はやし浩司

さしすせそ
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はやし浩司

才能とこだわり

 自閉症の子どもが、ふつうでない「こだわり」を見せることは、よく知られている。たとえば列車の時刻表を暗記したり、全国の駅名をソラで言うなど。車のほんの一部を見ただけで、車種からメーカーまで言い当てた子どももいた。クラッシック音楽の、最初の一小節を聞いただけで、曲名と作曲者を言い当てた子どももいた。

 こうした「こだわり」は、才能なのか。それとも才能ではないのか。一般論としては、教育の世界では、たとえそれが並はずれた「力」であっても、こうした特異な「力」は、才能とは認めない。たとえば瞬時に、難解な計算ができる。あるいは、二〇ケタの数字を暗記できるなど。あるいは一回、サーッと曲を聞いただけで、それをそっくりそのまま、ピアノで演奏できた子どももいた。まさに神業(わざ)的な「力」ということになるが、やはり「才能」とは認めない。「こだわり」とみる。

 たとえばよく知られた例としては、少し前、話題になった子どもに、「少年A」がいる。あの「淳君殺害事件」を起こした少年である。彼は精神鑑定の結果、「直観像素質者※」と鑑定されている。直観像素質者というのは、瞬間見ただけで、見たものをそのまま脳裏に焼きつけてしまうことができる子どもをいう。少年Aも、一晩で百人一首を暗記できたと、少年Aの母親は、本の中で書いている(「少年A、この子を生んで」文藝春秋)。そういう特異な「力」が、あの悲惨な事件を引き起こす遠因になったとされる。

 と、なると、改めて才能とは何かということになる。ひとつの条件として、子ども自身が、その「力」を、意識しているかどうかということがある。たとえば練習に練習を重ねて、サッカーの技術をみがくというのは才能だが、列車の時刻表を見ただけで、それを暗記できてしまうというのは、才能ではない。

 つぎに、才能というのは、人格のほかの部分とバランスがとれていなければならない。まさにそれだけしかできないというのであれば、それは才能ではない。たとえば豊かな知性、感性、理性、経験が背景にあって、その上ですばらしい曲を作曲できるのは、才能だが、まだそうした背景のない子どもが、一回聞いただけで、その曲が演奏できるというのは、才能ではない。
 
 脳というのは、ともすれば欠陥だらけの症状を示すが、同じように、ともすれば、並はずれた、「とんでもない力」を示すこともある。私も、こうした「とんでもない力」を、しばしば経験している。印象に残っている子どもに、S君(中学生)がいた。ここに書いた、「クラッシック音楽の、最初の一小節を聞いただけで、曲名と作曲者を言い当てた子ども」というのが、その子どもだが、一方で、金銭感覚がまったくなかった。ある程度の計算はできたが、「得をした」「損をした」「増えた」「減った」ということが、まったく理解できなかった。一〇〇〇円と二〇〇〇円のどちらが多いかと聞いても、それがわからなかった。一〇〇〇円程度のものを、二〇〇円くらいのものと交換しても、損をしたという意識そのものがなかった。母親は、S君の特殊な能力(?)ばかりをほめ、「うちの子は、もっとできるはず」とがんばったが、しかしそれはS君の「力」ではなかった。二年間ほど教えたがあるが、脳の一部が欠落しているのではないかとさえ思ったことがある。

 教育の世界で「才能」というときは、当然のことながら、教育とかみあわなければならない。「かみあう」というのは、それ自体が、教育できるものでなければならないということ。「教育することによって、伸ばすことができること」を、才能という。が、それだけでは足りない。その方法が、ほかの子どもにも、同じように応用できなければならない。またそれができるから、教育という。つまりその子どもしかできないような、特異な「力」は、才能ではない。

 こう書くと、こだわりをもちつつ、懸命にがんばっている子どもを否定しているようにとらえられるかもしれないが、それは誤解である。多かれ少なかれ、私たちは、ものごとにこだわることで、さらに自分の才能を伸ばすことができる。現に今、私は電子マガジンを、ほとんど二日おきに出版している。毎日そのために、数時間。土日には、四、五時間を費やしている。その原動力となっているのは、実は、ここでいう「こだわり」かもしれない。時刻表を覚えたり、音楽の一小節を聞いただけで曲名を当てるというのは、あまり役にたたない「こだわり」ということになる。が、中には、そうした「こだわり」が花を咲かせ、みごとな才能となって、世界的に評価されるようになった人もいる。あるいはひょっとしたら、私たちが今、名前を知っている多くの作曲家も、幼少年時代、そういう「こだわり」をもった子どもだったかもしれない。そういう意味では、「こだわり」を、頭から否定することもできない。
(02―11−27)※

(参考)
※……神戸の『淳君殺害事件』事件を引き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)画数の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「百人一首を一晩で覚えたら、五〇〇〇円やると言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったこともあります」(「少年A、この子を生んで」文藝春秋)と。

 少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の区別がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。その少年Aについて、鑑定した専門家は、「(少年Aは)直観像素質者(一瞬見た映像をまるで目の前にあるかのように、鮮明に思い出すことができる能力のある人)であって、(それがこの非行の)一因子を構成している」(同書)という結論をくだしている。



自慰

子どもの自慰に対処する法(罪悪感をもたせるな!)
子どもが自慰をするとき
●ある母親からの質問
 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。六歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが固くなっているのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつけるように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいのでしょうか」(三二歳母親)と。
●罪悪感をもたせないように
 フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に分けている。@口唇期……口の中にいろいろなものを入れて快感を覚える。A肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなって肛門に興味を示したり、そこをいじったりする。B男根期……満四歳くらいから、性器に特別の関心をもつようになる。
 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中のストレス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為をする。これを代償行為という。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自慰もその一つと考える。つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレスの原因(ストレッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふさぎ込み、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)をともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえって症状を悪化させることもあるので注意する。
●スキンシップは大切に
 さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、自分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定になり、情緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないことを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗するそぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。
 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、サラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。
 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとどうしても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめることがある。



自意識と一撃論

●自意識
 自意識を一言で言えば、「自分を客観的に見る力」ということになる。子どものばあい、小学三〜四年生前後に、この自意識が芽生えてくる。それ以前の子どもは、まさに自分であって自分でない状態にあるとみる。だからたとえば幼児に、「静かにしなさい」「落ちつきなさい」「騒いではダメ」と言っても、ムダ。自分がそうであるという自覚そのものが、ない。私はこのことを、ある中学生(男子)と話していて気づいた。

 その中学生は、幼児から小学二〜三年にかけて、いっしょにいるだけで、こちらの気がヘンになるほど、騒々しい子どもだった。今、専門機関で診断を受けたら、ADHD児(多動児)と診断されたかもしれない。その中学生に、私はこう聞いてみた。「君は、小学生のころ、みんなに迷惑をかけたが、覚えているか?」と。するとその中学生は、「いいや」と。そこであれこれ問いただしてみたが、その中学生には、自分がそうであったという意識が、まったくないことを知った。そこで私が、「先生や親に、叱られたことは覚えているだろ?」と聞くと、こう言った。「ぼくが何も悪いことをしていないのに、先生は、ぼくを目のカタキにして怒った」と。

 この自意識が芽生えてくると、子どもは、自分をコントロールするようになる。どういうことをすれば、得で、どういうことをすれば、そうでないかがわかるようになる。そしてそういう判断に従って、行動できるようになる。言いかえると、こういう子ども自身がもつ「力」を利用すると、それまであったいろいろな問題を、この段階でなおすことができる。たとえばここにあげた中学生がそうだった。

 今、どこの幼稚園へ行っても、ADHD児が話題になる。一種のブームのようなものかもしれない。しかしこのタイプの子どもも、小学三〜四年生を境に、その症状は急速に収まってくる。中学生にもなると、外見的には、まったくわからなくなる。(どこかフワフワとした騒々しさは残るが、それはプロだからわかることで、ふつうの人にはわからない。)ほかに幼児期に、自閉症になった子どもや、緘黙(かんもく)症になった子どもでも、この時期を境に、症状が急速に消えることが多い。

 中に症状が残ったり、さらに症状がひどくなる子どももいるが、それは子ども自身がそうなったというよりは、家庭教育の失敗が原因と考えてよい。たとえば幼児期に多動性を示すと、たいていの親は、はげしく子どもを叱ったり、威圧したりする。こうした無理が、かえって症状をこじらせてしまう。そしてこうした問題は、こじらせればこじらせるほど、あとあと立ちなおりがわるくなる。あるいはさらに症状を悪化させてしまう。とくに注意したいのが、「一撃」である。たとえば子どもの不登校にしても、最初の一撃が、子どもの心を決定的なまでに破壊する。

●一撃論
 A君(小一)は夏休みが終わったころ、ある朝、突然、「学校へ行きたくない」と言い出した。その少し前から、あれこれ神経症による症状を示していたが、母親は、「気のせい」とその兆候を見落としてしまった。で、その朝、かなりはげしいやりとりをしたあと、A君はトイレに逃げてしまった。
 この段階で母親が、「あら、そうね。だれだって学校へ行きたくないときもわるわね」と、A君の心を理解してあげていたら、症状は、それほど重くならなくてすんだかもしれない。しかし母親は「不登校児になったら、たいへん!」という恐怖心から、さらにはげしく子どもを叱った。怒鳴った。「トイレから、出てきなさい!」と。が、子どもは泣き叫んで、それに抵抗した。そこで母親はトイレのドアをドライバーを使ってはずし、A君をそこからひきずり出した。A君はそれに抵抗し、さらにはげしく泣き叫んだ……。

 これがここでいう「一撃」である。この一撃が、子どもの心を、決定的に、かつ取り返しがつかないほどまでに、キズつける。……つけることが多い。しかしこのときもっとも悲劇的なことは、親自身にその自覚がないこと。親は親で、「私は子どもにとって正しいことをしている」と錯覚する。そして子どもの症状を、とことんこじらせる……。このA君も、その日を境に、まったく学校へ行かなくなってしまった。

 話をもどすが、幼児期にいろいろな症状を示す子どもは、たしかに多い。しかしそういう子どもでも、症状さえこじらせなければ、やがてその時期がくると、自然な形でなおっていく。子ども自身がもつ、自意識によって、なおっていく。子どもというより、人間には、もともとそういう「力」がそなわっている。そういう力を信じ、またそういう力を利用して、子どもの心の問題はなおす。そのとき役にたつのが、ここでいう自意識である。かりに今、あなたの子どもに問題があるとしても、子どもはやがて、(今のあなたがそうであるように)、自分の意思で自分をコントロールすることができるようになる。そこで大切なことは、@症状をこじらせないこと、Aそれまでに自意識の準備をしておくこと、の二つである。「準備」というのは、言うべきことは言いながら、それが「よくないことだ」ということだけは、教えていくことをいう。子どもがいつか自分に気づいたとき、どうしてそれが悪いことなのかわかるようにしておく。その努力だけは怠ってはいけない。

●今、何かと問題のある子どもをもっているお母さんへ、

 それらの問題は、時期がくれば、かならずなおる。中になおらないケースもあるが、それは幼児期に、親があせったりして、無理に無理を重ねた結果によるものと考えてよい。この時期は、何度も書いたように、「今の症状をより悪くしないことだけ」を考えて、一年単位で様子をみる。とくにここに書いた「一撃」には、注意する。一見タフに見える子どもの心だが、ときには薄いガラスの箱のようなときもある。


自己嫌悪(子どもの自己嫌悪)

 ある母親から、こんなメールが届いた。「中学二年生になる娘が、いつも自分をいやだとか、嫌いだとか言います。母親として、どう接したらよいでしょうか」と。神奈川県に住む、Dさんからのものだった。

 自我意識の否定を、自己嫌悪という。自己矛盾、劣等感、自己否定、自信喪失、挫折感、絶望感、不安心理など。そういうものが、複雑にからみ、総合されて、自己嫌悪につながる。青春期には、よく見られる現象である。

 しかしこういった現象が、一過性のものであり、また現れては消えるというような、反復性があるものであれば、(それはだれにでもある現象という意味で)、それほど、心配しなくてもよい。が、その程度を超えて、心身症もしくは気うつ症としての症状を見せるときは、かなり警戒したほうがよい。はげしい自己嫌悪が自己否定につながるケースも、ないとは言えない。さらにその状態に、虚脱感、空疎感、無力感が加わると、自殺ということにもなりかねない。とくに、それが原因で、子どもがうつ状態になったら、「うつ症」に応じた対処をする。

 一般には、自己嫌悪におちいると、人は、その状態から抜けでようと、さまざまなな心理的葛藤を繰りかえすようになる。ふつうは(「ふつう」という言い方は適切ではないかもしれないが……)、自己鍛錬や努力によって、そういう自分を克服しようとする。これを心理学では、「昇華」という。つまりは自分を高め、その結果として、不愉快な状態を克服しようとする。

 が、それもままならないことがある。そういうとき子どもは、ものごとから逃避的になったら、あるいは回避したり、さらには、自分自身を別の世界に隔離したりするようになる。そして結果として、自分にとって居心地のよい世界を、自らつくろうとする。よくあるのは、暴力的、攻撃的になること。自分の周囲に、物理的に優位な立場をつくるケース。たとえば暴走族の集団非行などがある。

 だからたとえば暴走行為を繰りかえす子どもに向かって、「みんなの迷惑になる」「嫌われる」などと説得しても、意味がない。彼らにしてみれば、「嫌われること」が、自分自身を守るための、ステータスになっている。また嫌われることから生まれる不快感など、自己嫌悪(否定)から受ける苦痛とくらべれば、何でもない。

 問題は、自己嫌悪におちいった子どもに、どう対処するかだが、それは程度による。「私は自分がいや」と、軽口程度に言うケースもあれば、落ちこみがひどく、うつ病的になるケースもある。印象に残っている中学生に、Bさん(中三女子)がいた。

 Bさんは、もともとがんばり屋の子どもだった。それで夏休みに入るころから、一日、五、六時間の勉強をするようになった。が、ここで家庭問題。父親に愛人がいたのがわかり、別居、離婚の騒動になってしまった。Bさんは、進学塾の夏期講習に通ったが、これも裏目に出てしまった。それまで自分がつくってきた学習リズムが、大きく乱れてしまった。が、何とか、Bさんは、それなりに勉強したが、結果は、よくなかった。夏休み明けの模擬テストでは、それまでのテストの中でも、最悪の結果となってしまった。

 Bさんに無気力症状が現れたのは、その直後からだった。話しかければそのときは、柔和な表情をしてみせたが、まったくの上の空。教室にきても、ただぼんやりと空をみつめているだけ。あとはため息ばかり。このタイプの子どもには、「がんばれ」式の励ましや、「こんなことでは○○高校に入れない」式の、脅しは禁物。それは常識だが、Bさんの母親には、その常識がなかった。くる日もくる日も、Bさんを、あれこれ責めた。そしてそれがますますBさんを、絶壁へと追いこんだ。

 やがて冬がくるころになると、Bさんは、何も言わなくなってしまった。それまでは、「私は、ダメだ」とか、「勉強がおもしろくない」とか言っていたが、それも口にしなくなってしまった。「高校へ入って、何かしたいことがないのか。高校では、自分のしたいことをしればいい」と、私が言っても、「何もない」「何もしたくない」と。そしてそのころ、両親は、離婚した。

 このBさんのケースでは、自己嫌悪は、気うつ症による症状の一つということになる。言いかえると、自己嫌悪にはじまる、自己矛盾、劣等感、自己否定、自信喪失、挫折感、絶望感、不安心理などの一連の心理状態は、気うつ症の初期症状、もしくは気うつ症による症状そのものということになる。あるいは、気うつ症に準じて考える。

 軽いばあいなら、休息と息抜き。家庭の中で、だれにも干渉されない時間と場所を用意する。しかし重いばあいなら、それなりの覚悟をする。「覚悟」というのは、安易になおそうと考えないことをいう。心の問題は、外から見えないだけに、親は安易に考える傾向がある。が、そんな簡単な問題ではない。症状も、一進一退を繰りかえしながら、一年単位の時間的スパンで、推移する。ふつうは(これも適切ではないかもしれないが……)、こうした心の問題については、@今の状態を、今より悪くしないことだけを考えて対処する。A今の状態が最悪ではなく、さらに二番底、三番底があることを警戒する。そしてここにも書いたように、B一年単位で様子をみる。「去年の今ごろと比べて……」というような考え方をするとよい。つまりそのときどきの症状に応じて、親は一喜一憂してはいけない。

 また自己嫌悪のはげしい子どもは、自我の発達が未熟な分だけ、依存性が強いとみる。満たされない自己意識が、自分を嫌悪するという方向に向けられる。たとえば鉄棒にせよ、みなはスイスイとできるのに、自分は、いくら練習してもできないというようなときである。本来なら、さらに練習を重ねて、失敗を克服するが、そこへ身体的限界、精神的限界が加わり、それも思うようにできない。さらにみなに、笑われた。バカにされたという「嫌子(けんし)」(自分をマイナス方向にひっぱる要素)が、その子どもをして、自己嫌悪に陥れる。

 以上のように自己嫌悪の中身は、複雑で、またその程度によっても、対処法は決して一様ではない。原因をさぐりながら、その原因に応じた対処法をする。一般論からすれば、「子どもを前向きにほめる(プラスのストロークをかける)」という方法が好ましいが、中学二年生という年齢は、第二反抗期に入っていて、かつ自己意識が完成する時期でもある。見えすいた励ましなどは、かえって逆効果となりやすい。たとえば学習面でつまずいている子どもに向かって、「勉強なんて大切ではないよ。好きなことをすればいいのよ」と言っても、本人はそれに納得しない。

 こうしたケースで、親がせいぜいできることと言えば、子どもに、絶対的な安心を得られる家庭環境を用意することでしかない。そして何があっても、あとは、「許して忘れる」。その度量の深さの追求でしかない。こういうタイプの子どもには、一芸論(何か得意な一芸をもたせる)、環境の変化(思い切って転校を考える)などが有効である。で、これは最悪のケースで、めったにないことだが、はげしい自己嫌悪から、自暴自棄的な行動を繰りかえすようになり、「死」を口にするようになったら、かなり警戒したほうがよい。とくに身辺や近辺で、自殺者が出たようなときには、警戒する。

