はやし浩司

2002−9〜
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はやし浩司

子育て随筆(101〜200)



子育て随筆byはやし浩司(101)

自分のこと

●ある読者からのメール
 一人のマガジン読者から、こんなメールが届いた。「乳がんです。進行しています。診断され
たあと、地獄のような数日を過ごしました」と。

 ショックだった。会ったことも、声を聞いたこともない人だったが、ショックだった。その日はた
またま休みだったが、そのため、遊びに行こうという気持ちが消えた。消えて、私は一日書斎
に座って、猛烈に原稿を書いた。

●五五歳という節目
 私はもうすぐ五五歳になる。昔で言えば、定年退職の年齢である。実際、近隣に住む人たち
のほとんどは、その五五歳で退職している。私はそういう人たちを若いときから見ているので、
五五歳という年齢を、ひとつの節目のように考えてきた。だから……というわけではないが、何
となく、私の人生がもうすぐ終わるような気がしてならない。この一年間、「あと一年」「あと半
年」「あと数か月……」と思いながら、生きてきた。が、本当に来月、一〇月に、いよいよ私は、
その五五歳になる。もちろん私には定年退職はない。引退もない。死ぬまで働くしかない。しか
しその誕生日が、私にとっては大きな節目になるような気がする。

●私は愚かな人間だった
 私は愚かだった。愚かな人間だった。若いころ、あまりにも好き勝手なことをしすぎた。時間
というのが、かくも貴重なものだとは思ってもみなかった。その日、その日を、ただ楽しく過ごせ
ればよいと考えたこともある。今でこそ、偉そうに、多くの人の前に立ち、講演したりしている
が、もともと私はそんな器(うつわ)ではない。もしみなさんが、若いころの私を知ったら、おそら
くあきれて、私から去っていくだろう。そんな私が、大きく変わったのは、こんな事件があったか
らだ。

●母の一言で、どん底に!
 私はそのとき、幼稚園の講師をしていた。要するにモグリの講師だった。給料は二万円。大
卒の初任給が六〜七万円の時代だった。そこで私は園長に相談して、午後は自由にしてもら
った。自由にしてもらって、好き勝手なことをした。家庭教師、塾の講師、翻訳、通訳、貿易の
代行などなど。全体で、一五〜二〇万円くらいは稼いでいただろうか。しかしそうして稼ぐ一
方、郷里から母がときどきやってきて、私から毎回、二〇万円単位で、お金をもって帰った。私
は子どもとして、それは当然のことと考えていた。が、そんなある夜。私はその母に電話をし
た。

 私は母にはずっと、幼稚園の講師をしている話は隠していた。今と違って、当時は、幼稚園
の教師でも、その社会的地位は、恐ろしく低かった。おかしな序列があって、大学の教授を頂
点に、その下に高校の教師、中学校の教師、そして小学校の教師と並んでいた。幼稚園の教
師など、番外だった。私はそのまた番外の講師だった。幼稚園の職員会議にも出させてもらえ
ないような身分だった。

 「すばらしい」と思って入った幼児教育の世界だったが、しばらく働いてみると、そうでないこと
がわかった。苦しかった。つらかった。そこで私は母だけは私をなぐさめてくれるだろうと思っ
て、母に電話をした。が、母の答は意外なものだった。私が「幼稚園で働いている」と告げる
と、母は、おおげさな泣き声をあげて、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア、誤ったア!」と、何
度も繰り返し言った。とたん、私は、どん底にたたきつけられた。最後の最後のところで私を支
えていた、そのつっかい棒が、ガラガラと粉々になって飛び散っていくのを感じた。

●目が涙でうるんで……
 その夜、どうやって自分の部屋に帰ったか覚えていない。寒い冬の夜だったと思うが、カンカ
ンとカベにぶつかってこだまする自分の足音を聞きながら、「浩司、死んではだめだ。死んでは
だめだ」と、自分に言ってきかせて歩いた。

 部屋へ帰ると、つくりかけのプラモデルが、床に散乱していた。私はそのプラモデルをつくっ
て、気を紛らわそうとしたが、目が涙でうるんで、それができなかった。私は床に正座したまま、
何時間もそのまま時が流れるのを待った。いや、そのあとのことはよく覚えていない。一晩中
起きていたような気もするし、そのまま眠ってしまったような気もする。ただどういうわけか、あ
のプラモデルだけは、はっきりと脳裏に焼きついている。

●その夜を契機(けいき)に……
 振り返ってみると、その夜から、私は大きく変わったと思う。その夜をさかいに、タバコをやめ
た。酒もやめた。そして女遊びもやめた。もともとタバコや酒は好きではなかったから、「やめ
た」というほどのことではないかもしれない。しかしガールフレンドは、何人かいた。学生時代
に、大きな失恋を経験していたから、女性に対しては、どこかヤケッパチなところはあった。と
っかえ、ひっかえというほどではなかったかもしれないが、しかしそれに近い状態だった。一、
二度だけセックスをして別れた女性は、何人かいる。それにその夜以前の私は、小ずるい男
だった。もともと気が小さい人間なので、大きな悪(わる)はできなかったが、多少のごまかしを
することは、何でもなかった。平気だった。

 が、その夜を境に、私は自分でもおかしいと思うほど、クソまじめになった。どうして自分がそ
うなったかということはよくわからないが、事実、そうなった。私は、それ以後の自分について、
いくつか断言できることがある。たとえば、人からお金やモノを借りたことはない。一度だけ一
〇円を借りたことがあるが、それは緊急の電話代がなかったからだ。もちろん借金など、した
ことがない。どんな支払いでも、一週間以上、のばしたことはない。たとえ相手が月末でもよい
と言っても、私は、その支払いを一週間以内にすました。ゴミをそうでないところに、捨てたこと
はない。ツバを道路にはいたこともない。あるいはどこかで結果として、ひょっとしたらどこかで
人をだましているかもしれないが、少なくとも、意識にあるかぎり、人をだましたことはない。聞
かれても黙っていることはあるが、ウソをついたことはない。ただひたすら、まじめに、どこまで
もまじめに生きるようになった。

●もっと早く自分を知るべきだった
 が、にもかかわらず、この後悔の念は、どこから生まれるのか。私はその夜を境に、自分が
大きく変わった。それはわかる。しかしその夜に、自分の中の自分がすべて清算されたわけで
はない。邪悪な醜い自分は、そのまま残った。今も残っている。かろうじてそういう自分が顔を
出さないのは、別の私が懸命にそれを抑えているからにほかならない。しかしふと油断すると、
それがすぐ顔を出す。そこで自分の過去を振り返ってみると、自分の中のいやな自分というの
は、子どものころから、その夜までにできたということがわかる。私はそれほど恵まれた環境で
育っていない。戦後の混乱期ということもあった。その時代というのは、まじめな人間が、どこ
かバカに見えるような時代だった。だから後悔する。私はもっと、はやい時期に、自分の邪悪
な醜い自分に気づくべきだった。

●猛烈に原稿を書いた
 私は頭の中で、懸命にその乳がんの女性のことを考えた。何という無力感。何という虚脱
感。それまでにもらったメールによると、上の子どもはまだ小学一年生だという。下の子ども
は、幼稚園児だという。子育てには心労はつきものだが、乳がんというのは、その心労の範囲
を超えている。「地獄のような……」という彼女の言い方に、すべてが集約されている。五五歳
になった私が、その人生の結末として、地獄を味わったとしても、それはそれとして納得でき
る。仮に地獄だとしても、その地獄をつくったのは、私自身にほかならない。しかしそんな若い
母親が……!

 もっとも今は、医療も発達しているから、乳がんといっても、少しがんこな「できもの」程度のも
のかもしれない。深刻は深刻な病気だが、しかしそれほど深刻にならなくてもよいのかもしれな
い。私はそう思ったが、しかしその読者には、そういう安易なはげましをすることができなかっ
た。今、私がなすべきことは、少しでもその深刻さを共有し、自分の苦しみとして分けもつこと
だ。だから私は遊びに行くのをやめた。やめて、一日中、書斎にこもって、猛烈に原稿を書い
た。そうすることが、私にとって、その読者の気持ちを共有する、唯一の方法と思ったからだ。
(02−9−16)※

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子育て随筆byはやし浩司(102)

ふるさと

かつて室生犀星(むろうさいせい・詩人、小説家・一八八九〜一九六二)は、こう歌った。「♪ふ
るさとは遠きにありて思うふもの」と。
 犀星の生活はかなり苦しかったらしい。故郷の金沢を出るときも、生活苦もあって、追われる
ようにして出ていったと聞いている。だから「♪遠きにありて思ふもの」と。
私は学生時代、合唱団の一員として、この歌を何度も歌ったことがある。なつかしい歌だ。今
でもこの歌を口ずさむと、あのころの私がありありとよみがえってくる。

             ふるさとは遠きにありて思ふもの
             そして悲しくうたふもの
             よしや
             うらぶれて異土の乞食となるとても
             帰るところにあるまじや
             ひとり都のゆふぐれに
             ふるさとおもひ涙ぐむ
             そのこころもて
             遠きみやこにかへらばや
             遠きみやこにかへらばや
                       [小景異情ーその二] より

 それはさておき、「ふるさと」という言葉には、独特の響きがある。それはちょうど、数千キロ
の旅を経たサケを、生まれ故郷の川に引き戻すような「響き」ではないか。「本能的な郷愁」と
言ってもよい。人間のばあいは、「水」だけではなく、風土、風習、方言、食べ物すべてが、体に
しみついている。実際、そういうものを自分の中で断ち切ることは不可能と言ってもよい。ふる
さとからどれだけ遠く離れて住んでも、自分という人間は、いつも心のどこかでそのふるさとと
のつながりを求めている? ……こう断言するのは危険なことかもしれないが、大多数の人に
とっては、そうではないかと思う。
 ただ、そのふるさとが、その人にとっていつも心温まるものであるかどうかとなると、一概には
言えない。自分のふるさとを忌み嫌っている人も少なくない。たとえば犀星もこの歌の中で、
「(ふるさとは)悲しく歌ふもの」と表現している。つまりふるさととのつながりを切ることもできな
いが、さりとて、すなおな気持ちで受け入れることもできない、と。これはそういう思いをもった
人には、たいへんな葛藤(かっとう)と言ってもよい。

 私も故郷の岐阜県のM市を離れて、もう三七年になる。もともと出たくて出たくてしかたなかっ
た町だから、ほとんど未練はない。同窓生とのつきあいも、一人、二人をのぞいて、まったくな
い。たまに中学校や高校の同窓会に出たりするが、私の居場所すらない。たいていは儀礼的
なあいさつと、中身のない会話をして、それで終わってしまう。それにこれは私だけの印象かも
しれないが、どこかみな、虚栄の張りあいをしているように感ずることも多い。もう少しすなお
に、たがいの心を開きあったら、同窓会も楽しいものになるのだろうが、三七年という年月は、
それにしても長すぎる。少し前までは、盆踊りでよく歌われる「かわさき」(岐阜県郡上郡の民
謡)を聞いたりすると、それなりになつかしく思ったものだが、このところはそれもない。それに
私のばあい、ここに書いたように、あの町から出たくて出たくてしかたなかったということもあ
る。

 私のばあい、家庭の中にすら、自分の居場所がなかった。街中の小さな自転車屋で、二面を
道路に面していた。自分の部屋どころか、家族が憩う、憩いの場所すらなかった。台所も居間
(居間と言えるような居間ではなかった)も、そのまま人が通る通路になっていた。そんなわけ
で私は毎日、真っ暗になるまで、外で遊んでいた。今から思い出しても、当時はどこの家もそう
だったが、どこかの貧しい国の貧しい家そのものだった。
 おまけに私の父は酒乱で、数日おきに酒を飲んでは、家の中で暴れた。今でも赤い夕日を
見ると、言いようのない不安感に襲われるのは、そのためだ。その時刻になると、いつも父が
酔っぱらって、通りをフラフラ歩いていた。私は子どもながらに、夕方になるたびに、「今日は、
酒を飲むのではないか」と、ハラハラしていた。いや、それ以上につらかったのは、自分のプラ
イドが、ズタズタにされたことだった。だから、私にとってのふるさとは、ほとんどの人がもつふ
るさととは、違ったものだと思う。あるいは犀星が歌ったふるさとに、近い。私にとってのふるさ
とは、まさに「♪ふるさとは遠きにありて思ふもの。そして悲しくうたふもの」ということになる。

 ただ残念なのは、そういう私の心とは裏腹に、私を知る人が、「ふるさとはなつかしいハズだ」
と私の心を決めてかかることだ。実のところ、私の母もそう言っている。しかし私は、私のワイ
フや子どもに、いつもこう言っている。「私が死んでも、どうか遺骨は、あのふるさとの墓地にだ
けは入れないでほしい」と。日本の法律では許されないことかもしれないが、死んだら日本の領
海外でもよいから、私は自分の遺骨を、あの広い海に捨ててほしいと願っている。

 ふるさとに対する思いというのは、人それぞれではないのか。今、室生犀星の「ふるさと」を思
い出したので、この文を書いた。
(02−9−16)※

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父のうしろ姿(中日新聞に書いたコラムより)

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私の
父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒屋で
酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。そんなわけで私には、つらい毎
日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から帰ってくるときも、家が近づくと、
あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を飲んでフラフラと通りを歩いてい
た。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。のんき
な子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パーティを開くとい
う。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけた。
片づけながら、ふと三男にこう聞いた。「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくない
か」と。すると三男は、「どうして?」と聞いた。理由など言っても、三男には理解できないだろ
う。私には私なりのわだかまりがある。私は高校生のとき、そういうことをしたくても、できなか
った。友だちの家に行っても、いつも肩身の狭い思いをしていた。「今度、はやしの家で集まろ
う」と言われたら、私は何と答えればよいのだ。父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どう
やって隠せばよいのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母ですら、
どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが奇異な感じ
がした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。四〇歳を過ぎるころになると、その
当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。商売べたの父。いや、父だって必死
だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「Jストアよりも安いものもあります」と、どこ
か的はずれな広告を、店先のガラス戸に張りつけていた。「よそで買った自転車でも、パンク
の修理をさせていただきます」という広告を張りつけたこともある。しかもそのJストアに自転車
を並べていたのが、父の実弟、つまり私の叔父だった※。叔父は父とは違って、商売がうまか
った。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやしかったのだろう。戦争の後遺症もあった。父
はますます酒に溺れていった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だからう
しろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついてみたら、うし
ろには誰もいない。そんなことも多い。ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそ
れを教えてくれた。客がいない日は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。
あるいは油で汚れた作業台に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを
思いやると、今、私が感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だろう。
いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。「パパ、ありがとう」と。
そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。

vこの部分について、その実弟の長男、つまり私の従兄弟から、「事実と違う」という電話をもら
った。「その店に自転車を並べたのは、父ではなく、私だ」と。しかし私はその叔父が好きだっ
たし、ここにこう書いたからといって、叔父や従兄弟をどうこう思っているのではない。別のとこ
ろでも書いたが、そういう宿命は、商売をする人にはいつもついて回る。だれがよい人で、だれ
が悪い人と書いているのではない。誤解のないように。

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子育て随筆byはやし浩司(103)

フェムト秒

 ある科学の研究者から、こんなメールが届いた(〇二年九月)。いわく……

「今週(今日ですと先週と言うのでしょうか)は葉山の山の上にある国際村センターで日独のジョ
イントセミナーがありました。私の昔からの親しい友人(前にジャパンプライズを受けたノーベル
賞級の人)が来ると言うので、近くでもあるし、出させてもらいました。 今は固体表面に吸着し
た分子一個一個を直接見ながらそれにエネルギーを加えて反応を起こさせたり、フェムト秒単
位(一秒を10で15回繰り返して割った短い時間)でその挙動を追っかけたり、大変な技術が発
達してきました」と。

 このメールによれば、@固体表面に吸着した分子を直接見ることができる。Aフェムト秒単
位で、その分子の動きを観察できる、ということらしい。それにしても、驚いた。ただ、@の分子
を見ることについては、もう二〇年前から技術的に可能という話は聞いていたので、「へえ」と
いう驚きでしかなかった。しかし「フェムト秒単位の観察」というのには驚いた。わかりやすく言う
と、つまり計算上では、一フェムト秒というのは、10の15乗倍して、やっと1秒になるという時
間である。反対に言えば、1000兆分の1秒ということになる。さらに反対に言えば、1000兆
秒というのは、この地球上の3100万年分に相当する。計算するだけでも、わけがわからなく
なるが、一フェムト秒というのは、そういう時間をいう。

こういう時間があるということ自体驚きである。もっともこれは理論上の時間で、人間が観察で
きる時間ではない。しかしこういう話を聞くと、「では、時間とは何か」という問題を、考えざるを
えなくなってしまう。もし人間が、一フェムト秒を、一秒にして生きることができたら、そのたった
一秒で、3100万年分の人生を生きることになる! ギョッ!

 昔、こんなSF小説を読んだことがある。だれの作品かは忘れたが、こういう内容だった。

 ある惑星の知的生物は、珪素(けいそ)主体の生物だった。わかりやすく言えば、体中がガ
チガチの岩石でできた生物である。だからその生物が、自分の指を少し動かすだけでも、地球
の人間の時間で、数千年から数万年もかかる。一歩歩くだけでも、数十万年から数百万年も
かかる。しかし動きというのは相対的なもので、その珪素主体の生物にしてみれば、自分たち
がゆっくりと動いている感覚はない。地球上の人間が動いているように、自分たちも、ごく自然
に動いていると思っている。
 ただ、もしその珪素主体の生物が、反対に人間の世界を望遠鏡か何かで観察したとしても、
あまりに動きが速すぎて、何も見えないだろうということ。彼らが一回咳払いする間に、地球上
の人間は、数万年の時を経て、発生、進化の過程を経て、すでに絶滅しているかもしれない!

 ……こう考えてくると、ますます「時間とは何か」わからなくなってくる。たとえば私は今、カチカ
チカチと、時計の秒針に合わせて、声を出すことができる。私にとっては短い時間だが、もしフ
ェムト秒単位で生きている生物がいるとしたら、そのカチからカチまでの間に、3100万年を過
ごしたことになる。となると、また問題。このカチからカチまでを一秒と、だれが、いつ、どのよう
にして決めたか。

 アインシュタインの相対性理論から始まって、今では第一一次元の世界まで存在することが
わかっているという。(直線の世界が一次元、平面の世界が二次元、立体の世界が三次元、
そしてそれに時間が加わって、四次元。残念ながら、私にはここまでしか理解できない。)ここ
でいう時間という概念も、そうした次元論と結びついているのだろう。
たとえば空間にしても、宇宙の辺縁に向かえば向かうほど、相対的に時間が長くなれば、(反
対に、カチからカチまで、速くなる。)宇宙は、永遠に無限ということになる。たとえばロケットに
乗って、宇宙の果てに向かって進んだとする。しかしその宇宙の果てに近づけば近づくほど、
時間が長くなる。そうなると、そのロケットに乗っている人の動きは、(たとえば地球から望遠鏡
で見ていたとすると)、ますますめまぐるしくなる。地球の人間が、一回咳払いする間に、ロケッ
トの中の人間は、数百回も世代を繰り返す……、あるいは数千回も世代を繰り返す……、つま
りいつまでたっても、ロケットの中の人間は、地球から見れば、ほんのすぐそばまで来ていなが
ら、宇宙の果てにはたどりつけないということになる。

 こういう話を、まったくの素人の私が論じても意味はない。しかし私はその科学者からメール
を受け取って、しばらく考え込んでしまった。「時間とは何か」と。私のような素人でもわかること
は、時間といえども、絶対的な尺度はないということ。これを人間にあてはめてみると、よくわか
る。たとえばたった数秒を、ふつうの人が数年分過ごすのと同じくらい、密度の濃い人生にする
ことができる人がいる。反対に一〇年生きても、ただただ無益に過ごす人もいる。もう少しわか
りやすく言うと、不治の病で、「余命、残りあと一年」と宣告されたからといって、その一年を、ほ
かの人の三〇年分、四〇年分に生きることも可能だということ。反対に、「平均寿命まで、あと
三〇年。あと三〇年は生きられる」と言われながらも、その三〇年を、ほかの人の数日分にし
か生きられない人もいるということ。どうも時間というのは、そういうものらしい。いや、願わく
ば、私も一フェムト秒単位で生きて、一秒、一秒で、それぞれ3100万年分の人生を送ること
ができたらと思う。もちろんそれは不可能だが、しかし一秒、一秒を長くすることはできる。仮に
もしこの一秒を、たったの二倍だけ長く生きることができたとしたら、私は自分の人生を、(平
均寿命まであと三〇年と計算して)、あと六〇年、生きることができることになる。

 ……とまあ、何とも理屈っぽいエッセーになってしまったが、しかしこれだけは言える。幼児が
過ごす時間を観察してみると、幼児のもつ時間の単位と、四〇歳代、五〇歳代の人がもつ時
間の単位とはちがうということ。当然のことながら、幼児のもつ時間帯のほうが長い。彼らが感
ずる一秒は、私たちの感ずる一秒の数倍以上はあるとみてよい。もっとわかりやすく言えば、
私たちにとっては、たった一日でも、幼児は、その一日で、私たちの数日分は生きているという
こと。あるいはもっとかもしれない。つまり幼児は、日常的にフェムト秒単位で生活している! 
これは幼児の世界をよりよく理解するためには、とても大切なことだと思う。あくまでも参考まで
に。
(02−9−17)※

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子育て随筆byはやし浩司(104)

無価値という恐怖

 自分が無価値と思うとき感ずる恐怖ほど、恐ろしいものはない。それは腹の底から、身をえ
ぐられるような恐怖と言ってもよい。生きる意味もない。生きる目的もない。生きる支えもない。
自分を理解してくれる人もいなければ、生きるための人もいない。仏教では、孤独を無間地獄
のひとつにあげているが、この恐怖も、ひょっとしたら、孤独と同じくらい恐ろしいものかもしれ
ない。いくら「私は私だ」と言ったところで、人は他者とのかかわりをもってはじめて、人でいら
れる。かかわりがなかったら、人は人でなくなってしまう。それがわからなければ、こんな世界
を想像してみればよい。

 その惑星は、犬族が支配する惑星である。簡単な言葉(ワンワンとか、ワォーワォーとか、そ
ういう言葉)しかなく、もちろん文字も文化もない。そういう世界にあなたひとりだけが落とされ、
その世界で住むようになったとする。いくらあなたが犬族の王であったとしても、また数億匹の
犬があなたの従ったとしても、あなたは決して心の満足感を得られないだろう。そればかりか、
その孤独と恐怖の中で、狂い死にするかもしれない。いや、私もときどき、たとえばタイムトン
ネルか何かで、数億年前の恐竜時代にタイムスリップしたらどうなるかと考える。想像するの
は好きだから、いろいろ考えるが、こういう想像だけは、すぐやめてしまう。ぞっとするような恐
怖感を覚えるからだ。

 実は私は、それに似た恐怖感を、最近覚えた。昨年、アメリカへ行ったときのことだ。私とワ
イフは、テキサス州のとなりのアーカンソー州というところへ行った。日本人でアーカンソー州が
どこにあるかを知っている人は少ない。しかしそれと同じくらい、あのアーカンソー州あたりまで
行くと、日本がどこにあるか知っている人は、ほとんどいない。大学生でも少ない。それはちょ
うど日本の大学生に、イタリアやギリシャがどこにあるかを聞くようなものだ。最近では、アメリ
カやロシアがどこにあるかさえ知らない大学生も少なくないと聞く。日本を知らないからといっ
て、アメリカの大学生を一方的に笑うことはできない。

 そんなわけであのあたりまで行くと、さすが、日本の「ニ」の字もない。臭いすらない。日本製
の車はたくさん走っているが、それが日本製と知っているのは、日本人くらいなもの。ホンダに
してもトヨタにしても、彼らはアメリカの車だと思っている。そういう世界にポツンと立たされる
と、「いったい、自分は何か」とさえ思ってしまう。心の中で、「私はアジア人だ」「私は日本人だ」
といくら叫んでも、その叫び声もそのままどこかへ消えてしまう。地位や肩書きがあれば、まだ
日本という「国」にぶらさがって、「私は○○部長だ」「私は○○課長だ」と、言えるかもしれな
い。が、それもない。体格が小さいこともある。レストランへ入って、ほかの客にジロリとにらま
れたりすると、それだけでその世界から拒絶されたかのように感ずる。
 そういう世界では、私がもつ思想や知識、才能など、一片の価値もない。「文を書くのは得意
だ」といくら思っても、それは日本での話。日本語を理解する人すらいない。私はアメリカに滞
在する間、しばしば、こう思った。「こういう世界で、自分の書いた文章が新聞に載せてもらえる
ようになるには、一〇年、あるいは二〇年かかるだろうな」と。つまりそれくらい、遠い「距離」を
感じた。

 考えてみればアメリカから見る日本は、本当にちっぽけな国だ。あのテキサス州だけでも、日
本の二倍の広さがある。広さだけで比較するなら、アメリカから見る日本は、日本から見る佐
渡島程度? しかも海の向こうにある佐渡島? そうは思いたくなくても、日本は所詮(しょせ
ん)、極東の島国。が、それにしても、アメリカに立つと、どうしてこうまで自分が小さく見えるの
か? どうしてこうまで無力な人間に見えるのか?

 そのとき私は、「自分が無価値と思うとき感ずる恐怖」を味わった。が、それに抵抗しなかっ
たわけではない。私はまず、どんな仕事ならできるかを考えた。しかしアメリカで通用する資格
など、一つもない。日本の大学で得た学位など、まったく意味がない。いくら英語が得意といっ
ても、アメリカ人から見れば、何も話せないに等しい。「日本レストランの店員くらいならできる
かも……」と思ったが、しかし五〇歳を過ぎた私など、雇ってくれるところもないだろう。だいた
い日本レストランといっても、州都のリトルロックにさえ、数軒しかない。肉体労働にいたって
は、考えるだけヤボ。あのあたりには、身長が二メートル近い大男がゴロゴロしている。「こうい
う国で病気になったら、それでおしまい」と、何度もそう思った。あるいはホームレス? のたれ
死に? そう思うのは実のところ、ぞっとするほど恐ろしいことだった。

 私たちは結局は、何らかの価値を自分で見つけながら生きている。生きる意味といってもよ
い。それをさがしながら生きている。言いかえると、それがないときの恐怖を知っているから、
自分で見つけたり、さがしたりする。生きるということは、結局はそういうことかもしれない。それ
はちょうど死の恐怖があるから、生きることを大切にすることに似ている。

 何ともわけのわからない文章になってしまったが、最後に、こういうことだけは言える。生きる
目的にせよ、生きる意味にせよ、人は人とのつながりの中でさがし求めていくもの。向こうから
やってくるものではない。自分からさがし、自分でつくり、自分で育てていくもの。生きる価値も
そこから生まれる。
さあて、今日もその恐怖と戦うか!
(02−9−17)※

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子育て随筆byはやし浩司(105)
 
見栄、体裁、世間体

 親類づきあいが濃厚な一族もあれば、淡白な一族もある。問題は、濃厚であうとか、淡白で
あるとかいうことではない。問題は、たがいに自分の価値観を絶対視しやすいということ。濃厚
な一族の人は、淡白な一族を非難し、淡白な一族は、濃厚な一族を非難する。そして対立す
る。もっとも他人のことなら、それほど問題にならないが、しかし夫婦となると、そうはいかな
い。

 たとえば私たち夫婦のばあい、その違いは大きい。……大きかった。私は岐阜県の山奥とい
う、たいへん保守的というより、封建的なところに生まれ育った。そのため親戚づきあいが、き
わめて濃厚である。一方、ワイフの一族は、昔から浜松という街道宿場町に住んでいる。進歩
的とは言わないが、しかし私の感覚とは、ずいぶんと違っていた。たとえば岐阜のほうでは、た
とえ親戚づきあいでも、見栄、体裁、世間体を何かにつけて優先させる。一方、この浜松では、
ものの考え方が合理的というか、そういったものをほとんど気にしない。もっともこの問題は、
あくまでも相対的なもので、ワイフの兄弟の中には、世間体を気にする人も結構、いる。しかし
それでも、岐阜の人の比ではない。

 私もワイフも、この浜松では、まったく、本当にまったく、見栄や体裁など、かまわないで生き
ている。あるがままに生きているというか、自分たちの好きなように生きている。そういう意味で
は、たいへん過ごしやすい。私が好んでそうしているというよりは、この部分については、ワイフ
の影響が大きい。が、ときどきこう考える。もし私が今、岐阜のあの町に住んでいたら、今ごろ
はどうなっているだろうか、と。あのあたりでは、いくら世間体を気にしないでいようとしても、相
手のほうからズケズケと干渉してくる。先日もある用事で、私はAという親類に立ち寄った。私
はそれですんだと思ったが、近くに住むBという親類の家に私が立ち寄らなかったことが、あと
で大きな問題になった。私が「どうしてそんなことが?」と聞くと、「浜松のような遠いところから
来て、近くのBという親類に立ち寄らなかったのは、おかしい」と。

 が、かわいそうな人たちだ。もう少し、世界的な視野で、日本を見たらよい。あのオーストラリ
アでさえ、国土は日本の二〇倍! アメリカでも、カルフォニア州ひとつだけで、日本の大きさ
がある。アメリカの中西部あたりでは、簡単な買い物をするだけでも、車で、片道一〇〇キロく
らいは平気で行き来している。浜松と岐阜が「遠い」などというと、それだけで笑われる。しかし
私一人が、そういうことを主張してもはじまらない。が、この不快感はどこからくるのか。私は思
わず、「私のことは、ほうっておいてほしい。私は私で、好きにやるから」と言ったが、そのとき
感じた不快感は、心にカビが生えたかのような不快感だった。片手で胸をかきむしるのだが、
容易にそのカビはとれない。

 ああ、それにしても、日本が、アジアという極東の、その島国から抜け出て、こうした部族意
識から解放されるのはいつのことやら? もちろん親類づきあいが悪いというのではない。しか
し親類づきあいも、つきつめれば人間関係。その人間関係の質で、決まる。形ではない。親類
でありながら、見栄や体裁、世間体に毒されているようでは、おしまい。今でもあのあたりへ行
くと、「産んでやった」「育ててやった」という言葉が、日常的に出てくる。親子の間だけならまだ
しも、叔父、叔母、伯父、叔母たちすべてが、そういう価値観の中で、ものを考える。そしてそう
いう関係が、たがいにベタベタの相互依存社会をつくる。後進的というか、あまりにも土着的と
いうか……。

 いや、私も偉そうなことは言えない。ワイフと結婚したころは、自分の価値観をワイフに押しつ
けようとしたことが、しばしばある。そしてたがいに衝突したこともある。たとえば香典を包むと
きも、私はいつもどこかで見栄を張った。しかしワイフには、そういう感覚がない。ないからワイ
フはワイフで、そういう私を理解できなくて、苦しんだ。私は反対の立場で、苦しんだ。しかしこう
して三〇年も一緒に住んでみると、結局はワイフのほうが正しかったことがわかる。
 だから私はあえて、ここで叫ぶ。見栄、体裁、世間体なんて、クソ食らえ!、と。
(02−9−18)※

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子育て随筆byはやし浩司(106)

学力

 今朝の新聞にも、子どもの学力についての投書が載っていた。どこかの学習塾で講師のア
ルバイトをしている大学院生のものだが、「基礎学力の低下予想以上に深刻」(読売新聞朝
刊)と。「まず驚いたのが、中学生でも掛け算の九九を完全にマスターしていない生徒が散見さ
れることだ」そうだ。

 実際、子どもたちの学力の低下は、ものすごいものだ。昨日も、小学五年生に、公倍数と公
約数を教えたが、(今ではこの単元は、小学六年の二学期に学ぶことになっている)、掛け算
の九九があやしい子どもが、二〇%近くもいる。「三・九、24」(本当は、三・九、27)と平気で
言ったりする。小学二年で、掛け算の九九を勉強したから、以後、子どもたちが掛け算の九九
はできるようになったハズと考えるのは、まったくの誤解。幻想。五年生だから、掛け算の九九
ができるハズと考えるのも、まったくの誤解。幻想。以前、掛け算の九九がまだできない中学
生が、一五〜二〇%もいるという話を聞いたことがある※。私の実感でも、それくらいはいる。
(ただ、どの程度をできる、どの程度をできないというか、その判断の基準がむずかしい。)

 話は変わるが、私はこの三五年間、何らかの形で、英語とは深いつながりをもって生きてき
た。そういう自分を振り返っても、三〇歳以後に覚えた単語は、ほとんど記憶に残っていない。
覚えるには覚えるのだが、すぐ忘れてしまう。反対に二〇歳前後に覚えた単語は、今でもしっ
かりと頭の中に残っている。しかしこれは私という、「おとな」の話。脳細胞の老化現象が原因
だという。その老化現象に似た現象が、子どもでも起きている?

 そこで改めて調査してみた。もともと私の教室へきている子どもたちは、教育環境的にはレ
ベルの高い子どもが多い。しかしそんな子どもでも、小学三年生で、約二〇%は、掛け算がま
だあやしい。掛け算の九九は何とか言えても、「三・八?」と聞いたとき、とっさには答えられな
い子どもも含めると、もっと多い。多くの親たちは、「うちの子は小学二年のときには、掛け算
の九九がスラスラと言えたから、もう掛け算はマスターしたはず」と考える。しかしこれも誤解。
幻想。今の子どもたちは、数か月もすると、学んだことそのものまで忘れてしまう。つまりそれ
だけ覚え方が浅い? 脳にきざまれていない? それとも老化現象に似た現象がすでに始ま
っている? 理由はよくわからないが、ともかくも、そういうことだ。

 しかし、だ。これはほんの一例にすぎない。今、あらゆる面で、子どもの学力は低下してい
る。知識や、知力だけではない。「自ら学ぶ力」そのものまで低下している。言われたことや、
教えられたことはきちんとできるが、その範囲をはずれると、まったくできない。考えようともし
ない。先のクラスでも、最後に私はこんな問題を出してみた。
 「30から50までの中に、3と5の公倍数はいくつあるか」と。一〇人の子どもがいたが、何と
か、考えるそぶりを見せたのは、たったの一人。あとは、「そんな問題、知らない」「解き方を学
んでいない」「めんどくさい」と、問題そのものを投げ出してしまった。公倍数など、どうでもよい
といった様子を見せた子どももいる。言いかえると、今、子どもに教えるとき、その動機づけを
どうするかが大切。ここをいいかげんにすますと、教える割には、効果がない。……などなど。

 話が三段跳びで飛躍するが、こうした学力低下の背景にあるのは、結局は、飽食とぜいたく
の中で、子どもを甘やかしてしまったこと。「腹、減ったア!」と叫べば、みなが何とかしてくれ
る。それと同じように、「わからなイ〜」「この問題、解けないイ〜」と叫べば、みなが何とかしてく
れる。そういう環境の中で、子どもたち自身が、自分を見失ってしまった。

 もっともオーストラリアあたりでは、中学一年で、二桁かける二桁の掛け算を学んでいる。日
本では小学三年生のレベル(〇一年度までの旧学習指導要領)。掛け算の九九ができないか
らといって、教育水準が低いということにはならない。
 しかしオーストラリアのばあいは、科目数そのものが多い。どこのグラマースクール(中高一
貫寄宿学校)でも、たとえば外国語にしても、ドイツ語、フランス語、中国語、インドネシア語、
日本語の五つの言語の中から選択できるし、芸術にしても、音楽、ドラマ、絵画などが、それぞ
れ独立した科目になっている。環境保護の科目もあれば、キャンピングという科目もある。もち
ろんコンピュータという科目もある。数学は、日本と違って、あくまでも教科の一部でしかない。
つまりそういう違いも考慮すると、やはり日本の子どもたちの学力の低下は異常である。
(02−9−18)※
 
※(参考)……東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表している。
教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。
この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小学
六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・五%に
低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、
三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に低下している(同じ
問題で調査)、と。

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子育て随筆byはやし浩司(107)

ホームページに動画!

 今、ほしいもの。デジタルビデオカメラ。
今、したいこと。そのカメラでビデオをとり、私のホームページに動画を載せること。しかしいく
つか、越えなければならないハードルがある。

(1)まず私の入っているプロバイダーは、10メガバイトまでは、無料だが、その10メガバイト
を超えると、10メガバイトごとに年間、一万円の費用がかかる。今のところ、20メガバイトまで
加入しているが、できるならその範囲でおさめたい。
(2)動画を載せると、あっという間に、20メガバイトを超えてしまう。以前、声を載せたが、一言
二言載せただけで、1〜2メガバイトも消費してしまった。音声というのは、意外と、容量をくう。
ほかにも苦い経験がいくつかある。

 そこで私が選んだ方法は、インターネットディスク(インターネットストーレッジともいうらしい)
に、自分のディスクスペースをつくり、そこへ動画を保存しておくという方法。そしてホームペー
ジのほうから、アクセスする。こうすれば、ホームページのほうに、動画を載せる必要はない。
そこで選んだのが、「I・D500」(J社)。このインターネットディスクには、その名前のとおり、50
0メガバイトまで、自分のデータを保存しておくことができる。500メガバイトもあれば、じゅうぶ
んだ。
 
 そこでいくつか実験を始めた。まずインターネットディスクに、自分の画像のファイルを保存し
てみた。これはスンナリとできた。
 つぎにそのファイルを「公開」に設定してみた。これもスンナリとできた。が、そのつぎの段階
で、問題が発生。「公開」に設定すると、アドレスが割り当てられるが、そのアドレスが長すぎ
て、コピーすると、コピー先で、勝手に改行されてしまう。アドレスを暗号化しているためだとい
う。アドレスが正しく表示されないようでは、読者がインターネットディスクにアクセスすることは
不可能。で、何度もチャレンジしてみたが、ダメ。そこで「I・D500」のメーカーのJ社に電話す
るが、不親切なこときわまりない。ほんの数分間、話しただけだが、「そういう(簡単な)ことは、
メールに書いて送ってください」(大阪支社)と、そのまま電話を切られてしまった。

 しかたないので私は別の方法を試した。アドレスを一度、テキスト形式で保存し、それをコピ
ーして使うという方法である。で、この方法はうまくいった。少しめんどうだが、一度アドレスを登
録しておけば、あとはディスクの内容を変えるだけでよい。この方法で、しばらくしてみることに
した。

 こうして実験は成功。私のサイトのトップページに、「動画」をいう項目を、何とか載せることが
できた。興味のある人は、ぜひ見てほしい。(ただしダウンロードに時間がかかるので、まだブ
ロードバンドにしていない人には、勧めない。)まだ思考錯誤の段階だから、お粗末な映像だが
(カメラがお粗末)、これはあくまでも「はじめの一歩」。これから先、どんどんよくする。そうそ
う、デジタルビデオは、今度の誕生日に買うことにした。昨日やっとワイフが、OKサインを出し
てくれた。ハイ。
(02−9−18)※

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子育て随筆byはやし浩司(108)

加害者と被害者

●私の被害妄想?
 私は高校時代、あるグループの連中から、いじめを受けた。何をするにも、仲間ハズレにさ
れた。無視された。
 しかしそれから一〇年あまり後。同窓会があった。私はその同窓会で、それとなくそのグルー
プの男たちと、当時の話をした。しかしだれも、私をいじめた話など、覚えていなかった。……
いじめられたというのは、私の被害妄想だったのか?

 こうした話は、子どもたちの世界ではよく経験する。いじめられる側は、「いじめられた」「いじ
められた」と騒ぐが、一方、いじめる側には、その意識は薄い。薄いというより、ほとんどのケー
スでは、ない。いじめる側は、そのときの気分で、おもしろ半分に、いじめる。深い意識があっ
て、相手をいじめるわけではない。ここに、いじめる側の意識と、いじめられる側の意識の、違
いがある。その違いが、ズレが生ずる。

 ふつう加害者は、自分が悪いことをしたことをできるだけ早く、忘れようとする。しかし被害者
はそうではない。体や心のキズを背負いながら、そのキズとともに生きる。被害者にしてみれ
ば、忘れるどころか、月日がたてばたつほど、その被害意識が強くなることだってある。よい例
が、先の戦争である。

●ユネスコの交換学生として
 私は日韓の間に、まだ国交がない時代に、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。いろ
いろあったが、私はその韓国で、「日本の教科書はウソは書いてないが、しかしすべてを書い
てない」と実感した。日本から見る、日韓併合時代と、韓国から見る、日本帝国主義植民地時
代は、まったく、本当にまったく異質のものだった。たとえば当時、韓国人が三人集まって韓国
語を離せば、それだけで投獄された。日本式神社への参拝を強要され、日本の伝統や文化、
それに歴史すらも、押しつけられた。こうした日本の、ある意味でデタラメな植民地政策に抵抗
し、闇から闇へと葬られた人は、数知れない。

 ここで意識のズレが生ずる。日本人は、いわば加害者。韓国の人は、いわば被害者。敗戦と
ともに、日本人は、あのいまわしい歴史を自分から遠ざけ、そしてそれを忘れた。忘れようとし
た。「悪いことした」という意識も、ない。が、韓国の人たちは、そうではない。日本人がした蛮
行を記憶にとどめるために、各地に記念館をつくり、子どもたちにそれを教えた。私が韓国に
いたころは、そうした記念館はなかったように思うが、それでも行く先々で、日本攻撃の矢面に
立たされた。ソウルのミョンドンを歩いていたときには、暴漢に囲まれ、命の危険すら感じたこ
ともある。こうした韓国の人たちの気持ちがわからなければ、反対の立場で考えてみればよ
い。

●もし北朝鮮が日本を植民地にしたら……
 あの強大な軍事力をもった北朝鮮が、ある日、金正日の命令のもと、日本に攻め入ってきた
とする。日本を植民地化するためである。そして彼らがいうところの、主体思想を押しつけ、朝
鮮語を強要した。また日本人は、亡き金日成ゆかりの記念碑への参拝を強制され、ついで北
朝鮮の工場で働くため、数十万人、もしくは百万人単位で、北朝鮮へ連行された! こういう状
態になったとしたら、あなたはそれをどう思うだろうか。それでもあなたは、「朝鮮半島の歴史
や文化のほうが、すぐれている。北朝鮮はすばらしい国だ。北朝鮮に従おう」と思うだろうか。

 たしかに今の北朝鮮には、問題がある。読売新聞の社説は、はっきりと「軍事独裁国家」(〇
二年九月一八日)と書いている。彼らは日本がした悪行を、自分たちのしている悪行の隠れミ
ノにしている面は、確かにある。しかし彼らの意識を理解するためには、その前に、こうした意
識のズレを理解しないと、理解できない。たとえば、今回、つまり「北朝鮮による日本人拉致(ら
ち)問題」が、日本中をひっくり返すほど、大きな問題になっている。たしかにこれは大きな問題
だ。しかも拉致された人のうち、六割の人が、若くして死んでいる。新潟県の海岸から誘拐さ
れ、拉致されたM・Yさんにいたっては、当時中学二年生ということもあって、その衝撃は大き
かった。私もそのニュースを知ったときには、体が一瞬宙を舞うのではないかと思えるほど、怒
りが体中を走った。しかし考えてみれば、これは日本人が戦後はじめて受けた、「被害」ではな
いのか。事実、今回も、日本人は、「拉致」「拉致」と騒いでいるが、肝心の韓国では、それほど
大きな問題にはなっていない。「何を偉そうに」「植民地時代に日本へ強制連行された韓国人
はどうなのか」という声もあると聞く。事実、この拉致問題に感じては、終始一貫して、韓国人の
反応は鈍かった。今も鈍い。

 おそらく北朝鮮は、今回の会談を契機に、拉致問題は解決したと、あとはその事件そのもの
を、一挙に忘れるだろう。しかし日本人はそうではない。おそらくこれからも、その問題を忘れ
ることなく、北朝鮮に、説明と補償を求めていくだろう。これはまさに加害者と被害者の立場の
違いである。これはまさに加加害者の意識と被害者の意識の違いである。

●加害者は加害意識を……
 そこで問題は、つぎの段階へと進む。いかに加害者は加害者であったことを心にとめ、被害
者はその被害を、加害者に訴えていくかである。が、ここでまたまた大きな問題にぶつかってし
まう。日本人ははたして、加害者であったことを、心にとめてきたかという問題である。戦後五
五年になろうとする今ですら、毎年のように、中国や韓国から、「日本人の歴史認識はまちがっ
ている」という批判が届く。これに対して、「どうして日本が日本の歴史の悪口を、(教科書に)
書かねばならないのか」と反論している人も、この日本には多い。しかしもしこの日本人の論理
が、大手を振ってまかりとおるとしたら、今回の拉致問題についても、仮に北朝鮮の人たちが
それをすぐ忘れても、文句は言えないということになる。さらに、あの日韓併合時代が日本人に
とって、やむをえない、まちがっていなかったと言うなら、逆に今、韓国や北朝鮮に反対のこと
をされても、文句は言えないということになる。

●子どものいじめと、国際問題
 子どものいじめの問題と、国際問題は、一見何ら関係がないように見えるかもしれないが、
その底流で深くつながっている。それはまさに加害者と被害者の構図といってもよい。たしかに
今回の拉致問題は、きわめて深刻であり、きわめて衝撃的な事件である。この事件は決して
風化させてはならない。それは当然だが、同時にそのためにも、私たちがすべきことは、同時
に、被害者の立場がどういうものであるかを知り、同時に日本人がした数々の加害行為を静
かに反省すべきである。それをしないで、一方的に北朝鮮を責めても、北朝鮮の人たちにその
心が届かないばかりか、世界から同情を得ることもできない。

 さて冒頭のいじめの問題。もっとも私は、いじめられていじけるような、そんなヤワな男ではな
かった。露骨に無視した相手には、とびかかっていって、相手を床にたたきのめしたこともあ
る。相手のもっていたギターを取りあげ、それを叩き壊したこともある。が、今になってみると、
私のそうした行為は、まちがっていたと思う。相手は本当に、私をいじめようとしていたのかと
いう疑問があるからである。ただ単に、私をイヤなヤツと思っていただけかもしれない。好かれ
るか嫌われるかといえば、私はみなに、嫌われてもおかしくない男だった。(実際、嫌われてい
たと思う。)いじめられていると感じたのは、やはり被害妄想だったのか? どちらにせよ、あの
時代は、私にとっては、イヤな時代だった。
(02−9−19)※

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子育て随筆byはやし浩司(109)

日本の教育をゆがめる元凶

 「頭がよい」ということと、「勉強ができる」ということは、別。概して言えば、「勉強ができる子ど
もは、頭がいい」。しかし勉強ができる子どもでも、頭が悪い子どもはいくらでもいる。頭がよく
ても、勉強ができない子どもは、もっといくらでもいる。

 しかしこの日本では、人生の入り口では、勉強ができたほうが、絶対に得! 一度出世のエ
スカレーターに乗れば、あとは自動的に楽な道を歩むことができる。この不公平感が、結局
は、受験競争の温床になり、教育をゆがめている。

 自分の二男のことをここに書くのは少し気が引けるが、しかし正直に書く。私の二男は一級
の頭脳をもっていた。超一級といってもよい。親バカとしてではなく、一人の教育家として、私は
そう見ていた。しかし中学二年のとき、受験勉強そのものを放棄してしまった。「パパ、くだらな
いよ」と。ほとんど勉強らしい勉強などしたことがなかったが、それでも県内のトップ高校(こうい
う言い方自体、不愉快だが……)へ入る力をもっていた。その二男が、受験勉強を放棄したい
きさつはいろいろあった。それはそれとして、結果的にそうなった。私は、迷いはあったが、二
男を支持した。「お前がそう判断するなら、それはそうだ」と。私は二男の力が、受験勉強をは
るかに超えていることを知っていた。

 で、彼は近くの高校を選んだ。市内でも、A、B、C、Dのランクで言えば、Dランクの高校であ
る。ワイフは「何もそこまで落とさなくても……」と絶句したが、二男はそういう子どもだった。「そ
のときになったら、勉強するよ。どこの高校でも同じだから……」と。私はそうは思わなかった
が、二男のその言葉を信ずるしかなかった。

 が、入学直後から、二男にとっては失望の連続だったらしい。進学校と教科書そのものが違
っていた。二男はそれにショックを受けた。そしてしばらく通ううち、レベルの低さもさることなが
ら、勉強するという雰囲気そのものがないことを知った。二男だけがひとり、仲間から浮いてし
まった。と、同時に、二男も勉強しなくなってしまった。

 高校時代の二男は、まあ、俗な言葉で言えば、遊びほけた。好き勝手なことをして過ごした。
バンドを組んだり、文化祭の実行委員長をしたり。ワンゲル部で、全国の山々を歩いたりした。
高校三年生のときは、たったひとりで、北海道を一周したりもした。が、いよいよ進学というとき
になったときのこと。もちろん成績は、その程度。「どこか国立を……」と私は願ったが、何とか
入れそうな国立大学は、I県のI大学しかなかった。もともと、国立大学へ進学する子どもは、数
年に一人いるかいないかというような高校である。しかも入れそうなのは、「哲学科」? 私が
認める二男の能力は、数理的な能力である。その二男が哲学科? 模擬試験の偏差値で判
断すると、そういうことになった。

 そこで私は二男に、アメリカ留学をすすめた。アメリカ人の知人が、勧めてくれたこともある。
で、私は二男をアメリカへ送ることにした。彼も行く気になっていた。が、私は内心、「どうせ、
一、二年で帰ってくるだろう」と思っていた。高校からアメリカの大学へ行ったところで、まず言
葉のカベがある。ふつうのアメリカの高校生でも、学位をとってアメリカの大学を卒業すること
はむすかしい。いわんや、日本の高校生を、や。まあ、私としては、二男のやりたいようにさせ
てやるのが一番というような、軽い気持ちだった。

 が、アメリカへ行ってからの二男は、変わった。当時の二男を直接知るわけではないが、二
男が言うには、「狂ったように勉強した」とのこと。で、三年目に、私立大学から、より高度な勉
強を求めて、州立大学に転籍。四年間で、その州立大学で学位を取って卒業した。それもアメ
リカでもむずかしいとされる、コンピュータ科学の学位。〇一年の五月のことである。

 私はその二男を今、頭の中で思い浮かべながら、日本の教育システムの欠陥を、改めて思
い知らされている。ときどき「もし二男が、あのまま日本のどこかの専門学校か、私立大学へ
入っていたら、今ごろ二男はどうなっていたか」と。おそらくもてる才能を伸ばす機会もなく、ま
たその才能を発揮することもなく、そこそこの人間になっていただろう、と。少なくとも日本の教
育システムの中では、大学入試までで、その人の人生の道筋(コース)は決まってしまう。それ
以後、多少がんばったところで、その道筋を変えることはできない。いくら能力と才能があって
も、だ。しかしこういうしくみの中で、それほど苦労しないでも、のんきな生活ができる人が生ま
れる一方、そのしくみの中で、苦労に苦労を重ねても、きびしい生活を強いられる人も生まれ
るということだ。しかしこういうしくみこそが、日本の教育をゆがめる元凶になっている。

 二男が「アメリカで仕事をしたい」と言ったとき、私はもうそれに返す言葉がなかった。そのと
き、二男は、日本そのものに失望していたと思う。今でもときどきこう言う。「日本の教育制度は
おかしい」と。 
(02−9−19)※

二男のホームページ……はやし浩司のサイトのトップページから、どうぞ!
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子育て随筆byはやし浩司(110)

子どもが好き?

 幼児教育をしているから、幼児が好きということにはならない。そこで私は、正直に書く。私は
ある時期は、毎日、数百人の幼児に接していたことがある。今でも、いろいろな場面で、毎日
幼児と接している。そういう立場でいうと、仕事がオフのときには、幼児の顔はできるだけ見な
いようにしている。たとえば電車で旅に出たようなとき、前の席に幼児が座ると、私は席をかえ
る。幼児を、ある意味で、どうしても専門的な目で見てしまうからだ。気になってしかたない。落
ちつかない。
 
 私のそういう気持ちは、たとえて言うなら、うな丼屋のオヤジのようなものではないかと思う。
浜松でも一、二を争ううな丼屋のオヤジが昔、こう言った。「私はうな丼はまったく食べません」
と。こんな話もある。

 浜松の郊外に、大きな医療病院がある。その病院で、外科部長をしているドクターの息子
(高校生)に英語を教えていたときのこと。私はある日、ふとその高校生にこう聞いた。「君のお
父さんは、担当の患者さんが急変したら、夜中でも病院へとんでいくのか?」と。私は「たいへ
んな仕事だろうな」という気持ちで、そう聞いた。するとその高校生は、「いいや」と。驚いて、「じ
ゃあ、どうするのか?」と聞くと、「たいてい居留守をつかう」と。「昼だったら、学会へ行っている
とか何とか、ウソをつくこともある」とも。さらに驚いていると、その高校生はこう言った。「もし夜
中に病院へ行くようなことをしていれば、翌日の手術にさしさわりがでる。手術では失敗は許さ
れない」と。私はそこまで聞いて、「さすが、プロだなあ」と、今度は一転、感心した。

 子ども、とくに幼児というのは、そもそも好きになる存在ではない。うるさいし、騒々しい。私は
幼児教育をして、もう三〇年以上になるが、その幼児教育でいちばんつまらないのは、人間関
係ができないこと。その点、高校の先生や大学の先生は、うらやましい。いわゆるおとな対おと
なの関係をつくることができる。しかし幼児教育には、それがない。ないから、教えるとしても、
いつも一方的なもの。人間関係も、いつも一方的なもの。この一方性が、幼児教育をつまらな
いものにしている。いかにその子どもで苦労をしても、離れるときが、別れるとき。親に感謝さ
れることはあっても、子どもの側からはない。

 さて、ここで暴露する。私も無数の幼稚園の教師や園長に会ってきたが、どの人もみな、「私
は幼児が好きです」と言う。そう言わなければ、仕事が成りたたないからだ。しかしここにも書
いたように、「好き」ということは、ありえない。あえて言えば、「嫌いではない」ということか。そ
れなら話がわかる。幼児の世話をしながらも、それが苦にならない。幼児と接していると、気が
晴れる。幼児に教えていると、笑いが絶えない。だから嫌いではない、と。実のところ私もそう
だ。好きではないが、嫌いでもない。だから幼児教育ができる?

 ただしこういうことはある。何らかの理由で、一〜二週間も幼児から離れていると、無性に幼
児に会いたくなる。あるいは久しぶりに幼児の声を聞いたりすると、ほっとする。
(02−9−19)※

(追記)
 私が幼児教育の世界にスンナリと入ることができたのは、自分自身の子ども時代と大きく関
係していると思う。私は小学校の四、五年生まで、お山の大将として、子どもたちの世界に君
臨していた。いつも近くの山の中を歩くときは、年少の子どもたちを子分にして歩いていた。年
齢的には五、六歳から小学三、四年生くらいの子どもたちだった。今でも幼児に接していると、
ときどき、そういう親分的な感覚が、ふと戻ってくるときがある。

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子育て随筆byはやし浩司(111)

子どもの臭い

 子どもは、あらゆるいたずらが好き。そのいたずらは、いわば心のユーモア。そのユーモア
が子どもを伸ばす。
そのひとつが落書き。子どもはあらゆる場所に落書きをする。私は、その子どもの落書きに
は、さんざん手を焼いた。注意しても、しかっても一向に減らない。そこで方針を変えた。
 落書きコーナーをあちこちに作った。教室で渡す私製のノートにも、落書きコーナーを作っ
た。ほかに机とデスクパッドの間にも、それぞれ画用紙をはさみ込み、それにも落書きコーナ
ーを作った。とくに効果的だったのは、ここでいう画用紙だった。一応表向きは落書きをしては
いけないとは言っていたが、それは表向き。子どもたちは、その画用紙に自由に落書きをし
た。おかげで、ほかの場所への落書きは、まったくといってよいほど、なくなった。

 これは子どもを指導するときのコツだが、押してダメなら、思いきって引いてみる。(あるいは
その反対でもよい。)そこで私は考えた。「〜〜をしてはダメ」と禁止命令ばかり出していると、
子どもの心は萎縮する。そこでさらに私は考えた。「子どもの臭い」。

 ずいぶん前だが、私は、不登校で悩んでいる親の家を訪れて、「おかしい」と思ったことがあ
る。大きな家で、大きな居間があったが、その居間のどこにも、子どもの臭いがしなかった。す
べてがきれいに片づいていた。が、それ以上に「アレッ」と思ったのは、子どものものがどこに
もなかったこと。ふつう子どものいる家庭では、あちこちに子どものものがゴロゴロしているも
の。しかしそれがない? そのときはそれで終わってしまったが、今から思い出すと、あの家の
中には、子どもの居場所がなかったのではないか。もちろんそれが不登校の原因とは言わな
いが、何らかの形で、関連していたことは、じゅうぶん考えられる。

 同じように、保育園でも幼稚園でも、よい園では、子どもの臭いがプンプンする。あちこちに
子どもの残したシミのようなものがあって、それが全体として、温もりのあるものにする。しかし
中には、まるで、どこかの病棟のように、まったく子どもの臭いのしない園もある。すべてがピカ
ピカに磨かれていて、落書きどころか、シミ一つ、ない。一見、清潔で、過ごしやすく見えるかも
しれないが、それは本来あるべき子どもの世界ではない。またそういう園へ子どもをやれば…
…? この先は立場上、書けないが、私なら、そういう園へは子どもをやらない。短い期間なら
ともかくも、一年も二年も通わせれば、子どもの心は、まちがいなく萎縮する。
(02−9−19)※

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子育て随筆byはやし浩司(112)

ダイエット

 私はこの二か月で、約五キログラムの減量に成功した。一番太っていたときから比べると、
約一〇キロの減量である。八〜一〇キロといえば、ドッグフード一袋分の体重ということにな
る。たいへんな量というか、重さである!

 で、私はやや細くなった自分の腕を見ながら、ふとこう考える。私の約七分の一は、どこへ消
えたのか、と。いや、少し汚い話で恐縮だが、トイレの中で自分のアレを見たりすると、「ああ、
これは私の死骸(がい)だ」と思うこともある。そこでさらに考える。もし私の体重が、二分の一、
三分の一となったら、「私」はどうなるのか、と。減った分の私は、私ではないのか、と。要する
に、死ぬということは、体重がゼロになることを意味する。となるとダイエットするということは、
部分的に死ぬことなのか、と。

 何とも理屈っぽい話になってしまったが、こんなことはいくら考えても意味がない。しかし改め
て考えなおしてみると、おかしなことはいくらでもある。

 たとえば人は死ぬと、火葬にされる。その火葬のあと、残った骨を「遺骨」として、大切に保管
する。なぜか。なぜ骨だけが、「遺骨」なのか。ほかの部分は燃えて煙になってしまうから、残ら
ない。それはわかるが、では、なぜ、毎日排泄される、アレは、遺骨(物)にならないのか。要す
るに遺骨が遺骨であるのは、「形」としてわかりやすいからにほかならない。理由など、ない。あ
くまでもあとに残された人に、わかりやすいからだ。

 ……と、考えていくと、遺骨が遺骨であるのは、人間が勝手に決めた、いわば象徴にすぎな
いことがわかる。まさかアレや、肉を冷凍して保存しておくわけにはいかない。脳ミソや、内臓
はなおさらだ。爪や髪の毛、それに歯なら、まだ保存ができる。実際、そういうものを形見とし
て保管している人もいる。それはそれとして、残された人たちがほしいのは、その人が生きて
いたという証(あかし)。その象徴として、遺骨がある?

 私自身は、私の遺骨など、この世に残しても意味はないと思う。残すか残さないかは、私の
家族の問題だから、私はあえて何も言わない。しかし私が死んだあと、私が残したいのは、「私
の考え」だ。もっとわかりやすく言えば、私の文章だ、私の本だ。そこで私はあるときから、こう
考えるようになった。「本こそ、私の墓石」と。実際今、こうして毎日くだらない文章を書いている
が、心のどこかで、自分の墓石を刻んでいるかのように思うときがある。その証拠にというわけ
ではないが、この数か月で私は五キロの体重を減らした。骨もやや細くなったに違いない。し
かし今でも私は私だ。思想や思考力については、その五キロに見あう分だけ減ったとは、とう
てい考えられない。むしろ体重が減った分だけ、体の動きは軽快になり、頭の回転も速くなっ
たように思う。つまり骨は私であって、決して「私」ではない。アレや、肉や脂肪が「私」でないよ
うに、私ではない。私が「私」であるのは、やはり、私の思想があるからだ。

 ……と、またまた意味のないことを考え始めた。私の悪いクセだ。このところダイエットしたせ
いか、ものの考え方が神経質になっている。どこかピリピリしている。それでこういうことを考え
た。
(02−9−2―19)※

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子育て随筆byはやし浩司(113)

邪悪な心

 今日も山荘へくる途中で、またまた見た。車の窓から、タバコの吸い殻を捨てる男を、だ。見
ると、年齢は六五歳くらい。若い男なら、それほどショックは受けなかっただろうが、年配であっ
ただけに、それを見たとき、私はしばらく考えてしまった。

 私も学生時代、まねごと程度だったが、タバコを吸っていたことがある。そのころの自分を頭
に描いても、私がどういうポーズでタバコを吸っていたかは思いだせない。タバコの吸い殻を、
いちいちポケットの中にしまったという記憶はない。だから多分……、というより、まちがいなく
私は、タバコの吸い殻は、平気で、つまりそれほど無意識がないまま、道路へ捨てていた。そう
いう私が、なぜ今、他人がタバコの吸い殻を、道路へ捨てるのを、こうまで気にするのか。

 ひとつには、当時の私は、当時の常識の中で、タバコを吸っていたこと。当時、タバコを吸う
人は、みな、そうしていた。吸い殻入れのケースをもって歩く人はほとんど、いなかった。今も少
ないが……。
 もうひとつは、当時は、タバコの害は、ほとんど問題になっていなかったこともある。ごく限ら
れた人たちが、タバコの害を問題にし始めていたが、それ以上に、専売公社の反論は、ものす
ごかった。各地で、「タバコ無害キャンペーン」なるものを、展開していた。

 その私がタバコをやめたのは、もともと「うまい」と思ったことがないことがある。おかしなこと
だが、どこか惰性でタバコを吸っていた。だから何かのきっかけがあって、私はタバコを吸うの
をやめた。はっきりと覚えているのは、ワイフが長男を妊娠したときだったと思う。「生まれてく
る子どものためにやめよう」と。そのときからは、本当に一本も吸わなくなった。

 それからも、好きということはなかったが、嫌いということもなかった。まわりの人たちがタバ
コを吸っていても、それほど気にならなかった。とくに出版社やマスコミ関係の人たちは、タバコ
をよく吸った。私はそういう人の間で、仕事をしていた。が、そのうち、どういうわけか、タバコの
煙が気になるようになった。たとえば長時間、タバコの煙がただような部屋にいたりすると、声
がかれてしまったりするなど。声が出なくなってしまったこともある。ほかにセーターや髪の毛が
タバコ臭くなってしまったとか、など。が、本気でタバコを嫌うようになったのは、やはりタバコの
害が、あちこちで問題になったからだと思う。

 害と言えば、何といっても、がんだ。年齢とともに、がんの恐怖心はまし、それと比例して、私
はタバコを嫌うようになった。あちこちでタバコとがんの因果関係が話題になるたびに、「そう
だ、そうだ」と。そして気がついたときには、タバコを疫病神のように嫌うようになっていた。そう
いう意味では、私は自己中心性が強い。自分が嫌うようになったとたん、タバコを吸う人も嫌う
ようになった。と、同時に、タバコを吸う人が理解できなくなった。

 タバコを吸えば、病気になる。タバコ代のほとんどは税金。タバコを吸えば、みなが迷惑す
る。そして、タバコはまさに公害の象徴。小さな世界かもしれないが、今では、道路に散乱した
タバコの吸い殻を見るたびに、人間の愚かさを見せつけられるように感ずる。が、本当の理由
は、それではない。私はなぜ、道路にタバコの吸い殻を捨てる男が、こうまで気になるのか。そ
の理由は、もっと別のところにある。

 私は今、人生の結論を出さねばならない時期にさしかかっている。その私が一番、恐れてい
るのは、若いころの醜い自分が、もうそろそろ顔を出すのではないかということ。ここにも書い
たように、私は若いころ、意識することもなく、タバコの吸い殻を道路に捨てていた。そういう自
分が、今、タバコの吸い殻を道路に捨てないのは、たまたまタバコを吸わないからにほかなら
ない。私が変わったわけではない。ひょっとしたら、私の中の私は、何も変わっていない。変わ
ったように見えるのは、別の私が、本物の私を必死になって抑えているからにほかならない。
私は、車の窓から吸い殻を捨てた男が、自分の姿に見えた。しかも一〇年後の自分に。
(02−9−21)※

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子育て随筆byはやし浩司(114)

やる気論

 人にやる気を起こさせるものに、二つある。一つは、自我の追求。もう一つは、絶壁(ぜっぺ
き)性。

 大脳生理学の分野では、人のやる気は、大脳辺縁系の中にある、帯状回という組織が、重
要なカギを握っているとされている(伊藤正男氏)。が、問題は、何がその帯状回を刺激する
か、だ。そこで私は、ここで@自我の追求と、A絶壁性をあげる。

 自我の追求というのは、自己的利益の追求ということになる。ビジネスマンがビジネスをとお
して利潤を追求するというのが、もっともわかりやすい例ということになる。科学者にとっては、
名誉、政治家にとっては、地位、あるいは芸術家にとっては、評価ということになるのか。こう
決めてかかることは危険なことかもしれないが、わかりやすく言えば、そういうことになる。こう
した自己的利益の追求が、原動力となって、その人の帯状回(あくまでも伊藤氏の説に従えば
ということだが)を刺激する。

 しかしこれだけでは足りない。人間は追いつめられてはじめて、やる気を発揮する。これを私
は「絶壁性」と呼んでいる。つまり崖っぷちに立たされるという危機感があって、人ははじめて
やる気を出す。たとえば生活が安定し、来月の生活も、さらに来年の生活も変わりなく保障さ
れるというような状態では、やる気は生まれない。「明日はどうなるかわからない」「来月はどう
なるかわからない」という、切羽つまった思いがあるから、人はがんばる。が、それがなけれ
ば、そうでない。

 さて私のこと。私がなぜ、こうして毎日、文を書いているかといえば、結局は、この二つに集
約される。「その先に何があるかを知りたい」というのは、立派な我欲である。ただ私のばあ
い、名誉や地位はほとんど関係ない。とくにインターネットに原稿を載せても、利益はほとん
ど、ない。ふつうの人の我欲とは、少し内容が違うが、ともかくも、その自我が原動力になって
いることはまちがいない。

 つぎに絶壁性だが、これはもうはっきりしている。私のように、まったく保障のワクの外で生き
ている人間にとっては、病気や事故が一番、恐ろしい。明日、病気か事故で倒れれば、それで
おしまい。そういう危機感があるから、健康や安全に最大限の注意を払う。毎日、自転車で体
を鍛えているのも、そのひとつということになる。あるいは必要最低限の生活をしながら、余力
をいつも未来のためにとっておく。そういう生活態度も、そういう危機感の中から生まれた。もし
この絶壁性がなかったら、私はこうまでがんばらないだろうと思う。

 そこで子どものこと。子どものやる気がよく話題になるが、要は、いかにすれば、その我欲の
追求性を子どもに自覚させ、ほどよい危機感をもたせるか、ということ。順に考えてみよう。

(自我の追求)
 教育の世界では、@動機づけ、A忍耐性(努力)、B達成感という、三つの段階に分けて、子
どもを導く。幼児期にとくに大切なのは、動機づけである。この動機づけがうまくいけば、あとは
子ども自身が、自らの力で伸びる。英語流の言い方をすれば、『種をまいて、引き出す』の要
領である。
 忍耐力は、いやなことをする力のことをいう。そのためには、『子どもは使えば使うほどいい
子』と覚えておくとよい。多くの日本人は、「子どもにいい思いをさせること」「子どもに楽をさせ
ること」が、「子どもをかわいがること」「親子のキズナ(きずな)を太くするコツ」と考えている。し
かしこれは誤解。まったくの誤解。
 三つ目に、達成感。「やりとげた」という思いが、子どもをつぎに前向きに引っぱっていく原動
力となる。もっとも効果的な方法は、それを前向きに評価し、ほめること。

(絶壁性)
 酸素もエサも自動的に与えられ、水温も調整されたような水槽のような世界では、子どもは
伸びない。子どもを伸ばすためには、ある程度の危機感をもたせる。(しかし危機感をもたせ
すぎると、今度は失敗する。)日本では、受験勉強がそれにあたるが、しかし問題も多い。
 そこでどうすれば、子どもがその危機感を自覚するか、だ。しかし残念ながら、ここまで飽食
とぜいたくが蔓延(まんえん)すると、その危機感をもたせること自体、むずかしい。仮に生活
の質を落としたりすると、子どもは、それを不満に転化させてしまう。子どもの心をコントロール
するのは、そういう意味でもむずかしい。
 とこかくも、子どものみならず、人は追いつめられてはじめて自分の力を奮い立たせる。E君
という子どもだが、こんなことがあった。

 小学六年のとき、何かの会で、スピーチをすることになった。そのときのE君は、はたから見
ても、かわいそうなくらい緊張したという。数日前から不眠症になり、当日は朝食もとらず、会場
へでかけていった。で、結果は、結構、自分でも満足するようなできだったらしい。それ以後、
度胸がついたというか、自信をもったというか、児童会長(小学校)や、生徒会長(中学校)、文
化祭実行委員長(高校)を、総ナメにしながら、大きくなっていった。そのときどきは、親としてつ
らいときもあるが、子どもをある程度、その絶壁に立たせるというのは、子どもを伸ばすために
は大切なことではないか。

 つきつめれば、子どもを伸ばすということは、いかにしてやる気を引き出すかということ。その
一言につきる。この問題は、これから先、もう少し煮つめてみたい。
(02−9−21)※

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子育て随筆byはやし浩司(115)

これからの大学教育

●世の中の流れを見すえながら、子どもたちの未来を考えよう!

