらず、一気にスクロールしてしまうほどの
まさに迷う私にとって目からうろこの言葉の数珠繋ぎだったのです。

私は大学の同級生の夫と高一の長女、中二の長男の四人家族ですが、
主人は京都に単身赴任して三年になります。
思えば夫の赴任に伴って、悪化した長男の心身生活態度でしたが、
夫もマメに帰省してくれ、その度に息子と心通わす時間を持ってくれており、
「単身赴任だから」という理由付けで息子の変化を語るには悔しすぎます。

ただ、今の息子は達成感がなく、何事にもやる気のない、目標意識のない、何かにつけて
マイナス思考で、やり場のないストレスを家族にぶつけている状態です。
もちろん、何事も長続きせず、成績は下降の一途です。
時には恐ろしいくらい(明日新聞に載るのではないか?という気さえします)乱暴になり、
その刃は留守宅の私に集中して向けられ、夫が帰るとウソのようにいい子になります。
彼の状態を家族として夫に報告することが、息子にはタブーで半ば脅されたような
状態で、我慢しています。知らぬは主人ばかりなり。一体いつまで続くのか、
学校も中学になって一学期のうち約二〇日欠席してしまい、果ては「学校なんて辞めたい」。
小学校のころから、問題を起こしては責任転嫁をするので、学友からは浮き上がってしまい、
本人も自覚するものの、引っ込みがつかなくなって自己矛盾に陥って悪循環。
見ていて痛々しくなってしまいます。

そのくせ、今も私のそばを離れず、注意を引くような、私が困るような行動をとるので、
今は、彼が何を探しあぐねて、彼がどう自分のことを考えてるのか、
様子を見ながら、笑顔をつくっている始末。乱暴時には怖くても何もできませんが、
息子と自分たちを信じて負けるまいと考えています。
ただ、時にどうしようもなく、逃げ込みたくなることもあり、死んでしまいたいとすら
思うほど落ち込んでしまいます。
恐らく何千の相談メールのなかで、こんなグダグダなど、取るに足らぬ甘いものだと
察しますが、ほんの少しでも、心を支える言葉を見つけられればと思い、
メール致しました。夫以外誰にもここまで話せません。
陥りやすい母親のパターンなのかもしれませんが、気長に構えるファイトが欲しくてなりません。ながながとすみませんが、よろしくお願いいたします。
(千葉県市原市・ESより)

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●はやし浩司より、ESさんへ
はやし浩司より、
メール、拝見いたしました。
 
息子さんを、R君としておきます。
 
R君は、思春期にありがちな、典型的な情緒不安と
思われます。みんなそうですから、あまり深刻にな
らないのが、賢明です。(情緒不安というのは、いわ
ゆる心の緊張感がとれない状態と考えてください。)
その緊張している状態に、不安が入り込むと、一挙に
暴走するわけです。暴力に向うプラス型と、引きこもり
などに向うマイナス型に分けて考えます。R君は
プラス型です。精神科で診断されると、青年期の
うつ病というような診断名をつけるかもしれません。
この名前を出してショックを受けられるかもしれませんが、
多かれ少なかれどの子どもも、そういった傾向を示しますので、
「うちの子だけが……」とは、思わないでくださいね。
 
言いかえると、この時期さえうまくくぐりぬけると、
症状は急速に回復しますので、あまり不安にならないように。
将来に対する不安を感じているのは、むしろ
R君自身と思ってあげてください。
成績がさがる、勉強がうまくはかどらない、しかし
みんなの中で目立ちたいなど、思春期の中で、
心の中がいつも緊張状態にあるのです。そのため
情緒そのものがたいへん不安定になっているのです。
まあ、いわば、心の風邪のようなもの。少し症状が
重いので、インフルエンザくらいだと思ってください。
いえ、決してなぐさめているのではありません。
ここにも書いたように、ケースとしては、たいへん
多く、またマイナス型(ひきこもり)と比べると
予後もよく、回復し始めると、あっという間に
症状が消えていきます。ですからここは「心がインフルエンザ
にかかっている」と思い、一歩退いた見方で、R君を
みるようにします。
 
で、いくつかコツがあります。
 
(1)今こそ、あなたの親としての愛情が試されている
ときと思うこと。今までのあなたは、いわば本能的愛、
あるいは代償的愛に翻弄されていただけです。しかし
今、あなたのR君に対する愛がためされているのです。
言いかえると、あなたがこの問題を、R君に対する
おしみない愛情で乗り越えたとき、あなたはさらに
深い親の愛を知ることになります。ですから決して
投げ出したり、投げやりになったりしてはいけませんよ。
「私はあなたにどれだけ裏切られても、あなたを
愛していますからね」という態度を貫きます。
いつかR君はそういうあなたに気づき、あなたのところ
に戻ってきます。そのときのために、決してドアを
閉じてはいけません。いつもドアを開いていてください。
そのためにも、「許して忘れる」です。
 
この「許して忘れる」については、私のサイトの
「心のオアシス」の中に書いておきましたから
トップページから開いて、ぜひ読んでみてくださいね。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
 
(2)この症状は、「治そう」とは思わないこと。
「今の状態をより悪くしないことだけを考える」こと。
ここが大切です。この段階で、治そうと思うと、悪循環の
世界に入ってしまい、それこそ「以前のほうが症状が
軽かった……」ということを繰り返しながら、症状は
どんどん悪化(本当は悪化ではなく、親の過干渉、
溺愛からの解放をめざしているのです)します。
ですから、数か月単位で、R君をみるようにし、
そして今の状態をこれ以上悪くしないことだけを
考えて、様子をみます。私の経験では、これから
一通り、R君はおとなになる準備をし、落ち着き始めるのは
一六、七歳ころだと思います。あせってはいけません。
気長に考えるのです。
 
(3)冷蔵庫から甘い食品を一掃してみてください。
思い切って捨てるのです。そしてCA、MGの多い食生活
にこころがけます。子どもの場合、食生活を変える
だけで、みちがえるほど、静かに落ち着いてきます。
詳しくは、サイトのあちこちに「過剰行動児」という
項目で書いておきました。ヤフーの検索で、
「はやし浩司 過剰行動」で検索するとヒットできるはずです。
 
(1)R君は恐らく幼児期はいい子のまま、仮面をかぶっていた
はずです。お父さんに対する態度が違うところがそうです。
(お父さんはかなり権威主義者ですね。)そういう仮面の
重圧感に苦しんできたのですよ。わかりますか?
それを今、懸命に調整しようとしている。そういう意味でも
ごくありふれた、先ほども書きましたように、多かれ
少なかれ、どの子どももかかる、心のインフルエンザの
ようなものです。ただ外から症状が見えないから
どうしても安易に考えてしまう。そういうものです。
 
(5)進学ということよりも、R君がしたいこと、R君に
向いている面で、将来の設計図を一緒に考えてあげるのが
いいでしょうが、ただ今の状態では、まだ時期が早いかもしれ
ません。今、あれこれ動いても、R君自身をかえって追い込んで
しまうからです。心のリハビリを考え、
 
●何もしない、何も世話をやかない、何も言わない、何も
かまわない……という状況の中で、つまりR君から見て、まったく
親の存在を感じないほどまでに、気が楽になるようにしむけます。
こういうケースでは、扱い方をまちがえたり、子どもを追い込むと
たとえば集団非行、家出ということを
繰り返しながら、どんどん悪循環の輪の中に入ってしまい
ます。ですから、子どもの側から見て、安心できる家庭づくり、
ほっとする家庭づくりに心がけてください。(家出をしたら、
またまた何かとやっかいになります。)家にいるだけでも、
ありがたいと思いつつR君に「やすらぎ」を用意します。
つまり根競べです。本当に根競べです。
 
この問題は、今のあなたには深刻な問題ですが、
必ず笑い話になりますよ。巣立ちにはいろいろな
形がありますが、これもその一つです。ですから親の
あなたが一歩退いて、つまり子どもを飲み込んだ世界から
見るのです。決して対等になってはいけません。
 
あのね、R君は、あなたが不安そうな表情、心配そうな
表情を見ながら、自分の心の中の不安を増幅させて
いるのですよ。そういう心理を理解するにはむずかしい
かもしれませんが、一度それがわかると、「何だ、
やっぱり子どもだな」と思えるようになります。ためして
みてください。
 
私の知人(女性)の長男も、高一のとき、無免許でバイクに乗り、
事故を起こし、逮捕、退学。いろいろありましたが、今は
笑い話にしています。(その分、その知人はみちがえるほど
気高い母親になりましたがね……。)いろいろみんな
あるのです。決して、自分だけが……とは思わないこと。
追い込まないこと。わかりますか? 
 