 しかし本当の原因は、母親自身の育児姿勢にあったとみる。母親が、子どもが乳幼児のころ、どこかで心配先行型、不安先行型の子育てをし、子どもに対して押しつけがましく接したことなど。否定的な態度、拒否的な態度もあったかもしれない。子どもの成長を喜ぶというよりは、「こんなことでは!」式のおどしも、日常化していたのかもしれない。神奈川県のDさんがそうであるとは断言できないが、一方で、そういうことをも考える。えてしてほとんどの親は、子どもに何か問題があると、自分の問題は棚にあげて、「子どもをなおそう」とする。しかしこういう姿勢がつづく限り、子どもは、心を開かない。親がいくらプラスのストロークをかけても、それがムダになってしまう。

 ずいぶんときびしいことを書いたが、一つの参考意見として、考えてみてほしい。なお、繰りかえすが、全体としては、自己嫌悪は、多かれ少なかれ、思春期のこの時期の子どもに、広く見られる症状であって、決して珍しいものではない。ひょっとしたらあなた自身も、どこかで経験しているはずである。もしどうしても子どもの心がつかめなかったら、子どもには、こう言ってみるとよい。「実はね、お母さんも、あなたの年齢のときにね……」と。こうしたやさしい語りかけ(自己開示)が、子どもの心を開く。


自尊心

名前と自尊心

 自分を大切にする。それが子どもの自尊心につながり、この自尊心が、子どもの道徳や倫理の基礎となる。その第一歩が、「名前を大切にする」。
 子どもの名前は、大切にする。子どもの名前が書いてあるものは、粗末にあつかわない。新聞や雑誌に、子どもの名前が出たら、その新聞や雑誌は、ていねいにあつかう。切り抜いて壁に張ったり、アルバムにしまったりする。そして日ごろから、「あなたの名前はいい名前ね」「あなたの名前を大切にしようね」と教える。子どもは自分の名前を大切にすることから、自分を大切にすることを学ぶ。まちがっても、子どもの名前を茶化したり、からかってはいけない。名前は、その子どもの人格そのものと考える。
 実のところ、この私も、自分の名前(はやし浩司)だけは大切にしている。人格的にも、道徳的にもボロボロの人間だが、名前を大切にすることによって、かろうじて自分を支えている。「名前を汚したくない」という思いが、いろいろな場面で、心のブレーキとして働くことが多い。それは他人の目に届くとか、届かないとかいうことではない。たとえばこうして文を書いているが、いまだかって(当然だが)、他人の文章を盗用したことは一度もない。だれにも読んでもらえない文とわかっていても、それはしない。できない。もしそれをしたら、そのとき、「はやし浩司」という「私」は終わる。
 一方、こんな子どもがいた、その家は、女の子ばかりの三人姉妹。上から、麗菜、晴美、みどり。その「みどり」という子ども(小四)にある日、「名前を漢字で書いてごらん」と指示すると、その女の子はさみしそうにこう言った。「だって私には漢字がないもん」と。女の子が三人もつづくと、親もそういう気持ちになるらしい。しかしこういうことは、本来、あってはならない。
 そう言えば以前、自分の子どもに、「魔王」とかそんなような名前をつけた、親がいた。とんでもない名前である。ときどきこうした私の常識では理解できない親が現れる。あまりにも私の常識からはずれているため、論ずることもできない。ただ、今ごろあの子どもはどうしているかと、ときどき考える。


叱り方

子どもを叱る法(目線の高さで叱れ!)
親が子どもを叱るとき
●叱るときは恐怖感を与えない
 子どもを叱るとき、最も大切なことは、恐怖感を与えないこと。『威圧で閉じる子どもの耳』と覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。が、反省しているから、そうしているのではない。こわいからそうしているだけ。親が子どもを日常的に叱れば叱るほど、子どもはいわゆる「叱られじょうず」になる。頭をさげて、いかにも反省しているといった様子を見せる。しかしこれはフリ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱るときは、次のことを守る。
●叱るときの鉄則
 @人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、A大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は耳から遠い」と覚えておく。話した説教が、脳に届くには、時間がかかる。B相手が幼児のときは、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与えないため)。視線をはずさない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で固定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰は避ける。とくに頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」と決めておく。C子どもが興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、D叱ったことについて、子どもが守られるようになったら、「ほら、できるわね」と、ほめてしあげる。ちなみに私が調査したところ、相手が幼児のばあい、約五〇%の母親が何らかの体罰を加えているのがわかった(浜松市にて調査)。げんこつ、頭たたき、チビクリ、お尻たたきなど。ほかに「グリグリ(げんこつで頭の両側をグルグリする)」「ヒネリ(げんこつで頭をひねる)」など。台所のすみで正座、仏壇の前で正座というものもあった。「どうして仏壇の前で正座なのか?」と聞いたら、その子ども(中一男子)はこう話してくれた。「お父さんが数年前に死んだから」と。何でもとても恐ろしいことだそうだ。体罰ではないが、「(家からの)追い出し」というのも依然と多い。
●ほめるときは、おおげさに
 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、『忠告は秘かに、賞賛はおおやけに』と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめる。そのとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。
 ただ、一つだけ条件がある。子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔やスタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。
●励まし方
 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。いつもプラスの暗示をかけるようにして、励ますとよい。「あなたはこの前より、すばらしくなった」「去年よりずっとよくなった」など。またすでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがんばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。意味がないだけではなく、かえって子どもを袋小路へ追い込んでしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の脅しも、タブー。結果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなときはなおさら、「あなたはよくがんばった」式の前向きな姿勢で、子どもを温かく包んであげる。



自殺

ある母親が、こんな相談をしてきた。「うちの子(小五女児)は、何かあると、すぐ、死ぬ、死ぬと言います。こういうとき、どうしたらいいでしょうか」と。しかし「死ぬ、死ぬ」と言う子どもにかぎって死なない。七歳以下の子どもには、まだ「死」は理解できない。また日本では一二歳以下の自殺は、きわめてマレで、あなたの身辺では、まず、ないとみる。しかし一二歳をすぎたら、要注意。

 私が経験した事例の中で強く印象が残っているケースは、高校三年生(当時)の女子だった。私の家の近所に住む高校生で、学校へは通わず、中学二年のときから、高校三年になるまで、私のところで勉強していた。その女子が急に変わったのは、中学三年になってからだった。

 ある日、私にこんなことを言った。「先生、私、明日、学校へ行く途中に、交通事故を起こす」と。そこで私が、「どうして明日のことがわかるのか」と聞くと、「私には自分の未来が見える」と。
 
 その翌日、本当にその女子は、交通事故を起こした。話を聞くと、道路のスミを自転車で走っていて、体ごとブロック塀にぶつけたらしい。顔、腕、足とけがをしていたが、とくに顔がひどかった。それ以後、奇異な言動が目立つようになった。たとえばこんなことも言った。「私は、今、Aさん(友人)とBさん(友人)が、学校の校門のところに立って話をしているのが、聞こえる」と。あるいは、「夜、寝ていると、星のひとつから、電波が送られてくる。ときどきそれが、人間の声のように聞こえるときがある」と言ったこともある。

 一応、高校には入ったが、断続的に休むようになり、しばらくすると、ほとんど行かなくなってしまった。母親から「家庭教師の回数をふやしてほしい」と頼まれ、それからは、週一回から、週二、三回とふやした。医学的には、それなりの診断名がつき、「要治療」ということになるのだが、私の前では、とくに変わったところはなかった。まあ、ふつうの女子高校生という感じだった。たた、勉強といっても、大半は雑談ばかりだった。気分が変わりやすく、それに合わせるのに苦労したことはある。

 そしてその女子が高校三年生になったとき、何が原因だったのかよく覚えていないが、私とけんかになっていまい、そのまま私のところへこなくなってしまった。高校生のばあい、勉強するかどうかは、本人が決める。それでそのままにしておいたら、数か月後のこと。その女子は手首を自ら切って自殺をはかったという。幸い、発見が早かったので、命には別状がなかったが、しかしその事件のあとすぐ、家族ごとどこかへ引っ越してしまった。その女の子は、父親の実家に預けられたということだったが、あるいは病院へ入院したのかもしれない。
 
 子どもの自殺には、一定の前兆があることが知られている。それをまとめると、つぎのようになる。こうした前兆がみられたら、要注意。

● いつも何かに脅迫されている様子。強迫観念が強く、おぼえたり、不安になる。
●「死」について語ることが多く、自分なりの独自の考え方や概念をもっている。またそれについて書いたりする。
●近辺に自殺した人がいて、それを例として見ている。
●自分の自殺願望を、消滅させたり、発散する場所をもっていない。自分だけの世界に閉じこもりやすく、被害妄想をもちやすい。
●精神的な欠陥、情緒的な未熟性がある。
●薬物、アルコール、シンナー遊びなどの前歴がある。
●家族から孤立し、家族とも会話がない。あるいは家族との交流を自ら拒否する。
(01−10−26)※


自然教育

 地球温暖化の問題は、年々、深刻さをましている。しかしこういう言い方は、ほかの国の人たちには失礼かもしれないが、日本ほど、ラッキーな国はない。

 四方を海に囲まれ、しかも中央には、三〇〇〇メートル級の山々を連ねている。これから先、地球温暖化の問題が起きてくるとしても、日本に被害がおよぶのは、最後の最後。海面上昇にしても、また水不足にしても、当面は心配ない。が、油断してはいけない。そのひとつ。食料とエネルギーの確保。

 ……というようなことは、私が書いても意味がない。そこでここでは、もう一歩、先に話を進める。

 いろいろ誤解があるようだが、世界の中でも、日本人ほど、自然に対して破壊的な民族は、そうはいない。よく「日本人は自然を愛する民族だ」というが、これはウソ。日本に緑が多いのは、たまたま放っておいても緑だけは育つという、恵まれた環境だからにほかならない。

 つぎに「自然を大切にしましょう」と、声高に叫ぶのは勝手だが、その「自然」がやさしいのは、ごく限られた国々でしかない。たとえばアラブの、つまり砂漠の国々へ行って、「自然を大切に」などと言おうものなら、「お前、アホか!」と言われる。ほとんどの国では、自然というのは、人間が戦うべき「脅威」ということになっている。つまり、これらの点でも、日本は、本当にラッキーな国である。

 しかしもともと日本人は、自然に対して、受け身の民族であった。が、その姿勢が大きく変化したのは、戦後のことである。それについて書いたのが、つぎのエッセー。

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この私の自然論は、少し難解なため、興味のある方だけ、
お読みください。

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自然論

 フランシス・ベーコン(1561ー1626、イギリスの哲学者)は、「ノーヴェム・オルガヌム」の中で、こう書いている。「まず、自然に従え。そして自然を征服せよ」と。このベーコンの自然論の基本は、人間と自然を、相対した関係に置いているというところ、つまり人間がその意識の中で、自然とは別の存在であると位置づけているところにある。

それまでのイギリスは、ある意味で自然に翻弄されつづけていたとも言える。つまりベーコンは、人間の意識を自然から乖離(かいり)させることこそが、人間の意識の確立と考えた※。この考えは、その後多くの自然科学者に支持され、そしてそれはその後さらに、イギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さらには1740年ごろから始まった産業革命の原動力となっていった。

 一方、ドイツはまったく別の道を歩んだ。ベーコンの死後から約100年後に生まれたゲーテ(1749ー1832)ですら、こう書き残している。「自然は絶えずわれわれと語るが、その秘密を打ち明けはしない。われわれは常に自然に働きかけ、しかもそれを支配する、何の力ももっていない」(「自然に関する断片」)と。さらにこうも言っている。「神と自然から離れて行動することは困難であり、危険でもある。なぜなら、われわれは自然をとおしてのみ、神を意識するからである」(「シュトラースヴェルグ時代の感想」)と。

ここでゲーテがいう「神」とは、まさに「自己の魂との対面」そのものと考えてよい。つまり自己の魂と対面するにしても、自然から離れてはありえないと。こうしたイギリスとドイツの違いは、海洋民族と農耕民族の違いに求めることもできる。海洋民族にとって自然は、常に脅威であり、農耕民族にとっては自然は、常に感嘆でしかない。海洋民族にとっては自然は、常に戦うべき相手であり、農耕民族にとっては自然は、常に受け入れるべき相手でしかない。が、問題は、イギリスでも、ドイツでもない。私たち日本人はどうだったかということ。

 日本人は元来農耕民族である。ドイツと違う点があるとするなら、日本は徳川時代という、世界の歴史の中でも類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治を体験したということ。そのためその民族は、限りなく従順化された。日本人独特の隷属的な相互依存性はこうして説明されるが、それに反してイギリス人は、人間と自然を分離し、人間が自然にアクティブに挑戦していくことを善とした。ドイツ人はしかし自然を受け入れ、やがてやってくる産業革命の息吹をどこかで感じながらも、自然との同居をめざした。

ドイツ人が「自然主義」を口にするとき、それは、自然への畏敬の念を意味する。「自然にあるすべてのものは法とともに行動する」「大自然の秩序は宇宙の建築家の存在を立証する」(「断片」)と書いたカント(1724ー1804)に、その一例を見ることができる。一方、日本人は、自然を従うべき相手として、自らを自然の中に組み入れてしまった。その考えを象徴するのが、長岡半太郎(1865ー1950)である。物理学者の彼ですら、こんな随筆を残している。「自然に人情は露ほども無い。之に抗するものは、容赦なく蹴飛ばされる。之に順ふものは、恩恵に浴する」と。

日本人は自然の僕(しもべ)になることによって、自然をその中に受け入れるというきわめてパッシブな方法を選んだ。が、この自然観は、戦後、アメリカ式の民主主義が導入されると同時に、大きく変貌することになる。その象徴的なできごとが、田中角栄元首相(1972年・自民党総裁に就任)の「日本列島改造論」(都市政策大綱、新全総、国土庁の設置、さらには新全総総点検作業を含む)である。

 田中角栄氏の無鉄砲とも思える、短絡的な国家主義が、当時の日本に受け入れられたのは、「展望」をなくした日本人の拝金思想があったことは、だれも疑いようがない。しかしこれは同時に、イギリスからアメリカを経て日本に導入されたベーコンイズムの始まりでもあった。日本人は自らを自然と分離することによって、その改造論を正当化した。それはまさに欧米ではすでに禁句となりつつあった、ハーヴェィズム(「文明とは、要するに自然に対する一連の勝利のことである」とハーヴェィ※2は説いた)の再来といってもよい。

日本人の自然破壊は、これまた世界の歴史でも類をみないほど、容赦ないものであった。それはちょうどそれまでに鬱積していた不満が、一挙に爆発したかのようにみえる。だれもが競って、野や山を削ってそれをコンクリートのかたまりに変えた。たとえば埼玉県のばあい、昭和三五年からの四〇年間だけでも、約二九万ヘクタールから、約二一万ヘクタールへと、森林や農地の約三〇%が消失している※3。田中角栄氏が首相に就任した1972年以来、さらにそれが加速された。(イギリスにおいても、ベーコンの時代に深刻な森林の減少を経験している。)そこで台頭したのが、自然調和論であるが、この調和論とて、ベーコンイズムの変形でしかない。基本的には、人間と自然を対照的な存在としてとらえている点では、何ら変わりない。そこで私たちがめざすべきは、調和論ではなく、ベーコンイズムの放棄である。そして人間を自然の一部として再認識することである。私が好きな一節にこんなのがある。ファーブルの「昆虫記」の中の文章である。

「人間というものは、進歩に進歩を重ねたあげくの果てに、文明と名づけられるものの行き過ぎによって自滅して、つぶれてしまう日がくるように思われる」と。

ファーブルはまさにベーコンイズムの限界、もっと言えばベーコン流の文明論の限界を指摘したともいえる。言い換えると、ベーコンイズムの放棄は、結局は自然救済につながり、かつ人間救済につながる。人間は自然と調和するのではない。人間は自然と融和する。そして融和することによってのみ、自らの存在を確立できる。自然であることの不完全、自然であることの不便さ、自然であることの不都合を受け入れる。そして人間自身もまた、自然の一部であることを認識する。たとえば野原に道を一本通すにしても、そこに住む生きとし生きるすべての動植物の許可をもってする。そういう姿勢があってこそ、人間は、この地球という大自然の中で生き延びることができる。
 
※……ベーコンは「知識は力である」という有名な言葉を残している。「ベーコンは、ルネッサンス以来、革新的な試行に哲学的根拠を与えた人物としても知られ、『自然科学の主目的は、人生を豊かにすることにある』とし、その目標を『自然を制御し、操作すること』においた。この哲学が、自然科学のイメージを高め、将来における科学の応用、さらには技術や工学の可能性を探求するための哲学的根拠となった」(金沢工業大学蔵書目録解説より)。

※2……ウィリアム・ハーヴェイ(1578ー1657)、医学会のコペルニクスとも言われる人物。彼は「自然の支配者であり、所有者としての役割は、人類に捧げられたものである」と説いた。

※3……埼玉県の「森林および農地」は、昭和35年に296・224ヘクタールであったが、平成11年現在は、211・568ヘクタールになっている(「彩の国豊かな自然環境づくり計画基礎調査解説書」平成九年度版)。

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上の原稿を、もう少しわかりやすく書いたのが
つぎの原稿です。新聞で発表するつもりでしたが
編集者の意向で、ボツになった原稿です。どうして
ボツになったか、わかりますか?

