はやし浩司

2002−7〜
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はやし浩司

子育て随筆(1〜100)

子育て随筆byはやし浩司(1)

生きる意味

 幼児を教えていて、ふと不思議に思うことがある。子どもたちの顔を見ながら、「この子たち
は、ほんの五、六年前には、この世では姿も、形もなかったはずなのに」と。しかしそういう子ど
もたちが今、私の目の前にいて、そして一人前の顔をして、デンと座っている。「この子たち
は、五、六年前には、どこにいたのだろう」「この子たちは、どこからきたのだろう」と思うことも
ある。
 一方、この年齢になると、周囲にいた人たちが、ポツリポツリと亡くなっていく。そのときも、ふ
と不思議に思うことがある。亡くなった人たちの顔を思い浮かべながら、「あの人たちは、どこ
へ消えたのだろう」と。年上の人の死は、それなりに納得できるが、同年齢の友人や知人であ
ったりすると、ズシンと胸にひびく。ときどき「あの人たちは、本当に死んだのだろうか」「ひょっ
としたら、どこかで生きているのではないだろうか」と思うこともある。いわんや、私より年下の
人の死は、痛い。つぎの原稿は、小田一磨君という一人の教え子が死んだとき、書いたもので
ある。


「ぼくは楽しかった」・脳腫瘍で死んだ一磨君

 一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生
活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使えるか」
と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここから出してほし
い」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。
 いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代
的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせた
ときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイワ
イやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一年たち、手術、再発を
繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつようになった。彼の苦痛でゆ
がんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際には申しわけなくて、彼の顔を見
ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまったかのように感じた。
 葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になり
たいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもできる
し、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いました」
と。そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞いて、
私だけではなく、皆が目頭を押さえた。
 ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人の
死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。私は一磨君の
遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じた。この年齢に
なると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多くなる。人生の
折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に終わったとして
も、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がために(あの弔いの)鐘は鳴るなりや。
汝がために鳴るなり」と。
 私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んで
いる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両
親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文
を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったと
き、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることがで
きる。それが重要なのだ。
 一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕
事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、その
瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生きて
いることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。」


 あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典のひと
つ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。

 「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。わかりやく言えば、「ない」と。「あの世
があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人がいるかもしれないが、そうした常識は、釈迦が
死んだあと、数百年あるいはそれ以上の年月を経てからつくられた常識と考えてよい。もっと
はっきり言えば、ヒンズー教の教えとブレンドされてしまった。そうした例は、無数にある。
 たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護摩(ご
ま)をたいているのを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズー教の儀式であって、それ
以外の何ものでもない。むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」と教えている。(「バラモン
よ、木片をたいて、清浄になれると思ってはならない。なぜならこれは外面的なことであるから」
(パーリ原典教会本「サニュッタ・ニカーヤ」))

 釈迦の死生観をどこかで考えながら、書いた原稿がつぎの原稿である。


「家族の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は
ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。が、近所の人
には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえている。いや、
そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生きていてくれるだ
けでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようになる。
 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ
た父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが
大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったま
ま、口をつぐんでしまう。
 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることが
できるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたこ
とを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私
は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そう
いうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じ
ゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。
 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも
巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。親がせい
ぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドアをあけ、部
屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう書いてい
る。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。
が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。
 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。「子どもた
ちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度
をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」と。こうい
う家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。」


 ではなぜ、私たちは生きるか、また生きる目的は何かということになる。釈迦はつぎのように
述べている。

 「つとめ励むのは、不死の境地である。怠りなまけるのは、死の足跡である。つとめ励む人は
死ぬことがない。怠りなまける人は、つねに死んでいる」(四・一)と述べた上、「素行が悪く、心
が乱れて一〇〇年生きるよりは、つねに清らかで徳行のある人が一日生きるほうがすぐれて
いる。愚かに迷い、心の乱れている人が、一〇〇年生きるよりは、つねに明らかな智慧あり思
い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。怠りなまけて、気力もなく一〇〇年生きるより
は、しっかりとつとめ励む人が一日生きるほうがすぐれている」(二四・三〜五)(中村元訳)と。

 要するに真理を求めて、懸命に生きろということになる。言いかえると、懸命に生きることは
美しい。しかしそうでない人は、そうでない。こうした生き方の差は、一〇年、二〇年ではわから
ないが、しかし人生も晩年になると、はっきりとしてくる。
 先日も、ある知人と、三〇年ぶりに会った。が、なつかしいはずなのに、そのなつかしさが、
どこにもない。会話をしてもかみ合わないばかりか、砂をかむような味気なさすら覚えた。話を
聞くと、その知人はこう言った。「土日は、たいていパチンコか釣り。読む新聞はスポーツ新聞
だけ」と。こういう人生からは何も生まれない。
 つぎの原稿は、そうした生きざまについて、私なりの結論を書いたものである。


「子どもに生きる意味を教えるとき 
●高校野球に学ぶこと
 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからすれば
よい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちがなぜあの
高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではないのか。たか
がボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、そ
れほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この
世の中に一体、どれだけいるだろうか。
●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか
 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想的なミュ
ージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはなぜ生まれ、な
ぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。それから三〇年あまり。私もこ
の問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわけではないが、トルストイの『戦争
と平和』の中に、私はその答のヒントを見いだした。
 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、人生の
目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福になるピエー
ル。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進
むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に
意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。
映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの
箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』と。
●懸命に生きることに価値がある
 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャーも、
それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みんな必死だ。
命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、そしてそれが
宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬時間が止まる。が、
そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。
 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみあっ
て、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言うなら、懸命
に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。言いかえると、そうでない人に、人生
の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘志もない。毎日、ただ流されるまま、その日
その日を、無難に過ごしている人には、人生の意味はわからない。さらに言いかえると、「私た
ちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教える
ことがあるとするなら、懸命に生きる、その生きざまでしかない。あの高校野球で、もし、選手
たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をしていたら、高校野球としての意味は
ない。感動もない。見るほうも、つまらない。そういうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶ
し。人生もそれと同じ。そういう人生からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私た
ちに教えてくれる。」


 私も、つぎの瞬間には、この世から消えてなくなる。書いたものとはいえ、ここに書いたような
ものは、やがて消えてなくなる。残るものといえば、この文を読んでくれた人がいたという「事
実」だが、そういう人たちとて、これまたやがて消えてなくなる。しかしその片鱗(りん)は残る。
かすかな余韻といってもよい。もっともそのときは、無数の人たちの、ほかの余韻とまざりあっ
て、どれがだれのものであるかはわからないだろう。しかしそういう余韻が残る。この余韻が、
つぎの世代の新しい人たちの心に残り、そして心をつくる。
 言いかえると、つまりこのことを反対の立場で考えると、私たちの心の中にも、過去に生きた
人たちの無数の余韻が、互いにまざりあって、残っている。有名な人のも、無名な人のも。もっ
と言えば、たとえば私は今、「はやし浩司」という名前で、自分の思想を書いているが、その
実、こうした無数の余韻をまとめているだけということになる。その中には、キリスト教的なもの
の考え方や、仏教的なものの考え方もある。ひょっとしたらイスラム教的なものの考え方もある
かもしれない。もちろん日本の歴史に根ざすものの考え方もある。どれがどれとは区別できな
いが、そうした無数の余韻が、まざりあっていることは事実だ。

 この項の最後に、私にとって「生きる」とは何かについて。私にとって生きるということは考え
ること。具体的には、書くこと。仏教的に言えば、日々に精進することということになる。それに
ついて書いたのがつぎの文である。この文は、中日新聞でのコラム「子どもの世界」の最終回
用に書いたものである。


「「子どもの世界」最終回
●ご購読、ありがとうございました。
 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新聞を届
けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、ときどき、こんな意
地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中から引っ張ったらどうな
るか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。
 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代の子
育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。しかし新聞にものを書くと言うの
は、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。読者の顔が見えない。反応もわから
ない。だから正直言って、いつも不安だった。中には「こんなことを書いて!」と怒っている人だ
っているに違いない。私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分
になった。果てのない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリング
な世界でもあった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。
 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくはないです
が、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことが
多い。女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということは、
「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこまでも歩いてみた
い。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには行きつけないかもしれ
ない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。
 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事があ
ると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと私は起きあ
がる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出ている朝は、そのまま
読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころになると横の女房も目をさ
ます。そしていつも決まってこう言う。「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、
長い間、私のコラムをお読みくださり、ありがとうございました。」 
(02−7−23)


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子育て随筆byはやし浩司(2)

子育てのすばらしさ

子育てのすばらしさを教えられるとき

●子をもって知る至上の愛    
 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を教えられ
ること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなっても
いい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命すら惜しくない」という至上
の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

 もちろんそのときは苦しいことに違いない。しかし夫婦でも、このレベルまでたがいの愛情を
昇華することはむずかしい。ある日私はワイフにこう聞いた。「もし私の腎臓がふたつともダメ
になったら、お前は、お前の腎臓をひとつ、くれるか?」と。それに答えて、ワイフはしばらく考
えたあと、こう言った。「考えておくわ」と。しかしそんなワイフでも、私が、「では息子の腎臓が
ふたつともダメになったらどうするか」と聞くと、一も二もなく、こう言った。「あげるわ」と。総合
的にみれば、親子の絆(きずな)は、夫婦よりも強固ということになるのか。少なくとも、「夫のた
めに……」とか、「妻のために……」と、自らの命を犠牲にまでする人は、少ない。

●自分の中の命の流れ
 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自分
の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう感じたこ
とがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこ
かに父の面影があるのを知って驚くことがある。
先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこに死ん
だ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や感じ方もそう
だ。私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。し
かしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れのようなも
のがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育てをしていると、自分
も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流れのようなものだ。

●私の父
 とくに私の父は不運な人だった。まじめだけが取り柄(え)の人だったが、結婚と同時に、出
征。戦地の台湾では、貫通銃創を受けるほどの重傷を負った。帰国後は肺結核を患い、それ
こそ病気のデパートのような人になってしまった。もともと学者肌の人だったから、家業の商売
はまったくヘタ。ときどきほかの事業にも手を出したが、結局はどれも失敗。パチンコ屋にも手
を出したことがあるが、わずか三日で、店をたたんでしまった。

 そんなとき、つまりそれと平行して、父は酒に溺れた。今から思うと、うつ病の気があったの
かもしれない。酒が入っていないときは、穏やかでやさしい父だったが、酒が入ると、別人のよ
うに人が変わった。二、三日置きに酒を飲んでは、大声で怒鳴ったり、暴れたりした。私が五、
六歳くらいのときだった。

 私は当時は、そしておとなになるまで、さらに父が死ぬまで、父をうらんだ。和が二七歳のと
き父は死んだが、涙は出なかった。しかしそんな父だったが、私が四〇歳を過ぎるころから、
父への思いが変わってきた。父は父で、孤独だった。私の母とは、一応夫婦ではあったが、私
は物心とくころから、父と母が静かに会話をしているのを見たことがない。父に責任がなかった
とは言えないが、私が生まれ育った家庭というのは、そういうものだった。いや、四〇歳を過ぎ
るころから、父の気持ちが理解できるようになった。と、同時に、うらみは理解に変わり、その
理解は、同情へと変わった。息子の肩に手をかけたのは、そういう私の思いからだった。

●神の愛と仏の慈悲
 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもない。死
はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死は不条理な
り」とも言う。そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこに
いて、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私にはそれ
ができない。しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。自分の子ども
のできの悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返していると、「人を愛す
ることの深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に施すことが
できるかもしれない。が、私のような凡人にはできない。できないが、子どもに対してならでき
る。いわば神の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。
それが孤独な心をいやしてくれる。
が、子育てのすばらしさは、これだけではない。

●真の自由を手に入れる方法はあるのか? 
私は学生時代、いつごろからかははっきりしないが、心のどこかで「自由」を求めるようになっ
た。私だけではない。あの時代には、私のように考える仲間は少なくなかった。そのひとつの理
由として、抑圧感からの解放があった。あの時代の若者たちは、いつも何かにじっと耐えてい
た。時はちょうど七〇年安保闘争の時代だったが、正直いって、あの時代、政治をそこまで知
り尽くしていた仲間はほとんどいなかった。「お祭騒ぎ」というと語弊があるが、私たちが安保闘
争に加わったのは、ほぼそれに近いものだった。私たちは仲間と隊列を組み、「アンポ、フン
サイ!」と叫ぶことで、胸の中にたまったうっぷんを晴らしていた。

その自由だが、「私は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる
自由を奪う。が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることにな
る。しかしそれは可能なのか……? その方法はあるのか……? 一つのヒントだが、もし私
から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができる
かもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。

●無条件の愛
 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。
息子「アメリカで就職したい」、私「いいだろ」、息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその
地方では、花嫁の居住地で式をあげる、習わしになっている。結婚式には来てくれるか」、私
「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」、私「いいだろ」と。その一つずつの段階
で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺さなければならなかっ
た。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声が震えた。息子「アメリ
カ国籍を取る」、私「……日本人をやめる、ということか……」、息子「そう……」、私「……いい
だろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえ
に、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉がある。私
が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が
抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと
 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け
入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由など
ない。一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、
おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私
は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができ
るようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子が
それを、私に教えてくれた。

●神や仏の使者
 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子どもを大
きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きることにまつわ
る、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その人の問題意識の
深さにもよる。が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわか
る。子どもというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そし
て生きる喜びを教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未来永劫に
わたって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてくれる。子どもはそうい
う意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あなたがそれに気づいたとき、あなた
自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何がすばらしいかといって、それを教えられることぐ
らい、子育てですばらしいことはない。
(02−7−23)

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子育て随筆byはやし浩司(3)

家庭教育の四つの柱

仏教の五戒と、ユダヤ教の十戒

 仏教でいう五戒と、ユダヤ教(旧約聖書)の十戒は、恐ろしく似ている。まずそれらを並べて
おくので、読者自身の目で確かめてほしい。

●仏教の五戒
(1)生きものを殺すなかれ。
(2)盗みをするなかれ。
(3)邪淫(じゃいん)を行うなかれ。
(4)偽りを言うなかれ。
(5)酒を飲むなかれ。(何ものも所有するなかれ。)
(注、釈迦の生誕地に残る原始仏教の経典、『スッタニパータ』の中の一節。(1)〜(4)は、釈
迦滅後まもなくできたが、(5)は、ずっとあとになってからつけ加えられたという。ふつう仏教で
は、(5)だけを、「遮罪」(それ自体は悪いことではない)というふうにして、(1)〜(4)の「性罪」
(それ自体悪いこと)とは区別する。)

●ユダヤ教の十戒
(1)あなたは私のほかに、何ものも神としてはならない。
(2)あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。
(3)あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
(4)安息日を覚えて、これを聖とせよ。主は六日のうちに天と地とその中のすべてのものを造
って七日目に休まれたからである。
(5)あなたの父と母を敬え。
(6)あなたは殺してはいけない。☆
(7)あなたは姦淫(かいいん)してはいけない。☆
(8)あなたは盗んではいけない。☆
(9)あなたは隣人について、偽証してはならない。☆
(10)あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
(注、シナイ山でモーセが、神から授かった言葉が、この十戒と言われている。(1)〜(4)は、
信仰のし方に関するもの。(6)〜(10)が、生活のし方ということになる。)

 この五戒と十戒の中の共通点には、☆印をつけておいた。ほかに『スッタニパータ』の中で
は、釈迦は、父母を敬えと教えているが、五戒の中には含まれてはいない。が、仏教では常識
である。
 
 この二つを並べてみたとき、最初に思い浮かぶのが、最大公約数という言葉である。教育に
たずさわるものの悪いクセかもしれない。しかしこれら二つを、最大公約数的にまとめると、こ
うなる。家庭教育の「柱」と考えてよい。

(1)殺してはいけない。
(2)淫(みだ)らな性行為をしてはいけない。
(3)盗みをしてはいけない。
(4)ウソをついてはいけない。

 釈迦の時代には、飲酒にはとくべつの意味があったようだ。今のアルコールを想像してはい
けない。あるいは今でいう麻薬のような作用があったと考えるべきではないか。粗悪な酒で、そ
のため身を滅ぼす人があとを絶たなかったという。『スッタニパータ』の中にも、そういう説話が
いくつか載っている。インドの他の宗教では、第五の「酒を飲むなかれ」のかわりに、「何ものも
所有しない(所有物をなくせ)」になっているという(中村元氏指摘)。もしそうなら、この「何もの
も所有しない」は、十戒の「あなたは隣人の家をむさぼってはならない」と、どこかその心を共
有する。

 ところでこの仏教の五戒を、小学五年生の子どもたち(一二人)に話していたときのこと。私
が、「お釈迦様の話では、一に、生きものを殺してはいけない。二に、人のものを盗んではいけ
ない、四に、ウソを言ってはいけない、五に、酒を飲んではいけないと言っている」と説明する
と、一斉に、「三は、何だ!」と聞いた。
 困って私が、「つまりだね、いろいろな人と、めちゃめちゃ、ラブラブしてはいけないということ
だよ」と言うと、みな、ギャーギャーと笑い出した。で、しばらくすると、少し冷静になり、「殺して
はだめって、虫もいけないのか」「魚はどうなのか」「牛はどうなのか」とか、「ぼくの父は、酒を
飲んでいる」とか、言い出した。

(1)「殺してはいけない」ということ。
 要するに、相手の立場になって考えろということ。自分が死にたくなかったら、相手も死にたく
ないと思っているということ。「自分だけは正しい」「自分だけが大切」という自己中心性は、多
かれ少なかれだれにでもあるものだが、相手の立場になって考えるということは、結局は、そ
の自己中心性との戦いということになる。
 問題は、人間全体がもっている自己中心性である。この地球をマクロ(全体的)に見ても、人
間は人間だけのことしか考えていない。まさにしたい放題のことをしている。世界的に見ても、
日本人ほど自然破壊力の強い民族は、そうはいない。恐らく世界一ではないか。よく「日本人
は自然を愛する民族だ」と言うが、これはまったくのウソ。たまたま日本に緑が多いのは、放っ
ておいても緑だけは育つという、恵まれた自然環境による。自然を愛するという気持ちによるも
のではない。ウソだと思うなら、車で少しわき道を走ってみるとよい。めったに人が通らないよう
な林道や山道まで、完全舗装。がけはコンクリートのブロックでおおわれている。今ではそうで
ない道をさがすほうが、むずかしい。こういう環境の中で、今、無数の動植物が、絶滅しつつあ
る。

(2)「淫(みだ)らな性行為をしてはいけない」ということ。
 性欲というのは、実にやっかいなものだ。これがあるから、その種族は代々と生き延びること
ができる。人間が生物である以上、絶対必要不可欠な本能である。が、それだけにあつかい
方がむずかしい。自意識でコントロールできない。食欲と同じで、ムラムラと感ずるときは、感
ずる。よく子どもたちは私にこう聞く。「先生は、スケベか」「先生も、エロビデオを見るか」と。そ
ういうとき私はいつも、「君たちのお父さんと同じだよ。お父さんに聞いてきな」と答えるようにし
ている。
 ただ幸運なことに(?)、私は、バーやキャバレーなど、いわゆる「女遊び」の世界とは、無縁
の世界に住んでいる。商社マン時代の一時期をのぞいて、そういうところへ顔を出したことす
ら、ない。遊んでみたいという気持ちはあるにはあったが、しかし時間がなかった。若いころ
は、進学塾の講師や家庭教師などで、いつも仕事が終わるのが午後一一時ごろ。もともと誘
惑に弱い人間だから、私を誘う人間がいたら、割と簡単についていったかもしれない。たまた
ま私が品行方正(?)だったのは、私がそれだけ自分を律する力が強かったというよりは、チャ
ンスがなかったと言うほうが正しい。
 この問題は、「教育」というより、親の生きザマの問題なのかもしれない。夫婦がいたわりあ
い、助けあい、はげましあい、愛しあう姿は、子どもに遠慮なく見せる。そういう姿を見ながら、
子どもは、「淫(みだ)ら」というのはどういうことなのかを、間接的に学ぶ。

(3)「盗みをしてはいけない」ということ。
 私は小学六年生のとき、隣人の家の裏にあった、ライターを盗んだことがある。隣人といって
も、私の家の借家で、出入りは自由だった。あともう一度は、大学三年生のとき、通路に積ん
であったその会社の備品の中から、テープレコーダーのテープを一巻(当時は直径一五センチ
ほどもあるテープだった)を盗んだことがある。
 これが私の生涯における二度の盗みである。先のライターは、やがて母が見つけ、母がその
ライターを隣人に返しにいった。テープは、そのまま自分のものして、使っていた。いや、ほか
にも、返し忘れて自分のものにしたものがある。図書館の本がそれだが、返しそびれて三〇年
になる。他人に対しては結構、正義感が強く、盗みを許さない私だが、こうして思い出してみる
と、あまり偉そうなことは言えない。しかしこういうことは言える。
 よく玄関先にある植木鉢を盗んでいく人がいる。そういう話を聞くと、その盗んだ人はどうやっ
て花を楽しむのかということ。そちらのほうが気になる。花の美しさを味わうという清純な気持ち
と、盗みとは、その時点で、矛盾(むじゅん)してしまう。反対にその盗んだ花を見るたびに、自
分の醜い部分を見せつけられて、不愉快になるのではないか。一度、どうなのか、そういう人
に聞いてみたい。

(4)「ウソをついてはいけない」ということ。
 私はもともとウソつきの人間だった。私の家は、自転車屋という商店で、日常的にウソの中で
育ったということもある。地域にもよるが、岐阜県というところは、大阪式の商売圏内にあって、
値段にしても、そのときの「かけひき」で決まる。(この静岡県では、そのかけひきが、まったくな
い!)そのかけひきというのは、まさにウソの張り合い。売り手は一円でも高く買おうとするし、
買い手は一円でも安く買おうとする。そのときウソがつぎからつぎへと出てくる。
たとえば定価が三万円の自転車があったとする。客はそれを二万五〇〇〇円にせよという。
そういうとき商人は、とっさにウソをつく。迷ったり、間を置いたりすると、ウソとバレるから、とっ
さにウソをつく。「仕入れが二万五〇〇〇円なんですよ。一〇〇〇円だけ儲けさせてください
よ」と。つづいて、「この話は問屋さんには内緒ですよ。ウチがこの値段で売っているとわかる
と、叱られますから」と。(実際には、仕入れ値は二万円。問屋にバレても、叱られることはな
い。)まだ客が買い渋っているようなら、こう言ってたたみかける。「まあ、いいでしょう。あなた
には世話になっているから、二〇〇〇円のランプをただでつけてあげますよ」と。(ランプの仕
入れ値は、一〇〇〇円だから、結局は五〇〇〇円の儲けということになる。)

 私が自分の中のウソつき体質を、徹底的に忌み嫌ったのは、オーストラリアでの留学時代だ
が、それには苦い経験がある。これについてはまた別の機会に書くことにして、日本人は、ウ
ソをつくのがうまいというか、人をだますことに、たいへんうとい。欧米では、「正直でありなさい
(Be honest!)」というのが、子育ての柱になっているが、日本の親で、そういうふうに子ども
を指導している親を、私は過去三〇年間、見たことがない。聞いたこともない。国民性の違いと
いうより、長く続いた封建時代の結果と考えてよい。

 ただし一言。五戒とか十戒とか、そういうふうに、教条的にものごとを並べて考えるのは、正
しくない。原始的な人たちの間では、それなりにわかりやすく、説得力もあったかもしれない
が、こうした教条にとらわれると、それ以外の、ほかの大切な部分を見落してしまう。だからあく
までも「参考」ととらえるのが、正しい。中に、仏や神の言葉として、一語一句、ギスギスに解釈
する人がいるが、そういう姿勢は、かえって仏や神の教えを見失うことになる。自分の人生を
生きるのは、ほかならぬ、私たち自身だからである。
(02−7−24)

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子育て随筆byはやし浩司(4)

家庭内宗教戦争

 福井県S市に住む男性(四七歳)から、こんな深刻な手紙が届いた。いわく「妻が、新興宗教
のT仏教会に入信し、家の中がめちゃめちゃになってしまいました」と。長い手紙だった。その
手紙を箇条書きにすると、だいたいつぎのようになる。

●明けても暮れても、妻が話すことは、教団の指導者のT氏のことばかり。
●ふだんの会話は平穏だが、少し人生論などがからんだ話になると、突然、雰囲気が緊迫し
てしまう。
●「この家がうまくいくのは、私の信仰のおかげ」「私とあなたは本当は前世の因縁で結ばれて
いなかった」など、わけのわからないことを妻が言う。
●朝夕の、儀式が義務づけられていて、そのため計二時間ほど、そのために時間を費やして
いる。布教活動のため、昼間はほとんど家にいない。地域の活動も多い。
●「教団を批判したり、教団をやめると、バチが当る」ということで、(夫が)教団を批判しただけ
で、「今にバチが当る」と、(妻は)それにおびえる。
●何とかして妻の目をさまさせてやりたいが、それを口にすると、「あなたこそ、目をさまして」
と、逆にやり返される。

 今、深刻な家庭内宗教戦争に悩んでいる人は、多い。たいていは夫が知らないうちに妻がど
こかの教団に入信するというケース。最初は隠れがちに信仰していた妻も、あるときを超える
と、急に、おおっぴらに信仰するようになる。そして最悪のばあい、夫婦は、「もう一方も入信す
るか、それとも離婚するか」という状況に追い込まれる。

 こうしたケースで、まず第一に考えなければならないのは、(夫は)「妻の宗教で、家庭がバラ
バラになった」と訴えるが、妻の宗教で、バラバラになったのではないということ。すでにその前
からバラバラ、つまり危機的な状況であったということ。それに気がつかなかったのは、夫だけ
ということになる。よく誤解されるが、宗教があるから信者がいるのではない。宗教を求める信
者がいるから、宗教がある。とくにこうした新興宗教は、心にスキ間のできた人を巧みに勧誘
し、結果として、自分の勢力を伸ばす。しかしこうした考え方は、釈迦自身がもっとも忌み嫌っ
た方法である。釈迦、つまりゴータマ・ブッダは、『スッタニパータ』(原始仏教の経典)の中で、
つぎのように述べている。

 「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法を
よりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」(二・二六)と。生きるのはあくまでも自分
自身である。そしてその自分が頼るべきは、「法」である、と。宗派や教団をつくり、自説の正し
さを主張しながら、信者を指導するのは、そもそもゴータマ・ブッダのやり方ではない。ゴータ
マ・ブッダは、だれかれに隔てなく法を説き、その法をおしみなく与えた。死の臨終に際しても、
こう言っている。

 「修行僧たちよ、これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良く知ってたも
って、実践し、盛んにしなさい。それは清浄な行いが長くつづき、久しく存続するように、というこ
とをめざすものであって、そのことは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のため
に、世間の人々を憐(あわ)れむために、神々の人々との利益・幸福になるためである」(中村
元訳「原始仏典を読む」岩波書店より)と。そして中村元氏は、聖徳太子や親鸞(しんらん)の
名をあげ、数は少ないが、こうした法の説き方をした人は、日本にもいたと書いている(同書)。

 また原始仏教というと、「遅れている」と感ずる人がいるかもしれない。事実、「あとの書かれ
た経典ほど、釈迦の真意に近い」と主張する人もいる。たとえば今、ぼう大な数の経典(大蔵
経)が日本に氾濫(はんらん)している。そしてそれぞれが宗派や教団を組み、「これこそが釈
迦の言葉だ」「私が信仰する経典こそが、唯一絶対である」と主張している。それはそれとし
て、つまりどの経典が正しくて、どれがそうでないかということは別にして、しかしその中でも、も
っとも古いもの、つまり歴史上人物としてのゴータマ・ブッダ(釈迦)の教えにもっとも近いものと
いうことになるなら、『スッタニバータ(経の集成)』が、そのうちのひとつであるということは常
識。中村元氏(東大元教授、日本の宗教学の最高権威)も、「原始仏典を読む」の中で、「原典
批判研究を行っている諸学者の間では異論がないのです」(「原始仏典を読む」)と書いてい
る。で、そのスッタニバータの中で、日本でもよく知られているのが、『ダンマパダ(法句)』であ
る。中国で、法句経として訳されたものがそれである。この一節は、その法句経の一節であ
る。

 私の立場ではこれ以上のことは書けないが、一応、私の考えを書いておく。

●ゴータマ・ブッダは、『スッタニパーダ』の中では、来世とか前世とかいう言葉は、いっさい使っ
ていない。いないばかりか、「今を懸命に生きることこそ、大切」と、随所で教えている。
●こうした新興宗教教団では、「信仰すれば功徳が得られ、信仰から離れればバチがあたる」
と教えるところが多い。しかし無量無辺に心が広いから、「仏(ほとけ)」という。(だからといっ
て、仏の心に甘えてはいけないが……。)そういう仏が、自分が批判されたとか、あるいは自分
から離れたからといって、バチなど与えない。とくに絶対真理を求め、世俗を超越したゴータマ・
ブッダなら、いちいちそんなこと、気にしない。大学の教授が、幼稚園児に「あなたはまちがっ
ている」とか、「バカ!」と言われて、怒るだろうか。バチなど与えるだろうか。ものごとは常識で
考えたらよい。
●こうしたケースで、夫が妻の新興をやめさせようとすればするほど、妻はかたくなに心のドア
を閉ざす。「なぜ妻は信仰しているか」ではなく、「なぜ妻は信仰に走ったか」という視点で、夫
婦のあり方をもう一度、反省してみる。時間はかかるが、夫の妻に対する愛情こそが、妻の目
をさまさせる唯一の方法である。

 ゴータマ・ブッダは、「妻は最上の友である」(パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第一
巻三二頁)と言っている。友というのは、いたわりあい、なぐいさめあい、教えあい、助けあい、
そして全幅の心を開いて迎えあう関係をいう。夫婦で宗教戦争をするということ自体、その時
点で、すでに夫婦関係は崩壊したとみる。繰り返すが、妻が信仰に走ったから、夫婦関係が危
機的な状況になったのではない。すでにその前から、危機的状況にあったとみる。
 ただこういうことだけは言える。
 この文を読んだ人で、いつか何らかの機会で、宗教に身を寄せる人がいるかもしれない。あ
るいは今、身を寄せつつある人もいるかもしれない。そういう人でも、つぎの鉄則だけは守って
ほしい。

(1)信仰宗教には、夫だけ、あるいは妻だけでは接近しないこと。
(2)入信するにしても、必ず、夫もしくは、妻の理解と了解を求めること。
(3)仏教系の信仰宗教に入信するにしても、一度は、『ダンマパダ(法句経)』を読んでからにし
てほしいということ。読んで、決して、損はない。
(02−7−24)

【注】
 法句経を読んで、まず最初に思うことは、たいへんわかりやすいということ。話し言葉のまま
と言ってもよい。もともと吟詠する目的で書かれた文章である。それが法句経の特徴でもある
が、今の今でも、パーリ語(聖典語)で読めば、ふつうに理解できる内容だという(中村元氏)。
しかしこの日本では、だいぶ事情が違う。
 仏教の経典というだけで、一般の人には、意味不明。寺の僧侶が読む経典にしても、ほとん
どの人には何がなんだかさっぱりわけがわからない。肝心の中国人が聞いてもわからないの
だからどうしようもない。さらに経典に書かれた漢文にしても、今ではそれを読んで理解できる
中国人は、ほとんどいない。そういうものを、まことしやかにというか、もったいぶってというか、
祭壇の前で、僧侶がうやうやしく読みあげる。そしてそれを聞いた人は、意味もなくありがたが
る……。日本の仏教のおかしさは、すべてこの一点に集約される。
 それだけではない。釈迦の言葉といいながら、経典のほとんどは、釈迦滅後、数百年からそ
れ以上の年月をおいてから、書かれたものばかり。中村元氏は、生前、何かの本で、「大乗非
仏説」(チベット⇒中国⇒日本へ入ってきた大乗仏教は、釈迦の説いた仏教ではない)を唱え
ていたが、それが世界の常識。こうした世界の常識にいまだに背を向けているのが、この日本
ということになる。たとえば法句経をざっと読んでも、「人はどのように生きるべきか」ということ
は書いてあるが、来世とか前世とか、そんなことは一言も触れていない。むしろ法句経の中に
は、釈迦が来世を否定しているようなところさえある。法句経の中の一節を紹介しよう。

 「あの世があると思えば、ある。ないと思えば、ない」※

 来世、前世論をさかんに主張するのは、ヒンズー教であり、チベット密教である。そういう意味
では、日本の仏教は、仏教というより、ヒンズー教やチベット密教により近い。「チベット密教そ
のもの」と主張する学者もいる。チベット密教では、わけのわからない呪文を唱えて、国を治め
たり、人の病気を治したりする。護摩(ごま)をたくのもそのひとつ。みなさんも、僧侶が祭壇で
バチバチと護摩をたいているところを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒズー教の儀式
であって、仏教の儀式ではない。釈迦自身は、そうしたヒンズー教の儀式を否定すらしている。
「木片を焼いて清らかになると思ってはいけない。外のものによって、完全な清浄を得たいと願
っても、それによっては清らかな心とはならない。バラモンよ、われは木片を焼くのを放棄して、
内部の火をともす」(パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第一巻一六九ページ)と。仏教
は仏教だが、日本の仏教も、一度、原点から見なおしてみる必要があるのではないだろうか。

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子育て随筆byはやし浩司(5)

子どもの言葉

●乱れる言葉

ある夏の暑い日、一人の女の子(小二)がこう言った。「私、今日、プール、ない!」と。ほかの
子どもが、「今日、私、プール、あった」と言った言葉に対してそう言った。私はそときふと、「こ
ういうとき、IBMの翻訳ソフトなら、こういう会話をどう翻訳するだろうか」と考えた。ちなみに、
私がもっているソフトで、実際、翻訳してみた。つぎのがそれである。

 「私、今日、プール、ない!」……"Pool and there is nothing me and today." (プール、私と
今日、何もない)
「今日、私、プール、あった」……"today and me -- a pool -- "(今日と私……プール)

 仮にもう少し原文に忠実に翻訳して、たとえばアメリカ人に、「Me, today, pool, no!」「Today 
me, pool, yes」と言っても、多分その意味は通じないだろう。

 そこで私はその女の子に、つぎのように質問しながら、正しい言葉で言いなおさせた。

私「あなたはプールをもっていないの?」
女「私が、もってるんじゃ、ない」
私「プールがどうしたの?」
女「プールがなかった」
私「どこになかったの?」
女「そうじゃなくて、プールはあるけど、プールのレッスンはなかったということ」
私「プールがレッスンするの?」
女「あのねえ、私がプールへ行かなかったということ」
私「どうして?」
女「だからさあ、プールがなかったの」
私「プールがなくなってしまったの?」
女「そうじゃなくてエ、今日は水泳のレッスンはなかったということ」
私「だったら、最初から、そう言ってね」と。

 こういうとき英語では、「私は今日、スイミングのレッスンには行かなかった」というような言い
方をする。IBMの翻訳ソフトで、翻訳させると、今度はちゃんと、「"I did not go to the lesson 
of swimming today."」と翻訳できた。

今、書店へ行くと、日本語についての本がたくさん並んでいる。その理由が、少しは理解でき
た。
(02−7−25)

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子育て随筆byはやし浩司(6)

友だち親子

 二〇〇二年の三月、玩具メーカーのバンダイが、こんな調査をした。「理想の親子関係」につ
いての調査だが、それによると……。

 一緒にいると安心する ……94%
 何でもおしゃべりする ……87%
 友だちのように仲がよい……77%
 親は偉くて権威がある ……68%

(全国の小学四〜六年生、二〇〇人、および五歳以上の子どもをもつ三〇〜四四歳の父母六
〇〇人を対象に、インターネットを使ってアンケート方式で調査。)

 一方で「現実の親子関係」では、

 子どもと何でもおしゃべりすると答えた父親 ……72%
 父親と何でもおしゃべりすると答えた子ども ……49%

 この調査からわかることは、子どもは親に、「友だち親子」を求めているということ。それにつ
いて、バンダイキャラクター研究所の土居由希子氏は、「友だちのような親子関係は、『家族の
機能が失われつつある』という文脈で語られることが多いが、実はそうではない。家族がひとつ
にまとまるために、これまでの伝統や習慣にかわって、仲のよさや、共通の趣味や話題が必
要となっているようだ」(読売新聞)とコメントを寄せている。

 親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを
歩く。そして友として、子どもの横を歩く。日本人は、総合的にみても、子どもの前やうしろを歩
くのは得意だが、子どもの横を歩くのは、苦手。バンダイの調査に対して、「親の威厳こそ大
切」という意見もある。しかしこうした封建時代の遺物をひきずっているかぎり、子どもは親の
前で心を開くことはない。はからずも、「いっしょにいると、
安心する」を、94%の親子が支持している。この数字のもつ意味は大きい。
(02−7−25)


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子育て随筆byはやし浩司(7)

己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。法句経
というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分こそが、
自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分のことは自分でせ
よ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと
「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で
責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基
本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイ
プの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。

 私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」母、横から、「おばあちゃんの家でし
ょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」私、再び、子どもに向かって、「楽
しかったかな」母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いな
さい」と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変え
て、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親は今の夫と
いやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃん
とできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自
分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面で
の過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで子育てをするな
ど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもにな
る。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自
分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩をし
ているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動に
かられます」と。また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたとき
のこと。警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た
またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を叩
いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。

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子育て随筆byはやし浩司(8)

倫理規範

 昨日、テレビの「討論バトル」という番組をみた(〇二年七月)。今回は、暴走族と、四人の講
師(?)たちとのバトルだった。チャンネルをかえていたら、たまたまその番組が飛び込んでき
た。

 案の定、四人の講師たちは、暴走族の若者たちを完全否定。ジャッジ役のおとなたちも、完
全否定。暴走族の若者が、一人の講師に向かってあれこれ反発すると、四〇歳くらいの女性
はこう言った。「あなたがたは、人生の先輩者の意見を、もっと前向きに聞くことができない
の!」と。

 私は、暴走族の若者たちをかばう気持ちは、毛頭ない。好きか嫌いかと言われれば、嫌いに
決まっている。しかしああまで一方的に、彼らを否定することもできない。理由の第一は、彼ら
は、一見「強者」のフリをしているが、その実、社会の底辺を生きる、「弱者」でしかないというこ
と。学校の先生からは見放され、親たちからも見放され、将来への夢や希望も、ことごとくつぶ
された若者たちである。それだけに将来に対する不安や心配も大きい。運転免許証以外、資
格をもっている若者はいないだろう。身を寄せる、温かい家庭すらもっていない。彼らは彼らな
りに、精一杯、自己主張しているだけ。ゆいいつ心を開くことができる相手というのは、自分と
同じような立場で、同じような苦しみのわかる仲間だけ。そういう仲間の間で、たがいに慰めあ
っている。不安や心配と戦っている。もしそれが悪いというのなら、では、ほかに彼らには、ど
んな方法があるというのか。

 はからずも一人の若者がこう叫んだ。「お前たち(おとな)に、偉そうなことを言う資格などある
のかよ!」と。その通り。私たちおとなに、彼らを責める資格などない。この日本だけをみても、
不正義と不公平が満ち満ちている。コースに乗っただけという理由で、その恩恵を受ける人
は、とことん受ける。そうでない人は、少しばかりがんばったところで、どうにもならない。こうし
た無力感は、多かれ少なかれ、だれで感じている。が、若いがゆえに、彼らはそれを人一倍、
強く感ずるのだろう。それを彼らは、暴走させているだけだ。

 いや、実のところ、この私とて、毎日、暴走しそうな自分を必死に押し殺して生きている。体に
は無数のクサリががんじがらめに取り巻いている。こうしたクサリから解放されたら、どれほど
気が楽になることか。できるなら私も、バイクの音をバリバリとたてながら、天下の国道を、思う
存分、自由気ままに走り回ってみたい。しかし現実は、どこへ行っても、規制、また規制。生き
ることすらままならない。何をするにも、資格だの認可だの許可がいる。職をなくしたから、では
明日からリヤカーでも引いて、屋台のラーメン屋でもしたいと思っても、それは不可能。調理師
の免許、保健所や市役所への届け出、検査、認可が必要である。尾崎豊の言葉を借りるな
ら、私たちはまさに「しくまれた自由」(「卒業」)の中で、あがきもがいているだけ?

 今の日本のしくみの中では、ある一定の割合で、彼らのような若者が生まれる。学校での勉
強でも、いまだに「みんなが百点でも困る。差がつかないから。しかしみんなが〇点だともっと
困る。差がわからないから」が基本になっている。一〇%のエリートを生み出す一方、一〇%
の落ちこぼれが、必然的に生まれる。そういうしくみになっている。言いかえると、彼らこそ、こ
うしたゆがんだ教育体制の犠牲者にすぎない。もっと言えば、彼らが彼らであるのは、彼らか
ら夢や希望を奪ってしまった私たちにこそ、その責任がある。さらにもっと言えば、彼らは重い
心の病気にかかっている。そういう若者を、一方的に否定することはできない。いや、否定した
ところで、問題は何も解決しない。

 少し前、こんなエッセイを書いた。中日新聞にも載せてもらった。

 「若者たちが社会に反抗するとき 

●尾崎豊の「卒業」論
学校以外に学校はなく、学校を離れて道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は、『卒業』の中で
こう歌った。「♪……チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従うべきか考えて
いた」と。「人間は自由だ」と叫んでも、それは「♪しくまれた自由」にすぎない。現実にはコース
があり、そのコースに逆らえば逆らったで、負け犬のレッテルを張られてしまう。尾崎はそれ
を、「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。

宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢をもて」と。しかし夢をも
てばもったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことすら許されない。ほん
の一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけが、そこそこの夢をかなえること
ができる。大半の子どもはその過程で、あがき、もがき、挫折する。尾崎はこう続ける。「♪放
課後街ふらつき、俺たちは風の中。孤独、瞳に浮かべ、寂しく歩いた」と。

●若者たちの声なき反抗
 日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パツ、
腰パン姿の学生を、「落ちこぼれ」と決めてかかる。しかし彼らとて精一杯、自己主張している
だけだ。それがだめだというなら、彼らにはほかに、どんな方法があるというのか。そういう弱
者に向かって、服装を正せと言っても、無理。尾崎もこう歌う。「♪行儀よくまじめなんてできや
しなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じられぬおとなとの争い」でもあった。

実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が二億円もあるようなニュースキャスター
が、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につけて
いるテレビタレントが、別のところで、涙ながらに難民への寄金を訴える。こういうのを見せつ
けられると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。そこで尾崎はそのホコ先を、学
校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回った……」と。もちろん窓ガラスを壊すという行為
は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方法が思いつかなかったのだろう。いや、そ
の前にこういう若者の行為を、誰が「石もて、打てる」のか。

●CDとシングル盤だけで二〇〇万枚以上!
 この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、二〇〇万枚を超えた(CB
Sソニー広報部、現在のソニーME)。「カセットになったのや、アルバムの中に収録されたもの
も含めると、さらに多くなります」とのこと。この数字こそが、現代の教育に対する、若者たち
の、まさに声なき抗議とみるべきではないのか。」


 もちろん若者たちにも言いたいことはある。それは、「自分の心にすなおに耳を傾けてみてほ
しい」ということ。彼らとて、どこかに本当の自分があるはず。その本当の自分に、すなおに耳
を傾けてみるということ。人にやさしくしたり親切にすれば、心地よい響きがする。そういう自分
があるはず。イキがって、つっぱって、人をキズつけたり、人をおどせば、いやな響きがする。
そういう自分があるはず。そういう自分に、もっとすなおに耳を傾けてみてほしい。決して自分
をごまかしたり、茶化したり、そまつにしてはいけない。そしてあとは、本当の自分に従う……。

 番組に中で、若者たちは、まるで動物園のケダモノ(ケダモノでも、ああまで動物的ではない
が……)のように、叫び、騒いでいた。まるで知性や理性を、自ら否定しているかのようでもあ
った。そういう姿を見て、あきれる人もいる。私のワイフもそうだった。横で番組を見ながら、「こ
の番組の目的な何かしら?」「わざとこういう人たちを戦わせて、おもしろがっているだけ?」「こ
ういうのは討論ではないわ。どういう意味があるの?」と。番組に対する疑問を、さかんに口に
していた。なるほど、そういう見方もある。しかし私はワイフのようには、考えることができなか
った。理由は簡単だ。

 私は立場的には、つまり社会的には、それを批判する人たちよりも、批判される人たちのほ
うに、近い。たとえばホームレスの人を見ても、思わず「がんばってくださいよ」と声をかけたくな
るときがある。(暴走族の若者たちと、ホームレスの人を同列に置くことはできないが、社会的
弱者であるという点で、共通している。)一般社会とホームレスの人の間に自分を置いたとき、
私自身は一般社会の人たちよりも、ホームレスの人たちのほうに、はるかに近い。仮に収入
がなくなれば、私は明日からでも公園の空き地に寝泊まりするようになるかもしれない。私はそ
ういう自分をよく知っている。だから……。その番組が終わったあと、どうしてもこの文が書きた
くなって、書いた。
(02−7−25)

(付記)
●日本は超管理型社会
 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、中学
生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず一人の中学生(中二
女子)がこう言った。「ない」と。「おとなになってからしたいことはないのか」と聞くと、「それもな
い」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。もう一人の中学生(中二男子)は、「そ
れよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、「では、今ここに一億円があったとする。それが
君のお金になったらどうする?」と聞くと、こう言った。「毎日、机の上に置いてながめている」
と。ほかに五人の中学生がいたが、皆、ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来
について、明るい展望をもてなくなっているとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と
意識に関する基本調査」(二〇〇一年)でもわかる。
 一五〜一七歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えたのが、
四一・八%、「悪くなっている」と答えたのが、四六・六%だそうだ。
●超の上に「超」がつく管理社会
 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリトルロック
(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(二〇〇一年四月)。タク
シーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話しあって決める。しかも運
転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今日は妻は、ほかの予約で来
られないから……」と。
 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれないが、
一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦しいだけな
らまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そういう超管理社会に
対する、若者の抗議の歌と考えてよい。

(参考)
●新聞の投書より
 ただ一般世間の人の、生徒の服装に対する目には、まだまだきびしいものがある。中日新
聞が、「生徒の服装の乱れ」についてどう思うかという投書コーナーをもうけたところ、一一人の
人からいろいろな投書が寄せられていた(二〇〇一年八月静岡県版)。それをまとめると、次
のようであった。
女子学生の服装の乱れに猛反発     ……八人
やや理解を示しつつも大反発      ……三人
こうした女子高校生に理解を示した人  ……〇人
投書の内容は次のようなものであった。
☆「短いスカート、何か対処法を」……学校の校則はどうなっている? きびしく取り締まってほ
しい。(六五歳主婦)
☆「学校の現状に歯がゆい」……人に迷惑をかけなければ何をしてもよいのか。誠意と愛情を
もって、周囲の者が注意すべき。(四〇歳女性)
☆「同じ立場でもあきれる」……恥ずかしくないかっこうをしなさい。あきれるばかり。(一六歳
女子高校生)
☆「過激なミニは、健康面でも問題」……思春期の女性に、ふさわしくない。(六一歳女性)
●学校教育法の改正
 校内暴力に関して、学校教育法が二〇〇一年、次のように改定された(第二六条)。
 次のような性行不良行為が繰り返しあり、他の児童の教育に妨げがあると認められるとき
は、その児童に出席停止を命ずることができる。
一、他の児童に傷害、心身の苦痛または財産上の損失を与える行為。
二、職員に傷害または心身の苦痛を与える行為。
三、施設または設備を損壊する行為。
四、授業その他の教育活動の実施を妨げる行為、と。
文部科学省による学校管理は、ますますきびしくなりつつある。

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子育て随筆byはやし浩司(9) 

たった一度の人生

息子たちへ

たった一度しかない人生だから、
お前たちは、お前たちの人生を、
思う存分、生きなさい。
思う存分生きて、この広い世界を
思いきり、羽ばたきなさい。

だれにも遠慮することはない。
己が命ずるまま、己が人生を生きなさい。
他人の目を気にしてはいけない。
他人に左右されてはいけない。
お前たちの人生は、どこまでいっても、
おまえたち自身のもの。

親孝行……? バカなことは考えなくてもいい。
家の心配……? バカなことは考えなくてもいい。
そんなヒマがあったら、お前たちの人生を
ただひたすら、前向きに生きなさい。
パパもママも、自分の人生を、最後の最後まで、
しっかりと自分で生きるから、
何も心配しなくていい。

そう、パパもママも、自分の人生を
思う存分、生きてきた。つらいことや
苦しいこと、悲しいこともあったけど、
それなりに結構、楽しく生きてきた。
いやいや、お前たちのおかげで、
どれほど人生が潤ったことか。
どれほど励まされたことか。
どれほど楽しかったことか。
どれほど生きがいを与えられたことか。
感謝すべきは、むしろパパやママのほうだよ。

いつかパパもママも、人生を終えるときがくる。
あの世があるかどうか、パパにもママにも
わからないけど、あればあの世で、
お前たちがくるのを待っている。
だから、あわてなくていいから、
ゆっくりときなさい。いつまでも待っている。
それまで、どんなことがあっても、
自分の人生を生きなさい。

たった一度しかない人生だから、ね。
そうそう、言い忘れたが、
ありがとう。心からお礼を言うよ。
今まで、お前たちのおかげで、
パパもママの成長したよ。
……成長することができたよ。
心から、ありがとう。

そうそう言い忘れたが、
ここはお前たちの故郷だよ。
さみしいことや、つらいことがあったら、
いつでも帰っておいで。
羽を休めに、帰っておいで。
いつでもドアをあけて、待っているからね。
(02−7−25)

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子育て随筆byはやし浩司(10)

信頼関係

 知人や友人の中には、愛人のいる人がいる。ほとんどは遊びで交際しているが、しかし私
は、そういう知人や友人は、その時点から信用しないことにしている。妻を平気で裏切るような
人は、仲間を裏切ることなど、何でもない。が、問題は、それだけではすまない。
 ある女性(四六歳)はこう言った。「私の夫は、一〇年ほど前、同じ会社の女性と不倫をした
ことがあります。その事件は一応、解決したのですが、以後、女性から電話がかかってくるた
びに、夫を疑うようになってしまいました」と。「夫がだれかと小声でヒソヒソと話しているのを見
ただけで、心臓がドキドキします」とも。
 一方、夫は夫で、妻を信用しなくなる。昔から、『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。自分に
負い目がある分だけ、「もしや妻も……」と思ってしまうらしい。そしてそうしたたがいへの不信
感が、結局は夫婦の関係をぎくしゃくさせる。
 子どもの教育についても、同じことが言える。よく「教育は信頼関係で成りたつ」という。事実、
その通りで、この信頼関係が崩壊すると、教育そのものが成りたたなくなる。いろいろな例があ
る。
 
 たとえば子どもがしたワークブックに丸をつけて返したとする。そのとき、私のほうは、多少ま
ちがっていても、大きな丸をつけて返すときがある。こまごまとした指導になじまない子どもは
多い。むしろそれより大切なことは、子どもが学習することを楽しんだこと。やり終えたという達
成感を覚えること。そして「これくらいできればいいよ」というおおらかさが、子どもを伸ばす。
が、それがわからない親が多い。「わからない」というより、そういう指導を、「いいかげん」と評
価してしまう。今でもときどき、電話でこう言ってくる人がいる。「うちの息子(小一)の書いた漢
字の、トメ、ハネ、ハライがめちゃめちゃだ。どうしてなおしてくれないのか」と。そういうことを指
導するのが、教育と思い込んでいる!
 が、こうした私の指導は、誤解を招きやすい。ほかにたとえば私は、子どもが「わからない」と
言ってきても、簡単には教えない。その子どもの能力からして、少し考えればわかるだろうと思
うようなときは、「自分で考えなさい」と突っぱねる。それについても、「あの林先生は、きちんと
教えていない」と。
 信頼関係があれば、こうした誤解は、生まれない。私が同じことをしても、私がしたことを、よ
い方向から見てくれる。が、この信頼関係は、ちょっとしたことでこわれる。ただこわれかたはさ
まざまだし、簡単にこわれる人もいるし、そうでない人もいる。そういう違いはあるが、こわれる
ときは、簡単にこわれる。こんなことがあった。事実を正確に、そのまま書く。

 日曜日の朝のことだった。K子(年中児)の父親から、突然、電話がかかってきた。そしても
のすごい剣幕で、こう怒鳴った。「お前は、うちの娘を萎縮させてしまったというではないか。ど
うしてくれる!」と。寝耳に水とは、まさにこのこと。驚いて事情を聞くと、父親はこう言った。「う
ちの娘は、明るくて元気な子だ。しかしお前の教室へ行くようになったからというもの、どんどん
元気がなくなってしまった。どうしてだ!」と。
 そのK子は、いつも祖母にあたる女性につれられて、私の教室にやってきていた。が、回を
重ねるごとに、表情が暗くなっていった。理由はすぐわかった。その祖母の女性がたいへん神
経質な人で、授業が終わるたびに、教室を出たところで、ああでもない、こうでもないと、K子を
叱っていたのだ。私が聞いたときも、こう言っていた。「どうして、あのとき手をあげなかった
の! あんた、あんな問題、わからないわけではないでしょ! おばあちゃん、恥ずかしくてた
まらないわ。どうしてくれるの!」と。ふつうの言い方ではない。かなりきつい言い方だった。
 私は怒りをおさえることができなかった。当時、私はまだ三〇歳そこそこ。今ならもう少しじょ
うずに話せるかもしれないが、そのときはそうではなかった。その女性にこう言った。「あなたが
そんなことを言ったら、K子さんは、かえって自信をなくしてしまうでしょう。どうしてそんなバカな
ことを言うのですか。そんなに気になるなら、来週からは参観は結構です。私に任せて、あなた
は外で待っていてください」と。
 そのときその女性が、なぜそう言ったのか、いまだにその理由はわからないが、その女性は
それに答えて、私にこう叫んだ。「わたしゃね、こう見えても、息子を、東京のR大学を出してい
るんだよオ!」と。
 父親から電話があったのは、それから数日後のことだった。しかし「萎縮させた」と言われて
は、私も黙っておられない。そこで私は、その父親にこう言った。「私の教え方に疑問をもって
いるなら、あなたが一度、自分の目で参観なさったらよいでしょう」と。父親はそれに応じた。
 私の教室は、教室といっても、一クラス、五〜八人の小さな教室である。実験教室と私は呼
んでいる。ある時期は、何か問題のある子どもだけを教えていた。そのため教室はすべて公
開している。一度だって、非公開でしたことはない。だから、「手を抜く」ということができない。
たいていいつも、二〜四人の親たちが、うしろで見ている。しかしその父親が参観にくるという
日は、さすがの私も緊張した。それはちょうど、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘のようなもの
だった。少しおおげさな言い方だが、私はそのときはそう感じた。
 で、父親は表情をかたくして、私の教室にやってきた。そして腕を組んだまま、微動だにしな
かった。が、私の教室は「笑い」を売り物にしている。「笑えば伸びる」が、私の持論である。幼
児クラスでは、子どもたちは、五〇分の授業中、ほとんど笑いぱなしに笑っている。そのときは
しかし、さらに私は子どもたちを笑わせた。その女の子をのぞいて、ほかの子どもたちは、いつ
もの何倍もの大声で笑いつづけた。
 私にはひとつの覚悟があった。その授業のあと、その女の子には退会してもらうつもりでい
た。信頼関係をなくしたら、もう教育などできない。とくに私の教室ではそうだ。一クラス五〜八
人といっても、合計しても、学生の家庭教師代よりも安い。営利を考えたら、とてもできない仕
事だった。
 が、授業が終わったとき、父親は私のところにきて、こう言った。「よくわかりました。私がまち
がっていました。許してください。これからもうちの娘をよろしくお願いします」と。
 結局その女の子は、小学校へ入学するまで、私の教室に通ってくれた。

 信頼するということは、疑わないこと。よく若い人が、恋人に向かって、「あなたを信じている
わ」と言うことがある。あれなどは、まさに詭弁(きべん)。本当に信じていたら、そういう言葉は
出てこない。疑っているから、「信じているわ」という。このことは、夫婦でも、また親子でも同
じ。絶対的な信頼関係が、人間関係を深く、豊かなものにする。繰り返すが、「絶対的」というの
は、「疑いをいだかない」という意味。ことよい教育を願うなら、この信頼関係を大切にする。親
も、教師も、だ。
(02−7−26)

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子育て随筆byはやし浩司(11)

東洋医学

 ほぼ一五年ぶりに、東洋医学について、講演をすることになった。一度は、興味をもって飛び
込んだ世界だが、五年、一〇年とするうちにかなり事情が変わってきた。当初は、民間療法と
しての位置づけで、それなりに入りやすい世界だった。が、しばらくすると、ドクターたちのグル
ープが、そこへ入ってきた。もともとあった団体は、幹部にこそ、ドクターたちが名前を連ねてい
たが、大半は社会の陰で細々と営業を営む、鍼灸師や按摩師たちであった。しかし新しくでき
た団体は、ドクター中心だった。一応だれでも入会できるというようなことは言っていたが、それ
は最初だけだった。フタをあけてみると、資格もったドクターしか入会できなかった。もちろん私
は入会を断られた。
 今でもこのしくみはほとんど変わっていない。資格をもったドクターたちは、数回、何らかの研
究会、もしくは研修会に参加するだけで、その道の専門家に変身することができる。……でき
た。大義名分など、いくらでもつけられる。しかし本音を言えば、金儲け。「○○病○○会指定
医師」「○○漢方研究医」という看板を、診察室の横に張りつけておけば、それで患者がふえ
る。当初は、ほとんどどの研究会にも参加できた私だったが、やがてそれもままならなくなっ
た。どこの会でも、最初は気安く話しかけてくれたドクターたちだったが、私が有資格者でない
とわかると、態度を急変させた。よそよそしくなったり、高圧的になったりした。
 私は生薬に興味をもち、そのつど、知り合いの薬剤師などから入手していたが、それもまま
ならなくなった。規制につぐ規制。管理もきびしくなった。結局、今では、薬剤師の指導、もしく
はドクターの処方箋がないと生薬すら入手することはできない。私は心のどこかで、身の引き
ぎわを考えるようになった。
 実際には、もうひとつ、このあと大きな事件があった。これについては、まだここに書くことは
できない。ともかくもそういう事件が重なり、私は最後のカケに出た。自分の名前で本を出し、
自分の力を世に問うてみることにした。それが飛鳥新社から出した、「目で見る漢方診断」(一
九八八年)である。この本は、それぞれの記事について、出典をすべて明らかにしたこと。読者
対象を一般大衆にしてわかりやすくした。出典を明らかにしたのは、「私」の権威ではどうにも
ならないことを知っていたからである。ほかにも何冊か本を書いたが、そのつど、編集者から、
「君の名前では本は売れない」とか、「君の本で患者が死んだら、君は責任をとれるかね」と言
われた。この「目で見る漢方診断」も、当初は当然、だれか著名なドクターの名前で出版する
予定だったらしい。原稿が完成するときになって、「私の名前で出したい」と編集者に伝えると、
社長自ら、「何とかほかの人の名前で出せないか」と、何度も打診してきた。しかし私は断っ
た。
 結果、発売直後は東京の書店でも飛ぶような売れ行きを示したが、それは数週間もつづか
なかった。やがて初版を売りきり、そこで絶版ということになってしまった。それがわかったと
き、私は、この東洋医学の世界から足を洗うことにした。断筆ということは、ものを書く人間にと
っては、自分の過去を否定することに等しい。私は本だなから一〇冊前後の本残し、すべてを
処分した。一〇冊というのは、どうしても残しておきたかった本である。それ以外の本は、見る
のもつらかった。
 その私が、講演をする? 当初は何度も断った。しかし主催者の人が、「目で見る漢方診断」
の理解者であることを知り、そしてその本を高く評価してくれたことが、私の心を動揺させた。も
しその講演依頼を、せめて一五年前にもらったら、私は天にも昇るような気持ちで、それに応
じただろう。そんな無念な思いもあった。
 依頼をもらってから、私は東洋医学の本を、一四年ぶりに読んだ。自分の本も読んだ。いろ
いろな思いが、そのつど心をふさいだ。講演を引き受けてよかったのか、悪かったのか。恐らく
この講演が、私にとって東洋医学の、最後の講演になるだろう。いや、いつも、どんな講演で
も、「これが最後だ」と自分に言ってきかせながらしている。しかしそれは、自分の緊張感をふ
るいたたせるためのもの。しかし今度は違う。まさに人生、最後の講演になるだろう。
(02−7−29)

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子育て随筆byはやし浩司

都会人の傲慢(ごうまん)

●現実にあった話
 現実にあった話である。
 一人の男が、突然、ある民家にやってくる。そしてそれに応対した女性(七〇歳くらい)に、「こ
の家は大家族と聞いている。お話をおうかがいしたい」と。その女性がとまどっていると、男は
目ざとく、ちゃぶ台の上にのっているご飯とおかずをみつける。そして「あれ、食べてもいいです
か?」と。
 女性はニコニコ笑いながらも、あきれ顔で、「ええ、いいです」と。男はスタスタと座敷にあが
り、その食事を食べ始める。女性が「味噌汁を出しましょうか」と言うと、男は、「ええ、お願いし
ます」と。もちろん男と女性は初対面。前もって打ちあわせをしたわけでもない。NHKの「鶴瓶
の家族に乾杯」(〇二年七月放映)の一コマである。

●都会人の傲慢(ごうまん)
 こうした傲慢さは、多かれ少なかれ都会人に共通してみられる。都会人は、地方をいつも下
に見る。地方人は地方人で、都会をいつも上に見る。とくにNHKのような中央集権意識の強い
報道機関ほどそうで、カメラを連れて歩けば何でもできると思っている。まさに、「下ニ〜イ!」
の世界である。このおかしさがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。
 地方の人がある日突然、東京に住む人の家に行き、先に男がしたようなことをすればどうな
るか? 恐らく変人扱いをされて、その家からたたき出されるであろう。仮に私が静岡放送局
(SBS)のカメラマンを連れていても、相手にされないだろう。言いかえると、NHKのその番組
は、地方人の素朴さ、地方人のやさしさを逆手にとり、もっとはっきり言えば、地方人をバカに
しながら、自分たちの優位性を誇示している。

●日本人の中央集権意識
 ……というような話は、前にも書いた。問題は、なぜ日本はこうまで中央集権意識が強いかと
いうこと。政治だけではない。すべてが東京を中心として、その文化、伝統、思想は、東京が頂
点になっている。そしてそれらが上意下達方式のもと、地方へ流れていく。たまに地方から、中
央に文化、伝統、思想が逆流することもあるが、あくまでもそれは、「たまに」という程度。「たま
に」そういうことが起きると、かえって奇異な目で見られる。都会人自身が、地方の価値を認め
ない。が、本当の問題は、実はそこにあるのではない。地方人が地方人のプライドをもてない
でいる。それこそ本当の問題である。
 たとえばあなたの家にある日突然、NHKのカメラマンと一緒に、有名タレント(この言葉は本
当に不愉快だが……)がやってきたとする。そしてあなたの家の中に入ってきて、「食事をした
い」と言ったとする。そのときあなたは、それを断るだろうか。それとも冒頭にあげた女性のよう
に、ニコニコ笑いながら、それに応ずるだろうか。こういうとき、「私なら……」という言い方は適
切ではない。断るとか断らないとか、そういう問題ではない。あなたならこうした非常識な訪問
を許すだろうか。

●意識の表と裏
 ……というような話も、前に書いた。そこでさらに話を進めよう。都会人が都会人として、中央
集権意識をもち、傲慢になったとしても、それはそれでよい。しかし人間の意識には、いつも表
裏がある。表で中央集権意識をもつということは、裏で、地方意識をもつということ。傲慢になり
やすいということは、裏で、卑屈になりやすいということ。だからこうした都会人は、一方で、たと
えばアメリカに対しては、地方意識をもち、卑屈になる。ペコペコする。こうした都会人の意識
は、皮肉なことに、地方という地方都市で見ていると、よくわかる。
 たとえば「イチロー」。アメリカの大リーグのひとつである、マリナーズで活躍している日本人
選手である。このことも前に書いたが、イチローは、何も日本を代表して、日本のために戦って
いるのではない。が、毎日のように、NHKや他の放送局は、イチローの活躍を報道している。
BS放送では、試合そのものをまるごと報道している。
 が、ここでいくつかのことを考えねばならない。そのひとつは、アメリカという国は、もともと移
民国家。大リーグの中には、アメリカ人の選手と同じくらい、外国人選手がいる。たまたまイチ
ローは日本人だったが、イチローにしても、そういう外国人選手の一人に過ぎない。そういうア
メリカにあって、「イチローは日本人」と位置づけることは、それ自体、人種差別になる。私は二
〇〇一年の四月、野茂投手が完封試合をしたとき、たまたまそれをアメリカで見ていたが、ア
ナウンサーは最後の最後まで、野茂が日本人だということを言わなかった。(最後に、「日本人
のファンが喜んでいます」と、間接的な言い方で、野茂が日本人だということをにおわせてい
た。)人種、国名を口にすること自体、アメリカではタブーになっている。またそれをタブーにす
ることによって、アメリカ社会は、野茂を彼らの一員として迎え入れようとしている。「野茂は日
本人だ」と言うことは、そうしたアメリカ人の配慮を、逆なでするような行為と言ってもよい。
 それでも、このおかしさがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。
 そのひとつ。台湾のプロ野球チームで活躍している日本人は、なぜ話題にならない。
 そのひとつ。カナダの選手のばあい、アメリカのリーグへ移籍したら、その選手は、その時点
で、アメリカ人。カナダの放送局は、その選手を追いかけまわすようなことはしない。
 そのひとつ。日本のプロ野球チームで活躍している、アメリカ人選手は、なぜアメリカでは話
題の「ワ」の字にもならない。
 つまりこうした隷属意識は、都会人がもつ、中央集権意識とちょうど、表、裏の関係にある。
もっとわかりやすく言えば、こうした中央集権意識は、自分自身もだれかに追従したいという隷
属意識の、焼きなおしでしかない。このことは、たとえば親子の関係でみればわかる。子どもの
依存心に甘い親というのは、自分自身も潜在的に、だれかに依存したいという思いがある。つ
まり潜在的な依存心が姿を変えて、子どもの依存心に甘くなる。
では、どうしたらよいか。

●こうした意識を、どう変えるか
  最初に、日本人がもつ中央集権意識は、並たいていのことでは、変えられないということ。
それこそ奈良時代の昔から、日本は、中央集権体制。そういう点では、日本人は骨の「ズイ」ま
で、魂を抜き取られている。この地方都市の浜松市でも、目は東京ばかりに向いている。「東
京からきた」というだけで、何でもかんでもありがたがる。教育や子育ての世界では、とくにそ
の傾向が強い。強いというより、異常。そればかりか、悲しいかな、浜松にいる人自身が、地方
人の価値を認めていない。よい例が、数年前、浜松市の一等地にできた、半官半民の新設大
学。「音楽の町にふさわしい大学」ということで、S文化芸術大学という名前がついた。しかし、
だ。学長以下、教官八〇人は、すべて東京から移住してきた人たちである(教務課調べ)。こ
の浜松市には、教官にふさわしい人はいないとでもいうのだろうか。教官になった人には責任
があるわけではないが、こういうことばかりしているから、地方はいつまでたっても、「地方、地
方」とバカにされる。

●みんなで勇気を出して断ろう
 ワイフは「鶴瓶の家族に乾杯」を見ていて、「どうして(食事を)断らないの?」とさかんに言っ
ていた。「突然の失礼な客なのだから、はっきりと断ればいい」と。そう、その通り。断ればよ
い。そういうささいな抵抗が、日本の社会のしくみを変える。そう思ったから、この原稿を書い
た。
(02−7−29) 

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子育て随筆byはやし浩司(12)

運命論

 ほんのささいな過ちや、ほんのささいな妥協が、その人のそれからの人生を狂わすことはよく
ある。とくに男女の仲はそうで、不本意な結婚、不本意な出産が、その人を不幸のどん底にた
たき落とすことは、珍しくない。
言いかえると、今、それこそ電撃に打たれるような恋をして、相思相愛、双方の家族の温かい
理解に恵まれ結婚できる人など、どれほどいるというのか。「自分の運命は自分でつくるもの。
虚偽や不正は絶対に排撃しなければならない」と言ったのはチェーホフ(「彼のモットー」)だ
が、そういった強い生き方をできる人は、どれほどいるというのか。たいていの人は、そのとき
の「流れ」にのまれ、「まあ、こんなものか」「何とかなるだろう」という思いの中で、ずるずると流
れの中に、身を沈めてしまう。埼玉県所沢市に住むUさん(女性、三四歳)がそうだ。
 Uさんから、こんなメールが届いた。いわく、「不本意な結婚、子育て、旦那の宗教、また世間
体重視の旦那の価値観。そして私の実家は男尊女卑。親の暴力も日常茶飯事だった……」
と。
 
 私には運命というものがあるのかどうかは、わからない。仮にあるにせよ、生きているのは私
たち自身だし、その運命の最後の最後で、ふんばって生きるのも私たち自身である。決して運
命に身を任せてはいけない。つまり任せないところに、人間が人間としてもつ気高さがある。無
数のドラマもそこから生まれる。
ただ結婚や出産がほかの運命と違うところは、そのこと自体が、一生を左右するということ。一
度その流れの中に入ると、途中で軌道修正することは、たいへんむずかしい。一年、二年とが
まんしているうちに、その分だけ、人生そのものが短くなっていく。そしてその短くなった分だ
け、後悔の念が強くなる。実のところ、私にも、今のワイフと結婚する前、好きな女性がいた。
結局、その女性とは別れ、そのあと数年して、今のワイフと知りあい、結婚した。どちらかという
と、成りゆき結婚だった。あとで聞いたら、ワイフも、「私はあなたなんかと結婚するつもりはな
かったのよ」と。結婚したのは、私の早とちりからだった。今のワイフが「うちへ遊びにきて」と言
ったのを、「責任を取らされる」と早とちりした。そして自分のほうから、ワイフの父親の前で結
婚を口にしてしまった。「結婚します。収入はこれだけです。しばらくはアパートで暮らします」
と。
驚いたのはワイフのほうだった。あとで「私は遊びにきてと言っただけ」と言われたときには、私
のほうは、もう身動きがとれない状態になっていた。

 

息子が恋をするとき

息子が恋をするとき(人がもっとも人間らしくなれるとき)

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。メールで、「今までの人生
の中で、一番楽しい」と書いてきた。それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と
笑った。その顔を見て、私もつられて笑った。
 私もちょうど同じころ、恋をした。しかし長くはつづかなかった。しばらく交際していると、相手
の女性の母親から私の母に電話があった。そしてこう言った。「うちの娘は、お宅のような家の
息子とつきあうような娘ではない。娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。相
手の女性の家は、従業員三〇名ほどの製紙工場を経営していた。一方私の家は、自転車屋。
「格が違う」と。この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。が、二人に
は、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。ちょっとしたつまづきが、そのまま別れにな
ってしまった。
 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。
オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男が
そう歌う。たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つか
と言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。私たちおとなの世界は、
あまりにも偽善と虚偽にあふれている。年俸が一億円も二億円もあるようなニュースキャスタ
ーが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。一着数百万円もするような着物で
身を飾ったタレントが、アフリカ難民の募金を涙ながらに訴える。暴力映画に出演し、暴言ばか
り吐いているタレントが、東京都やフランス政府から、日本を代表する文化人として表彰され
る。もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身
も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。それは人が人生の中で唯一つかむことができ
る、「真実」なのかもしれない。そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。もしそれがま
ちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。しかしそんなことはあり
えない。ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。そしてそれを見る
観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。涙をこぼす。しかしそれは決して、他人の恋を
いとおしむ涙ではない。過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。あの無限に広く見えた青春
時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。歌はこう続く。「♪バラは咲き、
そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。
 相手の女性が結婚する日。私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝
ていた。六月のむし暑い日だった。ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなに
なってしまいそうだった。ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度
も何度も私は歯をくいしばった。しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったこ
とはない。そしてそれが今、たまらなくなつかしい。私は女房にこう言った。「相手がどんな女性
でも温かく迎えてやろうね」と。それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った



 自分で選んだ人生は、たとえ失敗しても、後悔しない。しかし他人に選ばれた人生は、たとえ
成功しても、最後の満足感は得られない。よく親の反対を押し切り、結婚したり、駆け落ちした
りする人がいる。周囲の人は、「どうせ失敗する」と笑うが、笑うほうがおかしい。私の知人にこ
んな人がいる。
 その男性(四〇歳)のとき、それまでの会社勤めをやめ、単身マレーシアのクアラルンンプー
ルに渡った。そこで中古のヨットを購入。私がその話をその男性の兄から聞いたときは、「今ご
ろは、フランス人の女性と、フランスに向けて、インド洋を航海しているはずです」ということだっ
た。
 私はこの話を聞いたとき、「上には上がいるもんだなあ」と思った。もちろん航海といっても、
私たちが頭の中で想像するほど、ロマンチックなものでない。まさに命がけ。その男性にして
も、たまたま独身だったからできたこと。しかしそこに、限りないあこがれを感ずるのは、反対
に私たちの日常的な生活が、あまりにも味気ないからではないのか。平凡であることは、それ
自体は、美徳かもしれない。しかし人間はそれでは満足できない何かをもっている。どこかの
テーマパークの標語を借りるなら、「夢と冒険とロマン」こそが、人間に生きる活力を与える。
 と、言っても、失敗は恐ろしい。が、それ以上に恐ろしいのは、失敗を恐れて、自分の人生を
闇に葬ること。「何かをしたかった」「何かができたはずだ」「何かをやり残した」という思いの中
で、悶々とした日々を過ごす。それほど不幸なことはない。人生が永遠であれば、それでもよ
いが、しかし人生には限りがある。健康にせよ、気力にせよ、年齢とともに衰える。「明日こそ
何かをしよう」と思っていても、その明日そのものが、なくなってしまう。そんなわけで、要は勇
気の問題ということか。

 さて私たち夫婦のこと。そういう結婚だったから、私は最初からワイフには、多くを期待してい
なかった。多分、ワイフも何も期待していなかったと思う。私にしても、恋愛はもうこりごりという
状況での結婚だった。が、振り返ってみると、それがかえってよかったのかもしれない。やがて
長男が生まれ、二男、三男とつづくうちに、私もワイフも、「家庭」の中にすっかり取り込まれて
しまった。
 それにもうひとつ私たち夫婦を支えたものはといえば、いつも生活そのものが、断崖絶壁に
立たされていたこと。私もワイフも、親戚縁者の援助はもちろんのこと、実家の援助もいっさ
い、期待できなかった。収入も不安定だった。ただひとつすがれるものはと言えば、健康しかな
かった。そういう生活だったから、私はワイフと力を合わせるしかなかった。夫婦げんかをし
て、どんなに家庭の中がメチャメチャになっていても、仕事だけは放棄しなかった。それが結果
として、今までかろうじて「家族」の形を保っている理由ではないか。

 運命は、私たちの努力で変えられる。それに身を負かせば、運命は運命だが、しかし足をふ
んばって、それと戦う姿勢を示したとき、運命のほうから、別のドアをあけてくれる。運命は決し
て、不変ではない。問題は、運命があることではなく、運命があるとあきらめてしまう人間のほ
うにある。たとえ不本意な結婚をし、不本意な出産をしたとしても、運命をのろってはいけない。
のろえば、それこそ運命の思うツボ。大切なことは、「今という現実」をしっかりと見つめ、そこを
原点として、前向きに生きること。方法はいくらでもある。

 まず、どうにもならない問題と、何とかなる問題を分ける。
 つぎに、どうにもならない問題には、目をつぶり、あきらめる。
 そして何とかなる問題については、徹底的に戦う。

 冒頭にあげたUさんについて言うなら、結婚して、子どもがいるという事実は、これはどうにも
ならない問題。それが運命だというのなら、運命でもよい。しかしそういう運命はのろってはい
けない。のろえば、生き方そのものがうしろ向きになってしまう。
 が、今、Uさんは、生きザマは変えることができる。夫や、そして子どもの悪い面を見るので
はなく、よい面だけを見て、「今」を出発点に、人生を組みなおす。それはちょうど、棚から落ち
た人形のようなもの。こわれたことを嘆いても始まらない。大切なことは、再利用できるものは
別によりわけて、こわれた人形を片づけること。それでも、どうしても人形がほしいというのであ
れば、新しく買えばよい。繰り返すが、こわれた人形を前にして、嘆き悲しんでも、意味はな
い。悲しめば悲しむほど、それこそ運命の思うツボ。あなたの人生は、何も変わらないばかり
か、かえってあなたを不幸にする。

 最後に一言。運命に身を任すも、任さないも、それはその人自身の意思による。それは決し
て運命ではない。自分の意志だ。そしてさらに一言。幸福であるとか、ないとかいうことは、決し
て運命のなせるわざではない。あなた自身の意思で決めることである。

 Uさん、心から応援します。がんばってください。
(02−7−28)

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子育て随筆byはやし浩司(13)

大きな問題(心の実験)

 子育ての問題にぶつかったら、視野を高くもつ。すると、その問題が解決するときがある。ひ
とつ、こんな心の実験をしてみよう。あなたはつぎの話を読んで、どう思うだろうか。

 公園デビューのマナーについて、テレビで報道していた。いろいろあるらしい。たとえば母親
どうしは、子どもの名前で呼びあう。たけし君の母親だったら、「たけしママ」。さとみちゃんのマ
マだったら、「さとみママ」と。親たちがすわるベンチにもルールがあって、一番よい席は、「ボス
ママ」のためにあけておくのだそうだ。さらに公園ママたちが誘いあい、グループをつくって旅行
に行くのは禁止。やり方をまちがえると、派閥から仲間ハズレにされるという。
 そういえば先日も、どこかの電子マガジンでも、公園デビューを特集していた。で、ここでま
ず、あなたの心を整理してみてほしい。この問題について、あなたは、やはり大切な問題だと
思うだろうか。それとも、それほど大切な問題ではないと思うだろうか。その気持ちを心のどこ
かにとめて、今度は、つぎの話を読んでほしい。

 南太平洋に、ツバル共和国という小さな島国がある。人口は一万人少しの小さな国だが、こ
の島国が今、存続の危機に立たされているという。毎年、潮位が高くなる二〜三月になると、
飛行機の滑走路は地面からふき出した海水で水びたしになり、家々はひざまで水がつかると
いう。高潮による被害も、九〇年代から急増し、サイクロンのたびに、安全な知りあいの家に
避難するありさまだという。
 原因は地球温暖化によるものだが、地球の気温が、たった〇・一〜二度あがっただけで、こ
の惨状である。ちなみに、オーストラリアの研究機関によると、平均潮位の上昇幅は、年間〇・
九ミリだそうだ。(たった、〇・九ミリである!)この調査結果によると、この一〇年間で、たった
九ミリしかあがっていないことになる。しかし現状はまるで違う。つまり、ここに地球温暖化の恐
ろしさがある。
 
 多くの気象研究所は、今後一〇〇年間に、地球の気温は、三〜四度上昇すると言っている。
研究機関によりハバがあるが、だいたいそんなところらしい。が、一方、そんな程度ではすまな
いと主張する人も多い。仮に地球の気温が一〜二度も上昇すると、不測の事態が新しい不測
の事態を生み、これが加速度的な悪循環となって、地球の気温は、まさに二次曲線的に上昇
すると予測するというのだ。たとえば二〇年前には、ツンドラ凍土地帯の凍土がとけ出すとか、
海流そのものの流れが変わるなどということは、だれも予測していなかった。しかし凍土がとけ
れば、それこそ天文学的な数量のメタンガスが発生する。海流の流れが変われば、海水の温
度変化のみならず、海の炭酸ガス吸収効果そのものに異変をきたす。こうした変化により、一
説によれば、西暦二一〇〇年には、一〇度以上、あるいはへたをすれば、あらゆる生物が死
滅する温度まで、気温は上昇するかもしれないという。現に今、この日本でも、ここ四〇年で、
気候はすっかり変わってしまった。

 私が子どものころは、川で泳げる期間は、かなり限られていた。梅雨が明けるまで寒く、その
梅雨があけてはじめて、夏の到来。それでも気温が三〇度を超える日は、あまりなかった。そ
して八月一五日の旧盆を過ぎると、肌寒い風が吹き始め、とても川には入れなかった。が、今
は違う。五月から三〇度を超える日が始まり、その暑さは、九月の終わりまでつづく。こうした
劇的な変化が生じているにもかかわらず、日本の気象庁は、「地球の気温は、零点何度しか
あがってません」などと、ノー天気なことを言っている。あるいは、よく気象庁が使う、「平年並
み」という言葉を鵜呑みにしてはいけない。気象庁が言う平年並みという数字は、過去三〇年
間の平均気温を、一〇年ごとに調べたものをいう。だからもし三〇年ごとに一〇度ずつ気温が
あがっても、その平均値であれば、「平年並み」ということになってしまう。

 ……わかりやすく言えば、地球という惑星は、今、たいへんな状態になっている。いや、だか
らといって、つまりこうした問題をここで取りあげたところで、どうにかなる問題ではない。しかし
そういう問題があることを知るということは、回りまわって、子どもたちの未来を守ることにな
る。このままでは、あと一〇年もしないうちに、真夏の気温は四〇度を超えるようになり、さらに
数度もあがれば、クーラーもきかなくなる。もちろん食糧生産も壊滅的なダメージを受ける。

 さてさて皆さんを、心配させるようなことを書いたが、そういう心境になったところで、もう一
度、公園デビューの話を読んだときの、あなたの気持ちを思い出してみてほしい。多分、あな
たは、最初に公園デビューを読んだときと、今とでは、公園デビューに対する考え方が変わっ
たと思う。地球温暖化の話とくらべると、公園デビューのマナーなど、どうでもよい問題と思うよ
うになったかもしれない。そう、実にどうでもよい問題。くだらない問題。つまらない問題。考える
のも情けない問題。私も先日、ある子育てマガジンでこの問題を伝えられたとき、あまりのレベ
ルの低さに驚いてしまった(失礼!)。
 
 私がここに公園デビューと、地球温暖化の話を並べた意図は、もうわかっていただけたと思
う。子育ての問題を考えるときは、いつも視点を高くもつ。そしてその視点が高ければ高いほ
ど、身の回りのささいな問題が、小さく見えてくる。これは子育てにまつわる問題を考えるときに
は、たいへん重要な手法の一つである。
私たちはともすれば、どうでもよい、ささいな問題に心を奪われ、一方で、いつの間にか、もっと
大切な問題を見失ってしまう。そんなわけで子育ての問題を考えるときは、何が大切な問題
で、何が大切な問題ではないかを、そのつど判断しなければならない。その実験として、公園
デビューと、地球温暖化の問題を並べてみた。
(02−7−28)

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子育て随筆byはやし浩司(14)

自分を変えるために……

あなたは本当に、あなたか? 
あなたは「私は私」と、本当にそのように、
自信をもって言えるか?