 ヨーロッパでは、大学はほぼ完全に共通化されたといってもよい。どこの大学で、どのように
勉強しても、単位そのものが共通化されている。そのためA大学で勉強しようが、B大学で勉
強しようが、単位には関係ない。この日本でも、大学がグループをつくり、同じように単位の交
換を始めたところが多い。が、出遅れること、三〇年。少なくとも私がオーストラリアで留学生
活をしているときには、すでにそれは世界の常識だった。

 アメリカでは、大学への入学後、学部の変更は自由。大学から大学への転籍も自由。私立、
公立の区別はない。しかもそうした転籍が、即日にできる。そのため学生は、より高度な勉強
を求めて(その反対もあるが……)、大学から大学へと、自由に渡り歩いている。しかも今、そ
れが国際間でなされつつある。

 そういう意味では、日本だけが取り残されたとみてよい。いまだに受験戦争があること自体、
その証拠ということになる。向こうの学生は、その道のプロになるため大学で勉強する。しかし
日本の学生は、学歴を得るために勉強する。この違いは大きい。日本も大きく変わりつつある
が、まだその風潮は根強く残っている。

 で、さらに……。学歴志向といえば、台湾の学歴信仰にはものすごいものがある。初対面で
も、「あなたはどこの大学の出身ですか」と聞くことが多い。そして四年制の大学を卒業した程
度では、プロと認めてもらえない。……というような風潮がある。これは私の個人的な印象だ
が、台湾をよく知る人は、みなそう言っている。「台湾では、修士号か博士号をもっていないと、
相手にされません」と。しかし実のところ、この日本でも、そういう方向に向かって動いている。

 「本物の勉強は、大学院に入らないとできない」と、東大の元教授が、話してくれた。大学で
の勉強は、上から与えられるもの。しかし大学院はそうではない。「だから余裕と、力があるな
ら、これからは大学院へ行きなさい」と。
 その大学院は、以前は、A大学の卒業生が、A大学の大学院へ進み、その大学で助手、助
教授、教授と昇進するのが習わしになっていた。が、今は、違う。A大学を出たあと、試験を受
けて、B大学の大学院へ進むというのが、ふつうになってきている。たとえば東工大を卒業した
あと、東大の大学院へ進むなど。この大学院については、国際化がかなり進んでいるとみてよ
い。日本の大学を卒業したあと、外国の大学院へ進む学生もふえている。

 今、日本の大学制度は大きく変わりつつある。またその流れは加速されることはあって、逆
戻りすることはない。恐らく二〇年後には、アメリカ並に、三〇年後にはヨーロッパ並になるだ
ろう。言うまでもなく、それが世界の常識だからである。
(01−9−21)※

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子育て随筆byはやし浩司(116)

日本の英語教育

 先日、日本の中学校で英語を教えているオーストラリア人と、食事をした。その中で、「日本
の教育をどう思うか」と質問すると、そのオーストラリア人はこう言った。「日本の教育は、何か
らなにまで、リジッドだ」と。「リジッド」というのは、「rigid」ということ。正確に訳をつけると、「堅
い、硬直した、厳格な、堅苦しい、がんこな」(研究社・ライトハウス英和辞典)ということになる。
そこで私が、「あなたはどこを見て、そう思うのか」と聞くと、いろいろ話してくれた。その中でも、
印象に残ったのは、つぎのことだった。
 「私が生徒たちを連れて、教室の外へ出ようとしたら、ほかの先生に止められた。そこでどう
してダメなのかと聞くと、許可されていないからと。これはおかしい。どうして生徒を教室の外に
連れ出してはダメなのか。オーストラリアでは、みなしているのに」と。
 そこで三人の日本の高校生に聞いてみた。「君たちは、小中学校のとき、体育の授業とかは
別にして、ほかの授業で、野外で授業をしたことがあるか」と。すると三人とも、「ない」と答え
た。日本の教育と、欧米の教育とは、基本的な部分で発想が違うようだ。

 実は、この浜松市でも、昔、野外授業を試みた先生がいた。私が浜松に住むようにまもなく
のことだったが、市内の中心部にあるM小学校の先生だった。隣は動物園になっていたし、そ
の一角に、浜松城公園もあった。その先生は、ときどき生徒を連れて、その公園の中で授業を
していた。まだそういう自由が、ある程度容認される時代だった。が、それに「待った!」をかけ
たのが、ほかならぬ父母たちだった。父母たちは、「子どもの勉強にさしさわりがある」「遅れ
る」「勉強とは異質のもの」と主張した。で、結局は、私の記憶では、数か月くらいで、その授業
はとりやめになってしまった。

 確かに日本の教育は、リジッドである。北海道から、沖縄まで、平等、画一教育が基本になっ
ている。戦後の、世界に追いつけ、追い越せという時代には、そういう教育でもよかったが、も
うこれからの教育ではない。こんな話もある。

 小学校での英語教育が検討されるようになって、もう一七年の月日が流れた。(あるいはそ
れ以前からもあったのかもしれないが、私が知ったのは、雑誌「ハローワールド」(学研)の企
画に入ったそのころだった。)そのときから、「英語教育は必要か否か」という議論が、あちこち
でなされた。しかしこういう議論そのものが、ナンセンス。

 英語を勉強したい子どもがいる。英語を勉強したくない子どももいる。英語を教えたい先生が
いる。英語を教えたくない先生もいる。子どもに英語を学ばせたい親がいる。子どもに英語を
学ばせたくない親もいる。だったら、なぜ、英語教育を自由化しないのか、……ということにな
る。その分、学校を少し早めに終わり、希望者だけ、学校の中、あるいは外で教えればよい。
月謝はドイツのように、チャイルド・マネー(月額二三〇ドイツマルク・約一万五〇〇〇)という形
で払えばよい。日本中の先生や親たちの意思統一を図っていたら、それこそ一〇年単位で、
月日は流れてしまう。そしてその間に、日本はどこまで遅れることやら。ちなみに、東証の上場
企業の中から、今、外国企業はどんどんと撤退している※。

 オーストラリア人の先生は、「リジッド」と言ったが、そのリジッドさがなくならない限り、日本の
教育に明日はない。子どもは窒息し、先生は窒息し、ついで教育が窒息する。
(02−9−21)※

※注

●遅れた教育改革

 二〇〇二年一月の段階で、東証外国部に上場している外国企業は、たったの三六社。この
数はピーク時の約三分の一(九〇年は一二五社)。さらに二〇〇二年に入って、マクドナルド
社やスイスのネスレ社、ドレスナー銀行やボルボも撤退を決めている。理由は「売り上げ減少」
と「コスト高」。売り上げが減少したのは不況によるものだが、コスト高の要因の第一は、翻訳
料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな英語がそのまま通用しない国だから、外国企業は何かに
つけて日本語に翻訳しなければならない。

 これに対して金融庁は、「投資家保護の観点から、上場先(日本)の母国語(日本語)による
情報開示は常識」(同新聞)と開き直っている。日本が世界を相手に仕事をしようとすれば。今
どき英語など常識なのだ。しかしその実力はアジアの中でも、あの北朝鮮とビリ二を争うしま
つ。日本より低い国はモンゴルだけだそうだ(TOEFL・国際英語検定試験で、日本人の成績
は、一六五か国中一五〇位・九九年)。日本の教育は世界の最高水準と思いたい気持ちはわ
からないでもないが、それは数学や理科など、ある特定の科目に限った話。日本の教育水準
は、今ではさんたんたるもの。今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何
ともない。「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京
大・西村)だそうだ。

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子育て随筆byはやし浩司(117)

健全なる……

 『健全なる精神は、健全なる身体に宿る』と言ったのは、ローマ時代の詩人、ユヴェナリス
(「諷刺詩」)だが、これほど多く引用された格言もあるまい。同じようなことだが、反対の立場
で、バーナードショーは、『健全な肉体は、健全な心の生産物』(「革命主義者のための格言」)
と言っている。さらに東洋医学では、肉体の健康と、精神の健康を一体化し、まったく区別して
いない。どちらにせよ、『人生にとって健康は目的ではない。しかし最初の条件なのである』(武
者小路実篤「人生論」)というのは、事実のようだ。

 昨日、がん検診の結果が郵送されてきた。もともとおもしろ半分で受けた健康診断なので、
それほど心配していなかった。「おもしろ半分」というのは、今ではコンビニで健康診断ができる
システムができている。端末機で申し込むと、間髪をおかず、ファックスでコンビニに連絡が入
り、そこで所定の料金を払う。それで申し込みは完了。やがて検査に必要な小道具一式が送
られてきて、あれこれ必要なモノを送ると、それをもとに検診してくれる。コンビニで、そういうこ
とができると知り、「おもしろそうなので、やってみるか」ということで、検査を受けてみた。全体
に料金は、割高。たとえば大腸がんの検査は、一回採取と二回採取があるが、一項目につ
き、三〇〇〇〜四〇〇〇円。肺がん、胃がん、大腸がんなどをあわせて検査をすると、一回で
一万円程度かかる。しかし、それにしても便利になったものだ。

 で、結果は、オール、「シロ」。正確には、「陰性」と書いてあった。私の年齢になると、いちば
んこわいのは、がん。数年前から、私はがん保険にも加入した。「がんと診断されたら、○百万
円。入院すれば、一日ごとに○万円」という保険である。それまでは日本の貯蓄型保険に入っ
ていたが、何かとおかしいということで、掛け捨て型の外資系の保険に切り替えた。「おかしい」
というのは、日本型の保険制度は、複雑すぎて、わかりにくい。保障されているという実感がな
いまま、「乗り換え」「乗り換え」で、保険料だけがどんどんとつりあげられていく。だから三〇年
近く払いつづけた保険だったが、やめた。

 で、今、私は健康なのかと改めて考える。体の調子は悪くない。ひょっとしたら、三〇歳のは
じめのころより、健康ではないか。あのころは、太りすぎもあって、毎日体がだるかった。が、
今は、そのだるさも消えた。とくにこの数週間は、ダイエットの効果もあって、体が軽い。数か月
前には、体重は六八〜九キロだったが、今は六三キロ台。その間、運動も欠かさなかった。五
キロの減量ということになるが、五キロというのは、大きい。二リットル入りのペットボトルニ本
分以上である! おとといもそのペットボトルをスーパーで二本買って、運んでみたが、その重
さに改めて驚いた。本当に、重い!

 さあて、その健康論。「賢い人は、それをなくす前にその価値に気づき、愚かな人は、なくして
からその価値に気づく」(はやし浩司「子どもの世界」)。私はその賢い人になりうるか。
(02−9−22)※

教訓……利口なある子どもではなく、賢い子どもに育てよう。

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子育て随筆byはやし浩司(118)

静かに考える時間

●考える時間
 いかにすれば、自分の時間がもてるか? 自分の時間というのは、静かに考える時間のこと
をいう。五分や一〇分では足りない。数時間単位の時間をいう。その数時間を、日々の生活の
中で、いかにすれば作ることができるか?

 残念ながら日本人は、その時間がない。時間をもつという習慣もない。ないことは子どもの生
活をみればわかる。朝、起きるとすぐ学校へ送り出され、そこで「いわしの缶詰」のような教育
を受け、家へ帰ってくると、テレビとゲームづけ。考えない人間がどうなるか。それは夜のバラ
エティ番組を見ればわかる。実に軽薄そうな、つまりIQ(知的品質)の低そうなタレントたちが、
これまた軽薄なことをギャーギャーと言っては騒いでいる。ああなる。 

 静かに考える時間をもつことは、それだけで最高のぜいたくである。しかし多くの人は、その
ぜいたくさに気づかない。気づかないばかりか、そういう時間をムダと決めてかかる。もしそれ
がムダというなら、何がムダでないのかということになる。あるいは何のために生きているかと
いうことになる。ひとつの例で考えてみよう。

●時間を大切にすること
 道路を車で走っていると、ときどき、サーカスのようなハンドルさばきで、つぎつぎと車を追い
越していくドライバーに出会う。本人は急いでいるのか、それともそれを楽しんでいるのかは知
らないが、まわりのものにとっては、これほど迷惑な運転もない。そのたびにドキッとさせられ
る。ばあいによっては、身の危険すら感ずる。が、何よりも不愉快なのは、そういう心ないドライ
バーのおかげで、自分たちのリズムが崩され、心の静寂が乱されることだ。それはちょうど、静
かな山間で、物干し竿(ざお)売りのトラックに出会うようなものだ。ホトトギスやコジュケイの鳴
き声を楽しんでいるところで、「アオヤー、サオダケー」とやられたら、たまらない。

 で、そうして急いで運転している人たちが、時間を大切にしているかということになると、それ
は疑わしい。時間を大切にするということは、もっと別のことである。私のばあい、時間を大切
にするということは、私の中に「私」を感ずることをいう。しかしこれはあくまでも、私の個人的な
意見にすぎない。人は人、それぞれだし、それぞれが、自分の時間を大切にしている。が、消
去法で考えていくと、どうしても私はやはり私の考え方になってしまう。順に考えてみよう。

(日々の生活)これは生きていくためには必要なことだが、しかしそれはあくまでも「生きていく
ため」のもの。生きる目的ではない。たとえば子どもが朝、顔を洗い、身支度を整えて、学校へ
でかける。あるいはその前に朝食を食べる。こうした一連の行為は、必要な行為かもしれない
が、目的ではない。

(娯楽をすること)映画を見たり、テレビを見たり、あるいは本を読んだりする。先日も一人の小
学生が、ハリーポッターの魔法のかけかたの本を熱心に読んでいた。実に意味のない本だっ
た。たとえば「朝、うさぎが北の方角に走っていくのを見たら、xxxxと呪文を唱えるとよい。太陽
が真上にのぼるころ、昨日の希望がかなう」と。娯楽は娯楽だが、こうした娯楽を繰り返したと
ころで、どれほどの意味があるというのか。

(仕事をすること)人は人の中で評価されてこそ、達成感を味わうことができる。その達成感が
生きる目的になることはある。音楽家や芸術家にせよ、はたまた作家にせよ政治家にせよ、
結局は他者とのかかわりの中で生きている。そのかかわりが仕事であり、それが生きる目的
になることは、ある。子どもが、志望校を決め、その受験勉強をして、目的を達するのも、その
ひとつ。しかし、だ。「それがどうなのか?」と聞かれたとき、私たちは何と答えるだろうか。

●人間がつくった幻想と幻覚
 私たち人間は、えてして自分たちがつくりあげた幻想と幻覚の中で、自分たちの価値観をつく
りあげてしまうことがある。子どもたちがするテレビゲームに、その例を見る。たとえば少し前、
あのたまごっちというゲームが流行したとき、私が不用意にその「生き物(?)」を殺してしまっ
たことがある。するとその子ども(小一女児)は、「先生が殺してしまったア」と、大声で泣き始め
た。私が「死んではいないよ」といくら説明してもムダだった。あるいはテレビゲームの世界で、
ポイントがふえればふえるほど、喜ぶ子どももいる。たわいもない喜びだが、私たちおとなも、
日常生活の中で、これと同じことをいくらでもしている。そのひとつが、仕事(労働)ということに
なる。

 いや、こう書くからといって、仕事を否定しているのではない。仕事は仕事として、大切なもの
だ。しかし戦後の多くの日本人がそうだったように、いわゆる仕事人間を見ていると、もののあ
われさを覚える。とくに私たち戦後生まれの団塊の世代は、その仕事のために、人生そのもの
を犠牲にしたようなところがある。リストラされ、やっとヒマになったと思ったら、人生も終わって
いた……と。

 大切なことは、こうした幻想や幻覚を、どのレベルで、どのように気づくかということ。それは
つまるところ、その人の視点の高さと、視野の広さによる。視点が高ければ高いほど、また広
ければ広いほど、その幻想や幻覚に気づく。それはちょうど、子どもたちが夢中になっている
ハリーポッターの魔法のようなものだ。おとなの私たちは、それをバカげていると思う。思うこと
ができるのは、それだけ視点が高く、視野が広いということになる。反対に低ければ低いほど、
また狭ければ狭いほど、そのバカさかげんがわからない。

●自分らしく生きること
 そこで結論は、いかに自分の人生を生きるかということは、自分らしく生きるかということにな
る。そして自分らしく生きるということは、いかにすれば視点をより高くし、また視野をより広くす
ることができるかということ。そして高ければ高いほど、そして広ければ広いほど、それまでの
自分が小さく、愚かに見えてくる。それに気づくということは、より「私」に近づくことになる。私が
最初に書いた、「考えること」は、そのための手段ということになる。言いかえると、人は考える
ことで、自分の中の「私」に近づくことができる。そしてもっと言えば、人間がほかの動物たちと
違うところは、この考えるところにある。パスカルが「パンセ」の中で書いた、『人間は考えるア
シである』『思考が人間の偉大さをなす』という意味は、そこにある。

 ただ視点の高さにせよ、また視野の広さにせよ、それは相対的なものにすぎない。ここにも
書いたように、より高くなればなるほど、そして広くなればなるほど、それまでの自分が小さく、
愚かに見える。だから、結局は、人間は死ぬまで、それを繰り返すことになる。あのゴータマ・
ブッダ(釈迦)が、スッタニパーダ(原始仏教典)の中で説いた、「精進」という意味もここにあ
る。決してゴールはないし、ゴールの向こうには、さらなる原野が広がっている。その原野を前
向きに歩くことが、本当の意味で、「生きる」こと。自分の時間をもつということは、その第一歩
ということになる。
(02−9−22)※

教訓……ものを知っている子どもではなく、考える子どもを育てよう!

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子育て随筆byはやし浩司(119)

平均寿命が二〇歳

 今から二〇〇〇年前には、人間の平均寿命はたったの二〇歳だったそうだ。江戸時代に
は、四五歳前後だったそうだから、人間の寿命は、ここ二〇〇〇年の間に急速に伸びたという
ことになる。もっともこの数字には、乳幼児の死亡率が反映されていない。江戸時代には、満
三歳くらいまでに、約三分の一の子どもが死んだという説もある。

 仮に寿命が二〇年とすると、それぞれの世代が思想や文化を熟成する前に、つぎの世代に
バトンを手渡してしまうことになる。つまり熟成に必要な時間的余裕がないということになる。つ
まり寿命が短ければ短いほど、熟成期間が長くなるということになる。が、ここでふたつのこと
を考えなければならない。

 ひとつは、寿命が短いといっても、中には長生きする人もいる。その長生きする人が、思想
や文化を熟成させることができる。そして長生きした人が指導者となって、それを、つぎの世代
に伝えることができる。

 もうひとつは、長生きすればするほど、思想や文化が熟成するとはかぎらないということ。そ
のことは、老齢者たちをみればわかる。人は成長過程においては、新しい思想や文化の創造
に力を入れるが、ある時期を越えると、今度は保守層にまわる。この保守層にまわった人たち
が、思想や文化を硬直させ、それらの熟成を、むしろ妨げることもある。

 こうしたふたつの問題はあるが、全体としてみれば、やはり寿命が長くなればなるほど、思想
や文化は熟成される。そのことは、いわゆる未開民族の人たちをみればわかる。寿命が短い
だけに、未開のまま取り残されている。あるいは未開のままだから、寿命が短いのかもしれな
い。どちらにせよ、思想や文化の熟成度は、平均寿命に比例する。そう考えて、まちがいな
い。

 つまり、(思想や文化の熟成度)=(比例定数)×(平均寿命)

 ……と、考えていくと、日本は、世界に名だたる長寿国という、うれしい事実にぶつかる。私
のこの公式によれば、日本の思想や文化は、それだけほかの国よりも熟成されることになる。
バンザーイ!

 そこで老齢者のみなさんへ。
 私たちは思想や文化を熟成させるという重大な任務を背負っている。ただ生きるだけではい
けない。老齢者は老齢者として、やるべきことがある。もし私たちがそれをしなかったら、私た
ちはただ生きているだけということになってしまう。それでは寿命が延びたという意味そのもの
がなくなってしまう。

 なんとも飛躍したものの考え方だが、大筋ではまちがっていないと思う。まあ、この文章は、
自分自身へのムチのようなもの。がんばりましょう。がんばります。がんばるぞ!
(02−9−22)B

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子育て随筆byはやし浩司(120)

前向きに伸びる

 先日、ためしに、パソコン用カメラを買ってみた。六〇〇〇円という安い値段のカメラだった。
(高価なカメラを買っても、意味がない。インターネットなどでは、むしろわざと画質を落として使
うことが多い。)で、このカメラは、説明書どおりに設置したら、スンナリと機能した。

 そこであれこれ使ってみたら、これが結構、おもしろい。さっそく、先日申し込んだ、インター
ネットディスク(ブロードバンドストレージ)にアップロードしてみた。これもうまくできた。これから
は私のホームページから、読者のみなさんに、私の声を直接、届けることができるようになっ
た。興味のある方は、「はやし浩司のホームページ」のトップページから、「ビデオ・動画」コーナ
ーへ進んでみてほしい。まだ試作段階だから、見苦しい点もあるが、こういうものだということ
は、わかってもらえる。

 何か新しいことに挑戦してみるというのは、本当に楽しい。もともと機械いじりが好きだったか
ら、パソコン相手に知恵比べをしているときというのは、楽しい。もっともこれには条件がある。

 私が「楽しい」と思うときは、前向きにあれこれ考えているとき。たとえばAという機能と、Bと
いう機能をつなげて、新しい機能を開拓する、とか。そういうときは、楽しい。いくらパソコン相
手でも、たとえばリカバリーに追い込まれるような状態になると、イライラする。それから受ける
ストレスは、相当なものだ。脳ミソが爆発しそうになる。しかしこれは人生についても、同じこと
が言える。

 いくら忙しいと言っても、前向きに生きていくときは楽しい。しかしたとえば借金に追われると
か、責任を追及されるとかいうのであれば、同じように忙しくても、これは楽しくない。(私は生
涯において、借金に追われたことはない。いつも最低限の質素な生活をこころがけている。念
のため。)そこでさらに考える。実は子どももそうで、前向きに伸びていく子どもは、それだけで
生き生きしている。しかしたとえば成績がさがるとか、学校の勉強がわからなくなるという状態
になると、とたんに子どもの表情は暗くなる。もちろんいくら前向きに伸びているといっても、そ
の途中で、つまずいたり、失敗したりすることはある。しかし前向きに伸びている勢いが強い
と、多少の山や谷なら、あっという間に越えてしまう。

 そこで子どもを伸ばすためには、前向きに生きているというリズムを用意すること。こんな簡
単なテストがある。

●あなたの子どもは、何か新しいことができるようになったときとか、園や学校の先生にほめら
れたようなとき、それをあなたにうれしそうに報告にくるだろうか。

 あなたの子どもが、うれしそうに報告にきたり、「ママ、見て、見て!」と言ってくるようなら、よ
し。あなたの子どもは前向きに伸びていることになる。そうでなければそうでない。で、こうした
リズムは、実は親がつくるもの。もしあなたの子どもの表情が暗いようであれば、子どもをなお
そうと考えるのではなく、あなた自身の心を作り変える。方法は簡単。
 
 今日からでも遅くないから、子どもをほめる。ほめてほめて、ほめまくる。「あなたはいい子」
「あなたはすばらしい子」と。欠点があったら、なおさらほめる。「あら、あなたは、できるように
なったわね」「この前より、じょうずになったわね」と。最初はウソでもかまわない。これを三〜六
か月も繰り返していると、あなたはその言葉を自然な形で言えるようになる。そのとき、あなた
の心は作り変えられ、子どもの表情も明るくなる。

 私も何か新しいことができるようになるたびに、ワイフにそれを見せる。するとそのたびに、ワ
イフが、「ヘエ〜」と感心してみせてくれる。何でもないことのようだが、そういうワイフの姿勢
が、私のパソコンの、大きな励みになっている。カメラでビデオを送ることができるようになった
とき、もちろん、最初の一作は、当然、ワイフのパソコンに送った。
(02−9−22)※

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子育て随筆byはやし浩司(121)

内面世界と外面世界

 恩師がこう言った。「いろいろな活動をしてみることです。人とのふれあいが、またあなたを伸
ばします」と。

 そのとき、私は、あの鈴木M氏という政治家(逮捕されても、まだ議員辞職していないので、
一応政治家)を頭に思い浮かべた。「疑惑のデパート」と批判された政治家である。外務省幹
部と組んで、まさにしたい放題。政治的な力(?)はあったのだろうが、テレビ画面をとおしてみ
る、彼のあの醜悪さはいったい、どこからくるのか。つまり彼ほど、「いろいろな活動」をした人
物も少ない。しかし鈴木M氏は、そういう活動をとおして、いったい、何を学んだというのか。

 たしかにいろいろな人に会うことは、大切なことだ。しかし内面世界がともなわないと、外面世
界での活動が、かえって内面世界を破壊してしまうこともある。昔風な言い方をすれば、「悪人
がかえって知恵をつける」ということにもなりかねない。鈴木M氏が、まさにその一例ということ
になる? そこで内面世界の充実が問題となる。いかにすれば、私たちは内面世界を充実さ
せることができるか。

 ただその前に、こういうことも言える。私は今、政治の世界とは無縁だから、結構きれいごと
を並べて、まあ、偉そうなことを言える。しかしもしその私が今、政治家の世界に落とされたら、
そのきれいごとをそのまま実行できるか。たとえば電話一本で、数百万円もの大金を手にする
ことができるとしたら、それを断ることができるか、と。内面世界は、外面世界とふれたとき、そ
の真価がためされる。

 内面世界をみがくためには、ただひたすら考え、ただひたすら自分を追求することでしかな
い。いわゆる「真理の探究」である。しかし方法は、さまざまなようだ。先の恩師は、「静かに考
えることだ」と話していたが、私は、考えているだけでは、自分の考えをまとめることができな
い。私のばあいは、こうして文を書くことが、考えることになる。ひとりぼんやりしていると、それ
なりにいろいろと考えはするが、それぞれの考えが勝手に乱舞してしまい、自分でも収拾がつ
かなくなる。これはひょっとしたら、理科系(恩師)の立場と、文科系(私)の立場の違いによるも
のではないのか。私の世界では、木から落ちるリンゴを見て、万有引力を発見したニュートン
のようなことは、起きない。

 外面世界をみがくためには、いろいろな世界に顔を出すこと。しかもその世界というのは、大
きければ大きいほどよい。高ければ高いほどよい。実際その恩師などは、国際的な学会の会
長までしている。今もそうだが、東大の教授時代には、それこそ毎月のように世界中をわたり
歩いていた。今に見る、神々しいほどまでの近寄りがたさは、そういうところから生まれた。が、
それも結局は、充実した内面世界があったからにほかならない。いや、内面世界が充実した
結果として、外面世界が広くなり、その広くなった分だけ、また内面世界を充実させたとも考え
られる。いわゆる相乗効果というのだ。

 どちらにせよ、つまり内面世界をみがくにせよ、外面世界をみがくにせよ、結局は、自分をよ
り高度な世界に導くためのもの。それは山登りに似ている。高い山に登れば登るほど、広い世
界が見える。どうせ一回しかない人生だから、私は死ぬまでにその広い世界を見たい。これは
あくまでも私の、つまりは個人的な願望でしかないが……。
(02−9−23)※

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子育て随筆byはやし浩司(122)

「ハズ論・ベキ論・ダカラ論」

 兄弟だから仲がよいはずと、考えるのは、誤解。兄弟、姉妹で、他人以上に憎みあっている
兄弟、姉妹はいくらでもいる。しっかりとした統計をとっているわけではないので、不確かだが、
男どうしの兄弟より、女どうしの姉妹のほうが、仲が悪くなるケースが多いようだ。今まであった
相談でも、女どうしの姉妹のケースのほうが、はるかに多い。昔からこう言う。『年(年齢)の近
い姉妹は、憎しみ相手』と。よい意味でも、悪い意味でも、年齢が近い姉妹は、たがいにライバ
ルとなりやすい。姉のほうがリーダーシップをとれば、それなりにうまくいくが、たとえば妹のほ
うが、できがよかったり、容姿がよかったりすると、姉のほうがそれに嫉妬することが多い。こ
れもそうだが、昔からこういうことも言う。『女の嫉妬はこわい』と。

 今日も電話で、そういう相談があった。ほかの相談だったが、話のついでに、その母親はこう
言った。「どうしてうちの子(高一と中二)は、ああも仲が悪いのでしょうねエ」と。妹が姉のブラ
シを使っただけで、おおげんかになるという。「妹はブラシを使っていないのです。たまたま動か
したのを、姉は『使った』と怒るのですね」と。

 私も無数の相談を受けてきたが、こうした問題は、それを受け入れて、あきらめるしかない。
仲をよくしようと考えても、ムダだし、親が何かをすればするほど、たいてい逆効果。もちろん説
教した程度で、なおる問題でもない。それよりも、「仲がよいハズ」という、「ハズ論」で、子ども
の心を決めてかからないこと。日本人はどうしても、この「ハズ論」や、「仲をよくすベキ」という
「ベキ論」、さらに「兄弟ダカラ……」という「ダカラ論」で、子どもの世界を決めてかかる傾向が
強い。もちろんほとんどの兄弟姉妹は仲がよいし、またそうであることが望ましい。しかしそうで
ない兄弟姉妹もいるということも、忘れてはならない。事実、こうした「ハズ論」や「ベキ論」、「ダ
カラ論」の陰で、人一倍苦しんでいる人も多い。こんな例もある。

 Kさん兄弟(五四歳男性と五〇歳男性)は、親の遺産相続に関する手続きがこじれて、裁判
所で家事調停をすることにした。裁判で争うというようなおおげさなものではなかった。それほ
ど仲が悪かったというわけでもない。で、調停は一回ですんだ。が、問題はそのあと、一〇年も
二〇年もつづいた。小さな村に住んでいたこともある。ことあるごとにKさん兄弟は、「あの兄弟
は、兄弟でも裁判をした」と、うしろ指をさされることになった。実は、私もその話を聞いたことが
ある。何かのことで、たまたまKさんの話になったときのこと。その人は、こう言った。
 「あの兄弟は、親の財産を取りあって、裁判で争いましたよ。兄弟でもねえ」と。

 これは兄弟、姉妹の話だが、日本にはこうした偏見があちこちに、満ち満ちている。偏見だら
けといってもよい。いまだに「内助の功」などという言葉が、平気でコマーシャルに使われたりす
る。「男は仕事(出世)、女は家事(内助)」というわけである。こうした偏見を正当化するときに
よく使われるのが、「ハズ論」「ベキ論」「ダカラ論」。しかしこうした「ハズ論」「ベキ論」「ダカラ
論」は、人間のワクを決め、型にはめるのには好都合だが、しかし一方で日本の社会を硬直さ
せている原因にもなっている。そこであなたもこうした言い方を耳にしたら、それはじゅうぶん疑
ってみたほうがよい。親子でも、兄弟でも、その基本は、一対一の人間関係で決まる。
(02−9−23)※

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子育て随筆byはやし浩司(123)

親の愛

●本能的な愛が消えるとき
 親が子どもに感ずる愛には、@本能的な愛、A代償的愛、それにB真の愛の三つがある。
 このうち本能的な愛というのは、生まれてきた新生児に感ずるような愛をいう。赤子がオギャ
ーオギャーと泣くと、親はいたたまれないような気持ちになる。それが本能的な愛である。本能
が悪いのではない。この本能があるから、親は子どもを育てる。

 少しきわどい話になるが、その年齢の男女が異性に感ずる愛も、これと同種のものと考えて
よい。私もある時期、女性の足の線を見ただけで、ムラムラと発情したのを覚えている。クソま
じめ風に見える私ですら、そうなのだから、あとは推してはかるべし。しかしそういう本能がある
から、男は女の体を求め、結婚し、そして子どもをもうける。もしこの本能がなかったら、人類
はとっくの昔に滅亡していた。

 同じように、親は赤子にいたたまれないような愛を感ずる。ある母親は、こう言った。「眠って
いる子どもの顔を見ていると、そのまま食べてしまいたいような衝動にかられる」と。また別の
父親は、こう言った。「おむつを取り替えているとき、突然、赤ん坊がウンチを出した。私はそ
れを汚いとも思わず、手で受け止めた」と。

 従来、こうした親から子どもへの働きかけは、一方的なものと思われてきた。しかし最近の研
究では、実は子どもの側からも、親に働きかけがあるというのだ。これを相互愛着という(M.H.
Claus,J.H.Kennell;1976)。つまり子どもは子どもで、自らかわいらしさを演出しながら、親の心を
自分に引き寄せようとする。しかしそれも若い男女を見ればわかる。男は女に欲情を覚える
が、一方、女は女で、無意識的であるにせよ、意識的であるにせよ、男を自分に引き寄せよう
とする。胸元を大きくあけて、乳房を見えるようにしたり、スカートのたけを短くして、太ももを見
えるようにしたりするなど。

 この相互愛着が何らかの理由で、阻害されると、子どもの側に、いろいろな問題が生じてく
る。たとえば施設児の問題(ホスピタリズム)がある。生後まもなくから、親の愛を感じないで育
った子どもは、独特の症状を示すことがわかっている。感情の起伏がとぼしくなる、愛想はよい
が心を開かない、知恵の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどの独特のクセが身につきや
すいなど。もう少し大きくなると、赤ちゃんがえりという現象もある。下の子どもが生まれたりす
ると、上の子どもが急に赤ちゃんぽくなることがある。これは子どもが本能的な部分で、自らを
赤ちゃんに戻し、親の愛を取り戻そうとする行為と理解すると、わかりやすい。

 その本能的な愛は、決して長くは続かない。中には、溺愛という形で、長くつづく親もいるが、
ふつうは、子どもが三、四歳になるころには、あるいはもっと早い時期に、消える。ひとつのバ
ロメーターとして、子どものウンチがある。あなたは子どものウンチを、いつごろから汚いと思う
ようになっただろうか。一度、こうしたアンケート調査をしてみるとおもしろいと思うが、私が聞い
た範囲では、だいたい三、四歳ぐらいではないか。それ以後、母親でも、子どものウンチを急
速に汚いと思うようになる。

 問題は、その本能的な愛が消えるにつれて、それと反比例する形で、別の形の愛が生まれ
てくる。それが代償的愛である。一見愛に見えるが、愛ではない。いわば、愛もどきの愛と考え
るとわかりやすい。たいていの親は、代償的愛をもって、親の愛と誤解する。……している。

●代償的愛
 代用的愛というのは、親自身の心のすき間を埋めるための愛と考えるとわかりやすい。子ど
もを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと思う愛のことをいう。一見、子どもを
愛しているかのように見えるし、親自身もそう思いこんでいるケースが多い。たとえば近所の同
年齢の子どもが英会話教室に通うようになったとする。そのとき「あら、たいへん。うちの子も」
と考えて、自分の子どもも、その英会話教室に通わせたとする。その原動力になるのが、代償
的愛である。このとき親は、「子どものため」と言いながら、結局は、自分の不安を解消するた
めに、そうしているにすぎない。

 もっとも代償的愛がすべて悪いわけではない。代償的愛は、真の愛への、ワンステップと考
えることができる。たとえば男が女に向かって、(セックスをしたい)という欲望を満たすため
に、「愛」という言葉を使ったとする。このばあいも、代償的愛だが、その愛は、やがて真の愛
へと昇華する可能性を秘めている。子どものばあいもそうで、たいていの親は、代償的愛をき
っかけとして、やがて真の愛へと進んでいく。こんな例がある。

 ある母親は、子ども(六歳男児)の受験勉強に狂奔した。明けても暮れても、受験のことばか
り。まさになりふり構わずといった状態だった。が、受験は失敗。その夜のこと。あとで母親は、
私にこう話してくれた。
 「子どもの寝顔を見たとき、あまりの美しさに心を奪われました。神々しい顔というのは、ああ
いう顔をいうのですね。私はその顔を見て、自分の醜さを思い知らされました」と。
 この母親も、代償的愛から出発し、真の愛へと一歩近づいたことになる。

 ここで誤解しないでほしいのは、本能的な愛、代償的愛、それに真の愛は、たがいに対立す
るものではないということ。たいていの親は、この三者を同時進行の形で、もっている。本能的
な愛をもちながら、一方で代償的愛的な部分をもつとか、あるいは一方で真の愛を感じなが
ら、本能的な愛に翻弄(ほんろう)されるなど。実際のところ、どこからどこまでが本能的な愛
で、どこからどこまでが代償的愛なのか、わからないときがある。またそういうふうに分けたとこ
ろで、あまり意味はない。ただ、代償的愛を繰り返しながら、それを親の愛と誤解するのは、ま
ずい。これにもいろいろな例がある。

 ある母親(五五歳)は、自分の長男(三〇歳)の縁談話がもちあがるたびに、それに猛烈に反
対し、破談にしてしまっていた。長男の体が弱かったこともある。しかし母親は、「あんな女で
は、財産が食いつぶされる」「あの女は家系が悪い」「あの女は、素性が知れない」とか言って
は、それに反対した。一見、母親は長男の心配をしているかのように見えるが、実は自分のわ
がままを通していただけである。その母親もことあるごとに、「子どもはかわいいものだ」と言っ
ていた。

 こうした代償的愛が、極端になったものが、いわゆるストーカーである。ストーカー行為を繰り
返す男(女も)は、相手の迷惑などというのは考えていない。行為自体がきわめて自己中心的
で、一方的なもの。そして異常な過関心、過干渉をもつことが、相手への深い愛の証(あかし)
であると錯覚する。これは他人という、男女の間の問題だが、しかし同じような行為が、親子の
間でもなされることがある。こんな例がある。

●ストーカー行為を繰り返す母親
 一人娘が、ある家に嫁いだ。夫は長男だった。そこでその娘は、夫の両親と同居することに
なった。ここまではよくある話。が、その結婚に最初から最後まで、猛反対していたのが、娘の
実母だった。「ゆくゆくは養子でももらって……」「孫といっしょに散歩でも……」と考えていた
が、そのもくろみは、もろくも崩れた。

 が、結婚、二年目のこと。娘と夫の両親との折り合いが悪くなった。すったもんだの家庭騒動
の結果、娘夫婦と、夫の両親は別居した。まあ、こういうケースもよくある話で、珍しくない。し
かしここからが違った。

 娘夫婦は、同じ市内の別のアパートに引っ越したが、その夜から、娘の実母(実母!)による
復讐が始まった。実母は毎晩夜な夜な娘に電話をかけ、「そら、見ろ!」「バチが当たった!」
「親を裏切ったからこうなった!」「私の人生をどうしてくれる。お前に捧げた人生を返せ!」と。
それが最近では、さらにエスカレートして、「お前のような親不孝者は、はやく死んでしまえ!」
「私が死んだら、お前の子どもの中に入って、お前を一生、のろってやる!」「親を不幸にした
ものは、地獄へ落ちる。覚悟しておけ!」と。それだけではない。どこでどう監視しているのか
わからないが、娘の行動をちくいち知っていて、「夫婦だけで、○○レストランで、お食事? 結
構なご身分ですね」「スーパーで、特売品をあさっているあんたを見ると、親としてなさけなくて
ね」「今日、あんたが着ていたセーターね、あれ、私が買ってあげたものよ。わかっている
の!」と。

 娘は何度も電話をするのをやめるように懇願したが、そのたびに母親は、「親に向かって、
何てこと言うの!」「親が、娘に電話をして、何が悪い!」と。そして少しでも体の調子が悪くな
ると、今度は、それまでとはうって変わったような弱々しい声で、「今朝、起きると、フラフラする
わ。こういうとき娘のあんたが近くにいたら、病院へ連れていってもらえるのに」「もう、長いこと
会ってないわね。私もこういう年だからね、いつ死んでもおかしくないわよ」「明日あたり、私の
通夜になるかしらねえ。あなたも覚悟しておいてね」と。

 こうした傾向は、どんな親にもある。要は程度の問題ということになる。そこであなたの代償
的愛の度合いを、自己診断してみよう。

●代償的愛
 つぎの項目のうち、五個以上あてはまれば、あなたの子どもに対する愛は、代償的愛と疑っ
てみてよい。

○子どもに対して、日ごろから、「産んでやった」「育ててやった」という意識をもつことが多い。
○親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、いい子と考える傾向が強く、そう
いう親子関係が理想だと思う。
○日ごろから子どもの行動のみならず、自分に対してどのように思っているかが気になる。子
どもの心をさぐることも多い。
○「私は親だ」という親意識が強く、おけいこごとでも何でも、親の自分が先に決め、子どもの
行動を決めることが多い。
○子どもの前で、自分を美化したり、虚勢をはったりすることがある。子どもの前では、よい親
を演ずることが多い。
○子どもが自分から離れていくのを許さない。あるいは、離れていこうとする子どもの心が理解
できない。
○親子関係は絶対的なもので、どんなことがあっても、切れるものではないと確信している。
「親子の縁を切る」などというのは、ありえない。
○子どもは親に尽くすべき存在と考えることが多い。またそれをしない子どもは、親不孝者と考
えてよい。
○子どもの将来についての責任は、親がもつべきだと考える。子どもの婚約者、仕事、生活に
ついて、親がアドバイスするのは、当然と思う。
○明けても暮れても、子どものことが気になることがある。子どもが何か失敗をしたり、事故に
でもあうのではないかと、ハラハラすることが多い。
○子どものこまかいことが気になり、子どもが失敗すると、必要以上におおげさにしかったり、
問題にしたりすることがある。

自分の代償的愛に気づいたら、……というより、この問題は、それに気づくだけでも、問題の
ほとんどは解決したとみる。ほとんどの親は、子どもに対して代償的愛を繰り返しながら、それ
にすら気づかないでいる。中には、それが真の愛と誤解している人もいる。「私は親のカガミ
だ」と。しかし何度も繰り返すが、代償的愛は、「愛」ではない。親の自己中心的な、身勝手な
愛にすぎない。

●真の愛
 真の愛については、ここでは省略する。かわりに中日新聞に掲載した記事を、ここに転載す
る。

無条件の愛

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は自由
だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、もしその恐
怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可能なのか
…? その方法はあるのか…? 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっ
としたら私は、死の恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中
で、私はこんな経験をした。

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。
息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカでは、花嫁の居住地で式をあげる習わしになってい
る。式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺
さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声
が震えた。息子「アメリカ国籍を取る」私「日本人をやめる、ということか…」息子「そう」「…いい
だろ」と。私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛する
がゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には「無条件の愛」という言葉があ
る。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の
心が抜けるほど軽くなったのを知った。

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け
入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由など
ない。一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、
おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができれば、私
は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地に達することができ
るようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし一つの目標にはなる。息子が
それを、私に教えてくれた。
(02−9−24)※

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子育て随筆byはやし浩司(124)

映画『サイン』を見る

 タッチストーン社制作、メルギブソン主演の、『サイン』を見る。ワイフと見る。しかし……。派
手な宣伝とは裏腹に、がっかりの連続。見終わったあと、「どうしてこんな映画が……?」と思っ
てしまった。

 理由の第一。矛盾だらけ。宇宙人が、人間をエサに捕獲するために地球へやってきたという
想定だが……、
@どうしてミステリーサークルを作らねばならないのか。「道しるべ」ということだそうだが、今ど
きの宇宙人がそんなことをするだろうか。地球人が私たちが乗る車にさえ、カーナビが標準に
なりつつある。

A宇宙人が直接、地上へ降りたち、指の間から吹き出すガスで人間を倒すというが、宇宙人
がそんなことをするだろうか。私が宇宙人なら、細菌兵器か化学兵器を使う。最後のところで、
野球のバットをもっ人間と格闘するところがあるが、ただただ……?

B宇宙人は水がかかると、皮膚が溶けるということだが、そうなら地球へはやってこない。宇宙
から見ると、この大気も含めて、地球はまさに水の惑星。映画の途中で、「日本へは来ないな」
と思った。湿気に関しては、日本は名だたる国。だいたい水で皮膚が溶けるくらいなら、宇宙服
を着てくるはず。

C一人の若い女性が、「世界が終わる」ことを理由に、メルギブソンに懺悔(ざんげ)を受けてく
れるように頼むシーンがある。メルギブシンは、牧師だったが、妻が交通事故で真だあと、信
仰を捨てる。こういう発想そのものが、どこか短絡的だが、その女性のした懺悔が、これまた
おかしい。何でも「fxxx」(ひわい語)を、使ってしまったというのだ。そんなときに、そんな懺悔な
どするだろうか。

D実に質素な制作費で作られた映画ということがよくわかる。セットといっても、ふつうの民家
一軒程度。近年にない安あがりの映画だと思う。さらに驚いたのは、宇宙人の姿。ブラジルの
子どもたちが目撃する宇宙人などは、まさにあれは?、と思うほど、チャチな宇宙人。しかも出
てきた宇宙人は、たったの一人だけ。宇宙船も、テレビに映った光の列だけ。メルギブソンの
熱演ぶりとは別に、最初から最後まで、思わせぶりの連続。最後にはあくびが出て、私は思わ
ずワイフと顔を見あわせて、笑ってしまった。

 で、最初にもどって、ミステリーサークル(サイン)は何だったのかということになる。またいく
つかの偶然は偶然ではなかったというシナリオになっているが、どこをどうつついても、無理が
ある。興味のある人は、あの映画を見たらよい。私はどこか『未知との遭遇』のような映画を期
待していったが、比較にならぬほど、お粗末。『未知との遭遇』は、合計で、一〇回ほど見た
が、『サイン』は、英語の表現を借りるなら、「ワンズ・イナフ(一回でたくさん)」。メルギブソンの
ような大物俳優を使ったが、ただただもったいない。もし主演がメルギブソンでなければ、昔
の、海生人のドタバタ映画程度の評価しか受けなかっただろう。ワイフと楽しみにして行った映
画だけに、残念だった。
(02−9−24)※

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子育て随筆byはやし浩司(125)

教育はサービス業?

 手を入れようと思えば、いくらでも手を入れられる。しかし手を抜こうと思えば、いくらでも手を
抜ける。それこそプリントだけ配って、それですまそうと思えば、それでもすむ。実際、プリント
学習だけを、堂々と売り物にしている学習塾はいくらでもある。親は親で、プリントという「成果
(証拠)」が残るため、かえってそのほうを喜ぶ。教育のこわいところはここにある。

 教育は料理に似ている。材料から吟味して、一から自分で作る料理もある。電子レンジで温
めてつくる料理もある。皮肉なことに、電子レンジで温める料理のほうが、おいしかったりする。
値段もかえって安くつくかもしれない。もちろん時間も節約できる。

 学校の教育もまた、同じような立場に置かれつつある。手を抜くというより、抜かざるをえない
状況にある。ある女性教師(小学三年生担任)はこう言った。「私は教科指導の主任をしていま
すが、生活指導で追われている先生に、どうして教科指導ができるでしょうか」と。別の教師は
こう言った。「授業中だけが、心と体を休めることができる場です」と。これが今の教師たちのお
かれた、偽らざる本音ではないか。つまり今の教師たちは、雑務、雑務で、忙しすぎる。

 が、それだけではない。教育はまさにサービス業。仮に手を入れたとしても、数回もそれを繰
り返すと、当たり前になる。当たり前になって、親や子どもたちは、「もっと……」と言い出す。こ
んなことがあった。

 幼稚園にいたころ、一人、何かと問題のある子ども(年長児)がいた。どこがどう問題があっ
たかということは別にして、私は幼稚園が終わると、バスがくるまで、その子どもを預かってい
ろいろ教えた。もちろん無料。親の了解をとってからのことである。
 で、最初は親も感謝していたが、しかし数か月もすると、それが当たり前になり、親はこう言
い出した。「今は、週二回みていただいていますが、何とか三回にふやしていただけませんか」
と。

 子どももそうだ。たとえば「忘れ物」。私自身がよく忘れ物をするから、生徒が忘れ物をして
も、私は怒らない。しかし忘れ物をするたびに、こちらが用意してあげていると、生徒はそれが
当たり前と思うようになり、自分では用意しなくなる。で、あるときから、こちらで用意せず、子ど
も自身に不便を感じさせたりすると、そういう子どもにかぎって、家に帰ると、私の悪口を言い
始める。「先生は、何もしてくれない。ぼくが頼んでも、無視した!」と。

 教育はまさにサービス業。大切なのは教える側の「やる気」だが、先生のやる気を引き出す
のも、殺すのも、結局は親しだいということになる。これについては、また別のところで書く。
(02−9−24)※

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子育て随筆byはやし浩司(126)

すばらしい季節、秋

 このところ、朝起きると、すがすがしい空気に包まれる。さわやかで、気持ちよい。おかげで、
毎日、七〜八時間、ぐっすりと眠られる。そこで考える。

 今は、ちょうど、夏と冬の中間の季節。暑い夏と、寒い冬の間の季節ということになる。つまり
暑い夏や、寒い冬があるから、今の季節を、すばらしいと感ずる。もし暑い夏や、寒い冬がな
ければ、今の季節を、すばらしいとは思わない。それはちょうど幸福論に似ている。健康論でも
よい。不幸になったり、あるいは不幸な人がいるのを知るから、幸福のありがたさがわかる。
あるいは病気になったり、死の恐怖があるから、健康のありがたさがわかる。さらに、こんなこ
とも言える。

 夏と冬の、ちょうど中間の季節を、「すばらしい」と思うのは、人間(日本人)の体が、進化の
過程で、そういうふうに作られたためだということ。アメリカのイエローストーンには、巨大なガイ
スターと呼ばれる、温水の噴水がある。間欠泉(かんけつせん)という。時間的間隔をおいて、
熱湯や水蒸気を噴出する噴水だが。あんなところにも、種々の微生物が住んでいる。多分、そ
ういう微生物には、そういうところが住みやすいのだろう。熱湯が噴出したときには、「おお、夏
だ、暑いな」と。そしてしばらく噴水が止まったようなときには、「寒いなあ、冬だ」と。

 要するに気持ちよいかどうかは、その環境になれているかどうかということ。昔、オーストラリ
アの友人と、オーストラリアを旅をしたときのこと。私は彼らの(暑さ、寒さの感覚)は、日本人
のそれとは違うことを発見した。総じてみれば、オーストラリア人(白人)は、日本人より、暑さに
弱く、寒さに強い。私が寒くてブルブル震えているようなときでも、シャツ一枚で、平気で生活し
ていた。

 そこで日本人の私。今日は、九月二五日。秋分の日から二日目である。暦の上でも、夏と冬
の中間点になる。この時期の季節を気持ちよいと思うのは、日本人として、この土地でそのよ
うに進化したためである。事実、インドの友人は、日本の今ごろの季節を、昔、「寒い」と言っ
た。オーストラリア人の友人は、「暑い」と言った。この季節を「すばらしい」と思うのは、この日
本に住んでいる日本人だから、だ。そこでさらに考える。

 たまたまこれが季節の問題だからよいようなものの、たとえば空気の濃淡が、変化したらどう
なるかということ。数年おきに、酸素の濃度があがったり、さがったりするとか。濃度があがっ
たときには、栄養物の燃焼がはやくなり、疲れやすくなる。しかしさがったときには呼吸が苦しく
なり、ばあいによっては、走ることもままならなくなる。おそらく季節と同じように、その中間あた
りのところで、人々はこんな会話をするに違いない。「(酸素が)濃くもなく、薄くもなく、息が楽で
すねえ」と。

 そういう意味で、人間の感覚というのは、人間を中心とした、相対的なものでしかない。同じよ
うに、日本人の私がもつ感覚というのは、日本人を中心とした、相対的なものでしかない。そこ
で大切なことは、こうした人間中心の、あるいは日本人中心の感覚を、ほかの動物に押しつけ
たり、あるいはほかの民族に押しつけてはいけないということ。人間も、そして日本人も、謙虚
であるべきところでは、謙虚であるべきである。……と、考えて、この話はここでやめる。とにか
く、今は、すばらしい季節なのだから。
(02−9−25)※

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子育て随筆byはやし浩司(127)

育児ノイローゼのあとに

 育児ノイローゼというのがある。症状は、まさに「うつ病」的だが、子育ての世界では、こうした
病名をつけることは許されない。

 その育児ノイローゼになった母親について、そのあと私は、おかしな現象を経験している。そ
のノイローゼを乗り越えたあと、たいていどの母親も、異常なまでにがんこになるということ。ふ
つうのがんこではない。まったく他人の意見に耳を傾けなくなる。ノイローゼがその母親をたく
ましくしたとも考えられるし、あるいは脳の機能が一部、変調したとも考えられる。Rさん(三五
歳)もそうだった。

 あるとき突然、電話がかかってきた。そしてRさんはこう言った。「先生は、うちの子(小一男
児)の答案に丸をつけたが、まちがっている答もある。どうして丸をつけたのですか」と。そこで
私は、「一生懸命やったら、それでよしとしています。少しくらいのミスは大目に見てあげてくだ
さい」と。

 それで私の方針がわかってもらえたはずだが、また数週間もすると、同じことで、同じような
電話をかけてくる。あとはこの繰り返し。よく観察すると、心のどこかが、きわめて鈍感になって
いるのがわかる。繊細(せんさい)な会話が通じない。あるいは微妙な言いまわしが理解できな
い? まるで心全体が、厚いカラに包まれたかのようになる。何を考えているか、わからなくな
る。会話全体が、ぶっきらぼうになり、ズケズケとものを言う。

 ほかにこのタイプの母親の特徴は、いわゆる面従腹背というのか、表面的には、「ハイハイ」
と従うフリをしながら、結局は、自分の思いどおりにしてしまう。またそうならないと気がすまな
いといったふうになる。そして結果として、まわりのものの言う意見に耳を傾けなくなる。つまり
そうすることで、自分の心を守り、育児ノイローゼから抜け出ることができたとも考えられる。だ
からよけいに、がんこになる?

 子育ての世界で、「がんこ」というのは、自分のまわりにカラをつくり、その中に閉じこもること
をいう。そしてそのカラの中で、自分を正当化し、その返す刀で、相手を否定する。このタイプ
の母親は、たいてい自分が絶対、正しいと思い込んでいる。考えること、すること、すべてが、
である。あえてもう一つの特徴をあげろと言われれば、つぎのようなこともある。何か、私のよう
なものが意見を述べたりすると、視線を下へおろし、わかったようなフリをしながら、結局は無
視するということ。たいていは柔和な表情を浮かべたまま、無視する。心と表情が遊離している
ためと考えられる。

 もちろん私は、こうした現象がなぜ起きるのか、わからない。また心理学の世界で、どのよう
に説明されるのかも知らない。しかし現象としては、ある。ここではそれを書くにとどめる。もう
少しこのタイプの母親を観察してみる。何か新しいことがわかれば、また詳しく報告したい。
(02−9−25)

(注意)このエッセーは、思いついたまま書いたので、正確ではありません。そういう見方もある
のかあという程度に、お読みください。言うまでもなく、私自身、ここまで断言できるほど、じゅう
ぶんな事例にあたっているわけではありません。あくまでも経験的な意見というようにお考えく
ださい。

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子育て随筆byはやし浩司(128)

がんこな子ども

 「がんこな子ども」というときは、ふつう、つぎの二つのタイプを考える。@自分のカラにこも
り、かたくなな態度や様子を示す。ある男の子(年長児)は、幼稚園で、いつも同じ席でないと
座ろうとしなかった。また別の男の子(年長児)は、毎朝、いつも同じズボンでないと、幼稚園へ
行かなかった。ほかに二年間、毎朝迎えにきてくれる幼稚園の先生に、一度もあいさつをしな
かった子どももいた。

 もうひとつは、A「自分が絶対正しい」と、かたくなになることをいう。このタイプの子どもは、そ
の返す刀で、「相手は絶対にまちがっている」と主張する。そして結果として、自分の思いどお
りにならないと気がすまない。あるいは自分の思いどおりにしてしまう。教える側からみると、と
もに何を考えているかわからないタイプの子どもということになる。ふつう心と表情が遊離する
ため、柔和な表情や、穏やかそうな顔つきになることが多い。

 こうした「がんこさ」は、子どもにとっては好ましくない。子どもの心に何か変調が起きると、子
どもはがんこになる。で、その対照的な位置にある子どもが、「すなおな子ども」ということにな
る。心と表情が一致している子ども、心のゆがみのない子どもを、すなおな子どもという。うれし
いときは心底、うれしそうな表情をする。悲しいときは、心底悲しそうな表情をする。親切にして
あげたり、やさしくしてあげると、その親切ややさしさが、そのままスーッと子どもの心の奥にし
みこんでいくのがわかる。なおここでいう「心にゆがみのある子ども」というのは、ひねくれたり、
つっぱったり、いじけたりしやすい子どもをいう。
 
 子どもにこうしたがんこな様子が見られたら、子どもをなおそうと考えるのではなく、家庭環
境、とくに親子関係を反省する。もちろん生来の問題もあるが、コツは、今の状態をより悪くし
ないことだけを考えて、一年単位で様子をみる。私はこのタイプの子どもを預かったときには、
とにかく大声で笑わせることだけを考えて指導する。実際、その「大声で笑う」という行為には、
不思議な力がある。もしあなたの子どもが、ここでいうような「がんこさ」を見せたら、どんな方
法でもよいから、大声で笑わせることに心がけたらよい。大声で声を出させるのもよい。
(02−9−25)※

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子育て随筆byはやし浩司(129)

自意識と一撃論

●自意識
 自意識を一言で言えば、「自分を客観的に見る力」ということになる。子どものばあい、小学
三〜四年生前後に、この自意識が芽生えてくる。それ以前の子どもは、まさに自分であって自
分でない状態にあるとみる。だからたとえば幼児に、「静かにしなさい」「落ちつきなさい」「騒い
ではダメ」と言っても、ムダ。自分がそうであるという自覚そのものが、ない。私はこのことを、
ある中学生(男子)と話していて気づいた。

 その中学生は、幼児から小学二〜三年にかけて、いっしょにいるだけで、こちらの気がヘン
になるほど、騒々しい子どもだった。今、専門機関で診断を受けたら、ADHD児(多動児)と診
断されたかもしれない。その中学生に、私はこう聞いてみた。「君は、小学生のころ、みんなに
迷惑をかけたが、覚えているか?」と。するとその中学生は、「いいや」と。そこであれこれ問い
ただしてみたが、その中学生には、自分がそうであったという意識が、まったくないことを知っ
た。そこで私が、「先生や親に、叱られたことは覚えているだろ?」と聞くと、こう言った。「ぼくが
何も悪いことをしていないのに、先生は、ぼくを目のカタキにして怒った」と。

 この自意識が芽生えてくると、子どもは、自分をコントロールするようになる。どういうことをす
れば、得で、どういうことをすれば、そうでないかがわかるようになる。そしてそういう判断に従
って、行動できるようになる。言いかえると、こういう子ども自身がもつ「力」を利用すると、それ
まであったいろいろな問題を、この段階でなおすことができる。たとえばここにあげた中学生が
そうだった。

 今、どこの幼稚園へ行っても、ADHD児が話題になる。一種のブームのようなものかもしれ
ない。しかしこのタイプの子どもも、小学三〜四年生を境に、その症状は急速に収まってくる。
中学生にもなると、外見的には、まったくわからなくなる。(どこかフワフワとした騒々しさは残る
が、それはプロだからわかることで、ふつうの人にはわからない。)ほかに幼児期に、自閉症に
なった子どもや、緘黙(かんもく)症になった子どもでも、この時期を境に、症状が急速に消える
ことが多い。

 中に症状が残ったり、さらに症状がひどくなる子どももいるが、それは子ども自身がそうなっ
たというよりは、家庭教育の失敗が原因と考えてよい。たとえば幼児期に多動性を示すと、た
いていの親は、はげしく子どもを叱ったり、威圧したりする。こうした無理が、かえって症状をこ
じらせてしまう。そしてこうした問題は、こじらせればこじらせるほど、あとあと立ちなおりがわる
くなる。あるいはさらに症状を悪化させてしまう。とくに注意したいのが、「一撃」である。たとえ
ば子どもの不登校にしても、最初の一撃が、子どもの心を決定的なまでに破壊する。

●一撃論
 A君(小一)は夏休みが終わったころ、ある朝、突然、「学校へ行きたくない」と言い出した。そ
の少し前から、あれこれ神経症による症状を示していたが、母親は、「気のせい」とその兆候を
見落としてしまった。で、その朝、かなりはげしいやりとりをしたあと、A君はトイレに逃げてしま
った。
 この段階で母親が、「あら、そうね。だれだって学校へ行きたくないときもわるわね」と、A君の
心を理解してあげていたら、症状は、それほど重くならなくてすんだかもしれない。しかし母親
は「不登校児になったら、たいへん!」という恐怖心から、さらにはげしく子どもを叱った。怒鳴
った。「トイレから、出てきなさい!」と。が、子どもは泣き叫んで、それに抵抗した。そこで母親
はトイレのドアをドライバーを使ってはずし、A君をそこからひきずり出した。A君はそれに抵抗
し、さらにはげしく泣き叫んだ……。

 これがここでいう「一撃」である。この一撃が、子どもの心を、決定的に、かつ取り返しがつか
ないほどまでに、キズつける。……つけることが多い。しかしこのときもっとも悲劇的なことは、
親自身にその自覚がないこと。親は親で、「私は子どもにとって正しいことをしている」と錯覚す
る。そして子どもの症状を、とことんこじらせる……。このA君も、その日を境に、まったく学校
へ行かなくなってしまった。

 話をもどすが、幼児期にいろいろな症状を示す子どもは、たしかに多い。しかしそういう子ど
もでも、症状さえこじらせなければ、やがてその時期がくると、自然な形でなおっていく。子ども
自身がもつ、自意識によって、なおっていく。子どもというより、人間には、もともとそういう「力」
がそなわっている。そういう力を信じ、またそういう力を利用して、子どもの心の問題はなおす。
そのとき役にたつのが、ここでいう自意識である。かりに今、あなたの子どもに問題があるとし
ても、子どもはやがて、(今のあなたがそうであるように)、自分の意思で自分をコントロールす
ることができるようになる。そこで大切なことは、@症状をこじらせないこと、Aそれまでに自意
識の準備をしておくこと、の二つである。「準備」というのは、言うべきことは言いながら、それが
「よくないことだ」ということだけは、教えていくことをいう。子どもがいつか自分に気づいたとき、
どうしてそれが悪いことなのかわかるようにしておく。その努力だけは怠ってはいけない。

●今、何かと問題のある子どもをもっているお母さんへ、

 それらの問題は、時期がくれば、かならずなおる。中になおらないケースもあるが、それは幼
児期に、親があせったりして、無理に無理を重ねた結果によるものと考えてよい。この時期
は、何度も書いたように、「今の症状をより悪くしないことだけ」を考えて、一年単位で様子をみ
る。とくにここに書いた「一撃」には、注意する。一見タフに見える子どもの心だが、ときには薄
いガラスの箱のようなときもある。
(02−9−27)※

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子育て随筆byはやし浩司

日本人の職業観(130)

 高校生が使う英語の教科書に、「POLESTARU」(数研出版)がある。その中に、「仕事を
選ぶ」(Choosing a career、プログラム8)というのがある。高校生のために書いた、いわば仕
事を選ぶためのガイドブックといったものだが、その中に、こんなことが書いてあった。

 「……仕事を選ぶとき、たとえば生物学のような仕事を選べば、(いつも家から離れて仕事を
するので)、家族生活が犠牲になることを考えなければならない。もしとくにしたいことがなけれ
ば、そのときできる仕事しごとをすればよい。しかしあなたに才能(タレント)があるなら、あなた
はどこでもその才能を生かした仕事ができるだろう」と。

 一読すると、何でもないことが書いてあるように思うかもしれないが、これらすべてが、日本人
にはない発想だけに、おもしろい。それを説明する前に、日本人がもつ職業観について書いて
おく。

 この教科書を説明しているとき、私は何人かの高校生に、こう聞いてみた。「君たちの先生
は、『仕事』と言うとき、コンビニや工場でするようなことを、仕事と考えていると思うか」と。する
と、全員、「ううん」と答えた。はっきりとは言わなかったが、「そういうのは、仕事ではない」と。
実は、ここに日本人独特の、ゆがんだ職業観がある。そこでさらに私は聞いてみた。「君たち
にとって、仕事とは何か」と。すると、それぞれが、「弁護士とか医者とか、まあそんなところか
な」「みんなができないことをするのが仕事。だれでもできるようなのは、仕事ではない」「設計
士とか、建築家は仕事。科学者も仕事かな」と。

 こうした職業観は、親たちももっている。目が「上」ばかり、向いている。そしてこうした職業観
が、結局は、学歴信仰の基礎になり、それがまわりまわって、日本の教育をゆがめている。そ
こで改めて、先ほどの教科書の内容を読んでみる。そこには、こうある。

@「家族生活が犠牲になる」……ひところ昔よりは目立たなくなったが、単身赴任という制度
は、今でもしっかりと日本の社会の中で生きている。何かにつけて、仕事が優先される。私た
ち日本人は、仕事を考えるとき、「家族の犠牲」という言葉はあまり使わない。最近、単身赴任
は、かえって仕事の効率を悪くするという意見があちこちから聞こえるようになったが、それと
て、「仕事の効率」という視点からの意見である。

A「とくにしたいことがなければ……」……この日本では、それが大半の人にとってはそうであ
るにもかかわらず、こうしたものの考え方を認めない。少し前には、「フリーター撲滅論」を唱え
る、高校の校長すらいた。仮に進路指導の先生が、「とくにやりたいという仕事がなければ、店
員でも工員でも、何でもいいではないか」などと言ったら、それだけでも問題になるのでは? 
この日本には、「よい仕事」と、「そうでない仕事」がある。江戸時代の身分制度のなごりと言っ
てもよい。職業には格づけがあり、その職業によって、人間の価値が決まる。しかもほとんど
の日本人は、無意識のまま、それをする。 

B「才能(タレント)があれば……」……これを説明するためには、大学制度の違いについて書
かねばならない。今、アメリカでは、大学へ入学したあとでも、学部の変更はもちろん、ほかの
大学への転籍さえも、自由になっている。公立、私立の区別はない。ヨーロッパでは、大学は
完全に、共通化されている。しかしこの日本では、何かの席で自己紹介するときは、必ずとい
ってよいほど、「○○大学を卒業後……」という言葉が出てくる。アメリカでは、最終的にどこの
大学で学位を認定されたかということは、重要だが、そういうわけで、いわゆる学歴(ブランド)
は、ほとんど意味をもたない。博士号などにいたっては、その大学で一度も勉強したことがなく
ても、論文審査だけで認められる。(だから博士号を乱発する安っぽい大学も、一方にあるに
はある。)「才能(タレント)があれば……」という発想は、そういう大学制度を背景にして生まれ
る。つまり欧米の大学生にとって大切なのは、学歴(ブランド)ではなく、中身ということになる。

 私の予想では、あと五〇年ほどで、日本人の考え方も、これに近くなると思う。すでに今、日
本人の意識そのものが大きく変わり始めている。それはそれとして、しかしまだ距離は遠い。
たとえば学校の先生が、あなたの子どもにこう言ったとする。そのとき、あなたはその先生の
言うことに納得するだろうか。

 「仕事というのは、何でもいいのだよ。自分のできることをすれば。コンビニの店員でも、工場
の部品工でも、すばらしい仕事だよ。仕事に上下はない。大切なのは、一生懸命することだ
よ。忘れていけないのは、仕事をする目的は、それで得たお金で、豊かな家庭生活を送ること
だよ。そのために仕事をするのだからね」と。

 日本人がこうした考え方を、当然のこととして、そして自然な形で、そうだと思えるようになる
のに、「あと五〇年ほど」かかる。……と私は思う。
(02−9−27)※

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子育て随筆byはやし浩司(131) 

カラスとリス

 私の家の庭は、不思議な庭で、浜松市内からそれほど遠くないところにあるのに、さまざまな
動物が住んでいる。何種類かの野鳥のほか、イタチやリス、ハクビシンやタヌキなど。ときど
き、サルやアライグマもやってくる。ホント! 