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ゆがんだ自然観

 もう二〇年以上も前のことだが、こんな詩を書いた女の子がいた(大阪市在住)。「夜空の星は気持ち悪い。ジンマシンのよう。小石の見える川は気持ち悪い。ジンマシンのよう」と。この詩はあちこちで話題になったが、基本的には、この「状態」は今も続いている。小さな虫を見ただけで、ほとんどの子どもは逃げ回る。落ち葉をゴミと考えている子どもも多い。自然教育が声高に叫ばれてはいるが、どうもそれが子どもたちの世界までそれが入ってこない。

 「自然征服論」を説いたのは、フランシスコ・ベーコンである。それまでのイギリスや世界は、人間世界と自然を分離して考えることはなかった。人間もあくまでも自然の一部に過ぎなかった。が、ベーコン以来、人間は自らを自然と分離した。分離して、「自然は征服されるもの」(ベーコン)と考えるようになった。それがイギリスの海洋冒険主義、植民地政策、さらには一七四〇年に始まった産業革命の原動力となっていった。

 日本も戦前までは、人間と自然を分離して考える人は少なかった。あの長岡半太郎ですら、「(自然に)抗するものは、容赦なく蹴飛ばされる」(随筆)と書いている。が、戦後、アメリカ型社会の到来とともに、アメリカに伝わったベーコン流のものの考え方が、日本を支配した。その顕著な例が、田中角栄氏の「列島改造論」である。日本の自然はどんどん破壊された。埼玉県では、この四〇年間だけでも、三〇%弱の森林や農地が失われている。

 自然教育を口にすることは簡単だが、その前に私たちがすべきことは、人間と自然を分けて考えるベーコン流のものの考え方の放棄である。もっと言えば、人間も自然の一部でしかないという事実の再認識である。さらにもっと言えば、山の中に道路を一本通すにしても、そこに住む動物や植物の了解を求めてからする……というのは無理としても、そういう謙虚さをもつことである。少なくとも森の中の高速道路を走りながら、「ああ、緑は気持ちいいわね。自然を大切にしましょうね」は、ない。そういう人間の身勝手さは、もう許されない。

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 「自然教育」と簡単に言うが、おとなの私たちがさんざん好き勝手なことをしておきながら、子どもに向かって、「自然を大切にしましょう」は、ない。それこそおとなの身勝手というもの。しかし実際には、いろいろな問題がある。

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●自然への雑感

 私の自宅の前は、小さな森になっている。古くからある、このあたりの大地主の墓地にもなっている。私はここに住んで、もう二六年になるが、住み始めたころは、そうではなかった。小さな木がまばらに生えている程度だった。が、この二六年間で、すっかり様子が変わった。

 私は庭で、畑も、花壇もつくっていた。庭一面には、芝生も植えていた。しかし最初に、畑が全滅。つぎに花壇も全滅。七、八年前には、芝生も枯れはてた。墓地の木々が大きくなり、やがて巨木になり、日陰が、私の庭全体をおおうようになった。

 で、地主にあれこれ相談した。が、地主が東京に住んでいることもあり、なかなかことが、はかどらなかった。が、いよいよ大木の枝が、私の庭のほうまで容赦なく入り込んでくるようになった。そこで木を伐採してもらうことにした。

 そのときだ。他人の土地の森とはいえ、この二六年間、なれ親しんだ森である。枝を切ってもらうにしても、どこか抵抗があった。もちろん切ったのは、業者だが、それでも抵抗があった。畑も花壇もつぶれたが、しかし本当のところ、私は緑が嫌いではない。居間から見ると、窓全体に、墓地の緑が飛びこんでくる。いつだったか、F市の友人が私の家に遊びに来たとき、「どこかの別荘地みたいですね」と言ったのを覚えている。私はそれを聞いて、うれしかった。

 が、家の周囲の木は、切ってもらった。バッサ、バッサと。おかげで少しは明るくなったが、さっそく近所の人が何人かやってきて、こう言った。「よく、今まで、がまんしましたね」と。それを聞いて私は、「緑に対する考え方も、人によって違うのだな」と思った。都会地域では、緑を嫌う人も、少なくない。「ゴミ(葉のこと)が出る」「枯れ葉が家のトイをつまらせる」「日陰になる」とか。私自身は、葉や枯れ葉がゴミだと思ったことは一度もないのだが……。

 緑を守ることだけが、自然を守ることではない。ほかにもいろいろ方法はある。しかし木を育てるというのは、たいへんわかりやすい。少なくとも、私はずっと、そう考えてきた。実のところ、その墓地の森に、いろいろな木をこっそりと植えてきたのは、この私だ。しかしこのところ、つまり、とくに周囲の木を切ってもらってから、少し考え方が変わってきた。自然を守るということは、そういうことではないのではないか、と。たとえて言うなら、ペットの動物を飼ったり、家畜の動物を育てているからといって、動物を愛護していることにはならない。同じように、自分の目を楽しませるために、木を、家のまわりに植えたからといって、自然を保護したことにはならない?

 自然保護というのは、もっとシビアなもの。私のばあい、あくまでも結果論だが、この三〇年以上、自転車通勤していることが、それではないか。最初は、自然保護などということは、みじんも考えていなかった。あくまでも健康のためだった。しかしあるときから、自然保護を意識するようになった。「私はみんなより、空気を汚していないぞ」という思いをもつようになった。それはある種の優越感だった。たとえば自転車に乗っていて、バリバリと音をたてながら、猛スピードで通りすぎる車を見たりすると、その運転手が、どこかアホ(失礼!)に見えた。(多分、相手は、自転車に乗っている私を、アホに思っているだろうが……。)

 つまり自然保護というのは、意識の問題であって、行動の問題ではない。意識があれば、行動は、あとからついてくる。何となく、意味のないことを、回りくどく書いているような気分になったので、この話はここでやめるが、要するに、自然保護というのは、そんな甘いものではないということ。私が墓地の森に木を植えたような行為くらいでは、自然保護にはならないということ。そういうこと。……ということで、この話は、ここまでにしておく。
(03ー1ー26)

●自然の自然は自然なり。自然主義者の自然は不自然なり。(内村鑑三「聖書之研究」)



しつけ

庭は心いやす場所

 子どもの世界は、@家庭を中心とする第一世界、A園や学校を中心とする第二世界、そしてB友人たちとの交友関係を中心とする第三世界に分類される。(このほか、ゲームの世界を中心とする、第四世界もあるが、これについては、今回は考えない。)
 第二世界や第三世界が大きくなるにつれて、第一世界は相対的に小さくなり、同時に家庭は、(しつけの場)から、(心をいやすいこいの場)へと変化する。また変化しなければならない。その変化に責任をもつのは親だが、親がそれに対応できないと、子どもは第二世界や第三世界で疲れた心を、いやすことができなくなる。その結果、子どもは独特の症状を示すようになる。それらを段階的に示すと、つぎのようになる。(あくまでも一つの目安として……。)
(第一段階)親のいないところで体や心を休めようとする。親の姿が見えると、どこかへ身を隠す。会話が減り、親からみて、「何を考えているかわからない」とか、あるいは反対に「グズグズしてはっきりしない」とかいうような様子になる。
(第二段階)帰宅拒否(意識的なものというよりは、無意識に拒否するようになる。たとえば園や学校からの帰り道、回り道をするとか、寄り道をするなど)、外出、徘徊がふえる。心はいつも緊張状態にあって、ささいなことで突発的に激怒したりする。あるいは反対に自分の部屋に引きこもるような様子を見せる。
(第三段階)年齢が小さい子どもは家出(このタイプの子どもの家出は、もてるものをできるだけもって、家から一方向に遠ざかろうとする。これに対して目的のある家出は、その目的にかなったものをもって家出するので、区別できる)、年齢が大きい子どもは無断外泊、など。
 最後の段階になると、子どもにいろいろな症状があらわれてくる。いろいろな神経症のほか、子どもによっては何らかの情緒障害など。そして一度そういう状態になると、(親がますます無理になおそうとする)→(子どもの症状がひどくなる)の悪循環の中で、加速度的に症状が重くなる。
 要はこうならないように、@家庭は心をいやす場であることを大切にし、A子ども自身の「逃げ場」を大切にする。ここでい逃げ場というのは、たいへいは自分の部屋ということになるが、その子ども部屋は、神聖不可侵の場と心得る。子どもがその逃げ場へ入ったら、親はその逃げ場へは入ってはいけない。いわんや追いつめて、子どもを叱ったり、説教してはいけない。子どもが心をいやし、子どものほうから出てくるまで親は待つ。そういう姿勢が子どもの心を守る。

自閉症

●うちの子、自閉症?

 自閉症の最大の特徴は、スムーズな人間関係が、結べないこと。「机をはさんで、向かいあった人に、ささやき声で話すかと思えば、ぎょっとするほど、近くに寄って、突然、大声で質問したりする。人が指でさしたもののほうには、目をやらず、その人の指先を見つめる」(京都大学・T教授指摘)と。

 T教授は、「基本的な、人間関係という、本能というべき部分に、問題がある」と述べている。さらに最近の研究では、脳の中の、扁桃体(へんとうたい)に問題があるということまで、わかってきている。つまり脳の機能障害説が有力になってきている。

 滋賀県のHさん(母親)より、「うちの子は、自閉症ではないか」という相談をもらった。

 いろいろ症状が書かれていたが、心配なら、一度、専門の機関に相談してみるとよい。つぎのような機関がある。

 日本自閉症協会……電話(03―3232−6355)
 
 ホームページも用意されている。

 http://www.autism.or.jp/images/index1.jpg

(04−9記)
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自閉症の診断基準について……
(日本自閉症協会・案内パンフより、転載)

●自閉性障害 (Autistic Disorder)

A.(1),(2),(3)から合計6つ(またはそれ以上)、うち少なくとも(1)から2つ、(2)と(3)から1つずつの項目を含む。

(1)対人的相互反応における質的な障害で、以下の少なくとも2つによって明らかになる:

(a)目とめで見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど、対人的相互反応を調節する多彩な非言語性行動の使用の著明な障害。
(b)発達の水準に相応した仲間関係をつくることの失敗。
(c)楽しみ、興味、成し遂げたものを他人と共有すること(例:興味のあるものをみせる,もって来る、指さす)を自発的に求めることの欠如。
(d)対人的または情緒的相互性の欠如。

(2)以下のうち少なくとも1つによって示される意志伝達の質的な障害:

(a)話し言葉の遅れまたは完全な欠如(身振りや物まねのような、代わりの意志伝達の仕方により補おうという努力を伴わない)。
(b)十分会話のある者では、他人と会話を開始し継続する能力の著明な障害。
(c)常同的で反復的な言葉の使用または独特な言語。
(d)発達水準に相応した、変化に富んだ自発的なごっこ遊びや、社会性を持った物まね遊びの欠如。

(3)行動、興味および活動が限定され、反復的で常同的な様式で、以下の少なくとも1つによって明らかになる:

(a)強度または対象において異常なほど、常同的で限定された型の、1つまたはいくつかの興味だけに熱中すること。
(b)特定の、機能的でない習慣や儀式にかたくなにこだわるのが明らかである。
(c)常同的で反復的な衒奇的運動(例えば、手や指をぱたぱたさせたり、ねじ曲げる、または複雑な全身の動き)
(d)物体の一部に持続的に熱中する。

B.3歳以前に始まる、以下の領域の少なくとも1つにおける機能の遅れまたは異常:
(1)対人的相互作用、(2)対人的意志伝達に用いられる言語、または(3)象徴的または想像的遊び。

C.この障害はレット障害または小児期崩壊性障害ではうまく説明されない。
(DSM−IV 精神疾患の分類と診断の手引より)
(はやし浩司 自閉症 診断基準 DSM−W)



受験ノイローゼ

●受験ノイローゼ
 子どもが受験期を迎えると、受験ノイローゼになる親は多い。子どもではない。親がなる。ある母親はこう言った。「進学塾の光々とした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼりました」と。「家でゴロゴロしている息子(中二)を見ただけで、気分が悪くなり、その場に伏せたこともあります」と言った母親もいた。

 親が受験ノイローゼになる背景には、親自身の学歴信仰、それに親自身の受験体験がある。「信仰」という言葉からもわかるように、それは確信を超えた確信と言ってもよい。学歴信仰をしている親に向かって、その信仰を否定するようなことを言うと、かえってこちらが排斥されてしまう。「他人の子どものことだから、何とでも言えるでしょ!」と。話の途中で怒ってしまった母親もいた。私が、「これ以上ムリをすると、子ども自身が、燃え尽きてしまう」と言ったときだ。

 また受験体験というのは、親は自分の子どもを育てながら、そのつど自分の体験を繰り返す。とくに心の動きというのは、そういうもので、子どもが受験期を迎えるようになると、親自身がそのときの心を再現する。将来に対する不安や、心配。選別されるという恐怖。そしてそれを子どもにぶつける。もっと言えば、親自身の心が、極度の緊張状態におかれる。この緊張状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に情緒が不安定になる。

 「受験ノイローゼ」と一口に言うが、それは想像を絶する「葛藤」をいう。そういう状態になると、親は、それまで築きあげた家族の絆(きずな)すら、粉々に破壊してしまう。家族の心を犠牲にしながらも、犠牲にしているという感覚すらない。小学五年の女児をもつある母親はこう言った。「目的の中学入試に合格すれば、それですべてが解決します。娘も私を許し、私に感謝するはずです」と。その子どもは毎晩、母親の前で、泣きながら勉強していた。

 その受験ノイローゼにはきわだった特徴がいくつかある。そのひとつ、ふつうの育児ノイローゼと違うところは、親自身が、一方でしっかりと自分をもっているということ。たとえば人前では、「私は、子どもが行ける中学へ入ってくれれば、それでいいです」とか、「私はどこの学校でもいいのですが、息子がどうしてもS高校へ入りたいと言っているので、何とか、希望をかなえさせてやりたい」とか、言ったりする。外の世界では、むしろ温厚でものわかりのよい親を演じたりすることが多い。

 もちろん育児ノイローゼに似た症状も出てくる。育児ノイローゼの症状を、まず考えてみる。

●育児ノイローゼ
 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。
@生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞……どこかぼんやりとしてくる。うつろな目つき、元気のない応答など。
A思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低下)……同じことを考えたり、繰り返したりする。
B精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日常活動への興味の喪失)……ものごとに興味がみてなくなる。
C睡眠障害(早朝覚醒に不眠)……朝早く目が覚めたり、眠っても眠りが浅い。
D風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)……不注意による事故が多くなる。
Eムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)……万引きをしてつかまったりする。衝動的に高額なものを買ったりする。同じものを、あるいは同じようなものを、同時にいくつか買う。
Fささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)……ささいなことが頭から離れず、それが苦になってしかたない。
G同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなくなる(感情障害)……怒っている最中は、自分のしていることが絶対正しいと思うことが多い。ヒステリックに泣き叫んだりする。
H他人との接触を嫌う(回避性障害)……人と会うだけで極端に疲れる。家の中に閉じこもる。
I過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。……過食症や拒食症になる。体重が極端に変化する。
Jまた必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)……ささいなことで、相手に謝罪の電話を入れたりする。自分のしていることが客観的に判断できなくなる。

こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●受験ノイローゼ
 受験ノイローゼも、ノイローゼという意味では、育児ノイローゼの一種とみることができる。しかし育児ノイローゼに見られない症状もある。先に述べたように、「自分をしっかりもっている」のほか、ターゲットが、子どもの受験そのもの、あるいはそれだけにしぼられるということ。明けても暮れても、子どもの受験だけといった状態になる。むしろ子どもの受験以外の、ほかのことについては、鈍感になったり、無関心になったりする。育児ノイローゼが、生活全体におよぶのに対して、そういう意味では、限られた範囲で、症状がしぼられる。が、その分だけ、子どもの「勉強」「成績」「受験」に対して、過剰なまでに反応するようになる。

 毎日、書店のワークブックや参考書売り場へ行っては、そこで一〜二時間過ごしていた母親がいた。あるいは子どもの受験のためにと、毎日、その日の勉強を手作りで用意していた母親もいた。しかしその中でもナンバーワンは、Tさんという母親だった。
 
 Tさんは、私のワイフの友人だった。あらかじめ念のために書いておくが、私はこういうエッセーを書くとき、私が直接知っている母親のことは書かない。書いても、いくつかの話をまとめたり、あるいは背景(環境、場所、家族構成)を変えて書く。それはものを書く人間の常識のようなもの。そのTさんは、私が教えた子どもの母親ではない。

 そのTさんは、子どもが小学校に入ると、コピー機を買った。それほど裕福な家庭ではなかったが、三〇万円もする教材を一式そろえたこともある。さらに塾の送り迎え用にと、車の免許証をとり、中古だが車まで買った。そして学校の先生が、テストなどで採点をまちがえたりすると、学校へ出向き、採点のしなおしまでさせていた。ワイフが「そこまでしなくても……」と言うと、Tさんはこう言ったという。「私は、子どものために、不正は許せません」と。

 こういう母親の話を聞くと、「教育とは何か」と、そこまで考えてしまう。そのTさんは、いくつか、Tさん語録を残してくれた。いわく、「幼児期からしっかり子どもを教育すれば、東大だって入れる」「ダ作(Tさんは、そう言った)を二人つくるより、子どもは一人」と。Tさんの子どもが、たまたまできがよかったことが、Tさんの受験熱をさらに倍化させた。いや、もっともTさんのように、子どものできがよければ、受験ノイローゼも、ノイローゼになる前に、ある程度のレベルで収めることができる。が、その子どものできが、親の望みを下回ったとき、ノイローゼがノイローゼになる。

●特徴
 受験ノイローゼは、もちろんまだ定型化されているわけではない。しかしつぎのような症状のうち、五個以上が当てはまれば、ここでいう受験ノイローゼと考えてよい。あなたのためというより、あなたと子どもの絆(きずな)を破壊しないため、あるいはあなたの子どもの心を守るため、できるだけ早く、あなた自身の学歴信仰、および自分自身の受験体験にメスを入れてみてほしい。

○子どもの受験の話になると、言いようのない不安感、焦燥感(あせり)を覚え、イライラしたり、情緒が不安定になる。ちょっとしたことで、ピリピリする。
○子どもがのんびりしているのを見たりすると、自分の子どもだけが取り残されていくようで、心配になる。つい、子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ってしまう。
○子どもがテストで悪い点数をとってきたり、成績がさがったりすると、子どもがそのままダメになっていくような気がする。何とかしなければという気持ちが強くなる。
○同年齢の子どもをもつ親と話していると、いつも相手の様子をさぐったり、相手はどんなことをしているか、気になってしかたない。話すことはどうしても受験のことが多い。
○子どもが学校や塾へ言っているときだけ、どこかほっとする。子どもが家にいると、あれこれ口を出して、指示することが多い。子どもが遊んでいると、落ち着かない。
○子どものテストの点数や、順位などは、正確に把握している。ささいなミスを子どもがしたりすると、「もったいないことをした!」と残念に思うことが多い。
○テスト期間中になると、精神状態そのものがおかしくなり、子どもをはげしく叱ったり、子どもと衝突することが多くなる。たがいの関係が険悪になることもある。
○明けても暮れても、子どもの学力が気になってしかたない。頭の中では、「どうすれば、家庭での学習量をふやすことができるか」と、そればかりを考える。
○「うちの子はやればできるはず」と、思うことが多く、そのため「もっとやれば、もっとできるはず」と思うことが多い。勉強ができる、できないは、学習量の問題と思う。 
○子どもの勉強のためなら、惜しみなくお金を使うことが多くなった。またよりお金を使えば使うほど、その効果がでると思う。今だけだとがまんすることが多い。(以上、試作)
(02−9−30)※

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親が過去を再現するとき(中日新聞東掲載原稿より)

●親は子育てをしながら過去を再現する 
 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それまではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つい先日も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一学期の期末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味
 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚いた。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくのは、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はともかくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいていはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ
親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言ってもムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、七八・四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたちは。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさな言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる
 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまでの二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていないだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。

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子育ての陰で……子育て狂騒曲(子育てでおかしくなる親たち)

何をお高くとまってんの!