私のサイトの中に、「タイプ別子育て」という
コーナーがありますから、その中から非行なども
読んでみてください。参考になると思います。
 
子どもというのは不思議なもので、親が心配したところで
どうにかなる存在ではないし、しかし放っておいても
自分で育っていくものです。そろそろ子離れを始めてください。
(子どものほうはとっくの昔に親離れしているのですよ。)
 
子育てはまさに航海。「ようし、荒波の一つや二つ、
越えてやる」「十字架の一つや二つ、背負ってやる」
「さあ、こい」と怒鳴ったとき、不幸(本当は不幸でも
何でもないのです。あなたも子どものころ、品行方正の
女の子でしたか? ちがうでしょ!)は、向こうから
退散していきます。
 
R君は、今、自分の将来に大きな不安をもっています。
うまく口ではそれを表現できないだけですよ。だから
態度や行動でそれを示している。繰り返しますが、心の風邪
です。だれでもかかる、思春期の熱病です。(外の世界で
暴れれば問題ですが、いわゆる家庭内暴力というのです。)
本当にありふれた症状です。だからあまり深刻に、(いえ
今は深刻ですが……。決して深刻でないとは思って
いません。)そういうふうに一歩退いてみるのですよ。
決して、R君を追い込まないこと。「がんばれ」とか、
「こんなことでは、高校へ行けなくなる」とか、そういう
ふうに追い込んではいけません。(多分、あなたの
夫は仕事人間で、そういう姿を彼は見て、よけいに
不安になるのかもしれませんね。)
 
あまりよい回答になっていないかもしれませんが、
何か不安なことがあれば、またそのとき、メールを
ください。力になります。いつか必ず笑い話になり、
そしてそのときあなたは「子育てをやり遂げた」「子どもを
信じた」「子どもを愛しぬいた」という満足感を得られます。
そういうときが必ずきますから、どうか、どうか、その日を
信じてください。みんなそうなりましたから。私が経験した
同じようなケースは、みな、そうなっています。だから
私の言っていることを信じて、前向きに生きてください。
 
そうそうあなた自身の学歴信仰とか、学校神話の
価値観を変えることも忘れないでください。そのために
いろいろなコラムを書いていますから、また読んでください。
マガジンも発行しています。
 
みんながあなたを応援します。私も応援します。
R君は、本当はやさしい男の子です。ただ少し
気が小さいだけです。あなたもそう思っているでしょ。
 
では、おやすみなさい。
 
はやし浩司

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家庭内暴力について

●思春期の不安
 思春期の不安感は、大きく分類すると、つぎのように分けられる。

抑うつ気分(気分が晴れない)、悲哀感(何を見ても聞いても悲しい)、絶望感、自信喪失、自責感(自分はダメな人間と思い込む)、罪責感(罪の意識を強くもつ)など。これらが高じると、集団に対する不適応症状(不登校、怠学)、厭世気分(生きていることが無意味と思う)感情の鈍化、感情のコントロール不能(激怒、キレる)などの症状が現れる。

 またその前の段階として、軽い不安症状にあわせて、心の緊張感がほぐれない、焦燥感(あせり)などの症状にあわせて、ものごとに対して突発的に攻撃的になったり、イライラしたりすることもある。(こうした攻撃性が、ときにキレる状態になり、凶暴的、かつ破滅的な行為に及ぶこともある。)

●行為障害としての家庭内暴力
 こうした症状は、思春期の子どもなら、多かれ少なかれ共通してもつ症状といってもよい。が、その症状が一定レベルを超え、子ども自身の処理能力を超えたとき、さまざまな障害となって、発展的に現れる。それらを大きく分けると、思考障害、感情障害、行為障害、精神障害、身体的障害の五つになる。

 思考障害……ふつう思考障害というときは、思考の停止(考えが袋小路に入ってしまう)、混乱(わけがわからなくなる)、集中力の減退(考え方が散漫になってしまう)、想像および創造力の減退(アイデアが思い浮かばない)、記憶力の低下(英語の単語が覚えられない)、決断力の不足(グズグズした感じになる)、反応力の衰退(話しかけても、反応が鈍い)などをいう。

 感情障害……感情障害の最大の特徴は、自分の感情を、理性でコントロールできないこと。「自分ではわかっているのだが……」という状態のまま、激怒したり、突発的に暴れたりする。こうした状態を、「そう状態における錯乱状態」と考える学者もいる。ただ私は、この「自分ではわかっているのだが……」という点に着目し、精神の二重構造性を考える。コンピュータにたとえていうなら、暴走するプログラムと、それを制御しようとするCPU(中央演算装置)が、同時に機能している状態ということになる。(実際には、コンピュータ上では、こういうことはありえないが……。)

この時期の子どもは、感情障害を起こしつつも、もう一人の自分が別にいて、それをコントロールするという特徴がある。その一例として、家庭内暴力を起こす子どもは、@暴力行為の範囲を家庭内でとどめていること。またA暴力行為も、(事件になるような特別なケースは別として)、最終的な危害行為(それ以上したら、家庭そのものが破滅する行為のこと。私はこれを「最終的危害行為」と呼んでいる)に及ぶ、その直前スレスレのところで抑制することがある。家庭内暴力を起こす子どもが、はげしい暴力を起こしながらも、どこか自制的なのは、そのためと考える。

行為障害……軽度のばあいは、生活習慣の乱れ(起床時刻や就眠時刻が守れない)、生活態度の乱れ(服装がだらしなくなる)、義務感の喪失(やるべきことをしない)、怠惰、怠学(無気力になり、無意味なサボり方をする)などの症状が現れる。が、それが高ずると、社会的機能が影響を受け、集団非行、万引き、さらには回避性障害(他人との接触を嫌い、部屋に引きこもる)、摂食障害(拒食症、過食症など)を引き起こすようになる。この段階で、家人は異変に気づくことが多いが、この状態を放置すると、厭世気分が高じて、自殺願望(「死にたい」と思う)、自殺企画(自殺方法を考える)、最終的には自殺行為に及ぶこともある。

精神障害……うつ状態が長期化すると、感情の鈍化(喜怒哀楽の情が消える)、無反応性(話しかけてもボーッとしている)が現れる。一見痴呆症状に似ているので、痴呆症と誤解するケースも多い。しかし実際には、ほとんどのケースでは、本人自身が、自分の症状を自覚していることが多い。これを「病識(自分で自分の症状を的確に把握している)」という。ある青年は、中学時代、家庭内暴力を起こしていたときのことについて、こう言った。「いつももう一人の自分がそこにいて、そんなバカなことをするのをやめろと叫んでいたような気がする。しかしいったん怒り始めると、それにブレーキをかけることができなくなってしまった」と。
ほかにもう一つ、腹痛や頭痛などの身体的障害もあるが、一般的な病状と区別しにくいので、ここでは省略する。

●情緒不安
 よく誤解されるが、情緒が不安定な状態を、情緒不安というのではない。情緒不安というのは、心の緊張感がとれない状態をいう。「気を許さない」「気を抜かない」「気をゆるめない」という状態を考えればよい。その緊張しているところに、不安要素が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に心の緊張感が高まる。このタイプの子どもは、どこか神経がピリピリしていて、心を許さない。そのことは軽く抱いてみればわかる。心を許さない分だけ、体をこわばらせたり、がんこな様子で、それを拒絶したりする。情緒が不安定になるのは、あくまでもその結果でしかない。

 家庭内暴力を繰り返す子どもは、基本的には、この情緒が不安定な状態にあると考えるとわかりやすい。そのためたいていは(親側からみれば)ささいな親の言動で、子どもは突発的に凶暴になり、攻撃的な暴力を繰り返す。ある女子(中二)は、母親がガラガラとガラス戸を閉めただけで、母親を殴ったり、蹴ったりした。母親には理由がわからなかったが、その女子はあとになってこう言った。「ガラス戸をしめられると、『もっと勉強しなさい』と、催促をされているような気がした」と。