 その中のリス。リスが私の家の庭に住み始めたのは、ここ数年のこと。ワイフは最初、それ
を喜んだ。リスがやってくるたびに、「リスよ、リスよ」と。こうした動物のほとんどは、もともと人
間に飼われていたのが、逃げたとか、捨てられたとか、そういうものらしい。種類はわからない
が、結構大型のリスで、体長は、体だけで(尾の長さは別として)、三〇センチくらいはある。と
きどきつがいで来たり、子ども(?)だけで来たりした。私たちは、いつしか、そのリスにエサを
出すようになっていた。

 一方、カラスもよく来る。家の前には、この地域でも最大級のシイの木がある。もともと何百
年もつづいた旧家の墓地があったところだ。が、このカラスはうるさい。ゴミの収集日を覚えて
いて、その日の朝になると、まだ暗いうちから、五、六羽単位でやってきて、カーカーと鳴く。そ
れで私は、カラスが嫌いだった。が、カラスを嫌う、本当に理由は、もうひとつある。

 私の庭には、いつも野鳥がいる。キジバト、ヒヨドリ、ツグミなど。ときどき、コジュケイもやって
くる。フクロウもやってくる。その季節になると、モズやメジロ、ほかに文鳥によく似た鳥など。私
自身も、庭に鳥小屋をつくり、多いときは、その中で、一〇羽以上の小鳥やハトを飼ったことが
ある。が、ヘビやネコに襲われることが重なり、それで小屋で飼うのをやめてしまった。で、そう
いう習慣が残っているのか、野鳥にエサを用意するのが、いつのまにか、私の日課のようにな
ってしまった。カラスは、そういう野鳥の、天敵である。

 が、あるときから、一羽のカラスが、私の庭に住みつくようになった。子どものカラスかと思え
るような、小さなカラスだった。鳴くこともなかったので、私はしばらく様子をみることにした。い
や、内心では、いつか追い出してやろうと思っていたが、それが一か月、二か月となるうちに、
そのカラスがいることには、慣れてしまった。いつ見ても、松の木の小枝にとまっていて、ときお
り庭へおりてきた。カラスのほうから、私たちに近づいてきたというのか、そのうち、私たちが庭
にいても、すぐそばで平気でエサを食べたりしていた。ハトのためにまいたエサだった。

 一方、最初は歓迎したリスだが、そのリスが庭に住みつくようになると、野鳥の数がめっきり
と減った。が、そのときはまだ、リスが野鳥の巣を荒らすということは知らなかった。たしかにリ
スは、木登りがうまい。細い小枝でもスルスルと登って、そこからつぎの木へ、ひょいと飛び移
る。みごとなものだ。しかし野鳥の巣を荒らすとわかってからは、それはずっとあとになってか
らのことだが、見方が変わった。それまではかわいいと思っていたリスだが、どこか大きなネズ
ミに思えてきた。確かにリスは、尾のついたネズミと考えたほうがよい。畑を荒らすということも
考えるなら、ネズミよりも、タチが悪いかもしれない。私たちはそのうち、エサを出すのをやめ
た。

 どうこうしている間にも、カラス、……私たちは「ハグレガラス」という名前をつけていたが、そ
のカラスは、ますます私たちに近づいてきた。しかしそれまでの習慣というか、先入観という
か、私たちはどうしてもそのカラスが好きになれなかった。庭で視線があうたびに、「シーシー」
と追い払った。しかしあのカラスというのは、本当に頭がよい。私たちの攻撃の範囲外スレスレ
のところにいて、好き勝手なことをしていた。そしてその頭のよい分だけ、ほかの野鳥にはな
い、「つながり」ができた。もし餌づけをしようと思えば、いくらでもできただろう。私の手から直
接、エサを食べることだって、したかもしれない。が、私はどうしても、そのカラスが好きになれ
なかった。実のところ、そのときは、野鳥の数が減ったのは、リスではなく、カラスのせいだと思
っていた。

 そこである日のこと。暑くなり始めた初夏のころだと思う。近くのコンビニに行くと、小さな袋に
入ったロケット花火を売っていた。私は一袋、買った。カラスを追い払ってやろうと考えた。が、
その日はなかなか、こなかった。集団でやってくるカラスと違い、そのハグレガラスは、静かな
カラスだった。それに先にも書いたように、体が小さかった。同情はしなかったが、職業がら、
小さいカラスを攻撃するのは、気がひけた。が、ある日、そのときはやってきた。ヒヨドリのため
に置いたパン屑を、そのカラスが食べていたのだ。「道理でヒヨドリが来なくなったはずだ」と思
ったとたん、怒りが充満してきた。私はビンに花火を入れると、ライターで、それに火をつけた。
カラスは、私のほうを見ていたが、どこか親しげな目つきだった。「やめようか」と思ったが、もう
間にあわなかった。花火は勢いよく、ビンを離れた。

 リスのほうはあい変わらず、私の庭へやってきていた。そして、いつの間にか、ワイフが植え
た、ポポーやクルミの実を食べ始めた。フェイジョアや柿も全滅状態になった。「リスというの
は、たいへんな害獣」と気がついたときには、遅かった。そのころには、すっかり庭の住人にな
っていた。「追い払うといっても、方法がないからね」と、ワイフが不平を言うようになった。「そう
だ、あいつは木登りをするネズミだ」と、私。花火を使うことも考えたが、そうすれば、野鳥も逃
げてしまう。木の実だけではない。野鳥の巣を襲う! そのころやっと、テレビで報道されて、そ
れを知るところとなった。

 花火はカラスめがけて、一直線に飛んでいった。そしてカラスを飛び越えたその先で、パンと
爆発した。カラスは、一瞬何がなんだかわからないといった様子を見せたが、どこかおもむろ
に、飛びあがった。私はカラスを追いかけた。カラスは、電線に止まった。と、そのとき、また視
線があった。私に背中を向けていたが、カラスは、じっとそのままの姿勢で私を見つめた。私も
見つめた。時間にすれば、一〇秒前後のことだったかもしれないが、私には長い時間に思え
た。カラスは、「どうして、そんなことをするのか?」という表情を見せた。どこか、さみしそうな目
つきだった。が、私が大きく手を振ると、そのカラスは再びおもむろに飛び去っていった。

 リスのほうは、食べるものがなくなり、エサも与えなくなってからは、姿を見ることがほとんどな
くなった。「ドングリが落ちればまたくるわね」とワイフは笑っているが、それまでにはまだ少し間
がある。またカラスのほうは、つまりあのハグレガラスは、それからは姿を見せなくなった。が、
どういうわけだか、今、私はとんでもないまちがいをしたのではないかという気持ちに、さいなま
れている。リスにエサをあげたのは、ともかくも、その反対の立場で、あのハグレガラスに花火
を放ったことを、だ。思い出してみると、実に、親しげなカラスだった。この二〇年間で、庭にや
ってくる動物や野鳥の中で、唯一私たちに心を許した動物だったかもしれない。私は、その「つ
ながり」をみすみす、自分でつぶしてしまった。

 今もときどき、庭を見る。見ながらあのカラスをさがす。いつもいたのは、松の木の上だった
が、それ以後、その枝にハグレガラスを見たことはない。ただ心の中では、「たとえやってきて
も、前のようには近くまではこないだろうな」と思う。あるいは「一度、破壊された関係は、もう戻
らないだろうな」と思う。そう思いながら、その松の木を見る。そしてそのたびに、私という人間
の、きわめて身勝手な気まぐれを、つくづくと思い知らされる。
(02−9−28)※

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子育て随筆byはやし浩司(132)

受験ノイローゼ

●受験ノイローゼ
 子どもが受験期を迎えると、受験ノイローゼになる親は多い。子どもではない。親がなる。あ
る母親はこう言った。「進学塾の光々とした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼりました」
と。「家でゴロゴロしている息子(中二)を見ただけで、気分が悪くなり、その場に伏せたこともあ
ります」と言った母親もいた。

 親が受験ノイローゼになる背景には、親自身の学歴信仰、それに親自身の受験体験があ
る。「信仰」という言葉からもわかるように、それは確信を超えた確信と言ってもよい。学歴信仰
をしている親に向かって、その信仰を否定するようなことを言うと、かえってこちらが排斥されて
しまう。「他人の子どものことだから、何とでも言えるでしょ!」と。話の途中で怒ってしまった母
親もいた。私が、「これ以上ムリをすると、子ども自身が、燃え尽きてしまう」と言ったときだ。

 また受験体験というのは、親は自分の子どもを育てながら、そのつど自分の体験を繰り返
す。とくに心の動きというのは、そういうもので、子どもが受験期を迎えるようになると、親自身
がそのときの心を再現する。将来に対する不安や、心配。選別されるという恐怖。そしてそれ
を子どもにぶつける。もっと言えば、親自身の心が、極度の緊張状態におかれる。この緊張状
態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に情緒が不安定になる。

 「受験ノイローゼ」と一口に言うが、それは想像を絶する「葛藤」をいう。そういう状態になる
と、親は、それまで築きあげた家族の絆(きずな)すら、粉々に破壊してしまう。家族の心を犠
牲にしながらも、犠牲にしているという感覚すらない。小学五年の女児をもつある母親はこう言
った。「目的の中学入試に合格すれば、それですべてが解決します。娘も私を許し、私に感謝
するはずです」と。その子どもは毎晩、母親の前で、泣きながら勉強していた。

 その受験ノイローゼにはきわだった特徴がいくつかある。そのひとつ、ふつうの育児ノイロー
ゼと違うところは、親自身が、一方でしっかりと自分をもっているということ。たとえば人前で
は、「私は、子どもが行ける中学へ入ってくれれば、それでいいです」とか、「私はどこの学校で
もいいのですが、息子がどうしてもS高校へ入りたいと言っているので、何とか、希望をかなえ
させてやりたい」とか、言ったりする。外の世界では、むしろ温厚でものわかりのよい親を演じ
たりすることが多い。

 もちろん育児ノイローゼに似た症状も出てくる。育児ノイローゼの症状を、まず考えてみる。

●育児ノイローゼ
 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。
@生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞……どこかぼんやりとしてくる。うつろな目つき、元気
のない応答など。
A思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低下)
……同じことを考えたり、繰り返したりする。
B精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日
常活動への興味の喪失)……ものごとに興味がみてなくなる。
C睡眠障害(早朝覚醒に不眠)……朝早く目が覚めたり、眠っても眠りが浅い。
D風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)……不注意による事
故が多くなる。
Eムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)……万引きをしてつかまったりする。衝
動的に高額なものを買ったりする。同じものを、あるいは同じようなものを、同時にいくつか買
う。
Fささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)……ささいなことが頭から離れず、それが
苦になってしかたない。
G同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなくな
る(感情障害)……怒っている最中は、自分のしていることが絶対正しいと思うことが多い。ヒス
テリックに泣き叫んだりする。
H他人との接触を嫌う(回避性障害)……人と会うだけで極端に疲れる。家の中に閉じこもる。
I過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。……過食症や拒食症になる。体重が
極端に変化する。
Jまた必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)……ささいなことで、相
手に謝罪の電話を入れたりする。自分のしていることが客観的に判断できなくなる。

こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●受験ノイローゼ
 受験ノイローゼも、ノイローゼという意味では、育児ノイローゼの一種とみることができる。し
かし育児ノイローゼに見られない症状もある。先に述べたように、「自分をしっかりもっている」
のほか、ターゲットが、子どもの受験そのもの、あるいはそれだけにしぼられるということ。明け
ても暮れても、子どもの受験だけといった状態になる。むしろ子どもの受験以外の、ほかのこと
については、鈍感になったり、無関心になったりする。育児ノイローゼが、生活全体におよぶの
に対して、そういう意味では、限られた範囲で、症状がしぼられる。が、その分だけ、子どもの
「勉強」「成績」「受験」に対して、過剰なまでに反応するようになる。

 毎日、書店のワークブックや参考書売り場へ行っては、そこで一〜二時間過ごしていた母親
がいた。あるいは子どもの受験のためにと、毎日、その日の勉強を手作りで用意していた母親
もいた。しかしその中でもナンバーワンは、Tさんという母親だった。
 
 Tさんは、私のワイフの友人だった。あらかじめ念のために書いておくが、私はこういうエッセ
ーを書くとき、私が直接知っている母親のことは書かない。書いても、いくつかの話をまとめた
り、あるいは背景(環境、場所、家族構成)を変えて書く。それはものを書く人間の常識のよう
なもの。そのTさんは、私が教えた子どもの母親ではない。

 そのTさんは、子どもが小学校に入ると、コピー機を買った。それほど裕福な家庭ではなかっ
たが、三〇万円もする教材を一式そろえたこともある。さらに塾の送り迎え用にと、車の免許
証をとり、中古だが車まで買った。そして学校の先生が、テストなどで採点をまちがえたりする
と、学校へ出向き、採点のしなおしまでさせていた。ワイフが「そこまでしなくても……」と言う
と、Tさんはこう言ったという。「私は、子どものために、不正は許せません」と。

 こういう母親の話を聞くと、「教育とは何か」と、そこまで考えてしまう。そのTさんは、いくつ
か、Tさん語録を残してくれた。いわく、「幼児期からしっかり子どもを教育すれば、東大だって
入れる」「ダ作(Tさんは、そう言った)を二人つくるより、子どもは一人」と。Tさんの子どもが、た
またまできがよかったことが、Tさんの受験熱をさらに倍化させた。いや、もっともTさんのよう
に、子どものできがよければ、受験ノイローゼも、ノイローゼになる前に、ある程度のレベルで
収めることができる。が、その子どものできが、親の望みを下回ったとき、ノイローゼがノイロ
ーゼになる。

●特徴
 受験ノイローゼは、もちろんまだ定型化されているわけではない。しかしつぎのような症状の
うち、五個以上が当てはまれば、ここでいう受験ノイローゼと考えてよい。あなたのためという
より、あなたと子どもの絆(きずな)を破壊しないため、あるいはあなたの子どもの心を守るた
め、できるだけ早く、あなた自身の学歴信仰、および自分自身の受験体験にメスを入れてみて
ほしい。

○子どもの受験の話になると、言いようのない不安感、焦燥感(あせり)を覚え、イライラした
り、情緒が不安定になる。ちょっとしたことで、ピリピリする。
○子どもがのんびりしているのを見たりすると、自分の子どもだけが取り残されていくようで、
心配になる。つい、子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ってしまう。
○子どもがテストで悪い点数をとってきたり、成績がさがったりすると、子どもがそのままダメに
なっていくような気がする。何とかしなければという気持ちが強くなる。
○同年齢の子どもをもつ親と話していると、いつも相手の様子をさぐったり、相手はどんなこと
をしているか、気になってしかたない。話すことはどうしても受験のことが多い。
○子どもが学校や塾へ言っているときだけ、どこかほっとする。子どもが家にいると、あれこれ
口を出して、指示することが多い。子どもが遊んでいると、落ち着かない。
○子どものテストの点数や、順位などは、正確に把握している。ささいなミスを子どもがしたり
すると、「もったいないことをした!」と残念に思うことが多い。
○テスト期間中になると、精神状態そのものがおかしくなり、子どもをはげしく叱ったり、子ども
と衝突することが多くなる。たがいの関係が険悪になることもある。
○明けても暮れても、子どもの学力が気になってしかたない。頭の中では、「どうすれば、家庭
での学習量をふやすことができるか」と、そればかりを考える。
○「うちの子はやればできるはず」と、思うことが多く、そのため「もっとやれば、もっとできるは
ず」と思うことが多い。勉強ができる、できないは、学習量の問題と思う。 
○子どもの勉強のためなら、惜しみなくお金を使うことが多くなった。またよりお金を使えば使う
ほど、その効果がでると思う。今だけだとがまんすることが多い。(以上、試作)
(02−9−30)※

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親が過去を再現するとき(中日新聞東掲載原稿より)

●親は子育てをしながら過去を再現する 
 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それまでは
そうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない不安に襲わ
れる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、
「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえば子どもが受
験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つい先日も、中学一年生をもつ父母が、
二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。「一学期の期末試験で、数学が二一点だっ
た。英語は二五点だった。クラスでも四〇人中、二〇番前後だと思う。こんなことでは、とてもS
高校へは入れない。何とかしてほしい」と。二人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべてい
たが、口元は緊張で小刻みに震えていた。

●「自由」の二つの意味
 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、最
難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したのに驚い
た。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に気がつくの
は、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由はとも
かくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいて
いはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室
に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動
かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ
親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がいる。
「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても
ムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は親で、「すべては子どものた
め」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(二〇〇一年)
によれば、中学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、三九・一%し
かいなかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた
親が、七八・四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親が
思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生に話す」
はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相談相手でなければ
ならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほ
ど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試
験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違った方向
に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたち
は。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさ
な言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる
 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。気
づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。それまで
の二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中学生になった
とたん、雰囲気が変わった。そこで……。あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過
去を再現するようなことをしていないだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静
かに問いかけてみてほしい。あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、
自分の過去を振り返ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものため
でもある。あなたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。受験時代に、いやな思いをし
た人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。

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子育ての陰で……子育て狂騒曲(子育てでおかしくなる親たち)

何をお高くとまってんの!

●「あなたの教育方針は何か」
 ある日一人の母親が四歳になる息子をつれて音楽教室の見学にやってきた。音楽教室の先
生は、三〇歳そこそこの若い先生だった。音大を出たあと、一年間ドイツの音楽学校に留学し
ていたこともある。音楽教室の中では、そこそこに評価の高い先生だった。しかしその母親
は、その先生にこう食いさがった。「あなたの教育方針は何か」「子どもの未来像をどう考えて
いるか」「あなたの教育理念をしっかりと話してほしい」と。

●幼児と教育論?
 「たかが……」と言うと叱られるが、「たかが週一回の音楽教室ではないか」と、その音楽教
室の先生は思ったという。が、こうした質問にていねいに答えるのも仕事のうち、と考えて、あ
れこれ説明した。が、最後にその母親はこう言って、その教室をあとにしたという。「これから家
に帰って、ゆっくり息子と話しあってきます」と。まさか四歳の息子と教育論?

●「失礼」を知らない母親たち
 私のところにも、こんなことを相談してきた親がいた。「うちの子は今度、E英会話教室に通う
ことにしましたが、先生がアイルランド人だというではありませんか。ヘンなアクセントが身につ
くのではないかと心配です」と。さらに中には電話で、私に向かって、「あなたの教室と、K式算
数教室とでは、どちらがいいでしょうか?」と聞いてきた母親さえいた。

さらに「うちの子はBW(私の教室の名前)に入れたくないのですが、どうしても入りたいと言う
のでよろしく」と言ってきた母親もいた。こういう母親には、「失礼」とか「失敬」という言葉は通じ
ない。で、私は私で、そういう失敬さを感じたときは、入会そのものを断るようにしている。が、
それすら口で言うほど簡単なことではない。

●「フン、何をお高くとまってんの!」
 こうした母親に入会を断ろうものなら、デパートで販売拒否にでもあったかのように怒りだす。
「どうしてうちの子は入れてもらえないのですか!」と。「紹介? あんたんどこは紹介がないと
入れないの? フン、何をお高くとまってんの! そんな偉そうなこと言える教室じゃないでし
ょ」と悪態をついて電話を切った母親すらいた。つい先日もこんなことがあった。

●初対面のときとは別人
 父親と母親につれられて中学一年生になったばかりの男子がやってきた。見るからにハキ
のなさそうな子どもだった。いやいや両親につれられてやってきたということがよくわかった。会
うと父親は、「どうしてもA高校へ入れてほしい」と言った。ていねいな言い方だったが、どこかイ
ンギン無礼な言い方だった。で、一通り話は聞いたが、私は「返事はあとで」とその場は逃げ
た。親の希望が高すぎるときは、安易に引きうけるわけにはいかない。

で、その数日後、私がファックスで入会を断ると、父親がものすごい剣幕で電話をかけてきた。
「貴様は、うちの息子は教えられないというのか。A高校が無理なら無理と、はっきりといったら
どうだ!」と。初対面のときとはうって変わった声だった。私が「息子さん能力とは関係ありませ
ん」と言うと、さらにボルテージをあげて、「今に見ろ。ちゃんとうちの子をA高校に入れてみせ
る!」と怒鳴った。もっともこの父親は、それから半年あまりあとに、脳内出血でなくなってしま
った。私と女房は、妙にその事実に納得した。「うむ……」と。
(02−9−30)※

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子育て随筆byはやし浩司(133)

家庭教師

 私も二〇代のころ、アルバイトで、家庭教師をした。したというより、それが仕事だった。そう
いう経験もふまえて、家庭教師について、書く。

 もともとやる気のない子どもは、いくら家庭教師しても、ムダ。親は高い月謝を払うが、それ
は親の気休めでしかない。教える側が熱意をもって(?)、ガンガンと教えることを親は期待す
るかもしれないが、それについても、子ども自身がそれを求めていないこともある。求めていな
いことを、いくらやってもムダ。「勉強時間をつくる」とか、「不安になっている子どもの話し相手
になる」という意味はあるが、あってもその程度。

 もちろん子ども側にやる気があるときは、別。そのときは、教えたら教えた分だけ、子どもの
頭の中に入っていく。追い込みに入った受験生などは、それだけの問題意識をもっているか
ら、教えやすいというより、家庭教師をする意味がある。そういう子どものばあいは、ガンガンと
教える必要はない。方向性だけをつくってやり、あとは「わからなければ聞け」というような指導
ですんでしまう。もちろんこまかな技術はある。これは私のやり方だが、英語のばあいは、その
子どもの力に合わせて、プリントをどんどんその場で作っていくという教え方をした。もう一つ
は、子どもの書く速さにあわせて、英語を読み、それを録音するという方法。「毎日、一度はテ
ープを聞いて、英語を書け」というような宿題を与える。数学も、同じような教え方をしたが、自
分で教科書を読んで理解させるという方法を、大切にした。(「とりあえず勉強ができるようにす
るだけ」という、何ともつまらない教育だが、しかし家庭教師に求められているには、そういう教
え方。)

 が、能力的にも問題があり、自信をなくしてしまっている子どもは、どうするか。このタイプの
子どもは、たいてい(できない)→(勉強しない)→(ますますできない)の悪循環に入っているこ
とが多く、ふつうの指導では、できるようにはならない。ひとつのことを教え、それがやっとでき
るようになるころには、学校の勉強は、ふたつくらい先へ行っているというようなことが、よくあ
る。しかし本当の問題は、子どもにあるというより、親にある。
 
 自分の子どもがそういう状態にあることを、親が納得していてくれれば、教える側も救われる
が、そうでないときは、その家の玄関をくぐるたびに、重苦しい気分になる。ときどき親から、
「どうしてうちの子はできないのでしょう」とか、あるいは、「いつになったら効果が出てくるのでし
ょう」と言われることぐらい、つらいことはない。家庭教師という個人レッスンに、過大な期待を
寄せることは、禁物である。

 そこで私なりのチャート図を考えてみた。

(家庭教師は効果があるか)

  (やる気あり)■※教えがいがある            ※効果大
         ■
    ↑    ■
         ■※家庭教師がたいへん(効果が疑問)
  (やる気なし)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
         (能力がない)     →      (能力がある)

 要点を言えば、子ども自身が、それを望んでいるかどうかということ。親が押しつけるケース
では、ほとんどが失敗する。仮にそれを子どもが受け入れたとしても、もともと姿勢が受身だか
ら、ある程度までは効果があっても、それ以上は伸びない。あるときから、均衡状態に入る。
「均衡状態」というのは、「身につく分」と「忘れる分」が、均衡状態に入って、進歩そのものが停
滞する状態をいう。子どもに英語を教えていると、そういう現象が、共通してどの子どもにも現
れる。早い子どもで三か月くらい。遅い子どもでも、一年前後で、その均衡状態に入る。その均
衡状態を破るのは、子ども自身の「やる気」ということになる。イギリスの格言に、『馬を水場に
連れていくことはできても、(無理に)水を飲ますことはできない』というのは、そういう意味であ
る。

※……子どもやる気があり、それなりの能力があるなら、もちろん効果はある。しかし子どもに
やる気がなく、能力がないときは、家庭教師をするのも、たいへん。そのたいへんさは、想像以
上のもの。そういうケースのときは、子どもの話し相手、遊び相手になる程度のことしかできな
いのでは……。
※……もちろん中には、熱心な家庭教師もいる。しかしそれ以上に大切なのは、子どもとの相
性ではないか。教える側からすると、親は何を求めているのか。子どもは何を求めているのか
を、しっかりと見極めることが大切。ここを見誤ると、かえって子どもを苦しめる結果となる。
(02−9−30)

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そんな家庭教師をしていたときのことを書いたのが、つぎの原稿です。家庭教師を考えるとき
の参考にしていただければ、うれしいです。

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ドラ息子症候群

 英語の諺(ことわざ)に、『あなたは自分の作ったベッドの上でしか、寝られない』というのがあ
る。要するにものごとには結果があり、その結果の責任はあなたが負うということ。こういう例
は、教育の世界には多い。

 子どもをさんざん過保護にしておきながら、「うちの子は社会性がなくて困ります」は、ない。
あるいはさんざん過干渉で子どもを萎縮させておきながら、「どうしてうちの子はハキハキしな
いのでしょうか」は、ない。もう少しやっかいなケースでは、ドラ息子というのがいる。M君(小
三)は、そんなタイプの子どもだった。

 口グセはいつも同じ。「何かナ〜イ?」、あるいは「何かほシ〜イ」と。何でもよいのだ。その
場の自分の欲望を満たせば。しかもそれがうるさいほど、続く。そして自分の意にかなわない
と、「つまんナ〜イ」「たいくツ〜ウ」と。約束は守れないし、ルールなど、彼にとっては、あってな
いようなもの。他人は皆、自分のために動くべきと考えているようなところがある。

 そのM君が高校生になったとき、彼はこう言った。「ホームレスの連中は、人間のゴミだ」と。
そこで私が、「誰だって、ほんの少し人生の歯車が狂うと、そうなる」と言うと、「ぼくはならない。
バカじゃないから」とか、「自分で自分の生活を守れないヤツは、生きる資格などない」とか。こ
うも言った。「うちにはお金がたくさんあるから、生活には困らない」と。M君の家は昔からの地
主で、そのときは祖父母の寵愛を一身に集めて育てられていた。

 いろいろな生徒に出会うが、こういう生徒に出会うと、自分が情けなくなる。教えることそのも
のが、むなしくなる。「こういう子どもには知恵をつけさせたくない」とか、「もっとほかに学ぶべき
ことがある」というところまで、考えてしまう。そうそうこんなこともあった。受験を控えた中三のと
きのこと。M君が数人の仲間とともに万引きをして、補導されてしまったのである。悪質な万引
きだった。それを知ったM君の母親は、「内申書に影響するから」という理由で、猛烈な裏工作
をし、その夜のうちに、事件そのものを、もみ消してしまった。そして彼が高校二年生になった
ある日、私との間に大事件が起きた。

 その日私が、買ったばかりの万年筆を大切そうにもっていると、「ヒロシ(私のことをそう呼ん
でいた)、その万年筆のペン先を折ってやろうか。折ったら、ヒロシはどうする?」と。そこで私
は、「そんなことをしたら、お前を殴る」と宣言したが、彼は何を思ったか、私からその万年筆を
取りあげると、目の前でグイと、そのペン先を本当に折ってしまった! とたん私は彼に飛びか
かっていった。結果、彼は目の横を数針も縫う大けがをしたが、M君の母親は、私を狂ったよ
うに責めた。(私も全身に打撲を負った。念のため。)「ああ、これで私の教師生命は断たれ
た」と、そのときは覚悟した。が、M君の父親が、私を救ってくれた。うなだれて床に正座してい
る私のところへきて、父親はこう言った。「先生、よくやってくれました。ありがとう。心から感謝
しています。本当にありがとう」と。
(中日新聞で発表済み)

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子育て随筆byはやし浩司(134)

金正日のハイヒール

 月刊誌の「S」(小学館発行)に、金正日(北朝鮮の軍事独裁者(読売新聞社説))のハイヒー
ルについて書いてあった。そこには、「短小コンプレックス、マザコン……」と。北朝鮮の人が読
んだら、激怒しそうな言葉が並んでいた。(ひょっとしたら怒るのは、本人だけかもしれないが
……。)もちろん写真も添えられていた。いわく、「以前は、(クツを)外国へ特注していたが、最
近では、国内で調達するようになった。日本で厚底サンダルがブームになる以前から、金正日
は、厚底ハイヒールをご愛用」と。

 拡大写真を見ると、三〜四重底の厚底! その上に、ハイヒール! 高さまでは書いてなか
ったが、常識的に考えても、一五センチ以上はあるのでは! 私はその記事を読んで、つまり
私には考えられない発想なので、驚いた。ワイフにそのことを話すと、ワイフは笑いながら、
「中身のない人は、外見を気にするからね」と。日本にも一五年ほど前、「ハイヒール大臣」と酷
評された外務大臣がいた。日本ではほとんど話題にならなかったが、もちろん外国では笑いモ
ノだった。が、何を隠そう、私にもこんな経験がある。

 はじめてのデートのときのこと。高校二年生のときだった。私はでかけるとき、近くの文房具
屋で消しゴムを二個買った。そしてそれをそっとクツの底に入れた。身長は数センチ高くなっ
た。が、それからがたいへんだった。しばらくすると、一歩歩くたびに、足の底から、ヤリでつつ
くような激痛が走るようになった。彼女は「どうしたの?」「クツを脱いだら?」と声をかけてくれ
たが、クツなど脱げるものではない。私はその激痛と戦うだけで精一杯。とてもデートどころで
はなかった。

 問題は、一国の元首や外務大臣が、外見を気にすることだ。そういう立場の人は、私たち一
般庶民のレベルを、ふたつもみっつも、超えていなければならない。精神的にも思想的にも、
だ。が、そういう人たちが、私が高校生のときにしたことと同じことをしている! 笑うというよ
り、そのレベルの低さに、ただただあきれる。そこで改めて考えてみる。「外見」とは何か、と。

 同じく昨日(02−9−28)、こんなニュースが、新聞(読売新聞夕刊)に載っていた。今度、韓
国のプサンで、アジア競技大会が開かれるという。それに北朝鮮の選手団も参加することにな
ったという。写真は、北朝鮮からやってきた応援団のものだった。何でも船でやってきたらし
い。見ると、「左側が北朝鮮からの応援団」と。私は記事がまちがっているのではないかと思っ
た。が、まちがっていなかった。見るからに豪華なチョゴリ、チマ(朝鮮の民族衣装)を着ていた
のが、北朝鮮の応援団。Tシャツ風のシャツを着て、握手の手をさしだしているのが、プサン市
民。「トップがトップだから、応援団も、外見を気にするのだなあ」と、私はへんに感心した。ワイ
フは、「韓国へやってくるような人は、北朝鮮でも、トップクラスの人ばかりよ」と言ったが、私も
そう思う。超特権階級の、そのまた一部の人たちに違いない。(あるいは見栄えのよい人が選
ばれた? 内情はわからないが、写真で見るかぎり、ふつうの人たちでないことは、たしか
だ。)

 外見と中身は、ヤジロベーのようなものではないか。外見と中身が、両横でバランスがとれ
て、まん中のヤシロベーは、静止する。そんなわけで外見が気になり始めたら、中身をみがく。
外見が気になったとき、外見ばかりみがくと、ヤジロベーは、バランスを崩して、倒れる。一方、
中身をみがけば、自然と外見も、それらしくなってくる。そういう意味では、ヤジロベーというより
は、最中(もなか)のようなものかもしれない。たい焼きでもよい。中身のまずい最中やたい焼
きは、一口かんでみればすぐわかる……。

 そこで子育て論。人間というのは、一見複雑に見える生き物だが、それほど複雑ではない。
意外と単純というか、わかりやすい。「一事が万事」という言葉があるが、その一事がすべてを
象徴する、……ということはよくある。たとえば私たちが親を見るとき、外見を気にする親という
のは、一方で、子どもの外見も気にする。言いかえると、親を見れば、その親が子どもに何を
求めているかまでわかる。これ以上のことは、ここには書けないが、一方、中身のすばらしい
人もいる。

 私が尊敬するドクターにTさんがいる。Tさんとはあまり話したことはないが、そのTさんの妻
が、何かのことで、ふとこう言った。「夫は、患者さんから送り届けられた金品は、すべて送り返
しています」と。Tさんは、市内の医療機関で、泌尿器系の治療を担当している。私はその話を
聞いて、改めてTさんの子どもたちを見なおした。本当にそのまま生きているという感じの子ど
もたちで、どこにも気取ったところもない。で、私はある日、その子どもにこう言った。「ぼくも死
ぬときがきたら、君のお父さんにみてもらうからね」と。

 ただ外見と違って、中身をみがくのはむずかしい。時間もかかるが、それ以上に努力も必
要。前にも書いたが、それは健康論に似ている。日々の鍛錬だけが、健康を守る。そして中身
をつくる。毎日のんべんだらりと過ごしていて、どうしてその中身をみがくことができるというの
か。……といっても、矛盾することを言うようだが、その中身をみがくことは、日常のほんのささ
いなことから始まる。滝に打たれて修行するとか、座禅を組んで瞑想するとか、そういうことで
はない。毎日何時間も読経すればよいというものではない。中身をみがくということは、日々の
生活の中で、正直に生きるとか、ウソをつかないとか、人に迷惑をかけないとか、そういうこと
で始まる。その日々の生活が、月となり、月々の生活がやがて年となり、その人の人格を形成
する。

 ……改めて、金正日のハイヒールを頭の中に思い浮かべる。そしてふと、こう思う。「彼は、
日々に何を思い、何を考えて生きているのか」と。多分というより、まちがいなく、心のさみしい
独裁者だ。毎日、失うことばかりを心配しているに違いない。あるいはいつか、民衆が自分の
中身のなさに気づくのではないかと、ビクビクしているに違いない。いや、それ以上にかわいそ
うなのは、北朝鮮の人たちだ。ああいう独裁者に支配され、心も魂も抜かれてしまっているこ
と。抜かれたまま、「首領様、首領様」と、たたえている。(……たたえさせられている。)まさに
一事が万事。金正日のハイヒールは、人間が本来的にもつ、愚かさの象徴と考えてよいので
はないだろうか。
(02−9−29)※

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子育て随筆byはやし浩司(135)
 
谷底の下の崖っぷち論

 子どもが何か問題を起こすと、親は、その段階で自分が谷底にいると錯覚し、子どもをなお
そうとする。そして一方で、自分のおかれた境遇をのろい、「どうしてうちの子だけが……」と悩
む。しかしそういう親は、自分の下に、もうひとつの崖があることに気づいていない。つまり今、
置かれている立場は、谷底ではない。崖っぷちなのだ。

 たまたま今朝、こんな相談を受けた。一人の娘(中三)をもつ、母親からのものだった。いわ
く、「金庫からお金を盗んで使っているようだ。勉強はしない。夜は、コンビニに行くといっては
でかけ、そこで何時間も友だちとしゃべってくる」と。「それでどうしたらいいか」と。

 母親は「受験期なのに勉強しない」と悩んでいたが、しかしその程度ですめば、まだよいほう
だ。いまどき、ガリガリと勉強する子どものほうが、おかしい。話を聞くと、「何とか週三回は、近
くの進学塾へ通っている」という。で、そのことについて私が、「それでじゅうぶんではないです
か」と言うと、「でも、そんなことでは、C高校に入れません」と。しかしこのタイプの親にかぎっ
て、子どもがC高校へ入れそうだとわかると、今度は「せめてB高校へ」と言い出す。子どももそ
れを知っている?

 そこでさらに私が、「コンビニでしゃべることくらい許してやらないと、かえってたいへんなこと
になりますよ」と言うと、「どういうことですか?」と。

 この母親も、自分の子どもが谷底にいると思っているらしい。つまりそこが最悪の状態で、そ
の下はない、と。しかしこれは誤解。実はその子どもは子どもで、崖っぷちで、懸命に自分をも
ち支えているのだ。もし親の対処のし方がまずいと、その子どもは、つぎの谷底めがけて、ま
たまた落ちていく……! よくあるケースは、(親が叱る)→(面従腹背で子どもは従う)→(子ど
もはますます親に反抗する)→(親が叱る)の悪循環の中で、子どもを、つぎの谷底に落として
しまう。一方、子どもの行動は大胆になる。つぎの段階では、子どもは外泊や、連泊をするよう
になるかもしれない。さらに家出をするようになるかもしれない。そうなると、進学どころではなく
なる。しかし親には、それがわからない。

 親は、完ぺきな子どもを求める。その気持ちはわからないでもないが、あなたが完ぺきでな
いのと同じように、子どもにそれを求めても意味はない。大切なことは、あるところで親があき
らめ、手を引くということ。私が作った格言に、『あきらめは悟りの境地』というのがある。不思
議なことだが、親があきらめると、子どもはそこを原点として、前に伸び始める。少なくとも、そ
れ以上は悪くならない。

 しかし親が「まだ何とかなる」「何とかしよう」と思えば思うほど、子どもはつぎの谷底をめざし
て、落ちていく。そして一度この状態になると、「まだ前のほうがよかった」という状態を繰り返し
ながら、子どもはますます悪くなっていく。そこで教訓。

(1)子どもに何か問題が起きたら、「まあ、うちの子はこんなもの」と納得し、あきらめる。その
時期は早ければ早いほどよい。
(2)今の状態を、それ以上悪くしないことだけを考えて、時間をかけて様子をみる。「子どもを
なおそう」とか、「なおしてやろう」とかは、考えてはいけない。

 あなたの子どもが今、どういう状態であるにせよ、その下には、もう一つの谷底があり、さら
にその下にも、別の谷底がある。あなたの子どもは今、懸命にその谷底へ落ちないように、ふ
んばっている。その子どもを、皮肉なことに、つぎの谷底へ落とすか落とさないかを決めるの
は、実は、親のあなたなのだ。それを忘れてはいけない。
(02−9−29)※

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子育て随筆byはやし浩司(136)

パソコンと健康論

 小学四年生の子どもたちに、こう聞いてみた。「君たちのお母さんは、インターネットをしてい
るか」と。すると、そのうち一〇人のうち、五、六人までが「している」と答えた。が、そのあと、そ
の約半数が、「もうやめた……」と。理由を聞くと、「パソコンがこわれた」「ウィルスが入った」
「故障したが、なおせない」と。

 その通り。パソコンはたいへんデリケートな電子機器だ。ウィルスが侵入すると、それだけで
ふつうの人は、震えあがってしまう。そしてそのあと、たいていの人は、「もうパソコンを見るの
もいや」と言いだす。そのウィルスだが。このところ、ますます巧妙化する傾向を示している。

 ある日、突然、たいへん思わせぶりなメールが届く。発信者は、女性。件名は、「今度デビュ
ーしました」とか、「私はヒマな女の子」とある。そこでメールをプレビュー画面に表示すると、さ
らに思わせぶりな内容のメール。そしてその下に、ホームページのアドレスが書いてある。

 が、ここでホームページを開くと、命取り! そのままウィルスに感染! ウィルス対策ソフト
も、ホームページを経由してくるウィルスには、手のほどこしようがない。だから、安易にわけの
わからないホームページに、アクセスしないこと! もっともこの段階で、すぐ症状が出ればま
だ何とかなるが、しばらくパソコンの中に潜んでいて、やがておもむろに活動し始める。何とい
うか、こういうものを考える人は、よくもまあ、こうも悪知恵が働くものだと思う。

 そのパソコンだが、どこか健康論に似ている。健康なとき、無理をして病気にならないよう
に、パソコンが調子よく動いているときは、絶対に冒険はしないこと。つい浮気心が働いて、あ
れもしてみたい、これもしてみたいと思うこともあるが、そういう浮気心が、命取りになる。私も
こんなことがあった。

 OSがWINDOWのパソコンには、もともとWINDOW MEDIAが組み込んである。音楽や映
像を再生するソフトである。そのWINDOWに、別の音楽再生ソフトを組み込むと、パソコンの
動きが、めちゃめちゃになってしまう。ウィルス対策ソフトは、ふたつ入れてはいけないことは知
っていたが、音楽再生ソフトもそうだとは知らなかった。知らなかったので、私は「MP3・XXX
X」を組み込んでしまった。が、とたん、CDプレーヤーが回りっぱなしになったり、ファイルが読
み出せなくなったり……。そこであちこちをいじってみたが、なおらない。で、あげくの果てが、リ
カバリー!

 ここで気がつけばよかったが、リカバリーが終わると、私はまた「MP3・XXXX」を組み込んで
しまった。で、またまたパソコンが狂い出した。私は、ほかに原因がわからず、結局は修理に。
保証期間中だったので、よかったが、それでも返ってくるのに、一か月もかかった。(P社の修
理体制はあまりよくない。)「基盤を交換した」ということだったが、今から思うと、基盤を交換す
る必要などなかった。故障したのは、私の無知が原因だった。(だからそのあと、P社の業績は
急速に悪化したのだが……?)

 そのウィルス対策だが、私はつぎのようにしている。
(1)パソコンの使い分け。とくにインターネットで使うパソコンは、別のものを使っている。
(2)プロバイダーのウィルスチェックサービスに加入している。送受信するメールを、すべてチ
ェックしてもらっている。これはたしかに便利だ。
(3)プロバイダーでつかっているウィルス対策ソフトは、N社製のものだから、私は別に、M社
製のものを組み込んでいる。またホームページ用に使っているパソコンは、これも独立させ、
定期的(週一回くらい)に独自にチェックしている。
(4)あやしげなメールには、いっさい、手を出さない。件名のところに、住所や名前のないメー
ルは、即、削除。クールなやり方だが、安易な好奇心や妥協は、命取りになる。以後、うっかり
とでもメールを開かないように、同じアドレスからのメールは、受信と同時に即、削除している。
そのために、IEにの、「フィルタリング」という便利な機能を利用している、などなど。

 ここまで学習するために、何度、失敗したことか! みなさんも、くれぐれもウィルスと健康に
はご注意ください。
(02−9−29)

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子育て随筆byはやし浩司(137)

近況報告

 いつもマガジンをご購読くださり、感謝しています。今日は、最近の私自身のことについて書
きます。

 どこもかしこも、不景気、不景気で、私のほうも、例外ではありません。毎年、一台ずつくらい
の割合でパソコンを買い換えていましたが、今年は、予定もしていません。じっと嵐が過ぎ去る
のを待つという心境ですが、しかしいつその嵐が終わることやら……?

 おかげさまで健康です。数か月かけて体重を、六九キロから六三キロ台に減らしました。ワイ
フが「食費が半分になった」と喜んでいるほどです。事実、どこかへドライブに行くときも、弁当
屋で六〇〇円前後の弁当を一個、買って、二人で分けあって食べています。回転寿司では、
一人四皿までと決めています。少しせこい話ですが、節約というよりは、これもダイエットのた
めです。

 このところ、これはという楽しみはありませんが、しいて言えば、パソコンです。いろいろなこと
を試しながら、そしてそのつど、ハラハラ、ドキドキしながら、楽しんでいます。今は、何とか、ホ
ームページのほうに、自分の動画を載せたいと考えています。実験的にはいくつかの方法を試
していますが、どれもどうもうまくいきません。もともと機械いじりが大好きなので、こうした苦労
は、何ともないのですが……。新しい機器を購入して、そのマニュアルを手にしたりすると、ぞく
っとするほど、楽しいです。

 毎朝、一度、五時ごろに起きて、原稿を書きます。そして長男が仕事にでかける七時ごろ、
一度原稿を書くのをやめ、軽い朝食をとります。それから新聞を読んだりして、また書斎にこも
ります。九時ごろになると、再び眠くなるので、そこで一〜二時間眠ります。ソファの上や自分
の書斎で、居眠りをすることが多いですが、たまにふとんの中にもぐることもあります。

 昼前にまた起きて、風呂に入ったりして、自分の時間を過ごします。このところ本は、ほとん
ど読まなくなりました。雑誌や新聞がほとんどです。あとはワイフの家事を手伝ったり、買い物
に行ったりします。以前は、午前中は、電話による子育て相談で、ほとんどつぶれましたが、こ
の四月(〇二年)からは、電話による相談は、心を鬼にしてすべて断っています。何かと力にな
りたい人もいるのですが、どうかお許しください。

 健康といえば、血圧の問題があります。私は低血圧症(?)で、上が一〇〇、下が六〇くらい
で推移しています。ダイエット中は、もっとさがります。血圧だけをみれば、低血圧症ということ
になるのですが、私は一日に水分を、三〜四リットル前後とります。ふつうの人にはない習慣
だと思います。夏場だと、昼間だけで、二リットル入りのペットボトル(たいていはウーロン茶)
を、二本飲むこともあります。血管がそのため太くなり、それで結果として、低血圧症になって
いるようです。つまり血圧が低いというだけで、ほかに症状はありません。

 私が今、一番大切にしているのは、「静かに考える時間」です。朝、五時に起きるとここに書
きましたが、その五時から七時ごろまでが、私がもっとも私らしくなれる時間です。私にとって
は、たいへん貴重な時間です。その二時間の間に、その日のことを考えます。あるいはその時
間に、考えるテーマを決めます。「今日は何を考えようか」とか、「今日はこのことについて、自
分なりの結論を出そう」とか。そしてそこで決めたことについて、考え始めます。

 家族は、みんな元気です。ワイフも、子どもたちも。しかしワイフとは、こんな話をしています。
「今の健康を、できるだけ長つづきさせようね」と。いつか今の健康が崩れるときが必ずくるの
で、その心の準備だけはしています。「その日がきても、うろたえないで、乗り越えようね」とも。
よく「健康であることに感謝しろ」と言う人がいますが、健康は自分でつくるものです。日々の鍛
錬と、日々の運動で作るものです。だれかに与えられるものではないですね。だから私には、
どうしても感謝するという気が起きないのです。たとえば今日も、日曜日ですが、体がなまってく
ると、自転車で、ハナ(愛犬)と近所を走ってきます。そういう努力は、自分の意思によって、自
分でするものです。

 そう、私は子どものころ、「浩司は、健康で、五体満足だから、親に感謝しろ」と、叔父や叔母
によく言われました。しかしもしこの言い方が正しいとするなら、「体が弱く、五体満足でなかっ
たら、親をうらめ」ということにもなります。事実、私の兄は、同じ親から生まれながらも、まるで
病気のデパートのような人です。だから私は子どものときから、「感謝しろ」と言われるたびに、
「兄貴はどうなんだ」と、そんなふうに反発ばかりしていました。あるいは、母からも、「産んでや
った」とか、「育ててやった」とか、耳にタコができるほど、聞かされました。何がいやかといっ
て、それほどいやな言葉はありませんでした。

 ……とまあ、またまたグチっぽくなってきました。どうもこのところ精神状態がよくないようで
す。私もいろいろ問題をかかえています。心が晴れる日のほうが、少ないかもしれません。で、
ワイフに言わせると、そうなるのは、男の更年期のせいだそうです。そう言えば、このところ性
欲も、どんと落ちてきました。足や腰は毎日自転車で鍛えているので、その分……と、自分で
は考えているのですが、女性に興味をなくしつつあるというか、そういう状態になりつつありま
す。今の私なら、若い女性と一緒に混浴の風呂に入っても、平気で世間話ができると思いま
す。残念ながら、そういう機会はありませんが……。

 それよりもこわいのは、ボケです。みなさんは私のマガジンをお読みくださって、もうしばらくに
なるかたも多いと思いますが、このところ、どのようにお感じですか。「林の書く文章には、この
ところサエを感じなくなった」と思っておられませんか。もしそうなら、それは私にとって、恐怖以
外の何ものでもありません。ただ私自身が、そのボケに気づくことはないと思います。何といっ
ても脳のCPU(中央演算装置)がボケるのですから。ですから、もしみなさんの中で、そうお感
じになったら、どうかそのようにお知らせください。いや、そのためにも、毎日、こうして頭を使
い、ボケないように努力しています。家系的には、ボケることはないと思うのですが、しかし同
年齢の友人の中には、そういう兆候が見られるのが、すでに何割かはいます。「ああはなりたく
ない」と、いつも思っています。

 とりとめのないことばかり書きましたが、これはいわば近況報告です。今は、九月二九日の
午後一〇時過ぎです。これから居間で、ワイフとニュースでも見て、寝ます。おやすみなさい。
(02−9−29)※

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子育て随筆byはやし浩司(138)

濃密な人間関係

 のどかな田園風景。ワイフとドライブしながら、「ここはいいところだね」と言いつつも、私は心
のどこかで、おかしな疎外感を覚える。「どこかしら入り込めない」という疎外感だ。立派な門構
えの農家、そして田や畑……。しかしどれも、「お前らごときには、近寄らせないぞ」と言ってい
るように見える。

 私は、家族だの親類だのと、濃密な人間関係の中で、生まれ育った。それは息苦しいほどま
でに濃密な人間関係だった。何をするにも、家族や親類の視線がそこにあった。それだけでは
ない。毎日のように、近所や世間の視線まで感じていた。いくら心の中で、「私は私だ」と叫んで
も、そういう生き方そのものを認めるような環境ではなかった。たしかに私はガリ勉だったが、
それとて、「勉強しなければ、(家業の)自転車屋をやれ」と、いつも母におどされていたから
だ。

 田舎といっても、私が住んでいた町は、小さいながらも「町」だった。その町ですら、そうなの
だ。いわんや、一歩外に出た、農家では! 私の母の在所も、祖父の在所も、すべてその農
家だった。
私が「こういう村も、見るだけなら、のどかだけど、いざ、住むとなると、たいへんだろうね。内部
には、いろいろな問題があると思うよ」と言うと、ワイフは「そうよ、きっと」と笑った。

 濃密な人間関係が、悪いというのではない。それがよいというのでもない。人、それぞれだ
し、それぞれが、それでよいとするなら、それはそれでよい。問題は、どちらにせよ、それを望
まない人に、自分の価値観を押しつけてはいけないということ。たとえ相手が、自分の子どもで
も、それを押しつけてはいけない。日本人は伝統的に、自分の子どもを、モノ、あるいは財産と
考える傾向が強い。たとえば結納金という制度がある。あれなどは、まさに「女」を、金で買うと
いう風習そのもの。アフリカのある部族は、嫁と羊を交換するというが、それと同じことをしなが
ら、自分たちだけは、「まとも」と思いこんでいる。そのおかしさに、日本人は、いつになったら
気がつくのか。

 話が脱線したが、子どもを自分のモノと考えるから、日本人の子育ては、どうしても押しつけ
がましくなる。またそうすることが、子育てと思い込んでいる。ガイドとして前を歩いたり、保護者
としてうしろを歩くのは得意だが、友として、子どもの横を歩くのが苦手。苦手というより、そうい
う発想そのものがない。やたらと親意識が強く、親風ばかりを吹かす。いや、これとて、実のと
ころ、親子がそれでよいと納得しているのなら、それはそれでよい。しかし中には、それを苦痛
と思う子どもだっているはずである。そういう子どもに、親風を吹かすのはよくない。吹かせば
吹かすほど、子どもはそれを苦痛に感ずる。

 私は、農家の間に見え隠れする人々を見ながら、こう考えた。「せまいと言っても、日本は広
い」と。いくら濃密な人間関係といっても、日本という全体から見れば、その限られた地域だけ
の、針で刺したようなせまい世界での関係でしかない。「私が生まれ育った環境も針の穴なら、
こうして見る農家の世界もまた、針の穴だ」と。それはちょうど目の前に大砂丘を見ながら、そ
の中の砂粒ひとつにこだわるようなもの。家族や親類のしがらみは、それはそれで大切なもの
だが、しかしそれにとらわれ過ぎると、自分を見失い、つづいて大局からものを考えられなくな
る。繰り返すが、日本はまだまだ広い。世界は、もっと広い。

 一見のどかに見える田園風景だが、その中にも、無数の落とし穴がある。よく都会の人はた
まに田舎へ来たりすると、「ここはいいところですねえ。私もこんなところに住んでみたい」など
と言うが、実際には、そんな簡単なことではない。田舎の生活を決して安易に考えてはいけな
い。私がそういう風景を見ながらも、ある種の疎外感を覚えるのは、そういう思いがあるから
だ。
(02−9−30)※

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子育て随筆byはやし浩司(139)

子育て相談

 今年の四月まで、私は電話による子育て相談を受けていた。電話番号を公開していたわけ
ではないが、人が人を呼び、そのまた人がまた別の人を呼ぶというように、それがどんどんと
広がっていった。日によっては、というより、終わりのころには、午前中のほとんどがそれでつ
ぶれてしまった。相談といっても、一回の電話で、平均四〇〜六〇分はかかる。中には二時間
以上というのもある。私はそういう子育て相談を受けながら、多くのことを学んだ。そういう意味
では貴重な体験だった。

 が、そうして相談してくる人で、自分の名前を告げる人は少ない。言っても名字くらいで、住所
まで言う人は、二〇人に一人もいない。事情が事情だから、こちらも聞かない。それに定期的
に相談してくる人もいた。しかし「娘の不登校のことで先日電話しました、○○です」と。しかしそ
う言われると、本当のところ、困ってしまう。覚えていないというより、頭の中でいろいろな人とご
ちゃ混ぜになってしまう。が、何よりも困るのは、責任を追及されることだ。こんな事件があっ
た。

 その母親からは数日おきに、執拗な電話がかかってきた。育児ノイローゼぎみの人だった。
質問をしてくるから、あれこれ答えていると、つぎのとき、私のささいな言葉尻をとりあげては、
それをことさらおおげさに問題にした。「どうして日本の教科書が、日本の悪口を書くのです
か。子どもがかわいそうです」「先生は英語教育に賛成なさるということですが、かえってうちの
子供の日本語がおかしくなってしまいます」とか。が、その内容がやがて、子育てを離れて、夫
婦問題にまでおよんできた。「私は夫と離婚したいと考えています。先生は、どう思いますか」
と。そこで私は、こう言った。「子どもの問題なら相談にのりますが、それ以外の問題について
は、勘弁してください」と。が、この一言が、その母親を激怒させた。突然、ヒステリックな声を
はりあげて、「私は離婚したいと言っているのです。どうしてそれがわからないのですか!」と。
さらにこうまで言った。「私はどうしたらいいのですか? 私は離婚します、離婚を。それでいい
のですね!」と。

 こうした母親たちの気持ちは理解できないわけではないが、本などを書いていると、たいてい
の人は、私を「公」の人間と誤解するらしい。しかし私は、まったくの民間人。身分の保障もなけ
れば、収入の保障もない。そこで私はある日、市内で医院を経営している友人のドクターに、
活動を分担してもらえないかと相談してみた。が、結果は、あっさりと断られてしまった。「一
日、患者が一〇〇人はいないと、看護婦らの給料がペイできないのです。電話相談など受け
ていたら、医院の経営があぶなくなります」と。公的な保護を手厚く受けているドクターですら、
そうなのだ。

 だから私は「〇二年の三月三一日まで」と日を限って、この電話相談はやめることにした。そ
のときまでに一〇年以上してきた活動だったが、心を鬼にして、そうした。残念だが、今もそう
している。ただインターネットを通しての相談は、今のところすべて受けている。今まで断ったこ
とは一度もない。無論、過去においても、今も、金銭を受け取ったことは一度もない。しかしこ
のところ、そのインターネットによる相談も、ふえてきた。がんばれるだけがんばろうと思うが、
それもそろそろ限界にきたように思う。とても残念なことだが、近く、何らかの形で、相談を少し
減らしてもらえるようにしようと考えている。
(02−9−30)※

(追伸)たとえば相談を、マガジンの読者に限るとか、そういうふうにしようと考えています。マガ
ジンのどこかにアクセス用のパスワードを置いて、それでアクセスしてもらうことを考えていま
す。いかがでしょうか。そのときは、よろしくお願いします。

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子育て随筆byはやし浩司(140)

育児ノイローゼ(補足)

 育児ノイローゼについては、たびたび書いてきた。後遺症についても、書いた。で、ほかにも
いくつか気づいたことがあるので、ここにメモする。

 育児ノイローゼになった母親は、いつも心の中が緊張状態にある。ささいなことで突発的に
激怒したり、反対に落ち込んだりする。それはよく知られた症状だが、ほかに、たとえば自己中
心性がきわめて強くなり、自分のことしか考えられなくなる。つい先日もこんなことがあった。

 電話で相談を受けているうち、しかもその電話は、日曜日の夕方、私の家でも食事中にかか
ってきたが、突然、激怒して、大声で私を罵倒(ばとう)した。「そんなら、(相談にのってくれなく
ても)、結構です!」と。そして一方的に電話を切ってしまった。何とも後味の悪い電話だった。
 が、翌日、会うと、そんなことを忘れてしまったかのように、ケロリとしている。そして一転、し
おらしい声で、「先生は、怒っていますか?」と。私はなんだか、キツネにつままれたような気分
になった。

 その母親について、ほかに、つぎのようなことに気づいた。

(1)異常な繊細さと、異常な鈍感性……ある部分には、きわめて敏感になり、また別の部分に
は、きわめて鈍感になる。たとえば「先日道で会ったとき、先生にあいさつをしなかった。失礼
を許してほしい」と何度も謝ったあと、私の仕事中でも、そのことで平気で教室へやってきたり、
電話をかけてきたりする。

(2)執拗性……同じことで、同じことを何度も繰り返す。私が「あいさつをしなかったことは、気
づかなかった。何とも思っていない」と言っても、それが心にしみていかない。しみていかないか
ら、数日もすると、また同じことで、私に謝る。あとはその繰り返し。あまりしつこいので、こちら
のほうが気がへんになってしまうほど。
 
(3)妄想性……ささいなことで、誇大妄想して、悩んだり、苦しんだりする。その母親も、学校で
した子どもの計算ドリルのプリントを見せ、こう言った。「答が、すべて一段ずつずれています。
きっと隣の子のを丸写しにしたからです。こういうことを平気でするようでは、先が心配です。う
ちの子はどうなるのでしょう?」と。私が「よくあることです」「子どものすることですから……」と
説明しても、かえって「そんないいかげんなことでは困ります!」と、怒りだしてしまう。

(4)突発的な激怒性……自分を懸命に抑えようとしているが、それが、ふとしたことで、爆発す
る。異常な興奮状態になることもある。こうした感情障害(感情のコントロールができない)は、
育児ノイローゼに共通してみられる症状だが、その母親のばあいは、そのあといつもはげしい
自己嫌悪に陥(おちい)っていた。すぐさままた電話をかけてきて、「先ほどは、すみませんでし
た。私、どうかしていました」と。電話口で、さめざめと泣いたりする。

 育児ノイローゼというのは、いわば極端な例かもしれない。しかし子育てをしている親は、程
度の差こそあれ、みな、育児ノイローゼになると考えてよい。この問題は、シロかクロかという
問題ではなく、濃い灰色の人もいれば、薄い灰色の人もいる。そして時期的に、クロになった
り、あるいはシロになったりする人もいる。つまり母親たちが、共通してもつ問題と考えてよい。

 育児ノイローゼになったら、あるいは自分がそうであると感じたら、子育てから思いきって遠
ざかるのがよい。が、実際には、不可能。遠ざかろうとすればするほど、かえって子育てが気
になり、ますますノイローゼがひどくなる。そこでそういうときは、子育て以外のことで、自分の
生きがいを見出し、それに没頭する。そしてその結果として、子育てから遠ざかる。これについ
ては、前にも書いたので、ここでは省略する。
(02−9−30)※

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子育て随筆byはやし浩司(141)

思考と情報

●思考
 人間の脳が、ほかの動物と、大きく違うところは、「連合野」と呼ばれる部分が、広いこと。こ
の連合野は「思考作用の座」と考えられ、「新・新皮質」と呼ぶこともある。

 この連合野は、@前頭連合野、A側頭連合野、B頭頂連合野の三つに分けられる。これら
の連合野でいちばんよく知られているのが、言語機能。この連合野のある部分が、何らかの
原因でキズつけられると、「他人の言う言葉は理解できても、自分ではしゃべれなくなります」
(新井康允氏)という。この言語中枢は、「大部分の人は左半球にあり、とくに右利きの人で
は、九〇〜九六%が、左半球にあります」(同)という。

 この言語中枢の働きからもわかるように、連合野の働きは、「入ってきた生の情報を、理化
し、解釈し、判断し、ばあいによっては、行動に移す働きをもち、運動野や感覚野より、次元の
高い働きをもっていると考えられています」(同)と。たとえば前頭連合野は、大脳皮質の約二
五%をしめ、「この部分が損傷を受けると、移り気になり、責任感も薄く、野心もなくなり、節度
に欠け、人格が以前とまったく変わってしまうこともあります」(同)と。そしてその結果、「複雑な
行動が時間を追って、順序よく組み合わせて行うことができなくなります」という。新井康允氏は
こうした働きを総合して、「いうなれば前頭葉は行動のプログラマー」と結論づけている(「脳の
しくみ」、日本実業出版社)。

●記憶
 一方、情報の蓄積は、「記憶」と呼ばれ、その記憶は、記憶の内容により、@認知記憶(一度
読んだことがある本の内容を覚えている)と、A手続記憶(パソコンのキーボードを、あまり考
えずにたたくことができる)、さらに、記憶している時間から、B短期記憶(短い時間、記憶して
いる)と、C長期記憶(古い過去のことを記憶している)に分けられる。

 これらの記憶は、脳の機能の分野でも、先の思考をつかさどる「大脳連合野」とは、まったく
別の部分で、蓄積される。新井康允氏は、アメリカであった例をあげて、こう説明している。「側
頭葉内側部を海馬を含めて両側を削除された患者がいました。しかしこの手術の結果、その
人は、日常生活でのできごとがまったく記憶に残らず、起こるそばから忘れてしまいました。た
だ昔の記憶は残っていて、話すことはできます。そのため現在では、このような手術は行われ
ていません」(同書)と。

 わかりやすく言えば、B短期記憶は、海馬でなされるということ。もし海馬が破壊されると、短
期の認知記憶ができなくなるということ。それにひきかえ、手続記憶は、体の運動能力とも関
連し、「海馬とは無関係でなされ、小脳を中心とした神経回路でなされる」(同)ということらし
い。となると、問題は、「では、短期の認知記憶はどこに蓄えられるか」ということ。

 これについては、「大脳連合野に蓄えられると考えられていますが、大脳連合野といっても、
非常に広く、さらなる研究が必要です。おそらく認知のタイプによって、異なった場所が関与し
ているのでしょう」(同書)とのこと。

●思考の深さ
 脳の分野でも、思考と記憶は、まったく別の分野でなされるということ。さらにその思考は、大
脳皮質でなされるものの、成長とともに、厚くなることが知られている。しかしここで注意しなけ
ればならないことは、人間の神経細胞は生まれたときから、約一〇〇万個でそれ以後、ふえる
ことはないということ。その神経細胞がふえないのに、大脳皮質が厚くなるのは、個々の神経
細胞が大きくなり、それにともなう「シナプス(配線)」が、より成長し複雑になることによる。たと
えば一個の神経細胞には、それぞれ、約一〇万個のシナプスがある。そこで一〇〇万掛け
る、一〇万で、約一〇の一五乗のシナプスがあることになる。つまり一〇〇〇兆個のシナプス
があることになる。この数は、DNAの遺伝子情報の、一〇の九乗〜一〇乗よりも多いことにな
る。実は、ここに思考の深遠さがある。つまり人間の思考は、わかりやすく言えば、DNAの遺
伝子情報の外にあるということ。さらにわかりやすく言えば、この「自由度」が、人間の思考の
ハバと深さを決めるということになる。

●思考と情報 
 思考と情報が質的にまったく異質のものである。田丸謙二氏は、有機ゴム開発の例をあげ
て、つぎのように説明している。

「以前に大阪大学の有機化学のK先生が話しておられた。昔から天然ゴムを人工的に作ろうと
してどれだけの一流の有機化学者たちが時間と労力とを費やして努力をしてきたかわからな
いと言う。(ことに第一次世界大戦の頃マレイシアからの天然ゴムが、イギリス海軍の海上封
鎖によりドイツに輸入できなくなり、車のタイヤなどのゴム製品にこと欠いて大変な努力を傾け
たが成功しなかったそうである。) 
しかし、その後第二次大戦中にデュポンで合成ゴムの製造に成功したのであるが、それを知っ
て、大学院生にやらせてみたら、三か月で立派にできてきたという。
最初の物を作り出すのには膨大の努力を長年かけてきたものでも、一旦知ってしまえば、それ
とは全く比較にならない少ない努力で大学院生でも簡単に作れるのである」

 私たちは思考と情報、つまり「もの知り」(田丸謙二氏)を、同列において、それを混同する傾
向が強い。とくにこの日本では、「『学問をする』ことをマナブというし、マネブともいう。真似(ま
ね)をすることが学問の本質とされてきたわけである」と。そして知識偏重型の教育システムが
生まれた。田丸謙二は、さらにつぎのように述べている。

 「わが国での教育はおのずから知識偏重の傾向が生まれ、全体を支配してきたのであリ、そ
の傾向は現実に現在も強く支配的に残っている。学問をすることは知識を取り入れることであ
って、自分の頭で考えだすことではないと決めてかかっていた部分が少なくなかった。それは
正に何千年来の歴史から来る所産なのである。「物知り」が珍重され、「学力」と言うとどれだけ
の知識があるか、が問われるのである。したがって、学校の入学試験もそのように仕組まれ、
その結果として自分で考える能力よりも暗記の強い人が、成功者として、出世をする仕組みに
なっていて、その意味での学閥もおのずからできあがってくる。 教育界の指導者たちも、現場
の教師たちも、おのずから自分たちの持ちあわせている「学力」をつけさせることが教育である
と無意識的に考え、学校での勉強もおのずから『解ったか、覚えておけ』の一方的な教え込み
方式になるのである」 

 少し話が脱線したが、思考(考える力)と情報(知識の量)は、まったく異質のものであり、そ
れゆえに、思考力のあるなしと、情報量(記憶)の多い少ないは、まったく異質のものである。
言いかえると、情報量が多いからといって、頭がよい(思考力がある)ということにはならない。
反対に情報量が少ないからといって、頭が悪いということにもならない。私たちが子どもの教育
を考えるとき、まずもって、思考と情報を分けて考えなければならない理由は、ここにある。

参考……田丸謙二氏(二〇〇一年度、日本学士院賞受賞者)「文明の後進国であった日本の
これから」
新井康允氏(人間総合科学大学教授)「脳のしくみ」(日本実業出版社)
(02−9−30)※
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思考と知識を区別せよ(中日新聞に発表済み)

思考と情報を混同するとき 

●人間は考えるアシである
パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをなす』と
も。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に出すというのは、
別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」
B「スパゲティはどう?」
A「いいね。どこの店にする?」
B「今度できた、角の店はどう?」
A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二人は何も
考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として外に取り出し
ているにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人の園児が掛け算の
九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからといって、その園児は頭がよいということにはな
らない。算数ができるということにはならない。