●「あなたの教育方針は何か」
 ある日一人の母親が四歳になる息子をつれて音楽教室の見学にやってきた。音楽教室の先生は、三〇歳そこそこの若い先生だった。音大を出たあと、一年間ドイツの音楽学校に留学していたこともある。音楽教室の中では、そこそこに評価の高い先生だった。しかしその母親は、その先生にこう食いさがった。「あなたの教育方針は何か」「子どもの未来像をどう考えているか」「あなたの教育理念をしっかりと話してほしい」と。

●幼児と教育論?
 「たかが……」と言うと叱られるが、「たかが週一回の音楽教室ではないか」と、その音楽教室の先生は思ったという。が、こうした質問にていねいに答えるのも仕事のうち、と考えて、あれこれ説明した。が、最後にその母親はこう言って、その教室をあとにしたという。「これから家に帰って、ゆっくり息子と話しあってきます」と。まさか四歳の息子と教育論?

●「失礼」を知らない母親たち
 私のところにも、こんなことを相談してきた親がいた。「うちの子は今度、E英会話教室に通うことにしましたが、先生がアイルランド人だというではありませんか。ヘンなアクセントが身につくのではないかと心配です」と。さらに中には電話で、私に向かって、「あなたの教室と、K式算数教室とでは、どちらがいいでしょうか?」と聞いてきた母親さえいた。

さらに「うちの子はBW(私の教室の名前)に入れたくないのですが、どうしても入りたいと言うのでよろしく」と言ってきた母親もいた。こういう母親には、「失礼」とか「失敬」という言葉は通じない。で、私は私で、そういう失敬さを感じたときは、入会そのものを断るようにしている。が、それすら口で言うほど簡単なことではない。

●「フン、何をお高くとまってんの!」
 こうした母親に入会を断ろうものなら、デパートで販売拒否にでもあったかのように怒りだす。「どうしてうちの子は入れてもらえないのですか!」と。「紹介? あんたんどこは紹介がないと入れないの? フン、何をお高くとまってんの! そんな偉そうなこと言える教室じゃないでしょ」と悪態をついて電話を切った母親すらいた。つい先日もこんなことがあった。

●初対面のときとは別人
 父親と母親につれられて中学一年生になったばかりの男子がやってきた。見るからにハキのなさそうな子どもだった。いやいや両親につれられてやってきたということがよくわかった。会うと父親は、「どうしてもA高校へ入れてほしい」と言った。ていねいな言い方だったが、どこかインギン無礼な言い方だった。で、一通り話は聞いたが、私は「返事はあとで」とその場は逃げた。親の希望が高すぎるときは、安易に引きうけるわけにはいかない。

で、その数日後、私がファックスで入会を断ると、父親がものすごい剣幕で電話をかけてきた。「貴様は、うちの息子は教えられないというのか。A高校が無理なら無理と、はっきりといったらどうだ!」と。初対面のときとはうって変わった声だった。私が「息子さん能力とは関係ありません」と言うと、さらにボルテージをあげて、「今に見ろ。ちゃんとうちの子をA高校に入れてみせる!」と怒鳴った。もっともこの父親は、それから半年あまりあとに、脳内出血でなくなってしまった。私と女房は、妙にその事実に納得した。「うむ……」と。


小食

小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重一五キロの子どもが、缶ジュースを一本飲むということは、体重六〇キロのおとなが、四本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔よりも大きなソフトクリームを一個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困っています」は、ない。
 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの子どもでまず疑ってみるべきは、低血糖。一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげようとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残ったインスリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう状態になると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興奮状態になって大声をあげたり、暴れたりする。このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを切るように、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」として、二〇年ほど前に話題になったことがある。日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほか)。そこでもしあなたの子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくて、ダメもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。
 話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげしい」「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約五〇%が、この問題で悩んでいる。で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、思いきって捨てる。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。そして子どもが食事の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親というのは、たいてい無意識のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、間食はいっさい、やめる。
(小食児へのアドバイス)
@ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
A甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
Bカルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
C日中、汗をかかせるようにする。
 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつうの家庭よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康なら、小食(?)でも問題はないとみる。


心的外傷後ストレス障害
(PTSD、Post−traumatic Stress Disorder)、私のばあい
 
 その人の処理能力を超えた、強烈なストレスが加わると、その人の心に、大きな影響を与える。そのときそれがふつうの記憶とは異なり、脳に外傷的記憶として残ることがある。そして日常生活において、さまざまな症状や障害を示すことがある。こうした一連のストレス性障害を、心的外傷後ストレス障害という。

 Aさんは、あやうく上の子どもを、水死させるところだった。家族でキャンプに行ったときのことだった。水から救い出したときには、すでに意識はなかったが、幸い、父親が人工呼吸をほどこしたところ、息を吹きかえした。上の子どもが六歳、したの子どもが四歳のときのことだった。

 以後しばらくは、その子どもが無事だったとことを喜んだが、しかしそれが落ちつくと、ここでいう心的外傷後ストレス障害が現れた。当時の事故のことを思い出すと、極度の不安状態になるという。あるいはその事故のことを忘れようと、思えば思うほど、当時の状況が、思い出されてしまうという。届いたメールから、引用させてもらう。

●私は、それ以来今では少なくなっていますが、夜ふとんに入ると思い出して眠れなくなってしまうことがあります。

●子どもの下校時間が近づくとそわそわして、家の中と外とを行ったりきたりしてしまいます。

●これから先もずっと心配していかなければいけないかと思うと将来が不安でしかたがありません。

●まわりに相談しても、助かったんだからとか、子離れしたらとか言われます。
主人もいろいろ考えてはくれますが、どうしたらいいのか分からないみたいです。
結局は自分の中で勝手にいろいろ想像して勝手に悩んでるだけなのですが、何とかこの状態からぬけだしたいです。

 心的外傷後ストレス障害では、その種の状況になると、強い感情的反応が現れることが知られている。言いようのない不安感や恐怖感、絶望感や虚脱感など。ときに当時の状況をそのまま再体験、もしくは心の中で再現したりする。これを「フラッシュバック」という。

 強度の心的外傷後ストレス障害になると、日常生活にも影響が出てくる。感情鈍麻、麻痺、回避性障害(人と会うのを避ける)、行為障害(ふつうでない行動を繰りかえす)など。多く見られるのが、不眠である。

【心的外傷後ストレス障害、私のばあい】

 私もまったく同じような経験をしている。家族で、近くの湖へ海水浴に行ったときのことである。三人の息子を連れていったが、とくに二男については、今、こうして命があるのは、まさに奇跡中の奇跡である。

 その直後の私は、たしかにおかしかった。二男が生きているにもかかわらず、生きていることを不思議に思い、思うと同時に、背筋が何度も凍りつくのを感じた。「ほんのもう少しまちがっていたら、私が殺していた」という、自責の念にかられた。そして夜、床についたあとなど、その日のことを思い出すと、そのまま興奮状態になり、眠られなくなってしまった。

 それは恐怖、そのものであった。しかしその恐怖は、外からくる恐怖ではなく、自分自身の内部から、襲ってくる恐怖であった。つかみどころがなかった。「もしもあのとき……」と、そんなことを考えていると、妄想が妄想を呼び、わけがわからなくなってしまった。それに、思い出したくはないのだが、事故の生々しい様子が、心にペッタリと張りついて、それが取れない。かきむしっても、かきむしっても、取れない。

 本来なら、二男が生きていることを喜べばよいのだが、そういう気持ちにはなれない。「よかった」と思うより先に、「どうしてあんなことをしたのだろう」と、自分を責めてしまう。そして一度、そういう状態になると、足元をすくわれるような不安状態になってしまう。じっとしておられないというか、何をしても、手につかない状態になってしまう。

 よく覚えているのは、そのあと、湖を見るのもこわかったということ。実際には、それ以後、一度も、湖へは行っていない。正確には、海水浴には、行っていない。おかしな妄想が頭にとりついたこともある。「今度、息子たちを湖へ連れていったら、湖の悪魔に、命を取られるぞ」と。そういうオカルト的な現象など、まったく信じていない私が、である。

 私のばあいは、「湖」とか、「海水浴」が、心的外傷後ストレス障害のキーワードになっていた。それでそれを避けることで、やがて、少しずつだが、気持ちが和らいでいった。あれからもう、二〇年になるが、こうして思い出してみると、いつの間にか、それが一つの思い出になっているのに、今、気づく。以前のような、フラッシュバックに陥るということは、もうない。

 ただあのとき、二男を湖から救い出してくれた恩人(私はいつも「恩人」と呼んでいる)については、その恩を忘れたことはない。二男に何かあるたびに、私とワイフ、ときには二男を連れてあいさつに行っている。中学を卒業したとき。アメリカへ出発したときなど。相手の人は、ひょっとしたらそういう私たちを迷惑がっているかもしれないが、私はどうしても、それをしたい。しないわけにはいかない。つまりすることによって、二男が、助かるべきして助かったという実感をものにしている。

 専門的には、心的外傷後ストレス障害の人に対して、グループ治療や、行動療法が効果的という説もある。私のばあいは、精神科のドクターの世話になることはなかった。ただワイフが、たいへん精神的にタフな女性で、その点では、ワイフに助けられた。私がフラッシュバックに襲われたときも、私に、「あんたは、バカねえ。助かったのだから、それでいいじゃない」と言ってくれたりした。

【Aさんへ】

 私の経験では、こうした心的外傷後ストレス障害は、なおらないということ。そのため、なおそうと思わないことだと思います。それを悪いこと、あるいは、あってはならないことと思ってしまうと、かえって自分を責め、ストレスが倍加してしまいます。

 もっとも効果的な方法は、とにかく忘れること。そのため、その事故を思い起こさせるようなできごとを、自分から遠ざけることです。私のばあい、一時は、湖の方角さえ向きませんでした。ただそのあと、水泳の能力の必要性を痛感し、息子たちを水泳教室へは入れました。

 そしてここが重要ですが、あとは時間が解決してくれます。『時は、心の治療人』と考えてください。こうしたもろもろの心の問題は、心的外傷後ストレス障害にかぎらず、時が解決してくれます。悪いことばかりではありません。

 とくに二男は、生きていることのすばらしさを、そのあと、教えてくれました。また心的外傷後ストレス障害といいますが、そういう状態になると、感性がとぎすまされ、他人が見ることができないものが、見えてきたりします。言いかえると、そういう経験をとおして、あなたの子どもは、今、あなたに何かを教えようとしているのです。

 ここに添付したような原稿(中日新聞に発表済み)は、そういう私の気持ちを書いたものです。どうか、参考にしてください。何かのお役にたてるものと思います。今の私の立場で言えることは、「どうか、一日も早く、いやな思い出は忘れて、明るい太陽の方に顔を向けてください」という程度でしかありません。

●苦しんでいるAさんへ、

 心を解き放て!
 解き放って、空を飛べ!
 あなたは、今、生きている。
 あなたの子どもも、今、生きている。
 それを、友よ、すなおに喜ぼうではないか。

 苦しんでいるあなたは、幸いなれ!
 あなたには、他人に見えないものが見える。
 命の尊さ、命の美しさ、
 そして命のあやうさ、
 だからあなたは、人一倍
 自分の人生を大切にする。
 生きる尊さを、まっとうする。

 事故?
 とんでもない!
 あなたの子どもは
 あなたに、生きる意味を、教えるために
 今、そこにいる。
 それを、友よ、すなおに受け入れようではないか。
 そして、友よ、あなたの子どもに感謝しようではないか。
 あなたのおかげで、私は生きる意味がわかったわ、と。

 苦しんでいるあなたは、幸いなれ!
 真理への道は、いつも苦しい。
 その苦しさを通ってのみ、
 あなたは、その真理にたどりつく。
 だから友よ、恐れてはいけない。
 だから友よ、逃げてはいけない。
 あなたは自分を受け入れ、
 あなたの子どもを受け入れる。

 さあ、友よ、明日からあなたは、
 新しい人生を歩く。
 勇気を出して、歩く。
 もうこわがるものは、何もない。
 なぜなら、あなたは、今、
 生きる意味を、知っている。

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よろしかったら、お読みください。また二男については、私のホームページのトップページから、二男のサイトにアクセスできます。去年、かわいい孫が生まれました。一度、見てやってください。あなたの子どもも、いつか、孫をつれてあなたのところにやってきますよ。

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子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイをしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。

しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

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無条件の愛

●「子どもの世界」一〇〇回目を記念して

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか…? その方法はあるのか…? 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をした。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカでは、花嫁の居住地で式をあげる習わしになっている。式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声が震えた。息子「アメリカ国籍を取る」私「日本人をやめる、ということか…」息子「そう」「…いいだろ」と。私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には「無条件の愛」という言葉がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。
 
「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由などない。一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。

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生きる源流に視点を

 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づき、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。

特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子どもが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・ため」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さらに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、その真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭をかかえてしまう。

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Aさんへ、いっしょに、がんばりましょう!
(030605)※


情緒不安

子どもの心を安定させる法(原因を家庭の中に求めろ!)
子どもの心が不安定になるとき 
●情緒が不安定な子ども
 子どもの成長は、次の四つをみる。@精神の完成度、A情緒の安定度、B知育の発達度、それにC運動能力。このうち情緒の安定度は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときをみて、判断する。運動会や遠足のあと、など。そういうときでも、ぐずり、ふさぎ込み、不機嫌、無口(以上、マイナス型)、あるいは、暴言、暴力、イライラ、激怒(以上、プラス型)がなければ、情緒が安定した子どもとみる。子どもは、肉体的に疲れたときは、「疲れた」とは言わない。「眠い」と言う。子どもが「疲れた」というときは、神経的な疲れを疑う。子どもはこの神経的な疲れにたいへん弱い。それこそ日中、五〜一〇分、神経をつかっただけで、ヘトヘトに疲れてしまう。
●情緒不安とは……?
 外部の刺激に左右され、そのたびに精神的に動揺することを情緒不安という。二〜四歳の第一反抗期、思春期の第二反抗期に、とくに子どもは動揺しやすくなる。
 その情緒が不安定な子どもは、神経がたえず緊張状態にあることが知られている。気を許さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を気にする、よい子ぶるなど。その緊張状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。症状が進むと、周囲に溶け込めず、引きこもったり、怠学、不登校を起こしたり(マイナス型)、反対に攻撃的、暴力的になり、突発的に興奮して暴れたりする(プラス型)。表情にだまされてはいけない。柔和な表情をしながら、不安定な子どもはいくらでもいる。このタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、激変する。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と言っただけで、激怒し、母親に包丁を投げつけた子ども(年長女児)がいた。また集団的な非行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることもある。
●原因の多くは異常な体験
 原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。たとえば親自身の情緒不安のほか、親の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒動、家庭不和、何らかの恐怖体験など。ある子ども(五歳男児)は、たった一度だが、祖父にはげしく叱られたのが原因で、自閉傾向(人と心が通い合わない状態)を示すようになった。また別の子ども(三歳男児)は、母親が入院している間、祖母に預けられたことが原因で、分離不安(親の姿が見えないと混乱状態になる)になってしまった。
 ふつう子どもの情緒不安は、神経症による症状をともなうことが多い。ここにあげた体の不調のほか、たとえば夜驚、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、チック、爪かみ、物かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強迫傾向、潔癖症、嫌悪症、対人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜尿症、頻尿症など。
●原因は、家庭に!
 子どもの情緒が不安定になると、たいていの親は原因さがしを、外の世界に求める。しかしまず反省すべきは、家庭である。強度の過干渉(子どもにガミガミと押しつける)、過関心(子どもの側からみて神経質で、気が抜けない環境)、家庭不和(不安定な家庭環境、愛情不足、家庭崩壊、暴力、虐待)、威圧的な家庭環境など。夫婦喧嘩もある一定のワク内でなされているなら、子どもにはそれほど大きな影響を与えない。が、そのワクを越えると、大きな影響を与える。子どもは愛情の変化には、とくに敏感に反応する。
 子どもが小学生になったら、家庭は、「体を休め、疲れた心をいやす、いこいの場」でなければならない。アメリカの随筆家のソロー(一八一七〜六二)も、『ビロードのクッションの上より、カボチャの頭』と書いている。人というのは、高価なビロードのクッションの上に座るよりも、カボチャの頭の上に座ったほうが気が休まるという意味だが、多くの母親にはそれがわからない。わからないまま、家庭を「しつけの場」と位置づける。学校という「しごきの場」で、いいかげん疲れてきた子どもに対して、家の中でも「勉強しなさい」と子どもを追いまくる。「宿題は終わったの」「テストは何点だったの」「こんなことでは、いい高校へ入れない」と。これでは子どもの心は休まらない。
●子どもの情緒を安定させるために
 子どもの情緒が不安定になったら、スキンシップをより濃厚にし、温かい語りかけを大切にする。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって情緒を不安定にする。一番よい方法は、子どもがひとりで誰にも干渉されず、のんびりとくつろげるような時間と場所をもてるようにすること。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。
 ほかにカルシウムやマグネシウム分の多い食生活に心がける。とくにカルシウムは天然の精神安定剤と呼ばれている。戦前までは、日本では精神安定剤として使われていた。錠剤で与えるという方法もあるが、牛乳や煮干など、食品として与えるほうがよいことは言うまでもない。なお情緒というのは一度不安定になると、その症状は数か月から数年単位で推移する。親があせって何とかしようと思えば思うほど、ふつう子どもの情緒は不安定になる。また一度不安定になった心は、そんなに簡単にはなおらない。今の状態をより悪くしないことだけを考えながら、子どものリズムに合わせた生活に心がける。

 (参考)
●子どもの神経症について
心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。子どもの神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。
@精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。
A身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえて警戒する。
B行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。