●私の不安発作
 ときどき、自分が夜の闇に吸い込まれていくように感じて、言いようのない不安に襲われるこ
とがある。私は夜が苦手。子どものころから苦手だった。そういう不安に襲われると、この年齢
(五四歳)になっても、ひとりで寝ることができない。ワイフが床に入るのを待ってから、自分も
その床に身をすべらせる。
 夜が苦手になった理由は、父が酒乱だったことによる。私が四、五歳くらいのときから父の酒
グセが悪くなり、父は数日おきに酒を飲んだ。見さかいなく暴れた。ときにはそういう騒動を、お
もしろおかしく見たこともあるが、私には恐怖だった。父が酒を飲んで暴れるたびに、そして大
声で怒鳴り散らすたびに、私と姉は、二階の奥にあった物干し台の陰に身を隠し、それにおび
えた。今でも、「姉ちゃん、こわいよ」「姉ちゃん、こわいよ」と声を震わせて泣いた自分の声を、
よく覚えている。姉は私より、五歳年上だった。

●心のキズにきづいたのは、三〇歳を過ぎてから
 しかし私がこうした自分の心のキズに気づいたのは、私が三〇歳を過ぎてからだった。それ
までは自分の心にキズがあるなどとは、思ってもみなかった。が、今から思い出すと、いろいろ
な症状があった。たとえば私は酒臭い人が大嫌いだった。近くにいるだけで、生理的な嫌悪感
を覚えた。赤い夕日が沈むのを見ると、ときどき不安になった。暗いトンネルに入ると、ぞっと
するような恐怖感に襲われた。カッとなると、すべてを破壊してしまいたいような衝動にかられ
た。自分を消してしまいたいような衝動で、そのためときどきワイフに暴力を振るったこともあ
る。父が母に暴力を振るっていたのを見たことがあるためか、自分の暴力は正しいと思い込ん
でいた。そして最大の症状は、ここに書いたように、夜がこわかったということ。

●不安発作の原因
 一度不安発作に襲われると、自分でもどうやって身を守ってよいのかわからなくなる。たいて
いはふとんの中で、体を丸めて、ガタガタ震える。あるいはワイフの体にしがみついて眠る。し
かしそれでも、なぜ自分がそういう発作に襲われるのか、理由がわからなかった。が、ある夜
のこと。私がワイフにふとんの中で、私の子どものころの話を語っていたときのこと。やがて話
が父の酒乱の話しになり、暴力の話になった。そして姉と物干し台で震えていたときの話にな
った。そのときのことだ。突然、私はあの不安発作に襲われた。
 体がガタガタと震えだし、そして自分が夜の闇に吸い込まれていくのを感じた。そして年甲斐
もなく、大声で、「姉ちゃん、こわいよ」「姉ちゃん、こわいよ」と泣き出した。ワイフは、私を自分
の体で包みながら、「あなた、何でもないのよ」となだめてくれたが、そのときはじめて私はわか
った。私が感じる不安は、あの夜感じた不安と同じだった。そしてそれはあの夜から始まってい
たのを知った。
 赤い夕日が沈むのを見ると不安になるのは、そのころ父はいつも近くの酒屋で酒を飲んでい
たからだ。いつだったか、父が真っ赤な夕日を背景に、フラフラと通りを歩いているのをみかけ
たことがある。そのときの光景が、今でもはっきりと覚えている。
 また私が暗いトンネルが苦手なのは、暗闇がこわいということよりも、何らかの恐怖症が形を
変えたためと考えられる。子どもというのは、一度恐怖症になると、その思考プロセスだけは残
り、いろいろな恐怖症に姿を変える。私のばあいも、暗闇恐怖症が、飛行機事故で今度は、飛
行機恐怖症になったりした。

●私の中の私でない部分
 が、ここで私の中に大きな変化が起きたのを知った。「私は私」と思っていたが、私の中に、
私でない部分を知ったとき、そのときから、本当の自分が見えてきた。私は、私の中の別の私
に動かされていただけだった。たとえば私が酒臭い人を嫌うのも、赤い夕日が沈むのを見る
と、ときどき不安になるのも、また暗いトンネルに入ると、ぞっとするような恐怖感に襲われるの
も、カッとなると、すべてを破壊してしまいたいような衝動にかられるのも、すべて、私の中の別
の私がそうさせていることに気づいた。これは私にとっては、大きな発見だった。この先を話す
前に、こんなことがある。

●子どもを見ていて……
 子どもを教えていると、それぞれの子どもが、何らかの問題をかかえている。問題のない子
どもなどいないと言ってもよい。それほど深刻なケースでなくても、いじけたり、すねたり、つっ
ぱったり、ひねくれたり、ひがんだりする子どもは多い。そういう子どもを観察してみると、子ど
も自身の意思というよりは、何か別の力によって動かされているのがわかる。もちろん本人
は、自分の意思で行動していると思っているようだが、別の思考パターンが作動しているのが
わかる。
 原因はいろいろある。たいていは家庭環境や家庭教育。年齢が大きくなるにつれて、学校と
いう場が原因になることもある。私が印象に残っている女の子に、A子さんという子ども(年長
児)がいた。ある朝、私が園庭でA子さんに、「今日はいい天気だね」と話しかけたときのこと。
A子さんは、こう言った。「今日は、いい天気ではない。あそこに雲がある」と。そこでまた私が、
「雲があっても、いい天気だよ」と言うと、さらにかたくなな様子になり、「あそこに雲がある!」
と。ものの考え方がどこかひねくれていた。で、話を聞くと、A子さんの家は、父子家庭。ある日
担任の先生がA子さんの家を訪れてみると、父親の飲む酒ビンが、床にころがっていたとい
う。

●いつ、それに気づくか?
が、問題はこのことではない。そういう「すなおでない性格」について、子ども自身がいつ、どの
ような形で気がつくか、だ。が、このことも、問題ではない。問題は、そういう自分であって自分
でない部分に気がつくことがないまま、自分であって自分でない部分に引き回されること。そし
て同じ失敗を繰り返す。これが問題である。しかしなおす方法がないわけではない。まず、自分
自身の中に潜む心のキズがどんなものであるかを、客観的に知る。
 私のばあいは、あの夜、ワイフの胸の中で、「姉ちゃん、こわいよ」と泣いたときから、自分が
変わったように思う。それまで心の奥底に潜んでいた「わだかまり」に気づくと同時に、それを
外に吐き出すことができた。もっともそれですぐすべての問題が解決したわけではないが、少し
ずつ、そのときからわだかまりがこわれていった。同じような症状はそれからも繰り返し出た
が、(今でも、出るが……)、そのつど、なぜ自分がそうなるかがわかり、そしてそれに合わせ
て、症状も軽くなっていった。
 そこで……

●自分を変えるために

(1)もしあなたが、いつも同じようなパターンで、同じような失敗を繰り返すようであれば、自分
さがしをしてみる。どこかにおおきなわだかまりや、心のキズがあるはずである。
(2)あなたの過去に問題があることが問題ではない。問題は、そういう問題に気づくことがない
まま、その過去に振り回されること。ただし、自分の心の中をのぞくことは、こわいことだが、勇
気を出して、それをすること。
(3)心の中のキズやわだかまりは、あなたを、無意識のまま、あなたを裏から操(あやつ)る。
ふつうは操られていることに気づかないまま、操られる。たとえば子どもへの暴力など。親はと
っさに暴力を振るうが、あとで「なぜそんなことをしたかわからない」というケースが多いのは、
そのため。
(4)しかしあなたが自分の中の、「自分であって自分でない部分」に気づけば、そのときから、
この問題は解決する。
(5)同じような症状(反応)が出たとき、「ああ、これは私であって、私でない部分」と自分自身を
客観的にみる。あとは時間が解決してくれる。

 これは私の体験からの報告である。

(追記)
 こうした自分自身の体験を、恥ずかしげもなく公開するのは、一方で、そういう自分と決別す
るためでもある。自分自身を思いきってさらけ出すのも、ひとつの解決方法かもしれない。なお
私のばあい、それ以上に心がゆがまなかったのは、やさしい祖父母が同居していたためと考
えられる。もうひとつは、近くに親類が何人かいて、私のめんどうをみてくれた。ああいう家庭環
境で、もし祖父母や親類が近くにいなかったら、今ごろの私は、どうなっていたか……。それを
考えると、ぞっとする。そういう意味で、よく子どもの非行が問題になるが、私はすべて子どもの
責任にするのは、まちがっていると思う。
(02−9−29)

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子育て随筆byはやし浩司(15)

子どもの指しゃぶり

 子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すようであれば、代償行為を疑う。心の緊張
感をほぐすためにする、代わりの行為と考えるとわかりやすい。よい例が、指しゃぶり、貧乏ゆ
すり、ものいじり、髪いじりなど。ふつう、はたから見ると、「どうしてそんなことをするのだろう」と
思われる行為が多い。こうした行為を無意識のうちにも繰り返すことにより、子どもは自分の
心(情緒)を安定させようとする。

 一般論として、体の一部に刺激を加えると、その刺激は神経を通って、大脳の皮質部にとど
く。そしてその刺激が長くつづくと、体は刺激をやわらげるため、脳や脊髄の神経細胞からエン
ドリフィンや、エンケファリンなど、数一〇種類の麻薬様の物資が放出される。この物質が脳に
陶酔感を引き起こす。それを利用したのが、針麻酔ということになる。

 針麻酔では、体のいくつかの部位に針を刺し、そこに低周波電流を断続的に通電し、麻酔効
果を得る。体験者の話では、「しばらくすると、甘く、けだるい感じに襲われる」という。それはさ
ておき、こうした代償行為は、もともと不安定な心(情緒)を自ら落ちつけようとする行為のた
め、しかっても意味がない。そればかりか、無理にやめさせようとすると、かえって子どもの心
(情緒)を不安定にすることになるから注意する。子ども自身に罪の意識をもたせないように、
配慮する。

 ところで話はそれるが、こうした陶酔感は、性行為によっても同じように得られるという(「脳の
しくみ」新井康允)。そして神経細胞から放出される麻薬様の物質ため、中毒性や習慣性が生
まれることもあるという。あるいはそれをやめると、禁断症状も出てくることもあるという。そう言
えば……ということでもないが、私の知人の中には、五〇歳を過ぎたというのに、いまだに女性
をとっかえ、ひっかえ、不倫を繰り返している男性がいる。ヒマなときは、テレクラでアルバイト
をしているという。その男の妻は、そういう男を、「病気ですから……」とあきらめている。

 事実、ここに書いたような行為(指しゃぶりなど)をしている子どもを観察すると、実に気持ち
よさそうな表情をするのがわかる。陶酔感に浸(ひた)っているという感じである。子どもの指し
ゃぶりには、そういう意味も含まれる。


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子育て随筆byはやし浩司(16)

新幹線に乗って……

 新幹線に乗るたびに、あのヘタクソな英語を聞かされる。国籍不明の発音。妙に抑揚が強
く、どこか不自然に間延びした、まさに英語もどきの英語。その上、決まって、「Welcome to
 Shinkan−sen(新幹線にようこそ)」と。日本語に訳すとそれほど違和感はないが、英語で
聞くと、思わず、「私は新幹線に乗りにきたのではない!」と言いそうになる。(ウエルカム・ツ
ー・シンカンセンというのは、目的として、新幹線に乗りにきた人に、使う言葉。)それにいちい
ち、「Ladies & Gentleman」と言う。確かにそういうときに使う言葉だが、どうもすなおに聞
けない。(英語国で英語でそれを言うときは、さらっと瞬間的に言うので、違和感がないのだが
……。)
 その新幹線。先日乗ったときには、空席がなくて、非禁煙車の中にすわってしまった。しかし
これが苦痛の始まりだった。数列前の男が、それこそ五〜一〇分おきにタバコを吸っていた。
けむいのなんのと言ったらなかった。非禁煙車だからといって、自由にタバコを吸ってよいとい
うわけではない。その男は、吸わなければ損と言わんばかりに吸っていたが、けむい理由はそ
の男ではなかった。三〇分ほどがまんして、ふとうしろの席を見ると、何と真うしろの男がタバ
コを吸っていた。吸っていないときは、タバコを手にもったまま。私の顔との距離は、五〇セン
チも離れていない。けむいはずだ!
 こうなると立っていたほうがマシ。そこで禁煙車に移ると、空気の違いが瞭然。たまたま運よ
く、あの込んでいた電車内で空席ができ、私はそこに座わることができた。それにしてもけむか
った。あんなタバコを吸っていて、体によいわけがない。脳細胞にじゅうぶん、酸素が行き渡ら
なくなる。脳細胞が破壊される。思考力そのものが低下する。よく喫煙は嗜好だとか、喫煙す
る人にも、喫煙する権利があるというが、タバコなど、全面的に販売禁止したらよい。販売も、
許可を得た人だけが、通信販売で購入できるとか。……とまあ、ときどき考え方が過激になる
が、しかしそれくらいの覚悟と自覚をもって、この問題は考えるべきではないのか。たとえばせ
っかく禁煙しても、他人の吸ったタバコの煙に巻き込まれるうちに、また喫煙を始める人は多
い。そういう意味でも、嫌煙運動をもっと徹底させたらよい。それにこんな話も聞いている。
昔、京都大学のN教授(産婦人科学)が、ホテルの一室で、こっそりとこう話してくれた。「胎児
の奇形がふえています。タバコが原因だということは、疫学上(統計的に)はわかっているので
すが」と。私が「証拠はないのですか」と聞くと、N教授は、「人体実験をするわけにはいかない
でしょう」と笑った。そう、今、その奇形児や染色体異常児が、急増している。親の代では影響
なくても、子どもや孫の代になって影響が出てくることもある。また私の経験からしても、ヘビー
スモーカーの子どもは、概して体が小さく、知能の発達も遅れがちになる。髪の毛も細く、手で
さわった感じでは、すべすべしている。
 電車をおりるとき、私は「二度と非禁煙車には乗らない」と心に決めた。あのへたくそな英語
に見送られながら……。
(02−7−31)

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子育て随筆byはやし浩司(17)

はやし浩司の人間論

●大切なのは、常識
 宗教の研究者と話をしていると、ときどき何がなんだか、さっぱりわけがわからなくなるときが
ある。ささいな文書の一言一句をほじくり返しては、解釈はどうだの、意味はどうだのと言う。し
かし生きる哲学はそういうものではない。またそういうことを知っているからといって、ワイズマ
ンということにはならない。もっと人生はわかりやすいもの。

 私たちにとって大切なのは、「常識」。むずかしいことではない。その常識こそが、大切。何か
わからないことがあったり、行きづまったりしたら、自分自身の中の常識に耳を傾ければよい。
正しいことは、それ自体、心地よい響きがする。まちがっていることは、それ自体不愉快な響き
がする。あとはその常識に従って考え、行動すればよい。

●常識をみがく 
 ただ大切なことは、毎日、その常識をみがくこと。音楽を聴いたり、本を読んだり、人と会話を
したり、野や山を散歩したりして、自分の常識をみがく。といっても、それはむずかしいことでは
ない。ごくふつうの、日常的な、何でもない生活の中に、その常識は隠されている。そういう生
活をしながら、その中で常識をみがく。よい友と交われば、別れたあと、さわやかな感じがす
る。そうでないときは、どこか重い気持ちになる。人に親切にしたり、やさしくすれば、自分の心
がぬくもる。しかし人に意地悪をしたり、迷惑をかければ、あと味が悪い。常識をみがくと、そう
いう心の動きが、さらにはっきりとわかるようになる。

 私はこのことを、あるとき農家の女性(八〇歳くらい)と話していて気づいた。その女性はたい
へん穏やかな女性だった。久しぶりに山道で会うと、心底うれしそうな顔で私を迎えてくれた。
昔でいう小学校しか出ていず、その村に嫁いできてからというもの、自然だけを相手にしてきた
人である。にもかかわらず、深い知性と教養を兼ね備えていた。が、それ以上に私の心をとら
えたのは、どこまでも深みのある人間性だった。私が山荘の近くに生える雑草の話をすると、
その雑草の害や、いつごろどのようにその雑草を始末すればよいかを、ていねいに説明してく
れた。こうした人間性は、たとえば難解な経文をソラで言えるから身につくとか、経文の解釈が
できるからといって、身につくものではない。そういったものを超えた、もっと言えば、人間が数
十万年の進化の過程で得た、もっと大きな流れの中で身につくもの。常識は、その過程で生ま
れた?

●常識が人類を生き延びさせた
 もしこの常識がなければ、人間という生物は、たがいに憎みあい、たがいに殺しあって、とっく
の昔に滅びたはずである。つまり私たちは進化というと、肉体的な「形」の問題ばかりにこだわ
る。が、同じように、精神的な「心」もまた、進化の過程で、そのつど選択されてきたはずであ
る。それがわからなければ、野を歩くアリを見てみればよい。彼らは実に協力的に仲間と助け
あって生きている。大きな虫の死骸(がい)を見つけたりすると、皆が力をあわせて、それを運
んでいる。人間もまた、そうした「心の進化」を経験しているはずである。ここに書いたように、
自分の心がぬくもったり、反対にあと味が悪く感じたりするのは、まさにそうした気が遠くなるほ
ど、長い年月を経て、人間が得た、「心の動き」と言ってもよい。それが常識ということになる。
繰り返すが、もし人間に、「人を殺すと気持ちがよい」という感情があったとするなら、その進化
の過程で、とっくの昔に人間は滅んでいたはずである。

 そういう意味では、まず自分自身の常識を信ずる。おかしいものはおかしい。ヘンなものはヘ
ン。それは直感に近いものだが、その直感でじゅうぶん。むずかしいことではない。本当に簡
単なことだ。あとはその常識に従って、自分の意見を組み立てる。そしてそれに従って行動す
ればする。こう書くと、「君は、神や仏の教えを否定するのか」と言う人がいる。実際、冒頭にあ
げた宗教の研究者は私にそう言った。何かの宗教団体に属している人で、知識だけはやたら
と豊富だった。私はそのとき、こう反論した。

●人間らしく生きる
 私たちにとって大切なことは、一人の人間として、精一杯、人間らしく生きること、と。あくまで
も人間だ。未熟で不完全かもしれないが、それを恥じることはない。そういう生き方を神や仏が
まちがっているというのなら、それをいう神や仏のほうがまちがっている。あらゆる動物は、そ
れぞれの動物として、懸命に生きている。そこにそれぞれの動物が生きる意味があり、美しさ
がある。生きるドラマもそこから生まれる。人間とて例外ではない。
むしろ恥ずべきことは、知ったかぶりをして、ほかの人に対して優越感を覚えることだ。あるい
はほかの人を下に見ることだ。こうした宗教の研究者(本当は信者と言ってもよいのかもしれ
ないが……)の悪いところは、すぐ傲慢(ごうまん)になって、「相手を救済する」とか、「世の中
を改変する」とか言だすことだ。こうした言葉は政治の世界では有効かもしれないが、こと心の
世界では、通用しない。彼らはよく「私は絶対、正しい」と言う。しかし相手に向かってそう言うと
いうことは、「あなたはまちがっている」と言うに等しい。そういう失敬なことが、まるでわかって
いない。
大切なことは、それぞれの人が、それぞれの世界で、心豊かに、穏やかに、安らいだ気持ち
で、平和な生活をすることだ。仮に先にあげた女性(八〇歳くらい)に、仏教の知識がまるでな
いとしても、それでその女性の価値がさがるわけではない。むしろペラペラと難解な仏教用語
を並べるその研究者より、人間的には、はるかにすぐれている。あるいは何が劣っているとい
うのか。

●宗教を否定しているのではない
 もちろんだからといって、私は宗教を否定しているのではない。私の座右には、「スッタニパ
ータ(原始仏教の経典)」や「ダンマパダ(法句経)」の経本がある。旧約聖書や新約聖書もあ
る。一度、イスラム教の勉強もしてみたいと思っている。私が書く原稿にも、こうした本からの引
用も多い。すぐれた思想には、ハッとするような輝きがある。
しかしどこまでいっても、生きるのは私たち。そうした書物をどう読み、どう理解するかは、私た
ち自身が決める。たとえばあの世があるかどうかは、私にはわからない。天国があるのかどう
かも、私にはわからない。見たこともない世界を信じろといくら言われても、私にはどうしてもで
きない。つまりそれが今の私の常識ということになる。その常識を私はねじ曲げろと言われて
も、私にはそれがどうしてもできない。だから今は、一応、「そういう世界はない」という前提で
生きている。
 それはちょうど宝くじのようなものではないのか。いくら宝くじを買ったからといって、当たるこ
とをアテにして、土地を買ったり家を買ったりする人はいない。お金の使い道は、当たったとき
考えればよい。当たれば当たったで、もうけもの。人生もそうだ。死んでみて、あの世や天国が
あれば、そのときは、それで、もうけもの。しかしそういうものをアテにして、今の人生を組みた
てることはできない。少なくとも私には、どうしてもできない。

●神や仏への反論
 神や仏がいるのなら、私が死んだとき、多分、神や仏は私にこう言うだろう。「あなたもずい
ぶんと勝手なことをしましたね」と。しかしもしそうなら、私はこう反論するだろう。「私は懸命に
生きてきた。それがまちがっているというのなら、あなた、あなたのほうがまちがっている。私は
理屈っぽい人間だから、もしあなたが姿をちゃんと見せてくれていたら、私はあなたを信じ、あ
なたの僕(しもべ)になっていただろう。姿も見せないで、信じろと言ったあなたのほうがまちが
っている」と。

●生きる意味
 私たちはここにも書いたように、未熟で不完全だ。それを恥じることはない。もしここに神や
仏が現れて、病気を治したり、国を治めたら、人間は自ら努力することをやめてしまう。しかし
それこそ、人間の敗北。私たちはすべての病気を治せるわけではない。生きることにしても、
いつも悲しみや苦しみがついて回る。それから逃れることはできない。政治にしても、今、見る
とおりである。しかしそういう未熟で不完全であるから、私たちはそれと戦う。そこに人間が生
きる意味がある。美しさがある。生きるドラマもそこから生まれる。
つまり懸命に生きるがゆえに、私たちは人間なのである。
(02−7−31)

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子育て随筆byはやし浩司(18)

脳と心と快感

外に出て、他人に親切にしてみよう。
正直に、誠実に生きてみよう。
そのときあなたは、あなたの心の中を、
さわやかな風が通り抜けるのを感ずるはずだ。

 人間の体は、数十万年という、まさに気が遠くなるほどの年月を経て、ここまで進化してき
た。指一本、爪の形や位置にしても、そこには、長い進化の歴史が刻まれている。それは常識
だが、実は、人間の心も、環境に適応するため、そのつど進化してきたと考えるのが、正しい。
 私は今、脳の中心部にある、扁桃体と呼ばれている部分に、たいへん興味をもっている。こ
の扁桃体というのは、大脳の辺縁系の中、つまり新皮質部の下にある原始的な脳の一部だと
思えばよい。(原始的という言い方は正しくないかもしれないが、新皮質部が比較的あとになっ
て発達した脳であることに対して、そう言う。大脳連合野の新皮質部は、人間の思考など、知
的活動をつかさどる。)この扁桃体が、人間の情動活動に、たいへん深く関わっているというの
だ(伊藤正男氏の思考システム)。
 たとえばこの扁桃体を、サルの実験などで、刺激したり、反対に破壊したりすると、情動的な
大きな変化が起こるという(新井康允氏)。たとえば「サルの扁桃体とその周囲の大脳皮質を
壊すと、情緒的反応性の低下が見られ、ヘビやイヌをふだんは怖がるのに、扁桃体を破壊さ
れたサルは、ヘビやイヌを近づけても、平気になってしまう」「扁桃体とその周囲の大脳皮質を
壊された雄ネコは、ウサギに交尾しようとしたり、ばあいによっては、ヒトに性行動を示した例も
報告されています」(新井康允氏「脳のしくみ」)と。
 こうした事実から、新井康允氏は、つぎのように結論づけている。
 「このようなことから、扁桃体は、外から入ってくる刺激について、それぞれ生物学的な意味
づけや、生物学的価値判断をくだし、快、不快、恐怖といった情動反応を起こさせるメカニズム
があると考えられます」(同書)と。
 伊藤正男氏も、「(思考は大脳連合野がつかさどるが)、満足、不満足の価値判断は、新皮
質が行うのではなく、扁桃体の快、不快システムを転用して、満足、不満足の価値判断をくだし
ているのではないか」(同書)と述べている。つまり私たちのもつ常識的な反応は、知的な活動
によるものというよりは、もっと原始的なレベルで、脳の機能の一部として起きているのではな
いかということ。たとえば他人に親切にしたり、やさしくしたりすると、たしかに気持ちがよいが、
そうした快感は、脳そのものが判断しているということだ。で、もしこれが事実なら、これは重大
な意味をもつ。
 仮に、これはあくまでもこれは仮定の問題だが、もし人間が、仲間を殺すことに快感を覚える
ようなシステムをもっていたとするなら、人間はとっくの昔に絶滅していただろうということ。もし
人間が、仲間に意地悪をしたり、いじめることに快感を覚えるようなシステムをもっていたとし
たら、人間はとっくの昔に絶滅していただろうということ。人間が今の今、こうして生き延びてい
ること自体、脳のシステムの中で、それを判断するしくみが働いたということになる。たがいに
助けあい、たがいに誠実であることに快感を覚えるようになっているということになる。つまりこ
うした扁桃体があるということが、まさに進化の結果といえるのではないのか。
 もしこのことがわからなければ、今、こんな実験をしてみるとよい。どんなことでもよい。あな
たの身の回りのことで、何か問題がおきたとき、正直に、そして誠実に、その問題に対処して
みてほしい。他人に親切にするのもよい。そのとき、あなたは今まで感じなかった、快感を覚え
るはずである。この快感の根源こそが、新井氏や伊東氏のいうところによる、(多分? まちが
っているかもしれないが……)、扁桃体の快、不快システムによるものということになる。私はこ
のことを、こんな事件を通して、学んだ。
 少し前だが、私は一〇〇円のペンを七本買って、一〇〇〇円札を出した。で、レジの女性か
らつり銭を渡され、店を出ようとするとき、手の中を見ると、つり銭が三〇〇円以上あるのに気
づいた。私は瞬間、「アッ」と思った。が、一、二歩、歩いたところで、振りかえり、「あのう……」
と言った。見ると、いつの間にか店長の女性もそこに立っていて、ニコニコ笑いながら、こう言
った。「今、すべての商品を一〇%引きにしていますから」と。
 私はその一言で、心の中が晴れ晴れとした。そうした状態を、快感というのなら、それはまさ
に快感だった。私もニコニコ笑いながら、「そうですか。ありがとうございます」と頭をさげたが、
その快感は、私の大脳連合野によるもの、つまり知的活動によるものというよりは、もっと深い
ところから湧(わ)きあがってくるものだった。
 だから……、というのは失礼かもしれないが、(というのも、すでにそんなことを実践している
人も多いと思うので)、こうした知識を一度頭に入れながら、あなたも一度、心の実験をしてみ
てほしい。何かのことで、そういう立場に立たされたら、正直に、そして誠実に対処してみてほ
しい。他人に親切にしてあげたり、やさしくしてあげるのもよい。そしてそのとき、あなたの心
(情動活動)が、あなたの中でどう反応するかを静かに観察してみてほしい。それが、あなたの
中の扁桃体による作用(多分?)ということになる。
 むずかしい話になってしまったが、以上をまとめると、こういうことになる。

●他人に親切にしてあげたり、やさしくしてあげると、気持ちがよい。
●他人に正直に接したり、誠実に接すると、気持ちがよい。
●その快感は、大脳辺縁系の扁桃体が判断して、生み出す。
●つまりそういう機能があるがため、人間は今日の今日まで、進化の過程で生き延びることが
できた。そうでなければ、もうとっくの昔に絶滅していたはずである。進化論というと、肉体という
「形」ばかりが問題になるが、「心」もまた、問題とされるべきである。それがわからなければ、
あなたも心の実験をしてみるとよい。だれかに、親切に。だれかに、やさしく。だれかに、正直
に。だれかに、誠実に。あなたもきっと、今までにない快感を覚えるはずだ。あなたの脳の中に
は、そういうシステムがすでに、できている。それを信じて、一度実験してみてほしい。私がここ
に書いたことの意味を理解してもらえるはずである。
(02−8−1)-52

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子育て随筆byはやし浩司(19)

はやし浩司の家庭論

●あなたの子どもは、どちらのタイプ
 あくまでも一般論としてだが、愛情豊かな家庭で、心穏やかに育てられた子どもは、どっしり
とした落ちつきがある。心のゆがみ(すね、いじけ、ひねくれ、つっぱり)がなく、やさしくしてあげ
ると、そのやさしさがそのままスーッと、子どもの心にしみこんでいくのがわかる。
 反対に、不幸にして親の愛情が不安定な家庭に育った子どもは、どこかセカセカしていてい
る。落ちつきがない。他人に取り入るのがうまく、愛想もよい。口もうまく、必要以上にへつらっ
たり、お世辞を並べたりする。一見、明るい子どもに見えるが、その実、心を許さない。やさしく
してあげても、それがはね返されてしまう。心の裏を疑ったり、下心をさぐろうとする。
 あなたの子どもというより、あなた自身は、どちらのタイプに近いだろうか。それを判断する前
に、こんな感想をもらった。これは私の講演に対しての感想だが、その中のいくつかに、私は
考えさせられた(二〇〇二年度浜松市立幼稚園PTA連絡協議会での講演に対する感想よ
り)。

☆私は自分の過去に疑間を持ったことはありませんでした。しかし今回、先生の「愛想よくして
いると疲れる」というお話を聞き、思いあたるふしがあります。子どものころから私は、「おやす
みなさい」と電気を消した瞬間、ホッとしたのを覚えています。きっと親の前で、いつも心が緊張
していたのだと思います。心を開いていなかった私が育てた子どもは、やはり心を閉ざしている
のか……、心の隅にとめておきたいと思います。

☆私の母親は、私が娘のわがままに手をやいていると、娘に「あんたのお母さんは、(私のこと
です)ほんとに手のかからない、いい子だったのにねえと話しています。実際、大病をした記億
もなく、幼稚園のころからずっとカギっ子で、ひとりで遊ぶことが多く、親になにかを、ほしがるこ
ともなかったような気がします。そんな私は本当にいい子だったのかなと思います。そんなわけ
で、わがままな娘でも私にはいい子に思えます。

●よい子ぶるのはたいへん?
 よい子ぶるというのは、たいへん。それだけで疲れること。この疲れが、親子の間にミゾをつ
くる。そのミゾが、キレツになり、やがて断絶へとつながっていく。今、実の親なのに、その親の
前にいると、落ちつかない、居心地が悪い、心臓がドキドキする、緊張するなどと訴える、若い
親がふえている。(「ふえている」というのは、あくまでも私の実感だが、昔はあまりそういう話は
聞かなかった。)この母親も、「子どものころから『おやすみなさい』と電気を消した瞬間、ホッと
しました。きっと親の前で、いつも心が緊張していたのだと思います」と書いている。二人目の
母親も、「私は本当にいい子だったのか」と疑問を投げかけている。
 そこで改めて、「愛情とは何か」を考えてみる。私たちは平気で、「子どもを愛しています」と言
う。しかし本当に、そんなに簡単に言えることなのか。この世界には、「代償的愛」という言葉が
ある。(実のところ、この代償的愛という言葉は、私が考えたものだが……。)代償的愛という
のは、子どもを自分の思いどおりにしたいという、親のエゴにもとづいた、自分勝手な愛をい
う。いわば愛もどきの愛と思えばよい。よい例が、子どもの受験勉強に狂奔する親。「子どもの
ため」と言いながら、結局は自分のメンツや見栄のためにそうしている。
 子どもを愛するということは、どこまで子どもを許して忘れるか、その度量の深さで決まる。
「許して忘れる」ということは、もちろん子どもに好き勝手なことをさせろという意味ではない。許
して忘れるというのは、子どもの立場で、子どもをあるがままに、自分のこととして受け入れる
ことをいう。それがわからなければ、あなた自身のことを振り返ってみればよい。

●あなたの親子関係はどうか?
 あなたは親の前で、のびのびと体を休めることができただろうか。何でも言いたいことを言
い、したいことができただろうか。テストで悪い点をとってきたとき、あなたの親は、あなたを慰
めてくれただろうか。そしておとなになった今、いろいろな悩みや苦しみを、あなたの親は心を
開いて聞いてくれるだろうか。あなたのよき理解者として、あなたの言うことに耳を傾けてくれる
だろうか。相談にのってくれるだろうか。あなたは、「私の親はすばらしい親だ」と、自信をもっ
て言えるだろうか。そうであるなら、それでよし。そうでないなら、あなたというより、あなたの親
に問題があると考える。

●「君の奥さんは、君の前でオナラを出すかね」
 少し話はそれるが、こんなことがあった。ある文士たちの集まる会に顔を出したときのこと。
一人の男性(七〇歳くらい)が、いきなり私にこう聞いた。「林君、君の奥さんは、君の前で、オ
ナラを出すことができるかね」と。
 私はこの質問に驚いて、とっさに、「うちのワイフはそういうことはしません」と答えた。すると
その男性のみならず、まわりにいた人たちまで一斉に、「そりゃあ、かわいそうだ、かわいそう
だ」と言った。「夫の前で平気でオナラを出せない妻はかわいそうだ」と。
 この話には、私も少なからず、ショックを受けた。「そういえば……」という思いが、心をふさい
だ。私のワイフは、私の前では遠慮をしている? あるいは私には心を開いていない? 

●態度が大きいのは、よい兆候
 実は子どももそうで、心を許している子どもは、その分だけ、親の前でも態度が大きい。平気
でオナラを出したり、鼻をほじったりする。ソファにデンと横になったり、好き勝手なことをする。
一見、ぞんざいな態度に見えるかもしれないが、本来、家庭というのはそういうもの。が、この
機能が狂うときがある。
 もしあなたの子どもが、あなたの姿を見ると、どこかへ逃げていくとか、好んで親のいないとこ
ろで体や心を休めているようであれば、あなたは家庭や親子のあり方をかなり、反省したほう
がよい。今は小さなキレツだが、やがて断絶……、ということにもなりかねない。が、そこまでい
かなくても、あなたはつぎのことを疑ってみてほしい。あなたの子どもは、あなたの前で、無理
をしていないか、と。チェック項目を考えてみたので、一度、あなたとあなたの子どもをチェック
してみてほしい。

●あなたの親子関係をチェック

【あなたから見たあなたの子どもは……】(子どもの様子)
( )外でも家の中でも、よくがんばっていると思う。
( )甘えたり、ぐずったりすることもなく、子育てが楽。
( )全体に、できのよい子だと思う。しっかりしている。
( )何ごとにつけ、がまん強く、親の期待にはよくこたえてくれる。
( )感情をむきだしにすることはなく、いろいろ気をつかっているようだ。

【あなた自身の子育て観は……】(親の子育て観)
( )おけいこでも、何でも、子どものことは、たいてい親のほうで決める。
( )子育てには、やはり親の権威が、子育てでは必要と思う。よく命令口調になる。
( )子どもは親に従うべきと考えることが多い。親をバカにした態度は許せない。
( )子どもの世界の遊び(ゲーム、テレビ番組)は、くだらないと思うことが多い。
( )立派な社会人になってほしいと、子どもに期待することが多い。

【あなたの子どもの、家庭での様子は……】(家庭の機能)
( )学校から帰ってきても、すぐ自分の部屋に閉じこもる。会話は少ない。
( )学校から帰ってきても、明るい声で「ただいま」と言うことは少ない。
( )帰宅時間が不自然に遅いことがある。休日などの外出が多い。
( )家庭のルールはよく守り、親には従順に従ってくれる。
( )家の中にいるときよりも、外で友だちといるほうが気が休まるようだ。

 おおざっぱに作ったので、不正確かもしれないが、このテストで、半分以上(一五問中、八問
以上)当てはまるようであれば、親子のあり方、家庭のあり方を、かなり反省してみたほうがよ
い。とくに注意してほしいのは、権威主義。今でも、「親の権威は必要だ」と説く評論家は多い。
が、こうした封建時代の亡霊を引きずっていては、親子の間に、真の人間関係をつくることは
できない。親が権威主義的であればあるほど、子どもは親の前で仮面をかぶる。そしてその仮
面をかぶった分だけ、子どもの心はあなたから離れる。

●子どもが大きくなるにつれて変わる家庭の機能
 子どもが乳幼児のときは、家庭は「しつけの場」だが、しかし子どもが大きくなれば、その機
能は変わる。「しつけの場」から、「憩(いこ)い、やすらぎ、いやしの場」になる。また子どもの心
は、「絶対的な安心感のある家庭」ではぐくまれる。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」
という意味。そこで最初の話にもどるが、子どもにとってあるべき家庭とはどんな家庭かという
こと。
裕福であるとか、そうでないとかいうことではない。父親と母親がいるとか、いないとか、そうい
うことでもない。貧しくても、それはそれで一向に構わない。母子家庭であっても、父子家庭で
あっても、一向に構わない。大切なことは、親と子が、今ある関係の中で、わかりあい、助けあ
い、なぐさめあい、いたわりあい、教えあい、守りあうということ。それが重要だということ。よく
問題になるが、親の離婚が問題ではない。離婚にいたる家庭騒動が、子どもの心に暗い陰を
落とす。子どもの環境に対する適応能力は、おとなが考える以上のもの。だから仮に離婚する
にしても、子どもの前での騒動は、できるだけ少なくする。

●友だち親子、おおいに結構!
 また「友だち親子」を否定する人も多い。「親子の間には、上下関係は必要」と。もちろん親に
は、ガイド、あるいは保護者としての役目はある。しかしもうひとつ、「友としての役目」も忘れて
はならない。日本人は、この「友としての役目」を、あまりにも、ないがしろにしてきた。今でもそ
うだ。しかしそんなことは議論しても意味はない。親にはいろいろな役目があるとしても、ではど
うして友だち親子であっては、いけないのかということになる。親子が友だち的であるというこ
と、さらには親友的であるということは、誇るべきことであって、何ら恥ずべきことではない。む
しろ子育ての目標にしてもよい。
現に今、八〇%近い子どもたちが、親に、「仲のよい友だちであってほしい」(バンダイ調査)と
願っている。それでも、「それはおかしい」と思う人がいるなら、あなた自身はどうだったか。今
はどうかということを思い起こしてみてほしい。あなたはあなたの親の前で、思いっきり羽をの
ばすことができたか。今もできるか。悲しいことやつらいことがあったとき、あなたは親になぐさ
めてもらったか。今もなぐさめてもらっているか。あなた自身、「親はどうあるべきか」、もうその
答はわかっているはずだ。

●子どもにとって、大切な家庭とは……
 子どもにとって幸せな家庭とは、体や心を休め、安らぐ家庭をいう。あなたの子どもが、あな
たの前で、大きな態度でそうしているなら、それだけでも、あなたの家庭はすばらしい家庭とい
うことになる。繰り返すが、あくまでも一般論としてだが、愛情豊かな家庭で、心穏やかに育て
られた子どもは、どっしりとした落ちつきがある。心のゆがみ(すね、いじけ、ひねくれ、つっぱ
り)がなく、やさしくしてあげると、そのやさしさがそのままスーッと、子どもの心にしみこんでいく
のがわかる。
さて、あなたの家庭はどうか。あなたの子どもはどうか。
(02−8−2)

(注) 二〇〇二年の三月、玩具メーカーのバンダイが、こんな調査をした。「理想の親子関係」
についての調査だが、それによると……。

 一緒にいると安心する ……94%
 何でもおしゃべりする ……87%
 友だちのように仲がよい……77%
 親は偉くて権威がある ……68%

(全国の小学四〜六年生、二〇〇人、および五歳以上の子どもをもつ三〇〜四四歳の父母六
〇〇人を対象に、インターネットを使ってアンケート方式で調査。)

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子育て随筆byはやし浩司(20)

電子マガジンのおもしろさ

 新聞や雑誌に、いままでいろいろな原稿を書いてきた。本も出してきた。しかし今、私は電子
マガジンに、全力を注いでいる。「全力」というのも、おおげさだが、今は、ほかのことはほとん
ど考えていない。読者の数こそ、まだ、わずか五〇〇人と少しで、新聞や雑誌の読者数とは比
較にはならない。が、それがどういうわけだか、おもしろい。
 その理由の第一に、私と読者が直接につながっているということ。それに新聞や雑誌では、
仮に発行部数が数十万部とは言っても、実際、読んでくれる人はそのうちの数パーセント以
下? あるいはもっと少ない? しかしマガジンのほうは、読んでみたいと思ってくれる人だけ
が、購読してくれる。読みたくない人は、購読しない。購読しても、フィーリングが合わなけれ
ば、すぐ解除される。五〇〇人という読者は、まさに私の心の通った友人ということになる。ま
だある。
 マガジンは、紙に印刷されていない分だけ、資源をムダにしない。それに今日書いた原稿
を、そのまま即座に、読者に読んでもらうことができる。たとえばワードで文書を作成する。そ
れができたら、インターネットにつないで、IDナンバーと、パスワードを入れる。「配信予約画
面」をクリックして、そこへ原稿をコピーして張りつける。あとは「送信ボタン」をクリックすればよ
い。簡単すぎるほど、簡単。簡単すぎてこわいときもあるが、しかしそれくらい、簡単。
 それに読者の方からの直接の反応もある。これはインターネットの強みだと思う。意見や希
望、相談などが、そのまま返ってくる。書籍のばあいは、読者カードというのは、だいたい一〇
〇〇〜二〇〇〇部に一枚くらいの割合でしか返ってこない。しかし電子マガジンのほうは、毎
日のように、あれこれとメールが届く。そういう意味でも、私と読者の密着度は高い。
 ただ、今まで、紙の上に印刷された世界だけで生きてきたので、とまどいはある。どこかもの
足りない感じがしないでもない。しかしそれは何かの代金を、現金でもらうのと、銀行振り込み
でもらうような違いではないか。実際には、どこも違わない。それに今はまだ、新聞や雑誌のほ
うが優位を保っているが、それは時間の問題。やがてそれも逆転するだろう。私もマガジンを
発行するようになって一年と少しになるが、最初のころは、マガジンの価値をそれほど認めて
いなかった。マガジンの情報は、どこか(軽い?)感じがした。
 読者が何人になればよいとは考えていないが、毎回少しずつでもその数がふえていくという
のは、たしかに大きな励みになる。新しい読者の方を失望させたくないという思いが、私の執
筆意欲をこの上なく、かりたてる。反対に減り始めたら、急速にその意欲は減退するかもしれ
ない。そういう心配はあるが、しかし今までは、毎回少しずつだが、ふえてきた。そういう楽しみ
を直接感ずることができるのも、電子マガジンの強味ということになる。
 私はマガジンを読んでくれる人には、私のノウハウのすべてを提供する。すべてを、だ。決し
て出し惜しみしない。そのあと、その情報をどう判断し、どう利用するかは、それは読者の方の
問題であって、私の問題ではない。
(02−8−2)

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子育て随筆byはやし浩司(21)

野口英世の母

●母シカの手紙
 二〇〇四年に新千円札が発行されるという。それに、野口英世の肖像がのるという。そうい
う人物の母親を批判するのも、勇気がいることだが、しかし……。

 野口英世が、アメリカで研究生活をしているとき、母シカは、野口英世にあてて、こんな手紙
を書いている。

 「おまイの しせにわ みなたまけました……(中略)……はやくきてくたされ いつくるトおせ
てくたされ わてもねむられません」(一九一二年(明治四五年)一月二三日)(福島県耶麻郡
猪苗代町・「野口英世記念館パンフレット」より)

 この母シカの手紙について、「野口英世の母が書いた手紙はあまりにも有名で、母が子を思
う気持ちがにじみ出た素晴らしい手紙として広く知られています」(新鶴村役場・企画開発課パ
ンフ)というのが、おおかたの見方である。母シカは、同じ手紙の中で、「わたしも、こころぼそく
ありまする。どうかはやくかえってくだされ……かえってくだされ」と懇願している。
 これに対して、野口英世は、一九一二年二月二二日に返事を書いている。「シカの家の窮状
や帰国の要請に対して、英世としてはすぐにも帰国したいが、世界の野口となって日本やアメリ
カを代表している立場にあるのでそれもかなわないが、家の窮状を解決することなどを切々と
書いています」(福島県耶麻郡猪苗代町・野口英世記念館)ということだそうだ。

 ここが重要なところだから、もう一度、野口英世と母シカのやり取りを整理してみよう。

 アメリカで研究生活をしている野口英世に、母シカは、@そのさみしさに耐えかねて、手紙を
書いた。内容は、A生活の窮状を訴え、B早く帰ってきてくれと懇願するものであった。
 それに対して野口英世は返事を書いて、@「日本とアメリカを代表する立場だから、すぐには
帰れない」、A「帰ったら、窮状を打開するため、何とかする」と、答えている。しかし、だ。いくら
そういう時代だったとはいえ、またそういう状況だったとはいえ、親が子どもに、こんな手紙など
書くものだろうか。それがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。あなたのところ
にある日、あなたの母親から手紙が届いた。それには切々と、家の窮状を訴え、ついで「帰っ
てきてくれ」と書いてあったとする。もしあなたがこんな手紙を手にしたら、あなたはきっと自分
の研究も、落ちついてできなくなってしまうかもしれない。

●ベタベタの依存心
 日本人は子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもに恩を着せてしまう。「産んでやった」
「育ててやった」と。一方、子どもは子どもで、やはり無意識のうちにも、「産んでもらった」「育て
てもらった」と、恩を着せられる。たがいにベタベタの依存心で、もちつもたれつの関係になる。
そういう子育てを評して、あるアメリカ人の教育家は、こう言った。「日本人ほど、子どもに依存
心をもたせることに無頓着な民族はいない」と。

 そこでもう一度、母シカの手紙を読んでみよう。母シカは、「いつ帰ってくるか、教えてくださ
い。私は夜も眠られない。心細いので、早く帰ってきてください。早く帰ってきてください」と。
 この手紙から感ずる母シカは、人生の先輩者である親というより、子離れできない、未熟な
親でしかない。親としての尊厳もなければ、自覚もない。母シカがそのとき、病気か何かで伏せ
っていたのならまだしも、母シカがそうであったという記録はどこにもない。事実、野口英世記
念館には、野口英世がそのあと帰国後にとった写真が飾ってあるが、いっしょに写っている母
シカは、どこから見ても元気そうである。

 ……と書くと、猛反発を買うかもしれない。先にも書いたように、「母が子を思う気持ちがにじ
み出た素晴らしい手紙」というのが、日本の通説になっているからである。いや、私も昔、学生
のころ、この話を何かの本で読んだときには、涙をこぼした。しかし今、自分が親になってみる
と、この考え方は変わった。それを話す前に、自分のことを書いておく。

●私のこと
 私は二三、四歳のときから、収入の約半分を、岐阜県の実家に仕送りしてきた。今のワイフ
といっしょに生活するようになったころも、毎月三万円の仕送りを欠かしたことがない。大卒の
初任給が六〜七万円という時代だった。が、それだけではない。母は私のところへ遊びにきて
は、そのつど私からお金を受け取っていった。長男が生まれたときも、母は私たちの住むアパ
ートにやってきて、当時のお金で二〇万円近くをもって帰った。母にしてみれば、それは子ども
としての当然の行為だった。(だからといって、母を責めているのではない。それが当時の常識
だったし、私もその常識にしばられて、だれに命令されるわけでもなく、自らそうしていた。)し
かしそれは同時に、私にとっては、過大な負担だった。私が二七歳ごろのときから、実家での
法事の費用なども、すべて私が負担するようになった。ハンパな額ではない。土地柄、そういう
行事だけは、派手にする。たいていは近所の料亭を借りきってする。その額が、二〇〜三〇万
円。そのたびに、私は貯金通帳がカラになったのを覚えている。
 そういう母の、……というより、当時の常識は、いったい、どこからきたのか。これについては
また別のところで考えることにして、私はそれから生ずる、経済的重圧感というよりは、社会的
重圧感に、いやというほど、苦しめられた。「子どもは親のめんどうをみるのは当たり前」「子ど
もは先祖を供養するのは当たり前」「親は絶対」「親に心配かける子どもは、親不孝者」などな
ど。私の母が、私に直接、それを求めたということはない。ないが、間接的にいつも私はその
重圧感を感じていた。たとえば当時のおとなたちは、日常的につぎのような話し方をしていた。
「あそこの息子は、親不孝の、ひどい息子だ。正月に遊びにきても、親に小遣いすら渡さなか
った」「あそこの息子は、親孝行のいい息子だ。今度、親の家を建て替えてやったそうだ」と。そ
れは、今から思えば、まるで真綿で首をジワジワとしめるようなやり方だった。
 こういう自分の経験から、私は、自分が親になった今、自分の息子たちにだけは、私が感じ
た重圧感だけは感じさせたくないと思うようになった。よく「林は、親孝行を否定するのか」とか
言う人がいある。「あなたはそれでも日本人ですか」と言ってきた女性もいた。しかしこれは誤
解である。誤解であることをわかってほしかったから、私の過去を正直に書いた。
 
●本当にすばらしい手紙?
 で、野口英世の母シカについて。私の常識がおかしいのか、どんな角度から母シカの手紙を
読んでも、私はその手紙が、「母が子を思う気持ちがにじみ出た素晴らしい手紙」とは、思えな
い。そればかりか、親ならこんなことを書くべきではないとさえ、思い始めている。そこでもう一
度、母シカの気持ちを察してみることにする。

 母シカは野口英世を、それこそ女手ひとつで懸命に育てた。当時は、私が子どものころより
もはるかに、封建意識の強い時代だった。しかも福島県の山村である。恐らく母シカは、「子ど
もが親のめんどうをみるのは当たり前」と、無意識であるにせよ、強くそれを思っていたに違い
ない。だから親もとを離れて、アメリカで暮らす野口英世そのものを理解できなかったのだろ
う。文字の読み書きもできなかったというから、野口英世の仕事がどういうものかさえ、理解で
きなかったかもしれない。一方、野口英世は野口英世で、それを裏返す形で、「子どもが親の
めんどうをみるのは当たり前」と感じていたに違いない。野口英世が母シカにあてた手紙は、ま
さにそうした板ばさみの状態の中から生まれたと考えられる。
 どうも、奥歯にものがはさまったような言い方になってしまった。本当のところ、こうした評論
のし方は、私のやり方ではない。しかし野口英世という、日本を代表する偉人の、その母親を
批判するということは、慎重の上にも、慎重でなければならない。現に今、その母シカをたたえ
る団体が存在している。母シカを批判するということは、そうした人たちの神経を逆なでするこ
とにもなる。だからここでは、私は結論として、つぎのようにしか、書けない。
 私が母シカなら、野口英世には、こう書いた。「帰ってくるな。どんなことがあっても、帰ってく
るな。仕事を成就するまでは帰ってくるな。家の心配などしなくてもいい。親孝行など考えなくて
もいい。私は私で元気でやるから、心配するな」と。いきなり、「返ってきておくれ」ではなく、「元
気か?」と、せめて様子をたずねる言い方でもよかった。あるいはあなたなら、どんな手紙を書
くだろうか。一度母シカの気持ちになって考えてみてほしい。
(02−8−2)

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子育て随筆byはやし浩司(22)

性善説と性悪説

 胎児は母親の胎内で、過去数十万年の進化の過程を、そのまま繰り返す。ある時期は、魚
そっくりのときもあるそうだ。
 同じように、生まれてから、知能の発達とは別に、人間は、「心の進化」を、そのまま繰り返
す。……というのは、私の説だが、乳幼児を観察していると、そういうことを思わせる場面に、
よく出会う。たとえば生後まもなくの新生児には、喜怒哀楽の情はない。しかし成長するにつれ
て、さまざまな感情をもつようになる。よく知られた現象に、「天使の微笑み」というのがある。
眠っている赤子が、何を思うのか、ニコニコと笑うことがある。こうした「心」の発達を段階的に
繰り返しながら、子どもは成長する。

 最近の研究では、こうした心の情動をコントロールしているのが、大脳の辺縁系の中の、扁
桃体(へんとうたい)であるということがわかってきた。確かに知的活動(大脳連合野の新新皮
質部)と、情動活動は、違う。たとえば一人の幼児を、皆の前でほめたとする。するとその幼児
は、こぼれんばかりの笑顔を、顔中に浮かべる。その表情を観察してみると、それは知的な判
断がそうさせているというよりは、もっと根源的な、つまり本能的な部分によってそうしているこ
とがわかる。が、それだけではない。
 幼児、なかんずく四〜六歳児を観察してみると、人間は、生まれながらにして善人であること
がわかる。中に、いろいろ問題のある子どもはいるが、しかしそういう子どもでも、生まれなが
らにそうであったというよりは、その後の、育て方に問題があってそうなったと考えるのが正し
い。子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、絶対に悪い子どもには
ならない。(こう断言するのは、勇気がいることだが、あえてそう断言する。)
 こうした幼児の特質を、先の「心の進化」論にあてはめてみると、さらにその特質がよくわか
る。
 仮に人間が、生まれながらにして悪人なら……と仮定してみよう。たとえば仲間を殺しても、
それを快感に覚えるとか。人に意地悪をしたり、人をいじめても、それを快感に覚えるとか。新
生児についていうなら、生まれながらにして、親に向かって、「ババア、早くミルクをよこしやが
れ。よこさないとぶっ殺すぞ」と言ったとする。もしそうなら、人間はとっくの昔に、絶滅していた
はずである。つまり今、私たちがここに存在するということは、とりもなおさず、私たちが善人で
あるという証拠ということになる。私はこのことを、アリの動きを観察していて発見した。

 ある夏の暑い日のことだった。私は軒先にできた蜂の巣を落とした。私もワイフも、この一、
二年で一度ハチに刺されている。今度ハチに刺されたら、アレルギー反応が起きて、場合によ
っては、命取りになるかもしれない。それで落とした。殺虫剤をかけて、その巣の中の幼虫を地
面に放り出した。そのときのこと。時間にすれば一〇分もたたないうちに、無数の小さなアリが
集まってきて、その幼虫を自分たちの巣に運び始めた。
 最初はアリたちはまわりを取り囲んでいただけだが、やがてどこでどういう号令がかかってい
るのか、アリたちは、一方向に動き出した。するとあの自分の体の数百倍以上はあるハチの
幼虫が、動き出したのである!
 私はその光景を見ながら、最初は、アリたちにはそういう行動本能があり、それに従っている
だけだと思った。しかしそのうち、自分という人間にあてはめてみたとき、どうもそれだけではな
いように感じた。
たとえば私たちは夫婦でセックスをする。そのとき本能のままだったら、それは単なる排泄行
為に過ぎない。しかし私たちはセックスをしながら、相手を楽しませようと考える。そして相手が
楽しんだことを確認しながら、自分も満足する。同じように、私はアリたちにも、同じような作用
が働いているのではないかと思った。つまりアリたちは、ただ単に行動本能に従っているだけ
ではなく、「皆と力を合わせて行動する喜び」を感じているのではないか、と。またその喜びがあ
るからこそ、そういった重労働をすることができる、と。
 この段階で、もし、アリたちがたがいに敵対し、憎みあっていたら、アリはとっくの昔に絶滅し
ていたはずである。言いかえると、アリはアリで、たがいに助けあう楽しみや喜びを感じている
に違いない。またそういう感情(?)があるから、そうした単純な、しかも過酷な肉体労働をする
ことができるのだ、と。

 もう結論は出たようなものだ。人間の性質について、もともと善なのか(性善説)、それとも悪
なのか(性悪説)という議論がよくなされる。しかし人間は、もともと「善なる存在」なのである。
私たちが今、ここに存在するということが、何よりも、その動かぬ証拠である。繰り返すが、もし
私たち人間が生まれながらにして悪なら、私たちはとっくの昔に、恐らくアメーバのような生物
にもなれない前に、絶滅していたはずである。

 私たち人間は、そういう意味でも、もっと自分を信じてよい。自分の中の自分を信じてよい。
自分と戦う必要はない。自分の中の自分に静かに耳を傾けて、その声を聞き、それに従って
行動すればよい。もともと人間は、つまりあらゆる人々は、善人なのである。
(02−8−3)

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子育て随筆byはやし浩司(23)

老いては子に従え論(2)
 
 新幹線に乗っていたら、横に座った女性たち(六五歳くらい)が、大きな声で、こう言いあって
いた。「老いては子に従えと言いますからねえ」「そうです、そうです」と。それを聞いて私は思わ
ず、「待った!」と言いそうになったが、やめた。そんなところで議論しても、始まらない。その女
性たちだって、それを望んでいない。しかしこういう言い方をすることにより、そしてこういう言い
方を、何も考えずにするために、「古い考え」が修正されることなく、代々と伝えられていく。私
はむしろ、そちらのほうが問題だと思った。
 少し前書いた、原稿を、ここに転載する。
 
「老いては子に従え

 昔から「老いては子に従え」(「老いては則ち子に従う」(龍樹「大智度論」))という。しかし本当
にそうか? この格言を裏から読むと、「老いるまでは、子に従わなくてもよい」という意味にな
る。もしそうなら、これほどごう慢な考え方もない。
 ある女性(七〇歳)は、息子(四〇歳)の通帳から無断で預金を引き出し、それを使ってしまっ
た。そのことが発覚すると、その女性は、「親が先祖を守るために、子どもの貯金を使って何
が悪い」と居なおったという。問題はそのあとだが、その女性の周囲の人たちの意見は、二つ
に分かれた。「たとえ親でもまちがったことをしたら、子どもに謝るべきだ」という意見と、「親だ
から子どもに謝る必要はない」という意見である。このケースで、「老いては子に従え」というこ
とを声高に言う人ほど、後者の考え方をする。つまり「親には従え」と。
 が、この「老いては子に従え」という考え方には、もう一つの問題が隠されている。つまり依存
性の問題である。「子に従う」というのは、まさに「依存性」の表れそのものといってよい。「老い
たら子どもにめんどうをみてもらわねばならないから、子どもには従え」という考え方が、その
底流にある。しかし本当にそれでよいのか? 
 老いても子どもに従う必要はない。親は親で、それこそ死ぬまで前向きに生きればよい。もち
ろん親ががんこになり、自分の考えを子どもに押しつけるのはよくないが、そんなことは親子に
限らず、どんな世界でも常識ではないか。この格言が生まれた背景には、「いつまでも親風(=
親の権威)を吹かすのはよくない。老いたら親風を吹かすのをやめろ」という意味がこめられて
いる。つまり親の権威主義が、その前提にある。となると、もともとこの格言は、権威主義的な
ものの考え方が基本になっていることを示す。言いかえると、権威主義的な親子関係を否定す
る家庭では、そもそもこの格言は意味をもたない。
 少しまわりくどい言い方になってしまったが、私たちはときとして安易に過去をひきずってしま
うことがある。たとえばこの格言にしても、今でも広く使われている。しかし無意識であるにせ
よ、「老いては子に従え」と言いつつ、その一方で、親の権威主義を肯定し、さらにその背後で
過去の封建主義的な体質を引きずってしまう。それがこわい。そこでどうだろう。あえてこう言
いなおしてみたら……。
 「老いたら、親は自分の生きザマを確立し、それを子どもに手本として見せよう」と。
 ちなみに小学六年生一〇人に、「親でもまちがったことをしたら、子どもに謝るべきか」と聞い
たところ、全員が、「当然だ」と答えた。いくらあなたが権威主義者でも、この流れをもう変える
ことはできない。」

 さて冒頭の女性たちだが、もちろんそういう女性たちに、「あなたの考え方はおかしい」と言う
必要はない。言ってはならない。人はそれぞれだし、その人たちはその人たちで、懸命に生き
てきた。「老いては子に従え」という考え方は、そういう人生の結果として今、彼女たちの生きザ
マになっている。
 が、別のところで書いたように、思考と情報は違う。もしその女性たちが、自分で考えて、そ
の格言をつくったとか、あるいはいろいろ考えた結果、その格言に行き着いたというのであれ
ば、それはそれで価値がある。しかしそうではなく、世間の中で、ただ流されるまま、その格言
を代々受け継いでいるというのであれば、それはただ単なる情報でしかない。つまり価値がな
い。そればかりか、ひょっとしたら、古くてまちがった考えを、後世へそのまま伝えてしまうこと
になるかもしれない。
 だからといって、私の考え方が正しいとは限らない。「老いては子に従うべきなのかどうか」に
ついては、まだよくわからないところがある。第一に、私自身、そこまで老いてはいない。本当
の意味で、老人がもつ孤独やさみしさも、わかっていない。今はワイフも近くにいて、健康だか
ら、そのように考えることができるが、それこそひとりになったり、病気になったりしたら、考え
方も変わるかもしれない。それはわかるが、それでもこう思う。「老いたら、なおさら、子どもに
自分の生きザマを示してやろう」と。私にとっては、老いは受け入れるものではなく、戦うもの。
この原稿は、そういう私の決意をこめて書いた。

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子育て随筆byはやし浩司(24)

SH様へ

拝復

お手紙ありがとうございました。

 NU君についてですが、まずもって、私自身は直接、会っていないこともあり、どういう症状な
のか、具体的にわかりません。二、三度お手紙を読みましたが、私がここで判断するには、き
わめて不じゅうぶんです。ですから、どういう問題があって、どう対処したらよいのかということ
については、残念ながらお答えすることはできません。どうかお許しください。

 こういうケースでは、直接NU君をよく知っている、担任の先生から、詳しく話を聞くのが一番
かと思います。そのとき大切なことは、よき聞き役に回るということです。コツは、カリカリしない
で、NU君を、できるだけ客観的な立場で見ることです。小学二年生ということですから、もうそ
ろそろ親離れが始まっているころですから、これはそれほどむずかしいことではないと思いま
す。

で、その先生の話として、
(1)話をよく聞くことができない。
(2)落ち着いていない。
(3)授業中も、上の空である。
(4)カウンセリングを受けると、(成績が)ぐんとのびる可能性がある、ということですね。

そしてあなたの判断としては、
(1)小さいときから、ひとり遊びが多かった。
(2)恥ずかしがり屋だった。
(3)「ごっこ」遊びができた。
(4)家でみるかぎり、情緒も不安定ではない。
(5)どうも自信喪失のようだ。
(6)やさしく、いい子だ。
(7)学校の成績はよくない、ということですね。

そして今回、頭が痛いということから、保健室へ行った。それで先生が、深刻にそれをとらえて
お母さんに話した、ということですね。

ここで注意しなければならないのは、子どもに何か問題があると、親は、その責任を自分に求
め、自分を責めることはよくあります。お母さんも、今、そういう状態かと思います。「もっと勉強
をみてあげていればよかった」とです。しかしこれはムダであるばかりか、かえって問題の本質
を見誤りますから、注意してください。あなたというお母さんは、すばらしい親子関係をつくっ
た。精一杯、がんばってきた。現に今、「姉弟、仲よく、子どもたちのリズムづくりと、規則正しい
生活にこころがけてきた」と書いておられます。まずもって大切なことは、あなた自身が、自信
をもつことです。あなたというお母さんは、すばらしいお母さんです。じゅうぶん、やるべきことを
してきたではありませんか。では、順に問題を考えてみましょう。

こういうケースでは、ドクターの診断と同じように、最悪のケースから、消去法で考えていきま
す。

(1)いろいろな問題が考えられますが、総じてみれば、今はその過渡期です。仮に多動性があ
るとしても、小学三年生を境に、症状は急速に収まっていきます。ここでじたばたしても、たとえ
ばカウンセリングを受けてもムダとは言いませんが、それでよくなるとかいうことはあまり期待
できません。(放っておいても、よくなります。今はそういう時期です。)
(2)授業中、落ち着いていないことについては、まず試してみるべきことがあります。食生活の
改善です。日常的に甘い食品が多いようであれば、それを思い切って断ってください。そしてそ
の一方で、カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがけます。それだけでかなり落
ち着くはずです。戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていました。冷蔵庫か
ら、思い切って甘い食品を消し、捨てます。「もったいない」という思いがあったら、子どもを救う
ためと思い、そうしたます。そういう思いが、つぎからあなたの買い物習慣を変えます。これを
二〜三週間つづけてみてください。効果がはっきりと出てくるはずです。あとで、その原稿を、こ
の手紙に張りつけておきます。
(3)学力の面ですが、どういうテストなのかはわかりませんが、五〇点前後というのは、たしか
にあまりよくないですね。ご心配な気持ちはよくわかります。しかしこれについては、方法として
は、お母さんが、ご家庭で指導なさるのが一番かと思います。また一朝一夕に解決できるとい
う問題でもありませんね。ただ今は、時代も変わり、昔のように「勉強」に対する考え方も変わ
ってきましたので、それほど気にすることもないのではと思っています。それよりも大切なこと
は、親子の関係を深くし、たがいにわかりあい、なぐさめあい、いたわりあい、教えあい、励まし
あう関係をつくることです。そういう関係の大切さの前では、勉強ができる、できないなど、何で
もない問題ですよ。

以上、あまりよい回答になっていないかもしれませんが、どうかお許しください。いつかインター
ネットを始められたら、どうか、「はやし浩司のサイト」へ遊びにおいでください。下にアドレスな
どを張りつけておきます。やってみれば何でもない世界ですから、ぜひインターネットを始めて
みてください。だれも、お母さんのことを「化石」などとは思っていませんよ。楽しみにしていま
す。

敬具

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子育て随筆byはやし浩司(25)

子どものウソ

 ある母親の娘(二四歳)が、会社の上司(二九歳男性)と、一泊出張に行くことになった。二人
だけである。それについて母親が娘に、「だいじょうぶ?」と聞くと、その娘は即座に、「あんな
オジン(おじさん)、関係ないわよ」と笑ってみせたという。この話をワイフから聞いたとき、私
は、「あぶないね」と答えた。

 子どもは、自分の心をごまかすことができない。そういう点では、子どもというのは、心の見本
のようなもの(失礼!)。子どもを見ていると、人間の心がそのままわかるときがある。たとえば
ウソ。子どもというのは、実によくウソをつく。しかもさまざまなウソをつく。病的な虚言癖(空想
的虚言)は別にして、こうしたウソを見ぬき、うまく対処するのも、教育のひとつかもしれない。
そこで最初の話だが、残念だが、この娘は母親にウソを言っている。

 娘は、「あんなオジン、関係ないわよ」と言った。母親を安心させようとして、娘はそう言った
が、この「安心させるような言い方」が、問題。娘は何らかのうしろめたさを感じているから、そ
う言った。つまりその娘は、「何がどうあぶないか」を、すでに知っている。そうした疑いを、根底
から切りくずすために、「あんなオジン」と。本当に何ともないなら、たとえば母親に、「何が?」
とか、「どうして?」と言うはずである。子どもでも、この種のウソをつく子どもは少なくない。

 先日も、私のもっていた三色ペンがなくなった。そこで一番あやしいと思った子ども(小二男
子)に、「あのペンを知らないか?」と聞くと、その子どもはこう言った。「ああ、あのペンね。あ
んなインクの切れたようなペン、だれももっていかないよ」と。そこで私が、「どうしてインクが切
れていることを知っているの?」と聞くと、「だって、先生がこの前、黒色はつかないって、言って
いたじゃん」と。たしかにそう言ったことはあるが、そこまではっきりと覚えているとは! それ
はともかくも、この子どもも、「あんなペン」というような言い方をして、まず私の疑いを、根底か
らくずそうとしているのがわかる。そしてその上で、「知らない」と。もし本当にペンのことを知ら
ないなら、「どのペン?」とか、「何の話?」とか言うはずである。