その女子の家は大通りに面していて、ふだんから車の騒音が絶えなかった。それで子どものときから、母親はその女子に「勉強しなさい」と言ったあと、いつもそのガラス戸をガラガラとしめていた。母親としては、その女子の部屋を静かにしてあげようと思ってそうしていたのだが、いつの間にか、それがその女子には「もっと勉強しなさいという催促」と聞こえるようになった……らしい。

●暴力行為
 家庭内暴力の「暴力」は、その家人にとってはまさに想像を絶するものである。またそれだけに深刻な問題となる。その家庭内暴力に、私がはじめて接したケースに、こんなのがある。
 浜松市に移り住むようになってしばらくのこと。私は親類の女性に頼まれて、一人の中学三年生男子を私のアパートで、個人レッスンをすることになった。「夏休みの間だけ」という約束だった。が、教えて始めてすぐ、その中学生は、おとなしく従順だったが、まさに「何を考えているかわからないタイプの子ども」ということがわかった。勉強をしたいのか、したくないのか。勉強をしなければならないと思っているのか、思っていないのか。どの程度まで教えてほしいのか、教えてほしくないのか。それがまったくわからなかった。心と表情が、完全に遊離していて、どんな性格なのかも、つかめなかった。

 が、その少年は、家庭の中で、激しい暴力行為を繰り返していた。その少年が暴力行為を繰り返すようになると、母親は仕事をやめ、父親も出張の多いそれまでの仕事をやめ、地元の電気会社に就職していた。そういう事実からだけでも、その少年の家庭内暴力がいかに激しかったかがわかる。

その少年を紹介してくれた親類の女性はこう言った。「毎晩、動物のうめき声にも似た少年の絶叫が、道をへだてた私の家まで聞こえてきました。その子どもが暴れ始めると、父親も母親も、廊下をはって歩かねばならなかったそうです」と。

私は具体的な話を聞きながら、最初から最後まで、自分の耳を疑った。私が知るその少年は、「わけのわからない子ども」ではあったが、家の中で、そのような暴力を働いているとは、とても思えない子どもだったからである。

●心の病気
 こうした抑うつ感が、うつ病につながるということはよく知られている。一般には家庭内暴力を起こす子どもは、うつ病であると言われる。おとなでも、うつ病患者が突発的にはげしい暴力行為を繰り返すことは、よく知られている。が、家庭内暴力を起こす子どもがすべて、うつ病かというと、それは言えない。症状としては重なる部分もあるというだけかもしれない。

たとえば学校恐怖症というのがあるが、どこまでが恐怖症で、どこからがうつ病なのか、その線を引くのがむずかしい。少なくとも、教育の現場では、その線を引くことができない。同じように、家庭内暴力を起こす子どもと、うつ病との間に、線を引くことはむずかしい。そこで比較的研究の進んでいる、うつ病についての資料を拾ってみる。(というのも、家庭内暴力という診断名はなく、そのため、治療法もないということになっているので……。)

 村田豊久氏という学者らが調査したところによると、日本においては、小学二年生から六年生までの一〇四一人の子どもについて調べたところ、約一三・三%に「うつ病とみなしてよいとの評点を、得点していた」(八九年)という。もちろんこの中には、偽陽性者(症状としてうつ病に似た症状を訴えても、うつ病でない子ども)も含まれているので、一三・三%の子どもがすべてがうつ病ということにはならない。

最近の調査研究では、学童全体の約一・八%、思春期の学童の約四・七%が、うつ病ということになっている(長崎医大調査)。が、この数字も、注意してみなければならない。「うつ病」と診断されるほどのうつ病でなくても、それ以前の軽度、中度のうつ病も含めるとどうなるかという問題がある。さらに、うつ病もふくめて、こうした情緒障害には、周期性、反復性がある。数週間単位で、症状が軽減したり、重くなったりすることもある。そういう子どもはどうするかという問題もある。が、それはさておき、ここでいう「四・七%」というのは、おおむね、「今という時点において、中学生の約二〇人に一人が、うつ病である」と考えてよい数字ということになる。

 で、この数字を多いとみるか、少ないとみるかは、別として、こうした子どもたちが、一方で不登校や引きこもり(マイナス型)を起こし、また一方で家庭内暴力を起こす(プラス型)、その予備軍と考えてよい。(あるいは実際、すでに起こしている子どもも含まれる。)で、ここで問題は、二つに分かれる。@どうすれば、家庭内暴力も含めて、どうすれば子どものうつ病を避けることができるか。A今、家庭内暴力を起こしている子どもも含めて、どういう子どもには、どう対処したらよいか。

●どうすれば防げるか 
 「すなおな子ども」というとき、私たちは昔風に、従順で、おとなの言うことをハイハイと聞く子どもを想像する。しかしこれは、誤解。

教育の世界で、「すなおな子ども」というときには、二つの意味がある。一つは、心の状態と表情が一致していること。悲しいときには悲しそうな顔をする。うれしいときにはうれしそうな顔をする、など。が、それが一致しなくなると、いわゆる心と表情の「遊離」が始まる。不愉快に思っているはずなのに、ニコニコと笑ったりするなど。

 もう一つは、「心のゆがみ」がないこと。いじける、ひがむ、つっぱる、ひねくれるなどの心のゆがみがない子どもを、すなおな子どもという。心がいつもオープンになっていて、やさしくしてあげたり、親切にしてあげると、それがそのままスーッと子どもの心の中にしみこんできくのがわかる。が、心がゆがんでくると、どこかでそのやさしさや親切がねじまげられてしまう。私「このお菓子、食べる?」、子、「どうせ宿題をさせたいのでしょう」と。

 ついでに、子どもの心は風船玉のようなもの。「家庭」で圧力を加えると、「園や学校」で荒れる。反対に「園や学校」で圧力を加えると、「家庭」で荒れる。友人との「外の世界」で荒れることもある。問題は、荒れることではなく、こうした子どもたちが、いわゆる仮面をかぶり、二重人格性をもつことだ。親の前では、恐ろしくよい子ぶりながら、その裏で、陰湿な弟や妹いじめを繰り返す、など。家庭内暴力を起こす子どもなどは、外の世界では、信じられないほど、よい子を演ずることが多い。

●こわい遊離と仮面
 一般論として、情意(心)と表情が遊離し始めると、心に膜がかかったかのようになる。教える側から見ると、「何を考えているかわからない子ども」、親から見ると、「ぐずな子ども」ということになる。あるいは「静かで、おとなしい子ども」という評価をくだすこともある。ともかくも心と表情が、ミスマッチ(遊離)するようになる。ブランコを横取りされても、笑みを浮かべながら渡す。失敗して皆に笑われているようなときでも、表情を変えず平然としている、など。「ふつうの子どもならこういうとき、こうするだろうな」という自然さが消える。が、問題はそれで終わらない。

 このタイプの子どもは、表情のおだやかさとは別に、その裏で、虚構の世界を作ることが多い。作るだけならまだしも、その世界に住んでしまう。ゲームのキャラクターにハマりこんでしまい、現実と空想の区別がつかなくなってしまう、など。ある中学生は、毎晩、ゲームで覚えた呪文を、空に向かって唱えていた。「超能力をください」と。あるいはものの考え方が極端化し、先鋭化することもある。異常な嫉妬心や自尊心をもつことも多い。

 原因の多くは、家庭環境にある。威圧的な過干渉、権威主義的な子育て、親のはげしい情緒不安、虐待など。異常な教育的過関心も原因になることがある。子どもの側からみて、息を抜けない環境が、子どもの心をゆがめる。子どもは、先ほども書いたように、一見「よい子」になるが、それはあくまでも仮面。この仮面にだまされてはいけない。こうした仮面は、家庭内暴力を繰り返す子どもに、共通して見られる。

 子どもの心を遊離させないためにも、子育ては、『まじめ八割、いいかげん二割』と覚えておく。これは車のハンドルの遊びのようなもの。子どもはこの「いいかげんな部分」で、羽をのばし、自分を伸ばす。が、その「いいかげん」を許さない人がいる。許さないというより、妥協しない。外から帰ってきたら、必ず手洗いさせるとか、うがいさせるなど。このタイプの親は、何ごとにつけ完ぺきさを求め、それを子どもに強要する。そしてそれが子どもの心をゆがめる。が、悲劇はまだ続く。このタイプの親に限って、その自覚がない。ないばかりか、自分は理想的な親だと思い込んでしまう。中には父母会の席などで、堂々とそれを誇示する人もいる。