自立心

子どもの自立心を育てる法(依存心をもたせるな!)
日本人の依存性を考えるとき 
●森進一の『おくふろさん』
 森進一が歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし……。日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは日本人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たちは、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そして結果として、日本では昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一方、独立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。
●保護と依存の親子関係
 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して保護意識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども(年中男児)がいた。生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ着はもちろんのこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげたまま、教室に戻ってきたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出すこともできない。できないというより、じっと待っているだけ。多分、家でそうすれば、家族の誰かが助けてくれるのだろう。そこであれこれ指示をするのだが、それがどこかチグハグになってしまう。こぼしたミルクを服でふいたり、使ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしまったりするなど。
 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系の家庭では、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考え方が徹底している。こんなことがあった。一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこと。そのとき母親は本を読んでいたのだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてきた。母親はひととおり娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるのよ。じゃましないでね」と。
●子育ての目標は「よき家庭人」
 子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立させること」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなたの子どもはどうだろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というのが、それである。たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。もう少し依存心が強くなると、こういう言い方をする。私「この問題をやりなおしなさい」子「ケシで消してからするのですか」私「そうだ」子「きれいに消すのですか」私「そうだ」子「全部消すのですか」私「自分で考えなさい」子「どこを消すのですか」と。実際私が、小学四年生の男児とした会話である。こういう問答が、いつまでも続く。
 さて森進一の歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ……」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後には、日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。

(参考)
●夫婦別称制度
 日本人の上下意識は、近年、急速に崩れ始めている。とくに夫婦の間の上下意識にそれが顕著に表れている。内閣府は、夫婦別姓問題(選択的夫婦別姓制度)について、次のような世論調査結果を発表した(二〇〇一年)。それによると、同制度導入のための法律改正に賛成するという回答は四二・一%で、反対した人(二九・九%)を上回った。前回調査(九六年)では反対派が多数だったが、賛成派が逆転。さらに職場や各種証明書などで旧姓(通称)を使用する法改正について容認する人も含めれば、肯定派は計六五・一%(前回五五・〇%)にあがったというのだ。
調査によると、旧姓使用を含め法律改正を容認する人は女性が六八・一%と男性(六一・八%)より多く、世代別では、三〇代女性の八六・六%が最高。別姓問題に直面する可能性が高い二〇代、三〇代では、男女とも容認回答が八割前後の高率。「姓が違うと家族の一体感に影響が出るか」の質問では、過半数の五二・〇%が「影響がない」と答え、「一体感が弱まる」(四一・六%)との差は前回調査より広がった。ただ、夫婦別姓が子供に与える影響については、「好ましくない影響がある」が六六・〇%で、「影響はない」の二六・八%を大きく上回った。調査は二〇〇一年五月、全国の二〇歳以上の五〇〇〇人を対象に実施され、回収率は六九・四%だった。なお夫婦別姓制度導入のための法改正に賛成する人に対し、実現したばあいに結婚前の姓を名乗ることを希望するかどうか尋ねたところ、希望者は一八・二%にとどまったという。


集中力

子どもの集中力

 集中力と子どもの知的能力は、表裏の関係にある。集中力のある子どもは、すぐれた知的能力をみせる。このタイプの子どもは一度何かに集中し始めると、他人を寄せつけない気迫に包まれる。一方、集中力のない子どももいる。何ごとにつけあきっぽく、しばらくするとすぐ、「退屈〜ウ」とか、「つまらな〜イ」とか言い出す。
 そんなわけで、つまり知的能力を高める方法があまりないのと同じように、集中力をつける方法というのも、それほどない。あるとすれば、集中力をなくさせるようなことをしないという消極的なものでしかない。たとえば無理、強制、条件、比較などを日常的にして、子どもからやる気をうばう。慢性的な睡眠不足状態にするなど。言いかえると、子どもの集中力を最大限引き出すためには、できるだけこうした方法を避けるということになる。が、それでも集中力が続かないとしたら……。答は簡単。あきらめる。それがその子どもの能力の限界と知ったうえで、あきらめる。
 よく誤解されるが、サッカーならサッカーで、すぐれた集中力をみせるからといって、知的な面でも集中力があるということにはならない。(もちろん両面ですぐれた集中力を示す子どももいるが……。)脳の中でも運動面をつかさどるのが、大脳半球の中の運動野(中心前回)という部分。知的能力をつかさどるのが、連合野という部分。連合野は人がサルから進化する過程でとくに発達した部分であり、運動をつかさそる運動野とはまったく別物と考えるのが正しい。
 ただ教育的には方法がないわけではない。子どもの方向性を見きわめたうえで、うまく好奇心を引き出しながらそれに集中させるなど。算数はきらいでも、虫が好きで、虫のこととなると夢中で調べる子どもは、いくらでもいる。あるいは英語には、「楽しく学ぶ子どもはよく学ぶ」というのもあるが、子どもを好きにさせるという方法もある。まずいのは、満腹状態の子どもに、さらに食事を与えるような行為。集中力がなくなって当然である。
 この集中力がなくなると、子どもは、フリ勉(まじめに勉強しているフリだけをする)、ダラ勉(ダラダラと身をもてあます)、時間ツブシ(つめをほじったり、やらなくてもよいような簡単な問題ばかりをする)がうまくなる。こうした症状が出てきたら、できるだけ早い時期に、家庭教育のあり方を猛省したほうがよい。小学低学年で一度そういう症状を身につけると、なおすのは容易ではない。
 


就眠のしつけ

ベッドタイムゲーム
 
 子どもは床についてから眠るまで、毎晩、同じことを繰り返す習性がある。これを英語では「ベッドタイムゲーム」(日本語では、「就眠儀式」)という。このベッドタイムゲームのしつけが悪いと、子どもはなかなか寝つかなくなるばかりでなく、ばあいによっては情緒そのものが不安定になることもある。もしあなたの子どもが寝る前になると決まって、ぐずったり(マイナス型)、暴れたりするようであれば(プラス型)、このしつけの失敗を疑ってみる。
方法としては、@毎晩同じことを繰り返すようにする。A心安らかな状態を大切にし、就寝前少なくとも一時間はテレビやゲームなど、はげしい刺激は避ける。Bベッドのまわりにぬいぐるみなどを置いてあげ、心が暖まる雰囲気をつくるなどがある。毎晩本を読んであげるとか、静かな音楽を聞かせるというのもよい。まずいのは子どもを子ども部屋に閉じ込め、強引に電気を消してしまうような行為。こうした乱暴な行為が繰り返されると、子どもは眠ることそのものに恐怖心を抱くようになる。
ところで今、年長児(満六歳児)でも、五人のうち三人が、「ほとんど毎朝、こわい夢をみる」ことがわかっている(二〇〇一年・筆者調査)。「どんな夢?」と聞くと、「ワニに追いかけられる夢」「暗い穴にいる夢」「怪獣の夢」という答が返ってきた。子どもの世界がどこか不安定になっていると考えてよい。
ちなみに年中児で睡眠時間(眠ってから起きるまでのネット時間)は一〇時間一五分、年長児で一〇時間(筆者調査)。子どもが小学生になると、睡眠時間はぐんと短くなるが、それでも最低九時間半を確保する。睡眠不足が知能の発育に影響を与えるというデータはないが、しかし睡眠不足が続くと集中力が弱くなる。あるいは突発的に興奮することはあっても、すぐ潮が引くようにぼんやりとしてしまう。園や学校などでの学習面で影響が出てくる。なお年中児になっても「昼寝グセ」が残っているようなら、その時間ガムをかかせるという方法でなおす。


神経質な子ども

神経質な子どもに対処する法(性質を見ぬけ!)
子どもが神経質になるとき
●敏感(神経質)な子ども 
 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオドオドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。
 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。ふつう「神経質な子」というときは、この敏感児をいうが、その程度がさらに超えた子どもを、過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体の約三〇%の子どもが、そうであるとみる。一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子どもを、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的過敏児だった。
●過敏児
 このタイプの子どもは、@感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示に対して、ピリピリと反応するため、痛々しく感じたりする。A耐久性にもろく、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。B過敏であるがために、環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症を併発しやすい。C症状は、一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになってから症状が出ることもある(参考、高木俊一郎氏)。A子さんのケースでも、A子さんは原因不明の発熱に悩まされていた。
●子どもを認め、受け入れる
 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児であるにせよ、それは子どもがもって生まれた性質であり、なおそうと思っても、なおるものではないということ。無理をすればかえって逆効果。症状が重くなってしまう。が、悪いことばかりではない。敏感児について言えば、その繊細な感覚のため、芸術やある特殊な分野で、並はずれた才能を見せることがある。ほかの子どもなら見落としてしまうようなことでも、しっかりと見ることができる。ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの一〇数分でも緊張させると、それだけで神経疲れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前提で理解してあげる。
●一見鈍感児なのだが……
 ……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こんなタイプの子どももいる。見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚をもった子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところでその子どもの心にキズをつけてしまう。ワイワイとふざけているから、「ママのおっぱいを飲んでいるなら、ふざけていていい」と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせたりする。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その場をごまかそうとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、たいていこのタイプと言ってよい。その子ども(年長児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかってきた。「母親のおっぱいを飲んでいるとかいないとか、そういうことで息子に恥をかかせるとは、どういうことですか!」と。敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。

(参考)
●過敏児と鈍感児
 過敏児と対照的な位置にいるのが、鈍感児(知的な意味で、鈍感というのではない)。ふつうこの両者は対比して考える。


神経症

神経症は親を疑う

 子どもの神経症(心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害)は、まさに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑う。その神経症は、大きくつぎの三つに分けて考える。
@精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。
A身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面での神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号ととらえて警戒する。
B行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。
 こうした神経症が表れると、親は園や学校、さらには友人関係を疑うが、まず疑うべきは、家庭環境である。こんな母親がいた。学校でその子ども(小四男児)の吃音(どもり)が笑われたというのだ。その母親は「教師の指導が悪いからだ」と怒っていたが、その子どもにはほかに、チックによる症状(目をクルクルさせる)もあった。問題は「笑われた」ということではなく、現に今、吃音があり、チックがあるということだ。たいていは親の神経質な過干渉が原因で起こる。なおすべきことがあるとするなら、むしろそちらのほうだ。子どもというのは、仮に園や学校でつらい思いをしても、(またそういう思いをするから子どもは成長するが)、家庭の中でキズついた心をいやすことができたら、こうした症状は外には出てこない。
 神経症が子どもに現れたらら、子どもの側からみて、親の存在を感じないほどまでに、家庭環境をゆるめる。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子どもがひとりでぼんやりとできる時間と場所を大切にする。


スキンシップ

子どもの心を落ちつかせる法(行きづまったら抱け!)
子どもの心がつかめなくなったとき
●スキンシップは魔法の力 
 スキンシップには、人知を超えた不思議な力がある。魔法の力といってもよい。もう二〇年ほど前のことだが、こんな講演を聞いたことがある。アメリカのある自閉症児専門施設の先生の講演だが、そのときその講師の先生は、こう言っていた。「うちの施設では、とにかく『抱く』という方法で、すばらしい治療成績をあげています」と。その施設の名前も先生の名前も忘れた。が、その後、私はいろいろな場面で、「なるほど」と思ったことが、たびたびある。言いかえると、スキンシップを受けつけない子どもは、どこかに「心の問題」があるとみてよい。
 たとえばかん黙児や自閉症児など、情緒障害児と呼ばれる子どもは、相手に心を許さない。許さない分だけ、抱かれない。無理に抱いても、体をこわばらせてしまう。抱く側は、何かしら丸太を抱いているような気分になる。これに対して心を許している子どもは、抱く側にしっくりと身を寄せる。さらに肉体が融和してくると、呼吸のリズムまで同じになる。心臓の脈動まで同じになることがある。で、この話をある席で話したら、そのあと一人の男性がこう言った。「子どもも女房も同じですな」と。つまり心が通いあっているときは、女房も抱きごこちがよいが、そうでないときは悪い、と。不謹慎な話だが、しかし妙に言い当てている。
●大切な「甘える」という行為
 このスキンシップと同じレベルで考えてよいのが、「甘える」という行為である。一般論として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え方が自然である。「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、人に甘える。甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのまま子どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。
 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、育児拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分だけ、人に甘えない。一見、自立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、苦しんでいるのを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなる。ものの考え方が、全体にひねくれる。私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲があるから、いい天気ではない」と。
●先手を打って自分を守る
 このタイプの子どもは、「信じられるのは自分だけ」というような考え方をする。誰かに親切にされても、それを受け入れる前に、それをはねのけてしまう。ものの考え方がいじけ、すなおさが消える。「あの人が私に親切なのは、私が持っている本がほしいからよ」と。自分からその人を遠ざけてしまうこともある。あるいは自分に関心のある人に対してわざと意地悪をする。心の防御作用と言えるもので、その人に裏切られて自分の心がキズつくのを恐れるため、先手を打って、自分の心を防衛しようとする。そのためどうしても自分のカラにこもりやすい。異常な自尊心や嫉妬心、虚栄心をもちやすい。あるいは何らかのきっかけで、ふつうでないケチになることもある。こだわりが強くなり、お金や物に執着したりする。完ぺき主義から、拒食症になった女の子(中三)もいた、などなど。
 もしあなたの子どもが、あなたという親に甘えることを知らないなら、あなたの子育てのし方のどこかに、大きな問題があるとみてよい。今は目立たないかもしれないが、やがて深刻な問題になる。その危険性は高い。
●行きづまりを感じたら、抱く
 ……と、皆さんを不安にさせるようなことを書いてしまったが、子どもの心の問題で、何か行きづまりを感じたら、子どもは抱いてみる。ぐずったり、泣いたり、だだをこねたりするようなときである。「何かおかしい」とか、「わけがわからない」と感じたときも、やさしく抱いてみる。しばらくは抵抗する様子を見せるかもしれないが、やがて収まる。と、同時に、子どもの情緒(心)も安定する。

(参考)
●抱かれない子どもが急増!
こんなショッキングな報告もある(二〇〇〇年)。抱こうとしても抱かれない子どもが、四分の一もいるというのだ。
「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。
報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が三三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が二割前後見られ、調査した六項目の平均で二五%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で二〇%の赤ちゃんから報告されたという。さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。
 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)二〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。



巣立ち

子どもが巣立つとき
 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。
 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイをしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。
 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。
 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。
 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 


すなおな子ども

すなおな生き方

●拾ったサイフ

 道路にサイフが落ちていた。中を見ると、一万円札が一〇枚! 暗い夜道だ。まわりには、だれもいない。民家も、まばら……。

 こういうとき、あなたはどうするだろうか? 私は、中学生たち七人に、聞いてみた。「君たちなら、どうするか?」と。予想したとおり、意見はつぎの二つに分かれた。

A君「中のお札だけ抜いて、サイフは捨てる」
B君「交番へ届ける」
(一人だけだが、「そのままにしておく」という子どももいた。)

 A君の意見は、子どもの本音である。本心と言ってもよい。しかしB君の意見は、エセ。そこで私はB君に聞いてみた。

私「君は、本当にそう思うか。君なら、交番に届けるか?」
B「……届ける」
私「それは君の、本当の気持ちか? 本当にそう思うか? 本当の気持ちを言ってごらん」と。

 しばらくするとB君は、はにかみながら、こう言った。「交番へ届けるということになっているけどオ……」と。

 そこでさらに私はB君に、こう聞いた。

私「なぜ、君は、ぼくに交番へ届けると言ったのか?」
B「それが正しいことだと思ったから……」
私「自分で正しいと、思ったのか」
B「それが正しいということになっているから」
私「だれが、そう言ったのか?」
B「学校の先生も、そう言っている……」
私「ちがう。君は、私という先生の喜びそうな意見を、言っただけではないのか。そういうふうに言えば、私が喜ぶと考えて、そう言っただけではないのか?」

 そう、B君は、学校でも、優等生と言われている子どもである。何かにつけて、クラスでは、リーダー的な存在である。するとB君は、今度は、こう言った。「しかし、そのお金は、他人のお金だし……。きっと落した人は困っているかもしれない」と。

私「本当に、そう思っているのか? 落した人は困っていると、君は、本当にそう思っているのか?」
B「困っていると思う。だからやはり、交番へ届けたほうがいい」
私「待て! 君は、お金を落して、困ったことがあるのか?」
B「ぼくは、ない」
私「落したことがない人間が、どうして落して困っている人間の気持ちがわかるのか? それは君の想像ではないのか?」
B「じゃあ、先生は、そのお金はどうすればいいと思っているの?」
私「それが問題ではない。君は、自分をいい子にみせようと、無理をしている。そこが問題なのだ」
B「どうして?」
私「君は、お金を拾ったら、絶対に、交番には届けない」
B「届ける」
私「どうして、そういうウソをつく!」
B「ウソじゃ、ない」
私「ウソでなければ、ごまかしだ。どうして自分の心を、そうまでごまかす! 本当のことを言え。本心を言え。さあ、そのサイフをどうする!」と。

 このタイプの子どもには、「自分」がない。いつも心のどこかで模範解答を用意し、その解答にそって、考えたり、行動したりする。それはいわば、保身術のようなものかもしれない。そうすることによって、よい子を演出する。つまりそうしていれば、親や先生にほめられる。自分の立場を守ることができる。

 一方、「中のお札だけ抜いて、サイフは捨てる」と答えたA君は、自分の心をすなおに表現している。

私「どうしてサイフは捨てるのか?」
A「サイフがあると、証拠になってしまう」
私「どういう証拠になるのだ」
A「お金だけなら、だれのお金かわからないけど、サイフが残っていると、盗んだのがバレてしまう」
私「一〇万円だぞ。大金だぞ。それはバレないのか」
A「少しずつ使えば、親にバレない」と。

●疲れる子どもたち

 本音と建て前。本当とウソ。正直とごまかし。今の子どもたちは、幼いときから、この二つを使い分けることを教えられる。その結果、その両方を、うまく使い分けられる子どもほど、「学校」という社会を、スイスイとうまく生きていかれる。そうでない子どもは、そうでない。

 もちろんだからといって、A君のように、拾ったお金を使ってよいというのではない。ないが、A君のような生き方のほうがわかりやすい。子ども自身も疲れない。心もゆがまない。しかしB君のような生き方をしていると、それだけで疲れてしまう。その結果、心がゆがむこともある。

 自分の内部に潜む誘惑に打ちかち、拾ったお金を交番へ届けるというのは、かなりむずかしいことである。強い精神力と、それを支える道徳性が必要である。そしてその道徳性は、たえまない反省と思考によって、はぐくまれる。そこらの中学生くらいに、それができるわけがない。私が「本当のことを言え!」と迫ったとき、もしB君がそれでも、「交番へ届ける!」と言ったら、私はB君の道徳性を認める。しかしそれとて、私という「他人の目」を感じているから、そう言うにすぎない。