 私がワイフに、「その娘さんは、あぶないね」と言うと、ワイフは、「あぶないって……?」と。と
くに私のワイフは、人を疑うことを知らない女性である。純朴過ぎるほど、純朴。世の中にはい
ろいろな女性がいるが、私のワイフほど、カタブツな女性はいない。だから何がどうあぶないの
か、理解できないらしい。つまりこのことからも、私のワイフには、そういう状況そのものが、脳
にインプットされていないのがわかる。恐らく私が、「仕事で明日の夜は、若い女性とホテルに
泊まる」と言っても、「あら、そう」で終わってしまうに違いない。
 が、私にはわかる。世の男性たちが、どう考えるか、それがわかる。私にそういう経験がある
とかないとか、そういうことではない。これは男の生理のようなもの。数歳年下の独身の女性
と、どこかのホテルで一泊するとなれば、二九歳前後の若い男が、何をどう考えるかは、男の
常識。この年齢の男性に、そうした本能的な誘惑をはねのける力を期待するほうが、無理。

 ……と、書いても、今どき、「あぶないね」という言い方をするほうがおかしいのかも。女子高
校生の六〇%が、卒業までに初体験をすます時代である。二四歳の女性が、どこで何をしよう
が、それはその女性の勝手。いちいち心配しなければならない問題でもない。そういうことをそ
の母親も知っているらしい。ワイフに、つづけて、こう言ったという。
 「あんなブスな娘。だれかに相手にしてもらえるだけでも、ありがたく思わなければ」と。
 親たちの意識も、今、そこまで変わってきている。
(02−8−3)

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子育て随筆byはやし浩司(26)

人生のゴール

 ゆっくりと窓のほうを見る。薄く、青白い朝の光。網戸の向こうに、ぼんやりと緑の木が見え
る。しばらくじっとそうしていると、静けさをついて、遠慮がちに一匹のヒグラシがなき始めた。カ
ナカナカナ……、と。するとあちこちから、別のヒグラシたちがそれに声を合わせた。カナカナカ
ナ……、と。
 ヒグラシの声は、それぞれ、みな、違う。高い声、低い声、強い声、やさしい声など。そういう
無数のヒグラシが、ちょうど海岸に打ち寄せる潮騒のように、ザブーン、ザブーンと、おおらか
なテンポでなく。しかしそれは、いわば伴奏。近くにいるヒグラシが、それに合わせて、これまた
ひときわ大きな声で、カナカナカナ……と、なく。ゆっくりとクレシェンド、デクレシェンドを繰り返
す。もし世界で一番美しい音楽は、と聞かれれば、私は迷わず、このヒグラシの合唱をあげ
る。いや、私はそれ以上に美しい音楽を知らない。
 横をふと見ると、ワイフもいつの間にか目をさまし、ヒグラシの合唱に耳を傾けていた。「だろ
……?」と声をかけると、「ウン」とうなずいた。ワイフは私と違って、一度眠ると、めったに途中
で目をさまさない。昨夜も寝る前に、私が「ヒグラシがないたら、起こしてあげるから」と言うと、
「お願い」と言っていた。
 ときどき私は、人は何のために生きるかということを考える。人生のゴールは何か、とも。忙
しい毎日、その忙しさの中で、ふと自分が押しつぶされそうになるときだ。が、そういうとき私
は、ためらわず、やすらいだ生活、あるいはやすらいだ心を考える。それはスゴロクでいえば、
「あがりの世界」だ。その先はもうない。あるいはそれ以上の世界が、どこにあるというのか。
私はヒグラシの声に耳を傾けながら、「今がそのゴールだ」と、何度も自分に言って聞かせた。
 こうした世界から見ると、名誉や地位、肩書きの意味そのものが、消えてしまう。名声を得る
ことの意味さえ消えてしまう。巨億の富をためることの意味も消えてしまう。いや、私とてお金は
嫌いではないない。お金がなければ不幸になる。が、やすらいだ生活は、お金では買えない。
ともすれば私たちは、日々の雑音の中で、何が大切で、何が大切でないかを見失ってしまう。
そして邪悪なものに身を染めながら、それが邪悪であることすら、わからなくなってしまう。心が
汚れるといってもよい。ヒグラシの声を聞いていると、その無心さゆえに、その心が洗われてい
くのがわかる。
 ……やがて遠くでウグイスがないた。ホトトギスもないた。かすかだが、セミもなき始めた。時
計を見ると、午前五時、少し前。が、それにあわせて、ヒグラシの合唱は終わりに近づいた。一
匹、また一匹となくのをやめた。一番近くでないていたヒグラシも、プツリと声を止めた。しばらく
してワイフを見ると、ワイフは満足そうな顔をして、寝返りをうった。私も寝返りをうった。そして
また、目を閉じた。
(02−8−4)※

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子育て随筆byはやし浩司(27)

心の病気 

臨終状態になると、脳のある特殊な部分(前脳と後脳の境目あたりにある、谷間になった部
分)が活動し始めるという。そしてそれが活動し始めると、その人はきわめて甘美な感覚に包
まれ、(人によって具体的に何を見るかは違うらしいが)、色とりどりの美しい世界を夢見るとい
う。(反対に、健康な人でも、脳のその部分に電気的な刺激を加えると、同じような現象が起こ
るという。)よく知られた現象に、臨死体験という現象がある。死線をさまよったような人が、そ
の死線から生還したりすると、よく不思議な世界を見たという。「きれいな川を渡ろうとしたが、
うしろから私を呼ぶ声がしたので、もどってきた」とか、「川の向こうに、花畑があって、無数の
美しい花が咲いていた」とか、など。あの臨死体験は、こうした脳の特殊な活動によるものと考
えられる。つまり臨終状態になると、その人を死の恐怖や苦痛から救うため、脳自らが、最後
の最終プログラムを実行し始めるというわけである。

 同じように、人間の脳には、自滅プログラムなるものも組み込まれているようだ。極度の不安
や心配、異常な体験がつづいたりすると、このプログラムが動き出し、その人を死においやる
こともあるという。よく知られた話に、戦場の兵士の話がある。最前線で戦っていると、兵士た
ちはやがて、死ぬのがこわくなくなってしまうという。自暴自棄というような生やさしいものではな
いそうだ。死ぬことそのものが、何でもなくなってしまうという。あるいは仲間たちの無残な姿を
みても、何も感じなくなってしまうという。
 もちろん正常な状態では、人は、死に対して恐怖心をいだき、死の危険があるときは、自らを
それから守ろうとする。が、この自滅プログラムが動き出すと、こうした正常な判断力が抑制さ
れ、かわって「死への甘美な誘い」が始まる。そして一度こういう状態になると、そのプログラム
を止めるのは容易ではない。最悪なばあいは、自殺へと進む。あるいはその前の段階でも、ま
わりの人たちがあれこれ説得してもムダ。わかりやすく言えば、脳のCPU(中央演算装置)が
おかしくなっているから、それを理解することもできない。

 臨死体験はともかくも、問題はこの自滅プログラム、だ。この自滅プログラムは、ふとしたき
っかけで、だれでも動き始める。年間三万人以上という、自殺者の数字をあげるまでもない。こ
の文章を読んでいるあなただって、あぶない。あるいはすでにその自滅プログラムが働いてい
るかもしれない。いや、この私だって、何かのことで落ちこんだり、孤独になったりすると、「死
んだほうが楽」とか、「生きていても意味がない」と思うようになる。しかしそれは明らかに病
気!
 この脳ミソだって、病気になることがある。ただ脳ミソの病気は、外からはわからないというこ
と。とくにこの脳ミソの病気をもっている人ほど、外の世界ではそれをごまかそうと、反対の態
度をとる人が多い。うつ病で悶々と悩んでいても、人前では、かえって明るく快活にふるまうな
ど。
 もうひとつの問題は、脳のCPUそのものがおかしくなるため、、自分では気づかないばかり
か、自分では正常だと思い込んでしまう。たとえばまわりの人が、「あなた、少しおかしいから、
精神科でみてもらったら」などというと、かえってそう言った人を、「おかしい」と思ってしまう。

 本当のところ、私もときどきそういう状態になる。同じ中高年の人の自殺の話を聞いたりする
と、とても人ごととは思えない。そういうとき、実際、どちらが本当の私か、わからなくなる。「生
きていてもムダ」と思う私が本当なのか、それとも、「死にたくない」と思う私が本当なのか、と。
 しかしやはり病気なのだ。明らかに病気なのだ。正常か、正常でないかということになれば、
決して正常ではない。病気だ。そんなわけで、もしあなたが「死にたい」とか、「死んだら楽にな
る」と考えたとしたら、それは病気なのだ。そういう前提で、あなた自身を客観的にみたらよい。

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母親が育児ノイローゼになるとき

●頭の中で数字が乱舞した    
 それはささいな事故で始まった。まず、バスを乗り過ごしてしまった。保育園へ上の子ども(四
歳児)を連れていくとちゅうのできごとだった。次に風呂にお湯を入れていたときのことだった。
気がついてみると、バスタブから湯がザーザーとあふれていた。しかも熱湯。すんでのところ
で、下の子ども(二歳児)が、大やけどを負うところだった。次に店にやってきた客へのつり銭
をまちがえた。何度レジをたたいても、指がうまく動かなかった。あせればあせるほど、頭の中
で数字が勝手に乱舞し、わけがわからなくなってしまった。

●「どうしたらいいでしょうか」
 Aさん(母親、三六歳)は、育児ノイローゼになっていた。もし病院で診察を受けたら、うつ病と
診断されたかもしれない。しかしAさんは病院へは行かなかった。子どもを保育園へ預けたあ
と、昼間は一番奥の部屋で、カーテンをしめたまま、引きこもるようになった。食事の用意は何
とかしたが、そういう状態では、満足な料理はできなかった。そういうAさんを、夫は「だらしな
い」とか、「お前は、なまけ病だ」とか言って責めた。昔からの米屋だったが、店の経営はAさん
に任せ、夫は、宅配便会社で夜勤の仕事をしていた。

 そのAさん。私に会うと、いきなり快活な声で話しかけてきた。「先生、先日は通りで会ったの
に、あいさつもしなくてごめんなさい」と。私には思い当たることがなかったので、「ハア……、別
に気にしませんでした」と言ったが、今度は態度を一変させて、さめざめと泣き始めた。そして
こう言った。「先生、私、疲れました。子育てを続ける自信がありません。どうしたらいいでしょう
か」と。冒頭に書いた話は、そのときAさんが話してくれたことである。

●育児ノイローゼ
 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。
@生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
A思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)、
B精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日
常活動への興味の喪失)、
C睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんのように、
D風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
Eムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
Fささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
G同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなくな
る(感情障害)、
H他人との接触を嫌う(回避性障害)、
I過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
Jまた必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうした兆候が見られ
たら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。子どもが
間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●夫の理解と協力が不可欠
 ただこうした症状が母親に表れても、母親本人がそれに気づくということは、ほとんどない。
脳の中枢部分が変調をきたすため、本人はそういう状態になりながらも、「私はふつう」と思い
込む。あるいは症状を指摘したりすると、かえってそのことを苦にして、症状が重くなってしまっ
たり、さらにひどくなると、冷静な会話そのものができなくなってしまうこともある。Aさんのケー
スでも、私は慰め役に回るだけで、それ以上、何も話すことができなかった。

 そこで重要なのが、まわりにいる人、なかんずく夫の理解と協力ということになる。Aさんも、
子育てはすべてAさんに任され、夫は育児にはまったくと言ってよいほど、無関心であった。そ
れではいけない。子育ては重労働だ。私は、Aさんの夫に手紙を書くことにした。この原稿は、
そのときの手紙をまとめたものである。

***************************************

子育て随筆byはやし浩司(28)

笑え、子どもたち
大声で笑え、
笑え、子どもたちよ、
腹から、笑え。
笑って、笑って、
笑いまくれ。
笑えば心が開く
笑えば心が通う
だから、子どもたちよ、
思いっきり、笑え。
笑って、笑って、
自分を伸ばせ。

++++++++++++++++++++++++++++++

子育て随筆byはやし浩司(29)

犬の遠吠え!

●どこかおかしいぞ、この日本!
H市の市役所に勤める知人のK氏(五〇歳課長)はこう言った。「こういう時代になってみると、
公務員になって、つくずくよかったと思います。デフレで物価も安くなり、生活も楽になりました」
「公務員に公僕意識? そんなもの、絶対にありませんよ。公僕意識など、絶対にない。私が
保証します」「公務員の数は、今の二分の一で十分。三分の一でもいいかな」と。……これが公
務員の人たちの偽らざる本音ではないのか。

●どんとやってくる老後
 子育てが終わると、どんとやってくるのが、老後。子育てで夢中の間は、それに気づかない。
「子どもたちよ、早くおとなになれ」「早く子育てから解放されたい」と思いながら、別の心で、そ
れなりに自分が年をとっていくのを納得していた。が、かくも、早く流れていくものとは……!

●一億円もかかる?
 気がついてみると、このところ体力も気力も、がくんと落ちた。集中力もつづかない。当然の
ことながら、その分、収入も減った。ときどき「このままだと、自分はどうなるのか」と考える。多
分、みじめな老後になることだろう。退職金も天下り先も、年金もない。国民年金というのに
は、二四歳のときから加入しているが、あんなものはアテにならない。それがよいとは思わない
が、この日本では、公務員になったほうが、絶対、得! 何といっても、官僚主義国家。完全終
身雇用に完全年功序列。近所のU氏など、旧国鉄を満五五歳で退職してから、以来、月額三
二万円と少しの年金を受け取っている。それがもう二六年になる。総額で、ちょうど一億
円!! 私が彼と同じような生活をしようと思えば、今、この段階で、一億円の貯金がなければ
ならない。しかしそんな貯金、どこにある! 「ああ、私もどこかの公務員になっておけばよかっ
た……」と、思うのは、敗北を認めるようなもの。だから、そう思いたくないが、この不公平感
が、受験戦争の元凶になっていることを忘れてはならない。

●結局は、私が悪い
 先週も、ワイフとこう話し合った。「こうなったら、健康しかない。幸い、ぼくたちは健康だから、
死ぬまで健康でいよう」と。健康なら、何とか働くことができる。その分、多少なりとも、収入が
見込める。「だから健康でいよう」と。
 しかしもしその健康も、あやしくなったら……? 考えるだけでも、ぞっとする。さらに仕事がな
くなったら……? ますますぞっとする。どこかの老人ホームへ入ろうと考えていたが、それす
らむずかしくなる。考えてみれば、こういう社会をつくってしまった、私が悪いのだ。公務員だけ
が、どうしてこうまで手厚く保護されるのだろう。また手厚く保護しなければならないのだろう。
公務員といっても、国家公務員や地方公務員だけではない。

●それぞれの人に責任があるわけではないが……
 よく政府は、「日本の公務員の数は、欧米と比べても、それほど多くない」と言う。が、これは
ウソ。国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこのほか、公
団、公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。これらの職員の数
だけでも、「日本人のうち七〜八人に一人が、官族」(徳岡孝夫氏)だそうだ。が、これですべて
ではない。この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組
合、施設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関、さらに関連団体の隠れファミリー企業
がある。この組織は全国の津々浦々、市町村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省
だけでも、こうした外郭団体が、一八〇〇団体近くもある。
 こうした組織や団体の人は、この不況下にあっても、不況など、どこ吹く風。わが世の春を謳
歌している。が、そのためたまりにたまった、国の借金が、もうすぐ一〇〇〇兆円! 一〇〇
〇兆円だ! 日本人一人あたり、約六八〇〇万円! これは年収五〇〇万円(国の税収が五
〇兆円)の人が、毎月二五万円(赤字国債三〇兆円)ずつの借金をしながら、なおかつほか
に、一億円の借金をかかえていることに等しい。年収五〇〇万円の人に、一億円の借金など、
返せるわけがない。一人ひとりの公務員の方に責任があるわけではないが、どうかどうか、心
のどこかで、うしろめたさを少しは感じてほしい。この日本、あまりにも不公平! 不公平すぎ
る!

●破産するのは確実
 ……と、ぼやいても、どうしようもない。どのみち、この日本は破産する。ここ数か月以内とい
う学者もいるが、数年以内という学者もいる。しかし遅れれば遅れるほど、借金は雪だるま式
にふえ、その被害は拡大する。今日は無事でも、明日、どうなるかわからない。本当は、あの
バブルがはじけた直後に、清算しておくべきだった。あのころならまだ日本には体力があった。
しかし今、その体力すら使い切ってしまった。愚かな、愚かな政治の結末。そういう政治家を選
んできた、愚かな、愚かな国民の結末。先日も、テレビで暴走族の若者が、こう叫んでいた。
「お前ら、おとなに偉そうなことを言う資格はあるのかよォ!」と。一人のおとなが、彼らを口汚く
ののしったときのことだ。そう、私たちおとなに、偉そうなことを言う資格はない。
 ああ、私の老後は、お先、まっ暗。このところワイフは真剣なまなざしで、「どこかの国へ、移
住しようか」と言っている。まだ夢のような話だが、それも選択肢のひとつとして、考えたほうが
よいかもしれない。考えてみれば、私は、この日本から優遇されたことは、ただの一度もない。
あるといえば、ワイフが出産したとき、市から祝い金を、そのつど一〇万円と少しもらっただけ
(※注)。それだけ。このままどこかの国に移住しても、未練はない。仮に国が破産するときに
なっても、最後の最後まで生き残るのが公務員。そしてそのあと再生するにしても、まっ先に息
を吹き返すのも、これまた公務員。構造改革(官僚政治の是正の別語)などいう言葉がある
が、与党はおろか、野党の党首もみな、元中央官僚。そういう世界で、どうして構造改革などで
きるというのか。

●悲しき地方根性
 さらに悲しいかな、この浜松という地方都市ですら、何でもかんでも、「中央(東京)からきた」
というだけでありがたがる。国会議員も市長も、みな、元中央官僚。日本が民主主義国家だと
思っているのは、日本人だけ。学生のころ、オーストラリアで使っているテキストでは、「日本は
官僚主義国家」となっていた。「君主(ローヤル)官僚主義国家」となっているのもあった。当時
の私はこれに猛反発したが、それから三二年。日本は官僚主義国家だった。今もそうだ。役人
たち(官僚、公務員すべて)が、役人による、役人のための、役人の政治をしている。民主主義
など、隠れ蓑(みの)に過ぎない。ひとつの例を出そう。

●審議会という曲者
 役人が政治を動かしたいと考えるときは、まず諮問委員会をつくる。委員は各界の有識者と
いうことになるが、こういう委員会では、いつも人選が問題になる。どうしてその人が選ばれた
か、その基準が明確ではない。そんなわけで、たいていは、役人につごうのよいイエスマンだ
けが選ばれる。
 そういう委員会をつくり、会合を開く。しかしこの段階で、大筋の議案、討論内容は、役人が
つくる。あとは会合を数回開く。各委員の数が多ければ多いほど、それぞれの委員の発言時
間は少なくなる。しかしそれこそ役人の思うツボ。たいていは一回の会合で、一人一〇分間程
度の発言時間しかない。議論などできるわけがない。そしてそういう会合を数回開いて、委員
長に結論を出させる。これを答申というが、あとはそのお墨付きを手にして、役人たちはまさに
したい放題。国家的事業の計画や国家的方針の変更はもちろんのこと、あなたの町の小さな
事業も、すべてこの方式が基本で決定されている。たとえば今回の学校五日制にしても、学習
要領の削減にしても、こうした流れで決まり、文部省の課長程度が発する一枚の紙切れ通達
で日本中が動いてしまった。

●私の遠吠え
 悲観的なことばかり書いた。暗い話ばかり書いた。どうも自分の老後を考えると、こういう話
になってしまう。明るい話など、どこをつついても、出てこない。かくなる上は、やはり自分のこと
は自分で守るしかない。どうせ私がこうして騒いでも、まさに犬の遠吠え。この日本という社会
は微動だにしない。何といっても、歴史が長い。日本は奈良時代の昔から、君主官僚政治の
国。だから今日も吠える。私は吠える。このところやや元気がなくなった声をふりしぼって、吠
える。
 ワオー、ワオー、ワオー!
 もう一度、怒りをこめて、ワオー、ワオー、ワオー!
(02−8−5、はやし浩司)

※注……もろもろの行政サービスや、施設の使用など、日本人として恩恵を受けてきたことは
事実。そういう事実をふまえて、よく「お前は、それなりに国の世話になっているではないか」と
言う人がいる。しかし日本あっての、日本人なのか。それとも日本人あっての、日本なのか。前
者はまさに全体主義を代表する考え方、後者はまさに民主主義を代表する考え方ということに
なる。官僚社会には、まだこの全体主義的な発想が、色濃く残っている。
※注……たとえば日本道路公団だけでも、OBが、七〇九社(平均三人強)に天下りしている。
これは約二五〇〇人の九〇%以上。しかし実際には、そのほか隠れファミリー企業への天下
りも多く、ほぼ一〇〇%が関連企業へ天下りしているとみてよい。これに対して、民営化推進
委員会は再三、道路公団に関連会社の経営内容を示すデータの提出をもとめているが、「公
団側は完全には応じていない」(読売新聞〇二年八月)とのこと。

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子育て随筆byはやし浩司(30)

童心に返る

 子どもと接することは、それ自体とても大切なこと。その理由の第一は、子どもと接すること
によって、心が洗われる。子どもの世界では、いわゆる「ゆがんだ考え」「ゆがんだ心」「ゆがん
だ見方」が通用しない。ほんの少しでも、不正なことや、まちがったことをすれば、それだけで
も、子どもたちの猛反発に出あう。それによく仕事のストレスが問題になるが、私のばあい、職
場そのものが、ストレス発散の場所になっている。かなり気分がふさいでいるときでも、子ども
たちが、「やあ、先生!」と声をかけてくれたとたん、そのモヤモヤが吹き飛んでしまう。
 子ども的であることを恥じてはいけない。むしろ人は、おとなになるにつれて、純朴な心を忘
れ、自分を見失う。知識や経験が、その人をかえって俗悪にすることもある。が、おとなだけの
世界に住んでいると、それがわからない。わからないまま、愚かなことを繰り返し、結局は人生
そのものをムダにする。私の好きな詩にこんなのがある。イギリスの詩人ワーズワース(一七
七〇〜一八五〇)が、書いたものだ。

  空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

 親たちよ、子どもと外に出よう! そしてもっと子どもと人生を楽しもう! 
 子どもを伸ばす最大の秘訣は、あなたが子どものときにしたかったことを、今、子どもと一緒
にすること。あなたにも、子ども時代があった。あなたにも、いろいろしたいことがあった。それ
を今、子どもとすればよい。
 子どもを伸ばす最大の秘訣は、あなたが子どものときにしたくなかったことを、今、子どもに
強制しないこと。あなたにも、子ども時代があった。あなたにも、いろいろしたくないことがあっ
た。それを、今、子どもに求めないこと。
 むずかしいことではない。たったそれだけのことが、あなたの子どもを伸ばし、親子の絆(き
ずな)を太くし、あなたの人生を明るく豊かにする。
(02−8−6)

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子育て随筆byはやし浩司(31)

子どもの勉強

 子どもに勉強させる方法に、二つ、ある。実際には三つあるが、まず、二つ。

【子どもを追い詰めてさせる方法】……よい例が、受験勉強。不安をうまく利用したり、あるい
は不合格の恐怖を一方で与えたりしながら、子どもに勉強させる。受験塾や進学塾がこの方
法を使う。少し前だが、東京のN塾の進学案内ビデオを見た。三〇分ほどのビデオだったが、
最後の一〇分間は、不合格で泣き崩れる親子の姿が、延々と写しだされていた。会場には四
〇人ほどの親たちがいたが、ビデオが終わったときには、あたりは異様な雰囲気に包まれて
いた。

【子どもを楽しませて勉強させる方法】……一見、むずかしそうだが、コツさえ覚えれば簡単。
あなたが子どもの心になって、自分のしたいことをすればよい。したくなかったことは、しなけれ
ばよい。自分も楽しむつもりで、子どもとつきあう。とくに子どもが低学年児のうちは、「教えよ
う」という気持ちは抑えて、「楽しむ」ことを考える。一時間何かをしても、一〇分間、勉強らしき
ものをすればよいとする。ワークブックなど、半分がお絵描きになってもよい。そういうおおらか
さが子どもを伸ばす。「できる、できない」よりも、「楽しんだかどうか」、あるいは「やり終えた」と
いう達成感を大切にする。

 もう一つは、子どもにその自覚をもたせて勉強させる方法。たとえば昔、「父が病気で苦しん
で死んだので、ぼくは医者になって、そういう病気と戦いたい」と言った子どもがいた。そういっ
た自覚を子どもがもつようにしむける。理想的といえば理想的。が、今の教育システムの中で
は、「?」。「勉強というのは、与えられてするもの」という意識が、子どもばかりではなく、親にも
あって、それをやりこなすだけで、精一杯。勉強しかしない、勉強しかできないような子どもほ
ど、つまり、あまり問題意識をもたない子どもほど、スイスイと受験戦争を勝ち抜いていく。

 どの方法であるにせよ、あるいは混在した方法も考えられるが、しかし今、その「勉強」が、
大きな曲がり角にきている。子どもたち自身が、勉強に疑問をもってしまっている。浜松市内に
あるH中学校の校長が、こっそりとこう教えてくれた。「勉強でがんばるより、部活でがんばっ
て、推薦で高校へ入るほうがいいと言う子どもがふえています。うちの中学でも、約六〇%の
子どもがそうでないかとみています」と。この数字は、全国どこでもだいたい同じとみてよい。私
の実感でも、(というのも、はっきりとした統計をとることができないので……)、本気で進学を
考えて勉強している中学生は、一五〜二〇%もいない。残りの子どもたちは、勉強そのものか
ら逃げてしまっている。あるいは勉強はくだらないとか、つまらないとか考えている。

 なぜこうなってしまったのかということは別に考えることにして、こうした現状も一方で理解す
る必要がある。昔流に、「勉強して、いい高校、いい大学。さらにはいい会社」という論理が通じ
なくなってきている。全国の進学塾にしても、一九九五〜九七年前後を境にして、塾数、講師
数ともに、頭打ちから、減少に転じている。県によっては、毎年七〜一〇%前後の減少を記録
しているところもある(講師数・通産省調べ※)。少子化と不況だけでは説明がつかない数字で
ある。

 さてあなたは自分の子どもに勉強をさせるのに、どんな方法を使っているだろうか。

※通産省の調べによると、
  1986−91年  塾数の増加率……33・4% 講師数……62・4%
  1991−96年  塾数の増加率…… 8・1% 講師数…… 5・0%

 1991−96年にかけて、講師数が、東京(−3・8%)、長野(−6・6%)、静岡(−5・2%)、
京都(−11・9%)など、減少に転じている地域も多い。
      
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子育て随筆byはやし浩司(32)

不思議な話

●考えてみれば、おかしな話だ
 さきほどワイフがテニスクラブへでかけていった。私もときどきビジターで行くことがある。が、
今日は、やめた。で、考えてみれば、これはおかしなことだ。いや、何がおかしいかといって、
ワイフが車で行くこと。
 公民館まで歩いて、一五分もない。自転車では行けば、五分。運動ということなら、歩くか、自
転車に乗っていったほうが、はるかによい。それにもうひとつ。汗をかくということなら、何も公
民館でテニスなどしなくても、近所の草刈りか、ゴミ拾いでもすればよい。が、そういうことはし
ない……?

●私のばあい
 ワイフを責める前に、私のことを書く。私の近所には、まだ数百坪単位で空き地が残ってい
る。地主が東京に住んでいるため、おかげで荒れ放題。と、同時に、かっこうのゴミ捨て場。空
き缶、弁当クズは言うにおよばず、家庭で出るゴミ、さらには引っ越しででる粗大ゴミまで捨て
てある。物干し台のコンクリート、ベッド、壊れたソファなどなど。一か月も放っておくと、それこ
そゴミの山!
 で、そういうゴミ掃除をするのは、この近所では私だけ。本当に私だけ。周辺の人たちの名誉
にもかかわることだから、正確に書く。私の近所は、もともと旧国鉄マンや公務員のOBが、た
いへん多い。みんな優雅な年金生活を送っている。しかし、だ。この二五年間、そういう人たち
が、ゴミを拾っている姿を見たことがない。ゴミが減ったのを、見たこともない(一人、大雨の日
になると、雨ガッパを着て、自分の家の前のドブ掃除をする人がいたには、いたが……。)

●どうしてそういう心理になるのか
 そこで考えてみる。
 公民館で汗を流すくらいなら、ゴミ掃除で汗を流したほうが、よっぽどよい。が、ワイフに限ら
ず、ほとんどの人は、そういうことはしない。先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込
んできた。何でも都会のサラリーマンたちは、仕事の合間に、フィットネスクラブで汗を流してい
るそうだ。もしそう気持ちがあるなら、会社の廊下や階段の掃除をすればよい。これについても
一言。私の教室のあるビル(浜松市内)は、雑居ビルだが、階段掃除をしているのは私だけ。
このところトイレ掃除をしているのも、私だけ。
 どうしてか? どうして、そういう心理になるのか? またなれるのか?
 そこで私は子どもたちを観察してみた。いつから子どもたちは、そういう心理になるのか、と。
 子どもたちに仕事を言いつけたとき、小学三、四年生を境にして、急にしなくなる。それまで
は、「ハーイ」と言ってやってくれた子どもでも、「どうして私が?」とか、「どうしてボクがしなけれ
ばいかんのか?」と言い出す。人のために働くということが、損という感覚が、このころ急速に
生まれるようだ。

●ドラ息子症状
 一般論としては、自分の利益になることしかしないという自己中心性は、ドラ息子、ドラ娘の
一症状とみる。一応念のために、ドラ息子、ドラ娘の症候群をここにあげておく。

@ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜ば
せるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思いど
おりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が皆
の中心にいないと、気がすまない。
Aものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を定
めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。ほ
しいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を楽
しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。
Bものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分勝
手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。
Cバランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動する
ことができない、など。

 しかし私のワイフは、ドラ娘ではない。ドラ娘でもなかったようだ。となると、こうした心理は、
いったい、どこからくるのか。私もときどき、ビジターで顔を出すが、試合の合間に、公民館の
掃除をする人もいない。テニスをする女性たちは、テニスだけをして帰る。あとはただひたす
ら、おしゃべり、またおしゃべり……。
 症状としては、ドラ息子、ドラ娘的ではあるが、しかしどうして小学三、四年生を境に、子ども
たちはそうなるのか。

●思考回路
 人間のみならず、どんな動物にも思考回路がある。それが悪いというのではない。この思考
回路があるから、それぞれの動物は、スムーズに行動できる。たとえば私は何か問題が起き
ると、文章でそれを解決しようとする。そういう思考回路ができているからだ。これに対して、暴
力団の構成員は、何か問題が起きると、暴力(多分?)で解決しようとする。そういう思考回路
ができているからだ。
 そこでワイフの行動を、もう一度、観察してみる。ワイフは、「運動というのは、そういう形です
るものだ」と思い込んでいるようだ。テニスウェアを着て、そういう場所で、みなと汗を流すのが
運動、と。つまりワイフにしてみれば、近所の草を刈るのは、運動ではない。だから「運動」とい
う言葉を聞くと、そこですぐ、「テニス」に結びつけてしまう。で、そういうワイフにしてみれば、
「草刈り」は、ボランティア活動ではあっても、運動ではない。つまりそれがワイフの思考回路と
いうことになる。
 また「外出」ということになると、ワイフはいつも車で外出する。だから「歩く」とか。「自転車に
乗る」ということは考えない。そういうふうに思考回路ができている。
 そこで問題は、いかにすれば、その思考回路を変えられるか、というこになる。

●心の実験
 思考回路を変えるには、「心の実験」をしてみる。私がよく使う手である。
 これはあえて、今までとは違った方法で、違ったことにチャレンジしてみるという方法である。
思考回路の中に、あえて意外性を注入し、その思考回路をズタズタに破壊してみる。私のこと
を話す前に、こんなこともある。
 子どもの頭をよくしようと考えたら、まずやわらかくすることを考える。幼児期にはとくに大切
なことと言ってもよい。たとえば早熟的に知恵の発達が進み、後半になると伸び悩む幼児がい
る。反対に、やることなすこと、どこかメチャメチャだが、後半になるとぐんぐんと伸び始める幼
児がいる。どこが違うかといえば、「頭のやわらかさ」。頭のかたい子どもは伸び悩む。頭のや
わらかい子どもは、あとあと伸びる。
 子どもの頭をやわらかくするためには、意外性を大切にする。子どもの側から見て、「アレ
ッ!」と思うようなことを用意する。たとえば料理の盛りつけにしても、皿の上に、料理で顔の絵
をかいたり、あるいはおもちゃのトラックの上に並べてみる、など。子どもにしても、頭のやわら
かい子どもは、発想が豊かでおもしろい。多芸多才。友だちも多く、遊びや趣味も多い。ひとり
で遊ばせておいても、つぎつぎと新しい遊びを自分で考えだしたりする。そうでない子どもは、
「退屈ウ〜」とか、「おうちへ帰るウ〜」とか言って、親を困らせる。決まった友だちと、決まった
遊びしかしない。

●固定化する思考回路
 思考回路が固定化することは、それだけ頭がかたくなるということ。その思考回路に沿ったこ
とはできるが、その思考回路からはずれたことはできない。しかもその思考回路は、年齢とと
もに、より固定化する。そのことは、あなたのまわりの老人たちを観察すればわかる。
 たとえばK氏(六八歳男性)がいる。大手の繊維会社を退職してから、もう六年になるが、い
まだに現役時代の肩書(部長職)きを引きずって生きている。何度か再就職先をさがしたことも
あるが、どれも失敗した。そのK氏。退職する前から法事の類(たぐい)は、欠かしたことがな
かったが、退職後はそれにさらに拍車がかかった。父母の法事のみならず、祖父母の法事、
さらに盆の行事などなど。もっとも、それが彼の世界だけの話にとどまれば、それでもよいが、
K氏は、彼の兄弟姉妹にも、同じことをするよう求めた。K氏には、二人の弟と、一人の妹がい
た。その中の一人の弟が、私にこう言った。「兄は、昔から頭がかたいのはわかっていました
が、年齢とともに、ますますがんこになりました。私たちの言うことを聞きません。法事にして
も、祖母のまでするとがんばっています。そこまではしなくてもいいのではなどと言おうものな
ら、顔をまっ赤にして怒ります」と。
 こうした固定化は実は、私も経験している。
 私は二〇代のころは、毎月(月によっては、毎週)のように、外国を飛び歩いていた。そういう
とき私は、どこの国へ行っても、その国の料理を抵抗なく食べることができた。日本料理店へ
も、ほとんど行くことはなかった。が、ある年の、ある月を境に、突然、それができなくなった。
私が二七歳のときのことで、アルゼンチンのブエノスアイレスに行ったときのことだ。その国の
料理がまずいと感じたとたん、それ以後、どういうわけだか、外国の料理が口に合わなくなって
しまった。
 これも思考回路が固定化したことによると考えてよいのではないか。

●心の実験
 長い前置きになってしまったが、私のばあい、「心の実験」をするときは、自分がしたいと思う
のと反対のことを、わざとしてみる。最近でも、つぎのようなことをしてみた。
(1)いつもの通勤路を、時間をかけて歩いてみた。
(2)一四年前に断筆した東洋医学の講演を引き受けてみた。
 ほかにいつも、生活には変化を取り入れるようにしている。たとえばこの二〇年だけでも、同
じ形式の年賀状を出さないようにしている。ある年は、すべて手書きの絵を添えた。ある年は、
クイズにしたり、また別の年は、パソコンに挑戦してみたり、など。講演にしても、できるだけ毎
回、違った角度から違った話をするように心がけている。今のところほぼ二日おきに電子マガ
ジンを発行しているが、それも、できるだけ違った角度からの記事を載せるようにしている。ま
た山荘へ客を迎えることも多いが、一度だった同じ料理を出したことがない。さらにこれだけは
自信をもって言えるが、私は幼児クラスでは、一度だって同じ授業をしたことがない。毎回、ま
ったく別の角度から、まったく別の授業をしている。
 そういう形で、自分の脳に刺激を与え、思考回路が固定化しないように注意している。それは
一見たいへんなことのように見えるかもしれないが、私のばあいは、楽しい。むしろ「明日が今
日と同じ」という生活は、私には耐えられない。

●おかしさの満ちあふれる生活
 こうした自由な発想(本当に「自由」と言ってよいかは議論のあるところだが……)があるの
で、私はワイフとは違った考え方をする。
 たとえば「どうせ運動するなら、テニスなどしないで、草刈りをする」「どうせ運動するなら、私
なら歩いていく」「どうせ運動するなら、休み時間は、公民館の掃除でもする」っと。もっともワイ
フのばあいは、友人たちとのつきあいを楽しむという目的もあるから、一概には判断できない
が、少し発想を変えれば、いくらでも別の考え方ができる。そしてその別の考え方ができなくな
ったとき、人間の行動は、どこかおかしくなる。あるいはおかしなことをしながら、そのおかしさ
に気づかなくなる。年齢的には、その分かれ道は、小学三、四年生のころということになるの
か。
 そうそう、何がおかしいかといって、食べるものは食べるだけ食べておきながら、一方で高価
なダイエット食品を買って、体重を減らそうとすることぐらい、おかしなことはない。あるいは全
自動の洗濯機、全自動の皿洗い機などで生活を便利にしながら、一方で運動不足を悩むくら
い、おかしなことはない。
 子育てもそうだ。幼児期に子どもをさんざんドラ息子、ドラ娘にしておきながら、あるいはその
方向性をつくっておきながら、あとになって、「どうしてうちの子は……?」と悩むくらい、おかし
なことはない。考えてみれば、私たちの生活には、そのおかしさが満ちあふれている。ワイフが
テニスに出かけたあと、私はそんなことを考えた。
(02−8−7)※

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子育て随筆byはやし浩司(33)

やりようのない不安

 幼児でも「地球温暖化」という言葉を口にするようになってしまった。幼児にすれば、知るはず
もない、また知らなくてもよい言葉だ。小さな子どもがその言葉を口にするたびに、私はふとこ
う叫びたくなる。「私たちは、いったい、何ということをしてしまったのだ!」と。
 が、実際には「温暖化」というなまやさしいものではない。地球温暖化が進めば、人類も含め
て、あらゆる生物が死滅する。いや、死滅するならするでよい。しかしそこに至る過程の中で、
人類はまさに「地獄」を経験する。社会秩序やモラルは崩壊し、人々はわずかな水と食物、さら
にはより寒冷な土地を取りあって、壮絶な戦いをくり広げる。その地獄が、こわい。
 そうした絶望的な未来を考えると、腹の底からやりようのない不安感が、わきあがってくる。
生きることの土台そのものを、足元からすくわれるような不安感だ。心臓がどこかへ消えてしま
い、そこにあいた穴の中を、スースーと風が通りぬけるかのような不安感だ。いや、私は前に
もこの不安感を経験したことがある。ちょうど三〇歳のころ、脳腫瘍(しゅよう)を疑われて、精
密検査を繰りかえしていたときだ。涙だけがポロポロこぼれたが、いくら泣いても、心がしめる
ことはなかった。
 こうした危機的な状況を前にして、私たちはどう考えたらよいのか。もちろん今、すべきことは
しなければならない。手をこまねいているばあいではない。が、それと並行して、どう生きザマ
を確立したらよいのか。極端な言い方をすれば、最後の最後まで、人間としての尊厳を守りぬ
くのか。それとも生き残りをかけて、壮絶なバトルに加わるのか。やがてその二つのうちのどち
らかという、究極の選択を迫られることになるだろう。
 すでにあやしげな宗教団体が、この問題で動きはじめている。「この宗教を信じたものだけが
救われる」とか、「最後の審判のときのは、神の降臨がある」とかなど。さらには来世論や天国
論を説きながら、勢力の拡大をはかっている宗教団体もある。私はそうした宗教を否定するも
のではないが、しかしそういう宗教に身を寄せることで、人々は、自ら理性を放棄してしまう。自
ら生きることを忘れてしまう。まさに人間が、人間としてのいかに生くべきかの理性が問われて
いるときと言ってもよい。
 
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子育て随筆byはやし浩司(34)

子どもをよい子にする法

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?
 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。
 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や
根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。
●一〇〇%スポイルされている日本の子ども?
 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、スポ
イルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこで私が、「君
は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教えてくれた。「とき
どきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけない。シャワーを
浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。つまり、「日本の
子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう
言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だ
けはしっかりと手伝っている」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。
●ドラ息子症候群
@ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜ば
せるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思いど
おりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が皆
の中心にいないと、気がすまない。Aものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目
標を定めることができず、目標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつ
けては、目標を放棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣その
ものがだらしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費
的な行動が多くなる。Bものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が
強い割には、自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。C
バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動するこ
とができない、など。
●原因は家庭教育に
 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(四・五歳)前後で表れてくる。しかし一度こ
の時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ド
ラ娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因がある
からである。また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱
って子どもをなおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、
それをはねのけてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。
●子どもは使えば使うほどよい子に
 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛
だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」
と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん
が捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お
父さんがいるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。友だち
の家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小六女児)がいた。話を聞くと、「トイレが汚れ
ていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしないためにも、子ども
にはどんどん家事を分担させる。子どもが二〜四歳のときが勝負で、それ以後になると、この
しつけはできなくなる。
●いやなことをする力、それが忍耐力
 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け
てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き
なことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。
たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。こ
んな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお
ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、
こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ
るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。
●学習面でも伸びる
 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして
も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える
力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき
ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。
 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞く
と、「掃除は、掃除機でものの一〇分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋
さんが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろさ
れると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。
●家庭の緊張感に巻き込む
 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見
ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回
り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。
 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども
が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし
知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほ
うがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わった
ら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さら
に食器を食器棚へしまわせる、など。
 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ
ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の
草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと
をいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それ
が、「いい子にする条件」ということになる。
●バランスのある生活を大切に
 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。@生活感の
ある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦労がともなうこ
とをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみんなが困るの
だ」という意識をもたせる。A質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。B忍耐力をつ
けさせるため、家事の分担をさせる。C生活のルールを守らせる。D不自由であることが、生
活の基本であることをわからせる。そしてここが重要だが、Eバランスのある生活に心がけ
る。
 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある
いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって
いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ
ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。
子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを
忘れてはならない。

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子育て随筆byはやし浩司(35)

 私の書斎は、二階にある。その書斎の窓いっぱいに、栗の木がおおうようになった。ちょうど
二五年前、友人の結婚式から帰ってきたとき、植えたもの。そのとき枝の太さが、ちょうど私の
親指の太さだった。が、それが今では、直径が、三〇センチ以上。高さは、二階の大屋根をゆ
うに超えた。しかし切ることもできない。
栗の木は、小鳥たちのかっこうの遊び場。キジバトやヒヨドリが、交替で巣をつくっている。が、
切らない理由は、もうひとつ、ある。その栗の木が、我が家の天然のクーラーになっているから
だ。
 おかげでというか、この大きな栗の木一本で、二階の書斎もそうだが、その下の一階にある
居間など、すっぽりと深い緑でおおわれてしまう。ワイフはよく、「緑のカーテンね」というが、本
当に部屋中が緑っぽく感ずることもある。少し窓をあけて、あとは扇風機を回せば、そのまま
自然の冷気が体をさましてくれる。今はその栗の木に無数のセミがやってきて、朝早くからジャ
ンジャンと鳴いている。ああ、まさに夏まっさかり!
 心から暑中お見舞い申し上げます。

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子育て随筆byはやし浩司(36)

運動と健康

 知人に六五歳の男性がいる。元自衛官で、今は市の施設で、守衛をしている。身長は一六
五センチ、体重は五五キロ。たまたまテニスクラブで顔を合わせたが、私はその若々しさに驚
いた。全身、まさに筋肉のかたまり。精悍(せいかん)な感じさえした。「秘訣は何ですか?」と
聞くと、笑いながら、「自衛官のときは陸上部で毎日走ってばかりいました」とのこと。
 こういう男性に出会うと、何かしら目標を与えられたように感ずる。「やればできるのだ」という
思いと、「まだまだがんばれるぞ」と思いだ。同時に、「私も年齢だから……」という、あの卑屈
な思いが消える。いや、このところ何かにつけて、体力的な限界を感ずることが多くなった。そ
してその分、弱気になった。バス旅行を計画しても、無理かなという思いの中で、しりごみしてし
まう。「家でブラブラしていたほうがいい」とか、「ビデオでも見ようか」とか、そんなふうに考えて
しまう。
 が、その男性に出会ってから、少し、私の考え方が変わった。まず第一に、体重を減らそうと
考えたこと。現在、少し太り気味で、六七キロ。先週までは、六八〜九キロもあった。この一週
間で何とか、体重を減らした。ただ私の場合、急激に体重を減らすと、抵抗力が落ちる。結膜
炎になったり、皮膚病になったりする。もともと低血圧なこともあるが、血圧も上が一〇〇以
下、下が六〇前後まで落ちてしまう。そうなると、頭の働きそのものが鈍くなってしまう。そんな
わけでダイエットもままならない。
 が、その男性は、五五キロ。見たところ、やせているというふうでもない。言いかえると、六七
キロの私は、まさに肥満体ということになる。彼のようになるには、あと一〇キロ。ドッグフード、
一袋分の減量をしなければならない。六三キロ前後が適正体重とはいうが、そこまで減らすの
はとても無理と思っていた。が、その男性を見たおかげで、目標ができた。やるぞ!
 もっともその男性は、ここにも書いたように、若いときから体を鍛えている。今も、週三日はテ
ニスをしているという。そういう男性を目標にしても、あまり意味はない。しかし「がんばればで
きる」という部分は、それほどまちがっていない。その数日後から、私はふだんの自転車通勤
のほか、毎日何らかの形で汗をかくようにした。わざと往復数キロの道を歩いてみたり、犬の
散歩の回数をふやしたりするなど。
 効果はいろいろあらわれた。第一に、体が軽くなったこと。食事の量が減ったこと。いつもな
ら、「もっと食べたい」という思いの中で、食事を制限していたが、そういう思いが消えた。それ
に頭も軽くなったし、このところ何かにつけてよく眠られる。ワイフは「あなたの特技ね」と言う
が、三〇分も横になっていると、うち二〇分くらいは眠られる。時間と場所を選ばない。たしか
にこれは私の特技だ。
 そこでアドバイス。多分、この原稿を読んでいる人は、子育て最前線にいる若いお父さんや
お母さんだと思う。今はもちまえの若さが体力や健康をカバーしているから、それほど感じない
かもしれないが、五〇歳をすぎると、その若さがどんと消える。とたん、体力や健康が、どんと
落ちる。気力も落ちる。そこでできるだけ早い時期に、自分なりの健康法を確立したほうがよ
い。私たち夫婦のばあいは、ある時期、スポーツクラブへ通ったが、長つづきしなかった。生活
の一部として取り込むことができなかったからだ。そこで私は、自転車通勤をつづけたが、そ
れがよかった。ワイフは週に二度、テニスクラブへ通っている。テニスだけなら、長つづきしな
かったと思う。仲間どうしが励ましあっている。それがよかった?
 健康法は人それぞれだと思うが、要は自分に合った方法を、できるだけ長つづきさせること。
「これから何をしよう」と考えるのではなく、「今までしてきたことの中で、もっと伸ばせるものは
何か」と考えたほうがよい。そういう意味でも、子どもの才能を伸ばし方が参考になる。無理を
しても子どもの才能は伸びない。今ある方向性をうまく利用して伸ばす。すぐ、子育ての話とか
らめてしまうのが、私の悪いクセだが、そういうこと。
 みなさんのご健康を念願します。暑さに負けないでがんばりましょう!

(追記)
 体の健康もさることながら、頭の健康と、精神の健康も忘れてはならない。頭の健康は頭を
使うことで維持できるが、問題は精神の健康。私のばあい、毎日子どもたちと接しているの
が、たいへんよい方向に作用していると思う。もし毎日部屋の中に閉じこもって原稿ばかり書
いていたら、かなりゆがんだ人間になっていたと思う。(本当はゆがんでいるかもしれないが…
…。)一応まともな状態(?)でいられるのは、子どもたちのおかげと感謝している。
(02−8−8)

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子育て随筆byはやし浩司(37)

 浜松市の南、太平洋沿いに、中田島砂丘という砂丘がある。ハバだけも一五キロ近くある
が、何でも、あの砂丘にある砂粒の数よりも、宇宙にある星の数のほうが多いのだそうだ。「太
陽」と呼ばれる星にしても、その中の一つに過ぎない! (地球は、ここでいう星ではない。念
のため。)
 で、この地球だが、その太陽を直径一五センチの球にすれば、地球はその太陽から一五メ
ートル離れたところにある、直径〇・五ミリ(一ミリの半分!)の玉に過ぎない。宇宙の中では、
まさにチリのような惑星といってもよい。何とも気が遠くなるような話だが、これは事実だ。
 と、考えていくと、ここで二つの考え方に分かれるのがわかる。ひとつは、だから人間の存在
は、限りなく小さいという考え方。もう一つは、そういう小さな惑星でも、懸命にがんばって生き
ている人間は、それだけで偉大という考え方。どちらがどうということはないが、しかし人間とい
うものを、宇宙的な視点から見直してみるということは、とても大切なことである。ともすれば私
たちは、日々の生活に追われるうちに、人間どころか、「私」自身すら見失ってしまう。つい先
ほども、ある子育てマガジンが届いた。どこかの大手の通信会社がスポンサーになっているマ
ガジンだが、つぎのような内容だった。
☆海のクラゲについて
☆クラゲ対策
☆子どもと楽しめる日本の三大海水浴場、などなど。

 こうした情報がムダだとは思わないが、しかしこういうささいな情報に振り回されているうち
に、人は、そして親は、もっと大切な情報を見落としてしまう。子育てをしていて、こわいところ
は、ここにある。よい例が受験情報。こんなことがあった。
地元のA小学校の入試問題に、野菜の名前をたずねる問題が出た。ハサミで紙を切る問題が
出た。運動テストで、跳び箱の上を越える問題が出た。フラフープの輪をくぐる問題が出た。そ
ういう問題が出たことを知ったある親は、さっそくスーパーへ連れて行き、野菜の名前を覚えさ
せた。ハサミで紙を切る練習をさせた。跳び箱やフラフープについては、体操教室で練習させ
ようとした。その親は、「これが教育」と思い込んでいたが、こんなのは教育でも何でもない。子
育てでもない。あえて言えば「指導」ということになるが、しかし指導と構えなければならないほ
どの指導ではない。
 むしろこういうささいな情報に振り回されているうちに、何がなんだか、わからなくなってしま
う。私のところへも、こう言ってきた母親がいた。「先生、あのA小学校では、ハサミをしっかりと
使えない子どもは、落ちるんですってね」と。あまりにも低次元な話なので黙って聞いていると、
さらにこう言った。「うちの幼稚園では、ハサミの使い方の練習はほとんどしてくれません。心配
です」と。もしそうなら、つまりそんなことで落とすような学校なら、行かないほうがよい。こちら
から蹴飛ばしてやればよい。……と私は思ったが、そんなことは言えなかった。その母親との
間に、どうしようもないほど、遠い距離を覚えたからだ。「この母親に教育が何であるかを教え
るには、一〇年かかるだろうな」とさえ、思った。
 いや、実際こう書きながら、これは私の問題でもある。私自身、親たちの相談や心配に振り
回されているうちに、自分を見失ってしまうことがある。少し前だが、こんなことを言ってきた母
親がいた。「うちの子(小三男児)は、毎日プリントを三枚学習することになっていますが、二枚
なら何とかしますが、三枚目になるとどうしてもしません。どうしたら三枚目をするようになるでし
ょうか」と。あるいは「私の娘(年長児)が通っている英語教室の先生は、アイルランド人だとい
います。ヘンなアクセントが身につくのではないかと心配です。どうしたらいいでしょうか」とか。
こういう相談に真剣に答えていると、こちらまで何がなんだか、わからなくなってしまう。
 そこで冒頭の話。私の部屋の天井には、太陽の模型と、水星、金星、地球、火星、木星……
の模型が飾ってある。太陽は直径一五センチ。これはハッポースチロールの球に着色したも
の。地球は小さなマチ針を利用した。私は何かの問題を考えていて、ふと自分を見失ったよう
なとき、これらの模型を見ながら、自分を取り戻すようにしている。これらを見ていると、何が大
切な問題で、何が大切な問題でないかがわかってくるから不思議である。「人間というのはちっ
ぽけな存在だなア」と思うことで、身の回りのささいな問題が気にならなくなる。一方、「私の心
は宇宙よりも大きいぞ」と思うことで、さらに大きな視点からものを考えることができる。……だ
からといって、私のもの考え方が大きいとか、すぐれているとか言うのではない。しかし自分を
取り戻すには、たいへん役にたつ。あなたも一度、太陽と地球の模型をつくって、部屋のどこ
かに飾ってみてはどうだろうか。あるいは中田島の砂丘へ来ることがあったら、そういう視点で
一度、あの砂粒をながめたらどうだろうか。ほんの少しだけ、また違ったものの考え方ができる
と思う。
(02−8−8) 

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子育て随筆byはやし浩司(38)

八月一五日に思う

 たいへんおかしなことだが、日本は、戦後、どこの国に対しても、「あの戦争はまちがってい
ました」と、戦争責任を認め、謝罪したことは、ただの一度も、ない。「まちがっていた」ことを認
めると、その責任は、天皇にまで及んでしまう。官僚主義国家である日本にとっては、これはま
ことに都合が悪い。官僚主義国家が官僚主義国家であるゆえんは、絶対的権威を利用して政
治を行うところにある。その絶対的権威の象徴である天皇に、その責任が及ぶということは、
官僚主義制度の根幹をゆるがすことにもなりかねない。
 日本が民主主義国家だと思っているのは、恐らく日本人だけと言ってもよい。よい例が、まさ
に教育。いままだかって、親のほうから、あるいは、民のほうから、学校に向かって、あるいは
文部省や文部科学省に向かって、希望や要望が出されたことが、一度だってあるだろうか。ま
たそういう希望や要望が、一度だって実現したことがあるだろうか。すべては中央から、上意
下達方式で地方に、まさに問答無用方式で伝えられる。一応「審議会」という名前の意思決定
機関はあるにはあるが、そもそも審議会のメンバーは、どういうしくみの中で、だれによって選
ばれているのか。その基準すら公表されていない。しかも審議会といいながら、議案、議論の
方向性は、すべて官僚たちがあらかじめ作成した作文に沿ってなされる。メンバーは、一人当
たり、一回の会合で、五〜一〇分程度の意見を述べるだけ。あとは座長と呼ばれる、つまりは
官僚側の意のままに動く人物が、答申をまとめる。
 こうした方式で、官僚たちは、まさに政治をあやつってきた。明治、大正、昭和と。そして平成
になった今も、この方式は、基本的には何ら、変わっていない。そこで官僚政治の是正というこ
とになるが、それを口にするだけで、この日本では、はじき飛ばされてしまう。現在の今でも、
全国四七都道府県のうち、二七〜九の府県の知事は、元中央官僚。七〜九の県では副知事
も元中央官僚(二〇〇〇年)。さらに国会議員や大都市の市長の多くも、元中央官僚。総理大
臣はもちろんのこと、野党党首ですら元中央官僚(〇二年)。そういう現実の中で、どうして官
僚政治の是正など、期待できるだろうか。
 しかもなおタチの悪いことに、民衆そのものが、骨のズイまで、魂を抜き取られてしまってい
る。民主主義がどういうものであるかすらわかっていない。私が以前、同じようなことを書いて、
日本の官僚政治を批判したとき、「あなたはそれでも日本人か!」と言ってきた男性(四〇歳)
がいた。「日本人が日本の悪口を書くとは何ごとか!」とも。
 私は何も、日本の悪口を書いているのではない。それに、日本を共産主義国家にせよとか、
社会主義国家にせよと言っているのではない。民主主義国家にせよと言っているのである。ま
さに「民の、民による、民のための政府」をめざそうと言っているのである。それがまちがってい
るといのであれば、私は何も言わないが、しかし、どうしてこんな簡単なことですら、日本人よ、
わからない?
 あの戦争についても、三〇〇万人の日本人が犠牲になった。同じく三〇〇万人の外国人が
犠牲になった。日本の国内向けはともかくも、外国に向かって、「やむをえない戦争だった」と
いう論理など、通るはずもない。もしこんな論理がまかり通るとするなら、いつか逆の立場で、
日本がどこかの国に同じことをされても、文句は言えないことになる。日本人よ、その覚悟はで
きているのか! 
(02−8−9)

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子育て随筆byはやし浩司(39)

明日の教育を考える法(不公平社会を是正せよ!)

日本の社会が不公平になるとき
●日本は民主主義国家?
 Yさん(四〇歳女性)は、最近、二〇年来の友人と絶交した。その友人がYさんにこう言ったか
らだ。「こういう(不況の)時代になってみると、夫が公務員で本当によかったです」と。たったそ
れだけのことだが、なぜYさんが絶交したか。あなたにはその理由がわかるだろうか。
●知事も副知事も皆、元中央官僚
 平安時代の昔から、日本は官僚主義国家。日本が民主主義国家だと思っているのは、恐ら
く日本人だけ。三〇年前だが、オーストラリアの大学で使うテキストには、「日本は官僚主義国
家」となっていた。「君主(天皇)官僚主義国家」となっているのもあった。当時の私はこの記述
に猛烈に反発したが、しかしそれから三〇年。日本はやはり官僚主義国家だった。
 現在の今でも、全国四七都道府県のうち、二七〜九の府県の知事は、元中央官僚。七〜九
の県では副知事も元中央官僚(二〇〇〇年)。さらに国会議員や大都市の市長の多くも、元中
央官僚。いや、官僚が政治家になってはいけないというのではない。問題は、こうした官僚によ
る支配体制が、日本の社会をがんじがらめにし、それが一方で日本の社会を硬直化させてい
るということ。それが悪い。
●がんじがらめの日本の社会
 たとえばよく政府は、「日本の公務員の数は、欧米と比べても、それほど多くない」と言う。
が、これはウソ。国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこの
ほか、公団、公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。これらの
職員の数だけでも、「日本人のうち七〜八人に一人が、官族」(徳岡孝夫氏)だそうだ。が、こ
れですべてではない。この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、
協会、組合、施設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。この組織は全国の
津々浦々、市町村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体
が、一八〇〇団体近くもある。こうした団体が日本の社会そのものを、がんじがらめにしてい
る。そのためこの日本では、何をするにも許可や認可、それに資格がいる。息苦しいほどまで
の管理国家と言ってもよい。そこで構造改革……ということになるが、これがまた容易ではな
い。
●日本は平安の昔から……
 平安の昔から、官僚が日本を支配するという構図そのものが、すでにできあがっている。「日
本は新しいタイプの社会主義国家」と言う学者もいる。こうした団体で働く職員は、この不況も
どこ吹く風。まさに権利の王国。完全な終身雇用制度に守られ、満額の退職金に月額三〇〜
三五万円近い年金(旧国鉄職員)を手にしている。「よい仕事をするためには、身分の保証が
必要条件」(N労働組合、二〇〇一年度大会決議)と豪語している労働組合すらある。こういう
日本の現状の中で、行政改革だの構造改革だのを口にするほうが、おかしい。実際、こうした
団体の職員の数は、今の今も、ふえ続けている。
●不公平社会の是正こそ先決
この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受ける。そうでない人はまったくと言ってよいほ
ど、受けない。もちろん一人ひとりの、つまりそれぞれの公務員に責任があるわけではない。な
いが、こうした社会から受ける不公平感は相当なもので、それがYさんを激怒させた。
Yさんはこう言った。「私たちは明日の生活をどうしようと、あちこちを走り回っているのです。そ
ういうときそういうことを言われると、本当に頭にきます」と。が、それではすまない。この不公
平が結局は、学歴社会の温床になっている。いくら親に受験競争の弊害を説いたところで、意
味がない。親は親で、「そうは言っても現実は現実ですから……」と言う。現に今、大学生の人
気職種ナンバーワンは、公務員(財団法人日本青少年研究所・二〇〇一年調査)。ちょっとし
た(失礼!)公務員採用試験でも倍率が、一〇倍から数一〇倍になる。なぜそうなのかというと
ころにメスを入れない限り、日本の教育に明日はない。

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子育て随筆byはやし浩司(40)

私の実験教室「BW教室」

 幼児を教えるようになって、三二年になる。この間、私は四つのことを、守った。@すべて授
業は公開し、親の参観をいつでも自由にした。A教材はすべて手作り。市販の教材は、いっさ
い使わなかった。B同じ授業をしなかった。C新聞広告、チラシ広告など、宣伝をしなかった。
 まず@授業の公開は、口で言うほど、楽なことではない。公開することによって、教える側
は、手が抜けなくなる。教育というのは、手をかけようと思えばいくらでもかけられる。しかし手
を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。それこそプリントを配って、それだけですますこともでき
る。そこが教育のこわいところだが、楽でない理由は、それだけではない。
 授業を公開すれば、同時に子どもの問題点や能力が、そのまま他人にわかってしまう。とく
にこのころの時期というのは、親たちが神経質になっている時期でもあり、子どもどうしのささ
いなトラブルが大きな問題に発展することも珍しくない。教える側の私は、そういうとき、トコトン
神経をすり減らす。
 Aの教材についてだが、私は一方で、無数の市販教材の制作にかかわってきた。しかしそう
いう市販教材を、親たちに買わせたことは一度もない。授業で使ったこともない。出版社から
割引価格で仕入れて、親たちに買わせれば、それなりの利益もあったのだろうが、結果として
振り返ってみても、私はそういうことはしなかった。本もたくさん出版したが、売るにしても、希望
者の親のみ。しかも仕入れ値より安い値段で売ってきた。
 Bの「同じ授業をしない」については、二つの意味がある。年間を通して同じ授業をしないと
いう意味と、もう一つは、毎年、同じ授業をしないという意味である。この一〇年は、何かと忙し
く、時間がないため、年度ごとに同じ授業をするようになった部分もあるが、それでもできるだ
け内容を変えるようにしている。ただその年の授業の中では、年間をとおして同じ授業をしな
い。これには、さらに二つの意味がある。
 そういう形で子どもの心をひきつけておくということ。同じ授業をすれば、子どもはすぐあき
る。もう一つは、そうすることによって、子どもの知能を、あらゆる方向から刺激することができ
る。
 最後にCの宣伝については、こうしてインターネットで紹介すること自体、宣伝ということにな
るので、偉そうなことは言えない。それに毎年、親どうしの口コミ宣伝だけというのも、実のとこ
ろ限界がある。ある年などは、一年間、生徒(年中児)はたったの三人のままだった。例年だ
と、親がほかの親を誘ってくれたりして、生徒が少しずつふえるのだが、その年はどういうわけ
だかふえなかった。理由は、一年ほどしてからわかった。一人の親が、別の子どもを教室へ連
れてきたときのこと。ほかの二人の親が、その親を、こう言って責めていた。「どうして新しい生
徒なんか紹介するのよ! 三人だけのほうが、先生にていねいにみてもらえるでしょ!」と。親
たちが話しあって、ほかの生徒が入会してくるのを、拒(こば)んでいたのだ。
 私の実験教室の名前は、「BW(ビーダブル)教室」という。「ブレイン・ワーク(知能ワーク)」
の頭文字をとって、「BW」とした。「実験」という名前をつけたのは、ある時期、大きな問題のあ
る子どもだけを、私の方から頼んで、(そのため当然無料だったが)、来てもらったことによる。
私の教室は、いつも子どもたちの笑い声であふれている。「笑えば伸びる」が、私の教育モット
ーになっている。その中でも得意なのは、満四・五歳から満五・五歳までの、年中児である。興
味のある人は、一度訪れてみてほしい。ほかではまねできない、独自の教育を実践している。

BW教室の問い合わせは、bwhayashi@vcs.wbs.ne.jp まで。


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子育て随筆byはやし浩司(41)

日本人は賢くなったか

 人間の賢さは、「自ら考える力」で決まる。
 よく誤解されるが、知識や情報が多いからといって、賢い人ということにはならない。反対に、
いくら知識や情報があっても、バカな人はバカ。映画『フォレストガンプ』の中でも、フォレストの
母はこう言っている。「バカなことをする人をバカというのよ。(頭じゃ、ないのよ)」と。
 そういう視点で、もう一度、日本人について考えてみる。日本人は、賢くなったか、と。

 今、高校生でも、将来を考えて、毎日本を読んだり、勉強している子どもは、一〇%もいな
い。文部科学省国立教育政策研究所の行った調査によると、「宿題や授業でしか本は読まな
い」と答えた子ども(小、中、高校)は、全体では一八%だが、高校生は三三%であった。また
「教科書より厚い本を読んだことがない」も、全体では一六%だが、高校生では二三%であっ
た(全国小学四年生以上高校二年生までの二一二〇人について調査。二〇〇二年)。

 わかりやすく言えば、小学生ほど、よく本を読み、中学生、高校生になると、本を読まなくなる
ということ。一見何でもないような現象に見えるかもしれないが、「では、高校生とはいったい、
何か」という問題にぶつかってしまう。より高度な勉強をするから高校生というのではないの
か。が、実態は、その逆。毎日くだらない情報を、携帯電話で交換しているのが、高校生という
ことになる。そう言い切るのは正しくないが、しかし実態は、そんなところと考えてよい。大半の
高校生は、毎日四〜五時間はテレビを見たり、ゲームをしたりして時間をつぶしている。六〜
七時間と答えた子どももいた(筆者、〇一年、浜松市内の高校生一〇人に調査)。

 その結果というわけではないが、最近の高校生は、まさにノーブレイン(知能なし)という状態
になっている。知識や情報に振りまわされているだけ。自ら考えるということができない。……
しない。政治問題や社会問題など、問いかけただけで、「ダサイ!」と、はねのけられてしまう。
「日本がかかえる借金は六〇〇兆円だよ。君たちの借金だよ」と私が話しかけたときのこと。
女子高校生たちは、こう言った。「私ら、そんな話、関係ないもんネ〜」と(二〇〇〇年市内の
図書館で)。

 もちろん本を読んだからといって、賢くなるというわけではない。それ以上に大切なことは、い
かにして問題意識をもつか、だ。その問題意識がなければ、本を読んでも、それもただの情報
で終わってしまう。よい例が、ゲームの攻略本だ。最近では、「ハリーポッター」の魔法の解説
本などもある。もともとウソにウソを塗り固めたような本だから、いくら読んでも、それこそまさに
ムダな情報。先日、私も、子どもたち(小学六年生)の前で、こう話してやった。

 「栗の葉に、近くに落ちている松の葉包み、それを手で握って、ローローヤヤ、カカカ、バーバ
ーと呪文を唱えれば、親から小遣いが、いつもの一〇倍もらえる」と。
 たまたま日本中がハリポタブームでわきかえっていたときでもあり、子どもたちは真剣なまな
ざしで、私の呪文をノートに書きとめようとした。が、そのうち一人が、「先生、反対に読むと、バ
カヤローだ」と。

 そこでいかにして、子どもに問題意識をもたせるか、である。が、この問題について考える前
に、こういうこともある。

 ノーブレインの状態になると、その人間は、いわゆるロボット化する。ひとつの例が、カルト教
団の信者たちである。彼らは思想を注入してもらうかわりに、自ら考えることを放棄してしまう。
ある信者とこんな会話をしたことがある。私が「あなたがたも、少しは指導者の言うことを疑っ
てみてはどうですか。ひょっとしたら、あなたがたは、利用されているだけかもしれませんよ」
と。するとその男性(六〇歳)はこう言った。「○○先生は、万巻の書物を読んで、仏の境界(き
ょうがい)に入られた方だ。教えにまちがいはない」と。

 同じような例は、あのポケモン現象のときに、子どもたちの世界でも起きた。それはブームと
かいうような生やさしいものではなかった。毎日子どもたちは、ポケモンの名前をつらねただけ
の、まったく意味のない歌(「ポケモン言えるかな」)を、狂ったように歌っていた。そしてお菓子
でも持ち物でも、黄色いピカチューの絵がついているだけで、それを狂ったように買い求めて
いた。私はこのポケンモン現象の中に、たまたまカルトとの共通性を見出した。そして「ポケモ
ンカルト」(三一書房)という本を書いた。

 このロボット化でこわいのは、脳のCPU(中央演算装置)が狂うため、本人にはその自覚が
ないこと。カルト教団の信者も、またポケモンに夢中になる子どもも、なぜ自分がそうなのかと
いうことがわからないまま、たいていは「自分は正しいことをしているのだ」と思い込まされたま
ま、醜い商魂に操られる。そしてその結果として、それこそ愚にもつかないようなことを、平気で
するようになる。

 こうした状態を防ぐためにも、私たちはいつも問題意識をもたねばならない。あなたの子ども
について言うなら、これはいつかあなたの子どもがカルト教団の餌食(えじき)にしないためでも
ある。ノーブレインというのは、それ自体がひとつの思考回路で、いつなんどき、その回路の中
に、カルト思想が入り込まないともかぎらない。たまたまあのポケモンブームのころ、アメリカの
サンディエゴ郊外で、「ハイアーソース」という名前のカルト教団の信者たち三九人が、集団自
殺をするという事件が起きた(九七年三月)。残された声明文には、「ヘール・ポップすい星とと
もに現れる宇宙船とランデブーして、あの世へ旅立つ」と書いてあったという。

 常識で考えればバカげた思想だが、ノーブレインの状態になると、それすらもわからなくな
る。つまりそういう人を、「バカな人」という。

 いかにして問題意識をもつか。
 これは私のばあいだが、私はいつも、自分の頭の中で、その日に考えるテーマを決める。教
育問題であることが多いが、政治問題や社会問題も多い。たいていは身近なことで、「おかし
いぞ」と思ったことをテーマにするようにしている。たまたま昨日(〇二・八月九日)もテレビを見
ていたら、田中M子という国会議員が辞職したというニュースが飛び込んできた。私はそのニ
ュースを見ながら、いろいろなことを考えた。

(1)田中氏は息子を政治家にするというが、見るとまだあどけなさの残る青年ではないか。そ
ういう形、つまり世襲制で政治が動いてよいのか。動かされてよいのか。あるいはどうしてそう
まで政治の世界に、執着するのか。その魅力は何なのか。田中M子氏にしても、それほど哲
学のある人物には見えない。私には出世欲にとりつかれた、どこかガリガリの政治亡者のよう
にしか見えない。

(2)田中氏は、さんざん、自己弁明をしてきたではないか。今までのそういう弁明は、いった
い、何だったのか。私たちにウソを言ってきたのか。

(3)その辞職ニュースを受けて、街の人の声が報道されていたが、大半は、「田中さんがかわ
いそうだ」「おしい人をなくした」と言っていた。そうした声を聞いたとき、私はその少し前、人間
国宝にもなっている歌舞伎役者のO氏が、一九歳そこそこの若い舞妓と不倫関係にあったと
いうニュースを思いだした。あのときは、街の声のみならず、テレビのキャスターまで、「不倫
は、芸のコヤシ」と言っていたのを覚えている。(若い女性はコヤシ?)O氏はその舞妓と別れ
るとき、ホテルのドアで、チンチンを出して見せたという。こうした愚民性は、いったいどこからく
るのか。

 「おかしい」と思うことが、つぎつぎと頭に飛来する。そこでひとつずつ、その問題について考
える。その結果というわけではないが、この原稿が生まれた。私は、(3)の愚民性に、とくに関
心をもった。「日本人は賢くなったか」と。

 で、その結論だが、答は、「ノー」。日本人は知識と情報の氾濫の中で、ますます自分を見失
いつつある。ますます愚かになりつつある。
(02−8−10)

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子育て随筆byはやし浩司(42)

前向きの人生、うしろ向きの人生

●うしろ向きに生きる女性
 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしまい。偉そ
うなことは言えない。しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわからない。しかしでき
るなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。自信はないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(七〇歳)
がいた。その一五年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産を築いた
人だった。くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時は従業員を一
〇人ほど使うまでになった。が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあ
って、工場は閉鎖寸前にまで追い込まれた。(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義
父がなくなってから二年後に他界している。)
 
 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方をして
いた。が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。その人には、私と同年代の
娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。「母は、異常なまでにケチになりました」と。たとえば
二女がまだ娘のころ、二女に買ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出したとい
う。「それも、私がどこにあるか忘れてしまったようなものです。値段も、二〇〇〇円とか三〇〇
〇円とかいうような、安いものでしたが」と。

●人生は航海のようなもの
 人生はたった一人で、大海原を航海するようなもの。つぎからつぎへと、大波小波がやってき
て、たえず体をゆり動かす。波があることが悪いのではない。波がなければないで、すぐ退屈し
てしまう。船が止まってもいけない。航海していて一番こわいのは、方向がわからなくなること。
同じところをぐるぐる回ること。もし人生がその繰り返しだったら、生きている意味はない。死ん
だほうがましとまでは言わないが、死んだも同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチンコ。
読む新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという人がい
る。しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りがうまくなっても、
いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗記しているからといっ
て、それがどうだというのか。そういう人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はある会で講演を
させてもらったが、その会を主宰している女性が、八〇歳を過ぎた女性だった。乳幼児の医療
費の無料化運動を推し進めている女性だった。私はその女性の、生き生きした顔色を見て驚
いた。「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言った。
「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そういうすばら
しい女性も、少ないが、いるにはいる。

 安泰な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。しかしそういう航海から
は、ドラマは生まれない。人間が人間である価値は、そこにドラマがあるからだ。そしてそのド
ラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の大波小波は、できれば少ないほう
がよい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそれ以上に大切なのは、その波を越えて
生きる前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝かせる。

●神の矛盾
 冒頭の話にもどる。
 信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがうしろ向き
になる。そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あくまで
も信仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創ったというが、人がいなければ、神
など生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのような矛盾をどうやって説明
するのだろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でもある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっとした
ら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。そのあと、また別
の生物が進化して、この地上にはびこることになる。たとえば昆虫が進化して、昆虫人間にな
るということも考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、その昆虫人間の神は、
今、どこにいるのかということになる。
 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅をもた
らしたという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜には神はいなか
ったのかということになる。数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数
十万年など、マバタキのようなものだ。お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビル
が建つ。しかし数十万円では、パソコン一台しか買えない。数億年と数十万年の違いは大き
い。しかもモーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか五〇〇〇年〜
六〇〇〇年ほど前のこと。たったの六〇〇〇年である。それ以前の数十万年の間、私たちが
いう神はいったい、どこで、何をしていたというのか。

●ふんばるところに生きる価値がある
 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だからといっ
て、神や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に一〇〇歩譲って、神や仏に、奇跡を
起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待してするもの
ではない。ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(スッタニパーダ「ダンマ
パダ」)、つまり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。キリスト教のことはよくわから
ないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えているのでは。生きるのは私たち自身だ
し、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きるかどうかを決めるのは、私たち
自身の意思による。仏や神の意思ではない。またそのふんばるからこそ、そこに人間の生きる
尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。