 なお子どもの二重人格性を知るのは、それほど難しいことではない。園や学校の参観日に行ってみて、家庭における子どもと、園や学校での子どもの「違い」を見ればわかる。もしあなたの子どもが、家庭でも園や学校でも、同じようであれば、問題はない。しかし園や学校では、別人のようであれば、ここに書いた子どもを疑ってみる。そしてもしそうなら、心の開放を、何よりも大切にする。一人静かにぼんやりとできる時間を大切にする。

●前兆症状に注意
 子どもの心の変化を、的確にとらえることによって、子どもの心の病気を未然に防ぐことができる。チェック項目を考えてみた。

○ときどきもの思いに沈み、ふきげんな表情を見せる(抑うつ感)
○意味もなく悲しんだり、感傷的になって悲嘆する(悲哀感)
○「さみしい」「ひとりぼっち」という言葉を、ときどきもらす(孤独感)
○体の調子が悪いとか、勉強が思い通りに進まないとこぼす(不調感)
○「どうせ自分はダメ」とか、「未来は暗い」などと考えているよう(悲観)
○何をするにも、自信がなく、自らダメ人間であると言う(劣等感)
○好きな番組やゲームのはずなのに、突然ポカンとそれをやめてしまう(感情の喪失)
○ちょっとしたことで、カッと激怒したり、人が変わったようになる(緊張感)
○イライラしたり、あせったりして、かえってものごとが手につかないよう(焦燥感)
○ときどき苦しそうな表情をし、ため息をもらうことが多くなった(苦悶)
○同じことを堂々巡りに考え、いつまでもクヨクヨしている(思考の渋滞)
○考えることをやめてしまい、何か話しかけても、ただボーッとしている(思考の停止)
○何かの行動をすることができず、決断することができない(優柔不断)
○ワークなど、問題集を見ているはずなのに、内容が理解できない(集中困難)
○「自分はダメだ」「悪い人間だ」と、自分を責める言動がこのところ目立つ(自責感)
○「生きていてもムダ」「どうせ死ぬ」と、「死」という言葉が多くなる(希死願望)
○行動力がなくなり、行動半径も小さくなる。友人も極端に少なくなる(活動力低下)
○動きが鈍くなり、とっさの行動ができなくなる。動作がノロノロする(緩慢行動)
○ブツブツと独り言をいうようになる。意味のないことを口にする(内閉性)
○行動半径が小さくなり、行動パターンも限られてくる(寡動)
○独りでいることを好み、家族の輪の中に入ろうとしない(孤立化)
○何をしても、時間ばかりかかり、前に進まない(作業能率の低下)
○具体的に死ぬ方法を考え出したり、死後の世界を頭の中で描くようになる(自殺企画)

こうした前兆症状を繰り返しながら、子どもの心は、本来あるべき状態から、ゆがんだ状態へと進んでいく。

●家庭内暴力の特徴
 家庭内暴力といわれる暴力には、ほかには見られない特徴がいくつかある。

(1)区域限定的
 家庭内暴力は、その名称のとおり、「家庭内」のみにおいて、なされる。これは子どもの側からみて、自己の支配下のみで、かつ自己の抑制下でなされることを意味する。その暴力が、家庭を離れて、学校や社会、友人の世界で起こることはない。

(2)最終的危害行為にまでは及ばない
 子どもは、自分ができる、またできるギリギリのところまでの暴力を繰り返すが、その一線を越えることはない。(たまに悲惨な事件がマスコミをにぎわすが、ああいったケースはむしろ例外で、ほとんどのばあい、子ども自身が、暴力をどこかで抑制する。)どこか子ども自身が、「ここまでは許される」というような冷静な判断をもちつつ、暴力を繰り返す。これを私は「精神の二重構造性」と呼んでいる。言いかえると、これを反対にうまく利用して、子どもの心に訴えるという方法もある。私もよく、そういう家庭の中に乗り込んでいって、子どもと対峙したことがある。そういうとき、もう一方の冷静な子どもがいることを想定して、つまりその子どもに話しかけるようにして、諭すという方法をとる。「これは暴れる君ではない。もう一人の君だ。わかるかな。本当の君だよ。本当の君は、やさしくて、もう一人の君を嫌っているはずだ。そうだろ?」と。大切なことは、決して子どもを袋小路に追い込まないこと。励ましたり、脅したりするのは、タブー中のタブー。

(3)計算された恐怖
 子どもが暴力を振るう目的は、親や兄弟に、恐怖を与えること。その恐怖を与えることによって、相手を自分の支配下に置こうとする。方法としては、暴力団の構成員が、恐怖心を相手に与えて、自分の優位性を誇示しているのに似ている。そしてその恐怖は、計算されたもの。決して突発的、偶発的なものではない。繰り返すが、ここが、子どもがほかで見せる暴力とは違うところ。妄想性を帯びることもあるが、たとえば分裂病患者がもつような、非連続的な妄想や、了解不能な妄想をもつことはない。このタイプの子どもは、どうすれば相手が自分の暴力に恐怖を覚え、自分に屈服するかを計算しながら、行動する。そういう意味では、「依存」と「甘え」が混在した、アンビバレンツ(両価的)な状態ということになる。

●家庭内暴力には、どう対処するか
 家庭内暴力に対処するには、いくつかの鉄則がある。

(1)できるだけ初期の段階で、それに気づく
家庭内暴力が家庭内暴力になるのは、初期の段階での不手際、家庭教育の失敗によるところが大きい。子どもが荒れ始めると、親はこの段階で、説教、威圧、暴言、暴力を使って子どもを抑えようとする。体力的にもまだ親のほうが優勢で、一時はそれで収まる様子を見せることが多い。しかしこうした無理や強制は、それがたとえ一時的なものであっても、子どもの心には取り返しがつかないほどのキズを残す。このキズが、その後、家庭内暴力を、さらに凶暴なものにする。

(2)「直そう」とか、「治そう」と思わないこと
一度、悪循環に入ると、「以前のほうが、まだ症状が軽かった」ということを繰り返しながら、あとはドロ沼の悪循環におちいる。この悪循環の「輪」に入ると、あとは何をしても裏目、裏目と出る。子どもの心の問題というのは、そういうもので、たとえばこれは非行の例だが、「門限を過ぎても帰ってきた、そこで親は強く叱る」→「外泊する。そこで親は強く叱る」→「家出を繰り返す、そこで親は強く叱る」→「年上の男性(女性)と、同棲生活を始める、そこで親は強く叱る」→「性病になったり、妊娠したりする……」という段階を経て、状態は、どんどんと悪化する。

そこで大切なことは、一度、こうした空回り(悪循環と裏目)を感じたら、「今の状態をそれ以上悪くしないこと」だけを考えて、親は子どもの指導から思い切って手を引く。「直そう」とか、「治そう」と思ってはいけない。つまり子どもの側からみて、子どもを束縛していたものから子どもを解き放つ。(親にはその自覚がないことが多い。)その時期は早ければ早いほどよい。また子どもの症状は、数か月、半年、あるいは一年単位で観察する。一時的な症状の悪化、改善に、一喜一憂しないのがコツ。

(3)愛情の糸は切らない
 家庭内暴力は、あくまでも「心の病気」。そういう視点で対処する。脳そのものが、インフルエンザにかかったと思うこと。熱病で、苦しんでいる子どもに、勉強などさせない。ただ脳がインフルエンザにかかっても、外からその症状が見えない。だから親としては、子どもの病状がつかみにくいが、しかし病気は病気。そういう視点で、いつも子どもをみる。無理をしてはいけない。無理を求めてもいけない。この時点で重要なことは、「どんなことがあっても、私はあなたを捨てません」「あなたを守ります」という親の愛情を守り抜くこと。ここに書いたように、これはインフルエンザのようなもの。本当のインフルエンザのように、数日から一週間で治るということはないが、しかし必ず、いつか治る。(治らなかった例はない。症状がこじれて長期に渡った例や、副次的にいろいろな症状を併発した例はある。)必ず治るから、そのときに視点を置いて、「今」の状態をみる。この愛情さえしっかりしていれば、子どもの立ち直りも早いし、予後もよい。あとで笑い話になるケースすらある。