 ……と書いて、実は、これは親たちの問題でもある。子育ての問題と言ってもよい。たとえばある親が自分の子どもに向かって、「学校では、友だちと仲よくするのですよ」と言ったとする。しかしこの言い方は、「拾ったお金は、交番へ届けるのですよ」という言い方と、どこも違わない。

 が、その親が、子どもがもちかえったテストを見ながら、「何だ、この点数は! あのC君は、何点だった? もっと勉強しろ!」と言ったとする。これは母親の本音と考えてよい。親は、こう言っているのだ。「C君は、あなたの敵だ。そのC君を負かせ」と。

 かわいそうなのは、そう言われた子どものほうである。一方で、「仲よくしなさい」と言われ、他方で、「敵と思え」と言われる。拾ったサイフにたとえるなら、一方で、「交番へ届けろ」と言われ、他方で、「拾ったお金は自分のものにしろ」と言われるのに似ている。「同じ」とは言わないが、「似ている」。

 こうした相反する矛盾の中で、要領のよい子どもは、その二つを、うまく使い分ける。が、そうでない子どもは、そうでない。そして底なしの自己矛盾の世界へと落ちていく……。しかしそれはきわめて不安定な世界でもある。子どもによっては、その不安定さに耐えかねて、非行に走ったり、引きこもったり、あるいは家庭内暴力を起こしたりする。そこまで進まなくても、自分の中で葛藤(かっとう)する子どもは、いくらでもいる。

 それはさておき、要領の悪い子どもは、この段階で二つの道に分かれる。徹底して、よい子ぶるか、それとも居直るか、のどちらかである。冒頭にあげた、B君が、そのよい子ぶっている子どもということになる。それに対して、A君は居なおっているということになる。

●本音で生きる

 子どもの世界を見ていると、それはそのまま、私たちおとなの問題であることがわかるときがある。この問題もそうだ。私たちおとなも、昔は、子どもだった。そしてほとんどの人は、その子ども時代の自分を、みな、そのまま引きずっている。たとえばあなた自身は、どうだったか。さらには、あなた自身はどうかということになる。

「今」という時点で考えてみよう。今、あなたは本音で生きているだろうか。あなたが妻なら、夫や子どもに対して、本音で生きているだろうか。それとも、あなたは、ここでいうような「いい子」ぶってはいないだろうか。

 が、これだけは言える。もしあなたが他人との世界の中で、「疲れ」を覚えるようなら、あなたは、いつも心のどこかで自分をごまかして生きていないかを、少しだけ反省してみるとよい。あなたのそうした気負いは、あなた自身を疲れさせるだけはなく、あなたの夫や、子どもまでも疲れさせてしまう。要は、ありのままの自分を生きるということ。飾ることはない。気負うことはない。ごまかすこはない。ありのままでよい。

 一〇万円が入ったサイフを拾い、お金がほしいと思えば、そのまま中身を抜いて、サイフだけを捨てればよい。が、もしそれを「よし」としないのなら、交番へ届ければよい。そしてそのサイフのことは忘れる。自分にすなおに生きるというのは、そういう意味で、わかりやすい人生を送ることを意味する。

 そうそう、先のB君も、私が「正直に言え」と迫ると、最後にこう言った。「やっぱり、先生、お金がほしいから、もらってしまうよ」と。私はその意見を聞いて、安心した。B君には、まだ自分を取り戻す力が残っていた。すなおな気持ちが、残っていた。私は最後に、B君にこう言った。

 「自分に無理をしてはいけない。先生は、今でも、サイフを拾うたびに、迷う。しかし今は、そういうふうに迷う自分がいやだから、何も考えないで、近くに交番があれば、交番に届けるようにしている。先日は、コンビニの前で拾ったから、コンビニに届けた。よいことをしているとか、悪いことをしているとか、そんなふうに考える必要もない。要するに気負わないこと。

 しかしね、誠実に生きることは、とても気持ちがよいことだよ。ウソだと思ったら、一度、拾ったお金を交番へ届けてみてごらん。そのあと、ものすごく、気持ちがよくなる。その気持ちのよさは、お金では買えないよ」と。


性教育

子どもに性教育を語る法(男女の差別を撤廃せよ!)  
子どもに性教育を語るとき
●性の解放とは偏見からの解放 
 若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でもとくに印象に残っているのが、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協会の会長をしていた。そのベッテルグレン女史はこう言った。「フリーセックスとは、自由にセックスをすることではない。フリーセックスとは、性にまつわる偏見や誤解、差別から、男女を解放することだ」「とくに女性であるからという理由だけで、不利益を受けてはならない」と。それからほぼ三〇年。日本もやっとベッテルグレン女史が言ったことを理解できる国になった。
 話は変わるが、先日、女房の友人(四八歳)が私の家に来て、こう言った。「うちのダンナなんか、冷蔵庫から牛乳を出して飲んでも、その牛乳をまた冷蔵庫にしまうことすらしないんだわサ。だから牛乳なんて、すぐ腐ってしまうんだわサ」と。話を聞くと、そのダンナ様は結婚してこのかた、トイレ掃除はおろか、トイレットペーパーすら取り替えたことがないという。私が、「ペーパーがないときはどうするのですか?」と聞くと、「何でも『オーイ』で、すんでしまうわサ」と。
●家事をしない男たち
 国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「家事は全然しない」という夫が、まだ五〇%以上もいるという(二〇〇〇年)(※)。年代別の調査ではないのでわからないが、五〇歳以上の男性について言うなら、何か特別な事情のある人を除いて、そのほとんどが家事をしていないとみてよい。この年代の男性は、いまだに「男は仕事、女は家事」という偏見を根強くもっている。男ばかりではない。私も子どものころ台所に立っただけで、よく母から、「男はこんなところへ来るもんじゃない」と叱られた。こうしたものの考え方は今でも残っていて、女性自らが、こうした偏見に手を貸している。「夫が家事をすることには反対」という女性が、二三%もいるという(同調査)! 
 が、その偏見も今、急速に音をたてて崩れ始めている。私が九九年に浜松市内でした調査では、二〇代、三〇代の若い夫婦についてみれば、「家事をよく手伝う」「ときどき手伝う」という夫が、六五%にまでふえている。欧米並みになるのは、時間の問題と言ってもよい。
●男も昔はみんな、女だった?
 実は私も、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は……、女は……」というものの考え方を日常的にしていた。高校を卒業するまで洗濯や料理など、したことがない。たとえば私が小学生のころは、男が女と一緒に遊ぶことすら考えられなかった。遊べば遊んだで、「女たらし」とバカにされた。そのせいか私の記憶の中にも、女の子と遊んだ思い出がまったく、ない。が、その後、いろいろな経験を通して、私がまちがっていたことを思い知らされた。その中でも決定的に私を変えたのは、次のような事実を知ったときだ。
つまり人間は男も女も、母親の胎内では一度、皆、女だったという事実だ。このことは何人ものドクターに確かめたが、どのドクターも、「知らなかったのですか?」と笑った。正確には、「妊娠後三か月くらいまでは胎児は皆、女で、それ以後、Y遺伝子をもった胎児は、Y遺伝子の刺激を受けて、睾丸が形成され、女から分化する形で男になっていく。分化しなければ、胎児はそのまま成長し、女として生まれる」(浜松医科大学O氏)ということらしい。このことを女房に話すと、女房は「あなたは単純ね」と笑ったが、以後、女性を見る目が、一八〇度変わった。「ああ、ぼくも昔は女だったのだ」と。と同時に、偏見も誤解も消えた。言いかえると、「男だから」「女だから」という考え方そのものが、まちがっている。「男らしく」「女らしく」という考え方も、まちがっている。ベッテルグレン女史は、それを言った。

※……国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「掃除、洗濯、炊事の家事をまったくしない」と答えた夫は、いずれも五〇%以上であったという。
 部屋の掃除をまったくしない夫          ……五六・〇%
 洗濯をまったくしない夫             ……六一・二%
 炊事をまったくしない夫             ……五三・五%
 育児で子どもの食事の世話をまったくしない夫   ……三〇・二%
 育児で子どもを寝かしつけない夫(まったくしない)……三九・三%
 育児で子どものおむつがえをまったくしない夫   ……三四・〇% 
(全国の配偶者のいる女性約一四〇〇〇人について調査・九八年)
●平等には反対?
 これに対して、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、七六・七%いるが、その反面、「反対だ」と答えた女性も二三・三%もいる。男性側の意識改革だけではなく、女性側の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」と答えた女性は、半数以上の五二・三%もいる(同調査)。
 こうした現状の中、夫に不満をもつ妻もふえている。厚生省の国立問題研究所が発表した「第二回、全国家庭動向調査」(一九九八年)によると、「家事、育児で夫に満足している」と答えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、前回一九九三年のときよりも、約一〇ポイントも低くなっている(九三年度は、六〇・六%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と答えた妻も、五二・五%もいた。



性同一性障害

【女児願望の男児(?)】

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掲示板のほうに、こんな相談があった。

5歳の男児だが、女の子のまねをしたがって、
困っているというものだった。

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 掲示板のほうに、こんな相談があった。それをそのまま、ここに紹介する。

+++++++++

【ATより、はやし浩司へ】

5歳の男の子の母です。最近息子が女の子になりたい、スカートをはきたい、髪を伸ばし、そ
れをくくりたいと言うようになりました。これまでにも何回かこういう発言がありました。強く否定
していいものか、思うようにやらせてあげるのがいいのか、どうすればいいのでしょうか? どう
返事をしたらいいか困っています。

最近小学生が性同一障害と認められたケースがあると新聞で読みました。息子もそうなら病
院に行ったほうがいいのでしょうか?

+++++++++

 思春期の子どもが、両性的混乱(性アイデンティティの混乱)を起こすことは、よく知られてい
る。「私とは何か」、それをうまく確立できなかった子どもが、自分を見失い、その結果として、
性的な意味で、一貫性をもてない状態をいう。

 男子でいうなら、異性の友人に関心がもてず、異性とうまく交際できなくなったりする。また女
子でいうなら、第二次性徴として肉体が急速に変化することに嫌悪感をいだき、自己の変化そ
のものに対処できなくなったりする。

 しかしこうした両性的混乱は、珍しいものではなく、程度の差、期間の長さの差こそあれ、ほ
とんどの子どもたちが、経験する。つまりこの時期、子どもは、子どもからおとなへの脱皮をは
かるわけだが、その過程で、この両性的混乱にかぎらず、さまざまな変化を見せる。

 目的を喪失したり、自分のやるべことがわからず、悩んだり苦しんだりする。反対に、自意識
が異常なまでに過剰になるケースもある。さらに非行に見られるように、否定的(ネガティブ)な
世界に、自我を同一化したりする。暴走族が、破滅的な行動を見せるのも、そのひとつであ
る。

 以上のことと、性同一性障害とは、区別して考えなければならない。つまり心理的混乱として
の「両性的混乱」と、自分の(肉体的な性)を、周囲の性的文化と一致させることができない「性
同一性障害」は、区別する。

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

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★身体的には男性か女性のいずれかに属し、精神的にも正常であるにも関わらず、自分の身
体的な性別を受容できず、更に身体的性別とは反対の性であることを、もしくは自分の身体の
性と社会的に一致すると見なされている(特に服飾を中心とした)性的文化を受容できず、更
にはそれと反対の性的文化に属することを、自然と考える人がいる。彼らの状態を指して、性
同一性障害(せいどういつせいしょうがい( Gender Identity Disorder)と呼ぶ。

しばしば簡潔に、「心の性と身体の性が食い違った状態」と記述される。ただし、「心の性」とい
う表現は、ジェンダーパターンや性役割・性指向の概念を暗黙に含んでしまいがちであるた
め、同性愛と混同するなどの誤解を生じやすい。より正確には「性自認と身体の性が食い違っ
た状態」と呼ぶべきである

★人間は、自分の性が何であるかを認識している。男性なら男性、女性なら女性として多くの
場合は確信している。その確信のことを性自認と呼ぶ。通常は身体の性と完全に一致してい
るが、半陰陽(intersexual)のケースなどを研究する中で、この確信は身体的な性別や遺伝子
的な性別とは別個に考えるべきであると言うことが判明してきた。

そしてまた、ジェンダーパターン、性役割・性指向のいずれからも独立していることが観察され
る。

★性自認の概念をもって改めて人類を観察してみると、半陰陽とは異なり男女のいずれかに
正常に属す身体をもっているにも関わらず、性自認がそれと食い違っているとしか考えられな
い症例が発見され、その状態は性同一性障害と名づけられた。

後天的要因が元となり、例えば性的虐待の結果として自己の性を否認する例は存在する。ま
た、専ら職業的・社会的利得を得るため・逆に不利益を逃れるために反対の性に近づくケース
もある。

しかしながら、このようなケースは性同一性障害とは呼ばれない。一般には、性同一性障害者
は、何か性に関する辛い出来事から自己の性を否認しているわけではなく、妄想症状の一形
態としてそのような主張をしているわけでもなく、利得を求めての詐称でもなく、(代表的な症例
では出生時から)、自己の性別に違和感を抱き続けているのである。

なお現在、性的虐待と性自認の揺らぎの相関に、否定的な考え方も出てきている。 というの
は、「性に関する何かの辛い出来事」があっても、実際には性自認が揺らいでいる人は決して
多くはなく、性同一性障害当事者の多くは、「性に関する何かの辛い出来事」がまったくなかっ
たと認識していることが圧倒的に多いからだ。 現在、「性別違和を持った当事者が、何らかの
性的虐待を受けた」という考え方に変更されてきている。フェミニズムカウンセリングの場で
は、この考え方が支持されている。

また、ガイドラインができた当初、「職業的・社会的利得」と考えたのは、日本でいうところのニ
ューハーフやオナベではなく、他者による強制的な性転換であった。比較的貧困で、売春以外
観光の呼び物が極端に少ない地域で、そういったことは発生してきた。売春は、男性型の身体
より、女性型の身体の方が単価が高く、需要もあることから、若年の間に去勢をし、十代後半
になると性転換手術を受けさせ、売春をさせるという行為が多く見られ、それを防ぐための文
言だった。

「職業的・社会的利得」という文言がいわゆるニューハーフやオナベという職業に就く人々を、
性同一性障害診療の場から排除するかのように解釈されるのを防ぐため、ガイドラインの第2
版では、「なお、このことは特定の職業を排除する意図をもつものではない」と明記された。

++++++++++++

●問題ではなく、現象

 近年では、この性同一性障害について、遺伝子レベルでの考察も進んでいる。つまりもしそう
であるなら、つまり遺伝子がからむ問題ということであれば、この問題は、「問題」というよりも、
個人がコントロールできる範囲を超えた、「現象」ということになる。

 たとえば同性愛についても、そうでない人には問題に見えるかもしれないが、本人たちにとっ
ては、そうではない。それを「問題」ととらえるほうが、おかしいということになる。

さらに「障害」とか、「問題」とかいう言葉を使うことによって、その子ども(人)を、かえって追い
つめてしまうことにもなりかねない。正確な数字ではないが、昔、私がオーストラリアで学生生
活を送っていたころのこと、こんなことを言った友人がいた。

 「オーストラリア人の男性のうち、約3分の1は、同性愛者か、同性愛的傾向をもっていると考
えてよい」と。

 仮に本当に3分の1の男性がそうなら、どちらが正常で、どちらがそうでないかということさ
え、わからなくなる。もちろん「正常」とか、「正常でない」という言葉を使うことさえ、許されなくな
る。

●X君の例

 X君という男子高校生がいた。そのX君の母親が、X君のおかしさ(?)に気づいたのは、X君
が高校2年生のときだった。それまでも「?」と思うようなことは、あるにはあったというが……。

 ある日、母親がX君の部屋を掃除しているとき、机の隅に、いくつかの手紙が隠してあるのを
見つけた。そのうち1つか2つには、封がしてなかった。で、ここにも書いたように、ほかに気に
なることもあったので、X君の母親はその中の手紙を取り出して、読んでしまった。

 その手紙は、同級生のY君(男子)にあてた、ラブレターまがいのものだった。X君の母親は、
その場で「腰が抜けてしまった」(母親談)。「自分で自分をどう整理してよいのか、わからなくな
ってしまいました」と。

 で、母親はその手紙をもとどおりにして、そこへ隠しておいたという。「見るべきでないものを
見てしまったと、自分を責めました」「猛烈な無力感が襲ってきて、それ以上どうすることもでき
ませんでした」とも。

 結局X君の母親は、夫(X君の父親)にも相談できず、さりとて、X君を責めてもし方のないこと
と、そのままにしておいたという。

 現在、X君は、地元の県立大学に通っているが、「今でも、男子の友だちとしか、つきあって
いません」とのこと。X君は、すでに同性愛者的な傾向を強く示しているが、「この問題だけは、
なるようにしかならないと思いますので、なりゆきに任せています」「大切なことは、息子が自分
で自分の道を決めることです」とも。

●Y君の例

 Y君の中に、「?」を感じたのは、いつだったかは、よく覚えていない。Y君が、小学3〜4年生
くらいのことではなかったか。

 ときどき、Y君は、何かの拍子に、たいへん女性ぽいしぐさを見せることがあった。両手をすり
あわせて、イヤ〜ンと、なまめかしい声をあげる、など。

 最初私は、それを冗談でしているのかと思った。しかしとっさの場で、つまり本来なら、そうし
た冗談をするような場面でないところでも、そうしているに気づいた。

 しかしそのときは、それで終わった。

 そのY君が、中学2年生か、3年生になったばかりのこと。私が、何かの話のついでにY君
に、「君には、好意を寄せる女の子はいないのか?」と聞くと、「いない!」ときっぱりと言った。
「ぼくは、女の子は、嫌いだ」というようなことも言った。

 一度、そうした変化を母親に話すべきかどうかで迷ったが、そのうち受験が近づいてくると、Y
君は、受験塾へと移っていった。

●ゆらぎ(ふらつき)現象

 ほかにもいろいろなケースを、私は経験している。男児なのに、しぐさが、妙になまめかしいと
いうか、女性ぽい子ども(小3男児)もいた。とくに印象に残っているのが、ここに書いたY君で
ある。

 私を「男」として強く意識して(多分?)、近づいてきた男子中学生もいた。

 また、別の子ども(女子高校生)は、バスで通学していたが、別の高校に通う女子高校生と、
恋愛関係になってしまった。いつもバスに乗り合わせる時刻を決め、バスの最後部の席で、手
をつないだり、キスをしたりしていたという。