 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎日、毎
晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性七〇歳)も、その一人と言ってもよい。同じようなこと
は子どもたちの世界でも、よく経験する。たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」
と泣きついてくる親や子どもがいる。そういうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。い
わんや、「林先生、林先生」と毎日、毎晩、私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが…
…)、さらに困る。もしそういう人がいれば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。
不合格なら不合格で、その時点からさらに前向きに生きなさい」と。
 
●私の意見への反論
 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人がいる。
「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。そう言っ
たのは、たまたま町内の祭の仕事でいっしょにした男性(七五歳くらい)だった。が、何も私は、
そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその女性に向かっ
て、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性の生きザマは生きザ
マとして、尊重してあげねばならない。この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがって
いる」と言うことは、タブー。言ってはならない。まちがっていると言うということは、二階の屋根
にのぼった人から、ハシゴをはずすようなもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴ
を用意してあげねばならない。かわりのハシゴを用意しないで、ハシゴだけをはずすというの
は、人として、してはいけないことと言ってもよい。
 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことである。どう
すれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、うしろ向きに生き
なくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか?
 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、
人生はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか私はそういう人
生を送ることになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもない。保証もない。毎日、
毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れるようになるかもしれない。私
とその女性は、本質的には、それほど違わない。
しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にたとえて言うな
ら、土俵間際(まぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんばっている。歯をく
いしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、おしまい。あっという間に闇
の世界に、吹き飛ばされてしまう。しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。生きる
価値もそこから生まれる。もっと言えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出
もそこから生まれる。……つまり、そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、
と。

●老人が気になる年齢
 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のことが、よく
気になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあれこれ観察す
る。昨日(〇二年八月)も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どんな生き
がいや、生きる目的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているのだろう」「今、
どんなことを考えているのだろう」と。そのためか、このところは、見た瞬間、その人の中身とい
うか、深さまでわかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実の問題か
ら逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせればそれでよいと
考えている人も多い。中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もいる。クシャクシャに
なったボートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もいる。人は年齢とともに、よ
り賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。愚かになるだけならまだしも、古
い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽をつんでしまうこともある。
 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、いつの間か
自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは実に甘美な世
界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということになる。何も考えなけ
れば、それだけ人生も気楽になる。

●前向きに生きるのは、たいへん
 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じで、日々
に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダは、それを「精進
(しょうじん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心と精神はブヨブヨに太り始
める。そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。つまりいつも前向きに進んでこそ、
その人はその人でありつづけるということになる。
 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念場だ」と。
(02−8−13)

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子育て随筆byはやし浩司(43)

マザコンと親孝行

●どこまでがマザコン?
 どこからどこまでがマザコンで、どこからどこまでが親孝行なのか?
 このテーマはよく話題になる。マザコン的であることが、よく親孝行と誤解される。一方、親孝
行的であることが、マザコンと誤解される。しかしその境い目は、相互の依存性で決まる。依存
性が強ければ強いほど、マザコン的。依存性が弱ければ弱いほど、親孝行ということになる。
 この依存性は、ここに書いたように相互的なもので、子どもだけが一方的に親に依存性をも
つとか、反対に親だけが子どもに一方的に依存性をもつとかいうことはない。子どものほうに
依存性があれば、親のほうにも依存性があるとみる。つまりそういう相互関係が、たがいにた
がいの依存性を強めあう。
 だからマザコンタイプの男(夫や子ども)を見たとき、それを批判したり、あるいはそれをなお
そうとしても、あまり意味はない。親側の依存性も同時に、問題とされなければならない。依存
性の問題は、決してマザコンタイプの男の側だけの問題ではない。が、ここで問題は終わらな
い。

●太い絆(きずな)と誤解
 依存性が強ければ強いほど、マザコンタイプの男も、そしてその親も、親子の絆(きずな)が
太いと誤解する。あるいはそういう関係のほうを、理想の親子関係と誤解する。中には、ベタベ
タの親子関係を、むしろ誇る親子さえいる。「給料は一度、すべて母親に渡しています」と平然
と言ってのけた男性(四六歳、既婚、妻と二人の娘がいる)もいた。そう言えば日本を代表する
プロ野球選手で、結婚に際して、婚約者の女性に、「私の親のめんどうをみるのが結婚の条
件」と言った人がいた。こういう家庭では、いったい、妻とは何なのかということになるのだが、
そういう自分だけの基準で、他人の親子を批判する人も少なくない。「あの親子は、冷え切って
いる。かわいそうな親子だ」とかなど。言うまでもなく、ベタベタの親子関係にある人から見る
と、どんな親子も淡白に見える。

●結局は人間関係
 で、その依存性のない親子関係から生まれるのが、親孝行ということになる。しかしその親孝
行も、つきつめれば、人間関係で決まる。その人間関係なくして、親孝行はありえない。事実、
今、「実家へ帰るだけで、頭が重くなる」「親の顔をみるのが不愉快」「盆暮れに、実家へ帰る
のが苦痛でならない」と訴える人が、実に多い。私が主催した子育て教室でも、三〇人の母親
のうち、四〜五人がそうだった。そういう人に向かって、「あなたは親を何と思っているのか」
「子どもだから親孝行すべき」「親の恩を忘れると何ごとか」と言うのは、かえってその人を苦し
めることになる。先日もテレビを見ていたら、「お前は、だれに育ててもらったと思っているの
だ。言葉だって親に教えてもらっただろ!」と、一人の若者を怒鳴り散らしている男性(五五歳・
実業家)もいた。

●常識がまちがっている?
 こうした、つまり、「親だから」「子どもだから」という「だから論」。「親だから、〜〜のはず」「子
どもだから〜〜のはず」という「はず論」。さらには「親は〜〜すべき」「子どもは〜〜すべき」と
いう、「べき論」が、今、音をたてて急速に崩れ始めている。言いかえると、今まで私たちが常
識と思ってきた常識が、通用しなくなってきている。社会が変化したというよりは、そういった常
識のほうが、まちがっていたとみるほうが正しい。今まではそういう常識にしばられ、がまんして
きた。が、その常識のおかしさに、みなが気がつき始めた。「だから論」や「はず論」、さらには
「べき論」で、親や子どもをしばるほうが、おかしい。まちがっている。ここにも書いたように、親
子関係も、つきつまれば、人間関係で決まる。決まって当然。また決まらなければならない。
 ……と書いて終われば、意味のないエッセーで終わってしまう。否定ばかりしていては、もの
ごとは先へ進まない。そこで私は「尊敬」という言葉をあげる。親子といえども、その人間関係
を決めるのは、たがいの尊敬の念である、と。その尊敬の念が基本にあって、親孝行も自然な
形で発生する。あくまでも親孝行というのは、副次的なものといってもよい。またそういう人間関
係をつくってこそ、親も、子も、「真の家族の喜びを与えられる」(バートランドラッセル)というこ
とになる。このことについては、また別のところで詳しく書く。
(02−8−13)

(追記)
 夫たるもの、よく、「母親を選ぶか、妻を選ぶか」という立場に立たされる。そういうとき夫は、
どう判断すべきか、……ということを考える前に、こんなことが言える。まずそういう状態になる
まで、母親は息子(夫)を、追い込んではいけないということ。そういう対立をどこかで感じたら、
当然、母親は自ら身を引く。引かねばならない。「私のことは、どうでもいいのよ。私より、あな
たはあなたの妻を大切にしなさい」と言ってあげてこそ、母親は母親なのである。
が、中には、わざと夫婦を対立させながら、自分の身を守ろうとする母親がいる。極端な例とし
ては、息子に、「あんな嫁、別れてしまいなさい」と迫る母親すらいる。このタイプの母親は、実
に、あやしき、卑劣な母親ということになる。
 で、それでも対立が解けなかったら……。ここが大切だが、当然のことながら、夫は妻を選
ぶ。選んで当然。最初から妻よりも母親のほうが大切だと思うようなら、結婚などしなければよ
い。それがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。もしあなたが夫で、あなたの妻
が、ことあるごとに、あなたよりも妻の実母ばかりを大切にしたら、あなたはそれに耐えられる
だろうか。あなたはお金のただの稼ぎ手でしかないとしたら、あなたはそれに納得するだろう
か。
(02−8)※


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子育て随筆byはやし浩司(44)

一つの離婚

 最近、知人夫婦が、離婚した。前から家の中はメチャメチャだと聞いていたが、(そう言って
いたのは、ワイフだが)、現実にそうなると、「どうして?」と思ってしまう。夫は、開業医。妻は、
東京の有名私大を出た、才女。実家の父親も、神奈川県で開業医をしているという。私たち夫
婦からすれば、雲の上の人たちということになる。

 離婚した理由はわからないが、ワイフはこう言った。「奥さんは、熱心なK教団の信者よ」と。
私は瞬間、壮絶な家庭内宗教戦争を想像した。が、宗教戦争が離婚をもたらしたと考えるの
は正しくない。こういうケースでは、何かほかに原因があって、妻が、信仰の世界に身を寄せた
と考えるほうが正しい。人は不幸になると、それがどんなタイプの不幸であれ、心に透き間がで
きる。その透き間を埋めるために、人は信仰に走る。……のめりこむ。こう決めてかかるの
は、信仰をしている人たちには失礼な言い方になるかもしれないが、心の透き間というのは、
そういうもの。私は「心のエアーポケット」と呼んでいる。このエアーポケットは、だれにでもあ
る。しかしふだんは、その人の理性や知性で、窓を閉じているが、ふとしたきっかけで開くこと
がある。

 いや、信仰が悪いと言うのではない。それぞれの道を極めるために、信仰の世界に入る人も
多い。しかし個人信仰と、組織信仰とは区別しなければならない。本来、信仰というのは、どこ
までも心の問題。心の問題だから、その人個人の問題ということになる。が、時として、その信
仰が、組織に組み込まれ、その組織に利用されることがある。そしていつの間にか、反社会的
な行動をしながら、その反社会性にすら、気づかなくなるときがある。そのため日本以外の先
進国では、宗教団体による政治活動はもちろんのこと、営利活動すら法律によって禁止してい
るところが多い。
 その組織信仰かどうかは、簡単な方法で見分けられる。その組織や組織の指導者を批判し
てみればよい。組織信仰をしている人は、組織あっての信者と徹底的に洗脳されれているか
ら、それに猛烈に反発する。そうでない信者は、組織そのものをもっていない。たとえば私の実
家は、真言宗大谷派だが、私の母も、家族も、現在の「長」がだれであるですら知らない。法事
のときは、所属する寺の僧侶の悪口を言いあって楽しんでいる。

 さて先の知人に話をもどす。その知人の家庭には、何か大きな問題が起きたらしい。そこで
その妻は、必死になって、つまり彼女なりのやり方で、家族をたてなおそうとした。K教団に救
いを求めたとしたら、それはあくまでも、その結果でしかない。が、夫婦で違う宗教を信ずるの
は、決定的にまずい。とくにK教団にように、ほかのあらゆる思想を否定するような急進的な教
団は、まずい。妻がその信仰にのめり込めばのめり込むほど、夫の思想だけではなく、人格を
も否定するようになる。そうなると、もう行きつく先は見えている。

 私はよく考える。宗教は心を救うか、と。いや、もちろん私にも信仰心は、ある。最初にそれ
を自覚したのは、昔、学生時代、満天の星空を見たときだ。私はその美しさに圧倒されて、た
だただ涙をこぼした。それ以前にも、何かにつけて、自分の信ずる神や仏に祈ったことはあ
る。しかしそうした自分なりの祈り方が、決定的に変わったのは、「サダコ」(原爆の少女「偵
子」、広島の平和記念公園の銅像になったモデル)という本を読んだときのことだ。英訳本だっ
たが、私は一ページ読むごとに目が涙であふれ、ときにはもうそれ以上、読むことができなくな
ってしまった。「こんなにも熱心に、神に祈った人がいる」「こんなにも強く、神の力を必要とした
人がいる」と。そう思ったとたん、もう自分のために、祈ることができなくなってしまった。
 いや、今でもときどき、ふと油断をすると、自分のために何かを祈ろうとするときがある。しか
し別の心が、それを止める。「お前より、もっと神や仏の力を必要としている人がいる。お前は
それ以上、何を望むのか」と。あるいは「神や仏に、スーパーパワーがあるとするならば、その
パワーは、私のためではなく、もっとその力を必要とする人のために使ってほしい」と。
 私は平凡な男だから、他人のために祈るというようなことまでは、まだできない。しかし少なく
とも、その「サダコ」を読んでからというもの、自分のために祈ることはやめた。仮に明日、死を
宣告されても、私は祈らない。私は今まで、じゅうぶん健康だったし、すばらしい家族に恵まれ
たし、人生も半世紀を生きることができた。貧乏は貧乏のままだったが、しかし経済的に苦労
したことはない。山荘をもつという夢も実現した。私はそれ以上、人として、何を望むのか。

 知人夫婦は、ともかくも離婚した。男の子(高三)と女の子(中三)の二人の子どもがいたが、
男の子は父親が引き取り、女の子は母親が引き取った。聞くところによると、妻は神奈川県の
実家に帰り、ますます熱心なK教団の信者となり、毎日、毎晩、布教活動に専念しているとい
う。夫のほうには、もう再婚話がもちあがっているという。相手は、その医院に勤めていた看護
婦だという。ワイフから話を聞くたびに、私は、「なるほど……」と、へんに納得させられている。
(02−8−14)※
  
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子育て随筆byはやし浩司(45)

アメリカの大学生

 たいていの日本人は、日本の大学生も、アメリカの大学生も、それほど違わないと思ってい
る。また教育のレベルも、それほど違わないと思っている。しかしそれはウソ。恩師の田丸先
生(東大元教授)も、つぎのようの書いている。
 「アメリカで教授の部屋の前に質問、討論する為に並んで待っている学生達を見ると、質問
がほとんどないわが国の大学生と比較して、これは単に風土の違いで済む話ではないと、愕
然とする」と。
 こうした違いをふまえて、さらに「ノーベル化学賞を受けられた野依良治教授が言われてい
る。『日米の学位取得者のレベルの違いは相撲で言えば、三役と十両の違いである』と」とも
(〇二年八月)。もちろん日本の学生が十両、アメリカの学生が三役ということになる。

 私の二男も〇一年の五月に、アメリカの州立大学を学位を取って卒業したが、その二男がそ
の少し前、日本に帰国してこう言った。「日本の大学生はアルバイトばかりしているが、アメリカ
では考えられない」と。アメリカの州立大学では、どこでも、毎週週末に、その週に学んだこと
の試験がある。そしてそれが集合されてそのままその学生の成績となる。そういうしくみが確立
されている。そのため教える側の教官も必死なら、学ぶ側の学生も必死。学科どころか、学部
のスクラップアンドビュルド(廃止と創設)は、日常茶飯事。教官にしても、へたな教え方をして
いれば、即、クビということになる。

 ここまで日本の大学教育がだらしなくなった原因については、田丸先生は、「教授の怠慢」を
第一にあげる。それについては私は門外漢なので、コメントできないが、結果としてみると、驚
きを超えて、あきれてしまう。私の三男にしても、国立大学の工学部に進学したが、こう言って
いる。「勉強しているのは、理科系の学部の学生だけ。文科系の学部の連中は、勉強のベの
字もしていない。とくにひどいのが、教育学部と経済学部」と。理由を聞くと、こう言った。「理科
系の学部は、多くても三〇〜四〇人が一クラスになっているが、文科系の学部では、三〇〇〜
四〇〇人が一クラスがふつう。ていねいな教育など、もとから期待するほうがおかしい」と。

 日本の教育は、文部省(現在の文部科学省)による中央管制のもと、権利の王国の中で、安
閑としすぎた。競争原理はともかくも、まったく危機感のない状態で、言葉は悪いが、のんべん
だらりと生きのびてきた。とくに大学教育では、教官たちは、「そこに人がいるから人事」(田丸
先生)の中で、まさにトコロ天方式で、人事を順送りにしてきた。何年かすれば、助手は講師に
なり、講師は助教授になり、そして教授へ、と。それはちょうど、水槽の中にかわれた熱帯魚の
ような世界と言ってもよい。温度は調整され、酸素もエサも自動的に与えられてきた。田丸先
生は、さらにこう書いている。
 「私の友人のノーベル賞候補者は、活発な研究の傍(かたわ)ら、講義前には三回はくり返し
練習をするそうである」と。
 日本に、そういう教授はいるだろうか。

 グチばかり言っていてはいけないが、いまだに文部科学省が、自分の権限と管轄にしがみつ
き、その範囲で教育改革をしようといている。もうそろそろ日本人も、そのおかしさに気づくべき
ときにきているのではないのか。明治の昔から、日本人は、そういうのが教育と思い込んでい
る。あるいは思い込まされている。その結果、日本は、日本の教育はどうなった? いまだに
大本営発表しか聞かされていないから、欧米の現状をほとんど知らないでいる。中には、いま
だに日本の教育は、世界でも最高水準にあると思い込んでいる人も多い。
 日本の教育は、今からでも遅くないから、自由化すべきである。具体的に、アメリカの常識を
ここに書いておく。

(1)アメリカの大学には、入学金だの、施設費だの、寄付金はいっさいない。
(2)アメリカの大学生は、入学後、学科、学部の変更は自由である。
(3)アメリカの大学生は、より高度な教育を求めて、大学間の移動を自由にしている。つまり大
学の転籍は自由である。
(4)奨学金制度、借金制度が確立していて、アメリカの大学生は、自分で稼いで、自分で勉強
するという意識が徹底している。
(5)毎週週末に試験があり、それが集合されて、その学生の成績となる。
(6)魅力のない学科、学部はどんどん廃止され、そのためクビになる教官も多い。教える教官
も必死である。教官の身分や地位は、保証されていない。
(7)成績が悪ければ、学生はどんどん落第させられる。

 日本もそういう大学を、三〇年前にはめざすべきだった。私もオーストラリアの大学でそれを
知ったとき、(まだ当時は日本は高度成長期のまっただ中にいたから、だれも関心を払わなか
ったが)、たいへんなショックを受けた。ここに「今からでも遅くない」と一応、書いたが、正直に
言えば、「遅すぎた」。今から改革しても、その成果が出るのは、二〇年後? あるいは三〇年
後? そのころ日本はアジアの中でも、マイナーな国の一つとして、完全に埋もれてしまってい
ることだろう。田丸先生は、ロンドン大学の名誉教授の森嶋通夫氏のつぎのような言葉を引用
している。「人生で一番大切な人間のキャラクターと思想を形成するハイテイーンエイジを入試
のための勉強に使い果たす教育は人間を創る教育ではない。今の日本の教育に一番欠けて
いるのは議論から学ぶ教育である。日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育である。自分で
考え自分で判断するという訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない自己判断
のできる人間を育てる教育をしなければ、二〇五〇年の日本は本当にだめになる」と。 
問題は、そのあと日本は再生するかどうかだが、私はそれも無理だと思う。悲観的なことばか
り書いたが、日本人は、そういう現状認識すらしていない。とても残念なことだが……。
(02−8−14)※

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子育て随筆byはやし浩司(46)

コンピュータウィルス

 今日もパソコンをリカバリーした。横浜から帰ってきている三男が、「パパは、リカバリーばか
りしているね」と笑っていた。確かにそうだ。私はパソコンの動きが少しでもおかしくなったら、
即、リカバリーしている。もちろんウィルススキャンも常時しているが、リカバリーにまさる解決
方法はない。

 そのリカバリーをしながら、こんなことを考える。コピュータウィルスを作っている人は、かわい
そうな人間だ、と。能力がなくて困ったり、苦しんだりしている人は多いのに、その能力を、人に
迷惑をかけるために使っている! こうした人間は頭はよいのかもしれないが、本物のバカ。
そのバカさかげんに気づいていないから、さらに本物のバカ。映画『フォレストガンプ』の中で、
フォレストの母親はこう言っている。「バカなことをする人をバカというのよ。(頭じゃないのよ)」
と。しかしそれではすまない。

 話は変わるが、玄関先に出しておいた植木鉢を、よく盗んでいく人がいる。私は一度、そうい
う人に聞いてみたい。「花をめでるような純粋な気持ちと、盗むという行為は矛盾しませんか」
と。あるいはそういう人は、本当に、花の美しさを楽しむことができるのだろうか。私なら、花を
見るたびに、盗んできたという醜い気持ちを見せつけられ、花を見るのもいやになるだろう。
 それと同じように、コンピュータウィルスを作って楽しんでいる人は、その楽しみと引き換え
に、実はもっと大切なものを犠牲にしている。人間の心は、それほど器用にはできていない。コ
ンピュータウィルスを作って楽しんでいる邪悪な心が、そのコンピュータから離れたとたん、善
良な心に変わるということはありえない。コンピュータウィルスを作って楽しむという邪悪な心
は、当然のことながら、生活全般に影響を与える。おそらくその人間のまわりに集まる人間た
ちもまた、邪悪な心をもった人間だろう。ウソとネタミ、嫉妬と裏切り、疑いと策略。そういったも
のが渦を巻いているに違いない。……違いないという推察ではなく、まちがいなく渦を巻いてい
る!

 人生も晩年に近づくと、後悔することが多くなる。その後悔の中で、もっとも心を痛めるのは、
「時間をムダにした」という思いだ。私も、そう。たとえば私は若いときから、いろいろな本を書
いてきたが、ゴーストライターをしていたときの自分ほど、後悔するものはない。それは身を売
る娼婦のようなものだ。他人のために思想を切り売りするということは、まさに自分の魂を売る
ことに等しい。体をかきむしっても、かきむしっても、その汚れは取れない。だから今、そうして
書いた本など、見たくもない。さわりたくもない。今でも当時、そうした本を書いてあげた人から
年賀状が届くことがあるが、正直言って、年賀状を見るだけでも、ぞっとする。

 そこでコンピュータウィルスを作っている人に、私はこう言いたい。もうそういう愚かなことはや
めなさい、と。あなたがたは一抹の楽しみを覚えるのと引き換えに、もっと大切なものを犠牲に
している。そしていつか、あなたがたも自分の人生を振り返るときがくる。そのときあなたは今
の自分を思い出しながら、あなたは深く、深く、後悔する。必ず後悔する。だから、もうそういう
愚かなことはやめなさい。私たちは、あわれなあなたがたが、早くそれに気づいてくれるよう、
心から願う。私のためではなく、あなた自身のために……。
(02−8−14)※
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子育て随筆byはやし浩司(47)
 
ストレス

 八月一五日の早朝。隣の空き地で、草刈りが始まった。ガーガーバリバリ……。エンジンの
音が開けた窓から飛び込んできた。時計を見ると、まだ六時。ワイフはすでに起きてしまってい
た。
 台所へ行くと、ワイフが、テーブルに座ってぼんやりとしていた。「早いね」と声をかけると、
「眠られないから」と。

 私はパジャマのまま外へ飛び出した。見ると、老人が二人、草刈り機を回していた。かなり大
型の草刈り機だった。私はにこやかに、しかしていねいな挨拶(あいさつ)をすると、こう言っ
た。「すみませんが、朝、六時からというのは、つらいです。このあたりは、農家ではないし、み
んなまだ寝ていると思います。それに今日は休みですから」と。
 一人の老人、その人はあの野坂昭如そっくりの男性だったが、やや顔をこわばらせながら、
「暑くなるものですからねえ」と言った。私は「それはわかっていますが、しかし、朝、六時という
のは……」と。

 こうしたケースでは、草刈り機の音がうるさいというよりは、自分自身の中にストレスをためな
いということのほうが、大切である。が、その前に、自分の主張は正当かどうかを判断しなけれ
ばならない。山荘のほうでは、まわりが山村だから、みな朝六時には、仕事を始める。しかしこ
こは住宅地。大半がサラリーマン。その上、今日は、大半の人が休日。私だけのことなら、多
分、私はがまんしただろうと思う。しかしワイフのこととなると、話は別。私が休みのときは。ワ
イフも思いっきり朝寝坊できる。そのワイフが、まだ眠そうに目をこすっていた。

 老人たちはすぐ草刈りをやめてくれた。が、そうなればなったで、「悪いことを言ってしまった
のかな」という思いが、心をふさぐ。あの男性が言ったように、時間がたてばたつほど、暑くな
る。そうなると、仕事はたいへんだ。

 すると今度は、自分の言動を正当化しようとする動きが始まったのがわる。「この一年間、ほ
とんど草刈りなどしなかったのに、どうして今ごろするのか」とか、「するならするで、一度、近所
に断わってからすべきだ」とかなど。人間の心理は、こういうとき、複雑に入り乱れる。が、最終
的にはこういう結論になった。

 私は正しいと思うことをした。相手も、私の言うことに納得したから、仕事をやめた。今さらあ
れこれ考えても、どうしようもないから、忘れて、お茶でも飲んで、気を晴らせばよい、と。

 ああ、それにしても、どうして日本人は、こうまで騒音に鈍感なのだろう。このところ毎日のよ
うに、大きなスピーカーをつけた、もの売りがやってくる。物干しざお、わらびもち、それに粗大
ごみ回収業などなど。私の隣人などは、何と、宝石の研磨が趣味なのだ。このところ少なくなっ
たが、それでも日中は断続的に、あのガリガリという、歯科医院で歯を削るような音が、窓から
飛び込んでくる。そのたびに、私の仕事は中断。苦情を言っていけば、何とかなるのだろうが、
隣人だけに、それは言えない。隣人にとっては、唯一の趣味なのだ。生きがいなのだ。しかし
あの音をがまんするようになって、もう二五年になる!

 いろいろなストレスがある。そのストレスには、善玉と悪玉があるという。善玉ストレスは、生
活にほどよい緊張感を与えるというが、こうした騒音はまちがいなく、悪玉ストレスである。そん
なことを考えながら、私は朝の新聞を読んだ。
(02−8−15)※

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子育て随筆byはやし浩司(48)

自己顕示と自己主張

 このS県で、「ホムページ・グランプリ・コンテスト」なるものが始まった。読者の投票で、どのホ
ームページがすぐれているかを審査するものらしい。で、私も応募してみた。軽い気持ちで、そ
うした。
 で、その投票状況が、グラフで示されるという。興味があったので、見てみると、コンテスト開
始以来、私のグラフは、数ミリ程度。人気サイト(?)は、すでに数センチ以上になっていた。
が、グラフが長いから、それだけ人気サイトということにはならない。投票は、クリック一回で、
一票ということになる。一〇回クリックすれば、一〇票ということになる。そこでためしに、一〇
回クリックしてみた。そのつど、「投票、ありがとうございました」と表示された。つまり一人、何
票でも投票できるのだ! いいかげんと言えば、いいかげん。そこでさらにためにし、すでに数
センチ以上にもなっているサイトをのぞいてみた。が、これが実に、つまらないサイト(失
礼!)。全体でも、一〇ページもない、ただのおしゃべりサイト。正直言って、インチキ投票して
いるのが、まるわかり。とたん、私はがっかり。コンテストへの関心が、こなごなに砕け散った。

 そこで考えた。自己顕示という言葉がある。自己主張という言葉もある。よく似た言葉だが、
この二つはまるで違う。自己顕示というのは、インチキ投票をしている人を思い浮かべればわ
かる。多分その人は、自分のサイトに、毎日数百回以上もインチキ投票をしているのだろう。
自分のために自分の優位性を外に向かって示すのを、自己顕示という。
 一方自己主張というのは、その先に大きな目的がある。日本をよくしたいとか、世界をよくし
たいとかなど。そういう目標に向かって、自分の正当性を主張することをいう。そこには「自分
のため」という意識は、ほとんどない。あればあったで、自己主張とは言わない。子どもの世界
では、「わがまま」という。

 ところがこの二つは、たがいに関連しあっている。その境界があいまいなばかりか、自己主
張はときとして、自己顕示になりやすい。自己顕示している人も、自分では自己主張していると
思い込んでいる人が多い。たとえば私も、自分のサイトへの応募が、まだ数ミリ程度と知ったと
き、インチキ投票をしてみたいという誘惑に、かられた。(実際に、一〇回程度、してみたが…
…。)「私のサイトの優位性を誇示したい」という思いが、そこにあった。しかしこれは自己顕
示。私のようなもの書きの人間が、もっとも避けなければならない「欲」のひとつである。自己顕
示という誘惑に負けると、自分を見失ってしまう。
 
 そこで私はこう考えた。「こういうコンテストは相手にしない」と。みなさんが投票してくれれば、
それでよし。してくれなくても、それでよし、と。こうしたコンテストは、いわば、心の雑音のような
もの。静かな森の中で思索をねっていたら、そこへもの売りのトラックがやってきたようなもの
だ。「何だろう」と思って見るかもしれないが、そのとたん、静かな心がかき乱される。そのほう
の被害のほうが、はるかに大きい。
 
 しかし、よくもまあ、こういう新しいイベントが、つぎからつぎへと生まれるものだ。しかも昔な
ら、電話とかハガキで、それなりに手間がかかったものだが、今は、クリックひとつでできてしま
う。私も若いころは、企画の仕事が好きで、いろいろなことを考えたが、ここまで世の中が変わ
るとは思ってもみなかった。
それはさておき、こうしたコンテストにしても、やがて二重投票を防ぐ方法が考えだされるだろ
う。同じアドレスからの人の投票は、受け付けないとか。見るからにつまらないサイトが、グラン
プリに輝くようなことがあれば、なおさらだ。今は過渡期なので、インチキ投票のようなこともで
きるかもしれないが、今だけを見て、「おかしい」「無意味」と決めてかかることもできない。しば
らく様子をみることにしよう。
(02−8−15)※

(追記)……とは言いつつも、もし私のサイトがよいと思ってくださるなら、清き一票をお願いし
ます。あくまでもみなさんのご判断ですが……。
(02−8−15)※
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子どもたちへ(49)

ほかの人の心を分けもってあげよう

力のない人や、弱い人や、失敗した人を笑ってはいけないよ。
笑えば笑うほど、結局は、自分で自分のクビをしめることになるよ。
だれだって、ちょうど今の君たちのように、精一杯、がんばっているのさ。
しかしね、たいていは自分の思いどおりにはいかない……。
そういうことがいくつか重なると、人はだれだって、そういう人になるのさ。
つまり、力のない人や、弱い人や、失敗した人になるというわけ。
そしてね、ここが大切なことだけれど、今の君だって、いつだってその
力のない人や、弱い人や、失敗した人になるかもしれないということ。だからね、
そういう人を笑ってはいけないよ。そういう人を笑うということは、
結局はいつか自分を笑うことになるわけ。

自分だけの世界で、生きてはいけないよ。自分だけの世界で生きれば生きるほど、
孤独という恐ろしい悪魔が、君たちの心の中に入ってくるよ。
恐ろしい悪魔だよ。この悪魔にとりつかれると、その悪魔は
君たちからすべてのものを奪っていくよ。君たちの幸福や、やすらぎや、
ときには、君たちの命までもね。だから自分の世界だけで生きてはいけないよ。
この悪魔と戦うためにはね、自分だけの世界から飛び出し、ほかの人の世界に
入っていくこと。ほかの人の苦しみや悲しみや、悩みを、わかってあげること。
わかってあげるだけでは、足りないかな。その苦しみや悲しみや、悩みを、
自分のこととして、分けもってあげること。しかし、ね、これはとても
むずかしいことかもね。つまりね、悪魔と戦うことは、
それくらいむずかしいということ。

ただ、ね、こういうことは覚えておくといいよ。
この世界には、力のない人や、弱い人や、失敗した人などはいないということ。
力があるとか、ないとか。強い人とか、弱い人とか。成功した人とか、失敗した人とか、
そういう人は、いないということ。たとえば今、君が、何かのことで落ち込んでいてもね、
それはまあ、何というか、病気のようなもの。心だって、調子が悪くなることがあるのさ。
痛くなったり、熱を出したり、時には寒気がしたりするように、ね。
だからそういうときは、無理をしないこと。静かに心を休めるといいよ。
どんな嵐もいつかは去るし、朝のこない夜はないよ。歩けば谷もあるけど、山もある。
苦しくなったり、悲しくなったら、そこを谷と思って、前に進めばいいよ。
あとは山を登るだけだから、楽しいよ。風も弱くなるし、朝日も出てくる。
そうそう、だれかがね、君たちに、苦しみや悲しみや、悩みを打ち明けたら、
それを自分のこととして受け止めてあげるといいよ。
そういうことをしておけばおくほど、悪魔は君には近づかないよ。
嵐も早く去るし、朝日も早く昇るよ。
ウソじゃないよ。一度試してみたら……。

(02−8−15・エンヤの「a day without rain」を聴きながら……)※

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子育て随筆byはやし浩司(50)

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プロローグ

かつてジョン・レノンは、「イマジン」の中で、こう歌った。

♪「天国はない。国はない。宗教はない。
  貪欲さや飢えもない。殺しあうことも
  死ぬこともない……
  そんな世界を想像してみよう……」と。

少し前まで、この日本でも、薩摩だの長州だのと言っていた。
皇族だの、貴族だの、士族だのとも言っていた。
しかし今、そんなことを言う人は、だれもいない。
それと同じように、やがて、ジョン・レノンが夢見たような
世界が、やってくるだろう。今すぐには無理だとしても、
必ず、やってくるだろう。
みんなと一緒に、力をあわせて、そういう世界をめざそう。
あきらめてはいけない。立ち止まっているわけにもいかない。
大切なことは、その目標に向かって進むこと。
決して後退しないこと。
ただひたすら、その目標に向かって進むこと。

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イマジン(訳1)

♪天国はないこと想像してみよう
その気になれば簡単なこと
ぼくたちの下には地獄はなく
頭の上にあるのは空だけ
みんなが今日のために生きていると想像してみよう。

♪国なんかないと思ってみよう
むずかしいことではない
殺しあうこともなければ、そのために死ぬこともなくない。
宗教もない
平和な人生を想像してみよう

♪財産がないことを想像してみよう
君にできるかどうかわからないけど
貪欲さや飢えの必要もなく
すべての人たちが兄弟で
みんなが全世界を分けもっていると想像してみよう

♪人はぼくを、夢見る人と言うかもしれない
けれどもぼくはひとりではない。
いつの日か、君たちもぼくに加わるだろう。
そして世界はひとつになるだろう。
(ジョン・レノン、「イマジン」より)

(注:「Imagine」を、多くの翻訳家にならって、「想像する」と訳したが、本当は「if」の意味に近い
のでは……? そういうふうに訳すと、つぎのようになる。同じ歌詞でも、訳し方によって、その
ニュアンスが、微妙に違ってくる。

イマジン(訳2)

♪もし天国がないと仮定してみよう、
そう仮定することは簡単だけどね、
足元には、地獄はないよ。
ぼくたちの上にあるのは、空だけ。
すべての人々が、「今」のために生きていると
仮定してみよう……。

♪もし国というものがないと仮定してみよう。
そう仮定することはむずかしいことではないけどね。
そうすれば、殺しあうことも、そのために死ぬこともない。
宗教もない。もし平和な生活があれば……。

♪もし所有するものがないことを仮定してみよう。
君にできるかどうかはわからないけど、
貪欲になることも、空腹になることもないよ。
人々はみんな兄弟さ、
もし世界中の人たちが、この世界を共有したらね。

♪君はぼくを、夢見る人と言うかもしれない。
しかしぼくはひとりではないよ。
いつか君たちもぼくに加わるだろうと思うよ・
そしてそのとき、世界はひとつになるだろう。

ついでながら、ジョン・レノンの「Imagine」の原詩を
ここに載せておく。あなたはこの詩をどのように訳すだろうか。

Imagine

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today…

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
No religion too
Imagine life in peace…

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world…

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one.

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愛国心について考える
……ジョン・レノンの「イマジン」を聴きながら……。

 毎年八月一五日になると、日本中から、「愛国心」という言葉が聞こえてくる。今朝の読売新
聞(八月一六日)を見ると、こんな記事があった。「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・田中
英道・東北大教授)のメンバーが執筆した「中学歴史教科書」が、愛媛県で公立中学校でも採
択されることになったという。採択(全会一致)を決めた愛媛県教育委員会の井関和彦委員長
は、つぎのように語っている。
 「国を愛する心を育て、多面的、多角的に歴史をとらえるという学習が可能だと判断した。戦
争賛美との指摘は言い過ぎで、きちんと読めば戦争を否定していることがわかる」(読売新聞)
と。

 日本では、「国を愛する」ことが、世界の常識のように思っている人が多い。しかし、たとえば
中国や北朝鮮などの一部の全体主義国家をのぞいて、これはウソ。日本では、「愛国心」と、
そこに「国」という文字を入れる。しかし欧米人は、アメリカ人も、オーストラリア人も、「国」な
ど、考えていない。たとえば英語で、愛国心は、「patriotism」という。この単語は、ラテン語の
「patriota(英語のpatriot)、さらにギリシャ語の「patrio」に由来する。
 「patris」というのは、「父なる大地」という意味である。つまり、「patriotism」というのは、日
本では、まさに日本流に、「愛国主義」と訳すが、もともとは「父なる大地を愛する主義」という
意味である。念のため、いくつかの派生語を並べておくので、参考にしてほしい。

●patriot……父なる大地を愛する人(日本では愛国者と訳す)
●patriotic……父なる大地を愛すること(日本では愛国的と訳す)
●Patriots' Day……一七七五年、四月一九日、Lexingtonでの戦いを記念した記念日。こ
の戦いを境に、アメリカは英国との独立戦争に勝つ。日本では、「愛国記念日」と訳す。

欧米で、「愛国心」というときは、日本でいう「愛国心」というよりは、「愛郷心」に近い。あるいは
愛郷心そのものをいう。少なくとも、彼らは、体制を意味する「国」など、考えていない。ここに日
本人と欧米人の、大きなズレがある。つまり体制あっての国と考える日本、民あっての体制と
考える欧米との、基本的なズレといってもよい。が、こうしたズレを知ってか知らずか、あるい
はそのズレを巧みにすりかえて、日本の保守的な人たちは、「愛国心は世界の常識だ」などと
言ったりする。
たとえば私が「織田信長は暴君だった」と書いたことについて、「君は、日本の偉人を否定する
のか。あなたはそれでも日本人か。私は信長を尊敬している」と抗議してきた男性(四〇歳くら
い)がいた。このタイプの人にしてみれば、国あっての民と考えるから、織田信長どころか、乃
木希典(のぎまれすけ、明治時代の軍人)や、東条英機(とうじょうひでき・戦前の陸軍大将)さ
えも、「国を支えてきた英雄」ということになる。
もちろん歴史は歴史だから、冷静にみなければならない。しかしそれと同時に、歴史を不必要
に美化したり、歪曲してはいけない。先の大戦にしても、三〇〇万人もの日本人が死んだが、
日本人は、同じく三〇〇万人もの外国人を殺している。日本に、ただ一発もの爆弾が落とされ
たわけでもない。日本人が日本国内で、ただ一人殺されたわけでもない。しかし日本人は、進
駐でも侵略でもよいが、ともかくも、外国へでかけていき三〇〇万人の外国人を殺した。日本
の政府は、「国のために戦った英霊」という言葉をよく使うが、では、その英霊たちによって殺さ
れた外国人は、何かということになる。こういう言葉は好きではないが、加害者とか被害者とか
いうことになれば、日本は加害者であり、民を殺された朝鮮や中国、東南アジアは、被害者な
のだ。そういう被害者の心を考えることもなく、一方的に加害者の立場を美化するのは許され
ない。それがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。

 ある日突然、K国の強大な軍隊が、日本へやってきた。日本の政府を解体し、かわって自分
たちの政府を置いた。つづいて日本語を禁止し、彼らのK国語を国語として義務づけた。日本
人が三人集まって、日本語を話せば、即、投獄、処刑。しかもK国軍は、彼らのいうところの首
領、金元首崇拝を強制し、その宗教施設への参拝を義務づけた。そればかりか、数十万人の
日本人をK国へ強制連行し、K国の工場で働かせた。無論、それに抵抗するものは、容赦なく
投獄、処刑。こうして闇から闇へと葬られた日本人は数知れない……。

 そういうK国の横暴さに耐えかねた一部の日本人が立ちあがった。そして戦いをしかけた。し
かしいかんせん、力が違いすぎる。戦えば戦うほど、犠牲者がふえた。が、そこへ強力な助っ
人が現れた。アメリカという助っ人である。アメリカは前々からK国を、「悪の枢軸(すうじく)」と
呼んでいた。そこでアメリカは、さらに強大な軍事力を使って、K国を、こなごなに粉砕した。日
本はそのときやっと、K国から解放された。

 が、ここで話が終わるわけではない。それから五〇年。いまだにK国は日本にわびることもな
く、「自分たちは正しいことをしただけ」「あの戦争はやむをえなかったもの」とうそぶいている。
そればかりか、日本を侵略した張本人たちを、「英霊」、つまり「国の英雄」として祭っている。
そういう事実を見せつけられたら、あなたはいったい、どう感ずるだろうか。

 私は繰り返すが、何も、日本を否定しているのではない。このままでは日本は、世界の孤児
どころか、アジアの孤児になってしまうと言っているのだ。つまりどこの国からも相手にされなく
なってしまう。今は、その経済力にものを言わせて、つまりお金をバラまくことで、何とか地位を
保っているが、お金では心買えない。お金ではキズついた心をいやすことはできない。日本の
経済力に陰(かげ)りが出てきた今なら、なおさらだ。
また仮に否定したところで、国が滅ぶわけではない。あのドイツは、戦後、徹底的にナチスドイ
ツを解体した。痕跡(こんせき)さえも残さなかった。そして世界に向かって反省し、自分たちの
非を謝罪した。(これに対して、日本は実におかしなことだが、公式にはただの一度も自分たち
の非を認め、謝罪したことはない。)その結果、ドイツはドイツとして、今の今、ヨーロッパの中
でさえ、EU(ヨーロッパ連合)の宰主として、その地位を確保している。

 もうやめよう。こんな愚劣な議論は。私たち日本人は、まちがいを犯した。これは動かしがた
い事実であり、いくら正当化しようとしても、正当化できるものではない。また正当化すればす
るほど、日本は世界から孤立する。相手にされなくなる。それだけのことだ。

 最後に一言、つけ加えるなら、これからは「愛国心」というのではなく、「愛郷心」と言いかえた
らどうだろうか。「愛国心」とそこに「国」という文字を入れるから、話がおかしくなる。が、愛郷心
といえば、それに反対する人はいない。
私たちが住む国土を愛する。私たちが生活をする郷土を愛する。日本人が育ててきた、私た
ちの伝統と文化を愛する。それが愛郷心ということになる。「愛郷心」と言えば、私たちも子ども
に向かって、堂々と胸を張って言うことができる。「さあ、みなさん、私たちの郷土を愛しましょ
う! 私たちの伝統や文化を愛しましょう!」と。
(02−8−16)※

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みなさんへ

戦争で死んだ三〇〇万人の日本人の冥福を祈りましょう。同じようにその日本人と戦って死ん
でいった、同じく三〇〇万人の外国人のためにも、冥福を祈りましょう。二度と、戦争で、お互
いを殺しあうことのないように……。
(02−8−16)

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子育て随筆byはやし浩司(51)

あと始末論(2)

 ミキサーでジュースをつくる。まずバナナやミカンの皮をむき、それを包丁で小さく切る。少し
水を入れて、スイッチオン!
 できたジュースをコップに注ぐ。そして飲む。いや、その前にやるべきことは多い。まず、コー
ドをコンセントから抜く。包丁を水で流し、ミキサーのカップを洗う。それがすんだらコードをミキ
サーに巻き、そして棚へしまう。ジュースを飲むのは、それからだ。が、それですむわけではな
い。今度は使ったコップを水で流し、逆さにして、水を落とす。

 あと片づけとあと始末は、違う。きれいに片づけることをあと片づけといい、自分のしたことに
ついて責任をもって行動することを、あと始末という。日本人はどういうわけか、あと片づけに
はたいへんうるさい民族である。しかしあと始末に甘い?
 ある男性(五〇歳)は、牛乳を冷蔵庫から出しても、その牛乳を冷蔵庫にしまうことすらしな
い。だから彼のワイフはこう言った。「夏場になると、牛乳なんて、あっという間に腐ってしまうの
よ」と。このタイプの男性は、本当に多い。食事のあと、食器を洗うどころか、その食器をシンク
へもっていくことすらしない。あとは一事が万事。何もしない。本当に何もしない。

 問題はどうしてこういう男性が生まれるかということ。(女性にもいるが……。)しかし理由は
簡単。子どものときから、そういう訓練を受けていない。「おなががすいたア〜」と言うだけで、
親が何でもしてくれる。「のどがかわいたア〜」というだけで、親が何でもしてくれる。そういう環
境で育てられている。親自身も、子どもに楽をさせるのが、親の愛と誤解している。私が「子ど
もにもっと仕事を分担させなさい」と言うと、ある母親は、こう言った。「いいんですか、そんなこ
とさせて。何だか子どもに申し訳なくて……」と。

 多くの親は、ハシ並べやクツ並べをしてくらいで、子どもをホイホイとほめる。しかしそんなの
は手伝いとは言わない。ママゴトという。子どもというのは、皮肉なことに、使えば使うほど、よ
い子になる。そこから忍耐力も生まれ、生活力も生まれる。それは家庭教育の常識だが、それ
について話すと、別の母親はこう言った。「使うと言っても、させることがありません」と。
 掃除は掃除機で、五分ですんでしまう。洗濯機も皿洗いも、全自動。「何をさせればいいです
か?」と。
 
 そこで改めてあと始末論。その気になれば、何だってある。たとえば子どもが、「ジュースを飲
みたい」と言ったとする。そういうときはまず、ミキサーをもってこさせ、コードをコンセントにつな
がせる。バナナとミカンを小さく切らせる。それをミキサーに入れさえ、水を加えさせる。そして
スイッチを入れて、ミキサーを回す。しかし重要なのはここからだ。子どもがジュースを飲む前
に、あるいは飲んでからでもよいが、子どもにそのあと始末をさせる。使ったコップにしても、子
どもがコップを水で流し、逆さにして、水を落とさせるまで、やらせることはいくらでもある。そう
いうことを「子どもを使う」という。

 そこであなたの家庭でも、どうだろう。今日から、こう言ってみては……。「あと始末をしっかり
としようね」と。大切なのは、あと片づけではなく、あと始末。それがしっかりできるかどうかで、
結局は責任感の強い子どもになるかどうかが決まる。あと始末にはそういう意味もある。決し
て安易に考えてはいけない。
(02−8−16)※

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子育て随筆byはやし浩司(52)

マガジン100回目を記念して

みなさんへ、

このマガジンをご購読くださり、心から感謝しています。
8月18日現在、合計540名のかたがたに、このマガ
シンを購読していただいています。商業ベースのマガジ
ンとは、購読者数においては、比較になりませんが、個
人の子育てマガジンとしては、特異なほど多くの方々に
読んでいただいています。これも皆さんの、口コミ宣伝
などのおかげと、心から感謝しています。ありがとうご
ざいます。

実のところ、本業の本書きのほうはそっちのけで、今は
マガジン制作に、全力を注いでいます。このマガジンが
皆さんの子育てで、何かのお役にたてれば、こんなうれ
しいことはありません。何かと不愉快なことも書いてい
るかもしれませんが、どうかお許しください。またこれ
からも、よろしくお願いします。

                   はやし浩司
++++++++++++++++++++++++++++++
【お願いと、ご注意】

なお、このマガジンに関しては、転送などは、自由にしていただいて
います。そのとき、どこかに「はやし浩司」のクレジット(著作権の
保護)だけは、よろしくお願いします。どなたか興味をもってくださ
りそうな方がいらっしゃれば、どうかご自由に、内容をご転送くださ
い。よろしくお願いします。
ただ、はやし浩司を非難したり、中傷するためなどの、悪意をもった
転送は、かたくお断りしています。くれぐれもよろしくお願いします。
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子育て随筆byはやし浩司(53)

すばらしい人たち
二人の知人

●二人の知人
 石川県金沢市の県庁に、S君という同級生がいる。埼玉県所沢市のリハビリセンターに、K氏
という盲目の人がいる。親しく交際しているわけではないが、もし私が、この世界で、もっともす
ばらしい人を二人あげろと言われたら、私は迷わず、この二人をあげる。この二人ほどすばら
しい人を、私は知らない。この二人を頭の中で思い浮かべるたびに、どうすれば人は、そういう
人になれるのか。またそういう人になるためには、私はどうすればよいのか、それを考えさせら
れる。

 この二人にはいくつかの特徴がある。誠実さが全身からにじみ出ていることもさることなが
ら、だれに対しても、心を開いている。ウラがないと言えば、まったくウラがない。その人たちの
言っていることが、そのままその人たち。楽しい話をすれば、心底、それを楽しんでくれる。悲し
い話をすれば、心底、それを悲しんでくれる。子どもの世界の言葉で言えば、「すなおな」人た
ちということになる。

●自分をさらけ出すということ
 こういう人になるためには、まず自分自身を作り変えなければならない。自分をそのままさら
け出すということは、何でもないようなことだが、実はたいへんむずかしい。たいていの人は、
心の中に無数のわだかまりと、しがらみをもっている。しかもそのほとんどは、他人には知られ
たくない、醜いものばかり。つまり人は、そういうものをごまかしながら、もっとわかりやすく言え
ば、自分をだましながら生きている。そういう人は、自分をさらけ出すということはできない。

 ためしにタレントの世界で生きている人たちを見てみよう。先日もある週刊誌で、日本の四タ
ヌキというようなタイトルで、四人の女性が紹介されていた。元野球監督の妻(脱税で逮捕)、
元某国大統領の第二夫人(脱税で告発)、元外務大臣の女性(公費流用疑惑で議員辞職)、
演劇俳優の女性の四人である。四番目の演劇俳優の女性は別としても、残る三人は、たしか
にタヌキと言うにふさわしい。昔風の言い方をするなら、「ツラの皮が、厚い」ということか。こう
いう人たちは、多分、毎日、いかにして他人の目をあざむくか、そればかりを考えて生きている
に違いない。仮にあるがままの自分をさらけ出せば、それだけで人は去っていく。だれも相手
にしなくなる。つまり化けの皮がはがれるということになる。

●さて、自分のこと
 さて、そこで自分のこと。私はかなりひねた男である。心がゆがんでいると言ったほうがよい
かもしれない。ちょっとしたことで、ひねくれたり、いじけたり、つっぱったりする。自分という人
間がいつ、どのようにしてそうなったかについては、また別のところで考えることにして、そんな
わけで、私は自分をどうしてもさらけ出すことができない。ときどき、あるがままに生きたら、ど
んなに気が楽になるだろうと思う。が、そう思っていても、それができない。どうしても他人の目
を意識し、それを意識したとたん、自分を作ってしまう。

 ……ここまで考えると、その先に、道がふたつに分かれているのがわかる。ひとつは居なお
って生きていく道。もうひとつは、さらけ出しても恥ずかしくない自分に作り変えていく道。いや、
一見この二つの道は、別々の道に見えるかもしれないが、本当は一本の道なのかもしれな
い。もしそうなら、もう迷うことはない。二つの道を同時に進めばよい。

●あるがままに生きる
 話は少しもどるが、自分をごまかして生きていくというのは、たいへん苦しいことでもある。疲
れる。ストレスになるかどうかということになれば、これほど巨大なストレスはない。あるいは反
対に、もしごまかすことをやめれば、あらゆるストレスから解放されることになる。人はなぜ、と
きとして生きるのが苦痛になるかと言えば、結局は本当の自分と、ニセの自分が遊離するから
だ。そのよい例が私の講演。

 最初のころ、それはもう二〇年近くも前のことになるが、講演に行ったりすると、私はヘトヘト
に疲れた。本当に疲れた。家に帰るやいなや、「もう二度としないぞ!」と宣言したことも何度か
ある。もともとあがり症だったこともある。私は神経質で、気が小さい。しかしそれ以上に、私を
疲れさせたのは、講演でいつも、自分をごまかしていたからだ。
 「講師」という肩書き。「はやし浩司」と書かれた大きな垂れ幕。それを見たとたん、ツンとした
緊張感が走る。それはそれで大切なことだが、しかしそのとたん、自分が自分でなくなってしま
う。精一杯、背伸びして、精一杯、虚勢を張り、精一杯、自分を飾る。ときどき講演をしながら、
その最中に、「ああ、これは本当の私ではないのだ」と思うことさえあった。

 そこであるときから、私は、あるがままを見せ、あるがままを話すようにした。しかしそれは言
葉で言うほど、簡単なことではなかった。もし私があるがままの自分をさらけ出したら、それだ
けで聴衆はあきれて会場から去ってしまうかもしれない。そんな不安がいつもつきまとった。そ
のときだ。私は自分でこう悟った。「あるがままをさらけ出しても、恥ずかしくないような自分にな
ろう」と。が、今度は、その方法で行きづまってしまった。

●自然な生活の中で……
 ところで善人も悪人も、大きな違いがあるようで、それほどない。ほんの少しだけ入り口が違
っただけ。ほんの少しだけ生きザマが違っただけ。もし善人が善人になり、悪人が悪人になる
としたら、その分かれ道は、日々のささいな生活の中にある。人にウソをつかないとか、ゴミを
捨てないとか、約束を守るとか、そういうことで決まる。つまり日々の生活が、その人の月々の
生活となり、月々の生活が年々の生活となり、やがてその人の人格をつくる。日々の積み重ね
で善人は善人になり、悪人は悪人になる。しかし原点は、あくまでもその人の日々の生活だ。
日々の生活による。むずかしいことではない。中には滝に打たれて身を清めるとか、座禅を組
んで瞑想(めいそう)にふけるとか、そういうことをする人もいる。私はそれがムダとは思わない
が、しかしそんなことまでする必要はない。あくまでも日々の生活。もっと言えば、その瞬間、瞬
間の生きザマなのだ。

 ひとりソファに座って音楽を聴く。電話がかかってくれば、その人と話す。チャイムが鳴れば
玄関に出て、人と応対する。さらに時間があれば、雑誌や週刊誌に目を通す。パソコンに向か
って、メールを書く。その瞬間、瞬間において、自分に誠実であればよい。人間は、もともと善
良なる生き物なのである。だからこそ人間は、数十万年という気が遠くなる時代を生き延びる
ことができた。もし人間がもともと邪悪な生物であったとするなら、人間はとっくの昔に滅び去っ
ていたはずである。肉体も進化したが、同じように心も進化した。そうした進化の荒波を越えて
きたということは、とりもなおさず、私たち人間が、善良な生物であったという証拠にほかならな
い。私たちはまずそれを信じて、自分の中にある善なる心に従う。

 そのことは、つまり人間が善良なる生き物であることは、空を飛ぶ鳥を見ればわかる。水の
中を泳ぐ魚を見ればわかる。彼らはみな、自然の中で、あるがままに生きている。無理をしな
い。無理をしていない。仲間どうし殺しあったりしない。時に争うこともあるが、決して深追いをし
ない。その限度をしっかりとわきまえている。そういうやさしさがあったからこそ、こうした生き物
は今の今まで、生き延びることができた。もちろん人間とて例外ではない。

●生物学的な「ヒト」から……
 で、私は背伸びをすることも、虚勢を張ることも、自分を飾ることもやめた。……と言っても、
それには何年もかかったが、ともかくもそうした。……そうしようとした。いや、今でも油断をす
ると、背伸びをしたり、虚勢を張ったり、自分を飾ったりすることがある。これは人間が本能とし
てもつ本性のようなものだから、それから決別することは簡単ではない(※1)。それは性欲や
食欲のようなものかもしれない。本能の問題になると、どこからどこまでが自分で、そこから先
が自分かわからなくなる。が、人間は、油断をすれば本能におぼれてしまうこともあるが、しか
し一方、努力によって、その本能からのがれることもできる。大切なことは、その本能から、自
分を遠ざけること。遠ざけてはじめて、人間は、生物学的なヒトから、道徳的な価値観をもった
人間になることができる。またならねばならない。

●ワイフの意見
 ここまで書いて、今、ワイフとこんなことを話しあった。ワイフはこう言った。「あるがままに生
きろというけど、あるがままをさらけ出したら、相手がキズつくときもあるわ。そういうときはどう
すればいいの?」と。こうも言った。「あるがままの自分を出したら、ひょっとしたら、みんな去っ
ていくわ」とも。
 しかしそれはない。もし私たちが心底、誠実で、そしてその誠実さでもって相手に接したら、そ
の誠実さは、相手をも感化してしまう。人間が本来的にもつ善なる心には、そういう力がある。
そのことを教えてくれたのが、冒頭にあげた、二人の知人たちである。たがいに話しこめば話
しこむほど、私の心が洗われ、そしてそのまま邪悪な心が私から消えていくのがわかった。別
れぎわ、私が「あなたはすばらしい人ですね」と言うと、S君も、K氏も、こぼれんばかりの笑顔
で、それに答えてくれた。

 私は生涯において、そしてこれから人生の晩年期の入り口というそのときに、こうした二人の
知人に出会えたということは、本当にラッキーだった。その二人の知人にはたいへん失礼な言
い方になるかもしれないが、もし一人だけなら、私はその尊さに気づかなかっただろう。しかし
二人目に、所沢市のK氏に出会ったとき、先の金沢氏のS氏と、あまりにもよく似ているのに驚
いた。そしてそれがきっかけとなって、私はこう考えるようになった。「なぜ、二人はこうも共通
点が多いのだろう」と。そしてさらにあれこれ考えているうちに、その共通点から、ここに書いた
ようなことを知った。
 S君、Kさん、ありがとう。いつまでもお元気で。

●みなさんへ、

あるがままに生きよう!
そのために、まず自分を作ろう!
むずかしいことではない。
人に迷惑をかけない。
社会のルールを守る。
人にウソをつかない。
ゴミをすてない。
自分に誠実に生きる。
そんな簡単なことを、
そのときどきに心がければよい。
あとはあなたの中に潜む
善なる心があなたを導いてくれる。
さあ、あなたもそれを信じて、
勇気を出して、前に進もう!
いや、それとてむずかしいことではない。
音楽を聴いて、本を読んで、
町の中や野や山を歩いて、
ごく自然に生きればよい。
空を飛ぶ鳥のように、
水の中を泳ぐ魚のように、
無理をすることはない。
無理をしてはいけない。
あなたはあなただ。
どこまでいっても、
あなたはあなただ。
そういう自分に気づいたとき、
あなたはまったく別のあなたになっている。
さあ、あなたもそれを信じて、
勇気を出して、前に進もう!
心豊かで、満ち足りたあなたの未来のために!
(02−8−17)※

(追記)

※1……自尊心
 犬にも、自尊心というものがあるらしい。
 私はよく犬と散歩に行く。散歩といっても、歩くのではない。私は自転車で、犬の横を伴走す
る。私の犬は、ポインター。純種。まさに走るために生まれてきたような犬。人間が歩く程度で
は、散歩にならない。
 そんな犬でも、半時間も走ると、ヘトヘトになる。ハーハーと息を切らせる。そんなときでも、
だ。通りのどこかで飼われている別の犬が、私の犬を見つけて、ワワワンとほえたりすると、私
の犬は、とたんにピンと背筋を伸ばし、スタスタと走り始める。それが、私が見ても、「ああ、か
っこうをつけているな」とわかるほど、おかしい。おもしろい。
 こうした自尊心は、どこかで本能に結びついているのかもしれない。私の犬を見ればそれが
わかる。私の犬は、生後まもなくから、私の家にいて、外の世界をほとんど知らない。しかし自
尊心はもっている? もちろん自尊心が悪いというのではない。その自尊心があるから、人は
前向きな努力をする。私の犬について言えば、疲れた体にムチ打って、背筋をのばす。しかし
その程度が超えると、いろいろやっかいな問題を引き起こす。それがここでいう「背伸びをした
り、虚勢を張ったり、自分を飾ったりする」ことになる。言いかえると、どこまでが本能で、どこか
らが自分の意思なのか、その境目を知ることは本当にむずかしい。卑近な例だが、若い男が
恋人に懸命にラブレターを書いたとする。そのばあいも、どこかからどこまでが本能で、どこか
ら先がその男の意思なのかは、本当のところ、よくわからない。
 自尊心もそういう視点で考えてみると、おもしろい。

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子育て随筆byはやし浩司 (54)

上見てキリなし、下見てキリなし

 ある母親は、息子(小二)と一緒に公園の近くを歩いているとき、その息子にこう言ったとい
う。公園の中には、一〇人ほどのホームレスの人たちが生活していた。いわく、「あんたもしっ
かり勉強しなさいよ。勉強しないと、ああいう人になってしまうからね」と。一見、合理性がある
ようだが、この話にはまったく合理性がない。ないばかりか、とんでもない話である。

 昔の人は、よくこう言った。「上を見てキリなし。下を見てキリなし」と。人というのは、上ばかり
見ていると、人間の欲望には際限がなく、いつまでたっても満足をすることはない。だから上ば
かりを見ていてはいけない。ほどほどのところで満足しろ、と。同じように自分はダメだと思って
いても、自分より、もっと苦しく、つらい立場の人でもがんばっているから、夢や希望を捨てては
いけない、と。この格言をよいほうに解釈すれば、そういうことになる。しかし実際には、この格
言は戦前の国語の教科書に載っていた。またここでいう「上」「下」というのは、立場や身分のこ
とをいった。

 この「上下論法」は、教育の世界ではよく使われる。先日もテレビの教育講演で、ある講師が
こう言っていた。何でもその人がアフリカへ行ったときのこと。あまりにも貧しい生活ぶりに、そ
の人は驚き、日本の豊かさを思い知らされたという。それはわかるが、その話をしながら、講
師は会場の小学生たちに、こう話をつづけた。「君たちは恵まれている。その恵まれていること
に感謝して、勉強してください」と。しかしこの論法は、基本的な部分でおかしい。

 「あなたたちより不幸な人たちがいるから、あなたたちは幸福だ」という論法は、いわば現状
をあきらめろというのと同じことである。さらにその講師は、「感謝しなさい」と言ったが、子ども
たちは、いったいだれにどう感謝したらよいというのか。まさかおとなの世界に感謝せよという
ことでもあるまい。同じようなことだが、最近でもこんな話を聞いた。ある女性(四〇歳くらい)
が、夫の暴力に耐えかねて、夫の両親にそれを相談したときのこと。その夫の母親はこう言っ
たという。「私なんか、夫からもっとひどい暴力を受けたら……」と。その女性には、その義母の
言葉が、「だから、がまんしなさい」と言ったように聞こえたという。

 さらにこの論法がまかり通るとするなら、では反対の立場におかされたときは、どうなのかと
いう問題がある。幸福な人に向かって、「あなたたちより不幸な人がいるから、感謝しなさい」と
言うのには、まだ正当性がある。しかし不幸な人に向かって、「さらに不幸な人がいるから感謝
しなさい」とか、さらに「幸福な人がいるから、世の中をうらみなさい」と言うのには、正当性がな
い。それがわからなければ、ではその講師は、アフリカの貧しい子どもたちに向かっては、何と
言うのだろうかということを考えてみればよい。あるいは「君たちは恵まれていない。どうか自
分たちの境遇をうらんでください。うらんで、勉強なんかしないでください」とでも言うのだろう
か。

 人は、上を見る必要はない。下も見る必要はない。私は私だし、あなたはあなただ。また「感
謝」という言葉は、こういうとき使う言葉ではない。いや、実は私の恩師の一人も、いつも私にこ
う言っている。「林君は、何が不満なのですか。この日本はいい国です。すばらしい国です。ど
うしていつも不平ばかり言っているのですか」と。
 私も何も、この国がつまらないと言っているのではない。私はこの国を、もっとよくしたいと言
っているだけ。不満があるかないかということになれば、不満だらけだが、だからといって、こ
の国を嫌っているわけではない。おかしいものは、おかしいと言っているのだ。決して上を見て
いるわけでもない。下を見ているわけでもない。そういう状態で、この国に感謝すれば、感謝し
たとたん、私はこの国のかかえる矛盾や問題を、是認したことになってしまう。

 さらにつけ加えれば、この「上下論法」は、結局は、相対的なものの見方でしかない。それは
ちょうど「世間体」という言葉がもつ意味に通ずる。いつもどこかで他人の目を意識した生き方
になってしまう。そして「隣の家よりも裕福だから、私は幸福」「隣の家より貧乏だから、私は不
幸」と。自分をいつも他人の目の中に置くようになると、ここでいう「上下論法」を無意識のうち
にも、自分の中でするようになる。ある女性(五〇歳)は、いつも自分よりも不幸な人をみつけ
てきては、それをゴシップのネタにしてきた。彼女にしてみれば、それは実に楽しい話題だった
かもしれないが、やがてその醜悪さは、顔中にあらわれるようになった。六〇歳も過ぎるころに
なると、だれが見ても、そういう人だとわかるような顔つきになってしまった。が、それだけでは
すまなかった。
 やがて今度は自分がその不幸な人の立場に置かされたとき、今度は、今まで笑った分だ
け、自分の境遇に苦しむところとなった。そういうこともある。

 「上見てキリなし、下見てキリなし」というのは、一見、人生の核心をついたような格言だが、
その実、その裏には、人間の醜悪さが見え隠れする。繰り返すが、人間には上も下もない。だ
から他人を上に見るのも、また下に見るのも正しくない。また見てはならない。そして上の人を
見て、自分の生きザマの目標にするのならまだしも、下の人を見て、それを笑ったり、さげすん
だりしてはいけない。だいたい「下の人」という発想が、まちがっている。結局は私の言いたい
ことは、このことだけかもしれない。
(02−8−17)※

(追記)
 しかし実際には、何かのことでくじけそうになったようなとき、「私だけではない」「私より苦しい
立場でがんばっている人がいる」と思うことで、それを乗りきることができることがある。それは
それとして、だからといって、ここでいうような「下」という言葉を使うことは許されない。あえて言
うなら、この格言は、つぎのように書きかえてはどうだろうか。
 「自分を高めることにキリなし、自分を低めることにキリなし」と。
 あるいは、
 「人には上もなければキリもない。人には下もなければキリもない」でもよい。
 あくまでも、上下は、自分の問題ということ。

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子育て随筆byはやし浩司(55)

花火

 山荘へ行く途中、K町の祭りにでくわした。大きな花火が、断続的に打ち上げられた。私とワ
イフは、車を路肩にとめて、しばし、その花火を楽しんだ。
 あの花火には、不思議な魅力がある。ヒューと音をたてて、大空にドンと光る。散る。そして
消える。あとには、夜空に残る白煙。それを繰り返し見ていると、人生そのものを感ずる。花火
に命はないが、花火は命そのものの象徴か? 若い人にとっては、人生の華々しさを。壮年、
中年の人には、過ぎ去りし日々のロマンスを。そして私のような老人の入り口に立つ人には、
人生の悲哀を……。
 
 私は子どものころ、よく祖父に手をひかれて、町内の夜祭に行った。そのときの感触が、今で
も忘れられない。花火を見ていると、その感触がそのまま伝わってくる。
 青春時代、恋人と川原に座って一緒に花火を見たことがある。ゆかたが艶(なまめ)かしく乱
れ、そのすき間から、白い乳房がこぼれんばかりに光っていた。
 息子たちができてからのこと。バス会社の企画旅行で、どこかの花火大会を見に行った。弁
当つきで、私たちはその弁当を食べながら、ゴザの上に寝転んでそれを見た。
 そして今、私はワイフと車の中で手をつなぎあって、花火を見ている。こうした時間も、つぎの
瞬間には、どこかへ消えてなくなるのだろう。花火が光って消えるたびに、この年齢になると、
「時間よ止まれ!」と心の中で叫ぶ。しかしそういう私の気持ちなど、おかまいなしに、花火は
光ってはまた消える。ドン、ドン、と。

 また車を走らせると、それまでは気づかなかったが、暗闇の中に、多くの人がいるのがわか
った。道端に座っている人。歩道にイスを持ち出して座っている人。寝転んでいる人もいた。た
わむれている若い男女も目についた。それぞれがそれぞれの思いの中で、花火を楽しんでい
た。そう、それはあたかも走馬灯にうつる影絵のようでもあった。つぎつぎとそういう人たちが
現れては消える。それらをうしろに見やりながら、私たちは、やがて山荘へつづくわき道へと入
った。
(02−8−17)※

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子育て随筆byはやし浩司(56)

子どもの巣立ち

 子どもは巣立ったあと、無数の父親に出会い、無数の母親に出会う。子どもはたしかにあな
たから生まれ、あなたによって育てられるが、決してあなたのモノではない。あなたが育てるの
は、あくまでも一人の人間。そしてその人間は、やがてあなたから巣立ち、その子ども自身の
人生を始める。

 親としては、うれしくも、どこかもの悲しい瞬間でもある。自分の手で子どもの心をすくってい
るはずなのに、その心が、指の間からポタポタともれていく。その切なさ。そのはがゆさ。しかし
親としてできることはもうない。ただ黙って、その背中を見送るだけ。

 子どもは、子どもの世界で、それから先、無数の父親に出会い、無数の母親に出会ってい
く。私ひとりが、子どもの父親ではない。母親でもない。そう思うのは、それは同時に、私たちが
子離れの、最後の仕あげをするときでもある。「お前の人生は、お前のもの。たった一度しかな
い人生だから、思う存分、この世界を羽ばたいてみなさい」と。

 が、振りかえると、そこには秋の乾いた風。ヒューヒューと乾いたホコリを巻きあげて、枯れた
木々の間で舞っている。心のどこかで、「こんなはずではなかった」と思う。あるいは「どうしてこ
ういうことになってしまったのか」とも思う。しかし子どもは、もうそこにはいない。

 願わくば、幸せに。願わくば、無事に。願わくば、健康に。

 親孝行? ……そんなくだらないことは考えるな。家の心配? ……そんなくだらないことも
考えるな。私たちは私たちで、最後の最後まで、幸福に生きるから、お前はお前たちで、自分
の人生を思いっきり生きなさい。この世界中の人が、お前の父親だ。お前の母親だ。遠慮する
ことはない。

 精一杯、親としてそう強がってはみるものの、さみしいものはさみしい。しかしそのさみしさを
ぐっとこらえて、また言ってみる。「元気でな。体を大切にするんだよ」と。あの藤子・F・不二雄
の「ドラえもん」の中にも、こんなシーンがある。「タンポポ、空をゆく」(第一八巻・一七六ペー
ジ)というのが、それ。

 タンポポがガラスバチの中で咲く。それをのび太が捨てようとすると、ドラえもんが、「やっと育
った花の命を、……愛する心を失ってはいけない」と、さとす。物語はここから始まるが、つぎ
にドラえもんは、のび太に、花の心がわかるグラス(メガネ)を与える。のび太は、そのグラスを
使って、花の心を知る。

 タンポポの心を知ったのび太は、タンポポを日当たりのよい庭に植えかえる。が、しばらくす
ると、嵐がやってくる。のび太はタンポポをすくうため、嵐の中で、そのタンポポに植木バチをか
ぶせる。こうした努力があって、タンポポはやがてきれいな花を咲かせる。のび太が「きれいに
咲いたね」と声をかけると、タンポポは、「のび太さんのおかげよ」と、礼を言う。「こんないい場
所へ植えかえていただいて、嵐から守ってもらって。のび太さんは、ほんとうにやさしくて、たの
もしい男の子だわ」と。

 そのタンポポの種が、空を飛び始めるとき、のび太は、こう言う。「いよいよだね」と。小さなコ
マだが、のび太が手をうしろに組み、誇らしげに空を見ているシーンが、すばらしい(一八六ペ
ージ)。そのあと、のび太はこうつづける。
 「子どもたちが、ひとりだちして、広い世界へ飛び出していって……、きれいな花を咲かすん
だね」と。 
 一人(一本)だけ、母親のタンポポから離れていくのをいやがる種がいる。「いやだあ、いつま
でもママといるんだあ」と。それを見てのび太が、またこうつぶやく。「いくじなしが、一人残って
いる……」と。

 タンポポの母親「勇気を出さなきゃ、だめ! みんなにできることが、どうしてできないの」
 子どもの種「やだあ、やだあ」
 のび太「一生懸命、言い聞かせているらしい。タンポポのお母さんも、たいへんだなあ」
 タンポポの母親「そうよ、ママも風にのって、飛んできたのよ」
 子どもの種「どこから? ママのママって、どこに生えていたの?」
 タンポポの母親「遠い、遠い、山奥の駅のそば……。ある晴れた日、おおぜいの兄弟たち
と、一緒に飛びたったの」
 子どもの種「こわくなかった?」
 タンポポの母親「ううん、ちっとも。はじめて見る広い世界が、楽しみだったわ。疲れると。列
車の屋根におりて、ゴトゴト揺られながら、昼寝をしたの。夜になると、ちょっぴりさびしくなっ
て、泣いたけど、お月さまがなぐさめてくれたっけ。高くのぼって、海を見たこともあるわ。青く
て、とってもきれいだったわよ。やがてこの町について……。のび太さんの、お部屋に飛び込ん
だの」
 子どもの種「ママ、旅をして、よかったと思う?」
 タンポポの母親「もちろんよ。おかげできれいな花を咲かせ、ぼうやたちも生まれたんですも
の」
 子どもの種「眠くなっちゃった」
 タンポポの母親「じゃあね。歌を歌ってあげますからね。ねんねしなさい」

 子どもの種が旅立つ日。のび太はその種を、タケコプターで追いかける。

 のび太「おおい、だいじょうぶか」
 子どもの種「うん。思ったほど、こわくない」
 のび太「どこへ行くつもり?」
 子どもの種「わかんないけど……。だけどきっと、どこかできれいな花を咲かせるよ。ママに
心配しないでと伝えて」
 のび太「がんばれよ」

 この物語は、全体として、美しい響きに包まれている。何度読み返しても、読後感がさわやか
である。それだけではない。巣立っていく子どもを見送る親の切なさが、ジーンと胸に伝わって
くる。子どもの種はこう言う。「ママに心配しないでと伝えて」と。タンポポの親子にしてみれば、
それは永遠の別れを意味する。それを知ってか知らずか、のび太はこう言ってタンポポの種を
見送る。「がんばれよ」と。私はこの一言に、藤子・F氏の親としての姿勢のすべてが集約され
ているように感ずる。

 あなたの子育てもいつか、子どもの巣立ちという形で終わる。しかしその巣立ちは決して美し
いものばかりではない。たがいにののしりあいながら、別れる親子も多い。しかしそれでも巣立
ちは巣立ち。子どもたちは、その先で、無数の父親や母親たちを求めながら、あなたから巣立
っていく。あなたはそういう親たちの一人に過ぎない。あなたがせいぜいできることといえば、そ
ういう親たちに、あなたの子どもを託すことでしかない。またそうすることで、あなたは子どもの
巣立ちを、一人の人間として見送ることができる。

 さあて、あなたはいったい、どんな形で、子どもの巣立ちを見送ることになるだろうか。それを
心のどこかで考えるのも、子育てのひとつかもしれない。
(02−8−18)※

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


子育て随筆byはやし浩司(57)

三世代同居時代は終わった?