●考えることには苦痛がともなう
 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識のうちに
も、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。中には考えることを他
人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話をしたことがある。私
が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。その人はこう
言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まちがいは、ない」と。

●人間は思考するから人間
 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、『われ思
う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいとか、まちがっていると
かいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんなことがあった。ある朝幼稚園へ行
くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしているの?」と声をかけると、
「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中から生まれるものだと思ってい
た。おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子どもは子どもなりに、懸命に考え
て、そうしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう「人間の偉大さ」なのである。

●知識と思考は別のもの
 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけさせる
ことが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。それがムダだとは思わない
が、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にしてしまう。かえって子どもから
考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言えば、賢い子どもというのは、自分で考える力のある
子どもをいう。いくら知識があっても、自分で考える力のない子どもは、賢い子どもとは言わな
い。頭のよし悪しも関係ない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言ってい
る。「バカなことをする人のことを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。ここをまちがえると、
教育の柱そのものがゆがんでくる。私はそれを心配する。

(付記)
●日本の教育の最大の欠陥は、子どもたちに考えさせないこと。明治の昔から、「詰め込み教
育」が基本になっている。さらにそのルーツと言えば、寺子屋教育であり、各宗派の本山教育
である。つまり日本の教育は、徹底した上意下達方式のもと、知識を一方的に詰め込み、画
一的な子どもをつくるのが基本になっている。もっと言えば「従順でもの言わぬ民」づくりが基本
になっている。戦後、日本の教育は大きく変わったとされるが、その流れは今もそれほど変わ
っていない。日本人の多くは、そういうのが教育であると思い込まされているが、それこそ世界
の非常識。ロンドン大学の森嶋通夫名誉教授も、「日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育
である。自分で考え、自分で判断する訓練がもっとも欠如している。自分で考え、横並びでない
自己判断のできる人間を育てなければ、二〇五〇年の日本は本当にダメになる」(「コウとうけ
ん」・九八年、田丸謙二氏指摘)と警告している。

●低俗化する夜の番組
 夜のバラエティ番組を見ていると、司会者たちがペラペラと調子のよいことをしゃべっている
のがわかる。しかし彼らもまた、脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話と
して外に取り出しているにすぎない。一見考えているように見えるが、やはりその実、何も考え
ていない。思考というのは、本文にも書いたように、それ自体、ある種の苦痛がともなう。人に
よっては本当に頭が痛くなることもある。また考えたからといって、結論や答が出るとは限らな
い。そのため考えるだけでイライラしたり、不快になったりする人もいる。だから大半の人は、
考えること自体を避けようとする。

 ただ考えるといっても、浅い深いはある。さらに同じことを繰り返して考えるということもある。
私のばあいは、文を書くという方法で、できるだけ深く考えるようにしている。また文にして残す
という方法で、できるだけ同じことを繰り返し考えないようにしている。私にとって生きるというこ
とは、考えること。考えるということは、書くこと。モンテーニュ(フランスの哲学者、一五三三〜
九二)も、「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときのほか、考えたことはない」
(随想録)と書いている。ものを書くということには、そういう意味も含まれる。

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子育て随筆byはやし浩司(142)

現状を受け入れる

 人間というのは、勝手なものだ。ほとんどの人は、自分のことを棚にあげて、自分以外には
完ぺきさを求める。あなたが妻であれば、完ぺきな夫、完ぺきな子ども、完ぺきな家庭、完ぺ
きな生活を求める。

 よく「育自」という言葉を使って、「子育ては育自です」などと、わかったようなことを言う人がい
る。まちがってはいないが、子育てはそんな甘いものではない。親は、子どもを育てながら、否
応(いやおう)なしに育てられる。が、それだけではない。子育てには苦労はつきものだが、そ
の苦労というのは、「子育てそのものから生まれる」というよりは、結局は自分自身が自ら生み
出している。そういう意味では、子育てというのは、自分との戦いである。そのことは、受験生を
もつ親を見ればわかる。

 子どもの受験に狂奔する親は、珍しくない。あなたのまわりに、一人や二人は必ずいる。ある
いはあなた自身がそうであるかもしれない。そういう親は、「子どものため」と言いながら、結局
は自分のためにそうしているにすぎない。悶々とした毎日を送りながら、「それが子育てだ」と
思い込んでいる。言うなれば、『マッチ・ポンプの子育て』と言ってもよい。自作自演と言ってもよ
い。自分で悩む原因を一方でつくりながら(=マッチで火をつけながら)、その悩みを解消する
ために、また苦労をする(=ポンプで火を消す)。

 そこで子育てをするということは、自分との戦いであることに気づく。子どもを育てるのではな
く、自分自身と戦う。その中でも最大の「敵」は、自分の中に潜む、完ぺきさを求める身勝手さ
である。言いかえると、この身勝手ささえ克服できれば、子育てにまつわるほとんどの悩みや
苦しみは、解消する。そのために、まず、あなたは子どもに何を求めているか、冷静に自分自
身を観察してみてほしい。あなたはいったい、子どもにどうなってほしいと願っているのか。

 友だちと仲よくしてほしい。
 勉強がよくできるようになってほしい。
 すなおで明るい子どもになってほしい。
 家の手伝いをしっかりしてほしい。
 非行や暴力とは無縁でいてほしい。

 しかしこれらはすべて子どもの教育といいながら、結局は、親のエゴでしかない。その中でも
最大のエゴは、「しっかり勉強して、いい高校、いい大学へ入ってほしい」というエゴである。し
かしそんな完ぺきさを、子どもに求めても、意味はないし、やり方をまちがえると、親子の関係
を破壊してしまう。そしてそういう状態になりながら、(つまりは親自身がそういう状態をつくりな
がら)、「どうしてうちの子は?」とか、「どうすればいいの?」と悩んだり、苦しんだりする。それ
はちょうど、一方で、必要でもない高級車を買い、身の丈を超えた高級住宅に住みながら、そ
のローン返済に苦しむ人の姿に似ている(失礼!)。ほどほどのところで、ほどほどの生活を
し、ほどほどのところで満足すれば、こうした苦労は、本来、しなくてもよい苦労である。子育て
も、これにたいへん似ている。

 そこで自分自身の中のエゴと、どう戦うか。いや、自分に向かって完ぺきさを求めるならまだ
しも、自分以外に求める。そういう自分とどう戦うか。実のところ、先にも書いたように、子育て
は、この一点に集約される。そこでつぎのようにする。

(1)子育ては「あきらめ」が、つきもの。……子育てで行きづまりを感じたら、あきらめる。あき
らめることは悪いことではないし、敗北することでもない。私は以前、『あきらめは悟りの境地』
という格言を考えたが、あきらめることを恐れてはいけない。子どもというのは不思議なもの
で、親があきらめると、そこを原点として、また伸び始める。親が「まだ何とかなる」「何とかしよ
う」とあせればあせるほど、逆効果で、子どもはますます親が望むのとは、反対方向に進んで
しまう。

(2)「自分ならできるか」「自分ならできたか」と自問してみる。……ある母親はこう言った。「私
はもう終わりましたから」と。私が、「子どもに読書をさせたいなら、お母さんが自分で読んでみ
たらいいのです」と言ったときのことだ。あるいは、こう言った母親もいた。「夫は学歴がなくて、
苦労しています。息子には、そういうみじめな思いはさせたくありませんから」と。

 要は、自分の欠点をいかに認めるかということ。あなたとて、欠点だらけの人間なのだ。それ
がわかればわかるほど、完ぺきな夫、完ぺきな子ども、完ぺきな家庭、完ぺきな生活など、こ
の世にはないことがわかる。そしてそれがわかれば、あなたがつぎになすべきことは、ただひ
とつ。あとは現状を受け入れる。夫に、あれこれ不満もあるだろう。子どもに、あれこれ不満も
あるだろう。家庭に、あれこれ不満もあるだろう。そういう不満があることが問題ではない。不
満をもつことが問題ではない。問題は、その不満を解消しようと、相手に完ぺきさを求めるこ
と。そのときから、すべてがぎくしゃくとした動きになる。そしてそれがあなた自身のあり方をゆ
がめる。が、受け入れてしまえば、そのときから、あなたの心の中に風が通り始める。そして同
時に、子育てにまつわるすべての問題は、解決する。
(02−10−1)※

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子育て随筆byはやし浩司(143)

世にも不思議な留学記(番外編)

 当時は、線路のハバが、州ごとに違っていて、そのつど州境で列車を乗り換えなければなら
ないということもあった。オーストラリアにしても、そしてアメリカもそうだが、州ごとの独立意識
は、日本とは比較にならないほど強い。たとえばよく知られた歌に、『ウオルチング・マチルダ』
というのがある。一時は、『ゴッドセイブザクィーン』とは別の、第二国歌として歌われることが多
かった。(現在は、『アドバンス・オーストラリア』が国歌になっている。)あの『ウオルチング・マ
チルダ』にしても、アデレードに住む人は、「あれは、ニューサウスウェールズ州の歌だ」と言っ
て、毛嫌いしている。それはそれとして、メルボルン(ビクトリア州)から、アデレード(南オースト
ラリア州)へ行くときには、列車を乗り換える必要はなかった。私たちは夕刻、通称、「オーバー
ランド号」に乗って、アデレードへ向かった。大陸横断列車である。
 こうした列車で困るのが、トイレ。向こうのトイレは、男女の区別はない。かわりに、おとな用と
子ども用に分かれている。便座の高さが違う。で、最初私は、おとな用に入ったが、便座の位
置が高いのなんのといって、座ってみると、足が下に届かない。「小」はともかくも、(実のとこ
ろ、「小」もギリギリの高さでたいへんだったが)、「大」のほうは、列車がゆれるたびに体もゆれ
て、用がたせない。両手をカベにあてて、体を支えなければならない。で、いつしか、私は子ど
も用のトイレを使うようになった。
 その列車は、一晩中、走り続けた。が、駅へ着くごとに、妙なことが起きた。窓の外を見ると、
みなが、一斉に列車から飛び出て、一方向に走り出すのだ。が、その方向を見ても、何も見え
ない。何といっても、長さが七〜八〇〇メートル前後もある長い列車である。そしてそれが駅へ
着くたびに、繰り返された。私はいつしか、その先に何があるのか知りたくなった。「なぜ、みな
は、走るのか」と。そして私は決心した。「つぎの駅では、みなと一緒に走ってみよう」と。
 そのトイレだが、一度、子ども用のトイレから出たところで、小学生らしい男の子と顔をあわ
せたことがある。そのときその男の子が、「どうしてあなたがここにいるのか」というような顔をし
たのが、今でも忘れられない。私にしても、気まずい瞬間だった。それは女子用トイレを使って
出てきたような気まずさではないか。(私は一度だって、女子用トイレに入ったことはないが…
…。)私は私のというより、日本人の足の短さが、つくづくとうらめしかった。日本にいるころに
は、そんなことを、考えたこともなかったのだが……。
 で、列車はまたスピードを落とした。駅が近づいてきたらしい。私は構えた。そしてドアに向か
った。すでに何人かの乗客がそこにいた。好奇心というのはそういうもので、私はもうそれを抑
えることができなかった。で、列車が止まると、外へ飛び出し、私もみなと一緒に走り出した。わ
けもわからず、である。で、そこに何があったかって?
 実は売店だった。みなは、そこでコーヒーやお茶を飲むために、走っていただけだった。が、
肝心の私は、お金をもっていなかった。遠巻きに、しかしどこか知ったかぶりな顔をしながら、
つまり、「何も買うものがないな」というような、生意気な顔つきをしたあと、また列車にもどっ
た。
(02−10―2)
 
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子育て随筆byはやし浩司(144)

奇妙な事件

 北海道にスーパーSという大型スーパーがある。そこで何でも輸入牛肉を国産牛肉と偽って
販売したという事件が起きた。量的にはわずかな量だったらしい。それでそのスーパーSが得
た利益は、数十万円足らずだという。が、ここからつぎの事件が起きた。

 スーパーSは謝罪の意味もこめて、「お金を、(レシートなしでも)払い戻す」と宣言したのだ。
その結果、売りあげ金額の数倍にもおよぶ、五〇〇〇万円近いお金が請求され、そして客に
払い戻された。中には、一人九〇万円近くも請求した人もいるという(テレビ報道)。しかもそう
した請求をした人の大半が、地元以外のところからきた客(?)だという。

 こういう事件が起きると、すぐマスコミはスーパーSという企業をたたく。「レシートなしで、返金
するというのは、常識にはずれている」「悪いことをしたら、お金を返せばよいという発想は子ど
もじみている」(同、報道)と。しかし本当にそうか。

 「中には、本当に、肉を買ってだまされた人もいる」という論法で、こういう人たを擁護する人
もいる。事実そういう人もいるから、そういうふうに請求してきた人全体を非難することもできな
い。しかし私はこの事件を見たとき、人間のあさましさというか、何とも言われないおぞましさを
感じた。テレビで報道されたところを見ると、九〇%以上が、二〇歳前後の若い男女である。
そういう男女が、鬼のクビでも取ったかのような、大柄(おおへい)な態度で、怒鳴っていた。「こ
のヤロー!」「だましやがって!」「金、返せエ!」と。中には店員に暴力をふるって、逮捕され
た若者もいた。私は、スーパーSが起こした事件そのものよりも、むしろ、こうした若者たちの
ほうに関心をもった。

 相手にほんの少しでも、スキやホコロビがあると、そのスキやホコロビをついてくる。教育の
世界でも、似たような事件はよく起きる。たとえば小学生たちに、何か手伝いを頼むと、ほとん
どは、「どうして私がしなければいけないの」とか、「どうして○○君はしなくてもいいの」とか、言
い返してくる。学年があがればあがるほど、その傾向は強くなる。そこで、「君がいちばん近くに
いるか」などと言うと、不機嫌な顔をして、「自分のことは自分でしたら」などと言う。自分のこと
しかしないというのは、立派なドラ息子症候群の一つだが、今では、そうでない子どもをさがす
ほうがむずかしい。

 こうした自分中心の発想と表裏関係にあるのが、他人へのきびしさ。よく『自分に甘い人は、
他人にきびしい』というが、それはその通りで、このタイプの若者は、他人のためには何もしな
いのに、自分の権利が少しでも侵されると、ギャーギャーと騒ぐ。それこそ、ほんの少しでもス
キやホコロビがあると、それをついてくる。自分の非は棚にあげて、相手の非をつく。つまり自
分のことしかしないという自己中心性と、相手を許さないという自己中心性は、ちょうどヤジロ
ベーのバランスのようになっていて、たがいに妙な調和を保っている。

 そこで「やさしさ」である。人間にとってやさしさというのは、「まあ、いいじゃないか」という、あ
いまいな部分で育つ。あいまいであることを悪と決めてかかってはいけない。これも教育の世
界では常識で、たとえば子どもに、二〇〜三〇問、計算問題をさせたとする。大きな、つまり致
命的なミスはともかくも、そうでなければ、一つや二つ、まちがえたところで、どうということはな
い。子どもが一生懸命したら、「よくがんばったね」と、大きな丸をつけてあげる。それは答がす
べて正しいという丸ではない。「よくがんばったね」という、ねぎらいの丸である。そういうおおら
かさがあってはじめて、子どもは前向きに伸びていく。だからといって、スーパーSの不正を許
せというのではない。ないが、店員たちに怒声を浴びせかけねばならないような事件でもない。
巨悪かどうかということになれば、取るにたりない小悪なのである。

 一方、この社会で、「正しく生きる」ということは、本当にむずかしい。昔からこの日本でも、
『正直者はバカをみる』という。小ズルく生きるのが当たり前になっている。またそうでないと生
きられない。そういうことはあるが、では、こうして正義(?)を主張する若者たちが、では、ほか
の部分で、どれだけ正義を貫いているかといえば、それは疑わしい。一人の若者はテレビ画面
に向かって、「私たちはダマされた。許せない」と怒っていたが、それは日ごろから、たとえば適
正価格表示運動などをしている人が使うセリフで、そこらの若者(失礼!)が使うようなセリフで
はない。

 で、改めて、先のスーパーSというスーパーの前に陣取って、大声で怒鳴っていた若者たちを
思い浮かべてみる。一見正義の使者のようにも見えるが、その正義を貫くというほどの、人間
的な深みがどこにもない。私は今まで、何人か、本気で、それこそ命がけで正義を貫いてきた
人たちと直接会ったことがある。たった一人で、日本の巨大宗教集団を相手にペンで戦った
人。戦地のカンボディアで、カメラマンとして戦争の悲惨さを訴えつづけた人など。こういう人た
ちに共通するのは、恐ろしいほどまでの謙虚さである。「本当にこの人が?」と思ったこともあ
る。外に向って正義を追求するということは、結局は、その正義を自分に向って追求していくこ
とになる。あるいは正義を追求することのむずかしさを、こういう人たちは知っている。だから
謙虚になる。これもヤジロベーのバランスのようなもので、外で正義を貫けば貫くほど、自分の
心は重くなる。そしてその重くなった分だけ、腰が低くなる。言いかえると、その「深み」を感じな
い正義の使者は、エセと考えてよい。

 多分、こういう若者たちは、正義の世界を知らないのかもしれない。正義のために戦っている
人の姿すら、見たことがないのかもしれない。あるいは、ずるいことばかりしているおとなたち
を見ている。政治家にしても、親にしても、そして学校の先生にしても。だから自分たちの行為
がどういう行為なのか、それを客観的に見ることができない。言いかえると、ひょっとしたら、そ
ういう若者たちこそ、日本の社会が生み出した犠牲者かもしれない。ちなみにこんなことも報道
されている。

「逮捕された若者たちは、そのスーパーSでは肉を買っていなかったことが、警察の取り調べで
わかった」(〇二年一〇月一日)と。なお念のため申し添えるなら、牛肉を買ってもいないのに
「買った」と言って申告し、補償金を受け取ったら、詐欺罪の構成要件を満足する。つまり立派
な詐欺罪。恫喝(どうかつ)すれば、脅迫罪。店員の暴行を加えれば、傷害罪。どれであるにせ
よ、懲役刑を覚悟したらよい。
(02−10−2)※

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子育て随筆byはやし浩司(145)

こわれる心

 ずいぶんと前だが、こんな事件があった。
 私はある男児(小四)の家庭教師をしていた。たいへんよい関係だった。が。ある日、突然、
母親から電話がかかってきた。そしていきなりこう言った。「今週で、もううちへ来てもらわなく
て、結構です。今月分の代金は、明日にでも銀行へ振り込んでおきますから、よろしく、(ガチャ
ン)」と。

 私はその夜はほとんど一睡もできなかった。私はそのとき二七、八歳。まだ経験も乏しかっ
た。しかしそのときほど、自分がつまらない人間に見えたことはなかった。虚(むな)しかった。
さみしかった。それにみじめだった。
 が、その二日後のこと。また母親から電話がかかってきた。何ごとかと思って受話器を取る
と、母親はこう言った。

 「先生、先日はごめんなさい。あのとき、息子とけんかをしていまして、私が『そんな生意気な
こと言うと、林先生の勉強をやめさせる』と言いましたら、息子が、『やれるものなら、やってみ
ろ』と言いましたので、それでああいう電話をしてしまいました。あれは本心ではありませんか
ら。また今週から、いつものように家庭教師においでください」と。

 私は親子げんかのトバッチリを受けたというわけだ。しかしその二日間で、私のその子どもへ
の「思い」は、すべて消えた。たとえそうであっても、母親はその直後にでも、私に電話をするこ
とができたはずである。その夜でもよい。少なくとも、私からその「思い」を消す前に、すべきこ
とはあった。

 こういうケースは、実に多い。最近でも、こういうことがあった。何かのことで、電話で話し合っ
ているうちに、その母親は興奮状態になってしまった。そして最後に、私に、「あら、そう。長い
間、お世話になりました!」と言って、電話を切った。それは怒鳴り声に近いものだった。私
は、めったに人に怒鳴られたことはない。ワイフにしても、たいへん穏やかな性格の持ち主で、
結婚して三〇年以上になるが、私に怒鳴ったことはない。(私はよく怒鳴るが……。)

 しかし一度でもそういう電話があると、私の気持ちは大きく変化する。身内のワイフに怒鳴ら
れるなら、まだ話もわかる。しかし他人に怒鳴られて、そのままですむはずがない。私はその
段階で、その母親や子どもへの「思い」を消す。消すことで、自分の心を整理する。そうでもしな
ければ、この仕事は務まらない。

 が、そういう親にかぎって、その意識がない。数日もすると、ケロッと忘れて、また電話をかけ
てくる。そして「先生、もうひとつ、ご相談したいことがあるのですが……」と。中国には、昔から
『覆水、盆に返らず』※という諺(ことわざ)がある。一度こぼれた水は、もとに戻らないという意
味だが、人間の心というのは、そういうもの。相手は自分のことしか考えていないから、こちら
の心の変化には気づかない。

 先の男児(小四)のとき、私はその母親にこう言った。「もう、終わりましたから。ごめんなさ
い」と。しかし今度は、それに母親が反発した。何度も、「どうしてですか?」「どうして家庭教師
に来ていただけないのですか?」と。私は説明するのもおっくうだったから、そのまま、電話を
切った。
(02−10−2)※

※……再縁を求めた妻に、夫が目の前で盆の水をこぼしてみせ、「この水をもとのとおりにし
たら、求めに応じよう」と言ってみせたという中国の故事による。「一度、離れた心はもとに戻ら
ない」ということを意味する。ほかに「落ち花、枝に戻らず」「破鏡、再び照らさず」ともいう。

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子育て随筆byはやし浩司(146)

とぼける、ほとぼりを冷ます

 日本人独特の「ごまかし法」に、@とぼける、Aほとぼりを冷ます、がある。とぼけたり、ほと
ぼりを冷ますほうは、その人の勝手だが、とぼけられるほうや、ほとぼりを冷まされるほうは、
たまらない。ふつう、それで人間関係は終わる。ただ、自分自身も、日常的にとぼけたり、ほと
ぼりを冷ましたりすることが多い人は、自分が他人にそうされても、それほど気にならないらし
い。それはある。

 A氏(五五歳)は、甥(おい)のB氏(三〇歳)に、一〇〇万円にもならない山林を、六〇〇万
円で売りつけた。それから二五年たった今でも、その値段が、一八〇万円程度だという。B氏
はこう言う。「二五年前には、六〇〇万円で、家が建ちました。今、一八〇万円では、駐車場く
らいしかできません」と。
 そこでB氏は、A氏に手紙を書いた。が、それについては、ナシのつぶて。手紙を無視する形
で、A氏はほとぼりを冷まそうとした。「時間がたてば、問題も解決するだろう」と。しかしA氏は
ともかくも、B氏のほうは、半年、一年とたつうちに、心を整理した。と、同時に、縁を切った。
が、こういう状態になったとき、つぎにA氏がとった方法は、とぼけるだった。A氏はこう言って
いる。「山林なんてものは、値段があってないようなもの。あと一〇〇年もすれば、価値が出て
くる」と。(一〇〇年!)

 他人ならともかくも、親子や兄弟では、とぼける、ほとぼりを冷ますは、タブー。こんな例もあ
る。

 Cさん(六〇歳)は、息子(二七歳)から、そのつど、「かわりに貯金しておいてやる」と言って
は、お金を取りあげていた。二万円とか三万円とかいうような、少額ではない。盆や暮れには、
二〇万円単位。ふだんでも、毎月のように、一〇万円単位で取りあげていた。で、ある日、息
子が、Cさんに、「貯金はいくらになった?」と聞くと、Cさんは、「そんなものはない」と。さらに
「貯金通帳はあるのか?」と聞くと、それも「ない」と。そこでさらに、「お金を渡したはずだ」と息
子が詰め寄ると、「そんなもの、もらった覚えはないなあ」と。Cさんは、今、七八歳。ボケたふり
をながら、息子の追及をうまくかわしている。

 とぼける、ほとぼりを冷ますは、日本人独特の、つまりはものごとを、何でもあいまいにしてす
ますという、日本人独特の問題解決の技法のひとつと言ってもよい。もちろん外国では通用し
ない。「あいまい」というと、まだ聞こえはよい。しかしその中身は、「ごまかし」「だまし」「あざむ
き」。とぼける、ほとぼりを冷ますを、日本人の美徳と考える人もいる。つまり、「これこそ、和を
もって貴(とうと)しとなす※の真髄」と説く人もいる。が、これは美徳でも何でもない。それでも
……と、反論する人もいるかもしれないが、しかしここにも書いたように、親子の間では、タブ
ー。ごまかさないから親子という。だまさないから親子という。あざむかないから親子という。だ
から、親子の間では、とぼけたり、ほとぼりを冷ますようなことはしてはならない。
(02−10−2)※

※……「和を以って貴しと為す」は、聖徳太子の一七条憲法のひとつ。「ものごとは争わず、人
と和するのが、何よりも大切」という意味。

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子育て随筆byはやし浩司(147)

モノへの執着性

●車のキズ
 ワイフの車は、トヨタのビッツ。安い車だが、「乗りやすい」と。喜んでいる。そのビッツのドア
に、キズがついた。どこかの駐車場で、隣の車がつけたものだろう。明らかにドアをぶつけた
……という感じのキズである。

 ワイフにそのことを話すと、「どこでやられたのかしら……?」と、あれこれ考えていたが、こう
したキズは、つけたり、つけられたり。ドアをあけたとたん、突風にあおられ、相手の車のドアに
キズをつけるということもある。しかしこの不快感はどこからくるのか?

 大切にしているモノに、キズをつけられるというのは、気分の悪いものだ。しかしこうしたモノ
への執着性は、いったい、どこからくるのか。考えてみれば、私たちの生活の中には、モノが
氾濫(はんらん)している。モノだらけといった、感じ。車のキズくらい、何でもないはずなのに、
またそんなキズ、あったところでおかしくはないのだが、気になる。ワイフが大切にしている車
だからだろうか。

 が、肝心のワイフは、「まあ、しかたないわね」で終わってしまった。「気にしないのか?」と聞
くと、「なおるわけではないし……」と笑っている。ワイフはいつも、そういう女性だ。私はそれで
救われたが、つまり、私の心も多少楽になったが、そこで改めて、「モノへの執着」について考
えてみる。

●モノへの執着
 「行為障害」という言葉がある。行動そのものが、変調し、ふつうでなくなることを言ったもの
だが、たとえばそのひとつに、買い物グセがある。衝動的に高額なものを買い込んだり、同じ
ようなものを、つぎからつぎへと買い込んだりするなど。意味のない万引きをするのもそれにあ
たる。

 子どもにもそれがある。ある高校生(三年男子)は、万年筆ばかり買っていた。モンブランと
かパーカーとか。そして一本ずつを綿でくるみ、それを金庫に入れてしまっていた。また別の高
校生は、ミリタリーグッズばかり買い込んでいた。しかし買うときはいつも、同じものを、三つ、
四つと買いそろえていた。

 こうした子どもを観察してみると、モノへの執着性が、ふつうでないことがわかる。先の万年
筆を集めていた高校生は、親が金庫の前を歩くだけでも、怒っていた。「歩く振動で、筆の機能
が悪くなる」と。おかしな理屈だが、こうしたケースはいわば極端なケースで、多かれ少なか
れ、そうした傾向はだれにでもある。要は、その傾向が「濃い」か「薄い」かの違い。

 たとえば私が車のキズを気にしたとき、それは「薄い」というだけで、万年筆に執着したあの
高校生と、どこも違いはしない。だから自分自身の心の中をさぐることにより、その高校生の心
理を知ることができる。そしてそれを知れば、ひょっとしたら、人間全体の心理を知ることもでき
る。

●信仰とモノ
 ずいぶんと前だが、こんなことがあった。ある夏の暑い日だった。ふと生徒の一人(小六女
児)を見ると、首のところから汗にまみれたヒモが見えた。そこで私が「これ、何?」とふと指で
つまもうとすると、その女児は、ものすごい声をはりあげて、こう叫んだ。「やめて! 汚(けが)
れる!」と。それは彼女の家族が属するある宗教団体が、信者に渡しているお守りだった。

 私たちは信仰をするとき、その信仰を、自分を離れたモノに、集約することがある。ある宗教
団体では、「本尊」と呼ばれる掛け軸を、自分たちの命より大切にしている。息を吹きかけるこ
とはもちろん、手でさわることさえ許されていない。こうした信仰方法は、たいていどこの宗教団
体にも共通していて、そういう意味では、心とモノは、密接に関係している。言うなれば、心は見
えない。そこでその見えない心を、見えるモノに象徴させて、その心をつかむ?

 私は車のキズを気にした。同じようにあの男子高校生は、万年筆の振動を気にした。そして
あの生徒(小六女児)は、お守りを気にした。こうした一連の「気にする」という行為は、どこか
でつながっている。先にも書いたように、「濃い」か「薄い」の違いがあるだけである。

●脳の補完機能
 私は新しいパソコンを買うと、いつも、しばらくは毎日、それをみがいて過ごす。パソコンなど
みがいてもしかたないのだが、小さな汚れやキズが気になる。しかしたいていその期間は一か
月程度で終わる。終わったあとは、そこらに無造作に置くようになる。パソコンというモノへの執
着性が、そこで終わったことを意味する。

 問題は、なぜそういう執着性が生まれるか、だ。私とてそれが「濃く」なれば、男子高校生や、
あの生徒(小六女児)のようになる。どこかの宗教団体に入れば、そこでの信者のようになる。
これは人間が本来的にもつ、つまり脳の補完機能によるものなのか、それとも脳の欠陥による
ものなのか。あるいははたまた、進化の過程で生まれた本能によるものなのか。もうひとつ、
子どもの世界には、こんなよく知られた現象がある。

 情緒が不安定になると、子どもは独特の症状を示す。ふつうは、攻撃型(ピリピリと神経がい
らだち、攻撃的に激怒したりする)、内閉型(わけのわからないことを言い、グズグズする)、そ
れに固執型(モノにこだわり、それを始終、身につける)の三つのタイプに分けて考える。ここで
いう固執型は、そのまま、今まで述べてきた、執着性と、その症状を共通する。つまりモノに執
着するというのは、それがお守りであれ、宗教上の本尊であれ、自分の情緒不安を、代償的に
解消するためとも、考えられなくはない。となると、こうした執着性は、脳の補完機能によるもの
か。またこう考えると、行為障害の内容も、よく理解できる。

●ここでの結論 
 それが何であれ、モノへの執着性を感じたら、自分自身の情緒が不安定になっていないかを
反省する。その情緒の不安定さを解消するために、人は、無意識のうちにも、代償行為を繰り
返す。幼児でも、モノに執着する子どもは、いくらでもいる。ボロボロになったマンガの本を大切
そうにもっているなど。そういうとき、無理にそのモノを取りあげたりすると、子どもの情緒は、
一挙に不安定になる。おとなも同じように考えてよいが、おとなは子どもと違って、自意識が強
く、セルフコントロールできる。しかし影響がないわけではない。私が車のキズを気にしたの
が、その一例である。言いかえると、モノへの執着性は、そのモノが原因ではなく、自分自身の
心の問題ということになる。
 
 「買ったばかりの新車だから気になるのよ」とワイフ。
 「そうだな。モノは何でもキズまるけになりながら、使い勝手がよくなるもの」と私。
 「そうね」とワイフ。
 「そうだね」と私。
 それでこの問題は、一応の結論が出たので、忘れることにした。
(02−10−3)※

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子育て随筆byはやし浩司(148)

尊敬

 「尊敬」という言葉ほど、意味もわからず、安易に使われている言葉はない。あるいはあなた
は「尊敬」という言葉の意味をどのように考えているだろうか。たとえば「あなたは、あなたの父
親を尊敬していますか?」と聞かれたら、あなたは父親のどの部分を、どのようにみて、その質
問に答えるだろうか。

 英語では、少し変わった使い方をする。たとえば日本で、「立派な人」と言いそうなとき、「尊
敬される人(respected man)」という。日本で「立派な人」というときは、名誉や地位のある人を
いう。しかし英語で、「尊敬される人」というときには、名誉や地位はほとんど関係ない。あくまで
も人物本位という考え方が強い。

 また英語国でよく聞かれる表現に、「私は息子を自慢している(I am proud of my son.)」とい
う言い方がある。日本では、へりくだって、「愚息」と言いそうなときでも、「自慢の息子です」な
どとも言う。そういう言い方になれていない日本人は、そう言われると戸惑ってしまう。日本と英
語国とでは、ものの考え方が、基本的な部分で違う。

 さて、「尊敬」。あえて定義するなら、つぎのようになる。つまり「その人の言うことや、すること
を、全幅に信頼している状態を、尊敬という」と。その人をどう思うかは、あくまでもその結果で
しかない。こんなことがある。

 T氏という、今年八五歳になる男性がいる。戦時中は軍医として、中国本土で、隼(はやぶさ)
航空隊に所属していた。帰国後は、浜松市の郊外で、内科医院を開業し、現在に至っている。
そのT氏は、実に温厚で、誠実な人である。その人とのやりとりは、縁あって、毎週のようにつ
づいているが、私は、どういうわけだか、そのT氏の言うことだけは、すなおな気持ちで聞ける。
安心感があるというか、何を言われても、よいほうに、解釈できる。そういう状態を、「尊敬」と
いうのなら、まさに私はそのT氏を尊敬していることになる。

 一方、子どものときから、私はよく、「あなたは両親を尊敬しているか」と聞かれた。一番よく
覚えているのは、大学生のときの就職試験である。どこへ行っても、まずこのことを聞かれた。
で、私のほうは、結構要領がよかったから、そういうとき、どのように答えればよいか、よく知っ
ていた。私はいつも声高らかに、「尊敬しています」と答えていた。しかし実のところ、私は父親
も、母親も、尊敬などしていなかった。

 ところで話は少しそれるが、いわゆるマザコンタイプの男性は、自分のマザコン性を正当化
するために、父親や母親(とくに母親)を、美化する傾向が強い。そしてだれかが父親や母親
の悪口を言ったりすると、妙な忠誠心を発揮して、それに猛烈に反発したりする。ある意味で、
宗教的ですらある。先日も私に、「私がみな悪いのです。親父には責任がありません」と、父親
を必要以上にかばっている男性(五一歳)がいた。もっともこのタイプの人は、そうであることが
善であるという価値観をしっかりともっているから、自分がマザコン的(あるいはファザコン
的?)であることに気づくことはない。

 この日本では、「父親や母親を尊敬していません」などと言うことは、それ自体、勇気がいるこ
とである。「日本人としてありえない」というふうに考えられる。とくに私のように教育評論をして
いるものが、そういうことを言うのは許されない。だから私は私なりに、自分をつくり、自分を飾
ってきた。しかしこのところ、そういう自分がいやになった。とくに自分の心を偽るのがいやにな
った。だからあえて私は言う「私は私の父親や母親を尊敬していない」。理由は無数にあるが、
その理由など書いても意味がない。

 ただ「尊敬していない」ということは、「軽蔑している」ということにはならない。「尊敬できない」
というだけのことであり、それをのぞけば、私のばあいも、ごくふつうの、あるふれた親子関係
であった。さらにあえて言うなら、一人の人間が生きていく過程で、尊敬できる人に出会えるこ
となど、ほとんどない。人を尊敬するというのは、それくらいむずかしいことであり、そのため尊
敬する人に出会うということは、さらにむずかしい。もともと「尊敬」などという言葉は、そこらの
高校生や大学生が、安易に使う言葉ではない。人を尊敬するためには、こちら側にも、相手の
崇高さを理解するだけの素養がなければならない。たとえば暴走族の男が、「オレは、仲間の
Dを、尊敬してるよな」と言っても、所詮、そのレベルの話でしかない。

 そこでさらに問題を先に進めてみよう。あなたは「親」だから、当然、子どもがどう思っている
か気になるだろう。しかしここで大切なことは、あなたの子どもがあなたに対して、どう思ってい
ても、それに干渉することはできないということ。仮にあなたを尊敬していなくても、あなたはそ
れについて、とやかく言うことはできない。いわんや、「私を尊敬しなさい」などと、子どもにそれ
を強要してはいけない。そこでさらに話を先に進める。

 人を尊敬することはむずかしいことだが、それ以上に、自分が尊敬される人間になることは
むずかしい。いわんや子どもに尊敬される親になるのは、さらにさらにむずかしい。他人なら自
分のよい面だけを見せながら、自分を飾ることもできるが、親子ではそれもできない。子どもは
子どもで、あるがままのあなたを見る。が、意外と簡単なのが、自分の子どもを尊敬すること。
私は三人の息子たちに尊敬されていない。それはよくわかる。しかしどういうわけだか、私は三
人の息子たちを尊敬している。

 長男は、就職が決まらなかったころ、工事現場の旗振りをしていた。二男は、高校一年生に
なったとき、体力の弱い仲間を助けるため、毎日学校から帰ってくると、その仲間のために、
伴走をしていた。また三男は、高校三年のはじめにEランク(学校でもビリ)の成績だったが、
たった一年間で、東大へ楽に入れるだけの学力を身につけてしまった。どれも私ができなかっ
たことばかりだ。息子たちがそれぞれの立場で私を超えたことを知ったときから、私は息子た
ちを「子ども」とか「息子」というよりは、一人の人間として見るようになった。少なくとも、それ以
後は、頭ごなしにものを言えなくなってしまった。反対に何か意見を言われたりすると、私は無
理なく、「そうだね」と言うことができる。息子たちの言うことやすることを、全幅に信頼し、すな
おな気持ちで受け入れることができる。

イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜
一九七〇)は、こう書き残している。「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、
必要なだけの訓練は施すけれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちの
みが、家族の真の喜びを与えられる」と。改めてこの言葉のもつ意味を、考えなおしてみたい・
(03−10−3)

(注意)『青少年白書』でも、「父親を尊敬していない」と答えた中高校生は、五五%もいる。「父
親のようになりたくない」と答えた中高校生は、八〇%弱もいる(平成十年)。母親についても、
ほぼ同様。

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子育て随筆byはやし浩司(149) 

親としての限界

Mさん(鳥取県S市の母親)からの相談。「うちの子はいつも、近所の双子(同年齢)の子分にな
っています。こういう関係をつづけてよいものでしょうか。どこかその双子のうっぷん晴らしのた
めに利用されているようなところがあります。いじめにもあっているようです。親として、どこまで
介入したらよいでしょうか」と。

●ボスと子分
 子どもの世界は、いわば動物社会。動物園のサルの世界を想像すればよい。違いは、ほと
んど、ない。もし幼児(五〜六歳児)だけを集めて、しばらく放っておいたら、やがてあのサルの
世界と同じような世界をつくるに違いない。ボスがいて、子分がいて、その周囲に取り巻きがい
て、……というように。

 こうした原始的な集団性は、それがあるから悪いということにはならない。ボスはボスなりに、
あるいは子分は子分なりに、そして取り巻きは取り巻きというように、それぞれが、それぞれの
立場で、集団の秩序を学ぶ。よく誤解されるが、ボスがいつもボスということにはならない。子
分が子分ということにもならない。その関係はいつも流動的である。私の経験を話す。

 私は小学生のころ、近くの山の「大将」だった。いつも年少の子どもたちを、五〜一〇人くら
い連れて、山の中を歩いていた。いわゆるボスだったが、しかし私がそういったボスになれた
のは、自分自身が長い間、子分だったからにほかならない。あまり記憶ははっきりしていない
が、私は幼児のころは、いつもだれかに命令されていたように思う。いつもだれかのあとをつ
いて歩いていたように思う。つまりそういう形で、山の中で遊ぶ知識だけではなく、ボスになる心
構えを学んでいた。

 それに山の中でボスであったというだけで、今度は別の世界では、子分になることもあった。
子どもの世界では、年齢や、体格の大きさが、たいへんものを言う。私はボスだったが、ときど
き同じ山に遊びにくる、年上の元ボスに従って、今度は子分として、行動することもあった。つ
まりボスとか、子分、さらには取り巻きといっても、その関係は、それぞれの世界で複雑にから
んでいて、決して一元的なものではない。

 話は少し脱線するが、私が今でも不思議だなと思うのは、こんなことだ。私たちは山の中で、
いくつかのグループを作って、いつも戦争状態にあった。とくに私のグループは、となりのS町
の連中とは仲が悪かった。よく相手をつかまえてきては、リンチを加えたり、反対につかまえら
れてはリンチを加えられたりした。しかし、そういう関係でも、学校という場で会うと、S町の連中
も、ただの仲間だった。仲がよかったということではなかったが、学校ではけんかをしなかっ
た。心のどこかで、一線を引いていたように思う。山は、山。学校は、学校と。

 そんなわけで、子どもの世界には、いつもボス、子分、取り巻きの関係が生まれる。これは人
間が動物である以上、避けられない宿命のようなものと考えてよい。(逆に、最近、そういう関
係をつくれない子どもたちがふえている。むしろそちらのほうが問題である。)そしてそういう関
係を通して、子どもたちは、ときにボスになったり、ときに子分になったりしたなが、社会の秩序
を学ぶ。最初からボスはいないし、またボスがいつまでもボスということにはならない。その関
係はいつも自分の置かれた立場で決まる。

●Mさんの質問に答えて……
 そこで冒頭のMさんからの相談を考えてみる。Mさんは、「親として、どこまで介入したらよい
でしょうか」と悩んでいる。おそらくMさんは、自分の子どもが子分になることで、たとえば心が
卑屈になったり、あるいはリーダー的な存在になれないのではないかと心配しているのだろう。
しかしこれはまったく無用の心配。子分は子分であることにより、同時にリーダーがどういうも
のかを学び、いつかその機会と場所があれば、そのリーダーになる。反対に、子分になったこ
ともないような子どもは、リーダーがどういうものかもわからないから、リーダーになることはな
い。親としてはつらいところかもしれないが、ここは、じっとがまんして様子をみるしかない。

 ただ子どもの世界では、いくつかの条件がある。いわゆる「いじめ」だが、ほとんどのいじめ
は問題がないとしても、中には、体の弱い子どもや、知恵の発達が遅れ気味の子どもが、ター
ゲットにされて、いじめられることがある。いわゆる「排除的ないじめ」である。こうしたいじめを
感じたら、すぐ先生に相談するのがよい。いつも先生の目の届くところに子どもを置いて、保護
してもらう必要がある。こういうケースでは、限界を超えて、子どもを自信喪失にしてしまうこと
が多い。が、そうでなければ、つまり子どもどうしの関係と割り切ることができるようなら、仮に
泣かされて帰ってくるようなことがあっても、親は、それをなぐさめる程度でとどめる。こうした経
験をとおして、子どもは、たくましく成長していく。一つの目安としては、子ども自身が、どう思っ
ているかを聞いてみるとよい。

(1)それでも双子の兄弟(Mさんのケース)と一緒に遊びたがる。
(2)双子の兄弟と遊ぶことを、それほど苦にしていないようだ。
(3)とりたてて自信喪失になっているとか、いじけるということはないようだ。

 ということであれば、子どもに任すところは任せて、様子をみる。たしかに子どもは外の世界
でキズだらけになりながら家へ帰ってくるかもしれないが、親ができることといえば、せいぜい
そのキズついた心を休める「温かい家庭」を用意してあげることでしかない。親としてつらいとこ
ろだが、しかしそのつらさに耐えれば耐えるほど、子どもはたくましく成長していく。
(02−10−4)

(補足)
 ここにも書いたが、最近は、こうした主従関係がつくれない子どもがふえている。たとえば砂
場で遊んでいても、みなが、黙々と、勝手に自分のものをつくっている。私たちが子どものとき
には、考えられなかった光景である。
 私たちが子どものときには、すぐその場で、ボス、子分の関係ができ、そのボスの命令で、バ
ケツで水を運んだり、力をあわせてスコップで穴を掘ったりした。そして砂場で何かをするにし
ても、今よりはスケールの大きなものを作った。が、今の子どもたちには、それがない。

 また自分の子どもが子分になったからといって、そのままどこへいっても、子分ということはあ
りえない。子どもは最初は、子分になることによって、別のところで、今度はリーダーになる心
構えを学ぶ。いいかえると、子分になったことがない子どもは、リーダーにはなれない。このこ
とはおとなの世界を見ればわかる。どんなリーダーでも、もとはだれかの子分だったはずであ
る。会社の社長にしても、政治家にしても、すべてである。

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子育て随筆byはやし浩司(150)

若い人の死

 Nさん(三五歳、母親)が、こう言った。「先日、私の友だちが死にました」と。話を聞くと、その
死んだ人というのは、まだ三五歳だったという。「悪い病気でしたか?」と聞くと、「そう……」と、
ポツリ。力のない声だった。

 私は私より若い人が死んだ話を聞くと、その年齢のときに、自分は何をしていたかを考える。
そしてそのときの自分を思い出しながら、「私のときは……」と考える。たとえば三五歳といえ
ば、収入が激減して、今の仕事をやめようかどうか迷っていたときである。仕事そのものに、行
きづまりを覚えていた。いくら自分の意見を述べたところで、だれも私を相手にしてくれなかっ
た。

 率直に言えば、さぞかしつらかっただろうと思う。三五歳という年齢は、本来なら、死とは無縁
の年齢である。夫もいる。子どももいる。その子どもも、まだ小さい。その母親の両親も、もしま
だ生きているなら、さぞかし悲しんでいることだろう。話を聞くと、上の子が、まだ小学三年生だ
という。残された夫や子どもは、今、どんな思いでいるのか?

 私は三五歳のとき、懸命に生きていたか。しかし今、思い出だそうとしても、どこか暗いモヤ
に包まれていて、はっきりしない。私がそこにいるようだが、それがどうしてもつかめない。当時
の私は、毎日、お金のことばかり考えていた。出世欲も名誉欲もあった。議論する相手がいる
と、容赦なく議論をふっかけていった。ワイフも含めて、子どもたちの心を静かに思いやるとい
う姿勢にも欠けていた。が、どうしても自分を思い出せない。

 だいたいにおいて、そういう若い人に、死があること自体、おかしい。どうしてそういう若い人
が、死という過酷すぎるほどの苦しみを味わわなければならないのか。ふつうの苦しみではな
い。ないことは、ほんの少しだけその人の気持ちになってみればわかる。あるいはその人の立
場に置いてみればわかる。

 人間には「後悔」という言葉がある。その後悔にはいろいろな後悔があるが、その中でも、自
分の時間をムダにしたという後悔ほど、胸をしめつけるものはない。お金やモノも、不用意に失
えば後悔するが、しかし時間の比ではない。しかもその後悔の念は、年齢とともに大きくなる。
しかし三五歳くらいのときの私は、まだそれに気づいていなかった。今、あのころの私を思い出
しても、「私」がいないのは、そのためなのか?

 Nさんはこうつづけた。「その人は、健康には人一倍、気をつかっていた人でした。だから余
計に、ショックです」と。そのショックは、そのまま私に伝わってきた。その母親の死が、そのま
ま私の明日の姿のように感じたからだ。いや、他人の死と、自分の死を区別するほうが、おか
しい。それがだれの死であれ、それはそのまま私たちの死と考えてよい。

 私は今、健康だ。これといって持病もない。成人病とも無縁だ。健康にも気をつかっている。
しかし死などいうのは、そういう私とは無関係にやってくる。そしていつかすぐ、私を襲う。ここに
も書いたように、それは明日かもしれない。来月かもしれない。来年かもしれない。しかしいつ
か、必ずやってくる。ただそのとき願わくば、ここに書いたような後悔だけはしたくない。「私は
私であったのか」と、そんなふうに迷いたくもない。……と思う。

 去り際、Nさんは、「私も死ぬかもしれません」と笑っていた。「つぎは私です」とも。Nさんは、
本当に美しい人だ。静かに座っているだけで、そのあたりを明るくする。私は思わず「ビジンハ
クメイ……」と言いそうになったが、やめた。もし本当にそういうことになったら、多分、私はそ
のショックに耐えられないだろう。で、そのかわりに、私はこう言った。「Nさん、あなたはだいじ
ょうぶですよ。一緒に長生きをしましょう」と。
(02−10−4)

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子育て随筆byはやし浩司(151)

許して忘れる

 私たちは、どこまで人を許し、そして忘れるべきなのか。

 許すというのは、(フォ・ギブ)、与えるためとも訳せる。忘れるというのは、(フォ・ゲッツ)、得
るためとも訳せる。つまり許して忘れるは、「人に愛を与えるために許し、人から愛を得るため
に忘れる」となる。総じて見れば、人の関係は、(許す人、許される人)の関係で成り立ってい
る。たとえばあなたには、許してもらいたい人がいる。許してもらえたら、どんなに気が楽になる
ことか。一方、あなたには許すことができる人がいる。許してあげれば、どんなにその人は喜
ぶことか。

 しかし問題は。どこまで人を許し、そして忘れるか、だ。卑俗な言い方をすれば、『仏の顔も三
度』という。『地蔵の顔も三度』ともいう。たがいに三度くらいなら、許したり、忘れたりすることが
できる。しかし四度目となると、そうはいかない。またその必要はあるのか。

 こうして考えていくと、自分にある種の限界があるのがわかる。「そこまではできるが、そこか
ら先はできない」という限界である。私は実のところ、人と接するとき、いつもその限界で迷う。
苦しむというほど、おおげさなものではないが、しかし迷う。「許して忘れてあげようか」と思いつ
つ、「どうして私がそこまでしなければならないのか」というように迷う。私はもともとお人好しタイ
プの人間だから、何でも頼まれれば、本気でしてしまう。ときにはしすぎることもある。どこかで
ブレーキをかけないと、自分のための時間がなくなってしまう。今でこそ、ワイフもあきらめて言
わなくなったが、少し前まで、いつもこう言っていた。「人の心配もいいけど、来月の家計も心配
してよ」と。

 この原稿を書いている今も、同じような問題をかかえている。その母親(三四歳)はたいへん
情緒が不安定な人で、何かを相談してきては、そのついでに、無理なことを言っては、私を困
らせる。そこで私がやんわりと断ったりすると、最後はどういうわけだか、興奮状態になってし
まう。そしていつも何らかの罵声をあびせかけて、電話を切る。が、数日もすると、また電話を
かけてきて、「先日はすみませんでした」と。

 こういうことが、二度、三度と重なると、電話に出るのも、おっくうになる。その母親が私に電
話をかけてくるのは、私に何かの救いを求めているからだ。混乱する精神状態を鎮(しず)め
たいからだ。それはわかる。しかしどうして、この私が、他人であるその母親に、何も悪いこと
をしていないのに、怒鳴られなければならないのか。ワイフは割と合理的に考える女性だか
ら、「放っておきなさいよ」「無視すればいいのよ」「相手にしなければいいのよ」と言うが、私に
はそれができない。クールに生きるということは、それだけで私にとっては、敗北でしかない。

 「修行」という言葉がある。宗派によっては、何時間も読経をしたり、過酷な行をして、心身を
鍛えるところもあるそうだ。私自身も若いころ、好奇心からオーストラリアの友人と、一週間ほ
ど、禅の道場に通ったことがある。が、どうも自分の体質に合わなかった。瞑想(めいそう)に
ふけるということだったが、つぎからつぎへと、卑猥(ひわい)なことばかりが頭に浮かんでき
て、とても瞑想などできなかった。しかし本当の修行は、こうして生きていく、日々の生活の中
で、ごく日常的になされるものではないのか。無理をして自分の心や体を痛めつけたところで、
そんなことで、どうして真理に達することができるというのか。真理に到達する「思想」は、自ら
が考えることで、得ることができる。それとも滝に打たれ、炎の上を歩けば、数学の問題が解
けるようになるというのか。ホーキングの説く、宇宙の構造論が理解できるようになるというの
か。

 もし私がその母親を、この段階で、許して忘れることができるなら、私はつぎのステップの、つ
まりはさらに高い(?)境地に達することができるかもしれない。それもわかっている。しかしや
はりブレーキが働いてしまう。心のどこかで、「ヒロシ、神や仏のまねごとをして、それがどうな
のか」と、だれかが言っているようにも聞こえる。だから迷う。私はその母親を許して忘れるべ
きなのか、と。その母親は明らかに心の病にかかっている。本来なら私のところではなく、どこ
か心の病院へ行ったほうがよいと思うのだが……。

 あああ、何とも重苦しい気持ちになってきた。ため息ばかりでる。このあたりで気分を転換し
なければならない。これから本屋へでも行って、パソコンの本をながめてくるつもり。もうこの母
親のことは、考えない。考えたくない。……あああ、だから私は凡人なのだ。いつまでたっても、
凡人なのだ。
(02−10−4)※

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子育て随筆byはやし浩司(152)

杉原千畝副領事のビザ発給事件を考える 

●杉原千畝副領事のビザ発給事件 
 「一九四〇年、カウナス(当時のリトアニアの首都)領事館の杉原千畝副領事は、ナチスの迫
害から逃れるために日本の通過を求めたユダヤ人六〇〇〇人に対して、ビザ(査証)を発給し
た。これに対して一九八五年、イスラエル政府から、ユダヤ建国に尽くした外国人に与えられ
る勲章、『諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)』を授与された」(郵政省発行二〇世紀
デザイン切手第九集より)。

●たたえること自体、偽善
 ナチス・ドイツは、ヨーロッパ全土で、一一〇〇万人のユダヤ人虐殺を計画。結果、アウシュ
ビッツの「ユダヤ人絶滅工場」だけでも、ソ連軍による解放時までに、約四〇〇万人ものユダ
ヤ人が虐殺されたとされる。杉原千畝副領事によるビザ発給事件は、そういう過程の中で起き
たものだが、日本人はこの事件を、戦時中を飾る美談としてたたえる。郵政省発行の記念切
手にもなったことからも、それがわかる。が、しかし、この事件をたたえること自体、日本にとっ
ては偽善そのものと言ってよい。

●杉原副領事のしたことは、越権行為?
 当時日本とドイツは、日独防共協定(一九三六年)、日独伊防共協定(三七年)を結んだあ
と、日独伊三国同盟(四〇年)まで結んでいる。こうした流れからもわかるように、杉原副領事
のした行為は、まさに越権行為。日本政府への背信行為であるのみならず、軍事同盟の協定
違反の疑いすらある。杉原副領事のした行為を正当化するということは、当時の日本政府がし
たことはまちがっていると言うに等しい。その「まちがっている」という部分を取りあげないで、今
になって杉原副領事を善人としてたたえるのは、まさに偽善。いやこう書くからといって、私は
杉原副領事のした行為がまちがっていたというのではない。問題は、その先と言ったらとよい
のか、その中味である。当時の日本といえば、ドイツ以上にドイツ的だった。しかも今になって
も、その体質はほとんど変わっていない。どこかで日本があの戦争を反省したとか、あるいは
戦争責任を誰かに追及したというのであれば、話はわかる。そうした事実がまったくないまま、
杉原副領事のした行為をたたえるというのは、「今の日本人と戦争をした日本人は、別の人種
です」と言うのと同じくらい、おかしなことなのだ。

●日本はだいじょうぶか?
 そこでこんな仮定をしてみよう。仮に、だ。仮にこの日本に、一〇〇万単位の外国人不法入
国者がやってくるようになったとしよう。そしてそれらの不法入国者が、もちまえの勤勉さで、日
本の経済を動かすまでになったとしよう。さらに不法入国者が不法入国者を呼び、日本の人口
の何割かを占めるようになったとしよう。そしてあなたの隣に住み、あなたよりリッチな生活をし
始めたとしよう。もうそのころになると、日本の経済も、彼らを無視するわけにいかない。が、彼
らは日本に同化せず、彼らの国の言葉を話し、彼らの宗教を信じ、さらに税金もしっかりと払
わないとする。そのとき、だ。もしそうなったら、あなたならどうする? あなた自身のこととして
考えてみてほしい。あなたはそれでも平静でいられるだろうか。ヒットラーが政権を取ったころ
のドイツは、まさにそういう状況だった。つまり私が言いたいことは、あのドイツですら、狂ったと
いうこと。ゲーテやシラー、さらにベートーベンを生んだドイツが、だ。この日本が狂わないとい
う保証はどこにもない。現に二〇〇〇年の夏、東京都の石原都知事は、「第三国発言」をし
て、物議をかもした。そして具体的に自衛隊を使った、総合(治安)防災訓練までしている(二
〇〇〇年九月)。石原都知事のような日本を代表する文化人ですら、そうなのだ。

●「日本の発展はこれ以上望めない」
 ついでながら石原都知事の発言を受けて、アメリカのCNNは、次のように報道している。「日
本人に『ワレワレ』意識があるうちは、日本の発展はこれ以上望めない」と。そしてそれを受け
てその直後、アメリカのクリントン大統領は、「アメリカはすべての国からの移民を認める」と宣
言した。日本へのあてこすりともとれるが、日本が杉原副知事をたたえるのは、あくまでも結果
論。チグハグな日本の姿勢を見ていると、どうもすっきりしない。石原都知事の発言は、「私た
ち日本人も、外国で同じように差別されても文句は言いませんよ」と言っているのに等しい。多
くの経済学者は、二〇一五年には日本と中国の経済的立場は逆転するだろうと予測してい
る。そうなればなったで、今度は日本人が中国へ出稼ぎに行かねばならない。そういうことも考
えながら、この杉原千畝副領事によるビザ発給事件、さらには石原都知事の発言を考える必
要があるのではないだろうか。
(02−10−4転載)※

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子育て随筆byはやし浩司(153)

マダム・バタフライ

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。ジャコモ・プッチーニのオペラである。私はあの
曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。遠い昔、長崎からきた女性に恋を
したことがあるからか。色の白い、美しい人だった。本当に美しい人だった。その人が笑うと、
一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆ
いばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけ
ての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結
婚。そして男児を出産。が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。先の歌は、そのピンカートンを待
つマダム・バタフライが歌うもの。今さら説明など必要ないかもしれない。

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」もすばらしい。
少しだが若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。ロメオとジュリエットがはじめてベッド
で朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。「喜びの日が、モヤのかかった
山の頂上で、つま先で立っている」と。本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の
頂上にモヤにかかっている。モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はや
はりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。そう、オリビア・ハッセーとレナー
ド・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」はすばらしい。私はあの映画を何度も見た。
ビデオももっている。サウンドトラック版のCDももっている。その映画の中で、若い男が、こう歌
う。ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで歌われる歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前。「息子が恋をするとき」というエッセーを書いた
ので、このあとに添付しておく。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。短い曲だが、映画の最
後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。いつか電撃に打たれる
ような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。かなわぬ夢だが、しかしそういうロ
マンスだけは忘れたくない。いつか……。
(02−10−5)※

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息子が恋をするとき

息子が恋をするとき(人がもっとも人間らしくなれるとき)

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。メールで、「今までの人生
の中で、一番楽しい」と書いてきた。それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と
笑った。その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。しかし長くは続かなかった。しばらく交際していると、相手の
女性の母親から私の母に電話があった。そしてこう言った。「うちの娘は、お宅のような家の息
子とつきあうような娘ではない。娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。相手
の女性の家は、従業員三〇名ほどの製紙工場を経営していた。一方私の家は、自転車屋。
「格が違う」というのだ。この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。が、
二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。ちょっとしたつまづきが、そのまま別
れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男が
そう歌う。たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つか
と言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。私たちおとなの世界は、
あまりにも偽善と虚偽にあふれている。年俸が一億円も二億円もあるようなニュースキャスタ
ーが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。一着数百万円もするような着物で
身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。暴力映画に出演し、暴
言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表する文化人として表彰さ
れる。もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、
身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。それは人が人生の中で唯一つかむことが
できる、「真実」なのかもしれない。そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。もしそれ
がまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。しかしそんなこと
はありえない。ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。そしてそれ
を見る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。涙をこぼす。しかしそれは決して、他人
の恋をいとおしむ涙ではない。過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。あの無限に広く見え
た青春時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。歌はこう続く。「♪バラは
咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝
ていた。六月のむし暑い日だった。ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなに
なってしまいそうだった。ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度
も何度も私は歯をくいしばった。しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったこ
とはない。そしてそれが今、たまらなくなつかしい。私は女房にこう言った。「相手がどんな女性
でも温かく迎えてやろうね」と。それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。
私も、また笑った。

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子育て随筆byはやし浩司(154)

日本の経済→子ども→教育の三段跳び

●日本の経済を家計にたとえると……

銀行がかかえる不良債権が、一三〇〜一四〇兆円(経済誌)!
国がかかえる借金が、約七〇〇兆円!

日本の国家税収は、約五〇兆円しかない。しかし毎年、約八〇兆円ものお金を使い放題。差
額の約三〇兆円は、赤字国債を発行して補っている!

こうした数字を、家計にたとえてみると、こうなる。

年収五〇〇万円(月収四二万円)しかない人が、つくらなくてもいいような庭の改造費や、通路
の費用に、毎月収入の二〇〜二五%、つまり一〇万円もかけている。残りの三二万円が生活
費だ。しかしそれでは足りないから、毎月約二五万円を借金。その借金は雪ダルマ式にふえ
て、今では、七〇〇〇万円。(七〇〇〇万円だぞ!)しかもあちこちに貸したお金が、どうも返
ってきそうにない。その額が、一三〇〇〜一四〇〇万円! これも損金に加えると、借金は、
計八三〇〇〜八四〇〇万円になる。今は利息を限りなくゼロにしてもらっているからよいよう
なものの、もし金利が一%(たったの一%)になっただけで、毎月の利息だけで、毎月七万円。
二%になれば、一四万円。以前のような五%になれば、三五万円。それだけで家計はパンク
する!

もしあなたの家計がこういう状態になったら、あなたはどう思うだろうか。残された道は、ただひ
とつ。破産!

●ムダな工事
……私の山荘の下に、一日、数台しか車が通らないような山道がある。その山道沿いには、
一軒の廃屋と、石材屋の石材置き場があるだけ。そんな山道が今、改修工事に入っている。
長さが道路沿いに、約三〇〇メートル。高さが、五〜七メートル。道幅を広げるということで、も
う一方の谷川のほうも工事している。そちらのほうも高さがやはり五〜七メートル。見るからに
豪華なコンクリートのカベが、そのあたり一面をおおった。私のような素人が見ても、まったくム
ダな工事。やるところにこと欠いて、とうとうこんなところまで工事を始めた! あるいはお金の
使い道に困っている?

いや、こんなことばかりしているから、日本の経済はおかしくなる。なって当たり前。そりゃあ、
ないよりはあったほうがよいに決まっている。しかしこんな論理で、道路や空港やビルをつくっ
てばかりいたら、経済が破綻して当然。この静岡県でも、だれが望んだわけでもないのに、官
僚と業者が結託して、空港だの、第二東名だの、そんなものばかりつくっている。こういう人た
ちは、お金は天から降って、わいてくるものだと思っているらしい。

●ツケは結局は、子どもたちの世代に!
 こうした借金は、結局は、子どもたちの世代にバトンタッチされる。私たちの世代で返せるわ
けがない。仮に年収五〇〇万円のあなたが、八〇〇〇万円以上の借金をかかえたら、あなた
はどうする? ものごとは常識で考えたらよい。

 が、肝心のその子どもたちの数が減っている。その上、どうも質的に、年々、悪くなっている
らしい。学校から帰っても、テレビを見たり、ゲームをしたりしている。そのテレビも見る番組は
といえば、アニメとバラエティ番組ばかり。中学生や高校生になればなるほど、テレビやゲーム
をする時間がふえ、その分、本を読んだり、勉強する時間が少なくなっている。驚くなかれ、中
学生の約二〇%が、まだ掛け算の九九すら満足に使えない。高校生の約二〇%が、地図上
で、アメリカやロシアがどこにあるかさえ知らない。国立の大学院生(文科系)に小学校レベル
の分数の計算をさせたら、正解率は、たったの五九%だったそうだ(〇一年、国立文系大学院
生について調査、京都大学西村和雄氏)。わかりやすく言えば、一〇〇点満点中、たったの五
九点だったということ。

●お先、真っ暗!
 明るいか、暗いかといえば、日本の将来は、お先、真っ暗。しかもどうしてこうなったかという
ことにメスを入れないから、その改善策も浮かんでこない。みながみな、「明日があるさ」「何と
かなるさ」と、夢を見ているようなことばかり言っている。現実を見ようともしない。あるはその場
だけ、何とかしのげればよいと考えている。

教育にしても、日本の教育改革は、欧米にくらべて三〇年は遅れた。その中でも、とくにひどい
のは、大学教育。どうひどいかは、あなたが大学で学んだことがあるなら、よく知っているはず
だ。一〇年ほど前だが、中日新聞にこんな投書が載った。東京のT私立大学へ通う大学生み
ずからが投書したものだが、いわく、「講義には年数回(たったの数回!)出席しただけで、卒
業できた。試験は、すべて友人のノートを見て受けた。あとはバイトざんまい」と。それからも、
状態が悪くなったという話は聞くが、よくなったという話は聞かない。

しかし日本政府は、そういう大学にさえ、湯水のごとく補助金を注いでいる。いったいこういうし
くみの中でだれがもうけているのか。帝京大学医学部の不正寄付金問題(〇二年)など、あん
なのは、笑い話にもならない。

●教育の自由化を!
 話が、日本の国家経済→ムダな工事→日本の教育と、三段跳びに飛躍したが、ついでにも
う一つ、飛躍する。

 行政改革とか、構造改革とか言われているが、その「改革」が一番必要なのは、実は、教育
の世界である。たとえば大学教育を例にあげてみる。

 アメリカでは、大学でも、入学後の学部変更は自由。ふたつの学部で同時に勉強している学
生だっている。そして入学後も、大学の転籍は自由。公立、私立の区別はない。日本でいえ
ば、早稲田大学で二年間学んだあと、静岡大学へ転籍するということが、自由にできる。しか
もめんどうな手続きはいっさい、ない。寄付金だの入学金だの、わけのわからないお金を払う
必要もない。前の大学の成績が認められれば、それで、OK。

 そのため学科どころか、学部のスクラップ&ビルドさえ日常茶飯事。教える教授も必死なら、
学ぶ学生も必死である。日本でも七年間という、時限をつけて、「研究に成果が出なければク
ビ」という制度を採用するところもふえたが、基本的には終身雇用が原則。しかしそれこそ世界
の非常識。ノーベル賞をとるような教授ですら、講義の前に、二〜三度リハーサルをしてから
講義に臨んでいるそうだ(東大元教授談)。講義が終われば、教授の部屋の前には、質問の
ため、学生の列ができる!