 しかしたいはんは、一時的な現象として、そのまま何ごともなかったかのように過ぎ、それで
終わってしまう。

 ウィキペディア百科事典によれば、「性自認と、肉体的な性が一致していない状態を、性同一
性障害(disorder)」と定義している。つまり同性愛者であるから、性同一性障害者ということに
はならない(?)。性同一性障害というのは、男の肉体でありながら、「自分は女性」と思いこん
んでいる、あるいは、女の肉体でありながら、「自分は男性」と思いこんでいることをいうという。

●役割形成

 この時期の子どもについて、この問題と並行して考えなければならないのが、「役割形成」で
ある。これについては、少し話が脱線するかもしれないが、以前書いた原稿を、ここに添付す
る。

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(役割形成)

 役割分担が明確になってくると、「私は私」という、自我同一性(アイデンティティ)が生まれてく
る。そしてその自我に、役割や役職が加わってくると、人は、その役割や役職に応じたものの
考え方をするようになる。

 たとえば医学部を経て医者になった人は、その過程で、「私は医者だ」という自我同一性をも
つ。そしてそれにふさわしい態度、生活、ものの考え方を身につける。

 しかし少年少女期から青年期にかけて、この自我が混乱することがある。失望、落胆、失敗
など。そういうものが重なると、子どもは、「私」をもてなくなる。これを、「役割混乱」という。

 この役割混乱が起こると、自我が確立しないばかりでなく、そのあと、その人の人生観に大き
な影響を与える。たとえば私は、高校2年まで建築士になるのが、夢だったし、そういう方向で
勉強していた。しかし高校3年生になるとき、担任から、いきなり文学部を勧められ、文科系コ
ースに入れられてしまった。当時は、そういう時代だった。担任にさからうなどということは、で
きなかった。

 で、高校3年生の終わりに、私は急きょ、法学部に進路を変更した。文学は、どうにもこうに
も、肌にあわなかった。

 おかげで、そのあとの人生は狂いぱなしだった。最終的に幼児教育の道を選んだが、そのと
きですら、自分の選んだ道に、自身をもてなかった。具体的には、外の世界では、自分の職業
を隠した。「役割混乱」というのは、そういうことをいう。

(男女の役割)

 「男であるから……」「女であるから……」というのも、ここでいう自我同一性と考えてよい。ほ
とんどの人は、青年期を迎えるまでに、男らしさ、女らしさを、身につける。そして、その性別に
ふさわしい「自我」を確立する。

 しかしこのとき、役割混乱を生ずるケースも、少なくない。最近では、女児でも、まったくの
「男」として育てられるケースも、少なくない。以前ほど、性差が明確でなくなったということもあ
る。しかしその一方で、男児の女性化も進んでいる。その原因については、いろいろな説があ
るが、それはともかくも、今では、小学一年生について言うなら、いじめられて泣くのは、男児、
いじめて泣かすのは、女児という図式が、できあがってしまっている。

 この世界でも、役割混乱が生じているとみてよい。そして「男」になりきれない男性、「女」にな
りきれない女性がふえている。

 そういう意味では、社会的な環境が不整備なまま、「父親よ、育児をしなさい」「家事をしなさ
い」と、男に迫ることは、危険なことかもしれない。混乱するだけならまだしも、自我そのものま
で軟弱になってしまう。

(社会的環境の整備)

 私の結論としては、こうした意識の移行期には、一方的に、新しい価値観を、古い世代に押
しつけるのではなく、それなりのモラトリアム(猶予期間)を与えるべきだということになる。

 これは古い世代の価値観を認めながら、変化は、つぎの世代に託すという考え方である。
「価値観の共存」という考え方でもよい。ただし、変化は変化として、それは育てなければならな
い。たとえば、学校教育の場では、性差による生理的問題がからむばあいをのぞき、男女差
別を撤廃する、など。最近では、男女の区別なく、アイウエオ順に名簿を並べる学校もふえて
いる。そういった改革を、これからはさらに徹底する。

 もちろん性差によって、職業選択の自由を奪ってはいけない。ごく最近、女性の新幹線の運
転士が誕生したというが、では今まで、どうだったのかということにもなる。そういう問題も、考
えなければならない。

 アメリカでは、どんな公文書にも、一番下の欄外に、「人種、性、宗教によって、人を差別して
はならない」と明記してある。それに反すれば、即、処罰される。こうした方法で、今後は、性に
よる差別を防がねばならない。そして今の時代から、未来に向けて、この日本を変えていく。意
識というのはそういうもので、意識革命は、30年単位で考えなければならない。
(030622)

++++++++++++++

●5歳児の例

 掲示板に相談してきた人は、5歳児の息子について悩んでいる。しかしここに私が書いてき
たことは、(とくに性同一性障害については)、思春期前後の子どもについてである。残念なが
ら、私自身は、5歳児については、経験がない。またそういう視点で、子どもを見たこともない
し、考えたこともない。

 服装が問題になっているが、私が子どものころには、ズボンをはく女児、女子は、皆無だっ
た。それが時代を経て、女児、女子でも、ズボンをはくようになった。その過程で、そうした服装
を問題にする人も、いるにはいた。ズボンをはいただけで、「おてんば」と、からかわれた時代
もあった。

 だから服装に対する好みだけで、その子どもの性的志向性まで判断するのもどうかと思う。

 ただ「役割形成」という部分では、親は、注意しなければならない。社会的環境の中で、子ど
もは、教えずとも、男子は男性らしくなっていく。女子は女性らしくなっていく。そういう部分で、
親として、できることはしなければならない。反対に、してならないことは、してはならない。

 よく外国では、『母親は、子どもを産み、育てるが、その子どもを外の世界に連れ出し、狩り
の仕方を教えるは、父親である』という。そういう意味では、父親の役割も重要である。男児が
男性になりきれない背景には、父親不在、あるいは父親的雰囲気の欠落なども、考えられる。
(反対に、父親があまりにも強圧的、かつ権威主義的であると、男児は女性化するケースもあ
る。)

 相談してきた人の家庭環境が、どういうものなのか、私にはわからないが、こうした視点で、
一度、子どもを包んでいる環境がどういうものか、客観的にみることも重要かもしれない。

 あえて言うなら、5歳児ということもあるので、ここは、静観するしかないように思われる。仮に
性同一性障害であっても、またなくても、親としてできることは、ほとんどない。いわんや病院へ
連れていくというような問題でもない。

 重要なことは、「性」にたいして、暗くて、ゆがんだイメージをもたせないこと。この日本では、
たとえば同性愛者を徹底的に排斥する傾向がある。しかしそういう偏見の中で、もがき苦しん
でいる人も多い。あるいはその一歩手前で、自己否定を繰りかえしながら、もがき苦しんでい
る人も多い。

 それこそ、その本人にとっても、たいへん不幸なことではないだろうか。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 同性
愛 性同一性障害 性自認 子供の性意識 性意識 男児の女児化)

【補記】

●性自認

 「私は男である」「私は女である」と、はっきりと自覚することを、「性自認」という。しかし現実
には、相手を異性として意識したとき、その反射的効果として、自分の「性」を自覚することが
多い。とくに若いときは、そうである。

 「私は男である」と思うよりも、「相手は女である」と意識したとき、その反射的効果として、「自
分は男である」と自覚する。

 このことは、年齢を経てみると、わかるようになる。つまり若いときの性自認と、歳をとってか
らの性自認とは、かなりちがう。私という人間は、同じ男であるにもかかわらず、若いときに見
た異性は、宇宙人のように男とは、異質の人間に見えた。

 しかし今は、異性といっても、私という男と、それほど異なった人間には、見えない。

 そこで重要なことは、ここでいう「性自認」というのは、男であれば、いかに鮮明に、女を意識
するかという、その意識の問題ということになる。(女であれば、その逆。)私自身のことでよく
覚えているのは、私が高校生のときのこと。

 図書館で、女体の解剖図を見ただけで、ペニスが勃起してしまい、私は、歩けなくなってしま
った。あるいは、好意を寄せていた女の子が、かがんだ拍子に、セーラー服の中の下着を見
てしまったことがある。いや、そのとき私がどう感じたかは、今となってはよくおぼえていない。
しかし今でもその下着を鮮明に覚えている。覚えているということは、私は、そのとき強烈な衝
撃を受けたということになる。(たかが下着なのに!)

 女あっての男、男あっての女。それが性自認ということか。

 ウィキペディア百科事典の説明によれば、そうした性自認と、肉体として性が、不一致を起こ
したとき、性同一性障害をいうことになる。

 しかしそれは問題なのか。それは障害なのか。あくまでもそれは個人の問題と考えるなら、
問題でも、障害でもないということになる。

 話は飛躍するが、昨今、同性愛者たちが、社会的認知を求めて、社会の表に堂々と出てくる
ようになった。いろいろな意見はあるだろうが、自分たちはそうでないという理由だけで、こうし
た人たちを、「おかしい」とか言うのは、まちがっている。また、そういう視点で、こうした人たち
を、見てはいけない。

 あくまでもそれは個人の問題である。個人の問題である以上、他人がとやかく言うことはでき
ない。

 5歳児について相談してきた母親にしても、性同一性障害を心配しながら、もっと端的には、
自分の子どもがいつか、同性愛者にならないかということを心配している。たしかに、自分の子
どもが同性愛者で知ったときに、親が受けるショックには、相当なものがある。しかしそれは、
(受けいれがたいもの)では、決して、ない。

 ほとんどの親は、自分の子どもが同性愛者であることを、やがて少しずつ、時間をかけなが
ら、それを受けいれ始める。そして気がついたときには、自分の中に、2つの意識が同居して
いることに気づく。

 この問題は、そういう問題である。その相談してきた親にしても、「病院へつれていく」というよ
うなことを書いているが、そういう意味で、少し的(まと)が、はずれているようにも思う。もしあ
のとき、つまり私が女体の解剖図を見て勃起したとき、私の母親が、私を病院へつれていくと
言ったら、私は、それにがんとして、抵抗しただろうと思う。

 また病院へいったからといって、なおるというような問題でもないような気がする。あるいはど
んな治療法(?)があるというのか。

 なお男児の女児化という現象は、私も日常的に経験している。幼児〜小学低学年児につい
て言えば、今では、「いじめられて泣くのは男の子」「いじめて泣かすのは、女の子」という図式
が定型化している。

 さらに日本人男性についていえば、精子の数が、欧米人の半分もないとか、あるいはそうし
た原因をつくっているのは、環境ホルモンであるか、そういう意見もある。もし性同一性障害を
問題にするとするなら、それはこうした視点からでしかない。

+++++++++++++++

以前書いた原稿(中日新聞発表済み)を
ここに添付します。

教育という視点から書いた原稿なので、
ここに書いた、「性同一性障害」とは、
少し見方がちがいます。

+++++++++++++++

●進む男児の女児化

 この話とて、もう15年近くも前のことだ。花柄模様の下敷きを使っている男子高校生がいた
ので、「おい、君のパンツも花柄か?」と冗談のつもりで聞いたら、その高校生は、真顔でこう
答えた。「そうだ」と。

 その当時、男子高校生でも、朝シャンは当たり前。中には顔面パックをしている高校生もい
た。さらにこんな事件があった。

市内のレコードショップで、一人の男子高校生が白昼堂々といたずらされたというのだ。その
高校生は店内で5,6人の女子高校生に囲まれ、パンツまでぬがされたという。こう書くと、軟
弱な男子を想像するかもしれないが、彼は体格も大きく、高校の文化祭では舞台でギター独奏
したような男子である。私が、「どうして、声を出さなかったのか」と聞くと、「こわかった……」
と、ポツリと答えた。

 それ以後も男子の女性化は明らかに進んでいる。今では小学生でも、いじめられて泣くのは
たいてい男児、いじめるのはたいてい女児、という構図が、すっかりできあがっている。先日も
一人の母親が私のところへやってきて、こう相談した。

「うちの息子(小2)が、学校でいじめにあっています」と。話を聞くと、小1のときに、ウンチを教
室でもらしたのだが、そのことをネタに、「ウンチもらしと呼ばれている」と。母親はいじめられて
いることだけを取りあげて、それを問題にしていた。が、「ウンチもらし」と呼ばれたら、相手の
子どもに「うるさい!」と、一言怒鳴ってやれば、ことは解決するはずである。しかもその相手と
いうのは、女児だった。私の時代であれば、相手をポカリと一発、殴っていたかもしれない。

 女子が男性化するのは時代の流れだとしても、男子が女性化するのは、どうか。私はなに
も、男女平等論がまちがっていると言っているのではない。男子は男子らしく、女子は女子らし
くという、高度なレベルで平等であれば、それはそれでよい。しかし男子はいくらがんばっても、
妊娠はできない。そういう違いまで乗り越えて、男女が平等であるべきだというのは、おかし
い。いわんや、男子がここまで弱くなってよいものか。

 原因の一つは言うまでもなく、「男」不在の家庭教育にある。幼稚園でも保育園でも、教師は
皆、女性。家庭教育は母親が主体。小学校でも女性教師の割合が、60%を超えた(98年、
浜松市教育委員会調べ)。

現在の男児たちは、「男」を知らないまま、成長し、そしておとなになる。あるいは女性恐怖症
になる子どもすら、いる。しかももっと悲劇的なことに、限りなく女性化した男性が、今、新時代
の父親になりつつある。「お父さん、もっと強くなって、子どもの教育に参加しなさい」と指導して
も、父親自身がそれを理解できなくなってきている。そこでこういう日本が、今後、どうなるか。

 豊かで安定した時代がしばらく続くと、世相からきびしさが消える。たとえばフランスは第一次
大戦後、繁栄を極めた。パリは花の都と歌われ、芸術の町として栄え、同時に男性は限りなく
女性化した。それはそれでよかったのかもしれないが、結果、ナチスドイツの侵略には、ひとた
まりもなかった。果たして日本の将来は?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 男児
の女児化 男性の女性化 性同一性障害 社会的性差 ジャンダー)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【女児願望の男児(?)】【追加原稿】

 この相談について、少し前(06年6月)、子どもの性同一性障害について、書いた。

 それについて、補足しておきたい。

 臨床心理学(ナツメ出版)の中で、松原達哉氏は、つぎのように書いている(要約)。

「小児期に現れる性同一性障害は、自分の肉体的な性に対して、強い苦痛を抱き、反対の性
になりたいとか、自分は反対の性であると主張するものである。

 男児がままごと遊びなどで、女役をしたがったり、人形で遊んだり、女性服を着たがったりす
る。行動が女性的になる。

 女児は、スポーツや乱暴な遊びに興味を示すようになる。男女ともに、自分と同じ性の服装
を強要されたり、ほかの子とちがう行動により、いじめられることなどのことから、登校を拒否
する子どももいる。

 男児では、4歳以前のことが多く、7〜8歳ごろに社会的な葛藤を起こしやすい。また思春期
以降になると、同性愛的傾向を示し始める」と。

 こういう表現は適切ではないかもしれないが、私は、「濃淡」という言葉を使って、性意識を説
明している。

 「濃い男」「薄い男」「薄い女」「濃い女」と。

 濃い男というのは、いわゆる男っぽい男をいう。薄い男というのは、「男」としての輪郭(りんか
く)のはっきりしない男をいう。その反対が、薄い女、濃い女ということになる。

 このうち、同性愛的な傾向を示す男や女は、その分だけ、薄い男、薄い女ということになる。

 で、その程度には、当然のことながら、個人差がある。が、濃い男であろうが、薄い男であろ
うが、その人自身がそれに納得しているなら、それはどこまでいっても、その人個人の問題と
いうことになる。他人がとやかく言うべき問題ではない。

 もし薄い男や薄い女が、葛藤するというのなら、それは本人自身の問題というよりは、そうし
た事実を受けいれない、社会との軋轢(あつれき)の問題ということになる。つまり社会のほう
にこそ、問題があるということになる。

 そも、「性同一性障害」は、「障害」なのかという問題もある。もし「障害」というのなら、何をも
って、だれに対して障害なのかということになる。

 こうした性同一性障害がさらに進行すると(?)、自分の性を、手術的な方法を用いて、変換
しようとすることもある。こうした強い願望をもつ男女を、「性転換症」とか、「性転換願望症」と
か、呼んでいる。

 実際、性転換の手術を受ける男女は、少なくない。が、それとて、どこまでいっても、その人
個人の問題である。

 ただ、子どもをもつ親にとっては、そうでない。冒頭にあげた、ATさんもその1人である。自分
の子どもに、その傾向を見たとき、ほとんどの親は、あわてる。混乱する。

 いくら頭の中では、「個人の問題」とわかっていても、いざ、自分の子どもがそうではないかと
いう疑いをもったときの、親の気持ちには、特別なものがある。

 が、しかしこの問題だけは、どうしようもない。松原氏も、「ホルモン療法や、性転換手術など
により、性を再建する治療を受けるものもいるが、長期的な経過については不明である」と述
べている。

 わかりやすく言えば、根本的な治療法(?)は、ないということになる。が、こんなことは、自分
にあてはめて考えてみれば、だれにでもわかること。

 私は、自称、その「濃い男」である。同性愛にはまったく関心がない。興味もない。その私が、
もしだれかに、「お前は、おかしい。男と女をそういうふうに区別してはいけない。同性愛にも、
少しは興味をもて」と言われたとしても、私は困る。はたして私は、そのとき、どうように反応す
るだろうか。

 私は多分、こう叫ぶにちがいない。「放っておいてくれ。お前には、関係のないことだ。私がそ
れでいいと思っているのだから、それでいいではないか」と。

 「濃い男」にせよ、「薄い男」にせよ、それはあくまでも相対的なもの。私より濃い男は、いくら
でもいる。もちろん薄い男もいる。女性についても、しかり。

 が、教育的な立場では、ものの見方が、少しちがってくる。

 この分野で、ものを考えたことがないので、あくまでも私の推察でしかないが、こういうことは
言える。

 男には、女性恐怖症というのがある。私も経験している。幼稚園で働くようになったころのこと
である。幼稚園へやってくる母親たちが、みな、たいへん恐ろしい存在に見えた。

 で、当時の私は、相手を、「お母さん」と呼んだだけで、そのとたん、その女性から、「女」が消
えたのを覚えている。女性であるはずなのに、「女である」という意識しなくなってしまった。つま
りそれくらい、母親たちには、いびられた!