 郊外の農村へ行くと、今でも、三世代同居家族がふつう。中には四世代同居家族というのも
ある。
 しかしこれからは、三世代同居はムリ。社会や人間が変わったというより、今の若い人たち
は、そもそもそういう教育を受けていない。そういう環境で、子育てをされていない。バラバラと
いえばバラバラ。しかしそれが世界の常識。いや、その常識がまちがっているというのではな
い。日本が欧米化を進めたときから、それが世界の常識だった。だからそういう常識に合わせ
て、社会のほうを改める。福祉制度にせよ、老人施設にせよ、あるいは社会保険制度のあり
方にせよ、はたまたものの考え方も、である。もう逆もどりはできない。もっとはっきり言えば、
一度カゴから出した鳥は、もうカゴには戻らない。
 今、農村地域の三世代同居家族や、四世代同居家族では、世代間の確執(かくしつ)、ある
いは対立が、大きな問題になっている。たいていは嫁、姑(しゅうとめ)の問題。嫁と舅(しゅう
と)の問題も多い。たがいにまったく口をきかないとか、あるいは食事は別々という家族も珍しく
ない。本来なら別居が望ましいが、世間体とメンツの問題もあって、それもままならないようだ。
 
 こういう問題を投げかけられると、私はついこう言いそうになる。「もともとムリな問題です」
と。それはちょうど、大空を舞う小鳥をつかまえて、小さなカゴに入れるようなもの。おとなしくし
ていろというほうが、ムリ。おかしい。
 それがよいか悪いかは別にして、ともかくも、そういう時代なのだ。そこでひとつのヒントとし
て、オーストラリアの農家ではどうなのかについて、ここに書く。

 もちろんオーストラリアにも、農牧業はある。しかし四世代同居家族はもちろん、三世代同居
家族というのですら、まず、ない。農牧業を営むにしても、完全な別居が原則。そして年をとり、
引退の時期を迎えると、自ら都市部のフラット(アパート)に身を移す。そのときたいていは農地
や牧場は、だれかに売り渡す。そしてたいていは最後の最後まで、そのままの状態で過ごす。
で、いよいよ病気などで動けなくなったようなときは、老人施設に身を移す。そのときでも、息子
や娘の家に身を寄せる老人は、まず、いない。そして自ら、その施設で最後のときを迎える。
 こうした方式は、アメリカの農村部でもほぼ同じ。日本が戦後の高度成長期にに欧米化の道
を歩み始めたとき、すでにこうした未来は見えていたはず。つまりそういう前提で、これからの
家族のあり方を考える。繰り返すが、あと戻りは、もうできない。
(02−8−18)※

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子育て随筆byはやし浩司(58)

子育てのリズムとパターン

 子育てには、一定のリズムがある。このリズムは、たいてい母親が子どもを妊娠したときから
始まる。そしてそのリズムは、子育てが終わるまで、あるいは終わってからも、そのままつづ
く。
 たとえばこんな母親がいた。胎教とか何とか言って、妊娠中は、おなかにカセットレコーダー
を置き、胎児に英会話やクラシック音楽のCDを聞かせた。生まれてからは、子どもが泣き出
す前に、つまりほしがる前に、いつも時間をはかってミルクを与えてた。子どもがヨチヨチ歩くよ
うになると、スイミング教室へ入れたり、音感教室に入れたりした。さらに子どもが大きくなる
と、算数教室へ入れたり、英会話教室に入れたりした。
 この母親のばあい、何かにつけて、子どものテンポより、一テンポ早い。これがこの母親のリ
ズムということになる。そしてこのリズムが、全体として、大きなうねりとなる。それがここでいう
パターンということになる。このパターンは、母親によって違う。いろいろなケースがある。
 ある母親は、子どもによい思いをさせるのが、よい親のあるべき姿と信じていた。だから毎日
の食事の献立も、休日の過ごし方も、すべて子ども中心に考えた。家を新築したが、一番日当
たりのよい部屋は、子ども部屋にした。それぞれの部分は、リズムで決まるが、全体としてそ
れがその母親のパターンになっているのがわかる。この母親は、子どものためと思いながら、
結局は子どもを甘やかしている。そしてこのパターンは、一度、できると、あとは大きなうねりと
なって、繰り返し、繰り返し現れては消える。
 その子どもが中学生になったときのこと。その子どもが大型量販店で万引きをして、補導さ
れてしまった。その夜のこと。その母親は、まず私の家に飛び込んできた。そしてこう泣き叫ん
だ。「今、内申書に悪く書かれると、あの子は高校へ進学できなくなります。何とかしてほしい」
と。しかし私には助ける術(すべ)がない。断ると、その母親はその夜のうちに、あちこちを駆け
回り、事件そのものを、もみ消してしまった。多分、お金で解決したのだろうと思う。
 この母親のばあい、「子どもを甘やかす」というパターンがあるのがわかる。そしてそのパタ
ーンに気づかないまま、その母親はそのパターンに振り回されているのがわかる。もしそれが
よいパターンならよいが、悪いパターンなら、できるだけ早くそれに気づき、そのパターンを修
正するのがよい。まずいのは、そのパターンに気づかないまま、それに振り回されること。子ど
もはそのパターンの中で、底なしの泥沼に落ち込んでいく。それを防ぐ第一歩として、あなたの
子育てが、どのようなリズムをもっているかを知る。
 一見人間の行動は複雑に見えるが、その実、一定のリズムとパターンで動いている。もちろ
ん子育てに限らない。生活のあらゆる部分に、そのリズムとパターンがある。ここにも書いたよ
うに、それがよいリズムとパターンなら、問題はない。しかし悪いリズムとパターンなら、長い時
間をかけて、あなたの生活全体は、悪いほうに向かう。そのためにも、今、あなたの生活が、
どんなリズムで、どんなパターンの中で動いているかを知る。
 ついでに一言。こと子どもについて言うなら、このリズムとパターンを知ると、その子どもが今
後、どのようになって、どのような問題を引き起こすようになるかまで、わかるようになる。少な
くとも、私にはわかる。よく「林は、超能力者みたいだ」と言う人がいるが、タネを明かせば何で
もない。子どもというのは、どんな人間になるかは、無数の方程式の組み合わせで決まる。そ
の方程式を解くカギが、その親のリズムとパターンということになる。
そのリズムとパターンがわかれば、子どもの将来を予測することぐらい、何でもない。ただ立場
上、わかっていても、それをはっきり言わないだけ。万が一まちがっていたらという思いもある
が、子育てにははっきりわからなくてもよいことは山のようにある。わからないまま手さぐりで進
むのも、子育てのまた、おもしろいところではないのか。
(02−8−18)※

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子育て随筆byはやし浩司(59)

悪人のエサになるな

 一日、アルバイトで、ある男(五五歳)に、トラックの運転手をしてもらった。大きな荷物を運ぶ
ためである。気前よく引き受けてくれたが、日当は、トラックのレンタル料とガソリン代は別で、
半日で、三万円、一日で、五万円という。私は了解した。

 が、その男と並んで座席に座ったところまではよかったが、それからがたいへんだった。その
男はたいへんなヘビースモーカーで、ほぼ五分おきに、新しいタバコに火をつけていた。それ
だけではない。タバコの吸殻は、片手でくるくるとつぶして、窓の外に捨てていた。吸殻だけで
はなく、空箱まで! あれだけタバコを吸えば、喉(のど)がガラガラになって当たり前。そのつ
どググツとうならせては、窓の外へ、喉にからんだ痰をペッペッと吐いていた。しかしそういう姿
を目の当たりで見せつけられると、驚くよりも先に、あきれてしまう。

 私は早く荷物運びがすむことだけを心の中で願った。何とも居心地の悪い世界だった。しか
しそういう気持ちなど、その男には理解できるはずもない。ズケズケと、ふつうならしない会話
で、私に話しかけてきた。

 「林さんは、あちこちで講演をしているんですってねえ」「講演料はいくらですかい」「毎月、何
回くらい講演をしているんですかい」「一冊本を書くと、ずいぶんと儲かるんでしょ」「収入も多い
んでしょうな」「私をカバンもちでいいですから、雇ってくださいな」と。

 誤解があるといけないので書いておくが、公的機関(小中学校など)で講演をするときには、
講演料はたいてい決まっている。静岡県のばあい、X〜X万円が相場。プラス旅費。公民館な
どでの行事は、X〇〇〇円。そこから税金を引かれるから、手取りX〇〇〇円ちょっと。私的な
団体が主催する講演や、おおがかりな講演となると、もう少しよいが、それでもXX万円を超え
ることはめったにない。準備や、それにまつわる仕事の手間を入れたら、年金でももらっている
なら話は別だが、私のようなものに、とてもできる仕事ではない。講演するときは、当然のこと
ながら、ほかの仕事を休まねばならない。いや、実際には私は講演活動を仕事とは考えてい
ない。あくまでもボランティア活動と考えている。
 本にしても、増刷があってはじめて、いくらかの利益になる。増刷がなければ、半年くらいで
本を売り切ったあと、そのまま絶版。売れ残った本は、著者自らが買い取るという方式が多
い。つまり赤字!

 私はその男との会話を何とかごまかして過ごしたが、それが結構疲れる。痰をペッペッと窓
の外に吐くたびに、どれほど肩身の狭い思いをしたことか! 私には悪夢のような一日だっ
た。

 が、それからほぼ三か月後のこと。今度はその男から、電話がかかってきた。何でもパソコ
ンの使い方がわからないから教えてくれ、と。話を聞くと、新しいソフトのインストールのし方が
わからないという。が、電話で話してもチンプンカンプン。「インストール」という言葉の意味すら
知らなかった。で、電話の成り行きで、私がその男性の家に出向き、使い方を説明することに
なった。パソコンをいじるのは、嫌いではない。

 で、そうして、つまりその男の家に行き、ソフトをインストールしてやり、その上、そのソフトの
使い方を教えて、その日の午前中は、ほぼつぶれてしまった。何となく割り切れない思いは残
ったが、自分なりに「人助けはいいものだ」と思うことで、納得した。

 が、事件は、それからさらに半年後に起きた。何とその男が、教材販売を始めたというのだ。
そこで私に「生徒の名簿を貸してほしい」と。私は「名簿を貸すことはできないが、その教材の
パンフレットを配り、注文ならとってやってもよい」と言った。男は喜んだ。で、私はそのパンフレ
ットを、私の生徒に配ってやった。注文は、全部で五〇件ほどとれた。が、ここからがその男の
出番である。

その男はこう言った。「林さん、私が直接、生徒さんに会って、教材の説明をしたいのですがい
いですか」と。私はそれほど深く考えず、「いいです」と承諾した。が、その男は、それぞれの家
庭にあがりこみ、「林先生とは二〇年来の親友だ」とか、「今度、家庭教育指導は私がするよう
にと、林先生から頼まれている」と、とんでもないことを言い出した。とたん、何人かの父母から
苦情の電話が入った。「二時間もセールスでねばられた」「三〇万円もする百科事典を売りつ
けられた」「娘の机の中まで調べられた」などなど。

 今から思えば、その男が車の中で見せた様子から、その男の素性を判断すべきだった。し
かし気がついたときには、あとの祭り。私は甘かった。言いかえると、そういう男が私に近づい
てきたというのは、私自身に心のスキがあったということになる。直接の被害こそなかったが、
私は私の信用に大きなキズがついた。心の貧しい人というのは、そういう男をいう。誠意そのも
のが通じない。あるいはその誠意を逆手にとって、自分のために利用する。つきあえばつきあ
うほど、自分の心まで貧しくなる。
私の恩師の故松下哲子先生(元園長)はいつも私にこう言った。「悪人のエサになるな」と。悪
人のエサになるのは、自分で悪いことをするよりも、もっと悪いことだと。とても悲しいことだが、
松下先生の言ったことは正しい。

その人に、心の貧しさを感じたら、あなたにそれだけの抵抗力があるのなら、それでよいが、
そうでなければ、それ以上、つきあわないこと。時間のムダになるばかりではなく、自分の人間
性をも後退させる。これは人生のひとつの鉄則かもしれない。
(02−8−18)※

(追記)
 子どもの非行がよく話題になるが、非行そのものを攻撃しても、あまり意味がない。問題は、
どうすれば、子どもに、非行に対する抵抗力が身につくかということである。西洋医学では、結
核菌によって人は結核になると考える。しかし東洋医学では、結核菌などというのは、どこにも
ある。人が結核になるのは、体が結核菌に敗(やぶ)れたからからと考える。だから西洋医学
では。結核菌に対する攻撃を治療と考える。しかし東洋医学では、体質の改善(抵抗力の増
強)を、治療の原則とする。今、子どもたちの世界で、私たちに求められているのは、西洋医学
的な発想ではなく、東洋医学的な発想である。

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子どもの抵抗力をます法
(東洋医学の発想で防げ!)

子どもが非行に抵抗するとき 
●あやしげな男だった
 あやしげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れがと
れる、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰ってもらった。
 西洋医学では「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」という治
療原則を打ちたてる。これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核菌に敗れた
からだ」と考える。だから「体質を強化する」という治療原則を打ちたてる。人体に足りないもの
を補ったり、体質改善を試みたりする。これは病気の話だが、「悪」についても、同じように考え
ることができる。私がたまたまその男の話に乗らなかったのは、私にはそれをはねのけるだけ
の抵抗力があったからにほかならない。
●非行は東洋医学的な発想で 
 子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に抵抗力
を養うという方法もある。たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚
えてくる。最初はささいな好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親は叱ったりす
る。で、さらにそのあと、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑をは
ねのける子どももいる。東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないか
は、抵抗力の問題」ということになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋医
学の本質はここにある。東洋医学はもともとは、「病気になってから頼る医学」というよりは、
「病気になる前に頼る医学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と考えて
もよい。ではどうするか。
●子育ての基本は自由
 子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由る」という意味。つまり子どもには、自
分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもその時期は早ければ早
いほどよい。乳幼児期からでも、早すぎるということはない。自分で考えさせる時間を大切に
し、頭からガミガミと押しつける過干渉、子どもの側からみて、息が抜けない過関心、「私は親
だ」式の権威主義は避ける。暴力や威圧がよくないことは言うまでもない。「あなたはどう思
う?」「どうしたらいいの?」「どう始末したらいいの?」と、いつも問いかけながら、要は子ども
のリズムに合わせて「待つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗力のあ
る子どもにする。


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子育て随筆byはやし浩司(60)

私は超能力者?

 四〇歳を過ぎたころ、私は「あと一歩だが……」と、何度も思った。「あと一歩で子どものこと
がわかるのだが……」と。しかしその先はモヤモヤとした煙に包まれていた。はっきりしなかっ
た。何とも重苦しい毎日だった。毎日原稿を書いては破る、また書いては破るの連続だった。
 が、それから数年後。それはある日、突然やってきた。それは飛行機が上昇をつづけ、雲の
上に抜き出たときのような気分だった。気がつくと、子どものことが手にとるようによくわかるよ
うになっていた。これは驚きだった。どの子どもも、なぜ今の子どもなのか、また今もっている
問題の中身は何なのか、原因は何なのか、そしてこれから先、この子どもはどうなっていくの
か、それがまさに映像で見るかのようにわかるようになった。これはウソでも誇張でもない。本
当にわかるようになった。

 私は得意になって、子どもの親たちに、なぜ今、その親の子どもがそうなのかを話した。そし
て数年後先から、さらに一〇年後先くらいには、どうなって、どういう問題を起こすかなどを話し
た。たいていの親は目を白黒させて驚いた。あるいはショックを受けた親もいた。そしてそんな
とき、だれかが、私にこう言った。「林先生は、超能力者みたいですね」と。

 しかし私は超能力者でも何でもない。二〇代、三〇代のころは、幼稚園の年中児から高校三
年生まで教えていた。たった一日の間で、午前中は幼稚園で教え、午後は学習塾で教え、そ
れから進学塾へ行き、夜は家庭教師をしていた。いろいろな教師がいるが、私が経験したよう
な特異な教師は少ない。いつしか私は高校生を教えながら、「どうしてこの子どもはこうなった
のだろう」と考えるようになり、一方、幼児を教えながら、「この子どもは将来どうなるのだろう」
と考えるようになった。最初は、その両者はまったくつながっていなかった。が、やがてそれが
細い糸でつながるようになった。
 それにもうひとつは、現場の最前線で教えてきたこと。私はずっと、今でもそうだが、同じ教師
の中でも、最下層の教師に属する。いつも親たちのきびしい視線にさらされてきた。今でも病
気か事故で倒れれば、それでおしまい。そんな世界である。保障など、まったくない。そういうき
びしさが、一方で、私を鍛えた。たとえば私は当時、七〜八人も子どもが入ったらいっぱいにな
るという、小さな教室で教えていたが、それでもすべての授業は公開していた。学校で言えば、
毎日の毎時間が参観日のようなものだった。そういう経験が、今のはやし浩司の原点になって
いる。

 要するに経験ということか。無数の経験が、ある日突然、一列に並んだ。それだけのことかも
しれない。あとはその列になった経験の中から、今の子どもに当てはまる経験をさがしだせば
よい。私の前を今まで、無数の子どもたちが通り過ぎてきたが、しかしその無数の子どもたち
も、それぞれ一定のパターンがある。その子どもを見たとき、「以前にも似た子どもがいたぞ」
「その子どもはどうなったか」などと考えていくと、おのずと答えが出てくる。タネを明かせば何で
もない。

 しかしここでつぎの問題にぶつかった。私が知っていることを親に言うべきかどうかという問
題である。仮に近い将来問題を起こしそうな子どもがいたとする。そういう子どもをもつ親に向
かって、それを言うべきかどうか、と。実は最近もそういう子ども(年長男児)がいる。親は活発
で、少しやんちゃな子どもというふうに思っているが、私が見たところ、やがて手がつけられなく
なる。小学三、四年生ごろから非行の芽が現われ、その先は……、と。
 しかしやはり言うべきではない。わかっていても、言うべきではない。親のほうから相談でもあ
れば話は別だが、こちらから言う必要はない。万が一、まちがっていたらという思いもあるが、
もともと子育てというのは、そういうもの。

 たとえばあなたが大阪のユニバーサルスタジオを見てきたとする。あなたは実際見てきたか
ら、そこがどんなところかは、もう知っている。で、そこであなたは、これからユニバーサルスタ
ジオへ行くという人に出会ったとする。あなたはきっとそこがどんなところかをあれこれ説明す
るかもしれない。しかしいくら説明しても、本当の楽しさは、行ってみないとわからない。仮にあ
なたがユニバーサルスタジオはつまらなかったと思ったとしても、それを言う必要はない。相手
が「どう思った?」とでも聞くなら、話は別だが、相手が行くことを楽しみにしているならなおさ
ら、言ってはいけない。
 実は子育ても、これに似たところがある。私はすでに無数の子育てを実際見てきている。だ
から子育てがどういうものかがわかっている。しかし今、子育てをしている人に、それを説明し
ても意味はない。子育てというのは、まさに人生そのもの。生きることそのもの。それがどういう
子育てであれ、その人が経験するところに、その子育ての意味がある。人生はドラマだ。その
ドラマに価値がある。仮に問題が起きるだろうなとわかっていても、相手が聞くなら、話は別だ
が、言う必要はない。また言ってはならない。

 こういうのを、私の世界では、ニヒリズムという。わかっていても、その人が失敗するまで、ほ
うっておくしかない。こと子育ての問題は、その親にとってかわるなら話は別だが、そうでなけ
れば、その親が、日常的な試行錯誤の中で、自分で気がつくまで、待つしかない。その途中で
あれこれアドバイスをしても、ムダ。中には怒ってしまう人もいる。反対にあとで、「ずっと前から
こうなることはわかっていました」と私が言うと、「わかっていたら、なぜ話してくれなかったの
だ!」と怒った父親すらいた。
 しかしそれでも、ほうっておくしかない。子育てというのは、そして人生というのは、あくまでも
その人のもの。私がせいぜいできることと言えば、助けや助言を求められたとき、それに答え
てあげることでしかない。

 もし私を超能力者と思う人がいたら、それはまちがっている。そんな能力は論理的に考えて
も、ありえない。未知の能力はあるかもしれないが、それは「未知」というだけであって、能力は
能力。私の能力にしても、それは、それこそ血がにじみ出るような経験の中から生まれたも
の。どこかのだれかのように、魔法的な呪文で手に入れたものではない。
(02−8−19)※

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子育て随筆byはやし浩司(61)

私の講演

 私はいつも、「がんばろう」とは思わない。「一生懸命しよう」とも思わない。私はいつも、「今
日が最後だ」と、そんなふうに思うようにしている。「明日はない。今日の講演が、人生で最後
の講演になる」と。つまりそういうふうにして、自分で自分の中に緊張感をふるいたたせる。
 
 中には毎回同じ話をするという人もいるが、私のばあいは、毎回できるだけ違った話をする。
そういう意味では、毎回、失敗するか、成功するかは、話し終わってみないとわからない。(今
まで、満足した講演会は一度もないが……。)あるいはそのときの雰囲気で、話の内容をどん
どんと変えていく。私の講演会へ来てくれる人は、たいていほぼ一〇〇%が女性だが、ときに
は男性がまざっているときもある。そういうときは、男性向けの話に切りかえる。あくまでも聞き
にきてくれた人しだい。ムリをしない。

 ときには、ふと気が緩んだようなとき、気持ちがいいかげんになることもある。自分でも何を
話しているかわからなくなるときがある。そういうときでもふと、自分に言って聞かせる。「今日
が最後だ」と。実際、若いころと違って、二時間以上、緊張感を保つのは、容易なことではな
い。ときには、四時間という講演会もある。間に一五分ほど休憩時間を入れるが、それでも終
わるころには、身をもてあますほど、ヘトヘトに疲れる。食欲も消える。講演のあとというのは、
自分では緊張していないつもりでも、どういうわけか、ほとんど食欲がわかない。よく食事を用
意してくれる主催者もいるが、そんなわけで、いつも箸(はし)をつける程度ですませてしまう。

 が、本当のところ、講演会で講師をして、あとで「申し訳ない」と思うのは、託児コーナーで、託
児をしてくれている人がいることを知ったときだ。たいていはボランティアの母親や、保育士や
学生であったりする。そういう人たちが、私が好き勝手なことを話している間、子どものめんど
うをみてくれていたことを知ると、心底、「申し訳ない」という気持ちになる。「もっと役にたつ話を
すればよかった」とか、「つまらない話ばかりして、時間をムダにした」とか、など。講演会によっ
ては、私が話している間、三〇人近い人たちが裏方で動いてくれていることがある。そういうこ
とを知ると、ますます申し訳ない気持ちになる。責任を感ずるような仕事には見えないかもしれ
ないが、実際のところ、演壇に立つたびに、ズシリと重い責任感を覚える。

 さあて今日も、市内の公民館で、講演してきた。二五人程度のこじんまりした会場だったが、
話しやすかった。思う存分話した……という実感はないが、気持ちよく話すことができた。最後
までみなさん、静かに聞いてくれた。話したとき、こちらの言いたいことが、スーッと聞いてくれ
る人に耳に入っていくのを感じたときほど、うれしいことはない。(もちろんはその反対のことも
あるが……。)みなさん、どうもありがとう。何ともまとまりのないエッセーになってしまったが、こ
れは今日の講演会の、報告のようなもの。
(02−8−20、南部公民館で講師をしたあとに)※

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子育て随筆byはやし浩司(62)

からんでくる人たち

 今日もからまれた。昔、森進一の『♪おふくろさん』について書いた。地元の中日新聞に記事
を載せてもらった。それについて、「あなたの意見はおかしい」と。男性(三五歳くらい)だった。

 まず、そのときの記事をここに、そのまま転載する。

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子どもの自立心を育てる法
(依存心をもたせるな!)

日本人の依存性を考えるとき 

●森進一の『おくふろさん』
 森進一が歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。しかし
……。日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは日
本人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の親たち
は、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そして結果として、日
本では昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、「よい子」とし、一方、独
立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

●保護と依存の親子関係
 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」
と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。親が子どもに対して保護意
識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存するようになる。こんな子ども(年中男
児)がいた。生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ
着はもちろんのこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげたまま、
教室に戻ってきたりする。あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出す
こともできない。できないというより、じっと待っているだけ。多分、家でそうすれば、家族の誰
かが助けてくれるのだろう。そこであれこれ指示をするのだが、それがどこかチグハグになっ
てしまう。こぼしたミルクを服でふいたり、使ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしまったりす
るなど。

 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系の家庭で
は、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ども」という考え
方が徹底している。こんなことがあった。一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこ
と。そのとき母親は本を読んでいたのだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてき
た。母親はひととおり娘の話に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるの
よ。じゃましないでね」と。

●子育ての目標は「よき家庭人」
 子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立させる
こと」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。そこであなたの子どもはどう
だろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何とかしてくれ言葉」というのが、そ
れである。たとえばお腹がすいたときも、「食べ物がほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜
(だから何とかしてくれ)」と言う。ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。
もう少し依存心が強くなると、こういう言い方をする。私「この問題をやりなおしなさい」、子「ケシ
で消してからするのですか」、私「そうだ」、子「きれいに消すのですか」、私「そうだ」、子「全部
消すのですか」、私「自分で考えなさい」、子「どこを消すのですか」と。実際私が、小学四年生
の男児とした会話である。こういう問答が、いつまでも続く。

 さて森進一の歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさんよ
……」と泣くのは、世界の中でも日本人ぐらいなものではないか。よい歌だが、その背後には、
日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。

+++++++++++++

 この記事についての、批評、批判は少なくなかった。こうした日本の名曲を評論するのは、実
際のところ勇気がいる。書くほうとしては、それだけのインパクトをねらって書くが、ばあいによ
っては、読者の逆鱗に触れる。で、この記事はその逆鱗に触れた。今日、からんできた人も、
その一人だ。
 が、ここで改めて、日本人の依存性について書くつもりはない。それについては、もうあちこち
で、何度も書いてきた。だからここでは、その先について、書く。

 こうした原稿を読んで、不愉快に思うなら、それはそれでよいのでは……? 私は、森進一
の『おふくろさん』のファンの人に、攻撃をしかけたわけではない。「こういう見方もある」という
立場で書いた。それが逆鱗に触れたからといって、つまり私を個人攻撃しても意味はない。そ
ういう攻撃を受けたからといって、私は一度書いたものについての意見は曲げない。(自分で
訂正することはある。)また私が自説をひっこめたところで、どうにかなる問題でもあるまい。あ
るいは私が、「あの原稿の中で書いたことはまちがっていました」と書くとでも、思っているのだ
ろうか。しかもその記事を発表してから、すでに一年半以上もたっている。アフターサービスと
いう考え方からしても、すでに保証期間(?)は過ぎている。
 私はまったくフリーの立場にいて、公的な役職も、責任も、まったくない。要するに、私の意見
に同意できなければ、「同意できない」ですむ話である。それをああでもない、こうでもないと批
判するなら、その人はその人で、自分の意見を書いて、世に問えばよい。それが言論の自由と
いうものではないのか。

 ときどき自分でも、「どうしてこんな仕事をしているのだろう」と思う。「私にとって、メリットは何
か」とも。地位や肩書きなど、私にはもとから無縁だし、名誉といっても、地位や肩書きのように
「中身」がはっきりしない。金銭的な利益といっても、こうして地方に住んでいると、ほとんど、な
い。ここに「仕事」と書いたが、仕事にはならない。
 いや、もう少し若いころは、有名になりたいと思ったこともある。しかし今からでは遅過ぎる。
そういう気力そのものが、消えた。いや、有名になることの虚しさが、自分でもわかるようになっ
た。そしてそれにかわって、私はこの世の中に生きてきた痕跡(こんせき)を残したいと思うよう
になった。よく私は、「自分の書いたものは、墓石のようなもの」と書くが、それは本心である。
私はワイフや息子たちに、「死んでも墓はいらない。私の書いたものを墓と思ってくれ」と言って
いる。遺言のようなものだが、これも本心である。

 だから私は書く。思ったこと、考えたこと、それを書く。それが評価されるか、されないかは、
他人が決めることであって、私の問題ではない。
(02−8−20)※
 
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子育て随筆byはやし浩司(63)

初孫

 「いやだわ」とワイフが言った。しかしうれしそうだった。また「いやだわ」と言って、ワイフはう
れしそうに笑った。時計を見ると、もう夜中の一二時を回っていた。先ほどまで、私が話しかけ
ると、「うるさくて眠られない」と怒っていたのに、今度は反対に、私に話しかけてくる。「お前も
勝手だな」と言うと、「私は、あなたのような大声ではない」と言い返した。

 最初に電話があったのは、午後九時ごろだった。向こうの時刻では、午前七時。デニーズが
破水したとかで、緊急に入院することになったという。「こちら(アメリカ)では、無痛分娩がふつ
うだから、これから麻酔をかけるところだ」と、二男は言っていた。意外と落ち着いた静かな声
だった。ワイフは時計を見ながら、「じゃあ、ええと、こちらの一二時ね」と答えていた。
 私はうれしいはずなのに、どこかピンとこなかった。だいたいデニーズの妊娠すら、そのとき
話を聞いても、ピンとこなかった。近くにいて、おなかが大きくなるのを見ていればそういうこと
もないのだが、どこか別の世界のできごとのように思った。別の心で、「これは現実だ」と自分
に言って聞かせながら、「おめでとう」を繰り返した。

 二男とデニーズは、はたから見ていても、恥ずかしくなるほど、愛しあっていた。食事中も手
をつないで一緒に、食べていた。そういう姿を見せつけられると、結婚に反対などできるもので
はない。異議を唱えることさえできない。それは暴走した二頭の雄牛と雌牛を、素手で止める
ようなものだ。「若さ」という、圧倒的なエネルギーの前では、私たち夫婦がもつ常識や、知恵
や、知識など、そのまわりでまきあがる、ホコリほどの意味もない。結婚に同意するとかしない
とか、もうそのレベルの話ではなかった。

 で、結婚式からちょうど、一〇か月と一〇日。孫が生まれた。ハネムーンベイビーと言ってよ
いのだろう。ワイフはさかんに、「早すぎる」とこぼしていたが、確かに早すぎる。二男は二三歳
になったばかり。デニーズも二三歳になったばかり。今は二四歳だが、ワイフの言葉を借りる
なら、「私たちより四年、早い」ということになる。私が長男をもうけたのは、私が二八歳のとき
だった。

 名前は「セイジ」だという。私が「薬草の名前だね」と言うと、二男は、「そう」と言った。「スペリ
ングは?」と聞くと、「まだ決まっていない」と。「セイジ」は、そのまま、日本の「正治」「清二」「誠
二」に通ずる。英語でもいろいろな書き方がある。しかし名前など、大きな問題ではない。大切
なのは、「セイジ」という名前のベイビーがこの世に誕生したという事実だ。私たちが今、すべき
ことは、その一人の人間を、全幅の愛情をこめて、この世界に歓迎することだ。……しかし、そ
うは思っても、どこかピンとこない。アメリカといっても、まさに地球の反対側。この日本に対し
て、地球の反対側で、みな、さかさまに立っている? そこで生まれたベイビーだ。

 「お前も、おばあちゃんだな」と、ワイフをからかうと、またワイフは言った。「私は、おばあちゃ
んなんて、呼ばせないから」と。そこで私がからかって、「おい、おばあちゃん、そろそろ眠るか」
と言うと、また「いやだわ」とうれしそうに笑った。そしてあれこれ自分のことばかり話し始めた。
「朝、六時ごろ、陣痛があって、病院へ行ったわ」「一一時ごろ分娩室に入ったわ」「一二時半ご
ろだったわね、長男が生まれたのは……」と。そのつど「あんたは覚えてる?」と聞いたが、私
はそのつど、「忘れた」としか答えようがなかった。女性にとっては、出産は一瞬一秒が脳に刻
まれる大事業らしい。しかし男性にとっては、ただの思い出? 記憶している中身が違う。私の
記憶にあるのは、「赤ん坊って、本当に赤いな」とか、「チンチンが真っ黒だな」とか、「ワイフ
は、ほかの女性のように、大声を出さなかったな」とか、そんなことを思ったことでしかない。
 私がまた「忘れた」と答えると、「あんたは本当にいいかげんな人だから」と言った。そして何
かを頭の中で思い巡らせるかのように黙ってしまった。私は電気を消した。「もう、眠ろう」と。ワ
イフは寝返りをうつまえに、最後にこう言った。「あんたも、おじいちゃんなのよ。わかっている
の?」と。
(02−8−21)※

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子育て随筆byはやし浩司(64)

「型」

●日本VS外国
 アメリカの野球を見ていて、まず驚くのは、バッターのポーズが、みな違うということ。実に個
性的というか、中には、ピッチャーに向かって、ほぼ直角にふんばってバットを構えるバッター
もいる。こういうポーズは、日本の野球では、まず考えられない。
 これに対して、日本のバッターは、リトルリーグのバッターから、プロ野球のバッターまで、み
な、同じ。金太郎アメのアメのように(失礼!)、みな、同じ。しかしこの同じであるところが、問
題。

 もう一〇年ほど前のことだろうか。日本に住んでいるアメリカ人の女性が、こう話してくれた。
「とても不気味だった」と。話を聞くと、こうだ。何でも、その女性が、海へ泳ぎに行ったときのこ
と。そこへどこかの女子高校生の一行が、授業か何かで、やはり海へ来たという。見ると、み
な、同じスイミング・スーツを着ていたというのだ。それが「不気味だった」と。
 驚いて、つまり「どうしてそんなことで?」と思って、その女性に話を聞くと、「みな、同じ紺色の
スーツを着ていた」と。しかし日本では、ごく当たり前の、つまり見慣れた光景である。それを不
気味というのは、私にはどうしても理解できなかった。……と、それからほぼ一〇年。同じよう
なことを言う人がいた。

 南アフリカで三年間、日本人学校の教師をして、最近日本へ帰ってきた男性がいる。その男
性が、こう言った。「日本の小学校へ帰ってきてからというもの、毎日が、カルチャショックの連
続です。先日も、朝礼を終えた子どもたちが、一列に並んで教室へ戻る姿を見て、ぞっとしまし
た」と。彼は、その「一列」というところにショックを受けたという。「日本をたった三年しか離れて
いなかったのですが……」とも。

 こうした意識のズレというのは、一方の世界にどっぷりとつかっている人にはわからない。も
っとわかりやすく言うと、日本ではごく当たり前の、何でもないようなことでも、外国の人には、
そうでないことも多いということ。同時に、私たちが外国を見て、「アレッ!」と驚くようなことで
も、その外国の人にとっては何でもないことも多いということ。それだけのことと言えば、それだ
けのことだが、しかしそうした違いを知ることで、より私たちの姿を知ることができる。

●型にはまる日本人
日本人を総合的に見ると、日本人ほど、型(形と言ってもよい)を大切にする民族はいないとい
うこと。華道、茶道、書道に始まって、相撲、柔道、歌舞伎、能楽など、ほぼすべてが、その
「型」でできあがっている。こうした型ができあがった背景には、長く続いた封建制度がある。封
建制度という圧制の中で、民の自由な発想が制限されたためと考えてよい。きびしい身分制度
もあった。「人と同じことをしていれば安全かつ安心」という発想も、そこから生まれた。そう決
めてかかるのも危険なことだが、総合的にみれば、そういうことになる。しかしさらにマクロな見
方をすれば、これは為政者の愚民化政策の結果ということにもなる。言うまでもなく、圧制暴君
にしてみれば、民をして、知らず、聞かざる、言わざるの状態のしておくことは、まことに都合が
よい。つまり型を決めてしまえば、民は、自ら考えることをやめてしまう。よい例が、冠婚葬祭
だ。

 二男がアメリカで結婚式をあげたときのこと。向こうでは、結婚式は、新郎新婦自らが、結婚
式を演出するならわしになっている。小さなチャペルを借り、友人たちの手も借りて、進行のし
方も、自分たちで決める。費用は、僧職の資格をもった牧師に支払うお金、結婚式のあとのパ
ーティの費用も含めて、日本円で約一〇万円程度。もちろんある程度の形はあるが、その形と
いうのは、もともとキリスト教でいう儀式の範囲にあるもので、日本でいう型という型ではない。

 しかし問題は、子育て。日本の親たちは、意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ、子
育てをしながら、いつもそこに「型」を想定する。幼稚園教育にしても、私がこの世界に足を踏
み入れたときには、二年保育が主流だった。それ以前は、一年保育が主流だった。しかし今で
は、三年保育、さらには四年保育となった。「幼児は保育園へ入れるもの」「幼稚園へ入れるも
の」という型が、すっかり定着してしまっている。だれが決めたというわけではない。みながみ
な、右へならえをしているうちにそうなった。
 こうした現象は、幼児教育だけに限らない。日本の教育全体にみられる。共通した現象と考
えてよい。先日も、こんな相談をしてきた母親がいた。その子ども(年中男児)が、ピアノのレッ
スンをしたがらないという。「毎日、三〇分、レッスンをすることになっているのですが、どうして
もやりたがりません。どうしたらいいでしょうか」と。
 答は実に、簡単。「そんなレッスン、やめればよい」である。だいたい活発盛りの子どもが、三
〇分も、ピアノの前にじっと座っているほうがおかしい。たまに、一時間とか二時間、座ってい
る子どももいるが、そういうときは、別に精神障害を疑ってみたほうがよい。その母親にしてみ
れば、「三〇分、レッスンする」ということが、「形」になっているのだ。そこで私が、「レッスンを
一〇分にすれば」と提案すると、その母親はこう言った。「それでは、みんなに遅れてしまいま
す」と。

●教育の型
 日本の教育の型は、遠い昔、明治政府によって作られた。「教育というのは、こういうもの」と
いう型である。それはそれでよかったのだが、いつの間にか、日本人は、その型の中でしか、
ものを考えることができなくなってしまった。やってもやらなくてもよいようなピアノのレッスンで
すら、そうなのだから、あとは推してはかるべし。こうして日本人独特の言い方、「遅れる」という
言葉が生まれた。昔は「後(おく)れる」と書いた。人の後(あと)に遅れるという意味である。今
でも、幼稚園や学校を休んだりすると、幼稚園や学校の先生は、こう言う。「遅れます」と。私が
息子たちに学校を休ませ、あちこち旅行したときもそうだった。学校の先生から電話がかかっ
てきて、「そういうことをすると、学校の勉強に遅れますから、困ります」と。中には、「義務教育
ですから」と言ってきた先生もいた。

 しかし私はもともと法科の学生だったから言うが、そもそも、未成年者である子どもに法的義
務は存在しない。義務教育の義務というのは、「親がもつ親権を、学校に委託しなければなら
ないという義務」、つまり親の義務をいう。親が子どもを学校へやらないというのは、親の義務
違反ということになる。私は何も、その親権の委託を拒否しているわけではない。たまにはズ
ル休みするのも、人間の心に穴をあけるという意味で、大切なことだと言っているのである。

 が、その型が、この日本では、さらにエスカレートした。そして独特の教育観をつくった。教育
という世界で、子どもを見失ってしまった。こう書くと、ウソと思う人がいるかもしれないので、正
確に書く。

 アメリカでは、学校の先生が、子どもの親に落第を勧めると、親は喜んでそれに応ずる。「喜
んで」だ。ウソでも誇張でもない。アメリカの親は、そのほうが子どものためと考える。反対に、
自分の子どもの学力がじゅうぶんでないとわかると、親のほうから落第を頼みにいくケースも
多い。だいたいにおいて、「学年」という考え方そのものがない。クラス名にしても、「モリソン・ク
ラス」というように、教師名をつけるところが多い。
 が、この日本では、そうはいかない。いかないことは、親自身が一番、よく知っている。「子ど
もが学校の勉強についていけない」ということだけでも、親にとっては、恐怖以外の何ものでも
ない。少し前だが、ある母親から、こんな相談があった。その母親の娘(小二)が、学校の先生
から特別教室(養護学級)を勧められているというのだ。それで「どうしたらいいか?」と。その
母親は電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れていたが、どうして泣き崩れるのかというところ
に、日本の教育の「ゆがみ」のすべてが集約されている。

●型からの脱却、それが自由
 日本のおかしさは、日本だけに住んでいるとわからない。日本の教育も、日本だけで教育を
受けていると、わからない。わからないだけならまだしも、わからないまま、私のような意見を言
うものを、容赦なく排斥する。
 少し前だが、四〇歳くらいの女性が、私の事務所にやってきて、こう言った。「先生は、アメリ
カ、アメリカというが、アメリカは犯罪の国です。アメリカの学校が、いかに荒れれているか、ご
存知ないのですか」と。驚いて、私が、「どこでそういう情報を手に入れていますか」と聞くと、
「映画で見た」と。
 もしそうなら、それはアメリカ人が、ビートたけし主演の、『バトルロワイヤル』という映画を見
て、日本の学校を想像するようなものだ。あまりにも低劣な意見にあきれていると、「あんたは
それでも日本人か」という捨てゼリフを残して、部屋を出て行った。
 
 たしかに型が決まっていれば、便利だ。考えることを、省(はぶ)くことができる。それに無難
だ。わかりやすい。前に「冠婚葬祭」と書いて、結婚式の話しか書かなかったが、葬式だってそ
うだ。死者を壇上に並べて、わけのわからない、それこそ中国人ですらも読んでもわからない
ような経文を、これまたわけのわけのわからない中国語で読んで、成仏だの供養だのと言って
いる。そのおかしさに、もうそろそろ日本人も気づくべきときにきているのではないだろうか。宗
教ということになるなら、「教え」あっての宗教である。儀式ばかりが優先する宗教というのは、
宗教であって、宗教ではない。あくまでも教えが「主」、儀式は「従」なのである。
 また私は日本の権威主義をよく問題にするが、その権威主義の中核にあるのが、実は日本
の仏教なのである。経文をわかりやすく解釈しただけで、「権威にキズがつく」というクレームが
入る国柄(がら)である。亡くなった中村元東大元教授も、自分の本の中で、宗教的権威という
ものに大きな疑問を投げかけている(中村元訳「原始仏典を読む」岩波書店)。
 考えてみれば、日本の教育は、江戸時代の寺子屋。さらにその寺子屋は、まさに総本山に
おける小僧教育にルーツを求めることができる。徹底した上意下達方式のもと、問答無用の
詰め込み教育、そしてここでいう権威主義は、こうした総本山教育から生まれた。日本の教育
が、いまだに権威主義のワクから抜け出ることができないのは、そのためと考えてよい。

何が自由かといえば、それは型からの脱却ということになる。私たちは、気がつかないまま、無
数の糸や鎖によって、体中をがんじがらめに巻かれている。それに気づくか気づかないかは、
結局はその人の視野の高さと広さによる。もしあなたが、女子高生の水着を見て、何とも思わ
ないとか、あるいは一列になって行進する小学生を見ても、何とも思わないというのであれば、
それだけですでに、「しくまれた自由」(尾崎豊「卒業」)の中に組み込まれているということにな
る。一度、あなたの視点を変えてみたらどうだろうか。
(02−8−21)※

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子育て随筆byはやし浩司(65)

カルト

 少し前、まだポケモンが全盛期のころ。一人の中学生(中一男子)が、教室の窓の外を見つ
めながら、何やら呪文を唱えていた。「何をしているのだ?」と声をかけると、その中学生はこう
言った。「先生、ぼくは超能力で、あのビルを破壊してみたい」と。破壊したいと思うのは、その
中学生の勝手だが、破壊されるほうはたまらない。死ぬ人だって出るに違いない。

 ……ということはあったが、今朝(〇二年八月)、テレビを見ていたら、M教団の信者が、指
導者から霊力を授かるシーンが、飛び込んできた。「シxxxxト」と呼ぶのだそうだ。信者が指導
者の前で頭をさげていると、指導者らしき男性が、片手をその信者の頭の上に置き、何やら呪
文らしきことを唱えていた。こう書くと、信者には失礼な言い方になるが、信者も、本気で、霊力
なるものがあると信じているのだろうか。仮にそういう力(?)があるとしても、本気で、そんなこ
とができると信じているのだろうか。

 実はここに、人間の脳の欠陥がある。私は若いころ、催眠術の研究をしたことがある。ある
社団法人の研究機関から、「教授」という肩書きをもらったこともある。そのとき、その欠陥を発
見した。
 まず被験者に、簡単な呪文を繰りかえし復唱させる。催眠術では、数字を使うことが多いが、
それを三〇〜四〇分の間、つづける。この状態が長ければ長いほど、人は思考力をなくす。
考えることそのものを、めんどうに思うようになる。その状態から、いろいろな暗示をかけてい
く。「目が重くなる」とか、「手が重くなる」とか。
 ほかにもいろいろな暗示のかけ方があるが、あるときから被験者は、施術者の思うがまま思
ったり、行動したりするようになる。それこそ「あなたはキツネだ」と言うと、被験者は本当にキ
ツネになったつもりで、そのあたりをピョンピョンと飛び跳ねる。「自分はキツネだ」と思うことと
比べたら、「霊力はある」と信ずることは、何でもない。O教団にかぎらず、カルトと呼ばれる教
団は、多かれ少なかれ、この方法を使って、信者を思うがままに操る。(操られるほうは、脳の
CPUがおかしくなるため、自分がおかしいということに気づくことは、ない。)

 子どもは、この暗示に実にかかりやすい。おとなのように、手の込んだ催眠術をかける必要
はない。熟練した術者になると、それこそ瞬間に目を合わせただけで、かけることもできるとい
う。が、本当の問題は、このことではない。
 一度子どものときに、たとえば霊力や超能力など、非論理的なものの考え方に染まってしまう
と、それがその子どものものの考え方の基本になってしまうということ。これを私は勝手に思考
回路と呼んでいるが、この思考回路は、そのつど子どものものの考え方に大きな影響を与え
る。
 たとえば幼児期にポケモンの超能力を信じたとする。するとその子どもは、たとえばやがて、
うらないや、まじないを信ずるようになる。短絡的に「そうだ」とは言いきれないが、しかし大筋
では、この流れは正しい。で、その段階で、止まればそれでよいが、そうした思考回路が、いつ
なんどき、M教団のようなカルトの餌食(えじき)にならないとも限らない。今は、「うちの子にか
ぎって」と親たちは思っているが、餌食になってからでは遅い。当の本人たちは、それなりにハ
ッピーなのだろうが、自分の子どもをカルトにとられた親にしてみれば、それはまさに悲劇以外
の何ものでもない。あなたも一度ならず、信者の家族が、教団の壁越しに、「息子を返せ!」と
泣き叫んでいる姿を見たことがあると思う。

 子どもが論理的なものの考え方をするようになるかどうかは、私の経験では、年中児(満四・
五歳)から、年長児(満五・五歳)にかけて決まる。この時期、論理的な子どもは、そのまま論
理的なものの考え方をするようになる。そうでない子どもは、そうでない。つまりこの時期の家
庭教育のあり方が、子どもの将来を左右する。まずいのはこういう接し方である。

子「どうして雷は鳴るの?」
母「神様がそうしたからよ」
子「どうして雨がふるの?」
母「バチが当ったからよ」
子「どうすれば、晴れるの?」
母「お祈りをしましょうね」と。
(02−8−21)※

(追記)私自身は、超能力や霊など、そういうカルト的なものは、一切、信じていない。体質的に
受けつけない。うらないや、まじないなどは、さらに信じていない。仮にそういう「力」があるとし
ても、私はそういう力に頼らないで、自分の人生を生きたい。私の人生は、どこまでいっても、
私のもの。その人生を生きるのは、私自身の力による。もう少し年をとって、病気にでもなれば
考え方も変わるかもしれないが、今はそう考えている。
 また私がそういう考え方をするようになったのは、つまり超能力や霊の類(たぐい)を信じなく
なったのは、多分に少年期の経験が基(もと)になっていると思う。それについては、またどこ
かで改めて書いてみたい。

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子育て随筆byはやし浩司(66)

超能力、そして霊

 私の父は、Mという倫理研究団体の、熱心な信奉者だった。宗教団体ではなかったが、それ
に近いものだった。信者たちは定期的にあちこちの家に集まり、そこで体験談を披露しあった
り、指導者の教えを受けたりしていた。私の家でも、数か月に一度くらいの割合で、いつも二〇
〜三〇人の信者が集まっていた。そんなある夜のこと。指導者らしき男がこう言った。「親の因
は、子にたたります」と。つまり親の行いが悪いと、その結果は、子どもに出てくるというのだ。
そのときだ。
 部屋の隅で、階段の横に隠れるようにして座っていた私に向かって、突然、その男が私にこ
う言った。「ねえ、そこのぼく、そうは思いませんか」と。そのときだ。今から思うと、なぜ私がそ
う言ったかはわからないが、私はとっさにこう言った。「たたりなんてものは、ない」と。私が小学
三年生か四年生のときだったと思う。
 まわりにいた人たちが一斉に私のほうを見たところで、私の記憶は消えている。が、私はそ
のときそう言った。「そんなのはウソだ」と言ったかもしれないし、「たたるなんて、ウソ」と言った
かもしれない。あるいはペラペラと全部、言ったかもしれない。

 これが私のカルトとの、最初の戦いであった。いや、それ以前はというと、ふつうの子どもの
ように、幽霊や、お化け、火の玉などといったものは、信じていた。落雷で、木が折れたとき
は、雷様というのは、本当に「いる」と思ったこともある。その私が大きく失望したのは、忍術だ
った。
 当時、私たちの間で、忍術が大流行した。ブームに火をつけたのが映画だった。侍が巻物を
口に加えて何か呪文を唱えると、大きなカエルが現われて、大きなヘビと戦ったりした。私はそ
の巻物がほしくてほしくて、たまらなかった。が、ある日、雑誌を見ると、何とその巻物が、付録
についてくるというのだ。私はこれには驚いた。そしてくる日もくる日も本屋の前に立ち、その本
が発売になるのを待った。
 やがて雑誌は発売されたが、しかしその付録は、私をがっかりさせるには、じゅうぶんなもの
だった。巻物といっても、ただの印刷物。しかも書いてあったのは、忍術の基礎知識。私はあ
のとき感じた落胆を、今でも忘れることができない。そのときから……と書くことはできないが
……、というのも、記憶がはっきりしないので、ともかくもそういうことがいくつか重なって、私は
自分の中から、そういった類(たぐい)のものが、音をたてて崩れ去っていった。気がついてみ
たら、忍術はもちろんのこと、超能力(この言葉が日本で紹介されたのは、私がおとなになって
からだが)的なものや霊など、そういうものは、一切、体が受けつけなくなっていた。

 私が今のような私になったことについて、実のところ、もう一つ思い当たることがある。私の母
だ。私の母は、たいへん迷信深い人で、日常生活そのものが、まるで迷信のかたまりのような
人だった。言うことなすこと、子どもの目から見ても、めちゃめちゃなことばかりだった。「クツ
は、必ず脱いだところで履け。でないと、足にけがをする」「豆と梅干は、いっしょに食べてはい
けない。下痢をする」「枕は絶対に北を向けてはいけない。早死にする」など。もう少し合理的な
迷信なら、それなりに私も信じたのだろうが、私はいつしか母に反発することで、自分の中の
合理性をみがくようになったと思う。先のMという倫理研究団体で、「たたりなんてものは、な
い」と言ったのは、ちょうどそんなときだったと思う。

 そのあと記憶がはっきりしているのは、私が大学生になってからのことである。私はどういう
わけだがそういう連中との議論を戦わせるのが好きで、それこそ毎晩のように、あれこれから
んでは、議論ばかりしていた。それについては、また別のところで書いてみたい。
(02−8−21)※

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子育て随筆byはやし浩司(67)

子どもの学力が心配!
不公平社会の是正こそ、先決!

 完全学校五日制や新学習指導要領など、二〇〇二年春から実施された教育改革について、
学力低下を心配する親が、七五%もいることがわかった(日本PTA全国協議会調査)。
 調査は、公立小中学校に子どもを通わせる父母、六〇〇〇人に聞いたもので、約四八〇〇
人が回答を寄せた。それによると、つぎのような結果が出た。

  学校完全五日制について、始まったばかりで何とも言えない……41%
              とまどっている        ……22%
              安心して働けない、非常に困る …… 7%
              とてもよい          ……15%

  新学習指導要領について、学力低下がかなり心配     ……26%
              学力低下が多少心配      ……49%

 この調査でもわかるように、親たちは子どもの学力低下を心配していることがわかる。合計
すると、七三%もの親たちが、心配していることになる。しかしこれはまったくのウソ! ウソで
あることは、実は、あなた自身が一番よく知っている。親たちは子どもの学力の低下を心配し
ているのではない。自分の子どもが、日本の受験体制の中で不利になることを心配しているの
だ!

 公立小学校や中学校だけで、学習要領が削減された。その結果、単純に計算しても、小学
校で約二年分の指導内容が削減された。(6年分x0・3=1・8年分で計算。)たとえばそれまで
は小学六年の一学期では、分数の掛け算、割り算を学習していたのだが、〇二年度からは、
分数の足し算、引き算になってしまった。
 一方、多くの私立小学校や中学校(とくに中学校)では、従来どおり教えるところが多い。不
利か不利でないかということになれば、公立中学校の子どもは、決定的に不利である。親たち
が子どもの学力を心配する理由は、すべてここにある。

 となると、まず解決すべき問題がある。言うまでもなく、不公平社会の是正である。この日
本、不公平が、蔓延(まんえん)している。人生の入り口で、ほんの少し受験勉強を勝ち抜いた
というだけで、生涯、楽な生活をしている人はいくらでもいる。権利や権限、地位や特権に守ら
れて、それこそ死ぬまで、楽をしている。そういう社会を一方で放置しておいて、何がゆとり
だ! 何が個性だ! 何が教育改革だ! 事実、私のように、保障のない人間は、本当に、
損! 退職金もなければ、天下り先もない。年金もアテにならない。すべてがナイナイづくし。今
日、病気になったり、交通事故にあったりすれば、それで万事休す。もっとも私のような立場の
ものが、子どもの学力の低下を心配するのならまだわかる。しかし実際には、不公平の恩恵を
たっぷりと受けている人ほど、学力の低下を心配している。皮肉といえば、これほど、皮肉なこ
とはない。

 考えてみれば、文部科学省という、もっとも官僚的な官僚組織が、つまりその不公平社会の
不公平から生まれる恩恵をたっぷりと受けている組織が、「教育改革」を口にすること自体、お
かしい。あの旧文部省だけで、天下り先として機能する外郭団体が、一八〇〇団体近くもあ
る。この数は全省庁の中でも、ダントツに多い。文部官僚たちは、死ぬまでこうした組織を渡り
歩き、移動するたびに億単位の退職金を手にしている。一般の人が想像もつかないような優
雅な生活を、こっそりと楽しんでいる。そして、だ。課長程度が発する一片の通達で、全国の小
中学校が、いっせいに動く! 私のような民が、何十人、何百人集まって意見を言っても、そう
いう意見は、絶対に通らない。そういうしくみが、できあがってしまっている。日本人も、このお
かしさに、もうそろそろ気がつくべきときにきているのではないのか。
 
さらに一言、つけ加えるなら、こうしたおかしさを知ると、ほとんどの日本人は、「あわよくば自
分も」とか、「せめて自分の息子や娘も」と考える。不公平を知ると、その不公平を正す前に、
その不公平を利用しようと考える。「お上にはさからわない」という、隷属意識も、骨のズイまで
しみこんでいる。中には、「自分さえよければ……」と考える人も多い。
たとえば補助金という制度がある。たいていはそれなりに必要な補助金だが、しかし中には、
おかしいものも多い。「どうしてこんなお金がもらえるのだろう」と思うのもある。そういうとき、ほ
とんどの人は、「おかしい」と思いつつ、それを返すということは、しない。たとえば町内の自治
会費。毎年、市からいくらかの援助金が交付される。たいした金額ではないが、その自治会費
があまりそうになると、みな、「使わなければ損」と言って使う。予算を使い切ってしまわないと、
次年度の補助金が削減される。つまり「おかしい」と思いつつ、結局は、自分の利益を優先さ
せてしまう。「もらえるものは、もらっておけ」と。こうした意識は、日本人は上から下まで、みな
もっている。そしてそういった意識が回りまわって、不公平社会の温床になっている。
 つまり、不公平社会を支えているのは、ほかならぬ、私たち自身ということになる。もっと言え
ば、子どもの受験体制を支えているには、ほかならぬ、私たち自身ということになる。さらに言
えば、民主主義のあり方を、根本から考えなおさないかぎり、新の教育改革はありえないという
ことになる。

むずかしい話はさておき、みなさんも一度、冷静に心の中をのぞいてみてほしい。みなさんは、
なぜ、子どもの学力の低下を心配するか、と。
(02−8−22)※

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子育て随筆byはやし浩司(68)

萎縮する教師たち

 つい先ごろ、「わいろ」をテーマにした授業をして、新聞沙汰(ざた)になった事件があった(〇
二年八月・北海道のA小学校)。カードゲームのようなもので、役人をわいろで買収して、無
事、関門を通過するというゲームであったらしい。
 しかしここで問題となるのは、そのゲームのことではなく、たかがそれだけのことが、全国ニュ
ースになるという、その異常性である。仮に問題があるとしても、一教室で、一教師が起こし
た、ささいな事件に過ぎない。全国のマスコミが騒がなければならないような問題ではない。ま
さに、「たかがそんなこと」で、ある。
 教師だって、たまには、ハメをはずすことがある。あって当然。私などは、ハメをはずすこと
で、子どもの心に風穴をあける。それをひとつの技術にしている。たとえば私のばあい、「笑え
ば伸びる」が、私の教育モットーでもある。私とワイフは、このニュースを新聞で読みながら、
「こんなことで!」と驚くと同時に、「もしそれが悪いなら、ぼくなどは、年がら年中、新聞沙汰に
なる」と笑った。たとえば……。

 私は教室で子どもどうしが喧嘩(けんか)をしたようなときは、両方の子どもの頬(ほお)に、キ
スをする。これは男児のみに対する罰則だが、そうする。ほとんど毎回親たちが参観している
ので、親たちの前で堂々とそれをする。が、いまだかって、それに抗議してきた親は、一人もい
ない。要はやり方の問題ということになるが、それ以上に大切なのは、私と親の信頼関係であ
る。先日も、ワーワーと騒いでいた小学生(四年男児)がいたので、「静かにしないと、チューす
るぞ」と、おどした。するとその小学生は、机の間を走り回りながら、「できるもんなら、やってみ
ろ!」と私にけしかけた。私は何度も警告したが、それでも騒いだ。そこで最後に、その子ども
をつかまえて、思いっきり、ブチューと、頬にキスをしてやった。
 その子どもは、「本当にやるなんて……、やるとは思っていなかった……、どうしてチューした
よ!」とベソをかいていたが、私は「これで、わかったか!」と言って、その場を離れた。

 こういう事件で、なぜ私の行為が問題にならないかといえば、理由は二つある。ひとつは、私
は公的な立場にはいないということ。もうひとつは、それを問題にする親がいないということ。
 公的な立場ということは、いわば、それ以外に抜け道のない、絶壁(ぜっぺき)のような立場
をいう。いわゆるミスの許されない世界と言ってもよい。たとえばおけいこ塾であれば、生徒は
いつでも自由にやめられる。やめたところで、どうということはない。教える側にしても、教師は
いつでも自由に生徒にやめてもらうことができる。生徒をやめさせたところで、これまたどうとい
うことはない。しかし学校の先生は違う。生徒はやめることもできないし、先生はやめさせるこ
ともできない。いわば絶壁の上に立つような立場ということになる。そう、先生がバツで与える
キスが気に入らなければ、親はそのおけいこ塾をやめればよい。
 もうひとつは、「それを問題とする親がいない」ということ。正直に告白するが、神経質な親と
いうのは、実際にはいる。教師のささいな失敗やミスをとらえては、ことさらそれをおおげさに問
題にする。このタイプの親にからまれると、教師歴二〇年という教師ですら、心底、神経をすり
へらす。さらに脳の病気にアルツハイマー病というのがある。このアルツハイマー病には、初期
の、そのまた初期症状というのがある。繊細さが消える(ズケズケとものを言う)、がんこになる
(自説をまげない)、自己中心的になる(人の話を聞かない)など。四〇歳くらいの人で、約五%
の人にその傾向が見られるという。で、このタイプの親にからまれると、教育そのものが成り立
たなくなることも珍しくない。こんなことがあった。

 私が幼稚園で特別教室をもっていたときのこと。月四回という約束で、幼児を教えていた。
が、そのクラスだけは、五月の連休もあって、月三回になってしまった。それについて、私に、
「サギだ。補講をしろ。しなければ、訴える」とからんできた父親がいた。
 あるいはたまたまその日、その子どもの父親が参観にきていた。そこで私の授業を手伝って
もらった。それについて、その夜母親から、「よくもうちの主人に恥をかかせたわね」と、電話が
かかってきた。ふつうの電話ではない。一週間にわたって、毎晩、しかもネチネチと、そのつど
一時間程度もつづいた!
 さらにある日、突然、一人の女性(四五歳くらい)が、私の事務所にやってきて、「戦争をどう
思うか」「先祖をどう思うか」「中国の意見をどう思うか」と、ああでもない、こうでもないと議論を
ふっかけてきた。で、そのつど私が意見を述べていると、「あんたのような人が、あちこちで講
演しているなんて、おかしい」「日本の歴史を否定するような親からは、いい子どもは生まれな
い」と。(私は何も、日本の歴史を否定しているわけではない。また私には三人の息子がいる
が、どの息子も、自慢の息子である。念のため!)

 もちろん授業中に、先生がワイロの話をするのは、まずい。それはわかる。しかしそれは決し
て全国のニュースになるような大事件ではない。また大事件にしてはならない。
 今、どこの学校で講演をさせてもらっても、校長先生以下、どの先生も、異口同音にこう言
う。「先生たちが萎縮してしまって、授業ができなくなっています」と。少し子どもを叩いただけ
で、親たちは、「そら、体罰だ!」と騒ぐ。少し授業中にふざけただけで、親たちは、「そら、不適
格教師だ!」と騒ぐ。もともと信頼関係がないからそういうことになるが、一方で、親たちの過剰
反応も、問題とされなくてはならない。

 まさに現代は、教師受難の時代といってもよい。教育そのものが、たいへんやりにくい時代に
なった。その原因のひとつは、親にもあるということ。それがわかってほしかった。
(02−8−22)※

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子育て随筆byはやし浩司(69)

 
学校恐怖症
より悪くなって……

 子どもの心の問題は、より悪くなって、以前の症状のほうが軽かったことに気づく……を繰り
返しながら、ドロ沼に落ちていく。(親が何とかしようとする)→(ますます子どもの症状が悪化す
る)→(親はますますあせる)の悪循環に陥(おちい)る。一度、こうなると、子どもも、そして親
も、行きつくところまで行く。またそこまで行かないと、親は気づかない。
 よい例が、学校恐怖症。心の問題は、外から見えないだけに、判断を見誤りやすい。あるい
は子どものことだからと安易に考えやすい。中には「気のせいだ」と決めつけてかかる人もい
る。しかし実際には、そんな簡単な問題ではない。

 学歴信仰とはよく言ったもので、まさにそれは信仰そのもの。子どもが学校恐怖症を起こした
りすると、親は「学校とは行かねばならないところ」という思いの中で、「行かなければ、落ちこ
ぼれてしまう」という不安感に襲われる。ふつうの不安感ではない。パニック状態になる。しかし
その不安感を自分だけの世界に閉じ込めておくならまだしも、それを子どもにぶつけてしまう。
「学校へ行きなさい」「いやだ」の大乱闘を繰り返す。それだけではない。こうした大騒動が、子
どもの最後の砦(とりで)を破壊してしまう。親子の絆(きずな)という砦である。

 子どもの心の問題にぶつかったら、親はまず、それ以上、症状を悪化させないことだけを考
える。そして戦うべきは、子どもの心の問題ではなく、自分自身であると心得る。いろいろな例
がある。

 子どもが不登校を繰り返すと、親は、ここにも書いたように、パニック状態になる。学校神
話、あるいは学歴信仰の信奉者ほどそうで、中には半狂乱になる親もいる。「このままではうち
の子はダメになってしまう」という、被害妄想にとりつかれ、子どもを叱ったり、あるいは反対に
励ましたりしながら、つぎの段階を迎える。

 ふつう不安定な心の状態は、長つづきしない。これは本能的な防御作用ともいえるもので、
やがて自らを安定させようとする力が働く。これをフリップ・フロップ理論という。私は勝手に「コ
ロリ理論」と訳しているが、一度、どちらかにコロリと倒れてしまえば、心は安定する。学校恐怖
症について言えば、親自身が「学校なんて行きたくなければ、行かなくてもいい」と納得してしま
えば、親の心は安定する。(もっとも一度コロリと倒れたあと、また反対方向にコロリと倒れるこ
ともある。親自身も、「学校なんて……」と思ったり、「やはり学校くらいは行かなくては……」の
間を、行ったりきたりする。しかしそれでも、どちらか一方に倒れ、心は安定期に入る。)

 が、ここでまたつぎの問題にぶつかる。子ども自身の問題である。ふつう学校恐怖症になる
と、子ども自身も、恐怖症と戦いながらも、その一方で、自ら、「学校へ行かねばならない」とい
う自縛(じばく)の念にかられ、その中でもがく。たいていは親のほうが先にあきらめるが、子ど
もはそれができない。自分で自分をどんどんと追い込んでしまう。ひどくなると、自らにダメ人間
のラベルを張ってしまう。こうなると、回復は容易ではない。私はよく「子どもの心の問題は、半
年単位、一年単位でみろ」という。短期間での症状に一喜一憂しないことこそ大切だが、しかし
こじれると、二年単位、三年単位で症状は推移する。へたをすれば、一生そのまま……という
ことにもなりかねない。

 要は、どこであきらめるか、である。しかもその時期は、早ければ早いほど、よい。子どもが
「今日は、学校へ行きたくない」と言ったとき、「そうね、だれだって、行きたくないときがあるも
のよ」と言って、軽くすませば、それでよい。それをいちいち大げさに考えるから、話がおかしく
なる。「このままではうちの子はダメになる」と大騒ぎするから、症状がこじれる。よく誤解される
が、不登校が不登校になるのは、初期の親の不手際が原因であることが多い。泣き叫んで抵
抗する子どもを、無理に車に押し込んで学校へつれて行くなど。たった一度でも、その衝撃が
強ければ強いほど、子どもの心に、取り返しがつかないほど、大きなキズをつける。親自身
が、子どもを不登校児にしていることに、気づいていない!

 親はよく「私は子どもを愛してします」と言う。「愛していない」とは言わないが、子どもを愛する
ということは、そんな簡単なことではない。たいていの親は、「愛する」という言葉を使って、子ど
もを自分の思いどおりにしようとする。これを代償的愛という。いわば愛もどきの愛と思えばよ
い。親のエゴにもとづいた愛をいう。よい例が、子どもの受験勉強に狂奔する親。「子どものた
め」を口実にしながら、その実、自分の見栄、メンツ、世間体のために子どもを利用している。
あるいは受験よりはるかに大切な、親子の絆(きずな)を破壊しながら、その破壊していること
にすら気づいていない。これは絹のハンカチで、鼻をふいて、そのハンカチを捨てるようなもの
だ。自分自身が学歴信仰というカルトの中で、動かされていることに気づいていない。

 少し過激なことを書いたが、このタイプの親は、こういう言い方でもしないと、自分の愚かさに
気づかない。頭にカチンとくる人も多いと思うが、ここに書いたことは、あくまでもあなたやあな
たの子どもの心を守るためと、許してほしい。私としては、つぎからつぎへと、同じような相談を
受けるため、歯がゆくてならない。そういう苛立(いらだ)ちを覚えながら、この原稿を書いた。
(02−8−23)※

(追記)
 学歴に生きる親ほど、また学歴の恩恵を受けている親ほど、あるいは反対に学歴コンプレッ
クスが強い親ほど、子どもの受験勉強に狂奔する。ある母親は、日ごろからその人を、出身高
校で判断していた。「あの人はC高校なんですってねえ」と。この浜松市では、出身高校で人を
判断する傾向が強い。だから自分の娘がいよいよ高校受験となったときのこと。娘にはその力
がなかった。だからその母親と娘は、毎晩のように大乱闘を繰り返していた。「勉強しなさ
い!」「うるさい!」と。

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子育て随筆byはやし浩司(70)

コンプレックス

 私はいつからか、ボールを使ったスポーツが、すべて苦手になった。多分それは、はじめて
硬球を使った野球をしていて、デッドボールを当てられたためではないか。私が小学六年生
か、中学一年生のときだったと思う。それまでは軟球(やわらかい材質のボール)で、野球をし
ていた。
 サッカーやバレーボールに対しては、それほど恐怖感をもたなかったが、高校を卒業するま
で、野球だけは苦手だった。いつもボールから逃げていたというか、試合をしても、自分のとこ
ろにボールが飛んでこないことだけを願っていた。

 そんな私だから、あの硬球を使ってキャッチボールをしている小学生を見たりすると、驚くより
も先に、尊敬の念がわいてくる。さらにそれを指導する監督やコーチを見ると、何というか、彼
らが神様のように見えてくる。しかしこういうのをコンプレックス(劣等感)というのか? 結局こ
の年齢になるまで、私はいまだにそのコンプレックスを克服することができないでいる。今で
も、野球のボールをつかんだだけで、「まるで石みたいだ」「こんなもので、よく遊ぶな」と思う。

 そういう私だから、子どものコンプレックスが、よくわかる。幼児だと、文字を見ただけで、顔
がこわばらせる子どもはいくらでもいる。「数(かず)」と聞いただけで、逃げ腰になる子どももい
る。ほかに運動や工作、音楽など。そうそう私は小学生のとき、その音楽も嫌いだった。「オン
ガク」という言葉を聞いただけで、背筋がゾーッとしたのを覚えている。これにも理由がある。私
は行きたくもないのに、いやいやバイオリン教室へ通わされた。
小学三年生のときだったと思う。(私は小学一年と記憶しているが、先日姉にそのことを話す
と、「あんたが小学三年のときよ」と姉が教えてくれた。)その教室の先生が、たいへん神経質
な先生で、少しでも私がまちがえると、あの棒で、容赦なく私の頭を叩いた。私はそれがいやだ
った。今でもそのレッスンが、水曜日の午後四時一五分と覚えているから、それが私にとって、
いかにいやなものだったかが、わかってもらえると思う。

 子どもを指導するときは、いつも二つの方向性を考える。一つは、「伸ばす」こと。これは当
然。しかしもう一つは、「つぶさない」こと。
 ふつう親は、子どもを伸ばすことばかりを考える。しかしそれと同じくらい大切なのは、子ども
をつぶさないこと。たとえばここにあげた例のように、「名前を書いてみようね」と声をかけただ
けで、顔をこわばらせる子ども(年中児)は、一〇人のうち二人はいる。中にはペンをもったま
ま、メソメソと泣き出してしまう子どももいる。
 原因は言うまでもなく、家庭にある。無理な学習や、強圧的な学習が日常化すると、子どもは
こうした拒否症状を示すようになる。それが一過性のものならよいが、長くつづくと、私がボー
ルに対してもったような恐怖症になることがある。こうした恐怖症は、子どもを確実にマイナス
の方向にひっぱる。とくに幼児教育では、絶対にこういうことはあってはならない。

 ただコンプレックスがすべて悪いというわけではない。人は無数のコンプレックスを感じなが
ら、それを一つずつ克服することによって、前向きに伸びていく。コンプレックスを克服したと
き、それがバネとなって、飛躍的に伸びる人もいる。コンプレックスをもつことで、他人にやさし
くなることもある。そのことで心を痛めた人ほど、他人の痛みがわかるようになる。
 もちろんコンプレックスで、心がゆがむこともある。ひがんだり、いじけたり、つっぱったりす
る。いろいろに作用するが、こと幼児について言えば、コンプレックスはタブー。子どもはややう
ぬぼれ加減のほうが、あとあとよく伸びる。「ぼくはすばらしい」「私はいい子」という思いが、子
どもを伸ばす。これは子どもを伸ばすコツといってもよい。
(02−8−23)※

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子育て随筆byはやし浩司(71)

ADHD児について(補足)

 ADHD児にせよ、あるいはその疑いのある子どもにせよ、このタイプの子どもが問題になる
のは、小学三、四年生まで。それ以後は、子どもの自意識が発達し、子どもは自らをセルフコ
ントロールするようになる。と、同時に、ADHD児特有の症状は、急速に収まってくる。多少の
騒々しさは残ることはあるが、その騒々しさをみて、以前ADHD児であったことがわかる教師
など、絶対にいない。ADHD児が今、あちこちで話題になっているが、ADHD児の問題は、そ
んなわけで、小学三、四年生までの問題と考えてよい。
 
 これはADHD児の常識だが、問題は、ADHD児であることではなく、こうした流れを無視し
て、それまでの段階で、症状をこじらせてしまうところにある。たいていつぎのような経過をたど
る。

(1)誤解
 それまでは活発な子ども、やんちゃな子どもといった印象を親はもつ。言うことなすこと、天衣
無縫で、突飛もなく、つかみどころがない。たいていの親はこの段階で、「うちの子はふつうの
子とは違う」と感ずる。中には、「天才児」と思う親もいる。
(2)疑惑
 無遠慮(隣の家にあがりこんで、冷蔵庫から食べ物を取り出して食べる)、無頓着(病院の待
合室で騒ぐ)、無警戒(よその飼い犬に手を出してかまれる)などの症状にあわせて、無礼、無
作法が目立つようになる。最大の特徴は、抑えがきかないこと。(抑えがきくなら、ADHD児で
はない。)この段階で、親は、「ふつうでないこと」が、「異常であること」に気づく。ある女の子
(年中児)は、遊戯会でみなと一緒に踊らず、ひとり舞台の前に出て、アッカンベーを繰り返して
いた。それを見てはじめて、母親は自分の娘がADHD児ではないかという疑いをもった。
(3)確認
 親の不安と心配は、一挙にふくらむ。あちこちに相談をもちかける。保育園や幼稚園の園長
に相談したり、そこから紹介された医療機関を回ったりする。しかしADHD児の診断基準は、
その雛(ひな)型は、〇一年の春にできたばかりで、まだこの日本には存在しないと言ったほう
が正しい。つまり現段階では、ADHD児かどうか、確認のしようがないということになる。
(4)混乱
 多動性が目立つようになり、そうした言動が、静かな秩序になじまず、授業を混乱させたりす
る。自分の子どもが混乱の原因であると知り、少なからず悩んだり苦しんだりする。教師やほ
かの父母からの苦情が耳に入ることもある。この段階になると、たいていの親は絶望的にな
り、一方で、子どもをはげしく叱ったり、きびしくしつけようとする。しかしそれらは逆効果となる
ことが多く、子どもはますます手がつけられなくなる。
(5)沈静化
 小学三年生になるころから落ちつき始め、小学四年生くらいを境に、症状は急速に収まって
くる。騒々しさは残ることは多いが、もちまえのバイタリティが、よい方向に作用し、学習面や運
動面で、かえってよい成績を示したりすることが多い。

 こうした経緯を経て、ADHD児もしくは、その疑いのある子どもは、あたかも何ごともなかった
かのようにその時期を通り過ぎていく。が、ここで一つの条件がある。その過程で、「無理をし
ない」ということ。無理をすればするほど、当然のことながら症状がこじれ、こじれた分だけ、子
どもの立なおりが遅れる。よくあるケースは、子どもをきびしく叱ったり、しつけたりして、子ども
の心そのものにキズをつけてしまうケース。こうなると、ADHD児の問題というよりは、また別
の問題になってしまう。そうならないためにも、ADHD児であるにせよ、その疑いのある子ども
であるにせよ、つぎのことに注意する。

(1)言うべきことはしっかりと言いながらも、脅したり、暴力を加えたりしない。ただひたすら冷
静に説教を繰り返すこと。
(2)ほかの生徒に迷惑をかけたようなときは、園や学校の先生、あるいはほかの父母には、
ただひたすら低姿勢で接すること。
(3)いつも、どんなことがあっても、「愛している」という態度をつらぬき、子どもに不安感を与え
ないようにすること。

 「低姿勢」という言葉に反発する人もいるかもしれないが、こういうケースでは、「負けるが勝
ち」と思うこと。ほかのことならともかくも、間に子どもがいるときは、一歩ずつ引きさがること
で、たがいの関係を良好にたもつことができる。そしてここが重要だが、この問題は、時間が
解決してくれる。子どもは必ず立ちなおる。それを信じて、それまでの時期、不必要に取り乱し
たり、騒いだりしないこと。
(02−8−23)※

(追記)
 幼児期に多動性を示したため、親の異常なまでのきびしいしつけや、不適切な対応などで、
症状がこじれにこじれてしまったケースも少なくない。私の経験した中で、もっともこじれたケー
スでは、中学校の集団合宿中に、宿舎のカーテンをすべて破りちぎってしまった子ども(中一男
子)のケースや、親がその子ども(中一女子)をもてあまし、近くのアパートに監禁してしまった
ケースなどがある。

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子育て随筆byはやし浩司(72)

悪夢分析

 今日、昼寝をしたら、いやな夢を見た。それをそのまま、ここに書く。

 ……そのとき私は、細長いバスに乗っていた。席は一番、うしろだった。隣の席には、恩師の
M教授が座っていた。M教授は、何やら私に資料を見せて、「どう思うか」と私に聞いていた。
資料を見たが、文字がこまかくて読めなかった。
 気がつくと、それはバスではなく、電車だということがわかった。と、同時に、その電車は、ひ
とつの駅にとまった。「極楽駅」という名前の駅だった。私は荷物を片づけておりようと思った
が、机の上にパソコンが広がっていて、すぐには片づけることができなかった。「フロッピーディ
スクだけ、もっていこうか」と考えたが、パソコンをそのまま残しておくことはできない。「早くおり
なければ」と、気だけがあせった。しかしコードがあちこちにからんでいて、それもできない。電
車はドアをあけたまま、私がおりるのをまっている。窓の外には、のどかな田園風景が広がっ
ている。しかしそのとき、私はこう考えた。こういうケースでは、あわてておりようとしたとたん、ド
アがしまっておりられなくなるもの、と。映画でも、そういうシーンを何度か見たことがある。だか
らパソコンを片づけるのをやめた。「どうにでもなれ」と、自分で、そう思った。
 が、つぎの駅は地獄駅だという。そこでおりたら、地獄行き。多分、そのとき横にワイフがい
たと思う。そして私にこう聞いたような気がする。「ここでおりないと、地獄行きよ」と。そこで私
はこう言った。
 「電車なんてものはね、終着駅に着いたら、また戻ってくるもの。地獄駅でおりなければい
い。また帰りに極楽駅の前を通るから、そのときおりればいい」と。
 ……ここで夢から目がさめた。

 この夢は、状況や背景こそ違うが、私が見る悪夢の基本的な形になっている。たいていどこ
かを旅している。電車かバスが必ず登場する。そしてその電車かバスに乗り遅れそうになった
り、あるいは反対に、おりられなくなってしまう。が、途中で、つまり夢を見ている途中で、どこか
夢のもつ矛盾に気づき、居なおってしまう。(居なおれないときは、はげしい心臓の鼓動ととも
に、目が覚める。汗をかいているときもある。)そこで私の夢分析。

 私の悪夢は、不安感が基本にある。が、こうした不安感は、実は私が日常的にもっているも
ので、それがそのまま夢の中に反映されるらしい。たとえば自由業といえば聞こえはよいが、
その実態は、毎日、薄い氷の上を、恐る恐る歩いているようなもの。その下では、病気や事
故、孤独や死が、いつも「おいで、おいで」と手招きして私を呼んでいる。
 またいつも旅をしている夢を見るのは、それだけ今住んでいる土地に、定着性がないためと
考えられる。別の夢では、よく、自分がどこに住んでいるかわからないときがある。あるいはま
ったく知らない家が出てきて、「これが私の家?」と思うこともある。岐阜の故郷を離れてもう、
四〇年になる。考えてみれば、私はこの四〇年間、風来坊のようなものだった。そういう私の
生きザマが、夢の中に、やはり反映されているらしい。
 で、最後に、私はよく夢の中で、居なおる。「いいじゃないか」と。これは私の自信によるもの
か。私は決してうぬぼれ型の人間ではないが、このところ、自分の生きザマは正しかったと思う
ことが多い。そういう自信が、こうした居なおりになるのではないかと思う。 

 ワイフにこの夢の話をすると、ワイフはこう言った。「よく、そういう理屈っぽい夢を見るわね。
あなたらしい」と。
 そう、私の夢は、いつも理屈っぽい。「帰りに極楽駅の前をまた通るから、そのときおりれば
いい」と思ったところが、それである。ただいつも不思議に思うのは、私は一度だって、同じ夢
を見ないこと。ここに書いたように、大きく見ればパターンは同じだが、しかしそのつど、場所や
背景が違う。夢だから、同じようなところがでてきても、おかしくはないのだが……。
 しかし悪夢はいやだ。いつになったら、こうした悪夢と決別し、おだやかで、心安らかな夢を
見ることができるのか……と、まあ、今はそう思っている。
(02−8−26)※

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子育て随筆byはやし浩司(73)

執筆

 この二日間で、五六枚の原稿を書いた。一枚、約八〇〇字だから、ええと……と書いても、
あまり意味はない。ふつうサイズの単行本の約半分の分量と言ったほうが、わかりやすい。あ
と数日で、残りの半分を書けば、ちょうど本一冊分の分量になる。五六枚というのは、そういう
枚数をいう。
 実は、ここまで書くのは、それほどたいへんではない。家づくりにたとえれば、建て前がすん
で、屋根瓦(がわら)をのせた状態? これから壁を入れ、窓をつくり、そして内装にとりかか
る。デリケートな仕事に入る。本づくりもそれに似ている。おおざっぱに書いた原稿に、手を入
れ、推敲(すいこう)に推敲を重ねて、一冊の本に仕上げる。しかし、正直言って、これが楽し
い。そう言えば先日も映画のある監督が、同じようなことを言っていた。映画を仕上げていくと
きが、一番楽しい、と。
 私はプロと言えるほどの人間ではないが、本だけは、たくさん書いてきた。多い年は、一年間
で、一〇冊もの本を出版したこともある。どれも売れない本ばかりだったが、しかしこうした工
程は、プロと呼ばれる作家と、それほど違わない……と思う。本というのは、書くときよりも、推
敲をするときのほうが、神経をつかう。ばあいによっては、一、二週間のうちに、数キロ体重が
減ることもある。推敲というのは、そういうもの。
 そこで私は改めて、プロとアマの違いを考える。つまりプロがプロであるのは、この推敲の違
いによるものだと。プロは自分の書いた文章を、徹底的に推敲する。推敲に推敲を重ねて、さ
らに推敲する。しかしそれでも、言い足りないところや、余計なところが出てくる。だからまた推
敲に推敲を重ねる。しかしアマは、それをしない。適当なところで、自分の書いた文章を、外に
出してしまう。
 そういう意味では、今が一番苦しいときかもしれない。「残り半分を書かねばならない」という
重圧感が、私の心をふさぐ。それはちょうど悶々とした気分で、暗闇の中を歩くようなもの。先
が見えないから、不安になる。どこにいるかわからないから、さらに不安になる。しかしここが
勝負どころ。ここさえ突っ切れば、出版まではそう遠くない。
 しかし、だ。この緊張感がまた、たまらない。この緊張感があるからこそ、私は本を書く。もち
ろんたくさん売れればうれしいが、私の本は、どういうわけだか、さっぱり売れない。自分では、
結構、役に立つことを書いていると思うのだが、売れない。私の書く本は、すべて経験にもとづ
いている。いろいろな育児論があるが、私の育児論は、ファーブルの「昆虫記」のような性格を
もったものではないかと思う。机上の空論は絶対に、書かない。子どもを観察しながら、現実に
あった話だけで、組み立てる。が、売れない。どうしてか、売れない。多分、その理由は、読者
の方が一番、よく知っているのでは……?(ワイフは、「あんたの本は、ちっともおもしろくない」
と言う。「内容がまじめ過ぎる」とも言う。たしかにそうかもしれない。)かと言って、今風な書き
方ができないわけではない。少しやってみるか!