 そしてこういうしくみが、今、国際間でもなされつつある。私が三五年前に学んだ、オーストラ
リアの大学でも、そのときですら、こうしたシステムは常識だった。さらに今では、一歩進んで、
ヨーロッパでは、大学教育は完全に共通化された。どの大学で、そのような単位を取っても、そ
れはどの大学でも通用するようになっている。

 日本人は、いまだに大本営発表しか聞いていないから、こういう事実があることさえ知らない
でいる。が、皮肉なことに、教育改革、教育改革といいながら、その一方で、ゆがんだ受験体
制にしがみついているのが、文部科学省ではないのか。学閥がなくなれば、一番困るのが、高
級官僚たちである。そしてそれが日本の教育の現状ではないのか。もしこの日本から、「大学
受験」がなくなれば、進学塾はおろか、日本の教育体制そのものが崩壊する。

 こうした現状を打開するためには、教育の自由化しかない。それについては、もうあちこちに
書いてきたので、ここでは省略する。

 とんでもない飛躍論に思う人がいるかもしれないが、そのルーツは、ひとつ。今のような官僚
主導型の政治や教育は、もう限界にきているということ。日本は今、ここで、真の民主主義国
家になるか、それとも旧態依然の官僚主義国家のままでいるのか、その大きな分かれ道にき
ているということ。もしこのまま官僚主義を貫けば、教育改革はできないし、ムダな金づかいは
終わらない。そしてそれが終わらなければ、やがて(あるいは明日にでも)日本の経済は破綻
する。行き着くところ、それが日本の近未来像かもしれないが……。
(02−10−5)※

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子育て随筆byはやし浩司(155)

『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』

●密度の濃い人生
 時間はみな、平等に与えられる。しかしその時間をどう、使うかは、個人の問題。使い方によ
っては、濃い人生にも、薄い人生にもなる。

 濃い人生とは、前向きに、いつも新しい分野に挑戦し、ほどよい緊張感のある人生をいう。薄
い人生というのは、毎日無難に、同じことを繰り返しながら、ただその日を生きているだけとい
う人生をいう。人生が濃ければ濃いほど、記憶に残り、そしてその人に充実感を与える。

 そういう意味で、懸命に、無我夢中で生きている人は、それだけで美しい。しかし生きる目的
も希望もなく、自分のささいな過去にぶらさがり、なくすことだけを恐れて悶々と生きている人
は、それだけで見苦しい。こんな人がいる。

 先日、三〇年ぶりに会ったのだが、しばらく話してみると、私は「?」と思ってしまった。同じよ
うに三〇年間を生きてきたはずなのに、私の心を打つものが何もない。話を聞くと、仕事から
帰ってくると、毎日見るのは、テレビの野球中継だけ。休みはたいてい魚釣りかランニング。
「雨の日は?」と聞くと、「パチンコ屋で一日過ごす」と。「静かに考えることはあるの?」と聞く
と、「何、それ?」と。そういう人生からは、何も生まれない。

 一方、八〇歳を過ぎても、乳幼児の医療費の無料化運動をすすめている女性がいる。「あな
たをそこまで動かしているものは何ですか」と聞くと、その女性は恥ずかしそうに笑いながら、こ
う言った。「ずっと、保育士をしていましたから。乳幼児を守るのは、私の役目です」と。そういう
女性は美しい。輝いている。

 前向きに挑戦するということは、いつも新しい分野を開拓するということ。同じことを同じよう
に繰り返し、心のどこかでマンネリを感じたら、そのときは自分を変えるとき。あのマーク・トー
ウェン(「トム・ソーヤ」の著者、一八三五〜一九一〇)も、こう書いている。「人と同じことをして
いると感じたら、自分が変わるとき」と。

 ここまでの話なら、ひょっとしたら、今では常識のようなもの。そこでここではもう一歩、話を進
める。

●どうすればよいのか
 ここで「前向きに挑戦していく」と書いた。問題は、何に向かって挑戦していくか、だ。私は「無
我夢中で」と書いたが、大切なのは、その中味。私もある時期、無我夢中で、お金儲けに没頭
したときがある。しかしそういう時代というのは、今、思い返しても、何も残っていない。私はたし
かに新しい分野に挑戦しながら、朝から夜まで、仕事をした。しかし何も残っていない。

 それとは対照的に、私は学生時代、奨学金を得て、オーストラリアへ渡った。あの人口三〇
〇万人のメルボルン市ですら、日本人の留学生は私一人だけという時代だった。そんなある
日、だれにだったかは忘れたが、私はこんな手紙を書いたことがある。「ここでの一日は、金沢
で学生だったときの一年のように長く感ずる」と。決してオーバーなことを書いたのではない。
私は本当にそう感じたから、そう書いた。そういう時期というのは、今、振り返っても、私にとっ
ては、たいへん密度の濃い時代だったということになる。

 となると、密度の濃さを決めるのは、何かということになる。これについては、私はまだ結論
出せないが、あくまでもひとつの仮説として、こんなことを考えてみた。

(1)懸命に、目標に向かって生きる。無我夢中で没頭する。これは必要条件。
(2)いかに自分らしく生きるかということ。自分をしっかりとつかみながら生きる。
(3)「考える」こと。自分を離れたところに、価値を見出しても意味がない。自分の中に、広い世
界を求め、自分の中の未開拓の分野に挑戦していく。

 とくに(3)の部分が重要。派手な活動や、パフォーマンスをするからといって、密度が濃いと
いうことにはならない。密度の濃い、薄いはあくまでも「心の中」という内面世界の問題。他人が
認めるとか、認めないとかいうことは、関係ない。認められないからといって、落胆することもな
いし、認められたからといって、ヌカ喜びをしてはいけない。あくまでも「私は私」。そういう生き
方を前向きに貫くことこそ、自分の人生を濃くすることになる。

 ここに書いたように、これはまだ仮説。この問題はテーマとして心の中に残し、これから先、
ゆっくりと考え、自分なりの結論を出してみたい。
(02−10−5)

(追記)
 もしあなたが今の人生の密度を、二倍にすれば、あなたはほかの人より、ニ倍の人生を生き
ることができる。一〇倍にすれば、一〇倍の人生を生きることができる。仮にあと一年の人生
と宣告されても、その密度を一〇〇倍にすれば、ほかのひとの一〇〇年分を生きることができ
る。極端な例だが、論語の中にも、こんな言葉がある。『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死
すとも可なり』と。朝に、人生の真髄を把握したならば、その日の夕方に死んでも、悔いはない
ということ。私がここに書いた、「人生の密度」という言葉には、そういう意味も含まれる。

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子育て随筆byはやし浩司(156) 

密度の濃い人生(2)

 私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは近くの老人たちの、かっこうの集会場になっ
ている。風のないうららかな日には、どこからやってくるのかは知らないが、いつも七〜八人の
老人がいる。

 が、こうした老人を観察してみると、おもしろいことに気づく。その空き地の一角には、小さな
畑があるが、その畑の世話や、ゴミを集めたりしているのは、女性たちのみ。男性たちはいつ
も、イスに座って、何やら話し込んでいるだけ。私はいつもその前を通って仕事に行くが、いま
だかって、男性たちが何かの仕事をしている姿をみかけたことがない。悪しき文化的性差(ジェ
ンダー)が、こんなところにも生きている!

 その老人たちを見ると、つまりはそれは私の近未来の姿でもあるわけだが、「のどかだな」と
思う部分と、「これでいいのかな」と思う部分が、複雑に交錯する。「のどかだな」と思う部分は、
「私もそうしていたい」と思う部分だ。しかし「これでいいのかな」と思う部分は、「私は老人にな
っても、ああはなりたくない」と思う部分だ。私はこう考える。

 人生の密度ということを考えるなら、毎日、のんびりと、同じことを繰り返しているだけなら、そ
れは「薄い人生」ということになる。言葉は悪いが、ただ死を待つだけの人生。そういう人生だ
ったら、一〇年生きても、二〇年生きても、へたをすれば、たった一日を生きたくらいの価値に
しかならない。しかし「濃い人生」を送れば、一日を、ほかの人の何倍も長く生きることができ
る。仮に密度を一〇倍にすれば、たった一年を、一〇年分にして生きることができる。人生の
長さというのは、「時間の長さ」では決まらない。

 そういう視点で、あの老人たちのことを考えると、あの老人たちは、何と自分の時間をムダに
していることか、ということになる。私は今、満五五歳になるところだが、そんな私でも、つまら
ないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことがある。いわんや、七〇歳や八
〇歳の老人たちをや! 私にはまだ知りたいことが山のようにある。いや、本当のところ、その
「山」があるのかないのかということもわからない。が、あるらしいということだけはわかる。いつ
も一つの山を越えると、その向こうにまた別の山があった。今もある。だからこれからもそれが
繰り返されるだろう。で、死ぬまでにゴールへたどりつけるという自信はないが、できるだけ先
へ進んでみたい。そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 そう、今、私にとって一番こわいのは、自分の頭がボケること。頭がボケたら、自分で考えら
れなくなる。無責任な人は、ボケれば、気が楽になってよいと言うが、私はそうは思わない。ボ
ケるということは、思想的には「死」を意味する。そうなればなったで、私はもう真理に近づくこと
はできない。つまり私の人生は、そこで終わる。

 実際、自分が老人になってみないとわからないが、今の私は、こう思う。あくまでも今の私が
こう思うだけだが、つまり「私は年をとっても、最後の最後まで、今の道を歩みつづけたい。だ
から空き地に集まって、一日を何かをするでもなし、しないでもなしというふうにして過ごす人生
だけは、絶対に、送りたくない」と。
(02−10−5)※

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子育て随筆byはやし浩司(157)

よい人・いやな人

 その人のもつやさしさに触れたとき、私の心はなごむ。そしてそういうとき、私は心のどこかで
覚悟する。「この人を大切にしよう」と。何かができるわけではない。友情を温めるといっても、
もうその時間もない。だから私は、ふと、後悔する。「こういう人と、もっと早く知りあいになって
おけばよかった」と。

 先日、T市で講演をしたとき、Mさんという女性に会った。「もうすぐ六〇歳です」と言っていた
が、本当に心のおだやかな人だった。「人間関係で悩んでいる人も多いようですが、私は、どう
いうわけだか悩んだことがないです」と笑っていたが、まったくそのとおりの人だった。短い時間
だったが、私は、どうすれば人はMさんのようになれるのか、それを懸命にさぐろうとしていた。

 人の心はカガミのようなものだ。英語の格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あな
たを思う』というのがある。もしあなたがAさんならAさんを、よい人だと思っているなら、Aさんも
あなたのことをよい人だと思っているもの。反対に、あなたがAさんをいやな人と思っているな
ら、Aさんもあなたをいやな人だと思っているもの。人間の関係というのはそういうもので、長い
時間をかけてそうなる。

 そのMさんだが、他人のために、実に軽やかに動きまわっていた。私は講演のあと、別の講
演の打ちあわせで人を待っていたのだが、その世話までしてくれた。さらに待っている間、自分
でもサンドイッチを注文し、さかんに私にそれをすすめてくれた。こまやかな気配りをしながら、
それでいてよくありがちな押しつけがましさは、どこにもなかった。時間にすれば三〇分ほどの
時間だったが、私は、「なるほど」と、思った。

 教師と生徒、さらには親と子の関係も、これによく似ている。短い期間ならたがいにごまかし
てつきあうこともできる。が、半年、一年となると、そうはいかない。ここにも書いたように、心は
カガミのようなもので、やがて自分の心の中に、相手の心を写すようになる。もしあなたがB先
生ならB先生を、「いい先生だ」と思っていると、B先生も、あなたの子どもを介して、あなたのこ
とを、「いい親だ」と思うようになる。そしてそういうたがいの心の相乗効果が、よりよい人間関
係をつくる。

 親と子も、例外ではない。あなたが今、「うちの子はすばらしい。どこへ出しても恥ずかしくな
い」と思っているなら、あなたの子どもも、あなたのことをそう思うようになる。「うちの親はすば
らしい親だ」と。そうでなければ、そうでない。そこでもしそうなら、つまり、もしあなたが「うちの
子は、何をしても心配」と思っているなら、あなたがすべきことは、ただ一つ。自分の心をつくり
なおす。子どもをなおすのではない。自分の心をつくりなおす。

 一つの方法としては、子どもに対する口グセを変える。今日からでも、そしてたった今からで
も遅くないから、子どもに向かっては、「あなたはいい子ね」「この前より、ずっとよくなったわ」
「あなたはすばらしい子よ。お母さんはうれしいわ」と。最初はウソでもよい。ウソでもよいから、
それを繰り返す。こうした口グセというのは不思議なもので、それが自然な形で言えるようにな
ったとき、あなたの子どもも、その「いい子」になっている。

 Mさんのまわりの人に、悪い人はいない。これもまた不思議なもので、よい人のまわりには、
よい人しか集まらない。仮に悪い人でも、そのよい人になってしまう。人間が本来的にもってい
る「善」の力には、そういう作用がある。そしてそういう作用が、その人のまわりを、明るく、過ご
しやすいものにする。Mさんが、「私は、どういうわけだか悩んだことがないです」と言った言葉
の背景には、そういう環境がある。

 さて、最後に私のこと。私はまちがいなく、いやな人間だ。自分でもそれがわかっている。心
はゆがんでいるし、性格も悪い。全体的にみれば、平均的な人間かもしれないが、とてもMさ
んのようにはなれない。私と会った人は、どの人も、私にあきれて去っていく。「何だ、はやし浩
司って、こんな程度の男だったのか」と。実際に、そう言った人はいないが、私にはそれがわか
る。過去を悔やむわけではないが、私はそれに気がつくのが、あまりにも遅すぎた。もっと早
く、つまりもっと若いときにそれに気がついていれば、今、これほどまでに後悔することはない
だろうと思う。私のまわりにも、すばらしい人はたくさんいたはずだ。しかし私は、それに気づか
なかった。そういう人たちを、あまりにも粗末にしすぎた。それが今、心底、悔やまれる。
(02−10−6)※

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子育て随筆byはやし浩司(158)

こんな事件

 ビデオのレンタルショップの前でのこと。一台の車が、通路をふさぐように駐車してあった。そ
の横の駐車場には、まだ空いているところがたくさんある。ほかの車が通れない。そこで私は
そのときふと、つまりそれほど深く考えないで、ワイフにこう言った。「あんなところに、車を止め
ているバカがいる」と。ワイフがその方向を見たその瞬間、ななめうしろに立っていた女性(五
〇歳くらい)が、私たちをものすごい目つきでにらみながら、その車のほうに走っていった。そこ
に車を止めていたのは、その女性だった。

 私は瞬間、なぜ私たちがにらまれるのか、その理由がわからなかった。しかし再度、にらま
れたとき、理由がわかった。わかったとたん、何とも言えない気まずさが心をふさいだ。まさか
私たちのうしろに立っていた人が、その人だったとは! 私はたしかに、「バカ」という言葉を使
った。……使ってしまった。

 口は災(わざわ)いのもととは、よくいう。私はその女性とはショップの中で、できるだけ顔を合
わせないようにしていた。が、それでも数度、視線が合ってしまった。いやな気分だった。その
女性は、駐車場でないところに車を止めた。それはささいなことだが、ルール違反はルール違
反だ。しかしそれと同じくらい、「バカ」という言葉を使った、私も悪い。それはちょうど、泥棒に
入ったコソ泥を、棒でたたいてケガをさせたようなものだ。相手が悪いからといって、こちらが
何をしてもよいというわけではない。私にしてみれば、私の「地」が、思わず出てしまったという
ことになる。

 私はもともと、生まれも育ちも、よくない。子どものころは、喧嘩(けんか)ばかりしていた。か
なりの問題児だったようだ。いつも通知表に、「落ち着きがない」と書かれていた。それもその
はず。私が生まれ育った家庭は、「家庭」としての機能を果たしていなかった。私がここでいう
「地」というのは、そういう素性をいう。

 で、こういう状態になると、ゆっくりとビデオを選ぶという気分には、とてもなれない。早くその
場を離れたかった。そういう思いはあったが、ではなぜ私が「バカ」という言葉を使ったか、それ
には理由がある。弁解がましく聞こえるかもしれないが、まあ、話だけは聞いてほしい。

 今、この地球は、たいへんな危機的状況にある。あと一〇〇年で、地球の平均気温は、三〜
四度ほどあがるという。まだ零点何度かあがっただけで、この地球上では、無数の異変が起き
ている。こういう異変を見ただけでも、三〜四度あがるということがどういうことだか、わかるは
ず。しかし、だ。その一〇〇年で、気温上昇が止まるわけではない。つぎの一〇〇年では、も
っとあがる。このまま上昇しつづければ、二〇〇年後には、一〇度、二〇度と上昇するかもし
れない。そうなればなったで、人類どころか、あらゆる生物は死滅する。

 で、こうした異変がなぜ起き始めたかだが、私は、その責任は、それぞれの人すべてにある
と思う。必要なことを、必要な範囲でしていて、それで地球の気温があがるというのであれば、
これはやむをえない。まだ救われる。しかし人間自身の愚かさが原因だとするなら、悔やんで
も悔やみきれない。

●小型ジーゼル車のマフラーを改造して、燃費をよくする人がいる。そういう人の車は、モクモ
クと黒煙をあげて走る。私はそのたびに、ハンカチで口を押さえて、自転車をこぐ。

●信号が赤になっても、しかも一呼吸おいたあと、その信号を無視して、走り抜けようとする人
がいる。私も先日、あやうくそういう車にはねられそうになった。

●私の家の塀の内側は、かっこうのゴミ捨て場になっている。ポリ袋、弁当の食べかす、タバコ
の空箱、ペットボトルなどが、いつも投げ込まれる。そのたびに、しなくてもよい掃除をする。

●小さな車やバイクだが、やはりマフラーを改造し、ものすごい音をたてて走る若者がいる。そ
ういう車やバイクが走りすぎるたびに、恐怖感を覚える、などなど。

 そういう無数の「ルール違反」が重なって、結局は、この地球の環境を破壊する。それもここ
に書いたように、生きるために必要なことをしていてそうなったのなら、まだ救われる。しかし人
間の愚かな行為が積み重なってそうなったとしたら、それはもう、弁解の余地はない。映画『フ
ォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母親は、こう言っている。「バカなことをする人をバカと
いうのよ。(頭じゃないのよ)」と。

 私は駐車場でもないところに平気で駐車している人は、そのバカな人ということになる。こうい
う人たちの「ルール違反」が、積もりに積もって、この地球の環境を破壊する。むすかしいこと
ではない。その破壊は、私たちの、ごく日常的な、何でもない行為から始まる。だから私は「バ
カ」という言葉を使ってしまった。心のどこかで、地球温暖化の問題と、その車が結びついてし
まったからだ。が、しかし、あまりよい言葉ではないこともたしかだ。これからは外の世界では
使わないようにする。もう少し賢い方法で、こうしたルール違反と戦いたい。
(02−10−6)※

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子育て随筆byはやし浩司(159) 

子どもたちに心を洗ってもらおう!

 その男(五二歳)には、過去がなかった。本を書いたり、講演もしていたが、決して、自分の
経歴を書いたことも、話したこともない。詳しくは書けないが、一五年ほど前、新聞に載るような
大事件を起こしたことが、その理由らしい。

 が、その男は、結構、その町の名士として名が通っている。どこでどう化けたのかは知らない
が、先日は地元のラジオ番組で、自分の趣味について語っていた。(もちろんペンネームで、だ
が。)しかしその男、決して他人には心を許さない。柔和で穏やかな表情はしていたが、どこか
演技風。いくら話しても、つかみどころがなかった。が、私が話したいのはこのことではない。

 人も、五〇年、六〇年と生きてくると、心に無数のシミがつく。それは当然だが、そのシミが、
やがてその人の心を曇らせる。五〇歳や、六〇歳になって、明るくすなおな人でいるほうがお
かしいのかもしれない。が、やはり、人は、明るくすなおなほうがよい。そこで登場するのが、童
心である。

 私は幸運にも、毎日のように、幼稚園の年中児から小学六年生までの子どもに接している。
こういう世界で三〇年以上も生きていると、ものの考え方が子ども的というか、反対におとなに
なりきれないままになってしまう。しかし誤解しないでほしい。「子ども的」ということは、悪いこと
ではない。それ自体すばらしいことなのである。私の座右には、ワーズワース(イギリスの詩
人・一七七〇〜一八五〇)の詩が飾ってある。こんな詩だ。

子どもは人の父 

  空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
  私が子どものころも、そうだった。
  人となった今も、そうだ。
  願わくば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
  子どもは人の父。
  自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
  そうであることを、私は願う。

 私たちはおとなになるにつれて、知識や経験は豊富になるが、その一方で、もっと大切なも
のをなくしていく。それが童心である。そのよい例が、冒頭に書いた男である。ときどき話す機
会があったが、いつも後味が悪い。人の心を盗み見するというか、何かを私が話すたびに、私
の心の裏をみる。もし彼に欠けるものは何かと聞かれれば、私は迷わず、童心をあげる。それ
はちょうど無数のシミが、皮膚(ひふ)にたまったアカのように心をおおい、その心を見えなくし
てしまっている。

 おとなになるということは、決して童心を捨てることではない。むしろその人がすばらしいおと
なになれるかどうかは、どれだけ童心をもちつづけているかで決まる。こんなことがあった。

ある日のこと。A君(年長児)が、何を思ったか、絵を描いているとき、「ぼく、Bちゃん(年長女
児)が好きだよ」と言った。すると少し離れたところにいたBちゃんが、これまた何を思ったか、
こう言った。「私、林先生のほうが好き!」と。少し気まずい雰囲気になった。で、私がA君のほ
うを見ると、何とそのA君が、スーッと涙を流しているではないか。そこで私が「君は、失恋をし
たんだね」と声をかけると、A君は、こう言った。「シ・ツ・レ・ンって何?」と。

子どもはたしかに未熟で未経験だが、それを除けば、私たちおとなとかわらない。かわらない
ばかりか、おとなたちよりはるかに純粋で、その心は美しい。好奇心も旺盛。その上、生きるこ
とにいつも感動している。心の充実度そのものが、違う。私たちが感ずる一分と、子どもたちが
感ずる一分は、長さそのものが違う。子どもは決して「幼稚」ではない。そういう童心をいかにも
ちつづけるかで、その人の価値が決まるといっても、過言ではない。ワーズワースが、『願わく
ば、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい』と言った背景には、ワーズワース自身のそうい
う気持ちが隠されている。

 さて冒頭の男だが、そのあと、うわさを聞けば聞くほど、すべてがインチキだということがわか
った。まず学歴。私にもいつか、S大学工学部の出身と言ったことがあるが、S大学の同窓会
名簿には、彼の名前はなかった。雑誌に載せていた原稿も、図書館で集めた情報を切り張り
して書いたような原稿ばかり。何かの理由で自分では、支払いの決済ができなかったのだろ
う。自分の長女名を使ってそれをしていた、などなど。一度は、預金詐取事件の被疑者として、
警察の取調べを受けたこともあるという。人間も、童心を忘れると、そうなる。

 さてあなたも、一度、子どもたちの世界に飛び込んでみては、どうだろうか。子どもと一緒に、
テレビゲームやミニモニの話をしてみたらよい。子どもと一緒に、サッカーをしたり、ままごとを
してみたらよい。そしてここが大切だが、そうすることで、子どもたちに心を洗ってもらう。汚れ
たシミを、子どもたちに洗ってもらう。それは決して恥ずべきことではない。実は、すばらしいこ
となのだ。
(02−10−7)※

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子育て随筆byはやし浩司(160)

子育ての再現性

 親は子どもをもつと、無意識のうちにも、自分の子ども時代を再現しようとする。たとえば自
分がペットを飼っていた親は、無意識のうちにも、子どもにペットを飼わせたりする。親に抱い
てもらい、本を読んでもらったことがある親は、自分が親になったとき、子どもにそれをする。こ
れを、「子育ての再現性」と、私は呼んでいる。

 この「子育ての再現性」には、二つの意味がある。一つは、プラスの再現性。もう一つは、マ
イナスの再現性。

 プラスの再現性というのは、ここにあげたように、何かよい思い出が心の中にしみこんでい
て、それを自分の子育ての中で反映させる再現性。たとえば自分が子ども時代、ディズニーラ
ンドへ行って、楽しかったという思いがあると、親は自分の子どもにも、そういう経験をさせてみ
たいと思う。

 マイナスの再現性というのは、自分にとって、いやな過去やいやな思い出を再現してしまうこ
と。たとえば自分が受験生のとき、いやな思いをしたことがある親は、自分の子どもが受験期
を迎えると、そのいやな気分をそこで再現してしまう。あるいは自分が親に虐待された経験が
あると、自分が親になったとき、自分自身への自己嫌悪から、自分の子どもに対して、暴力を
振るったりしてしまう。

 もちろんプラスの再現性は問題ない。問題なのは、マイナスの再現性である。もしあなたが子
育てをしているとき、いつも同じパターンで、同じような失敗をするというのであれば、一度、こ
のマイナスの再現性を疑ってみたらよい。何かあるはずである。それに気がつけば、あなたは
マイナスの再現性から自分を解放することができる。気がつかなければ、いつまでも同じ失敗
を繰りかえす。どちらがよいかは、もう言うまでもない。

 人間の行動は一見複雑に見えるが、その実、単純なメカニズムで動いている。子育てもそう
で、いちいち考えながら子育てをしている人は少ない。ほとんどの親は、無意識のまま、自分
が受けた子育てを再現しているだけ。それに気がつくと、あなたは自分の子育てを、より正確
に、より客観的に見ることができる。一度、試してみてほしい。
(02−10−7)※

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子育て随筆byはやし浩司(161)

生きがいとは……

●真剣勝負
 はじめは興味本位で始めたマガジン発行だが、このところ、真剣勝負になってきた。読んでく
ださる方が、少しずつだがふえたこともある。が、それ以上に、私は今、自分の時間が、どんど
ん短くなってきているように感ずる。ひょっとしたら、明日にでも死の宣告を受けるかもしれな
い。あるいは交通事故にあうかもしれない。まさに一寸先は、闇(やみ)。そういう思いが、私を
こうまで真剣にさせるのでは……。

 私は自分の経験してきたこと、そして今、自分が発見しつつあることを、読者の方に伝えた
い。たいていは取るに足りない、つまりは意味のない情報かもしれないが、しかし伝えたい。ど
うしてかわからないが、伝えたい。これは私のエゴ(わがまま)かもしれない。あるいはひょっと
したら、「そうすることは正しい」と思っているのは私だけで、実は、たいへんな害毒を、世間に
たれ流しているのかもしれない。そういう迷いはあるが、ありのままを書き、そのありのままを、
伝えたい。

 が、こうして懸命に自分のことについて書いているときというのは、充実感がある。そのとき
はあまり楽しくないが、頭の中のモヤモヤを吐き出したときの爽快感は、たまらない。(反対に
うまく書けないときは、イライラする。)それがあるから、書く。そしてそれに最近、気がついた
が、このところ、マガジンを発行することが、私の生きがいになっている。そこで生きがいにつ
いて考えてみたい。

●生きがいについて
 私のマガジンの読者は、大半が子どもをもつ母親ではないか。たとえば私は、別にホームペ
ージを公開しているが、土日になると、アクセス件数が、極端に少なくなる。ふつうは、土日ほ
ど多いというが、私のばあいは、逆。夏休みになると、それがさらに減る。それは母親たちが、
子育てにおわれ、それだけ忙しくなるためと考えられる。読者からのメールもよく届くが、母親
からのものが一〇に対して、父親からのものは、一くらいの割合でしかない。

 その読者が、平均して毎週、約一〇〜一二人くらいの割合でふえている。が、ときどき、その
伸びが止まるときがある。連休などがあったりすると、パタリと止まる。そういうとき私は、おお
よそ理由はわかっていても、どこかさみしい。「数」にこだわる必要はないはずなのだが、しかし
このさみしさはいったい、どこからくるのか。つまり、それがこれから書く、「生きがい」と関係し
てくる。

●生きがいを決めるのは、帯状回?
 脳の中に、辺縁系と呼ばれる古い脳がある。脳のこの部分は、人間が原始動物であったと
きからあるものらしい。イヌやネコにも、たいへんよく似た脳がある。その辺縁系の中に、帯状
回とか扁桃体と呼ばれるところがある。最近の研究によれば、どうやら人間の「やる気」に、こ
れらの帯状回や扁桃体が関係していることがわかってきた(伊藤正男氏)。

 たとえば人にほめられたりとすると、人は快感を覚える。反対にみなの前でけなされたりする
と、不快感を覚える。その快感や不快感を覚えるのが、扁桃体だそうだ。その快感や不快感を
受けて、大脳連合野の新皮質部が、満足したり、満足しなかったりする。一方、その扁桃体の
感覚を受けて、「やる気」を命令するのが、帯状回だそうだ(同氏)。やる気があれば、ものごと
は前に進み、それに楽しい。しかしいやいやにしていれば、何をするのも苦痛になる。

 これは脳のメカニズムの話だが、現象的にも、この説には合理性がある。たとえば他人にや
さしくしたり、親切にしたりすると、心地よい響きがする。しかし反対に、他人をいじめたり、意
地悪したりすると、後味が悪い。この感覚は、きわめて原始的なもので、つまりは理屈では説
明できないような感覚である。しかしそういう感覚を、人間がまだ原始動物のときからもってい
たと考えるのは、進化論から考えても正しい。もし人間が、もともと邪悪な感覚をもっていたら、
たとえば仲間を殺しても、平気でいられるような感覚をもっていたら、とっくの昔に絶滅していた
はずである。

 こうした快感や不快感を受けて、つぎに大脳連合野の新皮質部が判断をくだす。新皮質部と
いうのは、いわゆる知的な活動をする部分である。たとえば正直に生きたとする。すると、その
あとすがすがしい気分になる。このすがすがしい気分は、扁桃体によるものだが、それを受け
て、新皮質部が、「もっと正直に生きよう」「どうすれば正直に生きられるか」とか考える。そして
それをもとに、自分を律したり、行動の中身を決めたりする。

 そしていよいよ帯状回の出番である。帯状回は、こうした扁桃体の感覚や、新皮質部の判断
を受けて、やる気を引き起こす。「もっとやろう」とか、「やってやろう」とか、そういう前向きな姿
勢を生み出す。そしてそういう感覚が、反対にまた新皮質部に働きかけ、思考や行動を活発に
したりする。

●私のばあい
 さて私のこと。こうしてマガジンを発行することによって、読者の数がふえるということは、ひょ
っとしたら、それだけ役にたっているということになる。(中には、「コノヤロー」と怒っている人も
いるかもしれないが……。)さらに読者の方や、講演に来てくれた人から、礼状などが届いたり
すると、どういうわけだか、それがうれしい。そのうれしさが、私の脳(新皮質部)を刺激し、脳
細胞を活発化する。そしてそれが私のやる気を引き起こす。そしてそのやる気が、ますますこ
うしてマガジンを発行しようという意欲に結びついてくる。が、読者が減ったり、ふえなかったり
すると、扁桃体が活動せず、つづいて新皮質部の機能が低下する。そしてそれが帯状回の機
能を低下させる。

 何とも理屈っぽい話になってしまったが、こうして考えることによって、同時に、子どものやる
気を考えることができる。よく「子どもにはプラスの暗示をかけろ」「子どもはほめて伸ばせ」「子
どもは前向きに伸ばせ」というが、なぜそうなのかということは、脳の機能そのものが、そうなっ
ているからである。

 さてさて私のマガジンのこと。私のばあい、「やる気」というレベルを超えて、「やらなければな
らない」という気持ちが強い。では、その気持ちは、どこから生まれてくるのか。ここでいう「やる
気論」だけでは説明できない。どこか絶壁に立たされたかのような緊張感がある。では、その
緊張感はどこから生まれるのか。

●ほどよいストレスが、その人を伸ばす
 ある種のストレスが加えられると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まる。このアドレナリ
ンが、心拍を高め、脳や筋肉の活動を高める。そして脳や筋肉により多くの酸素を送りこみ、
危急の行動を可能にする。こうしたストレス反応が過剰になることは、決して好ましいことでは
ない。そうした状態が長く続くと、副腎機能が亢進し、免疫機能の低下や低体温などの、さまざ
まの弊害が現れてくる。しかし一方で、ほどよいストレスが、全体の機能を高めることも事実
で、要は、そのストレスの内容と量ということになる。

 たとえば同じ「追われる」といっても、借金取りに借金の催促をされながら、毎月五万円を返
済するのと、家を建てるため、毎月五万円ずつ貯金するのとでは、気持ちはまるで違う。子ど
もの成績でいうなら、いつも一〇〇点を取っていた子どもが八〇点を取るのと、いつも五〇点
しか取れなかった子どもが、八〇点を取るのとでは、同じ八〇点でも、子どものよって、感じ方
はまったく違う。私のばあい、マガジンの読者の数が、やっと一〇〇人を超えたときのうれしさ
を忘れることができない一方、四五〇人から四四五人に減ったときのさみしさも忘れることが
できない。一〇〇人を超えたときには、モリモリとやる気が起きてきた。しかし四四五人に減っ
たときは、そのやる気を支えるだけで精一杯だった。

●子どものやる気
 子どものやる気も同じに考えてよい。そのやる気を引き出すためには、子どもにある程度の
緊張感を与える。しかしその緊張感は、子ども自身が、その内部から沸き起こるような緊張感
でなければならない。私のばあい、「自分の時間が、どんどん短くなってきているように感ずる。
ひょっとしたら、明日にでも死の宣告を受けるかもしれない。あるいは交通事故にあうかもしれ
ない」というのが、ほどよく自分に作用しているのではないかと思う。

 人は、何らかの使命を自分に課し、そしてその使命感で、自分で自分にムチを打って、前に
進むものか。そうした努力も一方でしないと、結局はやる気もしぼんでしまう。ただパンと水だ
けを与えられ、「がんばれ」と言われても、がんばれるものではない。今、こうして自分のマガジ
ンを発行しながら、私はそんなことを考えている。
(02−10−7)

(読者のみなさんへ)
 本当にこのマガジンをご購読してくださり、心から感謝しています。これからもよろしくお願い
します。私はこのマガジンを通して、私の経験のすべてを、みなさんにお伝えできればと願って
います。

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子育て随筆byはやし浩司(162)

この三〇年を振りかえって……

 幼児教育にかかわるようになって、今年で、満三〇年になる。早いものだ。その間、楽しいこ
とも山のようにあったが、悲しいこともあった。しかし不思議なもので、楽しかった思い出という
のは、記憶の中に埋(うず)もれてしまっていて、なかなか引き出せない。考えてみれば、私の
仕事は毎日、楽しいことばかりだった。で、その分、つまりほとんどが楽しい思い出ばかりだか
ら、悲しかった思い出や、つらかった思い出が目立つのかもしれない。

 悲しかった思い出といえば、一磨君という少年が、小児がんでなくなったこと。そのとき書い
た、エッセーが、つぎのエッセーである。このエッセーは、「子育て最前線のあなたへ」(中日新
聞出版局)にも収録したが、あとで一磨君のお母さんが、二〇冊近く、その本を買ってくれた。
うれしかった。

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●脳腫瘍で死んだ一磨君

 一磨(かずま)君という一人の少年が、一九九八年の夏、脳腫瘍で死んだ。三年近い闘病生
活のあとに、である。その彼をある日見舞うと、彼はこう言った。「先生は、魔法が使えるか」
と。そこで私がいくつかの手品を即興でしてみせると、「その魔法で、ぼくをここから出してほし
い」と。私は手品をしてみせたことを後悔した。

 いや、私は彼が死ぬとは思っていなかった。たいへんな病気だとは感じていたが、あの近代
的な医療設備を見たとき、「死ぬはずはない」と思った。だから子どもたちに千羽鶴を折らせた
ときも、山のような手紙を書かせたときも、どこか祭り気分のようなところがあった。皆でワイワ
イやれば、それで彼も気がまぎれるのではないか、と。しかしそれが一年たち、手術、再発を
繰り返すようになり、さらに二年たつうちに、徐々に絶望感をもつようになった。彼の苦痛でゆ
がんだ顔を見るたびに、当初の自分の気持ちを恥じた。実際には申しわけなくて、彼の顔を見
ることができなかった。私が彼の病気を悪くしてしまったかのように感じた。

 葬式のとき、一磨君の父は、こう言った。「私が一磨に、今度生まれ変わるときは、何になり
たいかと聞くと、一磨は、『生まれ変わっても、パパの子で生まれたい。好きなサッカーもできる
し、友だちもたくさんできる。もしパパの子どもでなかったら、それができなくなる』と言いました」
と。そんな不幸な病気になりながらも、一磨君は、「楽しかった」と言うのだ。その話を聞いて、
私だけではなく、皆が目頭を押さえた。

 ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の冒頭は、こんな詩で始まる。「誰の死なれど、人の
死に我が胸、痛む。我もまた人の子にありせば、それ故に問うことなかれ」と。

私は一磨君の遺体を見送りながら、「次の瞬間には、私もそちらへ行くから」と、心の奥で念じ
た。この年齢になると、新しい友や親類を迎える数よりも、死別する友や親類の数のほうが多
くなる。人生の折り返し点はもう過ぎている。今まで以上に、これからの人生があっと言う間に
終わったとしても、私は驚かない。だからその詩は、こう続ける。「誰がために(あの弔いの)鐘
は鳴るなりや。汝がために鳴るなり」と。

 私は今、生きていて、この文を書いている。そして皆さんは今、生きていて、この文を読んで
いる。つまりこの文を通して、私とあなたがつながり、そして一磨君のことを知り、一磨君の両
親と心がつながる。もちろん私がこの文を書いたのは、過去のことだ。しかもあなたがこの文
を読むとき、ひょっとしたら、私はもうこの世にいないかもしれない。しかし心がつながったと
き、私はあなたの心の中で生きることができるし、一磨君も、皆さんの心の中で生きることがで
きる。それが重要なのだ。

 一磨君は、今のこの世にはいない。無念だっただろうと思う。激しい恋も、結婚も、そして仕
事もできなかった。自分の足跡すら、満足に残すことができなかった。瞬間と言いながら、その
瞬間はあまりにも短かった。そういう一磨君の心を思いやりながら、今ここで、私たちは生きて
いることを確かめたい。それが一磨君への何よりの供養になる。

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 私の仕事とは関係ないが、私がこの三〇年間でもっともうれしかったのは、三一年ぶりに、
学生時代の友人たちと再会したとき。そのとき書いたのがつぎのエッセー。このエッセーは、金
沢学生新聞にも発表したが、反響は大きかった。学生新聞の編集長が、編集部に届いた読者
からの手紙やメールを、回送してくれた。中には、涙をこぼしながら読んでくれた人もいたとい
う。うれしかった。

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●三一年ぶりの約束

 ちょうど三一年前の卒業アルバムに、私はこう書いた。「二〇〇一年一月二日、午後一時二
分に、(金沢の)石川門の前で君を待つ」と。それを書いたとき、私は半ば冗談のつもりだっ
た。当時の私は二二歳。ちょうどアーサー・クラーク原作の『二〇〇一年宇宙の旅』という映画
が話題になっていたころでもある。私にとっては、三一年後の自分というのは、宇宙の旅と同じ
くらい、「ありえない未来」だった。

 しかしその三一年がたった。一月一日に金沢駅におりたつと、体を突き刺すような冷たい雨
が降っていた。「冬の金沢はいつもこうだ」と言うと、女房が体を震わせた。とたん、無数の思い
出がどっと頭の中を襲った。話したいことはいっぱいあるはずなのに、言葉にならない。細い路
地をいくつか抜けて、やがて近江町市場のアーケード通りに出た。いつもなら海産物を売るお
やじの声で、にぎやかなところだ。が、その日は休み。「初売りは五日から」という張り紙が、う
らめしい。カニの臭いだけが、強く鼻をついた。

 自分の書いたメモが、気になり始めたのは数年前からだった。それまで、アルバムを見るこ
とも、ほとんどなかった。研究室の本棚の前で、精一杯、かっこうをつけて、学者然として写真
におさまっている自分が、どこかいやだった。しかし二〇〇一年が近づくにつれて、その日が
私の心をふさぐようになった。アルバムにメモを書いた日が「入り口」とするなら、その日は「出
口」ということか。しかし振り返ってみると、その入り口と出口が、一つのドアでしかない。その
間に無数の思い出があるはずなのに、それがない。人生という部屋に入ってみたら、そこがそ
のまま出口だった。そんな感じで三一年が過ぎてしまった。

 「どうしてあなたは金沢へ来たの?」と女房が聞いた。「……自分に対する責任のようなもの
だ」と私。あのメモを書いたとき、心のどこかで、「二〇〇一年まで私は生きているだろうか」と
思ったのを覚えている。が、その私が生きている。生きてきた。時の流れは、時に美しく、そし
て時に物悲しい。フランスの詩人、ジャン・ダルジーは、かつてこう歌った。「♪人来たりて、ま
た去る……」と。部分的にしか覚えていないが、続く一節はこうだった。「♪かくして私の、あな
たの、彼の、彼女の、そして彼らの人生が流れる。あたかも何ごともなかったかのように……」
と。何かをしたようで、結局は、私は何もできなかった。時の流れは風のようなものだ。どこか
らともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。つかむこともできない。握ったと思っても、そ
のまま指の間から漏れていく。

 翌一月二日も、朝からみぞれまじりの激しい雨が降っていた。私たちは兼六園の通りにある
茶屋で昼食をとり、そして一時少し前にそこを出た。が、茶屋を出ると、雨がやんでいた。そこ
から石川門までは、歩いて数分もない。歩いて、私たちは石川門の下に立った。「今、何時だ」
と聞くと、女房が時計を見ながら、「一時よ……」と。私はもう一度石川門の下で足をふんばっ
てみた。「ここに立っている」という実感がほしかった。学生時代、四年間通り抜けた石川門
だ。と、そのとき、橋の中ほどから二人の男が笑いながらやってくるのに気がついた。同時にう
しろから声をかける男がいた。それにもう一人……! そのとたん、私の目から、とめどもなく
涙があふれ出した。

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 私がこの仕事をしていて、もっともつらかったのは、一時期勤めていたある幼稚園をリストラ
されたこと。しかもリストラを宣告されたのは、立ち話で、だった。私がある朝、庭で園児を指導
していると、いきなり園長がやってきて、こう言った。「林君、もう来週から来なくていい」と。その
園長が、園長に就任にして、数年目のことだった。

 が、リストラされたからといって、その園長をうらむことはできなかった。それまで、その前任
の園長には、じゅうぶんすぎるほど、世話になっていた。それに園長の様子がかなりおかしい
ということは、私もそれ以前から感じていた。感情が平坦になり、動作も鈍くなっていた。会話も
かみあわなかった。加えてそのときまでに同じようなリストラのし方で、何人もの年配の先生た
ちがリストラされていた。順にそれが進んで、私のところにやってきた。「つぎは私だろうな」と思
っていた。そう、園長は、たしかにおかしかった。これ以上のことは、ここには書けないが、その
とき前任の園長も、かなり深刻に、その園長のことを悩んでいた。私にも、相談があった。

 しかしショックはショックだった。私はその言葉で、プライドはズタズタにされた。実際、その夜
は、体中が熱でほてり、ほとんど一睡もできなかった。朝になってワイフが「どうしたの?」と聞
いたときはじめて、「幼稚園はクビになった」と告白した。以来、その幼稚園には二度と足を踏
み入れていない。また私の書いたものの中に、その幼稚園の名前を書いたことは一度もない。
しかしそのときのリストラが、私を発奮させる原動力になった。私は以後、がむしゃらに幼児教
育に没頭した。

 人生にはいろいろある。しかしこれから先は、今までのような濃密な経験はできないだろうと
思う。この五年間だけを見ても、それ以前の密度の半分くらいになったような気がする。変化よ
りも、安定を求めるようになった。航海にたとえていうなら、もう嵐はこりごり。その嵐に耐える
体力もないのでは。そのかわりこれからはもっと、心の旅をしてみたい。外ではなく、自分の心
の内側に向かう。そういう生き方をしてみたい。まとまりのない回顧録になってしまったが、この
つづきは、また何年かあとに書いてみる。 
(02−10−7)※

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子育て随筆byはやし浩司(163) 

考えることが好きな子ども、きらいな子ども

 その子どもが考えることが好きな子どもかどうかは、小学一年のころには、すでにはっきりと
する。この時期、考えることが好きな子どもは、好き。考えることの楽しさを知っている。そうで
ない子どもは、そうでない。表面的な様子にだまされてはいけない。たとえばペラペラとよくしゃ
べるから頭がよいとか、反応がはやいから、頭がよいということにはならない。

 私は今日小学二年生で、こんな実験をしてみた。つぎのような数列を見せ、□の中には、ど
んな数字が入るかという問題である。

問、□の中には、どんな数(かず)が入るか。
    1、2、4、7、11、□

 この問題は、小学二年生には無理。それはわかっているが、私は子どもたちの反応をみた
かった。そこでしばらく様子をみると、何とか考えようとする子どもが、一〇人中、四人。考えて
いるフリはするが、深く考えようとしない子どもが、三人前後。残りの三人は、あれこれ思いつ
いた数字を口にするだけで、ほとんど考えようとしない。「5かな、7かな……?」と勝手なことを
言っているだけ。一人の子どもは、「これ、足し算? それとも引き算?」と聞いた。

 たいていの親は、ペラペラと調子よくしゃべる子どもを、頭のよい子と誤解する。しかしこのタ
イプの子どもは、脳に飛来する情報を、適当に言葉にしてしゃべっているだけ。もっと言えば、
頭の中はカラッポ。よい例が、夜のバラエティ番組に出てくるお笑いタレントたち。一見反応が
すばやく、頭がよいように見えるが、その実、何も考えていない。たまに気のきいたことを言う
が、それとて、どこかで仕入れた情報の受け売りにすぎない。

 考えることには、ある種の苦痛がともなう。そのためほとんどの人は、考えることを無意識の
うちにも避けようとする。よい例が、数学の証明問題である。もし今、あなたが数学の証明問題
を解けと言われたら、あなたはどうするだろうか。あれこれ理由をつけて、その問題から逃げる
に違いない。あるいは近くに答があるなら、それを写して、それですますかもしれない。

 当然のことながら、考える子どもとそうでない子どもは、やがて大きな差となって表れる。この
時期に分かれる。考える子どもは、思考することの楽しさを覚え、自ら脳を鍛えるようになる。
そうでない子どもは、そうでない。そしてこの違いが、一年たち、二年たち、さらに一〇年もつづ
くと、大きな差となる。考える子どもは、あらゆる方向に触覚を延ばし、そしてあらゆる場面で考
える。そうでない子どもは、そうでない。どちらがよいかということは、もう明白。聞くだけヤボ。
子どもは、そのはじめの分かれ道に入る前に、考える子どもにする。その方向づけをする。つ
まりそれが幼児教育ということになる。では、どうするか。

(パズルの応用)
 特別の理由がないかぎり、子どもというのは、考えることが好きとみる。それはちょうど、広い
庭を見ると、思わず走りたくなるという、あの衝動に似ている。そういう意味では、子どもは知的
な刺激に飢えている。そこでひとつの方法として、私は知的パズルを与えることを提案する。私
も勉強が嫌いという子どもに対しては、パズルを積極的に与えることによって、まず「考えること
を好きにさせる」という指導をする。少し回り道になるかもしれないが、長い目で見て、そのほう
が効果的である。たとえばアメリカの小学校では、国語(米語)の授業でも、パズルから子ども
を導入する。「この中で、Aで始まる動物はどれ?」「Eで終わる動物はどれ?」(小学一年生)
と。こうしたパズル的な教え方が、アメリカの小学校の教育の基本にもなっている。「教え育て
る」が基本になっている日本の教育と、「種をまいて引き出す(エデュース)」が基本になってい
る欧米の教育の違いと言ってもよい。アメリカの教育法がよいばかりではないが、ひとつの参
考にはなる。
(02−10−7)

【追記】
 子どもの考える力は、親の影響が大きい。子どもは、親の考える様子を見ながら、自分の中
に考えるという習慣を養う。が、それだけでは足りない。子どもを考える子どもにするには、そ
れなりの指導が必要である。子どもに向かっては、いつも、「どう思う?」「どうしたらいいの?」
「どうして?」と問いかけながら、一緒に考えるようにするとよい。しかもこうした考える力は、長
い時間をかけて熟成されるもので、根気と努力が必要である。子どものばあい、考えの深い子
どもは、何かテーマを与えたりすると、目つきがそのつど静かに沈むので、わかる。
 
 このところ、世間では右脳教育なるものが、もてはやされ、どこかカルト化しているような感じ
がする。が、論理や分析をつかさどるのは左脳である。ペラペラと軽いことを言い、頭の中にひ
らめたまま、奇想天外なことを言うから、頭がよいということにはならない。この種の教育法に
は、じゅうぶん注意してほしい。

 そこでおとなの問題。これはあるアメリカで発行された、大人用の「知能テスト」の問題集に載
っている問題である。一度、童心に返って(?)、考えてみてほしい。

 4・5・7・11・19・□

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子育て随筆byはやし浩司(164)

ブルセラ? 生脱ぎ?

 朝のワイドショーを見ていたら、こんな言葉が飛び出してきた。「ブルセラ」「生脱ぎ」と。女子
中学生や高校生の汚れた下着を売買することを、ブルセラ。そして客(?)の目の前で脱いで
販売するのを、生脱ぎというのだそうだ。インタビューに答えていたのは、女子高校生(一年
生)。そういう子どもが、そういう言葉を平気で口にしているのには、心底、驚いた。それだけで
はない。こうも言った。「映画館の中で(生脱ぎ)することもある」「そのままホテルへ行ったり、
援助交際することもある」と。

 私も男だし、性欲も、ふつうにはある。……あった。しかし汚れた下着をほしいと思ったことは
ない。しかも、だ。自分の高校時代を思い出しても、そういう発想は、まったくなかった。考えも
およばなかった。が、今、それが堂々と、白昼になされている! テレビでインタビューに答え
ていたのは、顔はぼかしてあったが、見るからに清楚(せいそ)な感じのする女子高校生だっ
た。

 こういう現実を目(ま)の当たりにすると、私が毎日こうして書いている原稿は、いったい、何
かということになってしまう。レベルが高いとか低いとかいう問題ではない。あまりにもかけ離れ
ていて、何だか、自分がとんでもないほどムダなことをしているようにすら思われてくる。ほかの
分野のことならともかく、私が相手にしなければならないのは、そういう子どもたちなのだ。い
や、ここで「ほかの分野」というのは、たとえば電子工学などの分野では、その専門的な研究だ
けをしていればよい。その果てに携帯電話があり、パソコンがあったとしても、電子工学の研
究をしている人は、携帯電話やパソコンがユーザーにどう使われるかは、関係ない。恐らく関
心もないだろう。しかし私は違う。こうして教育論を考えることは、つまるところ、そういう子ども
が対象なのだ。

 実のところ、私も、こうした子どもたちの「性」の問題には、さんざん翻弄(ほんろう)されてき
た。その結果、というよりも今は、「我、関せず」を貫いている。この問題だけは、知性のワクを
超え、本能の世界と深くかかわっている。もっともそれがあるから、人類は、限りなく生殖を繰り
返し、今日まで生き延びることができた。しかしそれだけに知性で戦って、戦えるものではな
い。道理や理屈が、まったく通じない。しかしこれだけは覚えておくとよい。もしあなたが「うちの
子にかぎって……」とか、「うちには関係ない問題」と思っているなら、それは幻想。一〇〇%、
幻想。これからは、そういう前提で、あなたの子どもを考え、あなたの社会を考える必要があ
る。つまり……、たいへん言いにくいが、あなたの子どもが何か問題を起こしてから、あわてて
も遅いということ。その覚悟だけはしておいたほうがよい。
(02−10−8)

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子育て随筆byはやし浩司(165)

「もう一人の子ども」論

 たいていの親は、「うちの子にかぎって……」とか、「私は子どもとうまくいっている」、あるい
は、「私は子どもの心をしっかりとつかんでいる」と考えている。しかし実のところ、そういう親ほ
ど、あぶない。あるいはあなたは、自分の子どもが、あなたの前で、まったく仮面をかぶってい
ないと、自信をもって、断言できるだろうか。

 そう、何がこわいかといって、この「仮面」ほど、こわいものはない。あなたの前で、よい子ぶ
る、心を隠す、無理をする。そういう不自然さが、長い時間をかけて心のカベにアカのようにた
まり、やがてあなたからみても、子どもの心がつかめなくなる。が、それですめばまだよいほう
だ。子どもはその仮面の下で、もう一人の自分をつくる。

 子どもの非行は、ある日、突然、始まる。本当に、突然だ。ばあいによっては、一週間単位、
あるいは一か月単位で、子どもが急変する。ある男の子(小五)は、ある日、突然、母親に服を
ねだり始めた。それまではほとんどの服は、母親が選んで買っていた。そこで子どもと一緒に、
店へ行くと、その子どもの選んだ服は、キラキラと輝く金文字の入った、紫色のコートだった。
いわゆる暴走族カラーというので、母親はそれを見てはじめて、子どもの心の変化に気づい
た。

 そこで自己診断テスト。あなたの子どもは、今、あるがままの自分の姿をあなたに見せている
だろうか。それを一度、テストしてみてほしい。

○子どもはあなたに向かって、平気で悪態をつくことができる。「ババア」とか、汚い言葉を使う
ことも多い。
○あなたがいてもいなくても、態度は大きく、ふてぶてしい。いつもあなたの前で、好き勝手なこ
とをしている。 
○何か仕事を任せても、あなたは安心して任せることができる。何でもひとりで、自分でやって
しまう子どもなので、ほとんど心配していない。
 
●ときどき何を考えているかわからないときがあるが、あなたの前ではがまんして、よい子ぶる
ことが多い。親の命令には、割とすなおに従ってくれる。
●あなたが近くにいると、あなたを避けるように自分の部屋に行ったり、別の場所に行き、そこ
で心や体を休めることが多い。
●いつも心配先行型の子育てをしてきたように思う。何かにつけ、心配で、そういう意味では、
手間のかかる子どもだったように思う。

 このテストで、白丸(○)より、黒丸(●)が多いようであれば、あなたの子どもは、もう一人の
自分をつくりつつあるとみてよい。もちろん、もう一人の自分をもつことが悪いとはかぎらない。
中には親を反面教師として、前向きに伸びていく子どももいる。しかしたいていは、悪い方向に
進む。

 なお、子どものすなおさを見るときは、「心(情意)と表情が一致しているかどうか」をみて判断
する。このテストは、そのすなおさをみるためにも、利用できる。
(02−10−8)※

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子育て随筆byはやし浩司(166)

誕生日のプレゼント

 私は毎年、自分の誕生日に、その年で一番ほしいものを手に入れることにしている。「買って
もらう」と言うほうが正しいかもしれない。我が家では、すべてのお金の出し入れは、ワイフが管
理している。(実に日本的だが……。オーストラリアでは、夫が管理することが多い。)

 で、二〇〇二年の一〇月XX日。私は満五五歳になる。で、このところ、その誕生日に何を
「買ってもらうか」、それに悩んでいる。今年は、我が家も大不況。三男の学費にしても、何だ
かんだと、どさっ、どさっと、我が家に降りかかってくる。が、だ。昨日、養老保険が満期を迎え
た。一五年満期の保険だったが、結構利息がついた。(一五年前の利率はまだよかった。今
は、たったの〇.〇二%。一〇〇万円を一年定期で預けて、利息はたったの二〇〇円。笑っ
てはいけないのだが、やはり笑ってしまう。仮にこの金利で、一億円を借りたとしても、年間の
利息は、たったの、二万円! もし借りられるなら、今、一億円借りて、死ぬまで利息だけ、毎
年二万円払う。そのほうがよほど、いい生活ができる?)

 が、見渡したところ、これといって、ほしいものはない。あるにはあるが、パソコンのような高
価なものは、もとからあきらめている。どうしても二万円前後とか、まあ何ともさみしい話だが、
そんな程度。買ってもらえるだけでも恩の字。

 そこで改めて、今ほしいものを並べてみた。
 
(1)デジタルビデオカメラ……これは無理。
(2)シャープのザウルス……これも無理
(3)薄型デジタルカメラ……これなら何とか、なりそう。

 ワイフは、「CDのケースでがまんして」と言っている。きのう一八〇円でそれを買ったが、「そ
れでがまんして」だって? まあ、こういうご時勢だから、しかたないか。どれもこれも、あの宮
沢さん(元首相)や橋本さん(そのときの大蔵大臣)が悪いのだ。ヘタクソな政治をするから悪
いのだ。

 しかし私にとって電子製品というのは、ボケ防止のようなもの。いつも新しい機械に挑戦して
いないと、頭の中がすぐモヤモヤとしてくる。そのため私は、機械には、メチャメチャ、強い。二
五年ほど前だが、ある研究所に、一台数千万円もする検査機器が置いてあった。私はそれを
カチャカチャといじっているうちに、数時間で、使い方をマスターしてしまった。あとで聞いたら、
専門の研究者でも、数日間、講習会に出ないと操作がわからない機器だったそうだ。私には、
そういう特殊な能力があるらしい。

 しかしこういうふうに迷っているときが、一番楽しい。カタログをながめて横になっていると、た
いていそのまま眠ってしまう。買ってしまえば、それだけのことだが……。さあて、何にしよう
か?
(02−10−8)

【追記】意味のないエッセーですみません。

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子育て随筆byはやし浩司(167)

子育て格言集(新シリーズ@)

●仲のよいのは、見せつける

 子どもに、子育てのし方を教えるのが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに、子育
てをするのですよ」と、その見本を見せる。見せるだけでは足りない。子どもの体にしみこませ
ておく。もっとわかりやすく言えば、環境で、包む。

 子育てのし方だけではない。「夫婦とはこういうものですよ」「家族とはこういうものですよ」と。
とくに家族が助けあい、いたわりあい、なぐさめあい、教えあい、励ましあう姿は、子どもにはど
んどんと見せておく。子どもは、そういう経験があって、今度は自分が親になったとき、自然な
形で、子育てができるようになる。

 その中の一つ。それがここでいう「仲のよいのは、見せつける」。夫婦が仲がよいのは、遠慮
せず、子どもにはどんどん見せつけておく。手をつないで一緒に歩く。夫が仕事から帰ってきた
ら、たがいに抱きあう。一緒に風呂に入ったり、同じ床で寝るなど。夫婦というのは、そういうも
のであることを、遠慮せず、見せておく。またそのための努力を怠ってはいけない。

 中には、「子どもの前で、夫婦がベタベタするものではない」と言う人もいる。しかしそれこそ
世界の非常識。あるいは「子どもが嫉妬(しっと)するから、やめたほうがよい」と言う人もいる。
しかし子どもにしてみれば、生まれながらにそういう環境であれば、嫉妬するということはありえ
ない。「嫉妬する」と考えるのは、そういう習慣のなかった人が、頭の中で勝手に想像して、そう
思うだけ。が、それだけではない。

 子どもの側から見て、「絶対的な安心感」が、子どもを自立させる。「絶対的」というのは、「疑
いをいだかない」という意味。堅固な夫婦関係は、その必要条件である。またそういう環境があ
って、子どもははじめて安心して巣立ちをすることができる。そしてその巣立ちが終わったと
き、結局は、あとに残されるのは、夫婦だけ。そういうときのことも考えながら、親自身も、子ど
もへの依存性と戦う。

家庭生活の基盤は、「夫婦」と考える。もちろんいくらがんばっても、夫婦関係もこわれるとき
は、こわれる。それはそれとして、まず、家庭生活の基盤に夫婦をおく。子どもの前では、夫婦
が仲がよいのを見せつけるのは、その第一歩ということになる。


●流れには従う

 世の中には「流れ」というものがある。この流れをどう見極めるか、それも子育てのうちという
ことになる。

 たとえば私が高校生のときは、「赤い夕日が校舎を染めてエ〜」(舟木一夫の「高校三年」)と
歌った。しかし今の親たちは、「夜の校舎、窓ガラス、壊して回ったア」(尾崎豊の「卒業」)と歌
った。この違いは大きい。

 そして今、さらにこの流れが加速され、子どもたちの世界は、大きく変化しつつある。それが
よいのか悪いのかという議論もあるが、中学生にしても、約六〇%の子どもが、「勉強で苦労
するから、進学校には行きたくない」などと言っている(浜松市内のH中学校長談話)。また日
本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によれば、高校三年生のうちフリーター志望が、一二%
もいるという(ほかに就職が三四%、大学、専門学校が四〇%)。職業意識も変わってきた。
「いろいろな仕事をしたい」「自分に合わない仕事はしない」「有名になりたい」など。三〇年前
のように、「都会で大企業に就職したい」と答えた子どもは、ほとんどいない。これはまさに「サ
イレント革命」と言うにふさわしい。フランス革命のような派手な革命ではないが、日本人そのも
のが、今、着実に変わろうとしている。

 ところで親子を断絶させる三要素に、@親子のリズムの乱れ、A信頼感の喪失、B価値観
の衝突がある。このうちB価値観の衝突というのは、結局は、子どもの流れについていけない
親に原因がある。どうしても親は、自分を基準にして考える傾向があり、自分の価値観を子ど
もに押しつけようとする。この「押しつけ」が、親子の間にキレツを入れる。

親「何としてもS高校へ入れ」
子「いやだ。ぼくは普通の高校でいい」
親「いい高校に入って、出世しろ。何といってもこの日本では、学歴がモノを言う」
子「勉強は嫌いだ」
親「お前には、名誉欲というものがないのか」
子「そんなもの、ない」と。

 どこの家庭にでもあるような衝突だが、こうした衝突を繰り返しながら、親子の間は断絶して
いく。今、中高校生でも、「父親を尊敬していない」と答えた子どもは五五%もいる(「青少年白
書」平成一〇年)。「父親のようになりたくない」と答えた子どもは八〇%弱もいる。この時期、
「勉強せよ」と子どもを追い立てるほど、子どもの心は親から離れると考えてよい。


●なくしてわかる生きる価値

 賢明な人は、そのものの価値をなくす前に気づき、愚かな人は、なくしてから気づく。健康し
かし、人生しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 子どものよさには、二つの意味がある。ひとつは、外に目立つ「よさ」。もうひとつは、中に隠
れた、見えない「よさ」。外に目立つ「よさ」は、ともかく、問題は中に隠れた「よさ」。それに親が
いつ気がつくかということ。

 たとえば子どもが何か問題をかかえたとすると、親はその状態を最悪と思い込み、「どうして
うちの子だけが」とか、「なんとかなおそう」と考える。しかしそういうときでも、もし子どもの中
に、隠れた「よさ」を見出せば、問題のほとんどは解決する。たとえばこんな母親がいた。

 その娘(中三)は、受験期だというのに、家では、ほとんど勉強しなかった。そこで母親は毎
日ヤキモキしながら、娘を叱りつづけた。しかしこういう状態が半年、一年もつづくと、母親の精
神状態そのものがおかしくなる。母親はそのつど青白い顔をして、私のところに相談にきた。
「どうしてうちの娘は……?」と。

 しかしその子どもは、私が見るところ、すなおで、明るく、頭の回転も速く、それに性格もおだ
やかだった。ものの考え方も常識的で、非行に走る様子も見られなかった。学校でもリーダー
で、バトミントン部に属していたが、結構活躍していた。もちろん健康で、それにこういう言い方
は適切ではないかもしれないが、容姿も整っていた。私は「そういう子どもでも、親は、健康を
悪くするほど悩むのかなあ」と。それがむしろ不思議でならなかった。

 昔の人は、『上見て、キリなし。下見て、キリなし』と言った。上ばかり見ていると、人間の欲望
や希望には際限がなく、苦労は尽きないもの。しかし一方、自分が最低だと思っても、まだまだ
苦しくて、がんばっている人もいるから、くじけてはいけないという意味だが、子育てで行きづま
りを覚えたら、子どもは、「下」から見る。下(欠点)を見ろというのではない。「今、ここに子ども
が生きている」という原点から見る。そういう視点から見ると、ほとんどの問題は解決する。

 あなたの子どもにもすばらしい点は山のようにある。それに気づくかどうかは、結局は、あな
たの視野の広さと高さによる。子どもを見るときは、その視野を広く、そして高くもつ。


●名前は呼び捨て

 よく誤解されるが、子どもをていねいに扱うから、子どもを大切にしていることにはならない。
先日も埼玉県のU市の、ある私立幼稚園で講演をしたら、その園長がこっそりとこう話してくれ
た。「今では昼の給食でも、レストラン感覚で出さないと、親は満足しないのですよ」と。そこで
私が「子どもに給仕をさせないのですか」と聞くと、「とんでもない。それでやけどでもしたら、た
いへんなことになります」と。

 子どもを大切にするということは、「してあげる」ことではなく、「心を尊重する」ということ。中に
は、「子どもを楽しませること」「子どもに楽をさせること」を、親の愛と誤解している人もいる。し
かし誤解は、誤解。まったくの誤解。子どもというのは、皮肉なもので、楽しませたり、楽をさせ
ればさせるほど、ドラ息子(娘)化する。しかし苦労をさせたり、がまんをさせればさせるほど、
生活力も身につき、忍耐力も養われる。そしてその分、親子の絆(きずな)も太くなる。言うまで
もなく、子どもは(おとなも)、自分で苦労してはじめて、他人の苦労がわかるようになる。

 そういう流れの中で、私は、自分の子どもを、「〜〜さん」とか、「〜〜ちゃん」づけで呼ぶ親を
見ると、「それでいいのかなあ」と思ってしまう。一見、子どもを大切にしているように見えるが、
どこか違うような気がする。それで子どもに問題がなければよいが、たいていは、そういう子ど
もにかぎって、わがままで、自分勝手。態度も大きく、親に向かっても、好き勝手なことをしてい
る。子どもが小さいうちならまだしも、やがて親の手に負えなくなる。

 子どもを大切にするということは、子どもの心を大切にするということ。英語国では、親子で
も、「おまえは今日、パパに何をしてほしい?」「パパは、ぼくに何をしてほしい?」と聞きあって
いる。そういう謙虚さが、たがいの心を開く。命令や、威圧は、それに親が勝手に決めた規則
は、子どもを指導するには便利な方法だが、しかしこれらが日常化すると、子どもは自ら心を
閉ざす。閉ざした分だけ、親子の心は離れる。

 ともかくも、親が子どもを呼ぶとき、「しんちゃん」で、子どもが親を呼ぶとき、「みさえ!」で
は、いくら親子平等の時代とはいえ、これでは本末転倒である。それほど深刻な問題ではない
かもしれないが、子どもを呼ぶときは、呼び捨てでじゅうぶん。また呼び捨てでよい。


●名前は大切に

 子どもの名誉、人格、人権、自尊心、それに名前(書かれた文字)は、大切にあつかう。

@名誉……「さすがだね」「やっぱり、あなたはすごい子ね」「すばらしい」と、そのつど、子ども
はほめる。ただしほめるのは、努力ややさしさ。顔やスタイルは、ほめない。「頭」については、
ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。

A人格……要するに子どもあつかいしないこと。コツは、「友」として迎え入れること。命令や威
圧はタブー。するとしても最小限に。「あなたはダメな子」式の人格の「核」に触れるような「核」
攻撃は、タブー中のタブー。

B人権……人として生きる権利を認める。家族の愛に包まれ、心豊かに生きる権利を守る。
子どもにもプライバシーはあり、自由はある。抑圧され、管理された家庭環境は、決して好まし
いものではない。

C自尊心……屈辱的な作業や、屈辱的な言葉を言ってはいけない。『ほめるときはおおやけ
に、叱るときは内密に』という原則を守る。みなの前で「土下座しなさい」式の叱り方はタブー。
もちろんみなの前で恥をかかせるようなことは、してはいけない。

D名前……子どもの名前の載っている新聞や雑誌は、最大限尊重する。「あなたの名前はす
ばらしい」「あなたの名前はいい名前」を口グセにする。子どもは名前を大切にすることから、
自尊心を学ぶ。ある母親は、子どもの名前が新聞に出たようなときは、それを切り抜いて、高
いところにはったり、アルバムにしまったりしていた。そういう姿勢を見て、子どもは、自分を大
切にすることを学ぶ。


●涙にほだされない

 心の緊張感がとれない状態を、情緒不安という。この緊張した状態の中に、不安が入ると、
その不安を解消しようと、一挙にその不安が高まる。このタイプの子どもは、気を許さない。気
を抜かない。他人の目を気にする。よい子ぶる。その不安に対する反応は、子どものばあい、
大きく分けて、@攻撃型と、A内閉型がある。
 
 攻撃型というのは、言動が暴力的になり、ワーワーと泣き叫んだり、暴れたりするタイプ。私
はプラス型と呼んでいる。また内閉型というのは、周囲に向かって反応することができず、引き
こもったり、性格そのものが内閉したりする。慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えることが多
い。私はマイナス型と呼んでいる。(ほかにモノに固執する、固執型というのもある。)

 こうした反応は、自分の情緒を安定させようとする、いわば自己防衛的なものであり、そうし
た反応だけを責めたり、叱っても、意味はない。原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体
験が引き金になることが多い。家庭騒動や家庭不和、恐怖体験、暴力、虐待、神経質な子育
て、親の拒否的な態度など。一度不安定になった情緒は、簡単にはなおらない。

そこで子どもによっては、この時期、すぐ泣く、よく泣くといった症状を見せることがある。少しい
じめられても、すぐ泣く。ちょっとしたことで、すぐ泣くなど。こうした背景には、子ども自身の情
緒不安があるが、さらにその背景には、たとえば恐怖症や神経症が潜んでいることが多い。た
とえば子どもの世界でよく知られた現象に、対人恐怖症がある。反応はさまざまだが、そうした
恐怖症が背景にあって、情緒が不安定になるということは珍しくない。親は、「友だちを遊んで
いても、ちょっと何かをされるとよく泣くので困ります」と言うが、子どもは泣くことで、自分の情
緒を安定させようとする。

 もちろん子どもが泣くときには、原因をさがして、対処しなければならないが、「泣く」ということ
を、あまりおおげさに考えてもいけない。コツは、泣きたいだけ泣かせる。泣いてもムダというこ
とをわからせる、という方法で対処する。ぐずりについてもそうで、定期的に、また決まった状
況で同じようにぐずるということであれば、ぐずりたいだけぐずらせるのがコツ。泣き方やぐずり
方があまりひどいようであれば、スキンシップを濃厚にして、カルシウム、マグネシウム分の多
い食生活にこころがける。