(4)心の緊張感をほぐす
 一般の情緒不安と同じに考え、心の緊張感をほぐすことに全力をおく。そのとき、何が、「核」になっているかを、知ることが大切。多くは、将来への不安や心配が核になっていることが多い。自分自身がもつ学歴信仰や、「学校へは行かねばならないもの」という義務感が、子ども自らを追い込むこともある。よくあるケースとしては、子どもの心を軽減しようとして、「学校へは行かなくてもいい」と言ったりすると、かえって暴力がはげしくなることがある。子ども自身の葛藤に対しては、何ら解決にはならないからである。

 だいたい親自身も、それまで学歴信仰を強く信奉するケースが多い。子どもはそれを見習っているだけなのだが、親にはその自覚がない。意識もない。子どもが家庭内暴力を起こした段階でも、「まともに学校へ行ってほしい」「高校くらいは出てほしい」と願う親は多い。が、それも限界を超えると、そのときはじめて親は、「学校なんかどうでもいい」と思うようになるが、子どもはそれほど器用に自分の考えを変えることができない。そこで葛藤することになる。「どんどん自分がダメになる」という恐怖の中で、情緒は一挙に不安定になる。

 ただ症状が軽いばあいは、子どもが学校へ行きやすい環境を用意してあげることで、暴力行為が軽減することがある。A君は、夏休みの間、断続的に暴力行為を繰り返していたが、母親が一緒になって宿題を片づけてやったところ、その暴力行為は停止した。このケースでも、子ども自身が、自分を追い込んでいたことがわかる。

(5)食生活の改善
 家庭内暴力とはやや、内容を異にするが、「キレる子ども」というのがいる。そのキレる子どもについて、最近にわかにクローズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。つまり脳間伝達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑制命令を狂わすという(生化学者、ミラー博士ほか)。アメリカでは、「過剰行動児」として、もう二〇年以上も前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言うとこうだ。たとえば白砂糖を多く含む甘い食品を、一時的に過剰に摂取すると、インスリンが多量に分泌され、それがセロトニンの過剰分泌を促す。そしてそれがキレる原因となるという(岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節夫教授ほか)。

 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃でスパスパとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていったん怒りだすと、カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと金切り声を出すことも珍しくない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いたり、暴れたりする。興奮したとき、体を小刻みに震わせることもある。

 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、カルシウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は日もちをよくしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。リン酸をとると、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。一方、昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士をつくる』という。日本でも戦前までは、カルシウムは精神安定剤として使われていた。それはともかくも、子どもから静かな落ち着きが消えたら、まずこのカルシウム不足を疑ってみる。ふつう子どものばあい、カルシウムが不足してくると、筋肉の緊張感が持続できず、座っていても体をクニャクニャとくねらせたり、ダラダラさせたりする。
 これはここにも書いたように、キレる子どもへの対処法のひとつだが、家庭内暴力を繰り返す子どもにも有効である。

 最後に家庭内暴力を起こす子どもは、一方で親の溺愛、あるいは育児拒否などにより、情緒的未熟性が、その背景にあるとみる。親は突発的に変化したと言うが、本来子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐように、段階的に成長する。その段階的な成長が、変質的な環境により、阻害されたためと考えられる。よくあるケースは、幼児期から少年少女期にかけて、「いい子」で過ごしてしまうケース。こうした子どもが、それまで脱げなかったカラを一挙に脱ごうとする。それが家庭内暴力の大きな要因となる。そういう意味では、家庭内暴力というのは、もちろん心理的な分野からも考えられなければならないが、同時に、家庭教育の失敗、あるいは家庭教育のひずみの集大成のようなものとも考えられる。子どもだけを一方的に問題にしても意味はないし、また何ら解決策にはならない。

(以上、未完成ですが、また別の機会に補足します。)
(02−9−1)



子どもの虚言癖

 ファミリスという雑誌の五月号に、「子どもの虚言癖」について、書いた。つぎの原稿がそれである。

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@子どものウソ

Q 何かにつけてウソをよく言います。それもシャーシャーと言って、平然としています。(小二男)

A 子どものウソは、つぎの三つに分けて考える。@空想的虚言(妄想)、A行為障害による虚言、それにB虚言。空想的虚言というのは、脳の中に虚構の世界をつくりあげ、それをあたかも現実であるかのように錯覚してつく、ウソのことをいう。行為障害による虚言は、神経症による症状のひとつとして考える。習慣的な万引きや、不要なものを集めるなどの、随伴症状をともなうことが多い。

これらのウソは、自己正当化のためにつくウソ(いわゆる虚言)とは区別して考える。

ふつうウソというのは、自己防衛(言いわけ、言い逃れ)、あるいは自己顕示(誇示、吹聴、自慢、見栄)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚がある。

母「だれ、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさい」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから…」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。「ゆうべ幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのが、それ。  

その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言という。こんなことがあった。

 ある日一人の母親から、電話がかかってきた。ものすごい剣幕である。「先生は、うちの子の手をつねって、アザをつくったというじゃありませんか。どうしてそういうことをするのですか!」と。私にはまったく身に覚えがなかった。そこで「知りません」と言うと、「相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。

 結局、その子は、だれかにつけられたアザを、私のせいのにしたらしい。

イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせてはならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなく、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、特徴である。

どんなウソであるにせよ、子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」だけを繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子どもはますますウソの世界に入っていく。

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 ここまでは、いわば一般論。雑誌の性格上、この程度までしか書けない。つぎにもう少し、踏みこんで考えてみる。

 子どものウソで、重要なポイントは、子ども自身に、ウソという自覚があるかどうかということ。さらにそのウソが、人格的な障害をともなうものかどうかということ。たとえばもっとも心配なウソに、人格の分離がある。

 子どものばあい、何らかの強烈な恐怖体験が原因となって、人格が分離することがある。たとえばある女の子(二歳)は、それまでになくはげしく母親に叱られたのが原因で、一人二役(ときには、三人役)の独り言を言うようになったしまった。それを見た母親が、「気味が悪い」といって、相談してきた。

 このタイプの子どものウソは、まったくつかみどころがないのが特徴。ウソというより、まったく別人になって、別の人格をもったウソをつく。私の知っている女の子(小三、オーストラリア人)がいる。「私は、イタリアの女王」と言うのだ。そこで私が「イタリアには、女王はいない」と説明すると、ものごしまで女王ぽくなり、「私はやがて宮殿に迎えいれられる」というようなことを繰りかえした。

 つぎに心の中に、別の部屋をつくり、その中に閉じこもってしまうようなウソもある。これを心理学では、「隔離」という。記憶そのものまで、架空の記憶をつくってしまう。そしてそのウソを繰りかえすうちに、何が本当で、何がウソなのか、本人さえもわからなくなってしまう。親に虐待されながらも、「この体のキズは、ころんでけがをしてできたものだ」と言っていた、子ども(小学男児)がいた。

 つぎに空想的虚言があるが、こうしたウソの特徴は、本人にその自覚がないということ。そのためウソを指摘しても、あまり意味がない。あるいはそれを指摘すると、極度の混乱状態になることが多い。私が経験したケースに、中学一年生の女の子がいた。あることでその子どものウソを追及していたら、突然、その女の子は、金切り声をあげて、「そんなことを言ったら、死んでやる!」と叫び始めた。

 で、こうした子どもの虚言癖に気づいたら、どうするか、である。

 ある母親は、メールでこう言ってきた。「こういう虚言癖は、できるだけ早くなおしたい。だから子どもを、きびしく指導する」と。その子どもは、小学一年生の男の子だった。

 しかしこうした虚言癖は、小学一年生では、もう手のほどこしようがない。なおすとか、なおさないというレベルの話ではない。反対になおそうと思えば思うほど、その子どもは、ますます虚構の世界に入りこんでしまう。症状としては、さらに複雑になる。

 小学一年生といえば、すでに自意識が芽生え、少年期へ突入している。あなたの記憶がそのころから始まっていることからわかるように、子ども自身も、そのころ人格の「核」をつくり始める。その核をいじるのは、たいへん危険なことでもある。へたをすれば、自我そのものをつぶしてしまうことにも、なりかねない。そのためこの時期できることは、せいぜい、今の状態をより悪くしない程度。あるいは、ウソをつく環境を、できるだけ子どもから遠ざけることでしかない。仮に子どもがウソをついても、相手にしないとか、あるいは無視する。やがて子ども自身が、自分で自分をコントロールするようになる。年齢的には、小学三,四年生とみる。その時期を待つ。

 ところで私も、もともとウソつきである。風土的なもの、環境的なものもあるが、私はやはり母の影響ではないかと思う。それはともかくも、私はある時期、そういう自分がつくづくいやになったことがある。ウソをつくということは、自分を偽ることである。自分を偽るということは、時間をムダにすることである。だからあるときから、ウソをつかないと心に決めた。

 で、ウソはぐんと少なくなったが、しかし私の体質が変わったわけではない。今でも、私は自分の体のどこかにその体質を感ずる。かろうじて私が私なのは、そういう体質を押さえこむ気力が、まだ残っているからにほかならない。もしその気力が弱くなれば……。ゾーッ!