 「本っていうのはね、くだらネー本を書いても、意味ネーノ。ただのゴミ。資源のムダづかい。
わかっているけど、やめられネーノ」と。しかしこれは私の文ではない。しかし今は、こういう文
章で書かねば、本は売れない時代だそうだ。そういう点では、もう、私の時代は終わったの
か? 昔、若いころ、老人の書いた文章を読みながら、「この人の文章は、古臭くて、もうダメ
だ」と思ったことがたびたびある。多分、今の皆さんも、私の文章を読みながら、そう思っている
に違いない。今、そのしっぺ返しを受けている……? あああ……どうしたらいいのだ!(こん
な短いエッセーだが、私は一〇回ほど読みなおし、推敲をした。念のため!)
(02−8−26)※

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子育て随筆byはやし浩司(74)

公立小中学校・放課後補習について

 文部科学省は、公立小中学校の放課後の補習を奨励するため、教員志望の教育学部の大
学生らが児童、生徒を個別指導する「放課後学習相談室」(仮称)制度を、二〇〇三年度から
導入する方針をかためた(〇二年八月)。
 文部科学省の説明によれば、「ゆとり重視」の教育を、「学力向上重視」に転換する一環で、
全国でモデル校二〇〇〜三〇〇校を指定し、「児童、生徒の学力に応じたきめ細かな指導を
行う」(読売新聞)という。「将来、教員になる人材に教育実習以外に、実戦経験をつませる一
石二鳥の効果をめざす」とも。父母の間に広まる学力低下への懸念を払しょくするのがねらい
だという。具体的には、つぎのようにするという。

 まず全国都道府県からモデル校を各五校を選び、@授業の理解が遅れている児童、生徒に
対する補習を行う、A逆に優秀な児童、生徒に高度で発展的な内容を教えたり、個々の学力
に応じて指導するという。

 しかし残念ながら、この「放課後補習」は、確実に失敗する。理由は、現場の教師なら、だれ
しも知っている。順に考えてみよう。

第一、学校での補習授業など、だれが受けたがるだろうか。たとえばこれに似た学習に、昔か
ら「残り勉強」というのがある。先生は子どものためにと思って、子どもに残り勉強を課するが、
子どもはそれを「バツ」ととらえる。「君は今日、残り勉強をします」と告げただけで泣き出す子
どもは、いくらでもいる。「授業の理解が遅れている児童、生徒」に対する補習授業となれば、
なおさらである。残り勉強が、子どもたちに嫌われ、ことごとく失敗しているのは、そのためであ
る。
第二、反対に「優秀な児童、生徒」に対する補習授業ということになると、親たちの間で、パニ
ックが起きる可能性がある。「どうしてうちの子は教えてもらえないのか」と。あるいはかえって
受験競争を助長することにもなりかねない。今の教育制度の中で、「優秀」というのは、「受験
勉強に強い子ども」をいう。どちらにせよ、こうした基準づくりと、生徒の選択をどうするかという
問題が、同時に起きてくる。

 文部科学省よ、親たちは、だれも、「学力の低下」など、心配していない。問題をすりかえない
でほしい。親たちが心配しているのは、「自分の子どもが受験で不利になること」なのだ。どうし
てそういうウソをつく! 新学習指導要領で、約三割の教科内容が削減された。わかりやすく
言えば、今まで小学四年で学んでいたことを、小学六年で学ぶことになる。しかし一方、私立の
小中学校は、従来どおりのカリキュラムで授業を進めている。不利か不利でないかということ
になれば、公立小中学校の児童、生徒は、決定的に不利である。だから親たちは心配してい
るのだ。
 非公式な話によれば、文部科学省の官僚の子弟は、ほぼ一〇〇%が、私立の中学校、高
校に通っているというではないか。私はこの話を、技官の一人から聞いて確認している! 「東
京の公立高校へ通っている子どもなど、(文部官僚の子どもの中には)、私の知る限りいませ
んよ」と。こういった身勝手なことばかりしているから、父母たちは文部科学省の改革(?)に不
信感をいだき、つぎつぎと異論を唱えているのだ。どうしてこんな簡単なことが、わからない!

 教育改革は、まず官僚政治の是正から始めなければならない。旧文部省だけで、いわゆる
天下り先として機能する外郭団体だけでも、一八〇〇団体近くある。この数は、全省庁の中で
もダントツに多い。文部官僚たちは、こっそりと静かに、こういった団体を渡り歩くことによって、
死ぬまで優雅な生活を送れる。……送っている。そういう特権階級を一方で温存しながら、「ゆ
とり学習」など考えるほうがおかしい。この数年、大卒の就職先人気業種のナンバーワンが、
公務員だ。なぜそうなのかというところにメスを入れないかぎり、教育改革など、いくらやっても
ムダ。ああ、私だって、この年齢になってはじめてわかったが、公務員になっておけばよかっ
た! 死ぬまで就職先と、年金が保証されている! ……と、そういう不公平を、日本の親たち
はいやというほど、思い知らされている。だから子どもの受験に狂奔する。だから教育改革は
いつも失敗する。

 もう一部の、ほんの一部の、中央官僚が、自分たちの権限と管轄にしがみつき、日本を支配
する時代は終わった。教育改革どころか、経済改革も外交も、さらに農政も厚生も、すべてボ
ロボロ。何かをすればするほど、自ら墓穴を掘っていく。その教育改革にしても、ドイツやカナ
ダ、さらにはアメリカのように自由化すればよい。学校は自由選択制の単位制度にして、午後
はクラブ制にすればよい(ドイツ)。学校も、地方自治体にカリキュラム、指導方針など任せれ
ばよい(アメリカ)。設立も設立条件も自由にすればよい(アメリカ)。いくらでも見習うべき見本
はあるではないか!
 今、欧米先進国で、国家による教科書の検定制度をもうけている国は、日本だけ。オースト
ラリアにも検定制度はあるが、州政府の委託を受けた民間団体が、その検定をしている。しか
し検定範囲は、露骨な性描写と暴力的表現のみ。歴史については、いっさい、検定してはいけ
ないしくみになっている。世界の教育は、完全に自由化の流れの中で進んでいる。たとえばア
メリカでは、大学入学後の学部、学科の変更は自由。まったく自由。大学の転籍すら自由。ま
ったく自由。学科はもちろんのこと、学部のスクラップアンドビュルド(創設と廃止)は、日常茶
飯事。なのになぜ日本の文部科学省は、そうした自由化には背を向け、自由化をかくも恐れる
のか? あるいは自分たちの管轄と権限が縮小されることが、そんなにもこわいのか?

 改革をするたびに、あちこちにほころびができる。そこでまた新たな改革を試みる。「改革」と
いうよりも、「ほころびを縫うための自転車操業」というにふさわしい。もうすでに日本の教育は
にっちもさっちもいかないところにきている。このままいけば、あと一〇年を待たずして、その教
育レベルは、アジアでも最低になる。あるいはそれ以前にでも、最低になる。小中学校や高校
の話ではない。大学教育が、だ。

 皮肉なことに、国公立大学でも、理科系の学生はともかくも、文科系の学生は、ほとんど勉強
などしていない。していないことは、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。そ
の文科系の学生の中でも、もっとも派手に遊びほけているのが、経済学部系の学生と、教育
学部系の学生である。このことも、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。い
わんや私立大学の学生をや! そういう学生が、小中学校で補習授業とは!
 日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう
言った。「ぼくたちには考えられない」と。大学制度そのものも、日本の場合、疲弊している!
 何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。もしこの日本から受
験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊する。確かに一部の
学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査でも、「教育は悪い方
向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。九八年の調査よりも八%もふ
えた。むべなるかな、である。

 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。日本の教育改革は、三〇年は遅れ
た。しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。そのころ世界はどこま
で進んでいることやら! 日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育
レベルはそれほど低くはない」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよ
い。今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レベル
の問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西村和雄氏)(※
2)だそうだ。
 あるいはこんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語
検定試験)で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジアで日本より成績
が悪い国は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)だそうだ。オースト
ラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本には数え
るほどしかいない。あの天下の東大には、一人もいない。ちなみにアメリカだけでも、二五〇人
もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田丸謙二氏指摘)。

 「構造改革(官僚主導型の政治手法からの脱却)」という言葉がよく聞かれる。しかし今、この
日本でもっとも構造改革が遅れ、もっとも構造改革が求められているのが、文部行政である。
私はその改革について、つぎのように提案する。

(1)中学校、高校では、無学年制の単位履修制度にする。(アメリカ)
(2)中学校、高校では、授業は原則として午前中で終了する。(ドイツ、イタリアなど)
(3)有料だが、低価格の、各種無数のクラブをたちあげる。(ドイツ、カナダ)
(4)クラブ費用の補助。(ドイツ……チャイルドマネー、アメリカ……バウチャ券)
(5)大学入学後の学部変更、学科変更、転籍を自由化する。(欧米各国)
(6)教科書の検定制度の廃止。(各国共通)
(7)中央官僚主導型の教育体制を是正し、権限を大幅に市町村レベルに委譲する。
(8)学校法人の設立を、許認可制度から、届け出制度にし、自由化をはかる。

 が、何よりも先決させるべき重大な課題は、日本の社会のすみずみにまではびこる、不公平
である。この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は、まったくといって
よいほど、受けない。わかりやすく言えば、官僚社会の是正。官僚社会そのものが、不公平社
会の温床になっている。この問題を放置すれば、これらの改革は、すべて水泡に帰す。今の状
態で教育を自由化すれば、一部の受験産業だけがその恩恵をこうむり、またぞろ復活すること
になる。

 ざっと思いついたまま書いたので、細部では議論もあるかと思うが、ここまでしてはじめて「改
革」と言うにふさわしい。ここにあげた「放課後補習制度」にしても、アメリカでは、すでに教師の
インターン制度を導入して、私が知るかぎりでも、三〇年以上になる。オーストラリアでは、父
母の教育補助制度を導入して、二〇年以上になる(南オーストラリア州ほか)。大半の日本人
はそういう事実すら知らされていないから、「すごい改革」と思うかもしれないが、こんな程度で
は、改革にはならない。少なくとも「改革」とおおげさに言うような改革ではない。で、ここにあげ
た(1)〜(8)の改革案にしても、日本人にはまだ夢のような話かもしれないが、こうした改革を
しないかぎり、日本の教育に明日はない。日本に明日はない。なぜなら日本の将来をつくるの
は、今の子どもたちだからである。
(02−8−28)※
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(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・一九九九年)の調査によると、日本の中学
生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以下、オ
ーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、台湾、シンガポー
ルに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシア、と。
この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せて
いる。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与え
るのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。ちなみに、「数学が好き」と答えた割
合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」と答えた割合は、韓国についでビリ二で
あった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉強する学外学習も、韓国に次いでビリ二。
一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビやビデオを見る時間が、二・六時間から三・一
時間にふえている。
で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表
している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。
この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小学
六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・五%に
低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、
三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に低下している(同じ
問題で調査)、と。
 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判し
た意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑いようが
ない。同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子ども
が、二〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。反対に「算数が好き」と答
えた子どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいない。原因はいろいろあるの
だろうが、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。少なくとも、「(日本の教
育が)国際的にみてトップクラスを維持していると言える」というのは、もはや幻想でしかない。

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(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであったとい
う。
調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを研
究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点で平
均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学部一年
生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。)

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子育て随筆byはやし浩司(75)

上から見る人たち

●自分を見失う
 特権階級に長い間、安住し、しかもいろいろな重職を総ナメにしたような人物には、ひとつ大
きな特徴がある。みながみな、そうというわけではないが、しかしたいてい共通して、つぎのよう
な特徴がある。つまり「人を上から見る」。
 
 人間の脳には、構造的な欠陥があるのかもしれない。たとえばこの私ですら、講演などがつ
づいてあちこちでチヤホヤされると、自分を見失ってしまうことがある。誇りとか、うぬぼれとか
いうものではない。自分自身を見失ってしまう。こんなことがあった。

●私の経験から
 少し前、S県で講演をした。往復は新幹線のグリーン車を用意してもらった。そして駅から会
場までは、タクシー。聴衆は、その県の小中学校の教員を中心に、七〇〇名前後。はじめは
小さな会と聞いていたので、これには驚いた。で、いつものように講演をすまし、またタクシーで
帰った。もちろん帰りもグリーン車だった。が、そのグリーン車。五、六時間乗っていたが、とき
おり一、二名の乗客が乗り降りしただけ。あとは私の貸し切りのようなものだった。私は好き勝
手な姿勢で、長旅を楽しんだ。と、そのときのこと。何だか自分が、特別の人間のように思われ
てきた。人間に上下などあるはずもないことは、一番自分がよく知っているはず。しかし駅で停
まったりすると、窓の外に並んでいる人たちが、どこか小さく、下に見えてきた。

 が、私が心の変化に気づいたのは、その翌日のことだった。いつものように自転車にまたが
り、職場に向かおうとしたときのこと。心のどこかで変な違和感を覚えた「こんなハズはない」
と。つづいて「私は自転車に乗って、職場に向かうような人間ではない」という思いが、心をふさ
いだ。「どうして私のような人間が、自転車で通勤しなければならないのか」とも。その思いは、
コンビニの前で頂点に達した。

 私がコンビニの駐車場を横切ろうとしたとき、一台の車がけたたましいスリップ音とともに、目
の前で急停止した。私はあやうくその車にはねられるところだった。見ると若い男女だった。男
のほうが、「バーカ」と言っているのが、口の動きでわかった。女のほうはニヤニヤ笑いなが
ら、私から視線をそらした。私は自転車に乗っている自分が、何とも情けなかった。つくづくい
やになった。いっそうのこと、タクシーで行こうかとも思った。いや、そのとき私は、自分をすで
に見失っていた。

●私の原点
 私はときどき、自転車に乗りながら、私の原点はここにあると思うことがある。いや、決して自
転車に乗る人をバカにしているのではない。自転車に乗る人が、「下」というわけでもない。しか
し道路のすみを、車をさけながら、トコトコと走っていると、車社会のもつ傲慢(ごうまん)さが、
よくわかる。多分、そういう車を運転する人から見ると、私など、道路のゴミのように見えるのだ
ろう。いつか富山の友人もこう言っていた。「そんな恥ずかしいこと、よくできるな?」と。その友
人は、自転車で通勤することは、「恥ずかしいこと」と言うのだ。事実、私は自転車に乗るとき
は、最低限まで、車に遠慮しながら、道路を走る。車と張りあっても仕方ないし、仮にぶつかれ
ば、命を落とすのは、私のほうだ。少しおおげさな言い方に聞こえるかもしれないが、自転車に
乗っていると、社会の最底辺で生きている人の気持、そのものになることがある。

 私は気を取りなおして、そのコンビニの前を離れた。振りかえると、男女は車からおりて、車
の左右に立つところだった。私はジロリとそちらをにらんだつもりだったが、その男女はもう何
ごともなかったかのように、何やら立ち話を始めていた。瞬間、何とも形容しがたいみじめな思
いが、心を横切った。「こういう力のない若者たちのために、自分なりに戦っているのに……」と
いう思いもあった。しかし、だ。それが私の原点なのだ。私は生涯、そういう人生を送ってきた
し、今も送っている。そしてそれが原点とするなら、グリーン車の中でふんぞりかえっている私
は、私ではない。まさに仮想現実の世界の私ということになる。

●「受験で苦労したから、当然でしょ」
 で、私は考えた。もし私がずっと、それも長い時代、みなにチヤホヤされ、グリーン車で送り
迎えされるような生活を送ったとしたら、私は私でありえるか、と。多分、私は、完全に自分を
見失ってしまうだろう。いや、脳のCPU(中央演算装置)そのものが狂うから、見失っていること
自体に、気がつかないかもしれない。いやいや、実際、すでにそういう人たちはいくらでもいる。
そういう生活を日常的にしている人たちだ。ある大蔵官僚は、「天下り先をどう思うか?」と聞
かれたとき、こう言った。「私ら、受験で苦労したから、当然でしょ」(九八年)と。「毎日仕事で追
われているから、再就職先は、国のほうで用意してくれて、当たり前だ」と言った官僚もいた。
長い間、恵まれた環境で仕事をしていると、そういう発想でものを考えるようになるらしい。

 で、冒頭の話。実はたった今も、ある元教授から、メールをもらった。いわく、「君の意見は、
田舎のオバチャンたちには受けるかもしれないが、知的レベルが低くすぎる」と。いつもその元
教授は、「田舎のオバチャンたち」と言う。結構な表現だが、私はその「オバチャンたち」に支え
られて生きている。この言葉にはがまんならない。自分の子どもをけなされたかのような不快
感だ。そこで私はこう反論した。「文化をつくるのは、大衆です。あなたがいうところの、田舎の
オバチャンたちです」と。本当はそのあとに、こうつづけたかった。「(文化をつくるのは)あなた
のような雲の上の人たちではない」と。その元教授もまた、現役時代は、国際学会などでも活
躍していた人である。

●幻想の世界
 追記として、これだけは覚えておいたほうがよい。こうした雲の上の人たちというのは、自分
がチヤホヤされる間は、そして相手が自分より下にいると感じている間は、それなりにものわ
かりがよい紳士を演ずる。人格者のフリをする。そういう技術には、人一倍たけている。いかに
すれば自分がそれなりの人物に見えるか、そればかりを研究している。しかしひとたび、相手
が自分を否定したり、あるいは対等に張りあってくると、突然キバをむく。容赦なく、そういう相
手を攻撃する。私に対して、「(あなたは偉そうなことを言うが)、文部科学省あたりから仕事が
回ってくれば、シッポを振る口ではないのかね」と言ってきた教授もいる。

 よく誤解されるが、「教授が偉い」という考えは、幻想でしかない。中には人格的にすぐれた人
もいるが、そういう人ばかりではない。(本当はそうでない人のほうが多いのかも?)人は自ら
苦労をして、その道に達することができる。いつも崖っぷちに立たされ、他人に頭を叩かれて
はじめて、自分の人格をみがくことができる。しかし今の大学の教授たちについて言えば、どこ
にその苦労があるのか、ということになる。生涯身分と収入は保証され、研究といっても、自分
の好き勝手なことに没頭しているだけ。はっきり言えば、きわめて限られた分野の、きわめて
専門的な研究しかしていない。人格的に高邁になる要素など、どこにもない。人格的にどうこう
ということを言うなら、幼稚園の先生のほうが、よっぽどすぐれている。それだけの苦労をして
いる。もちろん現場経験も多い。少し前にも、こんなことがあった。ある幼稚園で講演をしたと
きのこと。門のところに、「○○大学附属幼稚園」と書いてあった。そこで私がそこの副園長
に、「園長(その大学の教育学部の教授)は、よく来るのですか」と聞くと、副園長は、苦笑いし
ながら、こう言った。「ときどきね。でも、来てもいつもお客様ですから……」と。

●ひがみ節?
 この原稿は、少し怒りをこめて書いたので、見苦しい原稿になったかもしれない。ひがみ節?
 どこかいじけた、どこかゆがんだ原稿になった。もともと私でない「私」について書いたので、
よけいにそうなった。日ごろの私は、もっとすなおで、明るく、朗らか(ホント!)。「そんなに言う
なら、どこかの教授になってみろ。どうせなれないくせに!」という声も、どこからか聞こえてき
そうな気がする。だからここで書くのをやめる。気をとりなおすため、居間でお茶でも飲んでく
る。バイ!
(02−8−29)※

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子育て随筆byはやし浩司(76)
 
子どもに教えられる

 著名な教育者でも、現場を離れたとたん、偏屈な、がんこオヤジになることはよくある。そうい
う教育者の書いた文章を読んだりすると、その教育者が教育者であったのは、結局は子ども
のおかげだったということが、よくわかる。たとえばよく知られた人に、Tという人がいた。元小
学校の教員だったとかで、たしかに現役時代の彼の書いた文章は、おもしろかった。役にたっ
た。しかし現役を退いてからの彼の書いた文章は、どれも美辞麗句ばかり。まるで夢の中で書
いたような文章ばかりだった。

 そこで私自身のことを静かに観察してみる。たとえばこんなことがある。ときどき仕事にでか
ける前、ワイフと口論することがある。そういうとき気分はたしかに悪い。ムシャクシャしてい
る。が、教室へ入って、子どもたちが、「やあ、林先生!」とか言って声をかけてくれたとたん、
その気分が吹き飛んでしまう。

 つまり教師というのは、いつも子どもたちに心を洗われていることになる。何でもないことのよ
うだが、これにはすばらしい価値が隠されている。いや、反対にこんなことがある。生徒の一人
に、父親が大病院の腎臓センターのドクターをしている息子(中二)がいる。私は腎臓センター
に世話になったことがないので、よく知らないが、聞くところによると、そのセンターにやってくる
のは、重症の患者ばかりだという。中にはやってきて数週間から数か月で亡くなる人もいると
いう。
私は頭の中でそういう職場を想像しながら、何と憂うつな職場だろうと思った。仮に気分よく職
場へ入っても、患者の顔を見たとたん、その気分が悪くなってしまうかもしれない。つまり私の
職場を、「朝日が輝く朝の職場」とするなら、腎臓センターは、「とっぷりと日の暮れた闇の職
場」(失礼!)ということになる。そこである日、その中学生にこう聞いてみた。「君のお父さん
は、どうやって気分を調整しているのだ」と。するとその中学生は、「ううん、何も……」と。そう
いう仕事ができるというだけでも、そのフドクターは崇高な人に違いない。仮に私がそのセンタ
ーのドクターなら、私は数日働いただけで気が滅入ってしまうかもしれない。それにこんなこと
もあった。

 もう一〇年ほど前のことだが、ある出版社から、老人ホームの老人向けの教材を考えてほし
いという依頼をもらった。幼児と老人は、何となくどこかでつながっている。で、私は一時は、そ
の気になってそのための取材を始めた。いくつかのホームを回り、どんな指導をしているかを
見学して回った。が、そのうち、幼児向けの教材と、老人向けの教材は、まったく異質のもので
あることき気づいた。幼児向けの教材は、発展的に知恵を伸ばすもの。一方、老人向けの教
材は、その知恵をのがさないためのもの。結局この仕事は、私のほうが断ったが、そのとき
も、同じように思った。「同じ教材作りでも、老人向けはつまらないな」と。

 そこで私は考えた。私は毎日のように、幼児や小学生と接している。それは私が「教えるとい
う立場」にいるからだ。が、しかしその実、ひょっとしたら、私はその幼児や子どもたちを教えて
いるのではなく、教えられているのではないか、と。あるいは心を洗われているといってもよい。
さらにそれを裏づけるかのように、こんなこともある。

 私はもともとうつ型タイプの人間で、ものの考え方がゆがんでいる。いじけやすいし、ひがみ
やすい。そういう私がかろうじて、まとも(?)でいられるのは、子どもたちのおかげである。たと
えば子どもの世界では、ささいなウソやインチキですら、通用しない。仮にそういうことがある
と、子どもたちは猛烈にそれに反発する。その反発を受けていると、いつの間にか、ゆがんだ
心や考え方が、やはり吹き飛んでしまう。

 で、最初の話にもどる。実のところ、教育者と呼ばれる人は、どこか世間知らずの人が多い。
子どもという人間を、上ばかりから見ているから、下の世界がわからない。昔、職業安定所の
人もそう言っていた。「一番、ツブシのきかない人が教師です」と。私もその一人だが、そのツブ
シのきかない教師が現場を離れると、とたんに教育的なカンが消えてしまう。これも私の経験
だが、たとえば休みが一〇日とか二週間とかつづいたりすると、原稿そのものが書けなくなっ
てしまうことがある。さらに休みがつづくと、ツブシがきかない分だけ、常識ハズレになり、偏屈
な世界へと入ってしまう。冒頭にあげた、Tという教育者がそうだった。

 そこで再び私のこと。最近、ときどきワイフとこんな話をする。私はものを書くのが仕事だが、
しかしその仕事をつづけるためには、どこかで子どもたちとの接点をもっていなければならない
と。わかりやすく言えば、ものを書きつづける間、現場から離れることはできない、と。離れたと
たん、カンが消え、子育て論が書けなくなる。言いかえると、私にものを書かせ、生きがいを与
えてくれているのは、ほかならない、私の生徒ということになる。
 ごく最近、私はそれに気がついた。
(02−8−30)※
 
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子育て随筆byはやし浩司(77)

私のこと

●妻を裏切る男
 私にはひとりの知人がいた。ずいぶん前に亡くなったが、派手な男だった。浜松市の郊外に
住んでいたが、もっとも羽振りのよいころには、この浜松市内だけでも二人の愛人がいた。そ
の男にすすめられるまま、私は数百坪分の山林を買いうけた。総額で三〇〇万円だった。
 が、最近になって、それからもう二〇年近くになるというのに、その山林は、五〇万円程度の
価値しかないことがわかった。買ったときの六分の一。しかも二〇年もたっているのに、だ。私
ははじめてその男にだまされたことを知った。が、考えてみれば、何のことはない。妻を平気で
裏切るような男にしてみれば、私のような「知人」をだますことなど、何でもない。私はその男が
浮気をしていることを知ったときに、その男の本性を見ぬくべきだった。信用すべきではなかっ
た。

 人間というのは、それほど器用な生きものではない。相手によって、誠実な人になったり、反
対に不誠実な人になったりすることはできない。若いときなら、自分をごまかしながら、そのつ
ど、いろいろな人間を演ずることができるかもしれない。が、年をとると、そういうわけにはいか
ない。自分の人間性が、そのままモロに出てきてしまう。しかしこれがこわい。よい人間性なら
問題はないが、悪い人間性だと、それこそ身を破滅させる。先の知人にしても、やがて妻にも
あきられ、つづいて息子や娘にもあきられ、なくなる前の数年間は、実にみじめな晩年だった
ようだ。家庭の中で、「殺す」「死ぬ」「殺してやる」の大騒動も、あったという。
 
●私のこと
 さて、子どもたちのこと。誠実な子どもは、誠実。そうでない子どもは、そうでない。概して言え
ば、静かで、穏やかで、心豊かな家庭に育った子どもは、誠実になる。心のゆがみがないか
ら、ものごとをあるがままにとらえようとする。しかし一方、ねたみや嫉妬、不和や騒動が絶え
ないような家庭に育った子どもは、心がゆがんだ分だけ、誠実さが消える。ものの考え方が、
ひねくれたり、いじけたり、ねじれたりする。やさしくしてあげたり、親切にしてあげても、それが
そのまま心の中に、すなおに入っていかない。どこかしらこちらの腹の奥をさぐるようなしぐさを
見せる。

 と、書いて、これは実は私のこと。私はかなり不幸な家庭で生まれ、育てられた。貧乏だった
という記憶はないが、家庭的なやすらぎや、愛情というものが、ほとんどなかった。私が子ども
のころ、乳幼児期も含めて、父には、一度だって抱かれたことがないというのも、そのひとつ。
父は結核を患っていて、母が私を抱かせなかった。そればかりか、「父ちゃんは、きたないで…
…」というのが、母の口ぐせだった。今でもあのころを思い出すと、では、私は、いったいだれ
の子だったのかと思うときがある。もし祖父や祖母が同居していなかったら、私はゆがむどこ
ろか、今ごろは大犯罪者になっていたかもしれない。こういう仕事をしながら、いろいろな情報
を集め、そしてその中で自分をシミュレーションしてみると、それがよくわかる。

 で、当然のことながら、私はゆがんだ。子どものころの私は、かなり小ズルイ男で、約束な
ど、破るためにあると考えていた。人の目を盗んでは、平気でゴミを捨てたような記憶も、どこ
かに残っている。もっとも当時は戦後の混乱期で、「教育」とか、「家庭教育」という言葉すらな
い時代だった(私は昭和二二年生まれの、団塊の世代、初年度児)。スキさえあれば、何だっ
てした。またそうすることが、当たり前の時代だった。
 その私が私に気づき、いつからか、そういう私であってはいけないと思うようになったのか
は、はっきりしない。ただ、そういう子どもでありながら、少しだけ、ふつうの子どもとは違ったと
ころがあった。小心者のくせに、正義感だけはやたらと強かったというここと。こんなことがあっ
た。

●ダイコン畑
 ある日、一〇人ほどの仲間というより、「私の子分」を連れて山の中を歩いていたときのこと。
私が小学三年生くらいのときのことだったと思う。みんなで畑からダイコンを盗んで食べようと
いうことになった。ここで「子分」というのは、私はいつも、一〇人前後の手下を連れて歩いてい
た。山のボスだった。で、ダイコンを盗んで、それを食べていたときのこと。うしろからものすご
い怒鳴り声が聞こえてきた。見ると、その畑のお百姓さんだった。何かを言ったあと、こう叫ん
だ。「お前ら、こっちへ来い!」と。ほかの子どもたちは、クモの子を散らすように逃げた。が、
私だけは、どいうわけだか、そのお百姓さんに向かって歩き出した。そして……、そのあと記憶
はないが、たぶんこっぴどく叱られ、頭を叩かれたと思う。
 こういうのを正義感というかどうかは知らないが、まちがったことをしながらも、そのまちがっ
たことが大嫌いだった。お百姓さんに向かって歩いていったのは、多分、そういう心理によるも
のだと思う。しかしそういう正義感(?)が、やがて少しずつだが、私を立ちなおらせてくれた。こ
んなこともあった。

●暴力団の構成員とは!
 浜松に住むようになって、しばらくしてからのこと。ふと知り合った男が、私にアパートを紹介
してほしいと頼んだ。人のよさそうな男だったので、私は知人を通して、そのアパートを紹介し
てやった。が、数か月もすると、その知人から電話がかかってきた。「部屋代を払ってもらえな
いから、困っている」と。そこで私はその男に電話をした。が、そこで驚いた。その男の様子
が、以前とはまったく違っていたからだ。そしてこう言った。「貴様、オレを誰だと思っているん
だ。オレにそういう口をきいて、ただですむと思ってんのか。ちょっと来い」と。その男は、暴力
団の構成員だった。
 私はその男が来いといった、喫茶店に向かった。ワイフは反対したが、どういうわけか、そう
いう状況になると、腹がすわってしまう。私はそういう状況から逃げることが、どうしてもできな
い。

●正義感
 多分、今こうして懸命にものを書き、自分を支えている「力」というのは、そういうとき、自分を
動かした力だと思う。子どものころの、あのお百姓さん。そして浜松へ来てからの、あの暴力
団。そういうものに立ち向かっていった自分と、何かしらこの日本に充満する不公平感に立ち
向かっている自分は、どこかで一本の線でつながっている。逃げようと思えば逃げられる。我、
関せずと無関心でいようと思えば、無関心でもいられる。しかしどうしてもそれが私にはできな
い。いや、最近では、不公平感だけではない。「なぜ人は生きるのか」「死んだら人はどうなる
のか」「私たちはどこからやってきて、どこへ行くのか」という問題が、私に前に立ちはだかって
いる。「どうせわかるはずなどない」「どうせ時間のムダだからやめろ」と、だれかがどこかであ
ざ笑っているかのようにも思う。が、私はこの問題から逃げるわけにはいかない。いや、私自
身、あと一〇〇年、二〇〇年、あるいは三〇〇年考えたところで、その「真理」には到達できな
いと思っている。本当のことなら、この問題からも逃れたい。逃れて、もっと安易な道を歩き、も
っと楽な生活をしたい。しかしやはり、私はそれから逃げることができない。
 私の息子ですら、こう言う。「パパは、自分の力をお金儲けに使ったら、もっとお金を稼げる
のに」と。一方、こうして毎日、ものを書いているが、実のところ、ほとんどお金
ならない。

●そろそろボロが出る?
 私は今、こわい。すてきな女性を見たりすると、心底その女性と浮気をしたい衝動にかられ
る。裸で抱き合ったら、どんなに気持ちがよいだろうと、頭の中で想像することもある。浮気か
浮気でないかということになれば、心の中では、もうとっくの昔に浮気している。あるいは先日も
道路でサイフを拾ったが、私の中の別の心が、「もらってしまえ」とつぶやいたのを、私ははっ
きりと覚えている。誠実な人間かどうかということになると、私は決して誠実な人間ではない。そ
ういう自分が、もうそろそろボロとなって、外へ出てくるかもしれない。このところ自分をごまか
す気力が、急速に衰えてきたように感ずる。それが、こわい。

 私は冒頭で、一人の知人を責めた。しかし、そういう知人を、だれが石もて、打てるのか。私
はたまたまだまされたが、私がそのだます側に回っていたとしても、まったくおかしくない。善人
も悪人も、大きな違いがあるようで、それほどない。善人が善人であるのは、まさに日々の、さ
さいな積み重ねによる。悪人が悪人であるのも、まさに日々の、ささいな積み重ねによる。そう
いうことを考えながら、あの知人を今、頭の中で思い浮かべている。
(02−8−30)※

(追記)あの暴力団の構成員が来いといった喫茶店へ行くと、一番奥に、二人の男が座ってい
た。一人がその男で、もう一人は彼の仲間だった。私がまっすぐとその二人のほうに向かって
いくと、今度はまた前のようなヘラヘラとした態度で、「なあ、お前、ちゃんと部屋代は払うから、
あまりカリカリすんなよな」と話しかけてきた。私はへたをすれば殺されるかもしれないと覚悟し
ていたので、彼のこの態度には、再び驚いた。あのタイプの男たちは、こちらが正々堂々と対
峙すれば、意外とおとなしいもの。それを私はこの事件から学んだ。

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子育て随筆byはやし浩司(78)

家庭内暴力

●千葉県市原市のESより、はやし浩司へ

 はじめてメールいたします。
ここ一年、加速するようにドラ化する現中一の息子への対応に
悪戦苦闘している四五歳の母親です。
「不登校」「家庭内暴力」「奇声」というキーワードで検索して
いくつかたぐっていましたが、どれも琴線に響くものもなく、
溜息混じりに見つけたのが貴方の直言でした。
長い文筆にかかわらず、一気にスクロールしてしまうほどの
まさに迷う私にとって目からうろこの言葉の数珠繋ぎだったのです。

私は大学の同級生の夫と高一の長女、中二の長男の四人家族ですが、
主人は京都に単身赴任して三年になります。
思えば夫の赴任に伴って、悪化した長男の心身生活態度でしたが、
夫もマメに帰省してくれ、その度に息子と心通わす時間を持ってくれており、
「単身赴任だから」という理由付けで息子の変化を語るには悔しすぎます。

ただ、今の息子は達成感がなく、何事にもやる気のない、目標意識のない、何かにつけて
マイナス思考で、やり場のないストレスを家族にぶつけている状態です。
もちろん、何事も長続きせず、成績は下降の一途です。
時には恐ろしいくらい(明日新聞に載るのではないか?という気さえします)乱暴になり、
その刃は留守宅の私に集中して向けられ、夫が帰るとウソのようにいい子になります。
彼の状態を家族として夫に報告することが、息子にはタブーで半ば脅されたような
状態で、我慢しています。知らぬは主人ばかりなり。一体いつまで続くのか、
学校も中学になって一学期のうち約二〇日欠席してしまい、果ては「学校なんて辞めたい」。
小学校のころから、問題を起こしては責任転嫁をするので、学友からは浮き上がってしまい、
本人も自覚するものの、引っ込みがつかなくなって自己矛盾に陥って悪循環。
見ていて痛々しくなってしまいます。

そのくせ、今も私のそばを離れず、注意を引くような、私が困るような行動をとるので、
今は、彼が何を探しあぐねて、彼がどう自分のことを考えてるのか、
様子を見ながら、笑顔をつくっている始末。乱暴時には怖くても何もできませんが、
息子と自分たちを信じて負けるまいと考えています。
ただ、時にどうしようもなく、逃げ込みたくなることもあり、死んでしまいたいとすら
思うほど落ち込んでしまいます。
恐らく何千の相談メールのなかで、こんなグダグダなど、取るに足らぬ甘いものだと
察しますが、ほんの少しでも、心を支える言葉を見つけられればと思い、
メール致しました。夫以外誰にもここまで話せません。
陥りやすい母親のパターンなのかもしれませんが、気長に構えるファイトが欲しくてなりませ
ん。ながながとすみませんが、よろしくお願いいたします。
(千葉県市原市・ESより)

+++++++++++++++++++

●はやし浩司より、ESさんへ
はやし浩司より、
メール、拝見いたしました。
 
息子さんを、R君としておきます。
 
R君は、思春期にありがちな、典型的な情緒不安と
思われます。みんなそうですから、あまり深刻にな
らないのが、賢明です。(情緒不安というのは、いわ
ゆる心の緊張感がとれない状態と考えてください。)
その緊張している状態に、不安が入り込むと、一挙に
暴走するわけです。暴力に向うプラス型と、引きこもり
などに向うマイナス型に分けて考えます。R君は
プラス型です。精神科で診断されると、青年期の
うつ病というような診断名をつけるかもしれません。
この名前を出してショックを受けられるかもしれませんが、
多かれ少なかれどの子どもも、そういった傾向を示しますので、
「うちの子だけが……」とは、思わないでくださいね。
 
言いかえると、この時期さえうまくくぐりぬけると、
症状は急速に回復しますので、あまり不安にならないように。
将来に対する不安を感じているのは、むしろ
R君自身と思ってあげてください。
成績がさがる、勉強がうまくはかどらない、しかし
みんなの中で目立ちたいなど、思春期の中で、
心の中がいつも緊張状態にあるのです。そのため
情緒そのものがたいへん不安定になっているのです。
まあ、いわば、心の風邪のようなもの。少し症状が
重いので、インフルエンザくらいだと思ってください。
いえ、決してなぐさめているのではありません。
ここにも書いたように、ケースとしては、たいへん
多く、またマイナス型(ひきこもり)と比べると
予後もよく、回復し始めると、あっという間に
症状が消えていきます。ですからここは「心がインフルエンザ
にかかっている」と思い、一歩退いた見方で、R君を
みるようにします。
 
で、いくつかコツがあります。
 
(1)今こそ、あなたの親としての愛情が試されている
ときと思うこと。今までのあなたは、いわば本能的愛、
あるいは代償的愛に翻弄されていただけです。しかし
今、あなたのR君に対する愛がためされているのです。
言いかえると、あなたがこの問題を、R君に対する
おしみない愛情で乗り越えたとき、あなたはさらに
深い親の愛を知ることになります。ですから決して
投げ出したり、投げやりになったりしてはいけませんよ。
「私はあなたにどれだけ裏切られても、あなたを
愛していますからね」という態度を貫きます。
いつかR君はそういうあなたに気づき、あなたのところ
に戻ってきます。そのときのために、決してドアを
閉じてはいけません。いつもドアを開いていてください。
そのためにも、「許して忘れる」です。
 
この「許して忘れる」については、私のサイトの
「心のオアシス」の中に書いておきましたから
トップページから開いて、ぜひ読んでみてくださいね。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
 
(2)この症状は、「治そう」とは思わないこと。
「今の状態をより悪くしないことだけを考える」こと。
ここが大切です。この段階で、治そうと思うと、悪循環の
世界に入ってしまい、それこそ「以前のほうが症状が
軽かった……」ということを繰り返しながら、症状は
どんどん悪化(本当は悪化ではなく、親の過干渉、
溺愛からの解放をめざしているのです)します。
ですから、数か月単位で、R君をみるようにし、
そして今の状態をこれ以上悪くしないことだけを
考えて、様子をみます。私の経験では、これから
一通り、R君はおとなになる準備をし、落ち着き始めるのは
一六、七歳ころだと思います。あせってはいけません。
気長に考えるのです。
 
(3)冷蔵庫から甘い食品を一掃してみてください。
思い切って捨てるのです。そしてCA、MGの多い食生活
にこころがけます。子どもの場合、食生活を変える
だけで、みちがえるほど、静かに落ち着いてきます。
詳しくは、サイトのあちこちに「過剰行動児」という
項目で書いておきました。ヤフーの検索で、
「はやし浩司 過剰行動」で検索するとヒットできるはずです。
 
(4)R君は恐らく幼児期はいい子のまま、仮面をかぶっていた
はずです。お父さんに対する態度が違うところがそうです。
(お父さんはかなり権威主義者ですね。)そういう仮面の
重圧感に苦しんできたのですよ。わかりますか?
それを今、懸命に調整しようとしている。そういう意味でも
ごくありふれた、先ほども書きましたように、多かれ
少なかれ、どの子どももかかる、心のインフルエンザの
ようなものです。ただ外から症状が見えないから
どうしても安易に考えてしまう。そういうものです。
 
(5)進学ということよりも、R君がしたいこと、R君に
向いている面で、将来の設計図を一緒に考えてあげるのが
いいでしょうが、ただ今の状態では、まだ時期が早いかもしれ
ません。今、あれこれ動いても、R君自身をかえって追い込んで
しまうからです。心のリハビリを考え、
 
●何もしない、何も世話をやかない、何も言わない、何も
かまわない……という状況の中で、つまりR君から見て、まったく
親の存在を感じないほどまでに、気が楽になるようにしむけます。
こういうケースでは、扱い方をまちがえたり、子どもを追い込むと
たとえば集団非行、家出ということを
繰り返しながら、どんどん悪循環の輪の中に入ってしまい
ます。ですから、子どもの側から見て、安心できる家庭づくり、
ほっとする家庭づくりに心がけてください。(家出をしたら、
またまた何かとやっかいになります。)家にいるだけでも、
ありがたいと思いつつR君に「やすらぎ」を用意します。
つまり根競べです。本当に根競べです。
 
この問題は、今のあなたには深刻な問題ですが、
必ず笑い話になりますよ。巣立ちにはいろいろな
形がありますが、これもその一つです。ですから親の
あなたが一歩退いて、つまり子どもを飲み込んだ世界から
見るのです。決して対等になってはいけません。
 
あのね、R君は、あなたが不安そうな表情、心配そうな
表情を見ながら、自分の心の中の不安を増幅させて
いるのですよ。そういう心理を理解するにはむずかしい
かもしれませんが、一度それがわかると、「何だ、
やっぱり子どもだな」と思えるようになります。ためして
みてください。
 
私の知人(女性)の長男も、高一のとき、無免許でバイクに乗り、
事故を起こし、逮捕、退学。いろいろありましたが、今は
笑い話にしています。(その分、その知人はみちがえるほど
気高い母親になりましたがね……。)いろいろみんな
あるのです。決して、自分だけが……とは思わないこと。
追い込まないこと。わかりますか? 
 
私のサイトの中に、「タイプ別子育て」という
コーナーがありますから、その中から非行なども
読んでみてください。参考になると思います。
 
子どもというのは不思議なもので、親が心配したところで
どうにかなる存在ではないし、しかし放っておいても
自分で育っていくものです。そろそろ子離れを始めてください。
(子どものほうはとっくの昔に親離れしているのですよ。)
 
子育てはまさに航海。「ようし、荒波の一つや二つ、
越えてやる」「十字架の一つや二つ、背負ってやる」
「さあ、こい」と怒鳴ったとき、不幸(本当は不幸でも
何でもないのです。あなたも子どものころ、品行方正の
女の子でしたか? ちがうでしょ!)は、向こうから
退散していきます。
 
R君は、今、自分の将来に大きな不安をもっています。
うまく口ではそれを表現できないだけですよ。だから
態度や行動でそれを示している。繰り返しますが、心の風邪
です。だれでもかかる、思春期の熱病です。(外の世界で
暴れれば問題ですが、いわゆる家庭内暴力というのです。)
本当にありふれた症状です。だからあまり深刻に、(いえ
今は深刻ですが……。決して深刻でないとは思って
いません。)そういうふうに一歩退いてみるのですよ。
決して、R君を追い込まないこと。「がんばれ」とか、
「こんなことでは、高校へ行けなくなる」とか、そういう
ふうに追い込んではいけません。(多分、あなたの
夫は仕事人間で、そういう姿を彼は見て、よけいに
不安になるのかもしれませんね。)
 
あまりよい回答になっていないかもしれませんが、
何か不安なことがあれば、またそのとき、メールを
ください。力になります。いつか必ず笑い話になり、
そしてそのときあなたは「子育てをやり遂げた」「子どもを
信じた」「子どもを愛しぬいた」という満足感を得られます。
そういうときが必ずきますから、どうか、どうか、その日を
信じてください。みんなそうなりましたから。私が経験した
同じようなケースは、みな、そうなっています。だから
私の言っていることを信じて、前向きに生きてください。
 
そうそうあなた自身の学歴信仰とか、学校神話の
価値観を変えることも忘れないでください。そのために
いろいろなコラムを書いていますから、また読んでください。
マガジンも発行しています。
 
みんながあなたを応援します。私も応援します。
R君は、本当はやさしい男の子です。ただ少し
気が小さいだけです。あなたもそう思っているでしょ。
 
では、おやすみなさい。
 
はやし浩司

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家庭内暴力について

●思春期の不安
 思春期の不安感は、大きく分類すると、つぎのように分けられる。
抑うつ気分(気分が晴れない)、悲哀感(何を見ても聞いても悲しい)、絶望感、自信喪失、自
責感(自分はダメな人間と思い込む)、罪責感(罪の意識を強くもつ)など。これらが高じると、
集団に対する不適応症状(不登校、怠学)、厭世気分(生きていることが無意味と思う)感情の
鈍化、感情のコントロール不能(激怒、キレる)などの症状が現れる。
 またその前の段階として、軽い不安症状にあわせて、心の緊張感がほぐれない、焦燥感(あ
せり)などの症状にあわせて、ものごとに対して突発的に攻撃的になったり、イライラしたりする
こともある。(こうした攻撃性が、ときにキレる状態になり、凶暴的、かつ破滅的な行為に及ぶこ
ともある。)

●行為障害としての家庭内暴力
 こうした症状は、思春期の子どもなら、多かれ少なかれ共通してもつ症状といってもよい。
が、その症状が一定レベルを超え、子ども自身の処理能力を超えたとき、さまざまな障害とな
って、発展的に現れる。それらを大きく分けると、思考障害、感情障害、行為障害、精神障害、
身体的障害の五つになる。
 思考障害……ふつう思考障害というときは、思考の停止(考えが袋小路に入ってしまう)、混
乱(わけがわからなくなる)、集中力の減退(考え方が散漫になってしまう)、想像および創造力
の減退(アイデアが思い浮かばない)、記憶力の低下(英語の単語が覚えられない)、決断力
の不足(グズグズした感じになる)、反応力の衰退(話しかけても、反応が鈍い)などをいう。
 感情障害……感情障害の最大の特徴は、自分の感情を、理性でコントロールできないこと。
「自分ではわかっているのだが……」という状態のまま、激怒したり、突発的に暴れたりする。
こうした状態を、「そう状態における錯乱状態」と考える学者もいる。ただ私は、この「自分では
わかっているのだが……」という点に着目し、精神の二重構造性を考える。コンピュータにたと
えていうなら、暴走するプログラムと、それを制御しようとするCPU(中央演算装置)が、同時に
機能している状態ということになる。(実際には、コンピュータ上では、こういうことはありえない
が……。)
この時期の子どもは、感情障害を起こしつつも、もう一人の自分が別にいて、それをコントロー
ルするという特徴がある。その一例として、家庭内暴力を起こす子どもは、@暴力行為の範囲
を家庭内でとどめていること。またA暴力行為も、(事件になるような特別なケースは別とし
て)、最終的な危害行為(それ以上したら、家庭そのものが破滅する行為のこと。私はこれを
「最終的危害行為」と呼んでいる)に及ぶ、その直前スレスレのところで抑制することがある。
家庭内暴力を起こす子どもが、はげしい暴力を起こしながらも、どこか自制的なのは、そのた
めと考える。
行為障害……軽度のばあいは、生活習慣の乱れ(起床時刻や就眠時刻が守れない)、生活
態度の乱れ(服装がだらしなくなる)、義務感の喪失(やるべきことをしない)、怠惰、怠学(無気
力になり、無意味なサボり方をする)などの症状が現れる。が、それが高ずると、社会的機能
が影響を受け、集団非行、万引き、さらには回避性障害(他人との接触を嫌い、部屋に引きこ
もる)、摂食障害(拒食症、過食症など)を引き起こすようになる。この段階で、家人は異変に
気づくことが多いが、この状態を放置すると、厭世気分が高じて、自殺願望(「死にたい」と思
う)、自殺企画(自殺方法を考える)、最終的には自殺行為に及ぶこともある。
精神障害……うつ状態が長期化すると、感情の鈍化(喜怒哀楽の情が消える)、無反応性(話
しかけてもボーッとしている)が現れる。一見痴呆症状に似ているので、痴呆症と誤解するケー
スも多い。しかし実際には、ほとんどのケースでは、本人自身が、自分の症状を自覚している
ことが多い。これを「病識(自分で自分の症状を的確に把握している)」という。ある青年は、中
学時代、家庭内暴力を起こしていたときのことについて、こう言った。「いつももう一人の自分
がそこにいて、そんなバカなことをするのをやめろと叫んでいたような気がする。しかしいった
ん怒り始めると、それにブレーキをかけることができなくなってしまった」と。
ほかにもう一つ、腹痛や頭痛などの身体的障害もあるが、一般的な病状と区別しにくいので、
ここでは省略する。

●情緒不安
 よく誤解されるが、情緒が不安定な状態を、情緒不安というのではない。情緒不安というの
は、心の緊張感がとれない状態をいう。「気を許さない」「気を抜かない」「気をゆるめない」とい
う状態を考えればよい。その緊張しているところに、不安要素が入り込むと、その不安を解消
しようと、一挙に心の緊張感が高まる。このタイプの子どもは、どこか神経がピリピリしていて、
心を許さない。そのことは軽く抱いてみればわかる。心を許さない分だけ、体をこわばらせた
り、がんこな様子で、それを拒絶したりする。情緒が不安定になるのは、あくまでもその結果で
しかない。
 家庭内暴力を繰り返す子どもは、基本的には、この情緒が不安定な状態にあると考えるとわ
かりやすい。そのためたいていは(親側からみれば)ささいな親の言動で、子どもは突発的に
凶暴になり、攻撃的な暴力を繰り返す。ある女子(中二)は、母親がガラガラとガラス戸を閉め
ただけで、母親を殴ったり、蹴ったりした。母親には理由がわからなかったが、その女子はあと
になってこう言った。「ガラス戸をしめられると、『もっと勉強しなさい』と、催促をされているよう
な気がした」と。
その女子の家は大通りに面していて、ふだんから車の騒音が絶えなかった。それで子どものと
きから、母親はその女子に「勉強しなさい」と言ったあと、いつもそのガラス戸をガラガラとしめ
ていた。母親としては、その女子の部屋を静かにしてあげようと思ってそうしていたのだが、い
つの間にか、それがその女子には「もっと勉強しなさいという催促」と聞こえるようになった……
らしい。

●暴力行為
 家庭内暴力の「暴力」は、その家人にとってはまさに想像を絶するものである。またそれだけ
に深刻な問題となる。その家庭内暴力に、私がはじめて接したケースに、こんなのがある。
 浜松市に移り住むようになってしばらくのこと。私は親類の女性に頼まれて、一人の中学三
年生男子を私のアパートで、個人レッスンをすることになった。「夏休みの間だけ」という約束だ
った。が、教えて始めてすぐ、その中学生は、おとなしく従順だったが、まさに「何を考えている
かわからないタイプの子ども」ということがわかった。勉強をしたいのか、したくないのか。勉強
をしなければならないと思っているのか、思っていないのか。どの程度まで教えてほしいのか、
教えてほしくないのか。それがまったくわからなかった。心と表情が、完全に遊離していて、ど
んな性格なのかも、つかめなかった。
 が、その少年は、家庭の中で、激しい暴力行為を繰り返していた。その少年が暴力行為を繰
り返すようになると、母親は仕事をやめ、父親も出張の多いそれまでの仕事をやめ、地元の電
気会社に就職していた。そういう事実からだけでも、その少年の家庭内暴力がいかに激しかっ
たかがわかる。
その少年を紹介してくれた親類の女性はこう言った。「毎晩、動物のうめき声にも似た少年の
絶叫が、道をへだてた私の家まで聞こえてきました。その子どもが暴れ始めると、父親も母親
も、廊下をはって歩かねばならなかったそうです」と。
私は具体的な話を聞きながら、最初から最後まで、自分の耳を疑った。私が知るその少年
は、「わけのわからない子ども」ではあったが、家の中で、そのような暴力を働いているとは、と
ても思えない子どもだったからである。

●心の病気
 こうした抑うつ感が、うつ病につながるということはよく知られている。一般には家庭内暴力を
起こす子どもは、うつ病であると言われる。おとなでも、うつ病患者が突発的にはげしい暴力行
為を繰り返すことは、よく知られている。が、家庭内暴力を起こす子どもがすべて、うつ病かと
いうと、それは言えない。症状としては重なる部分もあるというだけかもしれない。
たとえば学校恐怖症というのがあるが、どこまでが恐怖症で、どこからがうつ病なのか、その
線を引くのがむずかしい。少なくとも、教育の現場では、その線を引くことができない。同じよう
に、家庭内暴力を起こす子どもと、うつ病との間に、線を引くことはむずかしい。そこで比較的
研究の進んでいる、うつ病についての資料を拾ってみる。(というのも、家庭内暴力という診断
名はなく、そのため、治療法もないということになっているので……。)

 村田豊久氏という学者らが調査したところによると、日本においては、小学二年生から六年
生までの一〇四一人の子どもについて調べたところ、約一三・三%に「うつ病とみなしてよいと
の評点を、得点していた」(八九年)という。もちろんこの中には、偽陽性者(症状としてうつ病に
似た症状を訴えても、うつ病でない子ども)も含まれているので、一三・三%の子どもがすべて
がうつ病ということにはならない。
最近の調査研究では、学童全体の約一・八%、思春期の学童の約四・七%が、うつ病というこ
とになっている(長崎医大調査)。が、この数字も、注意してみなければならない。「うつ病」と診
断されるほどのうつ病でなくても、それ以前の軽度、中度のうつ病も含めるとどうなるかという
問題がある。さらに、うつ病もふくめて、こうした情緒障害には、周期性、反復性がある。数週
間単位で、症状が軽減したり、重くなったりすることもある。そういう子どもはどうするかという問
題もある。が、それはさておき、ここでいう「四・七%」というのは、おおむね、「今という時点に
おいて、中学生の約二〇人に一人が、うつ病である」と考えてよい数字ということになる。

 で、この数字を多いとみるか、少ないとみるかは、別として、こうした子どもたちが、一方で不
登校や引きこもり(マイナス型)を起こし、また一方で家庭内暴力を起こす(プラス型)、その予
備軍と考えてよい。(あるいは実際、すでに起こしている子どもも含まれる。)で、ここで問題
は、二つに分かれる。@どうすれば、家庭内暴力も含めて、どうすれば子どものうつ病を避け
ることができるか。A今、家庭内暴力を起こしている子どもも含めて、どういう子どもには、どう
対処したらよいか。

●どうすれば防げるか 
 「すなおな子ども」というとき、私たちは昔風に、従順で、おとなの言うことをハイハイと聞く子
どもを想像する。しかしこれは、誤解。
教育の世界で、「すなおな子ども」というときには、二つの意味がある。一つは、心の状態と表
情が一致していること。悲しいときには悲しそうな顔をする。うれしいときにはうれしそうな顔を
する、など。が、それが一致しなくなると、いわゆる心と表情の「遊離」が始まる。不愉快に思っ
ているはずなのに、ニコニコと笑ったりするなど。
 もう一つは、「心のゆがみ」がないこと。いじける、ひがむ、つっぱる、ひねくれるなどの心の
ゆがみがない子どもを、すなおな子どもという。心がいつもオープンになっていて、やさしくして
あげたり、親切にしてあげると、それがそのままスーッと子どもの心の中にしみこんできくのが
わかる。が、心がゆがんでくると、どこかでそのやさしさや親切がねじまげられてしまう。私「こ
のお菓子、食べる?」、子、「どうせ宿題をさせたいのでしょう」と。

 ついでに、子どもの心は風船玉のようなもの。「家庭」で圧力を加えると、「園や学校」で荒れ
る。反対に「園や学校」で圧力を加えると、「家庭」で荒れる。友人との「外の世界」で荒れること
もある。問題は、荒れることではなく、こうした子どもたちが、いわゆる仮面をかぶり、二重人格
性をもつことだ。親の前では、恐ろしくよい子ぶりながら、その裏で、陰湿な弟や妹いじめを繰
り返す、など。家庭内暴力を起こす子どもなどは、外の世界では、信じられないほど、よい子を
演ずることが多い。

●こわい遊離と仮面
 一般論として、情意(心)と表情が遊離し始めると、心に膜がかかったかのようになる。教える
側から見ると、「何を考えているかわからない子ども」、親から見ると、「ぐずな子ども」ということ
になる。あるいは「静かで、おとなしい子ども」という評価をくだすこともある。ともかくも心と表情
が、ミスマッチ(遊離)するようになる。ブランコを横取りされても、笑みを浮かべながら渡す。失
敗して皆に笑われているようなときでも、表情を変えず平然としている、など。「ふつうの子ども
ならこういうとき、こうするだろうな」という自然さが消える。が、問題はそれで終わらない。
 このタイプの子どもは、表情のおだやかさとは別に、その裏で、虚構の世界を作ることが多
い。作るだけならまだしも、その世界に住んでしまう。ゲームのキャラクターにハマりこんでしま
い、現実と空想の区別がつかなくなってしまう、など。ある中学生は、毎晩、ゲームで覚えた呪
文を、空に向かって唱えていた。「超能力をください」と。あるいはものの考え方が極端化し、先
鋭化することもある。異常な嫉妬心や自尊心をもつことも多い。

 原因の多くは、家庭環境にある。威圧的な過干渉、権威主義的な子育て、親のはげしい情
緒不安、虐待など。異常な教育的過関心も原因になることがある。子どもの側からみて、息を
抜けない環境が、子どもの心をゆがめる。子どもは、先ほども書いたように、一見「よい子」に
なるが、それはあくまでも仮面。この仮面にだまされてはいけない。こうした仮面は、家庭内暴
力を繰り返す子どもに、共通して見られる。

 子どもの心を遊離させないためにも、子育ては、『まじめ八割、いいかげん二割』と覚えてお
く。これは車のハンドルの遊びのようなもの。子どもはこの「いいかげんな部分」で、羽をのば
し、自分を伸ばす。が、その「いいかげん」を許さない人がいる。許さないというより、妥協しな
い。外から帰ってきたら、必ず手洗いさせるとか、うがいさせるなど。このタイプの親は、何ごと
につけ完ぺきさを求め、それを子どもに強要する。そしてそれが子どもの心をゆがめる。が、
悲劇はまだ続く。このタイプの親に限って、その自覚がない。ないばかりか、自分は理想的な
親だと思い込んでしまう。中には父母会の席などで、堂々とそれを誇示する人もいる。
 なお子どもの二重人格性を知るのは、それほど難しいことではない。園や学校の参観日に行
ってみて、家庭における子どもと、園や学校での子どもの「違い」を見ればわかる。もしあなた
の子どもが、家庭でも園や学校でも、同じようであれば、問題はない。しかし園や学校では、別
人のようであれば、ここに書いた子どもを疑ってみる。そしてもしそうなら、心の開放を、何より
も大切にする。一人静かにぼんやりとできる時間を大切にする。

●前兆症状に注意
 子どもの心の変化を、的確にとらえることによって、子どもの心の病気を未然に防ぐことがで
きる。チェック項目を考えてみた。

○ときどきもの思いに沈み、ふきげんな表情を見せる(抑うつ感)
○意味もなく悲しんだり、感傷的になって悲嘆する(悲哀感)
○「さみしい」「ひとりぼっち」という言葉を、ときどきもらす(孤独感)
○体の調子が悪いとか、勉強が思い通りに進まないとこぼす(不調感)
○「どうせ自分はダメ」とか、「未来は暗い」などと考えているよう(悲観)
○何をするにも、自信がなく、自らダメ人間であると言う(劣等感)
○好きな番組やゲームのはずなのに、突然ポカンとそれをやめてしまう(感情の喪失)
○ちょっとしたことで、カッと激怒したり、人が変わったようになる(緊張感)
○イライラしたり、あせったりして、かえってものごとが手につかないよう(焦燥感)
○ときどき苦しそうな表情をし、ため息をもらうことが多くなった(苦悶)
○同じことを堂々巡りに考え、いつまでもクヨクヨしている(思考の渋滞)
○考えることをやめてしまい、何か話しかけても、ただボーッとしている(思考の停止)
○何かの行動をすることができず、決断することができない(優柔不断)
○ワークなど、問題集を見ているはずなのに、内容が理解できない(集中困難)
○「自分はダメだ」「悪い人間だ」と、自分を責める言動がこのところ目立つ(自責感)
○「生きていてもムダ」「どうせ死ぬ」と、「死」という言葉が多くなる(希死願望)
○行動力がなくなり、行動半径も小さくなる。友人も極端に少なくなる(活動力低下)
○動きが鈍くなり、とっさの行動ができなくなる。動作がノロノロする(緩慢行動)
○ブツブツと独り言をいうようになる。意味のないことを口にする(内閉性)
○行動半径が小さくなり、行動パターンも限られてくる(寡動)
○独りでいることを好み、家族の輪の中に入ろうとしない(孤立化)
○何をしても、時間ばかりかかり、前に進まない(作業能率の低下)
○具体的に死ぬ方法を考え出したり、死後の世界を頭の中で描くようになる(自殺企画)

こうした前兆症状を繰り返しながら、子どもの心は、本来あるべき状態から、ゆがんだ状態へ
と進んでいく。

●家庭内暴力の特徴
 家庭内暴力といわれる暴力には、ほかには見られない特徴がいくつかある。
(1)区域限定的
 家庭内暴力は、その名称のとおり、「家庭内」のみにおいて、なされる。これは子どもの側か
らみて、自己の支配下のみで、かつ自己の抑制下でなされることを意味する。その暴力が、家
庭を離れて、学校や社会、友人の世界で起こることはない。
(2)最終的危害行為にまでは及ばない
 子どもは、自分ができる、またできるギリギリのところまでの暴力を繰り返すが、その一線を
越えることはない。(たまに悲惨な事件がマスコミをにぎわすが、ああいったケースはむしろ例
外で、ほとんどのばあい、子ども自身が、暴力をどこかで抑制する。)どこか子ども自身が、「こ
こまでは許される」というような冷静な判断をもちつつ、暴力を繰り返す。これを私は「精神の二
重構造性」と呼んでいる。言いかえると、これを反対にうまく利用して、子どもの心に訴えるとい
う方法もある。私もよく、そういう家庭の中に乗り込んでいって、子どもと対峙したことがある。
そういうとき、もう一方の冷静な子どもがいることを想定して、つまりその子どもに話しかけるよ
うにして、諭すという方法をとる。「これは暴れる君ではない。もう一人の君だ。わかるかな。本
当の君だよ。本当の君は、やさしくて、もう一人の君を嫌っているはずだ。そうだろ?」と。大切
なことは、決して子どもを袋小路に追い込まないこと。励ましたり、脅したりするのは、タブー中
のタブー。
(3)計算された恐怖
 子どもが暴力を振るう目的は、親や兄弟に、恐怖を与えること。その恐怖を与えることによっ
て、相手を自分の支配下に置こうとする。方法としては、暴力団の構成員が、恐怖心を相手に
与えて、自分の優位性を誇示しているのに似ている。そしてその恐怖は、計算されたもの。決
して突発的、偶発的なものではない。繰り返すが、ここが、子どもがほかで見せる暴力とは違う
ところ。妄想性を帯びることもあるが、たとえば分裂病患者がもつような、非連続的な妄想や、
了解不能な妄想をもつことはない。このタイプの子どもは、どうすれば相手が自分の暴力に恐
怖を覚え、自分に屈服するかを計算しながら、行動する。そういう意味では、「依存」と「甘え」
が混在した、アンビバレンツ(両価的)な状態ということになる。
●家庭内暴力には、どう対処するか
 家庭内暴力に対処するには、いくつかの鉄則がある。
(1)できるだけ初期の段階で、それに気づく
家庭内暴力が家庭内暴力になるのは、初期の段階での不手際、家庭教育の失敗によるとこ
ろが大きい。子どもが荒れ始めると、親はこの段階で、説教、威圧、暴言、暴力を使って子ど
もを抑えようとする。体力的にもまだ親のほうが優勢で、一時はそれで収まる様子を見せるこ
とが多い。しかしこうした無理や強制は、それがたとえ一時的なものであっても、子どもの心に
は取り返しがつかないほどのキズを残す。このキズが、その後、家庭内暴力を、さらに凶暴な
ものにする。
(2)「直そう」とか、「治そう」と思わないこと
一度、悪循環に入ると、「以前のほうが、まだ症状が軽かった」ということを繰り返しながら、あ
とはドロ沼の悪循環におちいる。この悪循環の「輪」に入ると、あとは何をしても裏目、裏目と
出る。子どもの心の問題というのは、そういうもので、たとえばこれは非行の例だが、「門限を
過ぎても帰ってきた、そこで親は強く叱る」→「外泊する。そこで親は強く叱る」→「家出を繰り返
す、そこで親は強く叱る」→「年上の男性(女性)と、同棲生活を始める、そこで親は強く叱る」
→「性病になったり、妊娠したりする……」という段階を経て、状態は、どんどんと悪化する。
そこで大切なことは、一度、こうした空回り(悪循環と裏目)を感じたら、「今の状態をそれ以上
悪くしないこと」だけを考えて、親は子どもの指導から思い切って手を引く。「直そう」とか、「治
そう」と思ってはいけない。つまり子どもの側からみて、子どもを束縛していたものから子どもを
解き放つ。(親にはその自覚がないことが多い。)その時期は早ければ早いほどよい。また子
どもの症状は、数か月、半年、あるいは一年単位で観察する。一時的な症状の悪化、改善
に、一喜一憂しないのがコツ。
(3)愛情の糸は切らない
 家庭内暴力は、あくまでも「心の病気」。そういう視点で対処する。脳そのものが、インフルエ
ンザにかかったと思うこと。熱病で、苦しんでいる子どもに、勉強などさせない。ただ脳がインフ
ルエンザにかかっても、外からその症状が見えない。だから親としては、子どもの病状がつか
みにくいが、しかし病気は病気。そういう視点で、いつも子どもをみる。無理をしてはいけない。
無理を求めてもいけない。この時点で重要なことは、「どんなことがあっても、私はあなたを捨
てません」「あなたを守ります」という親の愛情を守り抜くこと。ここに書いたように、これはイン
フルエンザのようなもの。本当のインフルエンザのように、数日から一週間で治るということは
ないが、しかし必ず、いつか治る。(治らなかった例はない。症状がこじれて長期に渡った例
や、副次的にいろいろな症状を併発した例はある。)必ず治るから、そのときに視点を置いて、
「今」の状態をみる。この愛情さえしっかりしていれば、子どもの立ち直りも早いし、予後もよ
い。あとで笑い話になるケースすらある。
(4)心の緊張感をほぐす
 一般の情緒不安と同じに考え、心の緊張感をほぐすことに全力をおく。そのとき、何が、「核」
になっているかを、知ることが大切。多くは、将来への不安や心配が核になっていることが多
い。自分自身がもつ学歴信仰や、「学校へは行かねばならないもの」という義務感が、子ども
自らを追い込むこともある。よくあるケースとしては、子どもの心を軽減しようとして、「学校へは
行かなくてもいい」と言ったりすると、かえって暴力がはげしくなることがある。子ども自身の葛
藤に対しては、何ら解決にはならないからである。
 だいたい親自身も、それまで学歴信仰を強く信奉するケースが多い。子どもはそれを見習っ
ているだけなのだが、親にはその自覚がない。意識もない。子どもが家庭内暴力を起こした段
階でも、「まともに学校へ行ってほしい」「高校くらいは出てほしい」と願う親は多い。が、それも
限界を超えると、そのときはじめて親は、「学校なんかどうでもいい」と思うようになるが、子ども
はそれほど器用に自分の考えを変えることができない。そこで葛藤することになる。「どんどん
自分がダメになる」という恐怖の中で、情緒は一挙に不安定になる。
 ただ症状が軽いばあいは、子どもが学校へ行きやすい環境を用意してあげることで、暴力行
為が軽減することがある。A君は、夏休みの間、断続的に暴力行為を繰り返していたが、母親
が一緒になって宿題を片づけてやったところ、その暴力行為は停止した。このケースでも、子
ども自身が、自分を追い込んでいたことがわかる。
(5)食生活の改善
 家庭内暴力とはやや、内容を異にするが、「キレる子ども」というのがいる。そのキレる子ども
について、最近にわかにクローズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。つまり脳
間伝達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑制命令を狂わ
すという(生化学者、ミラー博士ほか)。アメリカでは、「過剰行動児」として、もう二〇年以上も
前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言うとこうだ。たとえば白砂糖を多く含む甘
い食品を、一時的に過剰に摂取すると、インスリンが多量に分泌され、それがセロトニンの過
剰分泌を促す。そしてそれがキレる原因となるという(岩手大学の大沢博名誉教授や大分大
学の飯野節夫教授ほか)。
 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃でスパス
パとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていったん怒りだすと、
カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと金切り声を出すことも珍しく
ない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いたり、暴れたりする。興奮したとき、体
を小刻みに震わせることもある。
 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、カルシ
ウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は日もちをよ
くしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。リン酸をとると、せっかく摂取したカル
シウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。一方、昔からイギリスでは、『カルシ
ウムは紳士をつくる』という。日本でも戦前までは、カルシウムは精神安定剤として使われてい
た。それはともかくも、子どもから静かな落ち着きが消えたら、まずこのカルシウム不足を疑っ
てみる。ふつう子どものばあい、カルシウムが不足してくると、筋肉の緊張感が持続できず、座
っていても体をクニャクニャとくねらせたり、ダラダラさせたりする。
 これはここにも書いたように、キレる子どもへの対処法のひとつだが、家庭内暴力を繰り返
す子どもにも有効である。