 で、もし1人の男の子が、たいへん(恐ろしい母親)をもったとしたらどうだろうか? その男の
子は、母親恐怖症から、女性恐怖症になり、ついで、「女」に興味をなくすようになるかもしれな
い。

 症状的には、性同一性障害と似たような症状を示すようになるかもしれない。

 もっともこういうケースのばあいは、(ゆがんだ性意識)という形となって現れやすくなる。ロリ
ータ・コンプレックス(ロリコン)というのも、そのひとつ。おとなになってからも、成人の女性と、
交際することができなくなったりする。そういうことはあるが、(恐ろしい母親)をもつことイコー
ル、性同一性障害、とういうことではない。

 もっとも、それについても、人には、さまざまな性意識というのがある。まさに千差万別。女性
のスカートの下をのぞきたいと願っている男もいれば、大きな尻で顔をおしつぶされてみたいと
願っている男もいる。

 「性」そのものが、人間の生きる原動力となっているというから(フロイト)、この問題だけは、
安易に考えることはできない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 トラン
スセキュシュアリズム 子供の性同一性障害 同性愛 同一性障害)




先生とのトラブルなど

よい幼稚園を選ぶ法(先生を見て選べ!)
親が幼稚園を選ぶとき 
●「どこの幼稚園がいいですか?」
 「どこの幼稚園がいいですか」という問い合わせが、ときどきある。私のばあい、立場上、具体的に幼稚園の名前を出すということはできない。しかしよい幼稚園を選ぶポイントはある。その一。まず園長を見る。園長が運動服でも着て、園児の中で汗をかいている幼稚園はすばらしい。理由がある。教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでも手がかけられる。反面、手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。しかし園長が率先して現場へ飛び込んでくるような幼稚園では、現場の先生は手を抜くことができない。
●子どものにおいのする幼稚園を
 次に、幼稚園は子どもの視点で見る。たとえばピカピカにみがかれた、汚れ一つない幼稚園は、親には受けがよい。しかしそれは子どもの世界ではない。よい幼稚園というのは、園舎のあちこちに子どもの臭いがする。落書きがあったり、いたずらをしたあとが残っていたりする。そういう臭いがする幼稚園は、よい幼稚園ということになる。そして三つ目のポイントは、哲学があるかどうかということ。富士宮市にR幼稚園というのがある。その幼稚園では、独自に玄米食の給食をしている。給食の時間になると、子どもたちが「♪カメカメカメよ、カメさんよ」と歌を歌いながら、玄米を懸命にかみながら食べている。大阪市のI幼稚園の園長は、ものを大切にするという意図から、いつもヨレヨレのスーツを着ている。浜松市のK幼稚園では、無数の動物を飼っている。私が見に行ったときも、アヒルの子どもが生まれて、子どもたちはワイワイと喜んでいた。そういう幼稚園は、すばらしい。
●幼稚園は先生を見て選ぶ
 が、何といっても大切なのは、現場の先生だ。先生が生き生きと活動している幼稚園は、すばらしい。よい幼稚園には活気がある。先生もハツラツとしている。明るい声が飛び交っている。静岡市の郊外にR幼稚園という幼稚園がある。その職員室でお茶を飲んでいたときのこと。若い先生たちが、大きな声で、「今日の資料できていますかア!」「ハ〜イ、できてるわよ!」と、皆が声をかけあっていた。そういう幼稚園は、すばらしい。「先生」というには、「先に生き生きとするから先生」、……というのは、こじつけだが、しかし先生と言うのは、そうでなくてはいけない。その活気の中に、子どもたちが巻き込まれていく。あるいは先生が庭にいたりすると、子どもたちが、先生のまわりに集まってくる。先生に飛びついたりして、楽しそうにはしゃいでいる。そういう幼稚園はすばらしい。子どもと先生の関係を、外から観察してみるとそれがわかる。もちろんあまり推薦できない幼稚園もある。経営第一主義の幼稚園だ。それを感じたら、子どもをやらないほうがよい。こういう幼稚園はやることだけはどこか派手だが、一本スジが通っていない。それについてはここにはこの程度しか書けないが、要するにここに書いたすばらしい幼稚園の、反対の幼稚園だと思えばよい。
●メリハリのある授業がよい授業
 また先生のよしあしは、メリハリのある授業ができるかどうかでみる。発言のときになると、子どもたちが自由かったつに意見を言い、作業のときになると、シーンと静まりかえる。しっかりとした口調で、テキパキと指導を進める。そういう授業のできる先生はすばらしい。が、一番のポイントは、子ども好きの先生かどうかということ。教えることを楽しんでいるかどうかでみる。子どもが何かを失敗したときの様子をみれば、それがわかる。先生が子どもを叱るときでも、子ども好きの先生だと、どこかなごやかな雰囲気になる。そうでない先生は、ピリピリとした雰囲気になる。
 ……とまあ、偉そうなことを書いてしまったが、許してほしい。園長や現場の先生なら、私のような人間にこういうことを言われると、頭にカチンとくるものだ。「教育は権威だ」「運動着など着られるか」と言う園長もいるにはいる。そういう気持ちはよくわかる。一応ここでは、私は常識的なことを書いた。あくまでも一つの参考意見として……。

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子どもと先生の相性を見分ける法(休み時間を観察せよ!)

子どもがよい先生を見分けるとき
●よい先生VS悪い先生
 私のような、もともと性格のゆがんだ男が、かろうじて「まとも?」でいられるのは、「教える」という立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに毎日のように心を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っているときでも、子どもたちと接したとたん、それが吹っ飛んでしまう。よく「仕事のストレス」を問題にする人がいる。しかし私のばあい、職場そのものが、ストレス解消の場となっている。
●「子ども的」ということ
 その子どもたちと接していると、ものの考え方が、どうしても子ども的になる。しかし誤解しないでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに知識は乏しく未経験だが、決して幼稚ではない。むしろ人間は、おとなになるにつれて、多くの雑音の中で、自分を見失っていく。醜くなる人だっている。「子ども的である」ということは、何ら恥ずべきことではない。とくに私のばあい、若いときから、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や出版界はもちろんのこと、翻訳や通訳の世界も経験した。いくつかの会社の貿易業務に携わったこともあるし、医学の世界をかいま見たこともある。しかしこれだけは言える。園や学校の先生には、心のゆがんだ人は、まずいないということ。少なくとも、ほかの世界よりは、はるかに少ない。
●目線が子どもと同じ高さ?
 そこで「よい先生」論である。いろいろな先生に会ってきたが、目線が子どもと同じ高さにいる先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプの先生は妙に権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」を考えてそうしているのだろうが、しかしすばらしい世界を、ムダにしている。それはちょうど美しい花を見て、それを美しいと感動する前に、花の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあるごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子は問題児」とこぼす先生である。決して悪い先生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、子どもから明るさが消える。
●子どもと先生の相性
 そこで子どもと先生の相性があっているかどうかを見分ける、簡単な方法……。子どもに紙とクレヨンを渡して、「園の先生と遊んでいるところをかいてね」と指示する。そのとき子どもがあれこれ先生の話をしながら、楽しそうに絵をかけばよし。そうでなく、子どもが暗い表情になったり、絵をかきたがらないようであれば、子どもと先生の相性は、よくないとみる。もしそうであれば、この時期はできるだけ早い機会に、園長なら園長に相談して、子どもと先生の関係を調整したほうがよい。

(参考)
●教師の外部評価制
 教師の指導力を、地域住民がチェックするという「外部評価制」が、二〇〇二年度より東京都品川区で実施されることになった。評価結果は項目ごとに四段階で示され、年度末に公表し、学校選びの目安にしようというもの。一つの自治体が小中学校に外部評価を導入するのはたいへん珍しい。学校そのものを外部のきびしい目にさらすことで、学校改革を促す試みとして、今注目されている。
 品川区には現在、公立小中学校は五八校あるが、各学校ごとに保護者と地域の住人数一〇人に「評価モニター」を委託し、月に一度以上学校を訪れてもらい、一年間かけて学校の様子を評価してもらおうというもの。具体的には、@教員の指導が行き届いているか、Aいじめなどで子どもが不当な扱いを受けていないか、B学校の方針は妥当かなど、約二〇項目についてA〜Dの四段階で評価する。結果は品川区のホームページで公表し、区が新入生に配る学校案内にも掲載されるという。また評価の低かった項目については、各学校に改善計画を提出させ、評価結果とあわせて公表するという。
●私の経験から……
 「古い体質をなかなか変えようとしない学校教育を改善するには効果的」(若月秀夫教育長)ということだが、私ももう二〇年近く前に、浜松市内の小学校について、学校に対する評価を調査したことがある。しかしその結果、@評価は、複数の学校を相互に比較してはじめて可能。A客観的評価は、たいへん難しいの二点で、「この種の調査は、あまり意味がない」という結論を出したことがある。その学校しか知らない父母や子どもに、「あなたの学校をどう思いますか」と質問しても、その質問自体にあまり意味がないということ。そこで県外からの転校生や、兄弟で別々の学校に通っている子どもやその父母に聞き取り調査をしてみたが、今度はサンプル数そのものが少なくて、「結果」と言えるほどまでに集計できなかった。さらに親の評価はたいへん主観的なもので、「友だち先生」をよい先生とする親もいれば、悪いとする親もいる。また同じ先生でも、比較的勉強がよくできる子どもの親はよい先生と評価し、勉強ができない子どもの親は悪い先生と評価するということもわかった。品川区のお手並みを拝見したい。

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先生との信頼関係を保つ法(悪口は言うな!)

親と先生の信頼関係が壊れるとき 
●先生の悪口はタブー
 子どもに「内緒よ」「先生には話してはダメよ」と言うのは、「先生に話しなさい」と言うのと同じ。子どもは先生の前では、絶対に隠しごとができない。英語の格言にも、『子どもは家の中のことを、通りで話す』というのがある。先生は先生で、この種の話には敏感に反応する。だいたいにおいて、親が子どもと接する時間よりも、先生が子どもと接する時間のほうが長い。だから、子どもの前では、学校の批判や先生の悪口は、タブー中のタブー。言えば言ったで、必ずそれは先生に伝わる。それだけではない。以後、子どもは先生の指導に従わなくなる。
●先生とて生身の人間
 ……というようなことは、以前どこかの本にも書いた。ここではその次を書く。一度、親と教師の信頼関係が崩れると、先生自身は、急速にやる気をなくす。一般の人は学校の先生を、神様か牧師のように思っているかもしれない。が、先生とて生身の人間。やる気をなくしたら、その影響は、必ず子どもに及ぶ。教育というのは、手をかけようと思えば、いくらでも手をかけられる。しかし手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。それこそプリント学習だけですまそうと思えば、それもできる。プリント学習ほど、教える者にとって楽な教育はない。ここが教育のこわいところだが、親にはそれがわからない。一方で先生の悪口を言いながら、「うちの子のめんどうを、しっかりみろ」は、ない。
 たとえばこんなことを言う子ども(小二男児)がいた。「三年になっても、今の先生のままだったら、校長先生に言って、先生を変えてもらうって、ママが言っていた」と。私が「どうして?」と聞くと、「だって今の先生は、教え方がヘタクソだもん」と。もしあなたが先生で、子どもがそう話しているのを聞いたら、どう感ずるだろうか。あなたはそれでも、怒りや悔しさを乗り越えて、教育に専念できるだろうか。
●先生との信頼関係が子どもを伸ばす
 日本では、勉強を教えるのが教育ということになっている。どこかに「学歴」を意識したものだ。が、大切なのは、人間関係だ。この人間関係こそが、真の教育なのだ。J君は、小学生のとき、ブラスバンド部に入り、そこで指導をしてくれた先生から、大きな影響を受けた。E君は、中学生のとき、ペットボトルで二段式のロケットを作って、市長賞を受賞した。やはりそのとき指導してくれた先生から、大きな影響を受けた。J君は、高校生になったとき、ある電気メーカーの主催する作曲コンクールで全国大会に出場したし、E君は今、宇宙工学をめざして、今、その講座のある大学に通っている。もしJ君やE君が、これらのよい先生にめぐりあわなければ、今の彼らはない。教育というのは、そういうものだ。では、どうするか。
●「よい先生」をクチグセに!
 子どもの前では、「あなたの先生はすばらしい」「よい先生だ」だけを繰り返す。子どもが悪口を言っても、「それはあなたたちが悪いからでしょう」とたしなめる。そういう親の姿勢が先生に伝わったとき、先生もやる気を出す。信頼には信頼でこたえようとする。多少の苦労ならいとわなくなる。仮に先生との間で何か問題が起きたとしても、それは子どもとは関係のない世界で、子どもの知らないところで処理する。子どもに相談するのもタブー。損か得かという言い方はあまり好きではないが、しかしそのほうが子どもにとって得なことは、言うまでもない。

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教師言葉を理解する法(言葉は裏から読め!)

教師が教師言葉を使うとき
●運動は活発ですが……
 子ども(小二男児)がもらう成績表の通信欄。そこには、こうある。「運動は活発にできました。授業にも集中できるようになりました。一学期は飼育係をし、友だちと協力して動物を育て、思いやる心を学びました。二学期は学習面での飛躍が期待されます」と。
●教師言葉
 この世界には、「教師言葉」というのがある。先生というのは、奥歯にものがはさまったような言い方をする。たとえば能力が遅れている子どもの親には、決して「能力が遅れています」とは言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。こういうとき先生は、「お宅の子どもは、運動面はすばらしいのですが……(勉強は、さっぱりできない)」「私のほうでも努力してみますが……(家庭で何とかしてほしい)」と言う。あるいは問題のある子どもの親に向かっては、「先生方の間でも、注目されています……(悪い意味で目立つ)」「元気で活発なのはいいのですが……(困り果てている)」「私の力不足です……(もうギブアップしている)」「ほかの父母からの苦情は、私のほうでおさえておきます……(問題児だ)」などと言う。ほかに「静かな指導になじまないようです……(指導が不可能だ)」「女の子に、もう少し人気があってもいいのですが……(嫌われている)」「協調性に欠けるところがあります……(わがままで苦労している)」「ほかの面では問題はないのですが……(学習面では問題あり)」というのもある。
●ほめるときは本音でほめる
 一方、先生というのは、子どもをほめるときには、本音でほめる。先生に、「いい子ですね」と言われたときは、すなおに喜んでよい。先生は、おせじではほめない。おせじを使わなければならない理由そのもがない。裏を返して言うと、もしあなたの子どもが、園や学校の先生にほめられたことがないというのであれば、子どものどこかに問題がないか、それを疑ってみたほうがよい。幼児のばあい、一つの目安として、誕生パーティがある。あなたの子どもが、ほかの子どもの誕生パーティによく招待されるならよし。そうでないなら、かなりの問題のある子どもとみてよい。実際、誰を招待するかを決めるのは親。その親は、自分の子どもや先生から耳にする、日ごろの評判を基準にして、それを決める。
●教師言葉を裏から読むと……
 さて冒頭の通信欄だが、プロはこう読む。「運動は活発にできました……(学習面はだめ)」「授業にも集中できるようになりました……(集中力がなく、問題児である)」「一学期は飼育係をし、友だちと協力して動物を育て……(ひとりでは責任ある行動ができない)」「思いやる心を学びました……(自分勝手でわがままだ)」「二学期は学習面での飛躍が期待されます……(問題を先送りする。家庭で何とかしてほしい)」と。実際、この通知表を受け取った母親は、喜んで私にそれを見せてくれた。先生にほめられたと思ったらしい……?
●親も本音を言えない?
 生々しい話になってしまったが、もともと教育というのは、そういうもの。親と教師の価値観やエゴが、互いに真正面からぶつかり合う。ふつうの世界と違うのは、そこに「子ども」が介在すること。だから本音と建前が、複雑に交錯する。こうした教師言葉は、そういう世界から必然的に生まれた。ある意味でやむをえないものかもしれない。だいたいあなたという「親」だって、先生の前では本音を言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。それをあなたは、よく知っている。



善悪

子どもに善悪を教える法(悪と戦え!)
子どもに善と悪を教えるとき
●四割の善と四割の悪 
社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四割の悪がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさないで、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をする者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマりやすい。ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プールの中に放り投げていた。その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対してはどうなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびしいのか。親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強している親は、少ない。
●善悪のハバから生まれる人間のドラマ
 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界になってしまったら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもしろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話が残っている。
 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすくらいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。神はこう答えている。「希望を与えるため」と。もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。
●子どもの世界だけの問題ではない
 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それがわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世界だけをどうこうしようとしても意味がない。たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生の娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。それが問題なのだ。
●悪と戦って、はじめて善人
 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけでもない。悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、大きく変わる。子どもの世界も変わる。


祖父母との同居

 祖父母との同居について、アンケート調査をしたことがある。その結果わかったことは、「好かれるおじいちゃん、おばあちゃん」の条件は、@健康であること、Aやさしいこと、B経験が豊富であること、C控えめであることだった(一九九三年・浜松市内で約五〇人の同居世帯で調査)。
 反対に同居する祖父母との間のトラブルで一番多いのが、子育て上のトラブル。母親の立場でいうと、一番苦情の多かったトラブルは、「子どもの教育のことで口を出す」だった。「甘やかしすぎて困る」というのが、それに続いた。さらに「同居をどう思うか」という質問については、子どもが生まれる前から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよかった」と答えているのに対して、途中から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居はよくない」と答えていた。祖父母との同居を考えるなら、子どもが生まれる前からがよいということになる。
 そこで祖父母との間にトラブルが起きたときだが、間に子どもがからむと、たいていは深刻な嫁姑戦争に発展する。母親もこと自分の子どものことになると、妥協しない。祖父母にしても、孫が生きがいになることが多い。こじれると、別居か、さもなくば離婚かというレベルまで話が進んでしまう。そこでこう考える。これは無数の相談に応じてきた私の結論のようなもの。
(1)同居をつづけるつもりなら、祖父母とのトラブルを受け入れる。とくに子どもの教育のことは、思い切って祖父母に任す。甘やかしなど問題もあるが、しかし子育て全体からみると、マイナーな問題。メリット、デメリットを考えるなら、デメリットよりもメリットのほうが多いので、割り切ること。
(2)子どもの教育は任せる分だけ祖父母に任せて、母親は母親で、前向きに好きなことをすればよい。そうした前向きの姿勢が子どもを別の面で伸ばすことになる。
(3)祖父母の言いたそうなことを先取りして子どもにいい、祖父母には「助かります」と言いながら、うまく祖父母を誘導する。
(4)以上の割り切りができなければ、別居を考える。
 大切なことは、大前提として、同居を受け入れるか入れないかを、明確にすること。受け入れるなら、さっさとあきらめるべきことはあきらめること。この割り切りがまずいと、母親自身の精神生活にも悪い影響を与える。


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