 そんなわけで小学一年生ともなれば、そういう体質を変えることはできない。相談してきた母親には悪いが、虚言癖というのはそういうもの。その子ども自身がおとなになり、ウソで相手をキズつけたり、キズつけられたりしながら、ウソがもつ原罪感に自分で気がつくしかない。また親としては、そういうときのために、子どもの心の中に、そういう方向性をつくることでしかない。それがどんなウソであるにせよ……。
(030605)

【補足】
 以前、こんな原稿(中日新聞掲載済み)を書いた。内容が重複するが、参考までに……。

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子どもがウソをつくとき

●ウソにもいろいろ
 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのようにしてつくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。

 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさい」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言という。こんなことがあった。

●空想の世界に生きる子ども
 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児)が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではありませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」と。ものすごい剣幕だった。が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、その母親は、「どうしてそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。

 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバスの中で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあとA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそらすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。

●「お前は自分の生徒を疑うのか!」
 ある日、一人の女の子(小四)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バスの中で落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常識では考えられなかった。そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情のまま、やはりことこまかに話をつなげた。「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それでそのときカバンがほとんど逆さまになり、お金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚えているというのもおかしい。落としたなら落としたで、そのとき拾えばよかった……?

 で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小二)からこんな話を聞いた。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落としたという金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことがたびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、そのつど、どこかつじつまが合わなかった。そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親にその女の子の問題を伝えることにした。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒して、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の部屋に隠れて立っているのがわかった。「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その女の子はニヤリと笑った。

ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩も引きさがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」といくら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。

●空中の楼閣に住まわすな
 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせてはならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、その特徴である。

●ウソは、静かに問いつめる
 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子どもはますますウソがうまくなる。

 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのいい子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側から見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない子ども」といった感じになる。

 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまうことになるから注意する。

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【FGさんからの相談より】

 ある日学校の保健室の先生から呼び出し。小学二年生になった息子を迎えにいくと、私に抱きついて泣きじゃくる。

 理由を聞こうとすると、保健室の先生が、「昨夜から何も食べていないとのこと。昨夜もおなかが痛く、嘔吐もしたとのこと……」と。

 しかし息子は、元気だった。昨夜の夕食もしっかりと食べたし、嘔吐もなかった。

 こうしたウソは、息子が三歳くらいのときから始まった。このままでは、仲間からウソつきと呼ばれるようになるのではないかと、心配。どうしたらいいでしょうか。(神奈川県K市在住、FGより)

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 ほかにもいくつかの事例が書いてあったが、問いただせば、ウソと本人が自覚する程度のウソということらしい。それまでは、虚構の世界に、自らハマってしまうよう。

 このタイプの子どもは、自分にとって都合の悪いことが起こると、それを自ら、脳の中に別の世界をつくり、自分をその中に押しこんでしまう。そしてある程度、何回もそれを反復するうち、現実と虚構の世界の区別がつかなくなってしまう。いわば偽の記憶(フォールスメモリー)をつくることによって、現実から逃避、もしくは現実的な問題を回避しようとする。これを心理学の世界では、防衛機制という。つまり現実の世界で、心が不安定になるのを避けるために、その不安定さを避けるために、自分の心を防衛するというわけである。

 原因は……、理由は……、引き金は……、ということを、今さら問題にしても意味はない。幼児期の子どもには、こうしたウソをつく子どもは珍しくない。ざっとみても、年長児のうち、一〇〜二〇人には、この傾向がある。やや病的かなと思われるレベルまで進む子どもでも、私の経験では、三〇〜四〇人に一人。日常的に空想の世界にハマってしまうようであれば、問題だが、そんなわけで、ときどき……ということであれば、つぎのように対処する。

(1)その場では、言うべきことを言いながらも、決して、追いつめない。子どもを窮地に立たせれば立たせるほど、立ちなおりができなくなる。完ぺき主義の親ほど、注意する。

(2)小学三、四年生を境に、自己意識が急速に発達し、子ども自身が自分で自分をコントロールするようになるので、その時期を目標に、つまりそういう自己意識で自らコントロールできるような布石だけはしておく。ウソをつけば、友だちに嫌われるとわかれば、またそういう経験を実際にするうちに、自分で自分をコントロールするようになる。

 子ども(幼児、小学校の低学年児)のばあい、ウソを強く叱ると、「ウソをついたこと」を反省する前に、恐怖を覚えてしまい、つぎのとき、さらにウソの世界が拡大してしまうことになる。ウソは相手にしない。ウソは無視するという方法が、好ましい。しかし子どもが病的なウソをつくようになると、ほとんどの親はあわててしまい、「将来はどうなる?」「このままではうちの子は……?」と、深刻にに騒ぐ。

 しかし心配無用。人間は、どこまでも社会的な動物である。その社会でもまれることにより、また、自己意識が発達することにより、自ら自分を修復する能力をもっている。大切なことは、この自己修復能力を、大切にすること。この相談のFGさんのケースでも、ここ数年のうちに、子どものウソは、急速に収まっていく。要は、今、あわてて症状をこじらせないこと。


はじめての登園

幼稚園、保育園、ご入園、おめでとうございます。
はじめての登園での注意事項をいくつか、考えてみます。はじめて何かのおけいこ塾や幼児教室へ子どもを連れていくときにも応用できますので、ぜひ参考にしてみてください。

【対人恐怖症に注意】
 子どもの恐怖症に注意してください。以前、高所恐怖症、閉所恐怖症などになった子どもほど、注意します。思考プロセスが脳の中にできているため、ちょっとしたことから、対人恐怖症になることがあります。集団に対して一度、恐怖心をもつと、それがこの先、ずっとベースになってしまいます。それが原因で、集団生活が苦手になったり、「内弁慶、外幽霊」になる子どもも、珍しくありません(※1)。

 とくに今まで、あまり多人数の中でもまれることがなかった子どもほど、注意します。親子だけの狭い世界で、マンツーマンの生活をしてきた子どもなど。集団に対して免疫性ががない分だけ、恐怖心をもちやすいと言えます。

【前向きの働きかけ(ストローク)を大切に】
 あなたの子どもに過敏傾向や神経質な面があるなら、子どもに恐怖感をもたせないように注意してください。幼稚園や保育園は、楽しいところという印象づくりをします。前もって一度、子どもと園を訪れてみるのもよいでしょう。そして「すてきなところね」「お友だちがいっぱいできるよ」「先生は、みんなやさしい人よ」と、前向きの暗示を与えておきます。「幼稚園の先生はこわい」「服を着られないと、先生にたたかれる」式の脅しは、タブーです。

 この時期は、「はじめの一歩」を大切にします。はじめの印象が、大切だということです。そこでもし、あなたのお子さんに、つぎのような症状が見られたら、「無理をしない」を大前提に、お子さんの心を大切にしてあげてください(※2)。

 また子どもが園へ通うようになったら、家族で前向きの働きかけ(ストローク)を子どもに与えるようにします。「幼稚園へ通うようになって、あなたはますますいい子になったわ」「幼稚園の先生がほめていたわ」など。「絵がじょうずになった」「歌がうまくなった」と、そのつどほめるのも効果的。この時期、子どもは、やや自信過剰ぎみなほうが、あとあとよく伸びます。欠点を補おうと考えるのではなく、得意分野をさらに伸ばすのが、子どもを伸ばすコツ。

【子どもの様子を観察してください】
 集団を見たとき、体をこわばらせる。親のうしろに隠れる。どこかおびえたような様子や警戒したような様子を見せる。緊張する。 

 この時期、集団や新しい環境に、ある程度、警戒する様子を見せることは、悪いことではありません。むしろはじめから、傍若無人に平気で振る舞う子どものほうが、どちらかというと心配な子どもとみます。多動性のある子どもや、知恵の発達が遅れ気味の子どもほど、警戒心がなく、平気で、ワーワーと騒いだりします。