 こうした心の問題は、「より悪くしないこと」だけを考えて、一年単位で様子をみる。「去年より
よくなった」というのであれば、心配ない。あせってなおそうとして症状をこじらせると、その分、
立ちなおりがむずかしくなる。


●波間に漂(ただよ)わない

 子どものことで、波間に漂うようにして、フラフラする人がいる。「右脳教育がいい」と聞くと、
右脳教育。隣の子どもが英会話に通い始めたときくと、英語教室。いつも他人や外からの情報
に操(あやつ)られるまま操れられる。私の印象に残っている母親に、こういう母親がいた。

 ある日、私のところにやってきて、こう言った。「今、通っている絵画教室へこのまま、通わせ
ようか、どうかと迷っている」と。話を聞くとこうだ。「色彩感覚は、三歳までに決まるというから、
あわてて絵画教室に入れた。しかし最近、個人の絵の先生に習うと、その先生の個性が子ど
もに移ってしまうから、よくないという話を聞いた。今の絵の先生は、どこか変人ぽいところがあ
るので心配です。だから迷っている」と。

 こうしたケースで、まず問題としなければならないのは、子どもの視点がどこにもないというこ
と。「子どもはどう思っているか」ということは、まったく考えない。そこで私が「お子さんは、どう
思っているのですか」と聞くと、「子どもは楽しんで通っています」と。だったら、それで結論は出
たようなもの。迷うほうが、おかしい。

 「優柔不断」という言葉があるが、この言葉をもじると、「優柔混迷」となる。自分というものが
ないから、迷う。迷うだけならまだしも、子どもがそれに振り回される。そして身につくはずの
「力」も、身につかなくなってしまう。こういうケースは、今、本当に多い。では、どうするか。

 親自身が一本スジのとおった方針をもつのがよいが、これがむずかしい。だからもしあなた
がこのタイプの母親なら、こうする。何ごとにつけ、結論は、三日置いて出す。このタイプの母
親ほど、せっかちで短気。自分の心に問題を秘めて、じっくりと考えることができない。だから
三日、待つ。とくに子どもに関することは、そうする。この言葉を念仏のように心の中で唱えると
よい。……といっても、簡単なことではない。私のアドバイスが効力をもつのは、せいぜい一週
間程度。それを過ぎると、またもとに戻ってしまう。もともと子育てというのは、そういうものか。
その親自身の全人格がそこに反映される。
(02−10−9)※

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子育て随筆byはやし浩司(168)

子離れ

●子どもが親離れするとき
 子どもは、小学三〜四年を境に、友だちとの世界を、急速にふくらませる。交友関係が広くな
り、友だちの数もふえる。この変化とともに、子どもは、急速に親離れを始める。それまでは学
校でのできごとを話していた子どもも、話さなくなったり、父親と一緒に風呂に入っていた子ども
も、それをいやがるようになる。

 子どもはそういう過程を経て、少年少女期から、おとなになるための準備を始める。しかした
いていの親は、子離れの時期と方法がわからず、その段階で戸惑う。日本のばあい、親が子
離れする時期は、外国とくらべても、遅い。平均して子どもが中学生くらいになってからとみて
よい。しかしこの時期のズレが、多くの、実に日本型の悲喜劇を生みだす。そのひとつが、子
どもの受験戦争。子どもはとっくの昔に親離れを始めているのに、親は、それが理解できず、
子どもの受験戦争に巻き込まれ、それに奔走する。(巻き込まれるというより、自ら飛び込んで
いく?)その意識のズレが、親子の間に深くて大きなキレツを入れることもある。親は子どもの
ためと思って、子どもの受験勉強に奔走するが、子どもから見れば、ありがた迷惑。この「迷
惑」が、親には理解できない。

●子離れのふたつの面
 そこでここではもう一歩、話を進める。その子離れには、二つの面がある。ひとつは、親自身
の自立。もうひとつは、子どもへの依存性からの脱却。この二つのうち、どちらが欠けても、親
は子離れに失敗する。

(1)親自身の自立……親自身が、社会的、あるいは経済的に自立する。母親のばあいは、精
神的にも自立する。そのため情緒的な未熟性(不安定)や、精神的な欠陥(うつ病気質など)が
あれば、当然、それと戦う。精神的な自立性がないと、溺愛や育児ノイローゼに陥(おちい)り
やすく、子離れができなくなってしまう。親自身が自分の目標に向かって、前向きに生きていく。
そういうたくましさを身につける。 

(2)依存性からの脱却……子どもへの依存性は、多かれ少なかれ、だれしももっている。しか
しその依存性が強くなると、子どもの自立を無意識のうちにも、さまたげようとする。「産んでや
った」「育ててやった」と、親の恩を押し売りすることもある。安易な孝行論を美化し、それを子
どもに求めることもある。「私は私で生きていく。あなたはあなたで生きていきなさい」という割り
きりが、子育てには必要である。

●Yさん(六〇歳)のケース
(ケースA)
 Yさん(六〇歳)は、小さな雑貨店を経営していた。しかし一五年前に夫が死ぬ前から、家計
は火の車。長男が同居していたが、その長男は体が弱く、ほとんど仕事ができなかった。そこ
でYさんは、隣町に住む二男から、毎月、一定の金額の援助を受けていた。が、このところの
不況で、それもままならなくなってきた。
 そんなある日、二男夫婦が、中国での合弁事業のため、二年半ほど、中国に行くことになっ
た。そのとき、二男夫婦は、貯金通帳や土地の権利書などを、Yさんに預けて中国に旅立っ
た。が、半年後に帰ってみると、通帳からは一〇〇万円単位のお金が引き出され、土地は他
人に転売されていた。そのことを二男がYさんに迫ると、Yさんは、こう言ったという。「親が、先
祖を守るために、子どもの財産を使って、何が悪い」「子どもなら先祖を守るのは当たり前」と。
さらに二男が、「生活費として渡した一〇〇万円はどうした?」と聞くと、「そんなものもらった覚
えはない」と。最後までとぼけたという。二男は、中国へ旅立つ前、Yさんに一〇〇万円を渡し
ていた。

 Yさんの精神構造を、まず考えてみよう。このタイプの人は、独特の価値観をもっている。信
仰といってもよい。こうした独特の価値観をもっている人を相手にするときは、ふつうの論理を
ぶつけても、意味がない。さらにYさんのように、六〇歳にもなると、説得してどうのこうのという
ことは、不可能と考えてよい。傷口に盛りあがったカサブタのように、脳そのものが硬直してい
る。

 で、こうした「先祖信仰」というのは、原始民族が共通してもつ思想で、日本民族とて例外では
ない。あるいはその一環? アイヌ民族、アメリカインディアン、南米のインディオなど、ちょうど
太平洋を取り巻く環太平洋の民族に、その意識が強い? こうした先祖信仰では、「先祖あっ
ての私」と考える。だから私も先祖の僕(しもべ)なら、そのまた子どもは、そのまた僕となる。
「先祖を守るために、子どもの財産を使って、何が悪い」という発想は、そういうところから生ま
れる。が、Yさんのケースでは、もう一つ考えなければならないことがある。それがここでいう
「依存性」である。

●日本人が民族性としてもつ依存性
 今でも、精神的に自立できない親は多い。「今でも」というのは、私の年代より古い世代で
は、親子でもたがいに依存しあうのが、ごく自然な形であった。そのため親は無意識のうちに
も、子どもに恩を着せ、一方、子どもは、親を美化することで、自分の依存性を正当化する。
「私の親はすばらしい人だ(った)」と公然と言う人は、たいていこのタイプの人とみてよい。

先日もテレビを見ていたら、一人のタレント(五五歳)の様子が紹介されていた。その中で、そ
のタレントは、こう言っていた。「私の母はいつも、『上見てキリなし、下見てキリなし』と言ってい
ました。私はその母の言葉を思い出すことで、どんな苦しいときも乗り切ることができました」
と。しかしこの言葉自体は、戦前の国語の教科書に載っていた言葉で、彼の母親が考え出し
たものではない。(彼は、彼の母親が考えた言葉だと思っているようだったが……。)こうした美
化は、とくにマザコンタイプの男性が、好んでよく用いる手法である。つまり美化することで、自
分のマザコン性を正当化する。結婚してからも、妻に、「私がこうであるのは、それだけ母がす
ばらしいからだ」と言う男は珍しくない。

 で、こうした依存性は相互的なもので、どちらか一方が一方に対して、一方的ということは、ま
ず、ない。親自身が依存性が強く、そういう依存性が、子どもが依存性をもつことを容認してし
まうたとえば依存心の強い子どもがいる。よくそういう子どもよく調べてみると、親自身も依存
性が強いのがわかる。このことは、子どもを判断するとき、重要な指針となる。印象に残った事
件にこんなのがあった。

●D君(年中児)のケース
 D君(年中児)という男の子がいた。柔和でやさしい表情をしていたが、ハキがない。で、ある
日のこと。片づけの時間になっても、D君は、いっこうに片づけようとしない。「片づける」という
意味すらわからないようであった。そこで私があれこれ、ジェスチャで片づける様子をしてみ
せ、片づけるように促した。が、そのうちD君はメソメソと泣き出してしまった。多分、家でそうす
れば、みなが助けてくれるのだろう。しかしこういうとき、その涙にだまされてはいけない。そう
いうときは今度は、「泣いてもムダ」ということを教えるしかない。

 しかしその日にかぎって、運の悪いことに(?)、D君の母親が直接、迎えにきていた。母親は
D君の泣き声を聞きつけ、教室へ飛び込んできた。そしてていねいだが、すご味のある声でこ
う言った。「どうしてうちの子を泣かすのですか」と。

 このD君のケースでは、D君がきわめて依存性の強い子どもであることがわかる。自立心の
あるなしでみれば、同年齢の子どもとくらべても、きわめて弱い。そこで私はそれを母親に相談
しようと思ったが、母親の意識そのものがズレている。「どうしてうちの子を泣かすのですか」と
いう言葉が、それを表している。つまり相談どころか、説明のしようがない。間に、どうしようも
ないほど遠い距離を感ずる。長い間、母親に接していると、そういうことが直感的にわかるよう
になる。

 つまりD君の依存心が強いのは、母親側にそれを容認する姿勢がある。つまり母親自身が
依存性の強い人とみる。そしてこの相互作用が、D君をD君のような子どもにした。

●悪玉親意識
 さて先のYさん(六〇歳)に話を戻す。このタイプの人は、「私は親だ」という親意識が強い反
面、その返す刀で、子どもには隷属性を求める。子どもをモノ、さらには財産と考える人もい
る。その親意識が、自分に向かうならまだよい。「私は親だから、親としての責任を果たす」と
いうのがそれ。私はこれを善玉親意識と呼んでいる。しかしその親意識が子どもに向かったと
き、それは親風となる。「親風を吹かす」という言葉の「親風」。私はこれを悪玉親意識と呼んで
いる。

子どもに隷属性を求めるということは、子どもの中に、自分の居場所をつくることを意味する。
つまりそれがここでいう依存性である。だからこのタイプは、無意識のうちにも、子どもに親孝
行を求め、また親の立場で、孝行する子どもを高く評価する。「うちのセガレは、孝行息子でね
え」と。まさにYさんが、そのタイプの女性だった。私にもある日、街で会うと、こう言った。「先
生、息子なんて育てるものじゃないですねえ。息子は嫁に取られてしまいましたよ。親なんて、
さみしいものですわ」と。

●伝播する親子意識
 簡単に「子離れ」というが、その中身は深く、大きい。人によっては、子離れは、そんな簡単な
ことではない。「人によっては」というのは、子離れがじょうずな人は、本当にじょうずに子離れ
していく。しかしできない人はできない。どこにその違いがあるかといえば、結局はその人が生
まれ育った環境による。その人自身が、子離れのじょうずな親に育てられたら、じょうずに子離
れできる。そうでなければそうでない。つまり子離れも、世代伝播(でんぱ)する。

 そこで最後にこういうことが言える。ここであなたの親はどうであったかということを思い起こ
してみてほしい。あなたの親はあなたに対して、じょうずに子離れしたであろうか。もしそうであ
るなら、それでよい。しかしそうでないなら、今度はあなたが子離れで、ギクシャクする可能性
がある。またそういう前提で、あなた自身の子離れを考えてみるとよい。
(02−10−8)※

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子育て随筆byはやし浩司(169)

子育て格言A

●何でも握らせる
 
 人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三〜四%)。原因は、どちらか一方の大
脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生活習慣によって
決まるという生活習慣説などがある。一般的には乳幼児には左利きが多く、三〜四歳までに
決まるとされる。
 
 それはともかくも、幼児を観察してみると、何か新しいものをさしだしたとき、すぐ手でさわりた
がる子どもと、そうでない子どもがいるのがわかる。さわるから知的好奇心が刺激されるの
か、あるいは知的好奇心が旺盛だから、さわりたがるのかはわからないが、概して言えば、さ
わりたがる子どもは、それだけ知的な意味ですぐれている。これについて、こんな話を聞いた。

 先日、タイを旅したときのこと。夜店を見ながら歩いていたら、中国製だったが、石でできた
球を売っていた。二個ずつ箱に入っていた。そこで私が「これは何?」と聞くと、「老人が使う、
ボケ防止の球だ」と。それを手のひらの中で器用にクルクルと回しながら使うのだそうだ。そし
てそれが「ボケ防止になる」と。指先に刺激を与えるということは、脳に刺激を与え、それが知
的な意味でもよい方向に作用するということは前から知られている。

 もしあなたの子どもが乳幼児なら、何でも手の中に握らせるとよい。手のマッサージも効果
的。生活習慣説によれば、左利きも防げる。(左利きが悪いというのではないが……。)そして
「何でもさわってみる」という習慣が、ここにも書いたように好奇心を刺激し、「握る」「遊ぶ」「作
る」「調べる」「こわす」「ハサミなどの道具を使う」という習慣へと発達する。もちろん指先も器用
になる。

(補足)子どもの器用さを調べるためには、紙を指でちぎらせてみるとよい。器用な子どもは、
線にそって、紙をうまくちぎることができる。そうでない子どもは、ちぎることができない。


●難破した人の意見を聞く 

 『航海のしかたは、難破した者の意見を聞け』というのは、イギリスの格言。人の話を聞くとき
も、成功した人の話よりも、失敗した人の意見のほうが、役にたつという意味。子育ても、そう。

 何ごともなく、順調で、「子育てがこんなに楽でよいものか」と思っている親も、実際にはいる。
しかしそういう人の話は、ほとんど参考にならない。それはちょうど、スポーツ選手の健康論
が、あまり役にたたないのに似ている。が、親というのは、そういう人の意見のほうに耳を傾け
る。「何か秘訣を聞きだそう」というわけである。

 私のばあいも、いろいろ振り返ってみると、私の教育論について、血や肉となったのは、幼児
を実際、教えたことがない学者の意見ではなく、現場の先生たちの、何気ない言葉だった。とく
に現場で一〇年、二〇年と、たたきあげた人の意見には、「輝き」がある。そういう輝きは、時
間とともに、「重み」をます。

 ……ということだが、もしあなたの子どもで何か問題が起きたら、やや年齢が上の子どもをも
つ親に相談してみるとよい。たいてい「うちもこんなことがありましたよ」というような話を聞い
て、それで解決する。


●入試は淡々と

 入試は受かることを考えて準備するのではなく、すべることを考えて準備する。とくに幼児の
ばあいは、そうする。

 入試でこわいのは、そのときの合否ではなく、仮に失敗したとき、その失敗が、子どもの心に
大きなキズを残すということ。こんな中学生(中二女子)がいた。「ここ一番」というときになると、
必ず決まって、腰くだけになってしまう。そこで私が「どうして?」と理由を聞くと、こう言った。「ど
うせ私はS小学校の入試で失敗いたもんね」と。その女の子は、もうとっくの昔に忘れてよいは
ずの、小学校の入試で失敗したことを気にしていた。

 こうしたキズ、つまり子ども自らが自分にダメ人間のレッテルを張ってしまうということは、本
来、あってはならないこと。そのためにも、子どもの入試は、すべることを考えて準備する。もっ
とわかりやすく言えば、淡々と迎え、淡々とすます。(もちろん合格すれば、話は別だが……。)

実際、子どもの心にキズをつけるのは、子ども自身ではなく、親である。中には、子どもが受験
に失敗したあと、数日間寝込んでしまった母親がいる。あるいはあまり協力的でなかった夫と、
喧嘩もんかになってしまい、夫婦関係そのものがおかしくなってしまった母親もいる。さらに、長
男が高校受験で失敗したとき、自殺をはかった母親もいる。子どもの受験には、親を狂わせ
る、恐ろしいほどの魔力があるようだ。

 それはさておき、子どもの入試には、つぎのことに注意するとよい。「受験」「受かる」「すべ
る」という言葉は、子どもの前では使わない。「選別される」という意識を子どもにもたせてはい
けない。ある程度の準備はしても、当日は、「遊びに行こう」程度ですます。あとはあるがままの
子どもをみてもらい、それでダメなら、こちらからその学校を蹴飛ばすような気持ちですます。
そういう思いが子どもに伝わったとき、そのときから子どもはその時点から、また、前向きに伸
び始める。


●寝起きのよい子どもは安心

 子ども情緒は、寝起きをみて判断する。毎朝、すがすがしい表情で起きてくるようであれば、
よし。そうでなければ、就眠習慣のどこかに問題がないかをさぐってみる。とくに何らかの心の
問題があると、この寝起きの様子が、極端に乱れることが知られている。たとえば学校恐怖症
による不登校は、その前兆として、この寝起きの様子が乱れる。不自然にぐずる、熟睡できず
眠気がとれない、起きられないなど。

 子どもの睡眠で大切なのは、いわゆる「ベッド・タイム・ゲーム」である。日本では「就眠儀式」
ともいう。子どもには眠りにつく前、毎晩同じことを繰り返すという習慣がある。それをベッド・タ
イム・ゲームという。このベッド・タイム・ゲームのしつけが悪いと、子どもは眠ることに恐怖心を
いだいたりする。まずいのは、子どもをベッドに追いやり、「寝なさい」と言って、無理やり電気
を消してしまうような行為。こういう乱暴な行為が日常化すると、ばあいによっては、情緒そのも
のが不安定になることもある。

 コツは、就寝時刻をしっかりと守り、毎晩同じことを繰り返すようにすること。ぬいぐるみを置
いてあげたり、本を読んであげるのもよい。スキンシップを大切にし、軽く抱いてあげたり、手で
たたいてあげる、歌を歌ってあげるのもよい。時間的に無理なら、カセットに声を録音して聞か
せるという方法もある。

また幼児のばあいは、夕食後から眠るまでの間、興奮性の強い遊びを避ける。できれば刺激
性の強いテレビ番組などは見せない。アニメのように動きの速い番組は、子どもの脳を覚醒さ
せる。そしてそれが子どもの熟睡を妨げる。ちなみに平均的な熟視時間(眠ってから起きるま
で)は、年中児で一〇時間一五分。年長児で一〇時間である。最低でもその睡眠時間は確保
する。

 日本人は、この「睡眠」を、安易に考えやすい。しかし『静かな眠りは、心の安定剤』と覚えて
おく。とくに乳幼児のばあいは、静かに眠って、静かに目覚めるという習慣を大切にする。今、
年中児でも、慢性的な睡眠不足の症状を示す子どもは、二〇〜三〇%はいる。日中、生彩の
ない顔つきで、あくびを繰り返すなど。興奮性と、愚鈍性が交互に現れ、キャッキャッと騒いだ
かと思うと、今度は突然ぼんやりとしてしまうなど。(これに対して昼寝グセのある子どもは、ス
ーッと眠ってしまうので、区別できる。)


●指示は具体的に

 子どもに与える指示は、具体的に。たとえば「先生の話をよく聞くのですよ」「友だちと仲よくす
るのですよ」と子どもに言うのは、親の気休め程度の意味しかない。そういうときは、こう言い
かえる。「幼稚園(学校)から帰ってきたら、先生がどんな話をしたか、あとでママに話してね」
「この○○(小さなプレゼント)を、A君にもっていってあげてね。きっとA君は喜ぶわよ」と。

「交通事故に気をつけるのよ」と言うのもそうだ。具体性がないから、子どもには説得力がな
い。子どもに「気をつけろ」と言っても、子どもは何にどう気をつけたらよいのかわからない。そ
ういうときは今度は、寸劇法をつかう。子どもの前で、簡単な寸劇をしてみせる。私のばあい、
年に一度くらい、子ども(生徒)たちの前で、交通事故の様子をしてみせる。ダンボール箱で車
をつくり、その車にはねられ、もがき苦しむ子どもの様子をしてみせる。コツは決して手を抜か
ないこと。茶化さないこと。子どもによっては、「こわい」と言って泣き出す子どももいるが、それ
でも「子どもの命を守るため」と思い、手を抜かない。

 ほかに、たとえば、「あと片づけをしなさい」と言っても、子どもにはそれがわからない。そうい
うときは、「おもちゃは一つ」と言う。またそれを子どもに守らせる。子どもはつぎのおもちゃで
遊びたいため、前のおもちゃを片づけるようになる。(ただし、日本人ほど、あと片づけにうるさ
い民族はいない。欧米では、「あと始末」にはうるさいが、「あと片づけ」については、ほとんど何
も言わない。念のため。)

 これは私の教室でのことだが、私はつぎのように応用している。

 勉強中フラフラ歩いている子どもには、「パンツにウンチがついているなら歩いていていい」
「オシリにウンチがついているのか? ふいてあげようか?」と言う。

 なかなか手をあげようとしない子どもには、「ママのおっぱいを飲んでいる人は、手をあげなく
ていいよ」と言う。

 こうした言い方をするには、もちろんそれなりの雰囲気が大切である。言い方をまちがえる
と、セクハラ的になる。「それなりの雰囲気」というのは、教師と親の信頼関係と、そうしたユー
モアが理解されるようななごやかな雰囲気をいう。それがないと、とんでもない誤解を招くことが
ある。私もこんな失敗をしたことがある。

 ある日、一人の男の子(小三男児)が、勉強中、フラフラと席を離れて遊んでいた。そこで私
が、「おしりにウンチがついているなら、歩いていていいよ」と声をかけた。ふつうならそこでそ
の男に子はあわてて席につくのだが、そこでハプニングが起きた。横にいた別の男の子が、そ
の立っている男の子のおしりに顔をあてて、こう叫んだ。「先生、本当にこいつのおしり、ウンチ
臭い!」と。

 そのときはそれで終わったが、つまりその言われた子どもも、それなりに笑って終わったが、
その夜、父親から猛烈な抗議の電話が入った。「息子のウンチのことで、息子に恥をかかせる
とは、どういうことだ!」と。

(02−10−9)※
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子育て随筆byはやし浩司(170)

「勉強しろ」とは言うけれど……

 こんなショッキングな調査報告がある。総務省の「社会生活基本調査」でわかった。大学生や
大学院生の、一日の勉強時間は、大学での講義も含めて、たったの二時間五九分(約三時
間!)だというのだ。この時間数は、小学生や中学生、高校生や短大生より少ない!

 総務省の調査によると、つぎのような結果になったという(〇一年一〇月、全国の一〇歳以
上の男女、二〇万人を対象)。

【学校での授業を含めた学習時間】

   一〇歳以上の小学生……4時間41分(4時間40分)
   中学生      ……5時間26分(5時間29分)
   高校生      ……5時間21分(5時間23分)
   短大・高専    ……3時間 5分(3時間 6分)
   大学・大学院生  ……2時間59分(2時間57分)
(かっこ内は、前回九六年の調査結果)

 
 この数字で恐ろしい(?)ところは、「授業時間も含めて」という点にある。仮に大学生が、九
〇分の講義に、二回でれば、それだけで、三時間になる。さらにこれはあくまでも「平均して…
…」という話。一方に五時間勉強する大学生がいれば、一方に一時間しか勉強しない大学生
がいることになる。となると、一体、「大学生とは何か」ということになってしまう。

 そこで大学生に話を聞くと……と、言っても、聞くまでもないし、聞いたこともない。しかし常識
論として、彼らの気持ちは、こうだ。

 「大学に入るまで、さんざん勉強させられた。だから大学に入ったからには、遊ぶ」と。あるい
は本当にこう言った大学生がいた。私が、「親に感謝しているか」と聞いたときのこと。いわく、
「どうして?」と。中には、「親がうるさいから、大学へ入ってやる」と豪語する高校生すらいる。
こういう状況だから、もとから「勉強しよう」という意欲など、起こるはずもない。

 子どもに「勉強しろ」と言うのは親の勝手だが、しかしそう言えば言ったで。責任をとらされる
のは、親。それだけではない。子どもの勉学意欲すら破壊してしまう。何とか「学歴」だけは身
につくが、しかしそれにしても、金がかかる!

ちなみに、親から大学生への支出額は、平均で年、三一九万円。月平均になおすと、約二六・
六万円。毎月の仕送り額が、平均約一二万円。そのうち生活費が六万五〇〇〇円。大学生を
かかえる親の平均年収は一〇〇五万円。自宅外通学のばあい、親の二七%が借金をし、平
均借金額は、一八二万円(九九年、東京地区私立大学教職員組合連合調査)。

 大学へ通う子どもを二人もつと、ほとんどの家の家計はパンクする。
(02−10−9)※

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子育て随筆byはやし浩司(171)

構造的な欠陥

 この浜松市でも、土木建設費は、予算の中でも二〇〜二五%を占める。たいへんな額であ
る。そのため作らなくてもよいような、建物や道路ばかり作っている。それはそれとして、教育
予算のお粗末なことと言ったら、ない。いや、私が言う教育予算というのは、その分、親たちの
負担が大きすぎるということ。

 アメリカでもオーストラリアでも、そしてヨーロッパでも、親のスネをかじって大学へ通っている
学生など、さがさなければいないほど、少ない。たいていは奨学金を得たり、あるいは自分の
責任で借金をしたりして、大学へ通っている。そういうしくみができあがっている。だから、親の
負担も少ないし、一方、大学生にとっては、「自ら学ぶ」という意欲もそこから生まれる。「日本
の大学生は、アルバイトばかりして、あとは遊んでいる」という話を聞いた、アメリカの大学生
は、「信じられない」と笑っていた。なぜそうなのかというところに、日本の教育システムがかか
える、構造的な欠陥がある。

 しかし問題は、だれもこうした欠陥を改めようとしないこと。親たちは、「この時期だけだから」
とあきらめてしまう。仮に運動を起こしても、成果が出るのが五年先、一〇年先ということにな
る。それを知ると、運動をするという熱意も消えてしまう。それに日本人は、明治の昔から、「こ
ういうのが教育」と、徹底的に洗脳されている。だから私は、今、小学生や中学生の子どもをも
つ親に訴えたい。「これでいいのか」と。みんながそれぞれの立場で、「おかしい」と言い出せ
ば、世の中は確実に変わる。私はそういう力を信じている。

 少し政治的な話になったので、この話はここでやめるが、今、行政改革(官僚主導政治の改
革)が、一番必要なのが、実は、教育の世界である。しかしそのためには、まず親たちの意識
が変わらなければならない。「子どもの教育は私たちがするのだ」という意識が、親たちになけ
れば、行政改革など、まさに絵に描いたモチ。今のように、「教育はもちろん、子育てからしつ
け、さらには家庭教育から心の問題までと、何でもかんでも、学校が……」という意識があるか
ぎり、教育改革など進むわけがない。もっとも、私たちはそこまで骨を抜かれているということ
だが……。

 さあて、どうする? これでいいのか、日本!
(02−10−11)※

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子育て随筆byはやし浩司(172)

ユーモアと意識

●全英でグランプリを獲得したユーモア
 世界で、ナンバーワンのグランプリをとった、ユーモアは、つぎのようなものであった(〇二
年・全英ユーモア大賞)。

 二人のハンターが、狩に行った。
 一人が木に登って、落ちて意識を失った。
 そこでもう一人のハンターがみると、
 木から落ちたハンターが、息をしていないのがわかった。
 そこでそのハンターは携帯電話で救急隊に電話した。
 すると救急隊の女性が、
 「死んでいるかどうか確かめてくれ」と言った。
 そこでそのハンターは、銃で倒れた男を撃った。
 そしてこう言った。「確かめました」と。

 このユーモアはテレビの昼のワイドショーでも紹介された(〇二年一〇月)。そしてレポーター
が街で、このユーモアを幾人かの人や大学生にこのユーモアを読んできかせ、「おもしろいで
すか」と聞いた。結果、日本人は、全員、「別におもしろくない」と。が、一方、英語のわかる欧
米人にこのユーモアを読ませると、全員、「おもしろい」と。多分あなたも、このユーモアを読ん
で、「どこが……?」と首をかしげたことと思う。

 この結果をふまえて、ワイドショーの司会者は、「日本人は、欧米人とユーモアのセンスが違
いますね」と、結論づけていた。しかし私は、これほど、日本人の無知をさらけだしたコメントを
知らない。このユーモアには、掛け言葉が隠されている。それを知らないというか、訳に訳しだ
せなかったところが、誤解のもと。

 英文では、「確かめてくれ」という部分が、「make sure」になっている。「メイク・シュア」には、
「確認する」という意味と、もうひとつ、「確かなものにせよ(とどめを刺せ)」という、二つの意味
がある。そこでそのハンターは、銃で撃つことによって、木から落ちたハンターの死を確かなも
のにした。実にハンターらしい「確認のし方、イコール、確かなものにした(とどめを刺した)」と
いうところが、このユーモアの柱になっている。(ハンターは、とどめの一発を撃って、動物の死
を確実なものにすることが多い。)

 数人のコメンテイターも、さかんにクビをかしげていたが、私は「このテレビ局には、英語のわ
かる人はいないのか」と思った。わかればこうした誤解はないはずである。

 もう二〇年ほど前だが、オーストラリアに「トークバック」というラジオ番組があった。その中
で、年間の最優秀賞をとったジョークにこんなのがある。

司会者「あなたは、あなたの今の夫とはじめて会ったとき、何と言いましたか」
女性(五〇歳くらい)「……うむん、……それはむずかしい問題だわね」と。

 これだけの会話が、年間の最優秀賞に選ばれた。その理由があなたには、わかるだろうか。
実はこれも掛け言葉である。その女性は、英語でこう言ったのだ。

 「It's a hard one.」と。その女性は、「それはむずかしい問題だね」という意味で、「イッツ・ア・
ハード・ワン」と言ったのだが、「ハード」には「かたい」という意味がある。それでそれを聞いた
人は、「それ(あなたのペニス)はかたいわね」という意味にとった。まじめそうな女性が、さりげ
なく堂々と言ったところがおもしろい。オーストラリア中の人たちが笑った理由は、そこにある。

●こんなジョークも……
 最近、オーストラリアの友人から、こんなジョークが送られてきた。おもしろいので紹介する。
日本人にもわかるジョークなので、安心して読んでほしい。

 九〇歳の老人が病院へ行くと、ドクターがこう言った。
 「精子の数を検査しますから、明日までに精子をとって、このビンの中に入れてきてください」
と。

 が、その翌日、その老人がカラのビンをもって病院へやってきた。
 そこでそのドクターが「どうしたのですか?」と聞いた。
 すると、その老人はこう言った。

 「いえね、先生……
 右手でやってもだめでした。
 左手でやってもだめでした。
 それでワイフのイーボンに頼んで
 手伝ってもらったのですが、だめでした。
 イーボンが右手でやってもだめでした。
 左手でやってもだめでした。
 そこでイーボンは、入れ歯を全部はずして
 口でやってくれましたが、それでもだめでした。
 しかたないので、隣のメアリーに頼んでやってもらいました」

 ドクターは驚いて、「隣の家のメアリーに!」と聞いた。

 するとその老人は、

 「はい、そうです。メアリーも最初は右手でやってくれましたが、
 だめでした。
 左手でやってくれましたが、それでもだめでした。
 メアリーも口でやってくれましたが、だめでした。
 最後に、足の間にはさんでやってくれましたが、それでもだめでした」と。

 ドクターが目を白黒させて驚いていると、老人はこう言った。

 「でね、先生、どうやっても、このビンのフタをあけることができませんでした。
 イーボンにも、メアリーにもやってもらいましたが、
 フタをあけることができませんでした。
 それで精子をとることができませんでした」と。
(02−10−9)※

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子育て随筆byはやし浩司(173)

悪のドミノ倒し

 このところ浜松市内の交差点の様子が変わってきた。四つ角でも、赤信号に変わってからも
交差点につっこんでくる車がふえた。赤信号になって、一呼吸おいてからつっこんでくる車も、
少なくない。おかげで、横断歩道を渡るのも命がけ。先月は、歩行者用信号が青になったので
渡ろうとして、私が半分ほど渡ったところに、赤信号を無視して飛び出してきた車があった。思
わず「あぶない!」と叫んだが、そういうドライバー(二〇歳代の女性)にかぎって、こちらを見
向きもせず、走り去っていった。

 二〇年前には、こういうことはなかった。ただ地域性があるというか、名古屋市のドライバー
は、マナーが悪いということは、当時から感じていた。しかしこの浜松までそうなるとは! こう
したマナーは、だれか一人が破ると、ちょうどドミノ倒しのように、つぎからつぎへと破られ、あっ
という間に、総倒れになる。これを「悪のドミノ倒し」という。たとえば交差点で、黄色信号になっ
たからと車を止めたりすると、うしろの車が、「早く行け」と、クラクションを鳴らす。あるいはこれ
はワイフが経験したことだが、わざと追突寸前まで、車をこすりつけられたりする。

 こうした「悪のドミノ倒し」は、経済状況が悪化し、社会情勢が不安になると、あちこちで、しか
もあらゆる場面で、起こる。そしてそれがきっかけで、あっという間に、社会秩序は崩壊する。
敗戦直後の日本でも、起きた。あの旧ソ連が崩壊するときも起きた。そして最悪のばあには、
略奪や強奪にまで発展する。店や役所を、焼き討ちするということもある。悪のドミノ倒しを甘く
みてはいけない。

 このドミノ倒しは、いかにその前兆段階でとらえ、そしてその段階で抑えるかが大切。つまり
そのために警察という組織があるが、その警察がこのところアテにならない。決められたこと
を、必要最低限しかしていないという感じ。「法の番人」というよりは、親切でやさしい公務員と
いった感じ。目の前で赤信号になってから飛び出した車を見かけても、見て見ぬフリ。(実際、
そういう場面を見かけたぞ!)正義を守るという気迫が、どこにもない?

 こうしたドミノ倒しは、ここにも書いたように、あらゆる場面で起きる。騒音やゴミ問題。インチ
キやゴマカシなど。もちろん家庭の中でも起きる。家庭が崩壊するときも、同じようにいろいろ
な場面でこの「悪のドミノ倒し」が始まる。電気がつけっぱなしになる。ゴミが散らかったままに
なる。食事の時間が乱れる。たがいに約束が守れなくなるなど。一度こういう状態になると、崩
壊するまでに、それほど時間はかからない。

 私は交差点で、赤信号になってからもつっこんでくる車を見かけるたびに、(今でもどこの交
差点でも、当たり前の光景になってきたが)、「日本も、あぶない段階に入った」とみる。この大
不況の中で、人々の心がどこか殺伐(さつばつ)としてきた。しかしこういう時代に、いかに「自
分」を保ちつづけるか。それで、その人の価値が決まる。私も、実のところ、自信はないが、で
きるだけ自分を保ちたいと思う。これから先、この日本や世界は、たいへんな時代を迎えるだ
ろう。……だろうというより、そうなるという前提で考えたほうがよい。たまたま今日、アイルラン
ドから帰ってきた女性に聞いたが、そのヨーロッパでは、急速に極右勢力が力をもちだし、各
国の政情が不安定になりつつあるという。この極東も、例外ではない。何がどうなるかというこ
とは、ここでのテーマではないので、書かないが、日本の国家経済は、今、完全に破綻(はた
ん)している。日本だけ無事にすむという保証は、もうない。が、ただひとつ、願わくば、子ども
たちの世界だけは、そのワクの外に置きたい。その努力だけは、忘れてはならない。
(02−10−11)※

(教訓)正直に生きるのがバカらしいとか、まじめに生きると損という社会をつくってはいけな
い。しかしこの私も、実のところ、そう感ずることが多くなった。ときどき、自分のまじめさが、バ
カらしく思えることがある。みなさんは、どうですか? (本当の私は、決してまじめ人間ではな
い。必死になって、まじめなフリをしているだけ。あるいはまじめでいようと思っているだけ。)

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子育て随筆byはやし浩司(174) 
 
本当の私

 私はもともと小ズルイ男で、今も、それが自分の中にしっかりと残っている。すべてをあの戦
争の責任にするわけではないが、私が過ごした幼児期というのは、戦後の混乱期。まさにドサ
クサのころで、秩序があるようで、なかった。そういう時代だった。親たちも食べていくだけで精
一杯。家庭教育といっても、その「キョ」の字もなかった。

 その私が一見、まじめそうな顔をして生きているのは、そういう自分を必死になって押し殺し
ているからにほかならない。一度幼児期にできた「自分」を消すことは、私の経験からしても不
可能だと思う。ふと油断をすると、すぐ表面に出てきてしまう。ただ私のばあい、それが「盗み」
とか、「暴力」とか、そういう反社会的な面で出てこないだけ、ラッキーだった。出てくるとするな
ら、「お金」と「女性」についてだ。

 まず、「お金」。たとえば道路でサイフを拾ったりすると、それをどうするかでいまだに、悩んだ
り苦しんだりする。しかしそういう自分がいやだから、つまりあとで、あと味の悪い思いをするの
がいやだから、何も考えず、交番に届けたり、近くの店に届けたりしている。自分の行動パター
ンを決めて、それに従っている。

 つぎに「女性」。私の青春時代は、まさに「女に飢えた時代」だった。高校生のときも、デートを
しただけで先生に叱られた。そうした欲求不満が、私の女性観をゆがめた。イギリスの格言に
も、『抑圧は悪魔をつくる』というのがあるが、まあ、それに似た状態になった。結婚前は、女性
を「おもちゃ」ぐらいにしか考えていなかった。女性の気持ちなどまったく無視。セックスの対象
でしかなかった。が、ある事件を契機に、そういう「女遊び」をまったくやめたが、今でも、そうい
う思いはたしかに残っている。ふと油断すると、女性が「おもちゃ」に見えるときがある。(しかし
これは本能によるものなのか、自分の意識によるものなのかは、よくわからない。たとえば男と
いうのは、射精する前と、射精したあとでは、女性に対する関心が、一八〇度変わる。射精す
る前には、ワイフでもたしかにおもちゃに見える。しかし射精すると、その思いは完全に消え
る。なぜか?)

 話を戻す。こうした小ズルさがあるから、反対に、他人の小ズルさが、よくわかる。相手が、
自分でもしそうなことをすると、それがすぐわかる。先手をとったり、それから身を守ったりす
る。そういう意味では役にたっている。が、それがよいのか悪いのか? 人を疑うのは、あまり
気持ちのよいものではない。しかしこういうことは言える。私のワイフは、同じ団塊の世代だ
が、人を疑うことを知らない。純朴と言えば聞こえはよいが、実際には無知。そのため今まで
悪徳商法の餌食(えじき)にされかかったことが、何度となくある。おかしな料理器具や、アワ風
呂発生器や、あやしげな生協活動や、はたまた新興宗教などなど。私が「やめろ」と言わなけ
れば、今ごろはかなりの損をしていたと思う。

 そんなわけで私が今、一番恐れているのは、やがて気力が弱くなり、自分の本性がそのまま
モロに外に出てくること。そうなったとき、私は実に醜い人間性をさらけ出すことになる。すでに
今、その兆候が現れ始めている?
 
 そこで私は今、つぎのことに心がけている。どんなささいなルールも守る。ワイフが、「そんな
こといいのに……」とあきれるときもあるが、とにかく守る。そのルールが正しいとか正しくない
とか、そういうことは判断しない。一応社会のルールになっているときは、それを守る。

 あるいはどんな少額でも、お金はごまかさない。レジなどで相手がまちがえたときは、おつり
が多くても少なくても、(少ないときは当然だが……)、即、申告する。お金は借りない。貸さな
い。もちろん交通ルールは守る。黄色になったら、どんなばあいでも、止まる。自転車に乗って
いても、それは守る。そういうことを自然にしている人から見れば、「そんなこと当然のことでは
ないか」と笑われるかもしれないが、私はそうしている。そうしながら、つまり、自分の行動パタ
ーンを、できるだけわかりやすくしながら、自分の邪悪な部分を目覚めさせないようにしてい
る。
(02−10−11)※

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子育て随筆byはやし浩司(175)



満五五歳になるについて

 私はもうすぐ満五五歳になる。年齢などというのは、ただの数字だから、それにこだわらねば
ならない理由など、ない。はっきり言って、どうでもよい。しかし無視するわけにはいかない。人
間が社会的動物であるなら、その社会には、そのつど無数の尺度がある。年齢は、その第一
の尺度ということになる。

 私がN氏にはじめて会ったのは、N氏が五五歳になる少し前だった。雪の降り積もった昼の
ことで、すれ違いざま、「このあたりに下宿はありませんか」と聞いたのが、きっかけだった。そ
のとき私は金沢大学の学生で、下宿をさがしていた。そのあと、私はN氏には、N氏がなくなる
まで、ずっと何かにつけて世話になった。今、自分がその五五歳になるとき、どういうわけだ
か、N氏の名前と、顔が一番最初に頭の中に浮かんだ。

 つぎに隣人のR氏のことが頭に浮かんだ。私が今住んでいる場所に引っ越してくるとまもな
く、R氏も引っ越してきた。そのときR氏が、「満五五歳です」と言ったのを、はっきりと覚えてい
る。R氏は、旧国鉄を退職する直前だった。「もうすぐ定年退職でね」と言った言葉もよく覚えて
いる。

 ほかにもあるが、昔は、満五五歳というのは、定年退職の年で、その年齢には特別の意味
があった。中学のときの先生も、高校のときの先生も、みんな満五五歳で退職していった。そう
いう人たちを頭の中に思い浮かべながら、「ああ、私もその五五歳か」と思う。「早い」というよ
り、不思議なことに、私には、自分が満五五歳であるという実感がほとんど、ない。少なくとも私
には定年というものがないし、いわんや退職ということもない。しかし、私は五五歳!

 その五五歳になって、私は今、あがいているのか? 何かができそうで、結局は何もできな
かった。何かをするにも、もう年齢制限は超えている。これから先、今まで以上に何かをできる
ということは、ありえない。しかしまだ何かができそうな気がする。何かをしなければならないよ
うな気もする。が、一方では、心のどこかでは、こんな声も聞こえる。「あきらめろ。あがいても
ムダだ」と。しかし私は自分を止めることができない。行くしかない。前に進むしかない。

 その五五歳になっても、私のまわりには、わからないことだらけ。ときどき講演などで演壇に
立ったとたん、「どうしてこの私がこんなところに立っているのだろう」と思うときがある。何もわ
かっていない私が、さもしたり顔で、みなの前に立つ。何かを教えてもらいたいのは、むしろ私
のほうなのだ。が、そこで壇をおりるわけにはいかない。そういうときは、「ええい、なるようにな
れ!」と心の中で叫びながら、ものをしゃべり始める。つまりそれがそのまま今の私の心境とい
うことになる。私は「ええい、なるようになれ!」と、生きている。

 さて、これから先、私はどのように自分の人生を組み立てたらよいのか。計画はあるのか、
ないのか。目標はあるのか、ないのか。そんなことを自分に問いかけていると、結局は自分が
無限ループの輪の中に入ってしまうのがわかる。つまり堂々巡り。同じことを考えて、また同じ
結論に達してしまう。そしてそれは恐ろしいことだが、「計画はない。目標もない。ただこのまま
死ぬまでがんばるしかないだろうな」と。

 で、タイトルを「満五五歳になるについて」としたので、何か気のきいたことを書きたいのだ
が、それがまったく書けない。昨日は昨日。今日は今日。明日は明日。やはり満五五歳などと
いっても、それは私とは関係のないただの数字でしかない。だから何か特別のことを書けと言
われても、何も書けない。今日は今日で、明日は明日で、私は私なりに懸命に生きていくしか
ない。年齢や日にちに関係なく、だ。

 ただこういうことは思う。N氏にしても、R氏にしても、そして私が知っている先生たちにして
も、そのあと静かに余生を送り、そのほとんどは、もうこの世にいない。「私もあっという間にそ
うなるだろうな」という思いだけは、どうしてもぬぐい去ることができない。だからその分、「急が
ねば」という思いだけは、今、やたらと強い。
(02−10−11)※

(追記)多分、ほとんどの読者の方は、私より若いと思う。だからいつか、あなたも満五五歳に
なったら、この文を読み返してみてほしい。あるいはあなたが満五五歳になったとき、どのよう
に考えるようになるか、それを今から想像してみるのもよいかもしれない。私と同じように考え
るだろうか。それとも違うだろうか。それは私にもわからないが、しかし少しだけ未来に自分の
時間を置き、「そのときになったら、自分はどうなるのだろう」と想像することはムダではない。
そうすることで、あなたはあなたの人生を、仮に私を通してでもよいが、二度生きることができ
るようになるのではと思う。

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子育て随筆byはやし浩司(176)

持病との闘い

 私には、二つの持病があった。ひとつは花粉症。もうひとつは偏頭痛。しかし今は、この二つ
を克服した。が、それには長い物語がある。

 まず、花粉症。私が最初に花粉症による症状を自覚したのは、浜松に移り住むようになって
からしばらくのことだった。私が二四歳くらいのことではなかったか。春先になって、ひどい鼻水
とくしゃみが出た。その前に喘息に似た症状も出た。しかしそのときは花粉症という言葉もまだ
一般的ではなく、私は風邪と思い、風邪薬ばかりのんでいた。

 が、年々症状はひどくなった。やがて花粉症という言葉が耳に届くようになり、私は毎年、春
先になると、その花粉症に苦しむようになった。その苦しさは、花粉症になったものでないとわ
からないだろう。杉の木のない沖縄へ移住しようかと本気で考えたこともある。

 もうひとつは偏頭痛。これは三〇歳をすぎるころから現れた。が、それも最初は偏頭痛とは
わからなかった。大病院でも、「脳腫瘍」と誤診されるような時代だった。私はそのころ、年数
回、大発作に襲われ、そのたびにふとんの上で、四転八転の激痛に苦しんだ。「頭を切ってく
れ」と叫んだこともある。

 春が近づくと、私は毎年、ゆううつになった。たいてい二月の下旬からそれは始まり、五月の
連休になって、暖かい南風が吹くまで、つづいた。毎晩巨大なマスクをして眠ったが、それでも
あまり効果はなかった。睡眠不足と不快感で、顔中まっかにはらしながら、それでも何とか、そ
の時期をしのいだ。そして花粉の季節が終わると、「終わった!」と、毎年とびあがって、それ
を喜んだ。

 偏頭痛はやがて、強力な薬が開発されて、それをのめば、ウソのように症状は消えるように
なった。しかし副作用というか、そのため胃がやられ、そのあと、ゲーゲーとものを吐くこともあ
った。で、ドクターに相談すると、効力の弱い薬にかえてくれ、ついでに胃の薬ものむようにと指
導された。しかしその偏頭痛は、四〇歳を過ぎるころまでつづいた。

 花粉症がなおったわけは、一度、浴びるようにその花粉をかぶったことがある。どうしても山
の中で作業しなければならないようなできごとがあり、それでそうした。結果、多分、体のほうが
あきらめたのだと思う。それ以後は、毎年、その季節のはじめに少し症状が出るだけで、それ
以後は症状は出なくなった。人に言わせると、「ショック療法」というのだそうだ。本当にそういう
療法があるのかどうかは知らないが……。

 偏頭痛のほうは、今でも油断すると、出てくるときがある。しかしこちらとは、共存関係という
か、じょうずにつきあうことで対処している。このところは、その前ぶれ症状がわかるようになっ
た。どこか頭が重くなってきたら、要注意。「あぶないぞ」と自分に言い聞かせて、回避するよう
にしている。そういう技術も身につけた。だから大きな発作はないが、しかしそれでもときどき、
偏頭痛は起きる。たとえばチョコレートがダメ。おかしなことだが、チョコレートを一、二個食べ
ると、偏頭痛が起きる。だからこの一〇年、チョコレートは、ほとんど食べていない。いや、食べ
ては、そのあと偏頭痛にみまわれ、後悔している。

 だれしも、ひとつやふたつ、持病があるもの。そういう持病とうまくつきあうのも、健康法のひ
とつかもしれない。
(02−10−12)※

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子育て随筆byはやし浩司(177)

子育て格言B

●成熟した社会

 年長児でみても、上位一〇%の子どもと、下位一〇%の子どもとでは、約一年近い能力の差
がある。さらに四月生まれの子どもと、三月生まれの子どもとでは、約一年近い能力の差があ
る。そんなわけで、同じ年長児といっても、ばあいによっては、約二年近い能力の差が生まれ
ることがある……ということだが、さてさて?

 しかし日本の教育の大義名分は、「平等教育」。親もこの時期、子どもの能力には、過剰なま
でに反応する。ほんのわずかでも自分の子どもの遅れを感じたりすると、それだけで大騒ぎす
る。以前、こんなことがあった。ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう
怒鳴った。

 「先生は、できる子とできない子を差別しているというではありませんか。できる子だけ集め
て、別の問題をさせたそうですね。どうしてうちの子は、その仲間に入れてもらえないのです
か」と。私が何かの調査をしたのを、その母親は誤解したらしい。そこでその内容を説明したの
だが、最後までその母親には、私の目的を理解してもらえなかった。が、私はそのとき、ふとこ
う考えた。「どうして、それが悪いことなのか」と。

 仮に私ができる子だけを集めて、何か別のことをしたところで、それは当然のことではない
か。日本の教育は平等といいながら、頂上には東大があり、その下に六〇〇以上もの大学が
ひしめきあっている。それこそピンからキリまである。高校にも中学にも序列がある。もともとで
きる子と、できない子を、同じように教えろというほうが無理なのだ。……と思ったが、やはりこ
の考え方はまちがっていた。

 できる子はできない子を知り、できない子はできる子を知り、それぞれがそれぞれを認めあ
い、助けあうことこそ大切なのだ。そういう社会を成熟した社会という。「力のあるものがいい生
活をするのは当然だ」「力のないものは、それなりの生活をすればいい」というのは、一見正論
に見えるが、正論ではない。暴論以外の何ものでもない。たとえあなたの子どもが、今はでき
がよくても、その孫はどうなのか。さらにそのひ孫はどうなのか……ということを考えていくと、
自ずとその理由はわかるはず。

 その社会が成熟した社会かどうかは、どこまで弱者にやさしい社会かで決まる。経済活動に
は競争はつきものだが、しかし強者が弱者をふみにじるようになったら、その社会はおしまい。
そういう社会だけは作ってはいけない。そのためにも、私たちは子どもを、能力によって、差別
してはいけない。そしてそのためにも、できる子とできない子を分けてはいけない。子どもたち
を温かい環境で包んであげることによって、子どもたちは、そこで思いやりや同情、やさしさや
協調性を学ぶ。それこそが教育であって、知識や知恵というのは、あくまでもその副産物に過
ぎない。

 日本では「受験」、つまり人間選別が教育の柱になっている。こうした非人間的なことを、組織
的に、しかも堂々としながら、それをみじんも恥じない。そこに日本の教育の最大の欠陥が隠
されている。冒頭に、私は「上位一〇%」とか、「下位一〇%」とか書いたが、こうした考え方そ
のものが、まちがっている。私はそのまちがいを、その母親に教えられた。


●のどは心のバロメーター
  
 大声を出す。大声で笑う。大声で言いたいことを言う。大声で歌う。大声で騒ぐ。何でもないよ
うなことだが、今、それができない子どもがふえている。年中児(満五歳児)で、約二〇%はい
る。

 この「大声で……」というのは、幼児教育においては、たいへん大切なテーマである。この時
期、大声を出させるだけで、軽い情緒障害くらいなら、なおってしまう。(「治る」という言い方
は、教育の世界ではタブーなので、あえてここでは、「なおる」とする。)私も幼児を教えて三〇
年以上になるが、この「大声で……」を大切にしている。言いかえると、「大声で……」ができる
子どもに、心のゆがんだ子どもは、まずいない。そういう意味で、私は、『のどは、心のバロメー
ター』という格言を考えた。

 が、反対に「大声で……」ができない子どもがいる。笑うときも、顔をそむけて苦しそうにクッ
クッと笑うなど。「大声を出してくれたら、それほど気が楽になるだろう」と思うのだが、大声で笑
わない。原因は、母親にあるとみてよい。威圧的な過干渉や過関心、神経質な子育て、暴力、
暴言が日常化すると、子どもの心は内閉する。ひどいばあいには、萎縮する。意味のないこと
をボソボソと言いつづけるなど。が、そういう子どもの親にかぎって、自分のことがわからない。
「うちの子は生まれつきそうです」とか言う。中には、かえってそういう静かな(?)子どもを、で
きのよい子と思い込んでいるケースもある。こうした誤解が、ますます教育をむずかしくする。

 ともかくもあなたの子どもが、「大声で……」を日常的にしているなら、あなたの子どもは、そ
れだけですばらしい子どもということになる。


●のびたバネは、必ず縮む
 
 無理をすれば、子どもはある程度は、伸びる(?)。しかしそのあと、必ず縮む。とくに勉強は
そうで、親がガンガン指導すれば、それなりの効果はある。しかし決してそれは長つづきしな
い。やがて伸び悩み、停滞し、そしてそのあと、今度はかえって以前よりできなくなってしまう。
これを私は「教育のリバウンド」と呼んでいる。

 K君(中一)という男の子がいた。この静岡県では、高校入試が、人間選別の関門になってい
る。そのため中学二年から三年にかけて、子どもの受験勉強はもっともはげしくなる。実際に
は、親の教育の関心度は、そのころピークに達する。

 そのK君は、進学塾へ週三回通うほか、個人の家庭教師に週一回、勉強をみてもらってい
た。が、母親はそれでは足りないと、私にもう一日みてほしいと相談をもちかけてきた。私はと
りあえず三か月だけ様子をみると言った。が、そのK君、おだやかでやさしい表情はしていた
が、まるでハキがない。私のところへきても、私が指示するまで、それこそ教科書すら自分では
開こうとしない。明らかに過負担が、K君のやる気を奪っていた。このままの状態がつづけば、
何とかそれなりの高校には入るのだろうが、しかしやがてバーントアウト(燃え尽き)。へたをす
れば、もっと深刻な心の問題をかかえるようになるかもしれない。

 が、こういうケースでは、親にそれを言うべきかどうかで迷う。親のほうから質問でもあれば
別だが、私のほうからは言うべきではない。親に与える衝撃は、はかり知れない。それに私の
ほうにも、「もしまちがっていたら」という迷いもある。だから私のほうでは、「指導する」というよ
りは、「息を抜かせる」という教え方になってしまった。雑談をしたり、趣味の話をしたりするな
ど。で、約束の三か月が終わろうとしたときのこと。今度は父親と母親がやってきた。そしてこう
言った。「うちの子は、何としてもS高校(静岡県でもナンバーワンの進学高校)に入ってもらわ
ねば困る。どうしても入れてほしい。だからこのままめんどうをみてほしい」と。

 これには驚いた。すでに一学期、二学期と、成績が出ていた。結果は、クラスでも中位。その
成績でS高校というのは、奇跡でも起きないかぎり無理。その前にK君はバーントアウトしてし
まうかもしれない。「あとで返事をします」とその場は逃げたが、親の希望が高すぎるときは、受
験指導など、引き受けてはならない。とくに子どもの実力がわかっていない親のばあいは、な
おさらである。

 親というのは、皮肉なものだ。どんな親でも、自分で失敗するまで、自分が失敗するなどとは
思ってもいない。「まさか……」「うちの子にかぎって……」と、その前兆症状すら見落としてしま
う。そして失敗して、はじめてそれが失敗だったと気づく。が、この段階で失敗と気づいたからと
いって、それで問題が解決するわけではない。その下には、さらに大きな谷底が隠れている。
それに気づかない。だからあれこれ無理をするうち、今度はそのつぎの谷底へと落ちていく。K
君はその一歩、手前にいた。

 数日後、私はFAXで、断りの手紙を送った。私では指導できないというようなことを書いた。
が、その直後、父親から、猛烈な抗議の電話が入った。父親は電話口でこう怒鳴った。「あん
たはうちの子には、S高校は無理だと言うのか! 無理なら無理とはっきり言ったらどうだ。失
敬ではないか! いいか、私はちゃんと息子をS高校へ入れてみせる。覚えておけ!」と。

 ついでに言うと、子どもの受験指導には、こうした修羅場はつきもの。教育といいながら、教
育的な要素はどこにもない。こういう教育的でないものを、教育と思い込んでいるところに、日
本の教育の悲劇がある。それはともかくも、三〇年以上もこの世界で生きていると、そのあと
家庭がどうなり、親子関係がどうなり、さらに子ども自身がどうなるか、手に取るようにわかるよ
うになる。が、この事件は、そのあと、意外な結末を迎えた。私も予想さえしていなかったことが
起きた。それから数か月後、父親が脳内出血で倒れ、死んでしまったのだ。こういう言い方は
不謹慎になるかもしれないが、私は「なるほどなあ……」と思ってしまった。

 子どもの勉強をみていて、「うちの子はやればできる」と思ったら、「やってここまで」と思いな
おす。(やる・やらない)も力のうち。そして子どもの力から一歩退いたところで、子どもを励ま
し、「よくがんばっているよ」と子どもを支える。そういう姿勢が、子どもを最大限、伸ばす。たと
えば日本で「がんばれ」と言いそうなとき、英語では、「テイク・イッツ・イージィ」(気を楽にしなさ
い)と言う。そういう姿勢が子どもを伸ばす。

ともかくも、のびたバネは、遅かれ早かれ、必ず縮む。それだけのことかもしれない。


●谷底の下の谷底

 子どもの成績がさがったりすると、たいていの親は、「さがった」ことだけをみて、そこを問題
にする。その谷底が、最後の谷底と思う。しかし実際には、その谷底の下には、さらに別の谷
底がある。そしてその下には、さらに別の谷底がある。こわいのは、子育ての悪循環。一度そ
の悪循環の輪の中に入ると、「まだ以前のほうがよかった」ということを繰り返しながら、つぎつ
ぎと谷底へ落ち、最後はそれこそ奈落の底へと落ちていく。

 ひとつの典型的なケースを考えてみる。

 わりとできのよい子どもがいる。学校でも先生の評価は高い。家でも、よい子といったふう。
問題はない。成績も悪くないし、宿題もきちんとしている。が、受験が近づいてきた。そこで親
は進学塾へ入れ、あれこれ指導を始めた。

 最初のころは、子どももその期待にこたえ、そこそこの成果を示す。親はそれに気をよくし
て、ますます子どもに勉強を強いるようになる。「うちの子はやればできるはず」という、信仰に
近い期待が、親を狂わす。が、あるところまでくると、限界へくる。が、このころになると、親の
ほうが自分でブレーキをかけることができない。何とかB中学へ入れそうだとわかると、「せめ
てA中学へ。あわよくばS中学へ」と思う。しかしこうした無理が、子どものリズムを狂わす。

 そのリズムが崩れると、子どもにしても勉強が手につかなくなる。いわゆる「空回り」が始ま
る。フリ勉(いかにも勉強していますというフリだけがうまくなる)、ダラ勉(ダラダラと時間ばかり
つぶす)、ムダ勉(やらなくてもよいような勉強ばかりする)、時間ツブシ(たった数問を、一時間
かけてする。マンガを隠れて読む)などがうまくなる。一度、こういう症状を示したら、親は子ど
もの指導から手を引いたほうがよいが、親にはそれがわからない。子どもを叱ったり、説教し
たりする。が、それが子どもをつぎの谷底へつき落とす。

 子どもは慢性的な抑うつ感から、神経症によるいろいろな症状を示す。腹痛、頭痛、脚痛、
朝寝坊などなど。神経症には定型がない※。が、親はそれを「気のせい」「わがまま」と決めつ
けてしまう。あるいは「この時期だけの一過性のもの」と誤解する。「受験さえ終われば、すべて
解決する」と。

 子どもはときには涙をこぼしながら、親に従う。選別されるという恐怖もある。将来に対する
不安もある。そうした思いが、子どもの心をますますふさぐ。そしてその抑うつ感が頂点に達し
たとき、それはある日突然やってくるが、それが爆発する。不登校だけではない。バーントアウ
ト、家庭内暴力、非行などなど。親は「このままでは進学競争に遅れてしまう」と嘆くが、その程
度ですめばまだよいほうだ。その下にある谷底、さらにその下にある谷底を知らない。

 今、成人になってから、精神を病む子どもは、たいへん多い。一説によると、二〇人に一人と
も、あるいはそれ以上とも言われている。回避性障害(人に会うのを避ける)や摂食障害(過食
症や拒食症)などになる子どもも含めると、もっと多い。子どもがそうなる原因の第一は、家庭
にある。が、親というのは身勝手なもの。この段階になっても、自分に原因があると認める親
はまず、いない。「中学時代のいじめが原因だ」「先生の指導が悪かった」などと、自分以外に
原因を求め、その責任を追及する。もちろんそういうケースもないわけではないが、しかし仮に
そうではあっても、もし家庭が「心を休め、心をいやし、たがいに慰めあう」という機能を果たし
ているなら、ほとんどの問題は、深刻な結果を招く前に、その家庭の中で解決するはずであ
る。

 大切なことは、谷底という崖っぷちで、必死で身を支えている子どもを、つぎの谷底へ落とさ
ないこと。子育てをしていて、こうした悪循環を心のどこかで感じたら、「今の状態をより悪くしな
いことだけ」を考えて、一年単位で様子をみる。あせって何かをすればするほど、逆効果。(だ
から悪循環というが……。)『親のあせり、百害あって一利なし』と覚えておくとよい。つぎの谷
底へ落とさないことだけを考えて、対処する。
(02−10−13)※

※(参考)以前書いた原稿を、添付しておきます。(中日新聞で発表済み)
  子どもの心が燃え尽きるとき   

●「助けてほしい」   
 ある夜遅く、突然、電話がかかってきた。受話器を取ると、相手の母親はこう言った。「先生、
助けてほしい。うちの息子(高二)が、勉強しなくなってしまった。家庭教師でも何でもいいから、
してほしい」と。浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラ
ス中、二〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。
一クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この数を多
いとみるか、少ないとみるか?

●燃え尽きる子ども
 原因の第一は、家庭教育の失敗。「勉強しろ、勉強しろ」と追いたてられた子どもが、やっと
のことで目的を果たしたとたん、燃え尽きることが多い。気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減
退、朝起きられない、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、
強い虚脱感と疲労感を訴えるようになる。概してまじめで、従順な子どもほど、そうなりやすい。
で、一度そうなると、その症状は数年単位で推移する。脳の機能そのものが変調する。ほとん
どの親は、ことの深刻さに気づかない。気づかないまま、次の無理をする。これが悪循環とな
って、症状はさらに悪化する。その母親は、「このままではうちの子は、大学へ進学できなくな
ってしまう」と泣き崩れていたが、その程度ですめば、まだよいほうだ。

●原因は家庭、そして親
 親の過関心と過干渉がその背景にあるが、さらにその原因はと言えば、親自身の不安神経
症などがある。親が自分で不安になるのは、親の勝手だが、その不安をそのまま子どもにぶ
つけてしまう。「今、勉強しなければ、うちの子はダメになってしまう!」と。そして子どもに対し
て、しすぎるほどしてしまう。ある母親は、毎晩、子ども(中三男子)に、つきっきりで勉強を教え
た。いや、教えるというよりは、ガミガミ、キリキリと、子どもを叱り続けた。子どもは子どもで、
高校へ行けなくなるという恐怖から、それに従った。が、それにも限界がある。言われたことは
したが、効果はゼロ。だから母親は、ますますあせった。あとでその母親は、こう述懐する。
「無理をしているという思いはありました。が、すべて子どものためだと信じ、目的の高校へ入
れば、それで万事解決すると思っていました。子どもも私に感謝してくれると思っていました」
と。

●休養を大切に
 教育は失敗してみて、はじめて失敗だったと気づく。その前の段階で、私のような立場の者
が、あれこれとアドバイスをしてもムダ。中には、「他人の子どものことだから、何とでも言えま
すよ」と、怒ってしまった親もいる。私が、「進学はあきらめたほうがよい」と言ったときのこと
だ。そして無理に無理を重ねる。が、さらに親というのは、身勝手なものだ。子どもがそういう
状態になっても、たいていの親は自分の非を認めない。「先生の指導が悪い」とか、「学校が合
っていない」とか言いだす。「わかっていたら、どうしてもっとしっかりと、アドバイスしてくれなか
ったのだ」と、私に食ってかかってきた父親もいた。

 一度こうした症状を示したら、休息と休養に心がける。「高校ぐらい出ておかないと」式の脅し
や、「がんばればできる」式の励ましは禁物。今よりも症状を悪化させないことだけを考えなが
ら、一にがまん、二にがまん。あとは静かに「子どものやる気」が回復するのを待つ。
 
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子育て随筆byはやし浩司(178)

秋の宵に……

●コピー脳
 いつか人間の脳を、そっくりそのままコピーできる時代がやってくる。時間の問題と言っても
よい。たとえば人間の脳には、生まれたときから、約一〇〇万個の神経細胞がある。ふえるこ
とはないという。が、成長とともに、大脳皮質が厚くなるのは、個々の神経細胞が大きくなり、そ
れにともなう「シナプス(配線)」が、より成長し複雑になることによる。たとえば一個の神経細胞
には、それぞれ、約一〇万個のシナプスがある。そこで一〇〇万掛ける、一〇万で、約一〇の
一五乗のシナプスがあることになる。つまり一〇〇〇兆個のシナプスがあることになる。この数
は、DNAの遺伝子情報の、一〇の九乗〜一〇乗よりも多いことになる。

このシナプス一個ずつを、それぞれ一バイトのメモリーに置きかえると、人間の脳をコピーする
には、一〇〇〇兆バイトのコンピュータがあればよいということになる。最近のパソコンでも、メ
モリーだけでも、一〇億バイト(一GB)の性能をもったのは、珍しくない。つまり一〇〇万台の
パソコンをつなげれば、人間の脳をコピーできることになる。(一〇〇万台!、と驚いてはいけ
ない。ここ二五年だけでも、パソコンの性能は、約一万倍に飛躍した。この速さでいくと、あと二
〇年もすれば、一〇兆バイト、一〇〇兆バイトのパソコンが現れても不思議はない。)

 数字ばかりでわかりにくくなったが、そこで人間の脳をそっくりそのままコピーできたとしよう。
話はここから始まる。つまりそのコピーされた脳、これを「コピー脳」と呼ぶが、そのコピー脳
は、だれかという問題が、まず起きてくる。仮にあなたの脳をすべてコピーして、小さなマッチ箱
大の入れ物に収めたとする。そのコピー脳はだれか。もちろんあなたは、「これは私ではない」
と言う。しかし……。

 そのコピー脳に、カメラとマイクと、スピーカーをとりつけたとする。するとそのコピー脳は、一
個の意思をもった「あなた」として、話し始めるにちがいない。ただし人間とそのまま会話できる
とはかぎらない。コピー脳の頭の回転はやたらと速い。それこそフェムト秒(一〇〇〇兆分の
一秒)単位で動作する。私たちにとって一秒は、コピー脳にとっては、約三〇〇〇万年分の時
間に相当する。コピー脳が話しかけてきても、何を話しているかわからないだろう。そこでコピ
ー脳の性能をわざと落す。わかりやすく言えば、人工的に、バカにする。そして人間との会話を
可能にする。

あなた「あなたはだれ?」
コピー脳「私は○○よ」
あなた「私が○○よ」
コピー脳「私も○○よ」と。

 それは実におかしな会話になるに違いない。あなたはちょうど自問自答するように、外のあな
たに向かって会話をする。コピー脳といっても、記憶も、考え方も、意思も、感情も、そして情緒
的な不安定さも、精神的な欠陥も、すべてそっくりそのままあなたなのだ。隠しごとなど、できる
わけがない。

●私を殺さないで……
 ……と考えると、ここでひとつの大きな問題にぶつかる。「命とは何か」という問題である。仮
にコピー脳の電源を切ろうとすると、きっとコピー脳はこう言うにちがいない。「おやすみなさい」
と。もっともコピー脳にしてみれば、電源を切られても、一向に構わない。切られてから、再度
電源を入れられるまでの間の時間は、時間であって時間でない。仮に一年間切られたままで
あっても、コピー脳にとっては、その「切られた」という自覚そのものがない。電源を入れられた
瞬間に、人間がまばたきをするように、過去とつながる。

 が、もしコピー脳を消去するとなると、ことは簡単ではない。きっとそのコピー脳は、こう叫ぶ
に違いない。「お願いだから、私を殺さないで」と。つまり「消去」は、コピー脳にとっては、死を
意味する。ちょうどあなたが死に対して抵抗するように、コピー脳も消去されることに抵抗する
だろう。もしロボットのような体をもっていたら、消去する人に向かって、攻撃的な姿勢を見せる
かもしれない。

 となると、コピー脳は、命をもっているかどうかということになる。もっているとしたら、コピー脳
は、その命をだれからもらったか、ということになる。人間のばあいは、命は前世から伝えら
れ、来世へとうけつがれると、まあ、そういうふうに説明する人もいるが、コピー脳では、そうい
う論理は通らない。「神がつくった」とも言えない。コピー脳は命なのか、命でないのか?