 最後に家庭内暴力を起こす子どもは、一方で親の溺愛、あるいは育児拒否などにより、情緒
的未熟性が、その背景にあるとみる。親は突発的に変化したと言うが、本来子どもというの
は、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐように、段階的に成長する。その段階的な成長
が、変質的な環境により、阻害されたためと考えられる。よくあるケースは、幼児期から少年少
女期にかけて、「いい子」で過ごしてしまうケース。こうした子どもが、それまで脱げなかったカラ
を一挙に脱ごうとする。それが家庭内暴力の大きな要因となる。そういう意味では、家庭内暴
力というのは、もちろん心理的な分野からも考えられなければならないが、同時に、家庭教育
の失敗、あるいは家庭教育のひずみの集大成のようなものとも考えられる。子どもだけを一方
的に問題にしても意味はないし、また何ら解決策にはならない。

(以上、未完成ですが、また別の機会に補足します。)
(02−9−1)※

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子育て随筆byはやし浩司(79)

分離不安

ある母親から

「明日9月1日から2学期がはじまるのですが、
うちの子(年少児)は親から離れられず困っています。
1学期も離れると大泣きして離れられませんでした。
どうしたらできるようになるのでしょうか?」
(東京板橋区・UYより)

 母親は新生児を愛し、いつくしむ。これを愛着行動(attachment)という。これはよく知られた
現象だが、最近の研究では、新生児の側からも、母親に「働きかけ行動」があることがわかっ
てきた(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。こうした母子間の相互作用が、新生児の発育
には必要不可欠であり、それが阻害されると、子どもには顕著な情緒的、精神的欠陥が現れ
る。その一例が、「人見知り」。

 子どもは生後六か月前後から、一年数か月にかけて、人見知りするという特異な症状を示
す。一種の恐怖反応で、見知らぬ人に近寄られたり、抱かれたりすると、それをこばんだり、拒
否したりする。しかしこの段階で、母子間の相互作用が不完全であったり、それが何らの理由
で阻害されると、「依存うつ型」に似た症状を示すことも知られている。基本的には、母子間の
分離不安(separation anxiety)は、こうした背景があって、それが置き去り、迷子、育児拒否的
な行為(子どもの誤解によるものも含む)などがきっかけによって起こると考えられる。

 分離不安は、私の経験でも、年中児(満五歳児)、年長児(満六歳児)で、一五〜二〇人に一
人程度の割合で起こることがわかっている。症状にも軽重があり、また発症する場所などもそ
れぞれで、この数字は、あくまでも推計である。親の顔や姿が見えなくなっただけで、ギャーッと
ものすごい形相で追いかける子どももいれば、待ち合い場所に母親が現れなかったときなどに
混乱状態になる子どももいる。
 症状は、@突発的に興奮状態になり、攻撃的に親のあとを追いかけるプラス型、A混乱状
態になり、オドオドとしたり、サメザメと泣くマイナス型に分けて考える。全体に半々と私は見て
いる。

 対処方法は、子どもの恐怖症に準じて、対処する。無理をしても意味がない。無理をすれ
ば、かえって恐怖心を増長させ、症状をこじらせる。そのこじらせた分だけ、立ちなおりが遅れ
る。また強い指示を与えて、子どもにきびしく接すると、一時的に症状が消えたように見えるこ
とがある(仮面治癒)。しかし症状が消えても、治ったわけではない。症状が、子どもの心の奥
にもぐったとみる。恐怖症と同じように、簡単には治らない。ばあいによっては、数年単位で経
過と様子をみる。自意識が発達し、セルフコントロールできるようになると、分離不安による表
面的な症状は、急速に消失する。その時期は満六歳以後とみる。

 恐怖症もそうだが、この分離不安による発作的症状は、おとなになってからも残ることが多
い。ある女性(四〇歳)はこう言った。「今でも夫の帰りが、少し遅くなっただけで、言いようのな
い不安感に襲われます」と。分離不安というのは、そういうもの。
(02−9−1)※

追記

分離不安になったら、治そうという考えは捨て、できるだけ子どもと行動をともにする。家庭で
は絶対的な安心感(疑いをいだかない安心感)を与えることに注意する。Ca、Mgの多い食生活
にこころがけるだけでも、興奮状態はかなり軽減されるので、食生活を改善することも忘れて
はならない。
親が子育てで失敗しておきながら、子どもを治すという発想は、親の身勝手でしかない。そうい
う視点で、この問題はみること。泣き叫んで幼稚園へ行くのを拒否するようであれば、行かなけ
ればよい。「行かねばならない」という、発想を修正する。が、どうしても行かせたいなら、一緒
に幼稚園へ行けばよい。幼稚園の先生によっては、「集団に慣れさせます」とか言って、無理
に引き離し、無理に子どもたちの中に入れようとする先生もいる。そういうときは事情をていね
いに話し、ほかの子ども以上に、心温かいケアを頼むようにする。とにかく無理をしないが、原
則である。繰り返すが、一度キズついた心はそんなに簡単には治らない。またそのキズは、何
らかの形で、一生残る。決して安易に考えてはいけない。

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子どもが恐怖症になるとき

●九死に一生
 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして
文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れ
た。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように
感じた。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。
 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたく
ない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがあ
る。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続
出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。
それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふ
つう、次の三つに分けて考える。
@対人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程
度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注
意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所
でも、わがもの顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に
出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこ
わくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できな
い、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。
A場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れ
ない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。これはある子ども(小一男児)
のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。親から相談があ
ったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということが
わかった。その子どもは閉所恐怖症だった。実は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足す
ことができなかった。それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入
ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。
Bそのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわがる、
先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。何かのお面をかぶって見せただけで、
ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。ただ子どものば
あい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわからない
ことが多い。また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。これも私のこ
とだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そのためそれ以来、
ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現地で
はひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因になる。ま
た一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。高
所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう回路(パターン)ができる
ためと考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症にな
り、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。
●忘れるのが一番
 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱っても意
味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの
視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほ
ど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、
できるだけそのことを忘れさせるようにする。症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。
私のときも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状
態になってしまった。「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと
汗をかいていた。が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言い
きかせることで、克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、
夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではど
うにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)
●不登校と怠学
不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別
する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと考える学者も
いる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりや
すい。


子どもの分離不安を考える法
(症状に注意せよ!)
子どもが分離不安になるとき
●親子のきずなに感動した!?     
 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られたコラム
ニストの書いたものだが、いわく、「うちの娘(三歳)をはじめて幼稚園へ連れていったときのこ
と。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを見て、親子の絆の深さに感
動した」と。そのコラムニストは、ワーワーと泣き叫ぶ子どもを見て、「親子の絆の深さ」に感動
したと言うのだ。とんでもない! ほかにもあれこれ症状が書かれていたが、それはまさしく分
離不安の症状。「別れをつらがって泣く子どもの姿」では、ない。
●分離不安は不安発作
 分離不安。親の姿が見えなくなると、発作的に混乱して、泣き叫んだり暴れたりする。大声を
あげて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイプ(マイ
ナス型)に分けて考える。似たようなタイプの子どもに、単独では行動ができない子ども(孤立
恐怖)もいるが、それはともかくも、分離不安の子どもは多い。四〜六歳児についていうなら、
一五〜二〇人に一人くらいの割合で経験する。親が子どもの見える範囲内にいるうちは、静
かに落ちついている。が、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッと、ものすごい声をはりあげ
て、そのあとを追いかけたりする。
●過去に何らかの事件
 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そのきっか
けとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。母親が病
気で入院したことや、置き去り、迷子を経験して、分離不安になった子どももいる。さらには育
児拒否、冷淡、無視、親の暴力、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子ど
もの側からみて、「捨てられるのでは……」という被害妄想が、分離不安の原因と考えるとわか
りやすい。無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけ
を見て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいるが、無理をすれ
ばかえって症状をこじらせてしまう。いや、実際には無理に引き離せば混乱状態になるもの
の、しばらくするとやがて静かに収まることが多い。しかしそれで分離不安がなおるのではな
い。「もぐる」のである。一度キズついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安につ
いても、そのつど繰り返し症状が表れる。
●鉄則は無理をしない
 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくていねいに
説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、そういう親子
を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり、怒ったりしている
のがわかる。「いいかげんにしなさい」「私はもう行きますからね!」と。こういう親子のリズムの
乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます強く被害妄想をもつようになる。分離不安を神
経症の一つに分類している学者も多い(牧田清志氏ほか)。
 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここに書いたよう
に、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、夫の帰宅が
予定より遅くなっただけで、言いようのない不安発作に襲われます」と。姿や形を変えて、おと
なになってからも症状が表れることがある。

(付記)
●分離不安は小児うつ病?
子どもは離乳期に入ると、母親から身体的に分離し始め、父親や周囲の者との心理的つなが
りを求めるようになる。自我の芽生え、自立心、道徳的善悪の意識などがこの時期に始まる。
そしてさらに三歳前後になると、母親から心理的にも分離しようとするが、この時期に、母子の
間に問題があると、この心理的分離がスムーズにいかず、分離不安を起こすと考えられてい
る(クラウスほか)。小児うつ病の一形態と考える学者も多い。症状がこじれると、慢性的な発
熱、情緒不安症状、さらには神経症による諸症状を示すこともある。

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子育て随筆byはやし浩司(80)

義父問題

プロローグ

 子どもの口が悪いのは、当たり前。悪いのを容認せよというわけではないが、しかしそういう
ことを言えないほどまでに、子どもを抑え込んではいけない。その子どもたちは、いつも私にこ
う叫ぶ。「ジジイ!」「クソジジイ! 早く死んでしまえ!」と。そこで私はある日、子どもたちにこ
う教えてやった。「もっと悪い言葉を教えてあげようか」と。すると子どもたちは、「教えて」「教え
て」と。そこで私はまたゆっくりとこう言った。「わかった、しかしこの言葉はとても悪い言葉だか
ら、お父さんに言ってはだめだよ。園長先生にも言ってはだめだよ。約束できるか」と。すると
子どもたちは、「約束する」「約束するから教えて」と。
 私は一呼吸おいて、おもむろにこう言った。「ビ・ダ・ン・シ」と。それからというもの、子どもた
ちは、私を見ると、「ビダンシ!(美男子)、ビダンシ!(美男子)」と叫ぶようになった。(笑い)

++++++はじめに++++++++

♪ムシャクシャしたらね、
 山の上にでも行ってさ、
 バカヤロー、あんなクソジジー
 早く、死んでしまえ!、って
 大声で、叫んでみようよ。

♪気取ることはないって、
 無理して、がまんすることはないって、
 思いきって、心の中をさらけ出してみようよ。
 そりゃあ、生きていくうちには、
 いろいろあるよ。あってあたりまえ。

♪なるようにしかならないって。
 あるがままに生きるしかないって。
 みんな強がっているけど、
 本当は、みんな、だれかの胸の中で
 泣きたいの。でもね、それができないから、
 強がって見せているだけ。わかる?

+++++いよいよ本編++++++++

ある母親(富士市厚原KUさん)より、こんなメールが届いた。

●KUさんからのメール

以前から子供のことでもご相談をと思っていましたが、今日は義父について先生に聞いていた
だきたいなと思いました。
結婚してから義父母と同居しています。もめ事もありましたが、それなりに努力をしながら楽し
い生活をと心がけてきました。
義父の周りのことは義母にお任せしていました。何しろ自分の思うと通りに行かないと怖い人
なので、とにかく義母と私は機嫌を損ねないようにと生活していました。
機嫌がよければ家の中も明るいし、子供(小二・年中)のためだと思っていました。
その義母が先月一四日に亡くなりました。
義父のことを頼むねと涙しながら言われました。
夏休み子供のことを頭に入れながらも、義父の特に食事のタイミングを気をつけながら神経を
使いながらの生活です。
食事の内容も他の家族とは異なるものです。
夕食は一緒に食べていますが、義父と子供のペースがあわず、この三日ほど一人でということ
が続きました。義父は畑仕事が終わると五時半から六時には酒の用意をしなければいけませ
ん。それだけが原因ではないでしょうが、昨日酒を飲みながら怒鳴られ、誤解だと言うと包丁を
台所へとりに行き、私に向けてきました。唖然としました。

主人が力ずくで止めました。そして私は義父に深々と謝りました。誠心誠意やりますから
と・・・・ 。
主人は幼い頃から義父の義母への暴力等を見てきているせいか、家庭においても会話はあり
ません。話をすると殴り合いになりそうになります。そして出て行けという話になります。実際義
父は一人ではなにも出来ません。
義母が6月下旬から入院、そして葬儀においても、もめ事があり義父もかなりの疲れだと理解
そして嫌なことは忘れる努力はしてきましたが、昨日の光景を思い出すと、このままでいいの
だろうかと考えてしまいます。
義母は何の自由もありませんでした。そして私もそうなりつつあるように思えます。

昨夜は子供が泣き出したので、親戚の家へ駆け込みました。なにはともあれ子供の情緒の面
が一番心配ですので、私が明るくしてと思います。
子供は義父のことはそれなりに好きだと思います。(義母のことは大好きでした。)
今朝はどうなるかときが気でなりませんでしたが、いつもどおりの生活をと義父も思っているよ
うで、少し安心してはいるものの、私の気持ちは複雑ですそして怖いです。許せない気持ち 忘
れなくてはという気持ちが入り混じっています。

時間をかけて育てていった方がいいのでしょうか。
教えてください

++++++++私の感想+++++++++++

●まず驚き
このメールを読んで、私はまず驚いた。「今どき……?」という思いが、どんと頭の中に充満し
た。もっともこれに似た話は、今までも聞いたことがあるので、話としては珍しくないのかもしれ
ない。しかしそれは、私が子どものころの、昔の話だ。

 封建的で権威主義的な義父母と、献身的な嫁。夫の妻というより、家の奴隷、家の家政婦。
夫の叔父、叔母が遊びにくれば、台所と居間をこまめに行き来して、接待する。……私が子ど
ものころは、こうした光景は、どこの家庭にも見られた。ある意味で、ごくふつうの家庭のあり
方だった。私が生まれ育った家庭にしても、祖父母の存在は絶対だった。祖父母にさからって
ものを言うなどということは、常識的に考えてもありえなかった。さからえばさからったで、それ
こそ、包丁で殺されたかもしれない。しかしそれは、ここにも書いたように、昔の話。

 この問題を考えるとき、最大のポイントは、そもそも「結婚とは何か」という問題である。簡単
に言えば、一組の男女が、まったく新しいユニット(生活単位)として、新生活を始めることをい
う。あくまでも夫と妻の関係である。あるが、そうはいかないところに、日本の社会がかかえる
問題がある。祖父母との同居問題である。つまり「同居する」ということ自体、本来の結婚のワ
クからはずれることになる。ワクだけではない。意識も、だ。つまり結婚する夫にしても、妻にし
ても、その間に、もうひとつの問題、「家」が介入してくる。わかりやすく言えば、妻の立場から
すれば、夫との結婚イコール、「家に嫁ぐ」ということになる。このチグハグ性というか、あいま
い性が、今、いろいろな問題を引き起こしている。いわゆる嫁・姑、嫁・舅(しゅうと)問題であ
る。

 少し回りくどい言い方になるが、先日、農村社会における農業経営者(昔でいうお百姓さんた
ち)の生きがいとは何かについて考えてみた。……考えてみたというより、自分自身を山村の
中においてみた。
 私が週末を過ごす山荘の周辺は、以前は、一面、ミカン畑だった。が、年々少なくなり、今
は、一〇年ほど前の約四分の一以下にまでなった。理由はいくつかあるが、最大の問題は、
後継者がいないということ。その山荘あたりでも、老人たちをのぞいて、専業農家の人はいな
い。私が一番親しくしているK氏(七〇歳)にしても、地元の農業高校を卒業したあと、ミカンづく
り一筋で生きてきた人だ。しかし息子さんたちは、みな、村役場や会社に勤めている。少し前ま
では、収穫の時期になると、ミカン取りを手伝いにきていたが、ミカン栽培をやめてからは、そ
れもなくなった。
 で、そういうKさんを見ながら、ふと「農家の人にとっての生きがいは何か」と考える。毎年、同
じことを繰り返しているだけ。毎朝、畑でかけ、昼食時には家にもどって昼食。そしてまた畑に
出る……。そういう世界では、まさに「土地」そのものが、たいへん重要な意味をもつ。その感
覚は、おそらく都会に住む都会人には理解できないものだろう。あるいは農家の人にとっての
「土地」というのは、学者が書く論文、役人が得る役職、そして私が書く原稿のようなものではな
いか。もっとわかりやすく言えば、農家の人は、土地そのものから、生きる力そのものを得る。
つまり土地は彼らには「命」そのものなのだ。

 そういう視点で、つまり土地中心社会から、農家の人の世界を見ると、生きるということは、
土地を守ることだということがわかる。そしてその土地だけは同じまま、親から子へ、子から孫
へと、その土地に向かって働く人だけが変わっていく。土地が「主」で、人間が「従」なのだ。よく
農家の人が、「先祖代々、受け継いだ土地だ」とか、「この土地を手放したら、ご先祖様に申し
訳ない」とか言うが、それはそういう気持ちをこめた言い方である。そう、そういう視点で見る
と、彼らの世界には、「先祖から子孫へという流れの思想」があることがわかる。またそういう
思想で生きているから、仮に先祖を否定するということは、結局は自分の生きザマをそのもの
を否定することになる。だからそれだけはできない。彼らの世界では、自分の土地を売るとか、
それまで代々つづいてきた農業をやめるとかいうことは、都会人が土地を買ったり売ったりす
るのと、わけが違う。サラリーマンの人が転職するのとは、わけが違う。

 農家の人の嫁・姑問、嫁・舅問題というのは、その背景に、こうした価値観の衝突がある。家
や土地、代々続いた農業を守ろうとする古い世代。こういう世界では、人間が「従」だから、当
然のことながら、嫁は家の財産でしかない。さらにその嫁がもうける子どもは、つぎの世代に家
や土地を守る跡継ぎでしかない。それが正しいとかまちがっているとかいうことは、それを論じ
ても意味がない。古い世代は、それが正しいと信じて、一生を捧げてきた。
 一方、若い世代は、そういう価値を認めないというより、そういう価値観そのものが理解でき
ない。「家が何だ」「土地が何だ」となる。しかしそれを若い世代が口にするということは、古い
世代にしてみれば、自分たちの生きザマ、ひいては自分の人生そのものを否定されたのと同
じことになる。これは古い世代にしてみれば、許しがたい暴言ということになる。

 富士市厚原に住むKUさんがかかえる問題には、そういう背景がある。昔ほどではないが、
(……というのは、私が子どものころは、これからその過渡期に入るというころで、今よりはる
かに熾烈(しれつ)な世代間闘争があった。どこの農家でも、嫁・姑、嫁・舅問題は深刻な問題
であった……)、今でも、その世代間闘争があっても不思議はない。で、KUさんからのメールを
整理してみよう。


●結婚してから義父母と同居しています。もめ事もありましたが、それなりに努力をしながら楽
しい生活をと心がけてきました。

○結婚当初から同居したばあい、ほとんどの家庭はうまくいく。もう二〇年近くもまえのことだ
が、私の調査でも、それがわかった。まずいのは途中からの同居。とくに子どもが生まれてか
らの同居は、失敗するケースが多い。

●義父の周りのことは義母にお任せしていました。何しろ自分の思うと通りに行かないと怖い
人なので、とにかく義母と私は機嫌を損ねないようにと生活していました。機嫌がよければ家の
中も明るいし、子供(小二・年中)のためだと思っていました。

○義父のことは、義母にまかせたということだが、ポイントは、この女性自身が、老夫婦との同
居経験があるかないかということ。同居経験があれば、老人の扱い方がとまどいなくできる。

●その義母が先月一四日に亡くなりました。義父のことを頼むねと涙しながら言われました。

○義父が昔ながらの権威主義的な生き方をしていて、仕事はするが、生活力がゼロの人とい
うことか。今でも、家事、炊事、洗濯などをまったくしない夫は、五〇〜五五%もいる。そのため
義母は義母なりに、義父のことが気がかりだったのかもしれない。

●夏休み子供のことを頭に入れながらも、義父の特に食事のタイミングを気をつけながら神経
を使いながらの生活です。

○この女性は、嫁いで一五年近くになるのか。実の親子でもここまで気を使うというのはたい
へんなこと。義父は多分、「男は仕事さえしていれば一人前」という幻想にしがみついて、この
女性のそういう苦労などまったく理解できないのだろう。六〇歳、七〇歳以上の男性は、おお
かたそういう考え方をしている。

●食事の内容も他の家族とは異なるものです。

○嫁を、家政婦くらいにしか思っていない?

●夕食は一緒に食べていますが、義父と子供のペースがあわず、この三日ほど一人でという
ことが続きました。義父は畑仕事が終わると五時半から六時には酒の用意をしなければいけ
ません。それだけが原因ではないでしょうが、昨日酒を飲みながら怒鳴られ、誤解だと言うと包
丁を台所へとりに行き、私に向けてきました。唖然としました。

○私は義父の精神状態を疑った。それがどういうものなのかはわからないが、老人性のうつ
病か、痴呆症などが疑われる。

●主人が力ずくで止めました。そして私は義父に深々と謝りました。誠心誠意やりますから
と・・・・ 。

○この女性は、「深々と謝った」「誠心誠意やりますから……」と。私はこの個所を読んで、「日
本の社会はまだこの程度」と、改めて実感した。先月も、私に「林君は日本の社会のどこに問
題があるというのだ。すばらしい国だ。そういうすばらしさをどうして評価しないのか」と言ってき
た人がいた。私はこういう事実を、その人にたたきつけてやりたい。

●主人は幼い頃から義父の義母への暴力等を見てきているせいか、家庭においても会話は
ありません。話をすると殴り合いになりそうになります。そして出て行けという話になります。実
際義父は一人ではなにも出来ません。

○「出て行け」という言葉一つで、この義父は、まさに権威主義のかたまりというふうに考えられ
る。「出て行け」というのは、江戸時代の言葉。当時は、家から勘当されるということは、即、風
来坊になることを意味した。身分制度の中でも番外で、見つかれば佐渡の金山送りになったと
いう話もある。「家から追い出される」というのは、当時は恐怖以外の何ものでもなかった。しか
し二一世紀の今?

●義母が六月下旬から入院、そして葬儀においても、もめ事があり義父もかなりの疲れだと理
解して、嫌なことは忘れる努力はしてきましたが、昨日の光景を思い出すと、このままでいいの
だろうかと考えてしまいます。

○もめごとの内容がわからないが、葬儀のあと、何らかのもめごとがあるのは、世の常。

●義母は何の自由もありませんでした。そして私もそうなりつつあるように思えます。昨夜は子
供が泣き出したので、親戚の家へ駆け込みました。なにはともあれ子供の情緒の面が一番心
配ですので、私が明るくしてと思います。

○何がこの女性を、その家にとどめているのか。義父にきがねして、子どもが泣いただけで、
親戚の家へ行くという異常さ。どこからこういう異常さが生まれるのか。

●子どもは義父のことはそれなりに好きだと思います。(義母のことは大好きでした。)今朝は
どうなるかときが気でなりませんでしたが、いつもどおりの生活をと義父も思っているようで、少
し安心してはいるものの、私の気持ちは複雑です。そして怖いです。許せない気持ち。 忘れな
くてはという気持ちが入り混じっています。

○唯一、ここでほっとする。一方、この女性の許せない気持ちもわかる。こういう事件が一度で
もあると、こちら側の人間関係は、こなごなに破壊される。(相手側の義父のほうは、そうは思
っていない。被害者と加害者の立場のちがいのようなもの。)

●時間をかけて育てていった方がいいのでしょうか。
教えてください

○わかりました。いっしょに考えてみます。 

++++++++++KUさんへの返事++++++++++

KUさんへ

 今までも似たようなケースは、いくつか経験しています。しかしどれも、結局は、嫁の立場にあ
る女性のほうが妥協し、耐え、受け入れ、納得して、そのままの生活をつづけています。とくに
農村地域ではそうで、私の従兄弟の一人も、同じような問題をかかえて苦しんでいます。しか
し、こういう言い方は失礼かもしれませんが、それが人生なのですね。こういうことです。

 生きるということ自体が、まさに問題のかたまりのようなもの。問題から遠ざかることはできな
いし、問題のない生き方というものもない。人はだれしも、つかの間のやすらぎや幸福に、夢や
希望を見出し、また問題のウズの中に入っていく……。問題から逃げたところで、その問題が
解決しないばかりか、逃げた先には、もっと大きな問題が待ち構えていることを知っているから
です。一日中、問題なく、苦労なく、無事に過ぎていくということのほうが、おかしいということで
す。

 で、こういう問題のとき、まずすべきは、問題の整理です。私のばあいは、@どうにもならない
問題と、A何とかなる問題の二つに分けて考えるようにしています。そして@のどうにもならな
い問題については、あきらめて忘れるという方法で、どこか心の隅に片づけてしまいます。「考
えても、悩んでもムダ」と割り切ってしまうのです。
 しかし問題は、Aの「何とかなる問題」ですね。そのばあい、私のばあい、つぎの二つに分け
て考えるようしています。

 @何とかしたばあいの、メリット、デメリットを判断する。A何とかならないばあいの、メリット、
デメリットを判断する、です。これをKUさんのケースにあてはめて考えてみましょう。
 
(どうにもならない問題)結婚していて、子どもがいる。夫もいる。生活に大きな不満はない。義
父と別居することはできない。……この問題は、もう考えるのをやめて、受け入れなさい。

(何とかなる問題)義父と話しあって、もう少し居心地のよい家庭にしてもらう。食事の世話な
ど、簡単にしてもらう。そのために夫に間に入ってもらい、話しあう。義父にある程度、自分の
身の回りの世話は、自分でしてもらう。
 しかし今の段階で、これを夫や義父に求めると、別の騒動になるかもしれない(これがデメリ
ット)。あなた自身が、外で働くなど、外の世界に生きがいを求めるのはメリットかもしれない
が、その分、自由な時間がなくなる(これがデメリット)。そこでもう一度、KUさんの心を整理して
みましょう。

●食事など、義父の世話をすることに耐えられるかどうか。
●義父の精神状態を病気と考えれば、許せるのではないか。
●子どもとの関係を大切にできるか、できないか。

もっと言えば、義父との同居で、プラスになっている面もあるはず。そのプラス面を天秤にかけ
て、それでもデメリットの部分が許せるかどうかということです。そのあたりの判断を冷静にして
みてはどうでしょうか。で、それも無理なら、受け入れてあきらめる。人生というのは、そういうも
の。思うようにはならない。いつもどこかに足かせがあって、その人が前に進むのをさまたげ
る。(かえって何も足かせがないと、前に進むのをやめてしまうかも……。)

 ……と、まあ、考えると、深刻な問題になってしまいますが、KUさんは、こういった状況をおも
しろおかしく、つまり冗談ぽく、笑ってはねのけることはできませんか。内心では、「クソジジー」
と思いつつ、「ああら、お父様、今朝はお顔色もよろしいいようでございますね。お父様は、いつ
も若々しくてうらやましい」とか、何とか言って、義父の心をはぐらかすことはできませんか。もし
それができれば、それが一番よいのですが……。一度、あなた自身の心の奥を、つまりあなた
自身はどうであるのが一番よいと思っているのか、冷静にみつめてみてはどうでしょうか。あと
はその心に従って、つまりすなおな気持ちで、心を解き放てばよいのです。体はあとからつい
てくるもの。そのあたりはどうでしょうか。

 自分でここまで読んで、まったく回答になっていないことがわかりました。逃げるわけではあり
ませんが、これは私の専門分野の外にあることで、自分でも考えがまとまりません。こんな回
答でごめんなさい。

 また何かグチでもあれば、話してください。話せば気が楽になりますから。私でよければ、いく
らでも聞いてあげます。ただ方法がないわけではありません。心にたまったモヤモヤを、思い
きって吐き出すのです。つまり……。

 子どもがいやな先生に向かって叫ぶように、(私などいつもそう叫ばれていますが……)、こう
叫びなさい。山の上から……。やはりどうしても、こういう結論になってしまいます。

 ♪ クソジジー、クソジジー、お前のようなクソジジーは、早く死んじまえ!
♪ あんたが死んだら、あんたの墓の前で、裸踊りでも、してヤラー!
 ♪ こわいぞ、こわいぞ、あんたの嫁。油断するな、バカヤロー!

 私も一緒に叫んであげます。

♪ クソジジー、クソジジー、お前のようなクソジジーは、早く死んじまえ!
♪ クソジジー、クソジジー、お前のようなクソジジーは、早く死んじまえ!
♪ クソジジー、クソジジー、お前のようなクソジジーは、早く死んじまえ!

♪ あんたが死んだら、あんたの墓の前で、裸踊りでも、してヤラー!
♪ あんたが死んだら、あんたの墓の前で、裸踊りでも、してヤラー!
♪ あんたが死んだら、あんたの墓の前で、裸踊りでも、してヤラー!

♪ こわいぞ、こわいぞ、あんたの嫁。油断するな、バカヤロー!
♪ こわいぞ、こわいぞ、あんたの嫁。油断するな、バカヤロー!
♪ こわいぞ、こわいぞ、あんたの嫁。油断するな、バカヤロー!
     
少しはスッキリしましたか? これが私の結論かも? 何ともおかしな結論ですみません。

(02−9−2)                 はやし浩司
***************************************


子育て随筆byはやし浩司(81)

ダイエット

 少し油断すると、体重があっという間に七〇キロ近くにまでなってしまう。で、気がつくたびに、
今度はダイエット。こんなことを数年おきに繰り返して、もう一五年になる。
 私のダイエット法は、食事を減らすという単純な方法。しかしそのまま減らすと、抵抗力が落
ちるのか、結膜炎など、皮膚病にかかりやすくなる。そこで栄養だけは、別の方法で補給す
る。私がよく口にするのは、カロリーメイト(大塚製薬株式会社製)と、アミノバイタル(味の素株
式会社製)。あとは、栄養ドリンク剤とビタミン剤など。食事はライスを減らし、サラダを多くす
る。この方法を続けると、一か月ほどで、適正体重の六五キロ前後にまでもどる。

 が、問題がないわけではない。私はもともと血圧が低いので、ダイエットをし始めると、血圧
がさがってしまう。上が一〇〇以下、下が六〇前後になることもある。そうなると今度は、頭が
働かなくなる。どこかボンヤリとしてしまう。そこでダイエット中は、水分を多量に補給する。昼
間だけで、二リットル入りのウーロン茶を、二本ほど飲むこともある(計四リットル!)。夏場は
とくに飲む。飲んでいないと、頭がすぐボーッとしてしまう。

 今、この原稿を書いている日(九月二日)は、体重が六四・五キロ。すこぶる調子はよい。軽
い感じがする。自転車に乗っていても、全身で体をくねらせながら、ペダルをこぐような感じ。だ
からますます調子がよくなる。そういう今の状態からみると、体重が七〇キロ(最高で七二・五
キロ)前後だったころの自分が、何とムダなことをしていたかと思う。食べては寝るだけ。体が
重いから、運動もしない。そしてまた食べる……。その繰りかえし。
 もっとも本当のところは、今の体重でも、ギリギリ適正体重というところ。計算すると、もう二、
三キロやせなくてはならない。年齢を考えると、もう四、五キロというところか。あまり急激にや
せると、みなが心配するので、しばらくはこのままの体重をキープして、しばらくしてから、つぎ
のダイエットに移るつもり。
(02−9−2)※

参考++++++++++++++++++++++++

(適正体重計算……BM標準体重計算法)

   BM=(体重)÷(身長)÷(身長)   

     40以上   ……肥満(4度)
     35〜40  ……肥満(3度)
     30〜35  ……肥満(2度)
     25〜30  ……肥満(1度)
     18・5〜25……正常値
     〜18・5以下……やせ

 (注、身長はメートル単位。私は166センチだから、1・66となる。)
この計算式でいくと、私は24ということになり、一応、適正体重ということになる。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


子育て随筆byはやし浩司(82)

日本人と民主主義

●騒音
 日本人ほど、騒音に無頓着な民族はいない? 私が住むこの地域は、一応、第二種住宅地
域ということになっているが、早朝から深夜まで、その騒音が絶えない……。

 まず朝、五時五五分、きっちりとその時刻に、東側の隣人が、雨戸を開ける。ふつうの開け
方ではない。いっせいに、勢いよく、ガラガラ、ガラガラと開ける。ここに住むようになってから、
二五年間、私たち夫婦は、春夏秋冬、毎朝一度、その音で目をさまされる。

 少し時間がたつと、このところ、工事の男たちがやってきて、あれこれ作業を始める。西側の
空き地が、下水道工事の集結場になっている。昨日は、あの削岩機で、バリバリと何かを削っ
ていた。ものすごい音だった。窓をしめても、家中のカベがガタガタ揺れる感じだった。で、その
ころになると、南の隣人が、趣味の宝石の研磨を始める。歯科医院で歯を削られるような音
だ。しかもその研摩を、プレハブの小屋の中でするから、ちょうど全体として、ギターの箱のよう
な共鳴作用を引き起こす。ものすごい音だ。その騒音がガリガリ、ガリガリと、終日、断続的に
つづく。

 もちろん道路を走る車の騒音も聞こえる。五〇メートルくらい離れたところが、大通りになって
いて、そこをひっきりなしに、車が走る。ふつうの車はそれほど気にならないが、暴走族が乗る
ような改造車だと、それこそバスンバスンと腹に響くような低周波振動が響いてくる。そうそう道
路をはさんで北側の隣のアパートに、最近一人の学生が入ったらしい。その友人らしき男が、
ときおり、その種の車でやってくる。これもけっこう、うるさい。
 が、それだけではない。断続的に、物干し竿売りや、ワラビ餅売りがやってくる。これがスピ
ーカーの音量を最大限にして、あの声を流す。ほかに粗大ゴミ回収業者、オートバイ回収業者
など。もっともこれは日中の一時期だから、そのときをやり過ごせば、何とかなる。

 私は部屋にこもって、こうして文書を書くのが仕事(?)のようになっているから、こうした騒音
は、つらい。いやいや、最近は、夜中だって、騒音(?)が消えることはない。数軒離れた隣人
の飼い犬がこのところ、急にボケだして、一晩中、グニャーグニャーと、おかしなうめき声をあ
げている。それがちょうどさかりのついた雄ネコのような声に聞こえる。私の家はともかくも、近
所の人たちは、さぞかし眠られない毎日を過ごしているにちがいない。

●騒音の精神的ルーツ
 そこで私は考える。こうした日本人独特の無頓着さは、いったいどこから生まれるのか、と。
公共精神ということになると、少なくとも、このあたりの人たちは、自分のテリトリーの範囲のこ
とは大切にするが、しかし一歩、その範囲を離れると、何もしない。たとえば私がここに住むよ
うになって、この二五年間、近所の空き地のゴミ拾いをしているのは、私だけ。このあたりは元
○○長という肩書きにある人たちがたくさん住んでいて、それぞれが優雅な年金生活をしてい
る。しかしそういう人たちがゴミ拾いしているのを、私は見たことがない。そういう意味では、み
んな、自分のことしか考えない? この勝手さは、いったいどこからくるのか?

 アメリカやオーストラリアと比較するのもヤボなことだが、欧米では、その地域の景観すら、地
域住民がたがいに守りあっている。その地域全体の家の形のみならず、屋根や家の色まで統
一しているところも少なくない。自分の家だけ芝生を伸び放題にしておくことなど、言語道断。オ
ーストラリアでも、そうだ。ある日、友人がこう言った。「(土地の値段は安いので)、いくらでも土
地は買えるが、しかし管理がたいへんだから、適当な広さがあればいい」と。自治体ぐるみで
看板の設置を規制しているところも多い。あるいは看板の色を規制しているところも多い。先
日、アメリカから帰ってきた二男ですら、クモの巣のように空をおおう電線を見て、こうこぼし
た。「アメリカでは考えられない」と。いわんや、騒音をや! 基本的なところで、考え方がまっ
たく違う。

 日本人に公共心がないのは、日本の社会制度にもよる。明治以来、あるいはそれ以前か
ら、「教育」と言えば、「もの言わぬ従順な民づくり」が、基本になっている。日本は奈良時代の
昔から、現在にいたるまで、カンペキな官僚主義国家である。今の今でも、日本が民主主義国
家だと思っているのは、日本人だけ。ウソだと思うなら、一度、外国に住んでみるとよい。日本
でいう民主主義は、彼らがいう民主主義とは、まったく異質なものであることがわかる。この日
本では、「国あっての民」と考える。国民(この「国民」という漢字すら、それを表しているが…
…)、は、国の道具でしかない。一方、欧米では、フランス革命以来、「民あっての国」と考え
る。この違いは大きい。たとえばこんなことがある。

 南オーストラリア州にある友人の家へ遊びに行ったときのこと。ボーダータウンという小さな
田舎町だが、その町を案内しながら、友人がいちいちこう説明してくれた。「ヒロシ、あの道路
整備に、税金を一二〇〇万ドル使った。しかし経済効果は、七〇〇〇万ドルしかない。いい
か、ヒロシ、それだけの税金を使うなら、穀物倉庫を作り変えたほうがいい。経済効果は、二倍
以上になる。税金のムダづかいだ」と。こうした会話を、私はこの日本で聞いたことがない。い
や、反対に、あってもなくてもよいような高速道路ばかりつくり、一方、住民は、「作ってもらっ
た」「作ってもらった」と喜ぶ。こうした日本人の「おめでた意識」が、一八〇度ひっくりかえるた
めには、まだ五〇年はかかる。あるいはもっとかかる?

●そろそろ意識を変えるべきとき?
 さて騒音の話。かく言う私も、こうした騒音に耐えて、二五年になる。あるいは子どものころか
ら、「生活」というのは、そういうものだと思い込まされている。しかし、もうそろそろ、日本人も
意識を変えるべきときにきているのではないか。

 「社会は私たちがつくるのだ」「国は私たちがつくるのだ」という意識である。もうひとつ、つい
でに言わせてもらうなら、「教育は私たちがつくるのだ」という意識もある。何でもかんでも、一
方的に国から与えられるだけというのでは、あまりにもさみしい。あまりにも受け身すぎる。日
本人が周辺の騒音に無頓着なのも、そのひとつということになる。教科書も制度も、中身も。そ
んな国は、民主主義国家ではない。またそんな国では、民主主義など、育たない。ちがうだろう
か?
(02−9−3)※
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子育て随筆byはやし浩司(83)

行きつくところまで行く

●底なしの悪循環
 子育てが悪循環に入ると、「以前の状態のほうがまだよかった」ということを繰り返しながら、
子どもの状態はますます悪くなる。この状態になると、親がそれをなおそうと思えば思うほど、
すべてが裏目、裏目と出る。実際にあったわけではないが、たとえば……

 ある夜、娘(中一)が、ある夜遅く、帰ってくる。父親がはげしくしかる。しばらくして娘は、それ
に反発して、家出。親はコンビニの前でたむろする娘をさがしだし、娘を連れてかえる。またし
かる。だれかに説教してもらう。が、しばらくすると、再び、家出。今度はどこへ行ったかわから
ない。そこで警察に連絡する。やっと居場所はわかったものの、娘はだれの子ともわからない
子どもを妊娠していた……と。

 こうなるには理由がある。つまり親はそのつど「今の状態は最悪」と思う。それ以上、悪い状
態はないと思う。だからそれ以上悪くなることはないと思う。しかしそれは誤解。誤解というの
は、崖の下に、別の崖があることを知らないことをいう。知らないから、その崖が最後の崖だと
思う。だからその崖っぷちでふんばっている子どもを、さらにつぎの崖につき落してしまう。つき
落しながら、その意識すらない。こんな例がある。

●ある家庭内暴力
 断続的に遅刻や欠席を繰り返していた子ども(小五男児)がいた。母親は何とか、息子を学
校へ行かせようとした。「このままではあんたはダメになってしまう」「お母さんも苦しい」「がんば
って」「どうして行けないの」と。しかしこうした一言一言が、子どもの心をつき刺した。で、ある
日から、子どもは学校に行かなくなってしまった。その朝、トイレに逃げたが、母親はドライバー
で、ドアをとりはずした。泣き叫ぶ子どもを無理やり、車に押し込んだ。が、結局、その日は、子
どもは学校を休んだ。

 そこで母親は病院へ連れていき、医師と相談した。もちろん学校の先生とも相談した。「勉強
が遅れるといけないから」という理由で、家庭教師もつけた。しかしそこで症状が止まったわけ
ではない。不登校が一か月、二か月とつづいた。そこで私に相談があった。私は、「最低でも
三か月は何も言ってはいけない。何をしてもいけない。勉強の話は何もしてはいけない」と告げ
た。

 しかしこのタイプの母親には、一か月どころか、一週間でも長い。そこで一週間目に学校へ
連れていった。子どもはギャーギャーと泣いて、それに抵抗した。が、その日を境に、子どもは
家庭教師をも拒絶するようになってしまった。

 が、それですんだわけではない。親子の騒動は、さらにはげしくなった。なるにつれて、子ども
はやがて夜と昼を逆転させ、いつも昼過ぎに起き、寝るのはいつも朝方になってからだった。
はじめのころは風呂に入っていたが、ある夜、深夜に風呂に入ったことを父親にとがめられる
と、その日を境に、風呂にも入らなくなってしまった。親が何かを言おうものなら、はげしい暴力
でそれに答えた。ものを投げつけることもあった。そのとき子どもは小学六年生になっていた
が、体はすでに母親より大きくなっていた。つまり母親の手には負えなくなっていた。

 父親がいたが、家庭のことは母親に任せっきり。そして問題が起きるたびに、父親は「子ども
はこうなったのは、お前の責任」と、母親を責めた。こういう状態が、ますます子どもの状態を
悪くした。で、父親が気がついたときには、……というのも、子どもは父親の前だけでは、おと
なしくしていたし、母親は母親で、あとで「告げ口をした」と、子どもに乱暴されるのがこわくて、
父親には、何も話していなかったので……、父親ですら、手に負えない状態になっていた。母
親は家中のすべてのガラス戸をはずした。子どもが手にとって投げそうなものは、すべて処分
した。ガランとした部屋で、やわらかいクッションのようなものだけが並ぶようになった。母親は
パートの仕事をやめ、父親も、仕事を変えた。

●崖の下に、さらに別の崖
 このケースも含めて、その下に別の崖があることを知らない人に、私のような部外者が、あ
れこれアドバイスをしても、ムダ。実際、今まで、私のアドバイスをまともに聞いてくれた人は、
ほとんどいない。どの親も、「うちの子にかぎって……」「まさか……」と思いつつ、つぎの崖に
落ちていく。そしてやがて行きつくところまで行く。にっちもさっちも行かなくなる。あとで私が、
「こうなることは私にはわかっていました」と言うと、ある父親はこう叫んだ。「わかっていたら、
どうしてもっとはっきりと、言ってくれなかったのだ!」と。私は言ったつもりだったが、聞く耳を
みたなかったのは、父親のほうだった。

●結局は行きつくところまで…… 
 こうした悪循環を感じたら、打つ手はただ一つ。「今の状態をそれ以上悪くしないことだけを
考えて、半年単位で様子をみる」。そして「あきらめるべきことは、あきらめる」。そのあきらめ
が早ければ早いほど、子どもも早く立ちなおる。「まだ、何とかなる……」「こんなはずではな
い」「どうしてうちの子だけが……」と、親が思っている間は、子どもは立ちなおることはできな
い。そのきっかけすらつかむことができない。それはちょうど肺炎で高熱を発している子ども
を、無理にベッドから引きずり出して、顔を洗わせたり、風呂へ入れるようなものだ。もっとも風
邪にせよ、肺炎にせよ、外から見て症状がわかる。長くつづいても、一〜二週間でその症状は
消える。しかし心の風邪や心の肺炎は、そうはいかない。外からは症状は見えない。そしてそ
の病状は、数か月(数か月でも短いほうだが……)単位で、推移する。

 本当に、因果な仕事だ。いや、私のしていることが、だ。もっとも仕事といっても、過去におい
て、無数の子育て相談を受けながら、私は一円の謝礼も、報酬も受け取ったことはない。ない
が、私は「仕事」と考えている。私にはその子どもの問題や、将来が手に取るようにわかる。わ
かるが、その私を、親は信じない。だから私は言うべきことは言いながらも、別の心で、「どう
ぞ、ご勝手に」と思う。またそう思わなければ、とてもやりきれない。親に向かって、へたに、「も
うあきらめなさい」などと言おうものなら、「他人の子どものことだから、何だって言えますよ」と
言われる。実際、「他人の子どものことだと思って、よくもまあ、言いたいことを言うもんだ」と怒
った母親がいた。

 ここに書いた問題は、ほぼどの人にも当てはまる問題だといってもよい。しかしだれも、自分
のことだとは思わない。この文章を読んでいるあなただって、ひょっとしたらそうだ。しかし私は
あえて言う。この問題は、あなた自身の問題なのだ。たとえ今は無事でも、必ずいつかあなた
の問題になる。あるいは過去において、あなたの問題だったかもしれない。この日本では、多
かれ少なかれ、この問題から離れて子育てはできない。日本の社会そのものが、そういうしく
みになっている!
(02−9−4)※

アドバイス……子どもの心にからむことで、何か問題が起きたときの鉄則は、ただひとつ。「治
そう」とか「直そう」とは、思わないこと。「今の状態をより悪くしないことだけ」を考えて、現状を
維持する。そして半年単位、一年単位でものを考える。親があせればあせるほど、またなおそ
うと何かをすればするほど、症状はこじれる。そして一度こじれると、あとは底なしの悪循環の
世界に陥(おちい)る。
 この原稿を書いている最中にも、ある母親(三重県新宮市)から電話がかかってきた。そして
息子(小二)が、ますます自分勝手になってきたが、どうしたらようかという相談だった。このケ
ースでも、「なおそう」と思うのではなく、「今の状態をより悪くしないことだけを考えなさい」とアド
バイスした。そして「半年単位で、半年前よりは、少しはよくなったというふうにして、子どもを導
いていきなさい」と。この段階で、あせってなおそうと、無理をすればするほど、逆効果。「五年
かかって失敗した子育ては、五年かけてなおす。一〇年かかって失敗した子育ては、一〇年
かけてなおす」が、原則。子どもの心というのは、そういうもの。そういう前提で対処する。
(02−9−5)※

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子育て随筆byはやし浩司(84)

なおす

 子どもに何か問題が起きると、親は、「子どもをなおそう」とする。しかし「なおそう」と思えば思
うほど、実際には逆効果。かえって症状はこじれ、やがてドロ沼の悪循環に入る。たとえばこん
なケース。
 ある母親は、はじめての参観日に行って、自分の子ども(年少児)が、入るクラスをまちがえ
たのではないかと思った。一〇月生まれで、早生まれということではなかったが、自分の子ども
がほかの子どもとくらべて、幼く見えた。体も小さいほうだった。が、幼く見えた理由は、それだ
けではなかった。ほかの子どもたちの間で、小さくちぢこまって、おとなしくしていた。子どもらし
い、はつらつとしたハキがまったくなかった。先生の指導が始まると、さらにそのちがいがはっ
きりとわかるようになった。簡単な遊戯をしたのだが、いつもみなのあとをついて、ウロウロして
いるだけ。ウロウロというより、何をしてよいかわからず、アタフタしているといった感じだった。
 ジリジリとした時間が過ぎた。が、母親にはなすすべもない。気がつくと、自分の胃がキリキリ
と痛み始めているのを知った。母親は慢性的な胃潰瘍(かいよう)を持病にもっていた。「まず
い」と思ったが、その場を離れることができなかった。
 その翌日、その母親から電話がかかってきた。「どうすれば、子どもをなおすことができるか」
と。しかし残念ながら、これは子どもの問題ではない。ほとんどの親は、子どもに問題がある
と、「子どもをなおそう」とする。自分を見ない。自分に問題があるとは考えない。たとえば子ど
もの分離不安や、かんしゃく発作、赤ちゃんがえりや、もろもろの神経症にしても、原因は家庭
教育の失敗である。そういう失敗を棚にあげて、「どうすればなおりますか」と。こうした親の身
勝手さは、いったい、どこからくるのか。その母親のばあいも、母親自身は、「ふつうだ」と思っ
ていた。そこで私が、「これは子どもの問題ではなく、あなたの問題ですよ」と話すと、その母親
はこう言った。「いえ、あの子は、生まれたときからそうでした」と。
 バカな! 生まれたときから、そんな症状を示す子どもはいない。またそれがわかる親はい
ない。産婦人科の新生児室で、並んだ新生児を見て、その性格の違いまでわかったら、もう神
様だ。このタイプの親は必ずといってよいほど、「生まれたときから」とか、「生まれつき」とかい
う言葉を使う。
 原因はやはり母親自身にあった。威圧的な過干渉、心配先行型の子育て、神経質な家庭環
境、代償的過保護。子どもを育てていて、胃がキリキリするようなら、子育てなどしないことだ、
……というわけにはいかないが、少なくとも「自分は問題のある母親だ」と自覚することだ。そ
の自覚がないと、独善と独断の世界で、子育てはますますゆがむ。

 不愉快な話になってしまったが、そんなわけで、子どもに何か問題があったら、つぎの鉄則を
守る。

(1)子どもに問題があるとわかったら、原因は自分に求める。とくに心の問題は、自分にある
と考えて、まず自分の周囲を反省してみる。
(2)「なおそう」と考えるのではなく、「まず現状維持」。「今の状態をそれ以上悪くしないことだ
け」を考える。
(3)三歳の子どもの問題は、なおるのに、三年かかる。四歳の子どもの問題は、なおるのに、
四年かかる。そういう前提で対処する。昨日発見した問題が、今日、なおるということはありえ
ない。
(4)あきらめるべきことは、あきらめる。あなたが決して万能ではないように、子どもにその万
能さを求めても意味がない。ある母親は、結婚するまでタバコを吸っていた。吸うだけならまだ
しも、車を運手しているときなどは、その吸殻を窓の外に捨てていた。そういう母親が、子ども
をもったとたん、子どもに、「ジュースばかり飲んではダメでしょ」「ゴミを片づけなさい」と怒鳴っ
ていた。こうした「おかしさ」は、たいていどの親にも共通している。「まあ、うちの子はこんなも
の」という思いが、子どもの心に風穴をあける。その風穴が、子どもを立ちなおらせる。
(02−9−6)※

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


子育て随筆byはやし浩司(85)

Q:「うちの子(小二男児)は、このところ算数から逃げてばかりいます。勉強そのものが嫌いな
ようです。どうしたら、子どもを勉強好きの子どもにすることができますか」

●楽しく学ぶ子はよく学ぶ

 子どもを勉強好きにしたかったら、子どもを楽しませる。これにまさる教育法はない。が、世
の親たちは、その反対のことをする。反対のことをしながら、かえって子どもを勉強嫌いにして
いる。

 たとえば小学一、二年生になると、算数の好き嫌いがはっきりとしてくる。このときたいていの
子どもは、(嫌い)→(しない)→(ますます嫌いになる)の悪循環の中で、勉強から遠ざかってい
く。すると親は、(勉強を強いる)→(子どもは勉強が嫌いになる)→(ますます勉強を強いる)の
悪循環の中で、ますます子どもを勉強嫌いにする。どこかで早くあきらめればようのだが、その
ときたいていの親はこう言う。「あきらめろって? とんでもないです!」と。ここで親側の論理
と、はやし浩司の論理が、まっこうから対立する。その論理の対立について……。

(親の論理)中学生や高校生になってからあきらめろというのは、まだわかる。しかし小学二年
生の段階で、あきらめろというのは、おかしい。まだ入り口に立ったばかりではないか。

(はやし浩司の論理)中学生や高校生になってからでは、立ちなおることは不可能。小学一、
二年生なら、まだ立ちなおることができる。この時期に、一度、勉強嫌いなると、学年を経るご
とにますます嫌いになってしまう。そうなってからでは手遅れ。だから一度、あきらめるものはあ
きらめて、最初からもう一度、子どもの勉強を組み立てなおせばよい。

(親側の論理)できるだけ早い時期に、多少、無理をしてでもよいから、勉強をできるようにす
ればよい。できるようになれば、本人も楽しくなるだろう。

(はやし浩司の論理)一度無理をすると、それ以後、ずっと無理をしなければならなくなる。無
理をやめたとたん、今度は、その反動で、どんと勉強が嫌いになるケースは多い。また親の欲
望には際限がない。少しでもできるようになると、「もっと」とか、「うちの子は、やはりやればで
きる子」と錯覚して、無理をする。子どもが、いつまでもその無理に耐えらればそれでよいが、
がんばれる範囲にも限界がある。無理は必ず、いつか限界にくる。

(親側の論理)勉強は積み重ねだ。どこかでつまずくと、それが原因で、ずっとできなくなってし
まう。たとえば掛け算でつまずくと、二桁かける一桁の掛け算でつまずき、つづいて割り算がで
きなくなる、など。そうなるとたいへんだから、やはり無理をしてでも、教えるべきだ。

(はやし浩司の論理)得意、不得意があるのは、人の常。子どもを伸ばすコツは、不得意分野
を攻めるのではなく、得意分野をさらに伸ばす。たとえば中学生でも、得意な英語をさらに伸ば
すと、それまで苦手だった数学の成績が伸び始めるということは、よくある。子どもの勉強に対
する自覚、心構えが変わるためと考えるとわかりやすい。
 「積み重ね」を否定するわけではないが、昔とちがって、学習要領そのものが、「やりなおし」
のきくしくみに変わってきている。割り算が始まってから、掛け算の九九ができるようにしても遅
くはない。実際そういう子どもは、いくらでもいる。「積み重ね」にこだわる理由はない。やり方を
まちがえると、得意分野まで破壊してしまう。これがこわい。

 では、どうするか。私のばあい、勉強嫌いの子どもを指導するときは、楽しませることだけを
考えて指導する。具体的には笑わせる。この笑うという行為には、不思議な力がある。心を解
放させるだけではなく、子どもの中に前向きな姿勢を育てる。またそのつど大声で笑うことがで
きる子どもに、心のゆがんだ子どもはいない。そして弱点を見つけたら、積極的にほめる。「こ
の前よりできるようになったわね」「あなたはどんどんできるようになっているよ」とか。こうした
前向きの暗示を大切にする。仮にテストでまちがえてきたようなときでも、「まちがったところ
を、いっしょにやってみよう」と、子どもの立場で考え、「よくがんばったわね」とほめて仕上げ
る。
(02−9−6)※

(コマーシャル)私の実験教室では、いつも子どもたちの笑い声を大切にしている。とくに幼児
教室では、一時間なら一時間、子どもたちを笑いぱなしにすることも多い。見学は自由だか
ら、いつでも見学にきてほしい。(詳しくは、bwhayashi@mail.wbs.ne.jpまで)

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子育て随筆byはやし浩司(86)

●脳の活性化

 昨日、やっと我が家もブロードバンド時代に入った。「やっと」だ。で、その設定に、何と四時
間もかかった! これには、理由がある。

 モデムを接続すると同時に、無線ルーターをつけた。が、この無線ルーターには、モデム機
能もついていた。つまり二つのモデムが競合状態になって、たがいに機能しなくなっていた。だ
からモデムを管理するプロバイダーに電話をしても、「原因がわからない」と言う。無線ルータ
ーの会社に電話をしても、「原因がわからない」と言う。で、何とか競合状態ではないかというと
ころまではわかったが、今度はケーブルの種類がちがっていた。いわゆるLANケーブルには、
ストレートケーブルといわれるタイプのケーブルと、クロスケーブルといわれるタイプの、二種類
のケーブルがあるのがわかった。(実際には見ただけではわからない。また機能がどう違うの
かさえ、私にはわからない。)クロスケーブルでつなぐところを、ストレートケーブルでつないでい
た、などなど。そこであわててパソコンショップへ行き、クロスケーブルを購入。それで四時間!
 しかしまあ何というか、頭の脳ミソの中の汗がすべてしぼり出されるほど、私は頭を使った。
パソコン歴、二七年の私でも、だ。

 しかし私にとっては、パソコンとの悪戦苦闘は、いわば、頭の体操のようなもの。こうして悪戦
苦闘することによって、脳細胞をバチバチと刺激する。いうなればサビ落としのようなもの。そ
のときはハラハラドキドキするが、やり遂げたときの快感は、たまらない。昨日もADSLがつな
がったときには、「ヤッター!」と声をはりあげた。それはサッカーの試合で、だれかがゴールを
決めたときの快感に似ている。とくに今回のように、四時間も悪戦苦闘したときのあとは、なお
さらだ。いや、途中で、何度か、「こんなにたいへんなものなら、ブロードバンドなんか、やめて
しまおうか」と思った。しかしそのたびに、「自分だけができないはずはない」と思い、自分にム
チを打った。考えてみれば、パソコンとつきあいだしてからというもの、毎回、その繰り返しだっ
た。……という話は、あまり子育て論に関係ないので、ここまでにしておく。が、こうした異分野
への挑戦は、脳の活性化のためにはとても大切なことだ。事実、そのあと、いつもの快感とと
もに、脳ミソそのものが、軽くなったように感じた。

 そこで子どもを見ても、考えることを楽しむ子どもと、そうでない子どもがいることがわかる。
たとえばクイズ的な問題を出したとき、すぐさまその問題に飛び込んでくる子どもと、そうでない
子どもがいる。中には、「もっと出してほしい」とせがんでくる子どももいる。概して言えば、幼児
ほど、考えるのが好きで、年齢とともにだんだん遠ざかっていく。小学校の高学年児になると、
考えることそのものを露骨に嫌う子どもも出てくる。「いやだ」とか、「やりたくない」とか言って、
逃げてしまう。そこで私の出番。子どもはいかにすれば、その考えることが好きな子どもになる
かということ。

●日本の教育システムの欠陥

 今の教育システムそのものが、考えることを嫌う子どもを生み出しているのではないか。たと
えば指導要領にしても、ある一定のゴールがあり、そのゴールに向けて、子どもを一斉に走ら
せている。私はそのことを小学四年生に、分度器の使い方を教えていて気がついた。

 ある日のこと、急いでいたこともあり、「角の大きさをはかるときは、分度器を使います」と言
って、授業を始めてしまった。で、分度器を渡して、使い方をひととおり説明したのだが、子ども
たちがみな、「わからない」と言い出した。そこで理由を聞くと、「角の大きさって何?」「角度っ
て何?」「分度器で、何がわかるの?」「ブンドキって、どういう意味?」と。しかしつぎの質問に
は、さすがの私も、足元から、ひっくり返されるような衝撃を受けた。ひとりの女の子がポツリと
こう言った。「それがわかったところで、どうなの?」と。

 なるほど! 子どもたちには、角の大きさなどわからなくても、どうということはない。その必
要性すら、ない。お金の計算であれば、子どもたちとっては、切実な問題だから、それなりにと
っつきやすい。しかし角度の学習には、それもない。
 が、考えてみれば、総じてみれば、今の教育には、多かれ少なかれ、こうした矛盾がついて
まわる。子どもたちが好奇心や、意欲、問題意識をもつ前に、つぎからつぎへと、どんどん、先
へ先へと教えていく。まさに、「わかったか? よし、つぎ」式教育が、日本の教育の柱になって
いる。つまりこういう教育システムの中では、もともと「考える子ども」など育つはずもない。へた
に立ち止まって考えていれば、かえって「遅れて」しまう。(本当にこの「遅れる」という言葉はい
やな言葉だ。この言葉ひとつで、どれだけ多くの子どもが苦しんでいることか。)
 
 「考える」ということは、もっと別のことである。そして「考える力を養う教育」というのは、もっと
別の教育である。たとえば私は、小学三年生に、こんな問題を出してみた。

(問)A町からB町までは三本の道がある。B町からC町までは、二本の道がある。では、A町か
らC町まで行くのに、何通りの行き方があるか、と。

 ===========
(A町)=========== (B町)==========
    ===========     ========== (C町)


 子どもたちの大半は、鉛筆で、道をたどりながら、「イチ、ニ、サン……」と数えていく。しかし
しばらく授業を進めていくと、一人、二人と、こんなことを聞きだす。「同じ道を通ってもいい
の?」「戻ってもいいの?」「近道でなくてもいいの?」と。数学的な正解は、「三掛ける二で、六
通り」となる。しかし実際には、ここで子どもたちが言うように、同じ道を二度、三度と通ることが
できるとすれば、行き方はもっとふえる。さらに戻ることもよしとすれば、もっとふえる。が、一番
の近道ということになれば、一通りしかない。つまり数学的な答と、考えて生み出される答は、
必ずしも一致しない。

 そこで考える子どもにするには、まず数学的な答は横においておく。そして「同じ道を通った
ら、何通りになるかな?」「戻ってもよいとすると、どうなるかな?」「近道だったらどうなるか
な?」と、子どもたちに問いかけてみる。もっとわかりやすく言えば、「六通り」という答など、どう
でもよいということになる。理由さえしっかりしていれば、一〇通りと答えても、二〇通りと答えて
も、いっこうに、かまわない。
いいかげんと言えば、いいかげんだが、こうしたファジー(あいまい)な部分が、子どもを考える
子どもにする。が、今の日本の教育システムは、こうしたファジーな部分がない。またそれを許
さない。いつも、どこか、しっかりしている。しすぎている。もし日本の教育に問題があるとする
なら、ここに最大の欠陥がある。つまり日本の教育は、そもそも考える子どもを育てるシステム
になっていない。「三掛ける二で、答は六通り」と教えるのが教育だと、最初から誤解している。
またそういう答を導ける子どもが、優秀な子どもと評価している。

●考えること

考えることには、いつもある種の苦痛がともなう。だからほとんどの人は、無意識のうちにも、
できるだけ考えることを避けようとする。よい例が、ここに書いた私のパソコン。私はブロードバ
ンドの設定にとまどっている間、ここにも書いたように、「もうやめようか」と何度も思った。その
ときのことだ。そのとき私が感じた苦痛というのは、高校生の数学の問題を解いているときの
苦痛に似ていた。いや、問題そのものを解く苦痛というよりは、生徒を前にして解けないときに
感ずる苦痛だ。「解き方を教えなければならない」「私は教師なのだから、解けないということは
あってはならない」という、プレッシャーを感じたときの苦痛だ。頭の脳ミソはフル回転している
ハズなのに、考えが堂々巡りしてしまう。まとまらない。解決の糸口がみつからない。しかし生
徒がいる手前、解けないなどとは言えない。生徒の鋭い視線を感ずる……。もちろん解ければ
それでよい。しかし解けなくて、解答を見たりするのは、教師として、それ以上の屈辱はない。
が、問題は、そのあとだ。
 問題が解けたにせよ、解けなかったにせよ、このあと人は、大きくつぎの二種類のタイプに分
かれる。そうして考えたことを、快感とするタイプと、苦痛とするタイプだ。ただもうひとつ、何も
考えない快感というのもある。何かに陶酔して、何も考えない状態といってもよい。私はこのこ
とを、無心にパチンコをしている人や、魚釣りをしている人を見て発見した。野球やサッカーの
試合を熱中して観戦している人もそうかもしれない。そういう状態のときというのは、まさに頭の
中はカラッポ。カラッポの状態というのは、まったく苦痛がない状態ということになる。だから気
持ちがよい? が、それはそれとして、その分かれ道は、どこにあるか。そのひとつのヒントと
して、私はこんな経験をしている。

 私は三〇年近く、自転車通勤をしている。往復一二キロ。時間にして、計一時間あまり。ひど
い雨でなければ、この通勤を私は欠かしたことがない。そういう話をすると、たいていの人は、
「たいへんですね」と言う。しかしそう言われた私のほうは困る。少しもたいへんではないから
だ。真冬の厳寒期の一時期をのぞいて、私にとっては、自転車に乗るというのは、それだけで
快感なのだ。仕事が終わって自転車にまたがったとたん、言いようのない開放感が身を包む。
が、ワイフにはそうではない。近くのスーパーに行くときでさえ、車に乗っている。人それぞれと
言ってしまえば、それだけのことだが、この違いがどこからくるかということがわかれば、考える
ことが好きな人間と、そうでない人間の違いがわかるかもしれない。

●訓練と鍛錬、そして習慣

 私が自転車通勤を始めたきっかけは、やはり運動不足の解消だった。結婚したあと、毎年の
ように体重がふえつづけ、気がついたときには、七〇キロ近くにまでなっていた。当時はまだコ
レステロールという言葉はあまり聞かなかった。しかしワイフが妊娠したとき、血液検査を受け
たとき検査官が、「林さんの血液はドロドロですね」と言った。それがきっかけだった。

 が、乗り始めてみると、そのつど体の調子がよいのがわかった。当然のことだ。で、それが積
み重なって、今の自転車通勤になった。が、結果としてみると、この自転車通勤は、私の体に
あっていた。もともと実家が自転車屋で、自転車に慣れ親しんで育ったということもある。たい
ていの故障なら、その場ですぐなおせる。つぎに私は、そういう必要性を自分でつくらないと、
長つづきしない性分の持ち主である。一時期、ワイフと、スポーツクラブに通ったが、結局は一
年あまりでやめてしまった。が、通勤はそういうわけにはいかない。途中で投げ出すというわけ
には、いかない。それで今までつづいた。

 で、これから先のことはわからないが、少なくとも今まで、大きな病気をすることはなかった。
生涯、病院のベッドで寝たこともない。今も、成人病とは無縁だし、その心配もない。同年齢の
友人や知人たちの多くが、何らかの病気をかかえているのをみると、「ああ、よかった」と思う
前に、「どうしてこの人たちはそうなのだろう」と思ってしまう。たいへん失礼な言い方になるかも
しれないが、「この人たちはこれから先、まだ三〇年近くもあるのに、どうやって生きていくのだ
ろう」とさえ思ってしまう。私のばあい、そんな思いが強いから、ついつい息子たちにこう言って
しまう。「体を鍛えておけよ」「継続することが大切だから、自分なりの健康法を身につけろよ」
と。その人が健康であるかないかは、遺伝子の問題というよりは、日々のこころがけ。もっと言
えば、習慣による。そして実は、同じことが、「考える」ということについても言えるのでは……。

●考える習慣を大切に 

 「考える力」というのは、「力」ではなく、「習慣」である。力のあるなしは、あくまでもその習慣の
結果でしかない。言いかえると、その習慣がない人は、いくらすばらしい才能や知能をもってい
ても、やがてその考える力をなくす。私もつい先日、ある知人(ある事務機器のセールスをして
いる)に、ほぼ三〇年ぶりに会った。で、一緒に食事をしたりしてそれなりに楽しいときを過ごし
たが、そのうち私はあることに気づいた。その知人には悪いが、その知人の中に、何も感じな
いのだ。三〇年という年月を経て、たがいに何かあるはずなのに、何もない? そこで話を聞く
と、彼はこう言った。
 「読む新聞は、スポーツ新聞だけ。仕事から帰ってくると、テレビで野球中継を見るだけが楽
しみ。休みはもっぱら、魚釣り。雨の日は、パチンコ」と。
 もちろん彼はその道のプロである。その商品についての知識は豊富だし、私にないものもた
くさんもっている。しかしどこをどう叩いても、こちらに跳ね返ってくるものがないのだ。いろいろ
話しかけても、「そういう問題はねえ、まあ、いろいろありますねえ」とか言って逃げてしまう。三
〇年という年月の中で、彼は彼なりに何かをつかんだはずなのに、それがない? 
 もちろんだからといって、私が正しいとか、また彼の生き方がおかしいとか、そういう失礼なこ
とを言っているのではない。私は私だし、彼は彼だ。しかしなぜ人間が人間であり、ほかの生
物とは違うかといえば、それは人間が、考えるからである。もし人間が考えなければ、人間でな
くなるというのではないが、人間は少なくともほかの生物と同じレベルになってしまう。それでも
よいというのなら、それもそれでよいかもしれない。しかしそうでないところに、人間が人間とし
て生きる意味や価値がある。考えるということには、そういう意味も含まれる。

 私たちは日々に考え、そして行動する。が、それはまさに習慣そのものといってもよい。その
習慣をいかに自分の中につくっていくかが、結局は生きることにもつながっていく。
(02−9−8)

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子育て随筆byはやし浩司(87)

溺愛の果てに……

 うららかな小春日和(びより)のある日。老人たちが、公園の一角に集まって、息子や娘の自
慢話を始めた。「うちのセガレが、先日、温泉につれていってくれましたよ」「いえね、この時計
は、私の八〇歳の誕生日に、孫たちが買ってくれたものですよ」と。のどかな光景だが、中に
はそういう話に、ジリジリした思いで耳を傾けている老人もいる。

 溺愛する親は、それを「親の深い愛」と誤解する。一方、溺愛された子どもも、「それを親の
深い愛」と誤解する。こうしてたがいにベタベタの人間関係ができる……。このことについて
は、すでに私はあちこちで書いてきた。問題はそのあとだ。

 溺愛された子どもが、それが溺愛だったと気づくことはまず、ない。たいてい子どもは、親を
美化することで、自分の親への思いを正当化する。つまり「親孝行は美徳」「孝行することが子
どもの務め」「私の親はすばらしい親だ。だから私が親を慕うには、それなりの理由があるの」
と。よい例が、森進一が歌う、『おふくろさん』だ。私は今まで無数の母親たちに接してきたが、
子どもに「♪人の傘(かさ)になれ」と教えるような崇高な母親に、出会ったことがない。あるい
は本当にいるのかもしれないが、それはきわめてマレなことだ。が、ここで問題が終わるわけ
ではない。

 子どもによっては、その途中で、親の溺愛を溺愛と気がつく子どもがいる。私は、気がつかな
いまま、おとになる子ども、七割、途中で気がつく子ども、三割とみている。気がつかなければ
気がつかないで、このタイプの子どもは、見た目には良好な親子関係をつづけたまま、おとな
になる。昔、「冬彦さん」という男性(テレビドラマ『ずっと、あなたが好きだった』の主人公)がい
たが、そうなる。しかし気がついた子どもは、その段階で、親に猛反発する。理由がある。

 溺愛は、過保護、過関心、代償的愛(親の心のすき間を埋めるための愛)で成り立つ。親子
の間にカベがない分だけ、過干渉の度合いも強い。こうした親の態度や姿勢は、子どもによっ
ては、重圧感となる。それは想像を絶する重圧感といってもよい。この重圧感が、やがて子ど
もを反発させる。が、親自身は、「溺愛することが、親の愛の証(あかし)」と誤解する。この葛
藤が、やがて真正面から衝突する。子「オレをこんなオレにしたのは、お前だろう!」、母「ごめ
んなサ〜イ。どうしたらいいノ〜」と。が、さらに悲劇はつづく。

 子どもが親の溺愛に気づくことはある。しかし親が、それに気づくことは、まずない。おそらく、
死ぬまでないのでは。最後の最後まで、親は、自分の子どもに対する思い(溺愛)を、親の深
い愛と誤解する。が、ここで溺愛ママは、大きく、二つのタイプに分かれる。

ひとつは、ジクジクした思いの中で、子どもに対しては控えめに、溺愛をしつづけるタイプ。もう
ひとつは、自分の溺愛に気づくこともなく、子どもに対して攻撃的に出るタイプ。前者のタイプ
は、まさに「悲劇の主人公」を演ずることで、子どもたちの同情をかおうとする。また後者のタイ
プは、子どもが親の恩にこたえないことを逆恨みして、「親不孝モノ!」とか、「バチがあたる」と
か言って、子どもをおどしたりする。どちらにせよ、もともと依存心が強いため、死ぬまで、子離
れができない。「子どもはかわいい、かわいい」と言いながら、それは結局は、自分のためにか
わいいと言っているに過ぎない。

 さて、冒頭の話。溺愛ママやパパの末路は、さみしいものだ。もともと自分のない人たちだか
ら、親としての自分の価値、あるいは人間としての自分の価値を、子どもの価値で決めてしま
う。ベタベタと親を慕う子どもイコール、孝行な子どもイコール、いい子と判断する。親子関係が
それなりにうまくいっていれば問題はないが、そうでなければ、そうでない。ジリジリとした思い
で、毎日を過ごす。そう、このタイプの親にしてみれば、孝行息子や孝行娘をもった仲間ほど、
不愉快なものはない。一見のどかに見える老人たちの世界だが、結構、その中では、見栄や
虚栄が、はげしくウズを巻いている。あるいはあなた自身も、よそのできのよい子どもの話を聞
きながら、すでにジリジリしているかもしれない。もしそうなら、今からでも遅くないから、自分自
身の生きザマを確立する。要は子どもに頼らない、そういう自分自身の人生観を確立する。も
しあなたが溺愛ママ(パパ)なら、なおさらそうする。

 一見のどかに見える老人の世界だが、子どもや孫の自慢話だけが生きがいになったら、そ
れだけであなたは、自分の人生の敗北を認めるようなものだ。それだけのことだ。
(02−9−16)

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子育て随筆byはやし浩司(88)

性体験

 「高校三年生の女子の、四五・六%、男子の、三七・三%が、SEXの経験済み」という調査結
果が公表された。調査したのは、教師たちがつくる東京都高等学校性教育研究会。都内の高
校生、三〇六四人を対象にアンケート調査した結果だという。
同研究会は、三年ごとに調査しているが、九六年に女子が男子を上まわるようになったとい
う。それはそれとして、わかりやすく言えば、女子高校生の約半数は、高校時代に、初体験を
すませるということになる。この数字を、多いとみるか、それとも……?