 「ここはどこだろう?」「みんなはどんな子どもだろう?」「何をするのだろう?」というような様子で、周囲を観察する様子を見せたら、その一つずつに、ていねいに答えてあげてください。頭ごなしに、「グズグズしないで」「うるさいわね」式に言うのは避けます。

 こうした最初の対処が悪いと、子どもによっては、集団に対して恐怖感を覚えます。園での生活になれるについて、少しずつ症状は収まっていきますが、しかしそのままその子どもの生活態度として定着してしまうこともあります。ですから、無理をしないことです。

【分離不安の注意】
 その中でも、とくに注意したのが、分離不安です(※3)。母親の姿が見えなくなっただけで、狂乱状態になって泣き叫んだりします。分離不安の原因は、「捨てられるのでは?」という妄想です。はじめての登園が引き金になることは、よくあることです。

 子どもがこうした症状を見せたら、(見せる前に適切に対処しなければなりませんが)、無理をしないこと。先生によっては、親を遠ざけ、「集団になれさせます」「やがてなれます」「私たちに任せてください」などと言って、強引に親子を分離させる人もいますが、これはたいへん危険な行為です。しばらくすると、見た目の症状は消えますが、それでなおったわけではありません。「潜った」とみます。無理をすれば、あとあと、かえっていろいろな情緒不安症状を引き起こす原因となりますから、注意してください。

 もしあなたの子どもが、はじめての登園で、分離不安の症状を見せたら、遠慮せず、お子さんのそばについてあげてください。そして「何でもないのよ」「ママも、びっくりしているのよ」というような言い方をして、子どもの心をなぐさめるようにします。「わがままを言わないで!」「ひとりでいなさい!」式に、子どもを叱ってはいけません。心の問題は、突き放せば突き放すほど、症状がこじれます。

【情緒障害の引き金にも……】
 また子どもにとっては、はじめての集団生活は、かなりショッキングなできごとと理解してあげてください。かん黙症や自閉症、自閉傾向なども、はじめての集団生活が原因で起こることもあります。

 もしあなたのお子さんが、どこか手こずるような様子を見せたら、とにかく無理をしないことです。たいていの親は、「保育園や幼稚園は、行かねばならないところ」と考え、行けない子どもを、問題児扱いします。しかしこれはまったくの偏見です。

 また一日が終われば、いつもより気を楽にさせることを考えてあげます。子どもよっては、数日目くらいから、顔色が悪くなったり、吐く息が臭くなったりします。そういうときはさらにスキンシップを濃厚にして、子どもの心を休めることだけを考えます(※4)。

【適当に行けばよい】
 オーストラリアなどでは、最初は、週三日程度の通園ですましている幼稚園もあります。私の経験でも、四年保育までは必要ないと思います。私が幼児教育の世界に入ったときは、二年保育が主流でした。一年保育という子どもも珍しくありませんでした。それが三年保育になり、四年保育になったのは、率直に言えば、園の経営方針が変わったためです。少子化で生徒が少なくなるたびに、園は、保育の年数をふやしていったという経緯があります。

 つまり最初は、「行きたいときに行けばよい」という大らかさを大切にしてください。園の先生によっては、「集団になじめなくなります」「遅れます」「休みグセがつきます」などと、親を脅しますが、これなどは、まったく根拠のないデマです。あまり気にしないように! とくに母親自身が、学歴信仰、学校神話にこりかたまっている人ほど、注意してください。「保育園や幼稚園は行かねばならないところ」「行けないのは、落ちこぼれ」という、まちがった先入観があれば、それを捨てます。

 「気が向いたら行こうね」で、よいのです。そういう姿勢を大切にします。

【家では、息を抜かせる】
 子どもが園へ通うようになったら、家でのしつけを、大幅にゆるめます。子どもによっては、神経疲れを起こし、ピリピリしたり、ぐずったりします。コツは、親の視線を感じさせないほどまでに、好き勝手なことをさせることです。あれこれ気をつかうのは、逆効果です。園から帰ってきて、家の中でゴロゴロしているようなら、そのままにさせておきます。

 それでも様子がおかしくなったら、先にも書いたように、スキンシップを多くし、CA、MGの多い食生活にこころがけます。あとは睡眠時間を、それまでより多くします。とくに寝る前の一時間は、子どもの脳を刺激しないようにします。はげしい動きのあるテレビやゲームは、避けます。もし就寝時刻が乱れるようでしたら、ベッドタイムゲームを大切にします。

【うちの子は、うちの子……】
 よその子と、何かにつけて比較しやすくなります。比較が悪いわけではありませんが、一度クセになると、そういう目でしか自分の子どもを見なくなります。そしていつの間にか、自分の子どもを見失ってしまいます。

 いつも、「うちの子は、うちの子……」という視点を大切にしてください。要するに人のことは気にしない。マイペースで、ということです。そして親とのつきあいは、如水淡交が原則(※5)。中に、(私の経験では、一〇人に一人くらいの割合で)、たいへん気むずかしい母親がいますので、注してください。こういうタイプの母親にからまれると、これからの園での生活に、あれこれ問題が起きてきます。コツは、そういう母親とのつきあいは、園での活動の範囲に収め、プライベートなつきあいはしないことです。

【終わりに……】
 子育てには不安はつきもの。しかしその不安の大半は、親自身が、自らつくるものです。わかりやすく言えば、不安だと思うから不安なのであって、そうでなければ、そうでないということです。もし子育てで不安に思ったり、迷ったりしたら、子育ての原点に立ち返ってみてください(※6)。

 あとは子ども自身が伸びる力を信じて、子どもの肩をたたいてあげます。この時期、どうしても親は神経質になります。それはし方ないことですが、しかし、それも度を超すと、育児ノイローゼになったりします。あるいはかえって子どもの伸びる力をつぶしてしまうこともあります。もし何か、心配なことがあれば、一、二歳年上の子どもをもつ親に相談してみるとよいです。ほとんどの問題は、それで解決します(※7)。

++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【参考】

 ここに書いたことの中で、参考になりそうな記事を、今までに書いた原稿の中から、選んで集めてみました。どうか参考にしてください。
(無断で転載、引用などはしないでください。よろしくお願いします。)

++++++++++++++++++++++++はやし浩司

@子どもの神経症

神経症は親を疑う

 子どもの神経症(心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害)は、まさに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑う。その神経症は、大きくつぎの三つに分けて考える。

@精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。

A身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえて警戒する。

B行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。

 こうした神経症が表れると、親は園や学校、さらには友人関係を疑うが、まず疑うべきは、家庭環境である。こんな母親がいた。学校でその子ども(小四男児)の吃音(どもり)が笑われたというのだ。その母親は「教師の指導が悪いからだ」と怒っていたが、その子どもにはほかに、チックによる症状(目をクルクルさせる)もあった。問題は「笑われた」ということではなく、現に今、吃音があり、チックがあるということだ。たいていは親の神経質な過干渉が原因で起こる。なおすべきことがあるとするなら、むしろそちらのほうだ。子どもというのは、仮に園や学校でつらい思いをしても、(またそういう思いをするから子どもは成長するが)、家庭の中でキズついた心をいやすことができたら、こうした症状は外には出てこない。

 神経症が子どもに現れたらら、子どもの側からみて、親の存在を感じないほどまでに、家庭環境をゆるめる。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子どもがひとりでぼんやりとできる時間と場所を大切にする。

+++++++++++++++++++++++はやし浩司

A子どもの神経疲れ

子どもの疲れは、神経疲れ

 子どもが「疲れた」と言うときは、神経疲れ(精神疲労)を疑う。この段階で、吐く息が臭くなったり、顔色が悪くなったりする、腹痛や頭痛を訴えることもある。一方、子どもというのは、体力や知力を使って疲れるということは、まずない。そういうときは、「眠い」という。あるいは本当に眠ってしまう。