(この間、三〇分くらい時間がすぎた。たまたま秋の心地よい風が身をつつみ、私は遠くに虫
の声を聞きながら、ぼんやりとこの問題を考えていた。)

●コピー脳はあなたか?
 コピー脳はコピーされた瞬間から、あなたであってあなたではない。しかしあなた以外の人か
ら見れば、あなたなのだ。ところで昔、二男がこんな話をしてくれた。多分、だれかの話の受け
売りだろうが、こういうことだ。

 映画『スタートレック』の中に、よく転送シーンというのが出てくる。丸い台の上にのり、スイッ
チを入れると、シャワーのような光が現れ、そのままその台の上の人が、別の場所に転送され
るという、あれである。あの原理は、(多分)、人間を一度分子レベルまで分解し、それを何ら
かの方法で別の場所に移送し、そこで再び組み立てるというものらしい。それについて二男
は、「パパ、あれはね、一度人間を殺して、また別のところで、生きかえらせているのだよ。つ
まり転送前の人間と、転送後の人間は、外の人から見ればまったく同じ人間だけど、実際には
まったく別の人間だよ」と。

 わかりやすく言えば、「転送」とい技術(?)は、瞬時にあなたのコピー人間をつくると同時に、
あなたを消しているということになる。

 二男の説が正しいとするなら、二度転送すれば、コピー人間の、そのまたコピー人間が生ま
れたということになる。もう一度転送すれば、さらにそのまたコピー人間が生まれたということに
なる。まったく同じコピー人間だから、外の人には、それがわからない。会話をしても、連続した
同じ人間として、ごくふつうに会話ができる。

●子どもは、あなたのコピー?
 ……と考えて、ここで私は重大な事実に気づいた。つまり子どもをつくるということは、自分の
コピーをつくることではないか、と。(本当のところ、今気づいたのではなく、以前からそう思って
いた。それを言いたくて、少し回りくどい言い方をした。)

 たとえばあなたが妻と(あるいは夫と)性交して、その結果、子どもが生まれたとする。その子
どもは、当然のことながら、あなたの妻(あるいは夫)との合作である。まったくのコピーという
わけではないが、足して二で割ったような合作であることには、まちがいない。そのあなたの子
どもを見て、あなたは「あなた」だと思うだろうか。もちろん、「子どもは子ども。私は私」と思うに
違いない。しかし他人から見れば、あなたの子どもはあなたによく似ている。私も最近、こんな
ことを言われる。息子たちの声が、私の声、そっくりだというのだ。電話などでは、区別ができ
ない、と。私は「違う」と思うのだが、他人にはそうではないようだ。

 そこでいよいよ脳の問題である。子どもたちの脳は、生まれた直後は、白紙の状態とみてよ
いのでは。もちろん大部分は、遺伝的に構成された部分だが、知恵や知識などといったもの
は、白紙の状態である。その脳に、私たちは親として、いろいろな情報をコピーしていく。たとえ
ば言葉。たとえば習慣。たとえばものの考え方や常識など。コンピュータのように瞬時にという
わけにはいかないが、しかし時間というものを短縮すると、瞬時ということも言えなくない。だい
たいにおいて、基準となる時間など、そもそも存在しないのだ。先日も、いとこの息子(小六)と
話したが、私はその息子の話し方、考え方がいとことそっくりなのに驚いた。その息子とは、そ
のときはじめて会っただけに、衝撃は大きかった。私はそこにいとこのコピーがいるように感じ
た。時間にすれば、一〇数年の時間が過ぎているはずなのに、私はその一〇数年の時間を
知らない。つまり瞬時に、そういうことが起きたような気がした。

●教育とは?
 となると、「教育」というのは、基本的には、「脳のコピー」と考えてよいのではないか。ただ子
どもの脳には、すでにあなたの脳にある脳細胞と同じ数だけの脳細胞がつくられている。きわ
めて精巧なコンピュータがすでにできていると考えてよい。ただコンピュータと違い、瞬時には、
コピーの作業は終わらないということ。そしてコピーするにも、それなりの手順と苦労が必要だ
ということ。さらにコピーしながらも、よりよいものを残し、そうでないものを消すという作業も必
要だということ。あるいは子どもの脳自体が、違った方向に伸びていくこともできるように指導し
なければならない。

 これで教育の問題は解決するとしても、つぎの問題は、「命」である。仮にコピーされたといっ
ても、子どもは人間である。もし人間でないというのなら、実はあなたも人間でないことになって
しまう。あなたもあなたの親のコピーにすぎない。そんなわけで、あなたが自分を人間と思うな
ら、子どももまた人間である。こうした「命をもった人間であるかどうか」という議論そのものが、
ナンセンス。あるいはそれは言葉の問題だけかもしれない。「もっと生きたい」「死にたくない」と
いう思いが、「命」と考えられなくもない。あるいはそれを「命」と呼んだ? ……となると、「命」と
は何か?

 今、私がみなさんに話せるのはここまでだが、この問題には、ひょっとしたら、「生きる」ことの
謎そのものを解くカギが隠されているかもしれない。少し前まで、コンピュータのことを「人工知
能」と訳す人もいた。この考え方をもう少し飛躍させると、「人工人間」が生まれるのも、もう時
間の問題と言ってもよい。そういう時代がすぐそこまできている。そういう時代がやってきたと
き、ひょっとしたら、今私たちがもっている常識が、すべてくつがえされる可能性がある。(すで
に今、少しずつ、くつがえされつつあるが……。)そういう時代が来てもうろたえないよう、心の
準備だけはしておかねばならない。というのも、技術の進歩は私たちの予想……というより、私
たちの意識変化よりも、はるかに速いスピードでやってくる。そのひとつのテーマとして、どこか
SF的だが、こんなことを考えてみた。秋の宵に……。
(02−10−13)※

追記……今夜はこの地区の祭り。遠くでタイコの音が聞こえる。本当に今夜は、涼しい、気持
ちのよい夜だ。中学時代、コーラス部で、「コロラドの月」を歌ったのを、今、ふと思い出した。
「♪静かにふけゆく空……コロラドの月の夜……」と。そうあのとき一緒に歌っていたのが、佐
藤ひろし君。野口五郎という歌手の兄だった。

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子育て随筆byはやし浩司(179)

伸びる子ども

 伸びる子どもには、いくつかの特徴がある。それらを並べてみると、つぎのようになる。

(1)積極的である……何か新しいことを提案すると、「やる!」「やりたい!」と、食いついてく
る。趣味も多く、多芸多才。友人の数も多い。幼児のばあい、「何かしたいことがあるか?」と
か、「何がほしい?」と聞くと、つぎつぎとそれに答えたりする。つまりその分、好奇心が旺盛。
ひとりで待たせても、身の回りからつぎつぎと新しい遊びを発明したりする。そうでない子ども
は、「退屈〜ウ」「早くおうちに帰ろう〜ウ」とか言って、親を困らせる。

(2)集中力がある……能力の差は、集中力の差といってもよい。その集中力のある子どもは、
一度ものごとに集中し始めると、人を寄せつけないような気迫を見せる。そういう集中力をみせ
たら、できるだけその時間を長くのばすようにする。私も教室などで、そういう集中力を見せる
子どもがいたら、ほかの子どもをそのままにしておいても、そういう子どもが何らかの結論を出
すまで、静かに待つようにしている。

(3)思考が柔軟である……あとあと伸びる子どもは、思考が柔軟、つまり頭がやわらかい。臨
機応変にものごとに対処できる。とくに幼児期には、頭がかたいというのは、好ましいことでは
ない。ものごとにこだわる、がんこになるなど。遊びの内容がワンパターンであるとか、友だち
の数も限られているというのも、好ましいことではない。そういうときは子どもをなおそうと思うの
ではなく、親自身が自分の世界を広める。そしてその世界へ子どもを巻き込んでいくという方
法で対処する。

 子どもの脳は、できるだけいろいろな方向から刺激するのがよい。とくに大切なのが、「アレ
ッ!」と思うような意外性。この意外性が子どもの脳を限りなく刺激する。私にも最近、こんなこ
とがあった。オーストラリア人の夫婦が私の家にホームスティしたときのこと。朝食に白いご飯
を出すと、その夫婦は、白いご飯の上に砂糖とミルクをかけて食べていた。そのときほど、頭
の中でバチバチと常識がショートしたことはなかった。子どももそうで、たとえばおもちゃのトラ
ックに寿司を並べて出してみる、料理で大きな皿の上に絵を書いてみるなどができる。あなた
も一度、ためしてみてほしい。
(02−10−13)※

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子育て随筆byはやし浩司(180)

のんきママの子どもは明るい

 母親にもいろいろある。その中でも、のんきな母親の子どもは、概して明るく伸びやか。そん
なわけでもし理想の母親とはと聞かれたら、私は迷わず、「のんきな母親」をあげる。しかしの
んきであることは、本当にむずかしい。

 その第一。子どもへの信頼感。さらには、子どもへの全幅の愛情、家庭生活への満足が前
提としてなければならない。母親である以上、それなりの知性や理性が必要なことは言うまでも
ない。「のんき」イコール、愚か、無頓着、無関心ということではない。

 つぎに母親自身の人生観や教育観がしっかりしていなければならない。人生はよく荒波にた
とえられるが、そういう荒波に耐えられるだけの人生観や教育観である。そのためにも、常日
ごろから、「考える母親」でなければならない。また確固たる人生観や教育観が、そのまま盾
(たて)になり、砦(とりで)になる。無知、無学、無教養は子育ての大敵と考える。

 そして三番目に、強靭(きょうじん)な精神力と、安定した情緒。これは健康論に似ている。健
康な体が心の安定には必要不可欠であるのと同じように、安定した家庭は、子どもを育てるた
めの必要条件である。が、その中でも重要なのが、母親の安定性である。言いかえると、母親
の精神力や情緒が不安定になると、長い時間をかけて、家庭も不安定になる。そしてそれが
子どもにもろもろの悪い影響を与える。よく誤解されるが、離婚が悪いのではない。悪いのは、
その離婚にいたるまでの家庭内騒動である。この騒動が、子どもの心を不安定にする。

 ……とまあ、理想論を書いたが、こういう母親など、そうはいない。ここに書いたのはいわば
努力目標ということになる。しかしこういうことは言える。反対にあなたののんき度をみることに
よって、あなたの子育ての内容を、客観的に判断できる。あるいはあなたの子どもの伸びやか
さをみて、あなたの子育てのじょうず、へたを客観的に判断できる。もしあなたの子どもが、幼
稚園や学校で、明るく伸びやかであれば、それでよし。しかし暗く沈んでいるようであれば、家
庭のあり方(幼稚園や学校に原因を求めるのではなく)を反省してみたらよい。簡単な自己診
断テストを考えてみた。つぎの五つの項目にうち、三〜四個当てはまれば、あなたは今の子育
てに、自信をもってよい。

○園や学校から帰ってきたとき、大きな声で、「ただいま!」と言って帰ってくる。
○家の中でも態度が大きく、存在感がある。いつもしたいことをしている。言いたいことを言う。
○まちがえたり、失敗しても、どこか笑ってすますようなところがあり、それを注意したりすると、
「ごめん」とすなおに謝って、それを認める。あとはケロリとしている。
○子どもがそばにいるだけで、自分まで楽しくなる。子どもに意見を求めることも多い。
○子どもがすることに信頼感をもてる。また自分の子どもは、同年齢のほかの子どもとくらべて
も、すぐれていると思う。自慢の子どもと思うことがたびたびある。

 のんびりママの子どもは、概してこのタイプの子どもになる。が、ひとつ、注意しなければなら
ないのは、母親というのは、外見だけ判断してはいけないということ。神経質でピリピリしている
母親ほど、外の世界では、それを隠すため、正反対の人間を演ずることが多い。「私は子ども
にやりたいようにさせています」と公言する母親ほど、家の中では子どもをしめつけている。ほ
んとうにのんびりしている母親というのは、いつも自分の子育てに謙虚。私が何かをアドバイス
しても、「そうですね」と受け入れる。さてさて、あなたはどうか?
(02−10−13)※

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子育て随筆byはやし浩司(181)

子どものバイタリティ

 おかしな時代だと思う。今の世の中、どこかナヨナヨした子どもほど、できのよい子どもという
ことになっている。一方、バイタリティがあり、どこか腕白(わんぱく)な子どもほど、できの悪い
子どもということになっている。私自身が腕白だったこともある。今の世相を見ていると、どこか
自分が否定されてしまうこのようにすら感ずる。反対に、数は少ないが、私の子ども時代を思
い起こさせる子どもに出会ったりすると、どこか心がほっとする。心がなごむ。

 子どもが本来的にもつバイタリティは、大切にする。たとえば最近、多動性児(ADHD児)が
あちこちで問題になっている。が、問題になるのは、「教える側の立場」で問題になるだけで、
子ども自身がもつバイタリティということを考えるなら、むしろあとあとその子どもにとっては、よ
い方向に作用することが多い。(ADHD児のばあい、自意識が芽生える小学三〜四年生を境
として、その症状は急速に収まってくる。自意識の中で、自分をコントロールするようになるか
らである。そしてそれとちょうど反比例する形で、今度は持ち前のバイタリティが、その子どもを
前向きにひっぱっていく。どこか周囲に鈍感なところもあるが、現代社会というワクの中では、
むしろその鈍感さが、よいほうに作用するということもある。むしろこうした世の中では、繊細な
子どもほど、生きにくいのでは?)

 このバイタリティを悪と決めつけてはいけない。たとえば子どもに作文を書かせたとする。そ
のとき、多少字がめちゃめちゃでも、また乱暴でも、さらに文法や書式がおかしくても、子ども
が自分の気持ちをそのまま表現するようであれば、よしとする。そういうおおらかさが、子ども
の表現力を高める。運動面や生活面については、さらに言うまでもない。

 このバイタリティは、自我の発達と深くからんでいる。教育の世界で自我というときは、「つか
みどころ」のことをいう。自我の発達した子どもは、外から見ても、「この子はこういう子だ」とい
うつかみどころがはっきりしている。わかりやすい。たとえば「こうすればこの子は怒るだろう
な」とか、「こうすればこの子は喜ぶだろうな」ということが、わかりやすく、その分、教える側も
教えやすい。反対に自我の発達の遅れている子どもは、どこかグズグズしていて、どういう子
なのか、それがわかりにくい。柔和な表情を浮かべて従順な様子を見せるから、「いいのかな
……?」と思いつつも、少し無理をしたりすると、それがあとで大問題になったりする。

 その自我は、本来、あらゆる動物も、そし人間も、生まれながらにして平等にもっているもの
と考える。そのため「育てる・育てない」という視点からではなく、「引き出す・つぶす」という視点
で考える。子どもはあるがままに、あるべき環境で育てれば、その自我の強い子どもになる。
そうでなければ、そうでない。が、つぶす方法(?)はいくらでもある。強圧的な過干渉、異常な
過関心、溺愛、過保護など。何が悪いかといって、親の情緒不安ほど、悪いものはない。子ど
もの側からみて、つかみどころのない親の心は、子どもをかぎりなく不安にさせる。まさに『親
の情緒不安、百害のもと』ということになる。

 ここにも書いたように、バイタリティの旺盛な子どもは、今の世界では、周囲から白い目で見
られることが多い。しかしそういうときでも、子どものバイタリティを信じ、表面的には、「すみま
せん」と謝りつつも、決してそれを悪いことと決めてかかって、つぶしてはいけない。このタイプ
の子どもは、いつか必ず、何らかの形で、自分の道を極める。それを信じて、前向きに子育て
をしていく。
(02−1−13)※

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子育て随筆byはやし浩司(182)

北朝鮮という国

 私は一度、北朝鮮を自分の目で見てみたい。しかし多分私は、彼らがもつブラックリストに名
前をつらねているので、行くことはできない。行けば、即刻、逮捕されるだろう。ユネスコの交換
学生として韓国へ渡ったあと、北朝鮮をさんざん批判してきた。

 あの北朝鮮を見ていると、戦前の日本そのままという感じ。あるいは江戸時代に似ている。
金正日という頭のおかしい独裁者を、「将軍様」と国民は呼んでいる。なるほど、将軍様か。こ
れはおもしろい。まさに江戸時代そのもの?

 前の金日成はともかくも、息子の金正日には、大軍率いて戦争をするような度胸はない。日
本の大奥よろしく、「喜ばし組」という美女軍団に囲まれ、ぜいたくざんまいの生活をしていると
いう。彼が今、一番恐れているのは、アメリカでも韓国でもない。彼が今、一番恐れているの
は、いつか化(ば)けの皮がはがれて、北朝鮮人たちによって袋叩きにあうことだ。あるいは自
分の名誉や地位、それに財産(とくに財産!)を失うことだ。仮にアメリカに戦争をしかけるとし
ても、それは正義や国のためではない。自分の愚行をカモフラージュするためのもの。やけク
ソになってするだけ。本音を言えば、これが心配。あの頭のおかしな男は、追いつめられると、
何をしでかすかわからない。皮肉なことに、北朝鮮の人たちにとって、もっともよいことは、あの
金正日が失脚することなのだ。

 いまどき拉致(らち)などという、時代錯誤的なことをしていること自体、バカげている。そんな
に日本のこと知りたければ、観光客でくればよい。何も海のかなたから望遠鏡でのぞかなくて
も、観光客できて、そのあたりをパチパチと写真にでもとればよい。が、私はその北朝鮮につ
いて、もう一歩、話をすすめたい。こういうふうに考える。

 今、私たちがしっかりと記憶してかねばならないことは、二一世紀という時代になった今という
時代に、ああいう国が存在するというおかしさである。また現に独裁者がいて、それこそおかし
なおかしな政治を、今、堂々としているということ。そういう狂った様を、しっかりと記憶にとどめ
ておかねばならない。もっと言えば、たった一人の独裁者によって、一つの国全体がこうまで狂
うということが、現実にありうるということ。北朝鮮は、決して過去の国ではない。ひょっとした
ら、日本のありうる未来の姿かもしれない。そういう視点から、あの北朝鮮を見ておかねばなら
ない。

 言論の自由はない。移動の自由も旅行の自由もない。いまだに厳格な身分制度(成分制度)
があって、住む場所も決められている。少しでも反体制的なことや、「将軍様」について批判的
なことを口にすれば、すぐ強制収用所送り! こんなことが現実にあってよいのかという議論
も、意味がない。現に今、そういう国がある。そういう国を見て、「日本は違う」「日本はだいじょ
うぶ」と高(たか)をくくるのは、どうか。ほんの半世紀前までは、日本は今の北朝鮮以上に北朝
鮮的だった。民族ということを考えるなら、国際的にみたとき、日本人と朝鮮人を区別すること
自体、不可能。日本よりも朝鮮のほうが歴史が長い。深い。たとえば欧米の大学では、日本学
科も日本語学科も、朝鮮学部、もしくは東洋学部の一部として教えられている(フランスの各大
学など)。欧米で「東洋学部(オリエンタル・スタディズ)」というときは、基本的には中国研究を
意味する。

 いずれ北朝鮮は崩壊する。崩壊せざるをえない。すでにその崩壊は始まっている。今年(〇
二年)だけでも、北朝鮮からの韓国への亡命者は、一〇〇〇人近くになった。しかしこれはまさ
に氷山の一角。その下には、脱北はしたものの、韓国までたどりつけない人。さらに脱北に失
敗した人。さらに脱北したいと願っている人がいる。こうした人たちまで含めると、数十万人〜
数百万人以上になるのではないか。国家経済は完全に破綻(はたん)。計画経済すら立てられ
ない状態。電気ガスどころか、食料すらない。今、日本がすべきことは、金正日という独裁者の
延命に手を貸すことではなく、その崩壊を静かに見守り、ポスト金体制を念頭に置きながら、そ
の整理と復興を援助するための、心の準備をすること。あるいはそういう体勢を整えておく。

 ただ心配するのは、先にも書いたように、世の独裁者の常として、こうした独裁者は、その末
期には、自分の失政をカモフラージュするため、あちこちに「敵」をつくり、戦争をしかけるという
こと。その標的として日本がもてあそばれる可能性がある。つまりへたをすれば、この日本が、
その戦争に巻き込まれる可能性がある。何とでも言いがかりはつけられる。その言質だけはと
られてはいけない。ことは慎重に、ということ。あせってはいけないし、刺激するのもよくない。
どちらせにせよ、つまり金正日体制がもうしばらく延命するにせよ、崩壊するにせよ、たいへん
やっかいな国であることには、ちがいない。
(02−10−14)

(追記)「戦前の日本を知りたかったら、今の北朝鮮を見ればいい」という私の考えに対して、
二、三の人から、抗議のメールをもらった。「日本は明治以後、選挙制度を敷いて、民主主義
の道を歩んだ。北朝鮮とは基本的に違う」(四五歳男性)、「日本の天皇は独裁者ではなかっ
た」(三七歳女性)と。

 しかし大正デモクラシーの時代はともかくも、戦争の道を歩み始めたころの日本では、すでに
選挙制度は形骸化していた。また戦前、天皇を批判することなど、夢のまた夢。批判すればし
たで、不敬罪で即刻逮捕、投獄された。裁判制度そのものも、形骸化していた。今の北朝鮮
も、まさにその通りではないのか。

 さらに最近になって、神風特攻隊を美化する動きも、日本の中に見られる。もし神風特攻隊
が正しかったとするなら、ビンラディーン率いるアルカイダによる、貿易センタービルの破壊は
何かということになってしまう。アメリカのブッシュ大統領は、直後、「第二のパールハーバー
だ」と息巻いたが、もしそうなら、ビンラディーンは、戦前の東条英機、オマル師は、天皇という
ことになってしまう? あのテロ事件のあと、一も二もなく、アメリカを支持した日本の政府は、
戦前の日本をいったい、どのように考えているのか……ということになってしまうのだが……?

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子育て随筆byはやし浩司(183)

ある進学塾のマニュアルより

 少し前、私塾の経営者たちが集まる会合に出てみた。その席で、こんな話が出た。一人の経
営者が、「生徒が突然やめると言ったときの対策はどうしていますか?」と聞いたときのこと。
別の経営者が、「こういうものがありますよ」と言って、Y進学塾(東京でも大手の進学塾)の指
導マニュアルを見せてくれた。それにはこうあった。

(生徒がやめるとき)
@「長い間、Y塾に来ていただいてありがとうございました。○○さん(生徒名)は、よくがんばっ
てくれました。うちの塾で学んだことは、これからもしっかりと役に立つと思います。どうか、これ
からも元気でがんばってください。またよい結果が出ましたら、どうかお知らせください」と、親
には言う。

A生徒に対しては、未来をおどしたり、また親に心配をかけるようなことは言ってはいけない。
生徒のほうから退塾届けが出たあとは、引きとめるためのどんな言葉も使ってはいけない。
「やめないでほしい」「やめると成績がさがる」式の言い方は、タブー。「君はよくがんばったね」
と、ねぎらいの言葉をかけながら、「またいつでも戻っておいでよ」「勉強をしていてわからない
ことがあったら、遠慮せず聞きにおいでよ」と言う。

B別れぎわの印象をよくするため、いつもより、努めてやさしい言い方、ひかえ目な言い方をす
ること。笑って、にこやかな雰囲気で別れること。電話での応対も、これに準ずる。(以上、ほぼ
原文のまま。)

 この指導マニュアルを読んだとき、私は自動車のセールスを思い浮かべた。おもしろいこと
に、自動車のセールスマンも、まったく同じことを言う。私たちが、H社の車から、T社の車に乗
りかえたとき、それまで世話をしてくれていたH社のセールスマンは、こう言った。

 「長い間、当社の車に乗っていただき、ありがとうございました。長く乗っていただくと、あきる
ということもありますね。お気持ちはよくわかります。どうかこれからもよろしくお願いします」と。

 多分、販売会社にも、同じようなセールスマニュアルが用意してあるのだろう。こういうときい
ろいろな言い方があるが、言い方をまちがえると、未来の客を逃がしてしまうことになる。けん
か別れだけは、まずい。つぎの客を紹介してもらいたいという下心もある。別れぎわを美しくす
ることは、それなりに意味がある。もっとも、そのY塾の指導マニュアルには、その前の項目
に、「生徒を引きとめる方法」というのもあり、その中には、「生徒の退塾を、事前に察知する方
法」というのもある。「その結果、退塾するというのであれば、もう引きとめてもムダ」というわけ
である。ここにあげた「生徒がやめるとき」は、そのあとにつづく項目である。

 進学塾にこうしたマニュアルがあるということ自体、生徒をモノ扱いしていることを意味する。
生徒は、金を儲けるためのモノというわけだ。数年前だが、ある銀行員がこんなことを告白して
問題になったことがある。家庭を回りながらわずかな積み立てを集金することを、銀行員の間
では、「ドブさらい」と呼んでいるというのだ。この話には、私も怒った。当時、私はその銀行で
はないが、毎月二万円の積み立て貯金をしていた。しかし実は、教育の世界にも、これに似た
隠語がたくさんある。その中には、「捨て子」という、とんでもないものもある。指導がむずかし
いというより、教師がサジを投げた子どもを、そう言うらしい。話が脱線したが、要するに、この
世界、万事、どこかおかしい。おかしいまま、前に進んでいる……?

 私が「こういうことを戦略的にマニュアル化している進学塾というのも、こわいですね」と話す
と、その経営者はこう言って笑った。「講師が一〇人、二〇人となると、それもやむをえないこと
です。いろいろな講師がいますから」と。しかし方向こそ逆だが、その発送は、客を「ドブ」と呼
んだ銀行員と、どこも違わない。
 
 あなたの子どもが今塾をやめるとき、はたして講師が何というか。それを観察してみるのも、
おもしろいのではないだろうか。多分、どの講師も同じように言うはずである。
(02−10−14)※

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子育て随筆byはやし浩司(184)

考えるということ

●K君(小二)のケース
 最近とくに気になるのが、「考えようとしない子ども」。以前よりもふえているように思う。何か
問題を出しても、考える前から、「できない」「わからない」「やりたくない」「答を教えて」と逃げて
しまう。決してその能力がないわけではない。しかしその能力の使い方を知らない。だから結果
的に、学力はほかの子どもとくらべても、劣る。

 K君(小二)がそうだった。ちょうどバブル経済がはじける前のころとはいえ、かなり裕福な家
庭の子どもで、「お年だまを、五〇万円もらった」と言うくらいだから、ハンパではない。親のみ
ならず、祖父母の愛情をたっぷりと受けていた。それもあって、それなりの「いい子」だった。朗
らかで明るい。屈託がなく、伸び伸びしていた。しかし考える力がない。まったく考えようとしな
い。あるいは自ら考えることを、避けてしまった。ある日、こんな問題を出してみた。

「3、6、9、12と並んだとき、のつぎの数は何ですか?」と。

 K君は、最初から問題を読もうとしない。「これ、足し算?」「それとも引き算?」とか言うだけ。
「問題を読んでみなさい」と指示しても、問題を読もうともしない。視線は宙に浮いたまま。

 問題は、なぜK君がそうなのかということ。さらに、どうすればK君のような子どもを、考える子
どもにすることができるかということ。

 よく誤解されるが、知識と思考は、まったく別。情報を管理するのは、記憶の分野だが、思考
することには、それ自体、ある種の苦痛をともなう。だからたいていの子ども(おとなもそうだが
……)は、無意識のうちにも、思考することを避けようとする。それがわからなければ、難解な
数学の問題を与えられたときのことを想像してみればよい。だれだって、できるなら答をみて、
すましたいと思う。その分、ビデオか何かを見て過ごしたほうが楽しいと思う。

●享楽は思考の敵
 「享楽(きょうらく)」という言葉がある。「目先の快楽に走るさま。官能的快楽に傾くさま」(講談
社、日本語大辞典)という意味だ。思考はこの享楽と、ちょうど対照的な位置にある。享楽は思
考の敵であり、享楽に走れば走るほど、思考は停止する。言いかえると、享楽は思考の大敵。

 K君のケースでは、K君は、まさにしたい放題。甘やかされた環境。K君の家庭では、すべて
がK君を中心に動いていた。同じ敷地内に祖父母も住んでいて、K君に惜しみなく時間と手間
をかけていた。こういう環境の中で、K君は享楽的に生きることが、生活の柱になった。ただ父
親も母親も、それなりにしっかりとした教育方針をもっていた。だからドラ息子にありがちな、自
分勝手さやわがままな面は、それほど目立たなかった。

 私はK君にその問題を与え、どのような反応を示すか観察してみた。何度も「考えてごらん」
とうながすのだが、取り組もうとすらしない。あちこちをキョロキョロ見ながら、どこかソワソワし
ている。一度こういう状態になると、あとは根(こん)くらべ。ときどき適当な数字を書いてきて、
「これ違うの?」とか聞く。そのつど「10」とか、「5」とか書いてきた。私は「違うよ」と言い、K君
を無視した。が、K君は、「やり方を教えて」「ヒント、ちょうだい」とねだった。私はそれも無視し
た。

 やがてほかの子どもたちがつぎつぎと、よりむずかしい問題ができるようになると、さすがの
K君も、どこか追いつめられたような表情を示し始めた。ときどき数字を見ては、「サン、ロク…
…ウ〜ン」と言っている。その間、一〇分ほど時間が過ぎただろうか、突然、「あっ、そうか!」
と叫んだ。やっ思考の糸口をつかんだようである。そしておもむろに、「15」という答を書いても
ってきた。私はおおげさにほめ、みなに手を叩かせた。

●思考
 思考するかしないかは、クセのようなものではないか。思考する人から見ると、思考しない人
がいることが信じられない。一方、思考しない人には、「思考」の意味すらわからない。ほとんど
の人は、テレビを見たり、新聞を読む程度で、思考していると錯覚している。さらに冒頭に書い
たように、情報と思考を混同している。頭の中に飛来する情報を音声にかえて、ペチャペチャと
口にするのは、思考ではない。

 何度も書くが、思考することには、ある種の苦痛がともなう。それは寒い夜に、ランニングに
でかけるような苦痛である。しかも思考したからといって、何らかの結果を得られるとは限らな
い。ある段階までくると、思考はループ状態に入る。同じことを何度も考えては、またもとにもど
る。あるいは一日、思考しても、「これは!」と思うようなヒラメキに出会うことは、めったにな
い。

 こうした状態から抜け出るためのもっとも簡単な方法は、だれかに思想(思考から得た結果)
を、脳に注入してもらうことである。わかりやすい例では、宗教(カルト)がある。カルトを信仰し
ている人にとっては、思想はすべてが上意下達方式で、「上」からやってくる。結構立派なこと
を言うが、たいていはオウム返し。どの信者も、テープレコーダーのように同じようなことを言
う。つまりノーブレイン(思考力、ゼロ)。はからずもある男性(五〇歳)はこう言った。私が、「あ
なたがたの指導者を、少しは疑ってみてはどうですか」と言ったときのこと。「R先生は、万巻の
書物を読んでおられる。だから絶対、まちがいはない」と。こうした愚鈍性や盲目性は、多かれ
少なかれ、だれにでもある。もちろん私にもある。いちいち考えてばかりいたら、日常の生活が
できなくなる。

 そこで大切なことは、「考えるべき分野」と、「考える必要のない分野」を分けること。考えるべ
き分野というのは、たとえば生きザマの問題や、自分の専門分野だ。考える必要のない分野と
いうのは、たとえば近隣の人たちのゴシップや、ささいなトラブルだ。こうした分野に巻き込まれ
ると、自分が限りなく小さくなってしまう。自分を見失ってしまう。

●子どもの指導
 考える子どもにするには、テーマをそのつど与えながら、たっぷりと時間を与える。私の経験
では、一日に、一時間や二時間では足りない。もっと、だ。子どもでも、一日、数時間は必要で
はないか。実際には、そういう時間をつくるのは不可能かもしれないが、本当に考える子どもに
するには、それくらいの時間は必要。ぼんやりと遠くを見ながらでもよい。音楽を聞きながらで
もよい。あるいは読書をしたりでもよい。

ただテレビやビデオがよくないのは、見ている人に考えるスキを与えないこと。また考えるヒマ
を与えない。(スキのあるテレビやビデオは、かったるい印象を与え、人気がない。)あたかも
手を引きながら、ぐいぐいと先へ引っぱっていくかのようにして、情報を一方的に与えつづけ
る。だから、思考を養うという意味では、ほとんど効果がない? こう結論づけるのは少し危険
かもしれないが、今の私はそう思う。ではどうしたらよいか。

 アメリカやオーストラリアの小学校を見て驚くのは、いつも先生が子どもたちに問いかけてい
ること。「君は、どう思う?」「君の意見はどうかな?」と。そして生徒が何かを答えたりすると、
先生が、これまたおおげさにほめてみせる。一方、日本では、「わかったか?」「ではつぎ!」と
授業を進める。授業の進め方そのものが、基本的に違う。学校で無理なら、家庭で応用してみ
たらよい。「あなたはどう思うの」と。ためしに、「あなたは今日、ママに何をしてほしいの」と聞い
てみるのもよい。

 ここでのコツは、とにかく「待つ」こと。まさに根くらべと言ってもよい。思考するということに
は、時間がかかる。ばあいによっては、ジリジリと時間ばかりが過ぎる。しかしそれでも待つ。
この段階で、もともと思考する習慣のない親は、せっかちに、答を求めようとするが、そのせっ
かちさこそが、思考の大敵と考える。あるいは親自身が、思考の習慣がない。あるいは思考す
るということがどういうことだか、わかっていない?

 結論から言えば、パスカルも『パンセ』の中で書いているように、自ら思考するから、人間な
のである。人間の偉大さは、思考することで決まる。思考するということには、そういう意味が
含まれる。考えることは、まさに生きることでもある。
(02−10−15)※

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子育て随筆byはやし浩司(185)

視野の広さ、三つの方向性

 「視野が広い」ということには、三つの方向性がある。ひとつは、自分の世界をできるだけ高
い位置からみること。できるだけ広い知識と情報をもつ。ふつう「視野が広い」というときは、こ
のことを意味する。が、それだけでは足りない。

 もうひとつは、時間的な広さをもつことをいう。自分の位置を、幼児期に置いてみる。あるい
は老年期に置いてみる、など。ただ置くだけではいけない。それぞれの立場でその年齢になり
きってものを考える。「私が子どものころはどうだったか」「私が老人になったらどうか」と。

 ある友人(五七歳)がこう言った。「ぼくもいつか寝たきり老人になるかもしれんなあ」と。そし
て「そうなったら、ぼくはさっさと死ぬよ」と。しかしそうなったところで、簡単に死ねるものではな
い。そこで私が「今、自分が寝たきり老人だったとしたら、どうする?」と聞くと、その友人はこう
言った。「健康のありがたみがわかるだろうな」と。頭の中で簡単なシミュレーションをしてみる
だけで、健康の大切さを実感することができる。つまりそれだけ視野が広くなったということ。

 三つ目は、心情的な広さをもつことをいう。たとえば幸福な人や、反対に不幸な人の立場に
なりきってものを考える。実のところ、この三つ目が、一番大切である。たとえば私は、親たち
からいろいろな相談を受ける。そのとき、私がその親の気持ちを理解するためには、自分自身
がその親の立場にならなければならない。でないと、適切なアドバイスができない。問題は、い
かにすれば、その親の立場や気持ちになりきれるかである。

 話は変わるが、心というのは、シミュレーションができる。たとえば金持ちになったら、どう考
えるか。あるいは総理大臣になったら、どう考えるか、と。これは少し訓練すれば、だれにでも
できるようになる。私が最近感じたことだが、こんなことがある。

 講演会場で、舞台のソデで自分の出番を待つときがある。そのとき、私は瞬間だが、舞台で
歌う大歌手の気持ちがわかったような気がするときがある。もちろん大歌手と私とでは比較に
ならない。私は取るに足らない、一講師。しかしそのとき感じた気持ちを拡大していくと、大歌
手の気持ちを理解することができる。つまりそれぞれの場面で、想像力を働かせれば、それで
よい。最近も、こんな経験をした。

 たまたまワイフがいない日で、私は近くのコンビニに昼食を買いに行った。が、行ってみる
と、サイフがない。あわててカバンの中にある小銭をかき集めてみると、三〇〇円と少し。私は
それで買える昼食をさがした。おにぎりが一個で一四〇円。ほかに一〇〇円のパン。正直言っ
て、自分がみじめだった。レジで小銭を出したとき、自分がなさけなかった。しかし毎日、そうい
うふうにして四苦八苦している人だっている。つまりそのとき感じた「みじめさ」を拡大することに
よって、貧しい人の気持ちが理解できる。(もっともそんなことをわざわざしなくても、貧しい人の
気持ちは、よくわかるが……。)

 この方法を使えば、総理大臣の気持ちも理解できるようなるし、アメリカの大統領の気持ちも
理解できるようになる。反対に不幸のどん底にいる人の気持ちも理解できるようになる。それ
が私がここでいう、「シミュレーション」である。このシミュレーションを、いろいろな立場で、その
つどすることによって、相手の気持ちを理解することができるようになる。そう言えば先日、テレ
ビで、アメリカの俳優のハリソン・フォードも同じようなことを言っていた。外科医の役(映画『逃
亡者』)を演ずることになったときのこと。病院へ行き、そこでしばらく外科医の様子を観察して
勉強した、と。「外科医のもつあの独特の雰囲気を、身につけるため」と。

 視野を広くすることを考えたら、これら三つ方向性を考えてみるとよい。今、見えていないもの
が、よりはっきりと見えてくるはずである。
(02−10−15)※

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子育て随筆byはやし浩司(186)

オーストラリアの教育

 ワイフと長島ダム(静岡県大井川鉄道上流にあるダム)まで行き、帰りにまたトロッコ列車に
乗って、千頭(せんず)駅に戻った。そのトロッコ列車に乗ったとき、オーストラリアから来た鉄
道マニアの一行と一緒になった。私が「マニア」という言葉を使うと、苦笑いをして、「エンシュー
ジアシスト(熱心なファン)だよ」と言って笑った。一行は二〇人ほどだったが、その中に、ブリス
ベーンの州立小学校(State School)で校長代理(デピュティ・プリンシパル)をしている人が
いた。名前をホプキンズと言った。話は当然、教育の話になった。
 
 私が「日本には教科書の検定制度がある」と話すと、「何かの本で読んだことがある」と言っ
たあと、「アンビリーバブル(信じられない)」と言った。「日本のような国が、教科書の検定制度
をすることは考えられない」と。そこで私が「日本を旅行していて、驚いたことは何」と聞くと、逆
にいくつかの質問をしてきた。「どうして日本の子どもたち(小学生)は、夜九時ごろになっても、
制服を着て、町の中を歩いているのか」と。私が「それは多分、塾へ行くところを見たのではな
いか」と言うと、「塾とは何か」「学校が終わってから行くのか」「何を教えるのか」と、つぎつぎと
質問をしてきた。

 私もいろいろ聞いた。「南オーストラリア州では、テキストすら使っていないと聞くが、クイーン
ズランド州ではどうか」「学校の教師は親に、住所や電話番号を教えるか」「虐待を見たらどう
するか」と。

 その答はこうだった。「テキストはあるが、ほとんどの教師は、ほとんど使っていない。自分で
くふうして、自分で用意している」「教師の電話番号は電話帳には載せないことになっている」
「精神的虐待や肉体的虐待を見たら、州政府に通報する義務はあるが、それ以上の責任は教
師にはない」と。

 おもしろいと思ったのは、オーストラリアほど自由な国はないと思っていたが、ホプキンズ氏
はこう言った。「私は教育の自由化のための運動をしている」と。「今、教育は連邦政府と州政
府と地方政府の三つの監督下に置かれている。これはおかしい。教育は学校独自のベース
(基礎)で、すべきだ」と。具体的には、教師の任命権、カリキュラムの設定など、すべて学校独
自がすべきだと。私が「日本では、北海道から沖縄まで、すべて同じ教育をしている」と話すと、
再び、「アンビリーバブル」と言った。たまたま横で私たちの話を聞いていたオーストラリア人ま
で、「アンビリーバブル」と言って、たがいに顔を見合わせた。国が違うと、教育に対する意識
も、天と地ほど違うようだ。

 ただオーストラリアでも、学力の低下が問題になっているとのこと。「お互いに情報を交換しよ
う」と約束して別れた。彼らの屈託のない陽気な様子を見ていると、ふと「ああ、私もオーストラ
リアに移住すればよかった」という思いが、胸を横切った。「どうして私は、この日本にいるの
か」と。
(02−10−15)※

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子育て随筆byはやし浩司(187)

子育て格言C

●子どもの会話

 ある日幼稚園の庭のすみに座っていると、横の子どもたち(年長児)が、こんな会話を始め
た。

A男「おまえ、赤ん坊はどこから生まれてくるか、知っているか?」
B男「知らないよ」
A男「だからお前は、バカだ。赤ん坊はな、ママのお尻の穴から生まれてくるんだぞ」
B男「ふうん」
A男「いいか、うんちがかたまって赤ん坊になるんだぞ」
B男「ふうん、じゃあさあ、どうして男からは赤ん坊が生まれないんだよ?」
A男「バカだなあ。男はなあ、うんちがかたまって、金玉になるんだぞ。金玉はうんちがかたまっ
たもんなんだぞ」と。

 また別の日。母親とこんな会話をした子ども(年長児)がいた。

C女「お母さん、お肉を食べると、どうなるの?」
母親「やっぱり、お肉になるんじゃ、ないかしら」
C女「野菜は、どう?」
母親「血になるのよ」
C女「でも、野菜は赤くないわ」
母親「でも、トマトは赤いでしょ」
C女「ふうん、わかった。サツマイモを食べると、そのままうんちになるのね」と。

 こんなことを話してくれた子ども(年長児)もいた。「どうしてうんちは茶色になるか、わかった」
というのだ。「どうして?」と私が聞くと、「絵の具をいろいろ混ぜると、茶色になる。うんちも、そ
れと同じだ」と。

 さらにこんなことも。ある男の子(小学三年生)が、トイレから戻ってきて、こう言った。「先生、
青と黄色を混ぜると、緑になるね」と。何のことかと思って、「どうして?」と聞くとこう言った。「ト
イレの水(消臭剤の入った青の水)と、黄色いおしっこがまざったら、緑になった!」と。

 子どもの考えることは、おもしろい。あなたも子どもたちの会話に、一度耳を傾けてみてはど
うだろうか。


●フリップ・フロップ理論

 箱がある。どちらか一方に倒れているときは、安定している。しかし中途ハンパな姿勢になる
と、フラフラとして、たいへん不安定になる。これを心理学の世界では、『フリップ・フロップ理
論』という。もともとは、有神論の人が無神論に、反対に無神論の人が有神論になるときの様
子を説明したもの。有神論の人であるにせよ、無神論の人であるにせよ、どちらか一方に倒れ
ているときは、そういう人は、たいへん静かに落ちついている。が、有神論の人が無神論にな
るとき、あるいはその反対のときは、心理状態がたいへん不安定になる。ワーワー泣き叫ん
で、それ抵抗したり、猛烈にどちらか一方を攻撃したりする。

 学歴信仰も、それに似たところがある。学歴信仰にこりかたまっている人や、反対に、まった
くそれがない人というのは、静かに落ちついている。しかしそれが移行期に入ると、たいへん不
安定になる。人間の心理というのは、そうい不安定状態には弱い。自らどちらか一方に倒れ
て、自分の心理を安定させようとする。言いかえると、不安定になったときというのは、どちらか
一方に倒れるその前兆と考えるとよい。しかもそれが短期間で、コロリと倒れる。そのため私
は、このフリップ・フロップ理論を、勝手に「コロリ理論」と呼んでいる。

 この理論は、子育ての場でも、広く応用できる。もしあなたの子どもが何かのことで、大声で
それに抵抗したり、あるいは反対にぐずぐずしているようであれば、どちらか一方に倒れる前
兆と考えてよい。そういう子どもほど、コロリと倒れると、突然、ものわかりがよくなる。昔から
「今鳴いたカラスが、もう笑った」というが、そういう現象が起きる。が、反対に、よい意味につ
け、悪い意味につけ、どっしりと静かに落ちついている子どもは、それだけ自分をもっているこ
とになる。何かを説得しようとしても、なかなかうまくいかない。とくにがんこで、自分のカラにこ
もってしまったような子どもは、指導がむずかしい。


●子どもの心理

 子どもの心理を考えるとき、現象面だけを見て判断すると、その心理がつかめなくなる。よく
ある例が、引きこもり。

 心の緊張状態がとれないことを、情緒不安という。そういう心理状態のところに、不安や心配
が入り込むと、それを解消しようと、心理状態は一挙に不安定になる。そのひとつが、引きこも
り。

 自分の子どもが部屋に引きこもったりすると、よく親は、「気のせいだ」とか、「心はもちよう
だ」とか言って、それを安易に考える。しかし引きこもりは、あくまでも現象。無理をして、その
状態から子どもを外に出しても、元となる、情緒不安はなおらない。もう少し具体的に考えてみ
よう。

 私も精神状態が不安定になると、人に会うのがおっくうになる。人ごみへ入るのが、いやにな
る。そういうときの自分の心理を観察してみると、こうだ。

 まず人の言動が気になる。しかもささいなことが気になる。タバコを平気で道路へ捨てる人。
道路にツバを吐く人。大声であたりかまわず話す人。体臭のある人。平気で道路に駐車する
人。工事の騒音など。ふだんなら気にならないようなことが、そういうときは、やたらと気にな
る。そしてそういうことがいくつか重なると、頭の中はパニック状態になる。

 この段階で、まず自分の中のセルフコントロール機能が働きだす。どうすれば、そのパニック
を収めることができるか、それを考える。私のばあいは、外出を避けるとか、何かの気分転換
をするとかいう方法で対処する。カルシウム剤が有効なことも多い。こういうことができるのは、
それだけ経験もあるということだが、子どもはそれができない。症状は、一挙に悪化する。

 ある子ども(高三)はこう言った。「外に出ると、人に会うのがこわい」と。ここでいう「こわい」と
いうのは、それだけ心の緊張感が取れないことをいう。相手の言動のすべてが、自分の心を
突き刺すように感ずるらしい。だから引きこもる。心理学の世界では、これを防衛機制という。
自分を守るための心理反応と考えるとわかりやすい。

 要するにこうした現象は、風邪にたとえて言うなら、「熱」のようなもの。その熱をさまそうとし
て、子どもを水風呂につける人はいない。同じように、引きこもりだけを見て、子どもを外の世
界に引きずり出しても意味はない。あるいはそんなことをすれば、かえって逆効果。中には、そ
ういう乱暴な方法で、子どもをなおす(?)人もいるそうだが、私に言わせれば、とんでもない方
法ということになる。昔、Tヨットスクールというのがあったが、あれもそうだ。生徒の死亡事件
がつづいて、当時の寮長は刑事訴追まで受けたというが、当然のことだ。が、この種の乱暴な
治療法(?)は、今でもあとをたたない。最近でも、子どもや親を、大声で罵倒(ばとう)しながら
なおす(?)人もいる。素人(失礼!)にはわかりやすい方法なので、そのときどきの親には受
けるが、こうした方法には、じゅうぶん警戒したほうがよい。


●はじめの一歩

 幼児教育の世界で、『はじめの一歩』というときには、つぎの二つの意味がある。ひとつは、
何でも最初に経験させることは、慎重に選べということ。もうひとつは、そのときの方向づけが、
その後の子どもの方向性に大きな影響を与えるから注意しろという意味。

 体操教室を例にとって考えてみる。
 体操教室に入れたから、体操が好きになるとはかぎらない。恐らく何割かの子どもは、かえっ
て体操を嫌いになってしまう。(そういう事実は、教室側としても隠すが……。)マット運動にして
も、鉄棒にしても、あるいは跳び箱にしても、それができたからといって、どういうこともない。で
きないからといって、これまたどういうこともない。しかしそういうところでは、それがあたかも人
間の成長には必要不可欠な要素でもあるかのように教える。親もそう錯覚する。私も中学の授
業でマット運動をさせられたが、あのマット運動ほどいやなものはなかった。そういう子どもの
「思い」は、外には出てこない。

 こうした「おけいこごと」を子どもにさせるときには、子どもの方向性をじゅうぶん、見きわめる
こと。だいたいにおいて、「できないからさせる」「苦手だからさせる」という発想はまちがってい
る。子どもに何かをさせるときは、「得意な分野をさらに伸ばす」という発想で、考える。要する
に、オールマイティの子どもは求めないこと。また求めても意味はない。

 つぎにこの時期できた方向性は、当然のことながら、その子どもの一生に大きな影響を与え
るから注意する。私にも、いろいろなことがあった。たとえば私は小学三年のときに、バイオリ
ン教室へ通わされた。「通わされた」というのは、それだけいやだったということ。今でもレッス
ンの日が、毎週水曜日の午後四時一五分覚えているほどだから、それがいかにいやなもので
あったかは、わかってもらえると思う。ただ私のばあい、バイオリンがいやだったわけではな
い。あの棒がいやだった。何かをまちがえると、講師の先生は、容赦なく私の頭や手を叩い
た。それがいやだった。一年かかって、やっとやめさせてもらったが、その結果、私は大の音
楽嫌いになってしまっていた。小学六年の終わりまで、「オ・ン・ガ・ク」という言葉を聞いただけ
で、背筋がゾーッとしたのを、今でもはっきりと覚えている。幼児教育では、こういうことは、絶
対にあってはならない。

 で、子どもの方向性をつけるコツは、子どもをほめること。最初はウソでもよいから、ほめる。
「この前よりじょうずになったわね」「せんせいがほめていたよ」とか。父親や母親の前でほめる
のも効果的。この時期の子どもは、自分を客観的に評価できないから、周囲の人にほめられ
ると、その気になってしまう。そしてそれが原動力となって、子どもを前向きに伸ばす。


●「恥」の文化

 極東のアジアの小国には、世界の人が見ても、理解しがたい民族性がある。そのひとつが、
「恥」。たいていの日本人は、奈良時代の昔から、日本は文明国だと思っている。しかし日本程
度の歴史なら、アフリカの各部族ならみんな、もっている。(だからといって、日本の歴史を否定
しているのではない。傲慢になってはいけないと言っている。)

 この「恥」には、二種類ある。他人に向かう恥と、自分に向かう恥である。他人に向かう恥とい
うのは、世間を気にした生き方そのものということなる。他人の目の中で生きる人ほど、この恥
を気にする。

 もうひとつは自分に向かう恥。自分の生きザマにきびしい人。あるいは自分にきびしく生きて
いる人ほど、この恥を気にする。人が見ているとか見ていないとか、あるいは人が知っていると
か知らないとか、そういうことは関係ない。あくまでもその恥は自分に向かう。

 この二種類の恥は、たがいに相関関係がある。他人に向かう恥を意識する人ほど、自分へ
の恥に甘い。「人にバレなければよい」とか、「自分さえよければよい」とか考える。あるいは自
分をごまかしてでも、体裁をとりつくろう。

 一方、自分に向かう恥を意識する人ほど、他人を気にしない。「他人がどう思おうが、知った
ことではない。私は私だ」というような考え方をする。これらをまとめると、他人に向かう恥と、自
分に向かう恥は、いわば反比例の関係にあるということになる。同時に両方の恥をもっている
人は、まずいない。(両方ともない人というのは、いるかもしれないが……。)

 ある母親はこう言った。「私の家は、昔からの養鰻業の本家です。息子にはそれなりの大学
へ入ってもらわねば、恥ずかしいです」と。幼稚園を選ぶときにも、それがある。「B幼稚園では
恥ずかしい。S幼稚園でなければ」と。(幼稚園は幼稚園でそういう親の意識をよく知っている
から、それとなくうちは「S」幼稚園ですと、親ににおわす幼稚園もある。)

 こうした傾向は都会より、当然のことながら、農村地域のほうが強い。今でも身なりや、成
績、進学校などなど。家柄や格式、評判や財産にこだわる人は、少なくない。子どもでもいる。
ある中学生(二年男子)は、ことあるごとに自分の家をいうのに、「D家は……」と、「家(け)」を
つけていた。そこで私が「そんな言い方、よせ」と言うと、こう言った。「うちの先祖は、昔は○○
藩の家老だった」と。(私はこういうところが、「理解しがたい民族性」と言っているのだ。)

 さらにこんなことを言った高校生もいた。ある夏の日に私の家に遊びにきて、「先生、D大学
と、M大学は、どちらがかっこうがいいですかね。結婚式の披露宴でのこともありますから」と。
まだ恋人もいないような高校生が、披露宴での見てくれを気にしていた!

 他人に向かう恥を気にし始めると、生きザマそのものが卑屈になる。へんな小細工をしたり、
見栄をはったり。さらには体裁だけを整えたりする。しかしそういう生き方をすればするほど、
結局は自分の人生をムダにすることになる。もちろん「恥」がすべて悪いわけではない。自分に
向かう恥は、むしろ大切にしたい。しかしこれには大きな前提がある。それを恥じるだけの、哲
学なり生きザマ、さらには確固たる信念が必要だということ。それがないと、恥じるべき対象そ
のものがないということになる。言いかえると、哲学や生きザマ、確固たる信念のない人は、自
分に恥じることはない。さらに言いかえると、自分に恥じる人は、哲学や生きザマ、確固たる信
念がある人ということになる。「自分に恥じる」と言っても、そうは簡単なことではない。


●バツはお尻

 子どもに体罰を加えるとしても、決して「頭」にしてはならない。「バツはお尻」と決めておく。頭
は人体の中で、もっとも重要な部分であり、人格そのものも、この頭に宿る。で、こうした体罰
は、一度習慣になると、すぐ手が頭に向かうということになりかねないので、気をつける。その
ためにも、もし今、あなたが頭に向けて体罰を繰り返しているなら、「バツはお尻」と、何度も復
唱してみるとよい。あなたの心構えそのものを、訂正する。

 で、子どもたちが親からどんな体罰を受けているかを調査してみた。三七人の子どもたち(小
学校の低学年児)で、約半数が体罰を受けていることがわかった。圧倒的に多いのが、「親に
叩かれる」(二〇人)。その方法としては、「手で頭や顔を叩く」のほか、「チビクル」「殴る」「パン
チ」「ビンタ」「キック」「ケツ叩き」「ぶっ叩き」など。「押入れに入れられる」「家からの追い出し」
という、オーソドックスなのも、まだ健在のようだ。「出て行くと言って出て行くと、たいて親がさが
しにくる」と話してくれた子どももいた。ちなみに、「出て行け」と言われたことがある子どもは、
一一人。

 つぎに多いバツが、「取りあげ」。おもちゃや本、ゲームなど。子どもが大切にしているもの
を、親が取りあげるという。一人、「お金をまきあげられる」と言った子どももいた。さらに「しば
られる」と言った子どももいた。何でも庭や柱に、ヒモでしばられるという。その話を聞いた別の
子どもが、「ぼくは物干しにつりさげられる」と言った。これには、みな、爆笑した。

 さらに、「嫌いなトマトジュースを飲まされる」「犬小屋で寝させられる」「掃除をさせられる」「頭
の毛を短くされる」と言った子どももいた。「昔は、お灸をすえられるというのもあった」と私が言
うと、「そんなものは知らない」と。ほかに「ごはん抜き」「おいてきぼり」「ものを投げつけられる」
など。「台所のすみで、正座」というのもあった。さらに……。

 「亡くなったお父さんの仏壇の前で正座」と答えた子どももいた。何でもとても恐ろしいことだ
そうだ。その子どもの父親は、その少し前、なくなったばかりだった。私はその話を聞いて、し
んみりとしてしまった。


●子どもの健康は鼻先見る(あくまでも参考に)
 
 子どもの健康状態を簡単に知りたければ、鼻スジを見ればよい。鼻スジがツヤツヤと輝いて
いれば、体力もあり、健康とみる。反対に、鼻スジから鼻先にかけて、どんよりとしてくれば、体
力が落ち、風邪など、何かの病気の前ぶれとみる。

 ほかにも顔だけを見て診断する方法がある。

(1)額(ひたい)の横に青筋がある子ども……神経質な子ども。かんしゃく発作のある子ども。
キレやすい子どもとみる。
 
(2)両ほほの下が、青白い子ども……貧血を疑うが、そうでないときはお腹(なか)の虫を疑
う。私はそれを言い当てるのが得意で、顔を見ただけで、それがわかる。

(3)顔の色が、あちこち赤白、まばらな子ども……発熱直前の状態とみる。たとえばほおの一
部だけが赤いとか、額の右だけが赤いなど。今はそうでなくても、やがて発熱するとみる。

(4)鼻先など、先端だけが赤い……虚弱体質など。生まれつき体が弱い子どもは、体の先端
部が赤くなったりする。

(5)顔の色がくすんでいる子ども……子どもの顔色は、大勢の中で比較して見ると、判断しや
すい。気うつ症的な子どもは、生彩が消え、粉をまぶしたような感じになる。大声で笑えない、
大声を出せないなど。親の威圧的な過干渉が日常的につづくと、子どもはそうなる。黒ずん
で、生彩がないときは、慢性病を疑ってみる。

(6)くちびるの色が淡い子ども……栄養不足、好き嫌いのはげしい子どもを疑ってみる。胃腸
の弱い子どもも、くちびるの色が淡くなる。あわせて顔全体が青白いようであれば、貧血も疑っ
てみる。

 以上は、あくまでも経験的にみた健康診断法で、必ずしも正しくない。(しかし運勢占いや星
占いよりは、ずっと確実!)一度、ここに書いたことを参考にして、そういう目で、あなたの子ど
もを診断してみたら、どうだろうか。
(02−10−16)※

(追記)漢方では、望診論といって、顔色や外の現れた症状をみて、その人の病状を診断する
方法があります。
私が書いた、「目で見る漢方診断」を、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/の、「ビデオ・動画コ
ーナー資料倉庫」に収録しておきます。(一部ですが)興味のある方は、一度、お読みください。

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子育て随筆byはやし浩司(188)

迷信論

 それぞれの国には、それぞれの迷信がある。その迷信を集めて歩くだけでも、結構おもしろ
いのでは……。イギリスの家庭では、塩をこぼすのをいやがる。「日本ではその場所を清める
ため、わざと塩をまく」と教えてあげたら、そのイギリス人の女性(六〇歳くらい)は、心底、驚い
ていた。

 もちろんこの日本にも、ある。私が最初に、その迷信に疑問をもったのは、子どものころだ
が、それについてはよく覚えていない。が、本気で否定するようになったのは、姓名判断に出あ
ったときからだ。ふと「外国人はどうなのか」と思ったのがきっかけだった。「漢字のない国の人
はどうなのか?」と(※)。名前は大切なものだが、画数の組み合わせで、その人の運命が判
断できるというのは、どう考えても、おかしい。

(※これについて、私が、ずっとあとになってからだが、ある著名な姓名鑑定士に、質問する
と、その鑑定士はこう言った。外国人のばあいは、カタカナに一度表記しなおして、そのカタカ
ナの画数によって、判断する、と。)

 その迷信というのは、いわば理性の敵。人は迷信を信ずることによって、理性を放棄する。
あるいは理性の穴を埋めるために、迷信を信ずる。似たようなものに、手相とか、家相とかが
ある。他人の思想(思想と言えるようなものではないが)を否定するのもどうかと思うが、相手
が私を放っておいてくれない以上、否定せざるをえない。山荘の設計図を描いたときも、設計
士の人が、「玄関はここでいいのですか?」と聞いてきた。鬼門の位置に玄関があるというの
だ。私は「構わない」と言ったが、家が建築され始めると、今度は村の人がやってきて、こう言
った。「あんた、この家の玄関は鬼門だよ」と。今の自宅だってそうだ。私はもっと別のところに
玄関をつくりたかったが、母が猛烈に反対した。それで今の位置にした。おかげでどこか住み
にくい。

 私とワイフの籍を入れたのが、一〇月xx日。私の誕生日。仏滅の日だったが、その日のほう
がわかりやすいということで、その日にした。母が「その日だけはやめてくれ」と言ったが、私は
気にしなかった。今でも、かろうじてだが、無事、夫婦でいるところをみると、やはりそんなのは
迷信だった。要するに、こうした迷信は、相手にしないこと。それはクセのようなもので、一度気
にし始めると、それが生活の基本になってしまう。そればかりか、愚にもつかないような行為を
するようになる。

 N氏(四〇歳男性)は、今の家を改築する前、一年間、わざわざ別のところにアパートを借り
て住んでいた。「家(や)移り」という儀式のためだそうだ。K氏(五〇歳男性)は、自分の会社の
社員を雇うとき、その社員の住む家の方角で、雇うかどうかを決めていた。G氏(五〇歳男性)
は、新車を買ったとき、納車の日にちと時刻、さらにどちらの方向から車を車庫に入れるかま
で、こまかくセールスの人に指示していた。どの人も、近くの神社の神主におうかがいをたて、
それで決めてもらっていた。

 私が神様なら、(仏様でもよいが)、いちいちそんなことなど気にしない。仮に一人の人間が
自分の意思に反したことをしたからといって、バチなど与えない。それが宗教であるとするな
ら、宗教は教えによるもの。しかしこうした迷信は、教えではない。論理など、どこにもない。

 ……と書きながら、実のところ、私はうんざりしている。反論するのも、それについて書くのも
バカらしい。時間のムダ。しかしとても残念なのは、子どもたちの世界にまで、こうした迷信が
どんどんと入り込んでいること。占いやまじないを信じている子どもは、いくらでもいる。さらに
霊やカルト、超能力となると、今では信じていない子どもをさがすほうが、むずかしい。星占い、
タロット、風水、手相、四柱推命なども、子どもの世界に、どんどんと入り込んできている。……
ということは、こういうエッセーを書くということは、そういうもの信じている多くの人を敵に回すこ
とになる。しかし大多数の人は、そういったものを信じながらも、どこかおかしいと思っているの
ではないか。もしそうなら、私のような考え方をする人間もいることをどうか忘れないでほしい。
私はそういったものとは、まったく無縁の世界に生きている。が、今までに不都合に思ったこと
は一度もない。タバコと同じで、なければないで、少しも困らない。困ったこともない。

 運命などというのは、自分で切り開くもの。仮にあるとしても、最後の最後で、ふんばって、そ
れと戦うのは、私たち自身の意思による。決して決められたものではない。確かにこの世の中
は、ひとりで生きていくには、不安だ。わからないことも多い。だからといって、未熟で未完成で
あることを恥じることはない。唯一私たちがすべきことがあるとするなら、懸命に生きること。た
だひたすら懸命に生きること。人間の生きる価値や尊さは、そこから生まれる。もしそれがまち
がっているというのなら、それを言う人がまちがっている。

 ……と言っても、実のところ、私には自信がない。最後の最後まで、こうした迷信と無縁でい
られるかというと、どうも自信がない。恩師のK教授も昔、こう言った。「老人の心理は、老人に
ならないとわからないものですよ」と。しかし今は、私は自分の理性をまず大切にしたい。とりあ
えずは、そういう生き方を貫いてみたい。その先に何があるか、本当のところは、よくわからな
いが……。
(02−10−16)※

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子育て随筆byはやし浩司(189)

「尊敬」という言葉

 少し前、ある団体が、こんな世界的な調査をした。「あなたは親を尊敬していますか」と。思っ
たとおり、日本の子どもたちの数字が、一番低かった。

 しかし、こうした国際的な比較調査で、一番注意しなければならないのは、英語の訳である。
日本語でいうところの「尊敬」と、英語でいうところの「respect」とでは、基本的な部分でそのニ
ュアンスが違う。そうした違いを無視して、こうした調査をしても意味がない。よい例が「愛国
心」である。日本政府は、ことあるごとに、「愛国心は世界の常識」というようなことを言うが、英
語で「patriotism」というときは、もともとは、「父なる大地を愛する」というラテン語に由来する。
つまり正確に訳せば、「愛郷心」ということになる。「愛土心」と言ってもよい。そこに「国」という
文字を入れる日本語とは、内容がまったく違う。そういう違いを無視して、「日本の子どもたち
は、愛国心がない」と決めてかかるのは、たいへん危険なことである。言うまでもなく、この日本
では、愛国心というときは、国家体制を意味する。

 さて、その「respect」という単語だが、英語国では、日常的によく使われている。「あなたの
意見はなかなかいいですね」「あなたはすばらしい人ですね」というような意味で、「I respect 
you.」というような言い方をするときもある。日本語でいう「尊敬」という言葉よりも、ずっと気楽
に使われている。だからたとえばアメリカの子どもたちが、「あなたは親を、respectしますか」
と聞かれれば、大半の子どもたちは、「Yes」と答えるだろう。しかし日本ではそうはいかない。
「尊敬」という言葉のもつ意味は、たいへん重い。完全な服従、もしくは、完全な受諾を意味す
る。だから日本の子どもたちが、「あなたは親を尊敬しますか」と聞かれれば、大半の子どもた
ちは、その場で、考え込んでしまうに違いない。

 こうした国際比較の調査は、たいてい何らかの意図をもってなされることが多い。とくに保守
的な人たちによってなされる調査は、じゅうぶん警戒したほうがよい。言葉をたくみにすりかえ
るというのは、日本のお家芸。たとえばよく知られているのに、「教科書問題」がある。〇一年
の国会答弁の中で、「ドイツの教科書検定制度では……」と、堂々と言っていた国会議員がい
た。そこであわてて私がドイツの友人にメールで確かめると、こう言った。「旧東ドイツにはあっ
たが、現在のドイツでも、旧西ドイツでも、検定制度はいっさい、ない」と。英語でいう「テキスト
ブック」を、日本では「教科書」と訳すが、英語でいうテキストは、日本で言う補助教材に近い。
一方、日本語でいう教科書は、いわゆる検定済み教科書を意味する。「テキスト」と「教科書」
は、まったく異質のもの。そういうものをうまく、ごまかしながら、「ドイツの教科書検定制度では
……」と。とても残念なことだが、こうした体質は、戦前の大本営発表、そのままと言ってもよ
い。
(02−10−17)※

(注)私が確かめたところ、欧米先進国(G7参加国)の中で、教科書の検定制度をもうけてい
る国は、日本だけ。しかもその検定制度は、実質、国の管轄下にありながら、「国は関与して
いない」という、まあ何というか、巧みなお膳立てをしていることにも注意。

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子育て随筆byはやし浩司(190)

諮問機関という、ごまかし

 官僚が世間を動かすとき、きまって使われる手法が、「諮問(しもん)委員会」の設立である。
懇談会、研究会、検討会、審議会などという名称を使うこともある。(名称は決まっていない。
教育の世界には、中央教育審議会などがある。)

 まずもっておかしいのは、委員を選ぶときの、その人選のし方。不明確、不明瞭。どういう基
準で、だれが選んでいるかが、まったくわからない。委員ですら、どうして自分が選ばれたの
か、わからないときがある。関係機関に問い合わせても、「お答えできません」と言われるの
み。もちろん委員に選ばれるのは、「イエス・マン」だけ。この世界には、こうした諮問機関をつ
ぎからつぎへと渡り歩いている「有識者?」がいくらでもいる。

 そうして委員会は始まるが、(そうした会議はテレビでもよく紹介されるから、みなさんもご覧
になったことがあると思う)、会議での討論内容のほとんどは、あらかじめ官僚によって作成さ
れる。そして座長と呼ばれる人が、それを順に読みあげ、「いかがですか?」「ご意見は?」と
いう調子で、会議が進んでいく。時間は委員一人あたり、約五〜一〇分程度。一方的に意見を
述べるだけ。討論に発展することは、まずない。大きな諮問委員会でも、回数は五〜六回程
度。最後に座長が、官僚の意向にそった結論をまとめて、文書にして、答申する。それでおし
まい。

 あとはいわゆる「お墨付き」を得た官僚は、その答申をもとに、したい放題。大きな国家プロ
ジェクトの大半は、こうして決まる。空港も、高速道路も、港も、はたまた博覧会も。日本が官
僚主義国家だと言われるゆえんは、こんなところにある。

 さて今夜も、あちこちの諮問委員会の模様が、テレビで報道されることだろう。一度、ここに
書いたような知識を頭に置きながら、ああいった委員会をながめてみたらよい。あなたも諮問
委員会のもつおかしさに、気づくはずである。
(02−10−17)※

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子育て随筆byはやし浩司(191)

インターネット時代に

●クールになった、私

 アメリカで、「クール」というと、「すごい」とか、「かっこいい」という意味になる。若者がよく使
う。私が学生時代には、「グルービィ」とか「ヘビィ」とか言った。

 その「クール」ではなく、日本語のクール。つまり、「冷たい」という意味で、私はこのところ、た
いへんクールになってきた。

 インターネットの影響だと思う。この世界では、ささいな「お人好し」が、命取りになる。何度
も、そういうことがあった。ごく最近では、ある女性から、たてつづけに二通のメールが送られて
きた。一通のほうには(件名)がなかった。しかしもう一通のほうが、ごくふつうの相談のメール
だったので、その件名のないほうのメールまで開いてしまった。とたん、ウィルスの侵入! プ
ロバイダーのウィルスチェックも受け、パソコン独自でもチェックしていたが、やられた! 