 もっともこういう話は、父親と母親とでは、受け止め方が、かなり違う。娘をもつ父親なら、「こ
れはたいへんなことだ」と思うかもしれない。しかし母親は、「そんなものかな」と思うかもしれな
い。私のワイフなどは、こういう話をすると、もちろん冗談だろうが、「私も若いとき、もっと遊ん
でおけばよかった」などと言う。が、本当にSEXだけですむのか。

 近所の若い男女が、この秋、結婚することになった。いわゆる『できちゃった婚』というのらし
い。男も女も、一九歳(一九歳!)。男のほうは専門学校生、女のほうは美容師だという。「今、
(似たようなケースは)多いのよ」とワイフは言うが、私は職業柄、すぐその子どもの将来を考え
る。若い男女は「できちゃった」ですむかもしれないが、生まれてくる子どもにとっては、そうで
はない。が、それにしても、一九歳とは!

 ……こういう話を私は部外者だから、半ばあきれ顔で話を聞くことができる。しかし当の本人
たちというより、その周辺の家族にとっては、さぞかし深刻な話に違いない。「結婚することにな
った」という結果だけを聞くと、それなりにスンナリとことが運んだかのように思う人もいるかもし
れない。が、実際には、それ相当の家庭騒動があったとみるのが正しい。親がその結婚に納
得しているなら、まだよい。しかし、そうでないなら、親が受けるショックはたいへんなものだ。ワ
イフはこう言った。「(一九歳の男の母親は)急にフケたみたい」と。
さらにいくら相思相愛といっても、結婚するということと、子どもを出産することの間には、かな
りの距離がある。「たかが若いものの遊びよ」と、高をくっていた親でも、「子ども!」となると、
血相を変える。その若い男女にしても、子どもをもつということがどういうことなのか、それがわ
かっているのだろうか? その自覚もないまま子どもをもてば、どういうことになるか? それほ
ど賢くない親だって、それくらいのことはわかる。が、さらに深刻な話がある。

 今、この日本では、HIV(エイズ)の陽性者が、どんどんふえている。もうまさに「歯止めがき
かない状態」(浜松医療センター・Y医師)だそうだ。この静岡県では、陽性者は、まだ数百人※
程度ということになっているが、しかしこれは医療機関が把握している数字にすぎない(※数字
は伝聞)。実際には「氷山の一角」(同医師)。Y医師はこう言った。「発症は何とか薬でくいとめ
ることができますが、しかし薬代が高いのが問題です。ふつうの人では、払いきれません」と。
アメリカや中国では、麻薬の注射や同性愛者の間で広がっている。が、この日本では、異性間
接触の間で広がっている。こういう事実をつきつけられても、それでもあなたは冒頭の「女子
の、四五・六%、男子の、三七・三%」という数字を、「そんなものかな」と思ってすますことがで
きるだろうか。もしそうなら、あなたはかなり、鈍感な人(失礼!)と言ってよい。

 話を戻すが、ともに一九歳で結婚ということの背景に、私はそこに家庭教育の崩壊を感ず
る。秩序の乱れた家庭環境、反目しあう親子関係、会話のない家族など。もちろんそうでない
家庭も多いかもしれないが、ふつうでないことは確かだ。だからといって、そういう結婚に反対
しているとか、それをおかしいと言っているのではない。私が心配するのは、あくまでも生まれ
てくる子どものことだ。先日会った、一人の男性のことを書く。彼は私と同年齢。彼は私にこう
言った。

 「私が生まれ育った家庭は、崩壊家庭。父には愛人がいて、ほとんど家には帰ってこなかっ
た。母は母で、祖父とできていて、私はひょっとしたら、その祖父の子かもしれない。そういうメ
チャメチャな家庭だったが、母の口グセは、いつも同じ。『産んでやった、育ててやった』。何か
私が反発しようものなら、すぐ『親に向かって、何てこと言う! あんたを産んでやったのは私
だ』と。七年ほど前に母は死にましたが、私は、いまだに、子どものころ受けた心のキズと、戦
っています」と。親としての自覚がないまま、安易に子どもをもうければ、苦しむのは結局は、そ
の子ども自身ということになる。

 彼のばあい、心のキズというのは、感情のコントロールができない、妻に暴力をふるう、家庭
的なぬくもりに飢えながら、そのぬくもりをつくることができない、あるいはそのぬくもりを、自ら
破壊してしまうことが多い、ということだそうだ。私と同年齢なのだが、もう孫が四人もいるとい
う。が、その孫についても、彼はこう言った。「(孫たちを)かわいいと思わなければならないの
でしょうが、それほどかわいいとも思えないのです。何というか、フリをしているだけ。ときどき
遊びにきてくれるのですが、内心では早く帰ってくれと願っています」と。

 さて、結論。私はこの「女子の、四五・六%、男子の、三七・三%」という数字を、こう読む。つ
まり日本の子どもたちは、ますます無秩序になってきている。ノーブレイン(思考力なし状態)に
なっていると言ってもよい。そしてこの数字の陰で、いかに多くの女子高校生や、女子中学生
が、中絶をしていることか! そしてさらにその陰で、いかに多くの親たちが、顔をまっさおにし
て、病院や相手の男の家を走り回っていることか。本人たちとて無事ではすまない。同じ数だ
けの女子が母体にキズつけ、さらにそのうちの何%かは、生涯、とりかえしのつかない病気に
感染している。かりに結婚したとしても、人生経験が不足している分だけ、越えなければならな
いハードルも多い。経済的な問題もついてまわる。そんなわけで、この問題だけは、「人は人、
うちには関係ありません」では、決してすまされない。
(02−9−12)※

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子育て随筆byはやし浩司(89)
 
ブロードバンド

 我が家もやっと、本当にやっと、ブロードバンド時代に入った。今まではアナログ電話機を通
して、インターネットをしていた。が、つい先日、ADSL通信に加入した。で、驚いたのなんのっ
て、その速さには、ただただあきれるばかり! 今までダウンロードするだけで、五分近くかか
っていたようなホームページの各ページでも、それこそ瞬時にダウンロードできてしまう! あ
まりの速さに、最初の数時間は、かえって戸惑ってしまったほど。が、問題がなかったわけでは
なかった。

(無線ルーターの設置)
 ADSL通信に申し込むと同時に、通信会社から、スプリット(電話回線とADSL回線の分離
機)と、モデム(ADSL回線接続機)などが送られてきた。が、私の部屋は、電話機のある部屋
からは離れている。そこでモデムに、無線ルーターを接続し、私のパソコンと無線でつなぐこと
にした。が、これがスンナリとつながらない。説明書どおりにやってみたが、ダメ。プロバイダー
に電話をかけてみたが、ダメ。そのうち何がなんだか、さっぱりわけがわからなくなってしまっ
た。パソコン歴、二五年の私でも、だ。
 で、無線ルーターのメーカーに問い合わせることに。「バッファロー」という会社だが、この会
社の親切な対応ぶりには、感動した。本当に親切な対応をしてくれた。(みなさんも、買うなら
バッファローのものがいいですよ!)最初からその会社に問い合わせればよかったのだが、
「どうせメーカーだから、それなりのことしか教えてくれないだろう」と思っていたのが、まちがい
だった。で、原因がわかった。

 私が買ったルーターには、モデムの機能もついていた。つまり私はモデムを二台設置したの
と同じことになったのだ。その二台のモデムがたがいに競合しあって、無線がつながらなかっ
たというわけ。そこでルーターのほうのモデム機能を「殺す」ことにしたが、それには別のLAN
ケーブルが必要になった。言われるままパソコンショップへ行き、クロスケーブルなるものを手
に入れる、などなど。結局、開通までに四時間もかかってしまった! 四時間だ! 何だかん
だと言っても、まだまだインターネットは不便? 一度設置してしまえば、あとは楽だが、そこま
でたどりつくのがたいへん。それにお金もかかる。私のばあい、パソコン三台につないだので、
初期設定費用だけでも、機器と接続費用などで、六〜七万円もかかった。

(ノートパソコンのカードの設定)
 さらに今度は別のノートパソコンにも、無線の受信機をつけることに。何となくいやな予感がし
たが、その予感どおり、これもダメ。説明書どおりに何度しても、ダメ。そこでまたまたバッファ
ローに電話。で、原因は、梱包されていたCDが古いバージョンで、機器とドライバーが一致し
ていなかったためとわかった。……などなど。やはり二時間もかかってしまった! さすがの私
も、その日はもうパソコンにさわるのもいやになった!

 ここまで苦労すると、パソコンという機械が、何かしらガラスの箱のように思われてきた。まさ
に恐る恐るつきあっているといった感じ。あちこち設定しながら、「今度、ウィルスが入ったら、
どうしよう」と、そんなことばかり考えた。今まではリカバリーすれば、すべて解決すると思ってい
たが、リカバリーしたあとがたいへん。また同じことを繰り返せと言われたら、私は発狂してしま
うかもしれない。そこで私は改めて、ウィルス対策を強化することにした。

(1)あやしげなメールには絶対、手を出さない、開かない、のぞかない、削除する。心を鬼にし
て、削除する。
(2)快調に動いているパソコンは、いじらない、さわらない、触れない、冒険しない。現状に満
足する。

 私のばあい、多少人より、パソコンの知識が豊富なのが、かえって災いしている。ワイフなど
は、自分のパソコンを使っているが、こうしたトラブルは、まったくない。「そういうもの」という前
提で、パソコンとつきあっている。が、私は、「もっと速くしてやろう」「もっと便利にしてやろう」な
どと考えて、そのつど失敗する。ずいぶん前のことだが、フリーソフトの壁紙をインターネットで
ダウンロードして、ウィルスに感染してしまったことがある。あるいはデスクトップに時計を表示
しようとして、あちこちを破壊してしまったことがある。要するにパソコンとつきあうときは、「余
計なことはしない」。これが大原則。「それ以上、調子をよくしようと思わない」。これも大原則。
そう、私は、絶対にもう、余計なことはしない。

 それにしても、実のところ、そうは言いながら、結構楽しかった。ハラハラしながら、あちこち
をいじっているときの快感は、何ものにもかえがたい。それはちょうど、サッカーの大試合を見
ているような緊張感だ。そしてそれが解決したときの感激。それはまさしく、プレーヤーがゴー
ルを決めたときの感激に似ている。ああ、これがあるからやはり、パソコンをいじるのは、やめ
られない?
(02−9―11)※

(注)パソコンショップで聞いたところによると、最近発売のパソコンは、無線ルーター(LAN)な
どが内蔵されていて、こうしたトラブルは少ないとのこと。このエッセーを読んで、どうかビビらな
いでほしい。
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子育て随筆byはやし浩司(90)

出版

 今、この原稿を新幹線の中で書いている。新しい本の出版のため、東京のO書店に行く途中
だ。雑誌を一通り読んで、パソコンの電源にスイッチを入れたとき、少しかすんだ空に富士山
が目に入った。列車のアナウンスは、「新富士です」と伝えていた。
 私は先ほどから、その本の出版のことを考えている。私の本というより、「出版」そのものだ。
こういう時代になってみると、「果して本など売れるだろうか」という迷いがないわけではない。
それに「これからは本の時代ではない」という迷いもある。そういう迷いが複雑に交錯する。

「売れるだろうか」という思いは、不況による。「日本はすでに大恐慌のまっただ中にいる」とい
う学者もいる。また「本の時代ではない」というのは、「インターネットの時代」ということ。これだ
けインターネットが発達すると、本の意味そのものがかすんでしまう。たとえば今回の出版のた
め、私はA四サイズで、約一三〇ページの原稿を書いた。プリントアウトしてみると、結構なボリ
ュームだが、ADSLで送信すると、わずか数秒足らずの量でしかない。CDというメディア一枚
があれば、こうした本なら、数百冊分、記録できてしまう。わざわざ印刷しなければならない理
由など、どこにもない。
 そこで「なぜ、今、本なのか」ということを再び考える。ひとつには、まだインターネットをしてい
ない人も、半数以上はいるということ。もうひとつには、インターネットといえども、本のもつ簡便
性には勝てないということ。本ならそれこそソファに寝転んででも読むことができる。それにこれ
は私がもつ幻想かもしれないが、やはり「思想というのは本という形で残して思想」である。電
子の情報はスイッチひとつで、簡単に消えてしまう。が、本は消えない。もともとこの世界そのも
のが、仮想世界※のようなものだから、現実の世界もインターネットの世界も、それほど違わ
ない。しかし本を手にすると、そこに自分の思想の質感を手で、直接味わうことができる。さら
にもうひとつつけ加えるなら、私のように浜松市という地方で細々とものを考えている人間に
は、本以外、中央に向かって働きかける手段がない。私は本を書くことで、自分の存在をはじ
めて世に訴えることができる。

 そんなわけで、こうして本を書いた。そしてそれを今、出版社へ届けようとしている。ただ自分
の意識が微妙に変化していることは事実だ。もう少し若いころは、原稿をかかえて東京に向か
うだけでも、どこかにときめきを感じた。しかし今は、どこか淡々としている。「こういう時代だか
ら、出してもらえるだけでも、ありがたい」とか、「どうせまた売れないだろう」とか考えてしまう。
それ以上に今、気になっているのは、今朝発行した電子マガジンのこと。「読者がふえるだろう
か」と、そちらのほうがより気になる。正直に告白するが、私は今、本を書くより、マガジンを書
いていたほうが充実感を覚える。読者もやっと六〇〇人になるかならないかというところで、本
の発行部数とは比較にならない。お金にもならない。が、しかし私と読者が直接つながっている
というのは、それだけでも楽しい。

 今、新幹線は熱海につくところだ。先ほどまであった空のカスミが消え、秋らしい晴れ晴れと
した青空が窓の外に広がった。
(02−9−12)※

※……私たちが今、見ている世界は、あくまでも脳に写った映像の世界でしかないということ。
そういう意味で、本という媒体であろうが、画面という媒体であろうが、脳に届く情報に違いはな
いということ。だから「仮想世界」と書いた。

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子育て随筆byはやし浩司(91)

思い切って捨てる!

 子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が少ない」「好き嫌いがある」「食事がのろい」な
ど。全体の三〇〜五〇%が、この問題をかかえている。が、そういう家庭ほど、家の中に食べ
物がゴロゴロしているもの。そこで私は、そういう親に向かっては、まず、「家の中から、食べ物
を一掃しなさい」と指導するようにしている。冷蔵庫はもとより、戸棚からも、一掃する。お菓子
類、スナック菓子類、アイスにプリンなど。パンや缶詰類、インスタント食品、ジュースも、だ。
が、そのとき、コツがある。
 その第一。思い切って、食べ物すべてを袋につめ、「捨てる」。……こう書くと、たいていの親
は、「もったいない」と思う。それはそのとおりで、もったいない。しかしそういう思いが、つぎから
の買い物習慣(グセ)を改めるきっかけになる。理由がある。

 ここにも書いたように、子どもの小食で悩んでいる家ほど、家の中に食べ物がゴロゴロしてい
る。そこで私が「一掃しなさい」と指導すると、たいていの親は「わかりました」と言いつつ、内心
では(多分?)、「もったいなから、今ある食べ物を食べてしまえばいい」と考える。そして実際、
食べてしまう。問題は、そのあと、起きる。

 しばらくは、私のアドバイスは有効で、親はそれなりに食べ物に気をつかう。買い物にも、気
をつかう。だからそれなりの効果が現れてくる。が、習慣というのは、そうは簡単には変えられ
ない。やがてその気が薄れてくると、親は、また以前の買い物グセを再開してしまう。つまり以
前と同じように、スーパーなどへ行くと、無意識のうちにも、お菓子類、スナック菓子類、アイス
にプリンなどをカゴにほうり込むようになる。そしてそれが、再び、子どもの小食問題を引き起
こす。
 言うまでもなく、子どもの小食の原因は、家庭にある。そしてその家庭は、親がつくる。言い
かえると、子どもの小食の問題は、親の問題。もっと言えば、親の習慣の問題である。つまり
その習慣を変えないかぎり、子どもの小食の問題は解決しない。そこで「捨てる」。

 たしかに食べ物を捨てるのは、もったいない。しかしそこは心を鬼にして、捨てる。「そんなも
ったいないことはできない」と思ったら、なおさら、そうする。そういう強い思いが、つぎからの買
い物グセを改める力になる。決していいかげんなままやり過ごしてはいけない。いいかげんな
ままやり過ごせば、結局は、親の決意もいいかげんなまま終わる。

 ここでいう「捨てる」というのは、言うなれば、自分へのショック療法と考えてほしい。自分を改
めるには、ときとして、自分にショックを与える。ショックは強ければ強いほど、よい。そのショッ
クが強ければ強いほど、自分を改める大きな力となる。だから「捨てる」。繰り返すが、子ども
の小食の問題は、親の問題、親自身がもつ、習慣の問題だからである。
(02−9−13)※

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子育て随筆byはやし浩司(92)

親の愛の押し売り

 愛を押し売りする人は、珍しくない。しかしこのタイプの人がやっかいなのは、自分にその意
識がないこと。「自分は親切だ」「相手のことを思ってしているのだ」という誤解と過信で、行動
する。以前、こんな女性(三〇歳くらい)がいた。

 私が幼稚園から帰ろうとすると、玄関のところで車を止めて待っていてくれるのだ。もちろん
頼んだわけではない。断ると、「どうぞ、どうぞ」と言って、一歩も引きさがらない。当時の私はま
だ若かった。それで乗ったのがまずかった。それで気をよくしたのか、それからもその女性は、
何だかんだと理由をつけては幼稚園へやってきては、私の世話をしようとした。夏の暑い日に
は、おしぼりを届けてくれたこともある。あるいは私が昼の弁当を、近くの弁当屋で買っている
と知ると、手料理を届けてくれたこともある。私はそのつど強く断ったのだが、その女性にはま
ったく通じない。そこである日、とうとう私の堪忍袋の緒が切れた。「もう結構ですから、ほって
おいてください!」と、大声で怒鳴った。が、それも通じなかった。数日もするとまた幼稚園へや
ってきて、とぼけた声で、「先生は、私を怒ったのですかア?」と。

 その女性のしたことは、今でいうストーカーに近い行為だった。しかしこの事件を通して、私は
あることを学んだ。それはその女性は、私に対して、「親切の押し売り」をしたわけだが、親に
よっては、同じようなことを、自分の子どもに対してしているということ。「子どもため」「子どもの
ため」と思いつつ、やはり誤解と過信で、子どもの世話を、し過ぎるほど、してしまう。代償的過
保護といわれているのが、そのひとつ。

代償的過保護というのは、見た目には過保護だが、結局は子どもを自分の思い通りにしたい
という、親のエゴに基づいた過保護をいう。たいていは親側の情緒的未熟性や、精神的な欠陥
が原因で、親は代償的過保護をするようになる。が、問題は代償的過保護そのものではなく、
(というのも、どんな親も、多かれ少なかれ、そういう傾向をもっているので)、そういう過保護を
しながら、それがゆがんだ過保護であることを、親自身が気づかないことである。そして一方、
子どもは子どもで、それを親の深い愛と誤解する……!

 この代償的過保護というのは、よく知られた現象だが、同じように、「親切の押し売り」や「親
の愛(?)の押し売り」をする人もまた、多い。何か言葉をつけるとしたら、「代償的愛」というこ
とになるのか。つまりは自分自身の心のすき間を埋めるための、自分勝手な愛だと思えばよ
い。その代償的愛のひとつに、溺愛がある。

 子どもを溺愛する親が感ずる愛というのは、形こそ違うが、まさにそれはストーカーが見せ
る、ストーカー的な愛と似ている。子ども(相手)のことなど、考えていない。一見子ども思いの
親に見えるが、その実、自分の心のすき間を埋めるために子どもを利用しているだけ。ある母
親は、毎日、幼稚園までやってきては、門のところで子どもの様子を盗み見していた。先生た
ちが、「だいじょうぶですよ」「私たちに任せてください」と言ったのだが、その母親自身は、それ
が深い親の愛の証(あかし)と考えていたようだった。あるいは毎朝、半時間もかけて、子ども
(年長女児)の髪の手入れをしていた母親もいた。私がある日、「毎日たいへんでしょう」と声を
かけると、その母親はむしろ誇らしげに、こう言った。「いいえ、楽しいです」と。私は半ば、皮肉
をこめてそう言ったのだが……。

 こうした代償的過保護にせよ、代償的愛にせよ、その親自身が、自分で気づくことはまず、な
い。今、そうであるあなただって、ひょっとしたら、「私はだいじょうぶ」と思っているかもしれな
い。しかしここで、一度、あなた自身を疑ってみてはどうだろうか。つぎの項目のうち、3個以上
当てはまれば、あなたはこのタイプの母親ということになる。

●子どもの意思にお構いなく、行動することがある。子どもの心を勝手に決めてしまうことが多
い。子どもが「いらない」と言っても、食事を用意して、それを食べさせるなど。
●もともとどちらかというと、わがままな性格で、何でも自分の思い通りにならないと気がすまな
い。子どもを結局は、自分の思い通りに動かしている。
●子どもの行動をいつも監視し、ああでもない、こうでもないと世話をやくことが多い。つきあっ
ている友人や、その友人との遊びまで干渉することが多い。
●親風を吹かすことが多く、「私は親だ」という意識が強い。子どもが親に反抗しようものなら、
「親に向かって、何よ!」という言葉が、よく口から出てくる。
●子どもだから、親を慕っているハズ、親に感謝しているハズと、「ハズ論」で子どもの心を決
めてかかることが多い。そして自分は、だれよりも深い親の愛の持ち主と思う。
●子どもは自分がいなければ何もできない存在と思う。そのため子どもの世話をするのは親
の努めと思っている。また子どもの世話をするのが楽しく、生きがいになっている。
(質問項目は試作品)

 それぞれの対処法については、サイト(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~
hhayashi/)を参照してください。)

(02−9−13)※

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子育て随筆byはやし浩司(93)

子どもの依存性

 依存心の強い子どもがいる。依存性が強く、自立した行動ができない。印象に残っている子
どもに、D君(年長児)という子どもがいた。帰りのしたくの時間になっても、机の前でただ立っ
ているだけ。「机の上のものを片づけようね」と声をかけても、「片づける」という意味そのもの
がわからない……、といった様子を見せる。そこであれこれジェスチャで、しまうように指示した
のだが、そのうち、メソメソと泣き出してしまった。多分、家では、そうすれば、家族のみながD
君を助けてくれるのだろう。
 一方、教える側からすれば、そういう涙にだまされてはいけない。涙といっても、心の汗。そう
いうときは、ただひたすら冷静に片づけるのを待つしかない。いや、内心では、D君がうまく片
づけられたら、みなでほめてやろうと思っていた。が、運の悪いことに(?)、その日にかぎっ
て、母親がD君を迎えにきていた。そしてD君の泣き声を聞きつけると、教室へ飛び込んでき
て、こう言った。ていねいだが、すごみのある声だった。「どうしてうちの子を泣かすのです
か!」と。
 そういう子どもというより、その子どもを包む環境を観察してみると、おもしろいことに気づく。
D君の依存性を問題にしても、親自身には、その認識がまるでないということ。そういうD君で
も、親は、「ふつうだ」と思っている。さらに私があれこれ問題にすると、「うちの子は、生まれつ
きそうです」とか、「うちではふつうです」とか言ったりする。そこでさらに観察してみると、親自身
が依存性に甘いというか、そういう生き方が、親自身の生き方の基本になっていることがわか
る。そこで私は気がついた。子どもの依存性は、相互的なものだ、と。こういうことだ。

 親自身が、依存性の強い生き方をしている。つまり自分自身が依存性が強いから、子どもの
依存性に気づかない。あるいはどうしても子どもの依存性に甘くなる。そしてそういう相互作用
が、子どもの依存性を強くする。言いかえると、子どもの依存性だけを問題にしても、意味がな
い。子どもの依存性に気づいたら、それはそのまま親自身の問題と考えてよい。……と書くと、
「私はそうでない」と言う人が、必ずといってよいほど、出てくる。それはそうで、こうした依存性
は、ある時期、つまり青年期から壮年期には、その人の心の奥にもぐる。外からは見えない
し、また本人も、日々の生活に追われて気づかないでいることが多い。しかしやがて老齢期に
さしかかると、また現れてくる。よくある例が、自立できない老人たち。

 あるときひとりの叔母から電話がかかってきた。「何ごとか」と思って電話に出ると、叔母はあ
れこれ世間話をしたあと、こう言った。「おばちゃんも、年をとったからね……」と。同情をかうよ
うな、今にも死にそうな声といったほうがよいかもしれない。それほど、弱々しい声だった。が、
それを聞いたとき、私には、「だから何とかしてくれ」と言っているように聞こえた。いや、そうい
う言い方は、依存心の強い子どもがよく使う。たとえば何かを食べたいときも、「食べたい」とは
言わない。「おなかがすいたア〜」と言う。のどがかわいたときも、「のどがかわいたア〜」と言
う。こういう言い方を、『だから何とかしてくれ』言葉というが、そう言いながら、相手が何かをし
てくれることを期待する。で、私はあわてて叔母に会いにいった。が、驚いたことに声の様子と
はまったく違って、ピンピンしていた。それもそのはず。当時、叔母はまだ五〇歳になったばか
り。今から思うと、伯母もまだそんな年齢でなかったはず。今の私が五四歳だから、それがよく
わかる。

 こうした日本人独特の依存性は、恐らく日本に生まれ育った人にはわからない。体にしみ込
んでいるというより、日本人を包む社会全体が、そうなっている。ここにも書いたように、「おば
ちゃんも、年をとったからね……」という言い方でもわかるように、『だから何とかしてくれ』言葉
が、ごく日常的な、当たり前の言い方になっている。が、本来そうであってはいけない。老人は
ともかくも、子育てでは、そうであってはいけない。子育ての目標は、子どもを自立させること。
すべてはここから始まり、ここで終わる。言いかえると、子どもの中に依存性を感じたら、親自
身が自分の中の依存性と戦う。その戦いなくして、子どもの自立は、ありえない。
(02−9−13)

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子育て随筆byはやし浩司(94)

当世、親子事情

●ストーカーする母親

 一人娘が、ある家に嫁いだ。夫は長男だった。そこでその娘は、夫の両親と同居することに
なった。ここまではよくある話。が、その結婚に最初から最後まで、猛反対していたのが、娘の
実母だった。「ゆくゆくは養子でももらって……」「孫といっしょに散歩でも……」と考えていた
が、そのもくろみは、もろくも崩れた。
 が、結婚、二年目のこと。娘と夫の両親との折り合いが悪くなった。すったもんだの家庭騒動
の結果、娘夫婦と、夫の両親は別居した。まあ、こういうケースもよくある話で、珍しくない。し
かしここからが違った。
 娘夫婦は、同じ市内の別のアパートに引っ越したが、その夜から、娘の実母(実母!)による
復讐が始まった。実母は毎晩夜な夜な娘に電話をかけ、「そら、見ろ!」「バチが当たった!」
「親を裏切ったからこうなった!」「私の人生をどうしてくれる。お前に捧げた人生を返せ!」と。
それが最近では、さらにエスカレートして、「お前のような親不孝者は、はやく死んでしまえ!」
「私が死んだら、お前の子どもの中に入って、お前を一生、のろってやる!」「親を不幸にした
ものは、地獄へ落ちる。覚悟しておけ!」と。それだけではない。どこでどう監視しているのか
わからないが、娘の行動をちくいち知っていて、「夫婦だけで、○○レストランで、お食事? 結
構なご身分ですね」「スーパーで、特売品をあさっているあんたを見ると、親としてなさけなくて
ね」「今日、あんたが着ていたセーターね、あれ、私が買ってあげたものよ。わかっている
の!」と。
 娘は何度も電話をするのをやめるように懇願したが、そのたびに母親は、「親に向かって、
何てこと言うの!」「親が、娘に電話をして、何が悪い!」と。そして少しでも体の調子が悪くな
ると、今度は、それまでとはうって変わったような弱々しい声で、「今朝、起きると、フラフラする
わ。こういうとき娘のあんたが近くにいたら、病院へ連れていってもらえるのに」「もう、長いこと
会ってないわね。私もこういう年だからね、いつ死んでもおかしくないわよ」「明日あたり、私の
通夜になるかしらねえ。あなたも覚悟しておいてね」と。

●自分勝手な愛

 親が子どもにもつ愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛。ここでいう
代償的愛というのは、自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手でわがままな愛をいう。た
いていは親自身に、精神的な欠陥や情緒的な未熟性があって、それを補うために、子どもを
利用する。子どもが親の欲望を満足させるための道具になることが多い。そのため、子ども
を、一人の人格をもった人間というより、モノとみる傾向が強くなる。いろいろな例がある。

 Aさん(六〇歳・母親)は、会う人ごとに、「息子なんて育てるものじゃ、ないですねえ。息子
は、横浜の嫁にとられてしまいました」と言っていた。息子が結婚して横浜に住んでいることを、
Aさんは、「取られた」というのだ。
 Bさん(四五歳・母親)の長男(現在一八歳)は、高校へ入学すると同時に、プツンしてしまっ
た。断続的に不登校を繰り返したあと、やがて家に引きこもるようになった。原因ははげしい受
験勉強だった。しかしBさんには、その自覚はなかった。つづいて二男にも、受験期を迎えた
が、同じようにはげしい受験勉強を強いた。「お兄ちゃんがダメになったから、あんたはがんば
るのよ」と。ところがその二男も、同じようにプツン。今は兄弟二人は、夫の実家に身を寄せ、
そこから、ときどき学校に通っている。
 Cさん(六五歳・母親)は、息子がアメリカにある会社の支店へ赴任している間に、息子から
預かっていた土地を、勝手に転売してしまった。帰国後息子(四〇歳)が抗議すると、Cさんは
こう言ったという。「親が、先祖を守るために息子の金を使って、何が悪い!」と。Cさんは、息
子を、金づるくらいにしか考えていなかったようだ。その息子氏はこう話した。「何かあるたび
に、私のところへきては、一〇〜三〇万円単位のお金をもって帰りました。私の長男が生まれ
たときも、その私から、母は当時のお金で、三〇万円近く、もって帰ったほどです。いつも『か
わりに貯金しておいてやるから』が口ぐせでしたが、今にいたるまで、一円も返してくれません」
と。
 Dさん(六〇歳・女性)の長男は、ハキがなく、おとなしい人だった。それもあって、Dさんは、
長男の結婚には、ことごとく反対し、縁談という縁談を、すべて破談にしてしまった。Dさんはい
つも、こう言っていた。「へんな嫁に入られると、財産を食いつぶされる」と。たいした財産があ
ったわけではない。昔からの住居と、借家が二軒あっただけである。
 ……などなど。こういう親は、いまどき、珍しくも何ともない。よく「親だから……」「子だから…
…」という、『ダカラ論』で、親子の問題を考える人がいる。しかしこういうダカラ論は、ものの本
質を見誤らせるだけではなく、かえって問題をかかえた人たちを苦しめることになる。「実家の
親を前にすると、息がつまる」「盆暮れに実家へ帰らねばならないと思うだけで、気が重くなる」
などと訴える男性や女性はいくらでもいる。さらに舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)との折り合いが悪
く、家庭騒動を繰り返している家庭となると、今では、そうでない家庭をさがすほうが、むずかし
い。中には、「殺してやる!」「お前らの前で、オレは死んでやる!」と、包丁やナタを振り回して
いる舅すら、いる。
 そうそう息子が二人ともプツンしてしまったBさんは、私にも、ある日こう言った。「夫は学歴が
なくて苦労しています。息子たちにはそういう苦労をさせたくないので、何とかいい大学へ入っ
てもらいたいです」と。

●子どもの依存性

 人はひとりでは生きていかれない存在なのか。「私はひとりで生きている」と豪語する人です
ら、何かに依存して生きている。金、モノ、財産、名誉、地位、家柄など。退職した人だと、過去
の肩書きに依存している人もいる。あるいは宗教や思想に依存する人もいる。何に依存する
かはその人の勝手だが、こうした依存性は、相互的なもの。そのことは、子どもの依存性をみ
ているとわかる。

 依存心の強い子どもがいる。依存性が強く、自立した行動ができない。印象に残っている子
どもに、D君(年長児)という子どもがいた。帰りのしたくの時間になっても、机の前でただ立っ
ているだけ。「机の上のものを片づけようね」と声をかけても、「片づける」という意味そのもの
がわからない……、といった様子。そこであれこれジェスチャで、しまうように指示したのだが、
そのうち、メソメソと泣き出してしまった。多分、家では、そうすれば、家族のみながD君を助け
てくれるのだろう。
 一方、教える側からすれば、そういう涙にだまされてはいけない。涙といっても、心の汗。そう
いうときは、ただひたすら冷静に片づけるのを待つしかない。いや、内心では、D君がうまく片
づけられたら、みなでほめてやろうと思っていた。が、運の悪いことに(?)、その日にかぎっ
て、母親がD君を迎えにきていた。そしてD君の泣き声を聞きつけると、教室へ飛び込んでき
て、こう言った。ていねいだが、すごみのある声だった。「どうしてうちの子を泣かすのです
か!」と。
 そういう子どもというより、その子どもを包む環境を観察してみると、おもしろいことに気づく。
D君の依存性を問題にしても、親自身には、その認識がまるでないということ。そういうD君で
も、親は、「ふつうだ」と思っている。さらに私があれこれ問題にすると、「うちの子は、生まれつ
きそうです」とか、「うちではふつうです」とか言ったりする。そこでさらに観察してみると、親自身
が依存性に甘いというか、そういう生き方が、親自身の生き方の基本になっていることがわか
る。そこで私は気がついた。子どもの依存性は、相互的なものだ、と。こういうことだ。

 親自身が、依存性の強い生き方をしている。つまり自分自身が依存性が強いから、子どもの
依存性に気づかない。あるいはどうしても子どもの依存性に甘くなる。そしてそういう相互作用
が、子どもの依存性を強くする。言いかえると、子どもの依存性だけを問題にしても、意味がな
い。子どもの依存性に気づいたら、それはそのまま親自身の問題と考えてよい。……と書くと、
「私はそうでない」と言う人が、必ずといってよいほど、出てくる。それはそうで、こうした依存性
は、ある時期、つまり青年期から壮年期には、その人の心の奥にもぐる。外からは見えない
し、また本人も、日々の生活に追われて気づかないでいることが多い。しかしやがて老齢期に
さしかかると、また現れてくる。先にあげた親たちに共通するのは、結局は、「自立できない親」
ということになる。

●子どもに依存する親たち

 日本型の子育ての特徴を、一口で言えば、「子どもが依存心をもつことに、親たちが無頓着
すぎる」ということ。昔、あるアメリカの教育家がそう言っていた。つまりこの日本では、親にベタ
ベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とする。一方、独立心が旺盛で、親を
親とも思わない子どもを、「鬼っ子」として嫌う。私が生まれ育った岐阜県の地方には、まだそう
いう風習が強く残っていた。今も残っている。親の権威や権力は絶対で、親孝行が今でも、最
高の美徳とされている。たがいにベタベタの親子関係をつくりながら、親は親で、子どものこと
を、「親思いの孝行息子」と評価し、子どもは子どもで、それが子どもの義務と思い込んでい
る。こういう世界で、だれかが親の悪口を言おうものなら、その子どもは猛烈に反発する。相手
が兄弟でもそれを許さない。「親の悪口を言う人は許さない!」と。
 今風に言えば、子どもを溺愛する親、マザーコンプレックス(マザコン)タイプの子どもの関係
ということになる。このタイプの子どもは、自分のマザコン性を正当化するために、親を必要以
上に美化するので、それがわかる。

 こうした依存性のルーツは、深い。長くつづいた封建制度、あるいは日本民族そのものがも
つ習性(?)とからんでいる。私はこのことを、ある日、ワイフとロープウェイに乗っていて発見し
た。

●ロープウェイの中で

 春のうららかな日だった。私とワイフは、近くの遊園地へ行って、そこでロープウェイに乗っ
た。中央に座席があり、そこへ座ると、ちょうど反対側に、六〇歳くらいの女性と、五歳くらいの
男の子が座った。おばあちゃんと孫の関係だった。その二人が、私たちとは背中合わせに、会
話を始めた。(決して盗み聞きしたわけではない。会話がいやおうなしに聞こえてきたのだ。)
その女性は、男の子にこう言っていた。

 「オバアちゃんと、イッチョ(一緒)、楽しいね。楽しいね。お山の上に言ったら、オイチイモノ
(おいしいもの)を食べようね。お小づかいもあげるからね。オバアちゃんの言うこと聞いてくれ
たら、ホチイ(ほしい)ものを何でも買ってあげるからね」と。
 
 一見ほほえましい会話に聞こえる。日本人なら、だれしもそう思うだろう。が、私はその会話
を聞きながら、「何か、おかしい」と思った。六〇歳の女性は、孫をかわいがっているように見え
るが、その実、孫の人格をまるで認めていない。まるで子どもあつかいというか、もっと言え
ば、ペットあつかい! その女性は、五歳の子どもに、よい思いをさせるのが、祖母としての努
めと考えているようなフシがあった。そしてそうすることで、祖母と孫の絆(きずな)も太くなると、
錯覚しているようなフシがあった。
 しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえばこの日本では、誕生日にせよ、クリスマスにせ
よ、より高価なプレゼントであればあるほど、親の愛の証(あかし)であると考えている人は多
い。また高価であればあるほど、子どもの心をつかんだはずと考えている人は多い。しかし安
易にそうすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。仮に一時的に子どもの心をつか
むことはできても、あくまでも一時的。理由は簡単だ。

●釣竿を買ってあげるより、一緒に釣りに行け

 人間の欲望には際限がない。仮に一時的であるにせよ、欲望をモノやお金で満足させた子
どもは、つぎのときには、さらに高価なものをあなたに求めるようになる。そのときつぎつぎとあ
なたがより高価なものを買い与えることができれば、それはそれで結構なことだが、それがい
つか途絶えたとき、子どもはその時点で自分の欲求不満を爆発させる。そしてそれまでにつく
りあげた絆(本当は絆でも何でもない)を、一挙に崩壊させる。「バイクぐらい、買ってよこせ!」
「どうして私だけ、夏休みにオーストラリアへ行ってはダメなの!」と。
 イギリスには、『子どもには釣竿を買ってあげるより、子どもと一緒に、魚釣りに行け』という
格言がある。子どもの心をつかみたかったら、モノを買い与えるのではなく、よい思い出を一緒
につくれという意味だが、少なくとも、子どもの心は、モノやお金では釣れない。それはさてお
き、その六〇歳の女性がしたことは、まさに、子どもを子どもあつかいすることにより、子どもを
釣ることだった。

 しかし問題はこのことではなく、なぜ日本人はこうした子育て観をもっているかということ。ま
た周囲の人たちも、「ほほえましい光景」と、なぜそれを容認してしまうかということ。ここの日本
型子育ての大きな問題が隠されている。
 それが、私がここでいう、「長くつづいた封建制度、あるいは日本民族そのものがもつ習性
(?)とからんでいる」ということになる。つまりこの日本では、江戸時代の昔から、あるいはそ
れ以前から、『女、子ども』という言い方をして、女性と子どもを、人間社会から切り離してき
た。私が子どものときですら、そうだった。NHKの大河ドラマ『利家とまつ』あたりを見ている
と、江戸時代でも結構女性の地位は高かったのだと思う人がいるかもしれないが、江戸時代
には、女性が男性の仕事に口を出すなどということは、ありえなかった。とくに武家社会ではそ
うで、生活空間そのものが分離されていた。日本はそういう時代を、何百年間も経験し、さらに
不幸なことに、そういう時代を清算することもなく、現代にまで引きずっている。まさに『利家とま
つ』がそのひとつ。いまだに封建時代の圧制暴君たちが英雄視されている!
 が、戦後、女性の地位は急速に回復した。それはそれだが、しかし取り残されたものがひと
つある。それが『女、子ども』というときの、「子ども」である。

●日本独特の子ども観

 日本人の多くは、子どもを大切にするということは、子どもによい思いをさせることだと誤解し
ている。もう一〇年近くも前のことだが、一人の父親が私のところへやってきて、こう言った。
「私は忙しい。あなたの本など、読むヒマなどない。どうすればうちの子をいい子にすることがで
きるのか。一口で言ってくれ。そのとおりにするから」と。
 私はしばらく考えてこう言った。「使うことです。子どもは使えば使うほど、いい子になります」
と。
 それから一〇年近くになるが、私のこの考え方は変わっていない。子どもというのは、皮肉な
ことに使えば使うほど、その「いい子」になる。生活力が身につく。忍耐力も生まれる。が、なぜ
か、日本の親たちは、子どもを使うことにためらう。はからずもある母親はこう言った。「子ども
を使うといっても、どこかかわいそうで、できません」と。子どもを使うことが、かわいそうという
のだが、どこからそういう発想が生まれるかといえば、それは言うまでもなく、「子どもを人間と
して認めていない」ことによる。私の考え方は、どこか矛盾しているかのように見えるかもしれ
ないが、その前に、こんなことを話しておきたい。

●友として、子どもの横を歩く

 昔、オーストラリアの友人がこう言った。親には三つの役目がある、と。ひとつはガイドとし
て、子どもの前を歩く。もうひとつは、保護者として、子どものうしろを歩く。そして三つ目は、友
として、子どもの横を歩く、と。
 日本人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意。しかし友として、子どもの横を歩くのが苦手。
苦手というより、そういう発想そのものがない。もともと日本人は、上下意識の強い国民で、た
った一年でも先輩は先輩、後輩は後輩と、きびしい序列をつける。男が上、女が下、夫が上、
妻が下。そして親が上で、子が下と。親が子どもと友になる、つまり対等になるという発想その
ものがない。ないばかりか、その上下意識の中で、独特の親子関係をつくりあげた。私がしば
しば取りあげる、「親意識」も、そこから生まれた。
 ただ誤解がないようにしてほしいのは、親意識がすべて悪いわけではない。この親意識に
は、善玉と悪玉がある。善玉というのは、いわゆる親としての責任感、義務感をいう。これは子
どもをもうけた以上、当然のことだ。しかし子どもに向かって、「私は親だ」と親風を吹かすのは
よくない。その親風を吹かすのが、悪玉親意識ということになる。「親に向かって何だ!」と怒鳴
り散らす親というのは、その悪玉親意識の強い人ということになる。先日もある雑誌に、「父親
というのは威厳こそ大切。家の中心にデーンと座っていてこそ父親」と書いていた教育家がい
た。そういう発想をする人にしてみれば、「友だち親子」など、とんでもない考え方ということにな
るに違いない。
 が、やはり親子といえども、つきつめれば、人間関係で決まる。「親だから」「子どもだから」と
いう「ダカラ論」、「親は〜〜のはず」「子どもは〜〜のはず」という「ハズ論」、あるいは「親は〜
〜すべき」「子は〜〜すべき」という、「ベキ論」で、その親子関係を固定化してはいけない。固
定化すればするほど、本質を見誤るだけではなく、たいていのばあい、その人間関係をも破壊
する。あるいは一方的に、下の立場にいるものを、苦しめることになる。

●子どもを大切にすること

 話を戻すが、「子どもを人間として認める」ということと、「子どもを使う」ということは、一見矛
盾しているように見える。また「子どもを一人の人間として大切にする」ということと、「子どもを
使う」ということも、一見矛盾しているように見える。とくにこの日本では、子どもをかわいがると
いうことは、子どもによい思いをさせ、子どもに楽をさせることだと思っている人が多い。そうで
あるなら、なおさら、矛盾しているように見える。しかし「子育ての目標は、よき家庭人として、子
どもを自立させること」という視点に立つなら、この考えはひっくりかえる。こういうことだ。
 いつかあなたの子どもがあなたから離れて、あなたから巣立つときがくる。そのときあなた
は、子どもに向かってこう叫ぶ。
 「お前の人生はお前のもの。この広い世界を、思いっきり羽ばたいてみなさい。たった一度し
かない人生だから、思う存分生きてみなさい」と。つまりそういう形で、子どもの人生を子ども
に、一度は手渡してこそ、親は親の務めを果たしたことになる。安易な孝行論や、家意識で子
どもをしばってはいけない。もちろんそのあと、子どもが自分で考え、親のめんどうをみるとか、
家の心配をするというのであれば、それは子どもの問題。子どもの勝手。しかし親は、それを
子どもに求めてはいけない。期待したり、強要してはいけない。あくまでも子どもの人生は、子
どものもの。
 この考え方がまちがっているというのなら、今度はあなた自身のこととして考えてみればよ
い。もしあなたの子どもが、あなたのためや、あなたの家のために犠牲になっている姿を見た
ら、あなたは親として、それに耐えられるだろうか。もしそれが平気だとするなら、あなたはよほ
ど鈍感な親か、あるいはあなた自身、自立できない依存心の強い親ということになる。同じよう
に、あなたが親や家のために犠牲になる姿など、美徳でも何でもない。仮にそれが美徳に見え
るとしたら、あなたがそう思い込んでいるだけ。あるいは日本という、極東の島国の中で、そう
思い込まされているだけ。
 子どもを大切にするということは、子どもを一人の人間として自立させること。自立させるとい
うことは、子どもを一人の人間として認めること。そしてそういう視点に立つなら、子どもに社会
性を身につけさえ、ひとりで生きていく力を身につけさせるということだということがわかってく
る。「子どもを使う」というのは、そういう発想にもとづく。子どもを奴隷のように使えということで
は、決して、ない。

●冒頭の話

 さて冒頭の話。実の娘に向かって、ストーカー行為を繰り返す母親は、まさに自立できない親
ということになる。いや、私はこの話を最初に聞いたときには、その母親の精神状態を疑った。
ノイローゼ? うつ病? 被害妄想? アルツハイマー型痴呆症? 何であれ、ふつうではな
い。嫉妬に狂った女性が、ときどき似たような行為を繰り返すという話は聞いたことがある。そ
ういう意味では、「娘を取られた」「夢をつぶされた」という点では、母親の心の奥で、嫉妬がか
らんでいるかもしれない。が、問題は、母親というより、娘のほうだ。
 純粋にストーカー行為であれば、今ではそれは犯罪行為として類型化されている。しかしそ
れはあくまでも、男女間でのこと。このケースでは、実の母親と、実の娘の関係である。それだ
けに実の娘が感ずる重圧感は相当なものだ。遠く離れて住んだところで、解決する問題ではな
い。また実の母親であるだけに、切って捨てるにしても、それ相当の覚悟が必要である。ある
いは娘であるがため、そういう発想そのものが、浮かんでこない。その娘にしてみれば、母親
からの電話におびえ、ただ一方的に母親にわびるしかない。実際、親に、「産んでやったでは
ないか」「育ててやったではないか」と言われると、子どもには返す言葉がない。実のところ、私
も子どものころ母親に、よくそう言われた。しかしそれを言われた子どもはどうするだろうか。反
論できるだろうか。……もちろん反論できない。そういう子どもが反論できない言葉を、親が言
うようでは、おしまい。あるいは言ってはならない。仮にそう思ったとしても、この言葉だけは、
最後の最後まで言ってはならない。言ったと同時に、それは親としての敗北を認めたことにな
る。が、その娘の母親は、それ以上の言葉を、その娘に浴びせかけて、娘を苦しめている。も
っと言えば、その母親は「親である」というワクに甘え、したい放題のことをしている。一方その
娘は、そのワクの中に閉じ込められて、苦しんでいる。
 私もこれほどまでにひどい事件は、聞いたことがない。ないが、親子の関係もゆがむと、ここ
までゆがむ。それだけにこの事件には考えさせられた。と、同時に、輪郭(りんかく)がはっきり
していて、考えやすかった。だから考えた。考えて、この文をまとめた。
(02−9−14)※

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子育て随筆byはやし浩司(95)

恩師

 学生時代の恩師が、今度の土曜日に我が家へ遊びに来てくれる。日本ユネスコ協会の会長
もしたし、日本化学会の会長もした。いくつかの学会や国際学会の会長もした。日本学士院賞
も受賞している。が、私がその恩師を尊敬するのは、地位や肩書きではなく、人間性だ。そうい
う意味では、その恩師はまさに神の領域に入った人物である。ただ奥さんだけは、恩師が五〇
歳を過ぎたころなくしている。奥さんは、日本を代表するT自動車メーカーの元会長の妹氏と聞
いている。で、私はある日、メールで、「先生、あの世はあるのですか」と聞いた。それに対し
て、その恩師はこう返事をくれた。「死んだらワイフに会って、長く待たせてごめんねと言います
よ」と。

 その恩師がこの浜松へくるのは、学会があるからだ。そのついでに私の家に来てくれる。マ
スコミの世界では目立たない人だが、天皇皇后の前で、御前講義をしたこともあるという。私か
ら見れば、雲の上の、そのまた上の人ということになる。が、出会いが出会いだったから、私に
はそういう意識があまりない。「友」というには、恐れ多いが、それに近い関係だった。そう、私
は三か月という短い期間だったが、その恩師と、メルボルン大学のカレッジで、寝食をともにで
きたことを、生涯の誇りにしている。もし私がその恩師に会わなければ、今ごろの私は、かなり
ゆがんだ人間になっていたと思う。

 今、恩師は八〇歳近い高齢になった。が、その年齢になっても、生き方はいつも前向き。今
は大学教育の改革に情熱を燃やしている。外国の文献を翻訳しては、ときどき私に届けてくれ
る。まさに知性のかたまりのような論文である。私はそういう論文を読むたびに、「人は自分の
知性を、ここまで昇華させることができるものか」と、ただただ驚く。議論するといっても、レベル
もジャンルも違うから、議論にはならない。多分、恩師にしてみれば、私など、とるに足りない、
つまりそこらにころがっている石ころのような存在なのだろう。それはわかっているが、私も結
構、負けず嫌いだし、無鉄砲なところがある。しかしその恩師にだけは頭があがらない。いつも
バカにされながら、それを甘受している。で、今、その恩師から別のことを学びつつある。それ
はまさに私自身の老後のことだ。

 その恩師は、今でも光り輝いている。理由はわかりきっている。恩師は、いつも前向きに生き
ている。その姿が、恩師を輝かせている。「ぜひ我が家で一泊してください」と頼むと、その恩師
はこう言った。「いえ、翌朝、東京で学会がありますから、帰ります」と。忙しい人といえば、忙し
い人だが、そういう忙しさの中で、自分を輝かせている。もちろん私など、その恩師の足元にも
およばない。しかし生きザマはおおいに参考になる。仏教にも「精進」という言葉がある。人間
は死ぬまで、ただひたすら進歩すること。それこそが仏の道というわけだが、立ち止まったとき
が、死ぬときかもしれない。少しおおげさな言い方に聞こえるかもしれないが、今、恩師はそれ
を私に教えてくれている。
(02−9−14)※

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子育て随筆byはやし浩司(96)

人間関係

 エイズと戦っている一人の患者の手記を読んだ。一〇ページ足らずの英文の手記※だった。
アメリカに住む若い人が書いた手記なので、それほど内容的には深い文章ではなかった。が、
その中に、いくつか、はっと思うようなことが書いてあった。たとえばエイズになって、だれが真
の友で、だれがそうでないかがわかったとか、家族の大切さが改めてわかったとか、など。が、
その中でも、つぎのことを読んだときには、はっとした。こうあった。
「エイズが発病してからというもの、時間がたいへん貴重になった。意味のない人と、意味のな
い会話をすることが苦痛になった。そういう人とはすぐ別れる」と。

 私も五〇歳を過ぎてから、ときどき、同じように思うようになった。が、最初は、それは悪いこ
とだと思った。だれとでもつきあい、だれとでも会話をすることこそ大切で、人を意味のある人
と、そうでない人で、区別をしてはいけない、と。しかし本当の私は、別のほうに進み始めた。い
つも心のどこかで、意味のある人と、そうでない人を区別するようになってしまった。利益があ
るとか、ないとか、そういうことではない。が、そのことを思い知らされたのは、A氏(五四歳)に
会ったときのことだ。

 ほぼ二五年ぶりにA氏に会った。偶然、通りを歩いていて会った。で、会話がはずみ、一緒に
昼食でも食べようということになった。が、そのうち、会話がまったくかみあっていないのに気づ
いた。どこか薄っぺらい会話で、つかみどころがない。一通り家族や、仕事の話をしたのだが、
それ以上に話が進まない。そこで聞くと、A氏はこう話してくれた。
 「家での楽しみは、野球中継を見ること。休みは釣り。雨の日はパチンコ」と。「本や新聞は読
んでいるのか。インターネットはしているのか」と聞くと、「読んでいるのは、スポーツ新聞だけ。
インターネットはしていない」と。A氏はA氏なりに自分の世界で、自分の仕事をしてきた。しかし
その二五年間で、そしてその仕事を通して、A氏は何をつかんだというのか。

 だからといって、私が「何かをつかんだ人間」と言うつもりはない。おそらくA氏から見れば、
私はつまらない人間かもしれない。酒は飲まない。バクチもしない。女遊びもしない。野球の話
すら、できない。そういう意味では人の心というのは、カガミのようなもの。私がA氏をつまらな
い人間と思っているなら、(決して「つまらない人」と思っているのではない。仮に、そう思ったと
するならという話)、同じようにA氏も私をつまらない人間と思っているもの。
 が、私は正直に告白する。私はそのA氏と早く別れたかった。何かしら時間をムダにしている
ように感じだった。が、一方で、別の私がそれに抵抗した。「二五年ぶりではないか」「友は大
切にしなければならない」と。が、それでも「ムダ」という思いが、心をふさいだ。私は懸命に、自
分にこう言って聞かせた。「お前は冷たい人間だ。ムダと思うのは、お前の冷酷さによるもの
だ」と。

 しかし本当に私は冷たい人間なのか。「時間をムダにしている」と感ずることは、私が冷たい
からなのか。今でもそれはわからないが、私はあるがままに生きてみようと思う。ムダと思った
ら、ムダなのだ。そしてムダと思ったら、はやく別れればよい。……と考えていたところで、冒頭
の手記を読んだ。だからはっとした。
 その患者は、あとがきによると、そのあと二年間の闘病生活のあと、なくなっている。つまりそ
の手記を書いたとき、自分の命がそれほど長くないことを知っていたはずだ。私も五〇歳をす
ぎて、人生の終わりをそこに感ずるようになったが、深刻さの度合いは、その患者とくらべた
ら、はるかに低い。そういう患者が、「時間がたいへん貴重になった。意味のない人と、意味の
ない会話をすることが苦痛になった。そういう人とはすぐ別れる」と書いているのだ。私は私の
生き方に自信をもったというか、「ああ、今のままでいいのだ」と思いなおすことができた。

 さあて、私はこれから先、人間関係を整理する。たとえば今でも、私の知人や友人のフリをし
ながら、陰で、敵対行為をしている人が、何人かいる。こうして書いたエッセーでも、いちいちア
ラを見つけては、「これはあの人のことだ」「ここに書いてあるのは、あんたのことだ」と、告げ口
をしあっている人がいる。私はそういう人でも、知人や友人ということで、今まではつきあってき
た。しかしもうやめる。もうそういう人は、知人でも友人でもない。私はかつて一度だって、個人
攻撃をするために、文を利用したことなど、ない。それをしたら、私はおしまいとさえ思ってい
る。いろいろな人のことは書くが、それは別の目的で書いている。そんなことは、私のエッセー
の全体を読んでもらえば、すぐわかることだ。
……と、少し話が脱線したが、このところ、「生きるとはどういうことか」と、またまたよく考えるよ
うになった。ムダが悪いわけではないが、私には今、ムダにできる時間など、どこにもない。そ
れだけは確かだ。
(02−9−14)※

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子育て随筆byはやし浩司(97)

家族の問題

 家族の問題は、他人が考えるほど、簡単なことではない。つい先日、久しぶりに、学生時代
の友人(横浜市在住・五五歳)と会った。「浜松へ来たので、駅で会おう」と。で、その友人が、
こんな話をしてくれた。

 その友人には、一人の兄がいる。病弱で、今は神奈川県のZ市でひとり暮らしをしている。年
齢は六六歳。が、このところ、ますます体が弱くなり、いよいよだれかがめんどうをみなければ
ならないという状態になった。そこで友人の伯父が、その友人に、「何とかしてやれ」と迫ってき
ているという。

 が、その友人の兄は、独身。見た目には静かでおだやかな感じがする人らしいが、少しゆが
んだ性癖をもっている。以前、もう少し若いころはよくその友人の家に遊びにきたのだが、友人
や友人の奥さんの目を盗んでは、奥さんの下着をタンスから出してながめていたという。あるい
は友人がいないときに、一度だけだが、奥さんに抱きついたこともあるという。「いえね、ワイフ
が風呂に入ったりすると、(兄は)意味もなく脱衣所のまわりをウロウロするのです」と。そのた
め、その友人は、兄を引き取ろうにも、引き取れない、と。「兄と同居すると言ったら、ワイフが
家を出ますよ」とも。

さらに一見、平和で、ことなく生活しているかのように見える友人家族だが、いろいろ問題があ
る。友人の長男は高校時代から不登校を繰り返し、もう三〇歳になるが、定職にはつかず、今
でも家でブラブラしている。その友人にしても、六年前にリストラされ、今は小さな倉庫会社で、
倉庫管理の仕事をしている。奥さんも、パートの仕事をするようになって、もう一〇年になる。
が、無頓着な人というには、どの世界にもいるもの。その友人の伯父がそうだ。友人はこう言っ
た。

 「私が学生のころ、兄は父の仕事を手伝っていました。伯父はそれを言うのですね。『お前
は、だれのおかげで大学を出られたかわかっているのか』と、です。しかし年齢が一一歳も離
れているため、私には兄と遊んだという記憶がどこにもないのです。まったくないと言ったほう
が正しいかもしれません。で、この二五年間、わずかな金額ですが、生活費と、それに税金な
どのめんどうはみてきました。しかし伯父に、兄の性癖の話などできますか」と。

 それぞれの家庭には、それぞれ、複雑な事情がある。そういう事情も知らず、あれこれ他人
(たとえ親戚であっても)が、口を出してはいけない。口を出すなら出すで、金銭的なめんどうを
みるべき。口を出すくらいなら、だれにでもできる。……というのは、過激な意見だが、家庭問
題というのは、そういうもの。
別れるときその友人は、ケラケラと笑いながら新幹線に乗り込んでいったが、どこかさみしそう
だった。
(02−9−15)※

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子育て随筆byはやし浩司(98)

正直に生きることの勇気

 この日本、正直に生きるということだけでも、勇気がいる。いや、勇気にも、二種類ある。他
人に向かう勇気と、自分に向かう勇気だ。こんなことがあった。

 魚屋でいくつかの食品と、煮干の入ったパックを三つ買った。一パック、八〇〇円。三パック
で、二四〇〇円。しかしレジの女性は、一パック五〇〇円で計算し、三パックで一五〇〇円とし
た。私はおもむろに、「これは一パック、八〇〇円ですよ」と告げた。その女性はうれしそうに笑
って礼を述べたが、私はその女性のためにそうしたのではない。自分自身のためにそうした。
礼など言われる筋あいではない。

 日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが年となり、やがてその人の人格をつくる。
で、その日々の積み重ねとは何かと言えば、その瞬間瞬間の行いをいう。もし私がそうした場
面で、小ズルイことをしていれば、私はやがてそのタイプの人間になってしまう。たとえその場
で、一〇〇〇円近く「得をした」(?)としても、これは私にとっては大きな損失だ。が、私はここ
で考えた。

 この日本では、資本主義が原則になっている。金儲けだ。で、その金儲けは何かということに
なれば、それは「だましあい」。私は自転車屋という商人の家に生まれ育ったので、そのあたり
のだましあいが、どういうものであるかを、よく知っている。たとえば一〇〇〇円で仕入れたも
のを、客の顔色を見ながら、二〇〇〇円で売りつける。相手が、「高いね」と不満を口にすれ
ば、その場で適当にウソを並べて、「まあ、いいでしょう。あなたですから、一五〇〇円にしてお
きます」と言う。こういう芸当が即座にできなければ、商人など務まらない。

 ……となると、レジの女性が値段を打ちまちがえたということは、それはレジの女性のミスと
いうことになる。商人の世界では、ミスは、ミスしたものの責任ということになる。そのためこう
いうケースでは、客はふつう黙っている。こう書くと叱られるかもしれないが、少なくとも私が知
っている世界では、黙っている。もともと商売というのは、そういうもの。だまされたとしても、だ
まされたほうが悪い。ミスをすれば、ミスをしたほうが悪い。つまりこの日本では、正直に生きよ
うと思えば思うほど、損をする。そういうしくみができあがってしまっている。つまり正直に生きる
ということは、同時に損をするということ。自ら自分を損の世界に、押し込むことになる。だから
勇気がいる。

 この点、私のワイフは、純朴な女性だから、ものごとを深く考えない。あとになって、「おかしい
と思ったけど、安くしてくれたのかしらと思ったわ」と、平然と言ってのける。人を疑うことすら知
らないから、値段もそのまま信じてしまう。だから問題意識ももたない。が、私はそうではない。
レジの女性がカチカチと打ったその瞬間、別の脳が同時進行の形で、合計金額を計算する。
これは私のクセのようなものだ。だからレジの女性が値段を打ちまちがえると、即座に「ちがい
ますよ」と言う。そしてそういう能力が、かえってわざわいする。あれこれ悩む原因となる。

 が、やはり正直に生きる。とくに私は、幼児期が貧しかったから、ふと油断すると、醜い自分
に押し戻されてしまう。私はもともとは小ズルイ人間だし、小ズルイことをするのに、それほど抵
抗がない。だから余計に、自分の老後が心配になる。今は何とか気力で、そういう醜い自分を
押し隠している。が、その気力が弱くなったとき、それがモロに表面に出てくる。その可能性
は、じゅうぶん、ある。それがこわい。こわいから、今から、少しずつ、自分を変えなければなら
ない。時間がない。いや、もう間に合わないかもしれない。だから、私は正直に、そのレジの女
性に、まちがいを告げた。しかしそれはあくまでも、私のためだ。レジの女性のためではない。
だから礼を言われる筋あいではない。
(02−9−15)※

(追記)
 岐阜は関西商人の経済圏に入っているから、ものの値段など、あってないようなもの。買い
物にしても、定価(正札)で買う人などいない。即座にその場で、値段の交渉を始める。が、こ
の浜松というところは、東京の経済圏に入っている。だから値段の交渉をする人はいない。私
はこの浜松に移り住むようになって、三〇年になるが、そのため、いまだに戸惑いを覚えること
がある。
 そういう意味では、浜松の人は、正直だ。少なくとも岐阜の人たちよりは、あるがままに生き
ている。自分を飾らないし、偽らない。もともと街道筋の宿場町で発達した町ということもある。
古い伝統や文化が根づかなかったという欠点はあるが、一方、何からなにまで、どこかさっぱ
りしている。ものの考え方が合理的、先進的、開放的。世界をリードする、ホンダ、スズキ、ヤ
マハ、カワイ、ローランドなどの各会社が、この浜松から生まれた背景には、そういう理由があ
る。
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子育て随筆byはやし浩司(99)

セックス&セックスレス

 ワイフが、こんな話をした。「テレビの人生相談を見ていたけど、八年間で、一度しかセックス
をしない夫婦がいるんだって」と。聞くと、まだお互いに三〇代前半の夫婦だという。私はその
話を聞いたとたん、「もったいない」「信じられない」「夫婦って何だ」「おかしい」「かわいそうに」
といろいろ考えた。
 「もったいない」というのは、これは男の本能のようなもの。三〇歳くらいの若い女性を見る
と、心のどこかで「裸になって肌をこすり合わせたら、さぞかし気持ちいいだろうな」と考える。そ
ういう自分が、「もったいない」と思わせる。
 「信じられない」「夫婦って何だ」「おかしい」というのは、夫婦はセックスをして、夫婦なのだ。
何を隠そう、私など、今のワイフとつきあい始めたときからほぼ一〇年間、朝晩、毎日欠かさ
ず、一〜二回はワイフとセックスをしていた。ホント! 毎日自転車通勤で下半身を鍛えていた
から、そういうことができたのかもしれない。ときどきワイフが、「私は、身がもたない。浮気でも
してきて!」と、こぼすほどだった。

 ……ここで残念ながら、ワイフ・ストップがかかった。これ以上、私たちのセックスについて書
くことはできない。ワイフの名誉の問題もある。またいつか、別の機会に書くことにして、話を戻
す。

 セックスレスが悪いというのではない。人それぞれだし、それでうまくいっている夫婦はいくら
でもいる。ただ若いときは、セックスをすることで、たがいの心を開き、わかりあえるということ
はある。セックスをするということは、まさに自分をさらけ出すこと。あるいはセックス以外に、
自分をさらけ出すという方法はあるのか。いや、セックスをしたからといって、自分をすべてさら
け出すことができるかといえば、そうではない。やり方をまちがえると、ただの排泄行為に終わ
ってしまう。セックスにも限界がある。

 まあ、私もワイフと結婚生活を三〇年近くもしてきたから、いろいろなことはあった。まだ二〇
代のころだが、スワッピング(夫婦交換)をしないかともちかけられたこともある。もちかけてき
たのは、生徒の母親だった。しかしワイフがああいうカタブツ人間だから、実現しなかった。
 若い母親たちだけでつくる、秘密クラブのようなものもあった。それにも誘われたことがある。
「美人妻クラブへ来ませんか」と。私は最初は冗談だと思ったが、本当にそういうクラブだった。
私が断ると、「先生の知っている人で、口のかたい人はいませんか。お金持ちなら大歓迎!」
と。

 この世界には、いろいろなことがある。が、何が驚いたかと言って、母親が自分の娘(高三)
を、私にさしだし、「セックスの指導をしてやってほしい」ともちかけられたときほど、驚いたこと
はない。このときは、私はあれこれ口実をつくって、その場から逃げたので、ことなきをえたが
……。しかしそれにしても……! 
私はもともと岐阜の山奥育ちだから、セックスというと、どこかに、うしろめたい「暗さ」を感ず
る。その暗さが、いろいろな場面で、ブレーキとなって働いた。が、そういう暗さをまったく感じな
い人も多い。……らしい。実に、あっけらかんとしている。いろいろいきさつはあったが、私に面
と向かって、「私のアレは、一〇万人に一人の名器だって、夫(産婦人科医)がいつも、そう言
っていますわ。先生、ためしてみます?」と言われたこともある。……などなど。こういう話はこ
こまでにしておくが、もともとセックスというのは、そういうものかもしれない。意味があるようで、
それほどない。ひょっとしたら、小便や大便と同じ、ただの排泄行為かもしれない。今の今も、
目の前の栗の木の間で、野性のハトたちが、こと忙しそうに交尾を繰り返している。そういうの
を見ていると、「人間も同じだなあ」とか、「人間がそういうハトとちがうと考えるほうがおかしい」
と思う。たがいの合意があれば、もっとセックスを楽しんでもよいのではないか、とも。とくに八
年間もセックスレスというのは、夫はかまわないが、妻がかわいそうだ。セックスで得る快感と
いうのは、ほかでは経験できない。あの快感は、まさに人間が生物としてもつ特権のようなも
の。その特権を、自ら封印してしまうとは!

 ……この話は、教育論とは関係ないので、ここまでにしておく。ただいろいろなことがあって、
私はこの道に入ってからというもの、この問題に関しては、「我、関せず」を貫いている。若い人
たちのセックスについても、だ。「どうぞ、ご勝手に」と言いつつ、「病気にだけは気をつけろよ」
と言うようにしている。そういう相談はいままで一度もなかったから、これはあくまでも仮定の話
だが、もし女子中学生からセックスの相談を受けても、私はそう言うだろうと思う。「どうぞ、ご
勝手に。病気にだけは気をつけろよ」と。
(02−9−15)

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子育て随筆byはやし浩司(100)

意識のズレ

 こんな事件があった。あなたはこの事件を知って、どう思うだろうか。この問題を考えながら、
あなた自身の心の中をのぞいてみてほしい。

 Kさん(四五歳)が、久しぶりに叔父(六三歳)の家を訪れた。久しぶりといっても、半年程度。
で、Kさんは、叔父の家に行くまでの途中、道路沿いのレストランで軽く食事をすました。それ
ほど深く考えて、そうしたわけではない。入りやすそうなレストランだったから、そうした。
 で、叔父の家を訪れた。別のところへ行く途中のことで、叔父に軽いあいさつをするつもり
で、そうした。が、ここで事件が起きた。(事件というような、おおげさなものではないかもしれな
いが……。)
叔父の家に着くと、叔父はそれを喜び、「食事をしていけ」と、Kさんに迫った。そこでKさんは、
「今、レストランで食事をしてきたところだ」と言って、それを断った。しかし叔父のほうが、譲ら
なかった。「いいから、食べていけ。遠慮するな!」と。そしてすかさず奥にいた、叔父の妻に向
かって、「おい、○○(妻の名前は呼び捨て)、すぐ食事の用意をしろ!」と怒鳴った。
 しかし食事の用意など、急に言われてできるものではない。叔父自身は、自分では食事の用
意など、したことがない。そこで妻が、「急に言われても……」としぶった。当然のことだ。が、そ
の態度に叔父が腹をたてた。そして再び、妻に向かって、「さっさと、用意しろ!」と怒鳴った。
が、ここでその妻がキレた。このところの不況で、生活も決して楽ではない。妻は、その叔父
に、「今、食べてきたと言っておられるでしょ!」と。
 そのやりとりを聞いた、Kさんは……?

 ここで意見がふたつに分かれる。叔父の妻の態度は当然だという意見。もうひとつは叔父の
妻の態度は好ましくないという意見。あなたはどちらの意見を支持するだろうか。その前に、こ
の事件の背景には、いくつかの問題が隠されている。

●無理に「食事をしていけ」と迫った叔父の態度……地方によっては、食事に誘うのが、習慣
になっているところがある。たとえば岐阜県の飛騨地方では、昼飯時には、相手に向かって、
「食事を食べていかないか」というのが、ひとつの会話言葉になっている。しかしそれはあくまで
も礼儀上の言葉。言われたほうは、たとえおなかがすいていても、「今、食べてきました」と断る
のがふつう。で、Kさんは、「食べてきたから、いらない」と断った。にもかかわらず、その叔父
は、Kさんに食べていくように迫った。その地方の習慣とはいえ、その叔父の発想は、きわめて
自己中心的である。

●「用意しろ!」と怒鳴った叔父の態度……今どき妻に向かって、「用意しろ!」と怒鳴る夫は
少ない。しかし田舎のほうへ行くと、いまだに男尊女卑思想は根強く残っている。妻を家政婦か
女中(失礼! この言葉は禁止用語になっている)くらいにしか思っていない夫は、いくらでもい
る。もしそれほど用意したければ、自分ですればよい。しかしこのタイプの男性にかぎって、「男
が料理などするものではない」と、かたくなに信じている。

●「急に言われても……」としぶった、叔父の妻の態度……文中に書いたように、これは当然
のことだ。私もときどき山荘に友人や知人を招いて接待するが、食事の用意をするというの
は、たいへんな重労働。前もってかなり準備をしていても、そのたいへんさは、それほど変わら
ない。急に言われて、用意できるものではない。

 が、問題はここから始まる。
 叔父と叔父の妻の会話を聞いた、Kさんは、その会話をどう感ずるか、である。そこであなた
自身をその場に置いてみてほしい。あなたがKさんだとしたら、あなたはどう感ずるだろうか。
先にも書いたように、ここで意見が二つに分かれる。

(1)叔父の言っていることは、めちゃめちゃ。妻がかわいそうだし、自分のことで妻が怒鳴られ
ているとしたら、落ち着かない。叔父と妻の間に割って入って、もう一度、はっきりと食事を断
る。 

(2)叔父の妻は、叔父の命令どおり、たいへんでも、食事の用意をすべき。食事の用意をしな
いというのは、Kさんを歓迎していないという意思表示になる。それはKさんにしても、不愉快な
ことだ。妻が人前で夫に、あからさまに逆らうことは、好ましくない。

 実は、この話をしてくれたのは、Kさん自身である。そしてそのKさんは、こう言った。「私は、
叔父の奥さんに腹がたったわ。何も私に聞こえるように言わなくてもいいと思うの。私、不愉快
だったから、『失礼します』と言って、叔父の家を出てきたわ」と。

 私はKさんのこの話を聞いて、二重に驚いた。本来なら同じ女性であるKさんは、叔父の妻
の立場を理解し、妻の味方をしなければならない。そのKさんが、男である叔父の立場を擁護
している? 身内ということも、あったのかもしれない。日本にはまだ男尊女卑思想が根強く残
っている。しかしその男尊女卑思想を、二三%※の女性自らが、容認し、支えていることを忘
れてはならない。Kさんは、その二三%の中に入る人と考えてよい。

 さてあなたはどちらの考え方に近いだろうか。ここから先は、あなた自身で考えてみてほし
い。意識のズレというのは、こわいもの。一方の立場に立つと、他方がまちがってみえる。しか
し他方の立場に立ってみると、一方のほうがまちがってみえる。どちらがどうということではない
かもしれないが、今の私は、(1)の「叔父の言っていることは、めちゃめちゃ。妻がかわいそう
だ」という意見を支持する。さて、あなたは、どちらだろうか。
(02−9−15)※

※……国立社会保障人口問題研究所の調査によると、男女の平等には反対という女性が、
二三・三%もいるそうだ。「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、七六・
七%。その反面、「反対だ」と答えた女性も二三・三%。男性側の意識改革だけではなく、女性
側の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべき
だ」と答えた女性は、半数以上の五二・三%もいる(同調査)。

いいのか、いいのか、日本の女性たち! みんなで変えよう、この日本!


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