その神経疲れだが、子どもは、この神経疲れにたいへんもろい。それこそ五〜一〇分だけでも神経をつかっただけで、子どもによっては、ヘトヘトに疲れてしまう。とくに敏感児タイプの子ども、つまり俗にいう神経質な子どもは、神経疲れを起こしやすい。このタイプの子どもは、いつも心が緊張状態にあることが知られている。その緊張した状態のところに不安が入ると、その不安を解消しようと一挙に緊張感が高まる。このとき、その緊張感を外へ吐き出すタイプ(暴れる、大声を出す、泣く)と、内へこめるタイプ(ぐずる、引きこもる、がまんする、よい子ぶる)に分かれる。前者をプラス型というのなら、後者はマイナス型ということになる。教える側からすれば、一見プラス型のほうがあつかいにくくみえるが、実際にはマイナス型のほうが、はるかにむずかしい。

どちらのタイプであるにせよ、子どもが神経疲れを起こしたら、子どもの側からみて、だれの視線も感じないような環境を用意する。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子どもがひとりで、ぼんやりできるようにする。生活習慣が乱れても、目をつぶり、子どもがしたいようにさせる。子どもが求めるようであれば、温かいスキンシップをじゅうぶん与え、あとはカルシウム分やマグネシウム分の多い食生活にこころがける。

こうした神経疲れが慢性化すると、子どもは神経症(チック、どもり、夜尿、夜驚、夢中遊行など)、さらには恐怖症(対人恐怖症、集団恐怖症など)や、情緒不安定症状を示すようになり、それが高じて精神障害(摂食障害、回避性障害、行動障害など)になることがある。もちろん不登校の原因になることもあるので注意する。
 
++++++++++++++++++++++はやし浩司

B分離不安

女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラムニストのものだが、いわく、「うちの娘(三歳)を初めて幼稚園へ連れて行った時のこと。娘は激しく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆(きずな)の深さに感動した」と。そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、感動したと言うのだ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分離不安の症状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」ではない。

 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を上げて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四−六歳児についていうなら、十五〜二十人に一人ぐらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静かに落ち着いているが、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声を張り上げて、その後を追いかけたりする。

 原因は……、というより、分離不安の子どもを見ていくと、必ずといってよいほど、そのきっかけとなった事件が、過去にあるのが分かる。激しい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病気で入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育児拒否、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子どもの側からみて、「捨てられるのでは…」という被害妄想が、分離不安の原因と考えると分かりやすい。無意識下で起こる現象であるため、叱(しか)ったりしても意味がない。

表面的な症状だけを見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理をすればかえって症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるものの、しばらくするとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではない。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつど繰り返し症状が表れる。

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場で優しく丁寧に説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子を観察すると、たいてい親の方が短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしているのが分かる。「いい加減にしなさい!」「私はもう行きますからね」と。こういう親子のリズムの乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます被害妄想を持つようになる。分離不安を神経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたように、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が予定より遅くなっただけで、言いようのない不安に襲われます」と。姿や形を変えて、大人になってからも症状が表れることがある。

+++++++++++++++++++はやし浩司

C睡眠不足

「では今夜から早く寝させます」・睡眠不足の子ども

 睡眠不足の子どもがふえている。日中、うつろな目つきで、ぼんやりしている。突発的にキャーキャーと声をあげて、興奮することはあっても、すぐスーッと潮が引くように元気がなくなってしまう。顔色もどんより曇っていて、生彩がない。睡眠不足がどの程度、知能の発育に影響を与えるかということについては、定説がない。ないが、集中力が続かないため、当然、学習効果は著しく低下する。ちなみに睡眠時間(眠ってから目を覚ますまで)は、年中児で平均一〇時間一五分。年長児で一〇時間。小学生になると、睡眠時間は急速に短くなる。

 原因の大半は不規則な生活習慣。「今日は土曜日だからいいだろう」と考えて、週に一度でも夜ふかしをすると、睡眠時間も不安定になる。ある女の子(年長児)は、おばあさんに育てられていた。夜もおとな並に遅くまで起きていて、朝は朝で、おばあさんと一緒に起きていた。つまりそれが原因で睡眠不足になってしまった。また別の子ども(年長児)は、アレルギー性疾患が原因で熟睡できなかった。腹の中のギョウ虫が原因で睡眠不足になったケースもある。で、睡眠不足を指摘すると、たいていの親は、「では今夜から早く寝させます」などと言うが、そんな簡単なことではない。早く寝させれば寝させた分だけ、子どもは早く目を覚ましてしまう。体内時計が、そうなっているからである。そんなわけで、『睡眠不足、なおすに半年』と心得ること。生活習慣というのは、そういうもので、一度できあがると、改めるのがたいへん難しい。

 なお子どもというのは、寝る前にいつも同じ行為を繰り返すという習性がある。これを欧米では、「ベッド・タイム・ゲーム」と呼んで、たいへん大切にしている。子どもはこの時間を通して、「昼間の現実の世界」から、「夜の闇の世界」へ戻るために、心を整える。このしつけが悪いと、子どもは、なかなか寝つかなくなり、それが原因で睡眠不足になることがある。まずいのは子どもを寝室へ閉じ込め、いきなり電器を消してしまうような行為。こういう乱暴なことが日常化すると、子どもは眠ることに恐怖心をもつようになり、床へつくことを拒否するようになる。ひどいばあいには、情緒が不安定になることもある。毎晩夜ふかしをしたり、理由もないのにぐずったりする、というのであれば、このベッドタイムゲームのしつけの失敗を疑ってみる。そこで教訓。

 子どもを寝つかせるときは、ベッドタイムゲームを習慣化する。軽く添い寝をしてあげる。本を読んであげる。やさしく語りかけてあげる、など。コツは、同じようなことを毎晩繰り返すようにすること。次にぬいぐるみを置いてあげるなど、子どもをさみしがらせないようにする。それに興奮させないことも大切だ。年少であればあるほど、静かで穏やかな環境を用意する。できれば夕食後は、テレビやゲームは避ける。なおこの睡眠不足と昼寝グセは、よく混同されるが、昼寝グセの残っている子どもは、その時刻になると、パタリと眠ってしまうから区別できる。もし満五歳を過ぎても昼寝グセが残っているようならば、その時間の間、ガムをかませるなどの方法で対処する。

+++++++++++++++++++++はやし浩司

D親とのつきあい

負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこじれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともかくも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、四〇歳前後で、二〇人に一人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろう。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集まる。しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているようでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということは、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつきあいの大鉄則と考えてよい。(は

++++++++++++++++++はやし浩司

E生きる源流に視点を

 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づき、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子どもが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・ため」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さらに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、その真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭をかかえてしまう。

++++++++++++++++++++はやし浩司

Fトラブルは親に聞く

 子どものことでトラブルが起きたら、一に静観、ニに静観、三、四がなくて、五に親に相談。少子化の流れの中で、親たちは子育てにますます神経質になる傾向をみせている。そうであるからこそなおさら、「静観」。子どもにキズがつくことを恐れてはいけない。子どもというのはキズだらけになって成長する。で、ここでいう「親」というのは、一、二歳年上の子どもをもつ親をいう。そういう親に相談すると、「うちもこんなことがありましたよ」「あら、そうですか」というような会話で、ほとんどの問題は解決する。

 話が少しそれるが、私は少し前、ノートパソコンを通信販売で買った。が、そのパソコンには一本のスリキズがついていた。最初私はそのキズが気になってしかたなかった。子どももそうだ。子どもが小さいうちというのは、ささいなキズでも気になってしかたないもの。こんなことを相談してきた母親がいた。何でもその幼稚園に外人の講師がやってきて、英会話を教えることになったという。それについて、「先生はアイルランド人です。ヘンなアクセントが身につくのではないかと心配です」と。子育てに関心をもつことは大切なことだが、それが度を超すと、親はそんなことまで心配するようになる。

 さらに話がそれるが、子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑う。症状としては、つぎのようなものがある。
@生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
A思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低下)、
B精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日常活動への興味の喪失)、
C睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんのように、
D風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
Eムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
Fささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
G同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなくなる(感情障害)、
H他人との接触を嫌う(回避性障害)、
I過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
Jまた必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

 要するに風とおしをよくするということ。そのためにも、同年齢もしくはやや年齢が上の子どもをもつ親と情報交換をするとよい。とくに長男、長女は親も神経質になりやすいので、そうする。……そうそう、そう言えば、今では私のパソコンもキズだらけ。しかし使い勝手はずっとよくなった。そういうパソコンを使いながら、「子どもも同じ」と、今、つくづくとそう思っている。

(030322)

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