 こういうことが重なると、いやがおうでも、クールにならざるをえない。そうでなくても、こうして
メールアドレスを公開しているため、多いときは、一日で数回の攻撃を受けることもある。

 私のばあい、つぎのようにして、防御している。

(1)プロバイダーのウィルスチェック(有料)を受けている。
(2)無線ルーターの暗号化したり、ファイアウォールなどを使って、不正アクセス(ハッカー)を
シャットアウトしている。
(3)パソコンごとに独自のウィルチェックをしている。
(4)ワープロ用、インターネット用、ホームページ用と、パソコンの使い分けている。
(5)件名のないメールなど、あやしげなメールは、プレビューウィンドウに開くことなく、即、削除
している。
(6)あやしげなメールをくれた人などは、アウトルックのフィルタリング機能※を使って、以後、
受信と同時に削除している。(これはあやまって開いてしまうのを避けるため。)

 またホームページからの問い合わせについても、住所や名前のないものは、即、削除。あと
は定期的に、パソコン全体をウィルスチェックしている。ウィルスに侵入されたときの被害(心的
ストレスや再設定などの時間的被害)を考えたら、これはやむをない措置だと思う。攻撃してく
る人も、自分が被害者だということに気がついていないことも多い。

 で、ふと振り返ってみると、私の人間性も少なからず影響を受けているのに気づいた。インタ
ーネットの世界だけではなく、それ以外のところでも、結構、クールになったように思う。こういう
のを「リセット症候群」というのか。人間関係も、切るときは切るという姿勢が強くなった。割り切
り方がシャープになったというか、自分で「この人とはつきわない」と思ったとたん、バサリとそ
の人との関係を切ってしまう。こうしたクールさは、以前の私にはなかったのだが……。

 社会情勢が変化するにつれて、こうした人間の質的変化も起きるだろう。すでにいろいろな
分野で、問題になりつつある。そしてその傾向はこれから先、大きくなることはあっても、もとに
戻ることはない。そんなことを考えながら、今日も、いくつかのメールを、心を鬼にして、削除し
た。あまり気分のよいものではないが……。

※フィルタリング機能……(アウトルックエキスプレス)→(ツール)→(メッセージルール)→(メ
ール)→□「送信者にユーザー名が含まれている場合」にチェック→□「削除する」にチェック→
送信者の名前、アドレスの一部を書き込む。この方法を使うと、受信と同時に、メールを削除し
てくれるので、うるさいメール、迷惑メールなども、シャットアウトできる。便利な方法。

●希薄になる人間関係

 もうひとつ、こんなことにも気づいた。人との通信が、前よりも格段に便利になった。便利にな
りすぎたといってもよい。その結果だが、かえって人間関係が希薄になってしまったように感ず
る。不特定多数の人と、広く浅く通信しているうちに、かえって大切な人との交信が少なくなっ
た。「いつでも交信できる」という思いが、「いつか交信しよう」という思いに変わる。そしてつい、
交信するのがのびのびになってしまう。

 もうひとつ困るのが、混乱。たとえば見知らぬAさんとしばらく交信したりする。しばらくして今
度は見知らぬBさんとしばらく交信したりする。すると頭の中で、AさんとBさんが混乱してしま
い、どちらがどちらだったかわからなくなってしまう。そこへさらにCさん、Dさんが加わると、こ
の状態はますますひどくなる。……やがて、だれがだれだか、わからなくなってしまう。

 便利なインターネットだが、いろいろ問題があるようだ。
(02−10−17)※

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子育て随筆byはやし浩司(192)

依存と愛着

 子どもの依存と、愛着は分けて考える。中には、この二つを混同している人がいる。つまりベ
タベタと親に甘えるのを、依存。全幅に親を信頼し、心を開くのを愛着という。子どもが依存を
もつのは問題だが、愛着をもつのは、大切なこと。

 今、親にさえ心を開かない、あるいは開けない子どもがふえている。簡単な診断方法として
は、抱いてみればよい。心を開いている子どもは、親に抱かれたとき、完全に力を抜いて、体
そのものをべったりと、すりよせてくる。心を開いていない子どもや、開けない子どもは、親に抱
かれたとき、体をこわばらせてしまう。抱く側の印象としては、何かしら丸太を抱いているような
感じになる。

 その抱かれない子どもが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査による
と、四分の一もいるという。原因はいろいろ考えられるが、報告によれば、「抱っこバンドだ」と
言う。

「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒
否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の一に及ぶことが、『臨床育児・保育研
究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。

報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が三
三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が二割前後
見られ、調査した六項目の平均で二五%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固
い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で二〇%の赤ちゃんから報告されたという。
さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放
されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。
また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を
使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)二
〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不
足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。

 子どもは、生後七、八か月ころから、人見知りする時期に入る。一種の恐怖反応といわれて
いるが、この時期を通して、親への愛着を深める。が、この時期、親から子への愛着が不足す
ると、以後、子どもの情緒はきわめて不安定になる。ホスピタリズムという現象を指摘する学者
もいる。いわゆる親の愛情が不足していることが原因で、独得の症状を示すことをいう。だれ
にも愛想がよくなる、表情が乏しくなる、知恵の発達が遅れ気味になる、など。貧乏ゆすりなど
の、独得の症状を示すこともあるという。

 一方、冒頭にも書いたように、依存は、この愛着とは区別して考える。依存性があるから、愛
着性があるということにはならない。愛着性があるから、依存性があるということにはならな
い。が、この二つは、よく混同される。そして混同したまま、「子どもが親に依存するのは、大切
なことだ」と言う人がいる。

 しかし子どもが親に依存性をもつことは、好ましいことではない。依存性が強ければ強いほ
ど、自我の発達が遅れる。人格の「核」形成も遅れる。幼児性(年齢に比して、幼い感じがす
る)、退行性(目標や規則、約束が守れない)などの症状が出てくる。もともと日本人は、親子で
も、たがいの依存性がきわめて強い民族である。依存しあうことが、理想の親子と考えている
人もいる。たとえば昔から、日本では、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコー
ル、よい子と考える。そして独立心が旺盛で、何でも自立して行動する子どもを、かわいげのな
い「鬼ッ子」として嫌う。

 こうしたどこかゆがんだ子育て観が、日本独特の子育ての柱になっている。言いかえると、よ
く「日本人は依存型民族だ」と言われるが、そういう民族性の原因は、こうした独特の子育て観
にあるとみてよい。もちろんそれがすべて悪いと言うのではない。依存型社会は、ある意味で
温もりのある社会である。「もちつもたれつの社会」であり、「互いになれあいの社会」でもあ
る。しかしそれは同時に、世界の常識ではないことも事実で、この日本を一歩外へ出ると。こう
した依存性は、まったく通用しない。それこそ生き馬の目を抜くような世界が待っている。そうい
うことも心のどこかで考えながら、日本人も自分たちの子育てを組み立てる必要があるのでは
ないか。あくまでも一つの意見にすぎないが……。
(02−10−18)※

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子育て随筆byはやし浩司(193)

子育て格言D

●子どもは芸術品

 母親にとって、子どもは芸術品。とくに乳幼児期から幼児期にかけての子どもは、そう思うべ
し。こんな投書が載っていた。

 郵便局で並んで待っていたときのこと。前に立っていた母親が、子どもをおんぶしていた。子
どもは母親の背中で、アイスを食べていた。そのアイスで、その人の服を汚してしまった。そこ
でその人が、「アイスで服が汚れましたが……」と母親に注意すると、その母親はこう言ったと
いう。「子どものすることだから、しかたないでしょ!」と。投書したその人は、「何ともやりきれな
い気持ちになった」と書いていた。

 私にも似たような経験がある。

 新幹線の中で走り回っている子どもたちがいたので、注意すると、いっしょにいた母親はわざ
と私に聞こえるような大声で、こう言った。「うるさい、おじさんねエ」と。以後、私はともかくも、
一時間近く、ピリピリとした雰囲気のままだった。さらにレストランで、箸を口に入れたまま、走
っている子どもがいたので、「あぶないよ」と声をかけたことがある。どこかの子どもが、綿菓子
の棒が喉に刺さって死ぬという事件が起きる、少し前のことだった。が、その子どもの母親は、
私にこう言った。「あんたの子じゃないんだから、いらんこと言わないでくれ」と。すごみのある
声だった。

 こうした母親は、自分の子どもが注意されると、自分の作品をけなされたかのように感ずるら
しい。芸術家が、自分の作品をけなされたような気持ち? つまり親と子の間に、カベがない。
子どもとの間に距離をおいて、子どもを客観的に見ることができない。私自身は母親になった
ことがないので、そういう心理はよくわからないが、そういうことらしい。

 こうした心理がよいとか悪いとか判断する前に、母親にはそういう心理があるという前提でつ
きあうこと。だから、母親の前で、子どもを注意したり、批判したりするときは、じゅうぶん注意
する。そのときはそうでなくても、『江戸の敵(カタキ)を、長崎で討つ』ということも、この世界で
はよくある。クワバラ、クワバラ。


●美徳の陰に欠点あり

 『美徳の陰に欠点あり』。これはイギリスの格言。美徳とまでは言わなくても、こうした例は、
子どもの世界ではよくある。たとえば「字のきれいな子どもは、書くのが遅い」など。こんなこと
があった。

 E君(小三)という子どもがいた。習字の教室で書くようなきれいな字で、いつも書いていた。
それはそれでよいことかもしれないが、その速度が遅い。みなが書き終わって、一服している
ようなときでも、まだ半分も書いていない。ノロノロといったふうではないが、遅い。そこで何度も
はやく書くように言うのだが、それでも、それが精一杯。

 が、とうとう私のほうが、先に限界にきてしまった。そこでこう言った。「ていねいに書かねばな
らないときもある。そうでないときもある。ケースバイケースで、考えて書きなさい」と。とたん、E
君ははやく書くようになった。が、その字を見て、私は驚いた。まったく別人の字というか、かろ
うじて読めるという程度の悪筆だった。しかしそれがE君の「地」だった。

 ほかにも「よくしゃべる子どもは、内容が浅い」など。ペラペラとよくしゃべる子どもは、一見、
利発に見えるが、その実、しゃべっている内容が浅い。脳に飛来する情報を、そのつど加工し
て適当にしゃべっているだけといったふうになる。子どもの世界には、『軽いひとりごとは、抑え
ろ』という格言もある。子どもがペラペラと意味のないことを言いつづけたら、「口を閉じなさい」
といって、それをたしなめる。

 言葉というのは、それを積み重ねると、論理にもなるが、反対に軽い言葉は、その子ども
(人)の思考を停止させる。まさに両刃の剣。たとえば、「ほら、花」「きれい」「あそこにも花」「こ
こにも花」「これもきれい」式の言葉は、その言葉の範囲に、子ども(人)の思考を限定してしま
う。人間の思考は、もっと複雑で深い。それにはやい。が、こうした軽い言葉を口にすることで、
その言葉にとらわれ、それ以上、子ども(人)はものを考えなくなってしまう。

 その状態が進むと、いわゆる多弁性が出てくる。「多弁児」という言葉は、私が考えたが、こ
のタイプの子どもは多い。概して女の子(女性)に多い。

 これについて、こんな興味ある研究結果が報告されている。ついでにここに書いておく。

 言語中枢(ウエルニッケの言語中枢)は左脳にあるが、女性のばあい、機能的MRIを使って
脳を調べると、右脳、つまり右半球のだいたい同じような場所(対照的な位置)にも、同じような
反応が現れるという。また言語中枢(ウエルニッケの言語中枢)の神経細胞の密度も、女性の
ほうが高いということもわかっている。このことから、男性よりも女性のほうが、言葉を理解する
のに、有利な立場にあるとされる。つまり女性のほうが、相手の言葉をよく理解できると同時
に、おしゃべりということ(「脳のしくみ」新井康允氏)。ナルホド!

 
●『人、その子の悪、知ることなし』

出典はわからないが、昔から、『人、その子の悪、知ることなし』という。つまり、親バカは、人の
常ということ。

私の印象に残っている事件に、こんなのがあった。それを話す前に、子どもの虚言(いわゆる
ウソ)と、空想的虚言(妄想)は分けて考える。空想的虚言というのは。言うなれば病的なウソ
で、子ども自身がウソをつきながら、自分でウソをついているという自覚がない。Tさん(小三)
という女の子がそうだった。

 もっともそういう症状があるからといって、すぐ親に報告するということはしない。へたな言い
方をすると、それこそ大騒動になってしまう。また教育の世界では、「診断」はタブー。何か具体
的に問題が起き、親のほうから相談があったとき、それとなく話すという方法をとる。

 が、そのTさんが、こんな事件を起こした。ある日、私のところへやってきて、「バスの中で、教
材用の費用(本代)を落とした」と言うのだ。そこでそのときの様子を聞くと、ことこまかに説明し
始めた。「バスが急にとまった。それで体が前にフラついた。そのときカバンが半分、さかさま
になって、それで落とした」と。落とした様子を覚えているというのも、おかしい。そこで「どうして
拾わなかったの」と聞くと、「混んでいた」「前に大きなおばさんがいて、取れなかった」と。

 しかしその費用が入った袋の中にあった、アンケート用紙は、カバンの中に残っていたとい
う。これもおかしな話だ。中身のお金と封筒だけを落として、その封筒の中のアンケート用紙だ
け残った? それ以前からTさんには、理解しがたいウソが多かったので、私は思いきって事
情を、父親に説明することにした。が、父親は私の話を半分も聞かないうちに、怒りだしてしま
い、こう怒鳴った。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。父親は、警察署で、刑事をしていた。

 そこで私は謝罪するため、翌日の午後、Tさんの家に向かった。Tさんの祖母が玄関で私に
応対した。私は疑って、失礼なことを言ったことをわびた。が、そのときこのこと。私は玄関の
右奥の壁のところに、Tさんが立っているのに気づいた。私たちの会話をずっと聞いていたの
だ。私はTさんの顔を見て、ぞっとした。Tさんが、視線をそらしたまま、ニンマリと、笑ってい
た。

 そのあとしばらくして、Tさんの妹(小一)から、Tさんが、高価な人形を買って、隠しもっている
話を聞いた。値段を聞くと、そのときの費用と、一致した。が、私はそれ以上、何も言えなかっ
た。

 子どもを信ずることは、家庭教育の要(かなめ)だが、親バカになってはいけない。とくに子ど
もを指導する園や学校の先生と、子どもの話をするときは、わが子でも他人と思うこと。そうい
う姿勢が、先生の口を開く。先生にしても、一番話しにくい親というのは、子どものことになる
と、すぐカリカリと神経質になる親。つぎに「うちではふつうです」とか、「うちでは問題ありませ
ん」と反論してくる親。そういう親に出会うと、「どうぞ、ご勝手に」という心境になる。


●『火の中に、鉄を入れすぎるな』 

 『火の中に鉄を入れすぎるな』は、イギリスの教育格言。詰め込みすぎても、かえって逆効果
ということ。子どものやる気(火)は、消えてしまう。が、親にはそれがわからない。たいていの
親は、「うちの子はやればできるはず」と考える。また多少できるようになると、「もっと」とか言
い出す。そういう親の心理が理解できないわけではないが、子どもはロボットではない。あなた
と同じ人間だ。そういう視点をふみはずすと、子どもの姿を見失う。

 やはり印象に残っている子どもに、S君(小二)がいる。S君は、能力的にはそれほど恵まれ
ていなかったが、たいへん生まじめな子どもで、学校の宿題でも何でも、言われたことをきちん
とやりこなす子どもだった。

 しかし実際のところ、このタイプの子どもほど、何か心の問題をもっていることが多い。たいて
いの親は、そういう状態をみると、「まじめないい子」と誤解するが、誤解は誤解。S君は毎日
学校から帰ってくると、一時間は書き取りの勉強をした。ときには、それが二時間にもなること
があったという。しかし、動きざかりの子どもが、二時間も机の前にすわって、黙々と書き取り
の練習をすることのほうが、おかしい。そこで私は、何度も、「そういう勉強はやめたほうがよ
い」と忠告した。

 しかし家族、とくに祖母はその言葉に耳を貸さなかった。まったく耳に入らないというよりは、
むしろ、そういう子ども(孫)を喜んでいた。「先生の指導のおかげで、ああいうう子どもになりま
した」と。「きのうは三時間(三時間!)も勉強してくれました」と言ったこともある。

 やがて小学三年になるころには、漢字練習だけではなく、算数のワークブックも、それなりの
量をこなすようになった。そうしたワークブックは、励ます意味もこめて、私が一応目を通すこと
にしている。が、そのワークブックを見て、私はさらに驚いた。たとえば計算問題なども、まちが
えたところには、別の紙がはりつけてあり、きちんとやり直してあったのだ。

 こうした家庭学習では、ほぼあっていれば、大きな丸をつけてあげるのがよい。いいかげんと
言えば、いいかげんだが、子どもはその「いいかげんな部分」で、息を抜く。羽をのばす。とくに
計算練習などは、一〇問やって、七〜八問できればよしとする。あとは大きな丸を描いて、ほ
めてしあげる。が、その祖母にはそれがわからなかった……らしい。私がそういった丸をつけ
ると、そのつどやってきて、「こういういいかげんな丸をつけてもらっては困ります」と。

 こうなるとS君が、プツンするのは時間の問題だった。S君はやがて慢性的なものもらいにな
り、はげしいチック(筋肉の不規則なけいれん)が起こすようになった。眼科でみてもらうと、塾
が原因と言われた。そこで祖母は、それまで行っていた、おけいこ塾すべて(スイミング、英会
話、算数教室)を、やめた。

 こういうケースでは、一挙にすべてやめるのは、たいへんまずい。やめるとしても、少しずつ
やめるのがよい。あとあとの立ち直りができなくなってしまう。が、S君の祖母は、そういう私の
アドバイスも無視した。私としては、もうなずべきことは何もない。

 で、S君はその直後から、はげしい無気力症状ができてきた。学校から帰ってきても、ただぼ
んやりと空を見ているだけ。反応そのものまでなくなってしまった。好きだったゲームを与えて
も、上の空。もちろん漢字の学習も、計算練習もしなくなってしまった。

 S君はいわゆる、バーントアウト(燃え尽き)してしまったわけだが、そのS君がなぜ、こうまで
私の印象に残っているかといえば、それには理由がある。そういう症状が出てからしばらくした
あと、父親と母親が私のところに相談にやってきた。そしてこう言った。

 「先生、わかっていたら、どうして前もって、それを言ってくれなかったのですか!」と。私が
「こうなることは予想していました」と話したときのことだ。何ともやりきれない思いだけが、あと
に残った。「どうしてこの私が叱られなければならないのか」という思いだけが、強く残った。と、
同時に、S君のことは忘れられない子どもになった。

 S君がそういう子どもになったのは、要するに『火の中に鉄を入れすぎた』からにほかならな
い。しかし親は、「まだだいじょうぶ」「まだいける」と、どんどんと鉄を入れる。そして火が消えて
はじめて、それが失敗だと気づく。これも家庭教育のもつ、大きな落とし穴のひとつということに
なる。
(02−10−18)※

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子育て随筆byはやし浩司(194)

心の実験

 どこまで本当のことを書くか。私はこうしてものを書くとき、いつもこのテーマで悩む。いや、そ
の前に、私には、そこまで本当のことを書かねばならないのかという疑問もある。だれもそんな
こと、望んでいない。知りたいと、言ってきているわけでもない。仮に百歩譲って、本当のことを
書いたところで、それがどうだというのか。……そこであえてここで、ひとつの実験をしてみる。
私にとって、一番恥ずかしい話を、どこまで書けるかという実験である。

 私にも人に知られたくない秘密がいくつか、ある。その中でも、あえてテーマを選ぶとするな
ら、やはり「性」の問題か。とくに私は、一応、教育評論をしている。その立場上、性について書
くのは、半ばタブーになっている。だとするなら、なおさらこのテーマは、実験という意味では、
おもしろい。私がどこまで書けるか。またそれを読んだ、みなさんは、どう感ずるか。

 私の性癖で、ゆがんでいる部分といえば、「のぞき」がある。ワイフと結婚して以来、ほとんど
毎回、いっしょに入浴している。そんな私だが、たまにワイフがひとりで風呂に入っているのを
見たりすると、ゾクゾクと感じたりする。垣間(かいま)見る女体には、不思議な魅力がある。そ
れをワイフに話すと、「バカねエ」と笑う。「見たければ、いくらでも見せてあげる」と言う。しかし
そういうふうにして見せられても、ほとんど何も感じない。

 そんなわけで若いころは、よくストリップを見に行った。もっとも私が好きだったのは、ストリッ
プというより、あの場の雰囲気だった。浜松市の中心街に、昔、K劇場という、これまたうらぶ
れたストリップ劇場があった。イスは破れかぶれ。やたらとトイレ臭い劇場だった。そういうとこ
ろで踊り子たちが踊っている姿をぼんやりと見ていると、人生を感じた。とくに太ももの肉がこ
け、三段腹、四段腹の、四〇歳、五〇歳代の女性が懸命に足を広げて踊っているのを見たり
すると、人生そのものを感じた。私が帽子を深くかぶり、眠ったフリをしていると、踊り子がいつ
もこう言った。「あんた、ウソ寝してないで、ちゃんと見てよ。私のはね、色は黒くても、名器なん
だからさ」と。ある時期から、東南アジアからきた若い女性が踊るようになったが、そういうの
は、ただの「女体」。きれいはきれいだが、人生は感じなかった。

 私は、商社マンだった一時期をのぞいて、バーとか、キャバレーとか、はたまた風俗店へ足
を踏み入れたことは、ただの一度もない。若いころ、貿易会社の顧問をしたり、ドクターの代筆
をしたこともあり、そういう人たちに連れられて、トルコ風呂へはときどき行った。ときどきといっ
ても、合計して一〇回くらいか。しかしそれも、あるときフィリッピンの女性がエイズになったとい
う話を聞いてからは、完全にやめた。

 若いころは、そして今も、それほど深い道徳や倫理観はもっていなかった。だから、そういう
ことをしても、罪悪感はあまり感じなかった。ストリップにしても、いつもワイフの了解を得て行っ
た。そうワイフは、実にさっぱりした女性で、何かあると、「あんたも、ストリップでも見て、気分
転換してきたら」と、私に言ったりした。

 ……さて、ここまで読んで、あなたは私のことをどう思っただろうか。私はあえて正直に、自分
のことを書いた。これが実験である。そういう読者はいないと思うが、私にもし幻想を抱いてい
る人がいたら、ショックを受けるかもしれない。私も、どこかの牧師や僧侶がここに書いたよう
なことを書いたら、驚くと思う。しかし私は牧師でも僧侶でもない。ごくふつうの、ただの「男」で
ある。よく子ども(生徒)たちが、私にこう聞く。「先生は、スケベか」と。そういうとき私は、こう言
う。「君たちのお父さんと同じだよ」と。あるいは「先生は、エロビデオを見るか」と聞くときもあ
る。そういうとき私は、こう言う。「もう見飽(あ)きたよ」と。

 さて今度は私の心境。こうして正直に自分のことを書いてみると、意外と、何でもないことだと
わかった。書く前は、「こんなことを書いていいものか」と思ったが、書き終わってみると、「くだ
らないことを書いたな」というふうに思うようになった。あるいはこんなつまらないこと書いたとこ
ろで、どうなのかとも思った。だいたいにおいて、「正直に書かねばならない」と構えるようなテ
ーマではない。しかしこの実験の結果というか、こうして自分のことを書いてみることによって、
つぎのようなことは学んだ。

 ものを書くときは、正直に書くとか書かないとか、そういうふうに気負うことはない。ありのまま
を書く。それでよい。へんな気負いをもつと、書くほうも疲れる。それをどう判断するかは、読者
の問題であって、私の問題ではない。言いかえると、ありのままを書いてもよいように、いつも
自分の身辺を整えておかねばならない。実のところ、ものを書く人間は、ものを書くときよりも、
そちらのほうに気をつかう。ごまかして、自分を飾ってもすぐボロが出る。またそういう文章は、
あとで読み返しても後味が悪い。つまりそれこそ時間をムダというもの。これからも、そういう後
味の悪い文章だけは書きたくない。……書かない。

 以上で、今日の実験は、お・し・ま・い。
(02−10−18)※

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子育て随筆byはやし浩司(195)
 
子育て格言


●『ひまな子どもほど、忙しいと言う』

 『ひまな子どもほど、忙しいと言う』は、イギリスの格言。つまりひまで、時間をもてあましてい
る子どもほど、何かを言いつけたりすると、「忙しいからできない」を口実に、しない。日本でも、
昔から、『大工は、いそがしい大工に頼め』という。いそがしい大工は、それだけ仕事から手を
抜くかといえば、そうではない。反対にヒマそうな大工ほど、それだけよい仕事をしてくれるので
はと思いがちだが、実際には、しない。

 人はある緊張感に巻き込まれると、そのリズムで、仕事をするようになる。わかりやすく言え
ば、「活気」ということか。これは教師についても言える。毎日、忙しそうにキビキビと動いてい
る教師は、そのリズムの中で、どんどんと仕事をこなしていく。仕事ぶりもよい。しかし毎日ひま
そうな教師は、そのリズムで、どんどんと仕事をあと回しにしていく。そのため仕事から、できる
だけ手を抜こうとする。

 子どもを伸ばすコツは、言うなれば、こうした緊張感のあるリズムの中に、子どもを巻き込む
こと。そして子ども自身が、日々の生活をキビキビとこなしていくようであれば、よし。そうでなけ
れば、……と書いたが、この先がむずかしい。一度だらしなくなってしまった生活は、なかなか
もとには戻らない。たとえば子どもに退行的な生活態度(約束や規則、目標が守れない。時間
がルーズになる。生活習慣が乱れる。だらしなくなる)が見られるようになると、それをなおすの
は、容易ではない。要は、そういう子どもにしないことだが、親が寝そべって、せんべいを食べ
ながら、「あんたはしっかりしてね」はない。結局は、親の心がまえの問題ということになる。

 そこであなた自身はどうか。毎日、メリハリのある生活を、キビキビとこなしているだろうか。
さらに月単位、年単位で、キビキビとこなしているだろうか。もしそうなら、そうした緊張感は、子
どもによい影響を与えているはずである。そうでなければ、そうでない。

 ふつうキビキビと目標をもって生活している子どもは、「忙しい」とは言わない。「時間がない」
という。だからこのイギリスの格言をもじると、こうなる。

 『忙しい子どもほど、時間がないと言う』と。さて、あなたの子どもはどうか。あなた自身はどう
か。


●肥満傾向は手の甲を見る

 もう三〇年前になるが、仕事で香港へ行くたびに、私は低周波治療器なるものを数台買って
きた。向こうでは五〜六万円のものだったが、日本へもってくると、一〇万円以上で売れた。日
本では針治療や、ハリ麻酔の研究にそれを使った。治療器と言っても、簡単な機械で、ぎょう
ぎょうしい外装とは別に、中身はがらんどうだった。

 その機械を日本でもできないかと考えていたとき、私は皮膚電気抵抗値という言葉を知っ
た。人間の体に微弱な電流(3V程度)を流すと、体の部位によって、抵抗値が違うというのだ。
測定はマイクロアンペア計ですればよい。このアンペア計が、当時、精度のよいもので、四〜
五〇〇〇円。あとはそれに整流体(一方向に電流を流すようにするもの)や抵抗体(電流を、
測定しやすい値に補正するもの)をつければ、それで皮膚電気抵抗値を測定できた。実に簡
単な装置だった。値段も、乾電池を含めても、五〇〇〇円前後だった。私はそれを使って、ハ
リ麻酔の研究をつづけた。

 が、やがてその皮膚電気抵抗値を応用して、体脂肪測定器ができるとは、思ってもみなかっ
た。脂肪分の多い人は、当然抵抗値が大きくなる。脂肪は電気を通さないからだ。一方、脂肪
の少ない人は、それだけ抵抗値が小さくなる。この値を補正すれば、「体脂肪率○○%」と表
示することができる。まちがいなく、私はそのとき皮膚電気抵抗値の研究では、最先端を走っ
ていた。もしそのとき、それに気づいていれば、億万長者になっていたと思う。人生には、そう
いう、つまり、あとで気がついてみるとわかるが、そのときは見逃してしまうチャンスというの
が、ときどきあるものだ。しかしこれは余談。

 その肥満。長い間、子どもの肥満を見ていて気づいたことがある。満四歳前後までは、乳幼
児期の肥満がつづいているが、それ以後、子どもの体形は、少年少女期に向かって、スリム
になっていく。そのとき、肥満傾向がつづく子どもは、手の甲の肉がぷっくりとふくれたような感
じになる。そうでない子どもは、そうでない。もう少し詳しく言うと、こうだ。

 手のひらをぐいとのばしてみる。すると五本の指の付け根に、指からのびる五本の腱が現れ
る。この腱の様子を見れば、子どもの肥満度をある程度、判断できる。

(肥満度一)子どもの肥満傾向が進むと、四肢の末端からその傾向がはっきりとわかるように
なる。たとえば手の甲(てのひらの部分の反対側)が、何となくぷっくりと張れたような感じにな
る。腱そのものが、わかりにくくなる。

(肥満度二)さらに肥満度が進むと、この腱がまったく見えなくなり、かわって、付け根のところ
に、えくぼが現れるようになる。

(肥満度三)さらに肥満度が進むと、手の甲全体が丸くふくらんだようになり、手を伸ばすと、甲
に深いえくぼが現れるようになる。この段階になると、肥満がだれの目にもわかるようになる。

 子どものばあい、肥満は大敵。(太る)→(運動不足になる)→(ますます太る)の悪循環に入
ると、肥満度は一挙に加速する。学習にも大きな影響が出てくる。これはあくまでも見た感じだ
が、脳へ行くべき血流が、どこかほかへ行くような感じになってしまう。そのため集中力や思考
力が弱くなる。

 こうした肥満傾向が見られたら、できるだけ初期の段階で、家庭の中から、食べ物を一掃す
るのがよい。思い切って捨てる。「もったいない」と思ったら、なおさら、そうする。そういう「思
い」が、まちがった買い物習慣を改めさせる。このタイプの親ほど、「うちの子はそれほど食べ
ていません」とか、「食事には注意しています」とか言う。しかしその反面、家の中には、食べ物
がゴロゴロしているもの。基準そのものが、ふつうの家庭と大きくズレていることが多い。

 なおこの手の甲をみる肥満度検査法は、ここにも書いたように、満四歳児以下には応用でき
ない。


●『肥料のやりすぎは、根を枯らす』

 昔から日本では、『肥料のやりすぎは、根を枯らす』という。子育ては、まさにそうだが、問題
は、その基準がはっきりしないということ。

 概してみれば、日本の子育ては、「やりすぎ」。多くの親たちは、「子どもに楽をさせること」
「子どもにいい思いをさせること」が、親子のパイプを太くすることだと誤解している。またそれ
が親の深い証(あかし)と思い込んでいる。しかもそういうことを、伝統的にというか、無意識の
まましてしまう。

 たとえば子どもに、数万円もするテレビゲームを買い与える愚かさを知れ!
 たとえば休みごとに、ドライブにつれていき、レストランで食事をすることの愚かさを知れ!
 たとえば日々の献立、休日の過ごし方が、子ども中心になっていることの愚かさを知れ!
 たとえば誕生日だ、クリスマスだのと、子どもを喜ばすことしか考えない、愚かさを知れ!
 たとえば子育て新聞まで発行して、自分の子どもをタレント化していることの愚かさを知れ!
 たとえば子どもが望みもしないのに、それ英会話、それバイオリン、それスイミングと、お金
ばかりかけることの愚かさを知れ!
 
 こうした生活が日常化すると、子どもは世界が自分を中心に動いていると錯覚するようにな
る。そして自分の本分を忘れ、やがて親子の立場が逆転する。本末が、転倒(てんとう)する。
たまには、高価なものを買うこともあるだろう。たまには、レストランへ連れていくこともあるだろ
う。しかしそれは、「たまには……」のことである。その本分だけは忘れてはいけない。

 こうして、日本の親たちは、子どもがまだ乳幼児期のときに、やり過ぎるほどやり過ぎてしま
う。結果、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。あるアメリカ人の教育家はこう言った。「ヒロシ、日
本の子どもたちは、一〇〇%、スポイルされているね」と。「スポイル」というのは、「ドラ化して
いる」という意味だ。

 子どもというのは。皮肉なもので、使えば使うほど、よい子になる。忍耐力も強くなり、生活力
も身につく。さらに人の苦労もわかるようになるから、その分、親の苦労も理解できるようにな
る。親子のパイプもそれで太くなる。そこでテスト。

 あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてほしい。そのときあなたの
子どもが、「ママ、助けてあげる」と走りよってくれば、それでよし。しかしそれを見て見ぬフリし
たり、テレビゲームに夢中になっているようであれば、あなたは家庭教育のあり方を、かなり反
省したほうがよい。子どもをかわいがるということは、どういうことなのか。子どもを育てるという
ことがどういうことなのか。それをもう一度、原点に返って考えなおしてみたほうがよい。


●昼寝グセはガムで

 慢性的な睡眠不足とは別に、満五歳をすぎても、昼寝グセが残っているようなら、その時間、
ガムをかませるとよい。(だからといって、昼寝が悪いといっているのではない。もし気になるな
ら、ということ。)

 ここまで書いて気がついたが、本来人間は、生物学的に、昼寝をする習慣をもっているので
はないか。外国へ行っても、昼食後、昼寝する民族は多い。スペインに住んでいる知人も、少
し前メールで、こう教えてくれた。「このあたりでは、昼休みが長く、子どもたちは一度家へ帰っ
て、昼寝する。それで子どもたちも、夜一〇時をすぎても、通りで遊んでいる」と。日本の生活
習慣、あるいは常識が、そのまま世界の生活習慣の基準と考えるのは、正しくない。

 実のところ、私も五〇歳を過ぎるころから、昼寝をするようになった。毎日というわけではない
が、数日おきくらいにそうしている。そういう自分を振り返ってみると、昼寝は悪いものではない
と思うし、それが子どもにあっても、不思議ではない。むしろ現代生活のほうが、人間本来の生
活習慣をねじまげているのではないか?

 話はそれたが、ガムをかむことには、いろいろな利点がある。頭がよくなる(サイエンス誌)と
いう説もあるが、これなどは、素人が考えても、納得できる。あごの運動が、脳の活動を活発
化する。ほかにあごの筋肉を鍛えるということもある。当然、咀嚼(そしゃく=かむ)力が鍛えら
れる。胃腸のためにも、よい、などなど。そんなわけで、子どもにはガムをかませるとよい。が、
これにはいくつか、コツがある。

(1)当然のことながら、菓子ガムは、避ける。
(2)ガムは、一枚与えて、最低でも三〇分は同じガムをかませる。つぎつぎと交換するのは避
ける。
(3)はげしい運動中は、ガムは避ける。息を吸い込んだとき、のどをつまらせる。
(4)子どもの口にあった適量にする。幼児のばあい、ふつうのガムの半分の量でよい、など。
ほかにガムを捨てるときの、マナーを最初に、しっかりと教えておくというのもある。


●不安の原因は、わだかまり

 子育てをしていて、いつも同じパターンで、同じように失敗するというのであれば、あなた自身
の中に潜む、「わだかまり」をさぐってみる。わだかまりは、あなたの心の奥に巣をつくり、あな
たを裏から操る。

 わだかまりがあるということが悪いのではない。ほとんどの人は、何らかのわだかまりをもっ
ている。わだかまりがあるということが悪いのではなく、その「ある」ことに気がつかないまま、そ
れに振り回されるのが悪い。

 望まない結婚であった。望まない子どもであった。妊娠中に大きな不安があった。実家とうま
くいっていない。不幸な家庭生活だった。生活苦がある。夫婦げんかが絶えない。夫婦関係が
ぎくしゃくしている、などなど。こうした「思い」が、わだかまりとなり、それが「子育ての不安」を
増大させる。

 ある母親は、小学一年生の男の子を、「イヤーッ!」と叫んで、手で払いのけていた。長い
間、その理由がわからなかったが、いろいろ振り返ってみると、望まない結婚が原因だったと
いうことがわかった。

現在の夫(子どもの父親)は、その母親に対して、結婚前、執拗なストーカー行為を繰り返して
いた。が、その母親は心のやさしい人だった。「実家に迷惑がかかってはいけない」「私ひとり
ががまんすれば何とかなる」と考えて、その男と結婚した。が、そんな結婚だから、最初からう
まくいくはずがない。殺伐(さつばつ)とした結婚生活がつづいた。そこでその母親は、「子はか
すがいという。子どもをつくれば何とか、うまくいくだろう」と考えて、その男の子をもうけた。子ど
もが「ママ!」とすりよってくるたびに、その母親は、無意識のまま、その男の子を払いのけて
いたというわけである。

 こうしたわだかまりは、それに気がつくだけで、消えることはないが、おとなしくさせることはで
きる。そのあと少し時間はかかるが、やがて問題も解決する。そこで大切なことは、冒頭に書
いたように、いつも同じようなパターンで、同じように失敗するというのであれば、このわだかま
りを疑ってみる。何かあるはずである。
(02−10−19)※



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子育て随筆byはやし浩司(197)

ある信仰団体

 今日も、その人たちがやってきた。Aというユダヤ系の宗教教団に属する人たちだ。みな、大
きなカバンをもち、一様に満ち足りた表情をしている。彼らの教団では、月にX十時間の布教
が義務づけられている。私が電話で「義務ですか?」と問い合わせると、「義務ではありませ
ん。しかし熱心な信者なら、みなそうしています」と。

 月にX十時間と言えば、土日の計八日で割っても、一日、X時間前後になる。たいへんな重労
働だ。彼らはそのため、土日は、ほとんど丸一日を、その布教活動のために使っている。で、
会って話を聞くと、その布教のために使う小冊子などは、すべて自前で購入するという。一方で
教団には、一円も寄付しないということだが、こうした形、つまり教団から布教に必要な小冊子
や冊子、さらには聖書などを購入することによって、財政的に教団を支えている。……らしい。

 ユダヤ教と言えば、旧約聖書に基づく。私は若いころ、あることからシュメール文化に興味を
もち、つづいて、アッシリア物語に興味をもったことがある。現在、当時の記録を残す楔形(くさ
びがた)文字で書かれた土板が大量に発掘されていて、それらが翻訳されている。アッシリア
物語は、いわば旧約聖書の母体となった物語だと思えばよい。そのアッシリア物語を読んで
も、旧約聖書がかなり「いいかげんな書物だ」ということがわかる。それもそのはずで、旧約聖
書は、シュメール文化が滅んでから、七〇〇〜一〇〇〇年もたってから、ユダヤ人たちによっ
て書かれた書物だからである。日本で言えば、二〇〇二年に、鎌倉時代の物語を思い出しな
がら書いたようなものだ。

 ……だからといって、旧約聖書を否定しているのではない。私が「聖書だって、まちがいがあ
るかもしれませんよ」と言ったときのこと。彼らは血相を変えた。横にいた女性は、「聖書を疑う
なんて!」とそのまま絶句してしまった。彼らにとって、聖書というのは、そういものらしい。その
気持ちはわかる。

多かれ少なかれ……というより、ほとんどの宗教は、自らの宗教的権威のハクづけを信仰の
「柱」にする。宗教的権威のない宗教はないとさえ言える。たとえばこの日本では、経文を現代
日本語に翻訳しただけで、あちこちからクレーム(抗議)が殺到する。「勝手な解釈をしてもらっ
ては困る」「経文には、うわべの意味と、底に沈んだ意味がある」「経文を翻訳することができる
のは、私たちの法主(ほっす)だけだ」と。経文というのは、チンプンカンプンであればあるほ
ど、信者にはありがたみが増すというわけだ。

 しかし私は僧侶の、あの読経を聞くたびに、いつもこう思う。「中国人が読んでも意味がわか
らないような漢文を、これまたメチャメチャな発音で読んで、本当にインド人のお釈迦さまが、
理解できるのか」と。

 もちろん信仰するのは、その人の自由。勝手。反社会的な宗教教団は別として、彼らの信仰
は信仰として、尊重しなければならない。よく誤解されるが、宗教教団があるから、信者がいる
のではない。それを求める信者がいるから、宗教教団がある。宗教教団を否定しても意味が
ない。それはわかるが、ではなぜ、彼らはスカズカと、私の家に入り込んでくるのか。「私たち
は絶対正しい」と私に向かって言うことは、「あなたはまちがっている」と私に言うに等しい。そう
いう失礼なことを言いながら、なぜ彼らは、わからないのか。

 私たちは今、自分の足で立ちあがろうとしている。どれもこれも不完全で、未熟なものだ。し
かしそれでも自分の足で立ちあがろうとしている。人間の生きる美しさは、そこから生まれる。
無数のドラマもそこから生まれる。私とて、神や仏に頼ることができたら、どれほど気が楽にな
ることか。身を寄せ、すべてを任せてしまえば、もう考える必要はない。しかしそれは、私にとっ
ては、敗北以外の何ものでもない。私は、たった一度しかない人生だから、自分の足で歩いて
みたい。自分の頭で考えてみたい。もしそれがまちがっているというのなら、神や仏のほうがま
ちがっている。野を走る動物を見ろ。野に咲く花を見ろ。みんな自分の力で生きているではな
いか。みんな自分の力で懸命に生きているではないか。

 冒頭のAという宗教教団の信者はこう言った。「それではあなたは救われません」と。「救う」と
か「救われない」とか、そこらの人間が軽々に言ってもらっては困る。口にするような言葉では
ない。具体的には、「終末(世の終わり)に、神の降臨があり、信したものだけが救われる」とい
う。もしそうなら、その宗教教団は、まちがっている。野を走る動物や、野に咲く花は救われな
いのか。懸命に生きている私は救われないのか。もし、そうならそれで結構。私は死んだら、ま
っさきに、その神様のところへ行き、「あんたはまちがっている」と言ってやる。

 そう、私は神や仏ではないが、毎日子どもたちに接していると、神や仏の気持ちが理解でき
るときがある。いや、キリストにせよ、釈迦にせよ、もともとは教師ではなかったのか。私はそう
いう子どもたちに接しながら、「先生、先生」と、ベタベタとすりよってくる子どもよりも、「林のバ
カヤロー」と悪態をつく子どものほうが、かわいい。「先生の言うことなんか、まちがっている。
ぼくのほうが正しい」と言う子どものほうが、たのもしい。いわんや、「君は、私の教えに従わな
かったから、人生で失敗する」とか、「バチが当たる」とか、そういうことは言わない。

この地上で、その人が少しくらい、神や仏の意思に反したことをしたからといって、どうしてその
人を救わないということがあるのか。またそういうことがあってよいのか。私が神や仏なら、「あ
んたも、ずいぶんと、勝手なことをしましたね」と笑ってすます。無量無辺に心が広いから、神と
いう。仏という。そういう神や仏に甘えてよいというのではない。その前に、まず自分の足で立
ちあがってこそ、私たちは人間なのだ。

 彼らは実に楽しそうだ。私に対してはともかくも、仲間どうし、実にわきあいあいとしている。
振り返ると、私の家へ来た信者たちは、電柱のところに待っていた別の信者と合流した。うれし
そうだった。もっともこういう関係があるから、宗教教団は強い。まとまる。信仰する。私も子供
会や自治会、PTAの役員などをしてきたが、そういうところでは、絶対に味わうことができない
関係といってもよい。

私は、半ば「うらやましいな」と思いつつ、玄関のドアを閉めた。
(02−10−19)※

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子育て随筆byはやし浩司(198)

ひたすら懸命に生きる

 世の中に「完全」はない。それが完全と思っていても、しばらくすると、またつぎの完全が現れ
る。つまり完全であるかないかということは、相対的なもの。もっと言えば、完全と思っているも
のでも、「今の段階ではベスト」というに過ぎない。だから、不完全であることを、恥じることはな
い。恥じるべきことがあるとするなら、それは「懸命でなかった」ことだ。

 私は今、音楽を聞きながら、この原稿を書いている。たまたま今は、パッヘルベルの「カノ
ン」。こうした曲を聞いていると、この曲はこの曲で完成されていることを知る。しかし完全では
ない。完全ではないことは、この曲が、無数の曲の一つにすぎないことでもわかる。もし完全な
ら、あとにも先にも、この曲だけが曲であり、それ以外に曲はないことになる。たとえば今は、カ
ノンが終わり、グルックの「聖霊の踊り」になった。どこか牧歌的な、澄んだ曲だ。この曲はこの
曲で、すばらしい。

 人生にも、これに似たところがある。私たちは生きている。生きて、それぞれの人生を織りな
している。しかしどの一つをとっても、完全な人生などない。あるはずもない。そこで大切なこと
は、完全でないことを嘆くことではなく、それぞれの人生を、精一杯、懸命に生きることである。
そしてそれぞれの人が、それぞれの人生を完成させることである。どんな人生でもよい。懸命
に生きて生き抜いて、そしてそれぞれの人生をまっとうする。人間が生きる美しさはそこから生
まれる。無数のドラマもそこから生まれる。そして生きる意味や価値も、そこから生まれる。

 曲はさらに変わって、バダジェフスカの「乙女の祈り」になった。今度は、どこかラジオ体操風
の曲だ。それをぼんやりと聞いていると、さらにヨハン・シュトラウスUの「ウィーンかたぎ」にな
った。今、聞いているCDは、NHKが編集した「名曲アルバム」。つぎつぎと曲がかわっていく。
そのたびに、私はこう思う。「こうした曲を作曲した人も、懸命に生きたのだな」と。その懸命さ
が、時代や国を超えて、私たちのところに今、届く。そしてそれが私たちを感動させる。つまり
私たちの人生もそれと同じで、もしあなたや私が、「私」をなくし、そして毎日ただひたすら同じこ
とを平凡に繰り返しているだけとするなら、そういう人生からは、ドラマは生まれない。またそう
いう人生には、生きる意味も価値もない。だから人の心をとらえることもない。……こう言いき
るのは、危険なことかもしれないが、今の私は、そう思う。

 ただ誤解しないでほしいのは、だからといって、完全を求めるのがムダであるとか、まちがっ
ているとか言っているのではない。完全を求めることは、それ自体、すばらしいことなのだ。事
実、私たちはいつも心の中で、「完全」を求めている。しかしそれは同時に、あくなき戦いでもあ
ると言ってもよい。一つの山を越えると、その向こうに今度は谷がある。そこでその谷を越える
と、また山がある。「この山こそ最高の山だ」と思って登ってみると、またその向こうに、別の山
がある……。ゴータマブッダは、そういう状態を、「精進(しょうじん)」という言葉を使って表現し
た。つまり日々に前に進むことこそ、生きる道である。「完全」、言いかえると、「絶対的な真理」
はない、と。

 これは私の勝手な解釈によるものだが、「完全」というものは、そういうものではないのか。さ
らに曲は変わって、グリーグの「ノクターン」になった。たとえていうなら、それぞれの曲が、「山」
のようなものだ。どの山がすぐれているとか、高いということはない。どの山も、登ってみると、
それが山であり、その山ごとの美しさがある。そこでつぎに大切なことは、それぞれの山のす
ばらしさを、そのつど堪能することである。決して山はひとつと思ってはいけない。またその山
だけを見て、それがすべてと思ってはいけない。山は無数にあるし、同じ数だけ谷も無数にあ
る。つまりそうして懸命に山を登ったり、谷を越えたりするのが、人間が織りなす、まさにドラマ
なのだ。

 繰り返すが、不完全であることを恥じることはない。大切なことは、与えられた人生を、ただひ
たすら懸命に生きること。ただただひたすら、どこまでも懸命に生きること。結果は、向こうから
必ずやってくる。たとえ結果が不満足なものであっても、人から認められなくても、気にすること
はない。大切なのは、いかにして自分が自分の人生を完成させるか、だ。これはあくまでも自
分自身の問題。どこまでもどこまでも、自分自身の問題。……と、少し偉そうなことを書いてし
まったが、今、自分にそう言い聞かせている。
(02−10−19)※

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子育て随筆byはやし浩司(199)

言葉と文字

 静かな朝。どこかモヤがかかって、景色が白くかすんでいる。風はない。音もない。いや、時
折、チッチッと小鳥のさえずる声。それに昨夜降った雨で増水したのだろう。谷のほうから、川
の流れる音が聞こえてくる。 

 ふと見ると、窓の左のところで、いつものクモが、いつものように巣をつくり、さかさまにぶらさ
がっている。一本の糸を、ちょうど窓ワクの端にひっかけているため、窓をあけるたびに、糸が
切れる。しかしそのクモは、先週も、そこにいた。その前の週も、そこにいた。

 クモという虫は、私たち人間が考えているより、はるかに頭がよいようだ。どこにそんな知恵
があるのかと思うようなことを、平気でやってのける。そう言えば、ハチもそうだ。とくにスズメバ
チは頭がよい。先日も山荘の近くまでエサを取りに来ていたので、ハチが一度巣へ帰ったあ
と、そのエサをわざと移動してみた。が、そのハチは、しばらくそのあたりをさがしたあと、すぐ
そのエサを見つけてしまった。
 
 もちろん人間も、頭がよい。山荘の下の谷にそって、国道が走る。その国道が、ちょうど橋の
ところで山が切れ、よく見える。まだ早朝なので、走っている車は少ないが、それでも思い出し
たころ、車が走る。その車を見ると、「人間もすごいものを作ったものだ」と思う。いや、目の前
のパソコンだってそうだ。

 そこで私は考える。目の前のクモと、人間を区別するものは、何か、と。ハチと人間でもよ
い。どこがどう違うのか、と。ただ誤解してはいけないのは、人間がこうしてモノを作り始めたの
は、それほど昔ではないということ。石器時代の石器を見ればわかるように、人間はごく最近
まで、そういうものしか作ることができなかった。新石器時代にしても、つまりその時代から、人
間にとっては、「有史」の時代になるわけだが、それとて、たかだかこの七〜八〇〇〇年前に
過ぎない。人類が誕生してから、数一〇万年になるというから、人類は、大半の時代を、「闇」
の中で暮らしていたということになる。その間、人間はクモやハチのようだったとは言わない
が、しかしサルやイヌのようであったとは言える。

 そこでさらに考えると、人間が発明したもので、最大のものは、やはり「言葉」であり、「文字」
であることに気づく。私は今、こうして考えながら、その言葉を文字として書きとめている。が、
もしその言葉や文字がなかったら、私は自分の考えを、「形」として書きとめるどころか、まとめ
ることさえできない。それはちょうど静かな朝、ふとんの中で目をさまし、あれこれぼんやりと考
えている状態ではないか。いくら考えても、思考そのものがまとまらない。しかし起きて、お茶を
飲んで、そしてパソコンに向かい、おもむろに指を躍らせ始める。そうすると、考えが言葉にな
り、そしてこうして文字になる。

 クモやハチにはそれがない。恐らく、つぎつぎと飛来する、思想の原型のようなものは感じな
がらも、それをただ、繰り返し、ループさせているだけなのだろう。だからいつまでたっても、進
歩はない。言葉も生まれない。このことは、飼っているイヌを見ればわかる。私の家には二匹
のイヌがいるが、生まれて半年くらいはともかくも、それ以後の一〇年間は、毎日、ほぼ同じこ
とを繰り返している。そしてそれ以上の変化も、進歩もない。

 ……となると、クモと人間を分けているのは、モノではなく、言葉だということになる。そう言え
ば、有史になってはじめて人間は、文字を発明し、そしてそれを何らかの形で記録するように
なった。簡単な言葉はそれ以前からもあったのだろうが、文字の発明によって、言葉は飛躍的
に進歩した。繰り返すが、人間にとって、最大の発明は、言葉であり、文字だったのだ。言うま
でもなく、クモやハチには、それがない。

 先ほどまでクモは、逆さまにつりさがっていたが、(クモにとっては、どちらが逆さまということ
はないのかもしれないが……)、今は何やらせわしく足を動かして、仕事をしている。巣のあち
こちには、虫がからんだのだろう。いくつかの糸のかたまりができている。あたりはすっかりと
明るくなった。私は心のどこかで抵抗を感じながらも、窓をあけることにした。そして先週と同じ
ように、もちろんそうすれば、その前の週と同じように、これからクモの糸を切ることになる。「も
っと別の場所に巣をつくればいいのに」と思うが、クモというのは、そういう虫なのだ。私とて朝
のすがすがしい冷気を、一度、自分の山荘の中に取り込まねばならない。
(02−10−20)※

(追記)言葉と文字……人類最大の発明などというのは、常識。「今ごろ、そんなことを知った
のか」と、どうか笑わないでほしい。私は今朝、それを改めて再確認したということ。

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子育て随筆byはやし浩司(200)

 
新子育て格言D

●不安がデマを呼ぶ

毎年、受験期が近づくと、いろいろなデマが飛び交うようになる。おもしろいのは(失礼!)、毎
年、同じデマだということ。親にしてみれば、その年一回だけだから、それがわからない。しか
し毎年みていると、それがわかる。もっと言えば、毎年親や子どもは移り変わるが、親や子ども
の質は変わらないということ。

 S小学校の入試についても、今までこんなデマがあった。

○今年は受験者数が多い。男子(もしくは女子)が、とくに多いので、不利。
○学校の内部資料(合格基準)が漏れている。一〇〇万円出せば、手に入る。
○幼稚園から内申書が行くようになった。幼稚園の先生には、よくしておいたほうがよい。
○不合格者も、四〇〇万円寄付すれば、合格にしてもらえる。
○親の職業が重要視される。母子家庭の子どもは合格できない。
○S小学校の現役(もしくは退職)教師が、個人レッスンをしている。受けたほうが有利。

さらに具体的になると、「ハサミやホッチキスが使えない子どもは合格できない」「あいさつがき
ちんとできなければ、不利」「野菜の名前をすべて知っていないと、合格できない」などなど。こ
れらすべてが、デマ(ウソ)だから、すさまじい。

 こうしたデマの背景には、親の不安がある。その不安が、正常な判断力をなくし、ふつうなら
(?)と思うような話まで、信じてしまう。そしてそれが人から人へと伝わるうちに、勝手にどんど
んとふくらんでいってしまう。

 「受験」という制度は避けては通れないものかもしれないが、しかし合格したからといって、そ
の人が優秀だとか、反対に不合格だったから、その人が劣っているということにはならない。だ
いたいにおいて、基準そのものが、いいかげんである。どこがどう「いいかげんか」ということに
なると、話が長くなるが、ともかくも、いいかげんである。そういうものを基準にして、人間の価
値まで決められたら、たまらない。

 もっとも親が不安になるのは、親の勝手。デマを飛ばしあうのも、親の勝手。しかしその不安
を子どもにぶつけてはいけない。あるいはそのデマで、子育てを見失ってはいけない。私はと
きどき親たちにこう言う。「あるがままの子どもを育てましょう。そういう子どもがダメだというの
なら、こちらからそんな学校は、蹴飛ばしてやりましょう!」と。親が子どもの心を守らなかった
ら、だれが守る? そんな心構えも、子どもの受験には必要だということ。


●夫婦円満は、教育の要

子どもは絶対的な安心感のある家庭で、心をはぐくむことができる。「絶対的」というのは、疑
いを抱かないということ。そのためには、子どもの前では、夫婦は円満に。よく誤解されるが、
夫婦が子どもの前でベタベタする姿を見せるのは、悪いことではない。悪いことでないことは、
外国へ行ってみればわかる。欧米の夫婦は、(もちろん仲のよい夫婦だが)、日常的にベタベ
タしている。日本人の私たちが見ていても、恥ずかしいほどだが、だからといって、子どもがど
うこうということはない。子どもたちは子どもたちで、ごく日常的な光景として、それを受け入れ
てしまっている。

 一般論として、心豊かな家庭で、親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、どっしりとした
落ち着きがある。態度も大きく、ばあいによっては、ふてぶてしい。そうでない子どもは、どこか
セカセカいて、愛想はよいが、心を許さない。許さない分だけ、心をゆがめやすい。ひねくれ
る、いじける、ひがむ、つっぱるなど。が、夫婦が円満であることには、もっと大切な意味があ
る。

 子どもは親たちが、助けあい、いたわりあい、慰めあい、励ましあい、教えあう姿を見て、自
分の中に、あるべき家庭像や夫婦像をつくる。つまりそういう家庭で育った子どもは、いつか自
分が親になったとき、自然な形で、よい家庭や夫婦関係を築くことができる。そうでなければそ
うでない。これも一般論だが、不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、夫婦関係や親子関係
が、ぎくしゃくしやすい。「親像」「家庭像」が、脳にインプットされていないとみる。このタイプの
人は、「いい家庭をつくろう」「いい親にならなければ」という気負いばかりが先行する。いわゆ
る「気負い先行型」の子育てというのは、こういう子育てをいうが、親が気負えば気負うほど、
親も疲れるが、子どもも疲れる。この疲れが、たがいの間に、ミゾを入れる。

 ……だからといって、不幸な家庭に育った人が、すべてよい家庭作りに失敗するというので
はない。人間は、学習によって、あるべき夫婦や、あるべき家庭の姿を学ぶことができる。友
人や知人の家庭を見たり、親類や映画の中の家庭を見たりして、それを自分のものにするこ
とができる。いろいろ回り道をすることはあるかもしれないが、幸福な家庭や、よい親子関係を
築いている人は、いくらでもいる。

 ともかくも、子どもの前では、夫婦は円満に。中には、「夫婦げんかは子どもに見せろ。意見
の対立を教えるにはよい機会だ」(C大元教授)と、とんでもないことを言う人もいる。夫婦で哲
学論争でもするならともかくも、ほとんどの夫婦げんかは、とるにたりない痴話げんか。そんな
ものは子どもに見せる必要はない。見せてはならない。

 
●子どもの自立

 アメリカには「要保護者遺棄罪」という、恐ろしい法律がある。子どもを家に残し、夫婦だけで
外出したりすると、その罪に問われる。アメリカに住む二男がそのことについて、「日本はいい
国だね」と言った。何でもアメリカでは、子どもだけで外へ遊びに行くということすら、考えられな
いというのだ。「そんなことをすれば、すぐ誘拐されてしまう」と。

 しかし日本では、そこまでうるさくない。そういう意味では安全な国だ。ここで書くことは、その
「安全」を前提にしてでのことだが、私は以前、『夫婦で外出』という格言を考えた。子どもがあ
る程度大きくなり、子どもたちだけで何となく生活ができるようになったら、できるだけこまめ
に、夫婦だけで外出するとよい。親にすれば、子離れの準備ということになるし、子どもに対し
ては、親離れをうながすということになる。

 一般的に、子どもは、小学三〜四年生ごろ、親離れを始める。それまで学校でのできごとを
話していた子どもも、急に話さなくなる。親と一緒に、入浴しなくなる。家族と一緒の外出をしぶ
るようになる。あるいは自分だけの部屋を求めるようになる。こうなれば親離れの時期は近い
とみる。ただそのとき、子どもの情緒は不安定になり、幼児期にもどったり、あるいは妙におと
なびてみせたりする。それを繰り返す。幼児にもどれば、幼児に、おとなびたりしてみせたら、
それなりにおとなに扱う。いきなりあるときからおとなあつかいをするとか、反対に幼児ぽくなっ
たりすることを、叱ったりしてはいけない。

 コツは、成長することを喜ばせながら、そのつどおとなあつかいをする。「あんたも、おとなの
スカートがはけるようになったね」とか、「一度、ネクタイをしめてみるか」などと言ってみる。親
どうしが外出したあとも、きちんと家の管理ができていれば、それをほめる。「あんたももう、一
人前ね」と。こうした前向きな指導が、子どもを伸ばす。

 さらにそれができるようになったら、金銭的な自立、生活的な自立をうながす。ひとりで祖父
母の家まで旅をさせる。親どうして、子どもを交換するという方法もある。ただし無理をしないこ
と。無理をすると、夜中に迎えに行くということになりかねない。またこれは私の個人的な経験
だが、こんな方法も効果的である。

 私は思い立ったとき、息子たちを連れてよく、「目的なしの思いつき旅行」に連れていった。行
き先は、その先々で子どもたちと相談して決める。が、いつもうまくいくとは限らない。ある夜な
どは、泊まる宿をさがして、夜中の一時ごろまで、その小さな町をさまよい歩いた。しかしそうい
う旅をするごとに、子どもたちが精神的にたくましくなっていくのを、肌で実感することができた。
結構、お金のかかる旅になるが、子どもの自立をうながすという意味では効果がある。


●『深い川は静かに流れる』

 『深い川は静かに流れる』は、イギリスの格言。日本でも、『浅瀬に仇(あだ)波』という。つまり
思慮深い人は、静か。反対にそうでない人は、何かにつけてギャーギャーと騒ぎやすいという
意味。

 子どももそうで、その子どもが思慮深いかどうかは、目を見て判断する。思慮深い子どもの
目は、キラキラと輝き、静かに落ち着いている。会話をしていても、じっと相手を見据えるような
鋭さがある。が、そうでない子どもは、そうでない。

 私は先日、ある女性代議士の目をテレビで見ていて驚いた。その女性は何かのインタビュー
に答えていたのだが、その視線が空を見たまま、一秒間に数回というようなはやさで、左右、
上下にゆれていたのだ。それはまさに異常な視線だった。その女性代議士は、毒舌家として
有名で、言いたいことをズバズバ言うタイプの人だが、しかしそれは知性から出る言葉というよ
り、もっと別のところから出る言葉ではないのか。私はそれを疑った。これ以上のことはここに
は書けないが、そういうどこかメチャメチャな人ほど、マスコミの世界では受けるらしい。

 が、この時期、親というのは、外見的な派手さだけを見て、子どもを判断する傾向が強い。た
とえば本読みにしても、ペラペラと、それこそ立て板に水のうように読む子どもほど、すばらしい
と評価する。しかし実際には、読みの深い子どもほど、一ページ読むごとに、挿絵を見たりし
て、考え込む様子を見せる。読み方としては、そのほうが好ましいことは言うまでもない。

 これも子どもをみるとき、よく誤解されるが、「情報や知識の量」と、「思考力」は、別。まったく
別。モノ知りだから、頭のよい子どもということにはならない。子どもの頭のよさは、どれだけ考
える力があるかで判断する。同じように、反応がはやく、ペラペラと軽いことをしゃべるから、頭
のよい子どもということにはならない。むしろこのタイプの子どもは、思考力が浅く、考えること
そのものから逃げてしまう。何か、パズルのような問題を与えてみると、それがわかる。考える
前に、適当な答をつぎからつぎへと口にする。そして最後は、「わからない」「できない」「もう、
いや」とか言い出す。

 その「考える力」は、習慣によって生まれる。子どもが何かを考える様子を見せたら、できる
だけそっとしておく。そして何か新しい考えを口にしたら、「すばらしいわね」「おもしろいね」と、
それを前向きに引き出す。そういう姿勢が、子どもの考える力を伸ばす。


●不自然さは要注意

 子どもの動作や、言動で、どこか不自然さを感じたら、要注意。反応や歩き方、さらにはしぐ
さなど。「ふつう、子どもなら、こうするだろうな」と思うとき、子どもによっては、そうでない反応
を示すことがある。最近、経験した例をいくつかあげてみる。

○教室へ入ってくるやいなや、突然大声で、「先生、先週、ここにシャープペンシルは落ちてい
ませんでしたか!」と。「気がつかなかった」と答えると、大げさなジェスチャでその女の子(小
五)は、あたりをさがし始めた。しばらくすると、「先生、今日は、筆箱を忘れました」と。そこで
私が、「忘れたら忘れたで、最初からそう言えばいいのに」とたしなめると、さらに大きな声で、
「そんなことはありません!」と。そして授業中も、どうも納得できないというような様子で、とき
おり、あたりをさがすマネをしてみせる。私が「もういいから、忘れなさい」と言うと、「いえ、たし
かにここに置きました!」と。
○A君(小三男児)が、連絡ノートを忘れた。そこでまだ教室に残っていたB君(小三男児)にそ
れを渡して、「まだA君はそのあたりにいるはずだから、急いでもっていってあげて!」と叫ん
だ。が、B君はおもむろに腰をあげ、のんびりと自分のものを片づけたあと、ノソノソと歩き出し
た。それではまにあわない。そこで私が「いいから、走って!」と促すと、こちらをうらめしそうな
顔をして見るのみ。そしてゆっくりと教室の外に消えた。
○R子(小六)が教室に入ってきたので、いつものように肩をポンとたたいて、「こんにちは」と
言ったときのこと。何を思ったからR子は、いきなり私の腹に足蹴りをしてきた。「この、ヘンタイ
野郎!」と。ふつうの蹴りではない。R子は空手道場に通っていた。私はしばらく息もできない
状態で、その場にうずくまってしまった。そのときR子の顔を見ると、ぞっとするような冷たい目
をしていた。

こうした「ふつうでない様子」を見たら、それを手がかりに、子どもの心の問題をさぐってみる。
何かあるはずである。が、このとき大切なことは、そうした症状だけをみて、子どもを叱ったり、
注意してはいけないということ。何か原因があるはずである。だからそれをさぐる。たとえばシ
ャープペンシルをさがした女の子は、異常とも言えるような親の過関心で心をゆがめていた。B
君は、いわゆる緩慢行動を示した。精神そのものが萎縮している子どもによく見られる症状で
ある。また私を足蹴りにした女の子は、そのころ父親から性的虐待を受けていた、など。

 一方、心がまっすぐ伸びている子どもは、行動や言動が自然である。「すなお」という言い方
のほうがふさわしい。こちらの予想どおりに反応し、そして行動する。心を開いているから、や
さしくしてあげたり、親切にしてあげると、そのやさしさや親切が、スーッと子どもの心にしみて
いくのがわかる。そしてうれしそうにニコニコと笑ったりする。「おいで」と手を広げてあげると、
そのままこちらの胸に飛び込んでくる。そこであなたの子どもを観察してみてほしい。何人か子
どもが集まっているようなところで観察するとわかりやすい。もしあなたの子どもの行動や言動
が自然であればよい。しかしどこか不自然であれば、あなたの子育てのし方そのものを反省し
てみる。子どもではない。あなた自身の、だ。
(02−10−20)※

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